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#526 音楽は世界共通語

 3月も下旬となり今週は全ての学校で修業式を迎えます。そして2週間もすれば令和6年度を迎え、生徒たちはそれぞれ進級します。新年度はどんな年度になるのでしょうか。今から楽しみです。
 さて世界共通語と言えば何を思いますか。英語ですか、それともスペイン語ですか。確かに英語やスペイン語は世界で多くの人が話していますが、人類全員ではありません。世界中の誰にも分かる言葉は音楽です。お互い言葉は分からなくても音楽は演奏を通して、または聴くことで全ての人々の心に伝わります。
 今日たまたまNHKBSを見ていたのですが、久しぶりに面白いドラマを見ました。日越外交関係樹立50周年記念ドラマ「ベトナムのひびき」です。この番組についてNHKのHPでは次のように説明しています。
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日越外交関係樹立50周年記念ドラマ「ベトナムのひびき」
1959年、ベトナムにオーケストラが設立されました。目的は、音楽を通して、戦争や国境を超えて人の心を繋ぐことだったと考えています。
 「楽団は家族なのだ」その志は、ベトナムのオーケストラに招かれ、ベトナム縦断ツアーの成功を託された日本人指揮者とベトナム人オーケストラのメンバーに伝わり、ベトナムと日本を繋ぐハーモニーが生まれて行きます。
 国作りも、楽団作りも同じ、多くの異なる人間が集まり、皆で一つのタクト(指揮棒)を見つめ心を合わせることで、オーケストラが一つになり、未来の扉が開かれて行く。2024年、壮大なベトナムの風景をバックに日本とベトナムが力を合わせ、武力に揺れる世界に向けて絆の大切さを伝え、国を超えた深い“友情”と“音楽”への愛をお届けします。
https://www.nhk.jp/p/ts/8QG8N2M8KX/
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 またHPのあらすじには「日本とベトナムの外交関係樹立50年を記念した特集ドラマ。指揮者の佐倉一男(濱田岳)はベトナムのオーケストラ再建を依頼され単身ハノイに渡る。通訳の森岡優子(比嘉愛未)とともに個性豊かなベトナムのメンバーたちと触れ合いながら、文化の壁を乗り越え一流のオーケストラを目指す。後輩指揮者の光嶋(反田恭平)や妻の美也子(MEGUMI)、息子の博音(岡﨑彪太郎)とのあつれきやすれ違いを経て佐倉が見つけたものは…」と書いてあります。確かにショパンコンクールで2位に輝いた反田さんの指揮者姿は見ものです。再放送があるかもしれませんので、お見逃しなく。
 ところで、クラシック音楽だけでなく音楽には様々なジャンルがありますが、どんなジャンルにも優れたものが沢山あります。本当に素晴らしい音楽はジャンルを超えるものです。様々な音楽が調べを奏で、人の心に届きます。そして心を癒してくれます。いわゆるスタンダード・ミュージックは時代を超え永遠に残っていくものです。あなたはどんな音楽が好きですか。

2024年03月17日

#525 マンガは日本を救う

 春の日差しが強くなってきました。日の出や日の入りも1時間近く伸びて、春らしい雰囲気が醸し出されています。あと10日もすれば桜も咲き始め、一気に春が進みます。
 さて明日は3月11日、東日本大震災から13年目になります。先週から震災特集の番組がテレビで放送されています。確かに大災害から13年経ったことになりますが、東電福島の原発事故の修復作業まだ遅々として進まず、原発事故の悲惨さを如実に物語っています。また東北地方の復興事業も時間がかかり、いまだに多くの被災者が地元を離れています。一刻も早く地元の生活が復活するように祈るばかりです。そのためには被災者の支援だけでなく、地元の産業を復活させるような施策を国や自治体が考えて早急に実行すべきでしょう。
 ところで、連続して訃報が届きました。お一人はアラレちゃんやドラゴンボールで有名な漫画家の鳥山明さんと、ちびまる子の声を担当したTARAKOさんです。特に鳥山さんは世界中に多くのファンを持ち、世界中からお悔やみの言葉が届いています。中国でもドラゴンボール中国語版が発売されており、両国の架け橋となったと中国人の読者が語っていました。
 確かに個人が描いたマンガが世界中で受け入れられた一例ですが、日本のマンガやアニメは世界を席巻しています。昨今のインバウンド(海外の旅行者が日本に来ること)の理由の一つに、マンガやアニメの聖地を一目見たいという理由があります。それほど日本のマンガやアニメが親しまれているということです。鳥山さんの作品だけでなく多くの作品が世界中で読まれており、多くのファンを獲得しています。
 この日本マンガ・アニメ現象を一つの国家戦略として捉えることも可能です。アメリカは似たような国家戦略としてディズニーアニメやマクナルドハンバーガーを通して自国に対してよい印象を持ってもらえるように
イメージ戦略を世界中に行っています。その一番成功した例が日本でしょう。敗戦国として終戦当時は戦勝国のアメリカに対して敵愾心を持っていましたが、イメージ戦略の結果アメリカに対して親近感を持つようになりました。
 同様に日本は国家戦略ではありませんがマンガ家やアニメーターの努力のおかげで日本に対する印象が良くなり、結果としてマンガが国家戦略の要素を果たしたと言えるでしょう。このことは日本が武器を使わずに世界を魅了したと言えるでしょう。以前の日本は世界第2位の経済力を用いて世界各地に日本製品を輸出してイエローアニマルと呼ばれましたが、今の日本は経済摩擦を起こさず平和のうちに日本の魅力をマンガやアニメを通して世界に広めた好例となっています。これは日本に対して良い印象をもたらし、経済的にも国防としても日本を救うことになると思います。政府も何らかの形で漫画家やアニメーターを助成する国家戦略を構築してイメージ戦略を行なう必要があります。以前は「マンガを読むと馬鹿になる」と言われた時代がありましたが、今は「マンガやアニメは日本を救う」と言えるでしょう。

2024年03月10日

#524 新しい季節に向かって

 今日は3月3日、雛祭り(ひなまつり)の日です。昔は多くの家で5段重ねの雛壇を飾っていましたが、最近ではマンションでも飾ることができるコンパクトな雛壇が流行っているそうです。まだ寒さが残りますが、いよいよ春の到来です。
 さて、3月1日は多くの高校で卒業式が行われました。現在大牟田の明光学園で非常勤講師を続けていますが、今年度も高校3年生の授業を担当し、学び舎を巣立っていく卒業生の姿がまぶしく輝いて見えました。彼女たちは4月からは様々な環境で有意義な人生を歩んでいきます。
 私の教師歴を振り返りますと、現役の教師としておよそ30年間福岡雙葉学園の教員を務めたことになりますが、そのうち半分以上を高校3年生を担当したことになります。また担任として、学年主任として卒業生を10回送り出しました。それぞれの学年に思い出があり、機会ある度に担当したクラスや学年の思い出が浮かんできます。クラスマッチで優勝したクラス、修学旅行に参加した学年、素晴らしい進学実績を残したクラスや学年など振り返ればすべて良き思い出です。
 特に高3の担任は他学年と異なり、進路指導や学年行事など多忙の極みとなります。2学期は推薦入試のための面接指導や調査書作成のために放課後の時間を費やします。学年主任として学年行事の立案や指導に時間を取られ、夜の10時過ぎまで職員室で仕事を行った記憶があります。今振り返れば時間に追われた日々でしたが、すべて良き思い出になっています。
 当塾でも高3の生徒が一人卒塾しました。昨日お母様と本人が挨拶に来塾し、しばらく談笑しました。彼は中1時から当塾で勉強を始め、4年間在籍したことになります。4月から県外の大学に進学します。彼のお姉さんも中1から5年間在籍しました。彼女は当塾の開設当時から授業に参加し、現在は東京の大学に通っています。姉弟そろって努力家でした。
 現在当塾で学んでいる高2の生徒が3名いますので、来年度は様々な点で忙しい1年を過ごすことになります。3人が希望の進路に進むまで、日々粉骨砕身することになります。
 教師という職業は他の職業と比べて季節感のある職業です。4月には入学式があり、遠足や体育祭が1学期に行われます。夏休みをはさんで、2学期は修学旅行や様々な学年・学校行事があります。冬には入学試験やさまざまな進路指導があり、3月は卒業式が行われます。
 あとひと月もすれば4月になり、また新しい季節が始まります。どのような生徒との出会いがあるでしょうか。期待と不安交じりの気持ちで4月を迎えます。新しい季節に向かって新鮮な気持ちで4月を迎えたいと思います。

2024年03月03日

#523 ニセコバブル

 2月も残りわずかとなりました。今週の金曜日は3月1日。多くの高校では卒業式を行ないます。春はもうすぐそこまで来ています。
 さて、「ニセコバブル」という言葉を聞いたことがありますか。ニセコは海外からとても人気があり、特に冬は多くの外国人客でにぎわっています。ところがここに深刻な問題が発生しています。ニセコの物価高騰です。これには地元で暮らす人々も本当に困っているというニュースが先日報道されていま本日はニセコバブルに関するニュースを紹介します。
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『北海道ニセコでは10億円超のコンドミニアムが飛ぶように売れる! 坪単価は300万円』
 今や世界に誇る高級スキーリゾート地「北海道ニセコ」だが、日本でありながら日本語が通じず、日本人がいない異様な光景が広がっている。
「不動産価格は右肩上がりで、中心部の土地は坪単価300万円といわれていますが、物件が出ればの話です。もはや売買する土地さえない状況です。開業時、1室10億円以上したホテルコンドミニアムは完売し、現在はさらに数億円上乗せされ、高値で転売されています」(地元不動産業者)
 メインゲレンデ「グラン・ヒラフスキー場」と「HANAZONOスキー場」がある倶知安町の人口は約1万5000人。そのうち2000人超が外国人移住者だ。約80カ国から「出稼ぎ」にやってきた外国人労働者が、海外からの長期滞在の富裕層を接客している。
 ホテルやスキー場、レンタルショップ、飲食店、不動産業者まで、街なかで見かけるのは外国人ばかり。店のメニューや看板、客への挨拶も「ニセコの公用語」の英語だ。
 昨年12月、「ルイ・ヴィトン」のポップアップストアが「パークハイアット ニセコ HANAZONO」ホテル内にオープン。スキー場内を運行するモノグラムのロゴをあしらったゴンドラと、ゲレンデに設置された遊牧民の住居前で、外国人観光客がポーズを決める。
 「そこで写真を撮るためにスキーウエア(上下で94万8200円)、スキー板(127万6000円)など全身ヴィトンで買い揃えた外国人もいます。彼らはウエアも板も持たず、プライベートジェットで来て現地で調達します。土日はたまに日本人を見かけますが、平日はほぼ外国人で、欧米人が6割以上を占めています。何しろホテル代がベラボーに高く、リフト1日券は7800円、かにラーメンが3800円ですから」(スキー場スタッフ)
 今や世界に誇る高級スキーリゾート地「北海道ニセコ」だが、日本でありながら日本語が通じず、日本人がいない異様な光景が広がっている。
 「不動産価格は右肩上がりで、中心部の土地は坪単価300万円といわれていますが、物件が出ればの話です。もはや売買する土地さえない状況です。開業時、1室10億円以上したホテルコンドミニアムは完売し、現在はさらに数億円上乗せされ、高値で転売されています」(地元不動産業者)
 メインゲレンデ「グラン・ヒラフスキー場」と「HANAZONOスキー場」がある倶知安町の人口は約1万5000人。そのうち2000人超が外国人移住者だ。約80カ国から「出稼ぎ」にやってきた外国人労働者が、海外からの長期滞在の富裕層を接客している。
 ホテルやスキー場、レンタルショップ、飲食店、不動産業者まで、街なかで見かけるのは外国人ばかり。店のメニューや看板、客への挨拶も「ニセコの公用語」の英語だ。
 昨年12月、「ルイ・ヴィトン」のポップアップストアが「パークハイアット ニセコ HANAZONO」ホテル内にオープン。スキー場内を運行するモノグラムのロゴをあしらったゴンドラと、ゲレンデに設置された遊牧民の住居前で、外国人観光客がポーズを決める。
「そこで写真を撮るためにスキーウエア(上下で94万8200円)、スキー板(127万6000円)など全身ヴィトンで買い揃えた外国人もいます。彼らはウエアも板も持たず、プライベートジェットで来て現地で調達します。土日はたまに日本人を見かけますが、平日はほぼ外国人で、欧米人が6割以上を占めています。何しろホテル代がベラボーに高く、リフト1日券は7800円、かにラーメンが3800円ですから」(スキー場スタッフ)
 ヒラフスキー場近くのコンビニは外国人客であふれ、レジ待ちの列が店外まで続く。昨シーズン、現地の飲食店の予約が数カ月先までいっぱいとなり、外食できない「夕食難民」が続出。コンビニの棚から食料品が消えた。そこで地元企業と自治体が全国の業者に呼びかけ、70台以上のキッチンカーが集結。毎晩、外国人で賑わっている。えび天3本5000円、天丼7000円、天ぷら盛り合わせを1万円で販売する店も出現した。
 北海道千歳市から来た50代のキッチンカー店主がこう嘆く。「1カ月の場所代は20万円で、マンスリーアパートの家賃は月18万円です。料理の値段を高く設定したからにはそれなりの物を出さないと評判が落ちるので、札幌まで仕入れに行っています。収入が増えた分、出費もかさみます。日本人はめったに来ませんが、食べるところがなくて困っているお客さんには申し訳ないので、日本人価格として半額にしています」
 ヒラフスキー場から7キロほど離れたスーパーに立ち寄ると、とんでもない事態になっていた。ワインセラーには「シャトー・ラトゥール」(17万1380円)など数万~10万円台のワインが数十本貯蔵され、別の売り場にも100種類以上のワインがズラリ。生鮮食品売り場では国産和牛500グラム1万2800円、大とろ700グラム2万1384円、生うに6万4584円で販売していた。
「毎日、超高級ワインが売れるわけではありませんが、20万円以上の買い物をする外国人客はザラです。レジを打つのも大変です」
 あまりの物価の高騰と外国人のやりたい放題に日本人はニセコに寄り付かなくなったという。「エンジンをかけたまま、コンビニの駐車場に車を止めていたら外国人が勝手に乗り込んでいたとか、車を盗まれたという話を聞きます。お金があるからか我が物顔です。マナーも悪いので近づきたくないし、トラブルに巻き込まれたくありません」(地元住民)
 2030年度には北海道新幹線「倶知安駅」が開業予定。これにより札幌~倶知安間が25分、東京~倶知安間は4時間40分程度で結ばれる。限られた土地は外国資本に買い占められ、インバウンドバブルはまだまだ続く。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/336382
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 スキーリゾート地で有名なニセコですが、大変なことになっています。インバウンドを政府は勧めていますが、まさかこんなことになろうとは誰が想像したでしょうか。一杯3800円のラーメンを食べたいですか。日本人の庶民にとってまさに異常な物価高です。
 たしかにインバウンドで日本経済を活気づけようとするのは理解できますが、ニセコの例にもあるように円安と海外の物価高の影響もあり、日本の観光地が外国人に買い漁られています。このままでは一等地がすべて日本の土地ではなくなってしまいます。政府はこれを望んでいるのでしょうか。早期の対応を望みたいと思います。そうしないと日本国内に裕福な外人と貧しい日本人の二極分化した社会ができることになります。それこそ日本人の貧民化が促進されることになります。果たしてこれでよいのでしょうか。日本人の一人として危惧しています。

2024年02月25日

#522 山が臭う!?

 2月も中旬が過ぎ、2週間後には3月を迎えます。寒い日もありましたが、今年の冬は記録的な暖冬で終わりそうです。今日もまるで3月下旬のような気候で、2月とは思えないほどの温かさです。このまま春に突入していくのでしょうか。
 春と言えば、多くの山で登山が始まります。人気の山では山小屋やトイレも常設され、普段着の感覚で登山ができます。特に富士山では山開きとともに登山道を数珠つなぎで登る登山者の姿がニュースで見られます。
 さて、世界で一番高い山、エベレスト山(現地ではチョモランラと呼ばれます)はどうでしょうか・8千メートルを超える高山では気軽に泊まれるような山小屋やトイレはありません。当然ベースキャンプを始めとするテントでの寝起きとなりまうが、排泄処理はどうなっているのでしょうか。今日は少々臭い話ですが(笑)、面白い記事を見つけましたので転載します。
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『エベレスト、排せつ物持ち帰り義務化 汚染深刻「山が臭う」―ネパール』
 【ニューデリー時事】世界最高峰エベレスト(8848メートル)の麓にあるネパールの地元自治体は、3月以降のエベレスト登山者に対し排せつ物の持ち帰りを義務付けた。近年、登山者が残したロープや酸素ボンベだけでなく排せつ物による環境汚染も大きな問題となっており、対策に乗り出した。
 自治体や英BBC放送によると、登山者には排せつ物を固めてほぼ無臭化する化学物質などが入った袋を購入してもらい、ベースキャンプまでの持ち帰りを義務付ける。他のごみの持ち帰りや、キャンプでの清掃活動参加も求める。近接する8000メートル峰ローツェの登山者も対象となる。
 自治体トップのミグマ・シェルパ氏はBBCに「私たちの山が臭い始めた。人の便が岩に付着しているのが見え、体調を崩す登山者がいるとの苦情を受けた。受け入れ難いし、イメージを損なう」と語った。
 エベレストは気温が低く、排せつ物が分解されず長い間残るとされている。正確な統計はないが、山頂へと続く各キャンプに残された排せつ物の総量は約3トンに上るとの推定もある。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024021400652&g=int#goog_rewarded
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 観光地ならともかく、排泄処理は場所を選びません。エベレスト山といえども例外ではありません。記事にあるように、エベレスト山のごみも問題となった時期があり、登山家野口健さんがエベレスト山のごみ収集登山を始めたときに、周囲の登山家たちから非難されたのは有名な話です。街角のごみのように誰かが捨てたごみは誰かが片付けないと、ごみの山となります。エベレスト登山が開始された当時は登山家は少なく、捨てられたごみはそれほど目立ちませんでしたが、登山が流行となった今ではエベレスト山も例外なくごみの山と化しました。誰か片付けなければ、ごみはいつまでもその場所に残ります。エベレスト山に限らず、登山する人は自分のごみは自分で持ち帰る必要があります。
 ごみ問題に関してもう1つ。以外に誰も気づかない場所があります。それは地球上空の宇宙空間に浮かんでいる宇宙ゴミです。先日のH3ロケット打ち上げ成功に日本中が喜んでいますが、一度打ち上げたロケットの部品や衛星は半永久的に地球上空を回ります。大きな部品は重力のせいで次第に高度を下げ、最後は大気圏に突入して燃えてしまいますが、小さなものはいつまでも浮かんで地球上を取り巻き、それが国際宇宙ステーションや通信衛星などに衝突し様々な被害を及ぼします。とくにスターリンクのような通信衛星経由のネットシステムでは一度に何千もの通信衛星を打ち上げますので、数年後に使用済みの衛星はものすごい数のごみになります。
 それらが蜘蛛の巣のように地球上空をいつまでも回転するのです。日本のベンチャー企業がこのようなスペースデブリ(宇宙ゴミ)を取り除く技術を現在開発中ですが、実現させるには数年かかります。その間にも宇宙ごみがますます増えていきます。ある日宇宙から降り注ぐごみに当たって亡くなる人のための死亡保険が登場するでしょうか(笑)。笑い話にもなりません。自分たちが捨てたごみは自分たちで回収するようなシステムを作るべきでしょう。

2024年02月18日

#521 繁殖引退犬

 多くの家庭でイヌやネコなどのペットが飼われていますが、実際ペットは家族の一員として扱われています。またペットショップに行けば様々な種類のペットがおり、かわいらしい姿を見せています。ところが私たちの目に見えないところで生きている動物がいます。ペットを産む親の存在です。本日のブログは繁殖犬を取り上げたいと思います。
 繁殖犬とはペットの子犬を産む親犬のことです。2019年に改正された動物愛護管理法では生出産回数は6回まで、交配時の年齢は6歳までと定められられました。しかし、繁殖を引退した犬(繁殖引退犬)の存在を知る人は少ないと思います。NHKクローズアップ現代では先日この問題を取り上げていましたので、その一部をご紹介します。
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『さまよう繁殖引退犬 ペット業界の“異変”を追う』
 「繁殖引退犬」という言葉をご存じだろうか?ペットショップに子犬を供給するためにブリーダーが飼育してきた犬で、いま大量に手放されています。劣悪な環境で飼育してきた悪質業者の排除などを目的に2019年に動物愛護管理法が改正。犬の飼育頭数や出産できる年齢などに制限が。その結果、経営危機に直面し繁殖引退犬を手放すブリーダーが続出。犬を預かるシェルターもあふれ、山林に捨てられるケースまで…。異変の深層に迫りました。
<さまよう繁殖引退犬 ペット業界に異変!?>
桑子 真帆キャスター:
私たちが犬や猫を飼う時、多くの人がペットショップから購入します。犬や猫は、ブリーダーが繁殖させています。ブリーダーのもとには子犬だけではなく、その親である繁殖犬、そして繁殖の役割を終えた繁殖引退犬もいます。
 この繁殖引退犬は、法律で原則、最期まで飼育する"終生飼養"が求められていますが、手放すしかない事態に追い込まれるブリーダーが増えているんです。なぜなのか。取材を進めると、ペットを巡って異変が起きていることが見えてきました。
<動物愛護管理法 なぜ改正されたのか>
桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、獣医師で動物の福祉・愛護に携わってきた佐伯潤さんです。なぜ、こうした事態になっているのかということで、VTRにもありましたが、2019年に改正された動物愛護管理法を受けて、繁殖犬の数、それから出産回数、年齢に制限が設けられました。このあとにさまざまな問題が噴出しているわけですが、そもそもなぜこうした数値規制の改正が行われたのでしょうか。
佐伯さん(獣医師・帝京科学大学 教授):
 大体2000年ぐらいを境に、今までは犬であれば番犬として外に飼っていた、猫は出入り自由で過ごしてたわけですが、そういった飼い方から、屋内で飼い主さんと一緒に過ごす犬や猫が増えてきた。
また、15歳未満の子どもの数よりもペットの数が多くなってきたという背景がありまして、ペットは家族の一員であるという意識が広がっていったんです。
 ただ、その一方で繁殖業者の中には悪質な環境で繁殖犬を飼育して子どもをどんどん産ますという、いわゆる「パピーミル(子犬工場)」というような問題もたくさん出てきたり、それから経営が行き詰まって「多頭飼育崩壊」を起こすような問題というのも認められるようになってきました。
 そんな中で規制となったのですが、今後、やはりこの規制がどうだったかということについては検証していく必要性はあると思います。
<ペットを守るには何が? アニマルウエルフェアとは>
桑子 真帆キャスター:
 獣医師などの専門家が入り、環境を改善していくという取り組みご覧いただきましたが、こういった取り組みをどう評価されていますか。
佐伯さん:
 とてもすばらしい取り組みだと思います。ペット業界の川上の部分でしっかり専門家が入っていくことは大切だと思います。ペット業界の特徴としまして、バブル期やペットブームを通じて古い体質のまま大きくなって拡大してしまった。
桑子:
 古い体質というのは?
佐伯さん:
 古くからの犬屋さんというような雰囲気ですね。あと閉鎖的な部分もありましたので、それが昨今、問題になりましたけれども、業者さんが帝王切開をしてしまうというような問題につながる体質だと思います。
桑子:
 獣医師ではなく、ということですね。
佐伯さん:
 そうですね。ですので、今後はVTRにありましたように専門家、獣医師をはじめとした専門家が関わっていくことで新しい知識や技術というのを入れて改善していく必要性があると思います。
 そういったことがうまくいった事例として、身近なものとしては動物園の展示動物があると思います。非常に飼育環境が悪いところもあって大きな問題になっていたのですが、専門知識のある獣医師などが関与することによって、飼育環境や動物の取り扱いがかなり改善されてきています。
 最近、動物園に行かれた方は感じられたと思うのですが、実際に本来、動物が暮らしていたような飼育環境を再現していたりとか、自然界で動物がとっていた行動が発現できるような、行えるような物を置いたりという、さまざまな動物福祉の視点に立った改善が行われています。今後、このようなことがペット業界のほうにも適用されれば、もっといい飼育環境になるのではないかなと思っています。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4870/#p4870_08
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 クローズアップは30分番組のために上記以外の内容が多く含まれます。番組全体の内容を知りたい方は上記のアドレスをクリックしてください。
 ペット業界花盛りの裏で不都合なことが多々起こっています。これも人間の飽くなき欲望ゆえの悲劇です。生き物の命を利用して金儲けをする人間の愚かさの一端と思えます。人の命も動物の命も同じ命です。人間だけが自然の頂点に立っているわけではありません。様々な命の共存の上で、人間の命も存在します。例えばミツバチがいなくなれば、花の受粉ができず、それを一因として食物連鎖が崩壊します。このように自然は微妙なバランスを取りながら地球上のすべての生命を養っています。それを人間の欲望のために破壊してはならないのです。人間の我欲ゆえに現在この星は苦しんでいます。私たちが自然の恵みに感謝しなければ、自然は地震や津波、火山の噴火など自然災害を用いて地上から人間をふるい落としかかるでしょう。私たちの周りにいる小さき生き物を通して真摯に全ての命に向かい合いたいものです。

2024年02月11日

#520月面に犬がいた!?

 今日は立春です。暦の上では春が始まります。確かに冬至と比べて日の入りが30分ほど長くなっていますが、まだまだ寒い日々が続きます。去り行く冬を楽しみながら本格的な春の訪れまでもう少しの辛抱です。
 さて、前回のブログの続きになります。SLIMに太陽光が当たり始めて本格的な活動がようやく始まりました。ところが「月面に犬がいた」のです!信じられない話ですが本当です?それも1匹だけでなく、セントバーナード、甲斐犬、秋田犬、ブルドック、柴犬、トイプードルの5匹がいたというのです。これ、信じられますか?
 実はこの犬たちはSLIMを打ち上げたJAXAの研究員たちが研究対象の岩石を区別しやすいように名付けたものです。これに関する詳細な記事を紹介します。
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『日本の月探査機チームが設定した「月面ドッグラン」犬たちの貢献が始まった!』
 世界で初めて月面へのピンポイント着陸を成功させた、日本の月面探査機SLIM。長年にわたり、我が国の宇宙開発の最前線を取材し続けるジャーナリスト・山根一眞氏、懇親のレポート第一弾!

<月面に「ドッグラン」!?>
2024年1月20日。月面への超精密軟着陸を果たした小型月着陸実証機「SLIM(スリム)=Smart Lander for Investigating Moon」。
 トラブルに見舞われたものの探査機本体は月面(SIOLI「栞」クレーター近傍)の撮影に成功、JAXA宇宙科学研究所(ISAS、以下「宇宙研」と略)のSLIMチームは月面に「ドッグラン」を設定、そして、およそ9日後の29日午前8時4分、JAXAはX(旧twitter)で、SLIMの電力が回復、「トイプードル」観測に成功、その画像を受信したと発表した。
 「馬鹿も休み休み言え」と口にしたくなるだろうが、この6種の犬たちは、ソーラー発電が途絶え休眠状態になったSLIMが目覚めたあとの、大事な引導役なのだ。盲導犬、聴導犬ならぬ「月導犬」だ。トラブルからおよそ9日目にSLIMは目覚め、「月導犬」の活躍が始まったのだ。

<月面の「岩に犬種名」そのココロとは?>
 1月25日、SLIMプロジェクトマネージャ、坂井真一郎さんらは記者会見で20日のスリムの月面着陸の詳細を明かし、SLIMが撮影した写真とSLIMから分離した小型ロボットが撮影した写真を公開した。
 その会見のパワポでは表示されなかったが、SLIM本体が撮影した月面写真には6つの岩が写っていて、それぞれに「犬」の名称をつけていたのだ。
・セントバーナード、甲斐犬、秋田犬、ブルドック、柴犬、トイプードル。
 どうして岩に犬種名をつけたのかの説明はなかったが、きっと、こうだ。SLIMの回復後、それぞれの岩をマルチバンド分光カメラで撮影する。月の成り立ちなどを、このポイントならではの岩石を詳細に調べるのがSLIMミッションの大きな柱だからだ。
 月の表面は3793万平方km、日本の面積(約37万8000平方km)の100倍だ。SLIMチームは、その月面を日本の月探査機「かぐや」(2007年)やアメリカの月探査機「LRO」などが観測した膨大な詳細画像を精密に調べ、このごくごく狭いポイントを選んでいるのだ。
 そこの岩石成分を検出した詳細データを地球に送信する。その作業で混乱がないために「犬種」の設定をしたに違いない。「岩石A」「岩石B」と呼ぶより、「トイプードル!」と言った方がチームのだれもが直感でどの岩かわかるからだ。このやり方、やわらか発想の宇宙研ならではだなぁと、勝手に感心した。
 2005年9月、小惑星探査機「はやぶさ」は小惑星「イトカワ」に20kmまで接近し、その写真を送ってきた。その直後、私は宇宙研の深宇宙管制室前の廊下の壁にそのプリントが張り出されたのを見たが、そのタイトルは「いとかわラッコ」。
 小惑星「イトカワ」の形がラッコのようだというので、「イトカワ」の写真に眼、鼻、ヒゲ、胸に抱えた貝を書き加えてあった。このいたずらをやったのは、チームの一人、平田成さん(当時、会津大学准教授)だ。
 だがそれは単なる悪戯ではなく、今後、「イトカワ」の観測を行う際に、「中央部の平坦凹みの緯度◯、軽度◯」などややこしいことを言わず「ラッコの首の下」と直感でわかりやすく伝えるための「設定」だったのだ。SLIMが撮影した月面岩石に犬の名をつけたのは、18年前の伝統技なのだ。
https://gendai.media/articles/-/123502?imp=0
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上記の記事はまだ続きますが(続きを読みたい方は上のアドレスをクリックしてください)、研究対象に分かりやすい名前を付けることが伝統のようです。月面や火星探査などの宇宙開発は巨額な資金を必要としますが、もし世界各地で行われている武力紛争にかけるお金を宇宙開発に利用すれば、地上での縄張り争いをすることなく人類の宇宙進出に拍車をかけることでしょう。現代の人類はお互いの不信感・恐怖心により敵愾心を発していますが、広大な宇宙に向かって人類の英知を集めれば地球以外の新しい住処を見つけることができるでしょう。それとも宇宙空間でも縄張り争いを続けるでしょうか?来たる宇宙時代に新しい人類の生き方や考え方を模索する時期が続いています。今のままでは人類はいずれ滅亡するしかありません。そこまで私たちは愚かでしょうか?

2024年02月04日

#519 驚異の逆立ち着陸

 今日は1月最後の日曜日です。今年は暖冬という予報でしたが、それでも先週は警報級の寒波が到来し、被災地の能登でもかなりの積雪がありました。ここ大牟田でも3cmほどの積雪があり、最低気温は氷点下となりました。まもなく立春を迎えますが、春に向かって少しずつ季節は進んでいくようです。
 ところで、日本の宇宙開発において嬉しいニュースがありました。月探索機SLIMが月面に到着しました。それも「逆立ち着陸」という誰にも真似できない見事なものでした(笑)。一流の体操選手でも鉄棒の逆立ち着地はできないでしょう(笑)。冗談はここまでにして、日本はこれで5番目に月に探査機を送り込んだことになります。私的には米・ソ連についで3番目に達成して欲しかったのですが、予算の関係もあり、また小惑星探査を行ったハヤブサ1,2号の計画もあり、日本が果たした役割は大きなものだと思います。今回のSLIMによる月面着陸は他国にない独自の方法を示しました。SLIMに関する記事を2つ掲載します。
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『JAXAの月探査機SLIM、月面に「逆立ち状態」でピンポイント着陸に成功』
 宇宙航空研究開発機構(JAXA(ジャクサ))は25日、20日未明に月面着陸に成功した月探査機「SLIM(スリム)」が地球へ送信したデータの解析結果や、小型ロボットが撮影した着陸後の機体の様子を捉えた画像を公表した。画像では、月面でエンジンを上向きにして「逆立ち」した状態で着陸している機体の様子が写っている。
 SLIMの撮影に成功したのは、JAXA、タカラトミー、ソニーグループ、同志社大で開発した小型ロボット「SORA(ソラ)―Q(キュー)」(重さ約250グラム)。球状から変形し、両脇の車輪で月面を走行できる設計になっている。着陸直前にSLIMから分離され、着陸した機体を撮影した。
 JAXAによると、SLIMが目指していた目的地への誤差100メートル以内の「ピンポイント着陸」の実証にも成功したとみられるという。
https://www.yomiuri.co.jp/science/20240125-OYT1T50132/
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『日本初の月面着陸、成果続々–それでもJAXAは「63点」と辛口評価のワケ』
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は1月25日の記者会見で、1月20日に日本初の月面着陸に挑んだ小型月着陸実証機「SLIM」の着陸結果を報告した。
 JAXAの宇宙科学研究所で所長を務める國中均氏は「世界初となるピンポイント月面軟着陸の成功を確認した」と述べた。
<エンジンを片方喪失も「超ピンポイント着陸」に成功>
 今回明らかになった成果の1つは、世界初となるピンポイント着陸の成功だ。これまで各国が挑んできた月面着陸の精度は数km程度だったが、SLIMは100m以内という前代未聞の精度を目指していた。
 解析の結果、SLIMは推定で目標地点から55m東に着陸した。なお、着陸精度は障害物回避の直前で評価することが適切だといい、その場合は「悪く見積もっても10m。3~4m程度の精度であった可能性が高い」とSLIMのプロジェクトマネージャーを務める坂井真一郎氏は述べた。また、画像照合航法の結果も全て正確だった。
 一方で、着陸は想定通りではなかった。高度50m付近でメインエンジン2基のうち1基を喪失した。一定の冗長性を有していたことから着陸失敗とはならなかったが、想定と異なる姿勢での着陸となった。斜面に着陸するために考案された「二段階着陸技術」の実証にも失敗した。
 なお、現時点では太陽光パネルに太陽光が当たっておらず、電力供給を受けられていない状況だ。現時点でSLIMの電源は切られているが、今後太陽光が西から当たるようになれば、再び電力を得て再稼働できる可能性があるという。
<月面で写真を撮影>
 もう1つの成果は、月面にたたずむSLIMの姿を撮影したことだ。SLIMは着陸の直前に、搭載する子機の「LEV-1」と「LEV-2」(愛称:SORA-Q)を放出した。このうち、SORA-QがSLIMの月面の姿を撮影した。
 SORA-Qは、タカラトミーがJAXA、ソニーグループ、同志社大学と共同開発した超小型の変形型月面探査ロボットだ。直径は80mm、質量250g。玩具として市販もされている。
<マルチバンド分光カメラも動作>
 月面着陸後、マルチバンド分光カメラも正常に動作した。太陽光で発電できず、バッテリー駆動のために撮影時間は限られたが、予定していた333枚のうち、257枚の低解像度モノクロ画像を撮影した。
 SLIMは高精度月面着陸技術の実証のほか、月のマントルに由来する「カンラン石」をマルチバンド分光カメラで分析するミッションも計画している。
 なぜカンラン石を分析するのか。それは月の起源を探るためだ。月が形成された理由としては現在「ジャイアント・インパクト説」が有力視されている。同説は、約46億年前の原始地球に火星程度の原始惑星が衝突し、その際に飛び出た地球の一部が再結合して、現在の月になったという説だ。
 そこで、月のマントルに由来するカンラン石の組成を分析し、その結果を地球のマントルと比較することで、ジャイアント・インパクト説を検証するというわけだ。
 JAXAによると、着陸直後に撮影した画像から、6つの観測対象を定めた。今後、太陽光の向きが変わり発電可能となれば、詳細に観測できる可能性がある。
<「SLIMくんに審査員特別賞を与えたい」>
 1月25日の記者会見では、1月20日の着陸直後ではわからなかった成果が続々と明かされた。1月20日には「ギリギリ合格の60点」と評していた國中氏だが、今回の成果を受けても「3点加点した63点」と辛口評価を据え置いた。加点の内訳は「LEV-1放出成功」「LEV-2放出成功」「マルチバンドカメラが正常に動作」がそれぞれ1点ずつだという。
 一方の坂井氏は「ピンポイント着陸は500点をつけたい」としつつ、全体の評価については「例えが悪いが、小型の双発機がエンジンを1本失った状態でなんとか着陸に至った状態。その状態から無事に着地してくれた機長のSLIMくんに審査員特別賞を与えたい」と述べた。
<500Nスラスターの信頼性に疑問符>
 SLIMの着陸時の挙動に関連して國中氏は「宇宙科学研究所で使う500Nスラスター(推進器)は良い成果が出ていない」とも述べた。SLIMはメインエンジンに500Nスラスターを2基搭載していたが、前述の通り高度50m付近で片方を喪失した。
 500Nスラスターをめぐっては、宇宙科学研究所が手掛けた火星探査機「のぞみ」、それに続く金星探査機「あかつき」でも、トラブルが発生していたという。
 なお、国際宇宙ステーション(ISS)への物資輸送を担う「こうのとり」(HTV)など、「宇宙科学研究所以外が使う500Nスラスター」は問題なく動作しているという。國中氏は「宇宙探査に用いる場合は、燃料を入れてから点火するまで半年後とか1年後といったスパンで、宇宙での待機状態が長いことが影響している可能性がある」と付け加えた。
<火星圏探査にも影響?>
 前述の500Nスラスターは、JAXAの火星圏探査計画「MMX」(Martian Moons eXploration)」でも6基使用する予定だ。國中氏は、MMXに向けてスラスターの信頼性を高める必要があるとした。
 JAXAが2026年の打ち上げをめざすMMXでは、火星の衛星「フォボス」に着陸し、試料を地球に持ち帰る計画だ。また、フォボスには火星への隕石衝突によって飛び出た火星の土や砂が多く堆積しているとみられており、事実上、世界初の火星サンプルリターンの達成になるとも注目されている。
https://uchubiz.com/article/clo37858/
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 日本の宇宙開発は緒に就いたばかりです。H3Aロケットの打ち上げ失敗による開発の遅れも気になります。宇宙開発は巨額の資金が必要となり、1国では難しいものとなっています。月は誰のものでもありません。人類が協力して平和利用ができるように各国が協力して月面開発を進めてもらいたいものです。

2024年01月28日

#518 災害救援と自衛隊

 能登半島地震発生から3週間が経ちますが、2次避難やライフラインの復旧が大きな課題となっています。幹線道路の復旧はかなり進んだようですが、完全な普及はまだかなりの時間がかかります。熊本地震の時もそうでしたが、完全復旧するには多大な時間と費用がかかります。地震による隆起の結果、多くの港が損害を受けた石川県は熊本以上に時間と復興経費がかかることでしょう。東日本大震災のように国民全員で支えていくような仕組みが必要となります。
 ところで、大きな災害には必ず自衛隊に出動要請が出ますが、この自衛隊がどのように被災地で活動しているかは、あまりマスコミは取り上げようとしません。今回の災害で自衛隊の初動が遅い、投入する自衛隊員の数が少ない等の批判をマスコミはニュースとして取り上げましたが。自衛隊の活動は詳細に公表しません。今回の地震で自衛隊がどのような活動をしているかを説明している記事がありましたので、それを転載します。
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『能登半島地震「悪夢の爪痕」〈6300人派遣でわかった自衛隊のジレンマ〉』
 佐竹敬久秋田県知事は1月9日、被災地への自衛隊派遣について「少し後手後手だ」と批判、SNS上でも同様の市民の声が目に付くが、果たして実態はどうなのか。防衛問題研究家の桜林美佐氏に聞いた。
 自衛隊は隊員の派遣を逐次行い、9日の段階で約6300人が能登半島で支援活動を行っている。物資の輸送や行方不明者の捜索の他、炊き出しなどの食糧支援や仮設風呂での入浴支援など、その活動は多岐にわたる。特にこの季節、温かい食事や風呂を求める避難住民は多い。桜林氏が言う。
 「陸上自衛隊には『野外炊具』という炊事専用車両があり、汁物や副食が付いた食事を200人分一度に作ることができます。食材は通常は自治体から提供される食材を使います。今回は自治体が機能していない所もあり、そこでは自衛隊の食材を使っているようで、予算制度上、後で費用を県や市に請求しなければならないと思います」
 このことからもわかるが、本分である国防のための装備を活用し、自衛隊は災害支援においても世界有数と呼ばれるようになっているのだ。また孤立地域に物資を届けるために、30〜40キロの荷物を背負って道なき山を徒歩で越えたりするのも、そうした日頃の訓練の賜物と言えるだろう。
 温かい食事を提供する一方で、当の隊員たちが食べるのは冷えたレーション(野戦食)だ。しかも現地で用を足す回数を極力減らすため、飲食量はごく少量にとどめているというから頭が下がる。しかし、そうまでしても政府と自衛隊に対する不満、批判はどうしても出てくるのが現状だ。
 「まず派遣人数が比較される16年の熊本地震については、被災地である熊本に総監部や師団があったため、大人数の隊員がそこにいた、という背景があります。能登半島には分屯基地しかなく、規模感が違ってくるのは当然。主要な道路が分断されている中、自主派遣により、状況が判明するに従って、逐次投入を行っているのは適切な措置だろうと思います」(桜林氏)
「自主派遣」とはバイクやヘリを用いて偵察を行い、映像などをデータとして対策本部などに提供することを指すという。その上で、現地の受け入れ態勢などを鑑み派遣人数が決まるが、派遣待機している自衛官は現状、1万人超いるという。決して、出し惜しみしているわけではない‥‥。
 「実際には、被災地での自衛隊の権限はほとんどありません。例えばガレキの除去ひとつにしても、勝手にやれば罪に問われる場合もあるんです。あくまで自衛隊は自治体のサポートです。ですので、その自治体の指令本部が地震や津波の影響で機能していなければ、『こういうことを要請してください』とリコメンドすることはあります」(桜林氏)
 ただし桜林氏は、やりたくてもできないという点でジレンマもあるだろう、とも語る。「例えば地元の人に求められても、自治体からの要請がなければ、倒壊した家から物すら持ち出せませんから。心情的には、隊員たちはつらいことも多いはず。それに待機している隊員の方も、早く現地に駆けつけたい、という思いは強いと思います」
 能登空港の仮復旧が整った11日時点では2万人超の被災者が避難所生活を送り、地震被害の「爪痕」の大きさを感じさせる状況が続く。輸送機も活用できるようになった自衛隊の尽力に、今後も期待したい。
https://www.asagei.com/excerpt/296730
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 上記にありますように、自衛隊が勝手に被災地救援をすることは不可能です。災害が発生したときに警察や消防隊員がまず動き、その後自治体の長が要請して初めて自衛隊は行動できます。また被災者の救援や捜索が第一義なので、自衛隊はあくまでも被災者優先を貫きます。そのような自衛隊の活動を良く思わない輩が国内に多くいるのも事実です。これは戦後自衛隊の立場が中途半端であったことと関係します。最近では自衛隊に入隊する若者が減少している話も聞きます。国防を背負い、災害派遣も背負う自衛隊員に対して少しでも敬意を払う姿勢がこの国にできていないことは悲しい事実です。
 昨今では日本周辺の国々に不穏な動きが出ています。特に北朝鮮は核魚雷の実験を行う旨の公表を行いました。核魚雷は海中で爆発させると数百メートルの放射能を含んだ津波を発生させることができる究極の核兵器と呼ばれています。そのような近隣国の不穏な動きに対して国を守ってくれるものは自衛隊しかいません。我々国民は世界の現状を理解しなければなりません。お花畑で暮らしている市民ではいけないのです。国民の生活を守るために国は何をすべきか真剣に考える時期が来ています。裏金や派閥の問題どころではないのです。ウクライナ侵攻の前にロシアによる北海道侵攻の計画が秘密裡にあったことが暴露されています。災害対策を含め日本は様々な困難を抱えています。災害だけでなく他国からの侵略も「明日は我が身」なのです。

2024年01月21日

#517 明日は我が身

 能登半島地震から2週間経ちましたが、いまだに多くの地点で電気や水道が復旧していない箇所が大きあり、被災者の関連死が懸念されています。またこれまでの大地震と異なり、きわめて異常な地震だったことが分かってきました。能登半島は大地震と共に形成されたということです。今回の地震と同様の大きな地震が過去に何度も発生しており、その度に半島自体が隆起してきたことが分かっています、数千年に1回の割合で大地震が発生しており、それがたまたま今回の地震につながったようです。能登半島に住んでいる人には本当に不幸ですが、自然の力の前には人間は無力です。このような場所は日本中いたる所に存在することでしょう。
 ところで本日のネット記事に気になるものがありましたので転載します。特に福岡県にお住いの方は一応注意する必要があります。
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『次の「M7クラス」大地震の前兆が現れている…!
                  日本地震予知学会がいま、もっとも心配している「港町の名前」』
 新春を寿ぐはずの元日に突如襲った大地震では、死者・安否不明者が200人を超えている(1月10日時点)。同じ規模の巨大地震はどこで起きるか。地下の異常を冷静に、常時見守る研究で予測する。
 地震予知学を専門とする東海大学および静岡県立大学客員教授の長尾年恭氏は、独自の解析に基づき、能登半島で近く大地震が起きるとメディアで発信していた。日本地震予知学会会長も務める長尾氏に、次に大地震が起きる地域を訊いた。

<新潟を襲う大津波>
「内陸で起きた地震としては、遡ること実に約130年前、1891年の濃尾地震(M8・0)以来の大地震となりました。マグニチュードで言えば、熊本地震('16年)の3~4倍の規模です。
 振り返ってみると、'20年の暮れから、能登半島の珠洲市の近辺では群発地震が起きていました。昨年5月にはM6・5、震度6強という地震も発生していますが、この3年の間にM1以上の地震が約1万4000回も起きていたんです。
 その群発地震で、割れ残り(破壊されずにまだ残っている岩盤)の存在が確認され、そこが動く可能性がありました。ですから私は、1年ほど前から能登半島内陸でM7クラスの地震を警戒していたんです」
「今回の地震では、想定していた以上に広範囲で活断層が破壊されてしまった。マグマのような何らかの流体が能登半島の地下10km~20kmに入り込んで断層同士の摩擦力が小さくなり、大きく動いたためです。
 震源地を示すのに使われる×マークは単に破壊が開始された点を示すもので、M7・6ほどの規模になると百何十kmという長さの断層が破壊されます。今回は、能登半島の西端から佐渡島近くまで一挙に動きました」

<歪みが解消されなかった場所>
「地震学の常識として、破壊された断層部分ではそれまでの歪みが解消されますが、その両端にはなお歪みが残ります。
 西端の歪みは'07年の能登半島地震ですでに解消されましたが、断層の東端では大きな地震はまだ発生していません。ですので、私たちがいま最も心配しているのは、断層の東端、つまり佐渡島付近で同じようなM7クラスの大地震が起きることです。
 今回の地震で津波が比較的小さかったのは、断層の多くが内陸にあったからですが、佐渡島付近の海で地震が起きると大津波が発生します。日本海側最大級の港町、人口約80万人の新潟市は大きな津波の被害に襲われるでしょう」
「活断層が破壊されていない割れ残りが存在しているために、私が注目している地域は実は他にもあります。
 人口約160万人を擁する福岡市です。'05年にM7・0の福岡県西方沖地震を引き起こした警固断層に、割れ残りが存在するからです。次にそこが破壊されることは多くの地震学者の共通認識になっています。
 割れ残りは福岡市中心部である博多区の真下にあり、残っている断層の長さを勘案すれば、最大震度7クラスの地震が懸念されます。
 ですから私は、出張などで福岡に行く人には、『格式の高い古いホテルよりも、格安なビジネスホテルでもいいから、築年数が浅いホテルに泊まるように』と忠告しているんです」

<北九州市に見られる異常>
「ところでいま、地震学でよく知られている前兆現象の一つが、地震活動の静穏化、要するに”嵐の前の静けさ”です。
 地震活動が活発化している地域だけでなく、相対的にそれが低下している静穏な地域も、過去の経験則から大地震が発生する可能性が高いと考えられるのです。
 静穏な状態から、地下で断層が徐々に割れてきて活発化し、大地震が起こる。つまり、活発化と静穏化どちらも、地震の前兆を示す異常な状態ということです。
 私は気象庁が毎日発表している地震のデータをもとに、過去10年間の平均と比べて、最近1年間はどれほど地震活動が活発なのか、静穏なのかを解析し、それを『地下天気図』と名付けて公表しています。当然ながら、ここ最近は能登半島が非常に活発化していました」
 「逆に静穏化が進んでいる地域で注目されるのは北九州市や宗像市付近です。この地域の地震活動データを追跡するなかで複数の異常が確認されており、福岡県は総じて心配です。
 他に地震活動が静穏化している地域としては、山梨県・長野県付近と、鹿児島県の屋久島付近が挙げられます。
 大地震は静穏化という異常現象が終わってから半年ほどの間に起こります。活発化している地域では『いつ起きるのか』は非常に判断しにくいのですが、静穏化している場合の多くはそれが解消してから起こるので、予測はしやすいと言えますね」(「週刊現代」2024年1月13・20日合併号より)
https://gendai.media/articles/-/122726?imp=0
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 上記にありますように、福岡市、北九市、宗像市は注意しておく必要がありそうです。県内の他の地域でも福岡県には多くの活断層がありますので、一度お住いの近くに活断層があるかどうか確認しておく必要があります。(https://gbank.gsj.jp/activefault/search
 なお近くに活断層がないからと言って安心はできません。まだ発見されていない断層も数多く存在するからです。とくに海底にある断層は確認しようがなく、地震が発生したのちに確認されています。日本は地震大国です。日頃より準備しておくことに越したことはありません。明日は我が身です。

2024年01月14日

#516 波乱の年明け

 今日は令和6年1月7日、七草粥の日です。七草は「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」の7種類の野菜を指します。最近は七草をスーパーでも販売しています。七草粥は正月の飲食で疲れた胃腸の回復に良い食べ物です。地元の小中学校は9日より3学期が始まります。寒い季節ですが、子どもたちは元気で登校することでしょう。
 さて、今年は元日から大きな災害が発生しました。能登半島地震です。また二日には日航機と海上保安機が羽田空港で衝突炎上する大事故が発生しました。さらに三日には北九州の小倉で大規模火災が起こりました。元日から三日連続で災害や事件事故が続いて起こりました。今年の辰年は波乱の年明けとなりました。
 特に能登半島地震は他の大地震と異なり特異な状況となっています。阪神大震災や東日本大震災、熊本地震では地震発生後に速やかな支援が行なわれましたが、今回の地震では能登半島が山間地域を通る大動脈の国道がいたる所で寸断され、災害地域まで到達できないことです。震災三日後にいくつかの市には救助隊が到着しましたが、まだ今日現在孤立している集落も多くあり、その地域の支援に支障が出ています。
 その原因として挙げられているのが、他の震災地と比べて能登半島は山に囲まれ、幹線道路が狭いことが挙げられています。また海沿いの道路も土砂崩れで通行できない箇所が多くあります。今までの地震でしたら震災後に高速道路や大きな幹線道路を利用して支援物資を素早く運ぶことができましたが、山間部にある能登半島の各町は道路が寸断され、車両が通れない状況です。このことが被害者の救援を難しくしています。また電話や通信手段の不通により、現地の各町では被害状況や住民の安否確認が今でもできていない状況です。
 今回の能登半島地震の教訓として、山間部や幹線道路の少ない地域で地震が発生した場合は早急な救助活動ができないというこです。換言すれば、救助が来るまでの少なくとも数日間(出来れば一週間)程度は自助が求められるということです。また災害状況を逐次知るために電池式のポータブルラジオを手元に置くことも必要です。これは停電でテレビが視聴できないための情報収集に役立ちます。また緊急事態の場合に携帯電話(スマホ)やタブレットなどが利用できないことが今回の能登半島地震で明らかになりました。これは停電のために電気やインターネットが使えないためです。また通信中継基地の損傷も原因です。当然生活に必要な飲料水や食料、簡易トイレなど日頃より準備しておく必要があります。
 今回の地震で特筆すべきことは、かなりの地震で能登半島に大きな地殻変動が生じたことです。産経新聞は次のような記事を出しています。
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『能登半島北西部の沿岸で陸化確認 150~200m移動 隆起で津波観測が不可能な地点も』
 1日に発生した能登半島地震による地殻変動について、地球観測衛星「だいち2号」の観測データを解析したところ、能登半島北西部の沿岸域の広い範囲で、隆起に伴って陸化した地域があることが分かった。国土地理院(茨城県つくば市)が発表した。隆起により、津波の観測が不可能になっている地点があることも明らかになった。
 輪島市皆月(みなづき)湾では約4メートルの隆起が検出され、海岸線が海側に約200メートル移動したことがわかった。皆月湾から25キロほど北東の名舟(なふね)漁港付近では、約150メートルの移動が観測された。地震前に見られた浅瀬が陸化したとみられるという。
 地盤隆起は、津波観測にも影響を及ぼしている。気象庁の津波観測地点「珠洲市長橋」は、地震直後の1日午後4時10分ころから観測データが得られなくなっている。国土地理院が撮影した空中写真から隆起によるとみられる海底の露出が確認され、観測不能となっていたことがわかった。同庁が5日発表した。
 だいちの観測は、衛星から発射した電波が観測する対象物に当たって反射してくる際の電波の強さから、対象物の大きさや表面状態を捉えることができる。海はほとんど電波を反射しない。地震前後でデータを比較したところ、地震前より反射が強くなっている場所があり、海だった領域が陸化したと考えられる。
 国土地理院測地部宇宙測地課の小門研亮課長は「港湾施設などの被害を把握する基礎資料として活用できる。今回の結果は暫定値だが、より精緻な値を出せるよう検討していきたい」と話した。
https://www.sankei.com/article/20240106-SBT6W5S6HZMZRBYLFCEMCRQYAM/
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 今回の大地震を引き起こした断層帯は150kmあり、それがいくつかに分かれて動いたと言われています。上記の記事にあるように、4メートル隆起したとは驚きです。また地震が佐渡島方面に進んでおり、新潟や秋田方面の方々も今後充分注意する必要があります。
 今年は元日から予期しない災害が発生しましたが、自然災害、特に地震には日頃から充分注意しておく必要があります。自分の命は自分で救えるように準備しておくことが肝心でそれでは今年一年身を引き締めて過ごしましょう。

2024年01月07日

#515 年末の恒例行事

 2023年(令和5年)は早くも今日が最後になります。時間の経つのが早く、まだ半年余りしか経っていない感じがしますが、明日は2024年(令和6年)を迎えることになります。
 さて年末は大掃除や正月の準備、あるいは帰省などで慌ただしい日々を過ごす人が多いことと思います。私はこの時期を利用してコンピュータのメインテナンスを行ないます。日々コンピュータを使用していますと、動作が遅くなり不要なファイルが溜まっていきます。そこでコンピュータの調子を元に戻すために年末・年始の休業日を利用してコンピュータのメインテナンスの時期に当てはめています。
 コンピュータをお使いの方はご存じでしょうが、何らかの不具合でコンピュータが起動しなくなることが時々発生します。簡単な原因であれば、コンピュータを再起動してモニター画面に現れるメッセージに従い操作すれば大体元に戻りますが、物理的な故障に関してはお手上げです。
 四年前の年末にはハードディスクがクラッシュして、中に保存していたデータを使用できなくなりました。当時データバックアップを怠っていたので、ハードディスクを修理するしたありませんでした。結局専門業者に依頼してハードディスから必要なデータを取り出してもらい、10万円ほど費用が掛かりました。それ以来大切なデータは日々保存するようにしています。
 現在使用しているデスクトップコンピュータは10年ほど使用しており、部品を替えながら何とか本日まで使用しています。(このブログもこのコンピュータを使用して書いています。)ただ旧式なコンピュータのためにウィンドウ11にバージョンアップすることができません。また起動途中でストップするなど異常な状態が出ますので、万一完璧に故障した時のために今年の夏に思い切って新しいデスクトップコンピュータを購入しました。BTOのコンピュータなので、ウィンドウズのインストールから始めなければならず、暇な時期を見つけては少しずつソフトをインストールして今日にいたっています。
 BTOパソコンは一般販売のパソコンと異なり、購入する際に様々なオプションをつけることができます。例えばウィンドウズやCPUの種類、ハードディスクやメモリーの容量など、自分の好みに合わせて変更することができます。少なくとも今後10年間は買い替えしなくても済むように、少し高級な最新のパソコンを購入しました。周辺機器を含めて25万円ほどかかりましたが、クリエーター用の音楽制作や映像編集などに特化しているパソコンを思い切って買いました。昨日からはそのパソコンを現在のパソコンと同様に使用するために、最終的に調整を行っています。正月はこのメインテナンスを行なうことになります。コンピュータを使用なさる皆様はご自分のデータ保存にはくれぐれもご注意ください。何かの故障でパソコンのデータが消失すれば二度と戻りません。「覆水盆に返らず」になります。
 今年一年間を振り返りますとウクライナやイスラエルなど戦争や紛争に明け暮れた1年と言えると思います。また政治資金問題に見られる政治の腐敗やダイハツなどに見られる多くの企業による不正など、様々な問題が噴出しています。世界的には異常気象や大地震や火山噴火の多発など自然界の脅威が身近に迫っています。このような状況は来年も続くことになるでしょう。様々な意味で「自分の身は自分で守る」ことが必要な1年となります
 それでは1年間お世話になりました。来年もよろしくお願いします。

2023年12月31日

#514 すべては1匹のネズミから

 今日は12月24日クリスマスイブです。日曜日なので家族で街に出かけ、様々なプレゼントを買ったり、外食を楽しむ人が多いと思います。しかし、百年前の貧しい漫画家の前には1匹のネズミしかいませんでした。その貧しい漫画家とはディズニーランドを作ったウォルト・ディズニーです。彼に関する記事を産経新聞より転載します。
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『「すべては1匹のネズミから」
           … ディズニー100周年 手塚治虫の「心の師」にも』
 1923年の創立以来、世界のアニメ業界をリードしてきた米ウォルト・ディズニー社が今年、100周年の節目を迎えた。ウォルト・ディズニー(1901~66年)が設立した小さなアニメスタジオはこの100年で、多様なエンタメを担う世界的企業に成長。心を揺さぶられる物語やかわいらしいキャラクター、個性豊かなプリンセスの魅力で、世界中の人々に魔法をかけてきた。

<映像表現を開拓>
「すべては1匹のネズミから始まった」。創業者ウォルト・ディズニーの言葉であり、言うまでもなくミッキーマウスのことだ。
 ミッキーのスクリーンデビュー作「蒸気船ウィリー」の公開は28年。音と映像がシンクロした初の短編アニメで、大きな評判を呼んだ。37年には世界初の長編カラーアニメ映画「白雪姫」が公開され、空前の大ヒットを記録。40年の「ファンタジア」では映画史上初めてステレオサウンドを使うなど、映像表現の新たな地平を開拓してきた。
 アニメーション研究家の氷川竜介氏は「商業アニメの歴史はディズニー抜きで語れない」と指摘。「質の高いアニメ作りやキャラクタービジネスの手法など、今では当たり前の多くのことを先駆けて実施し、定着させた。戦後の日本のエンタメ産業にとって避けては通れない存在であり、作品やビジネスにも多大な影響を及ぼした」と評価する。

<手塚治虫の「師」>
 現在、世界的人気を誇る日本の漫画とアニメの両面で偉大な足跡を残したのが手塚治虫だ。その手塚も幼い頃から同社の作品に親しみ、ウォルト・ディズニーを「心の師」と仰いだ。
「ぼくは瞬間、胸がときめき、足が震えた。ただひたすら、ファンとして、ぼくの生涯の偶像としてディズニーに憧れていた。そのかれが、ぼくの真正面でしゃべっているのだ」
64年、サンケイ新聞の特派画家として米ニューヨーク世界博を取材し、その際短く会話もした手塚。自伝『ぼくはマンガ家』で、生涯唯一となった対面を興奮交じりに振り返っている。
 手塚プロダクションの松谷孝征社長は「(手塚は)さまざまな国のアニメや文化から多くを学んできた。本人は『バンビ』を80回以上、『白雪姫』は50回以上見たと書き残している。当然、作品づくりに影響を及ぼしたのでは」と語る。
 日本のディズニー人気を支えてきたのが講談社だ。両社の関係は深く、戦後すぐに講談社がディズニー漫画の出版権を取得。話題作の日本公開に合わせ絵本や雑誌を刊行し、相乗効果を生み出した。「講談社のディズニー絵本」(「ディズニーゴールド絵本」として刊行中)シリーズは累計700万部超を記録。「アナと雪の女王」だけでも絵本など80冊以上を刊行した。

<輝くプリンセス>
 ディズニー作品の魅力の一つが、逆境を乗り越え未来を自分自身の手で切り開くプリンセスたちの姿だ。「リトル・マーメイド」のアリエルなど人気ヒロインを描いてきた伝説的アニメーター、マーク・ヘン氏は、ディズニー作品の人気の理由を「実在しているかのような(プリンセスたちの)個性にある」と語る。
 「観客の皆さんは彼女たちに共感し、涙を流し、一緒に旅をする。それぞれの個性を深く理解して描くことが、作品を不朽にする」
 12月15日には100年の歴史の集大成として、最新映画「ウィッシュ」が全国公開。講談社も同社の出版物をベースにしたクイズに挑戦できる公式オンラインイベント「ディズニーファン・チャレンジ」を、来年1月15日まで実施する。
 ディズニーの次の100年はどうなるのか―。ヘン氏はこう期待を寄せる。「テクノロジーはあくまで作り手が伝えたい物語をサポートするもの。魅力的な物語やキャラクターが生まれ続けること、ディズニーの伝統を受け継ぐ高品質な作品の登場を願っている」
https://www.sankei.com/article/20231128-H3JSAOTAEJICJEUG36HWTEXPWY/
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 幼い頃、たしか「ディズニーランド」という番組が金曜日夜8時から1時間放送されていたのを思い出します。その番組中でミッキーマウスやドナルドダックなどのアニメが放送されたり、ドキュメンタリー番組が放送されていたことを覚えています。ウォルト・ディズニーに関しては彼の業績や言動に関して賛否両論がありますが、子どもに夢を与えたことに関しては偉大な人物だと言えるでしょう。いつまでも夢を与え続けるようなディズニーであってほしいものです。 Merry Christmas to You!

2023年12月24日

#513 年内入試

 12月もすでに中旬となり、今週には大半の学校が2学期の終業式を迎えます。特に高校3年生は自分の進路に向かって最後の追い込みに入る時期でもあります。共通試験まで残り1か月、私立大学の一般入試もひと月半で始まります。高校3年生にとって年末年始はありません。合格通知をもらった時が正月となります。
 ところが生徒数の減少に伴い、最近の大学入試に「年内入試」と呼ばれる入試が登場しています。言いかえれば、推薦入試を始めとする様々な形態の入試制度のことです。産経新聞では最近次のような記事を載せています。
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『拡大する「年内入試」プレゼン、小論文、検定資格…様変わりする受験力』
 来年1月の大学入学共通テストに向けた受験勉強が佳境を迎える一方、近年は総合型選抜や学校推薦型選抜といった「年内入試」で早々に進路を固める生徒が増えている。私立大では入学者の6割近くを占め、将来的に全面移行を表明する国立大も現れた。ペーパーテストでは測りきれない探究力や表現力などが試され、子供たちに求められる受験力は様変わりしつつある。
 世界トップレベルの研究力を目指す国際卓越研究大の認定候補となった東北大。令和5年度入試では定員の31・6%が総合型選抜で、国公立大では高い割合だ。9月、この比率を将来的にさらに引き上げ、最終的に100%とする方針を打ち出した。
 東北大は平成12年度に総合型選抜にあたる「アドミッションズ・オフィス(AO)入試」を導入。担当者によると、この方式を活用した学生は一般入試の学生よりも入学後の成績が良く、リーダーシップを発揮する傾向が確認されているという。
 現在は、高校時代に取り組んだスポーツや生徒会の活動報告書などの提出を求める。英語や読解力を測る筆記試験も課し、面接で学習意欲などを確認した上で合否を決める。
<私立大では半数超>
 一般入試が1月以降に行われる一方、総合型選抜は9月ごろ、学校推薦型選抜は11月ごろから始まり、年内に合否判定が伝えられることから「年内入試」と呼ばれる。
 文部科学省によると、令和5年度の入学者の割合は、私立大で前年度比1・2ポイント増の58・7%となり、半数以上の学生が年内入試で入学している。国公立大は同0・8ポイント増の21・3%と私立大に比べて少ないものの、総合型選抜に限ると8割が実施しており、広がりがうかがえる。
 大学入試センターによると、来年1月の共通テストの出願者は約49万人。32年ぶりに50万人を下回っており、年内入試と対照的に減っている。普及の背景について、河合塾教育研究開発本部の近藤治主席研究員は「少子化が進む中で早めに入学者を確定させたい大学側と、早く安心したい受験生のニーズが噛みあっている」と分析し、今後も拡大傾向が続くとみる。
<ユニークな課題も>
 大学側が学生に求める能力も多様化している。近畿大の総合型選抜では、国際学部が英語検定試験の結果、情報学部がプログラミング技術といったように学部ごとに特色のある採点課題を設けている。こうした選考を経た学生の特徴として、国際学部学生センターの宇田政弘事務長は「海外留学に積極的だったり、就職の際に英語をよく使う企業を目指したりと、学びの目的が明確になっている」と語る。
 ボランティアの活動実績、大学の授業を事前に体験してレポートを作成…。ユニークな課題も少なくない総合型選抜を目指すには、将来を見据えた長期的な視野や、収集した情報を分析して相手に分かりやすく伝える力など、ペーパーテストだけでは十分に測れない知的能力が不可欠だ。
 近藤氏は「部活動や生徒会などさまざまな経験をして引き出しを増やすことが欠かせない。一方、海外経験など家庭の経済格差が影響する可能性も否定できないので、従来型の筆記試験も視野に入れ自分に最適な受験方法を選ぶのが肝心だ」と指摘している。
https://www.sankei.com/article/20231212
-RGANGOGE5VLQ3FFLDN6FUHZIUQ/photo/TYXRJKL4IZJYFFZ4B7ZTRBFZQQ/
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 大学側とすれば、「青田買い」でできるだけ学生数を確保したいでしょうし、受験生側とすれば一般入試で進路を決めるよりも、自分の得意分野をアピールすることにより、できるだけ早めに進路を確保したいというWIN-WINの関係があります。
 今の70代(いわゆる団塊の世代)は「受験戦争」という言葉があるように、最も受験競争が激しい時代でした。この頃に「四当五落」(睡眠時間が4時間ほどの勉強で合格するし、5時間以上寝ては不合格になる)という表現が登場しました。
 時代と共に大学受験の性格も変わっていきます。果たして楽して大学に合格した学生が待っているのは何でしょうか。大学によっては学生の学力低下を補うために補習授業を行なっている大学があると聞きます。また4年後に待ち受けているのは就職活動です。人生何事も楽には行きません。人生の節目ごとに試されるのが人間です。「人間万時塞翁が馬」です。苦労してこそ得られる幸せもあります。

2023年12月17日

#512 「はじめてのおつかい」は児童虐待?

 今年も残り3週間となりました。気分的にも何か慌ただしく感じられ、年末の大掃除や年賀状作成など、するべきことが山積し、焦りが生じます。年末に慌てて一度にすることは避けたいものです。
 さて、年末年始のテレビで特集される番組の一つに「はじめてのおつかい」があります。幼い子どもが一人でお使いに行く姿を微笑ましく見守る番組ですが、この番組に出てくる子どもに対して児童虐待の疑いがかけられているようです。Forbes Japan ではその特集記事を載せています。
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『「はじめてのおつかい」が海外で大反響、想定外の論争も』
 日本テレビ系列で放送されている「はじめてのおつかい」。3歳から6歳程度の子どもが「おつかい」に奮闘する姿をリアルに描く、人気バラエティ番組だ。
 そんな「はじめてのおつかい」が2022年より、ネットフリックスで190カ国に向けて配信され、海外で大きな反響を呼んでいる。その中には少なからず、戸惑いの声も含まれているようだ。

<「公共交通機関に幼児を置き去りにする日本のテレビ番組」>
 英紙ガーディアン紙は「オールド・イナフ(「はじめてのおつかい」の英語版タイトル):公共交通機関に幼児を置き去りにする日本のテレビ番組」という見出しで番組を紹介している。決して間違っているわけではないが、なかなか刺激的な表現だ。
 また米タイム誌も、”Why Old Enough Is the Show You Should Be Watching Right Now(なぜ「オールド・イナフ」は今すぐ見る必要のある番組なのか)”というタイトルのもとに、「2020年3月に番組がネットフリックスで公開されるや、驚きと喜び、そして信じられない思いと不安が米国内を駆け巡った」と書いている。
 そして、東京大学大学院工学系研究科の加藤浩徳教授の「日本の道路や通りは、子どもでも安全に通行できるように設計されている。日本には元来、自立と自給自足を大切にする文化がある」という言葉も引用する。
 また、ある日本人専門家に取材したニューヨークタイムズ紙も、「日本においては、子どもをお遣いに出すことは子育ての典型的な方法であり、日本文化のアプローチの象徴ともいえる」と彼の言葉を引用している。
 また米タイム誌は「(「はじめてのおつかい」を巡って)アメリカでは畏敬や歓喜から不信や懸念まで、多くの言説が飛び交った。それは必然的に、子育てのスタイルや文化の違い、インフラや政策に関する議論にまで繋がった」としている。
日本ではゴールデンタイムに放送されている「癒やし系」の番組に対し、海外メディアはとてもシリアスな感覚で受け止めているようである。

<児童虐待? 違法行為?>
 言うまでもなく、「はじめてのおつかい」はプロによって製作されたバラエティ番組であり、「おつかい」の経路や手順には十分なフォローが施されている。子どもたちは決して放置されているわけではない。陰に隠れた大人に、安全に「おつかい」を遂行できるよう見守られているのだ。ネットフリックスで配信されている映像の中でも、通行人に紛れるスタッフたちの奮闘ぶりを繰り返し確認することができる。
 そういった安全面への万端の備えがあるにもかかわらず、海外の人々にとって「はじめてのおつかい」は非常にショッキングな番組なのだ。そこには、日本と欧米における、子どもの取り扱いに対する決定的な差異が潜んでいる。
 例えば、アメリカでは子どもを一人きりにさせること自体が児童虐待であり、違法行為であると見做される。州によっては13歳の子どもに一人で外出や留守番をさせることさえも罰則の対象となるのだ。

<日本では「小学3年生以下の子どもだけでの外出NG」の法案が大バッシング>
 これは日本人にとって受け入れがたい感覚だろう。日本では、子どもの「おつかい」や留守番が日常の一部に当然のように組み込まれており、実際、筆者も小学校低学年の頃には既にそうしていた記憶がある。13歳で一人きりになれないというのは、率直に言って窮屈とさえ思えてしまう。
 一方、日本ではそもそも、常に子どもへ目を配るのに十分な環境が整備されていない、という家庭も少なくないはずだ。先日、埼玉県の自民党県議団が「小学3年生以下の子どものみでの外出や留守番」を禁じる埼玉県虐待禁止条例改正案を提起して激しい批判を受け、撤回に追い込まれた事例は記憶に新しい。批判内容の多くは「生活が成り立たなくなる」という切実なものだった。
 価値観や法律、そして目の前の現実、それら全てに合致しているからこそ「はじめてのおつかい」は日本で長く愛されてきた。しかし一度海を越えると、それは大きなカルチャーショックを生むのである。

<「日本の治安」に大賞賛も>
 ただし、子どもの扱いについて、欧米と日本の間に優劣をつけてしまうのも早計だろう。前出の米タイムス誌は「『オールド・イナフ』のような番組がアメリカで製作される可能性は極めて低い」としたうえで、「(日本でこの番組が成立しているのは)犯罪率の低さと銃規制の強さのおかげだ」と賞賛を寄せている。
 つまり「アメリカでは子どもを一人きりにしなくてよい環境が整っている」と言える一方、「日本では子どもを一人きりにしてよい治安の良さがある」とも言えるのだ。
 どちらも改善していくことこそが理想であるとは言え、国ごとにどのような違いがあり、何が優先されるかは歴史や文化に深く根差しているのである。国が異なれば、児童虐待のボーダーラインすらも大きく変わるのだ。グローバル社会と叫ばれて久しい現代においても、確実に。

<「かわいい子には旅をさせよ」?>
 ただし、価値観は不変のものではない。「はじめてのおつかい」の放送が始まって30年以上が経過しているが、その時間の中で子どもに対する危機意識は高まっているように思われる。以前と違い、今では多くの小学生が防犯ベルやGPSつきのスマートフォンを持っており、親は、直接的ではないにせよ、子どもを「一人きり」にさせない努力を重ねるようになった。そのような流れは人々に、「3歳の子どもにおつかいを頼む」という文言から受ける印象を変化させ始めているかもしれない。
 もし今、まったく新しく「かわいい子には旅をさせよ」を地で行く番組が作られれば、少なくないクレームが寄せられることは容易に想像できる。転じてそれは「はじめてのおつかい」の、長寿番組としての実績あってこその美点であると言えるだろう。
 国ごとに価値観こそ違えども、根底にある想いは共通している。それは「子どもたちを危険な目に遭わせたくない」という想いだ。子どもたちが安心して暮らし、時には「おつかい」のような小さな大冒険に出て自信や達成感を得て帰ってくることができる、そんな環境を目指していきたい。
https://forbesjapan.com/articles/detail/67279
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 日本では「はじめてのおつかいは」心温まる番組として受け入れられていますが、文化が異なれば「児童虐待」として受け取られかねない番組です。物騒なアメリカでは子どもを車の中に置いておくだけでも親は警察に逮捕されます。「かわいい子には旅をさせよ」は文化によって異なる意味合いを持っています。「はじめてのおつかい」はその典型的な番組です。あなたはこの番組をどう思いますか。

2023年12月10日

#511 実質的値上げ

 今年もひと月足らずとなりました。今年はウクライナ戦争に始まり、イスラエルのガザ攻撃に終わる1年になりそうです。来年はどのような年になるのでしょうか。また今年も多くの品目で大幅な値上げが実施されました。この傾向は来年も続きそうです。賃金の上昇がない限り、庶民はまだまだ苦しい生活が続きます。
 ところで、明白な値上げ宣言をした後で値上げするのはまだ良心的です。誰も気づかないうちにしれ~っと値上げをしている企業があります。NHKです。
 NHK BSが12月よりBS1とBS3が1つになりました。つまり2チャンネルが1チャンネルに減ったのです。これに関する記事がありますので、掲載します。
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『BS1とBSPを凝縮した「NHK BS」が誕生 チャンネルを再編』
 NHKは1日、BSのチャンネルを再編した。同日午前0時に、BS1のチャンネルを「NHK BS」に改称し、番組編成をBS1とBSプレミアム(BSP)の両チャンネルを統合した内容に変更。それに伴い、BSPでの番組放送を休止した。BSPは、来年3月末に停波する。また「BS4K」のチャンネル名も同日「BSプレミアム4K」に変更した。今回の再編は、10月の受信料値下げなどとともに行うNHKの経営のスリム化の一環。
 11月30日夜~翌1日には、BS1とBSPで、名称変更の瞬間を伝える特番が同時に生放送された。日付が変わると、BSPは花火大会の映像を背景に「BSプレミアムの番組は、ただいまをもちまして、101チャンネルに移りました」などとチャンネル変更の告知画面に切り替わった。
 再編により廃止される定時番組は「ほぼない」としている。再放送や単発番組で埋めていた時間帯が多かったためだという。
 山名啓雄メディア総局長は11月の定例記者会見で、「新しいBSは、BS1とBSプレミアムを凝縮したテーマパーク。様々なジャンルの番組をお楽しみいただけると思う」とアピールしている。
https://www.asahi.com/articles/ASRD15G2ZRCXUCVL05G.html?iref=pc_ss_date_article
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 上記の記事に「受信料値下げ」とありますが、NHKでは、この10月から受信料を一割値下げします。 受信料額は地上料金を含む衛星契約の場合、月額1,950円に、地上契約のみの場合は、月額1,100円となります。 今まで衛星料金と地上料金ではひと月あたり945円、料金の差がありましたが、今回の値下げにより料金の差は850円となりました。
 ここで勘違いしてはならないのが、NHKは実質上値上げしているという事実です。ここで簡単な計算をしてみましょう。1個100円のリンゴを2個買いました。支払金額は200円になります。2個を1個に減らせば当然100円になります。同じ理屈がNHKにも当てはまりませんか?
 値下げ前の受信料は地上波1,225円、衛星放送は2170円でした。この受信料をもとに考えますとBSは1チャンネルになりますので、2,170円÷2=1,085円となります。しかし、新受信料では1,950円支払わなければなりませんので、1,950円ー1085円=865円となり、実質865円余分に支払わなければならないことになります。この理屈おかしいですか?
 今まで視聴できていた2チャンネルが1チャンネルに減った。だから1チャンネル分の受信料を払うだけで良いのではないか、という理屈が成り立ちます。NHKはチャンネル変更に合わせて、1割値下げを10月より実施していますが、私の主張を是非NHK番組「笑わない数学」で取り上げてほしいものです。またNHK受信料に関して様々な疑惑が生じています。地上波放送のみの受信料は実質なしで、衛星放送が見られる受信機を持っている家庭は衛星放送受信料を契約しなければならないなど、非情に矛盾だらけの受信料形態となっています。この矛盾を解決できる人はいないのでしょうか。今日はNHKに対する不満を述べてみました。

2023年12月03日

#510 ブラックジャックとAI

11月も最終週となり今週末は12月になります。「歳月人を待たず」といいますが、今年も残り1月余りとなります。師走になれば大掃除や年賀状の作成など、年末までにしなければならないことで忙殺されます。できるだけ出来るところから始めたいものです。
 ところで、最近の話題に故手塚治虫氏の「ブラックジャック」がAIで蘇ったというニュースが流れていましたので、私もさっそく読んでみました。書店では週刊少年チャンピオン52号が売り切れていましたので、電子書籍kindleを通して読んでみました。今回のAI補助によるストーリーは次の通りです。
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 ブラックジャックとピノコが知り合いの医者のサイボーグになっている娘を救おうとしますがうまくいきません。これまでの治療においてAIの助けを借りながら延命を繰り返してきましたが、今回は致命的な心臓の欠陥によりブラックジャックの治療がうまくいきません。またブラックジャックと同時に安楽死を推奨するキリコ医師も登場し、サイボーグの娘があやうく殺されそうになります。病気の原因を突き止めたブラックジャックはサイボーグの娘を危機から救い、ようやく命を蘇らせます。
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 今回のブラックジャックのストーリーはAIによる作成が話題となっています。一見するとAIが作成したものと気づかずに物語を読んでしまいます。生前の手塚治虫氏が描いたものとほぼ同じ作画技術が楽しめます。しかし長男の手塚真市によるとAIによる様々な工夫を取り入れて今回の作品を登場させたようです。なおTBSの特集では次のような記事がありますので、その一部をお届けします。
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『AIで生まれた最新版「ブラック・ジャック」 
    賢くなるAIを人間はコントロールできるのか【報道1930】』

 先日は50年以上前に解散したビートルズの新曲がリリースされたが、今度は漫画だ。没後34年を経てあの手塚治虫の新作が発表された。AIと人の共同作業によって完成した名作『ブラック・ジャック』40年ぶりの新作だ。完成した作品は手塚らしさが十分に感じ入られるものだった。手塚治虫の世界が蘇ることなどは喜ばしい限りだが、進歩はいつもいいことばかりではない。AIには危なさもある。

<40年ぶり“手塚治虫の”「ブラック・ジャック」ができるまで>
 2023年7月。慶応大学の栗原聡教授の研究室には手塚治虫の息子でクリエーターの手塚眞さんや映画監督の林海象さん、脚本家の舘そらみさんらが集まっていた。栗原教授の研究室が何十時間もかけて手塚作品を読み込ませたAIを使って、それぞれのグループがブラック・ジャックの新作を作り上げる試みの始まりだ。まず人間が「ラブストーリー」「中東」「動物も出て来る」など、大まかなシチュエーションや条件をAIに指示すると、それに沿ったようなストーリーがすぐに画面に提示された。
 今回はAIの主な役割はストーリーやキャラクターを担当し、その後人間が作画やコマ割りなどを行っていく。AIとやり取りをした舘さん。はAIとの会話の仕方によっては相手(AI)が勘違いをすることもあったという。
<脚本家 舘そらみさん>
「意外と暴走するな、というか、それこそこっちの聞き方ひとつですけど、『ああ、こう取られちゃったんだ』とか、そういう部分がかなり多いので、AIとのコミュニケーション能力を問われるみたいな感覚はすごくあります」
 しかしキャラクター作成などにはコミュニケーション能力はいらないかもしれない。今回の漫画に登場する人物の作成には研究室の学生の写真をAIに読ませた。すると手塚治虫が描きそうな人物が瞬時に何種類も提示されたのだ。・・・・

<クリエーター 手塚眞さん>
 「実際にAIと対峙してやり取りをしていく中で、何かAIにすごい親近感を感じてしまって、そこに個性があるかのように勘違いをしてしまう瞬間っていうのがありましたね」
 今回、出来上がった新作ストーリーとして選ばれたのは映画監督の林海象さんがAIとやり取りしてできたものになった。詳しくは少年チャンピョンで確認してもらいたいが、確かに“手塚作品っぽい”ものになっている。しかし、クリエーターの手塚眞さんはAIの果てしない力は認めつつ、複雑な人間の感情の扱いは「まだ」人間の方が上だという感想を持ったという。
「感情ってすごく実は抽象的なもので、実はデータ化できないんですね。感情を表現した漫画の絵というものは学習できるんです。でもそれは学習に過ぎないから、その裏に込められている感情っていうのは、分析もできなければ解析もできないわけなんですよ。漫画にするときには演出で加えないといけない。演出はデータ化できないんですよ。ストーリーをどう演出するのか、というのは今のところ人間が考えないといけないところなんですね」・・・・
全文を読みたい方は、次のアドレスをクリックしてください。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/857201?display=1
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 今回の作品はAIによるものだと言わなければ、故手塚治虫氏が残してくれた遺作の一つであると公言してもおかしくないくらいの出来栄えです。AIの進化と共に様々な分野で飛躍的な進歩が見られます。問題はAIに操られることなく、人類がAIの持つ可能性をいかに最大限に引き上げることができるかにかかっています。共存共栄はあくまでも私たちの良心の側にあります。

2023年11月26日

#509 87歳のジャズ歌手

 ここ1週間ほど気温の上下が激しく、不安定な天気が続いています。先週の日曜日には真冬並みの気温となりましたが、そのせいか風邪をひいてしまいました。今日でちょうど1週間になります。のどの痛みや発熱は収まりましたが、体中がだるく、時々頭痛がします。完全に回復するまで数日かかると思われます。症状によっては新コロかインフルか判断できないものもありますので、皆さんも風邪には十分注意してください。
 さて、前回のブログで、フォークの神様、岡林信康について書きましたが、87歳の今も現役でジャズ歌手を続けている女性が沖縄にいます。今日はその女性の記事をご紹介します。
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『米統治下の沖縄、「ダニー・ボーイ」歌うと米兵が涙…「すごい歌手がいる」86歳で復帰』
 戦後、米統治下の沖縄で米兵を魅了した米寿のジャズシンガーがいる。今も石垣島(沖縄県石垣市)で歌い続ける 齋藤悌子(ていこ) さん(88)。ともに歩んだ最愛の夫を亡くして一時舞台を離れたが、86歳で本格的に復帰した。「声が出る限り歌いたい」。11月末からは東京や福岡を巡るツアーで伸びやかな歌声を届ける。
 「あー、あー、あー」。10月中旬の早朝、石垣市内の公園から張りのある発声が聞こえてきた。齋藤さんが、少しずつ体勢を変えながら腹の底から音を発する。遠くまで響き渡る声量を保つため、ほぼ毎日続ける日課だ。「声が出なくなるのが一番こわいから、欠かさないわ」と笑う。
 穀物卸問屋の三女として宮古島(同県宮古島市)に生まれた。沖縄戦当時は台湾に疎開して難を逃れ、戦後に宮古島へ戻った。海で遊ぶのが好きな活発な女の子。音楽とは無縁だったが、地元を離れて進学した那覇高(那覇市)の恩師との出会いが転機となった。
 音楽の授業でその歌声を聴いた恩師は「将来は音楽の道に」と期待をかけ、クラシックの歌を教え込んだ。高校を卒業した1953年には、本土のジャズバンドが沖縄進出を機にボーカルを募集しているという話をもたらしてくれた。ジャズも英語も分からなかったが、得意の「アベ・マリア」をオーディションで披露すると、見事合格した。
 バンドは在沖縄米軍基地のナイトクラブなどを回った。米兵のオーダーに応えるため、齋藤さんは必死に英語の曲を練習し、レパートリーは約400曲を数えた。つきっきりで指導してくれたリーダーが、後に夫となる 勝(まさる) さんだった。齋藤さんの力強くも透き通るような美声は観客をひきつけ、英語のファンレターも届くようになった。
 「音楽の力」を感じたのが、戦地に赴く息子を案じる母親の思いと重ねられてきた「ダニー・ボーイ」だ。
基地内で歌うと、目の前で聴いていた青年が涙を流した。ベトナム戦争に向かう直前の兵士だった。若い命を奪う戦争の理不尽さに心を痛め、「戦争は絶対にいけない」との思いを込めて歌うようになった。
 25歳で結婚し、勝さんの故郷・千葉市に移住して2人の子を授かった。子育てが落ち着くと、再び夫婦で歌うようになった。約30年前、勝さんがほれ込んだ石垣島に移住し、ホテルやカフェで曲を披露した。
 好きな人と好きな音楽を奏でる幸せな日々。だが、還暦を前にした95年、別れは突然訪れた。勝さんにがんが見つかり、65歳で急死した。それからの齋藤さんは、「つらい思いがよみがえる」とジャズを聴かなくなった。ラジオから曲が流れてくるとすぐに消した。
 約10年が過ぎた頃、立ち寄った喫茶店のBGMで流れたフルバンドによるジャズ演奏に思いがこみ上げた。「またジャズを歌いたい」。この店に通って音楽好きの若者に交じり、ウクレレを弾きながらジャズを歌い上げると、「島にすごい女性シンガーがいる」と瞬く間にうわさが広まった。
 80歳を過ぎても衰えを知らない歌声に魅了され、同じく石垣島で農業を営む長女(56)が母の背中を押した。
 2年前、島内にあるジャズバーのマスターに「母の歌声の音源を残したい」とアルバム製作を打診した。マスターが呼びかけると、業界関係者が関心を示し、グラミー賞受賞の編曲家デビッド・マシューズさんも参加するフルバンドでの収録が実現した。
 今年2月には都内での公演も成功させた。11~12月には都内や福岡市のほか、故郷・宮古島や那覇市で公演することも決まり、精力的に活動を続けている。
 音楽の力を教えてくれた「ダニー・ボーイ」を毎回のように歌う。沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日の「慰霊の日」に毎年、集会などで歌ってきたが、世界中で争いが絶えない今だからこそ、気持ちを込めて聴衆に届ける。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20231113-OYTNT50010/
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 この齋藤悌子ですが、数月ほど前にNHKのThe Lifeという番組で取り上げられ、私は偶然その番組を見ていました。番組のタイトルは「〜人生はジャズとともに 齋藤悌子87歳〜」で、80歳を過ぎた体には見えず、伸びのある声でリハーサルを行う場面は素晴らしいものでした。彼女の歌がYouTubeにありますので、検索してみてください。ちなみに、斎藤さんの活動を紹介しているユーチューブに次のものがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=zgl5haNOnxs

地位や貴賎にかかわらず、何事も1つのことを一生かけて取り組んでいけることはその人の宝物であり、改めて敬意を示す対象になります。そのような人物でありたいものです。

2023年11月19日

#508 神様、健在!

 11月も中旬となり、さすがに晩秋らしくなってきました。今日の最高気温は15度、明日は13度の予想が出ています。晩秋というよりも初冬の気温になります。先日まで最高気温が20度を超える日が続いていたので、一気に5度以上気温が低下することになります。徐々に気温が下がる分には体が慣れてきますので問題はありませんが、急に低下しますと体が慣れていないので、様々な不調を訴える人が増えてきます。気圧の急激な変化もそうですが、気温の急な低下や上昇にも健康が阻害されることになりますので、体調管理には十分気を付けたいところです。
 今日は神様の話です。神様と言っても、宗教の神様ではありません。「フォークの神様」と呼ばれているミュージシャン「岡林信康」のことです。彼は今年77歳になます。彼は今年デビュー55周年を迎え、昨日新宮町でコンサートがあり、大牟田から「そぴあしんぐう 大ホール」まではるばる出かけていきました。
 福岡市に住んでいた頃はコンサートホールまで「自転車」で出かけていましたが、どこの会場にも30分ほどで行けました。今は大牟田市から福岡市まで行くのに西鉄電車で1時間かかります。そこからサンパレスまでは歩いて30分ほどかかります。(バスの待ち時間を考慮すると、バスで行くより歩く方が早いのです。)今回の新宮町までは博多駅から新宮中央駅まで20分ほどかかり、移動時間などを含め全部で片道2時間ほどかかりました。一日がかりの大仕事になりました。
 さて、休憩時間を含め2時間のステージでしたが、フォークの神様も、さすがに寄る年波には勝てず、高齢の歌手がいかにすばらしい歌声を維持するのが難しいかを目の当たりに見せつけられました。彼の若い頃には高音に伸びがあり、美しい声でしたが、往年の歌手が辿る運命のように、今は話しぶりも老人の口調で、声の衰えが目立ちます。それでも「神様」らしく、素晴らしい歌声を披露していました。会場には同世代の聴衆が集い、一見すると高齢者の集会のような雰囲気でした(笑)。彼の年齢を考慮すると最後のコンサートツアーかも知れないことを昨日の聴衆は理解していたのでしょうか。会場はほぼ満席で1曲ごとに拍手喝采を送っていました。
 彼はフォークソング第1世代の代表者です。往年のミュージシャンらしく、ステージパフォーマンスは素晴らしく、芸歴55年のミュージシャンの重みを感じさせるライブでした。彼がいなければメッセージ性の強い「関西フォーク」の進化はなかったでしょう。この関西フォークには「帰ってきたヨッパライ」で有名なフォーク・クレセダーズ、高石ともや、吉田拓郎、5つの赤い風船、ジローズなどが含まれます。私が小学生の頃から親しんできたミュージシャンもいつの間にか年を取り、青春時代に聞いていた歌も今では「懐メロ」扱いとなっています。
 それでも、あの頃聞いていた、口ずさんでいた歌は今でも自分の愛唱歌ですし、聞いたり、歌ったりすることで、あの頃の思い出が鮮やかによみがえって来ます。多くのミュージシャンがすでに70歳を超え、谷村新司のように他界したミュージシャンも多く、チューリックのようにすでに解散したバンドも多くありますが、音楽ファンにいつまでも在りし日の姿を見せてもらいたいものです。

2023年11月12日

#507 非情な世界

 スポーツの秋らしく、秋になり駅伝やサッカーなど様々なスポーツがテレビで放送されています。特に昨日から始まったプロ野球の日本シリーズは久しぶりの関西チームである阪神とオリックスの戦いとなり、関西地区の経済効果がうなぎ上りになるそうです。
 プロ野球のリーグ優勝チームや日本シリーズ優勝チームの選手には球団からご褒美の海外旅行や来年度の年俸増額など嬉しいニュースが続きます。一方で優勝球団以外の多くの球団では厳しい現実に向き合う選手もいます。戦力外通告、つまりクビです。体力や年齢を理由に「現役引退」であれば、引退する選手は所属球団や多くのファンから温かい慰労の言葉をかけてもらい、将来はコーチや監督、あるいは野球評論家としての道があります。しかし戦力外通告をもらった選手は野球をしたくても、どこにも行くところがありません。稀に引き取ってくれる球団もありますが1,2年でまた戦力外通告になる選手が大半です。そのような選手を救うためにトライアウトという再度野球選手に挑戦する制度もありますが、毎年50~60名ほど参加し、球団と正式に契約を交わす選手はわずか1~2名ほどです。いかにプロ野球が厳しい世界であるか痛感させられます。今日はそのような記事を紹介します。

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『ソフトバンクが大なた 今オフの戦力外が合計18選手に 椎野新、増田珠らと来季の契約結ばず』
 ソフトバンクは28日、椎野新投手(28)と増田珠内野手(24)の支配下2選手と重田倫明投手(27)、早真之介外野手(21)、ドミニカ共和国出身のフランケリー・ヘラルディーノ内野手(18)の育成3選手と来季の契約を結ばないと通告したと発表した。
 椎野は国士舘大から2018年にドラフト4位で入団。196センチの長身を生かし、19年には自己最多の36試合に登板し、5勝2敗、6ホールドの成績を残した。今季は11試合に登板。通算78試合、6勝4敗、8ホールド、防御率3・87。
 長崎県出身の増田は横浜高から18年にドラフト3位で入団。元気いっぱいのプレースタイルで22年にはプロ初安打、初本塁打、初打点をマークした。今季も35試合に出場した。通算52試合、打率2割2厘、2本塁打、9打点。
 ソフトバンクは5日に奥村、岡本、中道、中村宜、舟越、居谷の育成6選手、22日に森、嘉弥真、上林、高橋純、佐藤直、九鬼、古川の支配下7選手に来季の契約を結ばないと通告したと発表。この日発表された5選手を加え、支配下9選手、育成9選手と計18選手が戦力外通告を受けた。
https://nishispo.nishinippon.co.jp/article/798256
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 上記にありますように、昨年まで1軍であれほど活躍した森、嘉弥真、上林各選手がクビになる事実にプロの世界の厳しさを痛感します。他球団も似たり寄ったりでしょう。実力がなければ、すぐクビになる世界。実力があれば人気や金はいくらでもついてくる。もちろん野球だけではありません。サッカーや他のプロスポーツも同じ状況です。
 他人事ながら、クビになった選手のその後を心配します。大半の選手は若い頃から野球に明け暮れた日々を過ごしたことでしょう。野球を止めた後にどのような職種に就いて生活費を稼ぐことができるか、どうやって家族を養っていくのか、彼らの今後の大きな課題になります。
 このことはスポーツの世界だけのことではありません。芸術の世界はさらに厳しいことでしょう。特にクラシック音楽では何かの大会で優勝するか、それに匹敵する賞を取らない限り、演奏家として大成しません。普通の演奏レベルではプロの交響楽団にも入れません。趣味で演奏するには良いのですが、プロの演奏家になるには努力だけではどうにもならない才能が必要になります。スポーツや芸術にかかわらず、プロの世界は本当にに厳しいものです。それだけにプロとして活躍している人には賞賛に値します。厳しい世界の頂点に上りつめた者だけが手にする最高の賞賛です。

2023年10月29日

#506 さらば、昴よ!

 秋らしい天気が続いています。遠くの山々は紅葉が始まり、街路樹の銀杏は黄色く色づいています。また子守歌代わりに聞いていた夜の虫の声もいつのまにか消えてしまいました。季節は晩秋へと進んでいきます。例年よりも秋が短く感じられます。
 さて本日のブログタイトルは谷村新司さんの有名な楽曲「昴」の最後の歌詞です。連日のようにバラエティ番組で報じられていますが、先日谷村新司氏が逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。この訃報はNHKを始め、民法のニュース番組のトップニュースとして扱われ、中国や韓国など海外のニュースでも取り上げられました。また様々な追悼番組も放送されました。特に昨日のフジテレビの「ミュージックフェア」では過去に放送された谷村さんの楽曲を編集し直し、彼の特集番組として放送しました。
 谷村新司と言えば、多くの歌手に名曲をプレゼントしたことで知られています。彼の世代(70代のミュージシャン)はフォークソングの第1世代であり、この世代はマスコミを嫌い、テレビには出演しなかったことで知られています。特に吉田拓郎や井上陽水は自分たちでフォーライフレコードを設立し、自由に楽曲を制作・販売していました。1960年代後半から1970年代にかけて登場したフォークシンガー達は、従来のプロの作詞家・作曲家と一線を画し、自分の主義主張を貫いていました。そして出演時間を制限されるテレビ番組には出ませんでした。
 そのような中で谷村氏はフォークソングと歌謡曲の橋渡しをした貴重な存在でした。彼の醸し出す楽曲はフォークソングのジャンルに留まらず、世間に広く受け入れられ、ミュージシャンとして、作詞作曲家として確固とした地位を築き上げました。フォークシンガ第1世代の中で彼の他に「さだまさし」や「中島みゆき」など次世代の多くのミュージシャンに多大な影響を与えたアーティストが多くいます。
 インターネットやSNSを持たなかった当時の若者(現在の60代から70代)はどのようにして情報を共有していたのでしょうか。それは深夜放送を通して様々な情報を得ていました。深夜放送のパーソナリティ、つまりDJをしていたのが第1世代のフォークシンガー達です。谷村新司を始め、吉田たくろうや中島みゆきなどミュージシャンだけでなくラジオ番組のパーソナリティとして人気を博していました。また「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」など当時人気のあった深夜ラジオ番組が彼らの楽曲を紹介し、そこから多くのヒット曲が登場しました。かぐや姫の「神田川」が良い例です。
 このように深夜放送を通して当時の若者は連帯し、投書やリクエストカードを通して若者の悩みや苦しみを共有していました。現代の若者と異なり、1つのラジオ番組を通して全国の若者が共感し、夢を語り合った古き良き時代であったと思います。そのような時代の先頭に立って若者のアイドルだった1人が谷村新司です。後年になり様々な分野で活躍した彼ですが、これからももっと活躍してもらいたかったと思います。
 時代を通して輝き続けた彼は今天に戻っていきました。彼はこれからも日本のミュージシャンの活躍を見守ってくれることでしょう。「さらば、昴よ!」

2023年10月22日

#505 日本のお菓子

 10月の中旬を過ぎても日中はまだ25度以上の夏日が続いていますが、道端にはコスモスなどの秋の花が咲き乱れ、すっかり秋らしくなってきました。多くの田圃では稲刈りが終わり、すでに冬支度を感じさせる気配が感じられます。
 秋と言えば「スポーツの秋」、「読書の秋」と人により様々ですが、多くの人にとってはやはり「食欲の」ではないでしょうか。最近の物価高で食べ物の値段が上がっていますが、それでも旬の食べ物を食べたくなります。
 また食材だけでなく、秋はお菓子も食べたくなる季節です。スーパーに行けば所狭しとお菓子が並んでいます。日本人の私たちにとって何気ない風景ですが、外国からの観光客にとり日本のお菓子は興味をそそるものとなっています。また日本のお菓子は海外へも輸出されており、世界の多くの地域で食することができます。そのような日本のお菓子ですが、海外で意外と人気になっているようです。今日は日本のお菓子に関する記事を転載します。
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『じつはいま海外で大人気になっている「日本のお菓子」の名前』
<食感や見た目も大切>
 日本人は「食感」を「味」と同じぐらい大切にする民族だと、外国人は言います。*番組では、「口に入れるとフワッと溶けるおかき」を紹介しました。越後製菓の『ふんわり名人』です。あなたは食べたことがあるでしょうか? 開発に一〇年かかったそうです。外国人は、「味ではなく、食感を追求することがすごい」と驚きます。味に焦点を当てることはあっても、「食感」を意識して商品を開発することなどないというのです。
 また、見た目や季節にこだわり、繊細な細工の「和菓子」は世界を驚かせました。和菓子の技術に魅了されて、海外から和菓子職人に弟子入りを希望する外国人が現れています。
 金魚鉢の中で金魚が泳いでいるように見える和菓子や、水底の小石に見える和菓子、大輪の花のような和菓子。日本人でも、思わず、感嘆の声があがります。
 簡単に量産できないので大量に輸出できないという点や、アンコの味に西洋人が馴染みがない点などから、和菓子はまだ世界でポピュラーにはなっていませんが、知れば知るほど世界は驚くのです。
<こんなお菓子が世界で大人気>
 世界の多くの人が日本発と知らずに大好きなお菓子のひとつは、「チョコスティック菓子」です。代表的なものは、そう、『ポッキー』です。今や世界二〇ヵ国以上で販売されています。
 『プリッツ』にチョコをコーティングしながら、持ち手の部分にだけはチョコをつけず、チョコで手が汚れない心遣いが、いかにも日本のお菓子、というものです。
 日本人ならたぶんやったことがあるのは「チョコポッキーのチョコだけを食べて、プリッツにしたことがある」です。あなたはやったことがあるか? 僕はある。ついでに「『とんがりコーン』をひとつひとつ指にはめて、それから食べたことがある」です。あるか? 僕はもちろんある。
 「柿の種」も、じつは今、海外で人気です。亀田製菓は、アメリカで現地法人を作って、現地生産を始めました。海外の人が味わったことのないピリ辛醬油味が受け入れられたのと、油で揚げてないことで、ヘルシーと受け止められたのです。ちなみに柿の種に入っているピーナッツには海外版では塩味がついています。アメリカでは「Kameda Crisps」という名前で売られています。亀田製菓のチップスということです。外国人が、日本に来た時に本国へのお土産としても人気になってきました。
注:番組 NHK BSの人気番組『cool japan』のこと
https://gendai.media/articles/-/112929
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 上記の記事は、鴻上 尚史『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(講談社現代新書)の内容を一部転載したものですが、NHK BS の Cool Japan は様々な外国人が集まって日本文化を話し合う面白い番組です。今回の記事はその番組の中で日本のお菓子を話し合ったものです。この番組は日曜日の午後6時から放送されており、私も時々見ていますが、日本人が気づかない視点で日本文化を論じており、日本と海外の文化の違いがよく分かります。「日本の常識は世界の非常識」と以前よく言われていましたが、お菓子の世界でもこの事が言えます。とにかく、理屈抜きで「食欲の秋」をおいしいお菓子で楽しみましょう。

2023年10月15日

#504 過ぎたるはなお及ばざるごとし

 今日は雨の1日です。前線や低気圧の影響で、深夜から降り出した雨が断続的に降り続いています。久しぶりの本降りです。そのせいで本日の最高気温が19度となっています。このまま本格的に秋になっていけば良いのですが、明日からまたしばらく夏日が続くようです。確かにここ数年間10月の中頃まで半袖で過ごしていますので、衣替えはもう少し先になることでしょう。今年も秋が短くなりそうです。
 さて、親の子どもへのいじめや虐待がニュースで報道されない日はないほど連日続いています。この種の犯罪を防ぐために、児童相談所や警察などの公的な支援が必要であるという意見が多数あります。また加害者に対して厳しい指導が必要とする意見もあります。しかしながら、児童虐待を防ぐために厳しい法律による指導はどうでしょうか。現在問題になっている自治体があります。埼玉県です。埼玉県では次のような条例案を考えているようです。東京新聞から転載します。
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『子どもだけの留守番・外出禁止 埼玉・自民党県議団が条例案 順守困難の声も』
 自民党県議団は4日、開会中の埼玉県議会9月定例会に、子どもだけでの留守番や外出を「置き去り」として禁じる県虐待禁止条例改正案を提出した。相次ぐ子どもの死亡事故を受けた提案。罰則はないが、条例案が想定する禁止行為は幅広い。他会派からは「共働きやワンオペ育児、ひとり親では守るのが困難。保護者が地域から監視されて孤立しかねない」との声も上がる。
 条例は、小学3年生以下の子どもを放置しないことを保護者など成人の「養護者」に義務付け、4~6年生については努力義務とする。自民によると、学童保育の主な対象が小学3年生までのため、学年を区切った。県民に禁止行為の通報も義務付ける。
 自民が9月28日の議会運営委員会で方向性を示し、上程案には県に待機児童解消などの施策を講ずるよう求める条項を入れた。共産党県議団は「養護者に過度な負担を強いかねない」と、改正案を議論する委員会での参考人質疑や公聴会の実施を求めている。
 4日の質疑では、伊藤初美氏(共産)が、改正案で禁止される具体的な行為をただした。答弁した小久保憲一氏(自民)は、成人の見守りのない状態での集団下校や公園での遊びなどを例示した。
 自民の田村琢実団長は同日の本会議後、改正案の狙いについて「『仕事だから、ちょっとだから留守番させてもいい』という社会慣習をどうにかしないと。虐待だという認識を高めたい」と報道陣に説明。学童保育やベビーシッターなどの需要を掘り起こし、整備拡大につなげたいと話す。施行後の経過を見て罰則を付けることも検討するとも説明した。
 改正案は6日の福祉保健医療委員会で議論。13日の定例会最終日に採決の予定で、可決されれば、2024年4月1日から施行される
https://www.tokyo-np.co.jp/article/281797
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 実際、上記の条例が施行されれば、どのような事態が発生するでしょうか。上記にあるように、共働きや、ひとり親家庭では親が常に子どもと一緒に行動するのは不可能です。条例案を提出した議員はこのような子育て実情を理解しているとは思えません。子どもは親の庇護にあるのが理想ですが、四六時中一緒にいるのは不可能です。何事もやり過ぎはいけません。このような言動にふさわしい格言があります。
  「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」
  (行き過ぎたことややり過ぎたことは及ばないことと同じで、正しい道には適っていない。
   物事の中庸を尊ぶべきである。)
 何事も法律の拡大解釈は害しかもたらしません。世の中の実情に応じた万人が納得する条例でありたいものです。

2023年10月08日

#503 サブロー~~~

 今日から10月です。あれほど厳しかった残暑も、今日は穏やかな秋日となってます。これから寒暖を繰り返しながら冬へと向かうのでしょうか。今年の冬は厳冬にならないことを祈ります。
 さて、プロ野球は佳境を迎えています。セリーグ・パリーグそれぞれ優勝チームが決定し、クライマックスシリーズ(CS)に進む2位、3位を決定する激しい戦いが続いています。今年は特にパリーグのCS争いが激しく、ホークスが進出するかが地元の大きな話題となっています。
 プロ野球界においてこの時期には引退する選手が発表されます。先日は元ホークス(現巨人)の松田宣浩が引退を宣言しました。また元ホークス(現独立リーグの大分B-リングス)の内川聖一選手も引退を発表しました。スポーツ選手にはどうしても「引退」という二文字がつきまといます。本人が選手を続けたいと思っても、体力的についていけなくなり、また若い伸び盛りの選手との競争で敗れ去ることになります。
 ところでプロ野球選手以外の、あるウグイス嬢が今年引退することになりました。「サブロー~~~」で有名になったウグイス嬢です。彼女に関する記事がありましたので転載します。
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『ロッテ名物アナウンス・谷保恵美さん、今季で引退へ…』
        「サブローーーーー」など印象に残る選手紹介33年
 プロ野球・千葉ロッテマリーンズのホームゲームで、場内アナウンスを担当してきた 谷保(たにほ) 恵美さん(57)が、今シーズン限りでマイクを置く。名前の最後を長く伸ばした発声で選手を紹介するなど、印象に残るアナウンスで約33年にわたり球場を盛り上げてきた。
 谷保さんは、北海道帯広市出身。子供の頃から高校球児が集う甲子園のウグイス嬢に憧れていた。短大卒業後、自ら12球団に電話をかけて就職活動。唯一ロッテに「経理なら」と言われ、1990年に入社した。
 二軍の担当枠が空いた翌91年から場内アナウンスに携わり始め、同年に一軍デビュー。約33年にわたって印象に残るアナウンスでホームゲームを盛り上げてきた。
 ここ数年は毎年、辞めるタイミングを模索していた。昨シーズン中に一軍公式戦のアナウンスで通算2000試合を達成し、「やりきった気持ちがあった」。昨年のオフシーズンに球団と話し合い、今シーズンでの引退を決断した。
 レギュラーシーズンのホームゲームは残り6試合。10月7日午後2時からのオリックス戦が最終戦となる。この試合で、谷保さんは通算2100試合を達成する見込みだ。チームは現在、クライマックスシリーズ出場の可能性も残している。
 「最後までしっかりと大好きなZOZOマリンスタジアム(千葉市美浜区)で業務を遂行し、マイクを置きたい」と谷保さん。「残りのレギュラーシーズンだけではなく、クライマックスシリーズ、その先もあります。今年は最後まで、私の声にお付き合いいただければ」と話している。
 ロッテファンの間では、「引退」を惜しむ声や感謝の声が広がっている。「サブロー選手の引退試合で、最後にいつもより長く語尾を伸ばしていたことが印象に残っている」。千葉市中央区の男性会社員(25)は思い出を語った。年に10回以上、ZOZOマリンスタジアムに足を運んでいるといい、「あのアナウンスが聞けなくなるのは寂しい」と残念がった。
 川崎市幸区の男性会社員(24)は、「谷保さんのアナウンスを聞くと、マリンスタジアムに来たんだという気がした」と振り返る。千葉市中央区の男子大学生(24)は、「伸びのある声が大好きだった。リーグ優勝のアナウンスを聞けなかったのは残念だが、最後に谷保さんの声で日本一のアナウンスを聞いて見送れたら」と話していた。
https://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/20230930-OYT1T50100/
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 ロッテのマリンスタジアムでホークスの野球の中継があると時々試合を見ていましたが、谷保さんの美しい声は印象に残っています。特に「サブロ―~~~」の声はニュース番組でも取り上げられたほどでした。彼女のこれからの幸せを祈りたいと思います。

2023年10月01日

#502 降れば土砂降り

 今日は朝から快晴です。昨日は秋の彼岸の中日でした。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが厳しい残暑も徐々に収まっていくと思われます。日中の気温はまだ30度を超えますが、それでも最低気温が20度前後となり、朝夕は涼しく感じます。また夜中は虫の鳴き声が素晴らしく、もう少し虫のオーケストラが楽しめそうです。これからは夜の時間が徐々に長くなり、秋も深まっていきます。そのような季節では夜長の読書もお勧めです。
 さて、今年は特にゲリラ豪雨の出現が目立った夏ではなかったかと思います。これは特定の地域ではなく、全国各地で頻発した現象です。英語のことわざに "It never rains but it pours."がありますが、日本語訳では「降れば土砂降り」となっています。このことわざは、「不幸が重なる」、「悪いことは続いて起こる」の意味であり、日本語では「泣きっ面に蜂」が該当します。しかし今年の天気に当てはめますと、文字通り「降れば土砂降り」が正解です。ゲリラ豪雨と夕立は基本的に異なります。東洋経済オンラインに次の記事がありましたので、転載します。
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『ゲリラ豪雨」が増えているのは、なぜなのか、かつては単なる夕立だったはず』
 夏真っ盛り。うだるような暑さで、昼間に外を出ると汗が吹き出します。そして、カンカン照りかと思ったらいきなり空が暗くなり、大雨が降り出すのも夏ならでは。いわゆる「青天の霹靂(へきれき)」ともいうべきこの現象は、かつては「夕立」と呼ばれていましたが、近年では「ゲリラ豪雨」という禍々(まがまが)しい名前で呼ばれるようになってきています(ちなみに、ゲリラ豪雨という言葉は気象庁の正式な名称ではありません。正式名称は「局地的大雨」です)。
 なぜ、ゲリラ豪雨と呼ばれるようになったのか。それは、急に降ってくる大雨による災害が目につくようになってきているからではないでしょうか。

<10分で水位が背丈ほどに>
 ゲリラ豪雨の恐ろしさを実感するきっかけとなったのは、2008年の7月に発生した兵庫県神戸市の都賀川の水害でした。都賀川は、川べりに遊歩道のある、ありふれた市街地の小川です。
 ところが、上流に大雨が降ったため、水位が10分間で1.3mも急上昇し、川で遊んでいた子どもたちなど5人が流されて亡くなってしまったのです。たった10分であっという間に子どもの身長近くまで水位が上がってしまうのですから、急な大雨がいかに恐ろしいかがよくわかります。
 ほかにも、大雨が急に降ると下水道の気圧が高まってマンホールのふたがあき、冠水した道路を歩いていた歩行者が落下したり、地下街に水が流れ込んだり、アンダーパスと呼ばれる、道路が潜り込む形で交差する場所にたまった水に車がはまり込んで出られなくなったりと、急な大雨による災害は後を絶ちません。
 それにしても、こんな事例を目の当たりにすると、どうも雨の降り方が昔より激しいんじゃないか……と思う人も多いのではないかと思います。実際のところは、どうなのでしょうか。
 気象庁による過去の統計を見ると、確かに1時間降水量50mm以上と1時間降水量80mm以上の年間発生回数は、上昇傾向にありました。
 ちなみに、50mm以上の雨というのは、雨が滝のように降っており、外で傘を差してもまったく役に立たず、あたり一面が水しぶきで白っぽくなって、車の運転も危険な状態です。こんな雨が年々増えてきているということなんですね。

<大雨が増えている理由は?>
 なぜ、大雨が増えているのでしょうか。その理由は、気候変動やヒートアイランド現象など、複数の原因が重なって、日本の気温が上昇傾向にあることと関係があります。
 そもそも、雨というのは、空気中に含まれる水が落下したものです。空気中の水蒸気が上空で冷やされて水や氷の粒になったものが雲で、雲の粒が大きくなって落下すると雨になります(雲の粒が氷の場合は、落下する途中で溶けると雨に、溶けない場合は雪になります)。
 ここで、気温が高くなると、空気中に含むことのできる水蒸気の量が増えます。だから、以前よりも気温が高くなれば、ひとつの雲からより大量の雨を降らすことが可能になるのです。これが、年々大雨がひどくなっている理由だと考えられています。
 ところで、「ゲリラ豪雨」はなぜ、「ゲリラ」なのでしょうか。「せめて『明日の午後3時ごろに○○市で50mmの非常に激しい雨が降ります』と予報してくれれば、その時刻に出掛ける予定を変更して、雨を避けることができるのに」と思う人も多いはずです。
 実は、気象現象の規模と予報のしにくさには相関関係があります。規模の大きい現象はゆっくりやってきて、その場所に長期間滞在します。一方、規模の小さい現象は急に発生して、あっという間に去っていく傾向にあるのです。
 ゲリラ豪雨をもたらすものは積乱雲と呼ばれる雲です。積乱雲とは、夏にモクモクと高く発達する入道雲や雷雲のことで、ひとつの積乱雲の大きさは数kmから十数kmです。つまり、ある場所では大雨が降っているけれど、隣駅では大雨は降っていないことも決して珍しくありません。
 しかし、現在の天気予報の技術では、竜巻やゲリラ豪雨などの小さな気象現象を予測するのが難しいのです。だから、ゲリラ豪雨は「ゲリラ的」に発生してしまうように感じるわけです。

<ゲリラ豪雨を避けるためには>
 ただ、予測しにくいとはいえ、予報ができないとさまざまな災害を招くことは確かです。そこで、気象庁をはじめ、さまざまな研究機関では、なんとかしてゲリラ豪雨を事前に予測し、緊急地震速報のようになるべく早く住民に通知できるよう、「ゲリラ豪雨」を死語にするべく研究を進めています。
 そして、私たちにもゲリラ豪雨を避けるために活用できるツールはあります。それは、気象庁の「高解像度降水ナウキャスト」です。これは、気象レーダーのデータを基にした雨の実況と短時間の降水予報です。
 高解像度降水ナウキャストを見れば、現在雨がどこでどれくらいの強さで降っているのかがわかります。正方形のピクセルの一辺は250mときめ細かく、30分後までの実況と予報が5分ごとに更新される形でわかります(ただし、海岸から離れた海上と、予測時間が35分から60分までは、1kmの解像度です)。
 また、下にあるいくつかのアイコンのうち、左から2番目のアイコンをクリックすると、強い雨が降っているところが黄色い枠で囲まれて表示され、30分後にはその雨の範囲がどのように変化するのかもわかります。
 積乱雲は、大雨だけでなく、雷や竜巻を発生させることもありますが、これらが発生しやすいかどうかも、真ん中のアイコンをクリックするとわかります。パソコンやスマートフォンのインターネットアプリでブックマークしておけば、すぐに見られるので便利です。
 また、スマートフォンのお天気アプリの中にも、この高解像度降水ナウキャストを基にした実況兼予報があります。「高解像度降水ナウキャスト」という言葉で検索すれば、対応しているアプリが出てくるので、インストールしてみましょう。スマートフォンの場合はアプリのほうが使いやすいと思います。
 暗い色の雲が近づいてきたら、小まめにチェックしておくと、自分のいるところで大雨が降ってきそうかどうかはある程度わかるので、ぜひ活用してみてください。
(今井 明子 : 気象予報士・サイエンスライター)
https://toyokeizai.net/articles/-/180976
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 気象予報士さえも予測不可能なゲリラ豪雨です。外出先でゲリラ豪雨に遭わないために、常にバッグなどに
降りたたみ傘を入れておくのをお勧めします。またゲリラ豪雨の際に突風や竜巻が発生することもありますので、日々の天気予報を充分活用しましょう。特にNHKのデータ放送「あなたの街の天気」のレーダー画面は雨雲の様子を正確に反映しています。
 ゲリラ豪雨は主に夏に発生する気象現象ですが、もうしばらく30度を超す日々が続きます。気象の急激な変化には充分注意したいところです。

2023年09月24日

#501 17年連続受賞

 毎年この時期に発表される面白い賞があります。それはノーベル賞のパロディとも称されるイグノーベル賞です。この賞は毎年ユニークで面白い発明をした人に対して送られる賞です。今年も日本人が受賞しており、17年連続の受賞となっています。読売新聞では今年の日本人受賞を次のように報じています。
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『17年連続イグ・ノーベル賞に日本の研究者、はしやストローに電流流して味覚を変える「栄養学賞」』
 【ワシントン=冨山優介】ユニークで奥深い研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の今年の受賞者が14日(日本時間15日)、発表された。電流が流れるはしやストローを使って味覚を変化させる研究に取り組んだ宮下 芳明ほうめい ・明治大教授(47)と中村裕美・東京大特任准教授(37)が「栄養学賞」を共同受賞した。
 イグ・ノーベル賞はノーベル賞のパロディー版で、米国の科学雑誌が主催している。日本の研究者の受賞は17年連続となった。
明治大の大学院生だった中村さんと、指導教官だった宮下さんは、受賞対象となった研究を2010年以降に本格的に始めた。電流の刺激を加えると味覚が変わることは知られていたが、食事の際にその効果を活用できるようにするため、食器に電流を流すことを思い付いた。
 微弱な電流が流れるストローやはしを使って飲み物や食べ物を口に入れると、塩味が強まったり、金属の味がしたりと、味に変化が出ることを確認。味覚を変える新しい手法として、論文を11年に発表した。
 宮下さんの研究室はその後、キリンホールディングスとの共同研究で、減塩食の塩味を強めるスプーンとおわんを開発した。年内にも商品化される予定だ。
 宮下さんは「この12年間の大きな進展全体を評価してもらったと思う」と受賞を喜び、中村さんは「健康とおいしさを両立させる技術をさらに発展させていきたい」と意気込んだ。
(https://www.yomiuri.co.jp/science/20230915-OYT1T50161/
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 確かに味覚異常を持っている人に対して朗報だと思います。このように人知れず身近な研究に従事している人が報われるのがイグノーベル賞です。本家のノーベル賞は「人類のために最大の貢献をした人々に送られる賞」ですが、現実の生活と離れている側面があります。一方、イグノーベル賞は日常生活に直結した実用的なものが多くみられ、実用性ではノーベル賞よりも価値がありそうです。ちなみに過去の日本人受賞歴は次のページを参考になさってください。

https://uguisu.skr.jp/recollection/ignobel.html

個人的には世界的にヒットした「タマゴッチ」やイヌの言葉を自動翻訳した「バウリンガル」が好きです。
来年はどのような発明が受賞するでしょうか。今から楽しみです。

2023年09月17日

#500 男はつらいよ

 ブログ「ひつじの独り言」がいつの間にか500回を迎えることになりました。このブログを始めたきっかけは、当塾のホームページを作成すると、連絡事項以外は基本的に書きかえる必要はなく、「死んで」しまいますので、ホームページに彩りや変化を加える意味で、このブログを始めました。原則として週1更新していますが、今日までよく続いたことと思います。基本的に一度書いたものを読み返すことはしませんので、過去に何を書いたかよく覚えていませんが、いつかブログを整理して小冊子にできればと思っています。
 さて最低気温が25度を下回る日が出てきましたが、それでも日中は32度前後の夏日が続いています。この最高気温32度というのは昭和時代の最高気温で、私が子供時代だった昭和では真夏の最高気温が32度でした。当時はエアコンがなくても過ごせるような気温で、夜に窓を開けていたら、結構涼しい風が室内に入り込んできたものです。
 今振り返りますと昭和時代には「古き良き時代」のものが沢山残されていました。ドキュメンタリー映画やテレビで昭和時代の風景や人々の生活様式を見ることができますが、昭和の香りを今でも手軽に触れることができるものがあります。映画「男はつらいよ」です。
 「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇で、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも失恋するか身を引くかして、成就しない。寅次郎の恋愛模様を日本各地の美しい風景を背景に描く。(ウィキペディアより)
 この「男はつらいよ」は1969年から1995年まで制作されました。渥美清さんの死去により、48作目で終了しました。(再編集に追加する形式で、50作目まであります。)この映画は全国各地でロケを行っており、毎回日本の様々な風景が楽しめます。今では見られないSLが走っている風景や地方の景色、ロケ当時の現地の祭りや地元の人々の何気ない会話など、この映画を見ることで現代では姿を消した風物詩がよみがえってきます。当時の貴重な人物や風景を鮮やかに見ることができます。
 この映画や「寺内貫太郎一家」のようなホームドラマ、「これが青春だ」のような青春番組では当時の家族関係や友人関係を描いています。現代ではすでに消え去った懐かしい人間関係を描いている番組です。現代のTV番組ではサスペンスものを中心に人間の心の暗闇を描く傾向にあります。昭和時代のような牧歌的な番組はどこにもありません。映画やテレビ番組はその時代の人の心を映し出します。10年後、20年後はどのような時代を迎えるでしょうか。

2023年09月10日

#499 災害は忘れた頃にやって来る

 日中は30度を超える残暑の厳しい日々が続いていますが、それでも夜遅くには涼しい風が吹くようになりました。早朝には25度を下回る日も増えてきています。夜遅く耳を澄ましますと、秋の虫の音が聞こえてきます。虫の合唱とともに眠りにつく夜がやってきました。このようにして季節は少しづつ秋へ進んでいきます。
 ところで今年は関東大震災から100年目ということで、例年になくNHKを始めとする各放送局が震災や防災に関する特集番組を放送しています。特にNHKによるモノクロの記録映画をカラー化する特集番組を現在見ながらこのブログを書いていますが、その映像の鮮明さには驚かされます。100年前の都市の状況や震災直後の人物の表情までカラー化することで詳しい状況が分かります。当時の人々も現代の私たちも震災に遭った状況は変わりなく、いかに自分の命を救うかが最大の課題となります。
 ある研究者によると、当時の地震計から判断すると地震はマグニチュード7.9ではなく、M8.1+αでなかったかと推測しています。この大きさですと阪神大震災の30倍程度の大きさになるということです。いかに大きな地震が100年前に東京を襲ったかがわかります。
 ひるがえって早晩発生するといわれている南海・東南海地震ですが、この関東大震災を上回る大きな地震を研究者は予測しています。特に「判割れ」と言われる南海または東南海地震が時をまたいで連続して発生する場合は未曽有の大惨事となり、推定で32万人の死者が出ると推定されていますが、実際死傷者がどのくらいになるか誰も分かりません。地震予知学会が以前述懐していますが、現在の科学では地震予知というものは実際不可能です。地震雲なるものを地震予知として用いる地震学者もいますが、正確な地震予知はできていません。
 災害がいつ発生してもおかしくない状況を考えると、自分の命は自分で守らなくてはなりません。このことは今後発生すると予想されている南海・東南海地震、東海地震、首都直下地震だけでなく日本国内いたる所で発生する震度5以上の地震にも当てはまります。実際、私は2005年の福岡県西方沖地震(震度7)や熊本地震(震度7)を体験していますし、地震発生時の激しい揺れ(両地震とも私がいた場所では震度5+を記録)は体を動かし逃げるには難しい状況でした。まして震度6以上の揺れではまったく身動きのできない状況になると推測できます。
 2度の地震体験を通して言えることは、常に避難の準備をしておくことが大切です。3日間ほどの備蓄品や地震によるガラスや物が散乱した室内を歩くためのスリッパや靴などは必需品です。最悪の状況を考えて必要なものを常備しておくことが最善の方策です。「明日は我が身」です。災害に対して常に準備をしておくことで最小限度の被害に済ませることが可能です。いつ発生するか予知できない災害(特に地震)から身を守るために、何が必要かを今一度考える時期に来ています。

2023年09月03日

#498 樋口季一郎

 今日は8月最後の日曜日です。公立の小学校・中学校・県立高等学校はすでに2学期が始まっています。ひと昔前でしたら9月1日が2学期の始まりでしたが、最近では8月25日前後に2学期を始める地区が増えてきました。しかし、教室にエアコンが設置してあるとはいえ、真夏のような残暑が9月中は続きます。エアコンが設置されていない北海道では先日熱中症を危惧した学校が生児童徒を午前中で帰宅させる措置を取りました。猛暑のない北海道ですが、今年は35度を超える日々が続いています。日本列島いたる所で猛暑(残暑)が猛威をふるまっています。まだまだ体調管理が必要です。
 さて、第2次世界大戦中多くのユダヤ人を救ったことで知られている杉浦千畝ですが、彼以上にユダヤ人を救った人物がいることをつい最近知りました。その人の名前は樋口季一郎といいます。杉浦は外交官でしたが、樋口は陸軍軍人です。本日は彼に関する記事をご紹介します。
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『陸軍中将・樋口季一郎の知られざる功績 ~ 2万人のユダヤ人を救った武士道精神』
 ユダヤ人難民2万人の救出をはじめ、奇跡と呼ばれたキスカ島撤退作戦、国家の分断を防いだ占守島の戦いなど、日本近代史における数々の不滅の功績を残した樋口季一郎中将。しかし、その名は現代の日本人にはほとんど知られていません。樋口中将の孫として祖父の実像を広く発信している明治大学大学院名誉教授の樋口隆一さんと、日本の偉人・歴史の真実を子供たちに語り伝えてきた服部剛さんのお二人に、樋口中将が貫いた「正義」について、貴重なエピソードを交えて語り合っていただきました。

<東条英機を納得させた「義」の決断>
〈服部〉
 「オトポール事件」は、昭和13年3月、樋口中将が満洲国に駐留する関東軍のハルビン特務機関長を務めていた時に起こりました。満洲国と国境を接するソ連のオトポール駅で、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民が、満洲国に入国できず立ち往生しているという深刻な情報が入ってきたんです。一説にはその数1万とも2万ともいわれます。
 この地域の気温は3月でもマイナス30度、飢えと寒さで凍死者が出始めていました。事態は一刻の猶予も許されない。ハルビンのユダヤ人協会の長であるカウフマンも、「助けてほしい」と樋口中将に難民救援を依頼してきます。樋口中将は思案の末、「ユダヤ人難民を助けましょう。私が引き受けます」と言って、救出を決断します。これを聞いたカウフマンは声を上げて泣いたそうです。そして、樋口中将は、即座に南満洲鉄道の松岡洋右総裁に特別列車の運行を要請。優れた国際感覚の持ち主だった松岡も事態の重大さをすぐに理解して快諾し、13本の特別列車ですべてのユダヤ人をハルビンまで送り届けたんです。
〈樋口〉
 迅速な決断と行動です。
〈服部〉
 ただ、当時、日本とドイツは日独防共協定を結び、友好関係にありましたから、普通はドイツとの関係を考えて躊躇すると思うんですよ。だけど樋口中将は、「人間として正しいことは何だろうか」と考えるわけです。樋口中将はヒューマニズムの人だと言われますが、私はその根本には、武士道精神があったのだと思います。「義を見てなさざるは勇なきなり」、ここでユダヤ難民を助けなかったら、正義はどうなってしまうんだと。
〈樋口〉
 武士道精神、それはあったでしょうね。ただ、あんまり大げさに言うと祖父も照れてしまうと思います。
というのも、祖父の立場を多くの人がきちんと理解していないんです。特務機関長と聞くと、地方の管理職のように思われるかもしれませんが、これは事実上、ハルビン行政の最高権力者なんです。しかも、満洲国の内政指導をする立場にもありました。要するに、日本と友好関係にあったドイツ政府の意向を忖度する満洲国の役人たちが、その多くは日本人でしたが、「ユダヤ人難民をどうしましょうか?」とお伺いに来た。それに対して決定権を持った祖父がひと言、「ドイツや日本に忖度する必要はない」と言って路線を決めた、そういうことなんです。現場の人は皆ユダヤ人難民を救いたいと思っていました。
 それに祖父は若い頃、特務機関員としてウラジオストクに派遣された時、ユダヤ人の家に下宿しているんですね。そこでユダヤ人といろいろ交流して、当時のユダヤ人差別の背景なども全部知っていました。祖父の決断の背景にはそうした体験とユダヤ人に対する心情もあったのだと思います。
〈服部〉
 ただ、やはり、そこでトップが救出を決断したということは大きかったと思うんです。それに「オトポール事件」の2週間後、ドイツ政府からユダヤ人救出に対する抗議が来た時の樋口中将の対応も本当にすごい。ドイツ政府の抗議を受けて、関東軍司令部は樋口中将を呼び出し、当時の東条英機参謀長(大東亜戦争開戦時の首相)が「あなたの言い分を聞かせてくれないか」と迫りました。しかし樋口中将は、「はじめにはっきり申し上げておきます。私のとった行動は間違っていないと信じています。ドイツは同盟国ですが、そのやり方がユダヤ人を死に追いやるものであるなら、それは人道上の敵です。人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいきません。私は日本とドイツの友好を希望します。しかし、日本はドイツの属国ではありません!」
「東条参謀長! ヒトラーのお先棒をかついで弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか」
と堂々と答えたのです。
 それで東条参謀長も、「よくわかった。ちゃんと筋が通っている。私からもこの問題は不問に付すように伝えておこう」と、樋口中将の言い分を認め、実際に日本政府は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」とドイツ政府の抗議を一蹴。その後も、続々と押し寄せてくるユダヤ人難民に対して、満鉄は乗車賃を無料にし、後々までこの方針を踏襲しました。
https://www.chichi.co.jp/web/20220212_higuchi_kiichiro/
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 戦前の日本人は気概のある人物が多くいました。政府の命令に背いて人道的な立場からユダヤ人を救った杉浦や、軍人でありながらユダヤ人を救った樋口は好例です。ひるがえって現在の日本の状況はどうでしょうか。命を賭して国や国民のために使命を果たしているひとがどれだけいるでしょうか。今の政治状況を見るにつけ、与党も野党も自分の利益しか考えていない状況です。これではこの国が成長できないのは当然です。このような混迷の時代において先見の明をもつ人物が出てきてほしいものです。高齢の政治家には何も期待しません。これからは若く情熱を持った真の政治家の出現が待たれます。

2023年08月27日

#497 夏休みの思い出

 夏休みももうすぐ終わろうとしています。大牟田地区の公立小学校・中学校の2学期は8月24日に始まります。以前は9月1日でしたが梅雨期の大雨や台風による臨時休校が増えたせいでしょうか、近年は8月下旬に2学期を始めることにしています。ちなみに高校はいっせいに2学期を始めることはなく、各高等学校に任せられているようです。
 ところで、私は毎週木曜日の夜に地元の社会福祉協議会が運営している学習支援活動にボランティアとして参加していますが、最近は中学生よりも小学生が多くなり、必要に応じて算数を教えています。前回の学習支援活動では、生徒たちが夏休みの宿題に追われており、夏休みの終わりが近づいていることを感じざるを得ませんでした。今も昔も生徒たちは夏休みの課題に追われ、夏休みが終わる頃には慌てて宿題をこなすので大忙しです。誰でもこのような経験がおありでしょう。子どもたちはたくさんの思い出とともに2学期を迎え、教室はにぎやかな歓声で始業式が始まることでしょう
 小学校を卒業して、もう50年以上が経ちますが、夏休みの思い出を振り返ると一番の思い出は小学校4年生の時に実施された校内キャンプです。今では安全上考えられないと思いますが、夏休みの間に1泊2日で校内のグランドでキャンプが行われました。キャンプは昼過ぎから始まり、夕飯のために各自飯盒(はんごう)でご飯を炊き、私が参加した年はチャーハンを作りました。おかずは確か缶詰を用いて食べていたと思います。その後、夜はキャンプファイヤーを行ない、それぞれのテントで就寝したことを覚えています。翌日は朝早くからラジオ体操を行い、朝食を作って、朝食後に解散したと思います。何しろ50年以上も前の記憶ですので、どこまでが正確な思い出か分かりませんが、小学校の夏休みの一番の思い出では校内キャンプです。
 反対に、嫌な思い出は早朝のラジオ体操です。今はどのように実施されているか分かりませんが、小学生だった頃、生徒たちは毎朝6時半前に校庭に集合したものです。ラジオ体操が生放送でで6時30分から始まるからです。眠いのに親からたたき起こされて、校庭に走って向かったことを今でも思い出します。子どもたちは出席カードを首から下げて、ラジオ体操が終わると列を作ってカードに印を押してもらい、帰宅します。私は小学校のすぐ近くに住んでいましたので、集合時間ギリギリに行けば間に合いましたが、遠くから通学していた友達は6時前に起床してラジオ体操の会場に来ていたはずです。当時はコンピュータゲームなどなく、みんなプールに行ったり、虫取りをしたりして毎日戸外で遊んでいたものです。今となっては夏休みに体験したことは大切な思い出となっています。皆さんの夏休みの思い出はいかがですか。

2023年08月20日

#496 3分32秒に1本

 今日は8月13日、盆の入りです。お盆は、ご先祖様の霊を自宅にお迎えしてご供養する仏教行事です。今年のお盆は8月13日(日)~16日(水)の4日間ですが、地域によっては7月や9月に行う場合もあります。またこの期間中に故郷の駅では帰省する多くの人たちが見られます。
 本日は当塾も休業ですので、所用で福岡まで行ってきました。博多駅構内を歩くと、ものすごい人で込み合っていました。これから故郷へ帰る人や旅行する人でごったがえしていました。特に長蛇の列ができていたのは新幹線のみどりの窓口と発券機でした。15日ごろに台風7号が近畿地方に接近・上陸する予報が出ていますので、予定変更やキャンセルのためでしょうか。ちょうどお盆の時期に台風が襲来しますので、多くの帰省客に影響するものと思われます。
 ところで、旅行や帰省に利用される新幹線ですが、先日東海道新幹線が1日の運行数が471本の新記録を作ったそうです。その記事を転載します。
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『東海道新幹線が史上最多の1日471本を運行
 最高速度285キロに統一後、3年半越しに…「のぞみ12本ダイヤ」をフル稼働』
 10日、東海道新幹線が史上最多の471本を運行したことがわかりました。JR東海によりますと、10日の東海道新幹線の始発から終電までの運行本数は471本で1987年のJR東海発足以来、過去最高の本数だったということです。
 これまでの最高本数はことし1月3日と2020年の8月16日の455本で、今回その数字を16本更新したことになります。午後6時から午後6時59分までの1時間のうちに東京駅を出発した新幹線(のぞみ・こだま・ひかりの合計)は17本で、3分32秒に1本、新幹線が東京駅を出発した計算です。
 東海道新幹線は2020年3月に車両の更新が完了し、それまでバラバラだった最高速度が285キロに統一されました。このため1時間に12本の「のぞみ」が走る「のぞみ12本ダイヤ」が実現しました。
 新型コロナの影響で利用者が激減したため本数が減らされていましたが、新型コロナの5類移行による利用者の回復とお盆の需要が重なったことにより、およそ3年半越しに「のぞみ12本ダイヤ」が最大限稼働したということです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/24bacbcf20d4161a37d93734640506d36064e4b2
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 東海道新幹線の時刻表を見てみますと、東京-新大阪間は5,6分に1本の割合で運行されていますが、それが3分32秒に1本の割合で運行されたことになります。まるで東京の山手線に新幹線が走るようなものです。ちなみに九州新幹線は1時間で4本程度走りますので、東海道新幹線の運行がいかに超過密であるかお分かりになると思います。
 とにかく問題は台風7号です。新幹線も計画運休を予定しています。新幹線も含めて鉄道や航空機など運行変更や中止など、かなりの影響があると思われます。関西方面に出かける人は十分な用心が必要です。せっかくの休日です。大いに楽しみましょう。

2023年08月13日

#495 鎮魂の八月 - 平和宣言

【平和への誓い 全文】
「みなさんにとって『平和』とは何ですか」小学生が訴え

 みなさんにとって「平和」とは何ですか。争いや戦争がないこと。差別をせず、違いを認め合うこと。悪口を言ったり、けんかをしたりせず、みんなが笑顔になれること。身近なところにも、たくさんの平和があります。
 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。耳をさくような爆音、肌が焼けるほどの熱。皮膚が垂れ下がり、血だらけとなって川面に浮かぶ死体。子どもの名前を呼び、「目を開けて。目を開けて。」と、叫び続ける母親。たった一発の爆弾により、一瞬にして広島のまちは破壊され、悲しみで埋め尽くされました。

 「なぜ、自分は生き残ったのか。」仲間を失った私の曽祖父は、そう言って自分を責めました。原子爆弾は、生き延びた人々にも心に深い傷を負わせ、生きていくことへの苦しみを与え続けたのです。

 あれから78年が経ちました。今の広島は緑豊かで笑顔あふれるまちとなりました。「生き残ってくれてありがとう。」命をつないでくれたからこそ、今、私たちは生きています。

 私たちにもできることがあります。自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。友だちのよいところを見つけること。みんなの笑顔のために自分の力を使うこと。

 今、平和への思いを一つにするときです。被爆者の思いを自分事として受け止め、自分の言葉で伝えていきます。身近にある平和をつないでいくために、一人一人が行動していきます。誰もが平和だと思える未来を、広島に生きる私たちがつくっていきます。

令和5年(2023年)8月6日 こども代表
広島市立牛田小学校6年 勝岡英玲奈
広島市立五日市東小学校6年 米廣朋留
https://nordot.app/1060703950411482058
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 鎮魂の八月となりました。今日は八月六日、広島は原爆投下から78年目となる「原爆の日」を迎えました。また八月九日は長崎に原爆を落とされた「鎮魂の日」となります。何年経とうとも、この悲惨な両日を日本人は忘れることができません。そして八月一五日は終戦記念日となります。
 上記の文は本日の原爆の日に語られた小学生による「平和の誓い」です。戦争を知らない子どもたちが戦争の実相をみごとに表現し、平和とは何かを私たちに問いかけています。「戦争」とは国対国の戦いだけではなく、個人の争いごとも含みます。個人から国レベルまで全ての争いが一つの要因によって起こります。それは相手に対する「疑心暗鬼」です。言いかえれば「信頼」と正反対の「不信感」です。
 私たち人間はいつになれば相手を信じ、信頼できるようになるのでしょうか。現代人にとってそれは永遠の課題です。人間が抱えている疑心暗鬼は地球を破壊するほどの大きな力を持っています。一人一人が自分の心を見つめ、邪悪な感情を捨て去らない限り、その感情はますます肥大化していきます。
 口先だけで「平和、平和」と唱えるだけでなく、自らを振り返り、悪心を捨てない限り、真の平和はやって来ません。それが人類の大きな性(さが)です。八月は日本だけでなく、世界にとっても鎮魂のひと月となります。

2023年08月06日

#494 食とペットの寿命

 連日35度を超える猛暑が日本国内の多くの場所で続いています。熱中症にかかる人も多く、今夏は災害級の暑い夏となってます。昨日午後2時過ぎに所用のために外出しましたが、街頭の温度計は36度を示しており、吹きつける風はまるでヘアードライヤーの風のようでした。数年前に当時日本で一番暑かった久留米市に出かけたことがありますが、その時は38度の気温で、屋外はサウナに入ったような感覚で頭がくらくらしたことを思い出します。
 このような猛暑の中で人間だけでなく、動物園の動物たちや家にいるペット達も当然ながら被害を受けています。動物園によっては動物たちに氷のかたまりをプレゼントするところもあるようです。とにかくこの熱波が過ぎ去るのをひたすら待つことしかできません。
 さて、ペットと言えば大半はイヌやネコを思い浮かべますが、このペットの寿命は私たちが与える食べ物に関係するということです。面白い記事を見つけましたのでご紹介します。
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『犬に残飯(人間の食べ残し)を与えるリスク』
 犬の寿命からみたとき、人間の残り物を食べていた頃の犬の平均寿命は6歳ぐらいです。現代のドッグフードで飼育されている犬の平均寿命は14歳ぐらいですから、7歳以上も寿命が延びたことがわかります。昔は交通事故やフィラリアという病気も多く、犬が長生きしづらい環境にありました。ただそれを差し引いても、人の残飯は飼い犬の寿命を短くし、現代のドッグフードのほうが愛犬の長寿に貢献していることが容易に推定できます。では、残飯の何がいけないでしょうか。ここでは愛犬の健康を維持するために、犬に残飯を与えてしまうことでどのような問題が発生するのかについて詳しくご紹介します。

(この記事の目次)
人間の食べ残し(残飯)を犬に与えても大丈夫?
塩分は大量に与えなければ問題なし
犬にあげてはいけない食べ物を把握する
添加物に気をつける
栄養バランスが悪い
残飯を与えていたら犬の寿命が短くなる理由
欧米犬が残飯で短命になる理由
日本犬が残飯で短命になる理由
ご飯が余ってもったいない!残飯を食べさせる場合のポイント
タンパク質を補うことで残飯を食べさせることができる
与えるご飯は量に気をつける
犬種別!残飯を与える際のポイント
プードル・トイプードル
チワワ
ダックスフンド
ラブラドール・レトリーバー
日本犬(柴犬・秋田犬・甲斐犬など)
愛犬の寿命を延ばすには残飯ではなく総合栄養食を与える
ドッグフードにも良し悪しがある
おすすめの国産プレミアムドッグフード
愛犬に長生きしてほしいなら残飯は与えない

上記の中で以下の個所を転載します。全文を読みたい方は次のアドレスにアクセスしてください。
https://dogfoodschool.com/zanpan/

<日本犬が残飯で短命になる理由>
 日本犬は、日本人と長く生活してきたため日本人の食生活にかなり適応しています。欧米犬(洋犬)に比べて、穀類が消化できるよう大腸が長いという特徴があります。では、腸が長い日本犬は、日本食の残り物(残飯)で長生きしていたのでしょうか。
 日本犬といっても柴犬、縄文柴犬、秋田犬、甲斐犬、紀州犬などいろいろな種類がいますが、実際は洋犬ほどでないにしろ短命でした。日本でも犬は、狩猟犬として江戸時代からずっとクマ、イノシシ、鹿、タヌキ、キジ、カモなど狩りの獲物の肉や骨を大量にとり続けていました。
 しかし、日本は農繁期は農業に専念していましたので、狩猟は西洋ほど盛んではなく、狩りをしない期間は穀物食でも体を維持できる構造に日本犬の大腸は進化したと考えられます。日本犬は、「農業がヒマな時期は狩りに行き、獲物の肉をお腹いっぱい食べられる」そういう生活だったわけです。ですから洋犬ほどではないにしても、穀物ばかりの残飯では栄養欠損が生じ短命になると考えられます。

<ご飯が余ってもったいない!残飯を食べさせる場合のポイント>
 残飯を与えることはあまりおすすめできませんが、ちょっとした工夫をすることで余ったご飯などを与えることができるようになります。

<タンパク質を補うことで残飯を食べさせることができる>
 私たち日本人の食事は穀物である炭水化物が中心です。このため、そのまま残飯だけを食べさせると犬にしてみればタンパク質不足の状態になってしまいます。これが残飯を与えると短命になる最大の理由ですので、単純にタンパク質を補ってあげれば問題は解決します。

<与えるご飯は量に気をつける>
 ただし、気をつけたいのは炭水化物もタンパク質もカロリーが高いということです。きちんと量を考え与えないと簡単に肥満犬になってしまいますので、カロリーコントロールもしつつ必要なタンパク質を与えるようにしましょう。
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 人間と同様にペットの犬にも「食と寿命の深い関係」が存在しているということでしょう。特に私たちの食生活と病気の関係は医療関係者から指摘されています。私が子供のころはイヌの寿命は平均5,6歳でした。どこの家庭もイヌの餌は残飯が中心で、現在のようなドッグフードは珍しい時代でした。ペットに合わせたフードを開発することでペットの寿命が延びたのは幸いですが、別の問題も発生しています。それは以前には見られなかったペットの高齢化です。寿命が延びたことによる四肢のまひや脳機能の低下など高齢のペットが直面する問題です。
 ペットを飼うことはペットの命を最後まで見届けることが条件となります。ペットが高齢になったからと言って、人間の都合でペットを捨てることはできません。現代社会において高齢化が重要な問題であるように、ペットも今後は高齢化が大きな問題となることでしょう。高齢者に優しく、高齢のペットにも優しい社会を作り上げなければなりません。

2023年07月30日

#493 チコちゃんが叱られた!

 大牟田地区は7月21日より夏休みが始まり、子どもたちはコロナ後の久しぶりに制限のない夏休みを楽しんでいます。その一方で水の事故が後を絶ちません。夏休み初日には宮若市の女子小学生3人が川で水死する痛ましい事故が起こっています。また全国的にも大人を含めて多くの人が海で亡くなっています。中には流された子どもを助けるために海で溺死したお父さんもいらっしゃいます。自然と触れ合うのは良いことですが、自然の中で自分の身は自分で守る必要があります。特に海は本来安全な場所ではありません。離岸流や急に深くなっている場所がありますので、海で泳ぐときはできるだけ大人数で周囲を見ながら異常がないかを常に確認する必要があります。
 さて、毎週金曜日にNHKで放送されている「チコちゃんに叱られる」ですが、年齢にかかわらず家族で楽しめる人気のクイズ番組です。ところが先週放送された番組内容が不適切だとチコちゃんが叱られました。事の顛末は次の通りです。ヤフーニュースより転載します。
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『NHKの「チコちゃん」が叱られた!
   「海水がしみこまない理由」を「完全におかしい」複数の専門家が指摘』
 7月14日に放送されたNHK『チコちゃんに叱られる!』の放送内容について、SNSで「間違いではないか」と指摘する声が上がっている。
 問題となっているのは、「水は地面にしみこむのに、なんで海の水はなくならないの?」という疑問に対する答え。チコちゃんの答えは「海底が水圧でカチカチだから」というもので、大学教授が解説をおこなった。教授は、水圧によって、地上と海底では水が岩石にしみこむスピードが違うと説明。深い海底にある岩石には高い水圧がかかることで、岩石の隙間が圧縮され、水を通しにくくなる、と解説した。
 この説明に対し、《チコちゃんの「海水が染み込まないわけ」の説明は完全におかしい》と指摘したのは、京都大学大学院の成瀬元准教授。堆積学を専門とする成瀬氏は、7月18日にTwitterで《岩石の圧密は岩石自体の上載荷重が原因で、水圧はむしろ圧密を妨げている。静岩圧が静水圧を上回るから圧密が進行する。陸上の砂が大気圧で固結しないのと同じ。浅海の表層堆積物に比べて深海の軟泥は別に固結していない》と説明。《なぜ天下のNHKでこんな単純なミスが…》と嘆いている。
 成瀬氏に話を聞いた。
「番組では、深海で高い水圧がかかり、岩石の隙間がなくなるという説明をされていましたが、そんなことはありません。そもそも、水中で堆積物の隙間にある水の水圧は、全方向に向かって作用しており、深海の海底でも柔らかい泥が、水圧でガチガチに固まることはありません。番組では水圧の説明で、カップ麺の容器が水圧で圧縮される場面もありましたが、あれはプラスチック容器に含まれる空気が圧縮されるため。最初から水を含んでいる深海の岩石とは、まったく関係がありません。地表で水がしみこむのは、地下水位が地表面よりも低いためです。地下水面と水位が等しくなっている河川や湖では、水はしみこみません」
 また、愛知教育大学教授で、日本地質学会副会長の星博幸氏も、Twitterで《NHKプラスで先週のチコちゃんを確認した。驚いた。これは完全にダメである。出演した大学教授が完全に誤解している。制作陣はこの教授の言説を鵜呑みにし、その真偽の確認(別の専門家に確認すること)もしなかったと推測される。正しくは成瀬さん @HajimeNaruse が仰っている通り》
《とにかく今回の番組はひどい。これは専門家がNHKにクレームをつけるべき案件である》
 と指摘。ほかにも、海洋地質に詳しいという人物の《海底の堆積物は軟泥といってやわらかい泥です。それが数百万年数千万年にわたり積もる堆積物の荷重より脱水し続成作用による鉱物の沈殿で固結します。水圧は全く関係ありません》とのツイートもあった。
 完全にチコちゃんが“叱られた”格好だが、NHKは、この指摘についてどう考えるのか。本誌は7月18日13時、NHKに対し見解を問うメールを送信。20日14時過ぎ、再度、NHKに連絡をしたが「事実確認中」(広報局担当者)というのみで、締め切り(7月20日16時)までに回答は得られなかった。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6469901
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 上記の説明は専門的な解釈で、文系の私には理解できない部分があります。「チコちゃんにしかられる」は国民的人気番組でチコちゃんとゲストの掛け合いが面白く、ゲストへの質問に対する答えが奇想天外で、視聴者をびっくりさせることでも人気があります。しかし、調子に乗っていると今回のようなミスが発生します。特に科学的な専門課題は様々な仮定から生じているものがあり、専門家の意見も異なります。したがって慎重に内容を吟味する必要があります。
 NHKは時々ポカをすることがあります、番組スタッフが詳細な検討をしなかったり、外部に発注したものが間違っていたりします。最近のニュースではコロナワクチンで死亡した遺族の取材をコロナウィルスで亡くなった遺族と報じるなど、重大なミスが目立ちます。「国民から受信料を取る天下のNHK」ですので、番組制作には何事も慎重であってほしいものです。

2023年07月23日

#492 夏の風物詩

 昨日は福岡では祇園山笠の「追い山」が行なわれ、4年ぶりの正式な開催となりました。福岡は山笠とともに夏が始まります。大牟田では昨日と今日は「港祭り」が開催され、来週の土日はいよいよ「大蛇山祭り」が行なわれます。夏の風物詩と言えば夏祭りです。今年はコロナ禍も収まり、全国的に制限なしで多くの祭りが行なわれます。
 また花火大会も夏の風物詩の代表です。この花火大会はもともと鎮魂のために行なわれたものが起源だそうです。今年も様々な災害で亡くなられた御霊のために花火大会が開催されます。
 ところで、朝早くからセミが鳴いています。蝉と言えば、これも夏の風物詩の1つでしょう。今年も7月になって鳴き始めました。まだ梅雨明けしていませんが、真夏のように早朝から鳴き出します。まるで目覚まし時計のように枕もとで鳴きます。成虫はわずか1週間の命ですので、心情的には我慢もできますが、やはり頭の近くで鳴かれるとき、鳴き声の大きさは限度を超えています。
 このセミですが、私たちが日ごろ耳にするのは鳴き声によってアブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクホーシでしょうか。どのセミがどんな鳴き方をするか区別がつきますか?詳しく判断できない方は次のサイトで聞き比べてください。
http://www.m-ecokosha.or.jp/semi/semi_koe_index.html
 この中で、最近耳にしなくなったのがミンミンゼミです。以前はマンガの中に描かれるゼミは決まってミンミンゼミで、「ミーン、ミーン」と鳴き声が描かれていましたが、私はこの鳴き声を聞いたことがありません。このセミの分布について、日経新聞は次のような記事を載せています。

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『関西のセミ「ミンミン」鳴かない? 種類や分布に地域差』
 最近、北米で17年に1度大発生する「17年ゼミ」のニュースを耳にした。捕食する鳥や動物が食べきれないほど一気に羽化する光景は圧巻。子孫を残すのに有利な生態なのだという。セミは身近ながら不思議の多い昆虫だ。そういえば日本のセミについても疑問がある。関西では「ミンミン」という鳴き声を耳にしないような……。
 関西のセミはちょっと違う。東京都出身の記者(28)がそう気づいたのは子どもの頃だ。夏休みに神戸市の祖母の家に泊まると、「シャアシャア」という聞き慣れないセミの大合唱で目が覚めた。セミは「ミンミン」と鳴くものだと習ったのに……。祖母は「あれはクマゼミという別の種類だ」と教えてくれた。
 ウェザーニュースは2020年、「一番よく聞くセミの鳴き声」を都道府県ごとにアンケート調査した。大阪府、兵庫県など関西ではクマゼミ、東京都、神奈川県など関東ではミンミンゼミという回答が目立った。
元来、ミンミンと鳴くミンミンゼミは比較的寒冷な東日本、クマゼミは温暖な西日本に多いという。ただ、現在では東京と大阪の気候はそれほど変わらない。それでも両者の勢力分布の傾向にあまり変化がないのはなぜだろう。
 京都大学の沼田英治名誉教授は「セミの飛行距離はそれほど長くない」と指摘する。クマゼミに印をつけて飛距離を測る実験では、長く飛んだものでも1キロメートル強だった。
 さらにセミは生涯のほとんどを土の中で過ごす。木などに産み付けられた卵は翌夏にふ化し、幼虫は自力で土に潜る。土の中で過ごす期間は6~8年とも。植木に紛れて運ばれることはありうるが長距離を移動することはまれで、「地域差が出る理由の一つとなっている可能性はある」と大阪市立自然史博物館の初宿成彦主任学芸員は語る。
 もっとも、かつて関西で主流だったのは「アブラゼミ」だ。初宿氏によるとクマゼミがその地位を奪ったのは1980年ごろ。「都市部を中心に勢力を伸ばした」という。
クマゼミの増加は、温暖化やヒートアイランド現象とも関係があるという。気温上昇で卵のふ化の時期が早まり、梅雨に重なったことで「都市部での生存率が高まった」と語るのは大阪健康安全基盤研究所の山崎一夫主幹研究員。
 都市部の公園は落ち葉などが取り除かれ腐葉土がなく、土は乾燥して硬い。クマゼミの幼虫はアブラゼミより土を掘るのがうまく、その点では優位。だが、潜るのに時間がかかればアリなどの天敵に捕まる危険も高まる。湿気で土が軟らかくなる梅雨時のふ化は、クマゼミの幼虫の生存に有利に働いたとみられる。
 また、山崎氏は「クマゼミの成虫はカラスなど都会の鳥から逃げるのが上手だ」とも指摘する。セミを驚かせてどう逃げるか実験したところ、クマゼミは比較的遠くの木立まで飛ぶのに対し、アブラゼミはすぐ隣の木に移る性質があることが分かった。
 アブラゼミの茶色い体は豊かな森では身を隠しやすいが、都心の並木道では違うようだ。実際、大阪市内でセミの死骸を調べたところ、アブラゼミは捕食されて羽などがバラバラになったものが9割超だったのに対し、クマゼミでは5割にとどまったという。
同じ大阪でも郊外ではアブラゼミが多い。約50年かけて森づくりを進めてきた万博記念公園(大阪府吹田市)では、2015年に園内のセミの抜け殻を採取したところ、8割がアブラゼミだった。10年の調査で大阪市内では9割超がクマゼミだったのとは対照的。クマゼミは「都市環境にうまく適応して増えた」(初宿氏)といえる。
 セミの生態は分かっていないことも多いが、17年ゼミの謎の解明には日本人研究者が貢献したという。この夏、セミ博士を目指し、まずは観察してみようか。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF232HI0T20C21A5000000/
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 上記の記事によりますと、一口にセミと言っても、かなりの地域差があるようです。ちなみに私は3年ほどオーストラリアのシドニーで過ごしましたが、セミが鳴くのを一度も聞いたことがありません。不思議に思いオーストラリアの知人に聞きますと、セミが鳴いていると鳥が食べるそうです。それでセミが鳴かない理由がが分かりました。セミもいろいろです。

2023年07月16日

#491 ChatGPTを家庭教師に!?

 今週は全国的に大雨が続いており、特に週末は九州北部や中国地方で記録的な豪雨が続いています。今日も多くの地域で警報が出ていますので、豪雨への充分な警戒がさらに必要になります。梅雨明けも近づいていますので、もう少しの辛抱です。梅雨明け宣言が待ち遠しい今日この頃です。
 ところで、最近のニュースに必ず顔を出す話題がChatGPTです。私自身もChatGPTには懐疑的な考え方をしていますが、このChatGPT(今後はチャットと略します)を有効に活用できると主張する人がいます。それも家庭教師として利用できるそうです。今日はその記事を転載します。
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『ChatGPTを家庭教師にした子の成績「驚きの結果」』
(家庭教師を雇えなかった子にも教わるチャンス)
・ChatGPTが家庭教師の役割を果たす
 ChatGPTなどの生成系AIは、子供たちの学習で家庭教師の役割を果たすことができる。例えば、小学生が「78 ÷ 8はいくらで、余りはいくらか?」という問題にどのように取り組めばよいのか、という疑問に直面したとしよう。
大人であればこの問題を解くことはできるが、小学生に対してなぜその解法が正しいのかを説明するのは戸惑うだろう。しかし、これをChatGPTに問うと、非常に丁寧な答えが返ってくる(実際に試していただければ、すぐにわかる)。
 こうした問題につまずいてそれ以降進むことができなくなり、数学が嫌いになってしまった子供たちは、多いだろう。わからなくても、学校の先生に個別に質問することができない。裕福な家庭の子供なら家庭教師に質問することができるが、貧しい家庭の子供たちはできない。そうした子供たちにとって、救いの神が現れたことになる。
 ウェブを探せばこうした説明はどこかに存在するかもしれないが、それを見つけ出すのは容易でない。それに対して、ChatGPTは、質問に対して直接的に答えてくれる。
 教育関連のオンライン雑誌Intelligent.comが6月8日に公表した調査結果は衝撃的だ(アメリカ人801人に対するLINE上での5月の調査結果)。
 それによれば、高校および大学生の85%、学齢期の子を持つ親の96%が、「人間の家庭教師よりChatGPTのほうが優れている」と回答した。すでに完全にChatGPTに切り替えた高校生・大学生は、回答者の39%だ。親は30%に上る。切り替えによって成績が向上したと回答した割合は95%だった。
 切り替えた科目では、数学が最も多く、外国語やハードサイエンス(化学や生物学)が続く。無料でいつでも利用できるという点は、確かに圧倒的な競争力といえるだろう。
 勉強といえば学校で行うものというのが多くの人の考え方だが、昔からそうであったわけではない。ヨーロッパの伝統的な社会では、貴族社会における教育は学校ではなく、個別のチューターによって行われていた。
 チューター制度は、イギリスのオックスフォードやケンブリッジなどの大学に引き継がれている。学生は、わからないことをチューターに相談する。理解度は個人によって異なるため、個別の指導が好ましいことは間違いない。また、アメリカの大学院ではTA(教員助手)という制度が広く展開されている。
チューター制度の問題点はコストがかかることだが、ChatGPTがそれを解決した。

・学校を置き換えるのではなく、家庭教師を置き換える
 学校は、単に知識を学ぶだけでなく、集団生活を経験し、友人を作るために極めて重要な役割を果たしている。したがって、現代社会において、学校がまったくなくなってしまうようなことは考えられない。
しかし、知識習得の相当部分が、ChatGPTによるチューターによって置き換えられる事態は、十分にあり得ることだ。
 つまり、ChatGPTは教育過程そのものを置き換えるのではなく、それを補完するものとして存在し得る。これまでの学校教育の良さはそのままにし、これまでチューターが行っていた家庭教師の役割を果たし得るのではないだろうか。
 あるいは、これまでチューターが利用できなかった人に対して、チューターの役割を果たすことがあるだろう。社会人の場合には、こうしたケースが多いだろう。
 ChatGPTによる学習の最も大きな特徴は柔軟性だ。いつでも学習を行うことができる。朝早くでも、真夜中であっても構わない。また、学習内容を自由に変更することも可能だ。理解できないことがあれば、質問の仕方を変えて理解するまで説明を求めることができる。数学や統計学などのハードサイエンスにおいては、このような学習が可能であることは大きな利点だ。
 貧困のために進学できない子供たちは、開発途上国には依然として多い。これらの子供たちが自ら独学によって学ぶ可能性が広がることは、非常に重要な意味をもつだろう。
 先進国でも丁寧な教育サービスを受けることのできぬ子供たちが多数存在している。これまでは裕福な家庭の子供たちのみが利用できた個別指導が、貧しい家庭の子供たちにも無償で利用できるのは、極めて重要な変化だ。こうしたサービスが利用可能となり、貧富の差が縮小することが期待される。
 「ChatGPTを家庭教師として用いるのは、必ずしも学齢期の学生に限られたことではない。ChatGPTは、社会人の勉強においても、家庭教師の役割を担っていくだろう。外国語やプログラミングの勉強には、すぐにでも使うことができる。

・回答が正確になれば、試験制度にも影響
 ただし、現在のChatGPTでは、幻覚(ハルシネーション)による誤りがある。そのため、ChatGPTの回答を完全に信頼するわけにはいかない。しかし、将来は技術の進歩によって正確性が増すだろう。
 現在でも、特定のデータベースにAPI接続し、正確な回答のみを得ることが可能だ。すでに、GPT-4を統合した学習支援サービスが登場している。例えば、語学学習アプリのDuolingoや、教育プラットフォームのKhan Academy、さらにはLINEのAI先生【体験版】など。東洋大学は、5月9日にAI利用教育システム「AI-MOP」の開発・導入を発表した。
 近い将来に、さまざまな学習用アプリが登場すると予想される。特に、入学試験や資格試験のためのアプリが増えるだろう。
 小学生の勉強や社会人の学習などといった広い区分けでなく、資格試験に特化した学習アプリが数多く登場するだろう。また、学校の受験に関しても、各大学や中学校に特化したアプリが現れることが予想される。
 これによって、学習塾や予備校、社会人向けの教育講座などは大きな影響を受けるだろう。そうしたサービスを提供してきた個人や機関にとっては、存亡にかかわる問題となる。家庭教師は、多くの学生にとって重要な収入源であり、それがChatGPTによって代替されてしまうことは、深刻な課題となる。
 それだけではない。資格試験そのものの必要性も再考されるだろう。ChatGPTに聞けば容易にわかることなら、誰でもできるわけであり、資格を持つ人だけができるということではなくなるからだ。
 さらに、学校の入学試験や就職試験も、根本的な変革を迫られるだろう。実際、学生の就職活動において重要な役割を果たすエントリーシートを30秒で作成するサービスが登場し、企業は選考方法を変えざるを得ないだろうとされている。
https://toyokeizai.net/articles/-/684319
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 上記の記事にありますように、チャットがより正確に情報を集めることができ、適切な助言をすることができれば、新しい教育システムが登場するかもしれません。学業成績の向上は集団で現況するよりも、その子どもに適した指導方法で行なうほうが確実に向上します。そのための家庭教師であり、塾の個別指導でしょうが、それらの指導方法に格差が大きすぎるのも事実です。良い意味において、今後のチャット開発に大いに期待します。

2023年07月09日

#490 宇宙の謎を解くユークリッド

 今日は朝から曇り空ですが、昨日までの降雨はすさまじく、大牟田では300ミリを超える豪雨となりました。また明日から梅雨前線が北上していくようです。北部九州の梅雨明けは7月18日頃ですので、あと2週間は梅雨末期の豪雨に厳重な注意が必要です。
 さて7月7日は七夕ですが、この日は旧暦の7月7日を指します。梅雨の末期に満天の夜空は望めません。旧暦の7月7日では今日の8月上旬に当たりますので満天の下で織姫と彦星はめでたく再会できるという話です。昔の人々は夜空を見上げてロマンチックな想像をしたものです。
 それでは、現代の宇宙に関するロマンチックな話題は何でしょうか。それは宇宙の起源を探すことです。その謎を解明するために新しい宇宙望遠鏡が打ち上げられました。毎日新聞より関連する記事を転載します。
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『宇宙望遠鏡「ユークリッド」打ち上げ 「暗黒エネルギー」の謎に迫る』

 欧州宇宙機関(ESA)は1日、新開発の宇宙望遠鏡「ユークリッド」を米フロリダ州のケープカナベラル宇宙軍基地から打ち上げた。100億光年先まで広がる最大20億個の銀河の地図を作り、物理学の最大の謎といわれる「暗黒エネルギー」の性質に迫るのが目的だ。
 宇宙は138億年前の誕生から膨張を続けてきた。その勢いは物が引き合う重力の影響で次第に緩やかになるはずだが、なぜか数十億年前から加速している。その原因は、重力とは逆に物を反発させ合う暗黒エネルギー。このエネルギーは宇宙の70%を構成する。他の25%は光を吸収も反射もしない正体不明の暗黒物質、星々を構成する原子など通常の物質は5%だけだ。
 ユークリッドは高さ4・7メートル、幅3・7メートルで重さ2トン。銀河の位置や形を見る可視光カメラと、距離を知るための赤外線観測装置を搭載する。暗黒物質があると重力によって背後の銀河がゆがんで見える現象を観測し、銀河だけでなく暗黒物質の分布も調べる。こうして精密な立体地図ができれば、宇宙の構造ができる過程に暗黒エネルギーがどう関与したかが分かってくる可能性がある。
https://mainichi.jp/articles/20230702/k00/00m/030/005000c)
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 宇宙空間にはハッブル宇宙望遠鏡など数台が活躍していますが、この度「ユークリッド」が新しく加わることになりました。上記の記事にありますように、この望遠鏡は「ダークマター」と呼ばれる暗黒物質を調査する目的で観測が行なわれます。それにより宇宙が拡大し続けるのか、それとも収縮へと向かうのかが予測できます。宇宙に興味がない人は「それがどうした。その高額な予算を別の世の中に役立つものに使うべきだ。」と思うことでしょう。確かに宇宙探査は世の中を幸せにするために何の役にも立ちません。
 しかし夢があります。人類がかつて夢見てきた宇宙の成り立ちや起源の一端が分かるかもしれないのです。そこから「人間とは何か」、「宇宙と人類との関係」、「宇宙を作り出した創造主」などの理解が進むかもしれません。人類史に新たな1ページを付け加えることができるのです。人類があと1,000年生き残るとして1,000年後の未来人が21世を振り返るとき、どう思うでしょうか。私たちが中世時代をを暗黒時代を呼んだように、戦争ばかりしてきた21世紀の地球人の考え方を理解できないでしょう。「ユークリッド」がどのような成果をもたらしてくれるか楽しみです。

2023年07月02日

#489 ウミガメ放流会は無駄?

 気象庁によりますと、本日沖縄地方が梅雨明けとなりました。今後は九州を始めとする本土が本格的な梅雨の後半を迎えることになります。大雨の災害に対する充分な備えをする必要があります。
 さて、梅雨明けした夏の沖縄と言えば、何をイメージするでしょうか。青い空と海や白い砂浜でしょうか。あるいは水中散歩でしょうか。美しい海中で出会う熱帯魚やウミガメでしょうか。
 ところで、ウミガメが産卵のために浜に上陸し、卵を産みますが、ウミガメ保護のためにその卵を人工的にふ化させ、ウミガメの赤ちゃん海へ帰す「ウミガメ放流会」が各地で行われています。あくまでもウミガメ保護のためです。ところが、このウミガメ放流会が無意味であるというのです。どういうことでしょうか。毎日新聞より転載します。

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『ウミガメ放流会、やめて 日中の放流「ほぼ死ぬ運命」研究会会長が訴え』
 大きくなって帰っておいで――。こんな書き出しで盛んに新聞記事にされた、子どもたちによる日中の「ウミガメ放流会」への疑問が、関係者の間で高まっている。「日中に放流してもほぼ死ぬ運命。やめた方がいい」。奄美海洋生物研究会の興克樹会長(52)は、5月25日にあった鹿児島県とウミガメが産卵する沿岸の32市町村の県ウミガメ保護対策連絡協議会で訴えた。ふ化したカメの生き延びる可能性が大きく低下するためという。
 興会長によると、卵からふ化したウミガメは24時間以内に沖まで出ないと、体力を失って生き残れない。自然状態では真夜中などに浜から一目散に泳ぎ出す。それが、日中まで待って放流すると、その段階で何時間もロスしているうえ、日中は魚や鳥の活動時間帯に当たり、大半が餌食になるという。
 卵が波にさらわれないように移設することにも慎重論が出ている。ふ化率が著しく下がるためといい、日本ウミガメ協議会の「保護ハンドブック」には「移設は他に保護する手立てがない場合にのみ選択されるべきだ」と書かれている。
 放流会への疑問の高まりにつれ、実施する自治体も減っているとみられるが、それでも5月25日の連絡協議会では3市1町が放流会を予定すると報告。報告しなかったものの実施予定の市もあった。
 奄美市は2023年度から取りやめた。担当者は「代わりにウミガメ観察会を開き、なぜ放流会が望ましくないか伝えることで、子どもたちにより考えを深めてもらえるようにしたい」と話した。
 「実施する」と報告した自治体も、毎日新聞の取材に対し、「日中がだめな理由は納得できた」「よかれと思っていたが、初めて問題点を知った」などと回答。改善を検討する考えを示した。
 興会長は「相談を受ければ、やめるように伝え、それが難しければせめて夜間に放流するようお願いしてきた。真に保護につながるかどうかを考えて判断してほしい」と話している。
https://mainichi.jp/articles/20230625/k00/00m/040/032000c
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 善意で行っている「ウミガメ放流会」ですが、自然のおきては厳しく、自然の生き物に人工的に手を加えることは自然界にとってためにならないという事でしょうか。厳しいようですが、自然の法則(適者生存の法則)に従うしかありません。私たち人類もこの星に住まわせてもらっている一種族です。この星が人類を必要としないと判断すれば、自然災害や伝染病などをを用いて迅速に人類をふるい落としにかかるでしょう。そうならないように、私たちは他の生物との共存共栄を図り、他の生命体や地球の破滅のためではなく、その進化・発展のために科学技術を利用しなけれななりません。それこそが人類が将来生き残る道でもあります。

2023年06月25日

#488 スカイネット到来?

 梅雨の晴れ間で、今日は朝から晴れています。数日前には30度を記録した大牟田でしたが、今日はそれほど高温にならないようです。しかし梅雨本番はこれからです。豪雨や洪水に充分注意する必要があります。
 さて、最近特に何かと話題に登場するのが生成AIです。この件に関して肯定する人から否定する人まで様々な意見が世の中に飛び交っています。先日東京都の教育委員会が各学校に「生徒がAIを使用して読書感想文などの課題をしないように」通達しました。また国内の大学では、ChatGPT利用の基準を示したり、注意喚起を行うところも出てきています。このような状況下でCNNが次のような記事を出しました。
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『「AIが5~10年以内に人類を破滅させる可能性」、CEOの42%が予想』
 ニューヨーク(CNN Business) 人工知能(AI)がそれほど遠くない未来にもたらし得る人類存亡の脅威について、企業経営者の多くが真剣に危惧している実態が、米イエール大学の意識調査で明らかになった。
 調査はこのほど開かれたオンラインイベントのイエールCEO(最高経営責任者)サミットで、119人のCEOを対象に実施。うち42%が、AIは今から5~10年以内に人類を破滅させる潜在的可能性があると回答した。
 この調査にはウォルマートのダグ・マクミリオン氏やコカ・コーラのジェームズ・クインシー氏をはじめ、ゼロックスやズームなどのIT企業や医薬品、メディア、製造業など様々な業界のCEOが協力している。
<AIの危険性をめぐっては大きく意見が分かれた。>
 AIが人類を破滅させる可能性について、CEOの34%は「10年以内」、8%は「5年以内」に起こり得ると回答。一方で、その可能性はなく「心配していない」とするCEOは58%に上った。
 AIが惨事を引き起こす可能性については「誇張されすぎ」とみるCEOが42%だったのに対し、「誇張ではない」としたCEOは58%だった。
 一方、AIの潜在的チャンスについて「誇張されすぎ」とする意見は13%にとどまり、「誇張ではない」が87%を占めている。
 AIが変革させる可能性がある業界は、ヘルスケアの48%を筆頭に、プロフェッショナルサービス/ITが35%、メディア/デジタルが11%だった。
https://www.cnn.co.jp/tech/35205269.html
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 このようなニュースが流れたときに、私はふと「スカイネット」のことを思い出していました。スカイネットとはアーノルド・シュワルツェネッガーが主演した映画「ターミネーター」に登場した、人類の敵である自我を持つ人工知能のことです。「ターミネーター」シリーズを見た人はお分かりと思いますが、インターネットで繋がれた世界が、スカイネットと呼ばれる人工知能によって支配され、人類に対して敵対姿勢を取り、ターミネーターのいる未来では人類滅亡を図っています。
 映画の詳細は実際に映画を見ていただくことにして、私が危惧していることは、ChatGPTを始めとする生成AIの進化があまりにも早すぎることです。その学習スピードに人類はついて行くことができません。現在ではChatGPTはネット上にある膨大な情報を用いて文章や画像、映像までも秒単位で作成します。またディープラーニングと呼ばれる学習では、まるで人間が学習しているように多くの分野で学習し、自らの知識にすることができます。
 人間のような感情や創造性、知性をAIは獲得できないと言う専門家もいますが、AIも今後は独自の感情や知性を持つと私は思っています。人間の感情や創造性、知性とは、結局今まで蓄積した物事の取捨選択の結果でしかなく、膨大な量の情報を有するAIであれば、人間のような判断が可能です。否、人間の判断を超えた神に近い判断ができるでしょうか。欠点の多い人間の判断よりも、正確無比なAIの判断を信じる人が増えていけば、将来「AI教」のようなAIを「神」とする宗教が登場するのでしょうか。
 このような人類の未来を分断するような時世に今日の私たちは生きています。確かに生成AIは大変便利な道具ですが、使い方を間違えると人類を滅亡させるような怪物に育てることも可能です。人類がAIを利用し新しい世界観を身につけ、科学技術をさらに発展させるか、あるいはAIによる人類滅亡を引き起こすようなことを人類が模索し始めるかは今の私たちにかかっています。

2023年06月18日

#487 世界一の経済大国だった江戸時代

 本日は少し遅いブログ投稿になります。書籍を購入するために福岡市に行ってきました。JR九州の時刻が変更になり、いつも利用していた快速が無くなってしまいました。今日は西鉄電車を利用し、薬院で地下鉄に乗り換えて博多駅の丸善まで足を延ばしました。天神で地下鉄に乗り換えるよりも時間が節約でき、運賃も安くなります。結局、いつものことですが、書籍購入に2,3万円使う羽目になりました。でも私の好きな葉祥明の特集雑誌が買えて幸せな気分になりました(笑)。
 ところで、皆さんは「江戸時代」と言えば、どのようなイメージをお持ちでしょうか。徳川幕府、水戸黄門、などの時代劇のイメージがあります。しかし、世界史規模で江戸時代を捉えたものはあまり多くないと思います。あくまでも「内向きの日本史」として江戸時代を見ているからでしょう。ところが世界的な規模で江戸時代を研究している記事がありましたので、ご紹介します。
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『本当に強かった日本 江戸時代、実は欧州諸国以上の「経済大国」だった

    GDPは日本の154億ドルに対し英国107億ドル、オランダ40億ドル…米国は5億ドル』
 日本史や世界史を見ても、日本が世界でどのような位置を占めていたかということは、なかなか出てこない。大航海時代、日本の戦国時代には、西洋と日本との交易が盛んになる。
英国の歴史学者、チャールズ・マクファーレン(1799―1858年)の著書『日本1852』によると、「年間300トンにもなる金、銀、銅がポルトガル人に持ち出されている。あふれる金銀でマカオの町は、ソロモン王時代のエルサレムの様相」というほどの繁栄を見せた。
つまり、マカオの繁栄は、日本と中国の間の貿易によりマカオにもたらされた日本の金銀によっていたのである。戦国から江戸初期にかけての日本は、中国の絹織物などを豊富な金銀で輸入しており、ポルトガルなどの商人は、明と日本の貿易の仲介をすることで巨大な富を築いていた。
 同書によると、オランダ東インド会社のバタヴィア総督の1744年の資料に「日本からの金銀の持ち出しは年間84万英ポンド(83万両)にも上り、1680年に金の持ち出しが禁止されるまでに数千万英ポンドに相当する金が持ち出されている。
 ポルトガル人は、1年で58万英ポンドに相当する銀を持ち出していた」と記されている。高品質の銅のインゴットは、オランダ商人の主要な購入品目の一つとなっており、銅の輸出は1800年以降まで続いている。日本からの金銀の流出は、元禄から徳川吉宗の時代にかけて、中国輸入品目の多くが国産化されることにより減少する。
OECD(経済協力開発機構)の「The World Economy Historical Statistics」というリポートでは、戦国時代や江戸時代の世界各国のGDP(国内総生産)が推計されている。
1701年というと、忠臣蔵の「松の廊下の刃傷」が起こった年で、元禄の繁栄の最中であるが、この1700年の日本と欧米各国のGDPを比較すると、日本は154億ドル、英国は107億ドル、オランダは40億ドル、スペインは75億ドル、ポルトガルは16億ドル、移民まもない米国は5億ドルとなっている。
 つまり、この頃の欧米各国の経済規模は、元禄日本より小さかったわけである。この時に日本よりGDPが大きかったのは、康熙・雍正帝時代の強い中国、アウランジィーブ皇帝の強国インド、ベルサイユを建設した絶頂期のフランスだけである。
 江戸日本の経済力は、吉宗の頃までは、欧州諸国よりも大きかった。江戸幕府前半時代は、武力、経済力ともに欧州諸国を上回っていたわけで、これが平穏な国際関係の基礎であったといえよう。
 幕末も近づく1820年には、日本は207億ドル、英国は362億ドル、オランダは43億ドル、スペインは123億ドル、ポルトガルは30億ドル、独立後30年の米国は125億ドルと推定されている。
欧州では、1800年頃から産業革命が各国に浸透し始め、英国、ドイツなどは、急速に経済成長し、日本のGDPを追い越すようになる。
 しかし、1820年の文政江戸文化が爛熟(らんじゅく)する徳川家斉の治世の頃でも、日本の経済力は欧州各国に比較し見劣りするものではなかった。黒船30年前には、米国経済より日本経済の方が大きかったのである。
 英国経済の原動力だった英国東インド会社は、単なる貿易会社ではなく国王から交戦権を特許され、軍隊を持つ会社であった。1698年にコルカタ周辺3村の徴税権を買い取り拠点をつくると、その軍事力でベンガル24郡の徴税権を戦い取る。
 ムガール帝国末期の皇帝は末期の室町将軍家のようで、インドは戦国時代のごとく乱れ、英国東インド会社は戦国大名のようにインドを統一していく。1858年、ムガール最後の皇帝の軍を破り廃位させると、英国王は東インド会社から統治権を取り上げて直接統治する。英領インドは150年かけて完成された民間会社の作品なのである。
https://www.zakzak.co.jp/article/20230610-L2JCCRQK3VL6DMGTBZC3I4QPW4/
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 やはり「黄金の国ジパング」は事実でした。日本史と世界史は近世まで何か別次元のように進行して行きますが、上記の記事のように世界史的に俯瞰してみると、日本の国力が見えてきます。世界史では欧州や米国の国力が大きく扱われますが、日本の江戸時代も負けてはいなかったということになります。「恐るべし江戸時代」です。

2023年06月11日

#486 カエルの鳴き声がうるさい!?

 台風2号の東進とともに梅雨前線を刺激し、近畿、東海、関東地方で多くの線状降水帯が発生し、各地で洪水等の被害をもたらしました。昨年までは九州や中国地方で線状降水帯が発生しましたが、今年は入梅とともに今まで発生したことがない地域で大きな災害をもたらしました。梅雨はまだ始まったばかりです。豪雨や長雨は場所を選びません。梅雨が終わるまで厳重な注意が必要となります。
 さて、梅雨と言えばカエルの季節です。田んぼなどでカエルの合唱を聞くのは心が和みます。ところが、とんでもないニュースが飛び込んできました。「カエルの声がうるさい」というのです。この世間をあっと言わせるニュースを転載します。
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『「カエルの鳴き声がうるさい」田んぼの持ち主に苦情
    →「理不尽すぎる」「無茶言う人だ」驚きの声広がる』
 田んぼの近くに住む住民から、農地の所有者へ寄せられた苦情がSNS上で大きな話題になっています。ツイッターユーザーの「いもっち」さんは先日、道端に張り紙が落ちているのを見つけました。その内容がこちらです。

◇◇◇
田んぼの持ち主様へ
カエルの鳴き声による騒音に毎年悩まされています。
鳴き声が煩(うるさ)くて眠ることができず非常に苦痛です。
騒音対策のご対応お願いします。

近隣住民より
◇◇◇

 いもっちさんは驚きのあまり写真を撮影し、自身のツイッターに「どこかから風で飛んできたヤツなんだけど世知辛い…」と投稿。SNSユーザーからは4万を超える「いいね」とともに、「えっ?」「いやいやいや無理でしょ」「理不尽すぎる」「無茶言う人だな」「カエルに鳴くなと?」などの驚きの声が上がっています。
 いもっちさんに話を聞きました。

──張り紙を読んだ瞬間、どんな気持ちに。
「幼稚園や保育園の近所に引っ越して来て『子どもの声がうるさい!』という人と同じだなと思いました。うるさいと思うのは勝手ですが、それをわざわざ管理者に訴えるのはお門違いも甚だしいと思います」
──周辺は田んぼが多い地域ですか。
「住宅地ですが、田んぼもそれなりにあり、近所にはコイン精米機も結構あります」
──投稿が拡散しています。
「そもそもはフォロワーというかリア友に『これはないよね〜』程度の気持ちで投稿しました。バズっていてビビりましたが、同じような気持ちの人が大多数で安心しました」
◇◇◇

 田んぼにいるカエルは害虫を食べてくれる存在です。もし、騒音対策としてカエルを駆除するとなると、生態系を壊すことにつながり、ひいては人間の暮らしに影響を及ぼすことにもなりかねません。皆さんは今回のクレームをどう思われますか。
https://maidonanews.jp/article/14918988
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 また、この記事を読んだ獣医師の方から次のような登校がありました。

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『獣医師「アマガエルは鳴くものです」 住民の苦情「田んぼのカエルがうるさくて眠れない」に衝撃』
 「田んぼのカエルの鳴き声がうるさくて眠れない」ーー弊サイト「まいどなニュース」が5月29日朝に配信した、田んぼにいるカエルの鳴き声に近隣住民から苦情が出たという記事に大きな反響が寄せられています。

<獣医師「人間は生物の一員。忘れてしまっているのでは…」>
 「記事を読んで衝撃でした。アマガエルは鳴くものです」。そう話すのは大阪・守口市の夜型動物病院「まねき猫ホスピタル」の院長で、Yahooニュースの公式コメンテーターも務める石井万寿美さん。
 石井さんはまいどなニュースの取材に対し、「私はいま都会に住んでいますが、以前はカエルが鳴くところにも住んでいました。カエルの声をうるさいと感じる人がいることにびっくりしました。そのうち、セミの鳴き声がうるさいから木を切れなどに発展するのかな、とも考えました」と率直な感想を述べました。
 「ネットが発達して、生の体験が少なくなっているせいか、人間が生物の一員だということを忘れてしまっているのでしょうか。生き物の恵で果物ができることも知らないので、ハチが出たら、それも駆除すればいいと思っている人もいるのかもしれません」(石井万寿美さん)
 石井さんはYahooコメントの中で、田んぼに生息するカエルについて、「田んぼはアマガエルにとって重要な産卵場所であり、アマガエルは田んぼの害虫を食べることで稲の生育を助けています。同様に、他のカエルやクモやトンボも田んぼの害虫を捕食し、田んぼの生態系において重要な存在です」と説明。
 「大量の殺虫剤や農薬を使用すると、害虫は減るかもしれませんが、同時にカエルたちやそれを餌にする生き物も減少してしまいます。田んぼからカエルが消えると、他の生き物たちも生きていけなくなるため、バランスを保つためにもカエルの存在は不可欠です。カエルがいるということは、その田んぼがあまり農薬を使用していないことになり、地域の人にとっても安全です」(Yahooコメントより引用)

 29日朝に配信した記事のタイトルは「『カエルの鳴き声がうるさい』田んぼの持ち主に苦情→『理不尽すぎる』『無茶言う人だ』驚きの声広がる」。
 あるツイッターユーザーが、地域住民から田んぼの持ち主への苦情が書かれた張り紙を見つけたという内容です。訴えには「カエルの鳴き声による騒音に毎年悩まされています。鳴き声が煩(うるさ)くて眠ることができず非常に苦痛です」などと書かれていました。
 タイトルの一部、「田んぼの持ち主」「驚きの声」はツイッターのトレンドワードにランクインし、転載されたYahooニュースのページには半日で5千件を超えるコメントがつきました。
 まいどなニュース編集部には読者から「農家の人がカエルを飼ってるわけではないのに」「自然現象に文句を言う人の気持ちが分からない」「カエルがかわいそう」「田んぼのカエルの鳴き声で初夏を感じているのに」など、多数の意見が届いています。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/b1a79820e5c398ac5da95e5b40cc1746158cca80)
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 自宅の周囲はすっかり住宅地になりましたが、以前は周りに田んぼがあり、夏の夜には毎晩カエルの大合唱がありました。幼い頃の私はそれを聞きながら寝入りについたものです。秋には虫の演奏が始まります。様々な虫が異なる音色で演奏します。幼い頃の私の周りは自然の音が溢れていました。今はカエルの声とともに眠ることはありませんが、カエルの声を聞くと昔の思い出が蘇ってきます。
 上記の苦情に似たものは「公園の子どもの声がうるさい」との住民の苦情で公園が閉鎖になった事例もあります。ある保育園では周囲の住民に配慮して、防音壁を設置したところもあります。このような苦情が拡大すれば、やがて「木の梢の音がうるさい。木を切り倒せ」当の苦情が出てくることでしょう。
古来の日本人は自然と共に生き、自然から多くのものを得てきました。現代の日本人はそれを忘れ、自然は人間の生活をじゃまするものと受け取っているのでしょうか。非常に嘆かわしいことです。自然から復讐される前に、今一度、自然との共生とは何かを真剣に考える時がきているようです。

2023年06月04日

#485 カンガルー受難の時代

 大型台風2号が近づいています。この時期に日本に接近するのは珍しいですが、ひょっとしたら週末には九州に接近するかもしれません。その場合、早めの対策が必要となります。また前線が停滞する予報が出ていますので、近いうちに入梅宣言が出されるかもしれません。天気の急変に気をつけたいところです。
 ところで南半球のオーストラリアの話です。オーストラリアと言えば、コアラ、カンガルー(小型カンガルーはワラビーと言います)が有名ですが、近年どちらも受難の時代が続いています。昨年は山火事の影響で数千頭のコアラが焼死しました。動きが遅いので、山火事が発生すると多くのコアラが犠牲になります。一方カンガルーは足が速いので、山火事からは比較的逃げやすいのですが、ここに困った事態が発生しています。カンガルーに関する記事を見つけましたので、転載します。

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『カンガルー、餓死対策で大量殺処分を』
 オーストラリアの生態学者らが、カンガルーの増加を放置すれば「壊滅的」な数の個体が餓死する可能性があるとして、カンガルー産業全体で大規模な殺処分を行うことを提案している。(写真はカンガルーの群れ。豪ニューサウスウェールズ州で)
 カンガルーの個体数は増減のサイクルを繰り返し、餌が豊富な雨期には数千万頭に膨れ上がる。しかし、生態学者のキャサリン・モズビー氏は、餌がなくなれば餓死による大量死が起きると警告する。
 同氏によると前回の干ばつでは、飢えたカンガルーが公衆トイレのトイレットペーパーを食べたり路上で倒れたりした。推定80~90%が死んだ地域もあったという。
 こうした運命からカンガルーを救う最も思いやりのある方法は、銃で撃ち殺すことだとモズビー氏は主張する。
 オーストラリアでカンガルーは保護されているが、最もよく見掛ける種は絶滅の危機にはなく、政府の許可があればほとんどの地区で撃ち殺すことができる。その結果、年間500万頭が食肉やペットフード、皮革産業などで利用されている。
 オーストラリア・カンガルー産業協会のデニス・キング氏によると、2000年代初めの干ばつでカンガルーの個体数は3000万頭以下まで減ったが、今は再び増加傾向にあり、このままでは6000万頭まで回復するのも時間の問題だという。
 豪動物愛護団体アニマルズ・オーストラリアは、オーストラリア固有の動物であるカンガルーが「商業的利益のために殺されている」と非難している。
 だが、カンガルー管理の第一人者であるジョージ・ウィルソン氏は、殺処分して利用することを「倫理に反するという意見もあるが、餓死させることこそ倫理に反する」とAFPに語った。「残酷なのはそういう事態に対して何もしないことだ」
https://www.jiji.com/jc/article?k=20230526044519a&g=afp
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 上記にも書いてありますように、シドニー市内の土産物店ではカンガルーの毛皮の敷物や小物製品を売っています。またスーパーマーケットに行けば、カンガルーの肉も販売しています。カンガルーが増加するのは自然の摂理と思いますが、その数を人間が人為的に調整するのはいかがなものでしょうか。自然界の生き物は自ら生息数を調整します。例えば急激に増えると集団自殺するレミングが挙げられます。カンガルーもおそらく自然の摂理が働いて、何らかの形で数が調整できるのではないかと思います。わざわざ人間がしゃしゃり出て生息数を調整することでもないと思います。もちろん人間を襲ったりすれば話は別ですが。
 このように自然界にはその種の適正個体数が存在します。特定の種が増えすぎますと、その天敵が現れたり、何らかの理由で病気にかかったり、集団自殺のような行動に走ったりします。ただしこの法則に当てはまらない種が1つ存在します。それは人間です。人間だけが唯一科学技術や医学の進歩とともに数を急激に増やしてきました。そして現在80億を突破しました。
 しかし、そのような人間にも人口増加のピークが見えてきたようです。専門家によれば、日本だけでなく先進諸国の出生数が減少し始めています。最大人口の中国が人為的な政策も影響し人口減少に転じており、総人口はインドに抜かれています。また隣国である韓国の出生率は0.7未満となっています。
 この現象をどのように考えるかは人により異なりますが、地球の生命体である種の人間だけが唯一例外であるとは言い難いでしょう。もし人間が知恵を出して意図的に人口抑制をしなければ、新コロのような、さらに致死率の高い病気が猛威を振るって人口を減らすか、大規模な戦争が起こり、人口が半減するような事態が発生するかもしれません。このような予測は誰でも考えられます。
 今後5年、10年で、世界は大きく変貌して行くことでしょうが、私たちが知恵を出し合い、懸命に希望ある将来を描きませんと悲惨な未来が待つことになります。将来の子供たちにこの星を残してあげるために、行動するのはです。

2023年05月28日

#484 デジタルドラッグ

 今週末は久しぶりの晴天に恵まれました。昨日は必要な本を探しに隣接する荒尾市のグリーンランド近くにあるYouMeタウン内の紀伊国屋書店まで自転車で行ってきました。当塾から自転車で50分ほどかかりますが、サイクリング気分で時々出かけます。バスでも行けますが、グリーンランドから歩いて10分以上かかり、バスの待ち時間を考慮すると時間的にはそれほど変わりません。1,2か月に1回程度気分転換に出かけることにしています。福岡市のジュンク堂や紀伊国屋、丸善と比較して圧倒的に書籍数は少ないですが、紀伊国屋荒尾店は英語の書籍に関して大牟田近郊で一番種類や在庫が多く、大牟田市内で入手できないような本が購入できます。
 さて、前回のブログでスマホ中毒に関して述べましたが、その内容が気になっていましたので、著者の川島隆太氏の本(「スマホ依存が脳を傷つける」宝島新書)早速を入手して、彼の主張する意見を考えてみました。この本の前書きに次の一節が記されています。
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 私は脳学者して、さまざまな装置を使って人間の脳活動を測定し、可視化することで、社会に役立つ情報を発信する活動を活動を長年行なってきました。とくに子どもたちの脳がよりよく発達するためには、何が必要かといった研究に力を入れてきました。
 しかし、近年研究の中で子どもたちの脳の発達が「あきらかにおかしい」と思える結果が数多く確認されるようになりました。
 私たちが最初にそのことに気づいたのは、東北大学加齢医学研究所と仙台市教育委員会が共同で行っている「学習意欲の科学的研究に関するプロジェクト」での追跡調査からです。そこで10年間子どもたちの生活習慣と脳の発達を調べて結果、スマホやタブレットをたくさん使う子供たちの学力が妙に低く、また脳の発達に遅れが出ていることがわかりました。
 この衝撃的な結果から、私たちはなんとしてでも、子どもたちの脳を守らなければならないという思いを抱き、スマホなどのデジタル機器、オンラインによる学習やコミュニケーションのリスクについて、複数の書籍や講演などを通して警鐘を鳴らしてきました。(同書p2-3)
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 上記のように著者の危惧が本書のいたる所で見られます。それらを引用するには莫大な量になりますので、目次のみ引用します。

「スマホ依存が脳を傷つける」川島隆太著(宝島新書)
第1章:世の中に蔓延するスマホ中毒
 スマホに生活を乗っ取られていませんか

 デジタルデトックスには相当強い意思が必要
 大人の発達障害、ADHDの増加もスマホのせい
第2章:スマホが脳に及ぼす悪影響
 スマホ漬けで人間の脳は猿になる
 スマホは脳の報酬系回路を刺激し続ける
 オンラインコミュニケーションには心がない
 スマホを使いこなしても脳力は上がらない
第3章:とくに子どもの脳が危ない
 デジタル生活では子どもの脳は育たない
 スマホが子どもたちの脳を破壊している
 こんなスマホ習慣は今すぐやめさせなさい
第4章:スマホ依存がもたらす心身の不調
 誰もが依存してしまう怖さ
 原因不明の心身の不調はスマホを疑え
 スマホが生活習慣病・認知症を増やす
第5章:壊れた脳をどう再生していくか
 「脳が壊れる」とはどういうことか
 人間の脳が持つ素晴らしい能力
 壊れた脳は何歳からでも再生できる
 アメリカで始まった4週間強制プログラム
第6章:川島流、スマホ依存からの離脱方法
 脱スマホをどう始めるか
 ステップ1 スマホ漬けの生活に気づく
 ステップ2 脱スマホルールをつくる
 ステップ3 積極的に脳を使う活動を増やす
第7章:リアルな交流や趣味で脳を元気に
 リアルなコミュニケーションが脳を元気にする
 趣味でワーキングメモリーを鍛える
 体を動かして脳を活性化する
 デフォルトモードオンでひらめく脳をつくる
第8章:スマホのここが気になる!Q&A
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 スマホ・リスクについて関心がある方には必読の1冊と思います。個人的な経験として、ワープロを使いだすと漢字を忘れる傾向が出てきます。このことは大脳皮質があまり働いていないことと関係があります。前回のブログでも述べましたが、ChatGPTやAIに頼り過ぎると、人間の脳は退化することになります。そして支配する者(スマホやプログラムを作る者)と支配される者(一般大衆)の間に深い格差が生じることになります。大衆は刺激を求め、それに邁進し、物事を深く考えなくなります。換言すれば、刹那的な生き方を求めることになります。人間的な生き方を希求する人にとり、人間らしい生き方とは何かを、今一度考える時期に来ています。ちなみに、本日のブログタイトル「デジタルドラッグ」とはデジタル機器に中毒(ドラッグ)になっていることを意味します。第2のルネサンス(人間復興)を起こすのは今です。

2023年05月21日

#483 スマホ中毒

 4月末から3週間ほど週末毎に雨天が続きましたが、やっと本日晴天となりました。そこで午前中は当塾の庭の草取りを行ない、大型ビニール袋3つの分量となりました。油断しますとすぐ雑草が茂ります。冬には枯れてしまいますので、しばらく草取りしなくてもいいのですが、これからは草取りを怠りますと、すぐに雑草林が生じてしまいます。毎年ながら、うんざりする仕事ができてしまいます。晩秋になるまで自然との闘いがしばらく続きます。
 さて、最近何かと話題になる携帯電話・スマホですが、様々な意味で社会に大きな影響を与えています。スマホに関する書籍が10冊以上も出されています。そのような中で、実際どのような影響があるのか具体的に述べている記事がありましたので、かなりの長文ですが、本日はそれを転載します。
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『「節約」どころか時間をドブに捨てている…動画を倍速で見る人の脳に起きている「スマホ中毒」の恐怖』

<スマホはほどほどでやめられないようにつくられている>

 スマホなどのデジタル機器は、生活を補助する道具として長時間使いすぎないようコントロールして利用するならば、大きな問題は起こらないでしょう。しかし、なにごとも過ぎたるは及ばざるがごとしで、やりすぎによってさまざまな弊害が起こるのです。
 「じゃあ、ほどほどでやめればいいのね」と思うかもしれませんが、スマホやタブレットのやっかいなところは、ほどほどにできないようにつくられていることです。
 たとえば、ちょっとスマホで調べものをしようと思ったとき、目的の検索が終わったらすぐにスマホの電源をオフにできますか?
 検索している途中で、気になる動画や別の記事を見つける。そこにLINEのメッセージが飛び込んでくる。そうなると、新しい通知にどんどん気持ちが引き込まれていきませんか?
 そしてあげくの果てには、最初に何を検索していたのかも忘れているでしょう。


<利用しているようでスマホに「利用されている」>

 みなさんは、動画すら、真剣に1本ずっと見続けることができなくなっていることにお気づきでしょうか。YouTubeのような動画共有プラットフォームは、ひとつの動画を見ているあいだもワザと気が散るようにできています。
 なぜなら、コロコロいろいろなところに飛んでもらったほうが、新しい広告がバンバン上がって、チャリンチャリンとお金が入るしくみになっているからです。要するに、ひとつの動画を長時間視聴されてもお金にならないので、気が散って依存しやすいように、みごとにつくられているというわけです。
 スマホを見ている人は、その都度、自分の意思で情報を選択していると思っているかもしれません。しかし、じつは「中の人」に操られている状態なのです。


<現代人の集中力を削ぐ「スイッチング」>

 自分の意思とは関係なく、見ている画面がコロコロ変わり、何かひとつに集中しようとしても、情報の割り込みが入り、注意が別のものにいってしまう。このような行為をくり返し、ひとつのことに集中する時間が極端に短くなる状態を、心理学の世界では「スイッチング」と呼んでいます。
 スイッチングをくり返し行っていると、注意力が散漫になり、集中力がどんどん短くなることがあきらかになっています。
 このことは、じつはスマホが登場するずっと前から指摘されていました。
 大きなきっかけは、1995年にWindows95という、容易にインターネットに接続できる機能を備えたパソコンOSが登場し、メールの着信などがリアルタイムで通知されるようになったことです。ほどなくして、パソコンで調べものやレポート作成をするアメリカの大学生のあいだで、本来やるべき作業を中断し、別のことを始めてしまうという現象が起こり始めました。
 その後、2000年代にFacebook、TwitterなどのSNSが登場すると、情報の割り込みはさらに加速し、学生たちの集中力低下が問題視されるようになりました。
 そこから、アメリカの大学生たちに対する観察研究が始まり、パソコンで宿題をしながらFacebookを使っている学生たちは、学業成績が下がり、睡眠障害やうつの症状が出やすいということも報告されています。


<スマホを持つだけであらゆる能力がダダ下がりする>

 つまり、スイッチングによる悪影響はもう20年以上前から言われていることなのです。明確な悪影響が指摘されているにもかかわらず、デジタル機器は排除されず、よりコンパクトなスマホやタブレット端末に進化して、私たちの生活に浸透し、生活必需品として君臨してしまいました。
 その結果、人の行動がどう変わったかといえば、スマホなどを持っているだけで、いろいろな能力がダダ下がりするようになりました。
 じつは画面を見なくても、スマホを持っているだけで気が散り「成績が下がる」「集中できない」「読解力が落ちる」という心理学的なデータが明確にあります。
 女性の場合はあまりないかもしれませんが、男性はよくスマホをズボンのポケットに入れておくことがあります。そうすると、着信が入っていないにもかかわらずブルブルっと震えたような感覚が起こる人がいます。これは、幻想振動症候群(ファントム・バイブレーション症候群)と呼ばれていますが、そんな錯覚が起こるほど、スマホの通知に脳が過敏になっているのです。


<「パブロフの犬」と化したスマホ依存患者>

 なぜ人は、スマホの通知にここまで敏感に反応し、のめり込んでしまうのでしょうか。それは、LINEなどのインスタントメッセンジャーやSNSがコミュニケーションツールであり、人の気持ちを惹きつけやすく、麻薬的な中毒性、依存性が起こりやすいところに起因します。
 LINEなどでやりとりされる文章は、非常に短く、ときに絵文字やスタンプのみという場合もあります。それゆえ、短時間に多くのやりとりがくり返され、通知が届く回数も多くなります。その行動を続けた結果「通知が来たら見る」という反射ができてしまうのです。
 反射ができると、メッセージなどの内容にかかわらず、通知が来るだけで反応するようになります。やがて、通知が来ないときも「いつ来るかな?」と期待して集中力が散漫になります。
 ロシアの生理学者、イワン・パブロフが、犬にエサを与える直前にブザーを聞かせることをくり返し行ったところ、やがて犬は音を聞いただけで唾液を垂らすようになったという実験の話を聞いたことがある人も多いと思います。
 いわゆる「パブロフの犬」と呼ばれる「条件反射」の実験ですね。それと同じ反射のメカニズムが、みなさんの脳内にできてしまっているということです。


<スマホの通知でもドーパミンが放出される>

 しかも、この反射は予測がはずれたときに、より強化される場合があります。たとえば、「どうせ広告の通知だろう」と思ってスマホを見たら、恋人や片思いの相手からのメッセージだったといった場合です。これは、非常にうれしいし、ドキドキするでしょう。
 このように期待していなかったよいことが起こると、脳の深い部分にある報酬系回路が強く刺激され、ドーパミンが放出されます。
 ドーパミンは快楽や幸福感をもたらす神経伝達物質です。人がイキイキと意欲的に生活するうえで欠かせないホルモンのひとつですが、大量放出によって依存症を引き起こす場合もあるのです。
 たとえば、競馬やパチンコなどのギャンブルで大当たりを出すと、大量のドーパミンが放出され、快楽を感じます。そして、またこの喜びを味わいたいという気持ちから、どんどんギャンブルにハマりギャンブル依存症になるといった具合です。
 ほかにもドーパミンを活発にする作用があるものとして、アルコールや薬物があげられます。そしてスマホも、これらと同じメカニズムで依存症を引き起こすのです。


<カナダ人の成人の2割は「金魚と同じ集中力」>

 常に通知が気になり、ソワソワしていたら、生活面でいろいろなパフォーマンスが落ちるであろうことは容易に想像できるでしょう。
 とくに、スマホにかかわればかかわるほど、集中力はどんどん落ちていきます。
 みなさんは、「スマホを見ているときは集中している」と思っているかもしれませんね。しかし、スマホを見ながらも、結局はアプリのスイッチングを頻繁に行っており、まったく集中できていないのです。
 カナダのマイクロソフトが2015年に調査した結果によれば、カナダ人の成人のうち2割が、わずか10秒しか集中できず、「金魚などと同レベルの集中力」であることがあきらかになりました。マイクロソフトは、そのおもな原因をICT(情報通信技術)やソーシャルメディアの活用によるものと結論づけました。
 しかしこれは「ICTやソーシャルメディアと適度な距離を置こう」といった啓発のために発表されたものではありません。恐ろしいことに、マーケティング戦略向けのプロモーションに使用されたデータなのです。要するに、「現代人は集中力がないので、ネット広告は10秒以内でつくりましょう」と企業などに指南しているわけです。まったく「不都合な真実」と言わざるを得ません。
 気が散って集中力がなくなると、ひとつのことにじっくり取り組む忍耐力がなくなります。その結果、学校の授業や人の話をじっと聞いていられないといった行動があらわれます。


<「倍速で動画を見る人」は等速で見るだけの集中力がない>

 最近は、時間の節約と称して動画の倍速視聴をされる方もいるようですが、じつはこれも集中力が衰えているサインです。
 「等速ではダラダラして見ていられない」「倍速のほうが集中できる」という人は、倍速にしないと集中できないほど、集中力が落ちていると思ってください。
 心理学的にみると、動画を倍速で見るという行為自体には大きな問題は起こりません。ただし、見たコンテンツはほぼ記憶に残らず、倍速で見るくらいなら見ないで別のことをしたほうがましです。要は、時間の節約ではなく、時間の無駄です。
 新型コロナウイルス感染症の流行以降、大学でもビデオ講義が増えました。それを倍速で見ている学生もいると聞くと、やるせない気持ちになります。それで「効率よく勉強している」とでも思っているのでしょうか?
 また、最近は「本の要約動画」なども流行っているようですね。しかし、本を読まずに、要約した動画を見るなんてことも、胸を張って言わないほうがいいでしょう。「活字を読むのがつらい。でも動画やテレビなら見られる」って、それは2歳、3歳の幼児と同じということですよ。
( 川島 隆太(かわしま・りゅうた) 東北大学加齢医学研究所教授)

https://president.jp/articles/-/69035

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 上記の記事が事実であるとすれば、スマホを持つ人は十分注意する必要があります。確かにバスや電車の中でスマホをいじる人の多さに驚かされます。また歩きスマホなど注意散漫で歩く人も散見されます。スマホは便利な道具ですが、老若男女に関わらず心を完全に占領されるような害悪もあります。それを認識してスマホを利用したいものです。えっ、私ですか?私はまだガラケーです(笑)!

2023年05月14日

$482 Take Time

 今日は5月7日、ゴールデンウィーク最終日です。今年の5月連休は5連休または9連休を多くの人が楽しみました。コロナ終了に伴い、国内外を問わず多くの人が旅行を楽しんだようです。中には3年ぶりに帰省し、田舎の生活を親しんだ方もいます。しかし、今年の連休は毎日雨天で、行楽地に出かけた人は雨対策が必要だったことでしょう。ここ大牟田でも4日から雨が降り始め、昨日からは断続的に大雨が降り続いています。皮肉にも明日からしばらく晴天が続くようですが、せめて数日間は連休中に晴れて欲しかったと思います。
 いよいよ明日からまた忙しい日常生活が始まります。7月まで祝祭日がありませんので、およそ2か月間梅雨を挟んで普段の日常生活が続きます。ストレスを溜めないように、適度にリラックスしながら仕事に勉強に頑張りましょう。
 さて、今日のブログ・タイトルですが、「Take Time」 とは私がずいぶん以前に福岡雙葉学園の母体である「幼きイエス」修道会のシスターから頂いた詩篇のタイトルです。当塾の教室の壁に飾っているのですが、時々何気なく目にしています。ところがその詩篇を昨日じっくりと読み直してみますと、そこに真理が隠されているのに気づかされましたので、ここにご紹介します。

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Take Time 時間をかけなさい

 

Take time to think, 時間をかけて考えなさい
it is the source of power. それは力の源(みなもと)である

Take time to play, 時間をかけて楽しみなさい
it is the secret of perpetual youth. それは永遠の若さの秘訣である

Take time to read, 時間をかけて本を読みなさい
it is the foundation of knowledge. それは知識の基(もと)である。

Take to to pray, 時間をかけて祈りなさい
it is the greatest power on earth. それは地上における最大の力である

Take time to love and be loved, 時間をかけて愛し、愛されなさい
it is the sacrament of life. それは人生の秘跡(恩恵)である

Take time to be friendly, 時間をかけて人に優しくしなさい
it is the road to happiness. それは幸福への道である

Take time to laugh, 時間をかけて笑いなさい

it is the music of the soul. それは心の音楽である


Take time to give, 時間をかけて人に与えなさい
it is too short a day to be selfish. それは一日は短すぎて、さもしくなれないことである

Take time to work, 時間をかけて働きなさい
it is the price of success. それは成功への代償である

Take time to do charity, 時間をかけて慈善活動をしなさい
it is the key to heaven それは天国への鍵である
(日本語訳は拙訳です)
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 上記の詩篇の出典をネットで調べてみましたが、作者不詳とあります。おそらく誰か(何か)の祈りの言葉を参照したものと考えられます。私たちは日常生活をあまりにも慌ただしく過ごし、まるでロボットのように単調に毎日を繰り返します。気づいた時にはすでに遅く、人生の黄昏に一人佇んでいます。そうならないように、一度立ち止まり、今までの人生を時間をかけて振り返り、今後の生き方を考えるのも一考でしょう。
 全く同じ人生はありません。各自にふさわしい人生を私たちは歩んでいるのです。雨の一日にふと考えてみました。

2023年05月07日

#481 週休3日制

 昨日からゴールデンウィークが始まり、5月1日、2日を休みますと9連休になります。またコロナが落ち着きを見せており、行楽地はコロナ前の賑わいを見せています。さらに海外からの観光客も増えており、特に東京の宿泊施設は予約が取れない状況が続いています。旅行業界にとって嬉しいことですが、オーバーツーリング(観光客の増えすぎ)の懸念もあります。観光客の異常な増加もそこで暮らしている地元の人々にとっては考えものです。
 ところで、最近話題になっているのは「週休3日制」の導入です。ひと昔の日本では考えられなかったことですが、公務員を中心に真剣に導入を考慮しているようです。その一因として人口の減少により、自治体や民間企業で必要な人員の採用不足があるようです。そのような状況下で1年前の記事ですがDIAMOND online に面白い記事がありましたので、かなりの長文ですが転載します。
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『週休3日制が定着したら「損する人」も、得する人との運命を分けるものは?』
<「週休3日制」で日本の生活は良くなるのか?>
 4月18日にパナソニックホールディングスが、2022年度内に週休3日制の試験導入を開始すると発表しました。欧州企業では導入が目立つ週休3日制ですが、いよいよ日本でも本格的に取り入れられることになるのでしょうか。
 すでに日本の大手企業では昨年、みずほフィナンシャルグループが週休3~4日の社員制度を導入したほか、複数の大企業でも導入の動きがあります。一方で「試験的」や「業務によって」といった制限がある企業が多く、企業内のすべての職場が週休3日になるイメージがまだ湧かないという意見もあります。
 海外の事例を見ると、週休3日制を本格導入するやり方には2通りあるようです。一つは1日の労働時間が同じで単純に週4日勤務になる方式で、要するにフルタイム勤務では週40時間から32時間に業務時間が減る形です。
 もう一つが、1日の労働時間を10時間に増やしたうえで週休3日にするケースです。8時間労働で週5日働く場合と、10時間労働で週4日働く場合のどちらも、1週間の労働時間は変わらず40時間になります。さて、週休3日制の導入と聞くと、一般的に次の三つの心配が頭をよぎるようです。

   (1)そもそも、そんな働き方が自分の職場で成立するのか?
   (2)仕事が今よりも大変になるのではないか?
   (3)週休3日になることで、収入が今よりも減るのではないか?

 週休3日制が導入されると、わたしたちの生活は今よりも良くなるのでしょうか? それとも、上記の不安が現実化する悪夢が待っているのでしょうか? 今回はそのことについて考察してみたいと思います。
 ちなみに先に私の見立てをお伝えしておくと、一部の懸念は悪い方に現実化すると思いますが、日本人にとっては良い結果になることも多いのがこの週休3日制だと考えます。

<週休3日制で追い詰められるのは部下ではなく、実は上司>
 さて私が知っている欧州の会社の場合、週休3日制で週40時間労働に切り替えたことで、朝7時に勤務開始時間が早まって退社時刻はこれまでと変わらない形になりました。この方式だと、冬の場合まだ周囲が暗いうちから社内会議が始まることになります。しかし、やってみた本人から見ると、一日10時間勤務自体はそれほど負担ではないと言います。
 私が聞いた話をまとめると、これまでと勤務時間は変わらない。ただ全体的に生産性は良くなったというのです。
 理由は二つあって、一つは週末に子どもや家族、友人などと過ごせる日が1日増えたことで精神面のゆとりができたことと、会社全体で無駄な仕事を減らす方向に力学が働くことになったからだといいます。
 前者は分かります。後者について補足すると、要するに週4日で業務を終わらせなければならない状況から、残業のマージン(余地)のようなものが減ったそうです。そのため、一人一人が生産性をより強く意識するようになったということらしいです。
 この話は、1番目の「そもそもうちの職場でそんな働き方が成立するか?」という疑問への答えにもなっています。
 無駄な会議が多く、だらだらと働く人が多い職場。そのうえ、上司が部下が残業を断れないのを前提に仕事を振って、「明日の朝までにこの資料仕上げておいて」みたいに無茶な指示を出す職場なら、週休3日制など一見導入できないかもしれないと最初は思うでしょう。
 しかし、週休3日制を会社が導入すると決めると、実は追い詰められるのは上司の側です。「少ない時間で同じ量の業務をどのように終わらせるか」を考えなければいけないのは上司だからです。すると、無駄な会議を続けていたり、手戻りが起きたりするような無茶な指示をなるべく出さないようにしなければいけなくなる。
 結果的にそれが働き方改革を促す圧力になるという点で、「そもそも週休3日なんて成立しない」と思える会社でも制度を変える意味は出てくるようです。

<日本人は世界と比べて長く働き、生産性が低い>
 このように週休3日制を働き方改革と一体で捉えると、そもそもの問題点も見えてきます。OECDが公表している先進国同士の労働時間の横比較(2020年調査)を見ると、日本人男性の1週間の労働時間は53時間と他の国よりも飛び抜けて多いことが分かります。
 冒頭で「1日8時間で5日間働くと週40時間労働」という話をしましたが、先進国はおおむね、この水準よりも少ない労働時間に収まっています。アメリカが週37時間、ドイツが週34時間、フランスが週27時間という具合です。
 ちなみに、「なぜ男性の労働時間で比較するの?」という疑問が湧くかもしれません。実はわが国では男女の間で労働環境に大きな差があります。統計を取ると女性のパート比率が非常に高く、そのうえ税法や社会保障制度に起因する「103万円の壁」や「130万円の壁」が存在するせいで、女性の労働時間が欧米よりもずっと短くなるのです。
 そのことで結果として、男女平均を取るとOECD加盟国間の横比較でもそれほど恥ずかしい数字にならなくなるというからくりがあるので、男性だけの労働時間を比較しないと日本のフルタイム従業員の労働環境の実態が見えてこないのです。
 そして、週当たりの労働時間の逆数をとると、今度は加盟国間の生産性の違いが見えてきます。アメリカは日本よりも労働生産性が1.4倍高い、ドイツは1.6倍高い、フランスは1.9倍高いということが数字から見えるのです。仕事に勤勉なドイツ人が日本よりも1.6倍生産性が高いという数字に、日本人は大いに反省すべきでしょう。

<日本が週休3日制に踏み切るには「外圧」が必要>
 このOECDの横比較から、日本企業は生産性を上げる余地がまだかなりあるということが分かります。背景として、日本にはそもそも無駄な会議や無駄な仕事に問題意識を持たない社会文化があります。さらに、デジタルに疎い経営者や管理職が多いという実態もある。これらを打破するには、制度そのものを変えていかなければならないという制約があります。だからこそ、状況を変えるには外圧が有効です。
 コロナ禍で日本企業が一斉にリモートワークを導入できたのはこの外圧で、もしコロナがなければ今でもほとんどの企業では管理職が、「zoom会議? だめだめそんなもの。会議は会議室でやるものだ」と主張していたことでしょう。日本政府や経団連のような組織が「週休3日制に踏み切る」と圧力をかければ、各企業も真剣に週休3日が成立できるように頭をひねらなければならなくなります。週休3日制が外圧になれば、日本の職場は変わらざるをえないのです。
<のんびり働いていた企業は仕事内容が厳しくなる>
 さて、ここまでは良いことばかりですが、不安も残ります。そしてそれらの不安の一部は現実化するでしょう。
 まず2番目の懸念ですが、これまでのんびりと仕事ができていた企業では、生産性が上がることで仕事の内容が厳しくなる可能性があります。
 古い話なのでできれば笑い話として聞いていただきたいのですが、1987年にJRが誕生した当時、JRの社員の方が、「いやあ大変です。国鉄時代の3倍も働いていますよ」とおっしゃっていました。しかし、コンサルが調べてみたら、民営化後も私鉄とは生産性が倍違っていた。本当は6倍忙しくなる余地があったのに、大組織の内部にいるとそれに気づかないものです。
 週休3日制導入の裏の効果が生産性向上であるとすれば、当然、業務が効率化していく方向に力が働きます。会議の出席者数は本来必要な人だけに減るでしょうし、無駄な書類は作らないようになるわけです。
 それは会社にとっては良いことなのですが、実はこれまで無駄な会議で発言もせずに座っていることが許されていた人は、「会議に出ずに他の仕事をちゃんとしろ」と命令されることになるわけで、当然仕事は以前よりもきつくなります。つまり、組織全体で「なんとか週4日間働いて家に帰ろう」とする未来では、当然のように今よりも仕事の密度は上がるのです。

<週休3日制で「収入減の未来」がやってくるかもしれない理由>
 もうひとつの懸念が「週休3日制だと収入が減るのではないか?」というものですが、これも実は懸念通りの未来がやってくる可能性があります。そもそもの世界経済の大問題として、AIが進化することでDXが進み、人間のすべき仕事が減少していくという未来予測が存在します。
 これは経済学的には、ある会社での仕事は減るだろうけれども、イノベーションが起きることで別の産業が勃興してそちらで新しい仕事が生まれると説明されます。しかしそれを労働という側面で見れば、既存の勤務先では仕事が減るので、他の副業を見つけなければいけない未来がやってくることを意味します。
 日本の労働法規では、一度雇用した正社員はクビにすることができません。多くの大企業が中高年の社員をリストラしたほうが利益は上がると分かっていても、会社が傾かない限りはそこに踏み込めないのは法律の壁があるからです。
 ところが、勤務時間を減らすだけなら実質的なリストラ効果が生まれる可能性があります。これまで週40時間働いていた正社員の勤務時間の定義を、週32時間に変更することで給与水準を20%カットできる可能性が出てくるわけです。
 このあたりの議論はこの先、どのような法律にすべきかが国会でも議論されていくことでしょう。ただ企業の競争力ということを考えると、この問題についてはある程度、大企業側の要望を社会は受け入れざるをえないのではないでしょうか。
 最後に、一部の日本人にとっては都合が悪い話をして終わりましょう。実はOECDの労働時間比較には、家事にどれだけ時間を費やしているのかの横比較も存在しています。日本人男性の場合、会社で勤務する時間が長すぎる関係で、先進国の比較で見ると圧倒的に家事を手伝っていない傾向が見られます。
 もし週休3日制が定着すると、もうそんなことは許されないでしょう。「家事は家族で分担する仕事」という、当たり前の未来も到来する。それが週休3日制の日本社会に対する一番の貢献になるのかもしれません。
https://diamond.jp/articles/-/302449
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 日本人にとって「週休3日制」は「働くとは何か」という命題を提起させる内容です。欧米社会では「労働」は生活費を稼ぐための手段であり、「労働時間は短く、収入は多く」が当然です。しかし従来の日本人は「仕事を通して自己研磨する」という考えがあり、ただ収入を得るだけでなく、仕事を通して自分を磨く意味合いがあります。
 そこに日本人の勤勉な性格が表れていますが、日本が欧米社会のようにバカンス中心の世の中になれば、今以上に生産性が低下し、ますます先進諸国から取り残されて、さらに貧困国になり下がってしまうでしょう。
 果たして「週休3日制」が日本社会にふさわしいか否かは私たちにとって大きな課題となるでしょう。政府もリスキリング(副業のための技能を身につけること)を提唱し始めていますが、「週休3日制」への布石だと考えざるを得ません。企業側も副業を認めることで、「週休3日制」を導入しながら、従業員の賃金を抑制できるので、一石二鳥となるのではと危惧します。「週休3日制」がこの国に必要か否かは国民全体のコンセンサス(同意)が必要となることでしょう。

2023年04月30日

#480 ¥に注意しましょう

 四月も下旬となり、快適な日々が続いています。ほんの数日前までは真夏のような気温が続いていましたが、ようやくこの季節らしい爽やかな気候となってきました。各地で様々な春の花々が咲き乱れ、特に藤の満開が人々の関心を呼んでいます。
 さて、とんでもない案件が生じています。私もよく通販で本や生活必要品を購入しますが、当然代金は日本円で払います。ところが、この日本円¥が誤解を招いているのです。最近生じた¥の誤解に次のようなものがあります。
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『その「¥」表示は本当に日本円?国民生活センターが注意喚起』
買い物をする時に通販サイトを利用する機会は増えています。しかし、トラブルも……。国民生活センターは4月19日、「その『¥』表示は本当に日本円の表示ですか?-通貨をよく確認しないと約20倍の価格になってしまうため要注意!!」と発表。公式Twitterでも注意喚起を行っています。

<日本円、中華人民元ともに通貨記号が「¥」>
 国民生活センターの発表によると、欧文の文字を美しく書く技法であるカリグラフィーのガイドブックなどを「Calli-Calli」という通販サイトで、「『¥』表示を見てクレジットカード決済で申し込んだところ、日本円(JPY)ではなく中国人民元(CNY)で決済。「約20倍の価格で購入したことになっていた」という相談が複数寄せられているそうです。
 そこで問題の通販サイトを国民生活センターが確認したところ、「消費者が画像共有SNS上の広告を見て、通販サイトで申し込みを完了するまで」の画面では、「¥」表示が中国人民元(CNY)であるとの注意書きなどは確認できなかったといいます。この通販サイトは日本語で表示されているため、「日本の消費者が『¥』表示を日本円(JPY)であると誤認して申し込んでしまう」と結論づけています。

<問題点は4つ>
 国民生活センターが挙げる今回の問題点は4つ。まずは「『¥』表示が中国人民元(CNY)であることがわかりにくい」。次に「消費者が契約の取消しを主張しても販売業者から返信が無く、代金も返金されない」こと。「通販サイトに販売業者の名称や住所、電話番号などが表示されていない」ため、「当該販売業者と連絡が取れない」ことが挙げられています。

<カード会社に相談も>
 消費者へのアドバイスとしては、「『¥』表示が日本円(JPY)なのか、中国人民元(CNY)なのか、通販サイトを隅々まで確認する」こと。そして、「販売業者との交渉による解決が困難な場合はクレジットカード会社に相談する」ことを紹介しています。
 最後に「不安に思った場合や、トラブルが生じた場合は、すぐに最寄りの消費生活センター等へ相談しましょう」と呼びかけています。公式Twitterでは「困った時は、消費者ホットライン『188』に電話!」と紹介しています。

<「calli-calli」のサイトを検索してみた>
 実際のところどういう表記がされているのか、編集部のパソコンで検索してみました。するとパソコンに入れていたセキュリティソフトの警告が表示され、検索結果の一覧では「このウェブサイトは危険です」の表記。そして検索結果を開いてみると、「お待ちください。このウェブサイトは危険です これはフィッシングサイトです。機密情報(パスワード、クレジットカード番号など)を盗もうとする偽サイトです。サイトを完全に回避することをおすすめします」というより強い警告表示が。
 すでにセキュリティソフト側では対策しているようなので、記者が使用しているソフトに限らず対策ソフトを導入している人には同じように警告が出る可能性があります。なお、さらに調べたところ問題のサイトはすでに消えているもよう。
 消えているのだから一安心、と言いたいところですがこの手のサイトは「消えては誕生」を繰り返すもの。違う名前で新たにできる可能性が高く、引き続きのさらなる警戒が必要です。
https://otakei.otakuma.net/archives/2023042006.html)
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 ここまで巧妙な罠が仕掛けてあるとは困ったものです。特にメルカリなどのサイトで購入する場合には充分注意する必要があります。また通販で代金を払ったにもかかわらず商品が送ってこなかったり、表示とは全く異なるものが送ってきたりする案件も生じています。確かにネット通販は便利ですが、その利用は慎重に行なう必要があります。「オレオレ詐欺」のように悪い輩は次々悪知恵を絞って新たな罠を仕掛けてきます。充分注意しなければなりません。

2023年04月23日

#479 大谷翔平への公開状

 プロ野球の開幕が始まり2週間ほど経ちましたが、地元ソフトバンクホークスはしっかり首位をキープしています。昨年度は最終戦で優勝を逃しましたが、今年こそはリーグ優勝を果たしてもらいたいものです。またアメリカでもWBCで大活躍した大谷翔平選手が投打に活躍しています。今年はFAのうわさですでに話題沸騰しています。そんな中、ラブレターとも言えるような公開状がレッドソックスから出されました。大谷選手はこの手紙にどう対処するのでしょうか。
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『レッドソックス担当記者が大谷翔平に異例の公開レター「ボストンの子供たちを笑顔にしてください」』
 ボストングローブ紙のピーター・エイブラハム記者が15日(日本時間16日)エンゼルスの大谷翔平宛てに「ボストンの環境は完ぺきで、もう一人の二刀流を迎え入れる準備ができている。FAになったらぜひレッドソックスに来て、子供たちを笑顔にしてください」と異例の公開状を送っている。
 公開状/OPEN LETTERとは、多くの第三者に読まれることを意図した手紙だ。「親愛なる翔平へ」に始まり、現在ボストン滞在中の大谷に「ボストンでの週末を楽しんでください。4月の天候は良く、東海岸のアナハイムです。あなたはオフにフリーエージェントの資格を得ますが、ボストンはホームと呼ぶのに素晴らしい場所。想像してみてください、フェンウェイパークで大谷翔平がプレーする。最高の野球場に最高の野球選手です」と続けた。
 レッドソックスは大谷が高校を卒業する12年も、メジャーに移籍する17年も熱心に勧誘したが、獲得できなかった。「あなたが目を通したかどうかはわかりませんが、(17年)レッドソックスは代理人を通して二刀流としての育成プランを詳細に記した計画書を送り、レッドソックス時代二刀流だったベーブ・ルースと比較しています。ヤンキースはルースに投げさせませんでした。先日、アレックス・コーラ監督はあなたをどう起用するかを書いたEメールを(6年経った)今でもキープしていると話していました。それくらいコーラ監督はあなたを使ってみたいと思っていた。あなたのWBC決勝戦での活躍にも印象付けられています。“世界中のすべてのアスリートに敬意を表した上で、大谷翔平こそが最高のアスリートだ。彼のやっていることはすごい”と話していました」
 加えて、大谷の「勝ちたい」という願望にも訴えかける。「レッドソックスは2018年以降世界一になっていません。ボストンのスポーツファンにとっては苦しい干ばつです。4歳の子供は優勝したシーズンにはまだ生まれていなかった。かわいそうな子供たちについて考えてあげてください。彼らには優勝パレードが必要。あなたは彼らを笑顔にできます」。そしてお金。ハイム・ブルーム編成本部長はザンダー・ボガーツなど高給の選手を引き留められなかったことで、地元ファンの袋叩きにあっているが。「お金はあります。ブルーム編成本部長が高給の選手を外していったおかげで、24年シーズンはぜいたく税の基準額まで1億ドルも余裕があります。好きなだけ取ってください。あなたの努力のたまものです」とした。最後は「記者会見で空港での迎えが必要ならお知らせください」と結んでいる。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/04/16/kiji/20230416s00001007148000c.html
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 大谷選手ほど日米ともに毎日話題に上る選手はいないでしょう。確かにイチロー選手は偉大な選手でしたが、大谷選手は二刀流で、ベーブ・ルースさえも成し遂げなかった業績をすでに達成しています。(1918年ベーブ・ルース(当時レッドソックス)以来104年ぶりの2桁勝利&2桁本塁打に到達。さらに“本塁打と奪三振”では、ルースも寄せ付けない前人未踏の記録をマークした。)
 そのような大谷選手がラブレターと言えるような公開状をもらったことは野球選手冥利に尽きるといっても過言ではないでしょう。彼がどのような記録を立てて今シーズンを終えるかによって、果たして何球団が大谷選手のFAを受け入れてくれるか今年の一大事です。願わくは体を十分いたわり、ベストの状態でいろいろな記録を打ち立て、最高の状態で今シーズンを終えてもらいたいと思います。様々な意味で彼は日本の誇りです。

2023年04月16日

#478 高木ブー

 1970年代から90年代にかけて国民的人気のあったドリフターズですが、「8時だよ全員集合」や「ドリフの大爆笑」は今でもBS放送やスカパーなどで放送されています。特に「全員集合」では視聴率が50%を超えるお化け番組となり、当時一世を風靡しました。マンネリ化と言われつつも、多くの伝説を作ったコミック・バンドです。メンバーが次々に他界し、今では加藤茶と高木ブーのみが存命しています。その高木ブーさんが今年90歳を迎えました。ドリフターズ時代では演技が下手だとか、セリフが少ないとかマイナスのイメージが多かったのですが、彼がいなければドリフターズのイメージは半減したことでしょう。その高木ブーさんが最近次のようなコメントを語っていますのでご紹介します。
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『高木ブーが語る「90歳の野望」と「ドリフ第5の男への誇り」』
 ザ・ドリフターズ歴59年、ウクレレ歴75年、雷様歴38年……。2023年3月に90歳を迎えた高木ブーは、今も現役のウクレレ奏者&コメディアンとして大活躍している。画集や自叙伝が続けて発売されるなど、ますます元気いっぱいのブーさんに「90歳の野望」を聞いた。(聞き手・石原壮一郎)

──卒寿おめでとうございます。90歳になったお気持ちは?
 気がついたらいつの間にかなってた感じかな。90歳になっても、ステージでウクレレを弾いたりテレビでコントをできたりしているのはありがたいよね。不健康そうに見えるかもしれないけど、2ヵ月ごとに受けてる健康診断では、いつもお医者さんに「どの数値も素晴らしいです」とホメてもらってます。ホント、どういうことなのかな。
 ただ、なる前は89歳も90歳もたいして変わらないだろうと思ってたんだけど、そこはちょっと違ってた。「よし、またここからがんばるぞ」っていう初心に帰るみたいな感覚があった。といっても、ことさら肩に力が入るわけじゃなくて、今までと同じように、自分にできることを無理せずやっていくだけなんだけどね。

──ザ・ドリフターズは加藤茶さんと2人になりました。
 寂しいけど、こればっかりはしょうがない。加藤とも「俺たちががんばらなきゃな」と話してるんだけど、ドリフの魅力やコントの文化を伝えていくのは、自分たちの役割だと思ってます。ただ、加藤と僕の後ろには、長さん、荒井さん、志村、仲本の4人がついてくれている。今も一緒にやってるつもりなんだよね。
 仲本がいなくなったあと、とうとう雷様も終わりかなと思ってたら、加藤が「雷様は続けたほうがいい。俺も手伝うから」って言ってくれた。お正月の特番『ドリフに大挑戦』では、ハゲヅラをして丸眼鏡をかけた青い雷様になってくれた。嬉しかったな。僕が雷様を大事にしているのを見てくれてたんだね。

──ドリフに入る前から、ミュージシャンとして長く活躍なさっていた。
 活躍って言うと大げさだけど、高校時代からウクレレに夢中になって、大学生活もバンド一色で、そのままプロになっちゃった。「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」っていうバンドを結成して、毎日のように関東の米軍キャンプを回ってました。立川の米軍の飛行場から軍用機に乗って、台湾やフィリピン、返還前の沖縄の米軍キャンプを回る「ワールドツアー」にも何度か行ったな。よく揺れたし椅子も硬くて、お尻が痛かったのを覚えてる。
 その後、音楽の流行りに合わせて新しいバンドを結成したり、ジェリー藤尾さんのバンドに入ったり。20代は試行錯誤の連続だった。でも楽しかったな。ちなみに、ジェリーさんのバンドにオーディションを受けて入ってきたのが、仲本興喜(仲本工事)です。

──『8時だョ!全員集合』のコントでは、失礼ながら「なにもしない人」という印象でしたが、ご自身としての思いは?
 ハハハ。そうだよね。でも僕は「ウケないことが高木ブーの存在意義」だったと思ってます。ドリフの最大の武器であり特徴は「5人いる」ということ。たとえば探検隊のコントで、隊長に言われてロープにつかまりながら川を越える場面でも、僕がどうにかうまくいって、仲本があっさり成功する。そのあとで加藤や志村がヘンなことをしたり失敗したりするから、大きな笑いになる。違う個性の5人がいるから立体的な話になるんだよね。
 最初から加藤や志村が出てきて失敗しても、きっとあんまり面白くない。逆に、僕や仲本がヘンにウケるようなことをしたら、そのあとで加藤や志村がウケても、コント全体の面白さとしてはイマイチになっちゃう。高木ブーはウケちゃいけない。
「なにもしない人」というのも、僕にとってはホメ言葉です。さっきの探検隊の話だと、意外に難しいのが、自分が先に川を渡り終えた後にどうしているか。ただ突っ立ってちゃダメだし、目立つのはもっとダメ。たとえば志村が川に落っこちたら、ちゃんと驚いたリアクションを取る。でも、けっしてお客さんの目を自分に向けさせちゃいけない。
 今でも覚えてるのが、長さんと藤山寛美さんの「松竹新喜劇」を見に行ったときのこと。隣りに座った長さんに「いいか、ブーたん、主役ばっかり見てるんじゃないぞ。見なきゃいけないのは、脇の役者がどういう動きをしてるかだ」と言われた。僕はドリフでは「第5の男」だけど、その役割に誇りを持ってます。

──80代後半からますます活躍の幅が広がっている。いくつになっても元気で、長く仕事を続けることができている秘訣は?
 どうなのかな、自分ではよくわからないけど、のし上がってやるという野心とかがなくて、流れに身を任せてきたのがよかったのかもしれない。子どものころからだけど、目標を決めて突き進んでいくというよりは、楽しそうなことに飛びついたり、誰かに「いっしょにやろう」と声をかけられてついていったりということの連続だった。
 人生は、思い通りにいくわけじゃない。僕も子どもの頃は空襲で家が燃えて何もかも失ったし、大人になってからも最愛の妻の喜代子さんを58歳の若さで亡くした。ドリフのメンバーとの悲しい別れもあった。だけど、そのときの自分にできることをしながら、前を向いて歩いて行くしかないんだよね。そうすれば何かに出会えるし何かが始まる。

──今年の2月にはハワイのフェスで演奏し、3月には2冊目の画集『高木ブー画集RETURNS ドリフターズよ永遠に』、つい先ごろは自叙伝『アロハ 90歳の僕 ゆっくり、のんびり生きましょう』も発売された。90代に向けての野望は?
 僕の夢は、100歳まで現役を続けること。ウクレレ奏者としては、サザンの関口和之君や荻野目洋子ちゃんや野村義男君たちと一緒にやってる「1933ウクレレオールスターズ」の活動に、引き続き力を入れていきたい。去年は関口君に『パパの手』っていう久々の新曲も作ってもらったしね。
 ドリフの高木ブーとしては、加藤とふたりで力を合わせて、若い人たちに「ドリフ」をどんどん伝えていきたい。画集も自叙伝も、僕がどうのじゃなくて、たくさんの人がドリフのことを思い出してくれたらいいなと思って出した。親御さんと読んで、テレビの前でドリフを見て一緒に笑っていた頃を思い出してもらえたら最高に嬉しい。
 そうだ、孫のコタロウの結婚式でお祝いの歌を演奏するっていう夢もある。この春から大学生だから、僕が100歳まで元気ならあり得なくはないよね。なんてことを考えながら、これからもゆらゆらと流されていきます。90代の高木ブーも、よろしくお願いします。
https://www.news-postseven.com/archives/20230409_1857729.html?DETAIL
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 高木ブーさんによると、欲がないのが長生きの秘訣だそうです。日本の芸能史上、「8時だよ全員集合」のような大道具・小道具に満ちた舞台設定は莫大な経費が掛かり、現在では無理です。当時でもワンステージで費用が200万から500万円かかったと言われています。CGがなかった当時はすべて生放送で、ステージを車が走り回ったり、滝の場面で水が天井から噴き出したりするシーンは特筆すべきものでした。
 ドリフターズに興味がある方は「ドリフターズとその時代」(笹山敬輔:文春新書)の一読をお勧めします。ドリフターズの結成から解散までをその時代とともに詳しく解説しています。最近の芸能人は大半が小粒で、学芸会のような小芸で大衆受けを狙うものばかりです。ドリフターズのような偉大なコミック・グループはもう二度と登場しないでしょう。

2023年04月09日

#477 新年度スタート!

 令和5年度が始まりました。昨日は福岡大学の入学式が行われ、4千人以上の新入生が保護者ととも入学式に参加するニュースが流れてました。西南学院大学は3日、九州大学は5日に入学式が行われます。また多くの小・中・高校では7日が始業式になっているようです。各学校ではもうすぐ生徒たちの活気が戻ってきます。文科省によりますと、4月1日より学校内ではマスクを外すように各学校に通達していますので、多くの生徒たちが久しぶりにマスクなしで授業を受けることになりそうです。
 当塾でも嬉しいニュースがあります。高1から3年間当塾に通っていた塾生が1浪の末に熊本大学に合格しました。1年間の努力の結果が見事に結実しました。また高2の夏から当塾で学んでいた女子生徒がいますが、彼女は大学生になっても当塾でTOEICを勉強していましたが、得点が800点を超えるほどになりました。彼女は通算5年半ほど当塾で過ごしたことになりますが、就職も無事に公務員職に合格し、4月3日に社会人としての一歩を踏み出します。二人の塾生の前途を心より祝福したいと思います。
 さて、嬉しいニュースばかりではありません。これまでも多くの品目で値上がりが実施されてきましたが、4月1日よりさらに数千項目の商品で値上がりが実施されました。確かにスーパーなどでは乳製品やインスタント製品を中心に、従来よりも20円~30円ほどの高い価格となっています。例えばブルガリアヨーグルト1カップは100円ほどでしたが、現在180円ほどの価格になっています。一般の会社員は春闘の結果、多少給与が上がるようですが、中小企業や零細企業では昇給を決断している企業は半数ほどしかないようです。物価が実質値上がりしている状況下では賃金上昇でも実質マイナスとなり、まして年金生活者は生活状況が低下する結果となっています。
 私個人としても今春の物価上昇は確かに響いています。昼食はコンビニで買ったり、時間があれば定食を食べたりしています。以前でしたら1000円でおつりがもらえていましたが、現在は1000円を超える昼食代となっています。例えばうどん定食を注文しますと、昨年では800円ほどでしたが、今年は1000を超える価格となっています。またコンビニでサンドウィッチや調理パンを2,3個買えば1000円近く支払うことになります。まともに普通の食事を取れば1000円を軽く超えることになります。
 このような物価高はいつまで続くのでしょうか。直接・間接的な要因となっているものにウクライナ戦争がありますが、当分収まりそうにもありません。それどころかドイツやイギリスのウクライナへの戦車供給決定とロシアによるベラルーシへの戦術核配備決定により、戦況はヨーロッパ全域を巻き込んだ第3次世界大戦勃発へと進んでいます。また日本周辺の状況も似たような危機が迫っています。台湾有事や北朝鮮の核配備など国の安全保障に関わる様々な危惧が眼前に山積しています。
 春は様々な面で出発する意味合いがありますが、国内外の様々な問題が山積している状況が一歩でも良い方向へ進むことを願っている今日この頃です。

2023年04月02日

#476 B5消滅!!!

 3月もすでに下旬となり、桜の花も咲き誇っています。昨夜の雨で桜花がいっそう美しく見えます。当塾近くの延命公園の桜の名所では3年ぶりに夜遅くまで公園の灯が点灯し、夜桜を鑑賞することができます。今年の桜はあと一週間ほど楽しめそうです。
 三月下旬といえば、新学期の準備で新入生は制服や教科書の準備で忙しくなる頃です。私もこの時期にはクリアーファイルを数冊購入して、一年間使用した教材資料を整理していますが、最近とんでもない事実が判明しました。
 いつもは近くのホームセンターでクリアーファイルを購入していますが、最近B5サイズのクリアーファイルが店頭に出ていません。大牟田市内の文房具店を何件か回りましたが、B5サイズがまったくありません。そこで昨日所用で福岡市に出かけ、天神のインキューブに立ち寄りましたが、そこも在庫がありませんでした。そこで店員さんに理由を聞くと、意外な事実が判明し、唖然としました。
 その店員さんの説明では、B5サイズのクリアーファイルは製造メーカーがもう製造していないそうです。その理由は多くの家庭にコンピュータと印刷のためにプリンターが普及しており、印刷用にA4のプリンタ用紙が普及しており、保存するために同サイズのクリアーファイルが普及しているそうです。したがってB5サイズでプリントアウトする家庭が減少しており、それとともにB5サイズのクリアーファイルが店頭から姿を消してしまったそうです。
 個人的には授業でB4サイズのコピー用紙を使用しており、二つ折りにすればB5サイズになりますので、B5のクリアーファイルが最適な大きさになり便利なのですが、これからはA4サイズで保存しなければならなくなります。もちろん「大は小を兼ねる」ということでA4サイズを使用すれば済むことですが、少々大きなサイズとなり価格も高くなります。諸般の理由によりB5サイズが無くなるのは残念でが、これも時代の流れでしょうか。
 ちなみにB5サイズのコピー用紙はもちろん健在です。B4サイズと共にさまざまな場面で使用されています。しかしながらB5用紙にも最近暗雲が出てきています。当塾を含め、ほとんどの学校では保護者に通知を出す際にA4サイズの用紙を使用しています。B5よりも一回り大きく、その分多くの文を使用することができます。国や地方自治体が出す正式な文章はすべてAサイズで統一していますので、いずれ学校でもA4、A3サイズが普及していくことでしょう。ただし、小中学生が持っているノートはB5、A4サイズが多いようです。
 国内ではAサイズ(A判)とBサイズ(B判)が混在していますが、ネットで調べると次のような歴史があることが分かりました。
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『A判の由来』
 もともとはA判の提案者と言われているドイツの科学者、ヴィルヘルム・オストヴァルトが1911年に提案した「1cm×√2cm(1:√2)を基本としこれを倍々にしていく紙の寸法」がA判の始まりです。
この寸法は長辺を二等分にしても1:√2の比率が変わらないという特徴を持っており、書籍の製本等に使われていましたが、やがて新たなる規格に取って代わられることになります。
 A判の提案者と言われているオストヴァルトにはウォルター・ポルストマンという助手がいました。彼は1912~1914までオストヴァルトの助手として働き、1915からは戦争に徴兵されたり、博士号を取得したりと紆余曲折あった後、1920年にドイツ工業標準化委員会(現在のドイツ規格協会)の従業員になります。
 そして1922年、ポルストマンはオストヴァルトの提案した寸法を基に「DIN476」という規格を作成。これは紙を対象とした841mm×1189mm(A0)を基本とするA判規格のことで、この規格は時を経て今日でも世界中で使われる国際規格となります。
 時は巡って1947年、スイスで「ISO(国際標準化機構)」が設立されます。これは、国際的な取引を円滑にするために「モノやサービスの基準を世界中で同じレベルにしよう」と設立された機構で、身近なところではネジやクレジットカードのサイズ等がISO規格として国際的に統一化されています。そんなISOでは1975年に紙に関する規格を規定しました。その名も「ISO216」。こうしてオストヴァルトの提案した寸法は今や私たちが日常で目にするA判として国際規格となったのです!
『B判の由来』
 B判の始まりは美濃紙(美濃和紙)にあると言われています。
美濃紙とは、美濃国(現在の岐阜県南部)で作られていた紙の総称で、美濃国は最も古くからの和紙の名産地とされており大宝時代の「正倉院文書」の戸籍謄本は、現存する中で最古の和紙とされています。しかし、この時代の紙の大きさは作り手により様々で決まった規格があるわけではありませんでした……。
 大宝時代から約9世紀後の江戸時代。この時代になると、徐々に美濃紙の大きさが統一されていきます。この頃、美濃紙はその質の良さから幕府御用達の和紙として広まり、町人層の需要拡大も相まって大量生産されるようになっており、特に町人層には障子紙として使われることが多く、この障子紙の規格が273mm×395mmの「美濃判」として広がったのです。
 明治維新により江戸時代が終わり、外国との交流がより盛んになった明治時代には日本でも洋紙が使われ始め、日本の印刷様式に合った用紙として、美濃半紙の約8倍の大きさの「大八つ判」という紙が出回るようになります。これはイギリスから輸入した「クラウン判」が基になった用紙で、そのサイズは1091mm×788mm
現在使われいるB1サイズ(1030mm×728mm)にかなり近いサイズとなっており、このあたりから世界標準のB判にかなり近づき始めます。(途中省略)
 日本国業規格統一調査会が設置されてから25年後の昭和21年(1946年)第二次世界大戦が終戦した翌年であるこの年に、現在も日本の規格を管理している日本工業標準調査会(JISC)が経済産業省に設置されます。
この調査会は現在でも使われいる日本工業規格(JIS)を制定しており終戦間もないこの時期は、日本技術の
古い標準化制度を一新する転機となり、その一環として1951年には紙の規格が制定されました。その名も、「JIS P 0138 紙加工仕上寸法」。というわけで、大宝時代からおよそ13世紀の時を経て、ようやく現在日本で使われているB判が誕生したのです!
https://www.sokupuri.jp/archives/3573
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 たかが用紙の大きさの違いですが、A判よりもB判が古い歴史を持っているのが興味深いです。どちらの判も用途に応じていつまでも混在してもらいたいものです。

2023年03月26日

#475 食べたいですか、コオロギ!?

 福岡管区気象台は昨日桜の開花宣言をしましたが、当塾の近くにある延命公園の桜はまだ開花していないようです。ここ数日最高気温が低いせいか、まだ蕾(つぼみ)の状態でいます。川沿いに咲いている菜の花はすでに満開です。桜花もそろそろ開花しても良い頃だと思います。
 さて最近世界的に賑わっている話題が「昆虫食」です。賛成・反対を含め様々な議論が世界中でニュースとなっています。昨年は「昆虫食」と名付けた自動販売機がニュースとなり、食用の様々な昆虫が売られていました。そのような中で、興味深いニュースを見つけましたのでご紹介します。
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『食糧難対策で推奨の昆虫食、SNSになぜ蔓延「陰謀論」』
 コオロギをはじめとした昆虫食が議論を呼んでいる。きっかけは四国の高校での昼食。食用コオロギの粉末を使った食材を希望者に提供したところ「生徒を殺す気か」などのクレームが相次いだ。騒動は同様の商品を販売する企業にも飛び火。昆虫食が推奨されることへの違和感が抗議に発展したとみられるが、インターネットの交流サイト(SNS)を見ると、不可解な投稿も目につく。<コオロギ食で人口削減>―。一体、何が起きているのだろうか。
 「コオロギを生徒に食べさせたのは本当か」「生徒の体調が心配だ」。今年2月、徳島県立小松島西高校(同県小松島市)にこんな問い合わせが殺到した。
 事の発端は昨年11月にさかのぼる。調理師を目指す同校食物科の生徒が、食用コオロギの粉末を使ったコロッケを手作りし、昼食として希望する生徒に提供。国連の持続可能な開発目標(SDGs)への理解促進が目的で、事前に生徒や保護者に説明、地元メディアにも好意的に取り上げられていた。
 だが、3カ月近くが経過してから突然、電話での問い合わせが殺到。県教育委員会によると、県外からのものが多かったとみられ、「保護者からは1件もなかった」(担当者)という。
 問い合わせは、コオロギの粉末を提供した徳島大発のベンチャー企業「グリラス」(鳴門市)に波及した。ただ、目立ったのは昆虫食への一般的な嫌悪感ではなく、過激な主張だった。「コオロギには発がん性がある」「食べたら死ぬのに」
 騒動はその後、他の企業や組織にも広がった。SNSで名指しされたのは、コオロギ粉末を練りこんだパンや洋菓子を手がける企業、粉末を使った機内食を提供する航空会社など。SNSで「不買運動」を呼びかける人もいる。
 アジアやアフリカ、南米などで食文化の一つとして定着している「昆虫食」が改めて注目されたのは2013年。国連の食糧農業機関(FAO)が人口増加や食糧不足対策として推奨する報告書を公表したのがきっかけだ。家畜に比べ、昆虫は少量のエサで養殖でき、環境への負荷が低い。
 だがSNSで「コオロギ」と検索すると、<コオロギ食の目的は新たな人口削減計画だ>といった投稿も目立つ。<国は6兆円の税金を使い有害な昆虫食を推進している>などといった陰謀論も拡散している。
 農林水産省によると、同省は先端技術を使って食材を人工的に生み出す「フードテック」の関連企業などを支援した実績はあるが、昆虫食に特化したものではない。各年度の予算を合計しても、流布されている金額には届かないという。
 なぜ、昆虫食はネットでこうもたたかれるのか。国際大グローバル・コミュニケーション・センターの山口真一准教授(ネットメディア論)が指摘するのが、昆虫食と陰謀論の「相性の良さ」だ。
 山口氏によると、未知でセンセーショナル、ショッキングな情報ほど、陰謀論との親和性が高い。拡散している投稿の中には、新型コロナワクチンに関する陰謀論と酷似したものもあった。
 ただ、国内では昆虫食への抵抗感は小さくないのも事実だ。約1千人を対象としたホットペッパーグルメ外食総研の調査(昨年11月)では、約9割が昆虫食を「避ける」と回答している。普及には利点の周知に加え、安全性の確保が必須だが、山口氏は「嫌悪感から陰謀論にたどり着く人もいる」と指摘。「それぞれの思想は自由だが、業務妨害などの行為には厳正なる対処が必要だ」と述べた。

(昆虫食)
人口爆発などで世界的な食料不足の懸念が高まる中、打開策の一つとして注目されている。国連の食糧農業機関(FAO)は2013年の報告書で、少なくとも20億人が伝統食として昆虫を食べていると推定。日本でも長野県などで採取したイナゴなどを食べる伝統がある。次世代の食料源として食用昆虫の活用を模索する動きが広がり始めており、大企業も参入を進めている。日本能率協会総合研究所は、世界の市場規模は19年度の約70億円から25年度には1千億円に達すると予測している。
https://www.sankei.com/article/20230318-J5GYHFBTBRLP5A3BYDONCKXWA4/
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 確かに日本でもイナゴを食べたりする地方の独特な食文化がありますが、あくまでも特異な食習慣だと思います。また東南アジアで昆虫を売買する特集番組を以前テレビで見たことがありますが、お世辞にも心地よいものではありませんでした。
 世界中の食糧不足は穀物地帯であるウクライナでの紛争による穀物の輸出減や、気候変動による食糧生産地の作物不良によるものが大きいと思います。また肉牛を始めとする穀物肥料の増大や食物油を主体とするバイオ燃料の普及にも一因があると思われます。私たちの大切な食料を食料以外のものに使用することを止めなければ、いつまでも食料不足は無くなりません。
 世界は現在昆虫を食べなければならないほど食糧危機に直面しているわけではありません。特に日本は食料自給率が40%を切っていますが、耕作可能な農地は国内のいたる所にあります。日本政府は昆虫食を勧めるよりも今ある耕作地を利用して農産物の増大に努めた方が将来の食糧危機に対応できるはずです。農地を保護することで、自然環境を守ることに繋がり、究極的には国土保全に繋がります。また「日本ブランド」で穀物を輸出すれば外貨を稼ぐこともできます。
 農林水産省はできるだけ早く将来の食糧危機に対応できるように抜本的な対策を取るべきです。それでも食料が不足するような事態になれば「昆虫食」もあり得ます。あなたは食べたいですか、コオロギを!

2023年03月19日

#474 猫は液体である?

 3月になって急に暖かな日が続いています。気象庁は今年の桜の開花は例年よりも1週間ほど早くなると予想しています。福岡では今秋にも開花するようです。開花1週間ほどで満開を迎えますので、公立小学校、中学校の20日の終業式には満開となることでしょう。以前は入学式の季節に満開を迎えていた桜ですが、温暖化のせいでしょうか、最近は葉桜が新入生を出迎えています。
 さて、本日は奇妙な説をご紹介します。「ネコは液体である」という奇妙な科学的論説です。最近テレビでこれに関するコマーシャルが登場していますので、見た方もいらっしゃるでしょう。この不可思議な科学的説明は2017年にイグ・ノーベル賞を受賞しました。関連する記事が次のように説明しています。
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『イグ・ノーベル物理学賞「猫は固体と液体になれるか?」の研究が受賞
 液体が容器に合わせ形を変える性質に着目』
 ばかばかしくも考えさせられる研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」2017年版が9月14日(米国時間)に発表され、物理学賞が「猫は固体と液体両方になれるか?(Can a Cat Be Both a Solid and a Liquid?)」の研究に贈られました。
 受賞したのは仏パリ・ディドロ大学のアントン・ファーダンさん。授賞式のスピーチでアントンさんは、「インターネット上で“猫は液体か?”という問いを見かけたのが研究のきっかけ。一般的に液体は容器に合わせて形を変えるものと認識されていますが、猫写真を見る限り、猫は液体の定義に一致しています」と指摘。論文に使われた参考写真には、ガラス容器ににゅるりと入り込んだ猫たちが。写真が会場内で映し出されると、来場者の笑いを誘っていました。
 研究はレオロジー(流動学)に基いて行われており、物質の流動性を表す「デボラ数」などを用いた真面目なもの。……ですが、イグ・ノーベル賞の授賞式ではスピーチ時間は60秒と定められており、規定の時間を過ぎると8歳の女の子“ミス・スウィーティー・プー”に「もう飽きたわ!」と終了を急かされるのが通例となっています。アントンさんは受賞の喜びを伝え終え、研究の詳細を説明しようとしたところであえなくミス・スウィーティー・プーの妨害にあい、スピーチの終了を余儀なくされました。
 論文全文はレオロジー学会(The Society of Rheology)公式サイト上で公開中です。また授賞式の様子はYouTubeで確認することができます。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1709/15/news083.html)
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 学者らしいネコに関する珍妙な解釈です。ちなみにイグ・ノーベル賞ですが、「人々を笑わせ考えさせた研究に与えられる賞。ノーベル賞のパロディーとしてマーク・エイブラハムズ(英語版)が1991年に創設した。」とウィキペディアは説明しています。日本人は毎年のようにこの賞を受賞しており、「タマゴッチ」や「バウリンガル」に関する論文で受賞している学者もいます。
 「ネコは液体」のCMは次のページでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Ro9OzKZxQ8A

2023年03月12日

#473 砂の上の足跡(あしあと)

ある晩、男が夢をみていた。
夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。
そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。
どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。
ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。
人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。
すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。
「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」(作者不詳)
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 上記の文は「砂の上の足跡」として有名な詩歌です。実は3月1日に行われた明光学園高等学校の卒業式で諸田校長先生が式辞のなかで引用されたものです。久しぶりにこの詩文を聞きました。キリスト教徒の間ではとても有名な詩文だからです。特に感動的な場面は文中に登場する男が「最も困難な時になぜ側にいてくれなかったのか」と神様に詰問したときに、神様は「私があなたを背負って歩いてあげたでないか」と答える場面です。
 人は誰でも自分一人で生きていると思っています。そして苦しい時や悲しい時に、なぜ自分だけが悲惨な状況に置かれているか原因を考えもせずに、自分以外の周囲の人を恨んだり、罵倒したりしがちです。しかし苦しい時に悲しい時に誰かが見つめています。そして隣に寄り添ってくれています。たとえそれが自分の愛する周囲の人々でなくても、誰かが(あるいは何かが)そっと見つめてくれています。宗教的にはそれを「神」とか「仏」とか呼んでいますが、万人の心の中に神は住んでいるという人もいます。
 平安末期の歌人で有名な西行は伊勢の神宮にお参りして、
 「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
 (どなたさまがいらっしゃるのかよくはわかりませんが、おそれ多くてありがたくて、ただただ涙があふれ出て止まりません)と詠んでいます。
 宗教心あるいは信仰心は神・仏・大自然と向かい合い、素直に心を向けることで生じます。そこには感謝の気持ちしか存在しません。人間の欲心に満ちた祈りは悪霊や魔神に通じるものです。様々な宗教問題がマスコミを騒がせていますか、本当の宗教とは何かを考えさせられる昨今です。

2023年03月05日

#472 生きる

『十二月二十五日、粉雪の夜』
 小学六年生の冬、二学期の終業式も近い日だった。放課後に、担任の女性の先生に「職員室まで来るように」と小声で言われた。いつかは必ず呼び出しがあると覚悟していた。体が小刻みに震えて止まらなかった。
 気になるのは友人の目だが、誰にも見つからずに職員室のドアを開けることができた。職員室は独特な雰囲気と異様な圧があり、それだけで怖気づいた。先生は軽く手を挙げて私を招いた。私は先生の顔色をうかがった。
 先生の机には、私の「給食費、学級費」の新しい集金袋が置いてある。滞納の件だ。私の心配は的中した。父の仕事と家の事情をいろいろ聞かれた。何も答えたくない。我が家には貧乏神様が長期滞在し、あらゆる実権を握っていた。
 とにかく黙っていた。長い時間に感じられた。まるで音のない世界にいるように、私の耳は自然とふさがれていた。いつのまにか目が潤んでいた。先生は私の肩に手を置いて、「お母さんに言って、集金袋にお金を入れてもらいなさい」と、周囲の同僚に気づかいながらおっしゃった。できない返事だ。
 この学校に転校して十カ月、「滞納」は四度目。母に滞納の集金袋を差し出す勇気はいつもなかった。一番つらいのは、お金の話で母のやさしい顔が陰ることだった。
 学校が苦痛だった。先生からいつ「滞納」の催促を受けるか、毎日その不安ばかりで登校した。集金袋は学校と家とを何度も往復した。公園で、ずっと思い悩んだ。

「これ、ください!」
 十二月二十五日。決して記憶から消えない日。職員室で集金袋を先生から手渡されて、三~四日経過していた。それは、フィルムに焼きついたように鮮明な映像で残っている。
 狸小路商店街は、札幌で有名な繁華街だ。この街で夜、父の仕事を手伝っていた。その六丁目角が、わが「店」だ。リヤカーの上にベニヤ板を広げ、古本を山のように並べただけの貧相な露天商。通行人は店に目もくれない。年の瀬に、古本を手にする人はまれだ。
 粉雪が街のネオンにきらめき、間断なく降り続いては本の上に飛散する。ほうきで掃除をしていたそのとき、ふと肩口から声がした。雪の夜にはめずらしい客の声だ。
 「これ、ください!」振り向けばマフラーで顔を覆った女の人がいて、古本二冊の価格を無視し、過分すぎるお金を急ぎ目配せして、私の手にしっかりと握らせた。その瞬間、声の主は先生であると知った。
 驚愕して、言葉が出なかった。知られたくない仕事を見られた。逃げ出したい。しかし体は縛られたように動かない―――。
 「がんばるのよ、あきられてはダメ、絶対に!」と先生は耳元で囁き、雑踏の中に姿を消した。後ろ姿を呆然と見送った。先生はどこで私のことを知ったのだろう。夢を見ていたのだろうか……。
 我に返ると「自分を見てくれている人がここにいる!」という歓喜に満ちあふれた。熱い血が全身に走り、えもいわれぬ温かさを覚えた。熱意ある先生の言葉に、心が揺らいだ。純白の粉雪の夜は、天使からの贈り物だった。

受けた恩の深さと後悔
 父は道内の炭鉱で六年で三度もの倒産に遭い、一家で札幌に出てきた。それからの仕事の多くは貧乏神様のせいで失敗した。家族六人の生活を支えるため、長男の私は仕事の手伝いを始めた。最後の賭けが古本屋だった。
 先生から渡されたお金は3千円。給食費、学級費の半年分にも相当する大変な額だ。その夜、先生には長い御礼の手紙をつづった。厚意を甘んじて受け入れるしか方法はない。「必ずお返しします。それまではお貸しください」と一心で書き記した。感謝しかなかった。
 その後、横浜に移住した。中学三年生の終わりになって、先生に御礼の手紙とともに大金を郵送した。お金は新聞配達で稼いだ。三年もかかった。だが、約束を守れたことに大きな安堵を覚え、再開の日を楽しみにした。
 その一週間後、郵便物は返却された。予想もしなかった。男文字の手紙で、先生は昨年、悪性の癌で亡くなったことが知らされた。ご主人からだった。最後に「妻の意思として、お金はご返却します」とあった。受けた恩の深さと、間に合わなかった時間の重さに呆然とした。北国の空に向かい、ひたすら掌を合わせてお詫びした。今も残る大きな後悔……。
      *
 札幌は四十年ぶりだった。狸小路商店街も足は向かった。やっと往時の「店」の面影の場所を探し出した。あの日の思い出にひたっていると、突然「がんばっている?」と後方からなつかしい声が聞こえた。思わず振り向くと、恩師の笑顔が、雑踏の中にくっきりと浮かんでいる。気づけば、その人波を懸命に追いかけていた。「先生!」と何度も叫びながら。
(PHP No898 三月号より転載)
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 上記の文はPHP三月号に載った「生きる477話 第64回PHP受賞作」です。著者の臼木巍(うすき たかし)氏は御年77歳ですので、昭和20年の生まれと思われます、小学6年生時は昭和32年。日本が高度経済成長時代を迎える10年ほど前になります。国民の大半がまだ貧しかった当時、授業料を払えない子供が少なくなかった頃の話です。古き良き時代の心温まるお話です。
 さて、今週の水曜日、3月1日は全国の多くの高校で卒業式が行われます。春の訪れとともに、この日を境に卒業生は進学や就職へと、それぞれの道を歩み出します。卒業生に上に多くの恵みと幸福が与えられますように、心から祈りたいと思います。

「頑張れ、卒業生!」

2023年02月26日

# 471 猫バンバン

 昨夜は夜半過ぎから強い風が吹き、気象台は春一番を宣言しました。春一番は、立春から春分の間に吹く、初めての強い南寄りの風のことです。昨夜(18日)からきょう(19日)未明にかけて、低気圧が発達しながら日本海を東北東へ進みました。このため、九州北部地方では南よりの風が強まり、気温が高くなりました。明日からまた寒気が強まるようですが、2月も下旬になり最後の寒気になって欲しいものです。
 さて、今日の話題はネコです。最近よく耳にする言葉が「猫バンバン」です。最初この言葉を耳にしたとき何のことだか見当がつきませんでした。私は車を所有していませんので経験がありませんが、この「猫バンバン」は車と関係があります。ウィキペディアによりますと、次のように説明しています。

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『猫バンバン』
 寒い時期になると、猫が止まっている自動車のエンジンルームやタイヤの間などに入り込んでしまうことがある。これは、狭く安全で、かつ暖かい場所を好む猫の習性によるものである。また夏場であっても、自動車の下は日陰になり涼しく快適なため、やはり猫が入り込むことがある。
 ドライバーがそれに気づかず、そのままエンジンをかけて発車してしまうことで、隠れている猫は危険にさらされ、命を落とす事故も少なからず発生している。
 日産自動車によれば、2014年の冬に「猫などの動物が入り込んでいる場合があるので、フードなどを叩いてみましょう」という旨の内容をSNSに投稿したころ大きな反響があり、2015年11月19日に「#猫バンバン」というハッシュタグを用いて投稿。2016年1月より正式にプロジェクトとして展開されている。
 同社が行ったアンケート調査では、猫バンバンを行ったところ、7人にひとりが実際に猫が隠れていたと回答している。
 JAFによれば、ボンネットを叩く音により猫を逃がすことは効果的であるが、怖がってさらに奥へと入り込んでしまう個体もいるため、ボンネットを開けて目視で確認することも有効である。また動物保護団体「Clover」は、周囲に人がいて猫バンバンが恥ずかしい場合や急いでいる場合は、代替として自動車のドアを強く閉め直すことを提案している。
猫以外では鳥類がエンジンルーム内に巣を作ることがあり、気付かずに走行し発煙に至った事例が報告されている。
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 確かに猫の習性として狭い場所や隙間などに入り込んで休むことが知られています。しかし車のボンネットの中に入り込むことは普通考えないでしょう。車のオーナーは車を動かす前にボンネットを「バンバン」叩く習慣を身につけたほうがよいと思います。そうすれば街中いたるところで「バンバン」とい音が聞こえて楽しくなります(笑)。
 また「ねこ鍋」という言葉もあります。これは牛丼チェーン店の「牛鍋定食」の新しいメニューではありません(笑)。猫が土鍋のような狭いところに入り込んでしまうことを意味します。ウィキペディアでも次のように説明しています。
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『ねこ鍋』
 『ねこ鍋』(ねこなべ)とは、土鍋の中で身を丸くして眠る猫の様子を撮影した動画コンテンツ。岩手県で農業を営む、ハンドル「エレファント」を名乗る女性により、動画投稿サイト「ニコニコ動画」に2007年8月に投稿された。再生回数は同年10月1日までに55万回以上を数え、DVDや写真集としても発売された。
 鉢の替わりに使用していた数個の土鍋を、片付けようと床に並べて置いておいたところ、飼い猫の子猫たちが次々に入り込み中で眠ってしまい、エレファントがこれを撮影して「ニコニコ動画」に投稿した。当初「猫をむりやり土鍋に入れたのでは」と虐待を疑うユーザもおり、猫が自発的に入っていく様子を撮影した動画『ねこ鍋〜補足〜』も後に公開された(そもそも無理やりに入れられれば自分で出て行く)。猫は基本的に狭い場所を好むとされ、現象自体は特別なものではない。ねこ鍋の動画が投稿される以前にも空き箱などに収まる猫の映像が雑誌やネットなどに投稿されるケースがあった。土鍋はおおむね、子猫1匹が丸まってちょうど収まる大きさのもので、各々が自分に合った大きさの土鍋を見つけて収まっていく様子や、既に他の子猫が寝ている土鍋に割り込んだり折り重なったりする様子、寝返りを打った際に土鍋から転げ出してしまう様子などが撮影されている。動画には、他の成猫がやってくる様子も写っているが、土鍋のサイズが小さいのか中には入らない。

 これらの猫のうち4匹の子猫は、2007年6月に河原に捨てられていたところを、エレファントが拾い育て始めたものである。この4匹を撮影し、名前を募る動画を「ニコニコ動画」に投稿したところ「可愛い」などのコメントが多数寄せられた。名前が決まった後も猫たちの成長記録としてエレファントはいくつかの動画を投稿しており、『ねこ鍋』はその中のひとつである。
 土鍋への猫の入る匹数によって、1匹入るのを「並盛り」、2匹は「大盛り」、3匹は「特盛り」、4匹は「激盛り」(または「もり盛り」)と表現した。
 『ねこ鍋』は2007年8月26日にNHK『未来観測 つながるテレビ@ヒューマン』にて話題として取り上げられたのを皮切りに、新聞・週刊誌などのメディアへも露出するようになった。2007年10月17日には「ニコニコ動画」を運営するニワンゴの関連会社、ドワンゴ・エージー・エンタテインメントよりDVD『ねこ鍋』が発売され、その後公式写真集が講談社より、ブログ本が二見書房から発売された。更にはテーマ曲も制作され、『ニコぬこ猫』というタイトルで2008年1月23日に発売された。
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 「猫バンバン」も「ねこ鍋」もかなり前から流行している言葉なのですね。少しも気づきませんでした。ちなみに「お猫様」という言葉もあります。これは15年以上生きている猫のことを言います。15年以上生きていると猫に霊能力が身につき、飼い主を危機から救ってくれるそうです。事の真偽は別にして、ネコは「この家の人たちは、餌をくれるし、愛してくれるし、気持ちのいい暖かいすみかを提供してくれるし、可愛がってくれるし、よく世話をしてくれる・・・。自分は神に違いない!と思うそうです(笑)。

2023年02月19日

#470 レジェンド引退

 前回のブログでも述べましたが、昼間の時間が徐々に長くなってきており、午後6時過ぎまで明るい日々が続いています。このまま春になってもらいたいと願っていますが、今週は再び寒波が来るようです。冬将軍も簡単には去ってくれないということでしょうか。
 さて、「レジェンド」と言われる車いすテニス男子の国枝慎吾氏が引退を宣言しました。彼の業績は素晴らしく、世界ランキング1位での引退となります。彼は車いすテニスを世界に広め、1つの種目として世の中に浸透させたことに大いに貢献しました。ジジドットコムは次のような記事を載せています。(部分的に転載)
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『車いすテニス「世界1位」で引退の国枝慎吾 関係者の声でたどる足跡
 世界に誇る日本のトッププレーヤー、車いすテニス男子の国枝慎吾(38)=ユニクロ=が現役生活に幕を下ろした。パラリンピックでシングルス、ダブルス合わせて4個の金メダルを獲得し、四大大会では単複計50勝。輝かしい成績を残し、世界ランキング1位のまま1月22日に引退を表明した。自身のツイッターで「もう十分やり切ったという感情が高まり、決意した」などとつづると、昨年引退したロジャー・フェデラー(スイス)がすぐにSNSで反応。「信じられないようなキャリアだ」と、その実績をたたえた。関わりのあった人たちも、称賛とねぎらいの言葉を並べた。
 結果的に現役ラストシーズンとなった22年には、金字塔を打ち立てた。7月のウィンブルドン選手権シングルスで初優勝。テニスの四大大会のうち、ウィンブルドンでは16年にようやく車いす部門のシングルスが行われるようになった。07年に全豪オープン、全仏オープン、全米オープンを制してから、この3大会で何度も優勝。そして昨年のウィンブルドンで、車いす男子初の「生涯グランドスラム(四大大会全制覇)」を達成した。同時に、パラリンピックと四大大会を全て制する「生涯ゴールデンスラム」も成し遂げた。
 男子テニスの四大大会で通算20勝を挙げたフェデラーは、折に触れて国枝に敬意を表してきた。引退表明に対するSNSでは「あなたのプレーや、素晴らしい足跡を残していく姿を見られたのは光栄」と称賛。そのフェデラーが昨年9月、41歳で引退を明らかにした際、国枝も即座にツイッターを更新して「フェデラー選手がいたから、こんなにもテニスが好きになった」と記した。
https://www.jiji.com/jc/v8?id=202302kuniedashingoretire
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 上記の記事にあるように、全盛期のフェデラー選手に日本人記者が彼の強い原因をインタビューしたときに、彼は「日本には国枝慎吾という素晴らしいプレイヤーがいるではないですか。彼にはかないません」という趣旨の返事をした記憶があります。分かる人にはわかる国枝選手の偉大さです。
 スポーツ選手ほど自分の引退を決めるのに難しい職業はありません。一般の会社員では退職年齢が定まっていますので、定年まであと何年と把握できますが、スポーツ選手は自己の体力の衰えや、他の選手との競り合いで自分が必要とされるか否かで引退が決まります。本人が引退したくなくても、チームから必要とされなければ強制的に引退となります。スポーツの種目により現役の寿命は異なりますが、大半のスポーツでは30代で引退する選手が多いと思われます。その先の人生は様々で、解説者やコーチで生活できる人はごくわずかです。残りの人は生活するために次の職を見つけなければなりません。
 このように激しい競争を勝ち抜いてプロになった一流の選手でも、いつかは終わりを迎えることになります。「短くとも美しく燃え」ではありませんが、アスリートは一生を凝縮した期間につぎ込むような生き方です。言いかえれば「燃え尽きた人生」を生きる人々です。私たちは彼らのそのような生き方に感動し、尊敬します。

2023年02月12日

#469 二十四節気

 暦の上では立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日々が続きます。それでも日差しは春に向かって少しずつ強くなってきています。実際、小寒(1月6日)頃の日の出が7時22分、立春(2月4日)7時13分となっており、10分ほど早くなっています。また、日没は冬至(12月22日)が17時15分でしたが、春分では17時52分となっており、40分以上も昼間の時間が長くなっています。これから三寒四温を繰り返しながら春へと近づいていくことでしょう。
 日本人は古来より自然と共生する形で暮らしてきました。その中で自然から学び、自然を利用する形で日常生活を営んできました。特に現在でも農業は旧暦を参考にして種まきや、田植えなど大切な時期を判断し、行われています。このように現在ではあまり意識しない季節感ですが、従来の日本人の生活感を表しているのが二十四節気です。「日本人のしきたり」(青春新書)によると次のように説明しています。
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『二十四節気』
 われわれは寒い冬から春を迎えてホッとしたり、暑い夏にひと雨ほしくなるなど、日ごろの生活は春夏秋冬の季節の影響を大きく受けています。
 日本では、国民の祝日となっている春分と秋分、さらに夏至と冬至のほかにも、立春、立秋、大寒などの季節を表す言葉がしばしば使われていますが、これらはすべて二十四節気にもとづいています。
 二十四節気は中国の戦国時代に考案されました。太陰暦による季節のズレを正し、春夏秋冬の季節を正しく示すため、一年を十二の「中気」と十二の「節気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられたのです。日本では江戸時代の暦から採用されています。
 しかし、二十四節気は、中国の気候にもとづいて名づけられたものなので、日本の気候と会わない名称や時期もあります。そこで、それを補うため、二十四節気のほかに、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日など、「雑節」(ざっせつ)と呼ばれる季節の区分けを取り入れたのが日本の旧暦です。
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 この「日本人のしきたり」には他に多くの日本人が生活の中に取り入れてきた自然観や年中行事のしきたりなど、何となく知っているようで知らない多くの言葉が説明してあります。日本人の心の琴線に触れたい人にお勧めの一冊です。
 季節はまもなく晩冬から早春へと移り変わっていきます。梅の開花の便りも聞こえてきました。北国の雪も名残り雪となって行くことでしょう。春はもうすぐそこまで来ています。

2023年02月05日

#468 クマヒラ

 1月24日の大寒波襲来以来、強弱を繰り返しながら最強寒波が日本列島に居座り続けています。各地で様々な被害をもたらしていますが、ここ大牟田でも水道管の破裂や漏水等で、水が出なくなる地域が発生しました。7年前は自宅のある市南部で断水しましたが、今回は市東部で断水等が発生しました。
 24日(火曜日)は私が利用している西鉄倉永駅で昼間に氷点下1度を記録し、昼間なのにつららができていました。その日の晩には当塾の横を走っている国道208号線が完璧に凍結してしまい、車はほとんど走っていませんでしたが、走行している車両は極端な徐行運転をしていました。歩道は数センチの雪で覆われ、私も転倒しないように自転車を押しながら自宅へ帰りました。翌25日は大牟田市内の小・中学校がすべて臨時休校になり、周囲の高校も休校や始業時間を遅らせるなどの措置が取られました。ここ大牟田でも道路が凍結するのは数年に1回ありますが、これほど強い寒波が長く続くのは珍しいと思います。
 さて、ブログ#285でも触れていますが、今年も株式クマヒラ様からささやかな小冊子が届きました。私が毎年楽しみにしている「抜萃(ばっすい)のつづり」です。今年で82回目の配布になるそうです。この小冊子の添書きに次のような一文があります。
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拝啓
 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 さて、毎年寄贈させていただいております「抜萃のつづり その八十二」が出来上がりましたので、お送りいたします。
 「抜萃のつづり」は社会への感謝、謝恩の思いから昭和六年に創刊。著者、新聞、出版各社のご理解を得て、戦中・戦後の混乱期を除き、毎年刊行し、百か国の日本大使館や総領事館、全国の各種団体、企業、個人に四十五万部を無料配布させていただいております。
 今年も本日、全国いっせいに配布いたします。広くご高覧賜れば幸いに存じます。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 末筆ですが、皆様のご健勝、ご発展をお祈り申し上げます。

                                              敬具
令和五年一月二十五日(創業百二十五周年記念日)
株式会社クマヒラ・ホールディングス
会長 熊平 雅人
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 この「抜萃のつづり」は上記にありますように、国内外に無料配布されており、この一年間の新聞や雑誌記事、機関誌などの多くの記事に社員の方々が目を通し、珠玉の名文を収集した小冊子です。著名な作者のエッセイだけでなく、市井の方の記事も含まれています。換言すれば、多くの新聞や雑誌に目を通さずに、この冊子を読むだけで世の中の出来事を一読することができます。もちろん政治記事等はありませんが、日本人がこの一年間を通して何を考えたか、どのように世の中が進んだか理解できます。
 多くの企業が何らかの形で社会貢献を行っていますが、日本国民を啓蒙するような種類の社会貢献はあまりありません。クマヒラはこの点で昭和六年より今年に至るまでこの小冊子を通して世相を伝えてきました。いつまでも続いてほしい活動です。

追記:
「抜萃のつづり」を希望する方は、クマヒラ各営業所にご確認ください。冊子を配布していただけると思います。

2023年01月29日

#467 日中の架け橋

 「日本に行くなら、帰って来なくていいわよ。」

 3年前、日本に留学したい思いを母に伝えた私は、こう怒られてしまった。その時の私はただ黙って泣くことしかできなかった。感情に任せて言った言葉だとすぐにわかったけれど、日本に留学したいと言っただけでそんなに怒られるのかと驚いた。母の世代以上の中国人の間に、日本人に対する壁が未だに存在していることを深く感じた。
 人々はいつもメディアに認識を左右される。しかしメディアの情報は一方的で、偏見が多いと私は思う。「実際に日本人と接したことがなく、日本人の本当の考えをわかっているわけでもないのに、勝手にレッテルを貼るなんて嫌だ」。その時、一生をかけてやりたいことを見つけた。それは、日中の架け橋になることだ。
 小さい頃からずっと日本の文化に触れ、日本のことが大好きだったから、日本人の方もきっと優しくしてくれると勝手に想像していた。このような気持ちを持って、私はインターネットで日本人の友達を作った。その中で一番仲が良いのは、日中オンライン交流イベントで知り合った人だった。毎日電話したり、メッセージを送ったりして、私たちの視野はインターネットを通じてどんどん広がっていった。

 食事を始める前に母の手料理の写真を撮ると「またあの日本人に送るの」と時々聞かれた。「褒められたよ」と伝えると、母も笑って喜んでくれた。このように、日本人の友達のことは私を通じて少しずつ母にも知ってもらった。友達の話は母との会話の中にも時々出てきた。母の日本人に対する親近感が少し増したかなと思うと思わずにやにやしてしまうほど嬉しくなった。
 残念なことに、2019年の末に、新型コロナウィルスが中国で発生した。日本に留学する長年の夢も叶わず、そのまま中国の大学に入るしかなかった。悔しくて、悲しくて、どんどん元気がなくなって、勉強する気もなくなった。そして、日本人の友達と連絡を取ることもなくなっていった。
 ある日、母は珍しく、自分から日本人の友達のことを話した。「あの日本人の友達、最近どう?全然話しないね」「えっ、どうしたの」「いや、日本でも最近コロナが出たそうだから」。母の心配そうな顔に少し驚かされた。母が友達のことを心配するなんて、全然考えた事もなかった。そして、母に言われたこともあり、チャットアプリを開いたら、このようなメッセージが届いていた。
 「周さん、最近どう?メッセージが全然来なくて、ちょっと心配。コロナのせいで、日本に留学することができなくなっちゃったね。でも周さんなら絶対いつか日本に来られるって信じてるよ。僕たちが初めて知り合った時のこと、覚えてる?最初は日本人は嫌われてるかもって心配してたんだけど、君は『友達になりたい』って言ってくれたよね。本当に嬉しかったよ。誕生日の時、わざわざ歌を歌って、絵を描いてくれて、本当に感動した。その時すぐに家族に伝えたよ、『僕、中国人の友達から誕生日プレゼントをもらったよ』って……」
 何十回もとり直した歌、インターネットで調べながら一生懸命書いた絵。当時の思いがよみがえって涙が落ちた。その時初めてわかった。純粋な気持ちを持ち、お互いの文化を尊重し、誠実に付き合えば、きっと真に相手を思いやる気持ちが生まれてくるのだと。

 今年2022年は日中国交正常化50周年だ。私は日本語で中国について紹介する動画を作ったり、交流イベントで日本人と交流したりして、日中の架け橋になるために自分でできることに、より一層熱意を持って取り組んでいる。そのような活動を積み重ねて理解を深めていけたら、両国民の親近感はきっと徐々に高まっていくと信じている。私は今後も日中民間交流を活発にし、さらなる努力を厭わず日中の架け橋になるべく尽力していきたい。
■執筆者:周美彤(広東理工学院)「一生をかけてやりたいこと」
https://www.recordchina.co.jp/b908027-s10-c30-d0052.html

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 上記の作文は日中交流研究所主催する第18回「中国人の日本語作文コンクール」の受賞作品の1つです。執筆者の周さんの日本への憧れや愛情が伝わってきます。将来は日中の架け橋として尽力する旨の内容が書かれています。中国では若者を中心に日本マンガやアニメを幼い頃から見ており、現在の日本文化に対して肯定的に見る人が多いようです。これに対して高齢者の中国人は日中戦争の記憶が残っており、日本の悪いイメージを今でも持っている人がたくさんいます。
 また中国政府も日本に対する政策の一環として国民にテレビやマスコミを通じて日本に対するマイナスのイメージを流してます。中国本土では衛星放送でNHKを見ることができますが、中国政府に不本意な内容のニュースが流れ始めますと、いつもテレビ画面が黒くなり、国民にニュースを見せないように操作します。

 それでも若い世代はネットを通して日本の今の姿をリアルタイムで見ているようです。このような若者が増えて将来日本と中国の架け橋となってくれることを期待したいと思います。もちろん日本の若者たちも同様です。現在、中国と日本の外交は正常な状態ではありませんが、武力による威嚇ではなく、日中の架け橋となる若者たちとの交流を通して少しでも早く本当の文化交流ができる日を待ち望んでいます。

2023年01月22日

#466 古代コンクリート

 正月から晴天続きで、しばらく乾燥状態が続いていましたが、週末から雨が断続的に降り始め、季節は暖冬から厳冬へ再び向かい始めています。また共通テストも本日で終わり、大学受験生は本格的な入試シーズンへ突入していきます。20日には筑後地区で高校先願入試が行われ、高校入試も本格化してきます。新コロが再び拡大している状況で人生の節目を迎えている受験生はまず健康第一で、自分の目標に向かって最後の頑張りをしてもらいたいものです。
 さて、最近面白い記事を目にしました。「古代コンクリート」という言葉を聞いたことがありますか。古代ローマ時代で使用されたコンクリートのことです。現代建築で使用されている鉄筋コンクリートは耐用年数が100年余りと言われていますが、古代ローマのコンクリートを使用した建築物は2000年経った今も壊れることなく頑丈に立っています。「古代」と「現代」のコンクリートはいったい何が違うのでしょうか。ネットに面白い記事がありますので、それを転載します。
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『古代ローマ時代のコンクリートは、今も強度を増していた──その驚くべき理由が解明される』
 コンクリートは、年月が経つにつれてもろくなるのが普通だ。だが、古代ローマ時代に作られた岸壁のコンクリートは、時間が経てば経つほど強度を増していた。その驚きの理由が、米研究チームによって解明された。
 古代ローマ帝国が滅亡したのは1,500年以上も前のことだ。だが、この時代に作られたコンクリートは、現在も十分強度がある。例えば、ローマにあるパンテオンは無筋コンクリートでできた世界最大のドームといわれているが、約2,000年経った今も強度を保っている。これは現代のコンクリートでは考えられないことだ(現在のコンクリートの寿命は、50年から100年程度とされる)。なぜ、ここまで古代ローマのコンクリートが強いのか。その謎が解明されつつある。
 古代ローマ時代のコンクリートは、火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜ合わせて作られている。このうち、重要な役割を果たしているのが、最後の材料である海水だ。この珍しい材料の組み合わせのおかげで、1,000年以上の時間をかけてコンクリート内で新しい鉱物が形成され、ますます強度を増しているらしい。
 その秘密を解明するため、米エネルギー省のローレンス・バークレー国立研究所の研究チームは、古代ローマ時代に作られた岸壁や防波堤のコンクリートを採取して、X線マイクロ解析を行った。
 『American Mineralogist』誌オンライン版に2017年7月3日付けで掲載された研究成果によると、解析の結果、コンクリートの中にアルミナ質のトバモライト結晶が含まれていることがわかった。この層状鉱物が、長い時間をかけてコンクリートの強度を高めるのに重要な役割を果たしているという。この鉱物は、海水と石灰と火山灰が混ざり合って熱が発生することによって生成される。
 この研究を率いたユタ大学の地質学者マリー・ジャクソンは、「古代ローマ人は、海水と化学反応を起こして成長する岩のようなコンクリートをつくり出しました」と言う。また、この構造物に打ち寄せる海水が第2期の鉱物の成長を引き起こし、コンクリート全体の強度をさらに高めたことも、解析から明らかになった。
 鉱物粒子を分析した結果、コンクリート全体でトバモライト結晶が成長していることが確認された。しかも、この成長はたいてい、フィリップサイトと呼ばれる別の結晶の成長と同時に起こっているという。こうした新しい鉱物は、火山灰が海水によって溶解したときに形成される。長い時間をかけて海水が火山灰を溶かすにつれて、コンクリートはどんどん強度を増していったのだ。
 これに対し、現代のコンクリートは、いったん固められた後にその構造が変化するようにはつくられていない。そのため、鉱物によって成長する古代ローマ時代のコンクリートと違い、私たちが今日利用しているコンクリートは、なんらかの化学反応が起こると、裂けたり割れたりしてしまう。とりわけ、海水は現在の防波堤にとって脅威となっている。補強鋼が錆び、その周りのコンクリートが腐食してしまうからだ。
 古代ローマ人は、幸運にも理想的な岩壁を作成することができた。そこでジャクソンは、現代科学の力を借りてこのコンクリート混合物を再現したいと考えている。
 ※古代ローマで使われていたコンクリート(ローマン・コンクリート)の研究をもとに、コンクリートの結晶に「螺旋転位」と呼ばれる“欠陥”を意図的につくると強度が2倍に高まるという研究結果も発表されている。なお、米軍は通常のコンクリートよりはるかに強度があり耐久性もあるスーパー・コンクリート(ジオポリマー)の研究を進めているが、大ピラミッドの石も同種の技術で作られていたという説もある
https://wired.jp/2017/07/30/roman-concrete/
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 上記の説明が正しいとすれば、現代建築は古代ローマの建築よりも劣っていることになります。あるいは経済性を優先するあまり、故意に100年前後の耐久性にしたとも考えられますが、真実は分かりません。しかし、多くの高層ビルで現代コンクリートが使用されている現状では、いつかは建て替えなければならない時期が来ることでしょう。日本でも多くのコンクリート建設物の耐久性が課題となっており、特に橋梁の架け替えが問題となっています。
 これは日常で使用する家庭用品も例外ではありません。私が使用していた電気ケトルは購入して5年で壊れました。ネットで調べてみると、多くの製品が5年で故障するように設計されているそうです。長期間使用するように作ることも可能でしょうが、そうすると製品が売れなくなるので、使用期限を早めに設定しているようです。現代文明では大量消費を基本としていますので、長持ちする製品は敬遠されるのでしょう。残念なことです。

2023年01月15日

#465 あなただけの人生をどう生きるか

 今日は真冬なのにまるで春のような暖かい日差しが部屋に降り注いでいます。今週は高温特別注意報が出されており、春のような気温になるようです。明日は成人の日ですが、最高気温が15度を超えると予想されています。成人の日には晴着を着る新成人のために晴天を期待しますが、今冬は厳冬と予想されており、事実、北国では大雪で被害も出ています。しかしながら、この高温では雪崩などの別の心配をする必要が出てきます。ヨーロッパではまったく雪が降らず、各地のスキー場では人工雪で急場をしのいでいます。南ヨーロッパでは海水浴をするニュースが流れていました。何事も中庸が大切です。
 さて、シスター渡辺和子さんが2016年12月30日に帰天されて昨年末ですでに6年になります。シスター渡辺についてはこのブログ(#82)ですでに述べましたが、シスターは多くの著作を残されており、シスターの考え方、生き方をその著作を通して知ることができます。今日はその中の一冊「あなただけの人生をどう生きるか」(ちくまプリマー新書)より、いくつか名言をご紹介します。この本は新しく大学生になった若者たちへの呼びかけとして書かれたものです。
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「皆さんに求められるものは、授けられる知識に能動的に働きかけて、
 知識を知恵に、すなわち自分にとって価値あるものにしてゆくことです。」

「求めよ、さらば与えられん。探せ、さらば見出さん。叩け、さらば戸は開かれん。
 という聖書の言葉のように、自主性を持った人として大学生活を送りましょう。」

「真理に対し、善に対し、美に対して、
 すなおな自由人になること、
 それが大学で行われる授業の目的です。」

「理解されるよりも理解すること、慰められるよりも慰めること、
 愛されるよりも愛することの喜びを
 知る人になっていただきたいと思います。」

「自分なりに、考えて、選んで、
 その選んだことに対して責任を取っていく、
 人格としての生き方というものは、人間にしか許されないものです。」

「今日からは、自分が世の中で、どういう位置を占めているか、
 自分の役割はなんだろうか、と考えるロール志向の生活に移ってほしい。」

「自分の思うとおりの人生はありません。
 にもかかわらず、人間には、輝くことのむずかしい条件のもとで
 輝くことのできる自由が与えられています。」

「もし、あなたが期待したほほえみが得られなかったら、
 不愉快になる代わりに、あなたの方から、ほほえみかけてごらんなさい。」

「どこにいらしても、どうか置かれた場で美しく咲いてください」
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 シスター渡辺は長い間ノートルダム女子大学で理事長を務め、多くの女子大学生と交流を深めてこられました。上記の言葉は新入生に送られた言葉のほんの一部です。詳しい内容を知りたい方は是非一読ください。
 明日は大牟田市で成人式が行われますが、当塾を卒業した5名が参加します。なつかしい塾生達の笑顔が今でも思い出されます。

2023年01月08日

#464 謹賀新年

 新年あけましておめでとうございます。令和5年、2023年の幕開けです。今年はどんな年になるのでしょうか。年頭に当たり、皆様のご健康と幸せを祈る一年とさせていただきます。
 さて、一年間幸せが続きますように、と言いたいところですが、どうも甘いことばかりを考えてもいられないようです。例えば、新コロが強弱を繰り返しながら今年でコロナ禍が3年続くことになります。日本でも現在第8波が国内で猛威を繰り広げています。
 その発生源とされている中国では昨年末にゼロコロナ政策が放棄された結果、イギリスBBCによる情報では先月1か月間だけですでに2億人以上が感染したと報じられています。NHKや民放のニュースでは火葬場に遺体を運ぶ並ぶ霊柩車が並んでいます。また各病院では患者が院内に入れずに、道路に並んで点滴を打つ姿が報道されています。また治療する医者も点滴を打ちながら患者の診察に当たっています。
 中国政府は情報を統制管理していますので、中国国内の真相は分かりませんが、私たちが知らないところで異常な状況が生じていることをこれらのニュースが示しています。岸田政府はこの状況を考慮して、先月30日より中国からの旅行者に対し、国内の各空港でコロナ検査を実施しており、ヨーロッパでもイギリスやフランスなど、中国人に対して日本と同様な措置を行っています。中国政府はこれらの対策に対し、人権侵害と反論していますが、空虚な反論にすぎません。
 次は昨年から継続しているロシア・ウクライナ戦争です。ロシアは断続的にウクライナの各都市にミサイルやドローン攻撃を行なっています。ドローンはイラン製であるとの報道もなされています。このウクライナ戦争がいつまで続くのか予想不可能です。プーチンは自らの野望のためにロシア国民を巻き込み、徹底的に攻撃しようと目論んでいます。またウクライナも徹底抗戦を唱えています。西側諸国もウクライナへ支援を続けており、ロシアは支援国に対し、核攻撃使用をちらつかせて恫喝しています。実際核を使用するか分かりませんが、ロシアは切羽詰まった状態で核を使用することもあり得ます。それは核戦争の端緒となる可能性が高くなることでしょう。
 中国の台湾侵攻も懸念の1つです。習近平は自分が毛沢東のように神格されたいために、台湾占領を公言しており、遅くとも7年以内に実行すると言っています。ロシアの動き次第では予想以上に早く台湾侵攻を始めるかもしれません。日本にとり、台湾侵攻は有事であり、アメリカと日本が台湾防衛のためにどのような動きをするかで、最悪の場合に紛争が東アジア戦争へと拡大していくでしょう。それと同時期に北朝鮮の動きも気になるところです。北朝鮮と中国は今でも軍事同盟を標榜しており、中国の動きを支援するために何らかの軍事行動を、特に日本に対して行う可能性があります。金正恩は核兵器保有の急激な増加を公言しており、近い将来大きな脅威になると言えるでしょう。
 元旦から暗いニュースばかり書きましたが、2023年は明るい未来へ向かうか、暗い未来へ向かうかの大きな岐路となることでしょう。紙面の都合上ここでは述べませんが、国内では昨年に続き今年も多くの分野で物価が急上昇するでしょう。国民の給与が多少上昇しても、物価の上昇を補うだけの昇給となるでしょうか。また年金生活者はより少ない年金で生活しなければならず、昨年よりも厳しい生活状況が続きます。国内では他に様々な問題が山積しています。そのような国内・世界情勢の中でいかに生きるかが今年の大きなテーマとなります。
 未来は白紙です。私たちの日々の思いや行動が未来の道筋を創ります。少しでも良い世の中になるように頑張って生きて行きたいものです。今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。

2023年01月01日

#463 クリスマス

 一ドルと、八七セント。それで全部。しかも小銭だらけでした。
 野菜や肉や缶詰を買うたびごとに、恥ずかしいほど値切りに値切って、一枚二枚と貯めた小銭です。デラは三回数え直しました。一ドルと八七セント。明日はクリスマスなのに。
 どう考えたって、今のデラにできるのは、すり切れた小さなソファに倒れこんで泣き出すことくらいです。ですからデラは、ソファに倒れこんで泣き出しました。
 ああ、人生は、大泣きと、すすり泣きと、微笑みとで出来ているんだ、それで一番多いのは、すすり泣きなんだ。デラはそんなことを考えました。
 この家の主婦であるデラが落ち着くのを待つ間に(今は大泣きの段階ですが、これからだんだん次の段階に移りますからね)、家について紹介しましょう。
 家具付きアパートで、家賃は週八ドル。口にできないほどひどい、という訳ではありませんが、もし「アパート」という言葉で呼ばれていなかったら、住人は浮浪者と間違われて警官に追い払われていたかもしれません。
 玄関の下には、どこからも手紙の来ない郵便受けと、誰の指でも鳴らせない呼び鈴。それと、「ミスター・ジェームズ・デリンガム・ヤング」という名札が貼ってありました。
 その名前の持ち主が週三〇ドル稼いでいた黄金時代には、「デリンガム」の名札もそよ風に吹かれて元気に暴れていました。ところが今、収入は二〇ドルに減り、「デリンガム」もぼやけてきて、「デリンガムはちょっと長すぎるんじゃないか、もっとつつましく控えめに、『D』の一文字だけでいいんじゃないか」と文字たちが真剣に話し合っているようでした。
 それでも、ジェームズ・デリンガム・ヤング氏が二階の部屋に帰ってくると、先ほど紹介した「デラ」ことジェームズ・デリンガム・ヤング夫人が出迎えて、夫を「ジム」と呼びながら、しっかりハグするのでした。素晴らしいことです。
 さて、デラは泣きやむと、化粧を直しました。そして窓ぎわに立って、灰色の裏庭にある灰色のフェンスの上を灰色の猫が歩いていくのを、ぼんやり眺めました。
 明日はクリスマスなのに、ジムにプレゼントを買うお金はたったの一ドル八七セント。何ヶ月も必死で節約してきたのに、こんな結果だなんて。
 週二〇ドルでは何もできません。支出は予想以上でした。そういうものです。ジムにプレゼントを買うのに、たった一ドル八七セント。大切なジムなのに。
 どんな素敵なものをプレゼントしようかと計画を練った時間は、彼女にとってとても幸せなものでした。何か、素晴らしくて、貴重で、品があって、ジムが持つのにふさわしいものを贈りたかったのです。
 部屋の窓と窓の間には、姿見がありました。週八ドルのアパートにありそうな程度の鏡です。縦長の断片になった像を素早く見て、自分の全身を把握できるのは、よほど細くてすばしこい人だけでしょう。でもデラはスレンダーだったので、その技を身につけていました。
 デラは急に、窓のほうから向きを変え、鏡の前に立ちました。その眼はきらきら輝いていましたが、顔は二〇秒間まっ青でした。彼女は手早く髪をほどいて下ろし、まっすぐ垂らしました。
 ジェームズ・デリンガム・ヤング家には、大いに誇れる持ち物が二つありました。
 一つは、ジムの金の懐中時計。おじいさんから代々受け継がれたものです。
 もう一つは、デラの髪の毛でした。
 もしもシバの女王がお隣に住んでいたとして、ある日デラが髪を乾かすために窓から外に垂らしたら、それだけで女王陛下の宝石も財宝も価値がなくなってしまうでしょう。もしもソロモン王がアパートの管理人で、宝物を地下室に詰め込んであったとしても、ジムがそこを通りかかって時計を出すのを見たら、王様は自分のひげを引っ張って悔しがるでしょう。
 さて、デラの美しい髪は、栗色の滝のように輝き、波のようにうねって、彼女のまわりに垂れていました。それはデラのひざまで届く長さで、まるで着物のようでした。
 デラは少しいらいらした様子で、すばやく髪をまとめました。
 そしていったん動きを止め、一分間、ためらっていましたが、やがて一滴、二滴と涙がこぼれ、すり切れた赤いカーペットを濡らしました。
 それからデラは、くたびれた茶色のジャケットを着て、くたびれた茶色の帽子をかぶりました。スカートをひるがえし、眼には涙の鮮やかなきらめきを浮かべたまま、ドアから出て、通りへと階段を降りました。
 彼女が立ち止まった所には、看板が掲げられていました。
 『マダム・ソフロニーの店/ヘアグッズ各種取扱』。
 デラは階段を駆けのぼり、息を切らしながらも、心を落ち着かせました。マダムは、色白で体が大きく、冷ややかで、とても「ソフロニー」という感じではありません。
「私の髪を、買ってもらえますか?」デラはたずねました。
「買いますよ」マダムは答えます。「帽子を取って、ちょっと見せてみなさいな」
 茶色の滝が、さらさらと揺れ落ちました。
「二〇ドル」マダムは、慣れた手つきで髪を持ち上げながら言いました。
「すぐに下さい」デラは言いました。
 ああ、それからの二時間は、薔薇色の翼に乗って軽やかに過ぎていきました。いえ、そんな使い古しのたとえは忘れて下さい。デラは、ジムへのプレゼントを探してお店をまわっていました。
 ついに、デラは見つけました。
 間違いなく、他の誰でもないジムのために作られたものでした。デラはあらゆる店をくまなく見てまわりましたが、どのお店にもそんな素晴らしいものは無かったのです。
 それは、プラチナの時計チェーンでした。
 デザインはシンプルで洗練されていて、見せかけの装飾など無く、もの自体に価値があることがはっきり分かりました。良いものとはそうあるべきでしょう。チェーンはあの時計にふさわしいものでした。デラはそれを見たとたん、これはジムのものでなければいけない、と確信したのでした。
 そのチェーンはジムに似ていました。落ち着いているけれど、価値がある。その表現は、どちらにも当てはまります。
 チェーンは二一ドルでしたから、デラは残りの七八セントを持って、急いで家に帰りました。時計にこのチェーンをつければ、ジムは誰の前でも堂々と時間を気にかけることができるでしょう。時計は立派でしたが、チェーンではなく革ひもをつけていたので、ジムはこっそりと時計を見ることがあったのです。
 家に着いた時にはデラの興奮は少し落ち着いていて、代わりに慎重さと理性が働き出しました。ヘアアイロンを出してガスに点火し、自分の愛に寛大さをプラスしたことで生まれたダメージを、回復する作業を始めます。こういうのはいつでも大変な仕事なのですよ、本当に。大仕事です。
 四〇分もたつと、デラの頭は小さく巻いたカールで覆われました。まるで、ずる休みの男子小学生みたいな頭です。デラは鏡に映った自分を、長い時間、注意深く、鑑定師みたいに眺めました。
「ジムが驚いて私を殺さなければの話だけど」デラは独り言を言いました。「見てすぐに、コニーアイランドのショーに出てくるコーラスガールみたいだって言われるかな。だって、何ができたっていうの? たった一ドル八七セントで、何ができたの?」
 夜七時には、コーヒーが用意できて、フライパンはストーブの上に載り、ばら肉を焼く準備もできました。
 ジムは決して遅れませんでした。デラは、時計チェーンを二重に巻いて手に握り、いつもジムが入ってくるドアの近くのテーブルの、はしっこに座りました。それからすぐに、ジムが階段を上る足音が聞こえると、デラは一瞬青くなりました。ふだんからちょっとしたことでも口の中でお祈りを唱える癖があったデラは、こうささやきました。「お願い、神様。今の私もかわいいって、ジムに思わせて下さい」。
 ドアが開き、ジムが中に入り、ドアが閉まりました。ジムはやせていて、真面目な表情に見えました。まだ二二歳なのに、かわいそうな人。彼は家庭を背負っているのです。新しいコートが必要だし、手袋もしていません。
 中に入ったジムは、そこで立ち止まりました。獲物の鳥の匂いに気づいた猟犬のように、じっとしていました。ジムの眼はデラに釘付けになって、その眼はデラには読み取れない表情をしていたので、デラは怖くなりました。それは、怒りでもなく、驚きでもなく、非難でもなく、恐れでもなく、デラが覚悟していたどんな感情とも違うものでした。
 ジムは、その奇妙な表情を浮かべた顔で、じっと彼女を見つめていました。
 デラはテーブルから離れて、ジムのそばに行きました。
「ジム、ねえ」デラは泣いていました。「そんなふうに見ないで。髪は切って、売ってしまったの。プレゼントなしでクリスマスを過ごすなんてできないから。また伸びるもの、怒らないよね? それしかなかったの。私の髪はすごく早く伸びるし。『メリークリスマス』って言って。ジム、楽しく過ごそう? まだジムは、私のプレゼントが、どんなに素敵なものか、――どんなにきれいで、素敵なものか、分からないでしょう?」
「髪を、切っちゃったの?」ジムはぎこちなく聞きました。一生懸命考えても、この明らかな事実を飲み込めないようでした。
「切って、売ったの」デラは言いました。「でも、前と同じように、私のこと好きでいて。髪がなくても、私は私でしょう?」
 ジムは何か探すように部屋を見回しました。
「髪がもう無いって言うの?」ジムは、間の抜けた口調で言いました。
「探さなくてもいいの」デラは言いました。「売っちゃったの。本当なの。売ったから、なくなったの。ねえ、クリスマス・イブだよ。許して、ジムのためにしたことだから。神様は私たちの頭の毛までもみな数えて下さっているって、聖書にはあるけど」デラは急に、真面目な優しい声になって続けました。「でも私からジムへの愛の深さは、誰にも測れない。ジム、肉を火にかけてもいい?」
 ぼうっとしていたジムは、すぐにハッとして、愛するデラを抱きしめました。
 ここで十秒間だけ、別のテーマの些細な話について、ちょっと慎重に考えてみましょう。週に八ドルと、年に百万ドル、その違いは何でしょうか。
 数学者とか、口が上手い人は、間違った答えを出すでしょう。福音書の「東方より来たりし三賢者」は、価値ある贈り物を持ってきましたが、その中にも解答はありませんでした。
 この謎めいた話には、後ほど光が当たることになるでしょう。
 ジムはコートのポケットから包みを取り出して、テーブルの上に置きました。
「デラ、勘違いしないで。」ジムは言いました。「髪形を変えたとか、顔を剃ったとか、シャンプーをしたとか、そんなことでぼくのデラを嫌いになんかならない。ただ、その包みを開ければ、ぼくがどうしてさっきあんなに戸惑ったのか、デラにも分かるよ」
 白い指がもどかしげに、ひもを切って包装紙を開きました。そして喜びの叫びが上がり、次の瞬間には、ああ! その喜びはすぐに、ヒステリックな嘆きと涙へと変わったのです。主人は、あらゆる方法でデラを慰めなければいけなくなりました。
 包みの中身は、「くし」でした。頭の横と後ろから髪に挿せる飾りぐしのセットで、デラはそれをブロードウェイのショーウィンドウで見てからずっと憧れていたのです。宝石のふち取りがついた、本物のベッコウ製の美しいくし。売ってしまった美しい髪に挿すにはぴったりの色合いでした。
 高価なものだと知っていましたから、デラは今まで、自分のものにしたいなどとは思いもせず、ただただ憧れていたのです。それが今、彼女のものになりました。でも、憧れの飾りぐしが輝くはずのふさふさとした髪は、もう無いのでした。
 しかし、デラはそのくしを抱きしめました。そしてようやく、うるんだ眼を上げて、微笑みながら言いました。「ジム、私の髪は、すごく早く伸びるの!」
 それからデラは、やけどした猫のように飛び上がって叫びました。「あっ!」
 ジムはまだ、デラからの美しいプレゼントを見ていないのです。デラは手を広げて、ジムにそれを差し出しました。プラチナの鈍い光は、熱心に輝くデラの魂を反射してきらめいているようでした。
「素敵でしょう、ジム? 街中を探して見つけたの。一日に何十回も時間を見たくなりそう。時計を貸してよ。どんなふうになるか見たいから」
 ジムはそれには従わず、ソファに腰を下ろして、頭の後ろに両手を回しながら微笑みました。
「ねえ、デラ」彼は言います。「クリスマス・プレゼントは、しばらくしまっておこうよ。いますぐ使うにはもったいない。時計は売っちゃったんだ、くしを買うためにね。さあ、肉を火にかけて」
 東方の三賢者は、ご存知の通り、賢い人たちでした。すばらしく賢い人たちでした。桶の中に寝かされた、生まれたばかりのイエスのために贈り物を持ってきたのです。これが、世界で初めてのクリスマス・プレゼントでした。贈る人が立派ですから、贈り物も立派でした。もしかすると、プレゼントがだぶったときには、別のものと交換できるサービスも用意していたかもしれません。
 ここまで私は、アパート暮らしの愚かな子羊たちの平凡な物語を、つたないながらご紹介してきました。二人は浅はかにも、家にあった最高の宝物を、それぞれ失ってしまったのでした。
 しかし、現代の賢者である皆さんに、最後にこう言わせてください。贈り物をするあらゆる人たちの中で、この二人は、もっとも賢い二人なのです。贈り物をあげたりもらったりする皆さん! この二人のような人間こそが、もっとも立派な人たちなのです。世界中のどこでだって同じです。
 彼らは、賢者なのです。

賢者の贈り物(The Gift of the Magi)
オー・ヘンリ O. Henry 作 (石波杏訳)
http://www13.plala.or.jp/nami/index.html)より転載
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 今日はクリスマスイブです。世界の多くの人々がクリスマス・イブを祝います。街に出かけて食事をしたり、パーティを開いたりして楽しみます。「賢者の贈り物」は貧しい夫婦の愛情のこもった物語で、この時期には必ず読まれる短編です。オー・ヘンリーは私の好きな作家ですが、他にも多くの傑作を残しいます。
 明日はクリスマス。キリスト教徒は教会に出かけ、ミサに参加します。日本でも多くのミッションスクールでは冬休み前に講堂などで生徒・職員全員でミサを捧げます。クリスマスは「キリストのミサ」という意味です。
 ウクライナ紛争やコロナ惨禍、物価高などにより暗い世相が続いていますが、来年は明るい年が来ますように祈りたいものです。人の心に平安を。世界に平和が訪れますように祈りたいと思います。
 いつもより1日早いですが、今年のブログは今日で終わりです。次の日曜日は1月1日になります。時間があれば元旦に新年のブログを載せたいと思います。今年も1年お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

2022年12月24日

#462 ブックサンタ

 今年も残り2週間となりました。昨日からの寒波で今日の最高気温は4度に止まっています。クリスマス寒波という表現がありますが、天気予報では今度の週末も雪の予報となっています。
 ところで今度の土曜日はクリスマスイブ、日曜日はクリスマスに当たり、多くの家族やカップルが街に出かけて、クリスマスを楽しむことでしょう。しかしながら、昨今の物価高で外食や子どものためのプレゼントを買う余裕がない家庭が増えています。少なくとも幼い子どもたちに絵本でも買ってやりたいと思っている多くの親御さんがいらっしゃると思いますが、家計的にもなかなか余裕がない方が多いようです。
 さて、ブックサンタという言葉をご存じでしょうか。書店で絵本を購入して、それを関連のNPOに依頼して、貧しい家庭の子どもたちにクリスマスの贈り物としてその本を届ける活動です。先日NHKのニュースで特集していましたが、私は初めてこの活動のことを知りました。その内容の一部を次に転載します。
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「ママ、生きてて良かったね」1冊の絵本が運ぶクリスマス
「ママ、生きてて良かったね」
去年のクリスマス、ふだん言葉数の少ない小学生の息子に言われて驚いた母親。思わずこぼれそうになった涙をこらえて答えました。
「そうだよ、生きていれば良いことってあるんだよ」
リレーのバトンのように1冊の絵本が届くとき、贈られる側にも、贈る側にも笑顔が生まれる。ことしの冬の、それぞれの物語です。

<「誰かのため」のサンタクロース>
 冷え込み始めた12月上旬、友人と書店を訪れたのは都内で生花店を営む山岡まりさん(55)。“サンタクロース”になって、ことしで6年目になります。山岡さんが「ブックサンタ」という取り組みを聞いたのは5年前のこと。「あなたも誰かのサンタクロース」を合言葉に、クリスマスに自分が選んだ絵本を経済的に困窮する家庭などの子どもたちに贈ろうと、NPO法人が始めたものでした。
 取り組みに参加する書店で絵本や児童書を購入すると、各地の拠点に送られます。その後、応募があった家庭の子どもたちの年齢などに応じて選書されたのち、支援団体やボランティアのサンタクロースによって届けられる仕組みです。
(山岡まりさん)
「楽しく本を読んでほしいなって。絵本を読んでいる間に暗いことってあまり考えないと思うので、そういう時間だけでもプレゼントになるんじゃないかなと思います。誰かはわからないけど誰かのためにプレゼントを贈るというのは、私にとってもすごく大事な行事になっています」
生花店を営んで17年目になりますが、コロナ禍で厳しい時間を過ごしてきました。
取引先の飲食店が営業できなくなり、人が集まって花を贈る機会も減り、売り上げは3割ほど減少。そこに物価高による仕入れ値の高騰が追い打ちをかけました。それでもことしは正月とお盆に、久しぶりに高齢の両親と会うことができたといいます。
(山岡まりさん)
「人に会う機会が増えたからこそ、また何か人にしてあげたいという気持ちが高まりました。こんな世の中ですし、コロナ禍で私自身も翻弄されたここ数年ですが、それはみんなにも起きていることで。やっぱり大事なことって、こういうあったかい気持ちだったりするのかなと思います」

<「クリスマスなんて…」を変えたくて>
 このプロジェクトを始めたのはNPO法人「チャリティーサンタ」の代表、清輔夏輝さんです(38)。子どもを社会全体で支えるための活動をしてきた中で、困窮する家庭から「クリスマスなんて来なければいいのに」という声を多く聞いたことがきっかけでした。
(NPO法人「チャリティーサンタ」代表 清輔夏輝さん)
「クリスマスの準備ができず、ケーキもない、プレゼントもない、ツリーもない、ただの普通の1日でしかないという家庭があることが年々わかってきた。子どもの気持ちに立って考えると、学校や保育園、幼稚園で『きのう何もらった』『サンタさん、どうだった』と話が出た時に、何も言えずに下を向いてる子どもたちがいるというのは、何とかしたいと考えました」
 最初は800冊から始まりましたが、去年はおよそ3万5000冊に。参加書店も58店から6年目の今年は779店舗に増え、初めて47都道府県すべてに広がりました。一方で、ことしは長引くコロナ禍の影響に加えて物価高も響き、家庭から寄せられる声は、去年以上に切実さが増しているといいます。
 収入が上がらないけど、物価は上がり普段の生活品や食費でギリギリになっていて、プレゼントの用意をしてあげられる余裕がない」「娘が生まれてからクリスマスプレゼントを用意出来た事がありません。サンタクロースという存在は知っていますが自分の所には来ないと思っています」「事情を理解して我慢をしすぎてしまう健気な7歳の娘にとびきりのサプライズを贈りたいです」
(NPO法人「チャリティーサンタ」代表 清輔夏輝さん)
「社会は結構大変な状況にあって、それはどの家庭も一緒だと思いますが、クリスマスはどんな子どもたちも楽しみにして笑顔で迎えられる日にしたいと願っています。いろんな方たちの思いがあって届くので、まさに本というプレゼントを通じて“思いのバトン”が続いていくと感じています」

<「ママ、生きてて良かったね」>
 そんな思いに支えられている親子がいます。11歳の息子と3歳の娘と3人で暮らす、やすこさん(37)。契約社員として働いていますが、コロナ禍で仕事が減り、収入が減少。さらに物価高も加わり、児童扶養手当をもらっても生活は厳しく、家賃を支払うと数万円しか残らない月もあるといいます。
(やすこさん)
「光熱費も最近あがってしまっているので、本当に厳しく切羽詰まっています。息子はお肉が大好きですがあまり買えないので、ごはんにふりかけをかけたり食パンを1枚、夜に食べたりしていることもあります。本を買うぐらいだったら食費に、となってしまう。生きるために」
砂糖をかけて焼いたトーストをケーキの代わりにした去年のクリスマス。子どもたちがとびっきりの笑顔を見せたのは、ブックサンタのサンタクロースが絵本を届けに来てくれたときのことでした。
(やすこさん)
 「本当に目がキラキラして。長男が本をもらった時に最初に言った言葉が『ママ、生きてて良かったね』という言葉だったんです。びっくりして、それぐらい何か思い詰めていたんだなって。『そうだよ、生きていれば良いことってあるんだよ』と答えたんですけど、生きる源みたいな感じだったので、あーすごいなあって思いました」
 「サンタさんってホントにいるんだね」そういって喜んだ子どもたち。翌日、学校や保育園でも「プレゼントもらったよ」「サンタさん来たんだよ」と話していたといいます。その後も、サンタさんの話はことあるごとに家族の話題にのぼり、もらった絵本は何度も何度も繰り返し読みました。去年以上に厳しい状況で、誕生日もプレゼントを用意できなかった今年、もしまたサンタさんが来てくれたなら…願うような気持ちで応募したといいます。
(やすこさん)
「用意して下さった皆さんの思いが詰まっているのをひしひし感じます。子どもたちの笑顔が私の中で一番の生きがいで、本をもらったときの顔は、本当だったら動画で撮って記録したいくらいでした。あの笑顔がまた見たいです」
(やすこさん)
 「用意して下さった皆さんの思いが詰まっているのをひしひし感じます。子どもたちの笑顔が私の中で一番の生きがいで、本をもらったときの顔は、本当だったら動画で撮って記録したいくらいでした。あの笑顔がまた見たいです」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221216/k10013917171000.html
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 この特集記事はまだ続きますが、興味のある方は上記のアドレスをクリックしてください。写真付きの全文がお読みいただけます。私も昨日近くの書店に出かけて絵本を数冊購入して、ささやかなブックサンタになりました。どこかの家庭の子どもたちに購入した絵本が届くことでしょう。その子たちの嬉しそうな笑顔を想像すると、私もほんのり幸せを感じることができます。Merry Christmas to You!

追記:
ブックサンタの詳細な情報は次のアドレスをクリックしてください。
https://booksanta.charity-santa.com/

2022年12月18日

#461 未だ見ぬ景色へ

 サッカーワールドカップも準決勝のチームがすでに出そろい、来週の日曜日深夜には決勝戦が行われます。日本チームは決勝トーナメント1回戦でクロアチアにPK戦で敗れましたが、そのクロアチアは準々決勝でも強豪ブラジルを再びPKで破り、準決勝ではアルゼンチンと戦うことになります。
 今大会ではPKによる勝敗が多いように感じられます。特に試合終盤になって同点に追いつき、延長戦でも勝敗がつかず、PK戦で強豪が敗れる波乱が続いています。そう考えますと、日本がPK戦で敗れたことは、勝負運が無かったと言えるのでしょう。
 さて、今後日本チームがベスト8以上に進むには何が必要なのでしょうか。森安監督はテレビインタビューでしみじみと語っています。「日本チームが今以上に強くなるためには選手一人ひとりの力を向上させるとともに、チーム全体の実力を向上させる必要があります。」現場を指揮してきた監督らしい言葉です。
 確かにサムライジャパンはこれまで以上に海外で活躍している選手が増え、海外の各チームで堂々とプレーしています。しかし、これだけでは何かが足らないのです。例えばメッシやロナウド、ネイマールに匹敵するようなスーパースターはまだ日本にはいません。チームを引っ張っていけるほどのスーパースターがこれからの日本には必要です。また試合戦術として日本は守備力を中心としたチーム力を養成し、速攻で得点を取る戦術を主として用いてきましたが、準々決勝の試合を見ていますと、守備に徹したチームはありません。守備にも攻撃にも臨機応変に戦術を変えていけるような本物の実力を持ったチームを創り上げることが、ワールドカップで優勝できるチームと言えるでしょう。日本サッカー協会は2050年までに優勝できるようにチームを作りたいと言っていますが、選手個人の実力をさらに磨き、日本人らしい戦術を考え、その両輪がうまく回った時に優勝への道程が見えてくるものと思います。
 さて、他のスポーツではどうでしょうか。日本プロ野球が誕生した経緯は、1934年11月ベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームが全日本チーム等と16戦を行い、全勝しました。12月には、この全日本チームを中心として大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が誕生しました。 そして1936年には東京巨人、大阪タイガース、名古屋、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱の7球団により日本職業野球連盟創立、プロ野球のリーグ戦がスタートしました。プロ野球は90年ほどの長い歴史があります。その結果アメリカ野球と肩を並べるほどの実力を身につけ、イチロー選手や大谷選手のような大リーグで堂々と活躍できる選手が登場しています。
 一方、日本サッカーのプロ化は1993年に始まったに過ぎません。日本サッカーが日本プロ野球と同じくらい長く歴史を刻めば、それなりの輝かしい歴史を作ることになるでしょう。何事も訓練と経験の賜物です。ヨーロッパや南米のプロサッカーは長い歴史を持っています。サッカーは歴史でありその国のスポーツ文化でもあります。サムライジャパンの今後の成長を見守りながら、少しでも早くワールドカップでベスト8以上に進める日が来ることを楽しみに待ちましょう。

2022年12月11日

#460 1ミリの勝利

 季節はすでに冬に変わり、今年も残りひと月となりました。12月になり急に寒さが増して、最低気温が10度を下回る日が出ています。先月までは気温が平年を上回る日々が続いていましたので、それだけ寒さが身に沁みます。
 さて、ブラボー!ブラボー!ブラボー!です。サムライジャパンがまたやってくれました。強豪スペイン相手に2‐1の勝利を手にし、決勝トーナメントに進みました。試合が金曜日早朝4時にキックオフでしたが、国内の大勢の人が寝ないで、または早起きして応援していました。私も4時過ぎに起きて前半を応援しましたが、残念ながら1失点されて前半を終えましたので、試合後半はスペインが守りに入り、敗戦が濃厚だろうと思って、一度布団に入り眠ろうと思いました。
 しかし試合経過が気になり30分後に再びテレビをつけると2‐1で日本が試合をリードしていました。一瞬我が目を疑いましたが、確かに日本がリードしていました。その後何度も日本チームは危機を迎えましたが、それをみごとに乗り切り、歴史的な勝利を収めました。
 勝因は三苫選手のボールを諦めずに追いかけた1ミリの勝利だと言われています。スポーツの種目によって定義が異なりますが、サッカーではボールの中心がラインを超えても、ボールの端が1ミリでもラインにかかっていれば「イン」扱いとなります。今回から導入されたVARの写真でもボールがラインにギリギリかかっています。最後まで諦めない日本チームが劇的な勝利を勝ち取ったと言えるでしょう。
 次は決勝トーナメントでクロアチアと対戦しますが、さらに苦戦が続くことでしょう。決勝トーナメントに進むチームはどこの国であっても実力があり、どの試合も激戦が予想されるからです。
 どのスポーツでも言えることですが、相手のペースで試合をすることは避けなければなりません。たとえ格下の選手やチームであっても、相手のペースで試合を行うと逆転され、負けにつながることが多いのです。私は20年ほどテニス部の顧問をしていましたが、時々生徒たちがシード選手に勝利することがありました。その時は生徒たちがシード選手を相手に自分たちのペースで試合を進め、それが最終的に勝利につながりました。また逆のことも有り得ます。格下相手に負けるときには、必ず相手のペースで試合が行われ、いつの間にか負けていました。
 次の試合でサムライジャパンはどのような試合運びをするでしょうか。とにかく相手の試合運びに乗らないことです。ドイツ戦やスペイン戦のように、自分たちのペースで試合を進め、少ない機会を確実に決めて、勝利してもらいたいと思います。日本人の特性である協調性と組織的な戦いで新しい景色を私たちに見せてもらいたいものです。
 頑張れニッポン!




2022年12月04日

#459 悲劇から歓喜へ

 11月もすでに最終週となり、晩秋から初冬へ季節は移り変わっていきます。週末には寒気が予想されており、本格的な寒い季節がもうすぐやって来ます。そして1年の納めとなる師走が始まります。今年も残り1か月あまりとなっています。
 さて、冬の寒さを吹き飛ばすくらい日本国中が沸いています。そうです!サッカー日本チームの大躍進です。ドイツ戦に2-1で逆転勝利して以来、連日新聞やニュース、テレビ番組で優勝したような熱気で報道合戦が繰り広げられています。サッカーファンでなくても毎日サムライジャパンの話題を口にする日々が続いています。そして今日予選の最大の山場となるコスタリカ戦が本日午後7時から始まります。
 1993年の「ドーハの悲劇」から早や29年でドイツに勝利した日本サッカーは着実に実力をつけてきました。このドーハの悲劇とは、「1993年10月28日にカタールの首都・ドーハのアルアリ・スタジアムで行われたサッカーの国際試合で、日本代表対イラク代表戦の日本における通称です。1994年アメリカワールドカップ・アジア地区最終予選の最終節で行われたこの試合は、第4戦終了時点で日本は勝ち点・勝率においてグループ1位となり、初のワールドカップ本戦出場に王手をかけており、ほぼ確定的と思われていました。そんな中、最終第5節において、試合終了間際まで2-1でリードしていながらロスタイムにイラク代表に同点ゴールを入れられ失点したこと、引き分けでありながら勝点が同じ韓国に得失点差で敗れて「グループ3位」となって予選敗退してしまったことから、日本サッカー史において伝説的な出来事として扱われるようになりました。
 なお、日本がワールドカップ本選出場を果たすのは、1997年11月16日、『1998 FIFAワールドカップ』フランス大会になります。このアジア最終予選のアジア第3代表決定戦をイラン代表と戦い、勝利を収めたことによりFIFAワールドカップ本戦初出場を決めたことから、『ジョホールバルの歓喜』と呼称されました。(ウィキペディアより)
 私も当時この試合をテレビ観戦しており、ワールドカップに初出場できるものと確信していた際にゴールを決められ、奈落の底に落とされた気がしました。1998年のフランス大会で初めてワールドカップに出場した日本はグループリーグでなかなか勝利に結びつかずに世界との実力の差を感じたものでした。それから四半世紀が経ち、多くの日本選手が海外へ進出し、活躍している昨今です。そんな中でドイツに勝利したのは単なる奇跡ではなく、ある意味では日本サッカーの進歩だと言えるでしょう。
 「サッカーは文化だ」と、よく言われますが、確かに試合運びやボールに対する執着心など国により地域により微妙な差が出てきます。この態度を「文化」という言葉で言い表すのは面白いと思います。たとえば日本サッカーはあまり反則やずるいプレーをしない傾向にありますが、南米や他の地域では堂々と行われます。特にシュミレーション行為(反則・違反行為を相手にされたふりをすることです。シミュレーションとは悪いことのように思いますが、実際にプレーをしてみると危険なタックルには身体が勝手に反応して避けることもあり、シミュレーションとの見極めは難しいものです。)を堂々と行います。
 今回のワールドカップではオフサイドなどの行為をAIを用いて厳しく監視しています。また選手交代も通常3名から5名に変更しており、この点では日本人選手にとって有利になっていると思われます。
 また、「文化」と言えば、ワールドカップで名物になっているものが試合終了後の日本人の清掃活動です。観客席だけでなく選手ロッカールームの片付けなど日本人独特な美意識が毎回世界の注目を浴びています。これこそが日本が世界に誇れる「文化」です。
 さあ、コスタリカ戦が近づいてきました。日本サッカーが花開く時です。日本国民全員が一丸となって応援する時です。選手には悔いのない戦いをして頂きたいものです。
頑張れ日本!

2022年11月27日

#458 ニーバーの祈り

ラインホールド・ニーバー "The Serenity Prayer"
「ニーバーの祈り」

神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ。

「ニーバーの祈り」は、アメリカの神学者であり牧師でもあったラインホールド・ニーバーが、1943年の夏、マサチューセッツ州西部の小さな教会で説教したときにした祈りの言葉だと言われています。しかし、この祈りの作者は18世紀の神学者フリードリッヒ・クリストーフ・エーディンガーだという説や14世紀の一兵士の祈りであったという説、古代アラビアから伝わってきた祈りだという説もあります。また、上の英文とは異なる祈りや、付加された祈りがあるものなどがあり、実際にはその作者はわかっていません。しかし、どのような文にせよ、神の知恵を知り、心の静けさと幸福を得る祈りとして、参考になると思います。
(https://hannah5.exblog.jp/2633255/)
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 上記の「ニーバーの祈り」は様々な所で引用される言葉です。昨日は期末試験の問題を作成しながらNHKのEテレを見ていました。午後2時から「心の時代」の再放送があり、女性漫画家の高浜寛(かん)さんの特集でした。彼女のマンガは日本よりも海外、特にフランスでとても人気があり、「ニュクスの角灯(ランタン)」は2018年に第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞、2019年にリーヴル・パリ(フランス語版)レコメンド作品、2020年に第24回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなど、秀作として知られているそうです。
 番組の中で高浜氏は連載中の2016年に熊本地震に被災したこと、アルコール依存症と闘病してきたことなどを語り、その中で「ニーバーの祈り」を引用していました。彼女は、「他人は変えられない。変えられるのは自分です。」と意味深に語っていました。彼女艱難苦難の人生をふり返って口から出た珠玉の言葉として、心に響きました。
 ちなみに、この「ニーバーの祈り」は福岡雙葉学園の理事長であったシスター金森が年頭の挨拶や学園の研修会等で、引用されたことを覚えています。世の中には自分の力では変えることのできない多くの事柄があります。特に対人的な問題には、相手を非難したり、自分の主張を押し付けたりしがちですが、それでは人間関係がうまく行きません。そういう時には一度立ち止まって、無理やり相手を変えようとするのではなく、自分を変えることによって物事が前に進むことがあります。
 すべての争いの根源は相手の気持ちを考えず、自分の意思を押し通そうとする偏狭な精神にあります。個人の争いもしかり、国家間の紛争もしかりです。相手が何を望んでいるかを冷静に考え判断し、お互いの一致点を見出す努力が必要となります。それが世の中を平和に導く有効な手段となります。世の中がギスギスしている今、「ニーバーの祈り」は、まさに必要な祈りであり、賢明な思考です。

2022年11月20日

#457 世界で一番正直な国

 久しぶりの雨でした。昨晩遅くから降り始め、早朝まで続いた3週間ぶりの雨でした。確かに秋は他の季節と比べて雨の少ない季節ですが、ここまで晴天が続くのは珍しいことだと思います。昨日は気温が25度を超えましたが、湿度が低く、爽やかな一日でした。久しぶりに荒尾ユメタウンにある紀伊国屋書店まで自転車で行って来ました。当塾から片道50分ほどかかりますが、湿度が低いために汗をかくこともなく、さわやかなサイクリング気分でした。周りの田圃は稲刈りがすべて終わり、来年の田植えの時期まで少しの眠りにつきます。炭鉱が盛んだった私が子どもの頃は太牟田・荒尾は炭鉱の町として繁栄していました。今はその面影もなく、炭鉱跡地がひっそりと佇んでいます。
 さて、ネット・サーフィンをしていましたら面白いYouTube記事を見つけました。「世界で一番正直な国はどこか」を調べるために財布を故意に落として、財布が戻ってくるか、という実験です。
 その内容は、海外のユーチューバーの方で、「街中で財布を落とすと日本人はどう反応するか」を試した方がおり、財布には5000円を入れておきます。50回落として、なんと50回すべてそれを拾った人が本人に届けるという結果でした。しかもほとんどの日本人は、拾ったあと皆小走りで。中には重いキャリーバッグを引っ張っていた女性もいましたが、彼女もその荷物を引きづりながら、走って本人に届けていました。
 日本人は世界でも誠実な国民性で知られていますが、この実験はその一端を示しているかもしれません。ただ、財布が道端に落ちていた場合に、その財布が落とし主に届くかは別問題です。海外では届く可能性は遥かに低く、落としたものは帰ってこないのが常識ですが、この場合にも外国人の観光客が落とした貴重品などが滞在場所に届けられ、大変驚いた等の意見がたくさんあります。
 ただし、この日本人の誠実さを利用し、オレオレ詐欺などの犯罪に付け込まれているのが悲しい現実です。騙されないように時と場合により猜疑心を持つ必要もあります。

外国人が驚いた日本「世界一正直な国」

https://www.youtube.com/watch?v=Qxo-_6S1AoE

2022年11月13日

#456 明光学園創立70周年

 爽やかな秋の日々が続いています。「食欲の秋」であるかのように、様々な秋のおいしい食べ物がスーパーの棚に所狭しと並んでおり、食欲をそそります。ただし、食欲にまかせて食べ過ぎますと、「天高く馬肥える秋」となりますので、充分な注意が必要です(笑)。
 さて、昨日(11/5)私が非常勤講師をしている明光学園が今年創立70周年を迎え、その感謝ミサと講演会が開催されました。明光学園のホームページによりますと、明光学園は、五大陸36ヶ国にあるカノッサ修道女会(本部ローマ)が設立した日本で最初の学校です。 全世界に約160の姉妹校があります。1952年、まだ世の中が第2次世界大戦後の混沌とした状況にあり、女子教育がなおざりにされていた時代に「有明の地の光のごとき存在であるように」との願いを込めて大牟田の地に設立されたのが。「明光」の名の由来となっています。最近では男子校や女子校の共学化が福岡県内でも進んでおり、筑後地区では明光学園が唯一の女子校となっています。
 昨日講堂に中高生や、教職員、学園関係者が集まり、感謝ミサが行われました。その後、「女子教育の大切さ」という演題で講演会が行われました。講師は田瀬和夫氏。この方は国連のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で緒方貞子氏の下で10年ほど働いた方です。近年では世界的にSDGS(持続可能な開発目標)が声高に叫ばれていますが、このSDGSを達成するためには女子教育が必要であると氏は説明します。例えば、発展途上国の貧困から抜け出すために女の子に教育を与えると、彼女たちは手に職を身につけ、自立し、それが社会や国の発展につながる、と力説されています。翻って、女の子に教育を与えない現在の環境では人身売買で他国に売られたり、強制労働をさせられたりして、奴隷のよう扱われ、命を落としたり、自立した人生を歩むことができません。
 日本のような先進国では想像できませんが、貧困がありふれた社会では、子どもたちがゴミ捨て山から使えるものを探して生活費を稼いだり、腐った食べ物を探して、その日の食事を取っています。このような状況は東南アジア、中南米など、世界中に多く存在し、子どもに対する人権が奪われています。田瀬和夫氏はこのような状況を打破するための企業(SDGパートナーズ)を設立し、活動している方です。
 生徒たちは真剣に講演会を聞いていました。いずれは大人になり、社会に出ていく彼女たちにとり、まだ日本社会は男性優位の社会です。様々な差別や偏見と戦って行かなければなりません。今日の創立記念ミサと講演会は彼女たちにとって大変役立ったことでしょう。

明光学園HP:https://welcome.meiko.ed.jp/
SDGパートナーズ: http://sdgpartners.jp/

2022年11月06日

#455 笑点に女性大喜利回答者誕生か?

 秋らしい日が続いています。朝晩は気温が10度近くまで下がりますが、日中は20度を超える気温になり、湿度も低いので、遠くの山々が鮮やかに姿を見せています。紅葉まではまだ時間がかかりそうですが、スーパーマーケットの果物や惣菜コーナーには秋の食べ物が並べられ、「食欲の秋」を満喫できます。
 さて今日は芸能の話題を一つ。毎週日曜日の夕方に放送されている人気番組「笑点」ですが、私は毎週欠かさず楽しみにしている番組の一つです。円楽師匠の死去により、その座が空席となっています。毎回様々な落語家がその席に座り、名(迷)回答を繰り広げています。おそらく日本テレビは後継者を探していることでしょうが、ある女性落語家に今スポットが当たっています。本日のブログはこの女性落語家を紹介します。
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『「笑点」史上初の女性大喜利回答者として大注目!ーー落語家・蝶花楼桃花「“女”なことはプラマイゼロ!」』
 今年の3月に真打昇進後、7月には過去最速で主任(トリ)を務めた落語界のホープ。ルックスと実力を兼ね備える彼女はどうやって現在の地位まで上り詰めたのか。
 うまい、かわいい、華があると三拍子そろった “寄席のプリンセス” は2022年3月、真打に昇進。蝶花楼桃花(ちょうかろうももか)という美しい高座名で活動していくことになった。前座名は春風亭ぽっぽ、二ツ目時代は春風亭ぴっかり☆。
「師匠の春風亭小朝から、『破裂音は耳に残る』と教えられていたのでまたパ行の名前かとも思っていたんですが、さらに素敵な名前をいただきました。真打はお披露目もあるので、師匠に一門全員が呼ばれたんです。高座名が何になるかは1ミリも知らずに行ったら『では、ぴっかり☆の新しい名前を発表します』って。師匠が『デレレレレレ』って口でドラムロールしながら一文字ずつ出していくという(笑)。蝶、花……蝶花楼だー! って頭の中で思いました。まさかの! って感じでしたね」
 七代目馬楽が2019年に亡くなってから誰も名乗っていなかった蝶花楼は、落語界の亭号のひとつ。小朝師匠の大師匠(師匠の師匠)である林家彦六が五代目蝶花楼馬楽を名乗った時期があり、一門には縁のある名前なのだ。
「蝶花楼とはなんて素敵なところを見つけてくれたんだろうと思いました。すごく嬉しかったですね。大きな名跡であるうえに女性が継いだことがないですし、字面がきれいじゃないですか。さすが師匠って思いましたね」

宝塚に憧れる少女が突然落語の世界に
 いまや注目の噺家として大活躍の桃花師匠だが、もともとは舞台女優に憧れていた。
「幼稚園に移動ミュージカルが来まして、それを観て舞台に立ちたいと言いだしたのが最初。小学生で宝塚歌劇団にハマって……涼風真世さんが好きで、ファンクラブにも入ってました。宝塚に入りたかったんですけど、私、すごいちびっ子なのでとても無理だと挫折して。それで尚美ミュージックカレッジ専門学校を出て、演劇倶楽部『座』に研究生として入ったんです」
「座」は日本語を美しく語ること、日本の伝統的身体表現(落語・歌舞伎・狂言・日本舞踊)に力を入れている育成所。そこで、桃花師匠は天啓を受けることになる。
「ある日、鈴々舎馬桜師匠が講義に来て『いろんな伝統芸能を観たほうがいいよ』って。それで寄席に行き始めたんです。たくさんの伝統芸能を観たんですけど、落語がいちばん自由だなって思いました」
 寄席に通ってさまざまな師匠の噺を聴き、多くの本を読んだ。そして、春風亭小朝師匠へ入門をめざすことになる。
「小朝の弟子になりたいと思ったのは、師匠の落語が大好きっていうのはもちろんですが、なんでも受け入れてくれる柔軟な考えができる方だと感じていたので。自分が女として落語をやっていくことを考えたとき、師匠みたいな噺家になりたいと思ったんですよね」
 最初は落とされるつもりで小朝師匠のところへ行ったという。「何回か断わられて、『親連れてこい』とかね……そういう弟子入りの儀式みたいなものがあるのだろうなと思っていました。とにかく一回断わられに行こうと、いろいろ調べて府中の独演会の昼夜の間に乗り込んでいったんです。いきなり楽屋へ行って『弟子入りしたいんです』って言ったら『弟子入りっ!?』『師匠、弟子入りで女のコが来てますー!』みたいな。
 それでも一所懸命に気持ちを伝えたら、マネージャーさんに『このコ、採るよー』って師匠が言ったんです。えっ、採ってもらえるの? と思っていたら『明日から来なさい』と言われ、翌日に横浜の独演会に行きました。そこで『君、ぽっぽって名前になったから』『ありがとうございます!』となったんです。そのときからいきなりバーンと落語家人生が始まっちゃいました」

修行の日々に染みた厳しさと優しさ
 そこから1年弱が見習い、そのあとの前座としての毎日。あわせて5年の修行の日々。
「前座は全員そうですけど、自分の時間は1秒もないです。365日寄席か師匠の家に行く。師匠のおつかいをしたり、カバン持ちをしながら、合間には稽古もつけてもらいましたし、ほかの師匠のところに出稽古にも行きました。菓子折りを持って『お願いします』ってお伺いして、教えていただく。
 たとえば、いきなり(立川)志らく師匠のところに行って『小朝のところのぽっぽと申します。噺を教えてください』ってお願いしたり。すると『君、誰?』みたいな顔をしながら、ホントはすごく優しくてちゃんと教えてくださる。落語ってそんな世界なんです」

<入門5年で二ツ目に昇進、春風亭ぴっかり☆となる>
「名前に☆がついて(笑)。そのときもいきなり『君、ぴっかり☆だから』って。二ツ目になると師匠の名前から一文字をもらったりすることが多いんです。私も師匠の文字が欲しかったので、少し抵抗したんですよ。でも皆さんがすぐに覚えてくださるので、結局『ぴっかり☆』も大好きな名前になりました」

緊張していないふりをしていた『笑点』
 真打昇進以降、多忙な桃花師匠。そのなかでも世間にインパクトを与えたのは、今年9月4日の『笑点』(日本テレビ系)への出演だろう。
「『堂々としていたよ』と言われますが、本当は緊張していないふりをするのに手いっぱいでした。やっぱりあの舞台に立たないとわからない独特な空気感がありましたね。歳の近い宮ちゃん(桂宮治師匠)にはかなりニヤニヤされましたが、あのメンバーのなかでレギュラーをやっていることをあらためて尊敬しました」
 注目された大きな要因は『笑点』史上初の “女性” 大喜利回答者であること。 “女性落語家” と呼ばれることを本人はどう考えているのだろうか。
「全然なんにも気にしてないです。気を遣っていただいて “女性” ってつけない方もいらっしゃいますが、お気持ちだけありがたくいただくことにしています。私をちゃんと認めてくださる方の言葉なら、なんと呼んでいただいても嫌ではありません。女性であることで、損することもあるんですけど、そのぶん得することもあるから、プラマイゼロかなと思っていますね」

<階段を着実に上り続ける彼女に、今後の目標なども聞いてみた>
「独演会を中心にいろいろなことをやりたいですね。ミュージカルだって、お話が来たらやりますよ! 来ないと思うけど(笑)。あとは寄席に託児所を設けるとか、見やすい環境を整えられればなと。寄席って長時間なんですよ。さすがに4時間は長いし、ハードルが高い。どうしたら女性や若い方が見やすくなるのかを考えた取り組みはしていきたいですし、広く愛される落語界にできたらいいなと思っています」

<ちなみに独身の桃花師匠。さらにおめでたい話などは?>
「結婚ねえ……。最近興味がなくなってきちゃって(笑)。二ツ目の最初のころは、本気で結婚しようと思っていて、モテようとしていた時期があったんですけど、この歳になるともういいかなって。まあ今は落語で手いっぱいですけど、頑張ってるといい話があるかもしれないですよね」

蝶花楼桃花(ちょうかろうももか)
二ツ目時代に「浅草芸能大賞」新人賞受賞。「NHK新人落語大賞」では3度にわたり決勝進出。11月1日なかのZERO(東京)、11月7日今池ガスホール(名古屋)、12月19日ABCホール(大阪)で真打昇進披露公演を開催
https://smart-flash.jp/entame/207442
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 どの芸の道も厳しい修業がありますが、特に話芸には師匠について長年修業を続けても大成しない弟子がたくさんいます。もし蝶花楼桃花さんが笑点の正式な回答者になられたら心から応援したいと思います。

2022年10月30日

#454 偉人のことば(2)

 今日は朝から快晴で、吹く風は涼しいのですか、気温が日中25度まで上昇し、まるで真夏が戻って来たような一日でした。さて前回に続いて今回のブログも「偉人のことば」を紹介したいと思います。
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「成功とは失敗に失敗を重ねても情熱を失わないことだ」ウィンストン・チャーチル
 20世紀最高のリーダーとして誉れ高いチャーチルは、実のところ落ちこぼれ人生を歩んできた人。中高時代は学業不振の「できそこない」、後に演説の名手となるものの長い間吃音に悩み、首相に就任するまでには失敗も多く、罷免されたこともありました。しかしナチスドイツの猛威を警戒していた彼は諦めるわけにはいかなかった。政界から追われた時期も、大量の読書をし、人に会い、知性を磨いた。その努力こそが第二次大で英国を勝利に導いたのです。情熱を失わない限り、成功の道は開けています。
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「涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味は分からない」ゲーテ
 うれしいことや、楽しいことばっかりだったらいいのに……。辛いことがあると、そんなふうに思うものです。しかし、人は過去に辛いこと、苦しいことがあってはじめて幸せを知ることができます。生まれてからずっと楽しかったら、「楽しいこと」を感じ取れないでしょう。苦しみがあるから、楽しみがあり、うれしさがあるのです。幸福と不幸は表裏一体、コインの裏表のようなもの。深い辛さや、苦しみを知っているほど、大きな幸福を味わうことができるのです。
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「自分がみにくいアヒルだと思っていたころは、こんなたくさんの幸せがあるなんて思っても見なかった」アンデルセン
 「みにくいアヒルの子」は、作者アンデルセン自身がみにくいアヒルの子と同様に、周りに対して劣等感を抱き苦しんだ姿を重ね合わせた物語。人と自分が異なる存在であることは当然です。しかし、自分が劣等感に苛まれていると、苦しくてそれに気づくことができません。この物語は、劣等感はそもそも持つ必要がないことと、人との違いを受け入れることの来説差を教えてくれます。
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「うつむいたままでは、虹は見つけられない」チャップリン
チャーリー・チャップリンの両親はミュージックホール歌手でしたが、彼が1歳の時に離婚。彼は声が出なくなった母親の代わりに5歳から舞台に立ちます。母親が精神を病み、孤児院へ送られると、生活を支えるために床屋、印刷工、ガラス職人などあらゆる職に就きながら、俳優の勉強をしました。これはどん底生活から這い上がり、稀代の喜劇役者になった彼らしい言葉です。悲しいからといって泣いてばかりでは、美しい景色もかすんでしまいます。少し休んだら、顔を上げて前に進みましょう。必ず新しい希望に出会えるはず。
(「美しい絶景と勇気のことば」パイインターナショナル社より抜粋)
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 いかがでしたか。偉人のことばには、その人が生きた深い人生訓があります。もちろん有名無名にかかわらず、人の生きた轍そのものが人生訓となり、偉人のことばとなります。あなたはどんなことばを人に伝えたいですか。

2022年10月23日

#453 偉人のことば(1)

 この時期に近くの通りを歩きますと、甘酸っぱい、ほのかな香りが漂っています。モクセイの花の香りです。毎年この香りを嗅ぐと、そこら中に秋らしさを覚えます。そしてモクセイの香りが消えますと、季節は晩秋へ向かい始めます。
 さて、今日は古今東西の偉人たちが残した言葉に触れてみたいと思います。様々な分野における名を遺した偉人たちの言葉です。
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『人生は一番美しい童話である』アンデルセン
 美しくも悲しい童話を数多く残したアンデルセン。彼の物語と同様、現実の人生は美しいことばかりではありません。苦しみや悲しみ、心が折れそうな試練を受けることがあります。でも、なんの試練もない人生があるとしたら、それは本当に幸せでしょうか?誰の人生にも雨風があるからこそ、やがてあなただけの「美しい童話」になります。もし今、不幸に見える出来事に遭遇しているとしても、ハッピーエンドに向かう途中ととらえてみると、新たな扉が開くでしょう。
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『心が暗ければ出会うものすべて災いとなり、心が太陽のように明るければ出会うものすべてが幸いとなる』空海
 何かハプニングがあったとき、それを災難と思うか、面白いと思うか、すべてはあなたの心の感じ方が決めています。不安や心配が心を支配していると感じたら、身の回りに感謝できるものを探してみましょう。出会う人やものすべてに「ありがとう」の気持ちで接してみることです。すると、この言葉にあるように「心を太陽のように明るくする」ことができます。幸せだから明るいのではなく、明るくしているから幸せなのです。心の在り方が先、現実は後からついてきます。
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『みんなが考えているより、ずっとたくさんの幸福があるのに、たいていの人はそれを見つけられない』メーテルリンク
 メーテルリンクの代表作「青い鳥」の中で、貧しい木こりの子チルチルとミチルが魔法使いのおばあさんに頼まれ、幸福になれるという「青い鳥」探しに出かけます。しかし、どの国へ行っても、「青い鳥」は見つかりません。やがて二人が目を覚ますと、青い鳥は目の前の鳥かごの中に……。「幸せを手に入れることは難しい」と思っていませんか?幸せはすでに手にしているものの中にしか感じることはできません。健康・食事・家族・友達自然……ごく身の回りにある幸福を数えてみましょう。すでに手にしている多くの幸せに気づくはずです。
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『やさしい言葉は、たとえかんたんな言葉でも、ずっとずっと心にこだまする』マザー・テレサ
 あなたは誰かから言われて、忘れられない言葉はありますか?この言葉にある「やさしい言葉」とは「相手のことを大切に思う気持ち」入った言葉ではないでしょうか。落ち込んでいる時、前向きになる言葉をもらうと、確かに救われた気持ちになるものです。でも、厳しい内容の言葉をもらったとしても、その言葉の裏に相手も真心を感じれば、あなたの心にこだまのように響くでしょう。自分からも意識して周りの人にやさしい言葉をかけて行きましょう。知らず知らずのうちに誰かの助けになるかもしれません。
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 上記の言葉は「心が元気になる美しい絶景と勇気のことば」(パイ・インターナショナル)に含まれる言葉の一部です。言葉の背景には美しい風景写真があります。写真集としても楽しめる1冊です。次回のブログもこのテーマを続けます。こうご期待!

2022年10月16日

#452 働かないアリは何をする?

 今日は3連休の中日ですが、午後から小雨が降り出しました。秋雨というには暖かい雨となっています。今日の雨を境に秋が深まっていくと予想できますが、最高気温はまだ20度を超すほど暖かく、もう少し半袖で過ごしやすい日々が続きそうです。
 さて、「アリとキリギリス」に出てくるアリは働き者で有名ですが、中には「働かないアリ」も一定の割合で存在することは知られています。それでは、このアリたちは何をしているのでしょうか?今日はこの話題に関する記事を紹介します。
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『2割の働かないアリ、無駄な存在ではなかった…
             …ある程度いる方がコロニーやや長く存続』
  寓話ぐうわ 「アリとキリギリス」で働き者として描かれるアリ。しかし、集団の中には、鈍すぎて仕事に気がつかない働きアリが交じっているという。働かないアリが無駄な存在かというと、そうでもない。
 北海道大の長谷川英祐准教授(進化生物学)が日本全国にいる「シワクシケアリ」を観察したところ、全体の2割程度の働きアリで仕事をしているそぶりが見られなかった。さらに、コンピューターを使って、働きアリが一斉に働くコロニー(集団)と、働かないアリが一定程度いるコロニーを仮想して比較すると、働かないアリがいる方が、やや長く存続することがわかったという。
 一斉に働くと短期的には仕事の効率はいいが、やがて皆疲れて動けなくなる。卵の世話など中断できない仕事が滞って、コロニー全体の維持に影響する。働かないアリがいれば、疲れて休んでいるアリに代わって働ける。長谷川さんは、働かないアリは緊急事態に出動する「待機要員」と推測、「目先の効率だけを追い求めすぎると、その集団は早く滅ぶ」と指摘する。
<無駄の進化 生物多様性支える>
 無駄は、自然界での様々な生き物の共存に一役買っている。東北大の近藤倫生教授(生態学)らの研究によると、生き物の多くは、種の繁栄にはつながらない見た目や機能を進化させるためにエネルギーを無駄に割いている。例えば、ひときわきらびやかな羽を持つオスのクジャク。美しい羽は、メスに選ばれて子孫を残しやすくする反面、目立ちすぎて天敵に狙われやすいなどのデメリットにもなる。
 他の生き物たちとの生存競争を勝ち抜くのに有利な特徴ではなく、クジャクという種の全体からみると、繁栄にはつながらない。鳥たちがさえずる歌や求愛ダンス、オスのシカの角なども、種の繁栄にとっては無駄な機能なのだという。
 だが、生物多様性という観点でみれば、逆に大切な進化となる。これらの進化にエネルギーが注がれることで、他の生き物を根絶やしにする強い種が登場しにくくなる。その結果、弱い種も生き残れるといい、近藤さんは「無駄の進化が生物多様性を支えている」と強調する。
<仕事は7割で>
 アリやクジャクなどの生態をひもといてみても、無駄には、様々な意味があるようだ。「目的でとらえ直せば、多くのことは無駄ではなくなる」。「無駄学」の著書もある東京大先端科学技術研究センターの西成活裕教授が解説してくれた。
 一例を挙げると、本の目的を「情報をできるだけ多く伝えるもの」と考えれば、四隅の余白は無駄なものだ。しかし、「知的活動を助けるもの」だと定義すると、書き込みもできる余白は無駄ではなく、むしろ欠かせないものとなる。
 西成さんが提唱するのは、7割くらいの力やメンバーで取り組み、予定の間にはゆとりを設けるという仕事術だ。仮に病欠などが相次いだとしても、残り3割のメンバーでカバーできる。この3割は短期的には無駄に見えても、長期的な計画を立てたり、詰まってしまった予定を解消したりするのに使える。
 西成さんは「何が起きるのか予測できないのが現代だ。いざという時に対応できるようにゆとりを持っておいた方が強い。そのゆとりが普段は無駄に見えてしまうだけだ」と話している。
https://www.yomiuri.co.jp/science/20221008-OYT1T50222/
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 大局的に見ると、自然界には一切の無駄は存在しないようです。例えば、里山の雑草はあくまでも人間が雑草だと思っているだけで、自然界の立場で考えると、雑草はそれぞれ特定の働きをし、虫たちに宿を提供し、里山の保水や気温の調節にも役立っています。禅の教えにもありますように「自然には一切の無駄はない」ということになります。
 ひるがえって、人間社会はどうでしょうか。自然界の同じ法則が当てはまることと思いますが、「働かないアリ」のように「窓際族の社員たち」は危機にある会社を救うことになるのでしょうか?倒産の危機に瀕した所属団体とって「窓際族アリ」は救世主となることができるでしょうか?答えは「……?」です。

2022年10月09日

#451 絶版大国

 季節は進み、もう10月になりました。この時期にいつも感じることですが、今年もあと3か月になりました。10月らしく日中は残暑が厳しい日が続きますが、朝晩はすっかり涼しくなっています。そろそろ衣替えをしても良い時期になりました。
 さて、この数か月で国内外の要人、著名人が相次いで亡くなりました。安部元首相、ゴルバチョフ元書記長、エリザベス女王、そして落語の6代目円楽、プロレスのアントニオ猪木さんが先日亡くなりました。円楽さんは笑点の主要メンバーとして活躍しました。猪木さんはプロレスの大スターとして活躍しました。お二人に衷心よりお悔やみ申し上げます。
 ところで、日本は活字大国と言えます。街の書店には多くの雑誌や本が並び、最近ではスーパーマーケットやコンビニの一角に書籍コーナーがあり、必要なものはある程度購入できます。ところが活字大国の日本では書籍に関して悲惨な結果が待っているのです。つまり扱われる書籍は数年たつとすぐに絶版になります。この現状を説明している記事を見つけましたので、一部転載します。
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『「絶版大国」と電子書籍』
 以前から、日本は「絶版大国」だなと感じています。どういう意味かというと、出版された本がしばらくすると絶版、ないしは永遠の品切れになってしまって、なかなか入手できない国、という意味です。英語の本ならば20年前、30年前に出版された本でも、通販大手のアマゾンで新品を購入可能なことが多い一方、日本の本はすぐに絶版や品切れになってしまうと感じています。
 東京・神田神保町の古書店街は絶版本・品切れ本も数多く取りそろえていて大好きな場所です。ぶらぶら歩いていて思わぬ本に出合うという楽しさがあります。ただ、求める1冊の本を探すとなると、砂漠に落としたコンタクトレンズを探すように、なかなか困難です。
<アマゾンにできた古本市場「マーケットプレイス」、しかし……>
 近年、日本の「絶版大国」の状況が少し改善された動きがありました。アマゾンに「マーケットプレイス」ができたことです。ご存じの通り、マーケットプレイスとは、アマゾンの持つ通信販売プラットフォームを、中小の事業者にも開放するものです。全国の中小の古本屋さんがアマゾンのサイトで古本を売るようになりました。これによって、絶版や品切れになった本でも、自宅に居ながらにしてマーケットプレイスで検索して、全国のいろいろな古本店から、古本を手に入れることができるようになったのです。
 これは一定の進歩でした。進歩なのですが、やはり「絶版大国」日本の現状は、それほど好転していないなと感じることがしばしばでした。なぜなら、マーケットプレイスで、とんでもない高値で売られている古本が多いからです。
<定価2800円の本が軒並み1万円以上!>
 今年7月にある本を買おうと思いました。具体的な書名は控えますが、2004年5月に、定価「税別2800円」で出版された本です。アマゾンや色々なサイトで調べてみると、とうに「品切れ」になっていました。マーケットプレイスに出ている古本を見てみると、数冊ありましたが全部1万円以上の値がついています。どうしようかと数日迷った揚げ句に、やはりどうしても読みたくて、いちばん安いものを1万457円で購入しました。
 もしも新品本が出版社から出ていたら、3080円(2800円+税)で買えた本なのに、傷んで状態の悪い古本を、定価の3倍の値段で購入せざるを得なかったわけで、やっぱり「絶版大国」の弊害は、いまだに残っているのです。買いたいのにマーケットプレイスで1万円以上、時には2万数千円の値がついていて、購入をあきらめた本がたくさんあります。マーケットプレイスの、あの古本の値付けは一体なんなのだ、と思います。
<「最後の希望」は電子書籍、紙で出版されていた古典も電子化?>
 この「絶版大国」の弊害を一気に解決するのが、たぶん電子書籍だろうと、常日頃思っていました。電子書籍ならデータさえ失わなければ品切れにならず、いつまでも定価で購入できるからです。ただし、すでに一度、紙の書籍として過去に出版した本を、改めて電子書籍にして出版するというのは出版社としても難しそうなので、「絶版大国」の 終しゅう焉えん には、この先、何十年もかかるだろうな、と考えていました。これから電子書籍が普及して、20年、30年前に出版された本が電子書籍で手軽に手に入るという時代は、つまり20年、30年後にならないとやって来ないわけですから。
 ところが、うれしいことに、そうではない可能性も出てきたのです。例を一つあげましょう。平凡社に「東洋文庫」があります。日本を含むアジア各国の古典、名著、基礎文献を集めた貴重なシリーズで、私も十数冊持っています。5年前に、東洋文庫の一冊「屍鬼二十五話 インド伝奇集」(ソーマデーヴァ著、上村勝彦訳)を、アマゾンのマーケットプレイスで古本として買いました。定価は2600円(税別)と本には表記されていましたが、その古本を4605円で購入しました。
 「日本霊異記」そして最近、アマゾン・サイトで本を見ていて、ぎょっと驚きました。「日本霊異記」などなど東洋文庫の多くが、アマゾンのキンドル版、つまり電子書籍として売られていたからです。かつて購入した「屍鬼二十五話」の値段を調べてみると、キンドル版がなんと1540円でした。……
https://www.yomiuri.co.jp/life/digilife/column/20220926-OYT1T50133/2/
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 個人的にはアマゾンなどで簡単に書籍を入手できるのは助かりますが、必要な時に買わないとすぐ絶版扱いになります。特に専門分野を扱っている書物は出版部数も少なく、増版は不可能です。古本屋で探しても滅多に手に入りません。このような状況下を考慮すると、日本は出版大国でありながら、書籍を大切にしない傾向があります。たとえ電子書籍化されたとしても、扱うジャンルはたくさん売れそうなものばかりです。本当に必要な本は費用がかかっても、その時に購入しておく必要があります。

2022年10月02日

#450 10年ぶりの再会

 2週間ぶりのブログになります。実は先週の17日土曜日に東京で旧友S君に再会しましたので、日曜日のブログの更新ができませんでした。私が利用しているHPはネット上で更新ができません。したがって久しぶりの更新となります。
 S君と私はシドニー大学付属の英語学校で1995年に知り合い、それ以来親交を続けています。10年前に私がシドニーへ行って彼と再会し、それ以来の出会いとなります。当日は酒を酌み交わしながら、お互い10年間の出来事や生活の様子などを語り、話は尽きませんでした。私は大学卒業後に帰国しましたが、彼はオーストラリアに移住することを決心し、それ以来20年以上シドニーで暮らしています。
 シドニーでの暮らしぶりを尋ねると、物価高により、生活が厳しくなっているそうです。将来は物価が安いサウスオーストラリア州都のアデレードへの移住も考えていると話していました。またオーストラリアは世界中の情報が集まる国で、日本の置かれている状況を憂慮していました。いわゆる日本人はお花畑に住んでいて、世界の状況が分かっていない。日本は現実に即した外交を行うべきだ、と語っていました。夜も更けて、また近いうちに再会することを約束して別れました。
 予定では19日月曜日に福岡に戻るつもりでしたが、台風14号のせいで羽田は全便欠航となりましたので、1日延泊し、翌日火曜日に戻りました。18日と19日は自由行動にしていたのですが、台風の影響で東京は火曜日の午前中まで大雨で、新宿駅の漏水の様子はテレビのニュースでも流されたくらいです。本当にものすごい土砂降りでした。ホテルの窓から外を見ていますと、100mほど離れている隣のビルが降雨の激しさで見えなくなるほどです。ビルが見えなくなるほどの大雨は今まで経験したことがありません。
 2連休はできるだけ雨に濡れないように書店で過ごしました。日曜日は東京駅近くの八重洲ブックセンターで午前中を過ごしました。この書店は来年の3月でビル移転のために閉店する予定です。ここは他の書店と違い、客の興味を惹きつける店内の配置を工夫しています。たとえば各階に著名人のサイン本を置いたり、エスカレータ付近に話題作や写真展を設置したりしており、ついそれらを見たくなります。また専門書も豊富に取り揃えてあり、各階じっくり時間をかけて見て回ることができます。来年3月以降どこに移転するか、まだ発表されていませんが、ブックセンターならではの雰囲気を残してもらいたいものです。
 午後は東京丸の内にある丸善本店で過ごしました。丸善と言えば日本一の洋書在庫数で有名です。4階ワンフロア―を洋書や洋書関係の資料が占めています。丸善で他店にない特筆すべきものとして、3階奥に手塚治虫の直筆コーナーを設置しています。彼の多くの作品集と共に手塚治虫の「鉄腕アトム」や「火の鳥」、「ブラックジャック」など作者直筆の作品の一部が展示されており、作者の息遣いを眼にすることができます。丸善も日本になくてはならない大型書店です。
 月曜日には池袋のジュンク堂まで足を延ばしました。この書店は9階建てビルで、様々なジャンルの書籍や資料を扱っています。この書店だけで半日過ごせます。他の書店との差別化の1つとして、この書店は全国の地方出版物を扱っています。つまり北海道から沖縄までの地方出版社が発行している書籍を置いています。特筆に値するものです。
 今回は都合で神保町の古書街には行けませんでしたが、また東京に行く機会があればぜひ行きたい街の一つです。
 また19日夜はイギリスのエリザネス女王の国葬がテレビでも中継されました。私はテレビだけでなく、YouTubeでも国葬を夜半過ぎまで見ていました。イギリスと言えば私が初めて海外に行った国であり、ホームステイを含め数回訪れた国です。イギリス=エリザベス女王のイメージしか浮かびませんので女王の死去は本当に残念でなりません。チャールズ3世のイギリスが何処へ向かうか、世界中が注目しています。

2022年09月25日

#449 英国の薔薇、散る!

 最高気温が30度を超す残暑がまだまだ続いていますが、それでも朝夕は過ごしやすい涼しさが戻ってきました。このまま秋になってもらいたい気がします。
 さて、ご存じのようにイギリスのエリザベス女王が8日逝去されました。96歳の高齢でしたが、亡くなられる直前まで新首相の任命を行うなど、精力的な活動を行う姿に生涯を国のために捧げた英国魂を見た気がします。この訃報に接し世界中から哀悼の意が寄せられています。イギリス王室と縁の深い日本の皇室の代表として天皇陛下が深い悲しみの気持ちと心よりの哀悼の意を表されました。
 エリザベス女王は日本が先の大戦で敗北し、連合国から国土の4分割案と皇室の廃止が提案された時に反対されたと言われています。真偽は定かではありませんが、終戦当時の日本の憂い、日本国の安寧や皇室の存続を祈られたのは日本国民として感謝すべきことです。
 エリザベス女王逝去後に長男のチャールズ皇太子がチャールズ3世となり、新しいイギリスが始まりますが、多くの点で変更が生じるようです。これに関する記事を転載します。
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『エリザベス女王死去で変更続々 国歌、紙幣、硬貨、憲法も』
英国ではエリザベス女王の死去とチャールズ3世国王の即位に伴って、国歌の歌詞や紙幣、硬貨のデザインなど、さまざまなものが変わる。
 英国の各メディアによると、一番わかりやすい例が、国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」だ。歌詞の「クイーン」が「キング」に書き換えられる。ただ、国民が数世代にわたり慣れ親しんできた歌であるだけに、「人々が新しいバージョンを堂々と歌えるようになるまでには時間がかかりそうだ」(ガーディアン紙)との見方がある。
 紙幣、硬貨も変わる。現在、英国内では、エリザベス女王の肖像が描かれた銀行券約45億枚が流通しており、総額は800億ポンドに上る。英政府はこれをチャールズ3世国王の肖像画を描いた銀行券に置き換える予定だが、最低2年間の期間が必要とみられている。英中央銀行は「女王の肖像が描かれた現行の紙幣は引き続き法定通貨である」とする声明を発表した。硬貨については、これまで王位継承によって一気に変更されたことはなく、時間をかけて置き換えられることになりそうだ。
 このほか警察署や海軍などで使用されているエリザベス女王の肖像が描かれた旗や、国会議員の宣誓の文言なども変更される見通しだ。
 またエリザベス女王は旧植民地諸国を中心とした連合体・英連邦(コモンウェルス)の元首でもあった。エリザベス女王の地位が憲法で定められている国では憲法の変更が必要となる。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/160d6f607b221774eb6d272ddb613f529b4

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 日本では考えられない事ですが、国王の肖像画を紙幣などに使用していると、イギリスのような大きな変更が生じることになります。イギリスは新しい国王の下にどのような国造りをおこなうのでしょうか。かつての大英帝国が今後どのように変貌を遂げていくか世界は見守っています。

追記:
週末は所要のために留守しますので、次の日曜日のブログ更新は休みます。

2022年09月11日

#448 ゴルバチョフの功罪

 大型台風11号が沖縄近海を北上しています。現在は時速15キロ程度の速さですが、火曜日の午前中には九州北部に最接近すると予想されています。火曜日は多くの小中高等学校で休校になると思われます。
 しかし、適度の大きさの台風は陸上では作物の害虫を吹き飛ばしたり、海では海水をかき混ぜることにより、熱くなり過ぎた海水の温度を適度な水温まで引き下げ、海を常態化させます。物事には様々な面がありますが、何事も中庸が大切だということです。
 さて、ペレストロイカを行ったゴルバチョフが死去し、本日葬儀が行われました。ソ連最後の書記長に相応しくない葬儀のようでした。読売新聞では次のように報じています。
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『ゴルバチョフ氏葬儀・告別式、「国葬」ではなく静かな別れ…
                      米英独は駐露大使が参列』
 8月30日に91歳で亡くなったミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領の葬儀・告別式が3日、モスクワ中心部で営まれた。ソ連最後の最高指導者として東西冷戦を終結に導いた偉業にもかかわらず「国葬」ではなく、プーチン露大統領も公務を理由に欠席した。
 タス通信によると、ハンガリーのビクトル・オルバン首相が参列したが、米英やドイツは駐露大使にとどまった。ロシアによるウクライナ侵略も影を落とす静かな別れとなった。
 露大統領府に近い労働組合会館「円柱の間」での告別式は大統領府儀典局が支援し、国葬に準じる形で行われた。露国内ではゴルバチョフ氏が1991年のソ連崩壊をもたらした張本人との批判が根強いことを反映したとみられる。露国営テレビもほぼ通常どおりの放送だった。
 ゴルバチョフ氏はモスクワ市内のノボデビチ墓地で、99年に死去したライサ夫人の隣に埋葬された。墓地にはソ連の後継国家ロシアのエリツィン初代大統領ら著名人も埋葬されている。2007年に死去したエリツィン氏は、国葬だった。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20220903-OYT1T50212/
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 ゴルバチョフ氏の評価はロシア国民の中で分かれるようです。ソビエト連邦を崩壊させた張本人として嫌うロシア人もいれば、国に自由をもたらした人物として評価するロシア人もいます。もしウクライナ戦争が起こっていなければ、東西冷戦を終結させ、東側の政治体制を変革させ、ソ連の多くの衛星国を独立させた功績により、ゴルバチョフ氏は国際的に評価され、国葬になっていたことでしょう。
 時とともに時代は常に変化していきます。5年後、10年後に世界はどのような変化を迎えているでしょうか。未来は誰にも分かりません。ひとつだけ言えるのは未来は突然現れるのではなく、日々の変化の集大成だということです。つまり、今日の世界の人々の言動が明日の世界を創造し、未来の世界を形成することになります。明るい未来が登場するかどうかは、すべて私たちの考えや言動の結果だということです。よりよい未来を創るためには現在の私たち一人ひとりが努力する必要があります。

2022年09月04日

#447 ヘアドの勧め

 8月も最終週となり、2学期がすでに始まっている高校もあります。以前は9月1日が2学期の始まりでしたが、最近は様々な理由により早めに2学期が始まる傾向にあります。今日も子どもたちは今夏休みの宿題に追われていることでしょう。
 さて、全国に小児ガン等の治療に特化した子ども病院があります。そこでは病気に罹っている子どもたちのために様々な便宜が整えられています。その中のひとつにヘアドネーション(ヘアド)の活動があります。ヘアドとは小児ガンの治療等で髪の毛が無くなった子どもたちのために人毛のかつら(ウィグ)を寄付しようという活動で、同じ同世代の子どもたちが自分の長い毛を切ってもらい、それを毛のない子どもにウィグをプレゼントする活動です。先日ヘアドに関する記事がありましたので、転載します。
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「髪の寄付」広まる 悩む子どもにウィッグ提供―団体「理想は活動いらない社会」
 病気で頭髪が抜けるなどの悩みを抱える子どもたちに贈るウィッグ(かつら)を作るため、髪の毛を寄付する「ヘアドネーション」が広がりを見せている。善意で協力する人も多いが、ウィッグの提供などを行う団体の代表は、「目指すのは活動が必要とされない社会」と語る。
 ヘアドネーションは1990年代に米国で広まり、日本では2009年9月に専門のNPO法人「ジャパンヘアドネーション&チャリティー」(JHD&C、大阪市)が設立された。寄付を希望する人は、所定の条件で切った髪を同法人に送付する。一つのウィッグを作るのに30~50人分必要で、海外工場でのトリートメント処理などを経て完成品となり、希望する18歳以下の子どもたちに無償で提供される。
 同法人によると、当初はほとんど知られていなかったが、15年に俳優の柴咲コウさんが長い髪を切って寄付したことで知名度が急上昇した。それまで1日に15件ほどだった寄付は、15年後半には50件ほどに増加。近年は多い時期だと約500件、平均すると300件ほど送られてくるという。
 ウィッグを受け取った子どもや保護者からは「気軽に外出できるようになった」「周囲の目が気にならなくなった」などの声が寄せられているという。JHD&C代表理事の渡辺貴一さん(51)は、「困っている人にとっては救いであり、わらにもすがる思いで申し込む人もいる」と話す。
 寄付が増えることに対し、渡辺さんは複雑な思いも持っているという。「ウィッグを必要とする人が減らないということは、髪のない人が『多数派』の髪がある人に合わせ続けているということだ」と指摘。「髪がある状態が普通」という社会の意識を変える必要があるとし、「髪を寄付する際は、『良いことをした』で終わらず、こうした問題にも目を向けてほしい」と話した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022082000304&g=soc
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 福岡市にも子ども病院がありますが、そこに入院している子供たちのために小学生の男児が2年近く髪を伸ばした後でヘアドするために断髪した様子がニュースで流れていました。ヘアド用の髪は30センチほどの長さにならないと利用できないのでその男児は断髪する前は女の子のような顔つきでしたが断髪後にはすっきりした男の子になっていました。
 このように病気のために無毛になった子どもたちを助けるために、ヘアドに協力する人々が増えています。自分ができる範囲で他人のために何かをすることは素晴らしいことです。微力でも、他人のために役に立つ人間になりたいものです。



2022年08月28日

#446 九州分裂!?

 残暑厳しい日々が続いていますが、さすがに夜は涼しげな風が吹き始めました。また秋虫の声が響き始めています。ところで昨晩の豪雨はすさまじいものがありました。わずか数時間の大雨でしたが、夜半過ぎに九州管内いたるところで大雨警報が発令されました。また屋久島でも午前中短時間大雨警報が出されるなど、大気の不安定な状態が続いています。「降れば土砂降り」という諺がありますが、今夏は日本のいたるところで大雨に見舞われる状況となっています。
 さて話題は変わりますが、NHKのブラタモリでも話題になりましたが、将来九州が分裂する話を聞いたことがあると思います。近未来の出来事ではありませんが、大分から島原まで続いている 別府島原地溝帯を境目にして九州が分かれる可能性がある、ということです。関連の記事を転載します。
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『「日本沈没」は始まっている:(2) マントルの流れで九州が分裂』
 日本列島は重いマントルの上に浮いている。だからこの列島全体が沈没することはない。しかし中部地方で本州が2つの島に分かれ始めている。さらに九州の一部でも沈没が始まっているようだ。
 日本列島はかつてアジア大陸の一部だった。しかし今から約2500万年前に大陸の断裂が始まり、その後分裂した日本列島はほぼ現在の位置まで移動した。そして列島と大陸の間は沈没して日本海となった。
実は今、このような大変動が九州で起きようとしている。

<引き裂かれる九州>
 九州の地殻変動をGPSで見てみよう(図左)。南九州が北九州に対して顕著に南へと移動していることが分かる。そしてその境には、地盤が溝のように落ち込んだ「地溝帯」が形成されている。別府湾から島原半島まで続く「別府-島原地溝帯」だ。そしてこの地溝帯は、年間1cm程度の速さで広がっている。つまり、九州は真っ二つに引き裂かれているのだ。
 このまま九州断裂が進行すると、やがてこの地帯には瀬戸内海と有明海から海が入り込んで沈没し、海峡となるだろう。そして九州島は完全に2つの島に分裂する。
 別府-島原地溝帯の西端である島原半島の沖合の海底には、「沖縄トラフ」と呼ばれる海底の凹地がある(図左)。沖縄トラフは琉球列島に沿って大陸側(海溝の反対側)の海底にある断裂帯で、尖閣諸島周辺から北東方向へ約1000kmにわたって延びる。数百万年前に始まった海底の断裂は次第に北へと進展しているようだ。そのうちこの沖縄トラフと別府-島原地溝帯はつながり、さらに九州島の分裂を加速する可能性もある。

<九州分裂のメカニズム>
 なぜ九州は南北に分断されようとしているのか?その謎を解く鍵は、九州北西部で約800万年前から始まった火山活動にあるようだ。
 九州は、火山大国日本でも最も火山が密集する場所だ(図左)。ほとんどの活火山はいわゆる成層火山であり、フィリピン海プレートの沈み込みによって造られた。一方で九州北西部には、約800万年前から広大な溶岩台地を形成するような大規模な火山活動が起きていた。この火山活動は、地球の深部おそらく600km程度の深さに起源を持つマントル上昇流が引き起こした(図)。五島列島の活火山である福江火山群も、この上昇流に関連して形成されたものであろう。
 このマントル上昇流は地殻の底まで達すると周囲へと広がっていく。やがてこのマントルの流れは、沈み込むフィリピン海プレートによって冷やされてできた「剛体コーナー」を押すようになる(図右)。この力によって上盤プレートは引き延ばされて九州で断裂が生じたと考えられる。
 この九州分裂のシナリオは、日本列島がアジア大陸から分離・移動し日本海が誕生したのとよく似ている。

<分裂帯は地震の巣>
 九州が2つの島に分裂するのはおそらく100万年くらい先のことだろう。だからと言って安心してはいけない。これだけの地殻変動が今も起きているのだから、活断層が密集し地震が頻発するのは当然のことといえよう。2016年の熊本地震では、M3.0以上地震の多くが別府-島原地溝帯の中で起きた。
 あらためて、私たちは世界一の変動帯そして地震大国に暮らしていることをしっかりと心得ておく必要がある。地震から逃れることはできないが、この試練を甘んじて受け入れるのではなく、被害を最小限に抑えていち早く日常を取り戻すことができるように、国や地域、そして個人ができる備えをしておきたいものだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tatsumiyoshiyuki/20211213-00272286
なお、掲載記事の図表ならびに「日本沈没は始まっている(1)」の記事に関心がある方は次のページを参考にされてください。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tatsumiyoshiyuki/20211212-00272187
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 九州は地震というよりも火山大国です。桜島や阿蘇山、島原の普賢岳など多くの火山が存在します。鬼界カルデラは鹿児島県南方およそ50kmの硫黄島と竹島を含むカルデラですがおよそ7000年前に大噴火し、九州一面火砕流や火山灰におおわれ、当時住んでいた縄文人は滅亡したと言われています。
 自然災害には人類はなす術もありません。私たち人類は地球という星に住まわせていただいている意識を常に持ち、地球に感謝して暮らしていかなければなりません。

2022年08月21日

#445 盂蘭盆会

 暦の上では立秋を過ぎましたが、残暑厳しい日々が続いています。九州地方は35度前後の日々が続いていますが、北海道や東北地方・北陸地方は例年にない大雨で大きな災害が出ています。同じ国内で北と南では相反した天気が存在する奇妙な状況が今年の夏発生しています。今週後半の天気予報では全国各地で長雨による災害も予想されていますので、充分な注意が必要です。
 さて今日14日はお盆の中日ですが、お盆休暇で里帰りしていた人々の帰郷が今日ピークを迎えているそうです。コロナ禍での久しぶりの里帰りで心身ともにリフレッシュできたことと思います。
 この「お盆」ですが、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼ばれます。この起源は様々な説がありますが、ウィキペディアでは次のように説明しています。
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 盂蘭盆の行事は中国の民俗信仰と祖先祭祀を背景に仏教的な追福の思想が加わって成立した儀礼・習俗である。旧暦7月15日は、仏教では安居が開ける日である「解夏」にあたり、道教では三元の中元にあたる。仏教僧の夏安居の終わる旧暦7月15日に僧侶を癒すために施食を行うとともに、父母や七世の父母の供養を行うことで延命長寿や餓鬼の苦しみから逃れるといった功徳が得られると説く。一方、道教の中元節とは、宇宙を主るとされる天地水の三官のうち、地官を祀って、遊魂などの魂を救済し災厄を除くというもので、仏教の盂蘭盆とほぼ同時期に中元節の原型が形作られた。
 本来的には安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたと考えられている。
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 このお盆の期間中に故人となった親兄弟や親類を偲んで墓参したり、親戚一同が集まり食事会をしたりしますが、それに加えて個人的には今までお世話になっためったに会わない存命中の恩師や恩人、ペットや壊れた愛玩物に対しても年に一度は思い出す時期だと思います。例えば連絡が途絶えて久しい旧友や長い間愛用して壊れてしまった時計など。日頃会えない人や手元にない思い出の品を意識するのも時には必要だと思います。
 明日15日は終戦記念日です。今日の平和は先の大戦で亡くなった300万人以上の日本国民の犠牲の上にあります。この平和がこれからも続くか否かは現在の私たちの努力にかかっています。平和を維持するには何が必要かを一人ひとりが考えることが必要です。そのことが先の大戦で亡くなった人々に対して心からの追悼になります。

2022年08月14日

#444 人を呪わば穴二つ

 毎年8月、日本は鎮魂の月となっています。77年前の8月に日本はその後の国運を換えるほどの国難に遭いました。6日の広島、9日の長崎原爆投下、ならびにソ連の参戦、そして15日の終戦と大きな出来事が立て続けに起こった月です。毎年8月15日の平和への願いは今でも各地で続いています。
 さて「人を呪わば穴二つ」とはよく言われる格言ですが、私たちが発する悪口もこの格言に当てはまるようです。悪口の多い人ほど不幸になることが「東洋経済ON LINE」の記事に載っていましたので転載します。。
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『よく悪口を言う人ほど「不幸になる」科学的根拠』
 今年5月(注:2020年)、恋愛リアリティー番組『テラスハウス』に出演中だった女子プロレスラーの木村花さんが自殺しました。ネット上での過激な誹謗中傷が原因と言われています。この事件以後、今まで野放し状態であったネット上の誹謗中傷に対して、もっと厳しく取り締まるべきだという声が増えています。
 なぜ人は、悪口、誹謗中傷が好きなのでしょうか? 明らかに相手に精神的なダメージを与える行為なのに、どうしてやめられないのでしょうか?

<「悪口を言う人」の心理>
 アメリカの心理学者であるレオン・フェスティンガーの言葉にもあるように、人間はついつい他人と自分を比較してしまう生き物です。
とくに日本人の場合、集団での和を乱さないためにも、他人の顔色をうかがう、他人の行動や言葉に目を光らせ、自分と比べるなどの傾向が強いと言えます。
 コロナウイルスの流行に伴ってあらわれた「自粛警察」と呼ばれる人たちも、自分は自粛のルールを守っているのに、それを守ろうとしない奴がいるという怒りが行動の元になっている。つまり、「他人と比較してしまう心理」が原因にあるわけです。
 人間は、他人と自分を比べたときに自分が優れていると「優越感」を抱きます。その逆に、自分が劣っていると感じたときに「劣等感」を抱きます。
 劣等感は強烈なネガティブ感情なので、それを何とか払拭したいという衝動にかられる。それを、悪口や誹謗中傷という形で発露したくなるのです。
 悪口や誹謗中傷を言うことで、相手をおとしめることができます。自分対相手との比較において、相手を引きずり下ろすことによって、自分の価値を相対的に高めることができる。それによって、内なる劣等感を緩和しようという心理が働いてしまうのです。
 最近「自己肯定感」という言葉をよく耳にしますが、自己肯定感が低い人ほど自分に自信が持てません。そういう人は、自分対相手との比較において、自分が劣っていると感じやすい傾向があります。だから、実は自己肯定感の低い人ほど悪口を言う傾向にあるのです。
 自己肯定感が高い人は、自分の考えや行動に自信を持てます。他人にとやかく言われても、その考えや行動はゆらぎません。相手と自分をいちいち比較することもなければ、悪口を言うこともないのです。
 ここまで理解できると、もしあなたの周りに悪口好きな人がいたとしても、「自己肯定感が低いとっても残念な人」なんだなと上手に聞き流すことができるはずです。

<悪口は「依存症」である>
 一方で、悪口が好きな人はなぜそれをやめられないか? それは「悪口は依存症である」と考えると、非常に腑に落ちます。
 誰かの悪口を言うと、やる気や快楽に関与するホルモン「ドーパミン」が放出されます。ドーパミンが出ると楽しい気分になります。だから、悪口を言うことは基本的に楽しいことなのです。
 しかし、ドーパミンはよくばりな脳内物質でもあり、一度放出されると「より大きな刺激」を求めるようになります。つまり、悪口の回数を増やしたり、より過激な悪口を言わないと、新たにドーパミンが出ず、楽しい気分になれなくなってしまうのです。
 結果、悪口を言うことが癖になって、なかなかそれを改善しづらい状態に陥ります。悪口を言えば言うほど深みにはまってしまう。これはアルコール依存症や、薬物依存症と同じ原理です。かくして「悪口は依存症」と言っても、遜色ないのです。
 多くの人は、悪口は「ストレス発散になる」と思っているでしょうが、実際は逆です。悪口はストレスを増やします。最悪の場合、脳を傷つけ、寿命を縮める危険性もあります。
 東フィンランド大学の研究によると、世間や他人に対する皮肉・批判度の高い人は認知症のリスクが3倍、死亡率が1.4倍も高い結果となりました。批判的な傾向が高ければ高いほど、死亡率は高まる傾向にあったそうです。
 また、悪口を言うと、ストレスホルモンであるコルチゾールが分泌されます。コルチゾールというのは、ストレスを感じたときに放出されるホルモン。先ほどドーパミンが放出されると言ったので快楽を得ていると思いきや、悪口を言っているときは同時にストレスも感じているのです。
 心理学の法則で「返報性の法則」というのがあります。人は誰かに親切にされたとき、「その親切をお返ししないといけない」という気持ちが湧き上がる心理です。
 「好意の返報性」を上手に使うと、あなたの信頼度を高め、人間関係を深めることが可能です。しかし、残念なことに世の中の多くの人は、「悪意の返報性」を使っています。
 ネガティブな感情に対しては、人はネガティブな感情を返したくなるものです。「倍返しだ!」とやり返してしまうのが、正に「悪意の返報性」。そして人に悪口を言うと、やはり「悪意の返報性」で悪いものが帰ってくるのです。
 「本人がいないから悪口を言っても大丈夫」と思っていても、あなたは「よく悪口を言う人」と周りにネガティブな印象を植え付けてしまいます。いつ自分に矛先が向かうかわからないので、周りの人たちは悪口を言う人を心から信頼しないでしょう。

<悪口から卒業する唯一の方法>
 健康を害し、信頼を失う悪口をやめるにはどうしたらいいでしょうか? いちばんの近道は「自分を褒める」ことです。悪口を言う人は、自己肯定感が低い人。つまり、自己肯定感が高まれば、悪口は自然と減っていきます。
 気に入らない相手をおとしめるのではなく、自分を高めることによって、相手と自分のギャップを埋めればいいのです。自分のささいな成功を独り言でいいので、褒めてみる。褒めるのが無理なら、ネガティブをポジティブに置き換えるだけでもいいでしょう。
 例えば、同期入社のAくんが自分より先に昇進した場合。「たいした能力もないのに、先に昇進しやがって!」(ネガティブ)と言いたいところを「俺も頑張って、すぐに追いつくぞ」(ポジティブ)と言い換えたり。
 自分の中でポジティブな言動を積み上げることで、自己肯定感が高まり、怒りや嫉妬、不充足感が満たされ、ネガティブな感情を抑えることができます。結果、悪口や誹謗中傷から卒業できるわけです。
https://toyokeizai.net/articles/-/366140
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 日常的に不満を抱えている人は他人に対して、また自分に対して色々な不平不満を言いがちです。しかし上記の記事が述べているように、悪口は究極的に自分を不幸にしていくものです。特に怒りが伴う悪口は「怒りは心身を焼き尽くす」とお釈迦様も厳く戒めています。感情にかられて口から出た不平不満は争いの基となり、結局は自分の身を焦がします。感情に激化しない中庸な心を持ちたいものです。

2022年08月07日

#443 和の心(2)

 7月も今日で終わり、明日から8月が始まります。ここ数日は台風のせいで、すっきりしない天気が続いていますが、明日からは夏らしい晴天が予想されています。また酷暑がしばらく続くようです。熱中症や新コロには充分な注意が必要です。
 さて前回の「和の心」の続きになります。ストークス氏は続けて語りかけています。
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『なぜ欧米人にとって、日本は理解しにくいのか』
 日本は先の大戦に敗れて、アメリカ軍による占領を受けるまで、他民族や異文化による占領、支配を蒙(こうむ)ることがなかった。
 日本はいつの時代であれ、長い歴史の中で異文化を上手に取り入れ、日本に適するように、きわめて独自なものに作り替えて、日本文化として熟成させてきた。
 欧米人にとって、日本人の「心」はあまりにも異質であるために、容易に理解することができない。
 日本民族は異なるものを、二律背反的な対立構造でとらえなかった。大きく「和の心」をもって共存させ、全体の調和を保つことによって、独自の文化を織りなしてきた。
 西洋文明は対立構造の上に、成り立ってきた。つねに白黒をはっきりさせ、神と悪魔の戦いのような世界観によって、築かれてきた。
 イスラム文明も同様に、アッラーか、悪魔(サタン)かという二者択一を迫る。欧米人の思考は、二律背反なのだ。それに対して、日本人はできるだけ対立を避けようするから、欧米人にとって曖昧(ファジー)だ。
 たまに、日本人も「白黒をはっきりさせましょう」ということがあるが、欧米人はつねに、相手にイエスかノーか、二者択一で答えることを、求める。
 日本語は最後まで聞かないと、いったい肯定しているのか、否定しているのか、分からないことが多い。肯定している意見を言っているのかと思ったら、最後に「ということは、ない」とつけ加える。
 土壇場になって、肯定と否定が逆転するなど、英語などのヨーロッパ諸語では、ありえない。それでも、最後に肯定か、否定が明確にされればよいほうで、日本語では、しばしば最後まで話を聞いても、いったい、肯定なのか、否定なのか、煙に巻くような話し方をすることもある。
 欧米人はそれを不誠実だ、誤魔化そうとしていると、受け取ってしまう。そこで、日本人は狡(ずる)いとか、信用できないと言って、批判する。
 聖書の世界に生きる欧米人は、「神か、悪魔か」「天使か、悪魔か」という極端な二者択一を迫られるなかを生きてきた。もちろん、自分の側が神か、天使だと思い込んでいるから、対立する相手を「悪魔」とみなして撃退するように、攻撃する。
 論理的に説明がつかずに論破されると、自分が悪魔になってしまうから、必死だ。神はつねに勝利し、天使は「ウソをつかない」原則があるから、躍起になって、ディベートする。
 それに対して、日本人は禅問答のようだ。「善でもあり、悪でもある」と、一方が100パーセント正しく、他方が100パーセント間違っているという極論を避ける。もちろん、これは敵をつくらない、よい方法でもある。
 「ファジー」理論という概念も、ゼロか一(いち)か、オンかオフか、イエスかノーかという二者択一ではなく、「不明瞭」、つまり「どちらでもない」「分からない」とい第三の選択肢をもとにしている。欧米人がこうした思考訓練を始めたのは、二者択一が対立を生み、戦争をも誘発してきたという、過去に対する反省があろう。
 そのうえ、日本人が「和」を重んじるために、寡黙であることも、欧米人には「狡いから、愚かだから」とか、「はじめから主張に怪しげな根拠しかない」「口を開く前から言い負かされているために、物を言わないのだ」と受け取られてしまう。中国人やインド人やアラブの人々も真っ当な人なら饒舌(じょうぜつ)でなければならない。
 それと反対に、日本ではお喋りな男は、無教養であるとか、軽々しいとか、野卑だと思われて、見下される。日本人の場合は、外の世界の人々よりも、もっと洗練されていて、お互いに相手を察し合う、「和の文化」だからだ。
 日本には、「以心伝心」とか、「空気を読む」という方法がある。はじめから、同じ「心」を分かち合っているから、できることだ。自己を主張するのではなく、相手の立場に立って、相手の思いを「察する」のだ。譲り合いは、日本人にとって人間関係の基本である。きわめて日本的なものだ。
(ヘンリー・S・ストークス:
   「英国人記者が見た世界に比類なき日本文化 祥伝社新書 より抜粋」)
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 ストークス氏は英国人記者として50年以上も日本に滞在し、日本と諸外国を行き来しながら日本と日本人を客観的に見つめてきた人物です。彼の言葉には説得力があり、我々日本人が気づいていなかった言動を「他者の観点」から鋭く追及しています。新しい「日本人論」、「日本文化論」として彼の著書を読めば今まで見えてこなかった「日本」の姿が見えてきます。日本論・日本人論に興味がある方は彼の著書をぜひお読みください。

2022年07月31日

#442 和の心(1)

 昨日と今日は太牟田大蛇山夏祭りで、会場の本町多くの数台の大蛇山が集まっています。3年ぶりの開催となりますが、新型コロナBA5の猛威により、さらに感染が懸念されている中での開催になります。昨日の時点で福岡県は新規感染者が1万2千人を超え、太牟田では291人が確認されています。個人的な推測では、福岡県の感染者が1万人を超えたのは福岡市の祇園山笠や県内各地の夏祭りで、多くの人が集まったことが一因と考えられます。太牟田では先週末に港まつりが行われ、それを契機に急増しているとみられます。例年と異なりかなり制限された中で行われる今年の大蛇山祭りですが、今後どれほどの感染者が出るか、非情に心配しているところです。
 さて、ヘンリー・S・ストークスというイギリス人をご存じでしょうか。1964年に来日し、フィナンシャル・タイムズやザ・タイムズなどの東京支局長をを歴任し、日本に50年以上暮らして日本人以上に日本文化に親しんでいる親日家です。彼は日本文化論に関する多数の書籍を出していますが、日本人からすると何気ないしぐさや行動が欧米人からすると尊敬に値すると評しています。今日はその中から、「和の心」について彼の説明を引用したいと思います。
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『「和」の「心」こそ、日本の最大の長所』
 文化が、ある国や民族が培った固有な精神生活から発するものであるのに対して、文明は、より便利な道具や手法を使うことによって、民族や、国や、地域を超えて、世界にひろがってゆくものである。
 日本は数千年以上もの長きにわたって、独自の文化を育ててきた。
 日本文化のあり方には、これから世界が学ぶべきところが、大いにある。
 西洋に限らず、人類が戦争のない平和な世界を構築して、共存してゆくために、世界は日本のさまざまな長所を認めて、取り入れてゆくべきだと思う。
 日本をよく知るほどに、これから世界に「日本文化の時代」というべきものを、招き寄せたいものと、願っている。
 これは私だけではない。いま、多くの日本に住む心ある外国人が、日本国民の心に触れて、世界が日本を手本にして、日本人の生き方から学ぶべきであると、思うようになっている。
 このような「和」による社会は、中国にも、東南アジア、インド、中東、アフリカからヨーロッパにいたるまで、どこにも存在してこなかった。
 なかでも、今日の世界は、西洋列強が築き上げた文明によって、とくにアメリカから発した享楽と大量消費を賛美する物欲の文化によって、毒されているといわねばならない。
 もちろん、いうまでもなく欧米世界には優れているところが、たくさんある。他の地域の文化にも、それぞれ長所があるのは、いうまでもない。
 もし、西洋に学ぶべきものがなかったとしたら、今日、欧米諸国が世界の主要国とはなっていなかったことだろう。西洋は近代科学技術を編み出すことによって、人類に未曽有の物質的な豊かさや、医療などの長足の進歩をもたらして、人類の福祉を増進することに、大きく貢献してきた。
 私は東京オリンピックの年から五十年余も、日本をジャーナリズム活動の本拠として暮らしてきたから、日本について実体験がある。
 一九六四年に、日本にはじめてやってきてから、イギリスに一時戻っても、アメリカを訪れることがあっても、取材のためにアジアを巡っても、常にその国を日本と比較してきたから毎日が日本との新鮮な出会いであってきた。そこから学んだことを、いまのうちに語っておかなければならないと、思っている。
 日本で生活していると、日本人にとっては、ごくなにげないことであっても、外国人にとって驚くようなことが、たくさんある。外国人の眼は、日本人が日本を再発見するうえでも、きっと役に立つと思う。
 円安も手伝って、大勢の外国人観光客が日本の各地を訪れるようになっているが、日本人の「おもてなし」に触れて、多くの者が自分の国や、外国とまったく異なった空間に身を置いていることに気づく。
 この「おもてなし」は、計算ずくではなく、心のなかから発するものだ。
 私は多くの外国人が、日本文化の素晴らしさに気づくことによって、日本から多くを学ぶかたわら、日本人も日本に特有な文化を大切な宝物として守り、未来へつなげていってほしいと願っている。……
(祥伝社新書: ヘンリー・S・ストークス 英国人記者が見た「世界に比類なき日本文化」より抜粋)
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次回のブログに続きます。

2022年07月24日

#441 世界は見ていた

 安部元首相の暗殺から1週間が経ちますが、マスコミは連日犯人の家庭環境や宗教とのつながり等を報道しています。ただ不思議に思うのは、この事件の背後に黒幕は存在しないのだろうか、という疑念です。換言すれば、ただの単独犯なのか、それとも単独犯に見せかけた国内外の暗殺集団が背後にいないかどうか。何はケネディ大統領の暗殺にも似たものがあるような気がします。これは今後の警察の調査にまかせることになります。7/12日付のFNNプライムオンラインでは、次のような報道がされました。
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 林外相は閣議後の記者会見で、これまで259の国や地域、機関から1700件以上寄せられていることを明らかにしました。林外相は「多数のメッセージが寄せられていることを受けて、改めて外交に残された大きな足跡を感じている」と語たりました。
 また、林外相は「安倍元首相は地球儀を俯瞰する外交を実践し、多大なる功績を残された。積極的な首脳外交を展開し、各国地域と良好な関係を築かれた」と述べた上で、哀悼の意を表しました。(https://www.fnn.jp/articles/-/388062)
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 儀礼的な要素がありますが、それでも259の国や地域からの弔辞は今まで聞いたことがありません。それほど安部元首相が世界を飛び回り、日本と各国の信頼の架け橋となっていた証左と思われます。
 それでは世界中の人々は安部氏に対してどのような感情を抱いていたのでしょうか。時々引用しています「【海外の反応】パンドラの憂鬱」から少し引用してみます。
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『海外「自分は日本人じゃないのに…」安部元総理の最後のお別れの光景に世界が涙』
 今月8日に逝去された安倍晋三元総理の告別式が12日、東京・港区の増上寺で営まれました。告別式には岸田総理の他、森元総理や福田元総理など、約1000人が参列し、麻生元総理が弔辞を述べています。
 告別式では、喪主を務めた昭恵夫人が、「政治家としてやり残した事はたくさんあったと思うが、種をいっぱいまいているので、それが芽吹く事でしょう」とあいさつ。安倍元総理に頬ずりをし、しばらく別れを惜しむ場面もあったそうです。出棺の際には、歩道に溢れるほどの人が集まり、感謝の言葉とともに、拍手で送り出していました。
 安倍元総理を乗せた車は最後のお別れとして、永田町の自民党本部や、総理官邸、国会議事堂に。その後、都内の斎場に入り、荼毘に付されました。
 最後のお別れの様子は多くのメディアが報じており、FNN(フジニュースネットワーク)は、一連の様子をまとめた動画をYouTubeに投稿しているのですが、タイトルなどは全て日本語のみにかかわらず、映像は海外のネット上でも拡散されており、1万を超えるコメントのうち半分近くが、外国からのメッセージになっています。寄せられていた反応をまとめましたので、ごらんください。

■ この取り返しのつかない、そして早すぎる喪失を悼みます。
  アベさんのご家族、ご友人、日本国民、
  そしてアベさんを愛する友好国の人々に、
  心からの哀悼の意を表したいと思います。 +493 ブラジル

■ 偉大な日本の首相だった。
  祖国のために素晴らしい事をしてきた。
  彼のような政治家は非常に稀だ。 +872 ロシア

■ あれだけの国民が集まった。
  その事からもアベ元首相がいかに愛されていたのかが伝わってくる。
  今はゆっくり休んでください。 +73 ウクライナ

■ ニュースを観たときは衝撃を受けたよ……。
  そして日本国民が僕と同じように、
  嘆き悲しんでる姿を見て心を揺さぶられた。
  これだけ愛された人なんだ。
  きっと天国でも、永遠に幸せに暮らすよ……。 +23 ベトナム

■ これだけ深く悲しまれているのは当然。
  アベ元首相は自分の国のためだけではなく、
  地域、そして世界のために動いた人だったのだから。
  ドミニカ共和国の議員として、
  心からのご冥福をお祈りいたします。 +86 ドミニカ共和国

■ "サウジアラビア王国の市民はとても悲しいです、
  私は強い日本を共有します、私は悲しみと悲しみを感じます、、
  彼の両親、妻と家族への私の哀悼の意"(原文ママ)。 +4 サウジアラビア

■ ミスター・アベを失ってしまった日本のために祈ります。
  偉大なリーダーであり、私たちの真の友人でした。
  あなたがこの世界から旅立ってしまった事を、
  世界中の人たちが寂しく思う事でしょう。 +383 アメリカ

■ お悔やみ申し上げます。
  こんな別れは悲し過ぎる!! +1287 カザフスタン

■ 表現する言葉が見つからない。
  私は4年間日本で暮らしていて、
  その期間に接した日本の人々はみんな素敵で大好きだった。
  アベさんは特にパンデミック禍の対応が、
  信じられないくらいに素晴らしかったと思います。
  悲しくて悲しくて仕方がない😭 +83 ネパール

■ 偉大なリーダーがその政権下で善政を行うと、
  国民から惜しまれて旅立つ事になる。
  その事がありありと分かる光景だ。
  心からのお悔やみを申し上げます。 +510 カナダ

■ ミスター・アベ、ゆっくりお眠りください。
  ぼくらをサポートしていただき、ありがとうございました。
  ガーナ国民はあなたの貢献を絶対に忘れません。 +5 ガーナ

■ アベ元首相、どうか安らかに。
  日本と、日本の文化と、日本国民が大好きだ。
  日本は偉大な国。
  世界最高の自動車もあなた方が造りだす。 +4 スイス

■ インドと日本の関係を次のレベルへと導いてくれた。
  私たちインド国民、特にこの国の若者たちは、
  インドと日本がアジア太平洋地域、
  そして世界の民主主義の聖火ランナーとなるために、
  アベ元首相が私たちに遺してくれた遺産を常に思い出し、
  大切に、喜んで受け継いでいく事でしょう。
  ミスター・アベ・シンゾウ。
  改めて、あなたは偉大な友人です。 +2059 インド

■ 世界で最も優しい国民である日本人、
  アベさんのご家族、愛する人々、同僚、そして国家に対し、
  深い哀悼の意を表したいと思います。

  日本に滞在した日々の事を絶対に忘れないでしょう。
  心の芯に、真の平和を持つ人で溢れていた。 +919 オーストラリア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-4258.html
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 弔意のメッセージはまだまだ続きますが、全文は上記のリンクをクリックしてください。(なおメッセージ横の「+の数字」は賛同する数を示します。)
 国内各地に記帳の場所が設けられ、多くの人たちが長い列を作り、記帳する場面がニュースで流れていました。また出棺時には沿道に溢れるばかりの人々が列を作り、安部元首相に別れの挨拶をしていました。その中には10代や20代の若い人たちの姿が目立ち、政治色に染まってない彼らの姿に日本の明るい将来を見た感じがしました。
 それに比べて赤化教育を受けた60代、70代の年配者は安倍総理の真実を見ようとせず、安部氏逝去後も様々な批判を繰り返しています。物事の真実を見抜けないかわいそうな世代です。
 私蜂は世の中で起きている事象の表面を見るだけでなく、その裏側に何があるのかを深く考える必要があります。決して付和雷同的に踊らされるのではなく、物事の本質を考えなければなりません。

2022年07月17日

#440 哀悼の意

 本日は参院選の投票日です。私たち国民一人ひとりが国政に対して意思を示す唯一の場です。棄権せずに多くの人々が自分の意思を示して次の日本の舵取りに影響を与えてもらいたいと思います。
 ところで、金曜日に世界を震撼させた暴挙が発生しました。ご存じのように安部元首相の暗殺です。私がこの一報に接したのは仕事を終えて帰宅した午後4時過ぎのことでした。何気なくテレビのスイッチを入れると、どの放送局も一斉にこの事件を報道していました。そして午後5時過ぎに下安倍首相の逝去が速報で流れました。
 まったく残念という他ありません。事件の報道番組の映像でしか判断できませんが、安部氏が演説を行っている時に周囲のSPや警官が彼の後ろを全く警戒していません。一発目の弾丸が発射された時にも安部氏を守ろうとする行動を誰も取っていませんでした。この場面を見て思い出されるのは、かつてレーガン大統領が暗殺未遂事件に遭遇した時に、周囲のSP達が犯人と大統領の間に入り込み、大統領の命を救った場面です。残念ながらSPの一人は射殺されています。
 奈良県警も自分たちのミスを認めていますが、重要人物の警護には細心の注意払い、最善をつくすべきです。特に安部氏は政界の指南役として今後の活躍を期待されていた人物です。謹んで哀悼の意を表したいと思います。
 安部氏に関しては政権後半に森友問題などで批判されていましたが、彼ほど日本や世界のために世界中を飛び回って根回し外交した政治家はいないでしょう。特に安部氏はトランプ氏と懇意にしていましたので、各国の首脳がトランプ氏と会談をする前に安部氏に会談がうまくいくようにアドバイスを求めた逸話が残っています。
 安部氏が言っていたように外交は国防の第一義です。国を守るためにいかに他国との協調路線を行い、争いを防ぐためにお互い意見交換をするかは長期政権の人物しかできません。かつて毎年のように首相が代わっていた日本は顔のない国として世界に認識されていました。「金は出すが汗はかかない国」として湾岸戦争時には貢献した国として日本の名前は出ませんでした。当時日本は自衛隊を派遣し、海上の機雷撤去等に活動し、連合国に多大に寄与したにも関わらず、一言もお礼の言葉がありませんでした。それは日本の首脳の存在が薄かったからです。
 安部氏は政治家一家に生まれ、外交の重要性をを幼い頃から学んでいたのでしょう。「外交なしには国の防衛なし」、「国の防衛なしには国民の命を守れない」。このような意識が強かったと思います。安部氏について様々な意見がありますが、国を守るという姿勢は他の政党や政治家には見られないほど真摯な姿勢が見られたと思います。
 世界中の主な首脳から弔意の言葉が届けられています。それほど彼の外交姿勢は素晴らしかった言えます。彼亡き後に日本丸は何処へ進んで行くのでしょか。

2022年07月10日

#439 ここまで進んだホームドア

 前回のブログで梅雨明けを予想しましたが、確かにその通りになりました。各地で猛暑日が続出し、東京では昨日の時点で9日連続の猛暑日となっています。例年の梅雨末期の豪雨は避けられましたが、今度は干ばつや水不足が懸念されます。特に梅雨時期が極端に短かったので、実際多くの作物に影響が出ています。米作農家の話では今年度の米穀高は3割減になるそうです。またナスなどの野菜にも水不足による大きな影響が出始めています。天気も社会活動も「中庸」が一番です。極端な偏りは負の影響しか与えません。
 さて、最近では駅ホームからの転落防止のために都会を中心にホームドアの設置が進んでいます。確かに転落防止には効果がありますが、設置費用に多額の費用がかかり、車両の種類によりドアの数が異なるので、設置不可能な駅もあるそうです。そのような状況下で車両のドア数に応じてドアの位置が移動する「未来のホームドア」と呼べるようなものが登場しました。そのニュースを以下に転載します。
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『未来駅“うめきた”に世界初の最先端『ホームドア』案内を表示…車両に合わせて動く』
 来年春に開業予定の「うめきた(大阪)地下駅」。まだ仮の名前ですが、開業後は今は大阪駅に止まらない特急「はるか(関空方面)」や特急「くろしお(和歌山方面)」などが停車予定です。JR西日本によりますと世界初の技術を採用した最先端の駅になるということです。一体どのようなものなのでしょうか。
 ホームからの転落や列車との接触を防ぐために鉄道各社が導入を進めてきたホームドア。多くの駅で導入が進み、すっかり見慣れたものになりましたが、6月27日に公開されたのは最先端の『フルスクリーンホームドア』と呼ばれるもの。開発中のうめきた新駅に導入される予定です。
 フルスクリーンホームドアは、各車両のドアの位置に合わせて開くもので、安全でスムーズな乗り降りが可能になります。ディスプレイには、開閉時の注意喚起だけでなく、乗車位置や電車の案内も表示されるので、目的の電車に迷わず乗車できます。JR西日本によりますと、フルスクリーンホームドアと呼ばれる方式であらゆる車両のドアに対応できるのは、世界初だということです。
 JR大阪駅の北側・通称「うめきた」の地下に建設中の新駅。完成すれば大阪駅と改札内の通路で結ばれ、あわせて大阪駅として運用されます。駅構内のサービスはデジタルを駆使した最先端のものを目指しているのです。
 ほかにもスマホで目的地を登録すると自分のためだけの案内が案内板に表示されるシステムも。新駅の中でも迷うことなくスムーズに移動できそうです。
 (JR西日本・イノベーション本部 小森一担当課長)
 「ここにしかないものですので、未来の駅としてすごいものがついているなとか、これは便利だなとか、わかりやすいねとか、そういうお声をいただければ開発した甲斐があるなと」
 これらのシステムが導入される「うめきた新駅」の開業は来年春の予定です。
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20220627/GE00044487.shtml
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 ホームドアも「ついにここまで来たか」の感があります。日本らしい世界に誇れるホームドアです。大阪は元々「進取の気性」に富んでおり、歩くエスカレーターも1970年の大阪万博で登場し、大阪が発祥の地でした。東京にはない人間味のある大阪で、このような未来のホームドアが登場した理由が分かるような気がします。訪日外国人がまた驚嘆し、世界中のニュースになることでしょう。科学技術は戦争ではなく、平和のために使用して欲しいものです。

2022年07月03日

#438 未知との遭遇

  梅雨末期の気象のせいか、昨日まで3日連続で朝の通勤通学時間帯に雨が土砂降りで、落雷も発生するなど、ものすごい気象状況が続きました。特に昨日の朝は風が強く、まるで台風のような強風が豪雨とともに吹いていました。特に8時台は落雷も発生しました。
 さて、昨日は土曜日でしたが、明光学園がオープンスクールを実施したために、時間割変更で授業をすることになりました。降車駅の倉永駅で突然風雨が強くなり、歩ける状態ではなかったので、しばらく駅舎で様子を見ていますと、突然近くに落雷しました。その瞬間は目の前が真っ白になり、直後に雷鳴がとどろきました。すると電車が来ないのに警報が鳴り遮断機が降り始め、自動改札機のボタンが点滅し始めました。おそらく駅の電源トランスに強い電流が流れ、誤作動を引き起こしたのでしょう。この状態が数分間続き元に戻りましたが、めったに味わえない貴重な体験をいました。まるで映画「未知との遭遇」でUFOが接近すると踏切の警報が鳴った場面とそっくりでした。一歩間違えば雷に打たれていたかも知れませんでした。雷鳴が聞こえてきたら充分注意する必要があります。
 ところで今年は梅雨明けが異常にに早くなりそうです。日本気象協会は次のように予想しています。
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『2022年梅雨明け予想 異例に早い6月下旬か 猛暑による熱中症と水不足に警戒を』
 日本気象協会が、本日24日(金)に発表した「2022年梅雨明け予想」によりますと、今年の梅雨明けは、異例の早さで九州南部~東北南部にかけて「6月下旬」の予想です。最も早い梅雨明けとなる所も多くなるでしょう。東北北部は7月中旬の予想です。
<2022年梅雨明け予想>
日本気象協会の「2022年梅雨明け予想」によりますと、今年の梅雨明けは、異例の早さで、九州南部~東北南部にかけて「6月下旬」の予想です。最も早い梅雨明けになる所も多くなりそうです。東北北部は7月中旬の予想です。
 この先は、太平洋高気圧の北への張り出しが強まり、平年より早く九州~本州を高気圧が覆うと予想されます。そのため九州南部~東北南部は、6月下旬に「梅雨明け」の予想です。6月下旬に梅雨明けとなると異例の早さで、最も早い梅雨明けとなる所もあるでしょう。

『6月下旬に梅雨明けとなると』
九州南部 2番目に早い(これまでの最早は1955/6/24頃、6月は2回目)
九州北部 最も早い梅雨明け(6月は初)
四国   最も早い梅雨明け(6月は初)
中国   最も早い梅雨明け(6月は初)
近畿   最も早い梅雨明け(6月は初)
東海   2番目に早い(これまでの最早は1963/6/22頃、6月は2回目)
関東甲信 最も早い梅雨明けの可能性(これまでの最早は2018/6/29頃、6月は2回目)
北陸   最も早い梅雨明け(6月は初)
東北南部 最も早い梅雨明け(6月は初)

<梅雨明けのあとは危険な暑さに警戒>
 きょう24日(金)も、気温が35℃以上の猛暑日が多数観測されるなど、暑くなっていますが、梅雨明けのあとも暑さに警戒してください。きのう23日(木)に気象庁より発表された、1か月予報でも、来月後半にかけて、気温は高め傾向が続く予想です。梅雨が早く明けると、暑い時期が長くなる恐れもあります。こまめな水分補給や屋内では適切に冷房を使用するなど、熱中症には十分に注意してください。関東甲信などでは、梅雨入り後、平年より降水量が少なくなっています。水不足にも注意してください。
https://tenki.jp/forecaster/y_maki/2022/06/24/18034.html
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 天気予報によりますと明日からしばらく晴天が続きそうです。今年は異常に梅雨明けが早くなりそうです。気象庁は数日中には梅雨明け宣言をするかもしれません。熱中症には充分ご注意ください。

2022年06月26日

#437 絵本専門店

 ここ数日梅雨の中休みが続いていますが、天気予報によれば明日から本格的な梅雨になるようです。毎年梅雨明けが7月20日前後になりますので、およそ1か月続くことになります。しとしと降る雨は歓迎ですが、ここ数年は毎年異常なほどの豪雨が降り続き、全国各地で大きな被害をもたらしています。気象庁は降水線状帯の予報を今年度から始めましましたが、的中率はわずか25%足らずだそうです。しかし局地的に大雨を降らす線状降水帯は予想できるだけでも有難いものです。大雨予報を知ることで災害を防止できます。
 さて、雨が降る日は家で読書をする人が多いと思いますが、大人も子どもも一緒に楽しめるのが絵本です。先ほど亡くなったエリック・カールの「はらぺこあおむし」は世界的なベストセラーとなっていますし、親は子どもの年齢に応じて様々な絵本を与え、一緒に楽しんでいます。
 そんな中、先日NHKの「ドキュメント72Hours」で面白い絵本専門店を紹介していました。ドキュメント72Hoursは私もよく観る番組ですが、今回紹介された書店は絵本を中心に子ども用の本を揃えた「ブックハウスカフェ」という書店で東京の神田・神保町の古書街の一角にあります。世界中の人気のある絵本はもちろん様々なジャンルの絵本が豊富に揃えてあります。
 他の児童書店と唯一異なるのは、この店はは閉店後にカウンターバーに変身することです。仕事帰りのサラリーマンがこの店に立ち寄り、アルコールを飲みながら店主の女性が絵本を読み聞かせます。数十年ぶりに絵本を読んでもらった大人たちは、みんな一堂に感慨深い思い出を語っていました。幼い頃に親や祖父母から読んでもらった絵本の内容を今でも覚えている人が意外と多く、幼いころの読書体験が大人になった今でも影響していることが示されています。
 私も幼い頃に親から絵本を含めてたくさん本を買ってもらいましたが、書名までは覚えていません。しかし学生の頃読んだ「百万回生きた猫」は今でも覚えています。
EhonNaviページからこの本の見どころを紹介します。
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『100万回生きたねこ』 作・絵 佐野洋子
 そのねこは、100万回も死んで、100万回も生きたのです。ある時は船のりのねこ、ある時はサーカスの手品つかいのねこ、どろぼうやおばあさん、小さな女の子のねこにもなりました。彼らはみんなねこを可愛がり、ねこが死ぬと泣きます。でも、ねこは1回も泣きませんでした。
 ねこは飼い主なんか嫌いだし、死ぬのなんて平気。自分のことが大好きだから、誰のねこでもない、のらねこになったのを喜んだのです。
 何度も生き死にを繰り返したという驚きの話にふさわしく、堂々とした立ち居振る舞いと、立派なひげ。そして美しい緑色の目が強く印象に残る彼の風貌。ただの一度も悲しんだことのなかったその人生、でも決して悔いている様にも見えません。
 ところがそんなねこの生き方を大きく変貌させる出来事が起こるのです。それは白く美しいねことの出会いで……。
 絵本の中で何度も語られる「100万回生きた」ねこのそれぞれの人生。どれも物語があり、簡単に通り過ぎることが出来ないくらい想像が膨らんでいきます。それでも最後の物語が全く違うのは、彼が知らなかった感情を知ってしまうから。大きな真実に気づいてしまうから。それは一体、幸せなことだったのでしょうか。
 その全く穏やかで豊かになったねこの表情を、読者は自由に読み解きながら、好きなように解釈していく、そんな楽しみがこの絵本にはあります。読み終わった時に何を思うのか。その時浮かんできた「自分の言葉」、大切に残していってくださいね。
https://www.ehonnavi.net/ehon/94/100%E4%B8%87%E5%9B%9E%
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 このブックハウスカフェをテーマにしたドキュメント72HoursはNHKBS1で6月22日(水)午後5:00-5:30に放送されますので、興味のある方はぜひ視聴してください。東京に行く機会があればぜひ行ってみたい場所です。
 絵本は子どもだけのものではありません。大人も充分楽しめる本です。絵本を楽しめない大人は何か大切なものを失っているかもしれません。雨の日にはゆっくりお気に入りの絵本を楽しみましょう。

2022年06月19日

#436 気象病

 今日は朝から晴天ですが、昨日は午前中まで雨が降り続き、気象庁は九州地方に梅雨入り宣言を出しました。いよいよ梅雨の始まりです。毎年のように九州北部は梅雨時に大雨や洪水に見舞われ、ここ太牟田でも昨年は内水氾濫で2人の死者が出ました。今年はすでに梅雨に入っている沖縄や関東、東北地方で大雨が続いており、大荒れの天気が続いています。雷雨や雹(ひょう)など近年の梅雨は極端な気候の変化が見られますので、特に梅雨末期の大雨には注意が必要です。
 さて、気象病という言葉が最近ニュースなどで取り上げられるようになりました。気圧や天気の変化に身体は異常に反応する症例ですが、面白記事を見つけましたので、転載します。
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『梅雨に多い「気象病」、気圧変化による不調はアプリで“予測”』
 梅雨が始まると、急な気圧や気温の変化によって、体調を崩す人が少なくない。その症状は、頭痛やめまい、倦怠(けんたい)感などさまざま。このような不調は「気象病」とも呼ばれ、近年、認知が広がりつつある。そんな中、気圧の変化を知ることで体調管理に役立てるアプリが重宝されている。天気予報を見るように、事前に起こりうる体調不良を確認できることから、利用者が増えているという。
「曇りや雨の日は、眠気や頭がモヤモヤするような頭痛に襲われることがあります。でも、病院に行くほどでもなかったんです。最近になって、それが気圧に左右されているとわかり、少し気持ちが楽になりました」
 こう話すのは、片頭痛持ちの30代女性。夫も同じタイミングで頭痛を訴えていた。「気象病」というのがあることを知り、自分たちの不調が気圧の影響を受けているかもしれないと思ったという。
 気圧などの変化で不調をきたし、病院を訪れる人は少なくない。愛知医科大学客員教授の佐藤純医師は、天気による体調の悪化や寒暖差による不調を「天気痛」と命名し、同大学病院で「天気痛・気象病外来」を開設して患者の治療にあたっている。
「体調を崩す3要素である気圧・温度・湿度が、耳の奥にある内耳や自律神経に作用することで、体調不良を引き起こします。特に気圧の影響が大きい。もともと高気圧で晴れている時は、体の活動性を上げる交感神経が優位になりますが、低気圧で曇りや雨の時は、休息モードの副交感神経が優位になります。しかし、現代人は運動不足や生活リズムの乱れにより自律神経の働きが弱くなっていて、天候の変化にうまく対応できなくなってしまうことがあります」
 不調を感じる「時点」にも注意したい。上空が低気圧に覆われて天気が悪くなる前、つまり、気圧変動が起きている時の方が人は体にストレスを感じやすいという。症状として表れるのは、頭痛やめまい、倦怠感、関節痛、ぜんそく、うつ病などさまざまで個人差がある。佐藤医師の「天気痛・気象病外来」には片頭痛の患者が多いという。
「いわゆる『古傷が痛む』という症状の人は、外来にはあまり来ません。患者に多い症状は頭痛で、深刻な例には、仕事を辞めてしまう人や、学校に行けなくなる子どももいます。雨が降るだけで、日常生活に支障が出るほど体調不良になるというのは、周囲の理解を得られにくいため、患者本人と家族は苦しい思いをすることがあります」
 女性患者のなかには、PMS(月経前症候群)と気象の乱れが重なった時に、体調が普段より悪くなるという人も少なくないという。
<気圧の変化を視覚化>
 気圧は肌感覚や目で見てわかるものではない。気圧の変化などを視覚化して、これから起きる体調不良を予測したスマホのアプリがある。
 気象情報会社「ウェザーニューズ」は、「天気痛予報」を配信している。大きな気圧の変化のみならず、微小な気圧変動(微気圧変動)や、毎日決まった時間に起きる「大気潮汐(たいきちょうせき)」による気圧の変動幅まで、3つの要素から予測できる1週間分の“天気痛予報”を出している。
「微気圧変動は台風シーズンの秋に起こりやすくなります。フィリピン海沖など遠くで発生した台風から、波紋のように伝わってくる微小な気圧変動でさえ、影響を受けて頭痛を引き起こす人もいます」(ウェザーニュース広報)
 ウェザーニュースのアプリのダウンロード数は3000万を超える。「天気痛予報」はそのコンテンツのひとつだが、同社によると、不調の警戒日を知らせる「天気痛アラーム」機能の登録者は20万人を超える。これは、花粉症の人向けの「花粉対策アラーム」と肩を並べる数だという。
「『天気痛アラーム』を始めたのが2020年6月だったのですが、そこから登録者が右肩上がりに増えている状況です」(ウェザーニュース広報)
 顧客関係管理(CRM)事業を展開する「ベルシステム24」は、気圧変動による体調不良が起こりやすい時間帯を予測する「頭痛ーる」というアプリを提供している。利用者の86%が女性で、20~30代が6割を占める。
https://diamond.jp/articles/-/304424
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 私も時々片頭痛がしますが、元来鈍感ですので気象病なのか判断できません(笑)!とにかく体調不良の場合は気象が関係することもあると認識しておくべきでしょう。その日の体調と気象をメモしておけば、何らかの関連性が把握でき、体調管理に役立つかもしれません。

2022年06月12日

#435 荒尾市立図書館

 今日は朝から本降りの雨が降り続いています。季節はもう6月、もうすぐ梅雨入り宣言が出る頃です。関東ではここ数日間雹(ひよう)による被害が続出しており、作物への被害が懸念されています。
 さて昨日は朝から一日中晴天で、買い物ついでに荒尾図書館へ行ってきました。荒尾まではグリーンランド行きのバスが一番便利ですが、グリーンランドに遊びに行くお客さんでバスが込み合いますので、私はひたすら自転車で行くことにしています。当塾から50分ほどかかりますが、サイクリングついでに途中寄り道をして景色を楽しながら進みます。
 荒尾図書館は荒尾シティモールの中にあります。今年の4月にリニューアルオープンしました。太牟田市立図書館の1.5倍ほどの広さがあり、ゆったりした雰囲気のつくりとなっています。また紀伊国屋書店も新しく隣接し、運営管理を委託されています。紀伊国屋書店のHPで次のようなページがあります。
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『2022年4月1日 熊本県荒尾市に荒尾市立図書館と紀伊國屋書店あらおシティモール店がグランドオープン』
 株式会社紀伊國屋書店(代表取締役会長兼社長 高井 昌史)は、2020年11月に熊本県の荒尾市及び荒尾シティプラン株式会社と締結した「荒尾市立図書館の質の向上とあらおシティモールの活性化に関する協定」に基づいてプロジェクトを進めて参りましたが、この度、4月1日に荒尾市立図書館と紀伊國屋書店あらおシティモール店がグランドオープンいたします。
 コミック・児童書・学習参考書を中心にビジネス書、実用書、CD・DVD等々、幅広いジャンルの商品を品揃えいたします。隣接区画に開館する荒尾市立図書館とともに、そして皆様とともに、歩んで参ります。図書館・カフェと隣接した立地を生かし、本の魅力を多くのお客様に伝え、最新の情報・話題の商品を提案いたします。
 荒尾市立図書館は本格的なデジタルライブラリーを備えた市立図書館として、あらおシティモールに床面積約3,300㎡(約1,000坪)、蔵書冊数約10万5千冊、電子図書館7000点、座席数約250席にて移転し、オープンいたします。指定管理者として紀伊國屋書店が運営・管理を受託しています。
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 図書館の写真や詳細は詳細はhttps://mirai.kinokuniya.co.jp/2022/03/31912/にアクセスしてください。素晴らしい雰囲気の図書館を眺めることができます。
 この荒尾市立図書館は荒尾市以外の大牟田市を含む近隣の市町村も利用できますので近隣の方々はシティモールで買物のついでにぜひ立ち寄ってください。
 また先月から「ありあけ圏域電子図書館」も始まりました。この電子図書館は大牟田市、柳川市、みやま市、長洲町に在住している人利用できる図書館です。自分のコンピュータやスマホからアクセスすることができます。現在8000タイトル以上の書籍が登録されています。
 これからも様々なタイプの図書館が登場してきますが、無料で借りることができる公立図書館は知識の宝庫です。大人も子供も大いに地元の図書館を利用したいものです。

2022年06月05日

#434 荒尾競馬閉鎖

 地方競馬と言えば、小倉、佐賀と並んで荒尾にもかつて競馬場がありました。2011年に廃止され、場外売り場が残されていましたが、それも今日移転されて廃止となりました。地元の競馬ファンに取っては懐かしい競馬場です。この荒尾競馬に関する記事を転載します。
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『学校サボって観戦、落ちこぼれ馬の覚醒…
         荒尾競馬跡地29日閉鎖、最後の食堂「寂しい」』
 場外馬券発売所として活用していた荒尾競馬場跡地(熊本県荒尾市)の旧スタンドが、発売所の移転新築に伴い29日で閉鎖される。場内に唯一残っていた食堂「朝日屋」もこの日で閉店。今秋から施設全体の解体が始まる。元馬主でもある食堂経営者の池田政照さん(84)=福岡県大牟田市=は「思い出が染みついた場所が無くなるのは、寂しくてたまらない」と惜別の念を募らせる。 
 荒尾競馬場の開設は1928年。池田さんは幼少時、祖父に手を引かれて訪れ初めてレースを見た。たちまち馬のとりこになり、「大きくなったら馬を飼う」と祖父に誓ったという。
 競馬場は戦時中に一時中断したものの46年に再開。石炭増産の国策でいち早く復旧した三池炭鉱の労働者らでにぎわった。55年から、荒尾市と県の一部事務組合による公営になった。
 池田さんによると、当時レース開催日には花火が上がったという。高校時代、花火の音が聞こえると、そわそわしたという池田さん。「競馬好きの同級生と、学校をサボって何度、競馬場に通ったことか」と笑う。上京した大学時代も、中央競馬などに通い詰めた。
 帰郷してからは、塗装会社やガソリンスタンドの経営を始めた。その先に見ていたのは、馬を飼うという幼年期からの夢。所得要件をクリアし、30代でついに馬主登録を果たした。
 池田さんの所有馬は通算約20頭。中でも忘れられないのは「ダンディジョイフル号」。中央競馬から移籍し、鳴かず飛ばずだったが「養い方次第で走る」と確信して買い取った。仕事の合間、競馬場の厩舎(きゅうしゃ)に足しげく通った。「朝日屋」の壁には、98年の優勝写真が飾られている。愛馬と並ぶ池田さんは誇らしげだ。
 しかし前年の97年、三池炭鉱が閉山。得意客を失った荒尾競馬場はその後、赤字が続き、2011年12月、約14億円の累積赤字を残して廃止された。
 当時、競馬場には10軒の食堂があった。池田さんが04年に高齢の前経営者から引き継いだ朝日屋もその一つ。競馬場の廃止で一斉に閉店したが、池田さんは「馬を近くに感じたい」と存続を決めた。
 馬券発売所の客が訪れる食堂には、その日の出馬表や予想を掲示。15年間勤める石丸フサエさん(73)、智美さん(53)親子が作るちゃんぽんや焼きそば、験担ぎのカツ丼やカツカレーが人気だった。年配の常連たちは池田さんとの競馬談議を楽しみに来店した。
 29日の営業が終われば、人生の大半を過ごした「競馬場」ともお別れ。「いよいよこの日が来た。しばらくは何も手に付きそうにない」。池田さんの目が潤んだ。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/930995/)
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 荒尾競馬の跡地に建って、広い競馬場を眺めますと、かつての賑わいが目に浮かびます。私は競馬の趣味はありませんが、それでも所要で競馬場の前を通り過ぎるとき歓声が轟いていたことを思い出します。競馬場の広いトラックの向こうに視線を向けますとラムサール条約に登録されている荒尾干潟が有明海に広がっています。その向こう側には雲仙の普賢岳がそびえています。悠久の自然の姿は変わりませんが、人の作った物はいつしか朽ちていきます。

2022年05月29日

#433 消費者物価指数急上昇

 ウクライナ戦争は世界中に様々な悪影響を与えています。外務省のデータによりますとウクライナの小麦生産高は世界7位で、戦争のために現在輸出可能な量は1/10にすぎないということです。また4位のアメリカや6位のカナダでは天候不良のために作付けさえもできない状態が続いています。このような状況でWFP国連世界食糧計画(国連WFP)は次のように懸念しています。
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「私たちの最大の関心事のひとつは収穫です。ウクライナでは供給システムが困難に陥っており、食料が不足しています。紛争が続けば、世界的な食料危機が発生するでしょう。これほど悪いタイミングはないでしょう。アフガニスタン、エチオピア、シリア、イエメンなどの国々では、食料価格が過去最高値に達しています。食料不安に陥る人びとの数は急増しています。戦争以前からニーズは利用可能な資源を上回っていました。そして今は、食料の購入と輸送にかかるコストがより高くなったのです。」
(https://ja.wfp.org/stories/ukurainazhanzhengnongdekazhanchangni
               shijiedenajiehenoyingxiangniduisuruxuannian)
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 また消費者物価指数も急激に上昇し、2.1%を示しています。国民の給与が上がり、お金がうまく循環すればよいのですが、現実は部下だけ上昇し、国民の生活は苦しい状態が続いています。そして昨日の西日本新聞に衝撃的な記事が載っていましたので、転載します。
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『病院に行けず 制服も買えず 光熱費と食費高騰、困窮家庭を直撃』
 4月の全国消費者物価指数は、前年同月より2・1%伸びた。新型コロナウイルス禍で疲弊する困窮家庭に、エネルギーや食料品といった物価の高騰が追い打ちをかける。ロシアのウクライナ侵攻が長引く中、年内は物価の上昇が続くとの見方が広がっている。
 福岡県の40代女性は、夫と子ども5人の家族7人で暮らす。最近の光熱費は、ガス2万3千円、電気2万円…。請求書を見て「節約しているのに厳しい」とため息をつく。水道料金以外は毎月値上がりが続き、支払いは滞りがち。供給を止められることもある。
 女性の家計は困窮している。コロナ禍で、夫は建設作業員の日雇いの仕事が減った。女性は昨年8月に福祉関係の職場を辞め、希望の転職先が見つからない。コロナ禍前は夫婦の手取り収入が月25万円程度あったが、今は11万円程度。失業保険や児童手当を足しても、19万円程度にとどまる。
 そこに襲いかかるのが世界的なインフレだ。光熱費は、昨年秋ごろから本格的に上昇した。コロナ禍から世界経済が急激に回復し、原油などエネルギー相場が上がった。今年2月以降は、ロシアのウクライナ侵攻や円安の進行が重なり、価格上昇を一段と加速させた。女性が切り詰められるのは食費ぐらいだが、エネルギーだけでなく穀物や食料などの輸入価格も高騰した。
 食料品の値上げが相次ぎ、女性は3月から、生活困窮世帯の支援団体に頼るようになった。米などの食材を月1回もらうが、1週間で尽きる。食費は月に約2万円が上限で、もやしや豆腐など安い食材しか買えなくなった。子どもを優先して食事を抜く日も多く、商店を回ってパンの切れ端などをもらうこともある。
 家族が病気になっても病院に行けず、春に中学と高校に入った子どもの制服やバッグを買えなかった。「物の値上がりが落ち着く気配がない。どうやって暮らせばいいのか」と訴える。
 みずほリサーチ&テクノロジーズが物価高の影響を4月に試算したところ、年収に対する光熱費や食料品などの負担率は、年収1千万円以上の世帯は0・5%の増加だったが、年収300万円未満は2・1%増え、約4倍の開きがあった。
 酒井才介上席主任エコノミストは「光熱費や食費は生活に欠かせないため、低所得者ほど負担が大きくなる。娯楽費を切り詰めるだけでは足りず、教育費を削る家庭も出てくる。教育格差が拡大し、貧困の連鎖につながる恐れがある」と指摘する。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/926591/)
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 確かにスーパーマーケットに行くと全体的に商品の価格が高くなっています。年金世代や生活保護者など低所得者は物価上昇によりますます生活が困窮することでしょう。今、政治の力が必要とされる時です。政党の目前の利益に左右されることなく、国民のために大ナタを振るってもらいたいと思います。

2022年05月22日

#432 三省堂、また会う日まで

 今日は5月15日、沖縄復帰の日です。本土復帰から50年経ちますが、米軍基地問題など問題が山積しており、国際情勢も反映して本来の沖縄に戻るにはまさまだ時間がかかりそうです。
 さて、東京の老舗書店の1つである三省堂ビルが建て替えのために取り壊されることになりました。読売新聞では次のように報じています。
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『三省堂の神保町本店が一時閉店、社長「本にしおりを挟むのと同じです」』
 本の街「神保町」を象徴する存在として親しまれてきた東京都千代田区の三省堂書店神保町本店が8日、建て替えのため一時閉店した。ビルの老朽化が進んだことなどが理由という。建て替え中は近くの仮店舗で営業し、2025年に新店舗での開業を予定している。
 1981年にオープンした現在の店舗は、6階まで売り場があり、約140万冊を扱っていた。同新宿区の紀伊国屋書店新宿本店などと並び、都内の大型書店の先駆けだった。本の街らしく、文芸や人文書などの書籍に詳しい店員が多かった。近年は話題の新刊を塔のように積み上げて売る「タワー積み」などが名物となっていた。
 元店員の女性(57)は、「村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は発売のとき、タワー積みをして1日2000冊が売れました」と懐かしんだ。
 「お店で働く前の学生時代から訪れた思い出の店でした。本の好きなお客さんが多く、こんなことを知らないのかと怒られることもありました」という。
 閉店後の午後8時半から正面入り口で行われたセレモニーで、三省堂書店の亀井崇雄社長(46)は「一時閉店をさせていただきますが、これは本にしおりを挟むのと同じようにまた物語を再開するのに必要なステップです。我々はこの時代の大転換期に第二の創業のつもりで次世代の新しい書店を目指す挑戦をすることにいたしました」とあいさつした。一時閉店後は、6月1日から近くの仮店舗で営業を行う。
(https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220508-OYT1T50096/)
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 以前は東京で教員研修会があったり、本の買い出しで年に1,2回上京する度に、決まって最初に行く書店が三省堂でした。JRお茶の水駅から歩いて坂を下り、小川町交差点近くにこの書店があります。店内の各階を散策しながら、面白そうな本を見つけると手にしてページをめくり、早速購入したものです。この三省堂から西へ進むと神保町の古書店街が広がっています。世界最大の古書街です。全部で百数十件ほどの古本屋が並んでおり、ぶらぶら歩きながら気に入った店に入り、書棚に視線を移したものです。
 東京には他に多くの大型書店が立ち並んでします。この数年間は東京へ行く機会はありませんが、三省堂に続いて、新宿の紀伊国屋書店本館、池袋のジュンク堂本店、東京駅にある丸善本店、それに八重洲ブックセンターには必ず足を運びます。これらの書店で入手できない本はどこへ行っても手に入りません。
 最近はアマゾンで購入することが多くなりましたが、やはり本は自ら手に取り、ページをめくって内容を確認した後に購入するものだと思います。デジタル時代でもあり、電子書籍も人気がありますが、書籍のような気がしません。やはり両手に本の重さを感じながら一字一句目を通していくのが読書の醍醐味だと思います。もし、東京へ行かれる方があれば、ぜひこれらの書店に立ち寄ってください。本の世界が広がります。

2022年05月15日

#431 グリーン葬?

 ゴールデンウィークも今日で終わり、明日から平常の生活に戻ります。今年のゴールデンウィークはコロナ規制も無くなり、全国的に様々な場所で休日を満喫した人々のニュースが流れていました。また海外で休日を過ごした人も前年度に比べ飛躍的に増え、航空業界は久しぶりに嬉しい悲鳴となりました。やはりウィズ・コロナで経済を回せば、様々な業界が活気づきます。改めて経済活動の重要性を肌で感じたところです。
 さて、埋葬に関して先日面白い話題を見つけました。欧米は宗教の影響で今でも土葬が中心です。日本でも以前は土葬していましたが、埋葬する場所や環境問題等から火葬が行われています。さらに、近年では散骨や樹木葬など故人の遺言で埋葬方針を決める遺族の方も増えています。
 ここで、ユニークな埋葬がアメリカで始まりました。「グリーン葬」と呼ばれる埋葬方式です。それではこの記事に関するニュースを転載します。
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『亡きがらを堆肥化する「グリーン葬」 米国で注目』
【5月7日 AFP】シンディ・アームストロング(Cindy Armstrong)さんは米西部の丘にたたずみ、木立のそばの一画を見つめていた。その土には今は亡き息子、アンドリュー(Andrew Armstrong)さんの亡きがらが含まれている。
 米国では家族を埋葬する際に、環境への負荷が少ない方法を選択する人が増えつつある。アームストロングさんもその一人だ。
 アンドリューさんは生前、「テラメーション」と呼ばれる方法での埋葬を強く望んでいた。ワシントン州は2019年、ひつぎを使った埋葬や火葬の代わりに、遺体を土に返す埋葬方法を米国の州として初めて合法化した。
 「最初はなぜという思いでした」とアームストロングさん。「今、埋葬を終えてみて心から賛成できるようになりました。私自身もテラメーションを選ぶつもりです」
 昨年、がんのために36歳で死去したアンドリューさんの遺体は堆肥化され、他の数十人分と一緒にシアトル(Seattle)郊外ケント(Kent)の丘で安息の眠りに就いている。
 米国で毎年数千人が選んでいる「グリーン葬」は、薬品による遺体の防腐処理や、コンクリートや金属などカーボンフットプリント(温室効果ガス排出量をCO2に換算した数値)が多い物質の使用を避けることができる。
 草木が根を張りつつある緑豊かな丘の中腹で、アームストロングさんは「息子は自然に返りたがったのです」と語った。
 この土地を所有しているのは新興企業リターンホーム(Return Home)で、同社は7か月前に近隣のオーバーン(Auburn)で事業を開始して以来、40件のテラメーションを実施している。

■「より良い死に方」
 同社の創業者でトップを務めるマイカ・トルーマン(Micah Truman)氏は「ここに葬られた人々は、より良い死に方を私たちに教えてくれているように感じます」と語る。
 倉庫ほどの大きさの部屋棚には、「ベッセル(船の意)」と呼ばれる金属製コンテナが並んでいる。コンテナの中に入れられた遺体は60日間、密封状態で分解過程を経る。
 明るい照明がついた部屋には、アップテンポの曲が流れている。この60日の間に訪れた遺族は、亡き人の人生を祝福する曲を選ぶことができる。
 ベッセルの中の遺体には防腐処理は施されていない。遺族には花や堆肥化可能な思い出の品を添えてもらう。さらに分解過程を促進するために、わらなど遺体の体重の約3倍の有機物が加えられる。その結果、出来上がる100キロ以上の堆肥は、見た目も感触も普通の腐葉土と変わらない。
 環境配慮型の埋葬を推進するNPO「グリーンベリアルカウンシル(Green Burial Council)」のエドワード・ビクスビー(Edward Bixby)会長は、世界各地で遺体の堆肥化を選択する人が増えていると語る。「基本的にわれわれは生まれてきた土に返る、ちりはちりに戻るということです」
 リターンホームで遺体の堆肥化にかかる費用は5000ドル(約65万円)で火葬とほぼ同じだが、従来の葬儀を行えばこの2~3倍の費用がかかる。
「グリーン」埋葬は、死そのものに対する自然な向き合い方だ。遺族は、遺体の埋葬準備に関わること、そして故人がこれからも生き続ける生命の一部になるのを見ることができる。
「愛する人が亡くなっても、いつでも思いをはせることはできるのです。ただ触れることができなくなっただけです」とビクスビー氏は語った。
(https://www.afpbb.com/articles/-/3403565
*なお動画をご覧になりたい方は上記のページにアクセスしてください。
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 遺体を土に帰すために、日本を除いて多くの地域で土葬が行われていますが、この遺体を「土に帰す」新しい方法として「グリーン葬」が登場したようです。遺体が完全に土に帰り、肥料として自然環境に貢献できる点で、今後注目を浴びそうな埋葬方式だと思います。
 ただし宗教や文化の違いによりどれほど普及していくかは不明ですが、人口が減少し始めた日本では墓守不在が増えており、いずれは無縁墓が急増していくと思われます。そのような状況下で自分の死後の墓守や墓参を懸念している人はグリーン葬をすることで、墓を建てる必要が無くなり、また遠隔地に住んでいる遺族の方々は墓参を気にせずに各自の家で祈りを捧げることができます。おそらく新しい形式の死者の弔い方として今後注目を引きそうな気がします。

2022年05月08日

#430 絶対に関わってはいけない人物

 今日は5月1日です。「初夏」の季語が使われる月です。また本日はメーデーや日本赤十字社創立記念日です。木々を見ながら新緑が深緑へと変化していく季節感があります。
 さて、世の中には絶対関わってはいけない種類の人間がいます。もちろん暴力団など反社会的な人物は言うまでもなく、以外に私たちが気づかない人物が周囲にいます。先日このことに関する面白い記事を見つけましたので転載します。
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『【現役僧侶が教える】絶対に関わってはいけない「4種類の人」の特徴とは?』
 わたしたちがいま生きているのは「ストレス社会」とも呼ばれる、精神的に疲労が溜まりやすい時代だ。気持ちが沈みがちな人も多いのではないだろうか。人間関係や仕事、お金や健康など、悩みの種を挙げはじめたらきりがないが、むやみにストレスを溜め込んでしまうと心身に不調をきたしてしまう。
 そこで、精神的負担を軽減するために参考になるのが、仏教の視点から人生の様々なストレスや悩みへの対処法を語るYouTubeチャンネルが人気の、現役僧侶・大愚元勝の初の著書『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社刊)だ。SNSでは「心が洗われた」「人生の歩み方を学んだ」といった感想が相次いでいる。本稿では、本書より一部を抜粋・編集し、友人として絶対に付き合ってはいけない「4種類の人」をご紹介する。

<絶対に避けるべき「4種類の人」とは?>
 人間は、必ず、他人の影響を受けています。だからこそ、「誰と付き合うか」が重要です。お釈迦様は、「次の4種類の人は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである」と述べ、「危険な道を避けるように、敵を遠く避けなさい」と教えています。
「4種類の敵」とは、
1)何ものでも取っていく人
・人に与えるときは少ないのに、自分が受け取るときは、できるだけ多く得ようとする人
・自分の利益のみ追及する人
2)言葉だけの人
・「あのときは、ああしてあげた」と、過去のことを恩に着せて友情を装う人
・「今度、こうしてあげるから」と、未来のことに関して友情を装う人
・なすべきことが迫ってくると、「都合が悪い」と言い出す人
3)甘言を語る人(甘言:口当たりのよい言葉)
・目の前ではお世辞を言い、裏では陰口をたたく人
・うわべだけはうまい言葉を語って、中身がともなっていない人
4)遊蕩の仲間(遊蕩:ギャンブル、お酒などに溺れること)
・飲酒、ギャンブルに明け暮れている人

のことです。

<真の友人といえる「4種類の人」とは?>
 一方で、お釈迦様は、「次の4種類の友人は、心のこもった友であると知るべきである」と述べています。「4種類の友人」とは、
1)助けてくれる友
・元気がないときに、守ってくれる人
・正常な判断ができなくなったときに、正しい行動に向かわせる人
2)苦しいときも楽しいときも一様に友である人
・窮地に陥っているときに、見捨てない人
・辛いときにも一緒にいてくれる人
3)自分のためを思って話してくれる友
・悪い道に入らないように忠告したり、大切な情報を教えてくれる人
4)同情してくれる友
・落ち目になったときに心配してくれ、上り調子のときには一緒に喜んでくれる人
・人から悪口を言われたときに、弁護してくれる人

 お釈迦様は、このような「4種類の友人」こそ「親友」であると説き、「真心を持って交流しなさい」と説いています。
 心が弱っているとき、心が欲しているとき、心が憤っているときには、悪友が寄って来やすいものです。人間関係の苦しみを手放すには、「どのような人と付き合い、どのような人と付き合わないか」の基準を持つこと。
 その基準となるのが、お釈迦様の教えにある「4種類の敵」と「4種類の友人」なのです。

<苦しみはあなたの心の「SOS」>
 あなたは今、何かしらの苦しみを胸中に抱えていらっしゃるのではないでしょうか。ひょっとしたら、あなたではなく、あなたの大切な人が「苦しみ」を抱えていらっしゃるのかもしれません。
 苦しみは、あなたの肉体や精神を傷つけ、あなたの心身の力を失わせ、あなたから貴重な時間を奪っていきます。それは一見とても不幸なことに思えるでしょう。けれども別の見方をすれば、「苦しみ」はあなたの潜在意識が発するSOSでもあるといえるのです。
 たとえば、さまざまな病気が、私たちが知らず知らずのうちに積み重ねてきた、望ましくない生活習慣に対して発せられる体からのSOS(警鐘)であるように、あなたの「苦しみ」は、あなたが知らず知らずのうちに積み重ねてきた「生き方」に対してのSOSなのです。

<日々の積み重ねが「苦しみ」や「幸福」をもたらす>
「生きる」とは、心で思ったことを言葉に表し、行動に表すことです。日々「何を思い、何を話し、何を行うのか」その積み重ねが、「苦しみ」という結果をもたらすし、また「幸福」という結果ももたらします。
 病気になりやすい生活習慣もあれば、病気になりにくい生活習慣もある。同様に「苦しみ」を生み出しやすい生き方もあれば、「苦しみ」を離れて生きる生き方もある。ぜひ、この本を読んでそのことに気づき、新たな一歩を踏み出していただきたいと思います。(本稿は、『苦しみの手放し方』より一部を抜粋・編集したものです)
(ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/302150)
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 さすがにお釈迦さまの人を見る力は素晴らしいものがります。人間の心を見つめ究極的に悟りに至った仏陀の偉大さには心より感服します。仏陀の知恵は2500年経った現代でも充分通用する人生哲学です。
 私は寝る前に時々仏教伝道協会が発行している仏教聖典(様々な経典から抜粋したもの)を開きますが、どのページを開いても仏陀の神髄が輝いています。まさに心のオアシスと言えます。
 一日置いてゴールデンウィーク後半が始まります。新コロウィルスを忘れて、久しぶりの観光も結構ですが、充分な時間がある時に今一度自分の心を見直して古今東西の名著を開き、偉大な教えに触れることも休日の過ごし方です。日頃のストレスで心が疲労しています。休日を楽しく過ごして、心を今一度リフレッシュしましょう。

2022年05月01日

#429 生まれる国を間違えた

 月日の経つのは早いもので、今週は4月の最終週となり、来週は5月を迎えます。慌ただしく始まった新年度・新学期ですがもうすぐゴールデンウィークが始まります。時間の加速度がますます速くなり、あっという間に真夏を迎えそうです(笑)!
 さてこのブログでは時々「パンドラの憂鬱」より面白い記事を転載していますが、先日興味ある日本と欧米の異文化に関する違いを述べている記事がありましたので、転載します。
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『海外「生まれる国を間違えた」北欧の空手家が語る日本人と欧米人の決定的な違いが話題に』
今回は、空手に関する動画などを各種SNSに投稿し、空手に関する書籍も数冊著しているスウェーデン出身の空手家、ジェジー・エンカンプさんが発信したメッセージからで、日本と欧米の空手家の違いを以下のように説明しています。

「欧米人は質問が好き!?
 僕たちはしばしば、あまりにも早く答えを知りたがる。
 だけど日本では真逆だ……。
 通常欧米の生徒は、動きを実践する前に、
 『何を、何故、どのように』やるのか知ろうとする。
 そうしないと意欲が湧かないんだ。
 だけど日本の生徒は、練習を積む事で答えを見つける事を推奨される。
 これが『質問による学習』と『実践による学習』の違いだ。
 先生の役割は、生徒の質問に答えるのではなく、
 自己発見に導いていく事なのではないだろうか」

 少なくともエンカンプさんは、長年空手の研鑽を積んだ上で、日本のやり方が正解だと考えているようですが、コメント欄には各国の人々から様々な意見が寄せられていました。その一部をご紹介しますので、ごらんください。

■ 本当にその通り!
  まずはやって体で覚えるしかないんだ! +3 オーストラリア

■ そう、僕もまず体を動かしてみるというやり方。
  結局はそれがベストなんだと思ってる。 ブラジル

■ 学習には「文脈」が必要だからね。
  アイキドウの練習で、ある技を何度も繰り返してると、
  ふとした時に体が何かを掴む瞬間があるんだ。
  僕が受け持っている外科の生徒たちには、
  「見るまでは見えない」と教えている。
  彼らがそのことを理解した時になって初めて、
  「それでは勉強を始めよう」と言ってるよ。 +11 アメリカ

■ 俺としては、なぜその練習をやるのかを、
  事前に理解してた方が習得が早くなると思う。
  武道の領域で日本の方がレベルが高いのは、
  説明の不足を補えるだけの高い教養が、
  多くの生徒に備わっているからなのでは? +2 カナダ

■ これはよく分かる。
  多くの欧米人は時期尚早と言えるタイミングで質問する。
  とは言え、説明が不十分な先生も多いよね。 アメリカ

■ 言ってる事は間違ってないんだけど、
  最近のカラテ道場は若い生徒さんが増えてるからね。
  日本みたいなやり方だと上手く行かないんだよ……。
  「つまらない」「楽しくない」
  「基礎ばかりで派手な技が学べない」……。
  それで諦めて辞めちゃうんだ……😥 +11 アメリカ

■ 日本の場合は、ゴールよりも道のりを楽しむ事を学べる。 イギリス

■ うん、これはかなりクールな指摘だと思う。 +2 ブラジル

■ 日本人の物事に対するアプローチは深いね。
  彼らの姿勢は、日々の訓練を単なる訓練ではなく、
  1つの長い道へと変化させるんだ。 アメリカ

(http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-4154.html)
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 確かに、上記の欧米人たちが指摘している通り、日本の「道」のつく武道(剣道や柔道、弓道など)や茶道、生け花などの伝統文化では師匠が弟子に理屈で説明しません。ひたすら型を覚えることから始めます。それも何年も繰り返し練習させて、身体で覚えさせる方法を取ります。また禅宗の座禅を体験したい外国人がたくさんいますが、禅の理屈ではなく、ひたすら座ることで禅の何かを掴んでいきます。
 このように欧米文化と日本文化の根本的な違いのひとつに言葉によるコミュニケーションの方法が全く異なることです。とにかく欧米人は言葉で理解することがコミュニケーションの基礎なので、お互いに何か言葉で伝えないと意思が伝わらないと思いますが、日本では言葉で語らずとも相手のしぐさや態度で相手の様子が分かります。
 ただし、外交関係では沈黙してはいけません。くどいほど繰り返し相手に対してこちらの意図を明確に説明しないと、誤解されたり揚げ足を取られたりします。国際交渉の場面では言葉を使った交渉が一番です。日本人らしい交渉術が必ずしも成功するとは限りません。異文化間コミュニケーションの知識が必要となる由縁です。

2022年04月24日

#428 さだまさし70歳に

 春爛漫の季節となり、いたる所で花々が咲いています。最高気温も20度を越える日が続き、半袖で過ごしてもよい気候です。
 さて、先日歌手のさだまさし氏が70際になりました。フォークソング世代の代表として様々な場面で大活躍されています。それに関連する記事がありましたので、その一部を引用します。
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<4月10日は、70歳の誕生日>
 きょう4月10日は、さだ自身の誕生日で、70歳を迎えた。今年は彼にとって1972年に吉田政美(当時・正美)とフォークデュオ「グレープ」を結成してから(レコードデビューは翌年だが)50年の節目でもある。
その音楽の原点は3歳から始めたバイオリンで、軽音楽に転じてからはギターを弾くようになる。それだけに、本来はサウンド志向で、グレープでデビューした頃は歌詞なんてついていればいい、あくまでメロディを聴かせるんだと思っていたという。そもそも歌うようになったのも、グレープの初ライブを前に、ボーカルを吉田政美と押し付け合ったあげく、じゃんけんをして負けたからにすぎない。
<「北の国から」誕生のきっかけは…>
 そんなさだにとって、歌詞はなくメロディラインをハミングなどで歌うインストゥルメンタルの「北の国から」はまさに面目躍如といえる。言わずと知れた倉本聰脚本の同名ドラマのテーマ曲だ。放送開始の前年の1980年暮れ、札幌でのコンサートの翌日に倉本の家へ招かれ、ドラマの最初の2回分のビデオを見せられると、その場で音楽を依頼された。何度も映像を見て考えた末、ようやくメロディができてギターを弾いたが、言葉が出てこず「ああー」とメロディラインを歌ったところ、倉本からOKが出たという。《言葉がなくても歌は成立するんだなぁ、と勉強になりました。言葉があったら飽きられていたかもしれない、とも思います》とさだはのちに語ってい。
 もちろん、さだの曲には、物語の形をとった歌詞で印象に残るものも多い。初めてこの形式を取り入れたのは、グレープの2ndシングル「精霊流し」(1974年)だった。彼の故郷・長崎の精霊流しでは、新盆の家が船をつくり、親類や友人が集まって故人の霊魂を流す。前年に同い年のいとこが海の事故で亡くなったことや、地元の恩人である実業家・作家の宮﨑康平の強い勧めもあって、この行事を歌うことになった。そのために物語のディテールをまずつくり、初めて身を削るようにして詞を書き上げたという。
<「軟弱」「右翼的」という批判もあった>
「精霊流し」はヒットし、日本レコード大賞の作詩賞も受賞する。しかし、それからというもの詞ばかりがあれこれ論評されるようになり、彼を悩ませることにもなった。ソロになってからの最初のヒット曲「雨やどり」(1977年)では、軒下で雨やどりしていた女性がたまたま出会った男性と恋に落ち、プロポーズされるまでを掌編小説のように歌い、人気を博すも“軟弱”と批判もされた。
 その後もさだの曲をめぐって世間ではたびたび賛否分かれて議論が持ち上がる。男性から結婚する女性への要求を並べ立てて歌にした「関白宣言」(1979年)には、“女性蔑視”だの“熱烈な夫婦愛の表現”だのさまざまな声が上がり、社会現象にまでなった。日露戦争を描いた映画『二百三高地』の主題歌としてつくられた「防人の詩」(1980年)では、映画のイメージもあいまって“軟弱”から一転“好戦的な右翼”とのレッテルを文化人などから貼られる。
 しかし、命の尊さを歌ったつもりだった彼にはそうした反応は心外であった。あまりに音楽とは違うところで批判されることにショックも受けた。「これが伝わらないところでやっていてもしょうがない」と、歌手をやめようとさえ思ったという。そこで向かったのが中国だった。鄧小平による改革開放路線が始まったばかりの1980年、大河・長江を源流へとたどりながら各地の人々や歴史を描くドキュメンタリー映画『長江』を撮影し、翌年公開する。
<映画はヒットしたが、多額の借金が…>
 映画自体はヒットし約5億円の配給収入があった。だが、それ以上に製作費がかさみ、さだは莫大な借金を抱えることになる。その総額は金利も入れると35億円におよんだという。借金を返済し、スタッフに給与を支払うためにも懸命に働くしかなかった。そのために以前から年間100回程度行っていたコンサートが、一時は160回ほどにも増えた。
 のちに当時を振り返り、ノイローゼになる暇もなく、《返すにはどうしたらいいんだろうと思うと、自転車操業で働くしかない。でも、お客さんがたくさんコンサートに来てくれた。お客さんが借金を返してくれたんです》と語っている(※3)。もちろん、客を呼ぶために、さだのほうからもトークで爆笑をとるなどサービスを惜しまなかった。もともと彼のコンサートは歌よりもトークが長いと評判だった。
 返済に追われる一方で、1987年には広島に原爆が落とされた8月6日に同じく被爆地である長崎から平和を祈る野外コンサート「夏・長崎から」をスタートさせている。広島とくらべて長崎はアピールが弱いとの思いから始めたもので、入場料は無料のため毎回少なからぬ赤字を出しながらも、2006年まで20年続いた。
<「素人でいつづけることが大切」>
 郷里ではまた、1995年に「ナガサキピーススフィア・貝の火運動」がさだの呼びかけで発足し、全国各地のボランティアと連携しながら平和の大切さを訴える活動を行っている。2003年には同運動のなかで寄せられた寄付をもとに「ナガサキピースミュージアム」も建設された。こうした一連の活動についてさだは次のように語っている。
《戦争や平和、あるいは環境の問題にしても、素人でいつづけることが大切じゃないかな。歌手である僕の役割は、それぞれの問題の入り口を示すことだと思っています。〈玄関思想〉と勝手に言っているんですが、僕の歌を聴いて、何かを感じてくれればいいんです。(文春オンラインより)
(https://bunshun.jp/articles/-/53419)
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 現在のJ-Popの先駆けとなったフォーク世代で、今でも現役として活躍しているミュージシャンはそれほど多くありません。その代表がさだまさし氏です。彼の作品には家族や人生について数多くの作品があり、他のミュージシャンと違う才能が溢れています。いつまでも活躍してもらいたいミュージシャンの一人です。

2022年04月17日

#427 消えたオバQ

 先日藤子不二雄Ⓐさんの訃報が届きました。日本の漫画黎明期を築いた偉大な漫画家のお一人です。私はオバケのQ太郎やパーマン世代ですが、全世代に愛されているドラえもんは藤子不二雄Fさんの代表作となります。
 ところでオバQに関して次のような記事を見つけましたので転載します。
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『故・藤子不二雄Ⓐさんが生前解決しきれなかった「消えたオバQ」問題』
 相棒の藤子・F・不二雄さん(享年62=本名・藤本弘)の死去から25年半。日本を代表する漫画家の藤子不二雄Ⓐさん(88=本名・安孫子素雄)の訃報に追悼の声が相次いでいる。
  小学校で出会ったFさんと共に1954年、故郷の富山県から上京。伝説のアパート「トキワ荘」の住人となり、「藤子不二雄」の共同ペンネームを使って二人三脚で創作活動に没頭した。64年に連載を始めた「オバケのQ太郎」が大ヒットし、人気漫画家の仲間入り。その後もⒶさんの描いた「忍者ハットリくん」「怪物くん」はアニメや実写化され、不動の地位を築いていった。
 「ドラえもん」「パーマン」など主に児童漫画を描いたFさんに対し、Ⓐさんは「魔太郎がくる!!」「笑ゥせぇるすまん」といった人間の欲望や心の闇をテーマにしたブラックユーモアものを得意とした。
 ちばてつや氏が「恐らく日本初のゴルフ漫画」と言う「プロゴルファー猿」や、トキワ壮の仲間と過ごした青春時代を振り返る自伝漫画「まんが道」など、あまたある名作の多くは今も単行本や文庫が販売中で、電子コミックでも読める。
 Ⓐさんの訃報を機に久々に手に取る人も多いだろうが、出世作の「オバQ」を読み返すのは数年前まで不可能に近かった。
 高い人気にもかかわらず、88年を最後に単行本の増刷がストップ。他の作品と異なり、文庫版や愛蔵版も出版されず、絶版状態はFさんの死去後、2009年に刊行された「藤子・F・不二雄大全集」にⒶさんと著者名併記で収録されるまで、20年以上も続いた。おかげで古本価格はかなり高騰したものだ。
「オバQは『藤子不二雄』としての2人の最後の共作で、著作権を共同で持つ作品です。ⒶさんはFさんについて『漫画の世界に引っ張ってくれた恩人』と繰り返し感謝と敬意を示していたほど、強固な友情の絆で結ばれていました。2人が版権の取り分を巡って揉めることは考えにくく、周囲の人々の感情のもつれで再版が見送られていたようです」(出版関係者)
 ようやく15年に新装版「オバQ」の単行本が刊行、電子コミック化もされているが、過去3度のアニメ化作品で現在、ネット配信されているのは85年開始の第3作のみ。DVDソフト化は全作されていない。
 Ⓐさんが完全に解決しきれなかった「消えたオバQ」問題──。天国で再会したFさんと共に「新しいアニメ化オバQを今の子供たちに見て欲しい」と願っているに違いない。
(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/303649)
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 確かに元祖オバQの再放送は見たことがありません。上記のような著作権がらみの問題があったのでしょうね。名作に関してはできるだけ当時の作品をそのまま見たいものです。このオバQとは異なりますが、放送当時のまま決して再放送されないアニメに「トムとジェリー」があります。年配の方々はご存じと思いますが、初期の「トムとジェリー」はナレーションの面白さにあります。しかし放送当時のナレーションは人種差別に関する表現があるために、最近販売されている「トムとジェリー」のDVDは吹き替えがすべて新しいものに変わっており、放送当時の面白さが無くなっています。
 このようにオバQにせよ、トムとジェリーにせよ、その作品を尊重して放送された当時のままのものを見たいものです。人の考え方や倫理基準は時代とともに変わりますが、芸術作品は発表された当時の状況を鑑みてオリジナルのものを見たり聞いたりしたいものです。

2022年04月10日

#426 中国が南シナ海を欲しがる理由

 平成4年度が始まりました。今年度は4月1日に多くの企業で対面による入社式が行われました。また多くの大学で入学式が行われました。昨年はほとんど全ての入社式・入学式がオンラインで行われましたが、今年度は同じコロナ禍でも明るい雰囲気に満ちているようです。しかし徐々に感染者が増えていますので、同じ過ちを繰り返さないように、これ以上感染が広がらない対策や自助努力が必要となることでしょう。
 さて、前回のブログは「13歳からの地政学」の記事を引用しましたが、面白かったので早速ネットで購入して読んでみました。その中で気になった内容をまとめてみたいと思います。まず最初の章になぜアメリカが世界一の大国であるか、面白い説明をしています。簡単にまとめると次のようになります。

・世界の貿易はほとんどが海を経由し、海を支配するアメリカが世界の仕切り役になっている。このためアメリカのドルが世界中の貿易の大半で使われている。
・アメリカは自国通貨で外国からの物を買うことができるので、豊かになっている。
・世界のほとんどのデータは海底を経由し、海の支配は情報を押えることにつながる。
・情報はたくさん集めても、分析して使えなければ、持っていないのに等しい。
・経済成長の度合いは人口と技術の伸びによって決まる。

 上記は現在のアメリカの状況を表しています。国際決済は大半がアメリカドルなので、アメリカが世界の経済を牛耳っています。またインターネット情報はすべてがアメリカ経由で世界につながっていますので、アメリカは簡単に盗聴やデータを盗むことができます。
 次になぜ中国があれほど南シナ海に固執するかを、筆者の独特な視点で説明しています。

・核兵器は①原子力潜水艦②海中からミサイルを発射する能力③深くて安全な海、の3つを揃えて初めて最強のアイテムになる。
・中国は③である南シナ海を支配し、アメリカと対等になることを目指している。
・遠くの国と仲良くして近くの国の脅威に対応する「遠交近攻」は地政学の王道である。
・日本がアメリカと同盟を組んで、中国に対する立場を強めようとするのも、「遠交近攻」の一環である。

 私は中国が南シナ海の領土を主張しているのは単に領土拡張かと思っていましたが、著者によると実は各ミサイルを搭載した潜水艦を隠しておく場所を確保するためのようです。東シナ海などの中国の領海は海底が浅いために潜水艦が空から容易に見つかります。南シナ海は1000mを超える深海のために、空から探査するのは不可能です。著者が指摘しているように核ミサイルの本当の怖さは陸上でなく、深海に潜んでいるミサイルとなります。
 陸上のミサイルはたとえ移動式でも、軍事衛星により正確にミサイルの場所を特定し攻撃破壊することができますが、水中のミサイルは基本的に不可能です。また深海を極秘に進み敵国の領海に入って核ミサイルを発射すれば短時間で目標に到達することが可能で、先制攻撃が威力を発揮します。例えば、北朝鮮が陸上からミサイルを発射すれば警戒警報を出すことは可能ですが、北朝鮮が現在開発している核搭載のミサイルを積んだ潜水艦が就航すれば日本にとり大きな脅威となります。
 また「遠交近攻」は中国や韓国が日本に対して何でも文句を言う「いちゃもん外交」で、いかに日本が間違っているかを世界に発信しています。特に、韓国が世界中に慰安婦像を設置しているのは、日本の立場を悪くする「遠交近攻」の一例となります。
 「13歳からの地政学」には他に少数民族問題やアフリカの貧困など興味深い内容が沢山ありますので、御一読を勧めます。

2022年04月03日

#425 領土拡大の心理

 今日は朝から快晴の一日です。気象庁は本日福岡県の桜が満開したと報じました。コロナ禍で桜の下での宴会はできませんが、それでも花を愛でる気持ちは誰でも抑えられません。近くの公園や道端に咲いている桜花を目で楽しみたいものです。このように日本では戦火の音も聞こえずに平和な日々を過ごすことができますが、ヨーロッパでは連日のロシアによるウクライナ侵攻の影響を受けて各国の首脳が集まり、その対策に追われています。
 一方なぜロシアは今回ウクライナに侵攻したのでしょうか。その理由の1つにロシアが抱えている心理状態にあるようです。次の記事はロシアや中国など自国の周囲が他国に囲まれている国の心理状態をうまく説明しています。かなりの長文になりますが、ご一読ください。
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『「ウクライナ戦争」が起こる知られざる深い事情
   国際政治記者がストーリーでわかりやすく解説』
 ロシアによるウクライナへの侵攻は世界を揺るがし、ガソリンや食べ物の価格を通じて日本にも大きな影響をもたらしている。ウクライナのクリミア半島のロシアによる併合も現地で取材してきた元モスクワ特派員の田中孝幸氏が上梓した『13歳からの地政学』は、高校生の大樹と中学生の杏の兄妹と、年齢不詳の古物商「カイゾク」との会話で地政学について学べる1冊だ。今回は、ウクライナの戦争のような事態がなぜ起こるのか、本書から一部抜粋のうえ再編集して紹介する。
<なぜ領土を求め続けるのか>
 大樹:素朴な疑問なのですが、ロシアも中国もとても大きな国なのに、なぜそんなところの領土にこだわるのでしょうか? 国同士の境目は、管理ができないくらい寒くて、人もいないんですよね? なぜそんな土地を取り合うのでしょうか?
 カイゾク:ふむ、ちょっとくらいの領土なんて、こだわらなくてもいいんじゃないかということだな。しかし、実際にはそういう考えにはならない。国が大きければその分、さらに大きくしたいと思うものだ
 そこでカイゾクは、1本足の地球儀を少しずらして、デスクの真ん中に白い紙を1枚置いた。そしてそこに赤のサインペンで小さな丸を描いてから、2人に聞いた。
 カイゾク:仮にこの赤い丸を自分の領土としよう。周りはほかの国に囲まれている。そして自分の領土を守るために、周りの国も攻め取って自分のものにする
 カイゾクは赤い丸の外側に、大きな赤い丸を描いた。
 カイゾク:こうすれば、中の丸い部分は安全になる。でも、新たに取った部分は外に面しているからまだ安全ではない。せっかく大変な苦労をして、自分の国のたくさんの兵士の命を犠牲にして攻め取った部分だろうから、なんとしても取られたくないと思うのは自然だ。さあ、どうすればいいだろうか?
 大樹:やっぱりさらに外側の国も自分のものにしなければいけない、と思うのでしょうか?
 カイゾク:そうだな。自分を守るために、それに今までの苦労を無駄にしないために、さらに周りの土地をどんどん取っていこうと思うようになる。自分のものにできなくても、自分の言いなりになる子分にしようと思うようになる。しまいには、この紙全体を真っ赤に変えようとするだろう
 カイゾクはさらに大きな赤い丸を次々に描き足した。
 大樹:それって北方領土も同じでしょうか? だからロシアは、あんな小さな島なのに、日本に還そうとしないんですか?
 カイゾク:ああ、それもまったく同じだ
<なぜ隣同士仲良くできないのか?>
 杏:ちょっと待ってよ! 取るとか攻めるとかの前に、周りの国と仲良くすればいいんじゃないの? 隣同士は仲良くしたほうがいいんでしょう?
 杏は赤い丸が描かれた紙を手でたたいた。
 カイゾク:杏さん、その通りだ。だがこちらが仲良くしようとしても、相手がこちらと仲良くしたくないかもしれない、相手がこの土地を取りたいと思っているかもしれないと疑心暗鬼になるわけだ。陸続きになっているとほかの国から攻められやすいので、なおさらだ
 カイゾクは、紙の右上の隅に黒ペンで小さな丸を描いた。
 カイゾク:しかし、この黒い丸の国の人々には、このどんどん大きくなる赤い丸はどのように見えるだろうか?
 大樹:恐ろしいです。自分のところまで来るんじゃないかって
 カイゾク:そうだろう。本人は自分を守るためだけにやっているつもりでも、周りの国からは攻撃的で危険なやつだと見られるようになる。ロシアがクリミア半島を奪ったり、中国が南シナ海の島々を取ろうとしたりしている動きには、こういう心理が働いている
 杏:守るためにずっと戦ってなきゃいけないなんて悲しいね。そういうところとはどうしたら仲良くなれるのかな?
 カイゾク:それはお互い信用する関係、つまり信頼関係を築くことだ。だが信頼関係を持ち続けることは案外難しい。例えば隣同士の国でちょっとでも戦いが起きて人が死ぬと、信頼関係はかなりのダメージを受ける。普通、国は攻められればそれに抵抗して、争いになるものだ。すると、攻めたほうは『やっぱりやつらは敵だったんだ』と思って、その争いはひどくなる。たとえ隣の国が、今のままの状態で平和を保とうとしていても、そういう記憶が人々の中に残っている限り、その後も争いが起きやすくなる
 杏:平和な世界って、口で言うのは簡単だけど結構難しいのね
 カイゾク:その通りだ。中国とソ連、どちらも第2次大戦で侵略されて、1000万人をはるかに超える死者を出した。死者数で言うと、日本の4倍以上だ。だから、ほかの国をそんなに信頼していない。そして自分の安全は自分で守ろうとする。そのために、周りの国とうまくやっていけない傾向がある。こういう外国に向かって強く出る国は内部に大きな問題を抱えていて、それから人々の関心をそらそうとしていることもある
 杏:内部の問題?
 カイゾク:そうだ。それは大陸にある陸続きの大きな国の、共通の問題でもある
<国民の「反戦」声が届かない理由>
 杏:でも私たち普通の人が、侵攻をやめて、とか思っていてもどうしようもないのかな? 国には逆らえないから
 大樹:いや、選挙がありますよね? そういう国民の声を合法的に政府に届けるには、選挙でそういうことをしない政治家を選べばいいんじゃないでしょうか
 カイゾク:大樹くん、その通りだよ。だが中国のリーダーを選ぶ方法は、日本の選挙とは違う。基本的に、国民が投票でリーダーを選んでいないんだよ
 杏:えっ、そうなの? 日本はよくやってるよね、選挙。良さそうだなと思う人に投票して、その人がやっぱりあんまり良くなかったら、次の選挙の時は投票しなければいいんでしょ?
 カイゾク:ああ、日本はそうだな。杏さんが言った、国民が選挙で代表者を選ぶ仕組みが、民主主義というものだ。自分が選んだ政府であれば、納得感があるだろう。では民主主義でない国では、そのリーダーに納得できない場合、国民はどうするだろうか?
 大樹:えっと、たしかフランス革命では、王様を殺して、民主主義になったんですよね
 カイゾク:そう。王様も王妃もその取り巻きの貴族たちもギロチンで殺された。つまり、リーダーを暴力で物理的に消したということだ。選挙がある国では、負けるということは権力を失うということだけだが、選挙のない国では、負けるのは往々にして死を意味する。民主主義の利点は、暴動やギロチンがなくてもリーダーを代えられるということにつきる
 大樹:じゃあ、中国はその仕組みがないので、下手をすると国民に殺されると、えらい人たちは思っているのでしょうか?
 カイゾク:それは間違いない。だから生き延びるために必死だ
 杏:じゃあその民主主義にすればいいじゃない、中国もさ
 カイゾク:しかし、実は世界には民主主義をちゃんとできている国というのは、そんなに多くない。そして必ずしも民主主義でなくても、国民を納得させることはできる。大樹くん、毛沢東はどうやって選ばれたリーダーだい?
 大樹:今の中国を作った人だよ。どうやって選ばれたかは、えっと、建国の父だから、初めからリーダーというか
 カイゾク:ふむ、毛沢東は、戦争を勝ち抜いて国を立ち上げたリーダーだ。その圧倒的な実績で、トップであることを国民に納得させたんだな
 杏:ふぅん、その人の後は?
 大樹:鄧小平ですよね?
 カイゾク:そうだ。鄧小平は政治家だが、戦争で大きな功績をあげた軍人でもあった。そして鄧小平はその後のトップに江沢民、胡錦濤の2人を指名した。この2人はこれも戦争の実績のあった鄧小平から選ばれたということで、国民を納得させてきた。それに、鄧小平から後の時代に国はどんどん豊かになっていった
 杏:カリスマってやつだね
 カイゾク:戦争で勝てば、国民にリーダーであることを納得させやすくなるわけだ。最近でも、小さな戦争で勝って、カリスマを得ようとしているリーダーたちがいる。ロシアのプーチン大統領は、ウクライナのクリミア半島を奪って、自分の人気を急上昇させた。中国のリーダーが台湾を攻め取ろうとしているのも、同じ理由だとわしは思っている
 杏:そんな理由で戦争するなんて、なんかひどいね
 カイゾク:そうだな。そして、中国で近年リーダーになった人は、戦争に勝ち抜いたわけでもないし、そういうリーダーたちから直接選ばれたわけではない。国民にとってなぜトップとして認めないといけないのか、それまでのリーダーたちよりもわかりづらい人だ
<記者に銃を向ける国>
 カイゾク:それに民主主義をうたっている国でも、選挙でインチキをやる国もある。政府に反対する人を殺したり、牢屋に入れたりして、自分に都合のいいような結果にするんだ。例えばロシアでは、選挙の前に反対派をいろんな手を使っておさえこんで、立候補できなくするというケースが多く聞かれる
 杏:そんなことしたら選挙の意味ないじゃん!
 カイゾク:その通りだ。だが実際、そうやって高い地位にとどまり続けているリーダーは世界では結構多い
 大樹:でもそんな方法で選ばれた人を、周りの国はリーダーとして認められるのでしょうか? 国と国が仲良くするには、信頼関係が大事なのに
 カイゾク:そう、そういうリーダーたちもまさにその不安を感じているだろう。だから、都合の悪いことはできるだけ世界の目から隠そうとする。外部に知られなければ、どんな悪いことをしても世界の国々から厳しい目で見られたりしないからだ
 大樹:あ、それでさっき言っていた情報管理が必要になるわけですね
 カイゾク:ああ、一般市民が、国がひどい状態であることを世界に伝えるのを防ぐために、SNSとかインターネットを自由に使えないように厳しく制限する。そして情報管理のやり方には、もう1つ、ジャーナリストたちにあまり仕事をさせないようにすることもある
 杏:ジャーナリストって新聞とかテレビとか?
 カイゾク:そうだ。こういう場合、国民の不満を押しつぶしていることなど、都合の悪いことを世界中に伝えようとする記者たちは、政府の敵になる。そういう国々では、常に記者の通話は盗み聞きされるし、ひどい時は牢屋に入れられたり殺されたりする
 大樹:そんなこと、本当にできるんですか?
 カイゾク:これは実際に起こっていることだ。でも、いくら徹底的に情報を管理しても、ひどいことを隠し続けるのには限界がある。全部ではなくても、一部はばれることになる。そうなると、隠そうとしていること自体も批判されるようになる。いずれにしても、記者に銃を向けるような国は、それよりずっと前に自分の国民に銃を向けているわけだ。そして、記者を殺すような国に未来はない、とわしは思っている
(東洋経済ON LINE https://toyokeizai.net/articles/-/540181)
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 上記の文に出てくる「杏」の発想には多くの日本人が、特に国会議員が共感するのではないでしょうか。しかし世界には私たち全く違う考え方をする集団がいます。この国の平和を維持するために今強力な外交が必要となります。ロシアは日本政府の経済対策を受けて北方領土で軍事演習を行っています。また驚愕すべき情報としてアイヌ民族に対してロシア人と同じ祖先を共有し、アイヌ民族を保護する姿勢を打ち出しています。これはウクライナ侵攻前の状況に酷似しています。北海道占領を以前から唱えているロシアの動きを注視する必要があります。
 9条があれば平和を守れると公言する政党がいますが、「敵が攻めてきたら何もせずに両手を上げて降伏すべきだ」という考えは日本でしか通用しません。この国の平和を保つためには何が必要か、一人ひとりが(特に国会議員が)考える時が来ています。

2022年03月27日

#424 新しい季節に向かって

 昨日(19日)当塾で今年度最後の授業が終わりました。明日から27日まで年度末の休業を取り、1年間使用した問題集や資料を整理します。28日から授業を再開しますが、実質的には昨日が今年度最後の授業となりました。
 3月は別れの季節と言われます。今年度は中学3年生が4名、高校3年生が1人、大学生が1人の8名が当塾で学びましたが、大学生を除いて全員が当塾を卒業しました。中学生の何人かはまた来年度も当塾で学ぶ予定ですが、それぞれの進学先で4月から新しい季節を迎えます。
 今年で40年ほど教員として生徒と共に過ごしたことになりますが、この教職という職業は季節感のある職業だと思います。桜の花とともに新学期が始まり、体育祭や文化祭を通して生徒たちと交流し、1学期が過ぎていきます。夏休みには課外授業や部活動、生徒個人の活動等を通して、生徒の個性を伸ばしていきます。2学期は学力向上や様々な学内外の活動のために慌ただしく時間が過ぎていきます。冬休みをはさんで3学期は将来の進路を考え、生徒たちは自分に適した進路を選びます。そして、また桜の季節を迎えます。
 中学生も、高校生も勉学に部活動に一生懸命取り組む貴重な時間過ごします。10代は「疾風怒濤の時代」と言われますが、確かに勉学に悩み、友情に悩み、将来の進路に悩み、様々な出来事に一生懸命対応しなければなりません。この時期に努力を怠ると自分の希望する進路を塞ぐことになります。多くの挫折を経験しながら、この青春時代の努力に応じて自分の将来が開けてきます。すでに体験した大人から見れば、たわいもない出来事かもしれませんが、彼ら若者には何事も未体験のものばかりです。
 勉強の意味は自分自身を知ることにあります。「自分がどの分野に向いているのか」、「何に興味があるのか」、「将来の夢を実現させるために、どうすればよいか」等を時間をかけて考える時期でもあります。中学・高校時代は自分の可能性を見つける時期です。この時期をどのように過ごすかで後の長い人生が決まります。今年卒業した全国の生徒たちが有意義な人生を歩めるように心からエールを送ります。

2022年03月20日

#423 ロシアとウクライナ

 ロシアがウクライナに侵攻してから、連日トップニュースで各テレビ局が報道しています。様々な専門家が番組に出演して軍事から経済の影響まで幅広く論じていますが、ウクライナとロシアの歴史的関係があまり述べられていないのは残念です。この2か国の今までのつながりが理解できなくてはこの戦争の真実が見えてこないからです。本日はその歴史的な流れに沿って説明しているサイトから転載します。2月21日の公開ですので多少、時間的なズレはありますが、両国の歴史観を知るには充分です。
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 ロシアとウクライナの間には大きな歴史上の認識の違いがあり、それが現代まで様々な紛争に結びついている側面があります。
 ロシアとウクライナの祖ともいうべき国は、9世紀ごろにヴァリャーグと呼ばれた北欧のバイキングが立てたルーシという国です。
 やがてこの国の中でキエフが有力となり、世界史ではキエフ大公国なんて呼ばれたりします。(テストではそう呼ばれますが正式国名はルーシのままですし、別に大公とかいませんでしたが)しかしキエフ大公国は13世紀にモンゴルに滅ぼされ、その支配下となってしまいます。
 さてそこまではロシアもウクライナも同じ認識なのですが、問題はその後です。
間も無くタタールのくびきと言われたモンゴルの支配が衰え、独立した東スラブ人の国々は我こそはあの輝かしいキエフ大公国の後継者であると主張します。
 その一つが現在のロシアの直系のご先祖様モスクワ大公国。
もう一つが現在のウクライナにあったハールィチ・ヴォルィーニ大公国です。
 そしてここで大きな認識の差が生まれます。ロシア人からすればルーシはモスクワ大公国が引き継いだと考えます。だからロシア人にとってキエフのあるウクライナは同じルーシ発祥の地であり、日本人で言えば京都のような印象を持っています。
 一方ウクライナ人はハールィチ・ヴォルィーニ大公国こそがルーシの正統後継者であり、この時点でウクライナは独立したのだと考えるのです。
 その後の歴史は非常に面倒なので省きますが、プーチン大統領が経済的にはどう考えても割の合わないウクライナへの軍事的干渉を辞めないのは、ルーシの統一を熱望するロシア人の歴史認識(しかしウクライナはそれを望まない)が根底にあると私は考えています。
(大山 敬義)株式会社バトンズ CEO
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 今週の展開は、ミサイルや空爆で始まりますが、ここに至るまでには、原因としての歴史があります。
 ウクライナは、何百年もの間、ロシアの統治下に入ったり、独立したりを繰り返してきました。朝鮮半島と中国のような関係ともいえます。
 最初にウクライナがロシアの支配下に入ったのは18世紀です。それまでのウクライナは、リトアニア、ポーランド、トルコとロシアが奪い合う地域でした。
 クリミア半島周辺には、クリミア汗国という、モンゴルの末裔のムスリムの国がありましたが、1783年にロシアに滅ぼされました。この子孫が、今のウクライナの少数民族、クリミア・タタール人です。
 その後、19世紀を通して、ロシア帝国によるウクライナのロシア化が進められ、ロシア語が普及されました。
 1917年のロシア革命で、ロシア帝国が倒れたのを契機に、ウクライナ人たちは独立を宣言しました。しかし、ソ連の侵攻を受け、1921年まで続いたソ連・ウクライナ戦争(ウクライナ独立戦争)の後、ソ連に組み込まれました。
 その後、1920年代から30年代にかけて、ホロドモールと呼ばれる大量餓死の時代が来ます。豊かな穀倉地帯であるウクライナは、食糧難と財政難で極めて不安定であった初期のソ連で、収奪の対象となりました。穀物や家畜が社会主義の名によって接収され、外貨獲得のために輸出もされました。餓死者は、少なくとも400万人、1000万人にのぼったという説もあります。
 1941年、ドイツがソ連に侵攻してきたのに呼応して、一部のウクライナ人はドイツ軍に呼応して、ソ連への反乱を起こしました。第2次世界大戦は、最終的にソ連が勝利し、ウクライナ人やタタール人は強制移住させられ、彼らの農地がロシア人に与えられたりしました。
 ウクライナが独立を得たのは、1991年、ソ連が崩壊した結果です。ここに至るまでの歴史は、ウクライナ人がロシアの支配を嫌悪するには十分すぎるのですが、ロシア人は加害者としての自覚が非常に希薄です。
 ロシア人の圧倒的多数は、ウクライナ人を何百万人も餓死させたことなど知りもしません。ロシアの一部になるのがなぜそんなに嫌なのか、まったく不思議だ、くらいが、世論の大勢でしょう。ロシア帝国の頃からそうでしたが、虐げられる人々への理解と共感の完全な欠如が、世界最大の版図になるまで領土を拡大するのを可能にさせました。
(塩崎 悠輝 )静岡県立大学国際関係学部 准教授
(https://newspicks.com/movie-series/14?movieId=1886)
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 いかがでしたか。この両国に限らずヨーロッパ各国は複雑な歴史を抱えています。例えば第2次世界大戦ではドイツやイタリアが他のヨーロッパ諸国と戦いましたが、今はEUのトップとしてドイツは君臨しています。また隣に面した各国は歴史を通して常に敵対する関係が続いています。イギリスとフランスなど枚挙にいとまがありません。
 次回のブログではロシアに対してもう一つの見方をご紹介します。お楽しみに!

2022年03月13日

#422 琵琶湖は呼吸している

 3月を迎え、春めいた日差しが降り注いでいますが、今日は寒の戻りで寒い一日となっています。
 さて、毎日ニュースではウクライナ情勢が伝えられており、ロシアの侵略が止まりそうにもありません。この話題については次回のブログで述べてみようと思います。今回は面白い話題を提供します。琵琶湖と言えば日本で一番大きい湖ですが、何と呼吸をしているそうです。産経新聞の記事を転載します。
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『「琵琶湖の深呼吸」今年も確認 2年連続』
 滋賀県は1日、琵琶湖で酸素を多く含んだ表層の水が湖底の水と混ざり合う「全層循環」が昨年に続き観測されたと発表した。湖底に酸素を供給する役割を果たすことから「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる。平成30~令和元年度には温暖化で観測されず、生態系への影響が懸念される事態となった。
 全層循環は例年1月下旬から2月にかけて観測される現象で、表層の水が十分に冷やされることで比重が大きくなり、下層の水と混ざりあう。
 琵琶湖で最も深いとされる北部の高島市沖合で先月下旬に行われた水質調査では、水深90メートルの湖底と表層の酸素濃度がほぼ同一となり、十分に混ざりあっていることが確認された。
 水中ロボットを使った調査では、水深90メートル地点で固有種のイサザやホンモロコの生息を確認した。
(https://www.sankei.com/article/20220201-YFKE4ZB455LPDKZJF6E4E6MQTU/)
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 琵琶湖も自然の一部です。動物と同じように呼吸して湖の環境を整え、住んでいる魚たちに新鮮な酸素や栄養を与えるのでしょう。
 ところで、不思議に思われるかもしれませんが、琵琶湖は長い時間をかけて現在の位置に移動してきたことをご存じでしょうか。最初は三重県付近で琵琶湖が形成されたそうです。それが長い年月をかけて移動し、現在の滋賀県にたどり着いたそうです。その記事をご紹介します。
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『「2cm」 琵琶湖が毎年移動している距離』
 日本で一番大きな湖といえば琵琶湖ですが、毎年少しずつ北に移動しているということはご存知でしょうか?
 移動距離は2cmほどだそうですので、目に見えて実感するのは難しいそうですが、これが長い期間を考えると大きな移動になります。
 滋賀県にある琵琶湖ですが、400万年ほど前には今の三重県伊賀市あたりにあったと言われています。そして、琵琶湖はこのまま少しずつ北に移動していくと100万年後には、日本海にくっついて湖自体が消滅する可能性があるのだそうです。残念ながら今を生きている私たちがそれを見ることはできませんが、100年足らずの人間の一生とは全く異なる長い時間で動いている自然界については改めてその壮大さを感じます。
 一般的に湖の寿命は数千年から数万年と言われているそうで、数百万年という歴史を持つ琵琶湖は世界でも有数の長寿の湖だそうです。世界最長寿国の日本に世界的長寿の湖もあるというのは何とも興味深い事実ですし、外国人観光客を呼び込めるような観光開発ができると面白いのではないかと思います。
(https://tokyomarketingblog.com/2cm-biwako-move)
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 「本当かなあ?」と言いたいところですが、歴史的事実です。これも自然の不思議と言えるでしょう。琵琶湖に関わらず、地球的規模で見れば、伊豆半島は元々太平洋にあったものがフィリピンプレートに乗り、日本列島に到着しています。また将来ハワイは日本列島に接近すると言われています。自然の景色はいつまでも変わらないと思いがちですが、悠久の時を経て姿を変えていきます。それに比べると人間の一生は朝露のごとしです。喜怒哀楽で日々を過ごしていますと、人生はあっという間に過ぎ去ってしまいます。

2022年03月06日

#421 明日は我が身?

 月末になり、長く居座っていた寒気もようやく去り、今日は春らしい気候となりました。明後日3月1日は多くの高校で卒業式が行われます。新卒の生徒たちに4月から新しい人生が待っています。「幸ある人生あれ」と、心からエールを送りたいと思います。
 さて恐れていたことが現実となりました。ロシアによるウクライナ侵攻です。連日マスコミが詳しい情報を伝えていますので、お分かりと思いますが、これは国際法に完全に違反する重大な侵略行為です。欧米各国はそれぞれの思惑があり、なかなか足並みが揃わず、現状ではロシアに対して強力な対抗手段を取れない状態が続いています。また「アメリカは軍の派遣を行使しない」とバイデン大統領が公言したこともロシアの軍事進攻のきっかけとともなっているようです。
 事の真相はさておき、個人的にさらに懸念していることは中国共産党の動きです。現在起きているロシアの「力による」行動を正当化すれば、中国は早晩台湾に侵攻することでしょう。すでに秒読みになっているかもしれません。事実ロシアがウクライナに侵攻を開始した日に中国の戦闘機9機が台湾海峡を通過し領海侵入を行っています。
 中国は数年以内に台湾侵攻を行うことを宣言をしており、台湾と同時に尖閣諸島にも侵入を開始するかもしれません。「お花畑に住んでいる」日本人にとり、ウクライナ問題は他人事ではないのです。果たして何人の日本人が現在の日本の状況を理解しているでしょうか。北方領土は終戦直前にロシアが千島・樺太に侵攻し、それ以来北方4島は旧ソ連ロシアの支配下にあります。また竹島は韓国の初代大統領李承晩が1952年に「李承晩ライン」を一方的に宣言し、それ以来韓国の実質管理下に置かれています。さらに尖閣諸島は連日のように中国による領海侵犯が行われています。つまり外交的な話し合いではいずれも解決できない状況です。実質的に日本の領土の一部が占領されている状況と言えるでしょう。
 ウクライナ問題は日本にとって対岸の火事ではないのです。軍事力による「力の行使」がこの世で一番強力な武器であるとロシアは世界に知らしめました。この前近代的な考え方が広がれば世界はまた戦火の絶えない暗黒時代へ戻ることになます。少なくとも自国は自国民が守る姿勢が無ければいつでも侵略されることを今回のロシアが如実に示しています。

2022年02月27日

#420 オリンピックで示された文化的相違

 2月も下旬となりましたが、連日最高気温が10度未満の1月のような寒気が続いています。今年の冬は例年にないほどの寒さでした。しかし、それでも梅の花や水仙が満開で、春の息吹を感じさせてくれます。
 さて、北京オリンピックは今日で閉会式を迎えますが、これほどオリンピックに対して様々な異論が出たオリンピックはないでしょう。まずスキー場を設営するために元々自然保護地区であった会場を意図的に変更し、雪の少ない北京に人工雪でスキー場を設営したのは自然破壊の愚挙でありました。またウィグル人問題やチベット問題などをうやむやにしてオリンピックを開催させたことは、平和の象徴としての五輪の終焉を如実に表しています。
 前回のブログでもお伝えしましたが、スキージャンプでの失格疑惑において、日本と欧米の対応の差は文化的違いを物語っています。文化的相違の卑近な例として挙げられるのが日米の母親の態度です。一例として、母子がクマに襲われそうになった時に日本人の母親は子どもを守るために、子どもに覆いかぶさりクマには背中を見せますが、アメリカの母親は自分の背後に子供を置き、クマに立ち向かおうとします。
 このようにある出来事に対して振る舞う行為が文化的相違として今回のスキージャンプでも見られました。日本チームの関係者は高梨選手の失格に対してIOCには強く抗議せずに、意見書を提出したと聞いています。逆に失格となった国々の関係者は今回の異常な検査に対して一斉に抗議の声をあげています。この場合日本人であれば日本人関係者が取った行動は「潔し」と受け取るのではないでしょうか。
 しかし、国際的な立場で考慮すると、今回の抗議しない日本の立場は「不正を認めた」という印象を国際社会に与えています。日本人の潔い態度は必ずしも国際社会で認められるとは限らないのです。それよりも、失格となった選手の国のオリンピック委員会と手を組んでIOCに強く抗議する態度が国際的に正しい見方とされます。
 このように色々な場面で文化的な相違が出ますが、国際社会で事を起こすときには、文化的な相違を超えた一致協力が必要になります。日本から遠いウクライナですが、日本の協力の仕方で、今後東アジアに同様な紛争事態が生じた時に各国の対応が決まります。日本が立つ位置により国際社会での日本の役割が問われます。そのような非情に重要な時期に日本が置かれていることを自覚しなければなりません。

2022年02月20日

#419 疑惑五輪

 北京オリンピックも後半に入り、様々な種目で日本人選手が活躍しています。その一方で選手や判定の仕方に関する疑惑も数多く存在しています。オリンピックは4年に1度の世界最大のスポーツイベントであり、選手たちはオリンピックに人生を賭して臨みます。そのような状況下で不正行為や判定ミスは決してあってはならないことです。
 しかし、今回の五輪では多くの疑惑が存在しているようです。ご存じのようにスキージャンプ混合団体における高梨沙良選手を含む5人の選手が「スーツの規定違反」で失格となり、以前とは異なるスーツの測定方法に大きな疑惑が生じています。またスケート・ショートトラックにおける不可解な順位判定や失格の判定、ロシアの女子フィギュアスケート選手のドーピング問題など枚挙にいとまがありますせん。本日の産経新聞ネット版では、このような状況を的確に説明しています。
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『ドーピング、疑惑判定…トラブル相次ぐ北京五輪』
 北京冬季五輪で各国代表選手らによる熱戦が繰り広げられる中、競技のルールや判定をめぐるトラブルが噴出している。フィギュアスケートでは金メダル候補にドーピング問題が浮上し、スキージャンプでは有力選手が相次いで失格する異例の事態に陥った。他にも疑惑の判定などが出ており、複数の競技で論争を呼ぶような展開となっている。
 大会中盤となった現在、最も注目を集める事件はロシア・オリンピック委員会(ROC)として出場するカミラ・ワリエワ(15)のドーピング問題だ。フィギュア女子シングル金メダル候補で、7日の団体でROC優勝に貢献。だが8日、昨年12月にロシアで開かれた大会でのドーピング検査で陽性反応が出たことが報告された。
 8日の団体表彰式は異例の延期となり、国際オリンピック委員会(IOC)は閉幕後にずれ込む可能性に言及したが、ロシアの検査機関はワリエワへの資格停止処分をわずか1日で解除。処分解除を疑問視するIOCなどがスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴する事態となった。CASは12日、裁定が出るのは14日午後と発表。裁定の中身次第では15日からの個人戦出場も危うく、団体の金メダルも取り消されかねない。
 一方、出場規定をめぐり世界的な論争に発展しているのがスキージャンプだ。混合団体で日本の高梨沙羅(25)ら4カ国5人の女子選手が1、2本目の飛躍後の検査で、「スーツの規定違反」で失格となった。同じスーツで出た個人戦では問題になっておらず、各国メディアは「あり得ない判定」「ばかげたルール」と疑問を呈する。
 全日本スキー連盟も検査方法に関する文書を国際スキー連盟(FIS)に出す方針で、関係各国も問題提起の構えを見せる。欧州メディアはFISが来季に向け、規定変更を検討していると報じるなど、最高峰の大会である五輪でのトラブルは異例の状況だ。
 ショートトラックでは中国に有利な判定を下したとの疑惑が出た。7日の男子1000メートル準決勝で、上位でゴールした韓国選手2人がビデオ判定でレーン変更違反で失格となり、中国の2選手が決勝進出。決勝でも1位のハンガリー選手がゴール後に失格、中国選手が金、銀メダルとなった。
 ある韓国紙は「史上最悪の五輪だ」と批判。韓国選手団も記者会見で「不当な判定」と訴え、IOCと国際スケート連盟(ISU)に抗議文を送り、CASに提訴する方針を示した。
 一方、河北省張家口市で開かれたバイアスロンでは、風が強く複数の選手が「鼻に凍傷ができた」「凍え死ぬ」とSNSに不満を投稿。規定では「氷点下20度以下ならレースを中止する」とされるが、スイスなどの関係者は「体感温度は氷点下30度以下だった」と異常な寒さを指摘している。
(https://www.sankei.com/article/20220213-IDOGJK4A2FIGRIDGEE2MDXQ7
ZQ/?outputType=theme_beijing2022)
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 今回のオリンピックは選手のための五輪ではなく、国威発揚を狙った中国共産党と利益追求を目指したIOCの意図が明らかになっています。一流の選手と一流の審判員が集まる五輪に不正や疑惑が存在してはなりません。今回の五輪はまさに「疑惑五輪」です。
 しかしながら、このような疑惑は国内でも生じています。高校野球選抜大会の予選で、準優勝した高校が選抜大会に出場できない事態となっています。東海地区の「2枠」の2校目に、昨秋の東海大会で準優勝した聖隷クリストファー(静岡)ではなく、ベスト4で敗退した大垣日大(岐阜)が選ばれたことを巡り、疑念の声が今も相次いでいます。常識的に考えれば、地区大会で優勝した優勝校と、準優勝校が代表として選抜大会に出場しますが、今回の代表校選定として次のようなことが判明しています
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……ところが、東海大会で優勝した日大三島(静岡)に続く2枠目は、ベスト4に終わった大垣日大(岐阜)に決まった。その理由を、東海地区の選考委員長を務めた鬼嶋一司氏は「個人能力の差」「投手力の差」「甲子園で勝てるチームかどうか」とした。同じ説明を、塚原の前でもできるのだろうか。聖隷の関係者からすれば、チームの和で決勝まで勝ち上がった聖隷の選手を否定されたような選考理由だった。……
(https://www.news-postseven.com/archives/20220213_
                      1726062.html?DETAIL)
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事の真相ははっきりしませんが、上記が選抜の理由であれば、わざわざ地区予選をする必要がありません。個人的に能力のある選手を集めている学校を代表校にすれば済みます。なぜこのような判定になるのか、理解に苦しみます。これも一言で言うと「疑惑甲子園」です。日本高野連は今回の不祥事?に関して、万人が納得するような説明をすべきです。

2022年02月13日

#418 奇妙な一致

 暦の上では立春を過ぎましたが、春は名ばかりで、まだまだ寒い日々が続きます。それでも街角の梅も花をつけ、早春賦のような雰囲気が漂っています。
 さて、新コロ禍の中で北京冬季オリンピックが始まりました。選手たちはバブル方式で競技会場と宿泊施設の往復のみ許可されています。また競技会場は無観客で、あらかじめ許可された者のみが入場可という厳戒の下に開催されています。
 ところで、多くの政府機関が選手や大会関係者に呼びかけていることがあります。それは情報の漏洩を避けるために個人の携帯を使用せずに、別途最低限度の連絡をするための携帯を持参するように呼びかけています。これは異常です。監視カメラ台数世界一の中国では個人情報の抜き取りは日常茶飯で、少しでも挙動不審な態度を示せば、警察に補導されます。香港問題で世界から非難を浴びている中でのオリンピックです。海外のマスコミもすべて行動制限が行われています。今回の五輪を一言で表せば「監視オリンピック」です。
 この北京冬季オリンピックには奇妙な一致が見られます。それは第2次世界大戦前に開催されたベルリンオリンピックが行われた世界情勢です。簡単にベルリンオリンピックの状況を述べてみます。(ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)

<ベルリンオリンピック>
(実施時期)
 1936年1936年8月1日から8月16日まで、ドイツのベルリンで行われたオリンピック競技大会であった。
(主催者)
 ヒトラーがオリンピックの開催を決めた後は、オリンピックを「アーリア民族の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会」と位置づけた。
(当時の人種差別)
 ベルリンでの開催決定後にドイツの政権を握ったナチス党が、ドイツ国民の支持の下にユダヤ人迫害政策を進めて行ったことや、反政府活動家に対する人権抑圧を行っていることを受けて、ユダヤ人が多いイギリスやアメリカ、そして開催地の地位を争ったスペインなどが、開催権の返上やボイコットを行う動きを見せていた。
(第2次世界大戦前の最後の大海)
 この大会の3年後、1939年9月にドイツによるポーランド侵攻を機に第二次世界大戦が勃発し第12回東京大会と第13回ロンドン大会が中止されたため、この大会が大戦前最後の大会となってしまった。

<北京冬季オリンピック>
(実施期間)
 2022年2月4日から2月20日まで(競技により開会式前の種目もある)
(主催者)
 北京市と中華人民共和国であるが、実質的に現代のナチス党である中国共産党が支配している。人民オリンピックと謳い、漢民族の優秀性と中国の国威発揚を世界に見せつけるために絶好の位置付けと考えている。
(現在の中国をめぐる状況)
 中国はチベットやウィグルを侵略して、その民衆を虐待・殺害し、人権を蹂躙している。今回の冬季オリンピックに対し欧米の主な国々は外交的ボイコットを行っている。これはナチスドイツがユダヤ人を迫害した状況に似ている。
(今後の世界情勢)
 中国は97年の香港返還後にイギリスとの1国2制度の約束を破り、香港市民に対し中国共産党の意図をくむ行政を行い、香港市民に対し人権を蹂躙している。さらに台湾に対し軍事行動も厭わぬ発言を繰り返している。またロシアは現在ウクライナ問題を抱えており、ウクライナ侵攻の準備をしている。
 中国やロシアは世界からの非難を避けるために、オリンピック期間中は軍事行動を控えると思われるが、オリンピック終了後に具体的な行動に出る可能性が高い。従って良識ある世界の人々は両国が侵略行為を行わないように注意して世界情勢を見守る必要があり、世界の民主主義国家は団結して両国が軍事行動に出ることを阻止しなければ、第3次世界大戦への序章となるだろう。

 以上が私が夢想したベルリン五輪と北京冬季五輪の奇妙な一致です。オリンピック後の世界情勢を注視する必要性を感じます。このことが現実にならないことを強く望みます。

2022年02月06日

#417 危険!ただ今自己虫増殖中

 大学入学共通テストも何とか無事に終わり、早くも入試シーズンに突入しました。太牟田地区の高校先願入試は1月21日に実施され、当塾から1名受験し、無事に合格しました。また筑後地区の私立高校前期入試は2月2日に予定されており、当塾から中学3年生3名が受験します。さらに大学受験において、現在高校3年生が受験に向けて最後の追い込みを行っています。高校入試、大学入試に関わらず人生を決める入学試験は日々の努力の総決算です。コロナ禍の受験になりますが、体調に注意して悔いのないように頑張ってもらいたいと思います。
 ところで、新コロよりもはるかにおそろしい出来事が世の中で急速に増殖中です。いわゆる自己虫(自己中)です。先日発生した「埼玉県・ふじみ野市で起きた立てこもり事件」で、散弾銃で撃たれて人質となった医師が死亡、他の医療関係者も負傷を負いました。21年12月17日、大阪・北新地で谷本盛雄容疑者が放火殺人事件を起こし、クリニックの医師を始め多数の方が犠牲になりました。さらに19年7月に発生し36名が焼死した京都アニメーション放火事件など枚挙にいとまがありません。
 これらの凄惨な殺人事件に共通するものは「自分さえよければ他人の生命を奪ってもかまわない」という自分中心の考えです。「あおり運転」やオレオレ詐欺など「特殊詐欺」などの事件も同じ範疇に入ります。自分のことしか考えないのです。自分の利益しか考えない人間。人生がうまくいかないことで他人を巻き添えにして一緒に死のうとする卑怯者。
 今までは世間の常識が通用し、ある程度抑えられていたマイナスの感情が自己中心的な人間が増えるにつれて感情を爆発させる人間が急増しています。21年10月に発生した京王線放火・刃物刺傷事件はその最たるものでしょう。つい数か月前に発生した事件ですが、それを忘れるほどの凶悪事件が次々に発生している昨今です。
 それではこのような凄惨な事件から身を守る方法がないのでしょうか。残念ながら無いと言わざるをえません。人の多い大きなショッピングセンターでも殺傷事件は生じます。実際、20年8月に福岡ドームに隣接した「MARK IS 福岡ももち」で、15歳の少年が女性を刺殺し、警官に取り押さえられました。人通りが多い目立つ場所でも簡単に殺傷事件が発生する昨今です。
 日本社会は安全だと以前は思われていましたが、日本社会はもう安全ではなくなりました。自分の命は自分で守る時代が到来したことを上記の事件が如実に示しています。自分の命は他人任せにするのではなく、突然発生する自然災害に対しても不可抗力の人災に対しても、私たちは意識的に身を守る手段を取る必要があります。

2022年01月30日

#416 郵便局よ、お前もか!

 新コロ禍での不景気の中、様々な値上げや改革が行われています。その中にはやむを得ないものも含まれますが、給料が上がらない状況での様々な値上げは家計に直接響きます。特に食料品や生活必需品には各地で悲鳴が上がっています。
 ここにきて、別の意味で値上げともいえる事案が生じました。1月17日より開始された郵便局(正確にはゆうちょ銀行)の硬貨手数料の導入です。郵貯側には硬貨の手数料を取る正当な理由がありますが、子ども相手に小銭を扱う駄菓子屋や募金活動を行う慈善団体などには大打撃です。NHKではこのニュースを次のように報じています。かなり長い記事ですが、そのまま転載します。
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『ゆうちょ銀行 硬貨での預け入れや振り込みに手数料 きょうから』
 ゆうちょ銀行では、17日から硬貨で預け入れをする際などに枚数に応じて手数料がかかるようになりました。利用者からは理解を示す声がある一方、困惑する声も聞かれました。
 ゆうちょ銀行では、17日から硬貨で預け入れや振り込みをする際、枚数に応じて手数料がかかるようになりました。窓口では硬貨の種類にかかわらず50枚までは無料ですが、

▽51枚から100枚までは550円
▽101枚から500枚までは825円
▽501枚から1000枚までは1100円で

 これより多い場合は500枚増えるごとに550円加算されます。またATMで預け入れをする場合は、硬貨の種類にかかわらず1枚から手数料がかかります。

▽1枚から25枚までは110円
▽26枚から50枚までは220円
▽51枚から100枚までは330円です。

 硬貨の取り扱い手数料は低金利で収益環境が悪化していることもあり大手銀行や地方銀行でも導入が相次いでいて、ゆうちょ銀行では硬貨の利用が年々増えコストが膨らんでいたことから導入を決めたとしています。
 最近はキャッシュレス決済も広がっていますが、硬貨の決済が多い商店や、さい銭を扱う寺や神社などでは影響が出そうです。また駅や空港など郵便局やゆうちょ銀行の店舗以外の場所にある自社のATMの利用についても、平日の夜間や休日に限って17日から手数料が必要になりました。
 手数料について利用者の男性は「ほかの金融機関も手数料が必要だからしかたがない」と話していました。
 一方、郵便局をよく利用しているという80代の女性は「ゆうちょ銀行は自分のお財布代わりに使っているが、手数料が必要になると使いにくくなります」と話していました。

<募金活動で硬貨を取り扱う団体からは戸惑いの声>
 募金活動で硬貨を取り扱う団体からは、戸惑いの声があがっています。
このうち盲導犬の育成を行う日本盲導犬協会では、運営費の多くを企業や個人からの寄付と募金でまかなっていて、全国およそ1万8000か所の商店などに募金箱を設置しています。
 集まった募金は、商店などの協力者が年に一度、郵便局の窓口から協会に振り込んでいて、総額は年間1億5000万円に上ります。
 募金は、1円や5円といった硬貨が多いことから、手数料が募金額の1割から2割ほどになるおそれがあり、協会では善意で集まった募金が目減りしてしまうと危惧しています。また、協会には、手数料の導入に伴い、複数の協力者から「手数料を取られるなら、募金箱の設置をとりやめたい」という相談が寄せられたということです。
 こうした声を受けて、協会では、協力者に対して募金の一部を手数料に充てるよう連絡するとともに、手数料なしで募金を取り扱ってもらえるよう、ほかの金融機関に要請することにしています。
 日本盲導犬協会の横江湧真さんは「1円や10円の積み重ねで成り立っている事業なので、募金してくれた方の善意の輪に対して、硬貨だからという理由で一律に手数料を引かれてしまうのは非常に残念です」と話していました。

<駄菓子店の店主「手数料負担すると経営には痛手」>
 手数料の導入は硬貨を使った決済が多い小規模な商店で影響が出そうです。東京 江戸川区にある駄菓子店は、あめやガムなど主に100円未満の菓子を販売していて、夕方になると小銭を持った子どもたちでにぎわっています。
 消費税込みの価格で販売しているため、客から受け取る代金やお釣りは1円や5円、10円硬貨が多く、これまで店では売り上げ金をゆうちょ銀行の口座に毎日、入金して管理していました。
 しかし、17日から導入された手数料には困惑しています。客1人の1回当たりの支払い、いわゆる客単価の平均は200円ほどで、利益も多くないため、手数料を負担すると経営には痛手になるといいます。
 また、キャッシュレス決済についても、スマートフォンを持っていない子どもが多いうえ、決済事業者に支払う手数料負担もあり、導入は難しいと感じています。
 「駄菓子屋はるちゃん」の店主、内田春江さんは「子どもたちは1円玉や5円玉で支払うので、すぐに硬貨がたまってしまいます。キャッシュレス決済も難しく、困っています」と話していました。

<なぜ手数料?>
 ゆうちょ銀行が、手数料の導入を決めた理由のひとつには、硬貨の枚数を数える専用機器の維持コストが膨らんでいたことがあります。ゆうちょ銀行では、店舗の窓口で硬貨の預け入れや振り込みを受け付けると「オートキャッシャー」と呼ばれる専用の機器で、硬貨の種類ごとに枚数を数え、合計金額を計算します。
 ATMにも同じような機能を持つ機器があります。ただ、古くなった硬貨が、変形していたり汚れがついていたりした場合、機器が故障しやすくなります。
 そして、ここ最近は、故障が急激に増えていたということです。銀行では、ほかの金融機関で硬貨の取り扱い手数料の導入が相次ぐ中、これまで無料だったゆうちょ銀行に硬貨を持ち込む顧客が増えたことや、新型コロナウイルスの感染拡大で在宅時間が増える中、自宅でためていた「小銭貯金」を預け入れる顧客が相次いだことで機器を動かす回数が増え、故障が多くなったとみています。
 故障した機器の修理費に加え、持ち込まれた硬貨の輸送や保管にもコストがかさむようになり、負担は年間数億円にのぼっていたということです。
 一方、ゆうちょ銀行は、大規模災害の被災者に対する義援金は手数料の対象外にする方針です。
 ただ、今後は義援金や寄付金ごとに、事情を考慮して扱いを判断するということで、個別に問い合わせに応じるとしています。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220117/k10013434661000.html)
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 民間銀行は経営悪化のために様々な手数料を設けていますが、まさか郵便局も民間銀行に続くとは……せめて小銭を扱う業者や慈善団体には従来通りの対応をして貰いたいものです。シェークスピアの小説に出てくる有名な「ブルータスよ、お前もか」のセリフをもじって、郵便局にこのように言いたいと思います。
「郵便局よ、おまえもか!」

2022年01月23日

#415 大自然の驚異

 昨日のトンガ火山大噴火により今日の深夜に日本の太平洋岸に津波警報・注意報が出されました。火山噴火による津波はきわめて珍しく、そのせいか気象庁は津波が到着した後に警報を出す失態を演じました。気象庁によりますと地震に因る津波は10万通りのシミュレーションを基に警報を出すことができるが、今回の火山による津波は例がないということで、警報発令が遅れたと説明していました。
 この火山の噴火による津波は太平洋沿岸諸国に届き、最大1m数10㎝の高さになった地域があります。不思議なことに噴火に近い地域よりも日本やペルーなど火山から遠い国により高い津波が到着したことです。今日は大学入試共通テストの2日目ですが、津波警報などで試験を延期した大学もあるようです。朝日新聞は今回の噴火を次のように報じています。
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『トンガの海底噴火、噴煙は半径260キロに広がる 「大量の軽石も」』
 南太平洋のトンガ諸島で発生した大規模な海底火山の噴火について、防災科学技術研究所火山研究推進センターの中田節也センター長(火山地質学)は「噴煙が最大2万メートル(20キロ)近く、半径260キロにも広がっており、1991年のフィリピン・ピナトゥボ火山の噴火と似ている。噴火規模を0~8で示す火山爆発指数(VEI)も同じ6程度の可能性がある」と指摘した。
 ピナトゥボ火山の噴火では、噴出物が成層圏に大量に放出され、太陽の光が遮られて世界的に気温が下がった。2年後には記録的な冷夏となり、日本では米が大凶作となってタイ米を緊急輸入する事態になった。
 ただ、ピナトゥボ山は北半球だったのに対し、今回の噴火は南半球で起きた。今後の影響については「現状ではまだ分からない。より詳しい解析が必要で、しばらく状況を注視する必要がある」とした。
 ただ、噴火の規模が極めて大きいため、周辺にまき散らされた軽石の被害が心配されるという。「やはり海底火山が噴火した小笠原諸島の福徳岡ノ場と同じように、大量の軽石による被害が出る可能性がある。噴出量は福徳岡ノ場よりはるかに多く、広範囲に被害が出るだろう」と話した。
(https://www.asahi.com/articles/ASQ1H75PSQ1HULBJ00C.html)
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 上記の記事にあるように、ピナトゥボ火山の噴火により、冷夏となりタイ米を緊急に輸入しましたが、あまりの不味さのために、様々な料理専門家がタイ米の料理の仕方をテレビで説明していたことを思い出しました。
 実際、今回の噴火が世界にどのような影響を与えるか現時点では分かりませんが、食料自給率が極端に低い日本にとって近い将来悪影響が出そうです。また特に九州には様々な活火山が集中しており、その活動にも注目しておく必要があります。大自然の驚異は人智を超えており、自然災害にはなす術もありません。

2022年01月16日

#414 鏡開きとお年玉

 今日は成人の日です。多くの地域で成人式が開催される予定ですが、新コロの急速な感染拡大に伴い、中止や延期をする自治体もあります。オミクロン株は他の株に比べて重篤になりにくいデータがでていますが、これまでにない強い感染力を示しています。そのような状況下で、あくまでも個人の行動自粛が求められます。
 さて明日1月11日は鏡開きとなっています。地方により鏡開きを行う日が異なりますが、多くの地方では11日となっているようです。先日NHKで鏡開きに関する興味深い話をしていました。その内容を簡単にご紹介します
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<鏡開きの意味>
鏡開きの意味は、鏡餅を開いて年神様の恩恵をいただき、力を授かることです。鏡開きでは刃物は使用しません。これは、その昔刃物を使ってお餅を切ることが武士にとっての切腹を連想させたから、神様の依り代であったお持ちに刃物を向けるのは縁起でもないからといった理由が挙げられます。このため鏡開きではお餅を「切る」「割る」とは言わずに、「開く」という表現が使われるようになったと言われています。
 さらに日数が経過し、固くなった鏡餅を食べることで歯固めと言って、丈夫な歯で長生きしようという意味もあります。
<鏡開きのやり方>
鏡開きには年神様の依り代として飾ってあった鏡餅を下げて、木槌や手で開きます。これは昔の武家の慣わしで刃物は切腹を連想させるから、また神様の依り代だった鏡餅に刃物を入れてはいけないからといった理由からです。
 開いた鏡餅はさらに手で食べやすいサイズに分けます。この時、細かくなった欠片も捨てないように気を付けましょう。最後に開いた鏡餅を余さずいただいて、鏡開きは終了です。(https://lovegreen.net/lifestyle-interior/p279712/)
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 上記の記事には載っていませんが、鏡餅の由来は神社の御神体である鏡に由来するそうです。鏡に似せて餅を丸い形にして、年神様を祀ったことから丸い餅を鏡餅というようになったそうです。
 次に「お年玉」ですが、今ではすっかり子供たちにお小遣いをあげる様式に変わってしまいましたが、元来はそうではありませんでした。ウィキペウィアによりますと、次のように説明しています。
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 お年玉の語源は、正月に歳神(年神)を迎えるために供えられた、丸い鏡餅(=歳神(年神)の霊魂が宿った依り代、歳神(年神)の象徴)が、家長によって子供に分け与えられ、その餅が「御歳魂(おとしだま)」と呼ばれたことから、とする説がある。つまり、その年を、1年間を、生きるために必要な、歳神(年神)の霊魂=生命を、子供に分け与えることで、(強い生命力には、魔=災厄を退ける力がある)、子供の無事な成長を願う、宗教的な意味がある。また、これを年のありがたい賜物(たまもの)であるとして「年賜(としだま)」と呼ばれたことから、とする説もある。なお、「トシ」は「稲や稲の実り」を意味する語でもあり、歳神(年神)は豊穣神でもある。
 お年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、町人は扇を、医者は丸薬を贈った。現代のように現金を渡すのが一般的になったのは、昭和30年代(1955年 - )以降だとされている。これは、経済成長とともに農村社会が解体され都市生活者となり、稲(米)や餅を作らなくなった代わりだともされている。
 また、昔は正月に子供に玩具を与えており、お金は玩具の代わり=玩具代だとする説もある。または、この場合、お金が鏡餅と同じ意味・機能を果たしているとも考えられる。例えるなら、稲(餅米)が昨年の収入、鏡餅が家産の集合体、お年玉(=砕いた鏡餅の断片)が家産からの財産分与、ということになる。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%B9%B4%E7%8E%89)
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 来年から子供たちには本来の意味のお年玉として丸いお餅を1個渡しましょう。親御さんは経済的に助かりますが、子供たちからの大ブーイングが聞こえてくることでしょう(笑)。
 鏡開きにしても、お年玉にしても本来の意味を知っている人は多くないでしょう。この国に昔からある何気ない日常言葉や行事の中にこの国の文化の奥深さを歴史の重みを感じることができます。

2022年01月10日

#413 新年のご挨拶

 本日は1月4日、多くの企業にとって仕事初めの日です。しかしながら、当塾は昨日から授業を行っています。例年は12月30日から1月3日を年末年始休業日としていますが、この間に2回授業を受けない生徒がいましたので、昨夜授業をしました。今年度は塾生の大半が受験生ですので、悠長にしていられません。教える側も必然的に受験生にならざるをえません。1月15・16日が大学入試共通試験、1月21日が私立高校専願入試、2月2日が私立高校前期入試となっていますので、このひと月が勝負になります。
 さらに高校3年生は共通試験が終われば私大・国公立2次試験に向けて受験対策をする必要があり、中学3年生は私立高校入試後に県立高校入試に向かって残り1か月を頑張ることになります。
 さて、今年2022年は個人的には記念すべき年になります。この「2022」という数字は実は私の大学時代の学籍番号なのです。同じ数字が並んでいましたので覚えやすく、今でも口からすらすらと出てきます。今年一年間何か良いことがありそうな、です!(笑)
 それでは今年一年間学習塾二コラをよろしくお願いいたします。

2022年01月04日

#412 普通の幸せ

 2021年(令和3年)も今日で終わります。今年もコロナに始まり、コロナで終わった一年でした。文科省の指示により小規模の塾・予備校は運営を継続できましたので、当塾は幸い授業を休まずに運営できました。塾生たちもほとんど休まず、元気に授業に参加してくれました。
 一方、世間に目を向けますと、コロナの影響で多くの業種に不況の波が押し寄せています。特に航空業界では需要の激減により多くの客室乗務員が出向となり、中には神社の巫女さんになっている女性がニュースで報道されていました。また旅行業界、特に多くの旅館が閉鎖になったことは言うまでもありません。また非正規社員を中心に多くの失業者が今でも出ており、生活の基盤が失われたのは悲しい現実です。
 他国と比べて、現在の日本はコロナ感染が一応落ち着いていますが、それでも世界的なオミクロン株の流行や、年末年始の人出の多さに伴い、いつ大規模な流行につながるか分かりません。コロナ禍の現状に油断せず、できるだけ人込みを避けるような工夫は今でも必要です。オミクロン株が国内で流行するかどうかは一人ひとりの自覚にかかっています。
 このようにコロナ禍が続く今年一年間をふり返ってみますと、多くの人々が気づいたことがあります。それは「普通の幸せがいかに大切か」ということです。普通に働ける仕事がある。勉強ができる学校がある。家族皆が元気である。自由に移動や旅行ができる。これらはコロナ前には誰もがあまり意識しなかったことです。
 多くの人が普通に生活し、不平不満を漏らし、自分以外の外に幸せを求める傾向があったのですが、コロナ禍で生活が一変し、今まで暮らしてきた普通の生活がいかに幸せで貴重な時間だったかをようやく世の中の人々は気づき始めました。これは不幸中の幸いと言わざるをえません。コロナの発生起源については様々な憶測が乱れ飛んでいますが、一つだけ言えることは「このコロナ禍で人類は何を学んだか」ということです。その答えの一つが「普通の幸せ」です。
 日本のヘレンケラーと呼ばれた故中村久子さんの「こころの手足」という本の中に次のような詩があります。

ある ある ある
さわやかな秋の朝
「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える良人がある
「ハーイ」という娘がおる
歯をみがく
義歯の取り外し かおを洗う
短いけれど指のない
まるいつよい手が何でもしてくれる
断端に骨のない やわらかい腕もある
何でもしてくれる 短い手もある
ある ある ある
みんなある
さわやかな秋の朝

 今年もいろいろありました。来る年が皆様にとって、幸せな年となりますように心から祈念します。

2021年12月31日

#411 今日はクリスマス

 今日は12月25日、クリスマスの日です。昨日はクリスマスイブで、日本国内では新コロの影響も少なく、全国各地で賑わったイブとなりました。特に都会ではクリスマスのイルミネーションが輝き、クリスマスの雰囲気を高めています。
 ところで、クリスマスの本当の意味を分かっている人がどれほどいるでしょうか。この私も幼い頃はケーキが食べられる日と思っていました(笑)。日本にはキリスト教信者が少ないせいか、25日は平日と変わらない日を過ごしますが、キリスト教が国教となっている国々では今日は休日で、多くの人が教会でお祈りしたり、家族で静かに過ごします。
 それでは、イエス・キリストは本当に12月25日の深夜に馬小屋で誕生したのでしょうか?また、本当のクリスマスとは何でしょうか?先日、明光学園のシスターから頂いた冊子を引用して、クリスマスの真の意味を考えたいと思います。
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『クリスマスの豆知識」』「希望のクリスマス」(ドン・ボスコ社)より
 英語の Christmas の語源はラテン語の「クリストス・ミサ」です。「救世主キリスト
Christ のミサ聖餐式(mass)」のことで、キリスト降誕を祝うミサのこと。
 キリストの誕生が12月25日に定められたのは、4世紀半ば、コンスタンテヌス帝統治下のローマ。12月に冬至を迎えるローマでは、冬至を経て太陽の光がよみがえるということで、12月25日は太陽神の祭日だった。そこで「キリストは正義の太陽」と考えるキリスト教徒たちがこの日をキリストの降誕祭として祝うようになった。ちなみに、キリストの誕生日が12月25日と確定できる記述は聖書にない。
 イエスがベツレヘムで誕生されたとき、星の光に導かれ、「占星術の学者たちが東の方から」(マタイ2・1)やってきた。聖書には人数も名前も明記されていないが、彼らが三つの贈り物を献げたことから「三人」、「タルシシュや島々の王が献げ物をシェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように」(詩編72・10)という旧約の預言から「賢王」
「博士」といわれ、842年ごろラヴェンナの修道院長アグネルスによって書かれた歴史書からメルキオル、バルタザル、カスパルという名前が伝わるようになった。
 クリスマスプレゼントの始まりといわれる三博士の贈り物は……

・乳香
乳香樹かた採られる白色の樹脂。香水や薬品として用いられた。神性の象徴
・没薬
香りのよさから珍重された非情に高価な樹脂。古来死者の防腐処理に使用されたことから、将来の受難と復活の象徴
・黄金
太陽に結びつき、神の現存、その輝きを示す装飾として契約の櫃(ひつ)などの祭具に用いられ、メシアを象徴する金属。王権の象徴
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 以上が冊子の中にあるクリスマスの説明ですが、キリストの生誕日びついて私は若い頃に調べたことがあります。一説としてイエスが誕生した2000年前から同じような生活を営んでいる遊牧の民ベドウィン族がいますが、彼らでも冬にはとても寒く遊牧活動ができないそうです。まして外気温度に近い馬小屋で出産するのは不可能だ、という記述を読んだことがあります。したがってキリストはおそらく3月末か4月初めに誕生したのではないか、という説が有力のようです。少なくとも12月25日ではないようです。
 はるか2000年以上も前の出来事ですので、正確な日にちは分かりませんがヨーロッパの風習と相まってキリストの誕生日が定められたのでしょう。
 いずれにしても今日はクリスマス。 Merry Christmas to You!

2021年12月25日

#410 葉っぱが世界を救う!?

 今年も残すところ2週間足らずとなりました。大学入試共通テスト(来年の1月16,17日実施)まで1か月足らずの時期となりました。受験生は最後の追い込みに必死となっています。今年もコロナ禍での入試になりそうですが、受験生は健康に留意して難関をみごと乗り越えて欲しいものです。
 さて、先日テレビ東京 (テレQ)の「ガイアの夜明け」で面白い特集をやっていました。私は途中からしか観ていないので、詳しい内容は分かりませんが。葉っぱを使ってワクチンができるそうです。これをネットで検索してみると、次のような内容がありましたので転載します。
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『タバコの葉を使ったインフルエンザワクチンの新しい作り方』
<ワクチンとは何か>
 多くの人は誤解しています。インフルエンザワクチンは、感染を予防するためのものではありません。悪化を予防するためのものです。そもそもワクチンとは、病原ウイルスを死滅もしくは力を弱めたものです。それを体内へ入れることにより、自己免疫でウイルスに対する抗体を作る!本物の敵が来る前に練習しておくようなものです。そのため抗体の作り方に失敗すると、ワクチンに入っているウイルスで発症するリスクもあります。だからでもありますが、ワクチンを接種することによる副作用が稀ではないのです。
<これまでの作り方>
 新しい作り方と言われても、これまでの作り方はどうだったのでしょうか。そもそもウイルスは、自分単独で仲間を増やすことができません。この点が細菌類など他の生物との違いでもあります。ではウイルスはどうやって増えているのか?まず他の生きた細胞に入り込みます。その細胞内にある材料を利用して、新しいウイルスを作ります。そして細胞から出て、新たな細胞を探す!この繰り返しで倍々に増えていきます。なおワクチン製造に際しては、この細胞として主に鶏卵が用いられています。鶏卵が使われる理由は、入手しやすい材料である。また栄養分が豊富な点も重要です。とはいえ1個の卵からは1人分のワクチンしかできません。ワクチンの緊急的な大量増産が難しい理由がここにあるのです。
<新しい作り方のメリット>
新しいワクチン製造法のメリットはどこにあるのでしょうか。
1.製造期間が短縮される
 第一のメリットは、製造期間が短縮されることです。つまり鶏卵を使った従来の方法では、約6カ月かかりました。また昆虫を使った製造方法もあります。それでも3カ月かかりました。しかし今回のタバコ葉を使った方法では、1カ月で済むようです。これならば新しい型のウイルスが出現しても、直ぐに対応できます。パンデミックが起きそうな際にも、緊急措置が取れるのです。なおインフルエンザ以外のウイルスでも研究中だとか。可能性はどんどん広がります。
2.卵アレルギーの心配がない
 卵アレルギーの人は少なからずいるようです。食品アレルギーの1/3を占めるそうです。この人たちはワクチンを打てませんでした。つまり製造に際して鶏卵を使っていたからです。これが従来法の難点でもありました。とはいえ今度はタバコの葉を使います。卵アレルギーの心配がありません。昨今はアレルギー患者が増えています。そういう意味でも早く実用化して欲しい製造方法です。ただしタバコアレルギーはないのか。調べておく必要はあるでしょう。
3.感染の恐れがない
ワクチンの問題点として、接種時に感染してしまうことがあります。つまり予防のために打ったワクチンで、病気を発症する事例が稀ではないのです。とはいえワクチンの原理は、接種することにより一時的な発症を促します。そういう意味では、間違いではないのです。これも誤解してはいけません。例えばコレラのワクチンでも、接種後に微熱が出ることがあります。しかし体調不良だったり体力が衰えていると?それで重篤化することもあります。なお今回作られるワクチンは、後述するようにウイルスを含んでいるわけではありません。そのため私たちの感染リスクが下がります。これも大きなメリットです。
<ウイルスを作るわけではない>
今回開発した手法が画期的な点は、ウイルス自体は作らないことです。詳しい内容は不明ですが、ウイルスへの抵抗力を付けるために必要な成分を作る!ワクチンとは言いますが、厳密には予防薬と言えるのでしょう。タバコは生長が早く葉も大きいですね。
かつ比較的簡単に栽培できます。いずれにしても成功することを祈りたいですね。
(https://www.inc-reliance.jp/life/34400)
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 世界中で使用されている新型コロナワクチンは「遺伝子組み換え技術」を用いたワクチンですが、大々的な治験を行わずに接種しているために、多くの副作用を引き起こしています。ワクチン未接種者よりもワクチン接種者に多くの健康被害が出ている現状です。はたして、この体に優しい「葉っぱワクチンは」世界を救うことになるのでしょうか。一日も早い実用化が待たれるところです。

2021年12月19日

#409 マスターズ甲子園

 師走とはよく言ったもので、学校の先生方は現在2学期の成績処理で大忙しの日々が続いています。私も今日一日現在非常勤講師として教えている生徒たちの成績処理に追われました。教員は授業や生徒指導などで日常的に忙しいのですが、学期末は特に成績処理や生徒・保護者面談の準備などで多忙な日々を過ごします。学期末の行事が終了するまで気が抜けません。
 さて、「マスターズ甲子園」という言葉を聞いたことがありますか。先日たまたまニュースを見ていましたら、このマスターズ甲子園の特集を放送していましたので、つい最後まで観てしまいました。ウィキペディアではマスターズ甲子園のことを次のように説明しています。
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『マスターズ甲子園』
マスターズ甲子園(マスターズこうしえん)とは、高校野球にかつて出場した元高校球児たちが阪神甲子園球場を舞台に世代を超えたOBチームを結成し、野球を通しての同窓会を行い、それを生涯スポーツとし発展させて、また次世代の子供たちに野球の素晴らしさを伝えていくことを目的に2004年から毎年開催しているスポーツ大会である。別名「秋の甲子園」。
 2004年の第1回大会は1日間だけの開催だったがそれを2005年以後は2日間開催として大会を全国規模に拡大することを目指し、更に2007年以降はそれを定着させるために3日間開催の実現を目指していたが、2019年現在、2日間開催である。ただし、試合数は2020年から1日4試合から1日5試合に増加させる予定。
<それを実現させるための方針>
「1人でも多く、1チームでも多く」を目指し将来的な全国全都道府県からの出場実現を目指した大会日程の調整、プログラムの調整を図る。
また高校野球全国大会の出場の有無、プロ・アマ経験などのキャリアなどを一切問わず、同じ高校野球同窓生として甲子園に再び出場できる機会を提供する。
大会の運営は自己負担を原則とし、参加者からの会費(参加料)を基本にスポンサーからの支援を仰いで継続的な大会実施を目指す。
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 マスターズ甲子園は2004年から開催されていたのですね。全然知りませんでした。元高校生の選手たちの試合ですので、一種の同窓会のようなものでしょうか。大会の詳細はマスターズ甲子園HPをご覧ください。
 この「甲子園」とつく全国大会がたくさん開催されています。例えば「マンガ甲子園」、「書道甲子園」などが特に有名です。若者たちが「甲子園」めざして日々練習を重ねる姿は素晴らしいものです。たとえ「甲子園」に出場する機会に恵まれていなくても、その日々の努力は称賛に値します。
 若い時には打算なく何かに打ち込むことができます。たとえその夢が実現しなくても後の人生に実りのある体験となって活かされます。年齢問わずに何かに打ち込むものを持っている人は幸いです。それに夢中になることで日々の嫌なことは忘れます。あなた自身の「甲子園」は何でしょうか。

2021年12月12日

#408 神田川、逝く

 すでに師走を迎え、今年もひと月足らずとなりました。ついこの前正月を祝ったばかりでしたが、もう1年が瞬く間に過ぎてしまいました。本当に月日の経つのは早いものです。
 さて、先月22日に「神田川」の作詞をした喜多條忠さんが逝去されました。「神田川」は南こうせつさんの率いる「かぐや姫」のベストヒット曲ですが、喜多條さんはデビュー作として「マキシ―のために」の歌詞も書いています。読売新聞には次のような記事が載りました。(読売新聞からの転載です。)
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『名曲「神田川」の作詞家・喜多條忠さん死去、74歳…南こうせつさん「大事な戦友失った」』
 「神田川」など多くの作品を生み出した作詞家、喜多條忠(きたじょう・まこと)さんが11月22日、肺がんで死去した。74歳だった。告別式は近親者で行った。喪主は妻、輝美さん。
 大阪府出身。早稲田大学入学後、学生運動に飛び込み、大学は中退。放送作家をしていた時、南こうせつさん率いるフォークグループ「かぐや姫」に詞を提供。「神田川」「赤ちょうちん」「妹」を大ヒットさせた。特に、「 貴方あなた は もう忘れたかしら」と歌い出す「神田川」(1973年)は、自身の学生時代の体験をもとに、3畳一間の下宿で 同棲どうせい する男女のささやかな暮らしを描き、共感を呼んだ。「小さな 石鹸せっけん  カタカタ鳴った」という映像を喚起させる一節もあり、名作として歌い継がれている。
 青春のほろ苦さを表現したフォーク、恋愛の機微を描いたポップス、日本情緒に彩られた演歌と、その作風は多彩で、幅広い世代から支持された。ほかの代表曲に、キャンディーズ「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」、梓みちよ「メランコリー」、柏原芳恵(当時・よしえ)「ハロー・グッバイ」、山内恵介「スポットライト」など。小説も執筆していた。日本レコード大賞作詩賞などを受賞。2014年から20年まで日本作詩家協会会長を務めた。

<南こうせつさんのコメント>
 「神田川」などを作曲し、歌った南こうせつさんがコメントを発表した。
 喜多條さんの体調不良は知っていましたが、こんなに早く亡くなるとは思っていませんでした。奥様からの留守電で訃報を知って驚いています。
 最後に喜多條さんにお会いしたのは、今年の11月5日。御自宅に伺って、ベッドの上に仰向けのままの喜多條さんと、時に手を握りながら1時間くらい話をしました。「二人でもう一度いい歌を作ろうよ、神田川の次は三途の川じゃないからね」と冗談を言ったり昔話をしながら、喜多條さんは涙を浮かべて微笑んでいました。
 お互いまだ学生だった頃、喜多條さんは文化放送の新人の放送作家、僕はペーペーのミュージシャンでした。文化放送の近くの喫茶店で二人が意気投合して、いつかきっと青山にでっかいビルを建ててみんなで夢を語れる自由なお城を作ろうよ!と語り合ったのがつい昨日のことのようです。
 また一人大事な戦友を失い、寂しい気持ちでいっぱいです。僕はこれからもギターを抱えて歌っていくからずっと空から見守っていてください。
 さようなら喜多條忠!
(https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211130-OYT1T50248/)
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 この「神田川」の誕生秘話として次のような話があります。喜多條さんが「神田川」の詩を創り、電話でその詩を南こうせつさんに伝えたところ、こうせつさんは歌詞を書きとりながら自然とメロディーが浮かんできたそうです。歌詞のもつ不思議な力なのでしょうか。世代を超えて今でも歌い継がれている名曲です。
 かぐや姫は「神田川」の他に、「赤ちょうちん」、「妹」、「22才の別れ」、「なごり雪」など今でも痛い継がれている多くの歌があります。
 なお、生命の永遠の尊さを歌った音楽作品「千の風になって」の訳詩と作曲などで知られた芥川賞作家の新井満(あらい・まん、本名・みつる)さんが3日、 誤嚥 性肺炎で死去されました。お二人のご冥福を心よりお祈りします。

2021年12月05日

#407 JAXA、月へ!

 北日本ではこの時期に珍しい大雪で様々な支障が生じているようです。九州でも最低気温が5度前後の日々が続いています。いよいよ本格的な冬の訪れです。新コロのオミクロン株という変種が世界的に流行し始めています。日本のコロナは現状では落ち着きを見せていますが、いつ何時オミクロン株が暴威を振るうかもしれません。インフルエンザの流行と相まって、今年の冬は充分な注意が必要です。
 さて、先日のニュースで、日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)の新しいミッションが発表されました。「日本初の月面着陸」のニュースです。
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『日本初の月面着陸へ超小型探査機打ち上げ JAXA』
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は25日、来年2月以降に、米航空宇宙局(NASA)が開発中の月に向かう次世代宇宙船「オリオン」の無人試験飛行に合わせ、超小型探査機を2基打ち上げると発表した。月探査に向けた調査や技術実証などが目的で、1基は日本の探査機としては初の月面着陸にも挑戦する。
 2基は「OMOTENASHI(オモテナシ)」と「EQUULEUS(エクレウス)」で、JAXAと東京大が共同開発。縦20センチ、横30センチ、高さ10センチ程度の超小型探査機で、オリオンを打ち上げるNASAの新型ロケット「SLS」に相乗りし、打ち上げ後は独自に月に向かう。
 オモテナシは、固体ロケットを搭載し軌道制御しながら月への着陸を目指す探査機で、将来の有人探査に備えて飛行中に地球から月周辺までの放射線の計測も行う。エクレウスは、太陽や月の重力を利用し、物流の拠点となる「宇宙港」の設置が検討されている月の裏側の地点まで効率的に到達することを目指す。月面に降ってくる隕石(いんせき)の大きさや頻度なども調べる。
 JAXAが開発した月周回衛星「かぐや」や、現在開発中の日本初の無人月面着陸機「SLIM」(スリム)などの中・大型探査機と比べ、超小型探査機は大幅なコスト削減が可能となり、民間や大学などに探査の間口を広げることも期待できる。JAXAは「超小型探査機による新たなミッションの創出、技術開発実証を行っていきたい」としている。
(https://www.sankei.com/article/20211125-4WAPEZ34I5MTNJL6GZEHT
                                  QUHVA/)
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JAXAといえば「はやぶさ1」、「はやぶさ2」で小惑星を探査し、その表面の岩石を地球に持ち帰ったことで知られています。また月面探査として「かぐや」が月面のハイビジョン映像を撮影したことでも知られています。今回はアメリカと共同して月面探査に乗り出すようです。はるか彼方の小惑星まで探査衛星を往復させた日本の科学技術は卓越しています。その技術を持ってすれば、月面調査などたやすいことと思います。
 人類は月を拠点として、将来火星や他の惑星へ移住者を送り出すことになるのでしょう。現在の科学技術では遠い将来のことになりますが、現在のおもちゃのようなロケットではなく、SF映画に登場するような高性能の宇宙船を開発して数世紀後には宇宙探査や移住する星を見つけることでしょう。SF映画はそのような人類の姿を描いています。ただし、あくまでも現在のコロナパンデミックを乗り越え、人口爆発を抑え、人間の感情や理性をコントロールできるようになったあかつきのことです。
 人類の更なる進歩や廃退は現状の課題をいかに解決するかにかかっています。私たちの子孫が豊かに暮らせるように、現在地球上にいる私たちが生態系破壊などの様々な問題を解決しなければなりません。明るい将来が来るか否かは私たち一人ひとりにかかっています。宇宙時代の到来はその後です。

2021年11月28日

#406 大牟田がロケ地に!?

 11月も下旬になり朝晩は寒くなっていきました。明日は寒冷前線が九州を通過し、その後日中の最高気温が13度前後の真冬並みの気候になるようです。本格的に冬の季節が近づくころになりました。
 さて、2016年に大牟田市を描いた映画「命スケッチ」が公開されましたが、それに続く映画のロケ地に再び大牟田が選ばれました。18日付の読売新聞電子版に関連の記事が出ていましたので、以下に転載したいと思います。
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『元炭鉱町親子描く映画「向田理髪店」 大牟田で来月撮影へ』
寂れた元炭鉱町で困難にぶつかりながらも、前を向く親子などを描く映画「向田理髪店」の撮影が、12月に大牟田市を中心に行われることが決まった。メガホンを取る森岡利行監督(61)は「都会や地方、どこで暮らしても頑張れば温かな気持ちになれる、そんな作品にしたい」と意気込んでいる。
 映画の原作は、直木賞作家・奥田英朗さんの作品で、かつて炭鉱で栄えたものの、過疎に悩む北海道の架空の街を題材とした同名の小説「向田理髪店」。
 森岡監督は「ツレがうつになりまして。」や「子猫の涙」など、様々なドラマや映画の脚本、監督を務めた。奥田さんの原作映画「純平、考え直せ」で監督を務めた後、「向田理髪店も映画化したい」と構想を練ってきたという。
「福岡のエンターテインメントを盛り上げてほしい」という県内の自身の支援者の願いもあり、舞台を北海道から九州に移してロケ地を探した。そんな中、昨年5月に訪れた大牟田市では、旧三池炭鉱施設や自然などに触れ、「小説の中のリアルを感じることができた」という。
 映画「向田理髪店」は、都会の広告代理店勤務を辞め、九州のかつての炭鉱町で理髪店を営む男性が主人公。自身と同じように東京から理髪店の跡を継ぐと地元に戻った息子との人間模様などを、宮原坑や三池港、有明海などの風景とともに、コメディータッチで描く。
 大牟田市内を中心に、12月上旬から約2週間撮影を行い、来年の秋~冬頃に全国公開予定。出演する俳優は調整中だが、「著名なキャストになる」(映画製作会社)という。
 今月15日には市役所で、森岡監督や撮影を支援する大牟田商工会議所青年部の田中達憲会長(46)らが記者会見。森岡監督は「大牟田には自分が手がけた映画にはない風景がある。温かな作品に仕上げたい」と意気込みを語った。
 田中会長は「 閉塞へいそく 感が漂う大牟田のPRとともに、撮影を通じて、市民が明るい気持ちになってもらえるよう、(撮影の)すべてに協力したい」と話した。
(https://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20211117-OYTNT50087/)
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 私は小説「向田理髪店」をまだ読んでいませんので、この機会に読んでみようと思います。どのような映画になるか楽しみです。「命スケッチ」では当塾のすぐ近くにある大牟田市動物園(通称、延命動物園)を舞台にした動物や人間ドラマが描かれており、映画のいたる場面に大牟田市の様々な風景が描かれていました。今度の映画撮影に大牟田市がどのように関わっていくか知りませんが、太牟田のPRになると思います。
 私が子供だった大牟田市は人口が22万人を超える国内有数の炭都で、街中がたいへん賑やかで、子供たちの歓声が溢れていました。私が大人になるにつれて、炭鉱が無くなり、街も次第に廃れていき、現在は人口11万人をかろうじて維持する地方都市になってしまいました。昔は三池港を中心とした大きな工場群が並んで、炭鉱や港は24時間体制で石炭の積み出しを行っていました。今はその面影もなく、三川抗は炭鉱の遺構を残して静かにたたずんでいます。また三池港の周囲にはだだっ広い空き地だけが残り、当時の面影はまったくありません。以前破産を財政破綻危惧する都市として北海道の夕張、九州の大牟田と言われた時期がありましたが、どちらもかつては国内最大の炭都です。この街の昔の繁栄を知っている者として隔世の感があります。

2021年11月21日

#405 落ち葉の絨毯

 あなたが首をかしげて見ていた
 あの銀杏はもうすっかり黄色
 落ち葉はあなたの足跡消して
 私に何も残さない
(♪「眼を閉じて」かぐや姫)

 季節はすでに晩秋となり、街はすっかり落ち葉の季節になりました。銀杏のある並木道は黄色い落ち葉の絨毯にすっかりおおわれて、去り行く秋の装いに彩りを添えています。北国からはすでに雪の便りが届き、今年の冬は例年にない寒い季節の予感がしています
 最近は季節の境目がはっきりしない年が増えてきましたが、それでも他国と違って日本は春夏秋冬の四季が明確に分かれており、それぞれの季節に応じた衣食や生活様式があります。日本は衣食を通して季節感を味わえる国だと思います。特に秋は紅葉を求めて海外から旅行客が押し寄せ、京都は毎日どこへ行っても混雑状態です。さすがにコロナ禍で外国人客はほとんどいませんが、週末は国内から集まった観光客で清水寺や嵐山は特に人気があります。また国内の観光地もコロナの急減に伴い、ようやく観光客が戻ってきました。このままコロナが落ち着いてくれれば、観光地に活気が戻り、経済の循環も始まることでしょう。
 私が以前滞在していたオーストラリアでは四季に当たる季節がなく、なんとなく暖かくなり、真夏を迎え、そして何となく涼しくなり、冬を迎える3シーズンとなっています。もちろん住む場所にもよりますが、私が暮らしたシドニーでは真夏は日本のような湿度の高いじめじめした夏ではなく、湿度のないカラッとした真夏で、外を歩いても汗が噴き出ることはありません。ただし紫外線が強いので、少し外出してもすぐに日焼けします。また地元の人たちは真昼には海で泳ぎません。紫外線が強すぎて皮膚がんの発症など害が多すぎるからです。泳ぐときには昼間を避けて朝または夕方に泳ぎます。またTシャツで泳ぐ人が多く見られます。
 またシドニーの冬はそれほど寒くなく、日本の11月下旬のような季節感です。朝はさすがに最低気温が10度を下回り、ヒーターを使用しますが、昼には20度近くまで気温が上がり、コートなしで過ごせる感覚です。雪が降ることはなく、年に1,2回あられが降った時もありました。
 このようにオーストラリアあまり季節感がない国です。もちろんケアンズやダーウィンのような熱帯地域では冬がなく、メルボルンやタスマニアのような南極に近い街は寒さがより厳しくなります。国土が大きいので気候差も大きくなります。
 気象庁は先日南半球でラニーニャ現象が発生したと見られると発表しています。「例えば、2020年夏から2021年春にかけてもラニーニャ現象が発生。2020年~2021年の冬は、一時的に強い寒気が流れこんだ影響で、富山市では35年ぶりに積雪が1メートルに達するなど、記録的な大雪となりました。この冬も西日本を中心に寒気が流れ込む予想がでているため、注意が必要です。」(https://tenki.jp/forecaster/deskpart/
2021/11/10/14805.htmlより)
 今年はどんな冬になるでしょうか。石油の値上がりに伴い、暖房に必要な灯油などの油も高止まりとなっています。特に暖房が必要なビニールハウスの作物には例年の1,5倍の燃料費がかかっているようです。コロナ禍で経済が下火になっている時期に燃料費の高騰が懸念されます。春が来るまでしばらく寒い季節を辛抱することになります。

2021年11月14日

#404 創立7周年を迎えました

 朝から爽やかな秋晴れの快晴が続いています。車窓から見る田畑は稲刈りがすでに終わり、来春まで静かな眠りについています。秋の日はつるべ落としと言いますが、さすがに日の暮れも早まり、今日の大牟田の日没はは17時23分となっています。
 さて、2015年11月4日に当塾が開塾して以来、早いもので7年目を迎えました。この間当塾に来る生徒が絶えることなく、毎年10名前後の塾生が学んでいます。今年は現在中学3年生が4名、高校3年生が1名、大学生が1名在籍しています。中学生と高校生は来春当塾を卒業していきますが、次にどんな生徒が来てくれるのでしょうか。新しい生徒との出会いを楽しみにしています。学習塾二コラの活動はまだまだ続きます。
 ところで個人的なことになりますが、昨日福岡雙葉学園同窓会による追悼ミサが浄水通教会で行われました。過去1年間でお亡くなりになられた旧職員や同窓生のための御ミサです。私が雙葉学園に奉職した時から公私共々大変お世話になりました森邦蔵先生が今年の3月に帰天されましたので、今年の追悼ミサは特に違ったものとなりました。
 森先生は英語科の大先輩として当時新任教師であった私に様々なことを教えて下さり、いつも叱咤激励してくださいました。また教頭先生として重責を担いながら、職員や生徒たちに慈愛の眼差しを絶えず向けられて学校運営に当たられました。そのお姿はまさに人格者でいらっしゃいました。職場から帰る方向が同じでしたので、時々週末は西新の居酒屋で盃を交わしながら、遅くまで談笑を交わした沢山の思い出があります。
 私が学習塾二コラを設立する旨を報告するためにご自宅に訪問しましたが、その帰りに近くの居酒屋で杯を交わしたのが最後になりました。コロナ禍でしばらくご無沙汰していましたが、まさかこんなに早くお別れするとは夢にも思っておりませんでした。私がいつか帰天した時に、森先生や人生の諸先輩方に胸を張って報告できるように、現在の仕事を頑張りたいと思っています。森先生大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。

2021年11月07日

#403 伝説の心医

 今日で10月も終わり、明日から11月(霜月)を迎えます。さすがに朝晩は気温が下がり、扱う水も冷たくなりました。あれほど暑かった10月も終わりを告げます。今年もかすかに漂う木犀の香りを楽しみながら、残り少ない秋を感じながら過ごしたいと思います。
 さて、「ホジュン・伝説の心医」がテレQで毎朝再放送されています。数年前にBS東京で放送されていたものを見ましたが、久しぶりに見ると、このドラマの秀逸さを改めて感じます。私は普段テレビでドラマを見ませんが、この番組だけは特別です。ドラマのストーリーやその内容に魅了されます。このドラマの魅力の一つに毎回様々な人間模様やどんでん返しの顛末が盛り込まれ、次に何が起こるのか視聴者に期待させ、飽きさせないことにあると思います。
 翻って、日本のドラマ、特にNHKの大河ドラマは登場人物の細かな表情や背景を詳細に描きますが、毎回の盛り上がりに欠け、見ていて退屈になり、最後まで見る気になりません。(意見には個人差があります!)人気の韓流ドラマにはいたる所に視聴者をとりこにする仕掛けがあり、それが日本女性を惹きつけている理由かもしれません。このホジュンは韓国で視聴率63%を記録したMBC放送局のドラマです。
 この「心医」とは名誉や金銭を求めず常に患者に寄り添い、患者のために全生涯を捧げる医師のことです。古今を通して医学に志す者の根底には人を救う「慈悲心」がありますが、最近では医学や医療技術の進歩により、医者の中には分析されたデーターをコンピュータ画面で確認するだけで、患者に病状を細かく尋ねようとしない医者もいます。患者個人により病状が異なり、詳しい問診をせずに患者にあった適切な治療ができるわけがありません。医者と患者の間には人間味のあるコミュニケーションが必要です。それができるか否かが名医とやぶ医者の違いだと思います。
 コロナ禍で世界中の医療従事者は日々コロナ患者に対応して激務をこなしています。まさに「医は仁術」です。そのような医療従事者に「ホジュン」はぜひ視聴して頂きたい番組の一つです。

2021年10月31日

#402 阿蘇山噴火

 10月も残り1週間となりました。10月の前半は30度を超える真夏のような日々が続いていましたが、後半になると急速に気温が下がり、秋を飛ばして初冬のような日々が続いています。北国では初雪の便りが届き、東京でも12月のような気候が続いています。本当に今年の天気は春先から例年に比べると何かおかしい状況が今日まで続いています。遅ればせながら今日の晴れ間を利用して衣替えをおこない、冬支度を整えました。
 さて、先日20日午前に阿蘇山の中岳第1火口が噴火しました。幸いに死傷者は出ませんでしたが、この噴火にともなって、火砕流が火口より1km以上に達し、噴火警戒レベルを3に上げ、入山規制を発表しています。気象庁によりますと、水蒸気噴火とみられており、マグマ噴火には至っていない様子です。
 阿蘇山は世界有数のカルデラ噴火をおこした火山です。その火砕流は福岡県の北部まで届いたと言われています。特に九州の火山活動は激しいものがあり、桜島、霧島、雲仙岳を始めとする火山が九州を貫いています。また九州南方の口永良部島や諏訪之瀬島の火山活動も活発であり、気象庁はこれらの火山活動を注視しています。
 つい2,3日前に沖縄の海岸に多量の軽石が漂着しました。この軽石は東京から南へ約1300キロ離れた小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」で8月に発生した噴火による軽石がはるばる沖縄まで漂流していったものと推察しています。またこの軽石による船舶被害が発生しました。
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 23日午後6時5分頃、沖縄県糸満市の喜屋武岬から南に約55キロの海上で、中城海上保安部の巡視艇しまぐも(約100トン)が軽石を吸い込み、エンジントラブルで航行不能となった。射撃訓練中で、同じ訓練をしていた別の巡視船に約3時間半後に引航された。乗員9人にけがはなかった。
 沖縄周辺では、海底火山から噴き出したとみられる軽石が漂流しており、同保安部は付近を航行する船舶に注意を呼びかけている。
(https://www.yomiuri.co.jp/national/20211024-OYT1T50067/)
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 日本は毎年のように地震や水害などの自然災害に見舞われますが、火山の噴火も忘れてはならない災害です。特に九州・沖縄地方は多くの火山に囲まれており、噴火の兆候が現れたら充分な注意が必要となります。
 日本という国は地球の地殻を形成する大きなプレートに囲まれており、プレートの移動やせめぎ合いにより地震や火山が発生します。日本列島の形成時期には多くの大地震や大噴火が発生し、現在のような列島の姿になっています。その過程でできたフォッサマグナや中央構造線は今でも動いており、その様子は衛星写真ではっきりと目にすることができます。
 そのような動きの激しい大地に住んでいる私たちです。古代より日本人は厳しい自然と共存してきました。そして荒ぶる自然に感謝の念を捧げてきました。私たちはこれからも自然を克服するのではなく、共存する姿勢で生き続けなければなりません。これが神道がこの国に生まれた由縁です。この大地で生きる限り、自然に感謝と敬意を示す必要があります。日本人の根本的な生き方がここにあります。

2021年10月24日

#401 親に反対された結婚がたどる結末?

 昨晩の寒冷前線の南下に伴い今年一番の寒気が日本列島に入ってきました。今朝は最低気温が15.4度を記録し今秋一番の冷え込みとなりました。いよいよ秋本番の到来となり、衣替えを急ぐ必要があります。先週までは30度を超える日が毎日続いていましたが、来週からは20度前後の最高気温になりそうです。今年の秋は極端に短くなりそうです。
 さて世の中を長らく騒がせていた話題にようやく終止符が打たれます。26日に秋篠宮真子様と小室さんの結婚記者会見が行われる予定で、この件には様々な賛成・反対意見があり、皇室の存在にも危機感が忍び寄っています。今回の件の本質は一体何だったのでしょうか。考えられることの1つに、「はたして周りに祝福されない結婚が幸せかどうか」の一言につきます。先日興味深い記事を見つけましたのでご紹介します。
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『眞子さまは、小室圭さんと結婚して本当に幸せになれるのか…「親に反対された結婚」がたどる結末は?』
<眞子さまと小室圭さん、結婚へ>
 約4年に渡って注目されてきた秋篠宮家の眞子さま(29歳)と小室圭さん(29歳)の話がここへきて進展。とうとう結婚が決まったということで話題を集めています。
正式な発表はまだとはいえ、納采の儀などをはじめとするいわゆる結婚式はおこなわず、婚姻届を提出した後はニューヨークで暮らすことになるとのこと。いろいろと取りざたされながらも最終的に「NYで事実婚」という結末には、疑問を感じる人も多いのではないでしょうか。
 個人的な意見ではありますが私は、今回のことは、小室さんはもっと前の段階で眞子さまとのお付き合いを辞退すべき案件だったと思っています。望まれていた「多くの国民が結婚を祝福する状況」をつくろうという努力もせず、自分と母親の弁明に追われたものの失敗に終わっただけで、結局は強引に結婚に持ち込んだ、というのが世間の見方ではないでしょうか。
 一方、眞子さまとしては、おそらく、「はじめて好きになった相手と、どうしても結ばれたい」という気持ちを優先させた一連の行動だったのでしょう。いろいろなことを犠牲にし、味方であった人たちを敵にまわしてまでも小室さんと結婚をしたかった。そこにあるのはもはや「愛情」ではなく、「意地」や「執着」としか思えません。ところが残念ながら、意地や執着でもぎとったその先にあるのは、必ずしも幸せとは限らないのが現実なのです。

<親に反対された結婚は、長続きしにくい⁉>
 一般的にも、意地や執着が“負のエネルギー源”となって、強引に結婚にいたるケースはあります。身近な例でいえば、「親の反対」にあって結婚するケースです。
 自分の親や、相手の親から猛反対されると、なぜかそのことを原動力に「何がなんでも結婚しなければ」と思い込むタイプの人たちがいます。『ロミオとジュリエット』の物語のように、反対されればされるほど、「私たちの恋愛や結婚には特別な価値があるに違いない」と信じて疑わず、お互いの想いを募らせることになります。
 ところが、親が反対する恋愛や結婚には、必ず問題を含んでいるものです。子どものことを誰よりも身近で見て、理解している親には、子どもに対する愛情から「ウチの子が幸せになれない理由」を本能的に嗅ぎ取っているケースも多いのです。仕事やお金といった条件面はもちろん、本人や家族に対する思いやりなど感情面にいたるまで、わが子が将来、困難におちいったり失敗したりする姿を想像できるのが親というものでしょう。

< 「意地」や「執着」は、離婚を招くもと>
 私が経験した相談事例においても、離婚にいたった夫婦の一定数は「もともと親に反対されて結婚した」と打ち明けます。「自分たちの力で結婚してみせる」という意地や、「結婚相手はこの人以外に考えられない」という執着が親の反対を乗り越えていった結果、結婚して数年たってから「想像していた結婚生活と違う……」「こんなはずじゃなかった……」という違和感が生じます。
 意地や執着による結婚は、二人が結婚できたことで目的は達成されます。目的が達成されれば、その後、永続的に愛情を育んでいくためのエネルギー源もなくなります。そこではじめて冷静になり、「親があんなに反対していたのは、私のことを心配してくれていたからなんだ」と気づくようになるのです。
 もちろん、そこであらためて自分の本当の幸せを考えるのも悪いことではありません。自分の人生で幸せになろうとすることに、「手遅れ」はないからです。
 ただ、「してやったり」という気持ちで“押し切り婚”を決行するよりは、愛してくれるすべての人に祝福されて「ありがとう」という気持ちで結婚するほうが、幸せへの近道であることはたしかでしょう。
(https://allabout.co.jp/gm/gc/489630/)
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あくまでも一般論ですが、結婚を目的とした交際は長続きしません。結婚は二人の人生の始まりだからです。毎日一緒にいることで情熱も冷め、お互いを冷静に見ることができるようになり、欠点も目立つようになります。そこから本当の愛が始まるのです。愛は情熱でなく忍耐です。お互いどれほど忍耐できるかが結婚のカギとなります。

2021年10月17日

#400 ウィルスは自壊する!?

10月も上旬が終わろうとしていますが、日中は30度を超える残暑が毎日続いています。天気予報ではあと1週間ほど厳しい残暑が続くそうです。体調の管理に気をつけたいものです。
 さて、ここひと月ほどで新型ウィルスの感染者数が急激に減少しています。これはワクチン接種が進んだこともありますが、それだけでは明確な理由とはなりません。専門家も首をかしげるばかりです。政府が今度の選挙のために故意に感染者数をコントロールしている旨の陰謀論を主張する者もいますが、ここで新しい仮説が登場しています。ウィルスが自壊するというものです。言葉自体分かりにくいものですが、次のような説明があります。
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『東京都のコロナ新規感染者数 7-9月が「6.9倍と急増→24分の1へと急減」した理由』
 「今年の夏に新規感染者が急増した理由は、緊急事態宣言・まん延防止等重点措置疲れで、感染症対策の気の緩みから人流が増えてマスクの着用や3密回避の行動などがおろそかになった、などといわれてきました。しかし、それだけで7倍近い新規感染者増になるとは考えにくい。そもそも通常のコロナウイルスによる風邪は、冬と夏に流行します。今回はその季節性の要因に加えて従来株よりも感染力が強いデルタ株が出現したからでしょう」
 では、その後に新型コロナの新規感染者数が急に減少したのはなぜか?人流が減ったからではない。都が公表している「東京都内における繁華街の混雑状況および滞在人口(人出)の増減状況」を見ると、お盆の時期を除き、8月以降の東京、新宿、渋谷、品川、立川などのターミナル駅の15時での人出は大きく減っていない。銀座、六本木、池袋など21時での繁華街も同じだ。
 ワクチンのおかげなのか?都の資料によると新規感染者数が減少に向かう8月13日時点での2回接種完了者は60代62.2%、70代81.8%、80代以上81.7%。確かに感染・重症化リスクの高い高齢者のワクチン接種は進んでいたが、全体で見ると27.9%。集団免疫が獲得される状況でもなかった。つまり、新規感染者数激減は、ワクチンだけによるものでもなさそうだ。新規感染者数の激減も、急増と同じくウイルス変異にその原因があったのかもしれない。

<新型コロナウイルスが自壊を始めた?>
「そこで注目されているのがドイツの生物物理学者で1967年のノーベル化学賞受賞のマンフレート・アイゲン博士が71年に発表した『エラーカタストロフの限界』という考え方です」
 ウイルスは増殖する際にコピーミスが起き、変異株が出現する。その中には増殖の速いタイプのウイルスが生まれ、急速に感染拡大していく。ところが、増殖が速ければそれだけコピーミスも増える。結果、ある一定の閾値を超えると、今度はそのウイルスの生存に必要な遺伝子までも壊してしまい、ウイルスが自壊する、という考え方だ。
 アイゲン博士は生物の進化に必要な自己複製に関する数理モデルを解析。複製に際してエラーが起きた際の振る舞いなどについて研究しており、エラー率と進化ダイナミクス(動態)を考察していた。
 つまり7月以降にデルタ株が急速に感染拡大したのは、デルタ株の複製時のコピーミスが増えて変異が蓄積して高い複製能力を獲得したからで、8月半ばにはコピーミスが「エラーカタストロフの限界」を超えたためウイルスの自壊が始まり、急激に感染が減少したのではないか、というのだ。
「この考え通りなら、今後何もしなくても新型コロナウイルスが収束するじゃないか、と楽観する人がいるかもしれません。しかし、これは単なる仮説のひとつに過ぎません。冬にはデルタ株に代わる別の厄介な変異株が流行するかもしれず油断は大敵です」
 いま大事なことは第6波への備えをしつつ、“生物進化のダイナミズムの前ではいまの人間の科学の力は微力であって、いくら頑張ってもこれを完全にコントロールすることなどできない”と知ること。できるだけの感染予防を実践したあとは、明るく生きていくよう努めることではないのか。
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 上記の仮説に関して、たまたまBS-TBSの報道1930(21/9/21放送)を見ていましたら東大名誉教授の児玉龍彦先生が分かりやすく説明されていましたので、興味のある方は次のアドレスにアクセスしてください。
https://youtu.be/TmGfDgds88M
 素人なりに考えてみますと、自然界には急激に増加した種は暴走を始め、その種が滅亡するまで続きます。レミングの集団暴走や、バッタの異常発生など多くの例があります。種の大小に関わらず、発生した種がコントロールか聞かないほどに急激に増えた場合に自然界のバランス(ホメオスタシスと言います)が働いて異常な種を何らかの方法で滅ぼします。今回のウィルス急減に関しても仮説の一つとして考えられるのではないかと推測します。ただし、日本以外の国や地域に当てはまるかどうかは不明です。今後の調査が必要になります。
 とにかく、感染者数が減り、次のコロナ禍が始まるまでに充分な準備をする必要があります。緊急宣言が無くなったからといって、ウィルスが滅亡したわけではありません。変異を繰り返し、人類が免疫を確保するまでこの戦いは続きます。自分の健康は自分で守る必要があります。

2021年10月09日

#399 祝!大牟田市動物園80周年

 新型コロナ緊急事態宣言解除により、多くの人々が観光地へと繰り出しています。今まで外出を控えていた人たちも、近くの公園や催し会場へと家族連れで出かけています。
 そのような中で10月1日に大牟田市動物園が80周年を迎えました。映画「いのちスケッチ」の舞台になった動物園です。この動物園はこんもりとした片平山の中腹に位置し、当塾から歩いて5分ほどの所にありますが、今朝ここに来る前に動物園に行く多くの家族に出会いました。今日は休みなので一日中動物園は多くの親子連れで賑わうようです。ここで「広報おおむた」より動物園のあゆみを転載します。

昭和16年10月 「延命動物園」として開園
昭和31年4月  大牟田産業科学大博物館の開催に合わせて整備され、
        名称も「大牟田市動物園」へ
平成4年4月   リニューアル。敷地面積が2倍ほど拡大し、現在のキリン舎の
        整備が進む
平成18年4月  市営から指定管理者制度へ
平成25年9月  2代目ゾウのハナコ死亡
平成27年3月  園内に動物病院が完成
平成28年3月  雌キリン「プリン」来園
平成28年12月 NPO法人ZOOネットワーク主催「エンリッチメント大賞2016」受賞

 大牟田市動物園の特筆すべき点は「ハズバンダリートレーニング」といわれるものです。これは動物の心身の健康管理など飼育上必要な行動を動物たちに協力してもらいながら行うトレーニングです。このおかげで、定期的な検査による病気の早期発見や効率的な治療を行うことが可能になりました。大牟田市動物園では、多くの動物において実施しており、ライオンやトラ、マンドリル、エミューなどの動物において無麻酔採血を国内で初めて成功させるなどの成果が、全国から注目されています。(広報より)
 また、動物園園長のの椎原春一さんは、「飼育されていても動物たちが必要な行動をできるように、環境エンリッチメントに取り組み、同時に裏方だった飼育員が表に出て、お客様に自分たちの取り組みが伝わるようにガイドを始めました。…(中略)…80年の歴史の中で、動物を取り巻く環境も接し方もずいぶん変わったと思います。お客さまには、動物がどうすれば幸せになれるかを考えることをきっかけとして、自分自身の幸せも考えてもらえる動物園であり続けたいです。」
 ここは県南部では唯一の動物園です。お近くにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。動物園HPは次の通りです。https://omutacityzoo.org/

2021年10月03日

#398 ...の秋

 秋らしい快晴が続いています。秋と言えば「・・・の秋」が思い浮かびます。スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋など、その人の好みに応じて様々な秋が存在します。あなたは今年どの秋を過ごしますか。

 秋の夜長と言えば、「読書の秋」がすぐに思い浮かびますが、仕事や勉強で忙しい日々を多くの人は過ごしており、読書の時間をなかなか確保できないようですが、就寝前の少しの時間を利用して読書したいものです。寝る前に難しい本を読むと頭がますます冴えてきますので、寝つきの良くなる内容の本が最適です。特にお勧めは老若男女にかかわらず、昔読んだ童話や少年少女向きの本です。童話というと大人の読み物ではないという人もいますが、子どもだった時の素直な気持ちを思い出すには昔読んだ本が良いと思います。
 私が好きな童話作家は小川未明です。小川未明を知らない人が多いと思いますが、日本の童話の黎明期に活躍した作家です。今では彼の作品は単なる童話というよりもお店が読んで楽しめる「古典文学」の香りがします。今日は彼の作品の中で、最も知られている作品の1つをを紹介します。
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『牛女』
 ある村に、脊の高い、大きな女がありました。あまり大きいので、くびを垂れて歩きました。その女は、おしでありました。性質は、いたってやさしく、涙もろくて、よく、一人の子供をかわいがりました。
 女は、いつも黒いような着物をきていました。ただ子供と二人ぎりでありました。まだ年のいかない子供の手を引いて、道を歩いているのを、村の人はよく見たのであります。そして、大女でやさしいところから、だれがいったものか「牛女」と名づけたのであります。
 村の子供らは、この女が通ると、「牛女」が通ったといって、珍らしいものでも見るように、みんなして、後についていって、いろいろのことをいいはやしましたけれど、女はおしで、耳が聞きこえませんから、黙まって、いつものように下を向いて、のそりのそりと歩いてゆくようすが、いかにもかわいそうであったのであります。
 牛女は、自分の子供をかわいがることは、一通りでありませんでした。自分が不具者だということも、子供が、不具者の子だから、みんなにばかにされるのだろうということも、父親がないから、ほかにだれも子供を育ててくれるものがないということも、よく知っていました。
 それですから、いっそう子供に対たいする不憫がましたとみえて、子供をかわいがったのであります。
 子供は男の子で、母親を慕したいました。そして、母親のゆくところへは、どこへでもついてゆきました。
 牛女は、大女で、力も、またほかの人たちよりは、幾倍もありましたうえに、性質が、やさしくあったから、人々は、牛女に力仕事を頼たのみました。たきぎをしょったり、石を運んだり、また、荷物をかつがしたり、いろいろのことを頼みました。牛女は、よく働きました。そして、その金で二人は、その日、その日を暮らしていました。
 こんなに大きくて、力の強い牛女も、病気になりました。どんなものでも、病気にかからないものはないでありましょう。しかも、牛女の病気は、なかなか重かったのであります。そして働くこともできなくなりました。
 牛女は、自分は死ぬのでないかと思いました。もし、自分が死ぬようなことがあったなら、子供をだれが見てくれようと思いました。そう思うと、たとえ死んでも死にきれない。自分の霊魂は、なにかに化けてきても、きっと子供の行ゆく末を見守ろうと思いました。牛女の大きなやさしい目の中から、大粒の涙が、ぽとりぽとりと流れたのであります。
 しかし、運命には牛女も、しかたがなかったとみえます。病気が重くなって、とうとう牛女は死んでしまいました。
 村の人々は、牛女をかわいそうに思いました。どんなに置いていった子供のことに心を取られたろうと、だれしも深く察して、牛女をあわれまぬものはなかったのであります。
 人々は寄より集まって、牛女の葬式を出して、墓地にうずめてやりました。そして、後に残った子供を、みんながめんどうを見て育だててやることになりました。
 子供は、ここの家から、かしこの家へというふうに移り変わって、だんだん月日とともに大きくなっていったのであります。しかし、うれしいこと、また、悲しいことがあるにつけて、子供は死んだ母親を恋しく思いました。
 村には、春がき、夏がき、秋となり、冬となりました。子供は、だんだん死んだ母親をなつかしく思い、恋しく思うばかりでありました。
 ある冬の日のこと、子供は、村はずれに立って、かなたの国境の山々をながめていますと、大おおきな山の半腹に、母の姿がはっきりと、真白な雪の上に黒く浮き出だして見えたのであります。これを見ると、子供はびっくりしました。けれど、このことを口に出してだれにもいいませんでした。
 子供は、母親が恋しくなると、村はずれに立って、かなたの山を見みました。すると、天気のいい晴れた日には、いつでも母親の黒い姿をありありと見ることができたのです。ちょうど母親は、黙って、じっとこちらを見つめて、我が子の身の上を見守っているように思われたのでありました。
 子供は、口に出して、そのことをいいませんでしたけれど、いつか村人は、ついにこれを見つけました。
「西の山に、牛女が現われた。」と、いいふらしました。そして、みんな外に出て、西の山をながめたのであります。
「きっと、子供のことを思って、あの山に現われたのだろう。」と、みんなは口々にいいました。子供らは、天気のいい晩方には、西の国境の山の方を見て、
「牛女! 牛女!」と、口々にいって、その話でもちきったのです。
 ところが、いつしか春がきて、雪が消えかかると、牛女の姿もだんだんうすくなっていって、まったく雪が消えてしまう春の半ばごろになると、牛女の姿は見られなくなってしまったのです。
 しかし、冬となって、雪が山に積もり里に降るころになると、西の山に、またしても、ありありと牛女の黒い姿が現われました。村の人々や子供らは冬の間、牛女のうわさでもちきりました。そして、牛女の残していった子供は、恋しい母親の姿を、毎日のように村はずれに立ってながめたのであります。
「牛女が、また西の山に現われた。あんなに子供の身の上を心配している。かわいそうなものだ。」と、村人はいって、その子供のめんどうをよく見てやったのす。
 やがて春がきて、暖かになると、牛女の姿は、その雪とともに消えてしまったのでありました。
 こうして、くる年も、くる年も、西の山に牛女の黒い姿は現われました。そのうちに、子供は大きくなったものですから、この村から程近い、町のある商家へ、奉公させられることになったのであります。
 子供は、町にいってからも、西の山を見て恋しい母親の姿をながめました。村の人々は、その子供がいなくなってからも、雪が降って、西の山に牛女の姿が現われると、母親と、子供の情合について、語たり合ったのでありました。
「ああ、牛女の姿があんなにうすくなったもの、暖かになったはずだ。」と、しまいには、季節の移り変わりを、牛女について人々はいうようになったのでした。
 牛女の子供は、ある年の春、西の山に現われた母親の許しも受けずに、かってにその商家から飛び出して、汽車に乗って、故郷を見捨てて、南の方の国へいってしまったのであります。
 村の人も、町の人も、もうだれも、その子供のことについて、その後のことを知ることができませんでした。そのうちに、夏も過ぎ、秋も去って、冬となりました。
 やがて、山にも、村にも、町にも、雪が降って積もりました。ただ不思議なのは、どうしたことか、今年にかぎって、西の山に牛女の姿が見えないことでありました。
 人々は、牛女の姿が見えないのをいぶかしがって、
「子供が、もう町にいなくなったから、牛女は見守る必要なくなったのだろう。」と、語り合いました。
 その冬も、いつしか過ぎて春がきたころであります。町の中には、まだところどころに雪が消えずに残っていました。ある日の夜のことであります。町の中を大きな女が、のそりのそりと歩いていました。それを見みた人々は、びっくりしました。まさしく、それは牛女であったからであります。
 どうして牛女が、どこからきたものかと、みんなは語り合いました。人々はその後もたびたび真夜中に、牛女さびしそうに町の中を歩いている姿を見たのでありました。
「きっと牛女は、子供が故郷から出ていってしまったのを知らないのだろう。それで、この町の中を歩いて、子供を探しているのにちがいない。」と、人々はいいました。
 雪がまったく消えて、町の中にはその跡もなくなりました。木々は、みんな銀色の芽をふいて、夜もすこし明るくくていい季節となりました。
 ある夜、人は牛女が町の暗い路地に立たって、さめざめと泣いているのを見たといいます。しかしその後、だれひとり、また牛女の姿を見たものがありません。牛女はどうしたことか、もはやこの町にはおらなかったのです。
 その年以来、冬になっても、ふたたび山には牛女の黒い姿は見えなかったのであります。
 牛女の子供は、南の方の雪の降らない国へいって、そこでいっしょうけんめいに働きました。そして、かなりの金持となりました。そうすると、自分の生まれた国がなつかしくなったのであります。国へ帰っても、母親もなければ、兄弟もありませんけれど、子供の時分に自分を育ててくれたしんせつな人々がありました。彼は、その人たちや、村のことを思い出しました。その人たちに対して、お礼をいわなければならぬと思いました。
 子供は、たくさんの土産物と、お金とを持って、はるばると故郷に帰ってきたのであります。そして、村の人々に厚くお礼を申しました。村の人たちは、牛女の子供が出世をしたのを喜び、祝いました。
 牛女の子供は、なにか、自分は事業をしなければならぬと考えました。そこで村に広い地面を買って、たくさんのりんごの木を植えました。大きないいりんごの実を結ばして、それを諸国に出そうとしたのであります。
 彼は、多くの人を雇って、木に肥料をやったり、冬になると囲いをして、雪のために折れないように手をかけたりしました。そのうちに木はだんだん大きく伸びて、ある年の春には、広い畑一面に、さながら雪の降ったように、りんごの花が咲きました。太陽は終日、花の上を明るく照らして、みつばちは、朝から日の暮れるまで、花の中をうなりつづけていました。
 初夏のころには、青い、小さな実が鈴なりになりました。そして、その実がだんだん大きくなりかけた時分に、一時に虫がついて、畑全体にりんごの実が落ちてしまいました。
 明くる年も、その明くる年も、同じように、りんごの実は落ちてしまいました。それはなんとなく、子細のあるらしいことでありました。村のもののわかったじいさんは、牛女の子供に向むかって、
「なにかのたたりかもしれない。おまえさんには、心あたりになるようなことはないかな。」と、あるとき、聞きました。牛女の子供は、そのときは、なにもそれについて思い出すことはありませんでした。
 しかし、彼は独りとなって、静かに考えたとき、自分は町から出て、遠方へいった時分にも、母親の霊魂に無断であったことを思いました。また、故郷へ帰ってきてからも、母親のお墓におまいりをしたばかりで、まだ法事も営まなかったことを思い出しました。
 あれほど、母親は、自分をかわいがってくれたのに、そして、死んでからもああして自分の身の上を守ってくれたのに、自分はそれに対たいして、あまり冷淡であったことに、気づきました。きっと、これは母の怒りであろうと思いましたから、子供は、懇んごろに母親の霊魂を弔らって、坊さんを呼び、村の人々を呼び、真心をこめて母親の法事を営んだのでありました。
 明くる年の春、またりんごの花は真白に雪のごとく咲きました。そして、夏には、青々と実りました。毎年このころになると、悪い虫がつくのでありましたから、今年は、どうか満足に実を結ばせたいと思いました。
 すると、その年の夏の日暮ぐれ方のことであります。どこからとなく、たくさんのこうもりが飛んできて、毎晩のようにりんご畑の上を飛びまわって、悪い虫をみんな食べたのであります。その中に、一ぴき大きなこうもりがありました。その大きなこうもりは、ちょうど女王のように、ほかのこうもりを率いているごとく、見えました。月が円るく、東の空から上る晩も、また、黒雲が出て外の真暗な晩も、こうもりは、りんご畑の上を飛びまわりました。その年は、りんごに虫がつかずよく実って、予想したよりも、多くの収穫があったのであります。村の人々は、たがいに語らいました。
「牛女が、こうもりになってきて、子供の身の上を守るんだ。」と、そのやさしい、情の深い、心根を哀れに思ったのであります。
 また、つぎの、つぎの年も、夏になると、一ぴきの大きなこうもりが、多くのこうもりを率いてきて、りんご畑の上を毎晩のように飛びまわりました。そして、りんごには、おかげで悪い虫がつかずによく実りました。
 こうして、それから四、五年の後には、牛女の子供は、この地方での幸福な身の上の百姓となったのであります。
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 初出が1919(大正8)年5月となっていますので、現在では使用されない表現が使われています。それでも親子の厚い情が窺われる名作です。小川未明の作品には他に「ろうそくと人魚」など多くの名作があります。秋の夜長にお好きな児童文学をお勧めします。

2021年09月26日

#397 風とともに去りぬ

 9月も下旬となり、日中は最高気温が30度を超える日もありますが、朝夕は涼しい風が吹き、最低気温が20度を下回る日も出てきました。残暑がまだ厳しい日々が続きますが、爽やかな秋風と共に暦の上ではすでに秋が始まっています。
 さて、先日16日にデュオグループ「風」の大久保一久さんが死去されました。彼は「かぐや姫」の伊勢正三さんとかぐや姫解散後に「風」を結成し、デビューシングル曲「22才の別れ」は大ヒットしました。この「22才の別れ」は元々「かぐや姫」のアルバム「3階建ての詩」の中の1曲でした。シングル発売の予定がありましたが、なぜか実現しませんでした。このアルバムにはイルカが大ヒットさせた「なごり雪」も入っています。「風」や「かぐや姫」をご存じの方は50歳以上の世代だと思います。70年代当時に多くのファンを獲得したグループでした。
 伊勢正三さんは現在南こうせつさんと「ひめ風」というデュオで時々コンサートを行っていますが、大久保さんの死去を受けて次のような言葉を残しています。
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『伊勢正三、大久保一久さん訃報に感謝を語る』
 昭和のヒット曲「22才の別れ」で知られるフォークデュオ・風のメンバー大久保一久さん(71)が亡くなったことを16日、所属レコード会社が発表しました。
 大久保さんは1975年、かぐや姫解散コンサート中に伊勢正三さんとフォークデュオ・風を結成。デビュー曲「22才の別れ」は累計で100万枚を超えるヒットを記録。その後「あの唄はもう唄わないのですか」や「ささやかなこの人生」など、ヒットを連発し昭和のフォークソングブームを支えてきました。
 近年は、体調不良により活動を休止し治療を続けていましたが、9月12日家族に見守られながら亡くなったそうです。詳しい死因については明らかにされていませんが、16日近親者のみで葬儀が営まれたそうです。
 大久保さんの訃報を受けメンバーの伊勢正三さんがコメントを発表しました。『やさしかった久保ヤンへ』と書き出し『久保ヤンが「猫」、僕が「かぐや姫」のメンバーだった頃、出番前の楽屋の隅でいつも二人でギターの弦を張り替えながら、音楽の話をしたものです。思えばその頃から、すでに、「風」は結成していたんだね。「風」の頃の僕達は、朝から真夜中までいつも一緒だった。再結成しようとしていた矢先に病気で倒れてから、長い間ほんとにがんばったね。そして、朝方眠るように天国へ旅立ったと聞きました。「風」は今でも解散宣言をしていないデュオ。久保ヤンのやさしさがなかったら、「風」は存在せず、僕はただの孤独な男に過ぎなかったのです。ありがとう、久保ヤン。おやすみなさい』と大切な相方へ感謝の気持ちを語りました。
(https://www.news24.jp/articles/2021/09/16/08940614.html)
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 60年代から70年代にかけて活躍したフォークシンガー達も齢70歳を超えるほどになりました。70歳を超えて現役で活動しているシンガーはわずかしかいません。歳を取れば声が出なくなり、作品を創る創造性も衰えてきます。その中でさだまさし氏のように活躍するミュージシャンは稀です。
 年々若いミュージシャンが登場し、それぞれの世代にはその世代にあったアイドルが存在します。個人的には、今の若い世代の唄はあくまでも同世代に訴えるものが大半で、世代を超えた歌はあまりないよいに思います。
 「懐メロ」と言われても、自分が過ごした青春時代に流れていた音楽が今でも心に響く音楽です。時々聴いたり口ずさむことで、古き良き時代の思い出がよみがえってきます。そしてそれが明日への活力となります。大久保さんは「風」とともに去って行きました。ご冥福をお祈りいたします。

2021年09月19日

#396 夏休み子ども科学電話相談

 今年の夏は東京オリンピックやパラオリンピックの中継で通常の番組が大幅に変更になりましたが、毎年夏休みに楽しみにしているラジオ番組があります。大人も聴いてためになるNHKラジオの「夏休み子ども科学電話相談」です。例年でしたら夏休み中午前8時から2時間ほど放送しており、子供からの様々な質問に専門家が答える形式で番組が進みます。その中には大人でも首をかしげるような難問があり、思わずうなってしまいます。大人にとって当たり前のことだと思っていたものが、子どもの視点で考えますと今まで信じていたものが崩壊していきます。そのような質問を一冊の本にして現在出版されています。書名は文字通り『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』(SB Creative サイエンス・アイ新書)です。本日はその中の極めつけの質問と回答を転載します。
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『カガミに映ると反対になるのはどうして?』
(質問者:5歳)
「なぜ、カガミに映ると右左が反対になるのですか?」
(司会)
「ああ、よくありますね。これ、わからないですね」
(回答者)
「カガミに映ったものというのは、右と左が反対になるのではないんですよ。ちょっと難しいですが、前と後ろが反対になるんですね」
(質問者)
「はい……」
(回答者)
「今、カガミはありますか?すぐそばになければ、あとでいいんですけれど、カガミを見てくださいね」
(質問者)
「はい」
(回答者)
「そうすると、カガミの中の……あなたは、どっちを向いているか、ということなんです」
「カガミの中のあなたが、本物のあなたと同じ向きを向いているなら、頭の後ろとか背中が見えるはずですよね」
「でも、実際には顔とか胸が見えるでしょう?ということは、カガミの中のあなたは、本物のあなたと反対方向を向いているんですよ。前と後ろが反対になっているんです。」
「これ、実はすごく難しい問題なんですけれど……。右と左は逆さになってないんですね。前と後ろが逆さなんです。」
----- 他の先生方のため息と感嘆の声が-----
(回答者)
「どうでしょう……。大人でも右と左が逆さまだと思っている人が多いんですけれど……」
(司会者)
「いいですか?」
(質問者)
「はい」
(司会)
「司会のおじさんも、よくわからないんです」
(回答者)
「これを、右と左って感じてしまうのは、人間の体の形が右と左で同じようになってるからなんですね。だから右と左が逆さまと思うんですけれど、カガミで逆さまになるんだったら、上と下も逆さまになるはずなんです」
「でも、上と下は逆さまにならないですよね。難しい言い方ですけど、右と左が反対だと思うのは『錯覚』なんです」
(質問者)
「はい」
(回答者)
「右と左が逆さまに感じるけれど、本当はそうじゃない」
(質問者)
「えええー」
(司会者)
「へえ……。前と後ろが逆さまだと思ってくださいね」
(質問者)
「は……い」
-----その後-----
(司会者)
「いやあ、むずかしいです」
(回答者)
「そうですね。これはすごく難しくて、大人になって大学で、哲学とか物理学という学問で、初めてはっきりわかる問題なんですね。でも、この問題に5歳で気づいたのはすごいですね。」
(司会)
「カガミに向かって右手を上げますよね。そうするとカガミの中では左手を上げたようにみえますよね……。」
(回答者)
「そう感じてしまうんですけれども、右手なんです。」
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 読者の皆様はお分かりになりましたでしょうか。私は何度読み直しても、よく理屈が分かりません。凸レンズを通した像は光の屈折の関係で上下左右が反対になりますので分かりやすいですが、カガミの中で前と後ろが反対になる……?右と左が逆になっていると考えた方が理屈に合うような気がしますが……?とても不思議です。皆様の考えはいかがでしょうか。

2021年09月12日

#395 国民の命を守らない国

 前回のブログで述べましたが、東京パラリンピックも本日が最終日で、閉会式が夜に行われます。様々な競技がテレビ放送などを通して紹介され、日本人アスリートたちが大活躍しています。オリンピックは主に若人の集いですが、パラリンピックは中高年のアスリートたちが頑張っています。50歳以上の選手も稀ではなく、障がいの程度や能力に応じて競技が振り分けられているので、同じレベルの選手が集まり、年齢にかかわらず参加しています。また、日頃あまり目立たない種目も放送され、パラリンピックの種目の多さに目を見張るばかりです。
 このパラリンピックの普及により、障がい者への理解がより深まることと思いますが、パラリンピックに参加できないような障がいの大きい寝たきりの障がい者などへの理解も同時に進めていくべきでしょう。障がい者に優しい街作り、国造りはまだまだ進んでいません。道路や建物などのハード面だけでなく、他者に対する思いやりなどのソフト面も充実させる必要があります。これは私たち一人ひとりの課題です。
 さて、残念な非情に腹の立つ事案が発生しました。先月アメリカ軍の撤退によりアフガンはタリバン政権に取って代わられましたが、その際に日本政府は日本人救出に遅れたばかりに数百人の方が今でもアフガンに取り残されています。
 外務省はかなり早い段階でアフガン情勢を把握していたはずです。また報道でも連日のようにアフガンの危機的な状況を伝えていました。ところが政府が実際自衛隊機を派遣させたのは首都カブール陥落する直前でした。これでは国外退避どころか、地方にいる日本人たちがカブール空港に集まるのは不可能です。
 アフガンにある日本大使館は政府と逐次連絡を取っていたのでしょうが、あまりにも政府の無能・無策に腹が立ちます。これは新型コロナ対策にも言えます。アフガンにしても、コロナにしても政府は非常事態の意味が分かっていないのです。すべて段取りに時間がかかる平時の行動様式を取っています。アフガン撤退に関して興味ある記事がありましたので、かなり長い記事ですが転載します。
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『日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由』
 自衛隊にとっては歴史的な任務だった。8月23、24日に、数百人の自衛隊員が拍手に送られ、行進しながら3機の軍用機に乗り込んだ。指をズボンの縫い目に当て、まるで戦地に向かうかのようだった。最終目的地はアフガニスタンのカブール。目的は現地に残る数人の日本人を帰還させ、日本に関係する約500人のアフガニンスタン人を国外退避させることだった。

<約500人のアフガン人を保護する予定だった>
 今回の退避作戦が成功していれば、自衛隊による初の外国人救援になっていただろう。救援したアフガニスタン人に対して、定住者ビザを発行していれば、移民の受け入れについては世界からかなり後れをとって批判されている日本のプラスになったかもしれない。
 日本が保護することを考えていたアフガニスタン人500人は、通常時の約16年分の亡命件数(2005年から511件)に相当する。2020年に日本が許可した数が47件だったことを考えるとかなりの数だ。
 だが、残念ながら作戦は完全に失敗に終わった。このためにパキスタンに3機の自衛隊機を送ったが、脱出させることができたのは日本人1人だった。このほか14人のアフガニスタン人を搭乗させたが、彼らはアメリカ人に雇われていた人たちであり、今回の作戦の対象となった人は誰1人カブール空港にでさえ到着できなかったのだ。
 「考えうる最悪の退避オペレーション。派遣された自衛隊員、米軍兵士らに責任はない。限界以上のことをしている。各政府の見通しと計画の問題」と、紛争の予防に尽力する国際NGO、REALsの瀬谷ルミ子理事長はツイッターにこう書いた。「搭乗予定だった数百名の個人情報は検問を通るためという理由でタリバンに提出されている。それが何に使われるか」。
 今回の成果は、韓国と比べてもかなり見劣りする。韓国人に雇われたアフガニスタン人とその家族391人は8月26日にソウルに到着し、長期滞在許可証を取得する予定だ。
 いくつかの報道によると、自衛隊は日本に雇用されているアフガニスタン人をその場で脱出させようと試みた。26日、十数台のバスをカブール市内の各所でチャーターしたが、輸送と同時に空港付近でテロが起こったため、その任務を中止せざるを得なくなったのだ。今回帰国した唯一の日本人である共同通信社の安井浩美氏は、ジャーナリスト用にカタールがチャーターしたバスになんとか乗ることができたという。
 この失敗から学べる教訓はあるだろうか。自衛隊法第84条の3または第84条の4は、邦人、および外国人を避難させるための法的根拠である。これらの条項は、現地当局の同意、または活動状況の安全性が確かであることを求めているが、今回の場合、例えばタリバンの同意を得ることは現実的ではないなど、法律の限界を指摘する声も少なくない。
 だが、瀬谷理事長が述べている通り、今回の失敗は軍事ではなく、政治的な失敗だ。「カブールが陥落したのは15日だが、政府がアフガニスタン入りを決めたのは23日。日本のアフガニスタン入りは遅すぎたし、行動を起こすのも遅すぎた」と、安全保障問題に詳しい慶應義塾大学総合政策学部の鶴岡路人准教授は指摘する。
 自衛隊の動きが遅かったのは今回だけではない。「2013年にフィリピンでハイエン台風が起こり、日本が『緊急援助隊』をフィリピンに送った時、自衛隊は大災害の2週間後に到着した。自衛隊はあまり多くの人々を救助できなかった」と、ある外国の軍事関係者は振り返る。
 「自衛隊は8月25日に到着した。アメリカ軍撤退予定日のわずか1週間前だ。フランスの最後の飛行機はその1週間前に到着している」と、フランスの軍事関係者も話す。
なぜ日本政府が動くのはこんなにも遅かったのか。残念ながら、日本政府は日本人に協力してきたアフガニスタン人について何も考えてなかったように見える。
 実際、日本大使館の職員12人は8月17日にイギリスの軍用機を利用して国外退避した。この時、アフガニスタン人のスタッフが1人も同乗していない。
 「いったん外交官の退避が終わると、『任務は完了した』という安堵感が漂った」と、鶴岡准教授は指摘する。「政治家たちの注意力は低いままだったが、自民党議員に背中を押され、他国の作戦を目の当たりにしてやっと、政府はアフガニスタン人の同僚たちも救出されるべきではないかと気がついた」。
 岡田隆駐アフガニスタン大使は、ガニ政権崩壊までにアフガニスタンを離れていたと伝えられている。イギリスやフランスの大使が、最後まで残って業務を続けたのと対照的だ。

<フランスは今春から退避計画をしていた>
アメリカ軍が撤退することはすでに前トランプ大統領時に決められていた。タリバンによる全土掌握が予想以上に早かったとはいえ、日本政府が事前に準備することはできなかったのだろうか。
 「そもそもフランスが本国への送還を始めたのは、この状況が予測できるようになってきた今春のことだった。まず、大使館の現地職員とその家族を脱出させ、7月には残りのフランス人を送還するための特別便を計画した。このため、8月15日以降の避難活動は、アフガニスタンの一般市民と、7月の便での帰国を拒否した一部のフランス人が中心となっている」と、フランス人らの退避に携わったフランスの外交官は説明している。
日本大使館や日本の関係機関へ協力してきたアフガニンスタン人は今も危機にさらされている。日本政府にはこうした人たちを救うために、引き続き尽力してもらいたい。
(東洋経済ON LINE: https://toyokeizai.net/articles/-/451919)

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 日本政府は国内の事件や災害に対する対応は確かに早いですが、国外の事案になると極端に対応が遅くなります。これは領土問題や外交に関する問題なども同様の対応を行う傾向があります。北方領土や尖閣列島、竹島の問題が進まないのも政府の積極的な対応を行わなかったことに起因します。残された方々の安否が懸念されます。
 現在試行中も新型コロナに対する対応も、ワクチン接種以外は遅々として進んでいません。自宅待機者が10万人を超え、自宅で亡くなる方も増えています。海外では「野戦病院」を各地に作り、増加する患者に対応してきましたが、日本では多くが民間の病院で、患者の受け入れを断る病院が少なくないと報じています。政府は諸問題が山積していますが、ワクチン接種だけでなく、「野戦病院」を設置して現在の緊急課題である多くの自宅待機者を救うべきです。これでは国民の命を救う政府・国家とは言えません。誰のための国でしょうか。

2021年09月05日

#394 素晴らしき挑戦者たち

 8月も間もなく終わりを告げますが、夏の終わりとともに晴天が戻ってきました。残暑というよりも猛暑の続きと表現する方が適切かもしれません。とにかく奇妙な8月でした。高校によってはすでに2学期が始まっていますが、甲子園は雨天続きの試合日程変更で本日が決勝戦となります。
 さて現在パラリンピックが開催されていますが、ここでも多くの日本人アスリートが活躍しています。NHKは前回のパラリンピック放送枠を大幅に拡大して連日朝から晩まで様々な種目を放送しています。パラリンピックは前回(1964年)の東京オリンピックから始まったそうですが、当時あまり報道されず、人々の関心もそれほどなかったようです。それから60年余りが経ち、時代とともに障がい者に対する偏見や誤った認識も変わり、今では普通のアスリートとして世間に受け入れられるようになっています。
 実際様々な種目を観戦していますと、健常者にはできないような種目がたくさんあります。例えば視力障がい者のゴールボールやブラインドサッカーでは、ボールの中に入っている鈴の音を頼りにボールを投げたり、蹴ったりして得点を競い合います。もちろん全員アイシェイド(目隠し)を着用して競技しますが、常人には不可能なスポーツです。他の種目でも障害の程度により競技種目が細かく分類されており、オリンピック競技と違った意味で面白く観戦できます。
 障がい者(以前は障害者と表現していました)という表現ですが、パラリンピックを観戦しながら、「障害」というよりも「個性」という印象が強く、果たして健常者と障がい者の違いは何かと考えざるを得ません。あるパラアスリートは「自分が失った身体の部分を今では当然のこととして受け止めており、無くしたものを嘆くのではなく、残されたものを活用して生きている」旨の発言をなされています。
 世の中も障がい者に対する意識が向上し、様々な面で障がい者に対する施策が行われ、以前に比べると暮らしやすい社会に成りつつありますが、それでも不便な生活を強いられる場面が多々あります。健常者としては普通のことでも様々な障がいを持つ人々にとって住みにくい世の中ですが、建物や道路などのハード面だけでなく障がい者に対するに思いやり等のソフト面も充実させなければなりません。
 障がい者を表現する英語の表現はいくつかあります。a handicapped person や a disabled person などが用いられていますが、文字通り「障害」を意味する否定的な表現なので、最近では a challenged person を用いる傾向があります。この challenged は「挑戦(challenge)」という名詞の形容詞ですが、「人生の課題や難題、障害に挑戦する」という良い意味で最近使われ出しています。つまり、障がい者は「挑戦者」ということになります。最近、「障害者」を「障がい者」で表現するようになりましたが、英語のように思い切って「挑戦者」と表現してはいかがでしょうか。何に対する挑戦者か。自分に与えられた「障がい」という個性に挑み、人生を謳歌する意味での「挑戦者」です。「目くら」などの「差別語」を無くすことには、その言葉に歴史的・伝統的な背景や意味合いがあり、私個人は必ずしも賛成しませんが、新語を創り出すことにより、現代の状況に応じた適切な表現を用いることができます。換言すれば、私たちが用いる言葉を変えることにより、障害者に対する私たちの意識は変わっていきます。その意味で「障がい者」は「素晴らしき挑戦者」なのです。

2021年08月29日

#393 近くて遠い国

 私たち日本人は中国や韓国に対して近親感を感じながら、両国政府の日本に対する態度に不信感を感じざるを得ません。同じアジアの国でどうしてこれほどの国家間の違いが生じるのでしょうか。私たちは自国の考えや立場で隣国を考えようとしますが、民族や文化が異なれば、当然相手の態度も変わってきます。ここに外交や政治の困難さが発生します。
 太平洋戦争が勃発する以前に日本の敵国になったアメリカは徹底的に日本人の思想や文化を研究し、それを戦争へ大いに活用しました。その代表作がルース・ベネディクトの「菊と刀」です。この書物は当時の日本人を考え方を如実に物語っており、一読をお勧めします。それでは外交を行う際に中国人や韓国人の考え方を日本政府および政治家はどれだけ理解しているでしょうか。評論家である石平氏は次のように指摘しています。
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『中韓と日本は「異質の文明」』
《日本と中国・韓国との比較論について書いた著作も多い。同じ北東アジアで、儒教の影響を受けてきた共通点がある3つの国の「違い」は何か》
 確かに同じ北東アジアに位置し、儒教の影響を受けていたり、漢字(を基本とした言語)を使ったりするといった類似点はあるでしょうが、よく言われるような、「同文同種の文化」「一衣帯水の地」というのは誤解でしょう。文明の本質で言えば、日本と中韓は「異質」と言っていいほど違いがあります。
 まずは、国としてのあり方の違いです。日本は明治維新によって、いち早く近代化を成し遂げることに成功しました。「法の支配、自由、人権、民主主義」といった価値観を持つ法治国家となったのです。
 これに対し、中国や朝鮮半島の国(韓国、北朝鮮)はどうでしょう。平然と国際法のルールや国家同士の約束事を無視し、権力者の意向次第で政治が左右される。法治国家とはいえず「人治」です。

《日本人は「公」を重んじるが、中韓に「公」の意識は薄い》
 これまでも触れてきましたが、中国では、儒教の影響を受けた宗族(そうぞく)(父系の血縁社会)主義の下、一族の繁栄のみを追い求めてきたのです。歴代の王朝を見ても、漢王朝は劉氏、唐王朝は李氏…と、それぞれ一族(私)の政権であり、国家などという「公」の意識はまずありません。
 現代の中韓でも、かつての皇帝のごとく、国家主席や大統領が「一族の長」として絶大な権力を握り、人事や権限を独占している。利権やポストの〝甘い汁〟を求めて一族の連中がぶら下がり、一族丸ごとによるケタ違いの不正蓄財がなされる構図です。
一方の日本は、「私」よりも国家、会社といった「公」を大事にしてきました。順法精神や道徳心も高い。
 皇帝など絶対権力者にではなく、天皇―幕府―各藩といった多元的な権力構造を構築したこともよかった。このシステムは、聖(宗教)・俗の権力が分かれていた西欧に、むしろ似ていると思います。

《日本は「科挙(かきょ)」(儒学による中国隋(ずい)~清(しん)まで続いた官吏登用試験)を取り入れなかった。そこが、中韓との違いになった、という》
 試験に合格すれば、官吏になれる「科挙」は一見、公平なチャンスが与えられる制度のように見えます。ところが、科挙至上主義に陥り、それ以外の道はさげすまれました。とくに商人や職人がないがしろにされたことで「中間層」が育たなかったのです。
 一方、科挙を導入しなかった日本は江戸時代に町人文化が花開きます。庶民層も「読み書きそろばん」を身につけ、商工業が発達し、自由な発想が育つ。それが明治以降の近代化につながっていきます。
 日本は中国と距離を置いていた時代ほどよかったのです。遣唐使を廃止した平安時代。鎖国の江戸時代。「脱亜入欧」を掲げた明治期も、日露戦争まではよかったのですが…。日本の失敗は「中韓が同じ思想、同じ文明の持ち主」と誤解してしまったことにあるのです。
(https://www.sankei.com/article/20210805-BS2JXUX2ONM6BIGQYKM
                                ZHFEDOQ/)
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 テレビでは毎日韓国や中国の歴史ドラマを放送していますが、この両国に対して私たちはどれほどの認識を持っているでしょうか。韓国文化の根底には「恨(はん)」の思想があり、先祖が受けた恥辱は子孫がはらす考えがあります。これが慰安婦問題や、さらに400年前の秀吉による朝鮮出兵への恨みとなっています。
 一方中国は「三国志」に代表される「兵法」の国です。いかに敵をごまかすか、いかに戦わないで勝つかを常に考えます。この考えは現在の共産主義中国にも当てはまります。尖閣列島問題しかり、香港問題しかりです。隙を見て相手の弱点を突いてきます。韓国政府や中国政府と交渉する際には一筋縄ではいきません。相手国の思想や文化、歴史的な関係性を考慮しないと、外交交渉はうまくいきません。政治家はその点しっかりと勉強して外交交渉に望んてもらいたいものです。外交交渉の可否は今までの歴史がすべて物語っています。

2021年08月22日

#392 異常な夏

 8月を迎えても不安定な天気が続いていましたが、10日頃より断続的に雨が降り出し、徐々に豪雨へと変わっていきました。今回の豪雨は九州地方だけでなく、広島や近畿地方、さらには岐阜県など信州地方から東北へと全国的に降り続き、多くの場所で大災害を引き起こしています。現在は前線が九州南部へ下がり小康状態ですが、明日の未明からまた大雨が降り始めると予想されています。
 昨年の7月に大牟田は水害に襲われ、諏訪川の排水ポンプが停止し、三川地区は浸水しましたが、今年は新たに排水ポンプを設置してフル稼働のおかげで、深刻な水害は現在のところ防がれています。しかしながら今回の豪雨は九州北部に線状降水帯が長期にわたって居座り、長崎、佐賀の多くの市町村、福岡も久留米や朝倉など大きな水害が生じています。被害に遭われた多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。
 さて、日本で発生している大雨による災害は世界中の多くの地域でも発生しています。例えば現在猛威を振るっている梅雨前線ですが、インドの北部から始まっており、中国南部を通って日本まで伸びています。中国政府は自国に不利な情報は発信しませんが、中国の南部では数か所のダムが決壊し、多くの村が水害に見舞われています。またダムの決壊を防ぐために中国軍が川縁をダイナマイトで壊し、川の流れを変える荒々しい方法を使用しています。その周囲の村落は大迷惑ですが、数年前に事故を起こした中国新幹線を地中に埋めたことを考えると、ダムの決壊を防ぐ意味で川縁を破壊することはありうると思います。
 またヨーロッパでは数週間前の豪雨でドイツやフランスなど多くの国が洪水に襲われ、多くの犠牲者を出したことは記憶に新しいところです。また現在ギリシャでは大規模な山火事に見舞われています。専門家の意見では、今年の自然災害は地球を周回しているジェット気流の蛇行が原因だそうですが、地球温暖化も一因となると思われます。
 地球温暖化については様々な意見がありますが、人類が産業革命以来使用している石油や石炭など化石エネルギーが地球の温度を上昇させている主な原因となっています。換言すれば、人類が今までの生き方を変えない限り、今年のような自然災害が来年以降も続くことになります。現在世界中の政府やマスコミが「SDGs」(持続可能な発展目標)を声高に叫んでいますが、はたして可能でしょうか。国際連合広報センターのHPには次の文言が載っています。
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持続可能な開発目標(SDGs)とは、すべての人々にとってよりよい、より持続可能な未来を築くための青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します。SDGsの目標は相互に関連しています。誰一人置き去りにしないために、2030年までに各目標・ターゲットを達成することが重要です。
(https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/31737/)
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詳細な説明は省きますが、SDGsには17の目標が設定されています。

・貧困をなくそう
・飢餓をゼロに
・すべての人に健康と福祉を
・質の高い教育をみんなに
・ジェンダー平等を実現しよう
・安全な水とトイレを世界中に
・エネルギーをみんなにそしてクリーンに
・働きがいも経済成長も
・産業と技術革新の基盤をつくろう
・人や国の不平等をなくそう
・住み続けられるまちづくりを
・つくる責任つかう責任
・気候変動に具体的な対策を
・海の豊かさを守ろう
・陸の豊かさも守ろう
・平和と公正をすべての人に
・パートナーシップで目標を達成しよう

 しかし、いくら立派なお題目を唱えても、私たち一人ひとりの意識が変わらない限り、この惑星を維持できないでしょう。否、私たちが地球を維持するのではなく、この惑星が私たち人間をふるい落としにかかるでしょう。今蔓延している新型コロナ以上に高い致死率を持った感染症が人類を絶滅させるかもしれません。地球にとって現在の私たちは「ガン」そのものなので、自然と共存する生き方を考え実践しない限り、現代文明は終わりを迎えることになります。

2021年08月15日

#391 世紀の大誤訳!?

 オリンピック招致から様々な物議を醸した東京オリンピックですが、今日ですべての種目が終了し、今晩閉会式を迎えます。その間新型コロナの急速な蔓延に伴い、国内は毎日1万人以上の新規感染者が生まれています。東京オリンピックの総括は別の機会に述べることにして、オリンピック開会式に関して大変興味のある記事が昨日ネットに出ていました。「国家元首によるオリンピック開会宣言の日本語訳が間違っている」、ということなのです。実際、この記事を転載して皆様に読んでもらいたいと思います。
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『東京五輪、天皇陛下はJOCの「誤訳」をさり気なく訂正
                開会宣言に垣間見えた元首の器』
 コロナ禍で国民に寄り添い、「祝う」を「記念」に変えたことで注目された天皇陛下の東京五輪の開会宣言。実は、気づく人はほとんどいなかったが、陛下はJOCの誤訳を、人目につかぬよう訂正していたのだ。平成の天皇陛下の侍従として、記者会見の英訳を担当していた多賀敏行元チュニジア大使が、令和の天皇が見せた「元首の器」を語る。
 東京五輪の開会式のあと、天皇陛下の宣言とJOCが五輪憲章で公表する和訳を見比べていた元チュニジア大使の多賀敏行・大阪学院大学教授は、あることに気づいた。
「7月23日に天皇陛下が述べた開会式の宣言は、JOCの誤訳を、さり気なく訂正なさっている」
 そもそも開会宣言は、仏語と英語でかかれた五輪憲章の原文に明記されている。日本オリンピック委員会(JOC)によって和訳された宣言文を、開催国の元首が読み上げることになっている。東京五輪の開会式では、次のとおり宣言文を読み上げた。
「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」
 コロナ禍に配慮した天皇陛下が、規定文の「祝う」を「記念」に変えたことだけが注目された。実は、天皇陛下は、重要な「誤訳」を訂正していたのだ。JOCが公表する「五輪憲章2020年版・英和対訳」を見てみよう。

「わたしは、第(オリンピアードの番号) 回近代オリンピアードを祝い、(開催地名)オリンピック競技大会の開会を宣言します」

 何が違うのか。多賀教授の解説によると、天皇陛下の実際の宣言では、天皇である「私」の行為は、「宣言する」のみだ。一方、JOCの和訳では、「私」は、「祝う」ことと「宣言する」という二つの行為をしていることになる。ちなみに、「オリンピアード」とはオリンピックが始まるべき年から4年間の期間を意味する。宣言に登場する第32回は、2020年から23年までの4年間のことだ。
「コロナ禍に配慮して、『記念する』という言葉を使われたことに注目が集まりました。しかし、もうひとつ重要なことは、文の構造を取り違えた重大な誤訳について、騒ぎにならないよう、さり気なく訂正されているという点です」原文とそれを訳したJOCの日本語版を詳しく比較してみよう。

「『祝う』という動詞に注目しましょう。ここでは何が何を祝っているのでしょうか。JOCの日本語版では、天皇陛下である『私』が『第32回オリンピアード』を祝っていることになります」(多賀教授)
 多賀教授が注目するのは、英文のこの部分だ。

<……..the games of Tokyo celebrating the 32nd Olympiad…………>

 つまり、「東京大会」が「第32回オリンピアード」を祝っているのは一目瞭然だ。
 JOCの和訳のように、天皇陛下である「私」が「オリンピアードを祝っている」わけではないのだ。
 多賀教授は、このことは五輪憲章の仏語版を見れば疑問の余地はない、と話す。というのも、五輪憲章の規則22付属細則3は、仏語版が優先される旨を記しているからだ。
 《オリンピック憲章およびその他の IOC 文書で、フランス語版と英語版のテキスト内容に相違がある場合は、フランス語版が優先する。ただし、書面による異なる定めがある場合はその限りではない》
 仏語版の宣言文を見てみよう。

《Je proclame ouverts les Jeux de… (nom de l’hôte) célébrant la…
(numéro de l’Olympiade) Olympiade des temps modernes.》

 多賀教授は、「私」が主語で、「オリンピアードを祝っている」のならば gérondif を使って「en célébrant」としなければならない、と分析する。しかし、上記のように仏語版では前置詞の「en」 が無く、ただの「célébrant」になっている。
 このcelebrant が、直前の東京大会(les Jeux deTokyo)を修飾していることは明らかである、と指摘する。
 わかりやすいように、7月23日の開会式の実際に陛下が口にした宣言をもう一度、確認してみよう。天皇陛下は、「祝う」を「記念する」に変えて、次のように述べた。

「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します。」
 
 やはり、「この記念する」、が修飾するのは、「東京大会」だ。AERAdot.編集部は、「五輪憲章2020年版・英和対訳」に掲載された宣言文における、誤訳の可能性について、JOCに問い合わせた。すると広報からは、メールでこんな返事が返ってきた。

<お問合せいただきましたオリンピック憲章の件につきまして下記のとおりご回答いたします。第18回オリンピック競技大会(1964/東京)公式報告書によりますと開会宣言として

「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します。」

 とあります。従って、我々は、オリンピック憲章においてもこの和訳を使用しております。以上、何卒宜しくお願い致します。
 日本オリンピック委員会広報部 >

 多賀教授は、英語学習についての著書を何冊も執筆している。そして、日本オリンピック委員会(JOC)の回答についてこう話す。「JOCのスタッフに、英語に専門的に習熟した人が居ないのでしょう。この和訳は、高校レベルの英文法ですし、英検2級の合格者でも理解できる人はいると思います。
 何より、ここで問題にしているのは、celebratingという、現在分詞の主語は何かという点です。昭和天皇が宣言していたから問題ありません――というロジックで切り抜けようという思惑であれば、あまりにお粗末です。こうして丹念に英仏日の宣言文を比較、検証してみると、64年の東京五輪では、昭和天皇に誤った翻訳の宣言文を読み上げさせてしまった、ということになります」
 多賀教授は、平成5年から8年まで当時、天皇だった上皇さまの侍従として仕えていた。当時、天皇であった上皇さまの記者会見を、御用掛を務めていたアイルランド人の学者と一緒に、英語に翻訳するのも仕事だった。多賀教授は、上皇ご夫妻はもちろん、いまの天皇陛下も言語に対する感性が鋭敏だと話す。
 「天皇や皇族方は、ご自身の言葉を最適な表現に翻訳して伝えることの重要性を何より、理解なさっている方々でした」
 多賀教授が思い出すのは、言語に対する感覚の鋭敏さを表す次のようなエピソードだ。
 皇太子時代に執筆した『テムズとともにー英国の二年間-』(学習院教養新書)。そのなかで、オックスフォード大学への留学中に、テニスの試合における得点の数えかたについて興味を持ったエピソードが登場する。たとえば、15対0のとき、英語で「fifteen  love」と表現する。0をなぜ「love」と呼ぶのか。好奇心を持った徳仁皇太子が、英国人の指導教官にたずねると、フランス語の「œuf(卵)」から来ていることが分かった。「0(ゼロ)」の形をした卵から、ゼロを表現したことを突き止めたのだ。「œuf(卵)]に定冠詞が付くとl’oeufになり、発音はloveに近づく。
 「その謎解きの過程を語られる筆致がユーモアにあふれ、とても楽しかったのを思い出しました。私がバンクーバー総領事を務めていたころ、徳仁皇太子がお立ち寄りになったことがありました。著書に書かれていた、卵とゼロの話題をしたところ、皇太子殿下も喜んでおられました」
 平成の時代、明仁天皇は、ご自身の記者会見の内容が、迅速に正しい英語に翻訳されて発表されることを願っていた。侍従を務めていた多賀教授らの翻訳作業は、深夜に及ぶことも多かった。
 「翻訳作業は、陛下のご発言の一文一文をきめ細かく分析し、正確な英語表現を複数考えて最適の解を探してゆかねばならないからです」(多賀教授)
 ある晩、人の気配を感じてふと、顔を上げると、すぐ目の前に明仁天皇が、ほほ笑みながら立っていたという。
「どうですか」
 翻訳と格闘していた御用掛にこうたずねた。 記者会見で発言した日本語が、どのような英文になっていくのか、ご興味があったのだろう。同時に、それにもまして、夜遅く自分のために仕事をしてくれる人たちをねぎらいたい、そんなお気持ちが強かったのだと思う、と多賀教授は振り返る。
 ひるがえって、令和の天皇陛下はコロナ禍で開かれた五輪の開会宣言では、国民の思いに寄り添う形で、「祝う」という言葉をさけた。
 さらに宣言文の「誤訳」について、多賀教授はこう推し量る。「五輪憲章の『誤訳』の件で誰かが傷ついたり、責任を問われることのないように、というのが陛下の一番の願いであったと思います。そうしたなかでも正しい日本語として宣言できるよう、人目につかないように、ひっそりと訂正なさったのだと思います」
(https://dot.asahi.com/dot/2021080600079.html?page=5)
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 英語を教えている立場からすると、基本的な英語の誤訳です。このような誤訳が様々な文書で多数発見されるのではないでしょうか。特に商取引ではわずか1語の誤訳で契約全体に大きな影響を与えます。国際大会での宣言のような重要な文言では、複数人数で原稿を何度も確認して誤訳を防いでもらいたいものです。

2021年08月08日

#390 コロナ禍のオリンピック

 今日から8月です。8月にしては珍しく午前中大雨が降っていました。唐津市では短時間大雨警報が出たほどです。例年この時期は雲一つない真夏の青空がまぶしいほどですが、今年は太平洋高気圧が偏って張り出していますので、高気圧の縁を回って湿気が日本に回り込んでいます。そのために各地で雷雨や落雷などの不安定な天気をもたらしています。
 さて、オリンピックも後半戦に入り、陸上競技が始まりました。日本選手の大活躍もあり、マスコミもオリンピック開催反対をひるがえし、今ではオリンピック報道一色に豹変しています。しかし、残念ながらオリンピックの裏側で新型コロナ(特にインド株)が急増しています。東京ではここ数日新規感染者が4000人を超え、改めて非常事態宣言が東京都その周辺の各県に発出されました。
 最初は海外から様々なコロナ株が持ち込まれることを懸念してオリンピック関係者や選手たちに「バブル方式」と呼ばれるコロナ対策を実施してきましたが、皮肉なことに国内の新コロ急増がかえって世界中にインド株を拡散させるのではないかとの懸念で満たされています。
 また酷暑の中でのオリンピック開催には海外のマスコミから次のような批判が出されています。
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『東京の夏は理想的?「うそつき」と海外メディアから批判』
(朝日新聞社 2021/07/30)
「五輪が開催される東京の夏は温暖で、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候です」。東京大会の招致委員会が2013年、国際オリンピック委員会(IOC)に提出した立候補ファイルでこう説明していたことに、現在、海外メディアから批判の声が相次いでいる。というのも、開催中の東京五輪では、酷暑に苦しむ選手の姿が目立っているからだ。
 米ネットメディアのデイリー・ビーストは26日、立候補ファイルの説明について、「この時期の東京に行ったことがある人なら誰でもわかるように、それはよく言えば楽観的、最悪な言い方をすればうそだ」とする記事を配信した。IOCに対しては、「なぜこれを真実として受け入れたのだろうか?」と疑問を呈した。
 こうした事態が起きる背景には、大会の招致には巨額の費用がかかるため、絶対に招致を成功させなければならない事情があるからだと指摘した。
 そして記事の末尾には、スポーツコラムニストのダン・ウェツェル氏の言葉を引用した。「日本は天候について謝る必要はない。しかし、アスリートがこの環境で疲弊し続けることについては、全ての人に謝らなければならない。地獄のようにうそをついたのだ」
 米ウォールストリート・ジャーナルは25日、「東京の、時に過酷な夏の気候は、大会招致が決まった2013年当時から心配されていた」と指摘。その上で、「今まで経験した中で最悪の暑さ」「この湿度は残忍だ」などとするアスリートの言葉を紹介した。
 さらに「東京大会の主催者は、暑さの問題を小さく扱おうとしてきた」と、招致委を批判した。
 英紙ガーディアンも20日に配信した記事で、19年にマラソンの開催場所が東京から札幌に変更されたことに言及。その理由として、「7~8月の気候が『穏やか』で『アスリートにとって理想的』だとする東京側の主張への疑念」があったと強調。前回の1964年東京五輪では、暑さを避けて10月開催だったと指摘した。
(https://www.msn.com/ja-jp/news/sports/)
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 日本の真夏はスポーツに適していないのは明らかです。もちろん、その酷暑の中で高校野球やインターハイなどの全国大会が行われていますが、これらのスポーツの実施時期も考えるべきだと思います。日中の気温が35度を超える最近の日本の夏は最高気温が30度前後だった昔の夏とは全く異なります。あくまでも選手の身体的かつ精神的健康を考えて実施時期を考慮すべきです。
 東京の酷暑を避けて札幌でマラソン・競歩が行われますが、皮肉にも今年の北海道は東京と同じような35度を超える記録的な猛暑となっています。実施時間等を再考し、選手に熱中症が出ないように対策を取るべきです。
 オリンピックも残り1週間です。これ以上コロナが広がらないように、また選手に感染しないことを祈るばかりです。

2021年08月01日

#389 東京オリンピック始まる!

 コロナ禍での東京オリンピックがいよいよ始まりました。開会式が行われるまでに競技場デザインの変更や、エンブレムの盗作疑惑、女性蔑視問題など幾度となく不祥事を起こした東京オリンピックでしたが、緊急事態宣言の中でようやく始まりました。日本選手の活躍が素晴らしく、すでに水泳や柔道などメダルの報告が届いています。オリンピックが始まったからには最後まで大きな事故や事件が発生せずに無事に終了してもらいたいものです。
 様々な異なる意見がある中で、開会式が行われました。私は授業をしていましたので、開会式すべてをリアルタイムで見ていたわけではありませんが、日本らしい様々な工夫をしていたようです。開会式のメインは選手入場なので、長すぎるスピーチや意味の分からない寸劇は嫌われます。また各関係者は5分以内のスピーチで充分です。そうしないと4時間を超える開会式は選手にとり大きな負担となります。また寸劇も世界に理解される寸劇でないと、何をやっているのか意味不明な退屈な時間となります。開会式を欠場し、各自の出場種目に集中する選手さえいるほどです。無駄とは言いませんが、コロナ禍の折、シンプルで洗練された開会式の方が選手にも、また見ている視聴者にも有難いものです。
 さて、この開会式を世界がどのように見ていたか分かる記事をご紹介します。
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(パンドラの憂鬱より)
『海外「日本らしさが全開だった」東京五輪の開会式の演出に海外からの絶賛の声が殺到に』
■ Wow, wow, wow!
  今の難しい状況の中でオリンピックを開催して、
  不可能を可能にしてくれた美しい日本の人々に、
  ありがとうと伝えさせてください。 +53 フランス
■ ありがとう日本。
  感動的で、美しい開会式でした!❤️ +61 オーストラリア
■ ピクトグラムのシーンがかなりクリエイティブだった!
  とにかく可愛かったし。OMG😆 +102 マレーシア
   ■ あれ良かったよねぇ。
     日本のバラエティ番組のスタイルだね😍 +6 アメリカ
■ 逆境の中で開会式を成功させた強い心と忍耐力に感動した。
  もちろん会場に行けなかったのは悲しいけど、
  テレビで観られただけで十分です❤️❤️❤️ +28 アメリカ
■ 正直日本であればもっと良い開会式に出来た気もする。
  競技はもっと面白いものになるといいな。 +13 トルコ
   ■ 私は文化的な開会式だったと感じた。
     そもそも開会式は何かを誇示する為のものではない。
     日本の文化を理解している人の多くは、
     実に日本らしい開会式だと思ったはずだよ。 +12 イギリス
■ ドローンの演出は目を疑うほど素晴らしかった。
  ニッポンはアメージングな仕事をやってくれた! +18 バングラデシュ
■ 本当に素晴らしい開会式だった。
  観客がいない中でオリンピックが持つ強いメッセージを伝える、
  心に響く一連の芸術的演出は見事だったよ。 +5 オーストラリア
■ ドラゴンクエストとファイナルファンタジーの曲が流れて驚いた!
  選手入場の時に使うなんて超クールじゃん! +29 アメリカ
■ 選手入場の時のBGMに関しては、
  ドラゴンクエスト以外の方が良かったと思う……。 +4 国籍不明
   ■ 日本には人気面でドラクエを超えるゲームはない。 +28 国籍不明
■ 開催してくれた事を日本と東京に感謝したい。
  大会初の金メダルは日本人選手に獲って欲しい! +11 オランダ
■ アイルランドの選手団が入場の時に、
  お辞儀をしてたのが凄く素敵だった!!😍 +28 オーストラリア
■ 任天堂の音楽が使われなかったのが残念。
  絶対マリオとゼルダは使うと思ってたのに。
  日本のゲーム業界でかなり重要な存在だから。 +10 国籍不明
■ 日本はゲーム音楽の価値を認めて、敬意を払ってくれた。
  ゲーム音楽の美しさを世界に伝えてくれたよね。 +925 国籍不明
■ 個人的にはワーストだ。
  観客がいない中の選手入場は本当に退屈だった。
  2時間観てチャンネルを変えたよ。 😡+4 +2 オーストラリア
■ 日本、あなた達は常に世界を驚かせてくれる🇯🇵 +24000 フィリピン紙
   ■ こうやって同じ話題を共有して、
     世界の人々が1つになっている姿は素敵だね。 +7 イギリス
   ■ 私が今まで観てきた開会式の演出の中で、
     一番クールなパフォーマンスでした。
     お願いします。もう一度観られるようにしてください。
     見逃した人にもぜひ観て欲しい!
     本当に楽しかった! +50 アメリカ
   ■ 個人的にはその感動を共有できないね。
     今回の開会式は本当に酷かったから。 +5 南アフリカ
      ■ その考えを共有出来ない。
        日本は刻一刻と変わる状況の中で、
        出来る限りの事をやったと私は思う。
        逆境の中の開催だった事を理解しよう。
        異常な状況に適応する必要がありながら、
        開会式を成功させた日本に敬意を表します。 +68 アメリカ
■ 本来はもっと大掛かりな開会式になる予定だったんだろうね。
  だけどコロナの影響で変更せざるを得なかった。
  その中で日本は本当によくやった!
  これから2週間、世界中の人が楽しむイベントがある。
  私はその事を嬉しく思う。アリガトウ日本!!! +26 フィリピン
(http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3893.html)
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 新型コロナがどれほどオリンピックに影響するか不明の点が多々ありますが、東京オリンピックは様々な点で今後のオリンピック運営に影響を与えることになりそうです。もう一度オリンピックの原点に戻る時が今です。平和な世界におけるスポーツの祭典を楽しみたいものです。

2021年07月25日

#388 元の木阿弥

 全国的に梅雨が明け猛暑の夏が始まりました。今日は35度を超える多くの地域が予想され、関東や東北を中心に今年度から始まった「熱中症警戒アラート」発令されています。さて今年度から大学入試共通テストが始まりましたが、その根幹を揺るがすようなニュースが先日流れました。共通テストの英語民間試験導入の断念と国語や数学の記述式問題の断念です。共通テストはこの2本柱を錦の御旗として導入されましたが、これが脆くも挫折したことになります。次の記事はNHKウェブニュースからの転載です。かなり長い記事ですが、ご一読ください。

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『大学共通テスト 英語民間試験と記述式導入断念へ 文科省』
 大学入試の在り方を議論している文部科学省の有識者会議は、2025年の大学入学共通テストにおける、英語民間試験の活用と記述式問題の導入について「実現は困難」とする提言案を示しました。文部科学省は、この夏にも導入の断念を正式に決定する方針です。
 ことしから始まった大学入学共通テストでは当初、入試改革の柱として、英語の民間試験の活用と、国語と数学の記述式問題が導入される予定でしたが、地域格差や経済格差の懸念など制度の不備への指摘が相次ぎ、おととし、いずれも導入が見送られました。その後、文部科学省は、新たな学習指導要領で学ぶ、今の中学3年生が受験する2025年以降の大学入試の在り方について有識者会議を設け、2つの柱について、改めて共通テストへの導入の可否を検討してきました。その結果、22日の会議で提言案が示され、この中では、
▼英語の「読む」「書く」「聞く」「話す」の総合的な力の評価に英語民間試験を活用することについては、試験ごとに会場数や受検料、障害のある受験生への配慮が異なる中、地理的、経済的事情などによる格差への対応が不十分な点や、コロナ禍で中止も相次いだ外部の試験に依存することへの課題が指摘されました。
▼記述式問題も、50万人以上が受験する中で公正な採点体制の確保などの課題を克服できないとして、いずれも「実現は困難と言わざるをえない」と盛り込まれました。
 一方、提言案では、各大学の個別試験では、いずれも導入を進めていくべきだとして、推進策の充実も盛り込まれています。
 文部科学省は、今回の提言案がまとまりしだい、この夏にも正式に導入の断念を決定する方針で、これにより2025年の大学入学共通テストでは、いずれも導入されない見通しになりました。

<2つの柱 英語の民間試験と記述式問題 経緯>
大学入試改革の2つの柱、英語の民間試験と国語と数学の記述式問題。
 当初は、ことしの大学入学共通テストから導入される予定でした。
2つの柱は、2013年10月、政府の教育再生実行会議が「知識偏重の1点刻みの選抜」からの脱却を掲げ、センター試験に代わる新たな共通テストの導入を提言した際に盛り込まれました。2014年12月には、中央教育審議会が「読む」「聞く」に加え「書く」「話す」も含めた英語の4技能を評価するため、民間試験を活用することや、記述式問題を導入することを盛り込んだ改革案を答申しました。

<英語の民間試験の課題>
 その後、文部科学省は、2020年度からの開始を正式に決めますが、実施が迫る中で、さまざまな課題が指摘されます。
 英語の民間試験については、都市部に比べ、地方では試験や会場数が限られ、受験機会の面や移動に伴う経済負担の面で地域格差が課題となったほか、受験料が高額で、経済的に厳しい家庭の受験生への減額措置が試験団体に委ねられる中、経済格差が生じるといった指摘が相次ぎました。
 こうした中、2019年10月には萩生田文科大臣の「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」という発言もあり、高校生や学校現場から導入への批判の声が上がる中、文部科学省はこの年の11月、2020年度からの導入を見送ると発表しました。

<記述式問題の課題>
また、記述式問題についても、50万人以上の答案を短期間で採点する中で、質の高い採点者を確保できるのかや、民間の採点事業者が業務で知り得た情報を漏えいしたり、受託自体を宣伝に利用したりしないかなど、公正、公平な採点における課題が指摘されました。
 そして、英語の民間試験導入の見送りの発表から1か月後、文部科学省は記述式問題についても「安心して受験できる体制を整えることは現時点では困難」として、導入の見送りを発表。
 初の大学入学共通テストを、およそ1年後に控えた受験生や教育現場は混乱を余儀なくされました。

<有識者会議の議論は>
 文部科学省はその後、新たな学習指導要領で学ぶ、今の中学3年生が受験する2025年以降の大学入試の在り方について有識者会議を設け、改めて共通テストに英語の民間試験や記述式問題を導入すべきかどうか検討してきました。
 会議では、インターネット上で国民から意見を募ったり、当事者である高校生や高校教員が意見を述べる場も設けられたりしましたが、否定的な意見も示されました。
 また、有識者からは「これまで指摘された課題が解決できる見通しがない」とか「各大学の個別入試で導入するほうが現実的だ」といった指摘が相次ぎ、再度、見送られる形になりました。

<2025年に大学入試 中学3年生は>
 今回の提言案を受け、2025年に大学入試を受験する中学3年生からも、さまざまな声が聞かれました。さいたま市見沼区の私立の進学校、栄東中学・高等学校では、入試改革の2つの柱が示されて以降、教員みずから英語の民間試験を受けたり、記述式の自己採点を徹底するよう生徒に指導したりして、対策を進めてきました。
 英語の「話す」「書く」力も伸ばすため、生徒どうしが英語でスピーチをしたり、英文の手紙を書いたりする授業を通じて、自分の気持ちを表現する取り組みも続けています。
 今回、提言案が示された2025年の大学入学共通テストの対象となる中学3年の男子生徒は「自分は目の前の勉強に励むだけだが、大学受験は、その後の人生を左右することもあるので、できるだけ努力が反映される公平な試験を実施してほしい」と話していました。
 中学3年の女子生徒は「公平性を保つのが難しいと思っていたので、見送りは理解できますが、大学入試だけでなく、その先の社会に出てからのことを考えると、思考力や、海外でコミュニケーションを実現できるよう英語を話す力をつけることが必要だと思っています。民間試験を受けるための費用負担が厳しい人もいるので、国は家庭環境や住む場所で差が出ないような公平な試験を考えてほしいです」と話していました。
 自身も英語の授業を担当している田中淳子校長は「子どもたちは柔軟に対応していますが、教員たちはカリキュラムや指導方法などを準備していたので、導入断念となるのは率直に落胆もあります。公平性や機会均等の課題は国が責任を持つべきだと考えています。一方で教育現場として、教えることに変わりはなく、基礎はもちろん、入試だけを目標にするのではなく、子どもたちが、その先も自分で物事を考えて表現できるよう、生きていく力を身につけてもらうことが重要だと考えています」と話していました。

<識者「導入見送りの結論は評価」>
英語の民間試験の活用と記述式問題の導入が見送られたことについて、大学入試に詳しい、東京大学大学院教育学研究科の中村高康教授は、この間の経緯を振り返り「導入を見送るという結論は評価すべきで、冷静に議論されたと思う。理念に基づいて改革することは大事だが、理念先行に陥りがちで、現実に対する目配りが十分に行き届いていなかったのではないか。教育改革は効果が出るまで時間もかかり、大きな影響があるわりには、誰も責任がとれないという性格を持っているので、慎重に進めるべきだ。政府や文部科学省には検証して教訓を生かしてもらい、今後はこういうことがないようにしてほしい」と指摘しました。
 そのうえで、今後については「大学入試が変わらないと高校教育が変わらないという議論は昔からあるが、過去の改革で失敗している例も多々あり、その前提で議論を積み上げること自体に危機感を持っている。入試だけに救世主のような期待を寄せるのではなく、高校の授業を変えるため、先生の働き方を議論すべきかもしれないし、総合的な英語力や思考力の育成を大学教育で行う選択肢もある。そもそも私たちが前提としている議論や理念自体について、もう一度考えてみることが重要だ」と話しています。

<元大臣補佐官「合意形成得られず」>
2018年まで文部科学大臣補佐官を務め、入試改革を進めてきた、東京大学と慶應義塾大学で教授を務める鈴木寛氏は、英語民間試験と記述式問題の導入が見送られたことについて「文部科学省が政策形成の在り方や、それへの合意形成を得られなかったことは事実で、改善や反省すべき点はある。これだけの改革を進めるにあたり、十分な人員が割ける状況になく、地域に出向いての説明も不足し、中身や実施体制などさまざまな疑問や心配に対する修正や改善をすることができなかった」と振り返りました。
 一方で、記述式問題は各大学の個別入試に広がっているとして、英語のスピーキングなど4技能の評価以外は入試改革は成功したとしたうえで「AIの時代となりグローバル化も進む中、国内にいながら世界中の人と交渉や交流をすることが日常となる一方で、日本の高校生や若者たちの英語コミュニケーション能力や論述力は非常に危機的な状況で、一刻の猶予もない。身につけなければいけない能力が急速に変わる現状に、高校生たちの英語の学びをどうするのかや、大学の個別試験での英語民間試験の活用をどう加速していくのかを、さらに議論していくことが重要だ」と話しました。
 そのうえで、個々の大学での民間試験の活用について「文部科学省はみずから主導することはなくても、今後は大学間や生徒間で生じる格差に対して支援に回るなど、役割の認識を改め直す、よい機会にすべきだ」と指摘しています。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210622/k10013097081000.html)
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 大学入試の欠点を補うものとして英語の「話す力」と「書く力」を試したり、国語や数学の「記述式問題の導入」は発想としては良いものの、50万人もの受験生の答案処理については対策は考えなかったのでしょうか。これではせっかくの両案も元の木阿弥です。文科省にその後の対応策を望みます。

2021年07月18日

#387 静かな夏

 昨日まで荒れ狂った梅雨末期の豪雨で九州南部は水害に見舞われましたが、今日は早くも梅雨明け宣言が出ました。九州北部も今日は雨が止み、晴れ間が見えています。おそらくここ数日中には梅雨雨宣言が出るものと思います。先週の熱海の土砂崩れを始めとして、ここ数年は毎年梅雨末期に大きな災害が発生してきました。昨年はここ大牟田でも諏訪川流域の内水氾濫より三川地区に大規模な水没流域が発生し2名の方が犠牲となられました。以前の梅雨末期と異なり、毎年必ず大災害が発生しています。今まで災害が被災していない地域にお住まいの方でも今後の天災には充分お気をつけ下さい。これまでの災害で被災された方々にお見舞い申し上げます。
 さて、夏を迎えたとはいえ、昨年の夏に続き今年の夏も何か変です。そうです。夏祭り開催の声が聞こえてこないのです。例年ですと、夏祭りの準備に太鼓や笛を練習する子どもの声が聞こえてきますが、コロナ禍でその雰囲気は全くありません。大牟田の夏祭りは勇壮な「大蛇山」で始まります。7月に入りますと街中いたるところで夏祭りの練習が始まり、夕方から太鼓やカネの音が聞こえてきます。しかしその音も今年は聞こえません。本当に静かな夏を迎えています。コロナ感染拡大を防ぐために博多の山笠を始め、全国的に祭りが中止になっています。祭りは元来疫災を防ぎ、御霊を鎮める意味を持ちますが、コロナ禍ではその鎮魂祭もできません。祭りの本来の意味さえも失われているのです。
 福岡県は本日で非常事態宣言が解除されますが、また新規感染者が徐々に増える傾向にあります。子供たちが楽しみにしている海水浴やプールは今年も閉鎖になります。また福岡市東区にあります「香椎花園」のように老舗の遊園地もコロナ禍の営業不振で閉園となる遊園地が出ています。新型コロナは思いもかけないような業種にも悪影響を及ぼしています。コロナ禍の出口はまだまだ見えません。
 東京オリンピックも開催まで2週間を切りましたが、東京の感染者急増に伴い、ほとんどの競技で無観客実施となります。政府の思い描いた経済構想がことごとく「裏目」に出てしまい、(「おもてなし」オリンピックが「表なし」=「裏目」になってしまいました。)経済効果は大きなマイナスで、多額の借金を抱えることになります。
 このオリンピック負債を誰が返済するのでしょうか。東京都民でしょうか。政府でしょうか。いずれにしても私たち一般国民の税金からの捻出となることでしょう。つまり再び消費税上がるということです。様々な問題を抱えたオリンピック開催の是非は別として、「コロナ蔓延」という置き土産を残さずに早く無事に滞りなく終了してもらいたいものです。東京オリンピック開催が是か非か遅くとも今秋には分かるでしょう。

2021年07月11日

#386 福岡雙葉同窓会新53回生の方々へ

 福岡雙葉同窓会の方々、いかがお過ごしでしょうか。会報誌「ふたば」が先日届きました。会誌のスタイルが今年から冊子に変更され、編集に携わった幹事の方々は大変な作業だったと拝察いたします。ご苦労様でした。またコロナのせいで昨年に続き同窓会総会が中止になり、同窓生の方々との団欒の機会が無くなりました。そのために会報誌に20年前の高校3年生の旧担任団の近況報告が載ってますが、紙面の都合上、字数が制限され、詳細な内容が書けませんでした。そこでこのブログを借りて、あらためてご挨拶申し上げます。
 会報誌を開いてページをめくるたびに、改めて20年という年月を感じざるをえません。20年前に学園を卒業なされた皆様がすでに中堅世代としてリーダーになり社会で活躍され、あるいは家庭で子育てに日々過ごされるなど、置かれた場所で着実に花を咲かれていると思います。皆様とお会いしたのは私がまだ40代の頃でした。「歳月人を待たず」と申しますが、私は現在64歳になりました。皆様が学園で過ごされた当時の諸先生方の多くがすでに退職されています。一口に20年と言いますが、10年ひと昔、20年ふた昔で、時の流れの速さに今更ながら驚かざるをえません。
 会報誌にも書きましたが、私は2015年3月に福岡雙葉学園を早期退職して、故郷大牟田市で無料学習塾二コラを創立し、今年度で6年目をむかえます。塾名「二コラ」は皆様もご存じのように幼きイエス会創立者ニコラ・バレ神父様のお名前を拝借しています。
 早期退職して学習塾を創設した理由は会報誌には書いておりませんが、今から6年前高1から高3まで3年連続でクラス担任として、また学年主任として生徒たちと過ごし、卒業生を見送り、そして私が知っている生徒がすべていなくなったことにあります。換言すれば、学園での仕事に区切りがついたことです。もちろん定年まで勤め上げ、非常勤講師で学園に残ることも考えました。しかし残りの人生を何か別の形で過ごすことができればと考え、経済的に学習塾に通えない子どものために学習塾を創設し、終活の一環として少しでも社会貢献をすることができればと思ったのが、学習塾二コラの原点です。
 当塾には毎年8名~10名ほどが当塾で学んでいますが、経済的に困難な生徒はそれほど多くなく、毎年1~2名ほどです。その理由は様々ですが、経済的困難な家庭の両親が教育に対して理解がないことが挙げられます。親が教育に関心が無ければ、その子供たちも学習に関心を持ちません。貧困はその悪循環でもあります。この悪循環を断ち切る唯一の手段が教育です。
 毎年塾生の人数は変化します。今年度は中学3年生2名、高校3年生2名が3月に卒業し、現在コロナ禍でもありますので、新規塾生の募集を一時停止しています。コロナ禍が落ち着けば、また新しい塾生が増えてくると思います。
 現在私は塾の運営費を賄うために地元の明光学園中学校・高等学校で非常勤講師をしています。また大牟田市の学習支援事業のボランティアとして毎週木曜日に公民館で中学生を対象に英語を教えています。大牟田市は現在市内の2か所の公民館で毎週木曜日に学習支援活動を行っています。主に小学生と中学生が集まり、基本的に個別指導の形式で学校の宿題や課題に取り組んでいます。中学3年生は高校入試に向けて受験勉強を行います。
 同窓生の皆様は社会で様々な経験を積み、学生時代には経験しなかった出来事や困難に直面されたことも多々あることでしょう。時には不条理な周囲の非難や態度に振りまわされたこともあるでしょう。これからも様々な嫌なことを経験することと思います。そのような時に学園で学んだことを思い出してください。シスター達から学んだこと、聖書の中の一節、先生たちが励ましてくれた言葉など。当時は気づかなくても自分を励まし支えてくれる言葉が心に残っているものです。学園で学んだものが有形無形となり皆様の人生の指針になってくれます。
 皆様はこれからも様々な場面でご活躍なさると思いますが、学園は人生の教育の原点です。次の世代の方々(子や孫)に学園から頂いた宝物(愛と奉仕の精神)を伝えてあげてください。そして実り多き人生を歩んでください。またいつかお会いしましょう。それまでお元気でお過ごしください。

追記:上記の拙文は福岡雙葉学園同窓会新53回生の方々だけでなく、私が関わった全ての卒業生・同窓生の方々に捧げます。

2021年07月04日

#385 初めての買い物

 今日は6月27日です。今年もすでに半分終ってしまうことになります。1か月後にはいよいよ東京オリンピックが始まります。東京ではコロナの新規感染者が増加に転じ、徐々に増えていく傾向が見られます。またオリンピックに向けて世界から多くの選手や関係者が入国しますが、東京都や国はどのような感染防止策を取るのでしょうか。口先だけの安心・安全では誰も信じません。超新型コロナが日本発とならないように祈るばかりです。
 さて話題を変えて、少しほんのりする話をお伝えしましょう。テレビではよく幼い子どもに一人で買物に行かせる番組があります。親は我が子が無事に買い物ができるかどうかモニターテレビを見ながらハラハラする場面がテレビに映し出されます。買い物を終えて無事に我が家に帰ってきた子どもを母親が涙を流して迎える場面がよく流れます。しかし誰もが必ずしも一人で買い物に行けるとは限りません。お年寄りや体の不自由な方々は近くのコンビニに行くことさえも叶わない人がいます。そんなお話です。
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『初めての買い物』
 伝説の実演販売員、河瀬和幸さんが体験した「お客さん」の話です。その日、河瀬さんは大手有名雑貨店で、高級石鹸を販売していました。平日で店が開店したばかりの時間。お客さんはまだほとんどおらず、店内は閑散としていたそうです。
 と、エレベーターから車つきの大きなベッドが降りてきました。見ると、そのベッドには、おそらく脳性麻痺によって両手両足を動かすことができない女の子が横たわっています。
 どうやら、施設の先生たちに付き添われて、店舗を訪れたようでした。車つきの大きなベッドを移動させるのは、ほかのお客さんの迷惑になるかもしれないという配慮から、開店直後の人がいない時間帯を見計らってやって来たのでしょう。
 女の子の名前はミサちゃんでした。中学生くらいでしょうか。付き添いの先生は、「ミサちゃん、ほら、(商品が)いっぱいあるね……楽しいね」と話しかけています。それに対して、女の子は「アー」とか「ウー」と返事をしていました。その少女を見た河瀬さんはこんなことを思います。
 「この子に、お買い物の楽しさを伝えたい」
 河瀬さんは、いつも高級石鹸を売るときと同じように、ベッドの少女に笑顔で話しかけます。
 「お嬢様、お手をどうぞ」
 河瀬さんの言葉を聞いた付き添いの先生は、「ミサちゃん、おじさんが手を洗ってくれるんだって、やってみる?」と少女に話しかけて、ベッドを河瀬さんの前へ進めます。
 わずかしか動かせない手を、河瀬さんの前に差し出そうとする少女。その手を引っ張り出して、両手で支えてあげる付き添いの先生。
 「じゃーん、では、手を洗うね。この石鹸はお肌がスベスベになるよ!」と河瀬さん。 いつものように商品の説明をしながら、少女の手を石鹸で泡立て、それを洗面器のお湯で洗い、タオルで拭いてあげます。洗い終わった手に触れた、付き添いの先生が声をあげます。
 「どーれ、ミサちゃん、まあ、綺麗になったわね。すべすべだー!どうもありがとうございました!」
 そう言って、ベッドを動かして立ち去ろうとしたときです。
 「アーッ、アーッ」と少女が声をあげたのです。
 「えっ、何?ミサちゃん、なになに?」
 少女の口元に耳を寄せる先生。
 「えっ、欲しい?欲しいの?石鹸?ちょっと待ってね。買えるかなあ?1個591円だよ」
「ウーッ、ウーッ」と応える少女。
 「ミサちゃん、買えるね。ミサちゃんのお小遣いで買えるね。買うの?」
 「ウーッ」
 先生はベッドの下から黄色のかわいい財布を出しました。河瀬さんが一緒にレジまで行くと、少女はお会計のときに、河瀬さんに向かって、ニッコリと微笑みました。そんな少女の姿を見て、付き添いの先生は大泣きしながら、河瀬さんにお礼を言ったそうです。
 「ありがとうございます。ありがとうございます。こんな経験をさせたかったのです。」
 河瀬さんは、このときのことについてこう言っています。
 「商売冥利に尽きました」
 こんな体験こそが、モノを売るという行為の醍醐味なのだと……。
 もしかしたら、それは少女にとって、「生まれて初めてのお店でのお買い物」だったかもしれません。
 お店でモノを買う。
 そんな、私たちが普段、何気なくやっていることが、少女にとってはこのうえなく楽しい体験だったのです
 この少女の話を知って、私は以前本で読んだ、余命わずかなホスピスの患者さんが「何かしたいことはありますか?」と聞かれたときの回答を思い出しました。
 何か、特別な願いごと。たとえば、「もう一度、子どもの頃に食べた〇〇が食べたい」とか。「世界一周がしてみたい」とか。
 そんな願いごとが返ってくると思った私は、その言葉に衝撃を受けたのを覚えています。すでに身体の自由が利かなくなっているその患者さんは、「何かしたいことは?」と聞かれて、こう答えたのです。
 「道を歩きたい」
 コンビニへと向かう、普通の道。その道を、死ぬ前にもう一度歩きたいと……
 お小遣いで買い物をする。
 コンビニへの道を行く。
 そんな、普段の「普通のこと」がいかに尊いことなのか。少女の「初めての買い物」は、そんなことを私に思い出させてくれました。
(西沢泰生「ほろりと泣けてくるいい話33」王様文庫より)
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 健康な私たちは好きな時に出かけて買い物をしたり、食事をしたりと自由に自分の時間を使えます。それが当然と思っています。しかし、周囲を見回すと歩くことさえも不自由な人がたくさんいます。「他人に優しい社会」とは健常者と同じように身体の不自由な人が快適に生きていける社会と定義できます。そのためにはお互いに助け合う心が大切です。そのような社会を作って行きたいものです。

2021年06月27日

#384 AMラジオが消える日

 今日は梅雨の中休みらしく、朝から晴れています。室内の温度はすでに28度を超えており、最高気温が32度を超えるものと思われます。真夏のような一日になるようですが、日中のマスク着用はマスク内に汗をかいて不快感が増します。汗を吸い取ってくれる夏用のマスクに替える時期が来たようです。
 さて先日とんでもないニュースが飛び込んできました。AMラジオの終わりが近づいています。それも令和10年度までには廃止する予定だということです。産経新聞では次のような記事をネットに掲載しています。
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『AMラジオが消える日 文化部・道丸摩耶』
 学生時代、深夜ラジオを聞くのが楽しみだった。特に熱心に聞いたのは、応援していた音楽ユニットがパーソナリティーを務める番組。メンバーの出身地、愛知県のAMラジオ局が放送していた。
 といっても、当時私が住んでいたのは横浜市。ラジカセのアンテナを限界まで引っ張っても、昼間は雑音ばかりで何も聞こえない。ところが深夜になると、かなり小さな音ではあるが、確かに番組が聞こえたのである。悪天候の日はまるで聞こえなかったり、違う放送局の音が聞こえてきたりもしたが、番組をカセットテープやMDに録音し、自分の投稿が読まれた日は何度も聞き直したものだ。
 そんな「AMラジオ」がなくなる日が来そうだ。AMラジオ放送を行う民間事業者全47社でつくる「ワイドFM対応端末普及を目指す連絡会」は15日、全国44のAMラジオ局が、令和10年秋までにFM局への転換を目指すと明らかにした。一部の局は10年以降も補完放送としてAMを継続するが、在京3社(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)は同時期までにAMを完全に停波する方針だ。
 AMラジオを送信するには、広い敷地に高さ100メートル規模のアンテナが必要。設備が老朽化する中、比較的簡易な設備で維持費も安いFM放送に切り替えたいと各局が考えるのは仕方がない。転換後のFMは原則、旧来のラジオで受信できない周波数の「ワイドFM」のため、受信機器の普及が急がれる。
 もっとも、AMラジオが消えるころには、ラジオはインターネットで聞くものになっているかもしれない。パソコンやスマートフォンで全国のラジオ局の番組が楽しめる「radiko(ラジコ)」の利用者は増え続け、放送波を上回る聴取者を獲得している。リアルタイムで楽しむだけでなく、放送終了後も一定期間聞ける番組もある。地域も時間も電波の長短も飛び越えられる、ラジオ好きには喜ばしい時代が来た。
(https://www.sankei.com/article/20210619
                   -OVMSVRS2YFNK7JS3C7UX62D3DE/)
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 福岡県内のAMラジオ放送局RKBやKBCもAM放送をFM放送に移す予定だそうです。FM放送は音声がきれいで、NHKFMは主にクラシック音楽を、FM福岡はポピュラー音楽を流すイメージがあります。しかしながら、電波の届く範囲が狭く、福岡県以外の地方の放送局の番組を聞くことはできません。もちろんネットで有料の「ラジコ」を視聴すれば全国の放送局を視聴できますが...。
 おそらく50代以上の人々にとって10代の頃はAMラジオが情報を収集する唯一の手段だったと思います。インターネットが普及するまでは今のようにネットやSNSから情報を入手する手段はなく、若者たちはラジオを通して同世代の情報を入手していました。当時の深夜放送は若者たちの情報を交換する場でもありました。オールナイトニッポン、パックインミュージックなど全国の若者たちが投書の形式で様々な情報を交換したものです。深夜放送を通してヒットした新曲も数知れません。そのために中学・高校生は帰宅して仮眠を取り、勉強するふりをして深夜放送を聞いていたものです。
 いまでは様々な媒体が情報を交換する場として存在していますが、当時の深夜放送のような1つの媒体を全国の若者が共有する時代は終わりを告げました。情報交換はオタク文化に象徴されるように同じ関心を持った者同士が集まる場へと変化しています。
 ラジオの放送はAMラジオの終焉で1つの文化が終わりを告げます。放送自体が終わるわけではありませんが、ラジオのダイヤルを回して放送局を探していたアナログの時代が終わるのです。深夜何気なくダイヤルを回していると、遠い地方の放送が聞こえました。北海道や京都、東京や大阪の放送局が雑音交じりにラジオから流れ、遠い地域に憧れを抱いたものです。また外国からの放送も届き、韓国や中国からの放送はもちろん、ロシア語や不明の言語がラジオから流れて、異国情緒を感じたものです。日本ではラジオ文化において1つの時代の終焉を迎えます。

2021年06月20日

#383 AIサクラ 花盛り

 IT技術の発展と共に様々な分野でAI(人工知能)が使用されています。日本では人材不足を補うために工場では製造ロボットが、ホテルでは受付嬢ロボットが活躍しています。受付嬢ロボットは一見すると人間に見えますが、顔の表情や話し方から人間ではないと即座に理解できます。
 ところが、本日AIに関するとんでもないニュースが飛び込んできました。AIサクラが登場したらしいのです。Weblio辞書によりますと、「サクラ」はもともとは露天商(テキ屋)の客引き手段として、一般客を装って店や品物をそれとなく宣伝し、他の一般客に興味を抱くように仕向ける役割の者です。昨今では行列や集会に加わって大人気・大盛況であるかのような雰囲気を盛る役割や、オンライン通販サイトや口コミサイトなどで販売者側に通じている関係者が高評価レビューを投稿するという役割などもサクラと呼ばれます。以下は読売新聞からの転載記事です。

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『架空の顔で「お客様の声」「大満足」…AIで生成、90サイトで宣伝に悪用』
 AI(人工知能)で作り出された架空の人間の画像が、あたかも実在するかのような形で多数の業者の宣伝サイトで使われていることが、読売新聞の取材でわかった。商品やサービスを推奨する客などを装って掲載されていた。すでに海外では悪用が問題になっており、歯止めなく使われれば、取り扱いのルールを巡って議論になる可能性がある。
 画像は、大量のデータから特徴を学ばせるAIの深層学習(ディープラーニング)の技術で精巧に自動生成できる。国内では大阪市のIT企業「ACワークス」が、イメージ写真や仮想モデルなどとしての利用を想定し、会員登録すれば無料でダウンロードできるサービスを2年前に開始。実在の客を装っての掲載などは規約で禁止していた。
 しかし、読売新聞が同社から提供を受け、103人分の画像の利用状況を調査した結果、規約に反するとみられる方法で掲載しているサイトが少なくとも90に上ることが確認された。
 健康食品や人材派遣、システム開発会社などが、「お客様の声」として「おすすめです」と述べているように載せているサイトが目立った。会社側が在籍する税理士などとして紹介していたが、記載内容自体が虚偽だったケースもあった。いずれも信頼性を高める狙いがあるとみられ、ACワークスは「画像の削除を求める」としている。
 AIの悪用を巡っては、政治家の映像などを改変する「ディープフェイク」の広がりが懸念されるが、架空の人物画像は、別の倫理的問題をはらむ。海外では、政治的主張を広める偽のSNSアカウントにも用いられているが、本人が実在しないため発覚しにくいという。日本でも偽情報や詐欺などの犯罪に悪用される恐れがある。

◎名前も年齢も◎
 <資格がある会社に頼んで良かったです>
 東北地方の遺品整理業者のウェブサイトには、そんな「お客様の声」とともに、穏やかな表情を浮かべる男性の顔写真が2枚並ぶ。
客や講師、税理士、ライターなどとして宣伝サイトで使われた架空の顔画像。一部は読売新聞の指摘後、削除された=画像は一部修整しています
 「49歳 松本さん」「55歳 安藤さん」と記された2人は、この世に存在しない。AI(人工知能)で生み出された画像だ。 「顔があればコメントの信ぴょう性が増す。名前や年齢もでたらめだが、リアルっぽくする必要がある」。サイトの運営者は、そう理由を明かした。 実際の客の写真は本人の許可を得るのが難しく、「架空の顔なら誰も文句を言わないだろう」と考えたという。作成元の大阪市の「ACワークス」は利用規約で認めていないが、運営者は「規約まで読んでいなかった」と釈明した。
 家電の通販や整骨院、資格講座……。客や受講者などを装って画像を載せていた90以上のサイトの業種は多岐にわたっており、「大満足」「新規事業を始め、資格をいかしています」といったコメントとともに掲載されていた。

◎200万枚◎
 業者側がスタッフの顔として載せ、信頼性を演出しているケースもあった。 <一流のバイリンガル教師陣です> そう宣伝する子ども英会話のサイトは、講師16人のうち少なくとも11人の顔が架空の人物だった。
 顔だけではなく、記載内容のウソも確認された。中部地方のコンサルティング会社は所属する「税理士」や「司法書士」の名前を記していたが、日本税理士会連合会などに問い合わせたところ、そうした人物は存在しなかった。
 「介護付き旅行」の予約サイトは、おすすめの観光地を紹介する「ライター」として30人以上の顔を載せているが、代表者は、名前や経歴についても「事実ではない部分がある」と認めた。ライターとされる一人の顔を調べると、他の通販サイトなど少なくとも7件で、異なる名前の客などとして使われていた。
 ネット上に架空の顔はどこまで広がっているのか。国内で提供できる企業は現時点では数少ないとみられるが、今後、生成技術が普及し、参入が相次ぐと見込まれている。
 すでに海外には無料や低料金で提供するサイトが複数あり、日本からも利用できる。「白人」「黒人」「アジア系」など200万枚以上から選べるほか、年齢層や髪の色などを調整し、利用者が好きなように顔を作り出すこともできる。
 こうした機能が使われれば、どんな顔が生成されたのか、利用者本人以外は誰もわからない。今回のように悪用を検証することも、より困難になる。
 海外では日本と同じようなケースに加え、世論操作が目的とみられるSNSの発信にも悪用されている。 フェイスブックは2019年、虚偽の米国人の名前をかたって自動的に大量投稿していた約600のアカウントを削除したと発表。トランプ大統領(当時)を支持する内容で、架空の人物の顔が含まれていた。 20年には、米国人らを狙い、ロシアや中国から政治的な主張を広めていた偽アカウントに使われていたことも明らかになった。
 別のSNSでも、プロフィルに米国の有名な大学や調査機関を記していた女性の顔や名前が架空と発覚した。米政権のアドバイザーや、英国の王立機関のロシア専門家らと接触しようとしており、スパイの可能性が指摘された。
 AIや偽情報の問題に詳しい明治大の湯浅 墾道はるみち 教授(情報法)は「日本では特に『顔写真があれば本物だろう』という信頼感を持つ人は多い。政治的意図を持ったSNSでの偽情報の拡散や、悪質商法に利用されることもあり得る」と指摘し、危機感を示す。
 「空想と現実の境界があいまいになれば、何が本当なのか分からなくなる。倫理的な線引きや規制のあり方の議論を始めるべきだ」
 私たちがネット上で目にする情報は、消費行動に大きな影響を与える一方で、知らない間に粉飾されていることも少なくない。ネット空間の虚実を考えるシリーズの第3部は、買わせるウソを生む構図に迫る。
(https://www.yomiuri.co.jp/national/20210613-OYT1T50073/)
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 AIの登場により様々な業種で仕事の効率化が進められ、中にはAIが企業の中枢として業務し、人間の社員が周辺に押しやられている職種もあるようです。これからもAIは急速な進化を遂げていくでしょうが、私たち人間はそれについて行くことができるでしょうか。それとも機械の奴隷としてAIに隷属するのでしょうか。
 まるで手塚治虫のマンガのような近未来の世界が近づいてきています。機械にこき使われないように、私たちは主体的に考え生きていかなければならないでしょう。そうしないと人間の文明は終焉を迎え、やがて機械に支配されたSF映画のような世界が登場します。
 嘘が嘘を呼ぶ世の中です。特にネットの世界は虚偽で溢れています。オレオレ詐欺だけでなく日頃より常に考え行動する習慣を身につけていないとAI詐欺に騙されてしまします。困った世の中になったものです。

2021年06月13日

#382 赤い花 白い花

赤い花摘んで あの人にあげよ
あの人の髪に この花さしてあげよ
赤い花 赤い花 あの人の髪に
咲いて揺れるだろう お日様のように

白い花摘んで あの人にあげよ
あの人の胸に この花さしてあげよ
白い花 白い花 あの人の胸に
咲いて揺れるだろう お月さんのように

 上記の歌は「竹田の子守唄」や「翼をください」等を歌っていたフォークグループ「赤い鳥」が歌った「赤い花白い花」です。赤い鳥の隠れた名曲で、世代を超えて歌い継がれています。私はこの歌を長い間「赤い鳥」のオリジナルソングだとばかり思っていました。ところが昨日のBS朝日の番組「子供たちに残したい美しい日本のうた」(毎週土曜日10時から12時まで放送中)で偶然この歌の解説が流れ、無名の女子高校生が口ずさんでいた歌だと知り、本当にびっくりしました。事の経緯は次の通りです。
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 作詞・作曲の中林三恵さん(当時 遠藤三恵さん)が1960年代初めごろに、口ずさんでいた曲を群馬大学在学時代の、1964年秋に学内にて発表。群馬大学の学生の間で広がっていったのが始まりです。
 数年後に北海道で歌われていたこの曲を「赤い鳥」のメンバーが知るところとなり、誰が作った曲か全くわからなかったため、某ラジオ番組にて、作者が誰かを全国に呼びかけた所、群馬大学の学生が聞いていて、中林三恵さんに手紙で伝え、中林三恵さんの作品だと知られることとなりました。
 1970年に「赤い鳥」がシングルのB面にてレコード化。さらに、1976年に「みんなのうた」で「ビッキーズ」が歌ったことにより全国的に知られることになる。
 なお、芹洋子さんが1977年にレコード化する際、中林三恵さんが書下ろした新しい3番の歌詞が追加されました。

赤い花揺れる あの娘(コ)の髪に
やさしい人の 微笑みに揺れる
白い花揺れる あの人の胸に
愛(イト)しい人の 口づけに揺れる
口づけに揺れる
(https://dic.nicovideo.jp/a/赤い花白い花)より抜粋
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 プロやアマにかかわらず、自分の作った歌が時代を超えて歌い継がれていくのは作者冥利につきます。ちなみに赤い鳥が歌った「竹田の子守唄」も作者不詳で、京都の被差別部落の子どもの労働歌として伝わったものです。「赤い花白い花」を聞きたい方はYouTubeでお聴きになれます。
(https://www.youtube.com/watch?v=TsCcAqGheWg)

2021年06月06日

#381 一億総玉砕!?

 5月末になってようやく本来の5月らしい天気が戻ってきました。例年ですと、6月の第1週に入梅するのですが、今年の天気は異例です。異例と言えば、今年開催される予定の東京オリンピックも異例の展開を迎えています。
 オリンピック開催まで残り2か月となりましたが、本当に開催できるのでしょうか?この時期になり様々な業界から開催に対して異論が出されてきました。これもひとえに政府が明確な指標を出さないからでしょう。菅政権は現時点であくまでも開催する方向で調整しているようですが、このコロナ禍では多くの懸念が伝えられています。来月末に緊急事態宣言が取り消された後で、はたして大きなリバウンドが発生しないか誰も分かりません。人命とオリンピックどちらが大切かは明らかです。IOCの無謀な要求に応えてオリンピックを開催した場合、もし感染者が急増したら内閣総辞職では済みません。国民の命と引き換えにオリンピックを開催した汚名が永遠に残るのです。
 それを避けるために政府は具体的な開催スケジュールを明示すべきでしょう。コロナ禍の状況を考慮していつの時点でオリンピック開催か中止かを宣言しなければなりません。そうしないと、いつまでも医療従事者を中心に多大な迷惑をかけることになります。医療従事者はオリンピック開催期間中に数百人単位でオリンピックに従事することになります。日本医師会の談話によりますと、現状ではオリンピックに従事できる医療関係者の数が不足しており、各地域の医療体制もひっ迫している状態です。
 また、様々な業界からも異論が続出しています。昨日次のような記事がネットに掲載されました。
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『東京五輪に慎重論 経済界で浮上、緊急宣言影響も警戒』
 新型コロナウイルス感染症の収束が見通せない中、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長ら著名経営者が今年夏の東京五輪・パラリンピック開催に懸念の声を上げた。緊急事態宣言が延長されることを受け、開催反対の世論が高まる恐れがあり、現時点で静観する多くの企業でも戸惑いが広がっている。
 五輪開催について孫氏は23日、ワクチン接種が遅れている日本で「(感染で)失われる命や、緊急事態宣言した場合の補助金、GDP(国内総生産)の下落、国民の我慢を考えるともっと大きな物を失うと思う」とツイッターで表明した。
 楽天グループの三木谷浩史会長兼社長も今月中旬放映の米CNN番組で「リスクが大き過ぎる」と主張。五輪スポンサー企業では朝日新聞社が26日付朝刊に「中止を決断するよう菅(義偉)首相に求める」との社説を掲載した。
 一方、政府系金融機関の支援が決まった居酒屋大手ワタミの渡辺美樹会長は28日の記者会見で、「やめるべきだとは思うが、(菅首相が)突き進むならば支持したい」と語った。有力スポンサー、NTTの澤田純社長は12日の決算会見で「私自身は、オリンピックは開くべきだと考えている」と強調し、安全な開催への議論を呼び掛けた。
 JTBは開幕まであと2カ月に迫り、観戦チケット付きツアーの販売再開に踏み切った。別の旅行業界関係者は「開催ありきではないが、準備を進めないと間に合わない」と頭を抱える。
 緊急宣言延長で行動への制約が続き、国民のストレスは募る一方だ。はけ口のようにインターネット上で選手らの言動に不満を示す動きも見られる。トヨタ自動車の長田准執行役員は12日の決算説明会で、安全な開催に期待しつつ「(選手への批判は)スポンサーとして大変心を痛めている」と語った。
(https://www.jiji.com/jc/article?k=2021052800899&g=eco&utm_source=
top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit)
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 また最近のIOC委員からの日本に対する威圧的な意見にも批判の声が挙がっています。
「新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、開催の是非が問われている東京五輪。そうした中、IOC(国際オリンピック委員会)の最古参委員、ディック・パウンド氏(79)が、「週刊文春」の単独インタビューに応じ、「菅首相が中止を求めても、大会は開催される」などと述べた。」(https://www.msn.com/ja-jp/news/national)
 一民間団体が国家より上位だと考えること自体が間違っています。以前よりIOCには様々な疑惑があり、IOC委員の中には開催希望国からの賄賂をもらって逮捕される事件も生じています。いわゆる「オリンピック貴族」が存在するのです。1週間ほど前に次のような記事が開催されました。
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『IOC幹部の特権 1泊300万円の宿に4万円で宿泊、差額は組織委が負担』
 新型コロナウイルスの感染拡大が収束しないなか、国民からは中止や延期を求める声も多く出ている東京五輪。しかし、何が何でも「開催ありき」で突き進むのが、一部の政治家や“五輪貴族”たちだ。日本政府は、入国する五輪関係者に対して「14日間の隔離」を免除するなど“入国特権”を与えているが、五輪関係者の特権はまだまだある。
 来日する各国選手は選手村と競技会場を行き来するだけの「バブル方式」が適用され、事実上の“軟禁状態”に置かれる見通しだ。一方でバッハ会長をはじめIOC(国際オリンピック委員会)や各競技団体の幹部は5つ星ホテルでの“貴族生活”が約束されている。
 東京都は大会期間中に「The Okura Tokyo」「ANAインターコンチネンタル」「ザ・プリンス パークタワー東京」「グランドハイアット東京」の4ホテルの全室を貸し切り、IOC関係者に提供することを保証している(「立候補ファイル」より)。
「The Okura Tokyo」には、国内最高額とされる1泊300万円のスイート(720平米)があるが、IOC側の負担額の上限はどんな部屋でも1泊400ドル(約4万4000円)までと定められ、差額は組織委が負担する。
 さらに今年4月28日に開かれた政府と組織委、東京都の五輪コロナ対策調整会議で、感染防止のために大会関係者と選手の移動は「新幹線一両貸し切り」「航空機はチャーター」などと決められた。バッハ会長が「ぼったくり男爵」(米国ワシントン・ポスト紙)と報じられるはずである。
 日本の組織委幹部の待遇も破格だ。東京五輪は開催しても中止しても大きな赤字が出ることが予想され、最終的には税金で穴埋めすることになるが、常勤役員報酬の最高額は月額200万円で、別に交通費、通勤費、旅費(宿泊費含む)、手数料等の経費が支給されると定められている。経費の見直しが行なわれても役員報酬は減らされていない。
 どれだけ感染拡大してもIOCや組織委側が「中止」を言い出さないわけである。
(週刊ポスト2021年5月28日号)
(https://www.news-postseven.com/archives/20210522_1659932.html?DETAIL)
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 近代オリンピックの創設者クーベルタンがこのことを知ったらどう思うでしょうか。彼はすぐにもオリンピックを無くしてしまうでしょう。オリンピックはあくまでも平和の採点です。平和の象徴として開催すべきだとと思います。その中にはコロナ禍で練習もままならぬ世界中の選手たちに平等に練習する機会を与えることも意味します。それができない現状では本当のオリンピックの価値はありません。練習環境に不公平があるからです。
 この先オリンピック開催がどのような状況になるのか、私たち国民は注視していく必要があります。そうしないとかつての太平洋戦争のように「一億総玉砕」となりかねません。戦争で命を落としても、疫病で命を落としても、同じ命です。政府は国民の命を預かる立場として真摯に考えてもらいたいものです。

2021年05月30日

#380 運命と因果応報(3)

 今週末は久しぶりに晴天が続いていますが、明日からまた梅雨空が続くようです。今年の5月はひと月早い五月雨となっています。
 さて運命と因果応報の3回目となります。この文章を呼べば稲森和夫氏が一生を通してどのような考え方を貫いたかが如実に分かります。

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運命と因果応報(3)

 しかし、「因果応報の法則」はあるのです。宇宙の始まりはひと握りの超高温超高圧の塊でした。それが約百五十億前に大爆発して、素粒子同士が結合して用紙や中性子、中間子をつくり、そこに電子がトラップされて水素原子ができた。その水素原子同士が融合して、ヘリウムという原子ができた。このようなことを繰り返して、現在宇宙に存在するあらゆる元素がつくられ、さらに分子や高分子がつくられ、やがて生命体が生まれ、われわれ人類に至っているのです。
 最初の素粒子のままで百五十億年間とどまってもかまわないし、原子の段階で止まってもおかしくはない。しかし、宇宙は次から次へと生成発展を繰り返し、人類というものまでつくった。なぜか。宇宙には神羅万象あらゆるものを生成発展させ、成長させようとする意識が働いているのです。
 われわれが善き意識をもったとき、それは宇宙に充満する「すべての生きとし生けるものよ、よかれかし」という意識-「創造主の意識」といってもよいかもしれませんが-と合致します。そのような美しい個人の意識は、宇宙の意識と波長が合い、すべてがうまく行き、物事が成功、発展へと導かれていくのです。逆に、宇宙の意識に逆行すれば失敗するに決まっているのです。
 そう考えると、没落や衰亡が起こるのも理解できます。たとえば、会社が倒産するのは、うまくいっていたときに「善きことをしなかった」「世のため人のためになることをしなかった」「その後、真面目に働かなかった」等々、つまり宇宙の意識に反するようなことをした報いとして起こるわけです。
 昨今、かつては高く評価されてきた企業が倒産したり、倒産寸前の死に体の状態に陥ってしまう事例が目につきます。それに従って、名経営者と讃えられ、尊敬を受けてきた人が失墜し、没落の憂き目に遭っています。三十年、四十年というスパンで発展から衰退の道をたどることもあれば、昨今のベンチャー企業のように、わずか数年で急成長をとげ、まもなく転落していくところもあります。いずれにせよ、功なり名をとげた企業があっけなく崩れていきます。
 経営者であれば、企業が傾いたり倒産するような事態は「何がなんでも避けたい」と願うはずです。それなのに、なぜ、成功がつづかないのかといえば、「運命」もありますが、やはり「因果応報の法則」の結果だと私は思います。
  二十世紀初頭のロンドンでは、インテリたちが集まり、死んだ人の魂と交流する交霊会というものがよく開かれていたそうです。ある町医者が主催する交霊会には、いつもシルバーバーチと名乗るインディアンの霊が現われ、いろいろな話をしたそうですが、その話がまとめられ本になっています。その本をたまたま読んでいたときに、1カ所、強く惹きつけられるところがありました。長年疑問に思っていた「因果応報の法則」が説明できないということについて、シルバーバーチは次のように述べていたのです。
 「みなさんは因果応報の法則を信用していないでしょう。善きことをしたからよい結果が出るとか、悪いことをしたから悪い結果が出るということがはっきりしないので、信用しないのだと思います。しかし、短い期間ではそのとおりに出てきませんが、十年、二十年、三十年という長いスパンで見れば、必ずそうなっています。また、現世では結果が出てこないケースもありますが、私のいる世界(あの世)も含めて見れば、一分一厘の狂いもありません。寸分の狂いもなく、悪いことをした人は悪いように、善いことをした人は善いようになっています。因果応報の法則は正しいのです。」
 三十年、四十年という長いスパンで見れば、だいたい辻褄が合う。それでも結末のつかない場合も、あの世に行けば寸分の狂いもなく帳尻が合う、といっているのです。
 いま、われわれが行なっていること、思っていることが、何年先か何十年先か分かりませんが、やがて必ず起こる結果をつくっているのです。いまつくっている業(カルマ)が原因となる現象は将来必ず現れます。そのときに慌てふためいて悲しんでも、もはや遅いのです。ぜひ、このことを心にとめて、日々善きことを行なうようにしていきたいと思います。
(「稲森和夫の哲学 ― 人は何のために生きるのか」PHP文庫 第十二章より)
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 三回に分けて稲森氏の人生に対する考え方をご紹介しましたが、はたして起業家のなかに稲森氏のような人生観を持っている人がどれだけいるでしょうか。特に成長著しいIT企業の盛衰が激しいのは、この運命と因果応報の法則を無視した結果のような気がします。利益中心の企業精神が産んだ負の連鎖でしょう。
 このことは個人の一生や、企業の存続だけでなく国家にも言えることです。人民を無視した国家の滅亡は例外がありません。旧ソ連や、ルーマニアがよい例です。現在の中国や北朝鮮、軍事政権のミャンマーがいつまで存続するかは分かりませんが、国民を無視した国家の命運がすでに定まっています。国家の興亡は因果応報の法則に従います。歴史は繰り返すのです。

2021年05月23日

#379 運命と因果応報(2)

 九州北部では早くも入梅しました。平年より3週間ほど早い梅雨入りとなります。例年ですと5月のこの時期には快晴で湿度も低く一年で一番過ごしやすい時期が続きますが、今年は天候も異常です。
 さて、前回の続きになります。かなり長いですが大切な内容ですので一読してください。

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運命と因果応報(2)(陰隲(しつ)録より)
 袁了凡はもともとの名前を袁学海といい、代々医術を家業とする家に生まれました。父を早くに亡くしたため、母の手で育てられ、彼の母は息子に医者を継がせようと医学を学ばせていたところ、ある日頬髯(ほおひげ)の立派な老人が訪ねてきて、こう言いました。
 「私は雲南で理法(易)をきわめた者です。袁学海という少年に理法を教えるようにという天命が下ったのでやってきました。お母さんはこの子を医者にしようとお考えかもしれませんが、彼は科挙の試験に通り、立派な役人になります。県で受ける一次試験には何番で通ります。二次試験、三次試験にも何番で受かります。そして科挙の本試験に臨む前に役人になり、若くして地方長官に任じられます。結婚はしますが、子供さんはできません。そして五十三歳で亡くなる運命です。」
 学海少年は実際に医者の学問をやめ、役人の道へ進みます。すると、恐ろしいぐらいに老人が言ったとおりになっていく。何番で試験に受かるというのもそのとおりなら、地方長官になるのもそのとおりでした。すべてが老人が予言したとおりだったのです。
 その後、南京の国立大学に遊学することになった袁了凡は、雲谷禅師という素晴らしい老師がいる禅寺を訪ね、相対して三日間座禅を組みました。
 「お若いのに、一点の曇りも邪念もない素晴らしい禅を組まれる。これほど素晴らしい座禅を組む若い人を見たことがない。一体どこで修行をなされたのかな。」
 雲谷禅師が感心して言いました。これに対して、袁了凡は子供のころに出会った老人のことを話しました。
 「私の今日までの人生はその老人の言葉と一分の狂いもありませんでした。すべて老人がいったとおりです。子供もできませんし、おそらく五十三歳で死ぬのでしょう。だから、思い悩むことは何もないのです。」
 その話を聞いた雲谷禅師は一喝しました。
 「悟りを開いた素晴らしい男かと思ったら、そんな大馬鹿者だったのか。」
 そして、「老人があなたの運命を言ったというが、運命は変えられないものではない」といって、善きことをすればよい結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果が生まれるという「因果応報の法則」を説きました。
 「善きことを思いなさい。さすれば必ず、あなたの人生も好転していきます。」
 そういわれた袁了凡は、「自分は間違っていた。老師にいわれたように、今後は善きことをしていこう」と誓い、善きことをすればプラス一点、悪いことをすればマイナス一点というように、点数をつけ、日々善きことを重ねるよう努めました。その後、袁了凡は七十三歳まで生きながらえました。
 また、できないといわれた子供にも恵まれました。袁了凡はその子に向かってこう語ったのです。
 「雲谷禅師に出会うまでの人生は、運命のとおりだった。しかし、そのあとの考え方を変え、善きことに努めたところ、おまえが生まれ、本当ならば五十三歳で死んでいなければならないのに、七十を過ぎたいまでも元気だ。なあ、息子よ。人生とは善きことを重ねることで変えられるものなのだよ。」
 「運命」というものは決まっています。われわれが望んで動かせるものではありません。一方、「運命」と同時並行で流れる「因果応報の法則」は、そうではありません。この法則を使えば、決まっているはずの「運命」すらも変えられるのです。このことを「立命」といいます。そうであれば、われわれは「運命」を変えることができる、この「因果応報の法則」をもっと有効に使うべきだと私は考えています。
 ところが、現代社会においては、「運命」や「因果応報の法則」が縒(よ)り合って人生ができていくという単純なことさえも信じられていません。なぜか。一つには「運命」や「因果応報の法則」に対する偏見が影響しています。人智を超えた運命は科学で説明できない。したがって、多少なりとも学問を学んだ知性的な人-インテリ-は「運命」を迷信のようなものと考えてしまいがちです。また、「因果応報の法則」は「悪いことをすればバチが当たるぞ」という表現が示すように、土俗的に使われてきたため、子供だましのように受け止められ、学問のない人が子供を戒める方便のように思われている面があります。
 また、それ以上に「運命」や「因果応報の法則」の正否を証明することがそもそも難しいということも大きく影響しているのでしょう。運命がどうなっているのか、われわれには知りようがないし、善きことをすればよい結果が出るということもなかなか明確な形では表われてはきません。
 それは先にも述べましたように、「運命」と「因果応報の法則」が縒り合うようにして人生が形づくられているからです。
 たとえば、運命的にたいへん悪い時期に少しぐらいよいことをしても、それくらいでは事態は好転しませんし、逆に運命的に非常によい時期に若干悪いことをしても、打ち消されて一向に悪くならないこともあるのです。だから、「あんなに悪いことをしている人が、どうして幸せな人生を送るのだろう」というようなこともあるわけです。
 さらに、こんなこともあるそうです。ある人が霊能力者に友人の運勢をみてもらったところ、こんなことをいわれたそうです。
 「この人は今年たいへん悪い運命にあり、おそらく大病などを患っているはずだが、それが平穏無事だとすれば、近年素晴らしくよいことをされたに違いない。これほど運命的に悪い時期に、体調も仕事も順調であるはずはない。」
 このように、「運命」と「因果応報の法則」はDNAの二重らせんのように複雑にねじれ合い、縒り合うようにしてできているために、「1+1=2」というような整合性がなく、誰も人生がこの「運命」と「因果応報の法則」の二つの要素からできていること、そして「因果応報の法則」のほうが「運命」に勝り、人生を変えることができるということを信じようとはしないのです...
(次回に続きます)
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 「因果応報」と言えば何かしらおどろおどろしい響きがありますが、次のように考えられるでしょう。日々勉強する子どもは学力が身につき、将来希望する職業に就くことが可能になります。逆に日々遊んでばかりいる子どもは学力が身につかず、入試や就職に失敗する可能性が高くなります。最近では「因果応報」という言葉よりも「原因と結果」という表現が使われています。表現が異なっても内容は同じです。
 次回もこの話題が続きます。稲森氏は「運命」と「因果応報の法則」についてどのように考えているのでしょうか。

2021年05月16日

#378 運命と因果応報(1)

 新型コロナが全国的に拡大しており、第4波が勢いを増しています。福岡県も12日より緊急事態宣言を発出することになりました。今回の緊急事態宣言で学校が臨時休校になることはありませんが、部活や学校行事などの中止や延期が考えられます。またオンライン授業などの対策も取られることでしょう。とにかく人流を押さえない限りはいつまでも新コロが収まることはないでしょう。私たち一人ひとりの自覚が問われていることになります。
 さて稲森和夫といえば京セラやKDDIを設立し、経営不振にあえいでいた日本航空を再建させた日本経済界の重鎮ですが、その稲森氏は多くの著作を通して人生や会社経営など様々な分野のご意見番として活躍されています。私も時々彼の著作をひも解いていますが、今日はその中の一節をご紹介します。果たして人間に運命や因果応報というものが存在するのでしょうか。
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 われわれの人生を形成する要素として、二つのものがあると私は考えています。まず第一にあげられるのは、もって生まれた「運命」です。たとえば、時代を代表する優秀な学者がいるとします。彼の頭脳が明晰なのは、両親から素晴らしい脳細胞を遺伝として受け継いだからだとしても、それだけでは優秀な学者にはなれません。病気をせずに健康で過ごすこと、学問に打ち込める環境があること、恩師や支援してくれる人々にめぐり合うことなど、さまざまな条件が加わって初めて、人はその与えられた才能を十二分に開花させることができます。つまり、一流の学者という地位を得るかどうかは、自分の意志や遺伝子の力が及ばない「何か」―運命―の範疇に属することなのです。
 東洋の政治哲学・人物学の権威として知られる故安岡正篤さんは、「易は宇宙の真理を包含した学問だ」ということをおっしゃっていましたが、中国では古くから「易」が自然の理として研究されていました。西洋でも占星術が深く研究され、膨大な文献が残っています。いずれも「運命」というものの重みを理解し、何とかしてそれを知ろうとする人々の強い願望が生み出したものでしょう。
 この「運命」とは別に、もう一つ、われわれの人生を形づくる大きな要素があります。それは「善根は善果を産み、悪根は悪果を生む」という「因果応報の法則」です。「思いのままに結果が表われる」ということを私は機会あるたびに話していますが、それは思ったこと、行動したことが原因となって結果が生じるということです。これが「因果応報の法則」と呼ばれるもので、「運命」と同時並行的に、われわれの人生を滔々と流れています。
 つまり、我々の人生をつくっている要素には、その人がもって生まれた「運命」と、その人の現世における思いや行為によってつくられる業(カルマ)がなす現象との二つがあるわけです。表現を換えれば、「運命」と「因果応報の法則」がまるでDNAの二重らせん構造のように縒(よ)り合って人生がつくられているのです。つまり、善きことを思い、善きことを行なうことによって、運命の流れをよき放校に変えることができるのです。
 これは私が勝手に考えたことではありません。安岡正篤さんはその著書『運命と立命』の中で「運命は宿命ではなく、変えることができる。それには因果応報の法則が大慈なのだ」という趣旨のことを述べ、中国の古典『*陰しつ録』という本から袁了凡という人物に関する話を紹介しています。……(次回のブログに続きます)
*『陰しつ録』の「しつ」は”こざとへん”に”つくり”は小と馬を立てに重ねます。
(『稲森和夫の哲学―人は何のために生きるのか』PHP文庫 第十二章より)
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 今回のテーマは古今東西に遍在する「運命」という考えです。人は運命を絶対変わらないもの(これを宿命と言います。)ととらえる人もいますし、運命は自分の人生に全く関係ないものだと考える人もいます。科学があまり発達していなかった時代では「運命」を当たり前のように受け止めていた人が多かったのですが、科学の進歩と共に物質主義がはびこり、前近代的な考え方を駆逐する風潮が起こりました。
 はたして、この話の続きはどのようなものになるのでしょうか。次回のブログはかなり長いものになります。それでは次回をしばらくお待ちください。

2021年05月09日

#377 さよなら、ツンドラ

 今年のゴールデンウィークも昨年と同じように新型コロナの影響で各地で外出自粛が呼びかけられています。福岡市ではドンタクも中止となり、静かな5月の連休となっていまが、昨年と異なり、多くの人たちが様々な観光地や繁華街へ繰り出しています。変異株の猛威により福岡県の新規感染者は400名を超えており、このままいけば大阪や東京のような状況になりかねません。
 変異株が現在緊急事態宣言を発出している地域だけでなく、全国的に拡大しています。政府がいかに自粛を呼びかけても一般市民が自粛の意識が無ければ、いつまでも新コロの影響は無くならないでしょう。東京オリンピックの開催も危ぶまれます。中国のように強制的に人民を隔離することができない以上、私たち一人ひとりが感染を防ぐために意識を持たなければこの状況は改善できないでしょう。その結果、当然東京オリンピックは中止になります。
 さて、新型コロナの影響で様々な業種で倒産や事業縮小などの悪影響が生じています。特に外食関連の倒産件数が増えています。このことは老舗の店も例外ではありません。福岡で私が一番好きだったレストランも諸事情により5月7日に閉店となりました。福岡で一番の老舗のロシア料理「ツンドラ」です。先日西日本新聞にツンドラに関する記事がありましたので転載します。
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『ロシア料理名店「ツンドラ」61年の歴史に幕 天神、5月閉店』
 福岡市・天神地区にあるロシア料理の老舗「ツンドラ」が、5月7日で61年の歴史に幕を下ろす。20代から店に立った2代目経営者の徳永哲宥(てつひろ)さん(77)が、後継者の不在や地価の上昇などを考慮して決断した。九州のロシア料理店の草分け的存在で、多くの人に親しまれた。惜しむ声が広がっている。
 ツンドラを創業したのは徳永さんの母、初美さん(故人)。1950年代後半、東京にいた息子に会いに上京した際、国内初のロシア料理店「渋谷ロゴスキー」に立ち寄った。その味に感動し、福岡で同業の店を開くことを思い立ったという。
 店に1カ月泊まり込んで修業した。冷戦の真っ最中で、当時行き来が難しかった旧ソ連も訪問。各地を巡って料理を学び、帰国したという。徳永さんは「無鉄砲で、バイタリティーあふれる人だった」と母をしのぶ。
 60年に開業。店名は「他にない名前を」と考えた初美さんが、世界地図に「ツンドラ地帯」とあったことから決めた。当時、洋食を提供する店は少なく、瞬く間に人気に。日本人だけでなく、米軍基地から米兵たちも訪れた。
 名物は伝統料理「ボルシチ」。本場では西洋野菜ビーツの色素でスープを赤に染め上げるが、創業時は手に入らずトマトピューレで代用した。それが60年続く「ツンドラ流」となった。「創業から調理法や味付けは変えていない。長く続いた理由の一つかもしれません」と徳永さん。
 ここ数年、母や店を長年支えてくれた親族が、相次ぎ亡くなった。店は、再開発が進んで地価が上昇する天神に隣接する中央区大名にあり、今後、賃料の値上げも予想される。「潮時かな」と考えるようになった。事業譲渡も検討したが、コロナ禍で不調に終わった。閉店を決断した。
 4月に入り、常連客に閉店を伝え始めた。中には毎週通う高齢夫婦や、ひ孫まで4代連れ立って来店する家族もいる。「思い出の場所だ」「やめないで」と言われると、徳永さんは目頭が熱くなる。
 営業最終日まで残りわずか。「最後まで、大人にも子どもにも『おいしい』と言ってもらえる料理を提供できるよう頑張りたい」。店を、料理を通じて、多くの人の心とつながりが持てたことに感謝する。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/726299/)
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 この「ツンドラ」には懐かしい思い出があります、私が大変お世話になった方の誕生に有志の方々でお祝いをし、ツンドラで晩餐会を毎年開いていました。出されるロシア料理は本当に一流の味で、毎年この日を楽しみにしていました。ツンドラでの夕食後は全員で西鉄グランドホテル内のカクテルバーで深夜遅くまで様々な話題を心行くまで談笑し合ったものです。その方もすでに他界されて、その後ツンドラで食事を楽しむことは無くなりました。ツンドラ閉店のニュースを聞いて、早速ツンドラに電話しましたがすでに7日の閉店まで予約で一杯とのことでした。残念ながらツンドラの料理味わう機会は永久になくなりました。
 時代の流れとともに、人も物も様々なものが変遷していきます。そして消え去ったものは思い出の中にいつまでも静かに佇んでいます。誰でも一度や二度はふり返ってみたい出来事があります。今日は懐かしい思い出を少し語ってみました。

2021年05月02日

#376 コーヒーとピーマン

 朝から晴天が続いています。春爛漫というより初夏の雰囲気が街中に漂っています。多くの草花も至る所で咲き乱れ、サツキが満開を迎えています。ここ数日の最高気温も25度を超え、半袖でも充分過ごせそうな季節となりました。
 さて4月の日曜日も今日が最後で、次の日曜日は5月2日です。ゴールデンウィークの真っ只中になります。しかし多くの都市で新型コロナによる非常事態宣言が発出されており、昨年のゴールデンウィークに引き続き、今年の大型連休も静かな休日となりそうです。また7月の夏祭りも各地で中止の発表がすでになされており、福岡の山笠や大牟田の大蛇山も早々に中止となりました。残念ですが、来年こそは盛大に夏祭りを開催してもらいたいものです。
 ところで本日のテーマ「コーヒーとピーマン」は多くの子どもが好まないものです。コーヒーを好む子どもはおそらく砂糖を入れて飲んでいるのではないでしょうか。苦いコーヒーをそのまま飲む子どもはおそらくいないことでしょう。私も子どもの頃はコーヒーよりもジュースを好んで飲んでいました。子どもの味覚は苦いものよりも甘いものを好みます。お菓子も塩辛い煎餅よりも甘いチョコレートやケーキを好むものです。
 同様に子どもが嫌う食べ物の代表がピーマンやニンジンです。特にピーマンのあの苦さは子どもが最も嫌う味の一つです。私も子どもの頃はピーマンやニンジンが大嫌いでした。ニンジンはカレーや煮込み料理に加えると、独特な香りや歯ざわりが消えて、それなりに美味しくなります。
 一方で、ピーマンだけは炒めてもあの独特な苦さが消えず、敬遠していたものです。しかしながら、大人になって世の中の不公平や理不尽さを体験するようになると、コーヒーもピーマンの苦味が分かるようになり、好きになってきました。
 言いかえれば、「苦み」や「渋み」は人生の深みを表しています。子どもや若い頃は人生の辛さをそれほど感じずに成長し、人生の楽しさが全面に現れ、いわゆる「甘い」日々を送りますが、社会に出て世間に揉まれるにつれて人生の悲しさや辛さをいやほど味わいます。そして「甘み」よりも「苦み」や「渋み」を好むようになります。お年寄りが渋茶を好むように、歳を取るにつれて様々な苦労を体験することで、人生に深みと味わいが出てきます。人生の甘い一面だけでなく、悲しさ、切なさ、辛さを体験することで、各人の顔にその人の生き方が如実に現れます。
 人生において様々な体験をし、色々なことを味わうことで何とも言えぬ人生の深みが出てきます。「茶の三煎」のように最初は茶の甘さを味わい、次に苦みを味わい、最後に渋みを味わうような人生を送りたいものです。

2021年04月25日

#375 看護師さんの優しい気づかい

 昨日は所要で福岡へ行っていましたので、ブログの更新が本日になりました。昨日は日曜日でしたが、福岡市の人出は予想以上に多く、先週の水曜日からコロナの新規患者が100名を超えていますが、この人出を見て有りうることだと思いました。コロナに感染しないためにはなるべく外出しないことです。
 福岡市に限らず、大牟田でもこの数日間感染者が急増しており、日によっては20名を超える日も出ています。以前は毎日1~2名の患者が発生してましたので、急激な増加となっています。
 さて、朝から晩まで新コロのニュースで憂鬱になりがちな毎日です。このような時こそ、心温まる話題が欲しいものです。今日は『夜、寝る前に読むと心が「ほっ」とする50の物語』(西沢泰生著)からこころ温まる話をご紹介します。

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『看護師さんの、優しい気づかい』
 これは、私が薬をもらいに近所の病院へ行った時に目撃した、その病院の女性の看護師さんの「実に気がきいた、優しい対応」の話です。
 どうも、その日は健康診断の実施日のようで、何人かの人たちが「今日、健康診断を予約しているのですが……」と言って受付をしていました。
 と、そこへひとりのおじいちゃんが……
 以下、おじいちゃんと受付の看護師さんの会話。

「あの~、今日健康診断にきたんだけど」
「はい。では、予約票をお願いします」
「予約票?」
「健康診断を申し込まれた時に、もらいませんでした?」
「……」
「じゃあ、今日、予約が入っているか見てみますね。え~と、お名前は?」

おじいちゃんから名前を聞いて、パソコンで今日の受診予約者を調べる看護師さん。ところが、その中に、そのおじいちゃんの名前がない。

「今日の受診予定者の中にお名前が無いみたいですねえ」
「えっ。今日のはずなんだけど……」
「じゃあ、今日受診できるかどうか、担当に聞いてみますね」

そう言って、おじいちゃんを帰そうとはせず、内線電話をかける看護師さん。なかなか優しい対応ぶりです。
しかし、私が「すばらしいな」と思ったのは、このあと看護師さんが、内線電話に出た相手へ言ったひと言でした。看護師さんはこう言ったのです。
「〇〇さんが『健康診断の日を本日に変更したい』と受付にいらっしゃっているのですが、大丈夫でしょうか」

 じつにシンプルです。要は、たぶん日にちを間違えて病院にきてしまったおじいちゃんの予約日を、今日に変更できればそれでOK。
 そのためには、経緯なんて、ちょっとくらい変えてしまったっていい。最初から最後まですべて説明する必要なんてないんですよね。ここでもし、
「〇〇さんが受付にきて、今日の受診予定だとおっしゃっているんですけど、予約票を忘れているみたいで……。それで調べてみたら、本日の検診の予定者の中に、名前が無いんです。間違えていらしたのだと思うのですが、どうしましょう?」
 なんて、すべての経緯を、大きな声で言ってしまったら。
 おじいちゃんも、「自分のせいで、迷惑をかけてしまったかな?申し訳ないことをしたな……」と、気にしてしまうでしょう。
 そうなると、待合室で順番待ちをしている他の患者さんの目も気になってしまうはずです。この看護師さんは、とっさにそんな配慮をした上で、経緯を省略して話したのです。
 そして、内線をもらった相手にとっても、忙しい時にくどくどと長い話を聞かされないですむ、こうした「簡にして要を得た」説明は助かります。
 この看護師さんは、おじいちゃんにとっても内線の相手にとってもベストな、優しくてすばらしい対応をしたのです。
 その後、看護師さんはおじいちゃんに「今日は、受診者の数が少ないので大丈夫ですよ。そのままお待ちください。」とにこやかに告げていました。
 めでたし、めでたし。
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 この看護師さんのような咄嗟の対応はなかなかできるものではありません。特に慌ただしい時には相手に対し角が立つものです。どんな時でも相手の立場に立った対応ができるようになりたいものです。

2021年04月18日

#374 売れ残ったペットの末路

 春爛漫の季節となりました。桜の花は散ってしまいましたが、つつじが咲き始め、多くの春の花が咲き誇っています。新学年は色々な面で慌ただしく、新しい授業の準備や課題の春休みの点検などの仕事に追われる日々がしばらく続きます。
 さて多くの家庭で犬や猫などのペットが飼われており、家族の一員として暮らしています。そのペットたちはペットショップで買われたり、親類から貰われたりして幸せに暮らしています。しかしペットショップで売れ残ったペットたちはどのような運命が待っているかご存じでしょうか。先日興味深い記事がありましたので紹介いたします。

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『盲目で心疾患持ちのトイプードルを社販で買った元ペットショップ店員の告白』
 生きている動物を展示販売することを「生体(せいたい)販売」と呼んでいるが、動物の愛好家たちから批判が多い方法だ。その販売方式を伴うペットショップの多くで、ペットにも感情や記憶があり、きちんと向き合うべき命だということを無視したような行為が横行しているからだ。俳人で著作家の日野百草氏が、元ペットショップ店員に、精神的にも金銭的にも搾取された体験を聞き、レポートする。

「私は以前、ペットショップで正社員として働いていました」
 彼女はすぐに電話をくれた。メール中では本名だったが仮に「ムギさん」(30代)としようか。ムギさんは元ペットショップ店員、とは言っても10年以上も前の話だが、彼女によれば現在もそれほど変わらないとのこと、どういうことか。
「コロナでペットショップがまた乱立しています。私の住む吉祥寺も増えました」
 吉祥寺はコロナ禍以前からペットショップの激戦地だ。富裕層が多く住むだけに高価な犬や猫がよく売れる。
「ペットショップのケバケバしい看板を見ると、あのころのトラウマがよみがえります。私はいまも病院で治療をうけています」

 ムギさんはペットショップの仕事で精神を病んでしまった。動物専門学校を卒業後、ムギさんは都内のペットショップに入社した。配属先は都心の繁華街。リーマンショック後の失業率5%台、悪質な派遣業者が食い散らかした残りカスのような求人市場 ―― そんな時代、好きな動物の仕事で就職できたムギさんは幸運だと思っていた。もちろん、動物が好きなだけでは勤まらないと聞かされてはいたが、まさかこれほどの地獄とは思わなかったという。
「入社してすぐ、ヤバい、辞めようと思いました。売れない子たちが大きくなって、ショーケースにぎゅうぎゅう詰めでした。店は都心のど真ん中、とても狭くて自由に放す場所もありません。大きくなった子は店の奥、下の段に入れられますが、5万円でも売れません。店のスタッフも餌をやるだけ。でも、どの子も噛んだり吠えたりしない、おとなしい子でした」

<たくさんの子が大きくなっては店から消えました>
 まだ2013年施行の改正動物愛護管理法前、幼齢の犬猫の販売制限もなければ、終生飼養すら明記されていなかった。ショーケースの基準もなかったので、ムギさんの言う通り大型犬が身動きできない状態で売られることもあった。筆者も15年くらい前、歌舞伎町の某店舗でそんなブルドッグやレトリバー種を目撃している。売れない犬や猫を自治体の保健所という「無料処分施設」に送りつけて在庫一掃なんてことが平気でまかり通っていた。
「店長は怖い人でした。あとで聞いたら本当に怖い関係の人でした。社長も実は雇われみたいで、本当のオーナーのことはわかりませんし聞いてもはぐらかされました。威圧的な幹部ばかりで、女性の副店長はいつも私たち店員を怒鳴ったり、酷いと小突いたりしてました」
 昔の話だから構わないだろうが、一部ペットショップは反社会的勢力の資金源だった。日本における生き物を扱う仕事と反社の関係は長い歴史がある。明治時代から日本には「畜犬商」という商売があった。いまで言うブリーダーの元祖だろう。それと平行して、「犬屋」という商売もあった。これをペットショップの元祖と言っていいか微妙なところだが、生まれた子犬を引き取って売る商売である。戦後では1960年代、血統書付きの犬が投資になると称して事業を拡大し、1970年に出資法違反の疑いで捜索、社長が詐欺で有罪となった東京畜犬、1990年代にはブリーダー詐欺のあげく殺人事件にまで発展したアフリカケンネル、いわゆる埼玉愛犬家連続殺人事件など、どこかグレーな部分を引きずっている。事件化は極端かもしれないが、命の売買は綺麗事ではない。
「そうです。綺麗事じゃありません。たくさんの犬や猫、小動物が仕入れられて、全部が売れるわけがないのですから。売れなければ処分です。殺すんです」
 殺すとは直接的に店員がするわけではない。昔はきっちり殺せる店員がいたと1980年代に個人で鳥獣店を経営していた老人から聞いたことがある。鳥獣店とは若い人には馴染みがないかもしれないが、古くは鳥を專門に扱う「鳥屋」だったものが戦後になって小動物も扱うようになった昭和の個人店である。現在も地方に行けば「○○鳥獣店」と屋号のついた小さなペットショップを見かけるかもしれない。
「たくさんの子が大きくなっては店から消えました。1歳過ぎたらまず見込み額では売れません。でも保健所へ連れていけば簡単に在庫処分ができますからね」
 2013年の改正で自治体は引き取りを拒否できるようになった。それまでは公衆衛生の目的もあるため、引き受けざるを得なかったし、そもそも引き取って処分することが保健所の「義務」だった。野犬となり危害を加えるとか、狂犬病が広がるなど現代では笑い話だが、日本も大昔は野良犬によるそういった被害があった。その名残もあって、飼えないとなれば保健所は業者であっても引き取って処分しなければならなかった。悪質なペットショップやブリーダーはそれを逆手にとって「在庫」を引き取らせていたが、現在は法改正もあってほとんどの自治体は業者の持ち込みを拒否している。ムギさんの店も、そんな店だった。
「でもね、”そんな店”でも、みんな私が毎日ご飯を作って、綺麗に洗って、小さなお店でずっと一緒にいた子たちです。だからセールスは必死でした。もう抱かせて、かわいいですよかわいいですよってアピールして、あまり治安のいい場所じゃないから酔っ払ったカップルとか客にペットをねだるキャバ嬢とかが多いですけど、それでもここで陳列されて殺されるよりマシって、お願い救ってあげてって、それくらいしかできませんでした」
 ブラック労働の恐ろしいところは、反発していたはずが気づかぬうちに加担してしまうことにもある。過酷なほど、その矛盾を是としてしまう。思考停止だ。ペットショップの多くは古くから労働条件がいいとは決していえない環境にある。悪質なペットショップは動物も悲惨だが、人間の扱いも軽い。結局、辞めた理由はそれなのか。
「はい。でも辞めるきっかけになったのは、トイプードルの女の子です。その子は来たときから様子がおかしくて、もう目は開いてるはずなのに、鼻でくんくんするばかりで私を見ません。小さく咳こむこともありました。(生まれて)2ヶ月なのにおかしいと思ったんです」
 店に来た時は生後1ヶ月、徐々におかしな仕草が増えていった。すると獣医師とは思えない出で立ちのおじさんがやって来て、店のバックヤードで診察したという。結果、その子は進行性網膜萎縮症、動脈管開存症という先天性疾患だと診断された。確かにこの2つの診断は比較的容易とされるが、病院にも連れて行かず店のバックヤードで診察して終わり、診断したのに手術の話もない。その適当ぶりにムギさんは唖然としたという。

<「移送」が決まっていたトイプードルを社販で買った>
 若い人には信じられない話かもしれないが、2000年代までのペットショップには信じられないほどずさんで悪質な店が存在した。また提携獣医師の中にはその片棒を担ぐ者が存在した。日本におけるコンパニオンアニマルの医療は歴史が浅い。大動物や家畜衛生が主だった時代の獣医大学で古い教育を受けた高齢獣医師の中には、知識のアップデートもないままに免許だけ、名義貸しで食っている者がいた。悪質なペットショップの一部はそうした獣医師と結託する。店としても目が見えなくなりかけた心疾患持ちの子犬など、治すより新しく仕入れたほうがいい。その悪行の積み重ねが動物愛護管理法の改正につながった。
「店長は『返品しなきゃな』と言ってました。私は『ほっとけ』という上司の命令を無視してその子の世話しました。店では疎まれてましたね。バックヤードの隅のケージに入れられた子は私だけが頼りです。本当はいけないのですが、こっそり『モモ」って名前もつけてました。で、ついに”移送”というその日、店長に『私が買います」と言ったのです」
 ムギさんいわく、その店における”移動”は別の店に行くことだが、”移送”は別の意味を指す。それを知っていたムギさんはその子を社員割引価格で買った。
 店の利益に貢献してしまったムギさん。こうして、悪質なペットショップは従業員すら食い物にする。良心やその呵責につけこむ。筆者は店の売れ残りの猫をお迎えし過ぎて多頭崩壊寸前になった店員を知っている。情が移ると、いや人間の心を持っていると見捨てられなくなる。見捨てることが平気な店員は、それを「プロ意識が足りない」「この業界に向いていない」と笑う。そういった輩、人間に向いてないという自覚はないらしい。
「儲けさせるのは悔しいけど、その時はこの子、モモを救うには仕方ないと思ったんです。女の子は売れなくても繁殖犬にできるから返品が多かったのですが、その子の場合は心臓疾患があるわけで、遺伝的にも繁殖犬には向かないから難しいと思いました。となれば処分ですから、私が親になるしかなかったのです」
 ムギさんは安いワンルームに住んでいたがペット不可だったため、小型犬の飼えるアパートに引っ越した。アパートとはいえ家賃は上がったし、都心の店からも遠くなった。生活も苦しくなった。それでも、モモちゃんとの生活は幸せだったという。

「モモは目が見えませんでしたが、犬ってもともと目に頼ってませんから、目が見えなくても鼻と耳さえ効いてれば平気なんです。おとなしくて吠えたりもしない、とってもいい子でした。いつも私の膝に乗ったり、お尻をぴったりつけて寝てました。私も幸せでした」
 よく寝る子 ―― モモちゃんの場合は心疾患も影響していた。迎えてすぐ動物病院に連れて行ったが先の病名の通り、かつ手遅れだった。目はともかく、心臓だけはと願ったが遅かった。犬の動脈管開存症はしかるべき医療機関で早期に外科的手術を施せば完治がほとんど。ただし、手遅れだと心不全が進行する。個々の獣医師の判断にもよるが、末期となると手術は困難、内服治療は無理。モモちゃんは舌が青紫色だったという。チアノーゼだ。
「もうちょっと早く病院につれていってあげられたらと、後悔しています」
 生後半年ちょっと、モモちゃんは虹の橋を渡った。「虹の橋」とは作者不明、ペットは死ぬと健康な身体になり、飼い主を虹の橋で待ち続けているという散文詩である。
「モモの一生はなんだったんだろうって思うんです」
 それでも、モモちゃんは幸せだったと思う。短い一生だったかもしれないが、ムギさんと出会い、安らかに暮らした。大好きな飼い主がそばにいたからこそ、どんな運命も安らかに受け入れられた。そう信じたい。人間が勝手に思っているだけ、動物の気持ちなどわかるものかと冷笑する輩がいるかもしれないが、それくらい思ってあげられずに何が人間か。
「モモだけじゃなく、あのペットショップに運悪く仕入れられてしまった子たち、処分された子たちを考えると、本当にペットショップが憎いし、加担した私がいまも許せません」

<心配なのはコロナでペットバブルが凄いこと>
 時代も、店も悪かった。でも許せないとムギさんは言う。なぜならその店は現在も営業していて、会社はより大きくなっているという。2000年代まで好き放題の荒稼ぎをしたペットショップチェーン、さすがに度重なる法改正で以前のような荒っぽい商売はできなくなったが、命の仕入れと在庫、そして処分というシステムは変わっていない。ペットショップチェーン一社あたりが仕入れる年間数百、数千の犬猫、このすべてを売り切り、売れ残りはすべて店舗や店員がすべて引き取る ―― 個人店ならまだしも、そんなことできるわけがない。しているわけがない。現に自治体、保健所の大多数が引き取り要請を拒否できるようになったいま、引き取り屋と呼ばれる闇商売が跋扈している。
「心配なのはコロナでペットバブルが凄いことです。さっきも言いましたが、続々とペットショップが増えてます」
 既存チェーンが店舗拡大しているだけでなく、新規参入する業者も後をたたない。いまやコロナ禍で空前のペットブーム、犬も猫も、コロナ以前の市場価格の倍どころか3倍に跳ね上がっている。ブリーダーの規制や改正愛護法の影響もあるが、犬猫の生む数には限りがある。その奪い合いになっている。そして一生涯に渡り、一つの命を引き受けるという覚悟もないまま、玩具やアクセサリーを買い求めるように命を買い求めるような客が押し寄せる。返品だ、遺棄だ、そんな事例は枚挙にいとまがない。
 ムギさんは辞めて十年以上を経た今も、心の後遺症で薬を飲み続けている。ペットショップの派手な看板を見ると吐き気がするし、ショーケースに陳列された犬や猫という光景もトラウマだという。ムギさんはごく短期間でペット業界とは手を切り、子どもはいないが結婚して幸せに暮らしている。体調の問題で活動などはできないが、保健所からお迎えした小型犬も2頭飼っている。大好きな動物たちの末路を日々思い知らされ、それに加担したという心の傷 ―― ムギさんを追い詰めたのは、残業代も一切つかず、休みも週に一度あるかないかの過酷な労働環境にもあった。動物に休みなどない、ご飯もトイレも毎日なのは当たり前だが、ムギさんの会社は超絶ブラック、新人は365日来て当たり前という社風で、動物も悲惨だが人間もまた悲惨だった。社長は数千万円する超高級外車を乗り回していた。辞めても代わりはいる。就職実績の欲しい専門学校が新卒をいくらでも供給してくれる。
「専門学校も動物関係は胡散臭い金儲けのとこばっかりです。獣医師か飼育員になれなければ動物の仕事は辞めたほうがいいと思ってます」
 これはあくまでムギさんの意見だ。しかし獣医大、獣医学部は超難関の鬼倍率。同世代の受験ヒエラルキーにおける上位層でなければ難しい。飼育員に至ってはさらに狭き門、空きを待つしか無く、定期採用でも数名の枠に千人以上が応募する。非正規でも100倍を超えることがある。それでも大学に入らなければいけない獣医師とは違い飼育員に資格はいらない(公務員試験が前提となる国公立の動物園、水族館はのぞく)、よく学校側が「憧れの飼育員になれます」なんて宣伝文句に使う理由だろう。現実は大半が別業種、ペットショップへの就職すらマシなほうだ。数百万円かけて専門学校に通う結果がそれ、という、その厳しさは覚悟しておくべきだろう。また人気職の割には経営側と獣医師を除けば薄給だ。ムギさんの今回の申し出もペットショップだけでなく、そういった「動物が好きだから」、というだけで安易に選択する子たちへの警鐘の意味もある。
「(ペットショップで)動物園気分で喜んでる連中! あの光景を見て楽しい、かわいいなんて、はしゃげるなんて異常です!」
 ときおり語気が強くなるムギさん。つらい過去を思い出させてしまった。トラウマは根深く、そのせいでスイッチが入るとエキセントリックになってしまうと謝っていただいたがそれは仕方のないこと。むしろ苦しい中、こうして話をしていただいたことに感謝したい。
 断っておくが、ペットショップのすべてが悪ではないことはムギさんもわかっている。心ある大半の店員はむしろ被害者かもしれない。売れる命はどんな手を使っても売る経営者と業界の古い体質、それをいまだに許容している社会に問題がある。たかが犬猫、と思うなかれ、命に対する搾取の構図は、そっくりそのまま人間にも返ってくる。個々の業者をあげつらっても意味がない。社会そのものを、日本全体のペットに対する意識を変えていかなければ抜本的な解決には至らない。日本の法律で動物は「物」だが、ドイツの法律では動物は「物」ではない。犬の法律(Tierschutz-Hundeverordnung)すらあるドイツのようになるのは時間がかかるかもしれないが、動物を守るということは翻って人間を守ることにもつながる。それを倫理と呼ぶ。動物の命の軽い国は人の命も軽い。ムギさんの店のように。
 ムギさんとモモちゃんの話は美談かもしれないが、もうこんな悲しい美談はたくさんだ。
(https://www.news-postseven.com/archives/20210327_1645453.html?DETAIL)
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 かなりの長文でしたが、ペットショップの実態を垣間見た記事でした。もちろん全部のペットショップが必ずしも上記の内容通りではないでしょうが、売として成り立つためには不必要なペットは処分しなければならないのでしょう。哀れなペットたちの天国にいる魂を祈らざるをえません。安易にペットを買い求めて、要らなくなれば捨てる飼い主にも問題があります。ペットは家族の一員です。責任もって命の尽きる最後まで飼ってもらいたいものです。

2021年04月11日

#373 新入生に送る言葉

 新年度を迎え、多くの大学では入学式が行われています。また昨年度に新型コロナの影響で入学式ができなかった新大学2年生に対して改めて入学式を挙行する大学も少なくないようです。確かに大学2年生は新型コロナのためにほとんど対面授業ができず、大半の授業がオンラインで行われ、また新しい友人をつくる機会も奪われ、大学生の中には退学した人もいます。今年度はそのような状況が少しでも改善されることを願っています。
 さてノートルダム女子大学の理事長を長い間務められた故シスター渡辺和子さんが多くの入学式式辞を残していらっしゃいますが、今日はその中の1つをご紹介したいと思います。もちろん中学生や高校生にも当てはまる内容ですが、大学生活は自らが主体的に行うことで、中学・高校と異なる面があります。また次の式辞はおよそ50年前のことですので、それを考慮してお読みください。

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『考える葦に』(昭和47年度入学式式辞 1972年4月)
 きびしい進学勉強の後の安堵感の中にも、皆さんには新しい環境への適応、従来と異なった勉強の仕方、教師、友人とのかかわり方など、数多くの不安があると思います。私たち教職員と在学生は、皆さんが一日も早く学校に慣れ、また大学生活になじんでくださることを願い、そのためにお役に立ちたいと思っています。
 普及したとはいえ、現在の日本ではまだ四人に一人しか大学進学が許されていません。その一人である皆さんは、したがって、「なぜ大学に学ぶのか」という点でははっきりした目的を持っているはずです。”皆が行くから私も行く式”で入学したとしても、または親の言いなりになってきたとしても、今日からは一人ひとりが大学に学ぶ意義を自分なりに見出し、達成してゆかなければならないのです。
 パスカルが「人間は一茎の葦にすぎない。それは宇宙の中でもっとも弱いものである。しかしそれは考える葦である」と言いました。大学は数多くの免許状、資格を出すことができます。しかし大学は決して職業訓練の場ではありません。それはまずもって、人間のもっとも人間らしい機能、すなわち「考える力」を練磨する道場であり、その明確な判断基づいて己の行為を選択する自由人を形成するところであります。
 英文、国文、家政、児童、食品、栄養と所属する学科は分かれていても、大学生として皆さんに共通して求められることは、一般教育課目にせよ、専門科目にせよ、授けられる知識に能動的に働きかけて、知識を知恵に、すなわち自分にとって価値あるものにしてゆくことです。これが考える力を付与された人間の特徴です。
 皆さんの四年間が自らの手によって意義あるものとなりますように。人間は価値あるものに取りかこまれている時幸せです。この大学にお学びになる皆さんの幸せは、利己的なものでなく、他人の幸せを願う心のゆとりと、神の前に生きる人の謙虚さによって特徴づけられていてほしいと思います。
 成人してゆく女性の美しさに加えて、考える力と、豊かな心と、謙虚さがこの四年間つちかわれるようにと祈ります。
(「あなただけの人生をどう生きるか」渡辺和子 (ちくまプリマ―新書より)
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 上記の文は女子入学生に向けての式辞ですが、文中にあります1972年当時、「四人に一人の大学進学率」が2019年には53.7%に上昇しています。また男女の進学率はそれほど差がなく、2018年は男性の大学進学率が「56.3%」であるのに対し、女性の大学進学率は「50.1%」と、ほぼ同数まで比率を伸ばしています。
(https://vanilla-ice.info/university-entrance-rate/)
 約50年前と比べて女子の大学進学率が飛躍的に伸びています。大学進学に関して、ほぼ男女同じということが言えます。
 また、シスター渡辺は「自由人」について同書の別の箇所で次のように説明しておられます。

……では、自由人というのは、いったいどういう人をさすのか。これもいろいろの考え方がありますが、皆さん方もおわかりのように、決して自分勝手な、好きなことをする人という意味ではありません。その言葉が示すように、自らに由(よ)ることができる人、自らに由る思考、行動、それのできる人であり、その責任を取ることができる人、他に由るのではなく、つまり、他人の言いなりになったり、他人への思惑に振りまわされたりする人でなくて、自分の内部に行動の理由、または信念を持っていて、自分の手で自分の人生築いていくことのできる人。これが、自由人の一つの解釈といっていいかと思います。…… (同書45頁より)

 シスター渡辺は長年ノートルダム女子大の理事長を務められましたが、シスターが残された多くの名文は、人々の心の中で今でも輝いています。当塾から2人の女子生徒が東京と千葉の大学にそれぞれ進学しましたが、本日のブログに掲載したのシスター渡辺のお言葉をそのまま2人に捧げたいと思います。

2021年04月04日

#372 春風に誘われて

 昨晩から雨が降り続いています。昨日の日中までは晴天が続き、大牟田市内の桜も満開でした。久しぶりに春風に誘われて各地の桜を見に行きました。市内の桜見物には車を使う必要はなく、自転車で見て回りました。
 金曜日にはまず歩いて5分ほどの距離にある大牟田市動物園に隣接した延命公園の桜を見ました。コロナ禍による花まつり中止のために、桜を見る人はほとんどいませんので花見を独占できました。ほとんどがソメイヨシノですので、一斉に開いた姿は見事の一言です。
 次に県境にある四つ山まで足を延ばして桜見物をしました。四つ山は厳密には荒尾市にありますが、その名の通り標高50mほどの小さい山が4つ並んでおり、頂上には四つ山神社があり、山全体が桜の花で包まれています。「虚空蔵こくんぞさん」の愛称で親しまれ、有明海に臨む四ツ山山頂に鎮座四山神社は、6世紀後半に造られ、虚空蔵菩薩が降臨した地とされる四山古墳に、延久2年(1070)菊池氏初代の菊池則隆がお堂を建立したのが創建とされます。
 ここから見る雄大な有明海の風景は素晴らしく、有明海の対岸には雲仙普賢岳がそびえています。また天気のよい日には有明海のはるか彼方には天草の島々も小さく見えます。この四つ山には小学生のころ歓迎遠足で毎年来た記憶があります。小学1年生は小学6年生に手を引かれて山に登っていました。桜が満開の頃でしたので、今でも記憶に残っています。
 昨日土曜日には大牟田市の北部に行きました。北部で有名なのは甘木山の桜ですが、今回は見送って、大牟田市動物園を舞台に撮影された映画「いのちスケッチ」に登場した堂面川河畔の桜を見て回りました。桜並木を春風に吹かれて自転車で動き回り、川面には散った桜花が浮かび、花筏ができていました。この季節ならではの風景です。その後堂面川に沿って有明海まで進み、夕暮れにたたずむ有明海対岸の太良町や諫早の街明かりを見ることができました。
 3月も終わりを迎え、当塾の授業も月曜日から再開しますが、久しぶりにのんびりしたひとときを過ごすことができました。人気のない満開の桜を見ることは周囲を気にせず、桜と一体となり、いつまでも心行くまで楽しむことができます。コロナ禍後の花見が始まれば、喧噪の中の花見となることでしょう。静かな花見は今年だけの事かもしれません。今年は桜たちも静かな時間を過ごしていることでしょう。

2021年03月28日

#371 出会いと別れの季節

 昨日は春分の日でしたが、これからは夜よりも昼の時間が長くなります。確かに本日の日没の時刻が18:30となっていますので、冬至の頃(17:08)と比べますと1時間半ほど昼間が長くなっています。春陽のきらめきと暖かさで近くの公園の桜はもう満開です。今年の桜花は新年度までは持ちそうにもありません。
 さて3月と4月は出会いと別れの季節です。厳密には「別れ」と「出会い」の季節と言えるでしょう。3月には卒業式や人事異動、4月には入学式や入社式など様々な場所で出会いと別れが繰り返されます。当ブログ(#367)でも書きましたが、今年度は当塾から中学3年生2人、高校3年生2人が旅立ちました。塾生たちの幸せな門出を心より祝福します。そして機会があれば時々顔を見せてもらいたいと思っています。
 教師という仕事は生徒を社会に送り出すことが主な仕事です。そのために日々の勉強を通して学力だけでなく学校行事などの集団活動を通して社会へ適応する術や知識を身につけます。換言すれば、自分の長所や短所を理解した上で、いかに社会で自分を活かすことができるか、その基盤を築くのが学校生活です。その基礎力を造る手助けをするのが教師の仕事です。単なる生徒に学力をつけさせるだけではありません。授業を通して、また生徒の関りを通して生徒を育てることが教師の仕事です。
 ところで、20年ぶりに福岡雙葉の卒業生から連絡が来ました。同窓会出席の案内です。ただし、今年は同窓会総会ができませんので、会報に旧担任団のコメントを載せる形式に変更することになったそうです。久しぶりに卒業アルバムを開くと懐かしい顔ぶれが並んでいます。そしてあの頃の自分の姿が写真を見ながら走馬灯のように心に浮かんできました。20年の月日を重ねていますが、アルバムの写真は当時のままで様々な思い出がよみがえりました。卒業生たちは今年38歳になります。家庭の主婦として子育てに奔走していることでしょう。あるいは社会の第一線で活躍していることでしょう。この20年間で様々なことを体験し一生懸命生きてきたことを思い巡らせながら、卒業生一人ひとりの幸せを祈らざるをえません。そしてコロナの終息後また再会できることを楽しみにしています。

2021年03月21日

#370 天使の声ー10年目の祈り2

 前回のブログにおいて、紙面の都合で書けなかったことを本日は述べたいと思います。東日本大震災で様々な悲惨なニュースが報道されましたが、私にとって今でも忘れることができないニュースがあります。ご存じの方もおられると思いますが、震災当日に宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん(当時24歳)の事です。彼女は市民に防災無線で呼びかけ多くの人命を救いましたが、残念なことに津波の犠牲となってしまいました。このニュースは震災時のニュースとして全国的に報道され、多くの涙を誘いました。震災当時の河北新報の記事がネットにありますので、かなり長い記事ですが転載します。
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『住民救った 「高台に避難してください」<4月12日 河北新報>』
 「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
 防災無線の呼び掛けが、多くの命を救った。だが、声の主の行方は震災から1カ月たった今も知れない。
 3月11日午後2時46分、宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階にある危機管理課。町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握った。
 「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」
 防災無線が30分も続いたころ、津波は庁舎に迫りつつあった。「もう駄目だ。避難しよう」。上司の指示で遠藤さんたちは、一斉に席を離れた。
 同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ている。屋上へ逃げたはずだった。が、津波の後、屋上で生存が確認された10人の中に遠藤さんはいなかった。
 南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いした。遠藤さんは、多くの同僚とともに果たすべき職責を全うした。
 遠藤さんは1986年、南三陸町の公立志津川病院で産声を上げた。待望の第1子に父清喜さん(56)と母美恵子さん(53)は「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込め「未希」と命名した。
 志津川高を卒業後、仙台市内の介護専門学校に入学。介護の仕事を志したが、地元での就職を望む両親の思いをくみ、町役場に就職した。同僚は「明るい性格。仕事は手際よくこなしていた」と言う。
 2010年7月17日、専門学校で知り合った男性(24)と、町役場に婚姻届を出した。職場仲間にも祝福され、2人は笑顔で記念写真に納まった。
 両親は当初、2人姉妹の長女が嫁ぐことに反対だった。「どうしてもこの人と結婚したい」。男性が婿養子になると申し出て、ようやく両親も折れた。ことし9月10日には、宮城県松島町のホテルで結婚式を挙げる予定だった。
 美恵子さんは「素直で我慢強い未希が人生で唯一、反抗したのが結婚の時。それだけ、良い相手と巡り合えたのは幸せだったと思う」と語る。
 遠藤さんの声は、住民の記憶に刻まれている。
 山内猛行さん(73)は防災無線を聞き、急いで高台に逃げた。「ただ事ではないと思った。一人でも多くの命を助けたいという一心で、呼び掛けてくれたんだろう」と感謝する。
 娘との再会を果たせずにいる清喜さんは、無念さを押し殺しながら、つぶやいた。  「本当にご苦労さま。ありがとう」
  ◇◇◇
 震災後の対応に忙殺され、市町村職員の死者・行方不明者数はいまだに実態が把握されていない。

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『最後まで避難呼び掛け 不明の職員遺体発見 <5月2日 河北新報>』
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の職員で、最後まで防災無線で町民に避難を呼び掛け、行方不明になっていた遠藤未希さん(24)とみられる遺体が志津川湾で見つかった。
 父清喜さん(56)や母美恵子さん(53)らによると、遺体は4月23日、志津川湾に浮かぶ荒島の北東約700メートルの地点で捜索隊が発見した。
 両親や昨年7月に結婚した夫(24)が遺体を写真で確認し、左足首に巻かれているオレンジ色のミサンガや、右肩付近のあざなどの特徴が遠藤さんと一致したという。ミサンガは夫からのプレゼントだった。
 家族は死亡診断書が届き、遺体が遠藤さん本人と確定し次第、遺体を火葬し、葬儀を営む予定。
 遠藤さんの実家も津波で被害を受けた。両親は避難所で暮らしながら、手掛かりを求めてがれきの街を捜し回り、遺体安置所の町総合体育館に通い続けた。
 美恵子さんは3月下旬、遠藤さんが水中で亡くなっている夢を見た。「未希が『早く捜してほしい』と、助けを求めていると思った。亡くなったことはつらいが、遺体が見つかり、家に迎え入れることができるだけでもよかった」と言う。
 清喜さんは「家に帰って来てくれれば、いくらかでも気持ちは違うと思う。今も行方不明の方々がいることを考え、葬儀はしめやかに行いたい」と話した。
 遠藤さんは3月11日午後2時46分から約30分間、防災対策庁舎2階にある放送室から防災無線で「高台に避難してください」「異常な潮の引き方です。逃げてください」などと呼び掛け続けた。津波が庁舎に迫ったため放送室を出た後、行方が分からなくなっていた。

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『挙式控え犠牲、防災無線の職員追悼 <6月10日 河北新報>』
(天国へウェディングソング)
 防災無線で住民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった宮城県南三陸町職員遠藤未希さん(24)にささげる歌が震災発生から3カ月となる11日、同町で披露される。9月に結婚式を控えていた遠藤さんの思いが伝わるようなバラード。自ら作詞した東京都の歌手水戸真奈美さん(28)=宮城県柴田町出身=は「勇気ある行動をした未希さんのことを忘れてほしくない。被災地の復興も願い、歌う」と誓う。

(宮城県柴田町出身の歌手 あす披露)
 ◇花嫁の思いを紡ぐ◇
 曲名は「WEDDING ROAD」。作詞した時点で、水戸さんは震災の犠牲となった遠藤さんのことを知らず、遠藤さんを意識して作ったわけではなかったという。
 しかし、5月に南三陸町を訪ねた際、遠藤さんの両親の知人から「歌で慰めてほしい人がいる」と頼まれ、遠藤さんの実家に案内された。
 父清喜さん(56)、母美恵子さん(53)らと会い、専門学校で知り合った男性(24)と挙式予定だったことなどを知った。
 「WEDDING ROAD」の歌詞が、まるで遠藤さんの言葉のように思えてきた。手話を熱心に学ぶなど自分との共通点も見いだした。
 水戸さんはその場で、遠藤さんの遺影を見つめて歌った。「磁石のようにひかれ合った二人の未来 手を離さないようにこれからも握り続ける」
 「たくさんの愛で育ててくれたね 二人の娘であること感謝します…ありがとう」。歌詞に込めた気持ちを伝えるため、手話を交えた。遠藤さんの両親や親類は静かに聞き入っていた。
 水戸さんは「遺影の前で歌い終え、『遠藤さんのための曲だったんだ』と不思議な運命を感じた。本人になったつもりで、両親に歌をささげた」と振り返る。
 歌は11日午後7時から、南三陸町のホテルで披露される。

(遺族、悲しみ癒えぬまま「庁舎見るのつらい」)
 震災からほぼ3カ月がたった今も、遠藤さんの両親の悲しみは癒えない。町内の仮設住宅の抽選に当選したが、入居を辞退した。住宅からは、遠藤さんが最後まで避難を呼び掛けていた防災対策庁舎が見えるからだ。
 母美恵子さんが、遠藤さんと最後に会った記憶にも庁舎が映る。大震災前日の3月10日、庁舎近くで石巻市内から通っていた遠藤さんに会い、2時間ほど会話をした後、「明日(11日)は実家に泊まるから」と言われ、楽しみにしていた。「庁舎を見るのはつらく、仮設住宅には住めない」と美恵子さん。
 全国から寄せられる称賛や追悼の声。両親は「多くの人が未希を思ってくれるのはありがたい」と語る半面、「そっとしてほしいという思いもある」と打ち明ける。

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『南三陸町職員の遠藤さんが教材に <1月27日 河北新報>』
(避難呼び掛け犠牲 遠藤さんが教材に)
 宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。
 埼玉県教育局によると、教材は東日本大震災を受けて同県が独自に作成。公立の小中高約1250校で使われる。
 遠藤さんを紹介する文章は「天使の声」というタイトル。遠藤さんが上司の男性と一緒に「早く、早く、早く高台に逃げてください」などと必死で叫び続ける様子が描かれ、「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた」と語る町民の声を紹介している。
 教材ではほかにも、埼玉県深谷市出身で津波に流される車から市民を救出した釜石市の男性職員の話などが掲載される予定。
 「思いやり伝えたい」
 同教育局生徒指導課の浅見哲也指導主事は「遠藤さんの使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」としている。
 遠藤さんの父清喜さん(57)は「娘が生きた証しになる」と話し、母美恵子さん(53)は「娘は自分より人のことを考える子だった。子どもたちにも思いやりの心や命の大切さが伝わればいい」と涙を流した。
 遠藤さんが防災無線で避難を呼び掛け続けた南三陸町の防災対策庁舎では、遠藤さんを含む町職員ら39人が犠牲となった。佐藤仁町長が津波被害の象徴として保存の意向を示したが、遺族の強い反発を受けて解体が決まっている。

(「天使の声」 教材の要旨)
 遠藤未希さんを紹介した教材の要旨は次の通り。
 ◇天使の声◇
 誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。
 未希さんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。(昨年)9月には結婚式を挙げる予定であった。
 突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。
 「地震だ!」  誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。未希さんは、「すぐ放送を」と思った。
 はやる気持ちを抑え、未希さんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。  「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。未希さんは、同僚の三浦さんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。
 地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。
 「潮が引き始めたぞぉー」
 午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。  津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。
 未希さんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。
 「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこに未希さんの姿は消えていた。
 それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。
 未希さんの遺体が見つかったのは、それから43日目の4月23日のことであった。
 町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。
 5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。
 変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。  出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。
(http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya_miki.html)
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 いずれの記事も涙なしには読めないものばかりです。津波の犠牲になった遠藤未希だけでなく、多くの警察官や消防士の方々が人命救助を行いながら命を落とされています。「殉職」という言葉では表現できないくらい悲しい出来事です
 私たちは阪神大震災や東日本大震災から得た体験をもとに、近い将来に発生する東海、東南海、南海大地震に備えなければなりません。その備えこそが震災で亡くなった多くの方々への鎮魂の祈りとなります。明日は我が身です。日頃からの災害に対する備えが大事です。

2021年03月14日

#369 10年目の祈り1

 今日は東日本大震災発生から10年目の祈念日に当たります。10年目の節目に当たり各テレビ局は数日前からこの大震災の様々な特集番組を放送しています。午後2時26分には全国で黙祷をささげ、災害で亡くなられた方々に鎮魂の祈りを捧げました。
 この3月11日が毎年近づくにつれて、このブログでも何度か震災関連の記事を紹介してきました。10年目の節目とは言いましても、この大災害が終了するわけではありません。災害に見舞われた各地域は復興半ばです。また福島第1原発事故の収束には全く目途がついていません。被災地が完全に復旧するにはまだまだ長い年月がかかります。少しでも早い復旧を祈っています。
 そのような状況の中で、今でも行方不明になっている肉親を探している方々がたくさんいらっしゃいます。
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『津波被災地、手掛かり求め捜索 岩手・福島の沿岸』
 東日本大震災から10年を迎えた11日、岩手、福島両県警が行方不明者の手掛かりを求め、津波で大きな被害を受けた沿岸部を捜索した。宮城県警は10日に行った。
 震災関連死を含め市民1761人が犠牲となった岩手県陸前高田市。震災前には約7万本の松が立ち並んでいた「高田松原」で、大船渡署員ら約60人が黙とう。熊手のような道具で砂浜を探り、遺品や手掛かりがないか確認した。
 東京電力福島第1原発が立地する福島県大熊町の夫沢地区でも双葉署員らが捜索。
 被害の大きかった岩手、宮城、福島3県警などによると、震災による3県の行方不明者は10日時点で2521人。
(共同通信社 2021/03/11)
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 「災害は忘れたことにやって来る」と言います。様々な災害で亡くなった人々が多くの教訓を残してくれています。今一度災害に遭遇した時にどのような行動を取ったらよいか平時より考えておく必要があります。日頃より非常食や水の準備、避難場所の確認、家族との連絡方法など備えておくべき事柄はたくさんあります。明日は我が身なのです。いざという時のために充分な準備を怠らないようにしましょう。

2021年03月11日

#368 ひきこもりの漱石

 今日は朝から断続的に雨が降っています。春先は天気が安定せず、数日おきに天気が悪くなり、さらに気温も安定せず、気温の高低を繰り返します。そして桜前線と共に本格的に春めいた気候となります。
 さて、本日は文豪夏目漱石のロンドン留学時代のことに触れてみたいと思います。皆さんもご存じのように漱石は英語の教師でもあり、のちに作家として成功した人物です。漱石は文部省より英語教育法研究のため(英文学の研究ではない)英国留学を命じられ、ロンドンで数年間過ごしますが、大学の授業に参加することなく下宿の部屋にこもり読書にふける毎日を過ごしました。今で言う「引きこもり」です。これには様々な理由がありますが、最大の原因は漱石の英語が現地で通じなかったことが挙げられます。
 確かに漱石は英文を読みこなす力はありましたが英語によるコミュニケーション能力はあまりありませんでした。明治時代の英語教育は蘭学の続きで、欧米の先進諸国から情報を入手することが第一で、コミュニケーションに重きを置いていませんでした。ちなみにsometimes を「ソメチメス」と発音していた時代です。当時日本国内の外人講師の人数は非情に限られており、ネイティブの英語に接する機会はほとんどありませんでしたので、漱石の英語コミュニケーション能力が低かったことは想像に難くはありません。「失敗図鑑」(文響社)の夏目漱石の項目によると、次のような文章があります。
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・・・・・・長旅の末、たどり着いたロンドン。しかし、辛い現実が待っていました。ロンドンの町は空気が汚すぎて、のどがおかしくなる。でも、そんな町を歩く人たちは皆背が高く、美しい顔立ちの人ばかり。めずらしく小さくて汚い男がいると思ったら、鏡に写った自分だった。・・・・・・知らない町で、話が通じない人に囲まれて暮らす。もともと悩みがちだった漱石の心は落ち込み、やがて外に出るのも嫌になり、ついには部屋から一歩も出なくなってしまいます。。そうなのです漱石はロンドンの町で今で言う「ひきこもり」になってしまったのです。・・・・・・
(「失敗図鑑」文響社p.41より引用)
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 上記に「ロンドンの空気は汚い」とありますが、「霧のロンドン」という表現がありますが、19世紀当時は暖房に質の悪い石炭を用いたために各家庭から煙が出て、それがロンドン中の霧につながっています。げんざいでは真冬でも霧が出ることはありません。
 夏目漱石でさえも「ひきこもり」を経験しています。下宿部屋で読書に浸った彼は名作「倫敦塔」を後に執筆します。そして倫敦留学を通して人の心を扱う代表作「こころ」を著わします。もしロンドン時代の「ひきこもり」がなければ漱石は日本を代表する作家になることができたか疑問です。「ひきこもり」=「内向き」と考えれば、自分自身を深く見つめることができます。
 一般的に「ひきこもり」をマイナスに考える人が多いですが、大きく飛躍するためには身体を縮めて力をため込む必要があります。「ひきこもり」を力を蓄積する期間と考えますと、現在引きこもりで悩んでいる人達にも光明があります。夢を実現させるためには様々な障害を乗り越え、努力の末に獲得できるものです。ある意味で「ひきこもり」は重要な時期だと言えます。

2021年03月07日

#367 卒業

 今日は2月末日で、明日から3月になります。3月1日は多くの高校で卒業式が行われます。卒業する高校3年生にとって次の段階へ進む節目となる大切な行事です。昨年同様、今年も新型コロナの影響下で、多くの学校で卒業生のみの卒業式が行われることでしょう。高校3年間の思い出を抱いて、卒業生はそれぞれの道を歩んでいきます。同じ学び舎で席を並べて学ぶことはもうありません。卒業式がお互い最後の出会いの日となる生徒も多くいることでしょう。
 さて、卒業と言えば私事になりますが、教員生活30年ほどで高校3年生の担任を10回いたしました。また高校3年生を教科担当したのは教員生活の半分ほどになります。どういうわけか高2、高3の担任や学年主任を担当することが多く、生徒たちの人生に深く関係してきたことが今更ながら痛感します。特に高校3年生の担任は、他学年に比べて仕事量が圧倒的に多く、担当クラスの生徒や学年全体の生徒の進路指導に深く携わり、各学期の個人面談や模試ごとの面接等を通して、生徒本人の進路指導に深くか関わります。その意味で、生徒個人の状況を把握し、将来の進路を確保する意味で毎日が残業だったことを思い出します。実際、毎晩9時過ぎまで職員室に残り、授業の準備だけでなく様々な進路資料作成や学年の成績分析など多くの業務をこなしてきたことを今では懐かしく思い出します。あの頃は多忙過ぎて後ろを振り返る余裕がありませんでしたが、今当時をふり返ると多忙すぎる中にも充実感が溢れていたことを感じます。
 さて、当塾も中学3年生2人、高校3年生2人が卒業します。全員進路を確保していますので、一安心です。学校教育と異なり塾は在籍している生徒の学力向上を主な目的としています。換言すれば、生徒の成績が向上しない塾には行かないことです。当塾では生徒の学力に応じた授業を行いますので、必然と個別対応になります。学校のように各コース別に数十人の生徒を集めて授業する場合、どうしても授業についていけない生徒や自分の学力を持て余す生徒が出てきます。これでは生徒個人の学力伸ばすことはできません。そのために当塾では個別指導を行っています。在籍している生徒は少ないですが、生徒一人ひとりの学力を把握できますので、より懇切丁寧な授業展開ができます。
 ところで、当塾に在籍している高校3年生の一人に中学1年生から通っている生徒がいます。当塾の創立当時から在籍している「1期生」です。彼女は努力家で、志望大学にいくつか合格し、さらに現在国公立大学を受験しています。彼女からの朗報を心待ちにしています。
 「卒業」という言葉は最近になり様々な状況で使われています。芸能人が「今日で卒業します。」と言えば、芸能界からの引退を表します。また携わっている仕事から辞めるときも、「卒業します。」という表現を使っています。英語では "graduation" の単語が知られていますが、"commencement"という単語もあります。"graduation" は文字通り「卒業」の意味ですが、"commencement"は「始まり」という意味の「卒業」です。これから社会に出ていく卒業生への花向けの言葉となります。
 世の中には様々な「卒業」があります。学生時代の「卒業」は次の段階へ進むための学校からの卒業、社会人の「卒業は」「退職」や「転職」を意味します。人生の「卒業」は「この世を去ること」です。人生の卒業を迎える前に様々なことを体験し、たくさんのみやげ話を抱えて故郷(あの世)に帰りたいものです。この世に存在する目的は「出世などの俗世界の成功」ではなく、生きている間に様々な体験をして大切なことを学び、どれほど人を愛したかによります。私たち一人ひとりが人生という旅の途上にいます。人生を大いに楽しみましょう。

2021年02月28日

#346 先生にいただいた三冊のノート

 今日は春めいた天気が朝から続いています。数日前は真冬を思わせる寒波が二日ほど続きましたが、本日は最高気温が20度に達すると予想されています。春はもうすぐそこまでやって来ています。
 さて、毎年1月末に1冊の冊子が届きます。株式会社クラヒラの「抜翆のつづり」です。この冊子は全国の新聞や雑誌、機関誌などから珠玉の文章を集め、1冊の冊子に編集して無料で学校や企業などに配布しています。私は毎年この冊子が届くのを楽しみにしています。仕事の合間に少しずつ読んでいますが、名文ばかりです。今日はその中の1文を紹介します。

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『先生にいただいた三冊のノート』(臼杵 巌)
 中学二年生の七月。定期試験も終わり、間もなく夏休みに入る、最も気分のゆったりしているときだった。
 そうした時期の体育の授業の終わりに、先生が突然、クラス全員に「ノート」の提出を求めた。思いもせぬその言葉に、教室中に驚愕の声が沸き上がった。
 雨天時には教室で先生の講義があるが、みんな実技ばかりに興味を示して、満足にノートを取る者はあまりいない。先生は熟知していた。「三日中には全員、職員室まで持ってこい!」という先生の声で、体育の授業は終わった。
 動揺した。仲間のそれとはまったく別の意味で。私の使用している「ノート」は、あまりにも粗末な代物だったからだ。広告紙の裏を利用し、それを綴じ込み、ノートの代用品としていた。
 私にとって、貧しさと恥ずかしさの証で、一番触れてもらいたくないものだった。クラスで恥をさらすのは耐えられない。相談できる者などいなかった。
 その日の夕刊の新聞配達を終え、配達先の集金作業を行い、翌日の折り込み広告の整理と段取りを終えると、夜の八時。夕食をとる気力もなく、店の二階の下宿部屋に引きこもった。全身から力が抜け落ちたように、三畳の部屋に倒れ込んだ。どうしたらいいのか、どう考えても、答えは出なかった。
    贅沢は言えない
 新聞専売所二階の下宿生活は、もう一年近く続いていた。私一人だけが中学生で、あとは大学生以上がほとんどだった。
 店の人が心配そうに顔を見せてくれたが、先生の昼間の言葉が強烈に胸に残っていた。この日の疲労は特別だった。
 翌朝の三時、朝刊の準備で店が騒がしくなっても、先生の言葉が耳元にあり、まったく寝付くことができなかった。
 長男の私は、家への仕送りが必要だった。父は北海道の炭鉱で三度の倒産にあい、それからは長年定職に就けず、各地を放浪の末、遠い友人を頼り一家で横浜へ移住した。が、仕事運はなく、私の給料が我が家の貴重な収入となっていた。
 給料を送金したときの、母の安堵した顔を思い浮かべることが、私の一番を幸せだった。新聞専売所へ下宿できたのも、事情を知った店主の計らいと温情からだった。
 そうした生活の中で、唯一恵まれていたのが、新聞専売所の「紙」だった。毎日の折り込み広告が無数にあり、広告配達の依頼が絶え間なくあった。倉庫には配達残りの広告がいつも無造作に積まれていた。
 店主に断り、この広告紙に裏面の白いものがあれば、いつも五十枚ほど分けてもらい、綴じてノートの代わりとした。
 すべての学科の「ノート」が広告紙の裏だった。市販のノートは一冊として購入しなかった。当然、学科ごとに「ノート」の大きさも異なり、表紙などはなかった。紙質も鉛筆の滑りも悪く、でも贅沢は言えなかった。
    負けるな、諦めるな、絶対に!
 「ノート」の提出にいい案など思いつかず、時間ばかりが非情に過ぎた。最終日、覚悟を決めた。放課後、職員室に友人たちがいないことを見定め、入室した。
 先生は先刻から待っていて、最終提出者が私であることを告げた。頭を下げ周囲を気にし、表紙のない広告紙の「ノート」を提出した。唖然とした先生の表情があった。
 もう正直に、一切の事情を打ち明けるしかなかった。家庭生活、父の失業、相次ぐ転向、母への仕送り、新聞店での下宿……。
 話をしながら、悔しさと羞恥心で肩がふるえ、涙が流れだした。体中が熱くなり嗚咽がとまらなかった。先生は一言も発さずに、うなずいて聞いてくれた。
 一週間後、「ノート」の返却で職員室を訪れた。先生は私を見据え、「絶対に負けるな!諦めるな!いいか!」と諭しつつ、両手を私の肩に置き、何度も押さえつけた。
 手のぬくもりを感じた。自分を理解してくれる人がここにいる。大きな安堵感と歓喜で言葉も出ず、胸がいっぱいになった。
 返却された「ノート」には「整然としています」と評価があり、最後に先生の大きな字で「負けるな、諦めるな、絶対に!」と力強く二度書かれていた。
 広告紙の「ノート」は新品のバインダーに綴じられて、別に真新しいノートが三冊、先生から手渡された。
 先生の言葉が書かれた「ノート」は、今も手元にある。これまでの自分の長い旅路で、一体何度この言葉を凝視し、かみしめ、挫折と闘い、蹴飛ばし、無事帰還してきたことか。
 先生にいただいた三冊のノートは贅沢過ぎて使えず、今も私と共に人生を歩いている。
(うすき たかし=会社経営 PHP「生きる」2年6月号より)
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 おそらく著者は70過ぎの方でしょうか。私が小・中学生の頃、新聞配達のバイトをしている友人がいましたが、家庭の生活費を稼ぐために行っていたようです。著者は現在会社経営をされていますので、若いころの苦労が実を結んだのでしょう。頭が下がります。また文中に登場する「先生」の生徒に対する思いも素晴らしく、教育の現場において先生の何気ない一言がいかに生徒に影響を与えるかのよい例です。昭和30年代の頃の日本はまだ貧しく、多くの人がその日暮らしをしている状況がありました。そのような中で著者のような努力の人が高度経済成長の土台となったことが偲ばれます。

2021年02月21日

#345 ただ今迷走中!

 昨夜の大地震には驚かされました。東北地方を中心とする東日本全域が揺れたM7.3の地震のことです。気象庁の発表では東日本大震災の余震と言っていますが、熊本地震の例にもあるように、前震の後に本震がくる場合がありますので、該当する地域にお住いの方々は充分注意する必要があります。
 さて、一体何をしているのでしょうか?日本の恥が世界中に拡散されました。ご存じのように東京オリンピックが迫っている中、森会長の失言により辞任するに至りました。またその後継人事に正規の手続きを踏まなかったことで川渕氏も辞退することになりました。今後はJOCの会議で公選が行われるようですが、一番手に挙がっているのがオリンピック大臣である橋本氏です。ところがこの人は以前男子スケート選手に宴会の席で無理やりキスをした旨で叱責された人です。もしこの人が会長に推挙されれば、また一波乱ありそうです。
 今回の東京2020は最初からトラブル続きでした。簡単に列挙すると次のようになります。

①国立競技場の設計変更
②エンブレム“盗作”騒ぎ
③招致活動での買収疑惑と日本オリンピック委員会竹田会長退任
④マラソン・競歩の会場変更
⑤組織委員会の森会長辞任
⑥コロナ感染によるオリンピック中止?

 森前会長を擁護するつもりはありませんが、今回の件をマスコミが取り上げた際に、森会長が述べた言葉の中で「女性蔑視」の表現のみを切り取って批判したのは遺憾です。森氏が語った文脈からすれば決して意図的に女性蔑視をしているわけではありません。それを女性蔑視だと突きあげたのはマスコミの横暴です。専門家の中には「メディア・リンチ」と呼ぶ人もいます。多角的に情報を集めて考察するのではなく、一方的に悪と決めつけるマスコミの不遜な態度です。
 同様なことがアメリカでも起こっています。例のワシントン議会堂乱入事件のことです。トランプ元大統領は平和的に行進しようと呼びかけたのですが、これを利用した極左連中がトランプ支持者に紛れて議会堂に侵入し、混乱をもたらしたのは明白です。トランプ元大統領への弾劾裁判は本日却下されましたが、保守派の人々のSNSの利用が凍結されている現在、一方的な情報のみ発信されて情報が偏っており、アメリカで今何が起こっているか分からない状況です。
 はたして東京2020は一体どうなるのでしょうか。コロナ感染が収束しない中でオリンピックを開催したい政府の思惑は理解できないものがあります。競技施設等建設等に1兆円以上をつぎ込んだので無理やり開催にこぎつけたいのでしょうが、そこにはオリンピック精神が欠けています。オリンピック創立者クーベルタンが述べているように、オリンピックはあくまでも平和の祭典です。
 オリンピックは競技選手のものだけではなく、オリンピックを応援する世界中の観客のためでもあります。特にアメリカやヨーロッパでは感染収束が見えないまま、オリンピック予選が行われない競技が多くあります。そのような中で果たしてオリンピックが開催されるでしょうか。オリンピック開催まで多難な道がまだまだ続きます。

2021年02月14日

#344 大河の一滴

 暦の上では立春を迎えましたが、吹く風はまだ冷たく、冬の名残があちこちに見られます。しかしながら冬至の頃と比べますと、降り注ぐ光がまぶしく、日没時間が徐々に遅くなっております。そして、あと3週間もすれば3月の声を聞くころとなります。それまで寒さに耐え忍べば弥生の季節を迎える頃になります。もう少しの辛抱です。
 さて本日のブログのタイトルは「大河の一滴」です。これは五木寛之の書名から頂きました。人はそれぞれ生まれた人種や時間、場所は異なっても1つの枠、つまり「人間」に分類されます。一人ひとりの人生は全く異なりますが、人類全体として見た場合に一滴の水が集まった大きな河の流れとして人類の歴史が滔々と刻まれて行きます。
 五木寛之は作家という枠に入らずに様々な体験や活動を通して多くの書を世に出されています。彼が「大河の一滴」で次のように述べています。
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・・・私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。しかし無数の他の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく。高い嶺に登ることだけを夢見て、必死で駆けつづけた戦後の半世紀をふり返りながら、いま私たちはゆったりと海へくだり、また空へ還っていく人生を思い描くべきときにさしかかっているのではあるまいか。
「人はみな大河の一滴」
ふたたびそこからはじめるしかないと思うのだ。・・・
(「大河の一滴」五木寛之 幻冬舎文庫p.46-47)
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 人は皆生まれてから死ぬまでのほんの短い期間を生きます。人生80年と言いながら縄文杉のような大樹から見ると、私たちは一瞬の時を生きる生命体です。朝日の前の朝露のような存在です。その中でどのような川の流れを体験するかで生き方が変わってきます。川岸のよどんだ水たまりとして生きるか、瀬音の激しい流れのまっただ中で生きるか、様々な選択肢を与えられています。
 流れが海にとどく前に様々な思いや体験を通して大河の一滴として人類の歴史に刻まれて行きます。現在の私たちが現在の人類の歴史をつくっているところです。百年後、千年後の人類が今の時代を考証する時に、20世紀や21世紀の時代は何だったかが分かるでしょう。様々な思いをのせて「大河」は海へと流れていきます。あなたも私も歴史を創造する「大河の一滴」なのです。

2021年02月07日

#343 タモリの原点

 今日は1月31日です。明日から2月が始まります。2月の上旬に福岡県内の私立高校の入試や地元の私立大学の入試が行われ、その後関西、関東地区の大学入試へと続き2月下旬には国公立大学の個別入試が待っています。実際2月は入試の月となり、中高生の受験生にとり試練のひと月となります。
 さて、先日西日本新聞にタモリさんに関する面白い記事がありましたので、掲載させていただきます。タモリさんが芸能界にデビューする以前の話です。

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『踊りながら乱入した「タモリ」…山下洋輔が遭遇した即興、爆笑の一夜』
福岡市中央区のホテル「タカクラホテル福岡」が31日付けで事業を停止し、自主廃業する。1968年創業の老舗は、ある大物芸能人の誕生のきっかけとなった場所でもあった。ジャズピアニスト、山下洋輔さんにタカクラホテルで過ごした一夜の思い出を寄せてもらった。
 あの場所がなくなると聞いて思い出がよみがえってきた。あそこで、ぼくとタモリが最初に出会ったのだ。そのことについて書いてみよう。
 1972年に福岡で、渡辺貞夫さんのグループと我々(われわれ)のトリオが同じコンサートに出るということがあった。終演後同じホテルに泊まった。我々は部屋飲みをして勝手に騒いでいた。面白好きのテナーサックスの中村誠一が浴衣姿のまま踊り出した。籐のゴミ箱を頭からかぶり、虚無僧の真似(まね)だと言って「そこで虚無僧…」などとセリフを言う。大受けのドラムの森山威男とぼくは「いよう、カッポンカッポン」などとでたらめに盛り上げて大笑いをしていた。
 一方、早稲田大学のジャズ研究会でトランペットを吹いていた経験のあるタモリは、当時の仲間のギターの増尾好秋やベースの鈴木良雄がメンバーとして参加していた貞夫さんのグループに会いに行っていた。そして、その帰り道、エレベーターに向かう途中で、我々の部屋のドンチャン騒ぎが耳に入ったのだ。何だろうと思ったタモリがその部屋のドアノブを触ってみると開いた。昔はオートロックではなかったのだ。それが幸いした。浴衣でデタラメ踊りをする誠一の姿がタモリの目に入った。そのときに「ここはおれのいる場所だと思った」とのちにタモリは言っている。そのまま自分も踊りながら中に入ってきて、大爆笑のうちに我々と出会ったというわけだ。
 ところでこの場面については、別の意見をいただいたのでご紹介する。実は同じ部屋に福岡のジャズ好き、つまりタモリの顔なじみの人たちもいたと言うものだ。だからタモリも安心して入って来られたと。しかし、確かめたところタモリにはその方々の姿は目に入らなかった。部屋は大きくて奥に曲がっており、その方々はそこに集まって飲んでいた。やはりタモリは我々と直接出会っていたのだ。
 我々からすれば、見知らぬ男が突然踊りながら入ってきたわけで、面白くないわけがない。名前を聞く暇もなく騒ぎは続いた。籐のかぶりものを中村誠一から取り上げてその男が自分でかぶって踊り始めた時に、とうとう誠一が咎(とが)めた。得意のデタラメ韓国語でだ。「お前、誰ニゲンナ、ゴスミダ!」というような調子だ。すると男から返ってきたデタラメ韓国語がもっとすごかった。そういうデタラメ外国語のやりとりが、フランス語ドイツ語イタリア語と続き、爆笑続きの我々は息も絶えだえになった。これを言いふらさずにはいられない。というわけで、これをきっかけにタモリは世に知られるようになった。見知らぬ人間が急に入ってきて何かを始めても、それが面白ければ一緒に騒ぐことができる。ジャズのジャムセッションと同じだ。タモリもジャズの人間としてそのことをよく知っていたのだ。今になってこの場所が懐かしくてならない。
(2021/1/27 西日本新聞)
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/685112/)
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 「笑っていいとも」や「ブラタモリ」でおなじみのタモリさん(本名:森田 一義)は日本の芸能界に欠かせない存在となっていますが、上記の記事は芸能界前の若きタモリさんの逸話です。無名の時代から人を引き付ける才能があったのでしょう。踊りながら部屋に入ってきた彼の姿が目に浮かぶようです。
 ちなみにタモリさんは福岡市出身ですが、私が新任教員の頃にタモリの姪御さん(当時高校3年生)を教えた思い出があります。何か不思議な縁を感じます。

2021年01月31日

#342 大切なものは目に見えない

 1月もあと1週間ほどになりました。1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」と言われます。新年が始まり慌ただしく時が過ぎ去ることを上手く表現したものです。またこの時期は入試や卒業式等が重なり、子どもを持つ家庭では子どもの成長に合わせてこれらの行事を体験します。子供の成長とは言いかえれば親が年を重ねることを意味します。現在進行形では慌ただしく時間が過ぎ去りますが、人生を振り返れば過ぎ去った過去の出来事が走馬灯のように思い出されます。
 さて「大切なものは目に見えない」はサン・テグジュペリの「星の王子様」に出てくる名言ですが、懐かしさのあまり久しぶりにこの本を読んでみました。子どものための童話というよりも大人に読んでもらいたい本だと思います。
 大人になるにつれて人は外部の世界にこだわるようになります。外見、容姿容貌、学歴、出世、金、権力など自分の本質とは関係のないものに惹かれ、それを求めます。しかしそれらは一時的なもので、いつしか消え去り行くものです。
 「大切なものは目に見えない」は人間の本質を表しています。例えば「愛」がそうです。流行り歌では「愛」を叫んでいますが、「愛」が何かを説明しようとはしません。なぜなら目に見えないからです。現代科学では目で見えないもの(観測されないもの)は非科学的なものとして排除されます。では「愛」は存在しないのでしょうか。
 いいえ愛はたしかに存在します。自分にとって一番大切なものが「愛」です。そのために人は生きています。狭義的には男女の愛、広義的には博愛と人により定義は変わりますが、人生の目的は「愛するために生きる」と言えるでしょう。言いかえれば「愛」が生きがいとなっている人は「強い人」だと言えます。マザー・テレサが死にゆく人達に愛情を注いだように、何かに愛情を注ぐことのできる人は幸せです。
 「星の王子様」を読んで、久しぶりに「大切なものは目に見えない」という文言を考えてみました。一読する価値のある本です。

2021年01月24日

#341 共通テスト始まる

 センター試験に代わる第1回大学入試共通テストが昨日と本日の2日間に渡って行われています。この共通テストが実施されるまでに紆余曲折がありました。共通テストの理念はセンター試験では試されていない思考力を試すことが主目的の1つでした。特に数学は文章題の導入を目論んでいましたが、様々な議論の後で結局今回は導入しないことになりました。また一番議論の多かった英語ですが、民間試験の導入を白紙に戻し、リスニングとリーディングの2種類を行うことで今回の試験は決着しました。
 さて多くの課題があった英語ですが、全般的に問題が難化しています。このことは2回の試行テストでも明らかになっています。まずリスニングは2回読みと1回読みの問題に分かれており、1回読みの問題でもリスニングの中で文法的な内容を問う問題が出されています。つまり、全6問のうち、第1問から第3問まではリスニングを利用して文法問題や語彙力を問う問題が出されています。 後半の第4問から第6問までは計算を含む問題や、一覧表と照らし合わせて問題を解く問題など日頃から練習しておかないと得点できない問題があります。
 またリーディングではセンター試験に出題されていた発音問題や文法問題、整序作文がすべて無くなり、読解問題だけの出題と変更されています。また全体として単語数も増えており、日頃からの速読・多読の訓練が必要です。難しい単語を思える必要はありませんが、高校生が学校の授業で使用しているような単語集を利用して4000語程度の単語・熟語は身につける必要があります。
 さて1つ大きな懸念があります。50余万人が受験した共通テストです。コロナ対策をして安全を期したテストですが、新型コロナの拡散がどの程度発生するかが今後の大きな問題です。最近の傾向として家庭内感染が主流となっています。受験会場で感染し、そのまま帰宅した受験生から家族が感染することが考えられます。受験生をお持ちのご家庭は杞憂かもしれませんが新コロ対策には必要以上に考慮しなければならないでしょう。共通テスト終了1週間後をめどに感染者が増加することが、その指標となります。
 関東だけでなく福岡を始め様々な地域で医療崩壊が叫ばれています。新コロ感染だけでなく一般の医療行為にも大きな影響を与えていますので、急病を除いて各自の健康は各自で守る必要があることは言うまでもありません。とにかく感染がある程度落ち着くまでは不急不要の外出は避けた方が良いでしょう。

2021年01月17日

#340 キツネとタヌキの化かし合い

 ここ数日大寒波が続いており、特に北陸地方では大雪のために数百台の車が立ち往生しています。外出時には天気予報でどのくらいの降雪があるか確かめる必要があります。そうしないと車内で死亡することにもなりかねません。昨日所要で福岡へ行きましたが、車窓から久留米以北は積雪がいたるところで見られました。久留米以南はそれほどの積雪はなかった模様です。
 さて今日は成人の日で祝日ですが、新型コロナの影響で成人式を中止したり、延期したりする市町村が多いそうです。一生に一回しかない式典に参加できない新成人はかわいそうです。何らかの形で成人式を開催してもらいたいものです。ちなみに大牟田市は昨日成人式を開催しました。
 ところで本日のブログタイトルは「キツネとタヌキの化かし合い」となっています。今から述べることはトンデモ情報なので信じなくてもかまいません。いや、信じられないと言った方がよいかと思います。日本のマスコミは様々な事柄に忖度して全く正しい情報を伝えませんので、いた仕方ないことです。
 アメリカ大統領選挙はバイデン氏が正式に時期大統領となり、1月20日に就任式を迎えますが、今回の選挙で大々的に不正が行われたのはご存じと思います。特に郵便で投票した投票用紙はほとんどがバイデン票だったそうです。また投票所で中国製の偽の投票用紙と交換した投票所があり、監視カメラにその状況が残されています。さらにドミニオン社製の「投票読み取り機」は外部からネットを通して操作できる状況になっており、バイデン票が増えるように意図的に操作された痕跡があります。
 このような状況下でトランプ大統領が激怒したことも理解できます。そこで彼は1月6日にワシントンDCで集会を行い、議会堂まで共和党支持者の行進を促し、暴徒化した支持者が議会堂に乱入して4人が死亡したアメリカの歴史上悲劇的な惨劇となりました。このニュースは世界中に報道され海外から多くの非難が起こりました。
 しかし、この暴動を起こした真犯人は実は共和党支持者ではなく、彼らの中にに潜り込んだアンティファ(極左翼運動家)であることが判明しています。彼らは一般の共和党支持者とは異なる服装をしており、顔を隠して素性を分からないようにしていました。そして議会堂の窓を壊して侵入し、何も知らない一般の共和党支持者が一緒に議会堂内に入っていきました。映像にも映っていますが、議会堂のドアのところにいた警官らしき人物が故意に議会堂のドアを開けたことです。
 多くの人たちが議会室に侵入しましたが、不思議なことが発生しました。民主党の議員のノートパソコンが何者かによって数台盗まれました。このノートパソコンには重要な秘密情報が入っていたらしいのです。それは今回の不正選挙のやりとりやバイデンと中国の関係(実際に彼は数年前習近平と会談をしており、その際に日本の尖閣列島は中国のものである旨の話をしたといううわさがあります。)、バイデンの息子ハンターが中国との収賄関係など様々な国家反乱罪にふさわしい内容をパソコンが記録していると言われています。
 これらのことは日本の一般のニュースでは全く表に出てきません。海外のネット情報やネットでのやりとりと通して初めて確認できます。ただし注意しないといけないのは、何が正しく、何がフェイク(偽物)なのかを見極めることです。様々な出来事や事件が国内外で起こりますが、事件の表層だけでなく、その裏に誰が何のために仕掛けているのかを考えていく必要があります。1つの出来事を様々な情報を得て多角的に考えるクリティカル・シンキング(批判的思考)が重要になります。
 世に出回る情報には様々な裏があります、トランプ大統領のツィータやユーチューブが永久に削除されたのは背後に中国の影が見え隠れしています。というのは、ツイーターやユーチューブの運営には中国が関係しているからです。
 1月20日の大統領就任式までに何かが起こるような気がします。無事に就任式が終わるまで不正を行った民主党は安心できません。ちなみに6日以降姿を見せないトランプ大統領はどこにいると思いますか。彼は現在テキサス州の軍事基地にいます。囚われているのではなく、安全なところに身を隠しています。現在アメリカは国を2分するような状況にあります。共和党と民主党の「キツネとタヌキの化かし合い」が行われています。アメリカはいったいどこに向かうのでしょうか?
 以上の内容はあくまでもトンデモ情報です。興味がある方はご自分でお調べください。
参考資料:
「米議会乱入事件、議事堂のドアを開けたのは誰だ?」
 あまりにも無防備だった連邦議会議事堂の謎
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63575)

2021年01月11日

#339 令和3年はどんな年に

 本日は1月3日です。令和3年(2021年)が始まりました。今年はどんな年になるのでしょうか。おそらく誰も予想できないでしょう。昨年の今頃はまさか武漢肺炎をもたらした新型コロナウィルスが世界中に拡散するとは誰も予想しませんでした。昨年末に首都圏で急速に拡大した新コロですが、東京都は政府に対して緊急事態宣言について審議している模様です。年末には1300人超の感染者を出し、明日から仕事始めとなりますが、さらに感染者が出ることが懸念されます。どのような対策が取られるのでしょうか。気になります。
 昨年は新コロの影響でリモートワークが進みましたが、今年はどのような形態の職業が出てくるでしょうか。昨年外出自粛の影響で目を引いたのがウーバーイーツでした。登録すれば気軽に出前を配達でき、小銭を稼げますので、仕事の無くなった若者には特に人気がありました。しかし、あくまでも一時的な仕事でしかないでしょう。新コロ収まり、人々が普段通りに働きに出ると、一時的に栄えたものはあくまでも臨時的な存在でしかありません。
 ここで世間の人は気づいたはずです。流行に流されず、影響を受けない職種とは何か、何が大切な生き方かを。新コロは様々な意味で私たちの生活を変えてきましたが、必ずしもマイナスの面だけではありません。プラスの面も少なからずあります。例えば営業時間短縮で家庭に早く帰宅したり、自由時間が増えた人は家族との団欒の時間が増えたり、自分の趣味を生かしたり、サイドビジネスを始めたりなど、今まで仕事に追われて出来なかったことを始めることができます。
 このように「災い転じて福となす」という気概が必要な1年となるでしょう。新コロは暖かな季節が始まるまでまだ続くと思われます。まだまだ油断できない新コロです。自分の身は自分で守る必要があります。
 さて今月は受験の月でもあります。当塾では中学3年生が2人、高校3年生が2人それぞれ受験します。特に大学受験生にとって共通テストは初めてのテストになります。文科省による試行テストが2回実施されていますが、特に英語において従来は得点源となっていた文法問題、整序作文がなくなり、すべて長文読解問題となります。今回の結果を踏まえて文科省はより良い試験問題を作成していくことでしょう。その意味では今年の受験生は予断できません。共通テストの導入で、様々な分野において影響が出てくるでしょう。教育現場では様々な変更を余儀なくされます。また35人学級の導入も検討されており、様々な改革が行われていくことでしょう。
 それでは今年も一年よろしくお願いいたします。

2021年01月03日

#338 今年一年を振り返って

 今日は寒波の影響で現在雪が降っています。また寒冷前線のために強風も吹いています。天気予報では今夜が大雪だと言っていますので、明日の朝には積雪があるかもしれません。九州地方は大雪になることがあまりありませんが、それでも充分な警戒が必要です。
 さて今日が今年最後のブログになります。通常であれば原則として毎週日曜日に更新しますので、27日(日)にブログを更新する予定でしたが、現在高校3年生が2名在籍しており、授業が年末年始休業にかかりますので、27日(日)と29日(火)に振り替え授業を実施しました。そのために本日のブログ更新となりました。第1回目の共通テストが1月16・17日に実施されますのでどのような問題が出題されても充分対応できるように準備する必要があります。
 ところで今年1年をふり返りますと、まず新年早々発生した武漢ウィルスが世界中に広がり、多くの死亡者を出しました。今日現在で世界の感染者数が約8200万人、死者約180万人となっています。この新コロナウィルスの感染拡大を受けて、政府は3月初めに臨時休校を指示し、そのために地域により異なりますが、全国の小中高の生徒たちが5月下旬まで自宅待機となり、特に各学校の新入生は大学生も含めて入学式が実施されないという事態になりました。
 当塾は在籍数が少ないので、大人数の予備校や塾のように授業を中断することはありませんでしたが、風邪気味の生徒には授業に参加しないなど気を配る必要がありました。全国の小中校では5月末より徐々に授業が再開されましたが、その影響は大きく授業時間確保のために2学期が8月中旬より開始される等の異常な状態が続き、感染防止のために様々な学校行事が中止・延期となりました。また授業はオンラインで行われ、生徒だけでなく教師もオンライン授業に対応するために不慣れなタブレットやコンピュータを用いた授業をおこなっています。さらに大学でも対面授業ではなくオンライン授業が行われ、多くの大学生が孤立し、特に新入生は友人を作る術がなく、様々な悪条件の中で自主退学する学生さえも出ています。
 このコロナ禍はまだ収まる気配がなく、変異種の発生が最近イギリスと南アフリカで確認され、その脅威が懸念されています。またワクチンの開発が行われ、接種するまでになりましたが。充分な治験も行われずに接種を行っていますので、その副作用も出ています。
 このように今年一年間をふり返ってもコロナの話題しか上りません。来年こそコロナか禍を乗り越えて、よい年を迎えたいものです。ブログ読者の皆様にもよい年になりますように心よりお祈り申し上げます。

2020年12月30日

#337 コロナ禍で自由な国、日本

 今日は朝から冬晴れの一日です。都大路では高校駅伝が行われ、女子では北九州市立高校が4位、男子は地元大牟田高校が8位とみごと入賞を果たしました。特に大牟田高校は地元出身の生徒を中心にチームを構成しており、8月の新型コロナ感染で学校が一時休校という措置を取りましたが、それを乗り越えての入賞は見事でした。
 新型コロナはスポーツだけでなく様々な分野で今も大きな影響を与えています。特に秋以降の感染率の急上昇は大都市圏だけでなく、全国に及び、クリスマスや年末年始の売り上げを期待していた多くの業種の人々を落胆させています。このコロナ禍がいつまで続くか予測できませんが、医療関係者の方々の奮闘に改めて感謝の意を表したいと思います。
 さて、国内の感染状況は毎日のニュースや新聞等で逐次伝えられますので詳細な情報を入手できますが、海外の状況はテレビニュース等でしか分かりません。まして海外の一般人が新コロに関してどのように対応しているかまでは詳細に分かりません。本日面白い記事を見つけましたので、ここに掲載します。
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『フランス人が日本に戻って心底感じた「自由」』
 同じコロナ禍でもフランスとは様子が違う

 かつて日本がこんなに「自由」だと感じたことがあったでしょうか――。
 やっと日本に"帰って"来ることができました。日本は、25年以上前、初めて来てから私が自然と受け入れることができた国(それとも私を受け入れてくれた国と言ったほうがいいでしょうか)です。それなのに、今年3月にフランスに発ってからというもの、ここ何カ月も日本に戻って来たくても、なかなかそれがかないませんでした。なぜなら日本は永住権を持っている、私のような外国人にさえ門戸を閉ざしてしまっていたからです。
 これではまるで鎖国をしていた江戸時代と同じ。やはり日本は島国だったのだ……と思ったのもつかの間、11月にさまざまな手続きを経て、ようやく日本に戻ってくることができました。そして、とても奇妙なことに、ここ日本でこれまでにないほどの自由を感じているのです。

<どうやって入国したか>
その前に、どうやって日本に入国できたのかをお話ししましょう。まずはフランスを発つ前にパリでPCR検査を受け(出発の72時間前以内)、関西国際空港についてからも医療スタッフによる検査を再度受診(今度は唾液検査)。その結果が出るまで45分待ち、陰性の場合は入国手続きを行います。このとき、さらに厳重に検査結果を調べるほか、パスポートや搭乗券も通常時より厳しくチェック。やっと終わったと思って前に進もうとすると、入国審査官から「ダブルチェック!」と呼び止められました。この時、人生で初めて入国できるか不安に。でも辛抱強く待っていると、ようやく最終的なOKが出ました。
 パリから関西国際空港の機内には40人(400席のうち)ほどしか乗っていませんでしたが、この日がボジョレーヌーヴォーの正式な解禁日ということもあり、飛行機はワインでいっぱいでした。搭乗前に預けていた荷物を受け取ろうと、コンベアを見ると私のスーツケースがぽつん、と置いてあるだけでした。もちろん私は公共交通機関を利用することが許されなかったので、大阪に住む知人が空港まで迎えに来てくれました。
 それから、私は友人の自宅で2週間の自己隔離を行いました。入国するのにあれだけ厳しかったので、入国管理局などからこの間、連絡があるのではないか、と思っていましたが、一旦入国してからはとくに追跡調査はありませんでした。
 ただし、隔離されているとはいえ、やっと息ができるような気がしました。道行く人たち、お店やレストランが開いている様子、友人たちの多くがいつものように忙しく仕事をしているのを見るだけで生きている心地がしました。社会的、経済的活動がほぼストップしているフランスとは正反対です。
 フランス政府の新型コロナウイルスへの対応は、あらゆるレベルで最初から悲劇的なものだったと私は思っています。エマニュエル・マクロン大統領は、連日ように、まるで王様ように国民に話しかけます。私たちが小さな子どもであるかのように。彼は非常に厳しいアナウンスをし、それから首相や関係大臣を登場させ、これから起こることを詳しく説明させます。何がもう「許されない」のか、何が閉鎖されるのか、何が中止されるのか……。
 今やフランスはひどい官僚主義と中央集権、そして国民の政府への信頼性の欠如により、恐怖に基づいたシステムができてしまいました。国民を守る代わりに、国民を脅し、「規則」を守らなければ罰を与えられる。何とも気が滅入ってしまう話です。

<書店すら規制の「標的」に>
3月10日にフランスに到着したとき、街でマスクをしているのは私だけでした(「コロナ禍「フランス」は1週間で様変わりした」2020年3月24日配信)。そのとき、多くの人は私のことを病気か、危ない人か、という目で見ていました。当時、政府は、私たちはマスクをする必要はないとアナウンスしていました(が、数カ月後、これは覆されました)。
 二度にわたるロックダウン(都市封鎖)期間中は、外出するためには、戦時中のように外出理由を記載した「証明書」が必要となりました。これを持っていないと、罰金を科せられます。仕事はすべてテレワーク、レストランやバーも(論理的な説明もなく)現時点で2月まで閉鎖されることになっています。
 確かにフランスでは、人口が日本の半分なのにもかかわらず、コロナによる死亡者がすでに5万5000人に達しています。(もしここ数年の間、政府が病院の予算をこれほど削減していなければ、こうした問題は起きなかったかもしれません)。とはいえ、社会的、経済的、心理的影響を政府はあまり考えているようには見えません。
 実際、フランス政府の政策には首を傾げたくなるものが少なくありません。例えば、ロックダウン時の書店をめぐる規制です。夏の間、多くの書店は人数制限を行ったり、顧客間の距離を保つなど感染予防対策を取りながら、店を開けていました。実際、家にいる時間が長い今、本は心の健康を保つ重要な役割を果たしていました。ところが、二度目のロックダウンの際、政府は、書籍は生活必要な必需品に当たらないとして、書店の閉鎖を決めました。
 これに対して書店の経営者が、スーパーや大型店では本の販売ができるのになぜ個店を対象にするのか、と抗議すると、政府は大型店などでの本の販売を禁止しました。次に「問題」になったのがアマゾンですが、なんとフランス政府はどうしたらフランス人がアマゾンで書籍を購入できないようになるか、を考えたのです。こんな馬鹿げだことがあるでしょうか。
 外出規制についても同じです。二度目のロックダウンが始まったとき、フランス政府は「散歩は1時間以内なら可能、ただし1キロ以内」という決定をしました。これには何の根拠もありません。これに対してフランス人が抗議を行った結果、1日に外出できる時間は3時間に、移動できる距離は20キロにまで増えました。ただし、なぜこの数字になったのかはいまだにわかりません。

<日本とフランスの違いは?>
日本では、賛否両論があるものの、「GoTo」キャンペーンが実施され、多くのお店がオープンし、人々は今までとほぼ同じように仕事をし、子どもたちは公園で遊び、サッカーの試合を観戦しています。日本に帰ってきて日本の「エネルギー」に大きな感銘を受けました。日本では「ワーケーション」のように、コロナ禍でも新しいアイデアを取り入れていることも素晴らしいと思います。
 私がこうした点を称賛すると、日本人の友人たちは日本の習慣が感染拡大の抑制につながっていると話します。家に上がる前に靴を脱ぐ、挨拶の際にキスや握手をしない、人との距離を自然と保つ、マスクを着用すること慣れている、そして手を洗う習慣がある(あるいはおしぼりを利用する)、ことなどです。そして、何より日本人には自制心があるように見えます。警察にチェックされなくても、多くの飲食店は要請されれば、夜10時には閉店するのですから。
 日本で最も重要なのは、他人の目にどう映るか、人が自分たちをどう見るか、世間や社会が自分たちをどう見るかということです。これは罰金よりはるかに強力です。
 私から見ると、日本人のこうした態度はコロナと「共に(with)」(あるいはコロナ「後に(post)」)生きるというもので、コロナに「対抗する」というものではありません。ヨーロッパでは、ウイルスと「闘う(fight)」や「戦争(war)」という言葉が使われています。これは神道や仏教の影響かもしれません。人間は自然の一部であり、欧米人のように自然は戦う相手ではないのです。
 私はいつも何よりも自由に重きを置いています。そして、フランス人にとって最も重要な原則は「liberté」(自由)だと思ってきました。それなのに今のフランスには自由がなく、人々は罰を恐れるようになってしまいました。今回日本に到着したときに感じたこの信じられないほどの開放感と安堵感を私はこれから先も忘れることはないでしょう。自己隔離中でさえ、フランスに比べれば天国だったのですから……。
(https://toyokeizai.net/articles/-/397366)
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 ニュースで流れるフランスの状況とはかけ離れた現実が上記の記事に書かれています。日本では政府が国民に要請しますが、あくまでも強制力はありません。しかしフランスでは政府の一言で個人の自由が奪われてしまいます。様々な意見がありますが、日本は個の行動に対して自由な国です。

2020年12月20日

#336 黄金色の命綱

 12月も早中旬を迎えました。師走の月、学校の先生方は学期末の成績処理や保護者面談の資料作成に追われています。昨今は成績処理や資料作成にデーターベース化された資料を作成するのに短時間で処理できますが、ひと昔はすべて手作業で作成していましたので、生徒の成績処理に多くの時間が費やされました。
 最近は生徒数の減少に伴い、1クラスの人数が少ないので保護者面談にかかる時間はそれほどでもありませんが、第2次ベビーブームの1990年前後には1クラス50人前後の生徒がいて、3日間で面談を済ませるために1時から7時過ぎまで休まず面談を行ったものです。とにかく学期末は教師にとり殺人的な忙しい時期になります。
 さて、前回のブログでは「はやぶさ2」のカプセルの無事帰還をたたえる記事を紹介しましたが、本日はアメリカの火星探査機にかかせない日本の企業が制作した「命綱」を紹介します。おそらくこの技術は「はやぶさ2」のカプセルがオーストラリアの砂漠に着陸した際にも使用されたものと思われます。
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『火星への探査機着陸で起きる「死の7分」、成否を握る80本の「黄金色の命綱」は日本発』
 米航空宇宙局(NASA)の火星探査機「パーシビアランス」が来年2月、火星に着陸する。火星の大気圏に猛スピードで突入し、急減速して着陸するまでわずか7分。「死の7分」とも言われるこの過酷な時間を乗り切るカギは、日本発の「強靱(きょうじん)な繊維」が握っている。

■着陸パラシュートのロープ…帝人「テクノーラ」
火星の大気は薄く、大気圧は地球の0・6%。そんな中、突入4分後に開く直径21メートルのパラシュートは、わずか2分間で時速1500キロ・メートルから同320キロ・メートルに急減速させる。重量約1トンの探査機と傘をつなぐ80本のロープには、大きな負荷がかかる。切断されれば探査機は地上に激突し、ミッション終了だ。
 「命綱」ともいえるこのロープは、繊維大手「帝人」の「テクノーラ」で作られている。強度は鉄の8倍もあり、繰り返し引っ張ってもびくともしない。
NASAの委託でパラシュートを開発した米企業が、その高い能力に目を付けた。事前の試験で、80本で37トンの重みに耐え、期待通りの強さを見せつけた。

■理想の条件求め16年
 同社がテクノーラを発売したのは1987年。「それから30年以上たって、世界的なプロジェクトに採用されたことが感慨深い。先輩たちも喜んでいると思う」
 そう話すのは、帝人のアラミド繊維技術開発課長の山口順久さん(44)。「ただ、強度を上げるのは本当に大変だったようで、開発には16年の月日を要した」
 テクノーラは「パラ系アラミド」と呼ばれる繊維の一つ。リングのような化学構造が繰り返しつながる特殊な細長い分子が、何本も束になっている。それぞれの分子が「平行」に整列すると、引っ張り方向の強度が格段に高まるという。
 平行に近づけるには、繊維を引っ張って伸ばすのが有効だが、そのタイミングや力の加減、温度などの条件がずれると、理想の繊維に仕上がらない。
初期の試作品は、分子の向きがバラバラで、強度も弱く、安定しなかった。膨大な条件を一つずつ検証し、十数年を経てようやくたどりついたのが「350度~550度で8~12倍の長さまで引っ張る」という結論だった。

 最も苦労したこの工程を経ると、繊維は美しい黄金色に変わるのだという。「きれいな色ですよね」。テクノーラを抱え、山口さんはそう語った。
(https://www.yomiuri.co.jp/science/20201210-OYT1T50146/)
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 宇宙開発には多大の費用がかかるだけでなく、あらゆる分野において宇宙環境に耐えうる材料やロケットの開発など、科学技術の粋を集めた体制が必要になります。その中で日本の技術が用いられるのは素晴らしいことです。日本の宇宙開発の優れた技術は糸川博士のペンシルロケットに始まる60年以上の歴史の結晶です。地球環境を守るために今後も月面を始めとする宇宙開発が続けられることでしょう。日本の技術がさらに貢献できるように期待したいものです。

2020年12月13日

#335 はやぶさ2カプセル帰還!

 本日午前2時半過ぎに、はやぶさ2から放出されたカプセルがオーストラリアの砂漠に着陸し、無事地球への帰還を果たしました。NHKではこのカプセルが大気圏突入から着陸までを特別に放送し、私もその時間眠気を戦いながらテレビの画面に見入っていました。特に大気圏突入後にオレンジ色に燃える流れ星のような軌跡を描いて飛び続ける姿は感動的でした。今朝早くカプセルが回収され、早ければ明後日には日本に帰って来るそうです。
 はやぶさ初号機はあくまでも実験機で、初号機から得られた多くのデータが今回のはやぶさ2号機の成功につながっています。はやぶさ初号機が多くの苦難を乗り越えて無事に地球に帰還した様子が何本かの映画になって上演されましたが、私もその1つを鑑賞した記憶があります。特に初号機が地球に突入し、カプセルを投下した後で最後には燃え尽きましたが、その姿は我が子を命に代えても産み落とす母親の姿にも似ており、日本中の人々に感動を与えました。その初号機が地球に突入する前に最後に移した地球の写真を私は今でも手元に置いています。
 今回の2号機の成功の裏には初号機にはない様々な工夫がされたと聞いています。はやぶさを動かしているのはイオンエンジンという特殊な推進装置ですが、これは日本人が発明したエンジンです。従来の化学燃料を使用するロケットエンジンは強い推進力を出しますが燃料の重さがロケットの大半を占め、非常に非効率的な推進装置です。しかしイオンエンジンは推進力は微力ですが長時間に渡りエンジンを作動することができ、「ちりも積もれば山となる」で遠距離まで飛行することができます。2号機はカプセルを地球に投下した後向きを変えて新しい小惑星への約10年間の旅に出かけます。はやぶさ2号機の新しい門出を祝福したいと思います。
 ところで、はやぶさ2号が世界で初めて成し遂げた偉業が7つあるそうです。その記事を掲載します。
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「はやぶさ2」帰還で実現する7つの偉業とは
〇前回のはやぶさは本番前の実験機
小惑星の探査計画がスタートしたのは1995年3月。小惑星サンプルリターン計画が、その後、はやぶさの打ち上げへとつながっていった。
 小惑星サンプルリターンとは、それまでNASAが行っていた小惑星探査を一歩進めて、小惑星のサンプルを採取して地球へ帰還させるプロジェクトだ。これまで人類は月以外の天体のサンプルを地球へ持ち帰ったことはない。しかも地球から3億キロ離れた小惑星イトカワ(ちなみに地球と月の距離は約38万キロである)相手にやろうというのだ。これがいかにハードルの高い挑戦か、わかるだろう。
 前回のはやぶさの成功を受けて、2014年12月3日に打ち上げられた『はやぶさ2』は、はやぶさの後継機ではない。実は前回のはやぶさは小惑星サンプルリターンの実験機で、本番での観測は、はやぶさ2で行われたのだ。はやぶさ2で行った人類初のミッションは次の7つである。

・複数の探査ロボットの小天体(今回はリュウグウ)への投下
・小型探査ロボットによる小天体表面の探査
・天体着陸精度60センチメートルを実現
・人工クレーター作成とその過程、作成前後の詳細観察
・1機の探査機が同じ天体の2地点に着陸
・地球圏外の地下資源にアクセス
・最小/複数の小天体周回人工衛星を実現

 いずれも今後の天体探査を変えていく重要な技術だ。その意味でも、はやぶさ2の無事な帰還は宇宙技術史に重要な足跡をしるすことになる。

〇小惑星探査が極めて重要な理由
そもそも「なぜ小惑星を調べる必要があるのか」と疑問に思う人も多いだろう。はやぶさプロジェクトは、あの民主党政権による事業仕分けで予算が激減するという日本の科学発展の暗黒期があったものの、打ち上げが行われた2014年度は126億円の予算が計上された。
 これほどの金額について、「生活に困っている人も多いのになぜ?」とか「月や火星をもっと詳しく調べる方が役に立つのではないか?」などと考える人もいるだろう。
 もちろんそうした惑星探査は重要だ。特に地球の資源に限界が見え始めた現在、月に資源探査基地を作ることは夢ではなく100年後を見据えた重要な国際プロジェクトである。
 しかし一方で、小惑星を調べることも極めて重要だ。太陽系は宇宙のチリやガスが集まって太陽が生まれ、太陽の回転が周囲のチリをさらに集めて、太陽の周りをたくさんのチリの塊が回り始めた。この塊がさらに集まって地球のような惑星を作った。地球は誕生後に火山活動を始め、惑星になる前の状態はどこにも残っていない。
 惑星になれなかったものが小惑星として今も太陽系を回っている。つまり小惑星を調べることで、太陽系ができたころの様子を知ることができるのだ。

〇はやぶさ2が生命の原料を持ち帰る?
 生命が地球に誕生した仕組みはいまだにわかっていない。生命のもととなるアミノ酸や核酸といったものが地球上でどのようにして生まれたのかさえも仮説の域を出ない。複雑な構造を持つ有機物は、原始の地球では生まれず、小惑星が地球に衝突してもたらされたのではないかと考える学者は多い。
 1970年にオーストラリアで採集されたマーチンソン隕石からアミノ酸が見つかり、その後も隕石からアミノ酸が見つかり続けていることから、すべてかどうかはともかく、地球のアミノ酸の一定量は隕石が運んできたという考えは誰も否定しない。
 隕石の元をたどれば小惑星だろうと考えられている。小惑星から分かれた隕石が地球に衝突したことがきっかけで有機物が揃い、生命の生まれる条件が整ったことになる。リュウグウから採取したサンプルにアミノ酸のような有機物が含まれていれば、小惑星が生命の原料を供給したことが確定する。
 はやぶさプロジェクトのもうひとつの意義は、小惑星の衝突から地球を守ることである。恐竜が絶滅したのは、ユカタン半島に落ちた直径10キロ(サイズには諸説あり、最大では80キロという説も)の隕石のせいだ。直径160キロのクレーターを作った隕石は、大量の粉塵を成層圏まで噴き上げ、火山灰に日光を遮られた地球は寒冷化、草木が枯れて恐竜は餓死した。
 はやぶさ2の誘導技術を使えば、地球へ向かってくる小惑星に人工衛星をぶつけ、地球からそれる軌道へはじき飛ばすこともできるだろう。
 太陽系には100万個もの小惑星があり、すべてが手つかずの資源である。はやぶさ2の成功を使い、こうした小惑星の資源開発ができれば、もし地球の資源がなくなっても安心だ。
 リュウグウには正体不明の黒い物質(高分子の有機物ではないかと推測されている)や水(土に微量の水が含まれていると推測されている)があるとされ、科学者たちはサンプルの回収を待ち望んでいる。はやぶさ2がどんな秘密をもって帰還するのか、とても楽しみである。
(https://diamond.jp/articles/-/256260)
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 宇宙開発には多額の費用がかかり、現在ではアメリカ1国だけでは宇宙探査や開発ができない状況です。隣国は軍事利用のために無人宇宙船による月面着陸を行い、自画自賛しています。人口爆発が続いている地球で自然環境をこれ以上悪化させないためにも宇宙開発は必要になってくるものと思われます。宇宙の平和利用のために各国が資金を出し合い、最初に月面にコロニーを建設し、さらに遠くの火星へと人類は旅立つことでしょう。それまでには少なくとも数百年を要することになります。またさらに文明が進めば地球人類が太陽系外の宇宙へ進出することも可能でしょう。その意味で私は数百年早く生まれたと後悔しています(笑)。今後も宇宙開発を続けてもらいたいと思います。

2020年12月06日

#334 七つの善行

 今日は11月29日、11月最後の日曜日です。今日は朝から寒く、天気予報によると最高気温が13度しかならないそうです。晩秋というにはほど遠く、季節は初冬の装いを見せています。
 2020年は新型コロナウィルスに始まり、寒い季節を迎え日本でも現在猛威を振るい始めています。これは一人ひとりの問題であるとともに、社会ならびに国家総動員で対処すべき大きな国難と言えるものです。皮肉にも今年のインフルエンザは今日現在では予想されているほど流行していないようです。インフルだけでもおとなしくしてもらいたいものです。
 さて最近出会った本の中に味わいのあるものを見つけましたので、ここにご紹介します。仏教の逸話が面白く書かれてあり、その内容は現代の生活にも充分適応できるものです。
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『今すぐ、この場でできる「七つの善行」』
 お釈迦さまの教えに感銘を受け、その活動を支援していた、スダッタ長者という富豪がいました。この長者の息子の妻は玉耶(ぎょくや)といい、世にもまれな美しい姫でした。
 しかしこの玉耶姫、あまりの美貌にうぬぼれて一切働かず、好きなときに起き、日中はお化粧と買い物と、わがまま勝手な生活をしていました。
 スダッタ長者は困り果て、お釈迦さまにおすがりすると、お釈迦さまは「わかりました。明後日、伺いましょう」とおっしゃいました。
 スダッタは、使用人を集めて、言いました。
 「明後日、お釈迦さまとお弟子たちがこの屋敷にいらっしゃる。その準備をしてくれ。ただし、玉耶にだけは悟られないように。」
 使用人たちは、気づかれないようにお釈迦さまたちのお出迎えの準備をしたのですが、何かあると感じ取った玉耶は、新米の使用人に尋ねたのです。
 「さっきから忙しそうね。私もお父様から手伝うように言われたわ。いらっしゃるお客様は、確かえーっと……」
 「はい、なんでも明日、お釈迦さまという方がいらっしゃるそうで」
 玉耶はピンをきました。
 「お釈迦さまがいらっしゃる?そんなの聞いていないわ。きっと私のことが手にあまって、説教でも聞かせるつもりね。……よし、明日は自分の部屋から一歩も出るもんか。私が出てこなければ、お釈迦様の手前さぞかし困るでしょうね」
と、部屋に引きこもってしまいました。
 翌日、お釈迦さまをお迎えするために、屋敷の者は朝から大忙しでした。その中で長者だけが、ハラハラしながら玉耶の行方を探していました。
 「玉耶よ、いるのか、出てこないか」と部屋の扉を叩きますが、返事がありません。困り果てているところへ、お釈迦さま御一行が到着されました。
 「まことに申し訳ございません。実は、玉耶が部屋から出てこないのです」
 長者が事情をお釈迦さまに申し上げると、
 「わかった。私に任せなさい」
 とおっしゃって、お釈迦さまは神通力で、長者の屋敷を透き通るガラスの家に変えてしまわれたのです。
 部屋の押し入れの中に隠れていた玉耶は、あたりが急に明るくなったのに気がつき、顔を上げて驚きました。なんと、壁という壁、一切が透けて、家中の様子がありありと見えるではありませんか。隠れている自分の姿も丸見えで、屋敷の者たちは、不思議そうに自分を見つめています。
 これでは、へそを曲げて閉じこもっていることが丸わかりです。恥ずかしさのあまり、部屋を飛び出し、お釈迦さまの前にひざまずきました。
 「お釈迦さま、ひどいんです。お父様ったら意地悪して、私にお釈迦さまがいらっしゃることを教えてくださらなかったんです」
 そんな玉耶に、お釈迦さまはこう諭されました。
 「玉耶よ。どれほど顔や姿が美しくとも、心の汚れている者は醜いのですよ。それよりも心の美しい者になって、誰からも慕われることこそが、大切とは思わぬか」
 「心が美しい人になる……」
 玉耶は、初めて自分の悪態の限りが知らされ、このままではいけないと思いながらも、認めることも改めることもできずに、自分の殻に閉じこもっていたことが知らされました。
 お釈迦さまの前に立つと、そんな自分の心のすべてを最初からご存じだったように思え、固く閉ざしていた心がひとりでに開き、不思議と素直な気持ちになりました。
 「玉耶よ、すべては、お前の日々の心がけ次第なのです」
 「私に何ができるのでしょうか」
 「まず、家族や使用人に、常に微笑みをたたえた笑顔で接しなさい。優しいまなざしで向き合いなさい。そして、ねぎらいと感謝の言葉を忘れずに伝えなさい。これならできるだろう」
 優しい微笑みやまなざし、これらは「無財の七施」(むざいのしちせ)といわれます。お金や物、人より秀でた才能や能力がなくても、思いやりの心さえあれば誰にでもできる七つの施しです。

和顔施(わげんせ)・・・微笑みで接すること
眼施(げんせ)・・・優しいまなざしを施すこと
言辞施(こんじせ)・・・優しい言葉やねぎらいの言葉を伝えること
身施(しんせ)・・・人の荷物を持ったり、手伝ったり、身体を使って相手を
          助けること。
心施(しんせ)・・・形だけでなく、思いやりの心を込めて接すること
床座施(しょうざせ)・・・場所や順番を「お先にどうぞ」と譲ること
房舎施(ぼうしゃせ)・・・困っている人に自分の家を宿として提供すること

笑顔をたたえ、優しいまなざしで、分け隔てなく人に接しなさい。
常にねぎらいと感謝の言葉を心がけなさい。
自ら進んで、人を助けなさい。
人とぶつかったら、なるべく譲ってあげなさい。

お釈迦さまはこれらのことを、玉耶に説かれたのでした。
美しい姿はやがて衰える。けれど心の美しさは衰えることなく、自分も周囲もいつまでも幸せにする。このお釈迦さまの教えに目を開かされた玉耶は、皆から好かれる存在にないたいと願い、教えを素直に実践したといわれます。
(岡本一志著:『心が「スーッ」と晴れるほとけさまが伝えたかったこと』三笠書房
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 お釈迦さまは極めて常識的なことを仰っています。お釈迦さま(ゴータマ・シッタルダ)はおよそ2600年前に生きた人ですが、その教えは現代でも充分通用すような内容です。上記の逸話は現代に生きる私たちにとっても当てはまることばかりです。特に新型コロナの影響でギスギスしている世の中で必要な「無財の七施」です。」いかにお釈迦さまの教えが時代を超えて生き続けているか、ということを示しています。

2020年11月29日

#333 天国と地獄の違い

 11月も下旬となり銀杏の葉もすっかり黄金色に変わって落ち葉が黄色の絨毯のように見えます。この季節には東京の神宮外苑の銀杏並木がテレビに映し出され、行きゆく人々が足を止め、しばしこの光景に見とれている場面が放映されます。季節はすっかり晩秋の装いを漂わせています。そして11月もまもなく過ぎ去ろうとしています。
 さて「天国と地獄の箸」の話をご存じでしょうか。先日久しぶりに仏教に関する本を検索していましたら、この話が出てきましたのでご紹介します。宗教的な意味合いでなく現実の世の中にも当てはまる物語です。
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昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。
 罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。
 次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
 「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。男は、「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。
 同じ食事を前にしながら、一方は、俺が俺がと先を争い傷つけあっています。もう片方は、相手を思いやり、相手から思いやられ、感謝しながら、互いに食事を楽しんでいます。どちらが幸せかということは明らかなことです。自分さえよければでは、幸せになれません。一人ぼっちになってしまいます。幸せの花は、相手(他)と自分との間に咲くからです。
「仏教事典 三尺三寸箸 極楽の箸はなぜ長いのか」より引用
(https://bukkyouwakaru.com/dic/s34.html)
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 上記の話の出典は残念ながら分かりません。ネットで調べても様々な意見があり、定まっていないようです。一説には禅宗の山田無文老師の説話の中に出てきたという話もあります。ただこの話は単なる仏教説話ではなく、私たちが生きている現実の世界を表しています。毎日戦いに明け暮れる国もあれば、自国の利益しか考えない国もあります。世界は我欲の塊で動いています。その結果が戦争へとつながります。
 また個人レベルでは金のために犯罪に手を染める者も世の中には数多くいます。日々様々な悩みに苦悩する人も多くいます。上記にある天国(極楽)のようにお互いが思いやりを持って接することができればこの地上に天国を作り出すことができるでしょう。この世を天国にするか、地獄にするかはすべて私たち一人ひとりの日々の心がけにかかっています。どうせ住むなら地獄よりも天国に住みたいものです。

2020年11月22日

#332 万引き横行

 市内の田んぼでは稲刈りも終わり、すっかり晩秋の雰囲気が漂っています。近くの川には川面に多くのカモが楽しそうに泳いでいます。また川岸には枯れススキが去りゆく秋を見送るように風に揺れています。
 さて、市内の中学校では今秋から期末試験が実施されます。当塾の生徒たちも期末試験に向けて予想問題を中心に演習を行い、最後の追い込みに入っています。多くの高校では期末試験は来週に予定されています。生徒たちは期末試験に向けて奮闘する時期が来ました。精一杯頑張ってもらいたいと思います。
 ところで国内には新型コロナを始め様々な問題が生じていますが、中でもマイバック導入時からとんでもない犯罪が増加しています。万引きの横行です。マイバッグ導入前はスーパーマーケットなど各店で専用のレジ袋が無料で配布され、それを使用していましたが、マイバッグ導入によりレジ袋が有料となり、多くの買い物客が各自のマイバックを使用することになりました。
 ところがマイバッグの導入により万引きする客が横行しているそうです。本日はそれに関する記事をご紹介します。
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レジ袋有料化で被害10倍!「かごパク・万引き・メルカリ転売」急増する非常識な客
 お酒や日用品などを精算前にマイバッグに入れて万引きして、フリマアプリで転売。コロナ感染者が出た店舗をSNSで誹謗中傷。レジのかごまでパクる……。最近、スーパーマーケットを悩ませる不届きモノたちが増えている。中には、わが物顔で犯行を繰り返し、逆ギレするケースも―。

<「かごパク」被害急増中>
「買った品物がマイバッグに入りきらないときは、かごのまま駐車場まで運んで、ついつい持って帰ってしまいます。レジかごは次に行ったときに返せばいいかなと思って」
そう明かすのは九州地方に住む30代の会社員の男性。実は彼、「かごパク」の常習犯。悪びれる様子はなく、これまで持ってきたレジかごを返却したことはない。過去にはカートも持ち帰ったことがあるというから悪質だ。
 「かごパク」とは、買い物で使うレジかごを精算後にそのまま持って帰る行為のこと。“エコバッグを持っていない。持っていても品物が入りきらない”“でも、レジ袋は買いたくない”そんな自分勝手な理由で犯行に及んでいる。レジかごは店舗の備品のため、勝手に持っていけば盗難、つまり窃盗罪になる。
「かごパク」は以前から起きていたが、今年7月にレジ袋が有料化されると被害が増えた店もあるという。そのひとつが東京練馬区に本店があるスーパー『アキダイ』。秋葉弘道社長が明かす。
「レジ袋有料化前の10倍の被害が出ています。でも、この件が報道されると“困らせてごめんね”と謝って返却してくれたお客様もいました」
 スーパーを困らせるトンデモ客の行為は「かごパク」だけではない。もっとも深刻なのが万引きだ。万引き対策専門家の伊東ゆうさんが解説する。「セルフレジが増えたことなどから、ここ数年、万引きがしやすい環境になってしまった。さらにコロナ対策で死角が増えたこととレジ袋有料化が重なり、犯人の捕捉数も増えています」
 生活費の節約目的で万引きをする年金生活の常習犯や、最近では30~50代の初犯も多いという。前出・伊東さんは、「コロナで失業し、路上生活になってしまい、万引きせざるをえない人が増えています。最初は生活のために弁当などをやむなく盗むのですが、慣れてくると盗品を換金するようにもなります」
 日用品や食品などを日常的に盗み、メルカリなどのフリマアプリなどで転売して金銭を稼ぐ手口。まさに「メルカリ万引き」だ。
ポリ袋の消費量は2倍に増えた

<「レジ袋万引き」もいる。>
 伊東さんはレジ袋そのものを盗んだ犯人を捕まえたことがある。被害額5円だ。「セルフレジから1枚取ってレジ袋の精算をせずポケットに入れて売り場にいく。商品を精算後、先ほど盗んだレジ袋をポケットから出し、持参したように見せかけ商品を入れる。5円節約したいがための犯行ですが、これも万引きには変わりない」
 レジ袋だけでなく、無料でもらえるポリ袋も店の備品。大量に持っていくと逮捕の対象になる可能性がある。
「“エコバッグが汚れるから”“ゴミ袋やペットの汚物処理などに使う”などの理由からポリ袋欲しさに買った商品を1点1点ポリ袋に入れる人や、ロールごと持っていく人もいます」(前出・同)
 精算前の商品を持参したポリ袋に入れ、さも支払いがすんだように見せる万引きの手口もあるそうだ。このような現状に前出・秋葉社長はため息をつく。
「ポリ袋の消費量は2倍に増えました。温暖化対策のためにレジ袋を有料化したはずなのに、これでは本末転倒です」
 ほかにも『かご抜け』と呼ばれる、会計前の商品をかごやマイバッグに入れ、レジをスルーし、外に出て万引きする手口も増えているという。しかし、万引き犯を捕まえるのはなかなか厳しい。「コロナ禍でみんなマスクをしているため、顔がわかりにくく困っています。精算後の商品をレジ袋やマイバッグに入れず、手に持ったまま売り場に戻る人は特に難しい。精算がすんでいるのか、店員も迷います。不審な人物には声をかけますが、やっていない人にまで不愉快な思いをさせてしまうことも……」(同)
 全国万引犯罪防止機構は、警察と連携。万引き防止を促すポスターを作成するなど注意喚起を行うが、事務局の担当者は厳しい現状を語る。
「店舗の中には万引きなどの被害届を出さないところも少なくありません。すべての事件で届けを出してくださいとお願いしていますが……」というのも店舗の規模によっては事件の取り調べに従業員がとられると、その間の人手が足りなくなるからだ。
 「多くの店舗が泣き寝入りをしている状況です。万引きによる損失が増えれば商品の価格に上乗せすることにもなりかねない。損失により閉店に追い込まれることも。そうなれば一般の顧客も被害者。一部の心ない人のせいで、みんなが追い詰められるんです」(前出・事務局)

<コロナのせいで俺のせいじゃない>
 やめられない常習犯もいる。「“万引きはコロナのせいで俺のせいじゃない。仕事もなく、2日も食べてない。どうしたらいいんだ”と逆ギレする犯人もいます。家もなく、生活に困窮していて生きるか死ぬかで犯行に及ぶ人もいるんです」(前出・伊東さん)
 レジの担当者に精神的な負担をかける不届きモノもいる。スーパーマーケット協会団体の担当者が明かす。「4、5月、来店する顧客はイライラし、殺気だっていました。売り切れ商品を出せと無理難題をぶつけたり、マスクをしていないお客様へのクレームをお店に向けたり。些細なことで怒り、怒鳴ったり……。それらの理不尽を一手に受けたのがレジ係です。疲弊した人は多かった」
 追い打ちをかけたのはコロナの「感染流布」。東京・大阪といった大都市と感染者が少ない地方との温度差は大きかった。「地方の店の店員が都内に行ったことが漏れると風評が広がることもあったようです。感染し、地元にウイルスを持ち込めば店は袋叩きにあい、お客様は来なくなる」(前出・担当者)
 さらには危険な売り場としての烙印を押され、口コミやSNSで誹謗中傷されることも。従業員もその店で働いていたことが地域でバレると村八分にあうおそれもあった。
 前出・担当者は続ける。「スーパーは安心安全なものをみなさんに届けようと努力していますし、ほとんどのお客様はちゃんとルールやマナーを守っています。残念ながらほんの一部にはそうではない人もいますが……」
 消費者も立ち上がらないといけないのかもしれない。

週刊女性2020年11月17日号(https://www.jprime.jp/articles/-/19299?page=3)
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 万引きは青少年や高齢者だけの犯罪と思っていましたら、全世代型の犯罪へと傾向が変わってきたようです。いくらマイバッグで簡単に商品を手に入れることができても犯罪は犯罪です。子どものいる大人はどうやって自分の子どもに言いわけをするのでしょうか。ここまで国民の倫理観が低下してきたのでしょうか。万引きと新型コロナとは全く関係ありません。非常に嘆かわしいことです。

2020年11月15日

#331 米国次期大統領確定?

 アメリカ大統領選挙が激戦になっています。本日日付が変わった深夜1時30分ごろに速報が流れ、バイデン氏の大統領確定のニュースが発表されました。まだ開票は続いていますが、ペンシルベニア州の開票の流れでマスコミが公表しました。従来でしたら確定した段階で敗者が敗北宣言をし、勝者に電話してお互いねぎらい、来年1月に正式に大統領に就任することになりますが、今回は違います。トランプ大統領が敗北を認めず、法廷闘争を準備しているからです。
 それではトランプ氏はどのような対抗措置を持っているのでしょうか。トランプ大統領は民主党が今回の選挙で大々的な不正をしたと主張しています。それでは、どのようにしてトランプ大統領は再選を狙っているのでしょうか。かなり長くなりますが日本のマスコミがほとんど取り上げないトランプ大統領再選の極秘の方法をこっそりとお教えします。
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★米民主党の選挙不正
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米国の大統領選挙は、民主党が開票時に広範な不正を行った可能性がしだいに濃厚になっている。ウィスコンシン、ミシガン、ネバダ、アリゾナ、ペンシルバニアなどの州で、投票後の開票作業中だった現地時間の11月4日未明に、遅れて到着した郵送票の束を偽装して、偽造された大量のバイデン票が開票所に運び込まれ、それまでのトランプ優勢がバイデン優勢に覆された。各地の選挙管理委員会の要員はもともと共和党と民主党の支持者が同数になるように設定されているが、11月3日の夜、いろんな理由をつけて共和党側の要員が開票所から追い出され、民主党側が開票を主導する態勢が作られた。そして郵送票の到着を装って不正が行われた。ウィスコンシン州では11月4日の午前4時に10万票が到着して開票され、そのすべてがバイデン票だった。この加算により、同州はトランプ優勢が覆され、バイデンの勝ちが宣言された。

この加算により、あり得ない現象も起きた。ウィスコンシンの最大都市ミルウォーキーの7つの投票区で、投票総数が有権者登録数を上回ってしまった。このことは地元のメディアも報道し、不正の可能性が濃厚であることが一時全米に知れ渡った。民主党が支配する選挙管理委員会は、問題のミルウォーキーの投票区の有権者登録数を修正し、投票総数の範囲内におさまるように事実を再調整した。

ミシガン州デトロイトでも、11月4日の午前3時半に13万8千票の郵送票が開票所に届き、優勢がトランプからバイデンに代わり、バイデンの勝ちが確定した。ネバダやペンシルバニアでも同様の不正の疑いがあり、トランプ陣営は開票作業の停止や再開票を請求した。だが、すでにマスコミ上で確定しているウィスコンシンやミシガンのバイデン勝利を覆すのは簡単でない。昨日の記事に書いたように、再開票しても偽造票を見分けられなければ意味がない。「投票用紙を作った国土安全省は偽造防止の透かしを入れているので見分けがつく」という説があるが、投票用紙を作っているのは連邦政府でなく地元の州などだ。偽造票を短時間で見分ける方法があるのかどうかわからない。

民主党の選挙不正は、インターネットの言説を支配するSNS諸企業や、マスコミもぐるであり「不正などない。トランプ支持者の妄想だ」という話だけが今後も流布する。不正を指摘するSNSの書き込みは消される。選挙不正が公式の話として認知されるのは簡単でない。そのため昨日の記事では、不正によってトランプの敗北が確定してしまうのでないかと悲観的なことを書いた。しかし、それから1日経ってみて、どうもそうでないようだという感じが出てきている。

私が注目したのは、マスコミが発表する開票速報が、バイデン264、トランプ214のまま止まっていることだ。バイデンは、あと6人とれば当選確実になる。残っている4州のうち一つ取ればよい。マスコミが勝敗を確定すると覆すのが困難になる。民主党とマスコミなど軍産側は、ネバダあたりの選挙管理委員会を急かせて不正票含みで開票を進めてバイデンの勝ちを確定するのが良い。しかし、どういうわけかそれは寸止めされている。

もしかして・・・と私が思ったシナリオは、民主党に不正をさせるのがトランプの仕掛けた罠でないか、というものだ。トランプ側は不正をしない。隠れトランプが大勢いる。民主党が不正をしなければトランプの勝ちになる。トランプは、夏前から郵送投票に反対しつつも阻止せず、民主党が今回のような不正をやるように仕向けた。不正が行われ、バイデンが今のようにもうすぐ勝つ状態になったところで、トランプは開票作業を止めさせた。バイデン親子の中国ウクライナからの贈賄について司法省から電話させれば、バイデンはとりあえず開票作業の一時停止に応じる。これが今だ。

今後、この膠着状態のまま時間がたつほど、民主党の選挙不正について詳細がわかってくる。トランプ傘下の諜報界は、民主党側にスパイを潜り込ませ、不正について何らかの証拠を握っている(証拠を握れる状態を作れなければ民主党に不正させない)。これは「おとり捜査」である。これから証拠がリークされていく。ロシアゲートの逆転劇に似ている。決定的な証拠がリークされる前後に、マスコミがネバダ州のバイデン勝利を確定し、バイデンの当選を発表するかもしれない。しかしそれと同時に民主党の選挙不正について決定的な証拠が暴露され、マスコミも選挙不正に協力してバイデン勝利を捏造していたことがバレていく。

このシナリオが成功すると、民主党だけでなくマスコミの権威も失墜させ、軍産の全体を潰せる。最終的な次期大統領はトランプになる。もう少しで勝てたのに、と悔しがる民主党左派は、全米で絶望的な暴動・略奪に走る。米国は混乱が続いて国際信用が低下し、経済も破壊され、軍産が最も望まない覇権の失墜になる。その中でトランプの2期目が始まり、米中分離や隠然多極化を進めていく。結局のところ、一昨日書いた記事のシナリオに戻っている。嘲笑してください(笑)。
(田中宇の国際ニュース解説 無料版 2020年11月6日 http://tanakanews.com/)
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 上記のようなことがはたして起こるでしょうか。各国の首脳が時期大統領のバイデン氏に祝福のメッセージを送っています。そのような中でトランプがどのような動きを示すか興味津々です。アメリカ大統領は世界に大きな影響を与えます。今後4年間の世界情勢を左右するのは次期大統領の手腕にかかっています。

2020年11月08日

#330 創立6年目を迎えました

 本日は学習塾二コラの創立日です。2015年の11月4日に創立して以来5年が過ぎ、6年目を迎えました。経済的に塾に行けない子ども達のために創設した学習塾ですが、毎年該当する生徒(授業料免除)が数名学んでおり、その生徒を含み合計10名前後の生徒が毎年当塾で学んでいます。
 基本的に個別対応で授業をおこなっているために、今まで当塾で過ごした生徒の数はそれほど多くありませんが、この5年間で累計50名ほどが当塾に在籍し、様々な生徒や保護者との出会いがありました。平均すると2年ほどの在籍期間ですが、長い生徒では4年近く学んでいる生徒もいます。当塾は全く宣伝をしませんが、口コミで生徒が集まり、本当にありがたいことです。
 これから後半の5年間を迎えます。5年後当塾を継続するかどうか、まだ決めていません。次の5年間の塾運営の状況を踏まえて判断するつもりです。塾の運営には予想以上の資金が必要になります。事実、当塾は賃貸物件ですので、毎月6万5千円の賃貸料がかかります。さらにコピー機のリース代や光熱費等を含め、合計10万円が運営費として毎月支払うことになります。その他問題集や資料の購入などで数万円を出費します。
 現在地元にある明光学園の非常勤講師として得た給料で当塾の運営費を補っていますが、いつまで続けられるか分かりません。また健康でなければ塾の運営に支障が出てきます。できるだけ健康には気を遣っているつもりですが、いつ何時病気になるかもしれず、入院等が生じた場合には早めに閉塾するかもしれません。その意味で最低でもあと5年は続けたいと思っています。
 5年後世の中はどのように変わっているでしょうか。学習環境に関して公立学校・私立学校を問わず様々な支援制度が整いつつありますが、まだまだ不備な点が多く、経済的に苦しい家庭の子が希望通り学習に取り組む環境が整っているとは言い難い状況です。このような子どもたちのためにも初志貫徹で塾運営を続けたいと思います。今後もよろしく願いいたします。

2020年11月04日

#329 アインシュタインの言葉

 今日から11月です。歳月の経つのは早いもので、今年も残り2か月となりましたが、全くそのような気持ちになりません。おそらく新型コロナのせいで全国の多くの学校が2か月ほど授業が中止になり、そのせいで時間の流れが心の中で止まっているせいでしょう。また日中の暖かさも相まって、まるで9月末のような感覚でいます。
 さて、書棚で探し物をしていると懐かしい本が出てきました。30年ほど前に私が出した英語の問題集です。「基礎英文問題精講 Brush-Up Test 60」(旺文社刊)の初版で、当時福岡雙葉の生徒のために福田美代先生と私が共同で作成した原稿を旺文社に打診し、問題集にしていただいたものです。この問題集は版を重ねながら今でも発売されています。その中に何度読み直しても心に残るアインシュタインの名文がありますので、ここに紹介いたします。
----------
 この地上における我々の立場は不思議なものである。我々はみなこの地球を訪れて、つかの間、地上に滞在する。-----なぜそうなるかはわからないが、ときにはある目的を推測することができるように思われることもある。しかしながら、日常生活という観点からすれば、我々が確かに知っていることが1つある。それは、人間は他人のために-----とりわけ、その人々のほほえみと幸せに我々自身の幸せがかかっている人々や、その人々の運命と我々が共感のきずなによって結ばれている数知れない見知らぬ人々のために-----この世に存在するということである。

 Strange is our situation here upon earth. Eachof us comes for a short visit,
not knowing why, yet sometimes seeming to drine a purpose. From the
standpoint of daily life, however, there is one thing we do know: that man is
here for the sake of other men ----- above all for those upon whose smile and
well-being our own happiness depends , and and also for the countless unknown
souls with whose fate we are connected by a bond of sympathy.
------
 アインシュタインの名文ですが、構文や文法上難しい表現が目立ちます。古典の香りがする英文です。分かりやすく要約すると次のようになります。
「私たちは何処からかこの世に生まれて短い人生を過ごします。その短い間、他人のために私たちが生き、お互い幸せになるように、生きることが人生の目的です。」
 確かに本人が意識しているかどうかにかかわらず、他人の幸せのために生きている人は幸せです。他人の身体的幸せには医療従事者や介護関係者が当てはまることでしょう。また周囲に笑顔を振りまく人も幸せを他人に与えています。自分がどんな立場に置かれても周囲の人を幸せにするような生き方をしている人は幸いです。それが個人の幸せや社会の幸福につながります。今の世の中に必要な存在です。

2020年11月01日

#328 核兵器禁止条約、来年1月発効

 今日は10月最後の日曜日で、朝から快晴です。通りを歩きますと、ほのかな甘酸っぱい香りが漂っています。キンモクセイの香りです。この香りが無くなりますと冬に向かって季節は走り始めます。
 さて先ほどビッグニュースが飛び込んできました。国際連合が核兵器禁止条約を決議し、来年1月に発効する予定です。時事通信の速報を掲載します。
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『核兵器禁止条約、来年1月発効 批准50到達、使用や威嚇を禁止―保有国は不参加』
【ニューヨーク時事】核兵器禁止条約の批准書や受託書を国連に寄託した国・地域が24日、発効に必要な50に達した。ホンジュラス国連代表部が同日の批准書寄託を確認した。条約は90日後の来年1月22日に発効する。核兵器の使用や保有を初めて違法化する国際条約となる。
 ただ、加盟国以外に効力は及ばず、現状では核保有国や日本を含む同盟国の参加は絶望的。条約発効だけで核軍縮につながる可能性は極めて低い。今後、こうした国の加盟に向けて、いかに圧力を強めていくかが課題になる。
 核兵器禁止条約は2017年3月、核軍縮の停滞を背景に非保有国の主導で制定交渉が始まり、同7月に採択された。核保有国やオランダを除く同盟国は交渉に参加せず、軍縮条約としては異例の速さで採択に至った。
 条約は前文に被爆者の「受け入れ難い苦痛と損害」に留意すると明記。核抑止力を意味する「核兵器を使用するとの威嚇」も禁止した。一方、核保有国が交渉に参加しなかったため、具体的な軍縮措置は盛り込まれなかった。
 核兵器禁止条約制定を働き掛け、ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」で国連を担当するセス・シェルデン氏は「条約発効で(核兵器は違法という国際的な)規範が強まることで、非加盟国の行動に影響を及ぼす可能性はある」と指摘。核保有国などに加盟を促す活動を続けていく方針だ。
(https://www.jiji.com/jc/article?k=2020102500169&g=int)
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 広島、長崎に原爆が落とされて早や75年経ち、ようやく世界が核兵器禁止へと動き出しましたが、核保有国はこの条約に反対し、独自の道を動き出すことでしょう。ここに現在の国連の力の限界があります。第2次世界大戦の戦勝国で作られた国際連合は当時の5大国に拒否権を与え、その後の様々な改革をこの拒否権により多々中断されてきました。
 上記の記事にありますように核保有国はこの条約には加盟しておらず、現在自由陣営と共産主義陣営に分かれて対峙しています。お互いに相手に対して恐怖と不信感がある限り軍縮は進まず、まして核兵器を廃棄することはありえないでしょう。また核兵器を廃棄すると見せかけて、秘密裏に保管するなど、常に上位に立ち、相手を威嚇する手段を残すはずです。
 この人類の愚かな性癖は国家レベルだけでなく個人にも当てはまります。自分の利益を追求して他人を貶める行為は社会のいたる所で見られます。このような利己的行為が無くならない限り、本当の平和は実現しません。戦争は国家レベルの行為ではなく、私たち一人ひとりの心の中に棲んでいる悪感情の表れです。遥か未来に別の生命体がこの惑星に登場し、過去の地球の歴史を調べると、この地上にかつて人類という愚かな種族が存在したことを発見するでしょうか。嘆かわしい限りです。

2020年10月25日

#327 外国人が衝撃を受けた日本人の姿

 10月も下旬に入り、すっかり秋らしくなりました。今朝は大牟田で最低気温が11度となり、朝洗顔する水の冷たさがいつも以上に手のひらに感じます。また稲刈りの終わった田んぼが目立ち、季節の移り変わりの早さを肌で感じることができます。そろそろ冬支度をする頃となりました。
 さて私たち日本人は当たり前すぎて日頃ほとんど意識することがないような事柄でも海外の人から見れば驚きの出来事が多々あります。そのような一例を中国人の目から見た日本文化を紹介する「Searchina」から引用します。
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『時間に厳格、大災害でも泣き叫ばず…「外国人が衝撃を受けた日本人の姿」とは』
 日本人は「民度が高い」と訪日中国人からたびたび称賛されているが、具体的に日本人のどんなところが中国人や世界の人々を感心させているのだろうか。中国メディアの今日頭条はこのほど、「外国人を驚かせている日本人の国民性や日本の習慣」を5つ紹介する記事を掲載した。日本に来たことがある人や、日本に住んでいた様々な国の外国人からの回答を伝えている。
 「外国人を驚かせている日本人の国民性や日本の習慣」の1つ目は、「予測しない非常事態でも冷静に列を作る」こと。これが最も多く寄せられた感想だという。ある人はコロナ感染拡大という緊急事態においても、日本人が落ち着いて列に並んでマスクを買っていたことに非常な感銘を受けたそうだ。別の男性は、東日本大震災のニュースを母国で見て、大災害に直面しても泣き叫んだり、喚いたりせず、秩序を失わずに冷静に列に並んでいる光景に心を打たれ、日本で働くことにしたと伝えている。非常事態でさえ冷静さを失わない日本人は、外国人に良い意味で衝撃を与えているようだ。
 2つ目は「親しき仲にも礼儀あり」であること。ある男性は、「どんなに親しい人でもドタキャンをしてこないし、不快なことをしてこない」と感心しているが、日本人からすると人として最低限のマナーと言えるのではないだろうか。別の人は「日本人は、リモートで仕事していてもきちんとした身なりをしている」と称賛している。これも、日本では社会人としてのマナーだが、世界の標準ではないのかもしれない。
 3つ目は「時間に厳格で遅刻しないこと」。ある人は日本の電車が3分遅れて謝罪のアナウンスを流しているのを聞き、耳を疑ったそうだ。また、必ず約束の5分前に到着している日本人の同僚がいると回答した人は、「これはきっとその人のマイルールだろう」と推測しているが、日本ではごく当たり前のマナーだ。
 4つ目は「おじぎ」で、これは日本独特のあいさつなので多くの外国人が驚くようだ。5つ目は「まめに手紙を送り挨拶すること」。日本人は、要件を伝えるメールにわざわざ「わかりました」と返信したり、年賀状や暑中見舞いなど、季節ごとに手紙を送るため、まめに感じさせるようだ。このように見てみると、日本では当たり前の習慣や礼儀も、外国ではそうでもないようだ。冷静で細やかで、相手の立場に立った言動のできる日本人は、外国人を驚かせ、感動を与えているようだ。
(http://news.searchina.net/id/1693388?page=1)
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 私たちが海外旅行をして異文化に接するときに日本人にはない文化や習慣に驚き、不思議に思うことがたくさんあります。海外から日本に訪れる人も同様に日本人の日頃の言動に感動したり、訝(いぶか)しがったりします。「おもてなし」は日本人の心の一面を表す言葉であり、また他者との距離感は日本人の礼儀を表すとともに、何か他人行儀を示すこともあります。他国にはない日本人の良い特性はいつまでも忘れないようにしていきたいものです。

2020年10月18日

#326 知らぬが仏

 日本はこれから寒い季節を迎えることになりますが、南半球ではこれから暖かい季節を迎えます。オーストラリアでは今が早春で、12月から1月にかけて夏になります。ただし日本のような四季はなく、何となく暑くなったり、寒くなったりします。私はシドニー郊外に住んでいました。一番寒い時期には最低気温が7,8度くらいまで下がりますが、それでも日中は20度近くまで上がりますので、日本でいえば11月中旬の気候と言えます。
 オーストラリアはこれから春から夏へと季節が変わっていきます。今でも思い出しますのは、初めての春を迎えた頃のことです。当時私は大学近くのアパートに住んでいましたが、郊外の住宅地はブッシュの間に家が建っている状況です。ブッシュ(bush)とは森林(forest)というより「林」の感覚です。灌木の間に住宅が建っています。真夏にブッシュ・ファイヤー(山火事)が頻繁に発生しますが、ブッシュの中に建っている住宅は真っ先に被害を受けます。しかしブッシュの中にある住宅は住みやすく、田舎に行けばカンガルーやコアラなど野生動物との生活がそこに存在します。
 さて、初めて住む土地には地元の人しか知らないような様々な注意すべき事柄があります。特に春先に注意しなければならないのが「鳥」です。オーストラリアの鳥は人を襲います。そのことを知らなかった私は大学に通うのに近くのブッシュを通っていました。ある日一羽の鳥が私をじっと見ていましたが、突然襲ってきました。最初私は勘違いかなと思ったのですが、2度目に襲ってきたときには偶然ではないことに気づきました。その際に耳の後ろをくちばしで突かれ、少し出血しました。襲ってきた鳥はマグパイと呼ばれるカササギです。姿はカラスに似ていますが、白黒のブチ模様です。佐賀ではカチガラスと呼ばれています。ただ佐賀のカチガラスが人を襲うとは聞いたことがありません。
 このマグパイは春先に木々の枝に巣をつくります。自分の巣を守るために巣の近くを通る人間に襲ってくるのです。この鳥は人の頭を中心に襲う傾向があり、最悪の場合は目を突かれて失明する人もいます。そこでマグパイの襲撃を避けるために、ブッシュの近くを通る場合には必ず1mほどの枯れ枝を拾って、その枝を頭の上で振りながら木々の間を歩いていきます。特に人の通る道には「Beware of magpies」(マグパイに注意)のような警告が道に書かれています。
 昨日見つけた記事につぎのようなものがありましたので掲載します。
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『子どもを何度も襲う一匹の鳥。
 オーストラリアで春先に起きるマグパイ・アタックがこれだ【動画】』
 恐怖で泣き叫びながら必死に逃げる子どもを、頭上から急降下して何度も攻撃する一羽の鳥。オーストラリアでマグパイ(カササギフエガラス)と呼ばれる鳥は、春先に最も恐れられている動物だ。それを証明するのが、ウェイン・シャーウッドさんが投稿したこの動画。シドニーの南にあるイラワラ湖近くで、キックスケーターに乗っていた息子がマグパイから執拗に攻撃されている場面をとらえた。
 「オーストラリアは美しい国ですが、野生の鳥たちは恐ろしい。生きた子どもを襲って食べようとする。だから気をつけて�」とシャーウッドさんは冗談交じりにコメントしている。
 マグパイは春先の繁殖シーズンに、巣を守るために人間を攻撃することがある。多くのオーストラリア人は同情を示すと同時に、「毎年の恒例行事」「37年間見てきた中で、一番いい攻撃」など、これは春先によく見られる行動だということを、コメント欄で説明している。動画はTwitterでもシェアされ、多くの人たちが反応している。
 ツイート「これはオーストラリアの全ての子ども達が、春になるたびにする経験。マグパイは巣作りの時期にとても凶暴になり、特に自転車やキックスケーターに乗っている子どもたちを攻撃します。自転車での登校は悪夢です。多くの人たちが先の尖ったものを、ヘルメットにつけています」
 ツイート「マグパイは1年のうちのある時期、近づく人たちは自分を攻撃していると思い込みます。急降下して襲われれるのはめちゃくちゃ恐怖ですよ」
 マグパイが人間を攻撃するのは子育てをする約6週間で、通常春の初めだ。とはいえ、マグパイが突然人間を襲うことはほとんどない。一般的に、マグパイは巣がある木から100メートル離れた場所にいる人間を攻撃する。攻撃するのはオスで、巣を守るための行動だ。
 また、マグパイは敵を記憶する能力に優れており、一度敵と認識すると一生忘れないと言われている。オーストラリアでは、春の始まりはマグパイから頭を守るシーズンの始まりでもある。
 時に出血するほど激しく攻撃されることもあるため、オーストラリアの人たちの多くは9月になると、アイスクリームの容器や後ろに目が描かれた帽子、先の尖った物体をつけたヘルメットなど、様々な物で頭を守る。
 マグパイ攻撃がトラウマになってしまったのではないかと心配だが、シャーウッドさんたちは親子でもう一度挑戦することで、恐怖を克服したようだ。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/magpie-attacking_jp_
5f816055c5b6e6d033a2b9f5)
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 動画をご覧になりたい方は上記にアクセスしてください。HUFFPOSTのネット記事です。10月にオーストラリアに旅行される方はマグパイに充分ご注意ください。「知らぬが仏」では済ませられません!

2020年10月11日

#325 変わりゆく世の中

 2週間ぶりのブログになります。原則として毎週日曜日にこのブログを更新するのですが、先週の日曜には2学期の中間試験の問題を2種類作成するために終日時間を費やしてしまいました。現在地元の明光学園の講師を務めていますが、従来は試験問題の提出は自分の試験が実施される前日までに提出すればよかったのですが、今回より試験初日の前日までに提出するように変更され、それを受けて先週の月曜日に提出した次第です。試験最終日に自分の試験が実施される場合も、定期試験開始の前日までに提出することになり、試験期間中に作成することができなくなりました。わずか数日の変更になりますが、それでも今まで以上に多忙になり、休日を利用して問題作成をすることになります。このブログ読者の中にはブログが更新されないので、私に何かあったのではないか、もしかして急死したのでは、と思われた方がいらしゃると思いますが、私は今もしぶとく生きています(笑)。
 ところで10月になり、世の中は様々なところで大きく様変わりをしているようです。国際的にはアメリカのトランプ大統領が新型コロナに感染し、彼の健康状態により11月に行われる大統領選挙はもちろんのこと国際情勢に大きな影響を与えることになるでしょう。またそれに合わせて中国や北朝鮮の今後の動きも気になるところです。国内では菅内閣が先月末に発足し、様々なところで変化が起こっています。
 気になるところでは、酒税が変更され、「発泡性酒類」(ビール系飲料やチューハイ)の分類や税率が見直しになり、価格が高くなりました。家計に占める割合が多少増えることになりそうです。このように見えないところで様々な変化が起こっています。
 個人的には西鉄電車の回数券「パル6」が販売終了となりました。パル6とは福岡ー大牟田間の回数券のことで、5枚分の値段で6枚回数券が買えました。つまり1枚無料でもらえました。それが無くなってしまい、正規の価格で乗車券を買わなければなりません。福岡ー大牟田間の乗車券は1枚1050円しますので、その分損した気持ちです。
 さらに悪い知らせがあります。西鉄電車の停車駅で、利用者の少ない駅が10月より無人化しました。私は倉永駅で乗降しますが、この駅は明光学園、大牟田北、ありあけ新世の3校の生徒が利用しています。生徒の通学時間帯は駅員が駐在しますが、それ以外の時間は完全に無人駅となります。特に夜は駅周辺は人通りが少なく、犯罪の発生も危惧されており、先日の西日本新聞に次の記事が掲載されました。
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『駅の無人化見直しを 高校の校長会とPTA 大牟田市長に陳情書』
 福岡県大牟田市の高校校長会(天河晃洋会長)と高校PTA連合会(城崎優子会長)は9月30日、駅の無人化を進める西日本鉄道に対し、見直しを申し入れるよう市に求める陳情書を関好孝市長に提出した。
 西鉄は、天神大牟田線の県南部区間など計24駅を無人化し、監視カメラやインターホンで遠隔管理する。1日から試行し、来年4月から本格運用する。
 市内の対象4駅のうち倉永、東甘木、西鉄銀水の3駅は、市内6高校の最寄り駅で、多くの生徒が通学に使う。このため陳情書では(1)駅員の配置を再検討(2)試行実施後に意見・要望を利用者らに求める機会の設定-を西鉄に働きかけるよう市長に求めている。
 市役所を訪れた天河会長は「定時制もあり下校が遅くなる生徒もいる。駅員がいないと治安面で不安だ」と訴えた。関市長は「安全安心に通学できるよう、皆さんの声を西鉄にしっかり伝えたい」と応じた。 
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/649960/)
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 パル6の終了や無人駅の導入は新型コロナの影響により、西鉄の営業収益の減収がもたらしたものでしょうか?身近なところにもコロナの様々な影響が出ているようです。
 このようにマイナスの面が多い変わりゆく世の中ですが、良い面でも変化しています。例えば大学の対面授業が増えています。本日のニュースでは西南女学院大学の入学式の様子が伝えられました。また九州大学などで一部の授業が再開され、大学のキャンパスにも賑わいが戻りつつあります。
 新型コロナに関してはまだまだ気を抜けない状況が続きますが、良い意味でも悪い意味でも世の中は確実に変化しており、その流れを注視する必要がありそうです。

2020年10月04日

#324 どうなる来年度入試

 朝晩はすっかり涼しくなりました。特に明け方は15度を下回る気温で、今朝は寒さで目が覚めました。夏用の寝具では過ごしにくい季節となりました。周囲もすっかり秋の装いです。道端に咲く彼岸花が秋らしい雰囲気を漂わせています。また夜にはコオロギでしょうか、鈴虫でしょうか、様々な虫たちが一斉に鳴き合い、子守り唄代わりに眠りに誘います。
 さて来年度の入試まで半年ほどになりましたが、コロナの影響でどのような入試の実施形態になるか分かりません。このままコロナが収まってくれればよいのですが、専門家の中にはインフルエンザと相まって再流行することを予想している人もいます。大学受験や高校受験を迎える受験生にとり悩ましいところです。
 先日の西日本新聞が各県の教育員会の高校入試に関しての指針を発表していますので、その記事を掲載します。
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『コロナに揺れる高校入試 九州7県で出題範囲巡る対応が割れる』
「福岡未公表」生徒、学校の負担にも

 新型コロナウイルスの影響による中学校の臨時休校を受けた高校入試の出題範囲を巡る対応が、九州7県の教育委員会で割れている。長崎、熊本両県は今後の休校にも備えて範囲縮小を決定。夏休み短縮などにより学習の遅れは取り戻せたとして、大分県など3県は例年通りの出題とする。入試は半年後に迫る中、福岡、宮崎両県はなお「検討中」。専門家は「生徒と学校に過度な負担がかからないよう、早めの公表が必要」と指摘する。
 「夏休みに安心して学習してもらいたかった」。九州でいち早く、7月中旬に範囲縮小を発表した長崎県教委の担当者はそう話す。
 除外範囲は、国語の漢文や数学の確率など主に教科書の後半部分で全5教科にまたがる。コロナ感染に伴う再休校を想定すると県内市町の約8割が「範囲の縮減が必要」と回答したのが理由で、1カ月程度の追加休校に対応できるという。
 文部科学省は5月、休校の長期化により受験生が不利益を被らないよう配慮を求める通知を全国の都道府県教委に出した。地域の学習状況を踏まえ、範囲の縮小や問題を選択できる出題方式の採用、面接や作文の活用も呼び掛けた。半数以上の教委から出題範囲縮小の報告があったという。
 7月の豪雨で甚大な被害を受けた熊本県も、さらなる休校を視野に全5教科に除外範囲を設けた。佐賀、大分、鹿児島の3県は例年通り。臨時休校による学習の遅れは「夏休みの短縮などでカバーできた」と大分県。受験生の不安を早めに解消するため、7月下旬に発表した。今後、再度休校になれば出題範囲を再協議するとしている。
 検討中という宮崎県は「学習の進み具合や今後の状況を見極めたい」。福岡県は唯一、公表するかどうかも未定とした。担当者は「範囲を縮小することになって公表した場合、受験生がその範囲を勉強しないかもしれない」と説明する。
 東京大大学院の本田由紀教授(教育社会学)は「臨時休校で学びの欠落が起き、生徒間の学習格差は明らか。地域や学校の対応により差が生じているならば、範囲の縮小が妥当ではないか。基本的な項目のみ問う内容にするなど工夫も可能だ」と指摘。「早めに公表すれば、学校側はゆっくりときめ細かい対応ができる。そもそも範囲縮小は学校現場と生徒の負担を軽減するためであり、公表しないと意味がない」と話している。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/644397/)
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 新型コロナの影響を考慮して高校入試の出題範囲を素早く変更した長崎、熊本の教育委員会にエールを送りたいと思います。ところで福岡県は一体何をしているのでしょうか。入試が半年後に迫る中で受験生の気持ちを考えないのでしょうか。教育委員会はあくまでも生徒の立場で物事を考えるべきです。従来のような権威主義に陥らず、誰のための教育委員会なのかを第一に考えるべきです。福岡県の担当者のコメントにはあきれます。誰のための入試なのかをもう一度考えてもらいたいと思います。早急な再検討を望みます。

2020年09月20日

#323 秋晴れ

 台風10号は九州各地に暴風をもたらしました。夜半断続的に大風が吹き、熟睡できずに一晩を過ごしました。気象庁の予報では伊勢湾台風並みのスーパー台風でしたが、幸いにも長崎の沖合を通過し、大災害を引き起こさずに過ぎ去っていきました。この台風で空気が入れ替わり、朝晩は涼しい風が吹いて秋らしい雰囲気が漂い始めています。特に今日は朝から過ごしやすい風が吹き続け、久しぶりに庭の草取りをしました。
 当塾には2階にありますが、小さな庭がついています。ひと月ほど前に雑草が生えていましたので、その大半を引っこ抜いたのですが、その後酷暑の中での草取りは熱中症にかかりやすく、涼しくなるまで待っていました。今日やっと秋らしく涼しくなり、ようやく重い腰を上げて草取りをしようと庭をのぞくととんでもない光景を目にしました。
 雑草の生命力はすさまじく、ひと月ほどで庭中に草が茂り、除草するのに1時間ほどかかりました。その結果片づけた雑草の量はゴミ袋7つ分にもなってしまいました。日頃から少しずつ草取りをすれば苦労せずに済みますが、一度にやろうとすれば大きな労力を必要とします。
 これは庭の草取りだけでなく、日頃の掃除や部屋の片付けにも言えます。少しずつ行えば、僅かの労力で済みますが、一度にやろうとすれば、それだけ時間も体力も使います。その前に気力が萎えてしまい、次に回そうとすれば、ますます部屋が混とんとして、整理整頓するのにもっと労力が必要となります。
 何事も気づいたときに即始めることが大切です。物事はその芽が小さいうちに対処することが大切です。健康管理にも同じことが言えます。体調不良の初期には薬等で比較的簡単に対処できますが、そのまま何もしませんと手術等の大きな治療が必要となります。異常を感じた時には早めに病院へ行き対処することが必要です。今日草取りをしながら自分の不作為をひたすら反省する一日でした。

2020年09月13日

#322 大災害にご注意を!

 台風10号が近づいています。近年にない大型台風で、伊勢湾台風に匹敵すると報道されています。午後4時現在は奄美大島近郊にいますが、九州地方はこれから台風の影響を受けることになります。
 他の自然災害と異なり、台風は接近する時間がある程度予想できますので、対策を取りやすく、避難準備がしやすいのですが、それでも強風や大雨による複合災害が起こります。特に停電による大きな被害は実際昨年の千葉県で発生しており、電気が復旧するのに10日以上かかっています。その間事業ができない企業が多く発生しました。
 停電による影響は当塾も免れません。コピー機が使えないので教材がコピーできません。ろうそくを立てて授業することはできないので、電気が復旧する間は休業するしかありません。その後振り替え授業を日曜日に行うなど、大きな負担が生じます。実際今日の補講と明日の授業はすでに中止となっており、後日補講で補います。
 また一般家庭においても、電気・水道などのインフラも停電により止まってしまいます。7月の豪雨では大牟田市内の多くの地区が浸水により数日間の避難所での待機を余儀なくされています。福岡県は夜半から朝にかけて台風10号の最接近を迎えます。充分な警戒が必要です。また明日一日は多くの商店が一時休業になりますので、食料や飲料水の備蓄も大切です。さらに停電の影響も考慮し、少なくとも数日間の備蓄は重要です。どのくらいの被害が出るか想像できませんが、被害ができるだけ少ないことを祈るばかりです。皆様も充分ご注意ください。

2020年09月06日

#321 どうなる日本の将来?

 今日は8月最後の日曜日ですが、相変わらず厳しい残暑が続いています。全国各地で38度を超える気温が毎日続いており、全然8月末の気がしません。9月になっても高温が続くと気象庁は警告しています。
 さて日本国内だけでなかく、世界に大きな衝撃が走りました。長期政権を担ってきた安倍首相の辞任です。安倍首相の功罪はこれから検証されていくことでしょうが、激動の世界情勢にあって、これほど世界を飛び回り各国の首脳と対話を続けてきた首相はいません。特にヨーロッパの各国の首脳たちは安倍首相にトランプ大統領との付き合い方を尋ねたとの逸話が残っているくらいです。
 日本のマスコミは朝日や毎日を始め政府に批判的な姿勢を示すことが多く、必ずしも世論を示しているわけではありません。中には情報操作をするマスコミさえもあります。それゆえテレビや新聞などの報道の真偽には各自が冷静に判断する必要があります。特に市民へのインタビューには様々な印象操作を行っています。各マスコミの真意が何なのか充分考えながらニュースや報道番組に接する必要があります。
 ところで、安倍首相に対して海外はどのような印象を示しているのでしょうか。日本のマスコミが載せないような内容を「海外の反応『パンドラの憂鬱』」より掲載します。
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『豪首相が安倍首相に送ったメッセージが感動的だと話題に』
持病の再発を理由に、昨日辞意を表明した安倍総理。海外での反響は想像以上に大きく、各社が速報で報じ、CNNなどは重要な大統領選の報道を途中で打ち切り、即座に安倍総理の会見を同時通訳で報じたほどでした。
 また、インドネシアのジョコ大統領、英国のジョンソン首相、インドのモディ首相、カナダのトルドー首相、シンガポールのシェンロン首相、ネパールのオリ首相、豪州のモリソン首相、台湾の蔡英文総統、EUの大統領にあたるミシェル首脳会議常任議長、フォンデアライエン欧州委員長など、非常に多くの各国首脳・要人が、自身のSNSで、主に安倍総理のこれまでの外交努力に対して、感謝のメッセージを発信しています。
 特にモリソン豪首相は、ツイッターとフェイスブックに長文を投稿。それが感動的な内容だとして、現地からも感動の声が上がっています。

 「オーストラリアは、日本の首相、安倍晋三氏という、真の友人を得た事に対して感謝の念を抱いています。安倍首相のリーダーシップ、知恵、寛大さ、そしてビジョンは、アジア太平洋地域や世界の平和、自由、繁栄の大義を、これまで以上に広範囲にわたって支えてきました。
 オーストラリアと日本が今、かつてないほど親密になったのは、安倍首相の謙虚さと誠実さによるところが大きいのです。ダーウィン戦没者慰霊碑で、空襲の被害に遭われた方々を偲びながら、安倍首相と並んで花輪を捧げた事を、決して忘れる事はないでしょう。
 安倍首相は友人であり、同時に政治家としての師でもありました。そんな彼が首相の座から離れてしまう事を、非常に寂しく思います。豪州への特別な友情と貢献に対し、感謝を申し上げます。
 妻のジェニーと私は、晋三と昭恵夫人のご健勝をお祈りしています。安倍晋三首相は日本国のために全力を尽くし、日本と世界のために、心から誇れる遺産を残してくれたのです」

以上です。また、首相官邸のホームページにも全く別の内容の長文を投稿。そこでも、安倍総理が豪州の真の友人である事を繰り返し、これまでの貢献に対して、感謝の言葉を送っています。各投稿には、現地から非常に多くのコメントが寄せられています。
その一部をご紹介しますので、ごらんください。

■ モリソン首相による温かいメッセージに感動したよ。
  アベ首相はオーストラリアの真の友人であり続けた。
  難病と闘いながらも、快適な生活を送っていただきたい。

■ ミスター・アベは素晴らしいトップだった。
  こうして外国から敬意を払われるに値するよ。

■ 私も今回の辞任を本当に残念に思ってる。
  素晴らしいリーダーという存在は、
  国家間の関係に違いを作り出せるものなのね。

■ 立派な国の、立派な首相だった。
  健康問題で辞任せざるを得ないなんて、
  本人としてもきっと断腸の思いだろう。

■ 素晴らしいメッセージですね。私たちの首相を誇りに思います。

■ アベさんは良い首相だった。
  後任を務める人も、この荒波と言えるような時代の中で、
  アベさんと同じくらい巧みに国を引っ張っていけると良いが。

■ あれだけのリーダーだったんだ。
  こうして敬意と共に別れを惜しむべきだろう……。

■ 最近は称賛に値するリーダーはめっきり少なくなってしまった。
  だけどアベ首相は紛れもなくその1人だったよ。
  体調が良くなって、今までの仕事に見合う、
  落ち着いた日々を送れることを祈りたい。

■ アベ首相、まずは体調を良くしてください。
  オーストラリア人はすぐに全快する事を祈ってます🙏🙏🙏 

■ 彼は日本で素晴らしい仕事をしただけじゃなく、
  オーストラリアとも緊密な関係を築き上げた。
  俺たちはその事に感謝の念を抱いてるよ�。
(http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3556.html)
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 総理大臣の役割と重責は大変なものです。新型コロナ発生以来140日余り無休で対応すれば誰でも体調不良になります。潰瘍性大腸炎はストレスにより病状が悪化するそうですので、安倍首相の苦労は一方ならぬものがあったはずです。今は辞任したばかりですので安倍政権に対して客観的な評価を下すには時期尚早でしょう。安倍首相の本当の業績は後世評価されることになるでしょう。
 これからが日本の大きな課題です。誰が時期首相となるのでしょうか。首相の指示で国の進路が決まります。新型コロナへの対応や近隣国への対応など様々な難局が待ち受けています。現代の混迷する世界に日本丸が船出するために、誰が舵を取るのでしょうか。9月中には新しい首相が決まるようです。日本丸よ、お前はどこへ行くのか?

2020年08月30日

#320 「大蛇山」希望の光に

 8月も下旬に入り、今日はいつもより涼しい風が吹いています。午前中は温度計が久しぶりに29度の温度を示していました。あれほどうるさく鳴いていたセミも、役目を終えて亡骸が道端にころがっており、残暑の香りがほのかに漂っています。来週は8月の終わりを迎え、過ぎゆく夏が惜しまれるこの頃です。
 さて、今年の夏はまさに異常続きでした。博多の山笠を始めとする日本中の夏祭りが新型コロナのせいで中止となり、大牟田の大蛇山夏祭りも来年まで延期となりました。市民の間に残念な気持ちが蔓延しています。元来「祭り」は病気退散の意味を持ち、防疫をするためにも神様に祈って行われてきたものです。本来なら祭りを通してコロナを退散させる気を発することができるのですが、現代では「祭り」の真の意味を理解せずに、「密」を避けるために祭りを中止したのは本当に残念です。
 このような残念な状況を打破するために、市内の神社の氏子の方が「ミニ大蛇山」を制作している記事がありましたので、それを転載します。
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『「大蛇山」希望の光に 大牟田の氏子2人が制作』
 新型コロナウイルスの影響で来年に開催延期となった大牟田市の夏祭り「おおむた『大蛇山』まつり」の山車を、同市大正町の三区八剣神社の氏子2人が制作している。「7月の水害からの復興、疫病退散の希望の光になってほしい」との思いが込められており、希望する市内の学校などを近く訪問し、お披露目する計画だ。
 取り組んでいるのは、山車「大蛇山」の制作に十数年携わっている人形師の阿津坂剛秀さん(50)と竹田共秀さん(49)。4月にまつりの延期が決まった後、2人に「大蛇山が見られず寂しい」「就職や進学で地元を離れ、最後の大蛇山だったかもしれない」などの声が寄せられたことを受け、同市大正町の倉庫で6月から制作を始めた。
 大蛇山は、木製の山車に竹や和紙で頭や尻尾などを作り、大蛇のようにかたどられる。実際の大きさは、長さ約10メートル、高さ約5メートル、重さ約3トンだが、今回の山車は実物の3分の2程度。今夏用に切り出していた竹やわらなどを使い、通常は20人ほどで作る工程を2人だけで連日、2時間を費やし、迫力ある頭部(長さ、高さともに約2・5メートル)を作り上げた。現在は、色塗りなど仕上げ作業に追われている。
 完成後は、申し込みがあった幼稚園や小学校、高齢者福祉施設などを訪れ、自由に触ってもらい、太鼓や笛などのおはやしも体験してもらうことにしている。
 2人は「まつりの延期に加え、豪雨による甚大な被害も出た。少しでも、まつりの雰囲気を味わってほしい」と話している。
(https://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20200820-OYTNT50079/)
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 各市町村には長らく続いている地元の祭りがあります。なかには祭りの起源が奈良・平安時代まで遡るものをあります。その氏子たちが祭りを継承し、その地区の文化的伝統をつないでいます。大牟田にも大蛇山があり、毎年多くの市民で賑わっています。来年こそは勇ましい大蛇山の雄姿を見たいものです。

2020年08月23日

#319 縁を生かす

 大牟田市の公立小中学校は今日から学校が再開しました。夏休みは8月8日から17日までの10日間しかありませんでした。新型コロナの影響で3月から3か月間の休校措置のあとなので夏季休暇が短いことは分かりますが、35度を超える残暑の中ではエアコンがなければ授業にならないでしょう。また生徒だけでなく教員側も休みが取れず、酷暑の中で生徒指導を行わなければならず、例年以上の疲労が蓄積するはずです。
 さて、私が非常勤講師をしています明光学園では昨日2学期の始業式が行われ、午後は教員研修会が行われました。研修会の冒頭でシスターが珠玉の話を紹介されましたので、本日はその話(実話です)をご紹介します。

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『縁を生かす』
 その先生が5年生の担任になった時、一人、服装が汚くだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。3年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」先生の胸に激しい痛みが走った。
 ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分らないところは教えてあげるから」
 少年は初めて笑顔を見せた。 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を上げた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」
 6年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で、一番すばらしい先生でした」
 それから6年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
 10年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と、父親に叩かれた体験があるから、患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担当してくださった先生です」
 そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

鈴木秀子 「縁を生かす」 『致知』(2009年12月号)より
(http://www.foster1.com/article/14595216.html)
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人生において様々な出会いは偶然ではなく、縁によって生じます。親子や兄弟姉妹の縁、夫婦の縁、友情、師弟関係、すべて有縁によるものです。特に多くの人と接する教員は様々な出会いを体験します。出会う生徒や保護者、そして周囲の同僚など不思議な縁でつながっています。良縁や悪縁などもすべて自分で引き寄せたものです。様々な良き出会いを通して、自分がどれだけ成長できるかが人生の目的かもしれません。「人生は旅」に例えられるゆえんです。

2020年08月18日

#318 日本社会5つの予言

 今年のお盆は新型コロナの影響で帰省客が例年の1/3ほどになっているそうです。確かにニュースで新幹線やJRなどで帰省する場面が映りましても、空席が目立っています。羽田空港のロビーも例年のような混雑状態が見られません。新コロは私たちの健康面だけでなく経済にも大きな打撃を与えています。このような状況下で、今日面白い記事を見つけましたので転載します。かなり長い記事になりますが、どうぞ最後までお読みください。

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『コロナで様変わりする日本社会「5つの予言」、秋以降は他人事ではない』
<コロナ禍によって、今何が、なぜ起きているのか>
 新型コロナに関する政府の対応について、「意図がよくわからない」という意見をよく耳にするようになりました。その典型が、コロナ禍でのお盆の帰省問題です。行政の対応が分かれて、東京都知事が「帰省はお控えいただきたい」と意見する一方で、安倍総理は記者からの質問に対して、国民のお盆の帰省自粛は特に求めませんでした。
 国民一人ひとりが判断せざるを得ず、結果として今年のお盆は帰省を自粛する人が多い一方で、例年のだいたい3分の1の人が帰省するといった状況で、国民の判断が分かれています。行政が自粛判断を差し控える中で、新型コロナは徐々に全国に広まりつつあります。そこで、政府の対応がとても無策に感じるという人が多いのです。
 なぜ、行政がこのようなちぐはぐな対応をしているのでしょうか。このことも含めて、コロナ禍によって、今何が、なぜ起きているのか、そしてこれから何が起きるのかを、我々は知っておく必要があります。私の近著『日本経済予言の書』をはじめ、これまでお伝えしてきた未来予測の話をもとに、お話ししたいと思います。
 これから年末にかけて日本の政治・経済面で起きることは、以下の「5つの予言」でまとめることができそうです。

【予言1】大半の人にとってコロナショックは、生死のリスク以上に経済のリスクが大きい。
【予言2】日本政府は国民に「外に出ろ」と言い、国民は「出たくない」と言うようになる。
【予言3】夏のコロナの死者数は有意に少ないが、11月から2月にかけて死者数は急増する。
【予言4】コロナの経済被害は、とりわけ特定業種に集中する。
【予言5】コロナによる構造改革で、企業の業績はむしろ向上するケースが出てくる。
この順序で、今起きていることとこれから起きることを解説していきたいと思います。

【予言1】大半の人にとってコロナショックは、生死のリスク以上に経済のリスクが大きい
 この予言について、まずは大前提となる数字ですが、これまでの新型コロナの死者数は1060人(8月12日時点)です。後で述べるように、この死者数は今年の冬にはさらに増加するリスクが高いのですが、少なくとも今のところはこの程度の被害で収まっています。
 これはたくさんの方々の献身的な努力の賜物ですが、冷静に捉えるとこの数字は、猛暑だった2018年の熱中症の死者数(1581人)よりも小さいのです。同様に交通事故死は3000人となっており、インフルエンザは推定値ではありますが、年間1万人が関連死しているという数字があります。
 「人命は何よりも尊い」と言いますが、だからといって「車は売るべきではない」「インフルエンザの流行中はリモートワークを」とは誰も言わない。これは自動車事故にしても熱中症にしてもインフルエンザにしても、それらのリスクと共生しなければいけないことを前提に、社会が回っているからです。
 新型コロナの問題は実はここにあって、新しい災厄であるがゆえに、例外的にこうした「割り切り」が、まだ世界全体でできていないのです。そのため行政は、責任を取りたくない気持ちが強く、新型コロナを一番リスクが高い指定伝染病に設定して、医療現場や社会への負担を高めてしまっています。
 本来、政治が取り組まなければいけないことは、新型コロナのリスクを社会の中でどのレベルに設定するかということなのですが、現政権はそこを巧みに議論せずに避けています。そのことにより、大半の国民は新型コロナによって、生死にかかわるリスクよりも経済的なリスクによる打撃を強く被っているわけです。これは多くの国民にとって、すでに起きていることです。

【予言2】日本政府は国民に「外に出ろ」と言い、国民は「出たくない」と言うようになる
 この予言は、私が5月9日に記事に記したものです。新型コロナが生死以上に経済へのリスクが大きいことがわかると、政府は(5月25日の)緊急事態宣言解除後は、手のひらを返したように国民に「外に出てお金を使ってくれ」と言うようになるだろうという、当時の予測です。
 この予言は、その通りに的中しました。「Go Toキャンペーン」の迷走から、冒頭で触れたコロナ帰省を自粛させないことまで、今の政府の対応をぴたりと言い当てています。
 そもそもGo Toキャンペーンの後に沖縄では感染爆発が起き、県の人口当たりの新規感染者数は東京の2.5倍に達し、現場では病床が不足するなど医療崩壊も起きています。それでも政府は国の問題としては捉えず、東京以外の道府県から沖縄への旅行客に対して半額補填を継続しています。
 なぜ政府は、このようなおかしなことをしているのでしょう。理由は2つあります。1つは、7月に起きた第二波ともいうべき再流行では重症化患者や死者が目に見えて少ないこと。そしてもう1つは、観光業界が壊滅的な打撃を受けている中で、国民の目が外に向いている今のビジネスチャンスは、10月で終わることがわかっているからです。
 国民からの批判を考えると、【予言1】で指摘したように、「重症患者が少ない新型コロナは、この夏においては生死の問題よりも経済問題として取り扱う」ということを、政府は口が裂けても言えません。しかし、やっている政策を見れば、コロナ問題をそのように扱っていることは明白です。そして国会を開かず、議論の余地をなくして現在の政策を続ける最大の理由は、次の【予言3】で述べるように、「おそらく秋になると、この状況が急変するから」です。

【予言3】夏のコロナの死者数は有意に少ないが、11月から2月にかけて死者数は急増する
 これは医学ではなく統計学的な分析からの予測です。今、世界のコロナの死者数が一番多いのはアメリカの16万人で、それに次ぐ第2位がブラジルの10万人となっています。ところがブラジルは、今年の4月までは新型コロナの死者数が非常に少なかったことが知られています。
 実際、4月15日時点で人口100万人あたりの死者数を比較すると、当時コロナが最も猛威をふるっていたイタリアでは350人でしたが、ブラジルは7人でした。当時ブラジルの死者が少なかった理由は、南半球のブラジルが夏だったからだと考えられています。
 しかし5月に入ると(日本の11月に相当)ブラジルでは100万人あたりの死者数が37人と増加し始め、8月(日本の2月に相当)には480人に到達し、世界第2位の死者数を出す段階まで来てしまったのです。
 あくまで医学的な根拠ではなく、統計分析からの推論ではありますが、今日本で重症化する新型コロナ感染者が少ない理由は、「ブラジルでも夏は少なかったのと同じ現象」といえる可能性があります。猛暑が長引けば、日本人にとって良い状況は10月くらいまで続くかもしれません。
 そうなると日本にとっての問題は、11月以降です。感染者数を比較すると、8月は4月のピークよりも1.5倍くらいに増加していて、政府の対策的にもその数字が減らない構造(つまり、外出自粛などを強制していない)となっています。秋までは、このような状況が広がっていくことが予想されます。
 そしてブラジルと同じように、日本でも秋に入り重症化率が高まるとしたらどうでしょう。今年の5月までの流行では1000人程度で収まった死者数が、この冬の流行では医療崩壊が起きなかったとしても、人口100万人あたり3ケタ、つまり1万人超に到達するリスクが控えているのです。
 そうなると、再度の緊急事態宣言は避けられない。だからこそ政府は今、感染者数が増加していても、重症者が少なく病床に余裕があるという理由から、感染増をあえて問題視しない姿勢を見せているのです。

【予言4】ロナの経済被害は、とりわけ特定業種に集中する
 さて、ブラジルが10万人、アメリカが16万人といってもそれらの国々の人口を考えれば、無事に生きている人の数の方がはるかに大きい。もしも日本でそこまで感染が広まったとしても、やはり新型コロナの最大のリスクが経済災害であることには変わりはありません。
 自宅に籠ることが増えた消費者の買い控え現象から、現在の経済災害が始まっているのですが、秋口にもっとはっきりしてくるのが、耐久消費財や出費の大きなサービスに対する買い控えです。特に被害が大きいのは、自動車でしょう。
 その理由は、新型コロナで打撃を受ける自動車、耐久消費財、旅行、住宅といった業界は、すべて経済学で言うところの「所得弾力性」が高い業界だからです。不況で国民の収入が減ると、真っ先に節約されて売り上げが減る。これを「短期の所得弾力性が高い」というのですが、中でもとりわけこの数値が高いのが自動車です。実際、リーマンショック時にはトヨタ自動車の売り上げは5.8兆円も減少しました。
ヨタはそれでも何とか持ちこたえるでしょうが、問題になるのは地方の旅館やホテル、家具店や工務店といった業種です。これらの業種は中小資本が多いため、経営が傾くと破綻に至るケースが多くなる。そしてそれが、地方銀行などの中小金融機関の経営を直撃します。新たな金融ショックが生まれる可能性も含めて、この冬の日本経済はまったく安心できないのです。

【予言5】コロナによる構造改革で、企業の業績はむしろ向上するケースが出てくる
 さて最後に、一見良いことに思えるものの、よく考えると背筋が寒くなるようなコロナの変化について予言しておきます。【予言4】で触れた苦しい業界とは逆に、新型コロナの影響で業績がむしろ良くなるといった企業も続出するのではないかといわれています。
 これは、インフラ企業や生活必需品を扱う企業など、新型コロナで売り上げがそれほど減らない業種にその効果が集中する現象です。そうした企業がコロナ対応でリモートワークを余儀なくされているうちに、体質がスリム化して、構造改革が進む例が増えているのです。
 新型コロナがもたらした新しい日常では、それまで当たり前と思ってきた仕事の慣行が実は必要ないことがわかってきました。社内でも取引先でも、仕事上の根回しや儀礼的な行動を重んじる文化が薄れ、会議や直接訪問がなくなっています。
 職場では残業や出張が減るわけですが、その結果、当然のように人件費や旅費交通費といった経費も減っていきます。そして企業は、それらのメリットを実感するようになれば、従来ほどの数の社員が要らないことがわかるのです。
 つまり企業は、新型コロナのお陰で不要な人を切ることができる。生き残りのための経営改革を断行するという、大義名分が手に入るからです。

<生活の根幹が崩れるリスクも「自分事」として対処せよ>
 企業にとって一番重要なことは、どのように経営前提が変わったとしても利益を生み出し続けることです。そうでなければ、資本主義社会では投資が起きず、経済も発展しません。よって、本質的にはすべての企業が利益を出すことに向けて、一斉に行動をとる。新型コロナで日本全体の経済需要が冷え込む中、体質のスリム化によるコスト減が対策として一番効果が高いのです。
 日本のあらゆる企業が、リモートワークとそれによるデジタルトランスフォーメーションの効果を実感する中で、人を雇う需要が減っていけば、行きつく先は「失業大国日本」という現実です。そんな怖い話が、見え隠れし始めたのです。
 さて、最後にひとこと申し上げておきます。予言というものは、「このままいけば高い確率でそうなりそうなこと」です。ですからここで取り上げた予言については、それを回避する道もあるはずです。これまで起きてきたことを理解するだけでなく、それをどうすれば変えられるのか――。われわれ一人ひとりが「自分事」として、考えていかなくてはいけないのです。(百年コンサルティング代表 鈴木貴博)
(https://diamond.jp/articles/-/245385)
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 新コロは日本だけでなく世界中の国々に大きな影響を与え続けています。特に航空産業では多大な被害が出ています。上記の5つの予言は果たして当たるでしょうか。今後の推移を注視していく必要がありそうです。

2020年08月14日

#317 75回目の夏

 毎年8月は私たち日本人にとっては鎮魂の月です。8月6日の広島、9日の長崎、そして15日の終戦記念日と続きます。その間にソ連軍の侵略による樺太や満州での殺戮行為など、戦争の残虐な面が一度に表面化した時期でもあります。
 昨夜NHKのETV特集「焼き場に立つ少年を探して」が放送されました。昨年のこの時期にもブログ#253で紹介しましたが、ローマカトリック教皇がこの少年の写真を紹介したことで、この写真が世界中に知られることになりました。
 ETVの特集番組によると、長崎に投下された原爆後に戦災孤児になった子どもが多く発生して、写真の少年もその一人だったと説明しています。また写真をコンピュータで分析した結果、少年も被爆しており、目や鼻から出血した跡が見られるとのことでした。この少年は亡くなった弟を荼毘(だび)にした後に、どことなく去って行ったということでした。このような戦災孤児は長崎県立の向陽寮で70人ほど生活したとETVは説明していますが、はたしてこの少年がそこで暮らしていたかは語っていません。
 歴史は奇妙に繰り返すことがあります。第1次世界大戦中のスペイン風邪が世界各地で発生し、その後に世界恐慌が発生します。そして第2次世界大戦へと続いていきます。今回の新型コロナウィルスが現在米中の対立を引き起こしていますが、はたして世界はこの先どのような状況を迎えることになるでしょうか。同じ道を繰り返さないように私たちは注意して世の中の動きを見ていく必要があります。
 75年前の悲惨な状況を二度と繰り返さないように、私たち一人ひとりがこの国をと世界の情勢を注視していかなければならない時期に来ています。今日の日本の平和があるのは75年前の終戦から立ち上がって必死で頑張ってきた私たちの祖父母の世代の人たちのおかげです。日本がこれからも平和な国を維持していけるかどうかはすべて今の私たちにかかっています。今日9日は長崎に原爆が投下された日です。長崎は今日鎮魂の鐘が街中に流れています。

2020年08月09日

#316 ついに夏が来た!

 長かった梅雨もようやく明けて真夏らしい日々が続いています。夜明けとともにセミが鳴き始め、うるさいほどの蝉時雨が午前中続きます。あの鳴き声に何となく耳を澄ませますと、高音域の音が段々聞こえにくくなるのは私だけでしょうか。数分間蝉時雨を聞いていますと耳に入ってくる音がこもった感じがして、しばらく高音が聞き取りにくくなります。軽い難聴のような状態になります。それほどうるさい今年の蝉時雨です。
 今年の梅雨は全てにおいて異常でした。大牟田を始め多くの地域で大雨や川の氾濫で大きな水害の被害を受けました。まだ後片付けが終わっていない地域が多くありますが、炎天下の下で作業が大変と思います。熱中症に充分注意してもらいたいと思います。
 また新コロの影響で今年の子どもたちの夏休みが大変短くなっています。大牟田地区の小中学校はでは8月6日に終業式を迎え、10日ほど夏休みを過ごした後、17日より2学期が始まります。教育委員会は授業の遅れを懸念して、授業時間を確保するためにこのような特別措置を行うのでしょうが、被害を受けるのは子どもたちです。ここ数年で教室にエアコンが準備されましたが、体育館は真夏の炎天下の気温と同じで、その中で体育をする生徒たちは大変です。室内でも熱中症になりますので、学校側は十分な配慮をする必要があります。
 さらに大牟田では新コロ患者の急増により、中学校では夏休みの部活動がすべて中止になったと聞いています。Go to トラベルのせいで全国的に新コロ患者が広がっていますので、その影響が全国各地に出ています。沖縄や岐阜では独自の非常事態宣言を出しています。政府は重症患者が増えない限り緊急事態の再宣言しないと言っていますので、私たち一人ひとりが新コロに感染しないように充分健康管理に留意しませんと大変なことになります。感染症の専門家はWHOに対して空気感染の恐れがあると懸念を表明していますが、空気感染では周囲に濃厚接触者がいない場合でも、結核菌のようにいつでも新コロにかかる可能性が大きくなります。感染拡大が収まるまで家にいた方がよいでしょう。
 とにかく今夏は旅行等で出かけるよりも家でゆっくり過ごす方が良いようです。昨年は猛暑の日々が続きましたが、今年はどうなるでしょうか。新コロに対する免疫力を増やすために、とにかく体力をつけて頑張って暑い夏を乗り切りましょう。

2020年08月02日

#315 私をお使いください

主よ 今日一日 
貧しい人や病んでいる人々を助けるために
私の手をお望みでしたら
今日私のこの手をお使いください

主よ 今日一日
友を求める小さな人々を訪れるために
私の足をお望みでしたら
今日私のこの足をお使いください 

主よ 今日一日
優しい言葉に飢えている人々と語りあうため
私の声をお望みでしたら
今日私のこの声をお使いください 

主よ 今日一日
人というだけでどんな人々も愛するために
私の心をお望みでしたら
今日私のこの心をお使いください 
(https://www.youtube.com/watch?v=c7GhyHbT3j0)
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 上記の歌は「マザーテレサの祈り」としてミッションスクールで歌われている聖歌の1つです。私の好きな歌の一つでもあります。マザーテレサはご紹介するまでもなく、インドのコルカタ(旧カルカッタ)で「死を待つ人々の家」というホスピスを開設し、世の中から見捨てられ、死にゆく人達を最後まで看病したことで知られています。一生をかけたその偉業に対し、1979年にノーベル平和賞を受賞しています。上記の聖歌はマザーテレサの祈りの一節を歌にしたものです。(この聖歌をお聴きになりたい方は歌詞の最後にありますYouTubeにアクセスしてください。)
 今日の世界では貧富の差が拡大し、富める国と貧しい国の格差がますます大きくなっています。さらに新型コロナの影響で様々な業種の人々の営業活動がままならず、経済的な苦しみが増えています。
 さらに、先日の九州地方を始めとする全国各地の水害で家を失った多くの人々が今でも苦しんでいます。多くのボランティアが必要なこの時期に、新型コロナの影響で充分な数のボランティアを確保できずに多くの自治体が水害後の後片付けに苦労しています。今年のような水害は今後も毎年発生する可能性があります。他人事ではないのです。
 このような状況で私たちができることは、聖歌「私をお使いください」にあるように、動ける者は手足を動かして弱者を助け、動けない者は募金などで金銭的な支援を行い、自分のできる範囲で他者に奉仕することです。
 「情けは人のためならず」(人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、の意味)と言いますが、いつ何時自分が地震や水害などの災害の被害者になるとも限りません。様々な形で他人のお世話になることが多々あります。そのために様々な形で日頃より奉仕の精神を培うことが大切です。今回の大牟田の水害で、ふとこのようなことを考えてみました。

2020年07月26日

#314 三峡ダム危うし!

 梅雨末期の集中豪雨が一段落して、全国各地の被災地は後片付けに追われています。ここ大牟田でも特に被害が大きかった三川、三里地区では住民の方々が毎日後片付けに多忙の日々を送っています。九州北部の梅雨明けの平均日は7月19日となっていますが、天気予報を見ますと、まだ梅雨明けには程遠く、今後1週間は曇りや雨の予報が出ており、このままでは月末に梅雨明けの発表がありそうです。今年の梅雨は今までにない梅雨と後世に記憶されるかもしれません。
 さて、この異常な梅雨は日本だけではありません。日本ではあまり報道されませんが、中国の梅雨による洪水の被害がネットで大きな話題となっています。梅雨前線は日本特有のものではなく、はるかインドから連なるもので、中国版部を経由し、日本列島まで伸びています。その中国でとんでもない洪水が中国南部いたるところで発生しています。中国では河川流域の約1500万人に避難指示が出ています。また一番危惧されているのが世界一の三峡ダムの決壊です。中国メディアでは詳細を報道しませんが、ネットでは詳しい情報が数多く出されています。今日はその中の1つの情報を紹介したいと思います。
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『中国で豪雨被害が深刻化 死者・不明者141人、約3800万人が被災』
北京=三塚聖平】中国国営中央テレビ(電子版)は13日、中国南部など幅広い地域で6月から続く記録的な豪雨による洪水などで、これまでに27省市・自治区で延べ約3800万人が被災し、死者・行方不明者が計141人に上ったと報じた。建物2万8千棟が倒壊などの被害を受けたという。中国当局は今後も数日間は大雨が続く可能性が高いとして警戒している。
 豪雨による被害は、長江流域を中心に深刻化している。長江の中・下流や周辺の湖などで水位の上昇が続き、212の河川で水位が警戒ラインを超した。湖北省などで土砂災害も発生し、経済的な損失も拡大している。
 中国紙、湖北日報(電子版)によると、長江中流にある世界最大級の「三峡(さんきょう)ダム」では、下流地域での増水を抑えるため、放水量を減らしているという。
 習近平国家主席は12日、水害対策と災害救助を強化するよう「重要指示」を出した。国営新華社通信によると「最大の努力を尽くして、人民の生命と財産を守らなければならない」と強調し、軍などに積極的な対応を求めた。
(https://www.sankei.com/world/news/200713/wor2007130018-n1.html)
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 また三峡ダムの決壊を危惧するニュースも数多く出されています。その中の1つを紹介します。
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『三峡ダム、警戒水位5.5メートル超え—仏メディア』
2020年7月12日、仏国際放送局RFIの中国語版サイトは、長江にある世界最大級の三峡ダムが、警戒水位を5.5メートル超えたと伝えた。
記事は、「長江水利委員会水文局の水位・水量予報所の専門家によると、暴雨の影響で長江上流から三峡ダムへの流入量が増加しており、新たな洪水が発生する可能性がある」と紹介。11日午後8時の時点で三峡ダムの水位は150.5メートルに達し、警戒水位を5.5メートル超えたという。「洪水調節に基づき、12日からダムの放流量を増やして毎秒3万9000立方メートルとするが、この流量は72時間後に武漢市に到達する見込み」と伝えた。
 記事はまた、中国メディアのこれまでの報道を基に、「6月29日に三峡ダムの水位はすでに147メートル近くにまで達しており、警戒水位を2メートル超えていた」と紹介。「放水量を毎秒3万5000立方メートル以上とすることに決定したが、これは長江の中下流域にとっては洪水防止の大きなストレスになっていた」と説明した。
 そこで三峡ダムは、7月6日午前8時から毎秒3万5300立方メートルだった放水量を7月11日午前8時には毎秒2万2000立方メートルにまで徐々に下げた。これにより武漢市の10日の水位は前日比で9センチ上昇にとどまった。しかし、暴雨の影響で三峡ダムでは水位が150.5メートルに達し警戒水位を5.5メートル超えたため、当局は放水量を毎秒3万9000立方メートルにまで増やすことにしたという。
 中国メディアによると、7月12日午後1時の時点で武漢市漢口の長江の水位は28.7メートルに達し、観測史上4位の水位となり、一部の水位は市内の主要道路より高くなったという。湖北省では9日に水害防止レベルを3級から2級に引き上げており、すでに902万人が被災している。省都の武漢市の状況も深刻だといい、現地メディアによると11日の時点で長江漢口の水位は28.38メートルに達した。この水位は観測史上5位の高さだという。
 長江流域の他の地域も楽観はできないようだ。記事によると、12日午後の時点で南京下関では水位が10メートルに達し、警戒水位を1.3メートル超えた。これは観測史上最高の10.22メートルに迫るもので、三峡ダムができてからは初の10メートル超えだという。
 江西省も同様で、10日に鄱陽湖の水位が1998年に記録した観測史上最高の22.52メートルを超えた。九江市内の水位も上昇し続けており、警戒水位を3メートル超えたため、一部の住民に避難命令が出されたという。(翻訳・編集/山中)
(https://news.biglobe.ne.jp/international/0714/rec_200714_1487300787.html)
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 最近の梅雨時の大雨は太平洋やインド洋の海水温の上昇により、多量の水分が梅雨前線を刺激しているとの研究もあります。今年は台風の発生が少ないようですが、今後発生する台風も大型化が懸念されています。梅雨時の集中豪雨の次は台風による豪雨や暴風に充分注意する必要があります

2020年07月19日

#313 大牟田水没!

 梅雨末期の大雨で日本中で河川の氾濫や山崩れなどの被害が出ています。先週の熊本県南部の水害を始めとする大災害がここ大牟田でもついに発生しました。これまで大牟田は地震などの自然災害が少なく、台風の直撃を受けることも少なく、自然環境に恵まれた街でした。
 しかし今度の水害は今まで体験したことのない大災害となってしまいました。7月6日の午前中より激しい雨が降り始め、明光学園では3時間目で授業が終了し、生徒たちは下校しましたが、昼過ぎより豪雨となり、JRや西鉄電車が運休し、近隣の学校では帰宅できずに学校で待機する事態となったようです。実際2時半頃から豪雨が始まり、ほんの数時間で洪水被害が発生しています。
 特に大牟田市の南部を流れる諏訪川下流の南部(三川・三里地区など)が大規模に浸水し、多くの家屋や車が被災しました。水深2m以上の地区も多く見られ、ニュースで報道された「みなと小学校」では80名以上の児童が帰宅できずに学校で一夜を過ごしました。自衛隊がボートで児童たちを救出したニュースが全国に流れましたので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。
 また諏訪川南部だけでなく市内の多くの場所で豪雨による床下・床上浸水が発生し、場所によっては1~2mほどの浸水を記録しています。当塾は高台にありますので被害はありませんでしたが、すぐ前の国道208号線を下ったところにある宅峰中学校近くの右京町交差点は少し雨が降っても浸水します。今回も大規模な冠水が発生し、ニュースでも真っ先に採り上げられました。
 実家の方は幸い浸水被害はありませんでした。しかし宅地を50cmほど盛り土していますが、それでも玄関のところまで水が上がってきました。道を隔てた隣の病院は道路と同じ高さで建築されていますので、玄関から50~60cmほど冠水しており、高価な医療機器が浸水し、医療ができない状態が続いています。
 今回の大水害で反省すべき点は、地震と同じく水害もどこで発生してもおかしくない状況が日本各地で発生しているということです。気象庁は数十年に一度の災害と言っていますが、ここ数年のあいだ大水害は毎年のように発生し、そのたびに多くの貴重な人命が失われています。このような悲劇を繰り返さないように、私たち一人ひとりが災害が起きる前に早めに避難することを心がける必要があります。自分の命は自分で守らなければなりません。
 今回の大水害では大牟田で2人が亡くなられています。そのうちの一人の80歳過ぎの体の不自由な女性は2度電話したにもかかわらず救助が来なかったそうです。その時間帯に400件以上の救助要請があったと聞いています。結局、救助隊員が数時間後に救出に向かいましたが、心肺停止の状態で発見されています。
 このような悲劇を避けるためにも日頃より隣近所に声をかけ合うような人間関係を築く必要があります。梅雨はまだ終わっていません。今年は梅雨末期の状況が長く続く傾向があります。いつ何時また災害が発生するとも限りません。梅雨が明けるまで充分な警戒を取る必要があります。

2020年07月12日

#312 香港は死んだ!

 また今年も梅雨末期の大雨で大きな犠牲者が出ました。線状降水帯による大雨で、熊本県南部の球磨川が氾濫し、数十名の死者・行方不明者が出ています。報道番組で洪水の激しさを映像で流しています。今回の災害は未明に発生し、わずか数時間で最大10メートルの浸水が発生したそうです。今週中はまだ激しい降雨が予想されますので。特に川の近くにお住まいの方は川の増水に対して厳戒態勢でお願いします。
 さて、世界中に衝撃が走りました。7月1日は香港が1997年にイギリスから中国に返還された記念日ですが、返還後50年間は香港に1国2制度を約束していた中国がこの記念する日に「香港国家安全維持法」を施行しました。そして抗議のデモ隊に対して数百人が逮捕されました。この「国安法」に基づいて中国政府は最低3年の禁固から無期懲役まで人権を無視して自由に法を利用できます。つまり中国共産党に歯向かうものは誰でも処罰できる法律です。さらにこの法律が悪辣なのは中国に敵対する外人に対しても適応可能であると国安法に書いてあることです。
 世界が新型コロナウィルス対策で右往左往する中で、火事場泥棒的に新しい法律を制定し、ただちに施行したことに中国の恐ろしい現状が垣間見えます。日本のマスコミはほとんど報道しませんが、中国の悪企みは香港に対するだけではありません。チベットへの殺戮虐待、民族浄化や新彊ウィグルにおける数百万人の強制隔離などはアウシュビッツ強制収容所でのナチスドイツの蛮行に匹敵する行為が平然と行われています。ここでは詳細は省きますが、言葉にするだけでもおぞましい行為が日々行われています。
 このことは対岸の火事ではありません。実際、尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは83日連続で、日本の領海である尖閣に我が物顔で踏み込んでくる様は異常としか言えません。日本はじっと我慢していますが、中国と日本の間に尖閣を巡る衝突が生じた場合に、中国は自国の領土として尖閣を占領するでしょう。この微妙な関係がどこまで続くか、日本政府も思慮深く対応するしかありません。中国が尖閣を狙う理由はずばり尖閣周辺に存在する「海底油田」の存在です。かつては見向きもしなかった絶海の孤島に海底油田が発見されて以来自国の領土を主張しています。
 さらに、南シナ海を中国は「自分のものだ」と主張し、周囲のフィリピン、カンボジア、ベトナムなど力の弱い国々に圧力をかけています。中国は古代より常に拡張主義を取り、周囲の国々や地域に侵略し、自分のものにしてきた歴史があります。欧米や日本のような民主主義国家とは異なり、共産党支配による独裁国家です。中国国民のための国家ではありません。共産党が一声を発すれば国全体が動きます。一例として、新型コロナ対策として武漢のような大都市を即座に封鎖する力を持っています。
 このような独裁国家が新型コロナの影響下にどのような行動を起こすか注視する必要があります。香港の次は台湾、そして尖閣、さらに沖縄を奪取することも考えています。「沖縄?」と思われる方もおられると思いますが、中国は沖縄を日本とは思っていません。琉球王国と中国の朝貢関係を今でも考慮し、沖縄からの援助があれば即座に琉球王国保護の名目で沖縄に侵攻することでしょう。このことは沖縄関係の専門家も声をそろえて危惧しているところです。
 日本は70余年平和を満喫してきましたが、その間世界は大きく動いてきました。日本がこれからも自由な国であるために、周辺の国々、特に中国や北朝鮮に常に注視する必要があります。
 現代の戦争は核兵器による戦争ではありません。核を使用すればお互いが消滅する可能性が大きいからです。現代の戦争は情報戦です。簡単に言えば、武器を使わずに敵国を弱らせ、内部崩壊させることです。今のアメリカが良い例です。白人警官が黒人を殺したことで発生した様々なデモや破壊行動の裏で誰が指導し援助しているのか、冷静に見ていく必要があります。現代史は5~10年単位で動きます。今から10年後にどのような世界が登場しているか、平和な世界か争う世界か、あくまでも私たち生きている人々の生き方、行動の仕方によります。

2020年07月05日

#311 朗報!ジュンク堂営業継続へ

 昨日は降れば土砂降りの雨模様で、久留米市では記録的豪雨が降りました。また今日は一転して梅雨明けを思わせるような晴天が朝から続いています。まだ梅雨はしばらく続きますので十分な雨対策を続ける必要があります。
 さて、本ブログ#309でジュンク堂が今月末で閉店するとお伝えしましたが、昨日の新聞記事で営業用の仮店舗が見つかり、8月からの営業再開が決定したようです。西日本新聞よりその記事を転載します。
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『ジュンク堂福岡店が一転営業続行へ 天神西通りに仮移転、8月オープン』
 入居ビルの再開発に伴い6月末で一時閉店を予定している福岡市・天神のジュンク堂書店福岡店が、近隣の天神西通りにあるビルに仮移転し、8月上旬にオープンすることが分かった。福岡店はこれまで仮移転先の物件探しが難航し、現在地に2024年末完成予定の再開発ビルに再出店するまで営業を休止する見通しだったが一転、天神エリアで継続することになった。
 丸善ジュンク堂書店(東京)によると、仮移転先は現店舗の南西約500メートルにある同市中央区大名1丁目の商業ビル「西通りスクエア」(地下1階、地上4階)。外資系衣料専門店「フォーエバー21」が入居していた施設南側の地上1~3階で展開する。売り場面積は約2400平方メートル、蔵書数は50~70万冊。店名は変えない。
 天神西通りは天神エリア西側に位置し、百貨店やアパレル専門店、飲食店などが集積し、昼夜を問わず人通りが多いエリア。売り場面積は現店舗(約6800平方メートル)の約3分の1、蔵書は約140万冊から半減するが、恵まれた立地条件を生かし、若者向け文具・雑貨類も強化し集客力を維持するという。
 同書店によると、福岡店が4年半の休業に踏み切る見通しを本紙が5月下旬に報じたところ、同書店や福岡店に複数の地元不動産関係者らから移転先の申し出があり、6月上旬から急ピッチで協議を進め決定したという。
 同書店は「仮移転先探しをあきらめかけていたところ、記事の反響が大きく、福岡店がいかに多くの市民に親しまれているかが分かった。天神エリアで営業を続け、再出店につなげたい」としている。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/620705/
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 上記の記事によりますと、売り場面積は小さくなりますが、旧店舗同様のサービスが受けられますので、月1,2回ジュンク堂に行き、参考書や問題集等を購入して無料宅配便を利用している私にとってありがたいことです。
 最近は少なくなりましたが、以前所用で東京へ行く度にジュンク堂池袋本店に立ち寄りました。福岡店とは異なり、本店は9階建てのビルで本当に様々なジャンルの書物が置いてあるのには驚かされます。東京へ行かれる方で、半日ほど自由時間が取れる方には書店巡りをお勧めします。紀伊国屋新宿本店、お茶の水(小川町)三省堂本店、丸の内丸善本店、八重洲ブックセンター、そして池袋ジュンク堂本店がお勧めです。古書店巡りが好きな方は神田神保町の古書店がお勧めです。およそ150店ほどの店があります。
 出版業界は昨今の活字離れの影響で大きな影響を受けています。またネットの普及とともに本のデジタル化も進み、書店で本を購入しない傾向が続いています。町の小さな本屋さんを守るためにも、文庫本や新書一冊を買って本屋さんを支えていきたいものです。書店の大小にかかわらず、書物を国内に幅広く流通させることは書物文化を支える一助となります。

2020年06月28日

#310 Gifted(ギフテッド)

 今日は梅雨の中休みで昼過ぎから晴れ間が見えるようになりました。今年も梅雨入りして、かなりの雨が降りました。洪水警報が出るような降り方はまだありませんが、降る時とそうでない時がはっきりしていますので、警報に対する準備はしやすいと思います。
 さて、世の中には様々な人がいます。優れた才能や能力を持つ人も確かに存在しており、平凡な私から見ればうらやましい限りです。以前NHKでも放送していましたが、ギフテッドと呼ばれる人々がいます。知能指数(IQ)がずばぬけて高く、いわゆる天才と言われている人たちです。この人たちに関する面白い記事を見つけましたので、ご紹介します。
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『天才の原石“ギフテッド” 基礎学習に使う時間短く議論好む』
 高いIQを持ち偉業を成し遂げた人を天才と呼ぶならば、その“原石”といえる人たちがいる。「ギフテッド」と呼ばれる人たちだ。ギフテッドは“天から才能を授かった人”を意味する。おおよそIQ130以上という高い知能や才能を生まれつき持つ人を指し、その人数は諸説あるが「人口の約2~5%」といわれる。全人口の約70%はIQ85~115の間に収まるとされるので、ギフテッドがいかに高い知能を持つかがうかがえる。
 米シリコンバレーにある「ヌエーバスクール(以下、ヌエーバ)」は、そんなギフテッドを対象にした学校、いわゆる「ギフテッドスクール」の1つだ。ギフテッド教育の専門家で、ヌエーバで15年にわたって日本語を教えてきた川崎由起子さんは次のように言う。
 「ヌエーバは1967年に創立された、ギフテッド教育の先駆けといえる存在です。入学できるのは、IQが135以上と認められた子だけ。1学年18名の定員に100名以上が応募するため、“ハーバード大学よりも厳しい競争率”といわれています」
 ヌエーバのようなギフテッド教育(才能教育)で先行してきたのはアメリカだという。才能教育の第一人者で、関西大学教授の松村暢隆さんが解説する。
 「20世紀の初め頃にアメリカが才能教育に取り組み始め、20世紀後半になって世界でも活発化してきました。その背景にはアメリカと旧ソ連を巡る東西冷戦があります。ソ連が世界初の人工衛星の打ち上げに成功したことで、アメリカは“ソ連に負けるな”と国をあげて才能教育を活発化させたのです」
 アメリカでは1978年、才能教育の対象となる「才能児」が法律によって定義付けされた。「知能、創造性、芸術、リーダーシップ、また特定の教科が著しく優れた能力がある子」だという。才能児には、普通の学校のカリキュラムではない特別な才能教育が行われるようになっていった。そうした動きはやがて、世界全体へと広がっていく。
「中国や韓国、シンガポールでは“国家に役立つ人材養成を目指す”という教育理念のもと、才能教育が行われています」(松村さん)
 ヌエーバのようなギフテッドスクールはその代表例だ。「ヌエーバではさまざまな分野の次世代のリーダー育成を目指して、才能教育が行われています。制服もチャイムもなく、席も決まっていない。生徒の自主性に任せた校風です。時間になれば生徒は教室に来て、好きな場所で自由に勉強します。
 国語や数学などの基礎学習も行われますが、得意な教科があれば先に進めるようにマンツーマンで教えるなど“得意を伸ばす”教育が重視されています」(川崎さん・以下同)
 そうした教育方法を取ることで、通常のカリキュラムよりもずっと短い時間で学習を進められるようになるそうだ。そもそも、ギフテッドは記憶力が高く、基礎学習に使う時間が非常に短いという。
「日本語の学習でも、普通の学校なら50音の修得に3か月かかるところ、ヌエーバの生徒は1か月もかからず覚えていました。ギフテッドの子は学習能力も意欲も高く、例えば『あいうえお』を教えなくても、興味を持つと自然に五十音を覚えて本を読めるようになります」
 実は川崎さんの娘さんもギフテッドで、4才からヌエーバに通っていた。
「小さい頃から変わった子でした。3才の誕生日には“今日からおむつはいたしません”と宣言して、実際におむつをはかずに過ごすような子でした(笑い)」
 3才児とは思えない大人びた発言だ。ギフテッドには大人と話すのが好きで、大人びた子供が多いという。「同年代の子供と話すのでは、もの足りないのかもしれません。ギフテッドは好奇心が強く、興味を持って調べたことを誰かに伝え、議論することを好みます。ヌエーバの中学生の中には、日本の『禅道』について自ら調べ“自分ならこう考えるけど、日本人はこう考えるよね。先生ならどう考える?”と尋ねる子もいました」
 ギフテッドはボキャブラリーが豊富という特徴も持つ。“ひふみん”の愛称で親しまれる棋士の加藤一二三九段(80才)も、そのずば抜けた記憶力からギフテッドとされる。いまでもプロ63年の対局すべてを思い出せる、常人離れした記憶力の持ち主だ。
 川崎さんの教え子の1人に、米フェイスブック社のシステム部門幹部を務めるアマン・クマール氏がいる。現在32才のクマール氏は、エストニアのIT分野の国家アドバイザーも務めている。「彼は日本語の50音を1日で覚える抜群の記憶力を持っていました。ハーバード大や米プリンストン大学といったエリート大に合格する、素晴らしいギフテッドでした」
 1946年には高IQの人々が知的交流を深める「MENSA」が設立され、2016年にはソフトバンクの孫正義会長が「孫正義育英財団」を設立するなど、“世界の天才”を支援する場所は年を経るごとに増えている。
 才能教育を受けたギフテッドが、その才能を生かして世界で活躍する例は多い。“世界一のIQを持つ”といわれるマリリン・ボス・サバント氏(73才)もその1人だ。「米ミズーリ州で生まれたサバントさんは、10才のときに成人向けの知能検査に全問正解しました。そこで、『IQ228』『精神年齢22才11か月』という桁外れの記録を打ち立て、才能教育を受けるようになりました。“映画は受動的で頭を使わない。脳によくないので見ない”という、独自の考えを持っていると聞きます」(海外メディア関係者)
 サバント氏の「IQ228」という数字はギネス世界記録に認定された。一般に、東大生のIQの平均は120といわれ、アインシュタインのIQは160~190と推定される。サバント氏は、“アインシュタイン超え”の才能の持ち主といえるだろう。
 彼女は現在、コラムニストとして活躍している。米誌『パレード』で「マリリンに聞く」というコラムの連載を持ち、25年以上読者の質問に答えてきた。
 読者からの投稿は多岐にわたり、「モンティ・ホール問題」という確率論の問題や“妻やマッサージ師に足を揉んでもらうと気持ちいいのに、自分で揉んでも気持ちよくないのはなぜか”という素朴な疑問など、さまざまなものが寄せられた。サバント氏はそうした質問に対して、「人に対する洞察力が深まるので、いつも楽しみにしている」と述べている。
 ちなみに、先の質問の答えは「自分自身でくすぐってもくすぐったくないのと同じ。人間の体は四六時中刺激を受けているから、自分が与える刺激は弱く感じるように脳が進化した」のだという。
(https://www.news-postseven.com/archives/20200614_1569697.html?DETAIL)
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いかがでしたか。ギフテッドのみならず、人は様々な才能や素質を持って生まれてきます。私のように長年教師をしていますと、高い学力や優れた運動能力を持っている様々な生徒に出会います。もちろん、その割合はごく僅かですが、確かに存在します。また一方ではLD(学習障害)の持つ生徒も確かに存在し、人間の能力の幅が大きいことに驚きます。
 しかしながら、このことは人間の優劣ではなく、単にその人間の個性と思うほうがよりふさわしいかも知れません。ギフテッドに生まれついても、必ずしもその才能を活かせるとは限らず、またLDを持っている子供でも幸せに生きる人生が待っているからです。短い一生の間に、いかに自分らしく生き切ることが本当のギフテッドだと言えるのではないでしょうか。

2020年06月21日

#309 さよならジュンク堂

 緊急事態宣言解除を受けて3か月ぶりに所用で福岡に行ってきました。西鉄電車の車窓から見る風景は見慣れたものですが、久しぶりに眺めますと、まるで初めての景色のように見えます。「こんな場所に学校があったかな」と思わず風景に見入ってしまいます。
 用事を済ませ、久しぶりに天神にあるジュンク堂を訪れました。福岡に住んでいた頃は頻繁に訪れたものです。ジュンク堂の閉店時間は午後9時で、職場から天神までは自転車で10分ほどで行くことができまし。仕事が終わって8時過ぎにジュンク堂に到着し、必要な書物や問題集を買ったものです。その後時間があれば各階にある多くの書棚を逍遥したものです。
 たいへんお世話になったジュンク堂が今月一杯で閉店になります。現在のところ代替店舗となる場所がないので、天神ビッグバンに伴う新しいビルが完成するまで酢年間閉店状態が続くそうです。ジュンク堂の閉店により大型の書店は博多駅の丸善か紀伊国屋の2か所になります。ただし、大牟田から通うには西鉄電車で天神まで行き、地下鉄に乗り換えて博多駅まで行く必要があります。
 JRを利用することもできますが、1つ大きな問題があります。JRは博多駅から久留米までは比較的利便性が良いのですが、大牟田までは時間帯により便がないのです。特に午後2時頃の電車は鳥栖止まりで、その先がありません。つまり大牟田は同じ県内でありながら、陸の孤島となっているのです。この問題は九州新幹線が登場したころから生じています。つまり特急がすべて廃止され、急行や快速以外はすべて鈍行となり、その結果、JRを使う博多までの往復が非常に不便な状態となっています。もちろん新幹線を利用する手段がありますが、新幹線の新大牟田駅までは非常に時間がかかり(バスで30分ほどかかります)、運賃も割高になりますので、結局西鉄電車を利用するしかありません。博多から北九州へは利便性が良いのですが、久留米から南方面は全くと言ってよいほど交通体系ができていません。
 さて先日福岡市の書店戦争について面白い記事を見つけましたので、ご紹介します。福岡の書店の歴史がよく分かります。
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『かつては「ブック戦争」も 大型書店が林立した天神の歴史』
 本をめぐる時間旅行にお付き合いください。九州一の繁華街、福岡市・天神では1990年代末に大型書店が林立し「ブック戦争」と呼ばれた。しかし2000年代に閉店が相次ぎ、再開発の影響もあって来年までに在庫数上位の2店舗が姿を消す。天神の大型書店の「大転換期」を前に、私たちはどこで本を買い、知的好奇心を満たしてきたのか、人々の記憶や当時の資料を基に振り返ってみる。

<1970年代~80年代>
 最初に天神に登場した大型書店は1971年に福岡ショッパーズプラザにできた、りーぶる天神だった。開店当日の新聞広告には「童話から洋書・専門書まで常時25万冊!!」「五階独占!一九〇〇平米」と、福岡市民を驚かせる数字が並んだ。「写真集や楽譜などが容易に手に入った」。同市東区で学習塾を営む竹林由起夫さんは、当時中学生。「このころから本を買うため天神に行く習慣ができた」
 りーぶるができる前、天神では新天町のしにせ、福岡金文堂と積文館が書店の代表だった。大型店ではないが、自宅近くの「街の本屋」にはない専門書や参考書はここでそろえた。
 76年、天神コアの開業時に紀伊国屋書店福岡店がオープンした。6階のワンフロアを占め40万冊の在庫をうたう巨大店は、東京資本の有名ブランドゆえ地元関係者に「黒船」と呼ばれた。
 しかし市民は歓迎ムードだった。「新しい文化の風が吹いてきたようだった」。当時九州大1年だった医師の田北昌史さん(63)=同市早良区=が語る。「専門書は大学生協にもあったが、品揃えは圧倒的に紀伊国屋だった」
 田北さんより10歳年下の記者は、天神コアのエレベーターが紀伊国屋に行くオジサンたちで満杯だったことを思い出す。コアはおしゃれなファッションビルではなく知の集積地だった。やがて紀伊国屋が天神の書店の“顔”となっていく。

<1990年代>
 記者は91年、天神の書店を取材し、記事にまとめた。主なものが大小合わせて12店があった。各店とも個性を競っていた。りーぶるや紀伊国屋は展示スペースのフェアを通して文化情報を発信し、丸善イムズ店は店舗をしゃれたインテリア店のようにした。
 90年代後半に大きな波が来た。大型店の開店ラッシュだ。96年=リブロ(岩田屋Zサイド、40万冊)▽97年=紀伊国屋・博多大丸店(8万冊)、八重洲ブックセンター(福岡三越、30万冊)。97年はイムズなどから福岡ビルに丸善(75万冊)が移転した。
 詩人の樋口伸子さん(78)=同市東区=は「喫茶店のある書店もでき、待ち合わせでよく使った。『本を買う』だけじゃない書店の魅力が伝わった」と振り返る。96年は、全国で出版物(書籍と雑誌の合計)の売り上げが史上最高の約2兆6564億円に達した年。天神の出店ラッシュはそんな好景気が背景にあるが、「福岡の都市規模と比べ、書店数が多いと感じたが…」と樋口さん。

<2000年~>
 2000年代は主役交代が起きた。01年に商業施設「メディアモール天神」(MMT)にジュンク堂書店がオープン。売り場面積5500平方メートル、在庫数150万冊は西日本最大級だった。
 「どんな本でもそろう」との看板に偽りなしと記者が感じたのは、古書でも入手困難だった現代教養文庫の異色作家傑作選を書棚で発見したときだ。書籍情報を示すISBNコードがない本の扱いに、レジの店員が困惑していた。
 前後して八重洲ブックセンター(01年)、リブロ(03年)が閉店。天神の“顔”だった紀伊国屋は07年、丸善も10年に撤退した。大型店ではないが青山ブックセンター(07年)、福家書店(13年)など個性的な店もなくなった。りーぶるも17年に天神を離れた。リブロが11年、紀伊国屋(天神イムズ店)が17年に“復活”というニュースもあったが、天神はジュンク堂1強の印象が強まった。
 そのジュンク堂は入居するビルの再開発で今年6月末、一時閉店する。紀伊国屋が入るイムズも来年8月末で閉館する。20年代の天神の書店地図は、ブック戦争のころと比べ空白が目立つようになるだろう。
 どこで買っても本は、本。紙の本はいらない、と言う人がいる。だけどスマートフォンの電子書籍からは、紙の匂いや手にした重み、買ったときの喜びは伝わらない。ネットで買えばいい、と言う人がいる。しかし実際に本が並ぶ書店だから新たな出合いが生まれる。博多駅(同市博多区)周辺の大型書店に行けばいい、と言う人もいる。けれども九州一の商業集積地にこそ、食とファッションだけじゃない、「文化」を感じる場が必要ではないか。
 大規模再開発が行われ、新しい街となる天神。将来も、そこで書店巡りができることを願いたい。 (塩田芳久)
(書店の面積や在庫数、施設名は開店時のもの)
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/601020/)
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 私は福岡で40年近く過ごしましたが、それは福岡の書店の変遷と共に歩んだ人生でもあります。上記の記事は私の人生の側面を表しています。書籍業界の不振が伝えられていますが、福岡は様々な書店が立ち並ぶ姿をまた取り戻してもらいたいと思います。

2020年06月14日

#308 ニホンミツバチはすごい!

 6月を迎え、北部九州はまもなく梅雨の時期を迎えます。今日は朝から晴れていますが、やはり湿度の高い梅雨の時期らしい雰囲気が漂っています。虫たちもこの気温の高い中で積極的に活動をおこなっています。蝶やトンボなどはかわいらしいのですが、蚊やハエなどが周囲を飛んでいますと不快になります。特に寝入りを襲う蚊はしつこく何度も耳元に飛んできて睡眠不足の原因となり、うんざりさせられます。
 さて本日はミツバチの話題を取り上げました。ミツバチの姿はかわいらしく、こちらが悪さをしない限り、襲ってくることはありません。また養蜂業者にとって花の蜜を集めてくれる貴重な益虫です。このミツバチについて、面白い記事を見つけましてので紹介します。1匹ではひ弱なニホンミツバチですが、集団で敵を殲滅させる手段を持っているそうです。
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「まるで日本人のようだ…」 日本原産のミツバチの必殺技がカッコ良すぎると話題に
 日本全国及び東・東南アジアに広く分布するオオスズメバチ。日本に生息するハチ類の中で最も強力な毒を持っており、攻撃性も高いことから、非常に危険な種として知られています。
 そのオオスズメバチが昨年12月にワシントン州に上陸。今年5月に入ってGoogle急上昇ワードで全米5位を記録すると、欧米の大手メディアもこぞってオオスズメバチを取り上げ始めるなど、現在海外で非常に大きな話題になっています。
 オオスズメバチが世界的な話題になった事を受け、英インデペンデント紙やデイリー・メール紙などは先日、この恐ろしい生物に時に対抗も出来る存在として、「熱殺蜂球」という必殺技を持つニホンミツバチを取り上げました。
 「熱殺蜂球」は、数百匹のミツバチがオオスズメバチを球状に取り囲み、飛翔筋を震わせて発熱し、蒸す事でスズメバチを絶命させる攻撃行動。攻撃時、蜂球内の温度は46~47°Cという高温になるのですが、これは、ニホンミツバチが50度近くまで耐えられるのに対し、スズメバチは45度と、若干上限致死温度が低い特性を利用しています。
 この知的な攻撃と団結心に、日本的なものを感じる外国人が続出。様々な声が寄せられていましたので、その一部をご紹介します。

■ うぉー、メチャクチャかっこいい!
  ニホンミツバチ、君たちは最高だ!!! +8 アメリカ

■ この必殺技を使えるのはニホンミツバチだけなんだよな。
  セイヨウミツバチには出来ないんだ。 +13 チリ

■ 日本ではミツバチでさえ、より賢くなるようだ。 +3262 アメリカ

   ■ 本当だな😭
     世の中そういう風に出来てるものらしい。 +109 アメリカ

   ■ こっちのミツバチと比べると、
     日本のミツバチは賢そうな顔してるわ。 +344 ベトナム

■ ニホンミツバチ先生をこっちに招聘して、
  アメリカのミツバチに必殺技を伝承してもらおうや。 +1455 アメリカ

■ 「我々は個々では肉体的に劣るかもしれない。
   しかし、団結力でその差を乗り越えてみせる」 +11 南アフリカ

■ ニホンミツバチ、早く来てくれー! +6 アメリカ

■ あのミツバチたちは命を賭けて巣を守るんだな。
  「祖国の為に」という叫び声が聞こえてくるようだ。 +2575 国籍不明

■ ここで養蜂家の俺が登場。
  ミツバチってこんなクールな生き物だったんだ😀 +101  ニュージーランド

■ ニホンミツバチの輸入は解決策にならないの?
  それかセイヨウミツバチもあの技を習得出来るかな? アメリカ

   ■ 遺伝子に組み込まれてないから無理。
     彼らはスズメバチみたいな巨大な敵に、
     今まで会った事がなかったんだから仕方ない。 +7 アメリカ

(http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3458.html)
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 「熱殺蜂球」の場面はYouTubeでご覧になれます。(オオスズメバチ vs ニホンミツバチ)1匹のオオスズメバチに対して数百匹のミツバチが周囲を取り囲み、体温を上げることでオオスズメバチが死んでしまします。すごい場面です。 (https://www. youtube.com/watch?v=LLWZHg_TjA0)
 上記のコメントにあるように、集団で行動する日本人の強さが、ミツバチにも宿っているようです。同じミツバチでも日本以外では熱殺蜂球が見られないということで、ニホンミツバチは世界でもすごいハチなのでしょう。ニホンミツバチ万歳!

2020年06月07日

#307 いつまでも分かり合えない男と女

 今日は5月31日です。明日から6月が始まります。新コロの影響でしょうか?3月から5月下旬まで新コロによる休校期間が続き、多くの学校では夏休みが極端に短くなり、遅れた授業を取り戻すことになります。小中高の夏休みは平均すると10日から15日程度に短縮されます。また土曜日に授業する学校も出てきました。最近ではエアコンを設置している学校が増えてきましたが、エアコンが無ければ真夏に室内で35度を超える中での授業は不可能です。学校の設置は地方自治体の仕事ですので、生徒が熱中症にかからないように、できるだけ早くエアコンの設置を各地町村にお願いしたいところです。
 さて、本日のブログタイトルは三流週刊誌のタイトルのようですが、「なぜ男女はいつまでも分かり合えないか」に関する面白い記事を見つけましたので転載します。かなりの長文ですが、我慢してお読みください(笑)。
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『レストランで「男性は通路側、女性を壁側」とするマナー以外の意味』
 異性と話していて、認識の違いでストレスを感じたことはないだろうか。脳科学・AI研究者の黒川伊保子氏は、「実は、とっさのものの見方が男女で違う。そのため、ストレスが生じる場合がある」という——。
※本稿は、黒川伊保子『コミュニケーション・ストレス 男女のミゾを科学する』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

<男女の視覚の守備範囲の境界線は約3メートル>
 「夫は、あれがない、これがない、と忙しい私を呼びつける」、「ドライブ中、妻にナビゲーションさせるとイライラする」、そんな経験はないだろうか。これ、実は、とっさのものの見方の違いから生じる男女間ストレスなのである。
 脳が不安を感じたとき、男性は、空間全体を把握し、動くもの・危険なものをいち早く察知しようとする。女性は、自身の周辺や、目の前の大切な存在に意識を集中する。
狩りをしながら進化してきた男性たちは、「遠く」の「動くもの」に感度が高くないと生き残れなかったからだ。
 子育てを担当してきた女性の側は、自分と子の周辺を綿密に見て、針の先ほどの変化も見逃さないセンスがいる。人間の赤ちゃんは、毛皮に覆われてはいない。生後1年も歩けない。あらゆる哺乳類の中で、最も脆弱な存在だからだ。だから女性は、「近く」を「綿密に」見るのである。男女の視覚の守備範囲の境界線は、約3メートル。男性はその外側を、女性はその内側を担当している。

<男女の立ち位置が、無駄なストレスを作り出す>
 男女で、レストランで食事をするとき、壁際の席に案内されたら、男性は通路側に座り、女性を壁側に座らせたほうがいい。ヨーロッパのマナー通りに。でも、理由は、レディ・ファーストだからじゃない。男性は、半径3メートルの外側に無意識のうちに目線を泳がせ、動くものに目線を走らせる傾向が強いからだ。お店のスタッフの動きや、向かいの客がワイングラスを傾けたしぐさなどに、いちいち目線が行く。目の前の大切な人に集中できる女性からしたら、「食事に集中していない」「自分に集中していない」と感じて不安になるからだ。せっかくのデートなのに、もったいなさすぎる。
 ショールームの設計にも気をつけたほうがいい。男性説明員が、店内を見渡せるような立ち位置で接客すると、他の客の動きに目線を取られることがあり、女性客からしたら、自分に集中していないとか、落ち着きがないように感じることがあるのだ。目線の運び方が違うことを知らないと、男性の“遠くをちらり”は、集中力の欠如に見えてしまう。
 ということは、女性が、男性に何かを説明するときも、立ち位置(座り位置)には気をつけたほうがいいということだ。男性を「他者の動きが目に入る」場所に立たせると、集中力を欠いているように見えてイラっとする。「話、聞いてるの?」と確認したくなることがある。しかし、これは、濡れ衣である。危険察知能力の高い男性脳は、目線が泳ぐのを止められない。そんな男性たちを、「他者の動きが目に入る」場所に立たせて、何かに集中させようとしないことだ。

<男性脳の三次元点型認識>
 男性は、半径3メートルの外側、ときには何キロメートル先までもが守備範囲である。その広い範囲を瞬時にカバーするには、「綿密に見る」というわけにはいかない。
あらゆる奥行きの、いくつもの点をチラチラッと見て、空間全体を把握して距離感をつかむのである。
 構造物を見るときは、角や輪郭をさっと注視し、構造を理解する。テクスチャー(面の質感)を味わうのは、その後になる。すべてを見るのではなく、かいつまんで見るわけだ。かいつまんで見るからこそ、瞬時に距離感が測れるし、ものの構造を見抜くことが得意なのである。
 一方で、「あなた、あそこに、赤い缶があったでしょ?」とか「あのとき、あの人、こんなバッグを持っていたわね」には、「わからん」「見てない」と応えることが多い。女性にしてみれば、「そっけない」「とりつくしまがない」と感じて、「もうちょっと、優しい口の利き方ができないの?」となじりたくもなるのだが、そもそも見ていないので、言いようがないのである。
 奥行きのあらゆる点をかいつまんで見て、空間全体を把握して距離感を測り、ものの構造を見抜く。こういうものの見方を三次元点型認識と呼ぶ。

<女性脳の二次元面型認識>
 うちの息子は、あきれるほど「目の前にあるものが見つけられない」のだが、道の距離感をつかむのは、達人なみだ。私が助手席でグーグルナビを見ながら、「450メートル先右折って言ってるけど、どっちの信号かな」と迷ったりすると、きっぱり「一つ先のほうだね」と言ったりするのだ。あまりにゆるぎないので、ためしに信号までの距離を口頭で言わせてみると、「200……100」というその数字が、グーグルナビの表示とぴったりなのである(!)。この能力は、めちゃくちゃ便利なので、目の前の醬油瓶が見つからなくたって、私もお嫁ちゃんも気にしない。むしろ、目の前にあるのにおろおろする、大きな熊みたいな彼は、お嫁ちゃんの愛情センサーを刺激するらしい。「カワイイ」と抱きしめてもらったりしている。
 一方、女性は、見えるものの表面を面でつぶして、なめるように見る。守備範囲は狭いが、見逃すことがほとんどない。これが女性の、二次元面型認識だ。女同士なら、旅の途中に、「レジ脇に、赤い缶、あったでしょ」「あった、あった。あれ、チョコブラウニーよ」「買えばよかったな」「じゃあ、戻ろうよ」みたいに盛り上がる。これが夫とだと、「レジ脇に、赤い缶、あったでしょ」「わからん」「あれ、気になって……」「それは何だ?」「わからないけど」「……」みたいになる。夫とは旅が盛り上がらないと、妻たちが感じる所以(ゆえん)だが、夫にしてみても、ちんぷんかんぷんなのだろうなぁ、この会話。会話がすれ違う前に、「見ているもの」がすれ違っているのである。

<男女は、究極なまでに効率的なペアの装置>
 夫に道を教えていて、「あなた、あの青い看板」と指さしているのに、「どこだ?」と言われて困惑することがないだろうか。50~60メートルの射程距離だと、とっさに、男女の見る場所が数メートル程ずれることがある。男性が向こう、女性は手前に。さらに、最初に見た場所に目当てのものがないと、男性はさらに遠くへと目線を走らせる。逆に、女性は手前に目線を走らせる。つまり、男女の目線は、けっして交わらないのである。男女は、感覚的に道を教え合うのには、向いていないのかもしれない。
 逆に言えば、究極なまでに効率的な「ペアの装置」なのだと思う。互いの守備範囲をキッパリと分け合って、無駄がない。冷蔵庫の扉を開けた瞬間も、男女で目線の走らせ方が違う。
 男性脳は、奥のほうを中心に、まばらに見ながら、危険な物をピックアップしようとしている。女性脳は、見えるものの表面をなめるように見て、目当ての物を見逃さない。当然、「目当てのものを見つけ出す速さと確度」は、後者に軍配が上がる。その代わり、男性は「賞味期限切れの食品」を見つけ出して、家族を危険から守ってくれるのである。公平に見れば、どちらも家族の役に立っている。妻目線で見れば、「頼んだマスタードは持ってこれないくせに、賞味期限切れの海苔の瓶を持ってくるって、どんな嫌がらせ!?」となるのだけれど。

<男女脳論はマーケティングにも応用できる>
女性は手前、男性は奥。
この話を、あるドラッグストアの店長会でしたことがある。すると、3カ月後、ある店長さんから、報告をいただいた。「女性向けの商品の販促展示を、レジの後ろの棚から、レジ前に変えた。それだけで、月間40本ベースの売り上げが、300本ベースに跳ね上がった」と。この逆もある。美容室で、男性向けの商品を目の前に置いておいても、一向に興味を示してもらえなかったのに、棚に飾ったとたんに気づいてもらえた、というようなケースだ。商品の飾り方、ポップやポスターなどの販促ツールの置き方も、男女でツボが違う。違うとわかれば、話は簡単である。女性向けなら女性スタッフに、男性向けなら男性スタッフに、「目につく場所」を指摘してもらえばいい。
 男女の脳の「とっさの使い方」の違いを知ることは、コミュニケーション・ストレスの解消だけではなく、マーケティングにも有効なのである。
(https://president.jp/articles/-/35713)
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 上記の主張が正しければ、男女お互いの違いを知って会話をしたり共同作業をすることは有益となります。また夫婦喧嘩などの防止にもつながります。要するに男女の考え方、感じ方が根本的に異なっており、それを理解しないでは同じ土俵で議論できないということでしょう。
 それにしても、いつまでも分かり合えないのが男女の心。それゆえに男女のテーマは古来より文学や音楽など広く芸術の対象になっています。今後も永遠に続く人類の大きなテーマとなっていくことでしょう。

2020年05月31日

#306 空港ピアノ

 現在緊急事態宣言が続いている東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏1都3県と北海道に週明けには解除宣言が出されるようです。ようやく日本中が平常に戻りつつありますが、新コロ以前の生活になるにはかなりの時間が必要になるようです。ワクチンや特効薬の開発に時間がかかり、それが世界中に普及するまでにかなりの月日がかかるでしょう。
 そのような中で東京オリンピックの来年開催が10月に判断されるというニュースが先日報じられました。10月の時点での判断は早すぎる気がしますが、オリンピック開催の準備のためには多くの時間が必要とされますので、10月を最終判断としたのでしょう。来年開催することができなければ中止となります。今の新コロ状況が続けば、中止の可能性が高く、日本がオリンピックにつぎ込んだ努力や経費はすべて徒労になります。そうならないように新コロが少しでも早く収束するように、日本だけでなく世界中が協力して感染症に対して防疫体制を整えませんと、第2、第3の新型ウィルスが発生し、その度に同様の緊急事態宣言が出されることになります。
 さて、このような緊急事態の時にこそ心にゆとりを持ちたいものです。多くの県で緊急事態宣言が解除されましたが、それでも自宅で過ごす人がまだ多い状態で家庭内暴力を始めとする様々な問題が生じました。また「自粛警察」のような極端な正義感を振り回す輩も発生しています。それらの原因を一言でいうと、「心に余裕がない」ということでしょう。心の余裕を取り戻すために、音楽を聴くことをお勧めします。一人で、または家族や友人と共通の音楽を聴くことで、心にゆとりが出て人間本来の優しさを取り戻すことができます。
 私のお勧めはNHKのBSで放送されている「空港ピアノ」という番組です。日本だけでなく、アメリカ、欧州、オーストラリアなどの空港にピアノが設置されており、老若男女や年齢にかかわらず誰でも自由にピアノを弾くことができます。ピアノを始めた幼い子どもからクラシック音楽のプロの演奏家やバンドのピアニストなど飛行機の待ち時間などを利用して好きな楽曲を弾くことができます。演奏の終わりにピアノにまつわる思い出やピアノを弾きはじめた理由など一言感想を話してくれます。
 音楽は世界共通の言語です。自分の好きなジャンルの音楽を聴くことで、ストレスを解消し、リラックスすることができます。もちろん音楽だけでなく、その他の芸術やスポーツなど心身ともにリラックスし、明日への活力になるものがあれば幸いです。どんな状況に置かれても心の平静さを失わないような術(すべ)が必要になると、新コロは教えてくれています。「災い転じて福となす」という心がまえが必要な今日この頃です。

2020年05月24日

#305 音楽の泉

 今日は朝から快晴です。昨日の大雨とは異なり、湿度の低い爽やかな五月晴れとなっています。緊急事態宣言の終了に伴い、全国各地では少しずつ街の賑わいが戻りつつあるようですが、それに伴い新コロの第2波の到来が懸念されています。緊急事態宣言は終了しましたが、新コロが終息したわけではありませんので、やはり個人の行動自粛が一番です。
 さて日曜日の朝は時々寝床でラジオを聴くことがあります。朝8時ごろにラジオのスイッチを入れるとNHKの朝のニュースの後で「音楽の泉」が始まります。毎回1作品を特集してクラシック音楽を一般のリスナーに分かりやすく解説し、その曲の構成やモチーフ、作曲家の生い立ちや人生観、作曲の背景にある文化的な営みなど普通のクラシック音楽番組では放送しないような些細にいたる情報を与えてくれます。
 30年以上にわたって「音楽の泉」を担当された皆川達夫さんが4月19日に永眠されました。私は「音楽の泉」を20年以上も何となく聞いていましたが、皆川さんの語る作曲家の人物像を聞きながら皆川さんの姿を想像していました。声色から判断すると、ふっくらしたお顔で眼鏡をかけており、髪は少なく、好々爺の姿をイメージしていました。
 ところが先日NHKのテレビで皆川さんの特集番組をたまたま拝見しましたが、声からくるイメージとは全く異なり精悍な顔つきの方でした。また彼の経歴を拝見しますと隠れキリスタンとグレゴリオ聖歌の関係を研究するなど、音楽の様々な分野にわたる幅広い知識を屈指してクラシック音楽の普及に努めてこられました。
 先日の西日本新聞のコラム「春秋」に皆川さんに関する記事が載っていましたので、ご紹介します。。

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西日本新聞5月14日付「春秋」より
『ラジオ長寿番組の一つにNHK第1の「音楽の泉」がある…』
 ラジオ長寿番組の一つにNHK第1の「音楽の泉」がある。1949(昭和24)年に放送開始のクラシック音楽入門番組。日曜の朝、布団の中で聴くとトロトロ気分で二度寝に誘われる
▼シューベルトのピアノ曲「楽興の時」に乗って、今年3月までは「お話は皆川達夫さんです」の案内で始まった。西洋音楽史家皆川さんの柔らかな、それでいて枯れた語り口に長く親しませてもらった
▼3月29日の放送の最後に「体調にやや不安を覚えるようになりました」と番組を降りられた。88年に解説役になって31年余り。クラシックの魅力を分かりやすく楽しく淡々と伝えてきた
▼著書も多い。「洋楽渡来考」という表題も。最初に渡来した西洋音楽はどんなものだったのか。皆川さんの渡来考は、隠れキリシタンが口伝えで継いだ祈りの歌「オラショ」研究に及んだ。オラショとグレゴリオ聖歌との関係を明らかにしてイタリア政府から功労勲章を受けている
▼学術的業績を、隠れキリシタンの里・長崎県平戸市の生月島を何度も訪ねて積み重ねた。西洋からの古楽が形を変えて継承された史実は、研究者の心を熱くした。「長く厳しい弾圧の中、歌い継がれてきたことは奇跡に近い」。そんな言葉が本紙に載ったこともある
▼番組を終えて約3週間後に老衰による訃報を聞いた。92歳。九州の小さな島で掘り起こした音楽の古い泉を、探究心の源泉にした人だった。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/608146/
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 音楽は人の心の琴線に触れる文化です。そのジャンルが何であろうと生活に密接した文化です。世の中が平和でなければ音楽の隆盛はありません。新コロの影響でコンサートやライブがすべて自粛されていますが、すべての音楽家にとってこれは悲劇です。新コロで外出し難い今、部屋で好きな音楽を聴いて心を潤いを取り戻しましょう。
 長年にわたりクラシック音楽の魅力を伝えた皆川達夫さんのご冥福を心より祈り申し上げます。

2020年05月17日

#304 志村けんと台湾

 奄美地方では今日梅雨入りとなりました。九州地方はおよそ4週間遅れで梅雨入りとなります。蒸し暑い中でマスクをすることは辛いものがありますが、新コロの感染予防には仕方ありません。
 ところでブログ#294で志村けん死去について述べましたが、海外の人々、特に台湾の人々には大きな悲しみが広まっています。その記事をPresident Onlineから転載します。

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『台湾最古の報道機関だけが知る志村けんが同国に愛された理由』
<変なおじさんはもう見られないと台湾が泣いた>
 志村けんさん(享年70)が所属していた事務所であるイザワオフィスが、4月18日から同社のYouTubeチャンネルで、1987年から96年まで放送されたコント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』を再編集した動画10本を、順次公開すると発表した。現在公開中の動画で見ることができるのは、「ご存知!!じいさんばあさん」「変なおじさん」などのコントだ。
 これらのキャラクターを演じた志村さんが日本はもちろん、台湾の人々の心にも深く刻み込まれていることは、よく知られている。
 彼が台湾で不動の人気を得ていく経緯については、それを後追いで「学習」した世代の台湾人や日本人が語る記事が、志村さんの死後にいくつか掲載された。
 しかし、志村けんというコメディアンの存在が初めて現地の人々に認知され、やがてしっかり根を下ろしていったリアルな様子が、まさに同時代人として実体験した台湾人の口から語られたことはまだない。
 そこで、台湾最古の報道機関である中央通訊社、東京支局長の楊明珠氏(56)に話を聞かせていただいた。
 彼女は台湾の淡江大学日本語学科を卒業後、91年に東京外語大学大学院の修士課程を修了。2006年に中央通訊社東京特派員として再来日し、11年から現職にある。志村さんの死去時には、彼女が台湾に向けて配信した第一報や人物評が多くの現地メディアに掲載され、「日本喜劇泰斗 告別人生舞台」(日本のコメディーの第一人者が、人生に別れを告げた)。「『怪叔叔』成絶響」(「変なおじさん」は、もう見ることができない)といった見出しが躍った。
 では時計の針を一度、1980年代に戻してみよう。

<台湾人たちはどうしても日本のテレビ番組が見たかった>
 台湾では87年まで戒厳令が敷かれていて、解除されるまでテレビ局は3局しかなかった。
「それらの局で放送される番組はすべて政府が検閲していましたから、堅苦しい、面白くもおかしくもない内容ばかりで」(楊明珠氏。以下同)
 さらに72年の日中国交正常化を機に、台湾のテレビ番組では日本語の使用が禁じられていた。
 「日本の番組が放送できないのはもちろん、たまたま日本語が出てくる場面では、音が消されていたんです」
 ところが80年代に入ると、この状況に風穴があく。特殊な機器をつけて日本や香港からの番組を違法受信する人が出てきたり、日本の番組を録画した海賊版ビデオがレンタル店に並び始めたりして、誰もが争って日本の番組を見るようになりました」
 志村さんの死後に出た一部の記事には、そうした海賊版ビデオ人気の根底に、台湾庶民の反政府的な意識が働いていたとするものもあったが……。
 「あの時代の空気を肌で知る人間としてはっきり言えますが、それはかなりうがった見方ですよ。血の通った憩いに飢えていた当時の台湾人は、日本のドラマやお笑い番組、歌番組などが持つ自由な雰囲気を本能的に求めたんです。例えばあの頃、お腹を抱えて笑えるような台湾のテレビ番組なんてひとつもなかったですから」
 当時の海賊版ビデオは、家庭で楽しまれたのはもちろん、台湾ならではの視聴環境もあった。
 「私の大学時代、『MTV』が大流行していました。アメリカの音楽専門チャンネルとはまったく関係なくて、日本でいう個室ビデオ店。とはいっても健全な雰囲気で、店内でいろいろなジャンルのビデオが安く借りられ、その中に日本の番組を録画した海賊版ビデオもたくさんありました。よく友人たち5、6人であれこれ借りて、同じ部屋で一緒に見たものです。当時は学生寮住まいで、ビデオデッキなんてなかったですから」

<ドリフの海賊版ビデオに中国語の字幕>
彼女がブラウン管を通して志村さんの姿に初めて触れたのは、そのMTVか、もしくは大学入学の直前、日本のことを勉強しようとレンタル店から借りてきたあらゆるジャンルの海賊版ビデオを自宅で見漁っていた頃だったと記憶している。
「時代を考えれば、『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』のコーナーだったと思うんですが、いっぺんでファンになりました。志村さんがコントで演じる人物は、見た目や表情も含めみんな個性が強くて、深く考えなくても笑えますから」
海賊版とはいえ、日本の番組には中国語の字幕が付いていることがほとんどだったという。しかし、細かいニュアンスまで伝わるほどの質は期待できず、文化の違いもあるので、言葉で笑わせるタイプの芸人の面白さは伝わりにくい。その点、キャラクターが強烈な志村さんのコントは、外国人にも理解しやすかった。
ただ80年代のドリフターズや志村さんの番組には、共演者とのセクシャルなやりとりや、上半身裸の女性がしばしば登場していた。女性として、そんな場面に不快な思いなどなかったのだろうか。
 「そもそもアンダーグラウンドなビデオを見ているわけですし、これぐらいのことはあるだろうって無邪気に笑っていましたね。特に男性は、ああいったエッチなシーンにある種の解放感を覚えていたみたいですよ」
志村さんの笑いには性別はもちろん、世代も言語も問わず見る者を引きつける磁力がある。
 「志村さんお決まりのフレーズだった『なんだ、チミはってか?』や『だっふんだ』は、老若男女誰もが真似しました。これはかなり珍しい現象で、台湾人や日本人の他のタレントや芸人が発したフレーズが台湾全土的な流行語になったことは、私が知る限りありません」

<台湾総統も志村チルドレンの一人だった>
 志村さんの影響を受けたのは、一般人だけではない。
 「タレントの陽帆は、志村さんの『ひとみばあさん』(台湾での表記は『瞳婆婆』)をそっくりコピーした『陽婆婆』のキャラクターでブレイクしましたし、胡瓜という芸名の超有名司会者は、志村さんへの尊敬の念を公言しています。志村さんが台湾を訪れたときに自身のバラエティー番組で共演したこともあり、細かいところにまで真剣にこだわる真面目な仕事ぶりに、改めて感銘を受けたそうです。彼の場合は外見的な真似はしていないのですが、女性共演者へのちょっかいの出し方の感じなんかが、志村さんそっくり。食事を共にしたこともあって、志村さんが台湾式に紹興酒へ干し梅を入れて飲んでいたのが印象的だったと語っています」
 さらには志村さんの死去時、「志村けんさん、国境を超えて台湾人にたくさんの笑いと元気を届けてくれてありがとうございました。きっと天国でもたくさんの人を笑わせてくれることでしょう。ご冥福を心から祈ります」と日本語でツイートした蔡英文総統(63)も、間違いなく志村チルドレンの一人だという。
 「彼女は親日派だし、世代的にも志村さんから笑いの洗礼をたっぷり受けているはずですからね。話題になったツイートに添えられた桜の写真は、ちょうど志村さんが亡くなった3月29日に関東で雪が降ったとき、私の知人でもある台湾紙の東京特派員が調布で撮影したものなんです。何枚か撮った写真のひとつを自分のフェイスブックに上げていたら、台湾政府筋から連絡があって提供の要請を受け、内容に一番ふさわしい別ショットを送ったそうです。ツイートの文面にしても、日本語で書かれたことを含め、蔡総統の個人的な強い思い入れがあふれていました」

<台湾人たちがシビれた「志村大爆笑」>
 87年の戒厳令解除に続き、92年に日本の番組が解禁されると、台湾のテレビ局が正式に購入した『志村けんのだいじょうぶだぁ』(台湾名は「志村大爆笑」)などが放映されるようになった。それらは長年にわたって繰り返し再放送され、志村さんの人気をさらに強固なものにしていった。
 そして『喜劇泰斗』(コメディーの第一人者)としての地位の総仕上げになったのが、00年代に放映された日本と台湾を結ぶ日本アジア航空(08年に日本航空が吸収合併)のCMシリーズだ。日台ハーフ俳優の金城武と共演したそれらは日本のみでの放送だったが、志村さんが台湾の魅力を伝えるCMに出演したことは現地でも大きな話題となり、ワイドショーなどで映像が流されたという。
 「大スターの志村さんが台湾を紹介するCMに出てくれるだけでもうれしいのに、故宮博物院のようなありきたりで気取った名所ではなく、金城さんと二人で年代物の原付バイクやローカル列車に乗り、屋台のおじさんや行商のおばちゃんから胡椒餅とか釈迦頭(台湾の有名な果物)を買うといった、地元の庶民の暮らしを体験する設定に、台湾人はしびれたんです。撮影で使われた某ロケ地には、今でも志村さんと金城さんが写った当時の日本アジア航空の広告ポスターが張ってあるとか。『志村けんがここで撮影した』というのは、何よりのPRになりますからね」
 最後に、ある余談をひとつ紹介して、結びとしたい。「志村さんの死が発表された(亡くなったのは29日深夜)のと同じ3月30日、台湾の行政院長(首相に相当。国政の実質No.2)や国防部の参謀総長(日本の統合幕僚長に相当)を歴任した、高名な軍人・政治家の郝柏村氏が100歳で亡くなりました。ところが台湾メディアでの扱いは、志村さんの死のニュースのほうがはるかに大きかったんです。でもその差こそ、台湾の一般的な庶民感情の表れなんですよ」もちろん郝氏の死去を受け、台湾総統府は公式な追悼声明を発表した。しかし、蔡英文総統自身は志村さんに対してしたように、郝氏への惜別メッセージをツイッターで綴ることはなかったのである。
(https://president.jp/articles/-/35070)
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 志村けんさんが日本人だけでなく、台湾の人からも熱烈に愛されていたことが、この記事を通してうかがえます。ドリフの「8時だよ全員集合」や、その後の「大丈夫だあ」当の番組を通して、彼が奇想天外な発想をしてお茶の間に笑いを提供し続けたことが、今更ながらすごいことだと思えます。彼のくだらない笑いには国境や世代を超えた何かがあるのでしょうか。とにかくすごい人物を失ったものです。改めて志村けんさんに追悼の意を表したいと思います。

2020年05月10日

#303 中国人が見た日本の教育

 今日は久しぶりに朝から雨が降っています。毎年5月3日、4日は福岡でドンタクパレードが催されますが、この両日は雨が降る確率が高くなります。今年は新コロの影響でドンタクパレードが中止になりました。
 さて大型連休の後半に入りましたが、新コロのために外出自粛要請のために多くの人が自宅で過ごされることでしょう。散歩等の外出は可能ですが、遠出は厳しい状況にあります。そこで「近場旅行」を勧めたいと思います。「近場旅行」と言っても、ただの「近所の散歩」のことです。自宅の周囲を散歩することで、今まで気づかなかった通りの花壇や屋根瓦の色や、木々の新緑など様々なことに気づくことができます。普段は通らない道を歩いたり、普段散歩する時間帯を変えることで、何気なく見過ごしていた近所の景色を満喫することができます。
 さて面白い記事を見つけましたので転載します。中国人が見た日本の教育についての記事です。かなりの長文ですが中国人の本音が分かります。

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『中国人ママが驚いた日本の教育「ゆとりと思ったら……慶応ボーイ?」「謎の謙譲語トーク、まねできない!」』
 日本に暮らす外国人、中でも、中国国籍の「華僑」と日本国籍に帰化した「華人」の数は合計100万人に迫っています(法務省調べ)。日本に連れてきたり、生まれたりする中国にルーツを持つ子どもが増える中、気になるのは教育です。「ゆとり教育と言っても、日本の受験戦争は激しい」「成長するにつれて、子どもたちは中国語を話せなくなった」。日本で子育てをする中国人の母親の本音を聞きました。

<日本の「ゆとり教育」は本当だった?>
集まったのは以下の4人です。
・方さん(30代、吉林省吉林市出身、一人娘3歳)
・孫さん(仮名、40代、北京市出身、息子二人、長男は21歳、次男13歳)
・王さん(仮名、40代、四川省成都市出身、一人娘8歳)
・記者自身(30代、浙江省出身、息子二人、長男7歳、次男2歳)
中国の教育はよく「詰め込み教育」と批判されています。海外の「ゆとりのある教育」は中国人にとっては羨ましい存在です。日本に来て新鮮だったのは、保育園や小学校の運動会で個人に順位をつけないことだったと言います。
「子どもたちは『紅組』と『白組』に分けられ、2組しかないのに、結果は『優勝』と『準優勝』。つまり、みんな賞がもらえるわけです」(方さん)
日本で義務教育を受けたことがない母親にとって、日本の学校の第一印象は「競争を強調せず、ゆとりがある」ことだったと口をそろえます。
「公立学校の授業もかなり分かりやすく、宿題が少ないです」(王さん)

<「中国にはいない慶応ボーイ」>
一方、日本の教育からは「ゆとり」だけではない面も感じたそうです。
「日本の塾は、受験対応のシステムとして非常によく出来上がっています。日本のエリート選抜は小学校、だいたい10歳の時点で始まっており、中国よりはるかに早いです」(孫さん)
中国の教育の場合、中学、高校に上がる際の試験(「小昇初」と「中考」)がありますが、人生の運命を決める最も重要な試験は、「高考」と呼ばれる大学入試です。学生と親にとって、「高考」は非常に大きなプレッシャーになります。日本の場合、有名私立大の付属校に合格できれば、ほとんどの人は、そのまま大学に進学することが保証されます。極端な場合、幼稚園に入った時から、人生がほぼ決まるケースもあります。
「『慶応ボーイ』のような存在は、中国ではなかなか考えられません」(王さん)
早くから選抜が始まることは、それだけ、チャンスが多いとも言えます。
「親として、子どもにチャンスが多いほうが安心」(孫さん)という気持ちもあるようです。

<中国語で話しかけても日本語で返事>
外国にルーツがある家庭ならではの悩みとして、語学があります。
孫さんの場合、数年前に一時帰国し、次男は小学校4年生の時に再来日したのです。
「再来日した次男は最初、日本語が分からず成績がよくありませんでした」
その後、塾にも入り、成績がぐんぐん伸びましたそうですが、一番よかったのは「本を読むこと」だったそうです。
方さんは「できれば中国語を娘に教えたい」と話しました。娘は3歳で、家では中国語をよくしゃべりますが、保育園での時間が長いので、日本語のほうが上達しているそうです。王さんは夫が日本人で、家で使うのは日本語。「娘に中国語で話しかけても、日本語で返事されます。家庭で中国語を教えるのは難しいと感じています」
記者の場合、子どもが生まれてから家で中国語を話すことを徹底したので、子どもが中国語を話すことは問題ありません。しかし読み書きになると、親が教えることに限界も感じます。

<「子どもが、中国人だと認めたくない」>
中国語への不安に対応するため、最近では「出前」の「中国語教室」が増えています。
「出前」の「中国語教室」では、近所同士の華人がお金を出し合い公民館やマンションの会議室を借り、中国語の先生を呼んで、子どもたちに授業をします。「親としては、中国語を覚えさせたいのですが、教室が開けるのは1週間にせいぜい1回か2回くらい。小学校に入ったら、子どもたちは日本語のレベルがどんどん上がるのに、中国語は話せなくなってしまいます……」(記者)
「中国語の先生を確保したり、教えるレベルを確認したりするのが難しい」(王さん)
「日本は、中国人のための学校である中国人学校が圧倒的に足りないですね」(方さん)
気になったのは、自分から中国語をあまり話さない子どもがいることです。「日本社会の雰囲気として、中国への評価はあまりよくないため、中国人だと認めたくない子どもが多いようです」(王さん)
「子どもに対しても、中国を蔑視するような言葉を使う人がいるため、親としてとても心配です」

<「お土産を持って遊びにくるなんて」>
新型コロナウイルスの影響で外出自粛となる前、中国人の母親たちが驚いたのは、スポーツが盛んなことです。
「週末になると、子どもたちが公園やグラウンドで走ったり、スポーツをしたりして、とても健やかな感じですね」(方さん)
「日本のほとんどの小学校、少なくとも東京では、プールが配備されていて、健康にいいですね。中国では、学費の高い私立の小学校でない限り、なかなかプールはないです」(王さん)
「子どもの礼儀が正しく、教養の高さが伝わります。なにより校舎が綺麗です」(方さん)
孫さんが驚いたのは、息子の同級生が孫さんの家に遊びにきた時のことです。みんな飲み物やハンカチなどを持参してきます。初めて訪問する場合は、お土産までを持ってくる子がいるそうです。中国の親、特に今、母親たちが子どもだった時代には、そこまで気にかけることはなかったそうです。「身だしなみというか、礼儀というか、男子学生も自然にできていて、とても感心しました」

<LINEグループの謙譲語トーク「まねできない」>
最後に「日本の学校のここが変」について聞きました。
孫さんは、PTAに積極的に参加し、日本人の母親との交流も多い方です。日本に長年生活してきたとは言え、いざ「深い」交流が始まると、慣れない、あるいは「変なところ」に気付くことがあるそうです。
ある日、次男の学校にインド人の子どもが入学してきました。インド人の両親は日本語がわからず、子どもも日本語が話せませんでした。すると、ある日本人の母親が「日本語ができなかったら、インター(インターナショナルスクール)に行きなさいよ」と言ったのです。「そのお母さんは、私(孫さん)も外国人だと意識せずに話したと思いますが、自分の子どもがもし日本語が分からなかったら入学する資格もないのか、と思い黙り込んでしまいました」
また、日本人の母親は自分を低い位置に置くことが多いのも気になったそうです。
「ウチは散らかってて…」とか、「うちの子、全然やらなくって」「そうそう、うちもなのよ」などの会話がよくあるそうです。
「同じライングループに入ると、謙虚というか、お母さんたちがほかの人を『褒めて』、自分のことを『下げる』ことが多く見られます。あの謙譲語の使い方は、まねできません」(孫さん)

<架け橋になってくれる子どもたち>
「異常な」ほどプライバシーに気を遣うことも「日本ならでは」と言います。
「学校でしか配らない小冊子でも、子どもの顔がわからない写真が使われてびっくりしました」(孫さん)
孫さんが次男に、友だちの受験校を聞くと「プライバシーだよ。知らない。聞けない。知っても教えられない」という回答が帰ってきたそうです。
「集合写真に子どもの顔を出さない親もいると聞きました」(方さん)
一方、王さんは「中国では子どもが誘拐されるケースもあるので、多少度が過ぎたと思っても、我慢はします」。
母親たちの話からは、日本と中国には、少なくない違いがあることが見えてきました。そして、その違いを実際に受け止めているのは学校に通う子どもたちです。孫さんの次男は小学生高学年のため、差異の部分をしっかり感じとっているようです。「日本の学校では音楽やスポーツも重視するし、多くの新鮮なことに触れる機会が多いです。先生が何かを直接教えるというより、学生は自分たちが考えて問題解決に取り組むことも多いですね。(次男が)授業に出る漢詩を中国語で読んだり、中国語の意味を補足して説明し、中国の文化を紹介したりして、架け橋的な役割も実現している」そうです。
記者の長男も保育園時代から、クラスメートの日本人、ロシア人、マレーシア人のお友達と仲良く遊んでいることが多いです。親の戸惑いはあるものの、子どもたちが両国の架け橋になるよう、大人同士も交流を深めていきたいと思っています。
(https://withnews.jp/article/f0200503001qq000000000000000W02311101qq

000020762A)
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 外国人から見た日本人像は良い意味でも悪い意味でも私たちが普段気づかないことを教えてくれます。日本人とは何かを考える意味で参考になる記事です。それでは残りの大型連休を自宅や近所旅行で満喫しましょう。

2020年05月03日

#302 頑張れ日本人!

 緊急事態宣言の延長を政府は現在考えており、ひと月ほど延長するようです。それに応じて、すでに5月7日、8日の休校を多くの都道府県で実施する予定ですが、おそらく大半の学校が5月末までの休校となることでしょう。
 さて私が勤務しています明光学園では昨年度よりICT教育を進めており、中3と高3以外の学年は全てiPadを持っており、このディバイスを使用して授業を実践している先生もいらっしゃいます。今日は今後のICT教育(オンライン教育)を進める上で希望者に研修会が実施されました。
 本稿の生徒が使用するアプリは「ロイロノート」、Google Drive、そして双方向会議用のZoomです。オンライン教育として必須のアプリとなっています。それぞれのアプリの特性を認識して、新コロによる休校の延長に備えて教師全員がアプリを利用できるように頑張らなければなりません。ゴールデンウィークを利用して私も使いこなすことができるように頑張ります。
 ところで、北海道を除いて、東京や大阪など感染者が少しずつ減少を始めました。収束に向かう兆候が少しづつ見えてきました。この日本人の行動に対して世界から称賛の声が聞こえています。「【海外の反応】パンドラの憂鬱」より引用します。

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海外「これが日本との差だ!」米紙『日本は欧米とは違い強制力なしで感染減少に成功』
 世界中で感染の拡大が続く新型ウイルス。どこの国であれ、現状正確な感染者数を把握するのは難しく、感染者の数はあくまでも拡大状況の参考程度となるでしょうが、米大手紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、ここ最近の日本の感染状況などに注目。1日の感染者数がピーク時に比べ減少している事などから、「強制的な手段を使わずとも、日本の感染者は大幅に減少」というタイトルで、欧米とは違い罰則付きの都市封鎖をせずとも、国のトップが要請をすると、国民がその要請を受け入れ、さらにそれにより一定の成果が出ていることを伝えています。WSJの記事に対し、アメリカ人から1日で500を超えるコメントが。日本人の規律に対する称賛の声、アメリカ社会への不満の声など、様々な意見が寄せられていましたので、ご紹介します。

■ 日本人は癇癪を起こすことなくちゃんと政府の方針を聞くし、
  今何が必要なのかが分かってるからだろ。 +22

■ 残念ながら俺たちは要請を理解出来るほど頭脳明晰ではない。 +4

■ 日本人は前からマスクを着けてるし、握手もしない。 
  お金やクレカは手渡しじゃなくてトレーに置く。
  そして礼儀正しくて、清潔。
  私が見た限り、日本の通りや空港は本当に清潔だった。
  日本人は個人の利益より集団の利益を優先するのよ。 +233

■ 国のトップが国民に自粛を求め、国民がそれを受け入れる。
  結局国への信頼感が私たちとは違うのでは。 +2

■ 日本人はアメリカ人より高い規律があって人間として成熟してる。
  こっちとは違って甘やかされた環境を求めてないしな。 +6

■ スウェーデンと同じだよね……。
  国民に賢明な人たちが多いと要請でも成立するんだ。

■ 「従順」はアメリカの伝統ではない。良くも悪くも。 +2

■ 他の国では見られない文化がある事を見逃してはいけない。
  つまり、彼らには高い自制心があるんだ。
  そしてそれは多くの国では見られないものだ……。 +3

■ だって日本人はちゃんと政府の指示に耳を傾けるもん。 +5

■ 規律、倫理、礼儀に関して、日本は他のどの国とも違う。 +7

■ 日本には高度に発展した社会がある。
  日がな一日大統領を責め続けてるアメリカ人とは違うんだ。
  ところで、アメリカはあらゆる面で成功を収めたけど、
  医療システムと免疫に関しては失敗してしまったね。
  ヘルス(健康)=ウェルス(財産)なのに。 +6 インド

■ 日本人はコミュニティや集団を俺たちより大切にしてるしな。
  アメリカ人は自分に不便が及ぶ事を許さないんだ……。 +6

■ だけど一日何人検査をしてるの?
  最後に聞いた時、日本は大規模な検査はしてないようだったよ。
  それもオリンピック開催のためだったって。 +4

■ 国民が政府の要請を聞くんだろ? アメリカじゃ不可能さ。 +2

■ アメリカとは違って日本人は小さい頃から、
  自分は特別な存在ではないという事実、
  そしてどんな時も冷静に行動する事の重要性を学ぶ。
  とは言え、オキナワで数年間暮らしてた頃に、
  路上でデモ活動をしてる人たちを見た時は、
  何でも自分の思い通りになると信じてる、
  大きな赤ん坊を見てるような気分になったけどね。 +13

■ だって日本人ってそういう人たちじゃん。 +1 ベトナム

■ 名誉を大事にして見苦しい行動は取らないんだよね。 +2

■ ドイツ人と日本人は高い衛生意識があるし、お上に従う。
  路上でゴミをポイ捨てすることもしない。 +1

■ 日本人ほど高い規律を持つ国民はいないからねぇ。
  アメリカ人は自分の権利を主張してばかりだし。 +2

■ 何で日本では自粛要請が機能してるかって?
  世界にあるのは「日本」と「それ以外」だからだよ。

■ これは本当に興味深い!
  集団主義と個人主義の違いの完璧な例じゃないかな🤔 +2

■ アメリカでも自粛「要請」を試みたけど、誰も聞かなかった。
  だから次のステップに移行するしかなかったんだよ。 +12

■ それはフェイクニュースだ。
  自分の地元では社会的距離を実践し始めてたよ。 +4

■ 日本はスウェーデンよりはるかに模範的だと思う。
  スウェーデンの報告には偽りがある。 ポーランド(中国出身)

■ この前地元で「我々に自由を」ってデモをしてる集団を見たわ。
  自粛「要請」なんてアメリカ人は聞かないだろうな。 +9
  

■ 国民がちゃんと政府の指示に従うなら、
  本来強制的なロックダウンなんて必要ないんだよね。 +42

■ 日本で感染者が減ったのはここ数日だけ。大げさな報道はやめるんだ。

■ 理由は明らかだよ。
  日本の場合は国民に教養があり、社会には礼儀がある。
  それがアメリカとの差だ。 +35

■ 日本人は他者を思いやる気持ちを以前から持っていた。
  私は日本のそういった面が大好きなんだよね。
  他者にどう接するべきなのかについて、
  日本にいる頃に沢山のことを学んだよ。 +2

■ つまりこのバカげたロックダウンは必要ないってこと? +23

■ この国にいるのは日本人じゃなくてアメリカ人だけどね。
  日本人は集団の幸福を大事にしてるし、
  全体のために自己犠牲を払える人たち。
  日本人はワンチームとして動く。
  私たちは個々が好き勝手に動く。 +4

■ 日本人は社会の秩序を保つ行動を取るもの。
  これが日本と残りの他の世界との差だ! +2

■ 地震、台風、洪水、火山の噴火、その他諸々の災害を、
  日本人は自分の人生の一部だと考える傾向があるんだ。
  だからそれらを乗り越えるための規律が備わる。
  アメリカ人が見習うべき文化的な要素だ。 +4

■ 日本で日本人と一緒に仕事をすると、
  何で日本人が自粛要請に反発しないのかが分かるよ。
  アメリカ人はナチュラルに権威を疑ってかかる。
  ただのお願いをアメリカ人にしたところで、
  自粛が上手くいくとはちょっと私には思えない。 +66

■ 政府が出来るのは命令ではなくて要請。
  本来なら理想的な社会のあり方ではあると思う。

■ 日本国民には教養と清潔感がある。
  そしていざって時には社会のルールを守る。
  思い返してみてほしい。
  日本は国土が狭く、地震が多くて、資源も少ない。
  それにもかかわらず世界第3位の経済大国なんだ。
  今回の戦いだって、きっと日本が勝利するさ。 +15
(http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3432.html)
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 世界から日本はこのように思われています。一日でも早く新コロ収束に向かって皆で力を合わせ国難を乗り越えましょう!

2020年04月30日

#301 愛の戦士たち

 ゴールデンウィークが近づき、東京都では「ステイホーム週間」を設けて初の週末を迎えています。先週末と異なりテレビの報道で知る限りは、主な観光地ではほとんど人込みが見られません。感染率を減らすために、この状況が続いてくれることを期待します。また福岡市の天神も自粛率が70%を超えるなど、新コロへの人々の自粛対策意識が高まっています。このことは新コロの感染を防ぐだけでなく、医療関係者の負担を減らすことにもなり、医療崩壊を防ぐことにもつながります。
 さて「愛の戦士」として医療現場の最前線で働いていらっしゃるのが医師、看護師などの医療関係者です。新コロの感染から自分の命や家族を守りつつ、日夜感染者のためにほとんど休みなしに医療現場で戦っていらっしゃいます。本当に頭が下がります。地震や洪水などの自然災害では、ボランティアとして多くの人たちが災害現場で活動できますが、医療現場では専門職の人々しか働けず、一般の人々はただ現場の推移を見守るしかありません。そのような大変な医療従事者に感謝し声援を送るために、世界各国で決まった時間に皆で拍手したり、歌を歌ったりすることが行われています。この行為は医療現場の人たちと共に気持ちを共有したい意識の表れで、お互い愛の気持ちでつながれた行為に他なりません。
 また医療関係者だけでなく、国の安定に寄与している警察、消防、通信、電気などのインフラ産業、生活を維持するために必要なスーパーマーケット、薬局など、この自粛期間にも毎日働かなければならない業種に所属している人々もまさに「愛の戦士」と言えるでしょう。本当に頭が下がります。新コロが落ち着き、平常の状態に社会が戻れば彼らが社会のヒーローであり、救世者となります。
 ところが、このような慈愛に満ちた彼らの活動にも関わらず、彼らに対して様々な風評被害が発生しています。次の記事は読売新聞の社説です。
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『コロナ過剰反応 偏見は社会不安しか生まない』
 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、過剰反応や差別的な行為が相次いでいる。正しい情報に基づいた冷静な行動を心がけたい。
 目立つのが、医療従事者らに対する心ない言動だ。集団感染が発生した東京都台東区の永寿総合病院に勤務する女性は、娘が通う保育園から登園を自粛するよう求められた。女性はPCR検査で陰性だったが、娘の登園を控えざるを得なかった。
 医師や看護師が感染した兵庫県小野市の北播磨総合医療センターでは、人事異動で転居しようとした職員が業者に引っ越し作業を断られた。家族が勤務先から出勤停止と言われたケースもある。
 日本医師会によると、感染者が出た病院がシーツや枕カバーなどのリネン交換を業者から拒まれた事例も出ている。言うまでもなく、医療従事者は過酷な現場で日々、身を削る思いで、懸命に治療にあたっている。こうした過剰反応は、感染症に対する不安が背景にあるにしても、極めて残念である。
 保育園に子供を預けられなければ、その医師や看護師は病院に行けないかもしれない。寝具の交換ができないと、病院内の業務は滞る。偏見から生まれた行為が、現場を疲弊させ、医療崩壊を招くということを考えねばならない。
 学校現場でも、不適切と言うほかない対応が見られる。愛媛県新居浜市の市立小学校は、感染拡大地域を行き来する長距離トラック運転手の子供に自宅待機を求めた。保護者も子供も体調に問題はなかったが、感染のリスクが高いと判断したという。
 外出自粛が広まるなか、トラック運転手は物流を担い、国民の経済活動を支えている。学校関係者はなぜ、そのことに思いを巡らすことができなかったのか。
 学生の集団感染を公表した京都市の京都産業大には抗議などの電話やメールが数百件届いた。なかには「大学に火をつける」と脅迫するような内容まであった。誹謗(ひぼう)中傷が続くと、感染拡大を防ぐため情報を積極的に公開しようとする動きに、ブレーキがかかりかねない。過激な言動は社会不安をあおる結果しか生まない。
 新型ウイルスには誰もが感染しうる。今、求められるのは、最前線で働く人たちに感謝し、自らも感染抑止に努める姿勢だろう。
 茨城県や福岡市の職員は、医療従事者らへ拍手を送る取り組みを始めた。こうした動きが社会に浸透することを期待したい。
(https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20200423-OYT1T50011/)
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 高校生も難しい対応を求められています。今年のインターハイの中止が決定しました。また高校野球も中止という重大な決定をする時期に来ています。今私たちは二者選択を迫られています。行動自粛を続けてできるだけ早く新コロの影響を脱するか、あるいは中途半端な行動自粛のせいで、今後も長期にわたり経済活動まで自粛させるか。あくまでも選択するのは私たち一人ひとりの意識です。頑張りましょう。

2020年04月26日

#300 10万円の行方

 政府は30万円支給で迷走した挙句に国民全員に突如一律10万円支給を決定し、その支給方法を先日公表しましたが、この10万円支給に対して国会議員の間で様々な対応があるようです。本日「東洋経済 ON LINE」で面白い記事を見つけましたので転載します。前回のブログで書いた国会議員の歳費が詳しく書かれています。

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『歳費2割減で露わになった政治家の独善と欺瞞』
ー批判逃れの茶番劇に国民の批判が高まるー

 国民生活がコロナショックで窮迫する中、国会議員の歳費2割削減や一律10万円の受け取り辞退の動きに、各界各層から厳しい目が注がれている。
各党は、国から受け取る歳費を2割削減することで基本合意した。国民全員に一律で配られる10万円についても、受け取り辞退やいったん受け取った後に寄付などをする動きが出ている。
 ただ、こうした国会議員の対応には「国を動かす政治家の独善と欺瞞が際立つばかり」(有識者)との嘆きが広がっている。

<維新と共産は歳費削減に反発>
 多くの国会議員は「自ら身を切ることで、国民に寄り添う」(自民党幹部)と胸を張り、4月30日と見込まれる2020年度補正予算案の成立に合わせて、各党は最終的な対応を打ち出す方針だ。
 ただ、2割削減には「5割削減が当たり前」などの批判が相次ぎ、10万円の扱いについても各党の対応はバラバラ。国民の政治不信を加速させかねない状況だ。
各党の協議が先行したのは議員歳費の削減だった。緊急事態宣言の全国への拡大や全国民への一律10万円給付の決定に先立ち、4月14日の自民、立憲民主国対委員長会談で「2割削減」で合意した。これを受けて自民党は20日の臨時総務会でこの方針を了承。同党が国会議員歳費法改正案を議員立法で提出し、月内にも衆参本会議で成立させる段取りを決めた。
 国会がコロナショック対応に揺れる中、歳費削減で合意した自民党の森山裕、立憲民主党の安住淳の両国対委員長は、「国会も国民の皆さんと気持ちを一緒にするのが非常に大事」(森山氏)、「我々自身が範を示す」(安住氏)と胸を張った。
だが、これに対し、3月に2割削減を求めていた日本維新の会は「風向きが変わって態度が一変した」と反発。政党助成金の受け取りを拒否している共産党は「筋が違う。今は国民の命と健康、生活と営業を支え、全力で補償する方策を仕上げるのが国会議員の仕事」と安易な歳費削減合意を批判した。
 国会議員の給料に当たる議員歳費については、月額129万4000円と規定されている。2割減額なら同103万5200円となり、25万8800円の削減だ。適用は5月分から1年間とされ、年額では議員1人当たり310万5600円の削減となる。
 これだけ見れば表向きは「範を示した」ようにもみえる。しかし、国会議員は歳費のほかに、文書通信交通滞在費などの名目で各種手当を歳費とほぼ同額受け取っており、これに各党(共産党を除く)に交付される政党助成金や都内一等地の議員会館・宿舎の家賃の優遇などを合わせれば、議員1人当たりにかかっている「コスト」は年額1億円超との推計もある。
 このため、厳しく計算すれば「削減の実態はわずか3%程度という微々たるもの」(政界関係者)となる。こうした実情を知る橋下徹元大阪市長は「せめて5割削減と言えないのか。国会議員は結局、自分の財布が大事」などと批判。永田町でも「批判逃れの茶番劇」「国会議員のモラル低下の表れ」などの自嘲めいた声が広がる。

<大臣は10万円の受け取りを辞退>
 一律10万円給付に対する大臣や国会議員の対応も問われている。政府は21日の持ち回り閣議で、大臣と副大臣、政務官を対象に10万円の受け取り辞退を申し合わせた。安倍晋三首相が20日の自民党役員会で、「10万円については、全閣僚が受け取りを辞退する」との判断を示したことを受けたものだ。これに伴い、自民党も所属国会議員の受け取り辞退を決定する方針だ。
 公明党の山口那津男代表は「私自身は受け取らない」と語ったが、党としての受け取りの可否は決めない考えを示すなど、与党内でも対応が分かれている。
野党側では、立憲民主党の安住国対委員長が国会議員の受け取りの可否について慎重に検討する考えを示し、国民民主党は総務会で党所属国会議員が受け取った10万円を寄付などで社会還元する方向となった。維新の松井一郎代表も、党所属国会議員と地方議員が受け取ったうえで、党が全額を徴収し、寄付に回す方針を明らかにした。
 一方で、共産党の小池晃書記局長は会見で「私はもらわない」としつつ、「受け取るか受け取らないかを聞くこと自体をやめたほうがいい。もらわない選択肢もあるし、もらって全部寄付する人もいる。それぞれが判断すればいい」と党としての方針は決めない考えを示した。
 各党の対応はバラバラとなるが、その背景には、各政党やそれぞれの所属国会議員1人ひとりの台所事情の違いがある。「国会議員だから、として画一的に対応するのはおかしい」との指摘もあるが、「多額の税金で待遇が保証されている国会議員は、10万円どころかさらに身銭を切るのが当たり前」という庶民感覚とのズレは隠せない。
 国会には、自民党の河井克行前法相と河井案里参院議員夫妻のように公選法違反疑惑で雲隠れを続ける議員や、緊急事態宣言下で「セクシーキャバクラ」通いが発覚し、立憲民主党を除籍処分となった高井崇志衆院議員など、「かなりの数の不良議員」(政界関係者)が存在する。

<消える「井戸塀政治家」>
 これらの議員は、政治家としての活動は「ほとんどしていない」(同)とみられるだけに、インターネット上でも「こんな議員の歳費や手当に血税が使われるのは許せない」との声があふれる。
 多くのメディアは、政治家による歳費2割削減や10万円の受け取り辞退などについて、分析や解説記事をあまり伝えていない。大手紙幹部は「コロナ報道に埋没し、議員の格好つけにすぎないので、優先順位が低かった」と釈明する。
 しかし、コロナ対策の成否は「首相や閣僚だけでなく、個々の国会議員の政治判断にもかかっている」(自民長老)のは事実だ。それだけに、「国会議員の自覚不足が、コロナ対応での国民の不信感を広げている」(同)ことは否定できない。
国会議員はかつて「選良」と呼ばれていた。また、一昔前には「井戸塀政治家」という政界用語もあった。前者は「選ばれたすぐれた人物。特に、国会議員をさす」(三省堂大辞林)とされ、後者は「国事に奔走して家財を失い、残るは井戸と塀ばかり」という、清貧を旨とする政治家像を指す言葉だった。
 しかし、「いまや政界では、選良や井戸塀、清貧というような言葉は死語となった」(有力政治学者)のが実態だ。安倍首相はコロナ禍を「第3次世界大戦」と表現したとされるが、今回の議員歳費や10万円給付をめぐる対応をみる限り、「国民や前線兵士を放置して、大本営発表を続けた帝国日本の軍部の姿が二重写しになる」(同)と指摘されても仕方がない。
(https://toyokeizai.net/articles/-/346210?page=3)
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 確かに幕末、明治、大正時代には多くの傑出した偉大な大政治家が国家社会のために身を捧げたものです。現代の政治家にとって「井戸塀」に相当する政治家が何人いるでしょうか。国家危急存亡の時に果たして何人の政治家が立ち上がってこの国を導くことができるでしょうか。挙党一致することなく、与党も野党も口先ばかりの論戦をおこなっています。心中は誰も自分の歳費を減らしたくないのです。政治家を見れば国の将来が分かります。非常に嘆かわしいことです。

2020年04月23日

#299 人の真価が問われる時

 全国に緊急事態宣言が出されて初めての週末を迎えましたが、東京や大阪などの大都市では外出の自粛率が70%を超えているようです。政府が呼びかけた「最低でも7割」を達成しており、このまま新コロのピークが収まるまで続いてほしいと思います。
それでも地方都市では少しずつ感染者が増加しており、ここ大牟田でもついに感染者が出ました。40代の女性だそうです。加えて無症状の感染者はどの町でも少なからず存在すると思われ、手洗いやうがいなど日頃の生活が感染を防ぐのに大切になります。
 日本人は海外から礼節ある国民と評価されていますが、国内の視点(少なくとも私の視点)で見ると、政府の要請に従わない愚輩も少なからずいます。数日前のニュースでは東京でパチンコができない輩が栃木県まで遠征する旨の報道がされましたが、残念ながら、ここ大牟田でも隣の県境の荒尾市までパチンコをしに行っている記事が西日本新聞に載っていました。このような政府の要請を無視してまで、自分の欲に埋没する人たちは、いったい何を考えているのでしょうか。
 このような自覚のない行為が感染を増やすことにつながります。国の存亡にかかわる緊急事態の期間中は不急不要な外出はできるだけ控えてもらいたいものです。
 またこのことは政府や国会議員の言動にも表れています。平時体制であれば国会の審議に時間をかけることは有り得ますが、今は緊急事態です。言いかえれば新コロとの戦争状態です。国の対応が1日遅れれば、それだけいっそう感染が拡大し、被害が大きくなります。
 特に国家の方向を決める国会議員と庶民の意識の間にはかなりの乖離があるように思えます。例えば事業者に対して国は営業自粛を要請していますが、国会議員は現在それに応じて歳費の2割を削減すべく現在審議が行われています。昨夜の報道番組「ニュースキャスタ」によりますと国会議員の年収は次のようになっています。

歳費   約1240万円
期末手当 約640万円
文書通信・交通滞在費 約1200万円
立法事務費 約780万円
年収 約4170万円 2割削減すると約3860万円

 2割削減しても約40000万円が収入として手に入ります。呆れてものが言えません。民間企業であれば事業自粛中はある程度給料保証がありますが、それでも月給の半分程度でしょう。自営業にいたっては営業しなければ収入が入ってきません。最悪の場合、店を廃業することになります。
 少しでも世の中の現状が理解できる国会議員であれば、「自分たちの年収を3割にしてもいいので、削減した分を医療関係者や生活困窮者の足しにして頂きたい。」と言えるのではないでしょうか。ちなみに衆議院・参議院併せて713人です。年収7割削減でおよそ1人当たり3000万円となり、議員713人の削減額が約21億3900万円となります。このような英断をする国会議員はいないのでしょうか。(それ以外に所属の政党から支援金がでますので、実質的にはもっと年収が増えます。)
 国家存亡の時に、まず国会議員が身を正し、国民に評価されるような言動を自ら行うべきです。そうしないと政府や国会議員に対して国民は信頼しません。
 今回のウィルス騒動で明らかになったのは、平時体制では日本社会はうまく機能しますが、一旦緊急事態(戦時体制)になると、現憲法や法律の制限により、政府の強権発動ができないということです。このことは戦後ずっと議論されてきましたが、幸いにも紛争や戦争に巻き込まれることなく70余年を過ごしてきて、その間一度も国家非常事態の対処方法を考えてこなかったことにあります。これは与野党問わず国家を運営する者の怠慢でもあります。
 確かに大地震や台風などの自然災害においては死傷者が多数出ますので迅速な災害対応を国家はしてきました。今回の新コロによる疫災を通して、再度「国防とはなにか、社会を守るとはどのようなことか」を、考える時期が来たと思います。その意味で今は「人の真価がわかる時」「国の非常事態を考えるとき」だと思います。

2020年04月19日

#298 自然との共存へ

 当塾へのアクセス数がいつの間にか1万回を超えてしまいました。ホームページを開設して5年が経ちますが、1日10回程度アクセスがあります。HPを訪問して下さった皆様に御礼申し上げます。
 さて昨日政府は全国の都道府県に緊急事態宣言を出しました。遅きに失している感がありますが、それでも全国民が同じ意識で新コロに立ち向かうことが大事です。もし3週間で新コロの疫災の収束に向かう兆しが見られれば、日本人の団結力が優れている証左にもなります。世界中が日本の対策に注目しています。日本人の底力を示しましょう。
 さて今回の新コロだけでなく、従来から科学者の間で危惧されてきたことがあります。それは新コロのような新感染症に効く薬はなく、一度感染症が勃発すると、交通機関の発達のおかげで世界中が瞬時にパンデミックになりえる、ということです。その理由の1つは人類が科学技術の発達により、今まで踏み込まなかった原野に踏み込み、そこを開発した結果、寝ていた未知のウィルスを起こしてしまうことです。
 また地球温暖化によりシベリアの永久凍土が解けて、その中に封じ込められていた未知のウィルスが働き始めることも以前から指摘されてきました。新コロのパンデミックを体験している今、人類全体が経済活動を含めて今までの生き方をもう一度考え直す時期に来ているのではないでしょうか。自然と共存していかなければ、人類の生存はありません。
 ここで興味ある記事を紹介します。霊長学者で著名なジェーン・グドール氏の記事です。
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コロナパンデミックの原因は「動物の軽視」 霊長類学者グドール氏
【AFP=時事】世界的に有名な英出身の霊長類学者、ジェーン・グドール(Jane Goodall)博士(86)は、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)は、人類が自然を無視し、動物を軽視したことに原因があると指摘している。
 アフリカで先駆的な研究に取り組み、チンパンジーの本質を明らかにしたことで知られるグドール氏は、ナショナルジオグラフィック(National Geographic)の新ドキュメンタリー番組「ジェーンのきぼう(Jane Goodall: The Hope)」公開に先駆けて行われた電話会見で、今後の災難を防ぐために過去の失敗から学ぶよう世界に訴え、誰もが変化を起こすことができると語った。

■今のパンデミックについてどう考えますか?
グドール氏:われわれが自然を無視し、地球を共有すべき動物たちを軽視した結果、パンデミックが発生した。これは何年も前から予想されてきたことだ。
 例えば、われわれが森を破壊すると、森にいるさまざまな種の動物が近接して生きていかざるを得なくなり、その結果、病気が動物から動物へと伝染する。そして、病気をうつされた動物が人間と密接に接触するようになり、人間に伝染する可能性が高まる。
 動物たちは、食用として狩られ、アフリカの市場やアジア地域、特に中国にある野生動物の食肉市場で売られる。また、世界中にある集約農場には数十億匹の動物たちが容赦なく詰め込まれている。こうした環境で、ウイルスが種の壁を越えて動物から人間に伝染する機会が生まれるのだ。

■このような動物市場に対し、私たちはどんなことができますか?
 中国が生きた野生動物の市場を閉鎖したのは非常に良いことだ。一時的な禁止措置だが、われわれはこれが恒久的な措置になり、他のアジア諸国も後に続いてくれたらと願っている。
 しかしアフリカではブッシュミート(食用の野生動物の肉)の販売に多くの人の生活が懸かっているため、これを禁止するのは非常に難しいだろう。
 自分自身や家族を養うためのお金を全く持っていない人々に対して(食用野生動物販売の)禁止をどう行うべきかは、かなり慎重に検討する必要がある。ただ少なくとも今回のパンデミックはわれわれに、新たな流行を防ぐにはどんなことをすべきか教えてくれたはずだ。

■私たちは何に希望を持てば良いですか?
 私たちは自然界の一部であり、自然界に依存しており、それを破壊することは子どもたちから未来を奪うことに他ならないということに気付かねばならない。
 世界中で行われている前例のないロックダウン(都市封鎖)という対応によって、より多くの人が目を覚まし、ひいては、どうすれば自分たちの生き方を変えられるのかということを考えるようになればと思う。
 日々の小さな選択をする時にその選択がもたらす結果を考えるようにすれば、誰でも、毎日、影響を与えることができる。何を食べるか、その食べ物はどこから来たのか、その食べ物は動物を虐待して得られたものか、集約農業によって作られたものか(大抵の場合そうだが)、子どもの奴隷労働で作られたから安いのか、生産過程において環境に悪影響を及ぼしたか、どこから何マイル移動してきたのか、車ではなく徒歩で移動できないか。
 それから、貧しいとこういった倫理的な選択ができないため、どうすれば貧困を和らげられるのかも考えてほしい。貧しい人たちは生き延びるために、自分たちにできることをせざるを得ない。どれを買おうかと考える余裕はなく、最も安いものを買うだけだ。食べ物をもっと栽培できる土地を必死に探し、最後の木を切り倒してしまうのだ。
私たちが生活の中でできることは、一人一人少しずつ異なるが、私たち皆が変化を起こすことができる。誰もがだ。
(https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/コロナパンデミックの原因は「動物の軽視」-霊長類学者グドール氏/ar-BB12vhoi)
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 私は英語の問題集からたまたまグドール氏のことを知りました。彼女の活動を説明した英文が過去の進研模試に登場したのです。彼女が警告しているように、現代人は自然と共存するよりも拝金主義者と化しており、経済第一主義を唱道しています。言い換えれば他の生命体を犠牲にし、自然を軽視した生き方を選んできたのです。
 日本では明治以前の時代は人々は自然とともに歩いてきました。特に江戸時代は完璧なエコ・リサイクル社会として知られています。江戸時代は廃物という考えはなく、残飯や糞尿は肥料として畑で使用されました。エコロジー(生態学)としては最先端を歩いていたわけです。
 今度の新コロ厄災を契機として、人類が生き方を改めないと、第2、第3の新型ウィルスが発生し、人類の生存を許さないでしょう。そこに地球の意志があるような気がします。あまりにも自然を破壊し、他の生命体の存続を脅かす人類は生命の母なる地球にとって邪魔者でしかありません。

2020年04月17日

#297 触らぬ神に祟り無し

 今日は朝から雨が本降りです。天気予報では夜に雷雨と言っていますが、明日にかけて西日本から東日本まで大荒れの天気が予想されます。大雨で新コロを洗い流してもらいたいものです。
 さて福岡県知事が緊急事態宣言を行って1週間近く経ちました。大牟田市は現在感染者は出ていませんが、今日も久留米では7名の感染者が出ています。筑後市や柳川市も感染が確認されていますので、その南に位置する大牟田市も早晩感染者が出てくることを懸念します。
 ところで昨日食料品の買い物に出かけましたが、イオンでは食料品コーナーのみ営業しており、その他の専門店街はすべて閉鎖されていました。もちろん映画館も閉鎖されており、専門店街にある書店も当然営業自粛になっていました。
 一方で、ゆめタウンはほとんどの店が営業しており、新コロの影響は全く受けていないような雰囲気でした。しかし週明けに小川県知事が再度営業自粛を呼びかけるということで、ゆめタウンも今後営業自粛になるかもしれません。
 安部総理大臣は国民に対して自粛要請を度々呼びかけていますが、国難ともいえる疫災を収束させるには私たち一人ひとりの行動にかかっています。言いかえれば不急不要以外には遊びに出歩かないことです。実際、遊びに行こうと思っても福岡市の天神や博多駅周辺の商業施設は営業自粛のために、ほとんど休業となっており、出かける意味がありません。
 コンビニやスーパーは営業していますが、遊び場所ではありません。このような状況下では大人しく家で読書したり、趣味に時間を使ったりすることが最善です。新コロがウヨウヨしている街中に出かけるよりも安全な家の中で過ごすのが一番です。「触らぬ神に祟り無し」と言いますが、まさに至言です。
 仕事の種類により、街中に出かけなければならない人以外は、テレワークを利用したりして人込みを避けることが必要です。私たち一人ひとりが様々な工夫をして新コロの影響を早く脱しましょう。東日本大震災も国民の努力によって克服しました。世界中の人たちが日本の新コロ対策に注視しています。強制的に都市封鎖をしなくても済むように、私たちの努力で新コロに打ち勝ちましょう。

2020年04月12日

#296 春の小川

春の小川は、さらさら行くよ
岸のすみれや、れんげの花に
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら
(文部省唱歌)

 大牟田市内の小学校・中学校、県立高等学校は小川県知事の緊急事態宣言を受けて5月6日まで休校となりました。私が非常勤講師をしている明光学園も昨日新コロの影響を避けるために放送により入学式をおこない、その後5月6日まで休校になりました。緊急事態宣言がどれほどの効果があるか分かりませんが、少しでも感染者数が減少に向かえば幸いでしょう。また毎週木曜日に行われている学習支援ボランティアもしばらくの間中止となり、今日は一日中休みになってしまいました。
 そこで午後、買い物のついでに運動がてら1時間ほど自転車で近くの諏訪川沿いに三宮古墳まで足を延ばしました。この古墳は大牟田・荒尾地区にある古墳群の1つで、ネットに次のような説明があります。
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三の宮古墳(さんのみやこふん)
荒尾唯一の前方後円墳
主軸をほぼ東西にとる全長60m。
後円墳は直径23m、高さ6m、南東斜面は彩土により削り取られているが、比較的原形を保っている。
前方部は長さ37m、高さ2.3m、幅14m、後円墳と接する部分はせまくくびれており、神社建立の際、一部分が削り取られたが、全体の形は帆立貝型をする未開口の古墳である。古墳の北側にかすかな周皇(みぞ)の跡がある。
後円部に河原石の葺石や円筒埴輪の破片が発見されたが全貌は明らかでない。
(http://yumeko2.otemo-yan.net/e349227.html)
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 古墳がある三宮神社内に案内板がありますが、それを読まないと神社内に古墳があることに気づきません。それほど古い神社です。小学校時代にはここまで鍛錬遠足で何度か来たことがあります。徒歩では1時間半ほどかかります。神社の案内板によりますと、この古墳は5世紀ごろ造られたそうです。この近くには萩ノ尾古墳、潜塚(くぐりづか)古墳、四つ山古墳、そして当塾の近くの大牟田市動物園の上方の貯水塔の下にあります宅ヶ峰古墳などがあります。
 神社を出ると正面に諏訪川の上流が流れており、冒頭に書きました「春の小川」のようにさらさらと瀬音が聞こえ、岸辺には菜の花やれんげが咲き乱れていました。新コロの影響が無ければ子どもたちが水辺で遊んでいる姿を目にすることができるはずです。春は爛漫の姿を見せています。

2020年04月09日

#295 桜満開の日に、海達公子のこと

 新コロの影響で人々の行動自粛が要請されていますが、桜は今年も咲いています。今が満開です。残念ながらクラスター発生を防止するために、桜下での花見や宴会が自粛されています。桜は来年も咲きますが、自分の命は自分で守るしかありません。
 さて、今日は所用で午前中県境のスーパーマーケットまで行ってきました。当塾から自転車で15分のところにあります。そこに行く途中で四ツ山公園に立ち寄りました。この公園は福岡県と熊本県の県境にある4つの小さな山(四つ山)から成り立つ公園です。ここには年に1,2度しか来ませんが、春の桜で有名です。公園の展望台からは有明海やラムサール条約に登録されている荒尾干潟が一望できます。また天気が良ければ遠い天草の島々も見ることができます。また島原湾で唯一の灯台(四ツ山灯台)が公園内にあります。
 また、この公園には四つ山神社と四つ山古墳があります。この古墳は6世紀に造られたと言われていますので、今から1500年ほど前に造られたことになります。この場所には古墳群があったと言われており、おそらく当時の豪族がこの一帯を支配していたのでしょう。四つ山神社の境内からははるか遠く島原の街並みや雲仙普賢岳の姿が一望できます。
 この四つ山神社に登るには車道を通るコースと南側の階段を上るコースがあります。いつも階段を上って神社に参拝するのですが、今日は階段の途中に案内板があるのに気づきました。「海達公子(かいたつ きみこ)の文学散歩道」と書いてあります。はて、そんな文学者がいたかな、と思い、わき道に逸れて小道を進んでみました。小道の左右に詩を刻んだ石碑がいくつも建っており、海達公子の顕彰碑となっています。
 当塾に戻り、ネットでこの詩人のことを調べてみると、次のような記事が見つかりました。(http://yumeko2.otemo-yan.net/e348116.html)
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海達公子(かいたつきみこ)
生誕 1916年8月23日
死没 1933年3月26日

幼少のころより父の影響を受け、雑誌「赤い鳥」などに児童自由詩を発表。北原白秋らの絶賛を浴び、それ以後、詩人として全国に知られるようになる。

 1916年(大正5)8月23日長野県飯田市に生まれ、父・松一の仕事の関係で荒尾市で育ちました。貴文(松一のペンネーム)は公子が荒尾北尋常小学校(現・荒尾第二小学校)に入るや、公子に童謡・自由詩を作らせるため、野や海岸に連れ出し、自然観察わ心がけさせ、家庭では「赤い鳥 (注1」などの児童雑誌や読本などの読み聞かせを行います。
 小学1年生のときから毎日「日記」を書くことを強いますが、公子は好奇心に富み、それが苦になりませんでした。公子は1年生の後半から作品を次々と「赤い鳥」等に投稿し、2年生にして北原白秋折り紙つきの少女詩人として一躍有名となり全国に知られるようになりました。
 1929年(昭和4)ら高瀬高等女学校(現・玉名高校)へ進学、2年のころから若山牧水の妻、喜志子に短歌を習い、短歌の創作をはじめます。1933年(昭和8)3月16日女学校卒業式後に虫垂炎で倒れ、腹膜炎を併発、3月26日 16歳の若さで亡くなりました。
5000編の詩と300首の短歌を遺しました。


【お日さん】
お山の上が
光り出した
お日さんの
上る道
あすこ
あすこ

【すすき】
さら さら すすき
お山のすすき
おててのばして
なにさがす
あおいお空に
なにさがす

【ひし】
とがった
ひしのみ
うらで
もずが
ないた

【てふてふ】
てふてふが
ひらひらとんできた
もちっと向ふへ
とんでいけ
あまちゃの花が
さいている

【夕方】
なたねが
きいない
向ふの方に
人のせた馬が
ぼつぼつ通る

【ばら】
まつかい
まつかい
ばらの花
目にはいつて
るるうちに
目つぶつて
母ちやんに
見せにいこ
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 北原白秋は有名な詩人ですが、海達公子のことを今日初めて知り、今更ながら自分の知識の無さを恥ずかしく思いました。大牟田・荒尾近郊には幕末から明治、大正にかけて活躍した多くの人達がいます。その人達をいつか紹介したいと思います。

2020年04月05日

#294 変なおじさん逝く

 今日は3月31日で、年度末です。明日から新年度になりますが、新コロの影響で明るいニュースがありません。各大学での入学式の中止や小中高の春休みの延長が検討されています。
 さて、昨日志村けんさんが新コロの犠牲になりましたが、国内外に大きな悲しみが広がっています。中国や台湾、韓国でも速報を流したそうです。説明するまでもなく、彼はドリフターズの一員で、様々なコントを国中に提供し、笑いをもたらしました。またドリフターズ解散後も多くの世代に笑いを与えてきたことでも知られています。
 しかし意外と知られていないのが彼の素顔です。彼の性格は舞台で見せる「バカ殿」のようなふざけた性格でなく、物静かな優しい人物であったと言われています。笑いのための役作りのために、徹底し計算された笑いを追求し、舞台やテレビではひたすら「バカ」になりきったそうです。昨晩のNHKの緊急特番「志村けんのファミリー・ヒストリー」を見ましたが、その顔はコメディアンの顔ではなく、素顔に近い真面目でシャイな顔だったことを感じました。稀代のコメディアンとして彼ほど徹底的に独特な笑いを追求した芸人はもう出てこないのではないかと思います。
 昨日からマスコミも彼の訃報を長時間にわたって報道しています。今日「文春オンライン」に次の記事が出ていましたので引用します。
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【追悼】志村けん 取材記者だけが知る“素顔”
         「努力を外に見せない、シャイで繊細な人でした」
 新型コロナウイルスによる重度の肺炎を患い入院中だった志村けんさんが、3月29日に逝去したことが分かった。70歳だった。
 これまで、自身についてあまり多くを語ってこなかった志村さんだが、芸能界40周年となる節目で、「週刊文春」2012年10月11日号のロングインタビューに応じていた。そのインタビューを担当したジャーナリスト・中村竜太郎氏が、取材時に垣間見えた志村さんの“意外な一面”や、誌面に載せられなかったエピソードを語る。

<とても人見知りで、最初はそっけないふうだった>
 志村さんのインタビューは、乃木坂にあるイザワオフィス(志村さん所属の芸能事務所)で行いました。私は1964年生まれで、まさにドリフとともに育ってきた世代なんです。『ドリフ大爆笑』も『志村けんのバカ殿様』もずっと見ていました。ただ、それまでの記者人生の中で志村さんに直接お会いしたことはなかったので、気持ちとしては一人のファンとして、「どんな方なのかな」「やっぱりひょうきんで、軽やかな感じの方なのかな」と思って、取材に向かったんです。
 そして、いざ事務所の応接室でテーブルを囲んでお会いしたら、とても人見知りの方で。非常にシャイで繊細な人なんだな、というのが強く印象に残っています。インタビューでは、限られた時間の中で用意した質問を一つずつ聞いていくんですけど、最初はなんだかそっけないふうでした。
「いつもどうやってギャグを考えているんですか?」と聞いたら、「うーん……。まぁ、どれもたまたまですよ」みたいな。そこで変な間が空いてしまうので、次はより具体的に「では、東村山音頭はどうやってできたんですか?」と聞いたり、少し質問を噛み砕いたり……そうすることで徐々に場の空気がほぐれていった、という感じでした。

<普段の志村さんは「静」の人>
 私たちが思う“志村さん像”には、爆発的なギャグを繰り出したり、舞台上で突然暴れだしたり、やっぱりそうしたイメージがありますよね。でも、それが「動」だとしたら、普段の志村さんは「静」なんです。特にインタビューの序盤は言葉が重たいといいますか、あぁ、実はとても慎重な方なんだな、という印象を受けました。
 私が知る中では、北野武さんの雰囲気にちょっと似ているかもしれません。武さんとは『ビートたけしのTVタックル』で共演したことがありまして、直接お話ししたこともあるんですが、武さんも素顔は人見知りで知られます。でも、ひょっとしたら武さんよりも志村さんの方が、言葉が少ない、寡黙な方かもしれないです。テレビで見ている印象とは全く違いましたね。

<「笑ってるとさ、また頑張ろうって思えるじゃない」>
 特に記憶に残っているのは、志村さんに「お笑いとは何ですか?」とお聞きしたときのやりとりです。その質問に対して志村さんは、「お笑いって、よくわかんないけど元気とパワーをもらえるよね」と仰って。「笑ってるとさ、また頑張ろうって思えるじゃない」と。それは本当に良い言葉だなと思いましたね。
 お話を伺っていると、志村さんは一つ一つのコントをとにかく作り込んでいるんだな、と感じました。こうすると面白いんじゃないか、いや、こっちの方がいいんじゃないかと、何度も試行錯誤しながら作っていく。でも、そうした努力は外に見せない方なんだと思います。
 私もインタビューでは、「あのときはどうだったんですか?」「あの伝説のギャグはどうやって生まれたんですか?」と聞くわけです。でも、やっぱり自分がやっているお笑いを解説するというのは、どこか気恥ずかしいことだと思うんですよね。志村さんが自分の話をされるときに、終始照れ笑いのような、はにかんだ表情をされていたのも、そうした気持ちがあったからじゃないかな、と感じます。

<“厳格な父親”のもとでお笑いを目指した日>
 ただ、それでも「自分は喜劇人なんだ」「コメディアンなんだ」という自負は、すごく伝わってきました。そもそもお笑いの道に進んだきっかけは、子供時代の経験にあるそうなんです。
 志村さんのお父さんはもともと軍人で、戦争が終わってからは小学校の先生をやっていて、教頭にまでなった。そうした職業柄か、とにかく厳格な父親だったそうで。いわゆる、“日本のお父さん”が強い時代の家庭で、ときに堅苦しいような、窮屈なような、そうした家だったんだと仰っていました。
 でも、そんなお父さんも、テレビにエノケン(榎本健一)さんが出てきてお笑いをやると、「ふふっ」と笑いをこらえるようなところがあったみたいです。志村さんは子供時代にそんな姿を見ていて、「こんなに厳しいお父さんが笑うこともあるんだ……。お笑いって、なんかいいな」と思ったそうです。それがお笑いを目指した原点なんだと教えてくれました。

<4年前に肺炎を患ってからは健康面にも気を遣っていた>
 実は最近も、志村さんのことはよくお見かけしていたんです。私の事務所は麻布十番にあるんですが、十番にはよく志村さんがいらっしゃって。地下鉄の麻布十番駅から上がっていくと、地上出口の前にちょっとした広場のようなところがありますよね。そこで待ち合わせをして、「志村けんファミリー」の方と飲みに行っている姿を、よく目にしました。
 2016年に肺炎を患って2週間ほど入院された後は、それまで多いときは1日60本くらい吸っていたタバコをやめたり、お酒も少し控えるようにしていたそうなんです。今年の1月には胃のポリープ切除の手術もしていて、健康面にも気を遣っていたと聞いていたのですが……。
 突然の訃報は本当に残念で、ショックです。言葉も見つからないほど悲しいです。一人のファンとして、あのとき取材させていただいた記者として、心からご冥福をお祈り致します。
(https://bunshun.jp/articles/-/36958)
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 京都産業大学では10数名もの大学生が感染し、クラスターが発生しています。若者が新コロに感染しても病状が軽いという認識は改めなければなりません。現実に10代の人々も亡くなっています。新コロは対岸の火事ではないのです。
 志村けんさんが私たちに教えてくれています。新コロは自分自身で健康管理をして、自分が感染源にならないように、不急の用事以外はできるだけ出歩かないことです。また夜の繁華街の出入りも自粛することです。私たち一人ひとりが彼の死を受け入れ、国民一人ひとりがこの国難に対応しなければならない土壇場にいることを自覚しなければなりません。志村けんさんに衷心より哀悼の念を捧げます。

2020年03月31日

#293 新コロの特効薬はBCG?

 今朝当塾へ来る際に近くの中学校の横を通ってきましたが、桜が7分咲きで、あと数日で満開になりそうです。ただし、福岡県でも新コロの感染者が増加し、昨晩は小川福岡県知事の自粛要請が夜遅くありましたので、ここ大牟田でも今年の桜の花見は中止になりそうです。
 さて、日本におえる新コロ感染が毎日増加しています。政府の緊急事態宣言までぎりぎりのところまで来ています。感染爆発まで秒読みの段階で、都市封鎖の現状はパリやロンドンの街頭中継が物語ってます。ほとんど人影が見えず、街が静まりかえっています。東京でもそんな風景がみられるのでしょうか。
 ところで日本人なら誰でも知っているBCG接種ですが、このBCGがにわかに脚光を浴びてきました。新コロの予防策の1つになるという情報があるそうです。実際オーストラリアでは次のような報道がなされています。
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【シドニー時事】オーストラリア南部メルボルンにある小児医療研究所「マードック・チルドレンズ・リサーチ・インスティチュート」は27日、新型コロナウイルスに効果があるかどうかを調べるため、結核予防に使われるBCGワクチンの臨床試験を開始すると発表した。
 BCGは全世界で毎年1億3000万人の子供に接種されている。発表によると、これまでの研究ではBCGを使うことで、新型コロナに似たウイルスに感染した人のウイルス数が減ったという。BCGは人間の基本的な免疫機能を強化する作用があるとされる。
(https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032700946&g=int)
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 上記のニュースには追加情報があり、BCG接種を現在実施していない国(イタリア、フランス、スペイン、アメリカなど)は新コロ感染者数が多く、BCG接種を行っている国(日本など)は比較的感染者が少ないという記録があります。ただしBCG株にはいくつかの種類があり、日本が採用しているワクチン株を使用しているイラク(感染者数506人)では隣国のイラン(感染者数35,408人)ほど感染者数が出ていません。あくまでも人口比等を考慮すべきですが、数字を見る限りでは確かにBCGの効果が出ているようです。
 ただし、BCGはあくまでも新コロに対する1つの指標となるもので、BCGが新コロを防ぐ唯一の手段とは言えないと思います。政府は新型インフルに効く「アビガン」を新コロにも有効かどうかの治験を開始するそうです。新コロに効く特効薬の開発に少なくとも1年はかかると言われていますので、その間に有効な策としてBCGの効き目が認められれば、日本人の感染者の数が少ない証左の一つになりそうです。朗報に期待したいとおもいます。

2020年03月29日

#292 泣き面にバッタ(蜂)!?

 世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルスですが、厄災の中心がヨーロッパからアメリカへと移動し始めており、アメリカでは感染者が8万人を超えてしまいました。特にニューヨーク州はそのうちの半数を占めるそうです。一方では新型コロナに勝利を宣言した中国は感染が始まったのは武漢でありながら、感染源はアメリカであり自国でないと高らかに宣言しています。いわゆる情報戦を展開している始末です。
 しかし中国に別の大きな脅威が迫っていることを中国政府は知っているのでしょうか。私が数日前にこの情報を見た時にフェイクニュースではないかと疑いましたが、複数のメディアがネットで話題にしていますので、まんざら嘘でもないようです。もちろん日本のマスコミはまだ報道していません。Newsweekの日本語ネット版から引用します。

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『新型肺炎で泣き面の中国を今度はバッタが襲う』
<新型コロナウイルス制圧を宣言した中国だが、間もなく到来するバッタの大群「蝗害(こうがい)」への備えはあるのか>
 武漢発の新型肺炎を基本的に制圧した、と宣言した中国に新しい脅威が襲い掛かろうとしている。バッタの襲来だ。
 中国の古い文献では「蝗害(こうがい)」と呼び、「黄害」すなわち黄河の氾濫による被害と同じくらいの脅威だ、と歴史的に認識されてきた。黄河の氾濫は歴代王朝の交代を促したから、蝗害も無視できない。中国は今やまさに「泣き面にバッタ」という局面に立たされている。
 今回大量発生したサバクトビバッタはコロナウイルスとほぼ同時に増え始め、最初はアフリカ東部のケニアやエチオピアとその周辺で群れを成した。その総数は3600億~4000億匹と推算されているが、人間の知力で数えること自体が不可能に近い。
 彼らは40×60キロの広さで覆うような陣形をつくり、ゆっくりではあるが、いかなる力にも阻止されない勢いで東方へと突き進んだ。「出アフリカ」を果たし、2月にはパキスタンとインド北西部に到達。マケドニアを出発してインダス河流域に到達したアレクサンダー大王に負けないくらいの恐怖をもたらした。パキスタン政府は軍用機で農薬を散布するなどして対応に出たが、一敗地にまみれた。
 パキスタンとインドを「征服」したバッタの大群は目下、天山山脈に沿って東進し続け、シルクロードを「バッタロード」に塗り替えつつ、間もなく中国国境を侵犯する勢いを見せている。新型ウイルスを相手に「人民の『戦疫』」に勝利した習近平(シー・チンピン)政権は、次の「バッタ戦役」に備えることができるか否かが問われそうだ。
 実は筆者は1992年の晩春から初夏にかけて、パミール高原の東部・中国新疆ウイグル自治区の北西部で「蝗害」を体験している。日本のトヨタ・ランドクルーザーに乗って草原を走っていたとき、車外からまるで砂利道を疾駆しているような音が耳に入ってくる。それは砂利ではなく、バッタをひいた音だ。それが一日中、延々と続くので、好奇心はやがて恐怖に変わってくる。
 バッタは最初に新芽を出したばかりの草原を占拠し、居座る。若草を食い尽くされた家畜は痩せ細って死に、遊牧民のモンゴル人やカザフ人は途方に暮れていた。やがて作物が成長するにつれて、バッタは草原部から畑や水田地域に移っていく。すると、今度はオアシスの農耕民が被害を受ける。当の中国政府は「蝗害」を天災と見なし、何一つ有効な策を講じていなかった。いや、そもそも古代から有効策は発見されていなかったのだが。
 モンゴル草原生まれの筆者は子供の頃から、「中華民国18年(1929年)のバッタ襲来」の話を長老たちに聞かされていた。蝗害の後、モンゴル高原と接する中国北部は大飢饉に襲われ、死者数は1000万人に上った、と推定されている。大飢饉であふれ出した中国人難民はそのままモンゴル草原に進入して定住し、先住民であるモンゴル人の人口を凌駕するようになった。「バッタの襲来が中国人難民を生み、モンゴルの亡国をもたらした」と、遊牧民は理解している。
 蝗害を食い止める唯一の方法――それは、バッタを食べてしまうことかもしれない。農作物と牧草で丸々と太り、タンパク質の塊のようなバッタは栄養価が高い。まるで彼らに復讐するかのように、中国人は古くから好んで食べてきた。
 しかし武漢発の新型肺炎が猛威を振るうようになってから、中国は野生動物の食用をやめるよう呼び掛けている。今回のサバクトビバッタは毒を持っているともいわれる。4000億匹の大量のバッタを食べ切れるのは14億人の中国人だけだが......。
(https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2020/03/post-53_1.php)
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 アフリカでは数年おきに大量のバッタが発生し、農作地を荒らし回る姿がニュースなどで報道されますが、このバッタがはるばる中国まで侵入していくとは恐るべきです。過去において数回発生しているのは事実ですので、今回も大きな被害を及ぼすことになりそうです。このバッタ群が東シナ海や朝鮮半島を通って日本まで来ることは有り得そうもないですが、しばらくは注視すべきニュースです。特に中国だけでなく、バッタの被害を受けや国々の食料自給に関して大きな被害をもたらすと危惧されます。まさに「泣き面に蜂」ならぬ「泣き面にバッタ」です。
 ところで、東京都ならびに関東各県は今週末に外出自粛をを要請していますが、はたして1400万人の都民にそれができるでしょうか。極論を言えば鉄道やバスなどの交通機関を運休し、デパートなどの店舗を閉鎖すれば可能でしょうが、それができない状況では実質上不可能でしょう。とはいえ、東京都がオーバーシュート(感染爆発)すれば、東京のみならず日本国内全体の政治や経済に大きな影響をあたえることになります。東京都民の善意に期待して見守りたいと思います。

2020年03月27日

#291 桜が一斉に咲く理由

 今日は朝から曇っていますが、春らしい暖かな気温となっています。今朝当塾に来る途中で桜の木を見ましたが、2,3輪の花が咲いているだけで、この辺りは開花宣言が出せない状況です。来週にはもう少し春めいた天気が続き、桜花は七分咲きになっているでしょう。
 さて、新型コロナウイルスの話がしばらく続きましたので、本日は桜に関する話題見つけました。よく特集番組で扱われる「桜はなぜ一斉に咲くか」です。東洋経済オンラインに本日次の記事が掲載されましたので、それを転用します。

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桜の花が一斉に咲き始める"意外すぎる"理由 知れば知るほど面白い「メカニズム」
 間もなく花見の季節。新型コロナウイルスによるパンデミックもあり、人々の交流がさまざまな場面で制限されているが、外出時、道端の桜の木にふと目をやると、花芽がだいぶ大きく膨らんでいる。私たち日本人にとって大切な季節、春がいよいよやって来たのだ。
『雑学科学読本 身のまわりのすごい「しくみ」大百科』を著したサイエンスライターの涌井良幸・貞美両氏に、日本の代表的な春の風物詩である桜の開花と、それに関連した天気予報のしくみについて、図版を交えながらわかりやすく解説してもらった。

開花宣言で、なぜ「ソメイヨシノ」を使うのか?
 日本列島の桜の開花を示す桜前線は、西日本から関東、東北、そして北海道へと移っていく。でも、そもそもなぜ桜は春になると一斉に咲き始めるのだろうか。
 桜は、花が散って数カ月後の7~8月には葉の付け根に花芽をつけ、翌年に咲く花の準備を始める。そして、花芽を持った状態で休眠するが、秋に葉が落ちて冬の寒い空気にさらされると徐々に眠りから覚める。その後、気温が高くなるにつれて花芽が大きくなり、春に花を咲かすのだ。
 日本の多くの地域で桜の開花宣言に使われる桜は、ソメイヨシノという品種である。なぜこの桜の品種が指標に使われるのかというと、実は、ソメイヨシノはすべて同じ遺伝子からなるクローンだからだ。

ソメイヨシノのルーツ
 ソメイヨシノは江戸時代後期、染井村(現在の東京都豊島区駒込あたり)の植木職人によって作出されたといわれる。しかし、ソメイヨシノ同士では交配することができず、接ぎ木という方法でしか増やせない。そこで、1本のソメイヨシノの原木から接ぎ木によって増やしていったのである。
 野生のヤマザクラのように、異なる遺伝子なら個体によって開花のタイミングは違うのだが、クローンなら、地域や気候条件がそろえば一斉に咲き始め、満開となり、散っていくことになる。
 2019年3月、京都府立大学などの研究チームが、東京・上野公園にある、原木と推定されるソメイヨシノの全遺伝情報(ゲノム)の解読に成功したと報じられた。
 解読の結果、通説どおり、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラを祖先に持つ可能性がわかったほか、祖先の桜から552万年前にいったんそれぞれの種に分かれた後、百数十年前に交雑によって再び1つになり、ソメイヨシノが生まれたことが判明したのである。
 気候に密接に関係している桜の開花を解説したところで、天気予報のそもそもについても触れておきたい。四季があり、天気の話題が好きな人も少なくない日本だが、知られていない知識は意外に多い。

「降水確率」「平年並」…天気予報で使う用語の意味
 天気や気温によって着る服を決めたり、降水確率で傘を持っていくかどうかを判断したりと、天気予報は私たちの暮らしに深く関わっているが、日本の気象情報を集めて天気を予測しているのは気象庁である。
 地域気象観測システム「アメダス」や気象衛星「ひまわり」、最新のスーパーコンピューターなどを用いて、天気や気温、降水量、風向、風速、日照時間といったさまざまな気象情報を分析している。
 ところで、この天気予報には「降水確率」や、季節予報の「低い」「平年並」「高い」の確率といった「確率」を用いた予報がある。
 たとえば降水確率60%とは、そのような予報を100回発表すると、予報区内において約60回で対象時間内に1㎜以上の降水があり、約40回で1mm以上の降水がないことを意味している。
 勘違いされやすいが、降水確率の数字は、雨の強さや降っている時間・範囲、雨の量などとは関係ないのだ。
 また「平年」も、天気予報の世界では統計学で厳密に規定されている。天気予報における平年の値とは過去30年間の平均値で、「平年並」は次のように求められる。

今年は観測史上最も早い桜の開花宣言に
 まず、各年の平均気温と平年の値(30年間の平均値)の差を求め、平年より平均気温が低い順に並べていく。この30年分のデータを「低い」「平年並」「高い」の3つの階級に分けたとき、真ん中の10年(平年並)の範囲を「平年並」としている。
 つまり、30年間で気温変動のばらつきが小さい10年を導き出しているのだ。これは統計学の言葉でいうと、「平年並」とは、平均値というより「中央値」に近い概念なのである。
 以上、この記事では、桜の開花と、それに深く関連する天気予報についてざっと解説した。東京では先日、観測史上最も早い桜の開花宣言となったが、最近は世相からしてどうしてもネガティブな思考に寄りがちだ。
 でも、私たちのメンタルをポジティブにし、心新たな気分にさせてくれるものは、実は身近に存在する。息が詰まるような今だからこそ、身の回りの自然に目を向けてみてはどうだろうか。
(https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/桜の花が一斉に咲き始める意外すぎる理由-知れば知るほど面白い%ef%bd%a2メカニズム%ef%bd%a3/ar-BB11waEO)
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 昨日テレビで上野公園の桜を中継していましたが、例年とは異なり人数が少なく、花見客でごった返している例年風景とは全く違う様子に、何か新鮮なものを感じました。都会の桜は人が見ていなくても立派に咲きます。人里離れた桜も誰にも見られずに健気(けなげ)に咲きます。どちらも同じ桜です。桜を愛でるこの国の文化を大切にしたいものです。

2020年03月22日

#290 新型ウィルス以上にひどいこと

 新型肺炎ウィルス感染拡大が止まりません。中国や韓国では感染者数が減少していますが、ヨーロッパを中心にイタリアやフランスなど国家非常事態宣言を行う国が出ており、おそらくヨーロッパでは20世紀初頭のスペイン風邪以来の非常事態宣言だと思われます。
 ところで当塾において新型ウィルス以上のことが発生してしました。2日前のことですが、朝9時頃に当塾に来た時に不動産屋から電話がありました。(当塾は賃貸物件です。)何事かと思い話を聞きますと、「お部屋は大丈夫ですか。南側の部屋を確認してください。」というものでした。いぶかしがって塾を開いている部屋に入ると、最初は気づかなかったのですが、障子の一部にしみがついています。変だと思い再度じっくり部屋を見渡すと、何と!!!???机の上に置いている本がずぶ濡れになっているではありませんか!
 急いで周囲を見渡すと天井から水漏れがしており、それが生徒の座らない机に重ねていた大切な教材をすべて濡らしていたのです!被害はそれだけではありません。教材用に作成していたプリント類も濡れていました。生徒が座る机にも水たまりができており、部屋の半分以上が何らかの被害を受けていました。また別の場所に置いているノートパソコンにも水滴がついていました。慌てて水滴をふき取り、パソコンを起動しましたが、水漏れの影響はなく、パソコンに保存しているデータは無事で、不幸中の幸いでした。
 不動産屋さんの話によると、昨晩深夜に4階に住んでいる住民が洗濯をしている時に水道につながっているホースが外れて水が流れ出し、本人が気づかない間にそれが3階の部屋に落ちて、3階の部屋の水が当塾で授業をしている部屋の天井に降り注いだようです。
 被害を受けた教材は辞書を含め30冊以上になります。濡れた本は乾かしてもページがめくれてしまい、使用不能です。新しい本は再度購入できますが、すでに販売を終了したものは手に入りません。水漏れを起こした住民から謝罪があり、ご本人が入っている損害保険で補償できるとのことですが、失われた教材は二度と使用できません。2日ほど24時間部屋のエアコンをつけたままにして部屋の湿気と教材の乾燥に努めましたが、変わり果てた教材に茫然自失で、しばし落涙です!?
 購入可能な教材は即購入し、授業に備えまようと思いますが、水漏れ前日に購入した一度も使用していない本も犠牲となり、補償金で補える以上の損失に言葉も出ません。
 私にとって、今回の事件は新型ウィルスに自分がかかる以上にショックな出来事でした。人生において「好事魔多し」とか「青天の霹靂」とか言われますが、自分に何の落ち度がなくても、様々なことが起こります。地震や洪水などの天災がそうです。今回の件は私にとって大きな教訓となりました。

2020年03月15日

#289 沈黙の春

 今日は春らしい陽気の一日でした。所用で福岡に行ってきましたが、電車の車窓から見える風景は菜の花が満開で、線路沿いのいたる所に黄色い花が咲き乱れていました。寒い冬から抜け出して、外で謳歌したい気分になります。しかし例年の春と異なり何かが違います。そうです。人影が見えないのです。車窓から見える公園やグラウンドには人影がまばらで、子供たちが遊んでいる姿がほとんど見られないのです。毎年のこの時期には多くの人が暖かな日差しを浴びている公園に出かけ、子どもたちの歓声が聞こえてくるのですが、今年の春はその姿は見えません。まるで「沈黙の春」です。
 「沈黙の春」と言えば、60年ほど前にレチェル・カーソンが書いた小説ですが、彼女はこの小説で、農薬の残留性や生物濃縮がもたらす生態系への影響を明らかにし、社会的に大きな影響を与えたことで知られています。「沈黙の春」をブログのタイトルに引用したのは公共の場で遊ぶ子どもたちの姿が消えてしまったからです。
 確かに、電車の乗客は通常の7割程度で、座席の空席が目立ちました。また日曜日の昼間の天神はいつも買い物客でごったがえしますが、今日は客足も少なく、静かな日曜日の風景がありました。
 小中高の一斉休校が始まり1週間が経ちますが、いろんな所で弊害が目立つようです。特に子どもたちにとって悪影響を与えているのが「子ども食堂」の臨時閉店です。先日NHKで次のニュースが報道されました。
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『子ども食堂 感染拡大で中止相次ぐ 都内で260か所以上』
 新型コロナウイルスの感染拡大で人が集まるイベントなどを自粛する動きが広がる中、子どもに食事や居場所を提供する「子ども食堂」も中止が相次いでいます。都内では少なくとも260か所以上が中止していて、関係者は「開催が相当厳しい状況となっていて、行政のバックアップが求められる」と話しています。
子ども食堂は、食事を無料や低額で提供する取り組みで、子ども食堂を支援するNPOによりますと、全国3700か所余りに広がっています。
 NHKが東京・23区にある子ども食堂に新型コロナウイルスの感染拡大を受けた対応について区や社会福祉協議会などを通じて聞いたところ、少なくとも383か所のうち、7割近くにあたる265か所が今月いっぱいの中止を決めたことが分かりました。
 一方、休校で給食が無くなり食事が十分に食べられない子どももいるとして、少なくとも25か所は予定どおり開くほか、中止する代わりに弁当を配るという食堂もあり、対応は分かれています。
 NPO法人全国こども食堂支援センター「むすびえ」の湯浅誠理事長は「自治体から自粛要請があったところもあり、子ども食堂を開くのが相当難しい状況となっている。経済的に厳しい家庭だけでなく子どもの日中の居場所が必要な家庭にきめ細かな支援ができるよう行政のバックアップも必要だ」と話しています。

シングルマザー「仕事が手につかないくらいショック」
各地で相次ぐ、子ども食堂の中止は、これまで利用してきた親子に影響を及ぼし始めています。

関東地方に住む42歳の女性です。
シングルマザーとして、営業の仕事をしながら小学2年の娘を育てています。

女性は限られた生活費でやりくりするため、月の半分近く、複数の子ども食堂を利用してきました。
しかし、子ども食堂の中止が相次ぐ中、今月は、まだ利用できていないでいます。さらに、今月2日から娘が通う学校が休校となり、日中の時間から、学童クラブに通わせた結果、弁当を持たせる必要が出てきました。こうした影響で、食費は2倍に膨らんだといいます。
 女性は「1食300円ほどで、バランスのとれた食事を作るのは難しいので無くなるとつらいです。シングルマザーの世帯にとり、月に1万円違うと影響は大きくて、仕事が手につかないぐらいショックでした」と話しています。
 さらに、忙しい営業活動に加え、こうした食事の準備など、家事の負担が増したことで、唯一の楽しみだった娘と向き合う時間が減ってしまったと、不安を募らせています。
 女性は「子ども食堂によって、私の負担が減って、顔を突き合わせて話をする時間ができていたけど、それがなくなるのがつらいですね。子ども食堂が中止され、初めてこんなに気持ちが荒れるぐらい助けられていたんだと改めて実感しています」と話していました。

あえて開催頻度を増やす食堂も
 多くの子ども食堂が感染のリスクを避けようと中止を決める中、あえていつもより開催する頻度を増やした食堂もあります。
千葉県松戸市で子ども食堂を開いている高橋亮さんは、これまで週に1回、土曜日に開催していましたが、学校の臨時休校が始まったあと週3回に増やしました。
 新型コロナウイルスの感染が拡大する中、開催を続けるか悩んだ時期もありましたが、学校の給食が無くなり、そのうえ子ども食堂も中止になれば利用しているひとり親や共働き家庭の中には日中、ひとりで過ごさざるをえなくなったり食事に困ったりする子どもがいると考えたからです。
 5日、平日の昼間に開いた子ども食堂では、集まった小学生から高校生まで17人に念入りに手や指の消毒をしてもらい、入り口の扉を開けっぱなしにして換気をしていました。
 子ども食堂での感染予防対策について国から具体的な指示はないため一般的に言われている感染予防の対策を可能なかぎり、徹底しているといいます。
 そして、ボランティアが宿題を見てあげたり、一緒にゲームをしたりして過ごした後、野菜や果物を多く取り入れた昼食を食べていました。
 参加した小学5年生の女の子は「お母さんは仕事で忙しいので休校が決まったときは『お昼どうしよう』と困っていました。ここでお昼食べられてお母さんが楽になれるからよかったです」と話していました。
 高橋さんは「私たちにできることは何か相当悩んだが、休校が決まり居場所のない子どもたちを受け入れなければいけないと決断した。ここに子どもたちが来ることが保護者の安心につながるので、衛生管理を徹底しながら、開催を続けたい」と話していました。

専門家「子どもたちは二重の不安」
子どもの貧困問題に詳しい、日本大学文理学部の末冨芳教授は、「子ども食堂は食事の提供だけでなく、子どもたちにとって、心理的な居場所にもなっているので、中止になると、子どもたちは二重の不安に襲われてしまう。学校給食は安全な体制で提供されているので、休校中であっても、希望者には、提供できるようにする仕組みが必要だ」と話していました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200307/k10012318841000.html?utm_
int=all_side_ranking-social_003)
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 学校給食や子供食堂で一日の主な栄養を取っている子どもたちにとって、休校による給食の停止や、子ども食堂の一時停止は子供の死活問題に関わります。政府は感染者対策だけでなく、子どもの命にかかわる食事の問題を一日でも早く解決してもらいたいものです。

2020年03月08日

#288 全国一斉休校!?

 3月1日、暦の上では今日から春が始まりますが、今日は一日雨が断続的に降っており、気温も低い状態が続きました。
 新型肺炎ウィルスの勢いが止まりません。政府はこの状態を考慮し、明日2日から全国の小、中、高校に対し春休みまでの一斉休業を要請しました。この要請を受けて全国の学校現場では休業に向けて様々な対策が取られているようです。今日は日曜日ですが、多くの小学校や中学校で出校日とし、生徒たちに支持を与えているニュースがテレビで流れていました。当塾に通っている公立高等学校の生徒たちも同様に2日から自宅学習になっています。
 また多くの高等学校では3月1日が卒業式ですが、出席者は高校3年生と保護者のみという前代未聞の式になったようです。また福岡のいくつかの私立高校では卒業式自体を中止にした学校もあるようです。
 私立の学校では対応が微妙に異なっており、私が非常勤講師をしている明光学園では明日が卒業式で出席者は卒業生と教職員、保護者のみとなっています。また3月3日から期末試験が行われ、6日試験終了後に休校となるようです。
 また学校の休業措置に合わせて部活動も中止になります。春に行われる選抜高校野球が果たしてどのような扱いとなるか、高野連の対応に関する発表待ちとなります。おそらく公立高校は休業中に部活が中止となりますが、私立高校では学校の休業中も練習する旨の報道がなされており、同じ甲子園出場校として不公平感があります。さらに選抜野球を開催しても無観客試合とするか否か、非常に微妙な問題が山積しています。
 社会的に大きな影響を受けるのは教育現場だけではありません。スポーツなどのイベントが延期になったり、中止になったりしています。特にコンサートなどのイベントはキャンセル料やチケットの払い戻しなどで、かなりの赤字が予想されます。また様々な中小企業に生産中止や延期など不況に向かう要因が大きくなっています。政府は仕事が無くなった方々への補償を考えていますが、まだ具体的な指針が発表されていません。どれほどの補償になるのか、予想もできない状態です。
 政府は1,2週間が山場と説明していますが、それ以降どのような社会的影響が残るかを見守る必要があります。次回このブログを書く段階でどのような状況になっているか想像できないものがあります。すこしでも被害が少ない方へ動くことを願っています。

2020年03月01日

#287 日本が笑いものに!?

 今日は天皇誕生日の振り替え休日です。朝から雲一つない快晴で、早春の香りが漂っています。あと1週間で3月を迎える時期になり、今年も冬もまもなく終わりを告げます。
 ところで連日新型コロナウィルスのニュースが終日報道されていますが、感染者や防疫に従事した人々までを差別する事象が起こっています。対象者に対して暴言を吐いたり、子供に対しては学校でいじめを受けるなど、不当な扱いがなされています。どのような意図で差別行為を行っているのでしょうが。明日は我が身です自分が今度は感染者になる可能性はゼロではありません。感染された人や防疫従事者に対して激励や様々な支援を行うことが正しい在り方と思います。非常事態の時に協力し合うのが文化的な生き方です。
 さて暗い話題が続ていますので、今日は面白い(厳密にいえば恥ずかしい)話題をお届けします。今日たまたま見つけたウェブ記事に次のようなものがありました。

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『競技に興奮すると部屋に閉じ込められる? 東京五輪、競技場の不自然な英語「混乱招く」と懸念の声』
 「Calm down, cool down」「HELLO, OUR STADIUM」ーー東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる国立競技場を巡り、場内にあった英語表記の案内板などが「奇妙で意味不明だ」との声が上がっている。海外メディアの記者や英語が母国語の識者がSNSに相次いで投稿。「日本が笑いものにされるだけでなく、混乱を招く恐れがある」と懸念する意見も出ている。(共同通信=松本鉄兵)
▽目立った不自然な英語
 日本勤務が長い米紙ウォールストリート・ジャーナル編集委員で、英国出身のアラスター・ゲイルさんは昨年12月15日、報道関係者向けのお披露目イベントに参加した。完成したばかりの競技場を6時間かけて見て回ったという。競技場は「ピッチが見やすく、デザインもすごく良かった」(ゲイルさん)。それだけに不自然な英語表記が、際立っていたという。
「Calm down, cool down」
「Joho no Niwa」
などだ。
 どちらも何を意味するのか分からなかったという。「五輪は世界的な一大イベントですよ。大勢の人が訪れるのだから細かいところまで考えるべきだった。意味が分からない看板があると残念な気持ちになります」
 国立競技場を管理運営する「日本スポーツ振興センター」によると、「Joho no Niwa」はイベント用のエリアを指すという。
 「Calm down,cool down」は障害がある人の利用を想定しているといい、大勢の中から視線を遮り気持ちを落ち着かせるスペースだという。壁の色を暖色系にするなど配慮した。ただ公共空間での導入例が少なく、バリアフリーに取り組む「交通エコロジー・モビリティ財団」が東京五輪に向けて策定したピクトグラム(図記号)を参考にしたという。
 同財団の担当者は、新しい概念であるため理解しづらかったのかもしれないと話す。またきちんとした定義づけもされていないためピクトグラム化の作業は難しかったという。策定メンバーに言語を扱う専門家は入っていなかった。
▽誤訳が生まれる理由
 「Calm down, cool down」は誤解を招きかねないと問題視するのは、異文化コミュニケーションが専門の鳥飼玖美子・立教大名誉教授だ。「命令形で『落ち着け』と言っている。失礼な印象を受ける」と話す。日本では、競技を見に来て興奮すると部屋に閉じ込められるのかと、意図しない形で解釈される恐れもあると言う。「文法的に間違っていないだけにより深刻だ」。
 米国出身で、異文化コミュニケーションが専門のロッシェル・カップ北九州市立大教授は、お披露目イベントの際に使われたキャッチフレーズ「HELLO, OUR STADIUM」との表現に違和感を抱いたという。「日本人にとっては分かりやすいかもしれませんが、英語にはない表現で、最初に見たときはとても奇妙だった」と戸惑う。
 カップさんは、国立競技場内にあった不自然な英語表記をツイッターで紹介する一方、ニューズウェーク日本版の電子版やジャパンタイムズのオピニオン欄にも寄稿。日本の顔となるはずの国立競技場に1千億円以上も投じながら、なぜ英語表記に十分思いを巡らせることができなかったのかと論じた。外国語表記を考える際、プロ翻訳者のチェックを経ていなかったり機械翻訳に頼り切ったりしているのが原因ではないかと推測する。
 不正確な英訳が話題になったケースは過去にもあった。
 大阪市の地下鉄を運行する大阪メトロでは昨年、公式サイトの外国語ページに、路線名の「堺筋」を「Sakai muscle」(堺 筋肉)とする誤った英訳を掲載していたことが判明。また「3両目」を「3 Eyes」、駅名の「天下茶屋」を「World Teahouse」と表記していた。自動翻訳ソフトが原因だった。
 ▽1964年東京五輪でも
 かつては企業で働く若い女性を和製英語で「BG」(ビジネスガール)と呼んだ時代もあった。しかし英語圏では「接客業」と受け止められるとして、NHKが1964年の東京五輪を前に放送禁止用語にした。間もなく「OL」(オフィスレディー)という新たな和製英語が生まれた。
 鳥飼氏は、日本人の言語に対する意識は前回の五輪からほとんど変わっていないと苦笑いする。「単に英語で表記すればいいということではなく、その言葉を見た人がどう受け止めるか、どう表現したら正確に情報が伝わるかという視点が大事だ。それこそがおもてなしの心ではないのか」と話す。
 その上で、外国語に翻訳する際は、正しい表現であるかどうかをプロの通訳者や翻訳者に必ず確認する必要があると説く。
 日本スポーツ振興センターの広報担当者は取材に「Calm down, cool down」などの英語表記について「現時点で変更する予定はない」。
(https://www.47news.jp/47reporters/4551743.html)
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 大阪の堺筋が"Sakai Muscle"(堺の筋肉)ですか。漫才の材料になるような笑い話では済まされない語訳です。翻訳の難しさは文化的な背景や異なる言語上の観念を無視して、そのまま外国語に直すことです。
 これは日本語をあまり知らない外国人が使う日本語にも当てはまります。私がシドニーに住んでいた頃、語学学校のの先生から日本語のパンフレットの添削を頼まれたことがありました。確かに文法的には正しくても、そのままでは通用しない表現が何か所もあり訂正したことを思い出します。
 ましてオリンピック会場は世界中から人々が集う場所です。正しい表記を使用してもらいたいものです。そうしないと「日本人の英語は変だ」という印象をまた与えてしまうことになり、日本が世界からの笑いものになります。

2020年02月24日

#286 山川異域 風月同天

 今朝は久しぶりの雨が降っていましたが、今後明後日まで気温が低下し、今年一番の寒気が到来すると天気予報が言っています。九州北部でも降雪が記録されることになると、今冬初めての雪になります。
 ところで先週に引き続き、日本国内でも多くの新型肺炎ウィルス患者が発見されています。武漢が閉鎖される前におよそ500万人が脱出した経緯もあり、また中国政府の隠蔽ともいえる対応の遅さにより、新型ウィルス患者の多くが日本国内に入り込み、現状を引き起こしたとも考えられます。とにかくこれまで以上に感染拡大が予想されますので、人込みなど不要の外出はしばらく避けた方がよさそうです。
 さて、日本各地から武漢を始めとするウィルス汚染地区にマスクなど医療品を送ったことで中国人から感謝の声が上がっています。その中に次のようなニュースがありました。

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『日本からの支援に書かれていた「漢詩」、「日本人に逆に教えられた」
 中国では今、「山川異域 風月同天」という漢詩の一部が話題となっている。別の場所に暮らしていても、自然の風物はつながっているという意味で、中国語検定試験「HSK」の日本事務局から中国への支援物資の箱に書かれていたものだが、中国では日本の支援に感謝するとともに、日本人のほうが中国文化に造詣が深いことに衝撃を受ける人が後を絶たないようだ。中国メディアの今日頭条は12日、「日本が教えてくれたこと」と題し、中国の伝統文化を見直してみるようすすめる記事を掲載した。

 日本からの支援物資には、他にも中国の漢詩などを引用したメッセージが見られている。富山県から遼寧省に送られた箱には、「遼河雪融、富山花開。同気連枝、共盼春来」(遼河の雪が融ければ富山の花が開く。同じ気でつながる枝同士、ともに春の到来を待つ)とのメッセージが送られたが、これは千字文をアレンジしたものである。京都府舞鶴市から遼寧・大連市へと送られた支援物資の箱には、場所は離れていても心は一つという意味の「青山一道同雲雨、明月何曾是両郷」という漢文が書かれていた。

 こうした漢文・漢詩は言うまでもなく中国から日本に入ってきたものだが、日本人の方から漢詩を引用してメッセージを送ってきたことを、中国人は大変驚いているようだ。中国国内でも、武漢に対する応援メッセージがネット上などで届けられているが、その多くは「武漢加油」(武漢頑張れ)という単純な一言にとどまっている。

 無論、どちらも「応援しよう」という気持ちに変わりはないが、では中国の伝統文化を活用している日本との格差を目にして、中国人はどう反応すればよいのだろう。記事は、「自虐に走ることはないが、日本から学ぶべきことは学ぶ」ように勧めている。「文化は愛でるものではなく使うもの」だと指摘し、日本との格差を認めつつ、中国のソフトパワーに変えることは可能だと前向きな姿勢を見せている。記事は結びに、改めて日本の親切に感謝しつつ、中国の伝統文化の良さに気づかせてくれたことにも感謝を伝えている。

 今回の中国人を驚かせた、支援物資に見られたメッセージの数々は、日中を問わず中国の文化の良さを改めて再確認させてくれたのではないだろうか。中国に起源をもつ漢文・漢詩に力を得て、新型ウイルスという困難に立ち向かってほしいものである。
(http://news.searchina.net/id/1686864?page=1)
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 上記の記事は中国人が日本人の支援に対して謝意を示している一例ですが、多くの中国人観光客が京都を訪れ、唐を模して造られた京都の街並みに昔の唐時代をを思い起こすようです。1970年代の文化大革命により貴重な多くの文化的価値を失った中国ですが、昔の中国を懐かしむ文化がこの日本に残存しており、この度の支援物資に添付した詩も中国人にとり自分たちの文化を思い起こさせたのではないでしょうか。
 とにかく現時点では、中国の新型ウィルスを抑え込み、中国政府t協力して日本国内で蔓延し始めている新型肺炎を抑える必要があります。今後の拡大を注視する必要があります。

2020年02月16日

#285 今年も届きました

 今朝は全国的に寒気の影響で、最低気温を更新した場所が多かったようです。昨日は強い寒気の影響で北海道は各地で厳しい冷え込みとなっています。7時までの最低気温は、上川地方の江丹別でー36.0度まで下がりました。国内でー35度以下になるのは19年ぶりとなるそうです。
 ところで新型肺炎ウィルスはまだ猛威を振るっており、毎日ニュースでも伝えられていますが、横浜に停泊している客船からほぼ毎日のように感染者の報告が伝えられています。船のような閉鎖環境では下船するわけにはいかず、各船室で待機を求められます。せっかくの船旅が最悪の状況になっています。この状況がいつまで続くかは断定できませんが、この客船のウィルス収束までしばらく時間がかかりそうです。
 さて毎年この時期に楽しみにしていることがあります。1月末にささやかな冊子が届きます。株式会社クマヒラからの「抜粋のつづり」です。この冊子には以前のブログに書いていますが、国内外に無料で配布されており、最近1年間の深部雑誌等から珠玉のエッセイなどを集めたものです。本日はその中から1つのエッセイを転載します。

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『利他のこころ』東 ゆみこ(大法輪「鉄笛」元年7月号より)
 八十歳をすぎた私の両親はともに認知症をわずらい、1年半ほど前、立て続けに同じ病院の三階と四階に入院し、離ればなれになった。最近になって父だけが介護施設に移ったが、病気は進行し、お金も携帯電話も一人で扱うことができず、ほんの少しの着替えと日用品だけで毎日を過ごしている。
 見舞いに行くと、母は毎回「せっかくの昼寝が邪魔された。いい気持ちで寝ていたのに。帰ってくらっしぇ」と言う。父は窓から見える槙(まき)の木の枝が気になるらしく、「あそこが刈られていないなあ」と繰り返しつぶやく。そういえば、別の病院では、禁止されている携帯電話をかけ続けたり、「寿司を持って見舞いに来い!」とどなったりする老人を見たこともある。
 心身が衰え、慣れ親しんだ人や家、大切にしていた物から離れて、記憶さえ薄れていく中にあっても人間は何かにこだわり続ける。なぜこだわるのか。他人には容易に理解しがたいが、そういう出来事に遭遇すると、いつも伯母の死の場面が思い出される。
 ここでいう伯母とは、私の母のきょうだいのうちの最年長の姉を指している。貧しい漁師の家に生ま育ち、若いころは腕の良い海女で、その稼ぎで両親や弟妹たちの生活を支えた。
 あるとき伯母は、子どもがいなかったために跡継ぎを探していた小さな旅館の女将にほれこまれ、養女となった。旅館のことなど何ひとつ知らなかった伯母は、料理はもとより、旅館のきりもり、業者とのつきあいに至るまで、女将の教えを、睡眠時間をけずって習得した。
 女将が亡くなって旅館を引き継いだ後も、教えに忠実だった。墓参りも欠かさず。仏壇に線香とご飯をそなえ、「おばあちゃんが好きだったから」といって、自分では吸わない煙草を口にくわえて火をつけ、線香の隣に立てていた。伯母は、貧しい海女だった自分を二代目に選んでくれたおかげで、自分の家族が金銭的に助かったと、毎日手を合わせて感謝していたのである。
 けれども、そんな伯母が、ひょんなことから子ども向けに書かれた釈尊の四門出遊(しもんしゅつゆう)の物語を読み、先代の女将は、「行商人というものはこちらを騙して、質の悪い魚を高く売ろうとするから気をつけろ。つけいられないように叱り飛ばせ。」と伯母に命じた。伯母はことば通り行商人に厳しい態度をとっていた。だが、人々の苦しみを見て出家を決意された釈尊のように、身内だけでなく他人に対して思いやりの心を持たなければならないと考えた。先代の女将のおかげで自分の家族が助かったように、自分も他の人をできるだけ助けるべきだ、と。そこで、行商人に深々と頭を下げ、これまでの自分の態度を率直に謝り、時折チップを渡すようになった。チップは行商人が商売をたたんだ日まで続いた。
 伯母は釈尊の童話をきっかけとして、これまでの教えを捨て、生き方を抜本的に改めたのである。しかし、感謝の念は絶えることなく、脳梗塞や心筋梗塞で倒れた後も、「車で行けば」という息子の勧めを断って、道端で休み休みしながら、不自由な体で墓参りを続けた。
 その伯母が亡くなったときの話である。
 たまたま帰省していたおり、叔母が危篤状態だとの連絡がはいった。母とともに病院に急行すると、すでに親類縁者、七、八名が集まっていた。私も小学生のころに看てもらった主治医のI先生が、叔母の脈をとっていた。伯母はまさに亡くなろうとしていた。
 旅館の跡取りである長男は。「かあちゃーん、俺をおいて逝かないでくれよォ」と叫んだ。伯父は伯母の名前を呼び、「いろいろ世話になったな。俺も、俺の親も兄弟も、みんな本当に世話になった。」と声をかけた。冗談好きの伯父が伯母の名前をまじめに読んだので、私はそれをはじめて聞いたかのような感慨を覚えた。他の人たちはほとんど口をきかず、身じろぎもせず、じっと様子を見守っているばかりだった。
 そんな中、I先生が右手を大きく動かして、自分の顔をふいたのが目にとまった。驚いたことに、患者の死に慣れているはずの先生が泣いていた。何度か涙をぬぐった後に、こうつぶやいた。
 「この人はさぁ、俺に『体を大事にしてください』って言うんだよなぁ。患者なのに、死ぬっていうときに、医者の体の心配をするんだよ。痛いとか苦しいとか文句も言わないで。こんな患者、はじめて見たよ。」
 数日後、先代の女将が眠る菩提寺で葬儀が営まれた。説法の段になって、それまで式を取りしきっていた若い住職に代わって、奥の方から老住職がよぼよぼとした足取りでやって来られた。老住職はたどたどしい口調で法名について話し始めた。
 「仏の最も大切な教えのひとつである慈悲。この慈悲の中でも大いなる慈悲をあらわす『大慈』の文字をつけさせていただきました。おかみさんは、生前みなさんを大きく慈しみました。仏の教えにつかえる身で、私がおかみさんに慈しみを与えるべきところ、この私にさえ、おかみさんは慈しんでくださった。私は末期がんで、もうすぐあとを追うことになるでしょう。それなのに、こんなことしか言えなくて情けないが、このへっぽこな頭で何度考えても、この方の戒名には『大慈』しかない。これしか思い浮かびませんでした」
 もう三十年以上も昔のことである。
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 人はこの世を去るときに、その人の真の価値が分かります。どれだけ世の中で成功して名を残しても、その人がどれだけ周囲に愛情や慈悲を与えたかにより、本人の本当の評価が決まります。そして、その人の人生の集大成になります。人の生まれは時代や家庭環境により大きく異なりますが、その人の一生の間にどれだけ愛情を注ぐことができるかが、人の真の価値を決めていくことでしょう。

2020年02月09日

#284 感染列島

 今日は朝から春霞のかかったような空模様で、2月が始まったばかりですが、3月初旬のような陽気です。この春のような陽気に誘われて近くの大牟田市動物園の上にある貯水塔に久しぶりに行ってきました。ここは延命公園内にあります。正式名称は「延命貯水池展望台」と言います。当塾から歩いて10分ほどの距離です。その途中に大牟田市を舞台にした映画「いのちスケッチ」のロケ現場の動物園がありますが、チケット売り場には親子連れの列ができていました。展望台の上から大牟田市や荒尾市の一部、そして有明海や遠く島原、雲仙も一望できます。冬枯れた街の風景が印象的でした。
 さて最近毎日トップニュースになっているのがコロナウィルスによる新型肺炎の感染です。本日のNHKのニュースでは「今回の感染拡大に伴う死者は300人を超え、患者の数も2590人増えて1万4380人となった」と報道しています。ご存じのように、日本でも感染者の数が拡大しており、日本政府は今回の新型のウイルスによる肺炎などの感染症を感染症法の「指定感染症」と検疫法の「検疫感染症」にする政令を当初の予定より前倒しして昨日施行しました。この新型ウィルスによる感染がいつまで続くのか分かりませんが、確実に世界中に拡大しています。
 この新型ウィルスの感染拡大に関連して、ふと数年前にテレビで放映された映画を思い出しました。妻夫木聡、檀れい主演の「感染列島」です。この映画をご覧になっていない方に長くなりますが、この映画のあらすじをご紹介します。
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 新型インフルエンザの発見から3ケ月後の日本が舞台である映画です。ある日救急救命士の松岡(妻夫木)のもとへ、インフルエンザと思われる患者が運ばれてきます。松岡はインフルエンザとはみなさず、薬を渡して患者を帰します。しかしその翌日、同じ患者がまたしても運ばれてくることに。しかも昨日とは状況がまったく異なっていて、あらゆる処置が効果を発揮しません。患者は口からも目や鼻からも血を流して死亡してしまいました。
 同時に搬送された、患者の妻真鍋だけは助かります。医療スタッフとWHOは、「これは新型インフルエンザではないか」と疑い始めますが、すでに感染は急スピードで広まっているのでした。院内も徐々に戦場の様相を呈していくことになります。
 新型インフルエンザの広まりを食い止めるためにWHOから一人の人物が日本へ派遣されます。それは松岡の元恋人である小林(団れい)でした。小林は、「この感染症が国内に広まったら3ヶ月以内に交通網・都市機能がストップ、6ヶ月後には感染者数が数千万人になる」というショッキングな予測を知らせます。小林も加わって医療チームは懸命に対処にあたりますが、感染を食い止めることがなかなかできません。
 ついには医療スタッフにまで感染が広がり始めてしまいます。焦りと恐怖が募るスタッフですが、小林と松岡はある1つの疑問を抱きます。それは潜伏期がまったくないことと、発症から死に至るまであまりにも早いという2つの特徴でした。これらのヒントから、小林と松岡は、「新型インフルエンザではない」という仮説を立てます。「パンデミック」と名付けた謎の感染症の感染源とウィルスを突き止めるため、二人の新たな戦いが始まるのでした。
 しかしそうしているうちにも感染者の数は全国で数千万人を超える莫大な数に。それまで献身的に働いていた看護師も、夫と娘を残してこの世を去ってしまうのでした。
 松岡は違法と知りながらもウィルスの正体を突き止めるために、ウィルス研究者の鈴木に検体を渡して調査を依頼します。同時に、鳥インフルエンザの権威である仁志とともに、ウィルスの発症となった地を探し始めました。
 第一感染者である真鍋の家を訪れると、真鍋の父は海外で活躍する医師であるが行方不明で帰国時に体調が悪かったことがわかります。その地を訪れると、感染症と似た症状の患者がいて、感染地が判明します。さらに松岡と仁志は、洞窟内に潜むコウモリが感染源であることまで突き止めました。
 その頃、ウィルス研究者の鈴木も病原体の解明に成功し、ワクチンの作成が進められます。しかしワクチンの完成までは半年ほどかかり、それまで生き延びられるかが問題に。
 小林はパンデミックの患者に血清を輸血する方法を松岡に教えて遠方に旅立ちます。しかしとうとう小林もパンデミックに感染してしまいます。松岡と知り合った養鶏場の娘の夏緒も感染していましたが、松岡は第1感染者から採取した血清を夏緒に打ちます。
夏緒は奇跡的に回復し、松岡は血清が効果を出したことを確かめます。
 血清を持って小林のもとへと急ぐ松岡でしたが、小林はすでに命を落としていました。松岡はかつて小林がガンで弟を失ったことを思い出します。どれほどつらい状況でも、「明日はある」と伝えられる医師でいてほしいと、小林の弟は望んでいました。
そのことを伝えられず後悔する松岡。半年経過してようやくワクチンが完成し、パンデミックは鎮静化に向かうのでした。
(https://magazinekuchico.jp/movie/映画『感染列島』のネタバレあらすじ/)
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 この映画の中で感染した患者が病院に殺到しますが、その場面が現在武漢の病院の待合室で多くの人達が診察を待っている姿と重なります。一見するに値する映画です。日本国内で最悪数百万人の重症感染患者が発生した場合にこのような状況になると思われます。
 現在新型ウィルスがどのような広がりを見せ、どのように収束するかは誰も分かりません。このウィルスがインフルエンザのような性格を持つものであれば、夏前に収束することも考えられますが、WHOも現在判断できない状況です。また東京オリンピックも控えていますので早急な防疫対策が必要となります。特にオリンピックには世界各地から選手や観衆が集まってきます。それまでに終息宣言を出しませんと、オリンピック自体が中止になってしまします。今後の新型ウィルスの動向を注視したいところです。

2020年02月02日

#283 人口の14%?

 ここ数日天気の悪い日々が続いています。雪空ということが言えれば真冬の気候になりますが、まるで春の菜種梅雨のような暖かい雨の日が断続的に続いています。例年の一番寒いこの時期には考えられないことです。これも地球温暖化の影響でしょうか。気象専門家はダイポール現象という表現を用いていますが、冬に雪が降りませんと春以降の全国的な水不足が懸念されます。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とならないように、すべての事柄において中庸が大切です。
 さて、本日のブログタイトルの「14%」の数字から何を連想できるでしょうか。この数字は『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治著 新潮新書)の中に出てくる数字です。この本のタイトルと帯の部分に描かれた不釣り合いに”3等分”したケーキのイラストに惹かれて思わず買って一読した本の中に出てくる驚愕的な数字です。この本を読んでいらっしゃらない方に目次をご紹介します。
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第1章 「反省以前」の子どもたち
「凶暴で手に負えない少年」の真実/世の中のすべてが歪んで見えている?/面接と検査から浮かび上がってきた実態/学校で気づかれない子どもたち/褒める教育だけでは問題は解決しない/一日5分で日本が変わる

第2章 「僕はやさしい人間です」と答える殺人少年
ケーキを切れない非行少年たち/計算ができず、漢字も読めない/計画が立てられない、見通しがもてない/そもそも反省ができず、葛藤すらもてない/自分はやさしいと言う殺人少年/人を殺してみたい気持ちが消えない少年/幼児ばかり狙う性非行少年

第3章 非行少年に共通する特徴
非行少年に共通する特徴5点セット+1【/ 認知機能の弱さ 】見たり聞いたり想像する力が弱い「/不真面目な生徒」「やる気がない生徒」の背景にあるもの/想像力が弱ければ努力できない/悪いことをしても反省できない【/ 感情統制の弱さ 】感情を統制できないと認知機能も働かない/ストレス発散のために性非行/ “怒り"の背景を知らねばならない/ “怒り"は冷静な思考を止める/感情は多くの行動の動機づけである【/ 融通の利かなさ 】頭が硬いとどうなるのか?/BADS(遂行機能障害症候群の行動評価)/学校にも多い「融通の利かない子」/融通の利かなさが被害感につながる【/ 不適切な自己評価 】自分のことを知らないとどうなるのか?/なぜ自己評価が不適切になるのか【?/ 対人スキルの乏しさ 】対人スキルが弱いとどうなるのか?/嫌われないために非行に走る?/性の問題行動につながることも【/ 身体的不器用さ 】身体が不器用だったらどうなるのか?/不器用さは周りにバレる/身体的不器用さの特徴と背景

第4章 気づかれない子どもたち
子どもたちが発しているサイン/サインの「出し始め」は小学2年生から/保護者にも気づかれない/社会でも気づかれない「/クラスの下から5人」の子どもたち/病名のつかない子どもたち/非行化も懸念される子どもたち/気づかれないから警察に逮捕される

第5章 忘れられた人々
どうしてそんなことをするのか理解不能な人々/かつての「軽度知的障害」は人口の14%いた?/大人になると忘れられてしまう厄介な人々/健常人と見分けがつきにくい「/軽度」という誤解/虐待も知的なハンディが原因の場合も/本来は保護しなければならない障害者が犯罪者に/刑務所にかなりの割合でいる忘れられた人々/少年院にもいた「忘れ られた少年たち」/被害者が被害者を生む

第6章 褒める教育だけでは問題は解決しない
褒める教育で本当に改善するのか「?/この子は自尊感情が低い」という紋切り型フレーズ/教科教育以外はないがしろにされている/全ての学習の基礎となる認知機能への支援を/医療・心理分野からは救えないもの/知能検査だけではなぜダメなのか「?/知的には問題ない」が新たな障害を生む/ソーシャルスキルが身につかない訳/司法分野にないもの/欧米の受け売りでは通用しない

第7章 ではどうすれば? 1日5分で日本を変える
非行少年から学ぶ子どもの教育/共通するのは「自己への気づき」と「自己評価の向上」/やる気のない非行少年たちが劇的に変わった瞬間/子どもへの社会面、学習面、身体面の三支援/認知機能に着目した新しい治療教育/学習の土台にある認知機能をターゲットにせよ/新しいブレーキをつける方法/子どもの心を傷つけないトレーニング/朝の会の1日5分でできる/お金をかけないでもできる/脳機能と犯罪との関係/性犯罪者を治すための認知機能トレーニング/被虐待児童の治療にも/犯罪者を納税者に
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 この14%は第4章と第5章に出てくるデータで、著者は次のように説明しています。
 「現在、一般に流通している『知能生涯はIQが70未満』という定義は、実は1970年代以降のものです。1950年代の一時期、『知能指数はIQ85未満とする』とされたことがありました。IQ70~84は、現在では『境界知能』と言われている範囲に当たります。知的障害と判定される全体の16%くらいになり、あまりにも人数が多すぎる、支援現場の実態に合わない、など様々な理由から『IQ85未満』から『IQ70未満』に下げられた経緯があります。ここで気づいて欲しいことがあります。時代によって知的障害の定義が変わったとしても、事実が変わるわけではないことを。IQ70~84の子どもたち、つまり境界知能の子どもたちは、依然として存在するのです。」
 著者は長年の非行少年に対する臨床心理士として非行少年の多くに認知機能の不足を指摘しますが、この「特別な」子どもたちだけでなく、一般家庭の子どもたちのうち、14%に何らかの欠点を持った子どもが存在することを指摘しています。特にクラスの中の下位5人程度に学習障害や問題行動を起こす生徒がいることを指摘しています。またこのような子どもが学校を卒業して世の中に出ると、「忘れられた厄介な人々」になると言っています。
 確かに最近ニュース等で知られています「あおり運転」をする人物には感情を抑えられない等の「普通でない」心理状態が見られます。この14%が正しければ私たちの周囲に高い頻度で問題行動を起こす人物が存在することになります。
 今回のテーマには様々な意見のあることは承知していますが、特に教育者や子供の保護者の方々に一読して頂きたい本です。

2020年01月26日

#282 天に異変が!?

 今年度のセンター試験が本日で終了し、いよいよ来年度から大学入試共通テストが始まります。現在の高校2年生が受験することになりますが、ご存じのように文科省の方針に対して様々な異論が噴出しています。もちろん英語だけでなく、数学や国語などの教科にも採点方法や採点基準等に対して多くの懸念があり、今後の文科省の対応に注視していく必要があります。
 さて真冬の夜空の名物としてオリオン座と冬の大三角形がよく話題になりますが、この冬の大三角形を形作っているオリオン座に今異変が起こっています。冬の大三角形はおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウスの3つの星がが形成する三角形です。このうちベテルギウスの様子がおかしいのです。天文ファンの間ではここ数年の間大きな話題となっていますが今冬になりベテルギウスの光が2等星以下に落ちているのです。普段のベテルギウスが1等星の輝きで、冬空に一際輝いていますが、昨晩見たところ、確かに光量が落ちており、大三角形の形が崩れています。
 専門家によりますと、ベテルギウスは光量を変える変光星で数10年単位で明るさを変えますが、昨今の明るさの変化は異常としか言えないほど落ちています。このことに関する記事を紹介します。

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『ベテルギウス、爆発迫る? オリオン座、減光で話題に
 冬の夜空に明るく輝くオリオン座の「ベテルギウス」が昨秋から暗くなっている。もともと明るさが変わる変光星だが、通常の範囲を外れた暗さだとの情報が出回り、寿命が尽きて超新星爆発を起こすのでは、とインターネット上で話題になった。だが専門家は否定的だ。
 オリオン座はギリシャ神話の狩人オリオンがモデルで、ベテルギウスは右肩の赤い星。質量は太陽の約20倍、約1千万年の寿命のうち9割を過ぎたとみられる。爆発すれば天の川銀河で約400年ぶりの超新星で、月ほど明るくなった後、見えなくなる可能性がある。
 確かに暗くなってはいるようだ。大西浩次長野工業高専教授によると、通常は0等から1.2等の幅で明るさが変動するが、昨年12月ごろからは従来の幅を超えるくらい暗くなったという
ただ、異常事態かどうかには疑問符が付く。国立天文台の山岡均准教授は「測定精度は観測者による差が大きい」と指摘。2003年と07年にも同程度に暗い時があったとする。何より「超新星爆発と今回の変光は無関係」と山岡さん。爆発前に星が暗くなるような現象は起きないという。「爆発間近か」「星空が寂しくなる」とあおるツイッターなどの書き込みに困惑した様子だ。
 寿命といっても「あと数日という人もいるし、数十万年くらいかも」と大西さん。気長に待つよう勧めている。
(https://news.livedoor.com/article/detail/17683197/)
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 専門家によりますと、ベテルギウスが超新星爆発を起こすかどうかは疑問とのことですが、日蝕や月蝕以外で天文の話題が人口に膾炙するのは面白いことです。小学生の頃に父に天体望遠鏡を買ってもらい、毎晩月や惑星を眺めていたことを今でも思い出します。月は比較的大きな衛星ですので、月面がはっきりと見えますが、惑星にいたっては遠距離にありますので、小さな望遠鏡ではいくら倍率を上げても、にじんだ点にしか見えません。例えば天体写真で土星の輪がはっきり見えている写真がありますが、あれは本格的な望遠鏡を使用して撮った写真であり、残念ながら私の望遠鏡ではぼんやりした楕円形しか見えませんでした。
 最近の高性能の望遠鏡ではコンピュータを連動したものがあり、星座名や惑星名を入力するだけで、その方向に自動的に望遠鏡を向けるシステムをもったものが比較的購入しやすい価格で販売されています。今後ベテルギウスが超新星爆発をいつするのか分かりませんが、たまには夜空を見上げることもよいことです。今夜あたり冬の星座を楽しんではいかがですか。

2020年01月19日

#281 オーストラリアの森林火災

 今日は3連休の最終日になります。空には雲が出ていますが朝から晴れており、現在の気温が9度と冬らしい天気になっています。
 ところで南半球は現在夏ですが、オーストラリアは大規模な森林火災で非常事態が続いています。Japan Forbes の昨日のネット記事では次のように伝えています。

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『オーストラリア森林火災で「種の絶滅」は必至、生物学者が指摘』
 オーストラリアの山火事は壊滅的な被害をもたらし、依然として衰える気配を見せていない。貴重な野生動物が数多く生息する、現地の生態系に深刻なダメージが及んでいる。
 火事でこれまで、推定10億以上の動物が命を失ったとされる。これは想像を絶する数字ではあるが、トータルの被害はさらに拡大する見通しだ。
 「5億から10億の動物が犠牲になったとの議論もあるが、哺乳類や爬虫類、両生類及び鳥類に無脊椎動物を加えた場合、死亡した個体数の合計が兆単位に達する恐れもある」と、イーストアングリア大学の生物学教授でBBCの番組司会者としても有名なベン・ギャロッドは述べた。
 「オーストラリア大陸はきわめて独特な生態系を誇り、この地域の維管束植物(シダ植物や種子植物)の85%と、哺乳動物の80%は、他の大陸では見られないものだ」と彼は続けた。
 10億以上の動物が犠牲になったとするデータは、世界自然保護基金が発表した数値を元に、シドニー大学教授のクリス・ディックマンが試算したものだ。しかし、ディックマンの試算に無脊椎動物は含まれていないという。
今回の火災は既に1800万エーカーを焼き尽くしたが、ギャロッドはその影響が数カ月から数年の間、残り続けると予測する。火災から逃げた動物も棲みかを失い、食べ物の入手に苦しむことが予想される。結果として、いくつかの種が絶滅してしまうことが確実だとギャロッドは考えている。
 「今のレベルの地球温暖化で、これほどの被害が起こるのであれば、仮に地球の平均気温が摂氏2度から3度上昇した場合、一体どのような事態になるだろう。今こそ人類は一致団結して行動を起こすべきだ」と彼は続けた。
(https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/オーストラリア森林火災で「種の絶滅」は必至、生物学者が指摘/ar-BBYRtRp)
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 オーストラリアの森林火災(bush fire)は毎年発生しますが、昨年から今年にかけて発生した森林火災は数か月続いています。森林火災の原因はオーストラリア国内に群生するユーカリプスの木です。コアラの主食として知られていますが、この木は多量の油性分を含み、特に気温の高い夏には枝が風にあおられて、その摩擦熱により簡単に発火します。また落雷により多くの火災が発生します。
 ニュース報道ではあまり知らせませんが、私がオーストラリアにいた時に、現地の人から聞いた話では、森林火災を防ぐために昔はオーストラリア先住民であるアボリジニは森林を少しずつ伐採し、適度の規模の森林火災を発生させて大規模な火災を防いでいたそうです。しかし現在では白人移住者によりアボリジニはエアーズロック近郊の保護地に追いやられ、森林を管理することをしていませんので、一旦火災が生じますと大規模なものになる傾向があります。
 私の体験では、大学の図書館で勉強していた時に、ふと窓の外に目をやると、近くの森林が燃えていました。そのように森林火災は日常的なもので、オーストラリア人にとって夏の風物詩と言えるものですが、確かに今回の大規模火災は今までで一番ひどいものとなっています。上記の記事のように生態系にも大きな影響を及ぼしますので、一刻も早い消火が望まれますが、ご存じのようにオーストラリアは乾燥気候により、夏はほとんど雨が降りません。このまま自然消火に頼るしか方法はないようです。

2020年01月13日

#280 入試シーズンが始まります

 今日は朝から快晴で日中は比較的暖かな穏やかな冬の一日でした。正月休みも本日で終わり、多くの人々は明日6日が仕事始めだと思いますが、当塾では3日が仕事始めでした。高校や大学入試を受験する受験生がいる年はたいてい1月3日から授業を開始します。1月2日から授業を始めた時もありました。今年は高校受験をする生徒がいますので、当塾はすでに授業を行っています。
 受験と言えば、中学入試がまもなく始まります。大牟田市の私立中学入試は大牟田中学校が明日6日に、明光学園中学校が7日に入試が行われます。福岡地区も前後して中学入試が行われます。
 福岡都市圏と郡部の中学入試の違いですが、都市圏では公立中学よりも私立中学を第1志望として考えている小学生が比較的に多いのですが、郡部ではやはり公立中学校を優先する傾向があり、地元の私立中学校を受験する小学生は比較的少ないようです。その理由として公立中学校の方が経済的であり、高い授業料を出してまで地元の私立中学校に子供をいかせる理由が見つからないためです。
 筑後地区では、久留米大学附設中学校は大学進学の優れた実績を残しており、入試の競争率も高く、鹿児島のラサール中学と同じレベルの難関私立中学ですが、それ以外の私立中学校はそれほど学力は高くなく、生徒募集に苦労しています。そのために大牟田地区の私立中学校や高校はスクールバスを持っており、北は久留米・柳川・八女地区までスクールバスを運用しており、南は荒尾・長洲・玉名までスクールバスを走らせています。
 私立の高校入試は月末に予定されています。ただし以前とは異なり、先願入試・前期試験・後期試験と最大3回入試を受験することができます。また定員割れを考慮して、受験する大半の生徒が合格する現実もあります。
 しかしながら、あくまでも入試です。合否は入試当日の体調にも左右されますので、やはり受験生にとって入試は1回勝負の意味合いがあります。自分の志望校に合格すべく受験生には最後まで頑張って欲しいと思います。受験生がんばれ!

2020年01月05日

# 279 令和2年が始まりました

 新年あけましておめでとうございます。令和2年(2020年)が始まりました。今年も皆様にとって良き1年でありますように、心よりお祈り申し上げます。今年は干支の始まりである子年ですので、何事も心機一転で始まる兆しがあります。
 私も初心に戻って学習塾二コラの運営を行う所存です。そのために今年は健康で毎日を過ごすことを第一義と考えています。還暦を既に過ぎた私にとって、若いころと違い、勢いでは健康を維持できませんし、また質の高いの授業を日々実践できません。健康であればこそ、積極的に様々な活動に取り組むことができます。その意味で今年も学習塾二コラは生徒たちに常に意欲的な学習機会を与え続けることができるように心がける所存です。今年も一年よろしくお願いいたします。
 次に新年にちなんで、マザーテレサの言葉をご紹介します。

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『わたしをお使いください
       ~ マザー・テレサの祈り ~』

主よ、きょう一日、
貧しい人や病んでいる人々を助けるために  
わたしの手をお望みでしたら
きょう わたしのこの手をお使いください。

主よ、きょう一日、
友を求める小さな人々を訪れるために
わたしの足をお望みでしたら
きょう わたしのこの足をお使いください。

主よ、きょう1日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うために
わたしの声をお望みでしたら
きょう わたしのこの声をお使いください。

主よ、きょう1日、
人というだけでどんな人々も愛するために
わたしの心をお望みでしたら
きょう わたしのこの心をお使いください。

*この聖歌をお聴きになりたい方は次のページをコピペしてください。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=8&v=c7GhyHbT3j0&feature
=emb_logo
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 このような心構えで毎日を生きている人は幸せです。一人ひとりが自分に与えられている恵みに感謝して生きることがこの世を平和に導いてくれます。個人の心の平安が世界平和へとつながります。今年2020年を平和への礎年としたいものです。

2020年01月02日

#278 今年一年をふり返って

 今年も明日で終わります。このブログ読者の皆様にとって、どのような1年だったでしょうか。国内外では台風や地震災害など数多くの自然災害が発生し、今でも仮設住宅で年を越さなければならない人が少なくありません。また事件や事故が例年以上に発生した年でした。特にあおり運転や高齢者の交通事故が目立ち、様々な道交法の改正へとつながる模様です。
 個人的に一年をふり返ってみますと、正月早々コンピュータのハードディスク(HD)が故障し、その修理依頼に12万円ほどかかり、法外の出費となりました。HDには塾の資料をはじめ多くの貴重な資料を保存していましたので、やはりHDのバックアップは必要です。HDディスクが完全に復旧したわけではなく、いくつかのデータが紛失してしまいました。影響は年末まで続き、年賀状の住所録を再度作らなければならず、今年と昨年頂いた年賀状を中心に住所録のデータを作り直しました。
 また現在非常勤講師をしています地元の明光学園で、諸般の事情により2学期から中学1年生を担当することになり、現在中1、中2、高1、高2の4学年を担当しています。塾と学校の授業の質は落とせませんので、多忙な毎日を過ごしています。
 今年一年お世話になりました。来年は子年で干支の初めでもあります。また東京オリンピックが開催されます。来年も皆様にとりまして、良い年になりますことを祈っております。

2019年12月30日

#277 Merry Christmas!

 今日はクリスマスです。キリスト教の信者だけでなく、世界中で「聖なる日」として楽しまれています。日本では、昨日のクリスマス・イブにお祭り騒ぎで楽しんでいる人が多く見られましたが、クリスマスの本当の意味を分かっている人がどれだけいるでしょうか。本日はクリスマスの日にちなんで、ドン・ボスコ社の「知ってる?クリスマス」より物語を1つ紹介します。
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フォルトナートのクリスマス
グイド・ゴッツァーノ作

 空のかなたを見つめながら、イエスが白く長い衣を着て歩いていく。やがて、イエスはその衣を脱ぎ捨てる。
 権力のもとで搾取され続ける人々、泣き叫ぶ子どもたち、
日々の生活にあえぐ人々の涙を拭うために……。

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 遠い昔のこと。フォルトナートという貧しい男が憔悴しきってうずくまっていた。すると、「なぜ、そんなに悲しい顔をしているのか」と見知らぬ男が声をかけた。
 「家にはお腹を空かせた子どもが五人。でも、私にはお金も仕事もなく、子どもたちに食べさせるものもありません。どうしたらいいのか。」
 「じゃあ、私の仕事をしてもらえないかね。明日の朝早くヒースの野原に行って、枯れたヒースを鎌で刈ってほしい。」
 フォルトナートは、あすはクリスマス、一年のうちでいちばん大事な日に朝から仕事なんてと考えたが、そのとき、空腹で待つ子どもたちの泣き声が聞こえたような気がした。
 「おっしゃるとおりにします。子どもたちと神さまのために。」
 「よろしい。それでは明日の夕方に賃金を払おう。」
 そう言って、男は姿を消した。
 翌朝、フォルトナートは半信半疑のうちに鎌を取り、野原に行って枯れたヒースを刈り始めた。遠くから教会の鐘の音が聞こえた。
 「ああ、神さま、こんな日にミサにも行かず働くことをゆるしてください。」
彼は祈りながら仕事を続けた。ヒースの束は山のようになっていった。
やがて太陽が地平線に沈むころ、彼は鎌を置き、石の上に腰掛けた。突然ヒースの束が燃え始めた。火は、どんどん広がった。彼は火を消そうと必死になったが、あっという間にすべてが灰になってしまった。
「ああ、一日の働きがすべて無駄になってしまった。ご降誕の聖なる日を汚した天罰だ。私は間違っていた。ご降誕の日を大切にしなかった。」
そのとき、「失望してはいけない。」という声が聞こえ、フォルトナートが振り向くと、昨日の男が立っていた。
 「心配するな。あなたの仕事に十分な支払いをしよう。家に帰ると驚くものが待っている。受け取ったものを大事にしてほしい。そしてこれからあなたを訪れる不幸な人たちに門を閉ざさないように。」
 フォルトナートが急いで戻ると、彼の家は壮麗な城になっていた。子どもたちがうれしそうに彼を迎え、中には豪華なクリスマスの食卓が用意されていた。その日から、フォルトナートの生活は一変した。畑を買い、財産を増やしていった。
 初めのうち、彼は恩人との約束を忠実に守った。彼を訪れる人には慰めの言葉やお金を惜しむことなく分け与えた。ところが、彼は次第に約束を忘れ、いつの間にか周囲にはへつらう者が集まり、彼自身も傲慢になっていった。
 クリスマスがやってきた。彼はその日、盛大な宴会を開いて町中の金持ちや有力者を招待した。宴会が始まると一人のみすぼらしい老人がやって来て、「どうかこの哀れな者を助けてください。」と哀願した。召し使いたちが彼を追い返そうとしていると、その様子を見たフォルトナートが「大切なクリスマスの宴会だ。彼を一歩も中へ入れるな。」と怒り狂って叫んだ。老人は首を振りながら立ち去っていった。
 しばらくすると、四頭立ての馬車に乗って、立派な身なりの人物がやってきた。急いで迎えに出たフォルトナートが「どうぞお入りください。」と言うと、その人は「ありがとう。しかし、私はあなたの家には入らない。つい先ほどこの家を訪ねたとき、あなたは私を追い返したから。あなたは一年前に話したことをもう忘れてしまったのか。たった一年間の豊かな生活が、あんなに敬虔だったあなたを、このような傲慢な人間にしてしまったのか。」と言って去っていった。
 気がつくと壮麗な城も、召し使いも、パーティーのごちそうも、すべて消えていた。クリスマスの夜、貧しい家の中ではお腹を空かせた子どもたちが泣いている。しかし、すべてを失ったと思ったフォルトナートの心の奥底から、熱いものがよみがえってきた。彼は決心した、「ほんとうの救いの道を歩こう」と。

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 無我夢中で働き、昇進を果たし、成功を得たと思ったそのとき、ある種のほろ苦さを覚えることがある。衣を脱ぎ捨てたイエスの真意がわかるようになった今、痛みを伴いながら遅すぎる回心を始める……。

(注)回心 キリスト教で、過去の罪や不信の態度を悔い改め、神の道に心を向けること。
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 クリスマスイブの大騒ぎも結構ですが、クリスマスの日にはその意義を考えながら一日過ごすことも大切です。年末になると多くの児童養護施設に匿名で様々な贈り物が届けられます。これもイエス様の意にかなう行為です。世の中のすべての子どもたちに、ささやかな愛と幸せが与えられますように。Merry Christmas!

2019年12月25日

#276 師走の都大路

 今年も残すところ10日となりました。今日は朝から雨が降り続いており、寒い年の瀬となっています。また今日は冬至で、昼間の時間が一年で最も短い日です。
 さて本日、恒例の全国高校駅伝が女子は午前中に、男子は午後に行われました。女子は福岡県代表の筑紫女学園が3位となり、男子は福岡県代表の自由が丘が8位、県代表選考では敗れましたが北九州代表として出場した地元の大牟田高校が18位となり福岡県勢の頑張りが目立ちました。特に大牟田高校は全国優勝5回、準優勝9回、3位2回の実績を持つ高校です。全国優勝を通して斜陽の街を活気づけてきた学校でもあります。
 元々九州は長距離競技が強く、どの県も優勝を狙える実績を持った高校がたくさんあります。多くの強豪が存在する中で、大牟田高校の優勝実績は評価に値するものです。残念ながら最近は優勝から遠ざかっていますが、また古豪の復活を遂げてもらいたいものです。
 年末年始にかけて様々な高校のスポーツが行われます。サッカー、ラグビー、春高バレー、バスケのウィンターカップなど人気のスポーツが行われます。私は中学校の時に軟式テニス部に入っていましたが、練習の厳しさにおいては野球部に比肩するほどでした。今では真夏には適宜水分を補給するなど体調面を気遣いますが、当時の部活動では練習中の給水は禁じられており、練習が終わるとすぐに水道がある場所まで走って、水をごく飲みしたものです。また冬時にはフットワークを鍛えるために動物園のある延命公園まで走って行き、ダッシュや腕立て伏せ、うさぎ跳びと、今では信じられないような鍛錬をしていました。今では懐かしい思い出となっています。
 今日行われた駅伝でも、正選手として全員が出場できるわけではなく、補欠や裏方に回って活動する生徒が多くいます。当然校内での競争に勝ち残らなければ正選手になれないのですが、強豪校になればなるほど厳しい競争が待っています。多くの学校が早朝練習や合宿などで体を鍛え自分の記録を伸ばそうとしますが、誰でも順調に記録が伸びるわけではありません。故障や体調不良などで記録が伸びず、正選手になれずに部活動を引退する生徒の方が圧倒的に多いのです。しかし彼らや彼女たちにとって夢中で練習に打ち込むことができた日々は何物にも代えがたい宝物となっています。苦しい練習に耐えたことが、その後の人生に大きな自信となることでしょう。
 サミュエル・ウルマンの「青春」の詩にあるように、「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時初めて老いる。」ということが言えそうです。年齢に関係なく、いつまでも理想を追い続ける人が若者であり、「青春」を謳歌していると言えます。

2019年12月22日

#275 赤ちゃんポストの功罪

 時間の経つのは速いもので、今年も残り半月ほどになりました。今年も様々な事件や出来事が発生しましたが、あまりにも多くて先月起こったことさえも想起するのに苦労します。
 さて、「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)のことをお聴きになったことがあるでしょう。熊本市にある慈恵病院が事情により育てられない乳児を受け入れる制度です。この制度に対して様々な意見があり、特に生まれた子供に肉親を知らせるかどうかで、かなりの議論があったことを思い出します。この慈恵病院の取り組みについて時事ドットコムに次のような記事がありましたので紹介します。

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『内密出産、進まぬ法整備 子の「知る権利」担保に課題

 ―赤ちゃんポストの病院・熊本』
 乳幼児を匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を運営する慈恵病院(熊本市)が、妊婦が匿名のまま病院で出産できる「内密出産」の受け入れを始めてから1週間。導入の背景には、経済的な困窮などで育てられない母親が、1人で産み落とす孤立出産が相次ぐ現状がある。病院は独自に子どもの出自を知る権利を担保する方針だが、専門家は「民間任せでは不安が残る」として、法整備の必要性を訴える。
 「出産後、自分でへその緒をハサミで切る事例もあった」。2017年9月、ゆりかごの運用を検証する熊本市の専門部会は報告書で、孤立出産の危険性を指摘した。出自を知る権利にも言及し、国に内密出産制度の検討を促した。
 内密出産は、ドイツでは14年に法制化された。母親は出産時に身元を記した書類に封をして行政機関に預け、匿名で出産。子は養子として育てられ、16歳になると書類を見る権利を得る。実母が閲覧を拒否した場合、家庭裁判所が判断する。
 慈恵病院は17年12月、ドイツをモデルとした制度の導入検討を公表し、市と協議を重ねてきた。市は「自治体や民間病院で解決できる課題ではない」として国に法整備検討を要望。厚生労働省は18、19年度事業でドイツなど諸外国の事例を調査・研究中だ。今回、病院は職員1人が親の身元を保管し、子は一定の年齢に達すると出自を知ることができる仕組みで導入に踏み切った。
 これに対し、奈良大の床谷文雄教授(民法)は「母親のプライバシーと子の知る権利という利害対立への対応が保障されていない。本来は行政が担うべきだ」と指摘。市は「出自を知る権利をどう担保するかは社会的な合意が必要だ」とする。
 戸籍など法的手続きも不透明だ。親の身元が分からない「棄児」の戸籍は、首長が名付け親になり単独で編製される。法務局は「無戸籍になることは想定されない」との見解を示し、内密出産の場合も踏襲されるとみられるが、市は対応を明らかにしていない。
 蓮田健副院長は「母子の安全が最優先。事例を重ねないと法整備は進まない」と話す。厚労省母子保健課は「諸外国や国内の現状把握に努めている」とし、自治体に対応を委ねる方針。大西一史市長は「現行法における課題の有無を確認する」とコメントしている。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019121400330&g=soc&utm_source=
top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit)
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 慈恵病院の蓮田病院長の講演を聞いたことがあります。蓮田氏は子どもの命の大切さを思い、多くの批判を承知の上で「赤ちゃんポスト」を始めた経緯を述べていました。確かに生まれてくる命を親の一存で消すことはできません。この国では毎年数10万人の命が「中絶」の名目で殺されています。隠れて行われている中絶を含めると、実数はこの数倍に上るかもしれません。
 慈恵病院の取り組みを考える上で、もう一度「命」とは何かを考えることが大切です。生まれてくる子は生まれたい意志を持ってこの世に誕生します。出産する女性は伴侶と共に子供の幸せを常に考えるものです。愛=性欲ではありません。
 10日後には世界で最も祝福された嬰児の生誕祭が行われます。その事を意識せずにクリスマスを祝い、楽しむ人たちが世界中に溢れます。私たちはもう一度「命の大切さ」を考えるときに来ているのではないでしょうか。

2019年12月15日

#274 無言の帰国

 昨日故中村哲医師のご家族がご遺体に悲しみの対面をなさいました。空港には棺を担ぐ大統領の姿も見え、国を代表してご遺族に追悼の言葉をかけていました。本日の午後にご遺体は日本に戻る予定となっています。読売新聞から次の記事を紹介します。
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中村さんのひつぎ、先頭で担いだ大統領「全てのアフガン人が勇敢な男と記憶する」
 アフガニスタン東部で殺害された民間活動団体(NGO)「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲さん(73)の遺体は7日、妻の尚子さん(66)と長女・秋子さん(39)らとともに、アフガンから帰国の途についた。
 出国に先立ち、アフガン政府が首都カブールの空港で見送りのセレモニーを開いた。アフガン国旗に覆われた中村さんのひつぎをガニ大統領が先頭に立って担ぎ、飛行機に向けて運んだ。ガニ氏はあいさつで、井戸や農業用水路の整備に取り組み復興に尽力した功績をたたえ、「全てのアフガン人は、彼をアフガンの勇敢な男として記憶する」と述べた。
 尚子さんらは6日、大統領府でガニ氏と面会した。秋子さんは「(父に)良くしていただいて、ありがとうございました」と述べ、アフガンの人々へ謝意を示したという。
 ペシャワール会によると、中村さんの遺体は9日に出身地・福岡に着き、11日に告別式が行われる。
(https://www.yomiuri.co.jp/national/20191207-OYT1T50249/)
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 また西日本新聞によりますと、中村哲さんに日本政府と地元当局は事前に「危険」を伝達していたそうです。

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アフガニスタン東部で福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)が殺害された事件で、日本の外務省が中村さんに対し、危険が迫っているとして注意を呼び掛けていたことが7日、分かった。地元当局は約1年前から危険情報をつかみ、事件直前に中村さんに襲撃計画の情報を伝えていた。中村さんも警戒態勢を強めていたものの、犯行グループが用意周到に襲撃を実行した可能性が高まっている。
 複数の政府関係者によると、外務省は直接、中村さんに対して危険が迫っている旨の情報を伝えていたという。外務省幹部は「中村さんとは接触して『危ないです』と伝えていた。(事件に遭ったのは)非常に残念だ」と話した。
 一方、事件が起きたナンガルハル州の当局者は、約1年前に情報機関から中村さんの身に危険が迫っているとの情報が州当局に伝えられ、内務省がボディーガードを派遣して護衛に当たらせていたという。同州のメヤヘイル知事は、情報機関からは約1カ月前にも注意喚起があり、事件前日の3日に中村さん本人に襲撃の恐れがあると伝えた、としている。
 中村さんは4日、同州ジャララバードで、車で移動中に武装した男らに襲われた。銃撃した武装集団は6、7人で、車2台を使ったとの情報があり、地元警察が当時の状況を調べている。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/566300/)
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 中村医師はそれに怯むこともなく自分の夢をアフガンの土地に咲かせ続けたのでしょう。彼の意志は永遠にアフガンの地に残るでしょうが、只々残念の一言です。
 国内だけでなく、海外からも中村医師の死を悼む声が多く届いています。このブログでは現地の人々の声をいくつかご紹介します。(出典:「パンドラの憂鬱」)

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■ ナカムラ医師が用水路を作ってくれたおかげで、
  アフガンの砂漠に緑が誕生したんだ。
  他にも様々な施設を作ってくれた。
  地獄を天国に変える術を知っている、偉大な男だった。
 
■ 彼ほどアフガンのために動いてくれた人はいなかったね。

■ 日本の皆さん、ナカムラ医師を守れなくてごめんなさい。
  全てのアフガニスタン人が悲嘆に暮れています。

■ 最近はクナール川の水を地元の人たちが利用出来るように、
  灌漑工事をやってくれようとしてたんだよね。
  本当に犯人が憎くて仕方がない。

■ 祖国を愛するアフガニスタン人の中で、
  彼の命を奪おうと思う人間なんているはずがない……。
  これはアフガンの混乱を求める人間の犯行に違いない。

■ ナカムラ医師はアフガンに緑をもたらし、
  政府の人間はアフガンに荒廃をもたらした。

■ 日本国民とナカムラ医師のご家族に謝罪したい気持ちでいっぱいだ。
  彼の安全のためにもっと警備を強化するべきだったんだ。

■ アフガニスタンのサムライが旅立ってしまった。
  怒りと悲しみで本当にやりきれないよ。

■ 彼はアフガニスタンに天国を作ってくれたんだ。
  彼の御霊が還る場所もまた、天国に違いない……。 

■ 世界の片隅を灯し続けた人生だった。
  そして全てをアフガンに捧げてくれたんだ。
  ああっ、なんて偉大な人なんだろうか。

■ ナカムラ医師がアフガンに遺してくれたものは数多くある。
  難しい地域に平和な暮らしを与えてくれた事もその1つ!

■ アフガン人なら今まで彼が何をしてきたのかみんな知ってるはず。
  それなのに守れなかったことは痛恨の極みだ。

■ ナカムラ医師は砂漠に楽園を作り出してくれた。
  ただただ地元の人たちの幸福を願って……。
(http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3280.html)
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 上記のサイトでは中村医師に捧げる言葉がまだまだ続きます。中村医師が緑地化したアフガンの写真も掲載されていますので、興味のある方はサイトをご覧ください。
 さらに
 中村医師だけでなく世界の片隅で活躍されている名も知らない日本人がたくさんいます。使命感からそのような活動をされているのでしょうが、彼らの上に安全と幸福がありますように、心から祈ります。

2019年12月08日

#273 中村哲医師逝く

 昨日悲報が突然届きました。長きにわたりアフガニスタンで国民のために活動されていた中村哲医師が殺害されました。犯人はまだ捕まっていませんが、このニュースは現地や日本だけでなく、世界中に伝えられました。ただ無念としか言いようもありません。中村医師は福岡県出身で、地元の西日本新聞では年に数回中村医師の活動を伝える記事が掲載されていました。またNHKなどの番組で中村医師の近況を伝えるニュースも時々流れていました。同じ県民として誇らしく思えたものです。
 本日は中村医師の生前の声を「文春オンライン」から引用します。
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【追悼】中村哲医師
「ペシャワールに赴任したきっかけは、原始のモンシロチョウを見たから」
 12月4日、アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた「ペシャワール会」代表で医師の中村哲さんが、現地で何者かに銃撃されて亡くなった。享年73歳、志半ばでの悲報だった。
 追悼のため、中村さんの歩みを記した「週刊文春」2016年9月1日号の記事を再編集の上、公開する。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のものです。
◆ ◆ ◆
 私が子供の頃に暮らしていた福岡県若松市(現・北九州市)は、父と母の双方が生まれ育った土地でした。若松は遠賀川(おんががわ)の河口にあって、石炭の積み出しで栄えた町です。母方の祖父である玉井金五郎は、港湾労働者を取り仕切る玉井組の組長。父親は戦前、その下請けとして中村組を立ち上げ、戦後は沈没船のサルベージなどを生業(なりわい)にしていました。
 ちなみに、玉井組の二代目は作家の火野葦平です。彼は私の伯父にあたる人でしてね。彼が一族の歴史を描いた小説『花と龍』は、小学生の頃に映画化もされました。私は玉井家の実家にいることが多かったので、文筆業で一家を支えていた和服姿の伯父の姿をよく覚えています。

 アフガニスタン東部のジャララバードを拠点に、国際貢献活動を行う医師の中村哲さんは1946年生まれ。港湾労働者を組織した一族の中で、多くの人たちが出入りする家に育った。

自宅には借金取りがしょっちゅう来た
 生活の中心だった玉井の家は大きな邸宅でした。普段から労働者や流れ者風の男たちが行き交い、子供がうじゃうじゃといました。例えば私が兄だと思っていた兄弟が、よくよく聞いてみると従兄弟(いとこ)だった、なんてことも珍しくない。三世代、四世代が入り乱れて住んでいましたね。
 若松の家にいたのは、ほんの数年のことでした。私が6歳のとき、福岡市の近くの古賀町(現・古賀市)に引っ越したからです。後に聞いた話では、中村組の従業員が沈没船引き上げの際に亡くなる事故があったそうです。父は保証人倒れも重なり事業に失敗し、空き家になっていた昔の家に戻った。私はそこで大学を卒業するまで過ごしました。
 古賀町の家は瓦屋根の平屋で、中庭に鯉の泳ぐ池がありました。津屋崎(つやざき)の海岸から運ばせたという庭石が置かれ、事業に失敗して極貧に落ちた、という感じが全くないのは不思議でしたね。とはいえ、借金取りはしょっちゅう来て、強面(こわもて)の男たちが、家具に白墨で差し押さえの金額を書いていく。勉強机にも金額が書かれ、子供心に不安になったのを覚えています。
 ところが、酒豪の両親は心配するより酒でも飲もうと言うばかり。結局、親がクヨクヨしていなければ、子供もクヨクヨしないもので、どこにも悲壮感はありませんでした。
 しばらくして、父は家を二階建てに増築し、借金を返すために旅館業を始めました。「ひかり荘」という旅館の名前は、伯父が付けてくれたものです。部屋は15ほどあり、建設業関係の客が多かったです。土木工事が近くであると、何か月も部屋を借りて出勤するわけです。考えてみれば、私はアフガンで用水路づくりの土木工事をしているので、いまもそうした人たちに囲まれて働いている。何とも不思議な気がします。

宴会客のドンチャン騒ぎから避難して近所の姉の家で受験勉強をしていた
 ただ、子供の頃はそれでも良かったのですが、高校時代は辟易(へきえき)とすることもありました。私の狭い部屋は壁ひとつ向こうが宴会場で、試験の前日でも夜遅くまでドンチャン騒ぎが続くんですよ。
 当時の労働者には命からがら戦地から復員してきた世代が多く、彼らは酔うと盛大に軍歌をうたい始める。手や茶碗を叩き、踊り、大いに羽目を外すものですから、大学受験の時は近所に嫁いだ姉の家に机を置かせてもらい、勉強をしていました。

 一浪の後、九州大学の医学部に入学。1973年に卒業してからは、佐賀県にある国立肥前療養所(現・肥前精神医療センター)の精神神経科にまず勤務した。

 子供の頃、私は虫や蝶の観察が好きだったので、本当は農学部の昆虫学科に行ってファーブル先生のような生活をするのが夢でした。しかし、固い父親からすれば、昆虫学といってもただの遊びにしか聞こえなかったでしょう。
 医学部に進んだのは、医師になりたいと言えばその父の許しが得られると思ったからでした。その頃、ちょうど地方の無医地区の問題がクローズアップされていましてね。自分は医師になって日本国のために尽くしたい。そう言えば表向きは立派です。それでも昆虫学者の夢が諦めきれなければ、後から農学部に転部すればいいと考えたわけです。
 しかし実際に医学部に入ると、国立大学とはいえ高価な医学書を何冊も買わなければなりません。それを父が借金をして買ってくれるのを見ているうち、転部の気持ちはなくなっていきました。親から受けた義理、恩を立てないと親不孝になる。そう思い、医学部を出ようとはっきり心に決めたんです。
 最初、神経科に入ったのは、人間の精神現象に興味があったからです。実は高校の頃の私は極度のあがり症で、教師に当てられただけで汗がわっと吹き出し顔が赤くなる。女性が前に座っていると自然に振る舞えなくなり、固まって動けなくなるくらいでした。そのことでずいぶん悩み、それで哲学の世界を齧(かじ)り始め、読書に没頭していった過去のいきさつもありました。

 一人暮らしを始めたのは、そうして国立肥前療養所に勤務するようになってからです。病院は佐賀の山中にあり、周辺には空き家の百姓家が多かった。そのうちの一軒を借りていました。家は人が住まないと傷むということで、家賃はなし。食事は病院で食べていたので、帰ってきて寝るだけの場所でしたけれど。
 あの頃はうつ病や統合失調症の患者の話を、とにかく聞き続ける日々。カウンセリングでは相手の世界をそのまま受け入れ、会話するのが鉄則です。相手に寄り添うようにして、ただただその人の気持ちを理解しようと努める。
 その経験から私は多くを学んだと感じています。後にアフガニスタンで文化も風習も異なる人たちと接する際、大切なのは彼らの生きる世界を受け入れ、自分の価値観を押し付けないことです。単に違いであるものに対して、勝手に白黒をつけてしまうことが様々な問題を生む。そう考える癖がつきました。

 中村さんが初めてパキスタンを訪れたのは1978年。以前から趣味の登山で付き合いのあった福岡登高会から、ヒンズークシュ山脈への登山に医師としての同行を依頼された。それがきっかけで同地に縁ができ、福岡県大牟田(おおむた)市の労災病院などに勤務した後、日本キリスト教海外医療協力会からペシャワル赴任の打診を受ける。

 福岡登高会からの依頼は、二つ返事で応じました。登山の期間中、医師はベースキャンプに何か月も滞在します。そのあいだに自然の観察ができるのが魅力だったからです。
 ヒンズークシュ山脈周辺はモンシロチョウの原産地と言われ、はるか氷河期の遺物とされるパルナシウスという蝶も生息しています。あの高山に本当にモンシロチョウが居るのかを、自分の目で確かめてみたかった。実際にベースキャンプでは充分に蝶の観察ができました。だから、現地赴任を打診された時も、もともと好きな地域だったので心惹かれるものがあったんです。

 結婚したのも同じ頃です。家内は当時勤務していた病院の看護師でした。

 1984年、前年にロンドンのリバプールで医療活動の準備をした後、ペシャワルのミッション病院へ妻と幼い子供を連れて赴任した。同時に彼の活動を日本から支援する「ペシャワール会」も設立された。

 同地での仕事はハンセン病の治療を行い、その根絶のプロジェクトを進めることです。ですが、私が赴任を決めた背景には、医療の他にもう一つの理由がありました。
 実はその2年前に父が亡くなったんです。父が生きていたら、私は老いた両親を残したままペシャワルに行こうとは考えなかったはずです。昔の親父というのは恐ろしい存在で、生きているうちは自分に自由がないような気持ちがするんですね。だから、あの厳しかった父が死んだとき、寂しいという気持ちは当然ありつつも、それにも増して「これで俺は自由になった」という思いを抱いたのです。人生における重しが消え、これからは自分の思い通りの人生を歩んでいくことになる。そんな思いが私をペシャワルへと押しやったのでしょう。

 さて、私たちが暮らしたのは、ミッション病院の敷地内にある邸宅でした。場所はダブガリという旧市街。以前は英国軍の宿舎や兵舎があった英国支配の本拠地で、病棟は兵舎を改築した建物でした。敷地内にムガール王朝時代の廟もある歴史ある街です。

家族と住んだ大きなイギリス軍将校の元宿舎
 私たちの家も以前は将校のためのもので、600坪ほどの敷地が壁に囲まれた英国風のレンガ造りの建物でした。建坪は200坪くらい。浴室も複数。部屋にはカーペットを敷き詰め、畳に見立てていました。ちなみに英国の影響を受けているパキスタン人は平気で土足で上がってくる。一方でアフガン人は日本人に似ていて、玄関でしっかり靴を脱ぐという文化の違いがある。なので、パキスタン人の来客の際、靴を脱いでもらうのに苦労した思い出があります。
 家族5人、私たちは広さだけはあるその家で、小さく生活していたということになります。大変なのはイギリス風の庭園で、雨がほとんど降らない土地柄ですから、水やりをしなければ芝生も花壇の花もすぐに枯れてしまう。これは自分たちでは維持ができず、病院が雇ってくれた庭師に手入れを頼みました。あと、洋式トイレにはいまもなじめませんですね。
 80年代はアフガン難民の支援のために、欧米各国の援助団体が増えた時期です。そのため、アメリカが出資したインターナショナルスクールがあり、私たちも子供を通わせました。妙な言い方ですが、当時のペシャワルは国際的な援助で活気があったんです。

 ミッション病院でハンセン病の治療を続けながら、中村さんの活動は徐々に広がりを見せていく。86年からは新たな支援団体を設立し、難民キャンプでの活動も開始。無医地区での診療や診療所建設に尽力した。活動が大きな節目を迎えるのは2000年のことだ。

 私の活動がハンセン病の治療に留まらなかったのは、現地ではハンセン病だけを見る診療所が成り立たないからです。ハンセン病の多い地域は、結核やマラリア、腸チフス、デング熱、あらゆる感染症の巣窟です。マラリアで死にかけている患者に、ここは科が違うから帰ってくれとは言えない。あらゆる疾患を診察するようになる中で、ミッション病院を出て独自の活動が始まったわけです。そうして診療所を建てる活動を通して、アフガンの人々との付き合いを深めていった。
 赴任から15年後、ハンセン病については国際的にコントロール達成宣言が出されました。その後、一斉に援助が引き上げられていきましたが、一方、アフガンでの感染症の患者は増え続けていました。そこで日本側からの援助が続く限り患者を診(み)続けようと、現地に活動の拠点となる新たな病院を設立したのです。
 そのタイミングで起きたのが、2000年の大旱魃(かんばつ)でした。当時、WHOが発表した被害は、国民の半分以上が被災し、飢餓線上にある者が400万人、餓死線上が100万人という凄まじいもので、そのとき現地で飢え、死んでいった犠牲者のほとんどは子供でした。水がないために作物が実らず、汚い水を飲むので赤痢や腸チフスにかかる。飢えと渇きは薬では治せません。抗生物質や立派な薬をどれだけ与えても命が救えない状況に、私は医師として虚しさを覚えました。そして医療活動の延長として開始したのが、診療所の周りの枯れた井戸の再生でした。

「家」と呼べるようなものはないに等しい
 3年後、中村さんは「百の診療所よりも一本の用水路」を掛け声に、大河川から水を引く灌漑用水路の整備事業も始める。現在、10年以上かけて完成した水路の全長は27キロメートル。3500ヘクタールを潤す。周辺地域の取水設備も手掛け、2020年までに計1万6500ヘクタール、65万人の農民に水を行き渡らせる計画を進めている。

 いま、私はアフガン人スタッフや時々来る日本人有志とともに、現地の宿舎で暮らしています。ガードを含めると15人ほどの共同生活です。家族はミッション病院を出る際、家内の実家である大牟田に戻りました。
 我々のようにアフガニスタンで活動する国際団体は、お金持ちの別荘のような建物を借り受けて、そこを宿舎や事務所にするのが一般的です。私たちも同様で、ジャララバードの宿舎では一室を私専用の部屋にしてもらっています。六畳くらいの部屋に机が一つ、ベッドが一つ。それだけの部屋です。夜は電気がないため、10時くらいまではソーラーパネルで明かりを付けて消灯。日中は用水路工事の現場にいることが多いですね。
 そのようなわけで、家族と離れてからの私には、「家」と呼べるようなものはないに等しいのですが、ただ唯一のこだわりが風呂です。アフガンには湯船に浸かる習慣がありません。しかし、1日が終わって「ああ、良い湯だな」という瞬間だけは欲しい。そこでイスラマバードのバザールで風呂桶を探し、宿舎のシャワー室に設置しました。これが現地での唯一の贅沢です。
 長年の紛争で疲弊したアフガニスタンでの工事には、時間と忍耐が必要です。最初はシャベルとツルハシしかありませんでしたが、土地の人々の故郷に戻りたいという気持ちに支えられながら、工事を進めてきました。
 この事業を続けていると、水の力のすごさが分かります。旱魃以後、多くの村が土漠と化し、全村が難民化した村もありました。しかし、あるとき用水路が完成すると、噂を聞いたもとの村人が数週間後には現れ、しばらくして荒れた村にテントが並び始める。いずれ村長が帰村し、畑の境界線や村の秩序が以前の状態に復元されるのです。
 そのような村々の様子を見ていると、私はときおり郷愁に誘われることがあります。
 用水路が完成した流域には、緑が文字通りに戻ってきます。水路にはドジョウやフナが泳ぎ、鳥がやってくる。そして、あの稲作の様子や四季の移ろい……。それが日本の何でもない昔の農村風景に非常によく似ている。
 彼らの社会は8割が農民ですから、田植えや稲刈りの季節になれば、それこそ村が総出で農事を手伝う。農業を中心とした共同体の中で、お年寄りが大切にされているのも、生まれ育った若松市や古賀町を思い出させます。
 そして土木作業を行うスタッフと暮らしていると、あの玉井家や実家での日々が胸に甦ってくるのです。その意味で私にとって、アフガニスタンは懐かしい場所でもあるのかもしれません。
(稲泉 連/週刊文春 2016年9月1日号)
(https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/【追悼】中村哲医師「ペシャワールに赴任したきっかけは、原始のモンシロチョウを見たから」/ar-BBXMlGo)
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ノーベル平和賞の候補者に挙がっていた中村医師の生涯はまさに修行僧のような生き方でした。医療の延長として現地で一番必要なものが「水」でした。用水路を数10キロ作ることで砂漠だった地域が緑豊かな耕作地へと変わっていきました。まさに奇跡としか言いようがありません。中村医師の御霊に心より祈りたいと思います。

2019年12月05日

# 272 人生の贈り物

季節の花がこれほど美しいことに 歳を取るまで少しも気づかなかった
美しく老いていくことが、どれ程に
難しいかということさえ気づかなかった
もしも もう一度だけ若さをくれると言われても
おそらく私はそっと断るだろう
若き日のときめきや迷いをもう一度繰り返すなんて
それはもう望むものではない
それが人生の秘密 
それが人生の贈り物

季節の花や人の命の短さに 歳を取るまで少しも気づかなかった
人は憎み、諍い、そして傷つけて 
いつか許し愛し合う日が来るのだろう
そして言葉も要らない友になっていゆくのだろう
迷った分だけ深く慈しみ 
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば 
他に望むものはない
それが人生の秘密 
それが人生の贈り物

季節の花がこれほど美しいことに 歳を取るまで少しも気づかなかった
私の人生の花が散ってしまう頃 やっと花は私の心に咲いた
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば
他に何も望むものはない
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば
他に何も望むものはない
他に何も望むものはない
それが人生の秘密 
それが人生の贈り物
(さだまさし ♪人生の贈り物~他に望むものはない)

 本日は12月1日、今日から師走です。暦の上では冬の季節が始まります。今年も暖冬傾向だと気象庁は予想していますが、さてどのような冬を迎えることでしょうか。
 さて、人生はよく四季に例えられます。青春、朱夏、白秋、そして玄冬という呼び名で呼ばれています。この季節は年齢区分によって異なりますが、作家の五木寛之は次のように区分しているようです。

青春:誕生~25歳頃まで
朱夏:25歳頃~60歳頃まで
白秋:60歳頃~75歳頃まで
玄冬:75歳頃~

 本日のブログの冒頭で「人生の贈り物」を紹介しましたが、この歌はさだまさし氏が老境に入る心境を謳っています。よく言われることですが、若者には体力や気力が漲っていますが、金がない。中年時代は金はありますが、仕事で忙しく余暇や金に使う時間がない。高齢者はある程度貯えがあり、時間が有り余っていますが、気力・体力が追い付かない。
 このように「人生の贈り物」は、各時期において何か欠けているもの(お金、時間、若さ)を暗示しているように思えます。それを求めるために私たちは日々あくせくして勉強し、仕事をしているような気がします。それぞれの時期に手に入らないものや失うものを必死で求めているのです。よい例が「アンチ・エイジング」と言われる老いに逆らう美容術でしょう。歳を取ればいつしか体が置いていくものです。それに抗ってアンチ・エイジングを施しても、私たちの肉体はいつしか枯れていきます。
 人生は短く、儚く、それぞれの時期が過ぎ去って初めて、その時期がいかに大事だったか心から分かるものです。若者は勉学の大切が分からず、刹那的な誘惑に惹かれます。中年時代はやがて忍び寄る老いを意識せずに仕事に忙殺され、自分の人生に本当に必要なものに気づきません。そして老年になって人生をふり返るときに、いかに自分が人生の神髄に気づかず、歳を取って初めて人生の寄り道をしてきたことに気づき、後悔の念に打ちひしがれます。 さだまさし氏は、さりげなく人生の秘密、人生の贈り物を謳っています。何度も味わいたい詩です。冬の季節を迎え、このようなことを感じた次第です。

追伸:この歌はYouTubeで聴けますが、残念ながら、さだまさし本人の歌声は聴けないようです。代わりに岩崎宏美が歌っています。
(https://www.youtube.com/watch?v=qfhdmX-Ccpw)

2019年12月01日

#271 ローマ教皇来日

 今日は台風崩れの低気圧のせいで朝から本降りの雨が降り続いています。昨日から日本に滞在しているローマ教皇は今日午前中に長崎で降り注ぐ雨の中で平和メッセージを述べています。その内容をNHKニュース・ウェブから引用します。
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『ローマ教皇 長崎でスピーチ 核兵器の非人道性を強く非難』
 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は長崎市の爆心地公園でスピーチを行い、「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて、核兵器の非人道性を強く非難しました。そのうえで「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と述べて核兵器のない世界の実現に向けて各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。
 ローマ教皇として38年ぶりに日本に滞在しているフランシスコ教皇は24日朝、長崎市の爆心地公園を訪れました。雨が降りしきる会場では、レインコートを着て待ち受けていた参加者が見守るなか、フランシスコ教皇は、平和の記念碑の前で深々と頭をたれて献花し、犠牲者に黙とうをささげました。
 このあとスピーチを行ったフランシスコ教皇は「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて核兵器の非人道性を強く非難しました。
 そして「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と指摘し、核兵器を持つことが安全保障につながるという考えは、恐怖と相互不信に基づく誤った認識だとして批判しました。
 そして、核兵器禁止条約を含め核兵器と軍備の削減に向けて各国に引き続き働きかけていく考えを示しました。さらに武器の製造や開発に多額の費用が費やされるのは「途方もないテロ行為」だとしたうえで、貴重な財源は貧困対策や自然環境の保護にこそ使われるべきだとしています。
 そのうえで、フランシスコ教皇は「新しい兵器の技術開発が進む中でわたしたちは多国間主義の衰退が事態を深刻化させているのを目の当たりにしている」と述べ国家間の相互不信の広がりが、兵器を規制する国際的な取り組みを崩壊させかねず、食い止める必要があると訴えています。
 そして「核兵器から解放された平和な世界こそが、数え切れない全ての人が強く求めるものだ」と述べ、核兵器のない世界の実現に向けて核の保有国、非保有国をとわず各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189181000.html?
utm_int=detail_contents_news-related_002)
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 また、「焼き場に立つ少年」の写真を撮った従軍カメラマン、オダネル氏の息子と会話を交わしたそうです。その内容を同じNHKのニュースから引用します。
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『ローマ教皇「焼き場に立つ少年」の写真家の家族にあいさつ』
 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、長崎市の爆心地公園でスピーチを行ったあと、原爆が落とされたあとの長崎で「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の息子と会話を交わしました。

〇焼き場に立つ少年とは〇
「焼き場に立つ少年」は、アメリカ軍の従軍カメラマンだった、ジョー・オダネル氏が、原爆投下後の長崎で撮影したとしている写真です。この写真には、目を閉じた幼い子を背負いながら、唇をかみしめて直立不動で立ち、まっすぐ前を見つめる10歳ぐらいの少年の姿が写されています。
 オダネル氏は、すでに亡くなった弟を背負った少年を写したものだとし、このあと少年が見つめる中で弟は屋外で火葬されたと伝えています。オダネル氏が長崎や広島など日本各地を回り、私用のカメラで撮影したフィルムは、アメリカに帰国したあとも悲惨な記憶とともにトランクの中にしまわれていました。
 しかし、オダネル氏は過去と向き合うことを決意し、帰国から40年余りが経過した1989年にトランクを開き、翌1990年には地元・テネシー州で原爆の悲惨さを訴える写真展を開催。アメリカ国内では反発を招いたものの、その後、日本各地でも写真展が開催され、平成19年、2007年には長崎市にある長崎県美術館で「焼き場に立つ少年」が特別公開されました。
 長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」は、いまも長崎市の原爆資料館に展示され、戦争の悲惨さを訴え続けています。そして、おととし、平成29年の年末、フランシスコ教皇がこの写真に、みずからの署名と「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、教会関係者に配布するよう指示したことから再び注目を集めました。
 カードの裏には、教皇のメッセージとともに「この少年は血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」という説明も添えられました。
 一方、オダネル氏みずからも来日し、長崎市で少年の行方を探したほか、長崎平和推進協会の写真資料調査部会なども調査を続けていますが、この少年は誰なのか、また撮影された場所はどこなのか、特定には至っていません。

〇撮影者の息子「誇りに思います」〇
「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、ジョー・オダネル氏の息子のタイグ・オダネル氏(50)は「フランシスコ教皇に父親が使っていたメダルを見せると、スペイン語で『ありがとう。あなたと父親に祝福を』とおっしゃった。父親が撮影した『焼き場に立つ少年』の写真がきょう、爆心地に掲げられていたことを誇りに思います。世界中の人がこの写真を見て、『長崎の悲惨な経験を繰り返してはならない』と思いを寄せた瞬間になったのではないかと思う」と話していました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189231000.html?
utm_int=news_contents_news-main_001)
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 38年ぶりのローマ教皇は信者13億人の頂点に立つ方ですが、今回の日本訪問の際に核兵器の廃棄について強く訴えています。果たして人類はこの愚かな兵器を廃棄することができるでしょうか。古代から現在まで争うが絶えない人類は様々な兵器を創造して敵を殲滅しようとしてきました。これはすべて相手に対する恐怖と不信感の表れです。個人も社会も敵対する相手に対して共存するのではなく、相手よりも常に優位に立つために、様々な計略を立てて相手を蹴落とそうと策略を巡らせます。
 最終兵器と言われる核兵器を使う日が来るか分かりませんが、世界中に不信や疑惑が満ちている状態が続けば、遅からず「審判の日」が来ることになるかもしれません。これを避けるために、私たち一人ひとりが他者に対して友好に接し、思いやりを持って相手に接する姿勢をもつ必要があります。共存社会や民主国家は個人から成り立っています。人の醜い心が自然破壊や国家間の対立を引き起こします。戦争への道を止まらせるのは私たち一人ひとりの心の在り方だと思います。

2019年11月24日

#270 いのちスケッチ

 11月も下旬となり、街中に晩秋の装いを漂わせています。空気が澄んでいるせいか、夕焼けがきれいな日々が続いています。
 さて11月15日より大牟田市を舞台にした映画「いのちスケッチ」が全国で上映されています。(福岡県内では11月8日に先行上映されています。)昨日は授業変更により夜の時間が空きましたので、早速映画館まで足を運んで鑑賞しました。
 映画を見るのは好きですが、なかなか映画館まで足を運んでみる機会はあまりありません。理由の1つにアクション映画などの娯楽映画は毎月たくさん上映されますが、名作と言われるような作品があまりないと思えるからです。また映画館で鑑賞するには少なくとも往復時間を含め3時間以上の自由時間がないと不可能です。私の場合平日夜の時間は塾の授業がありますのでまず不可能です。日曜日などの休日には買い物や所用で福岡まで行きますので、かなり時間を調整しない限り、休日に映画を見に行くことはまずありません。
 さて、現在上映中の「いのちスケッチ」は地元びいきやお世辞抜きに見る価値があると思います。脚本が素晴らしく、若者の挫折や、親子関係、高齢者の認知症など現代社会の問題点を素直に描いています。また動物を通して「命」の大切さを見事に描いています。
 さらに現在、大牟田市動物園が取り組んでいる高齢の動物への取り組みを作品中にみごとに描いています。一例として大牟田市動物園では園内の動物に対して麻酔なしの血液検査を行っており、これは世界的にも珍しい検査方法だそうです。その検査方法が成功するまでをライオンをモデルにして描いています。
 この映画では大牟田市動物園を「延命動物園」の名称で紹介していますが、この名前は架空のものではなく、実際大牟田市民は延命動物園と呼んでいます。と言いますのは、この動物園がある地区を延命寺町と呼んでおり、中学校の統廃合で無くなりましたが、数年前まで動物園の隣に延命中学校がありました。その跡地は現在動物園の駐車場になっています。動物園には当塾から徒歩で5分ほどで行けますので、私は時々散歩ついでに坂道を登って動物園の前を通りますが、この坂道も映画に登場します。
 大牟田が映画の舞台になっていますので、映画の中で登場人物の背景に浮かび上がる様々な景色や通りの場所を確認しながら楽しみました。大牟田駅のホーム、大蛇山の夏祭り風景、有明海の夕暮れの干潟、そしてラストシーンに登場する白川病院近くの堂面川の桜並木など、大牟田市民にとって日常生活に溶け込んでいる風景が何気なく登場します。
 かつての炭都のイメージはなく、大牟田の現在の田舎町の風景が作品中に出てきます。また以前大牟田市動物園を閉園することが話し合われた時期がありましたが、その状況もさりげなく描かれています。
 「いのちスケッチ」は田舎町での出来事をただ描いているのではなく、大牟田を通して同じような状況にある全国の地方都市を描いていると思います。一見する価値ある映画です。

2019年11月17日

#269 割り箸の衝撃的事実?

 朝夕はかなり気温が下がり、洗顔する水も冷たく感じる頃になりました。今週末には寒波が来るそうなので、本格的な冬支度が始まります。今年も秋は急速に深まり短期間で終わりそうです。
 さて、昨日友人が中国製造の割りばしについてSNSで連絡してきましたので、本日はその衝撃的な内容を抜粋してご紹介します。

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『中国割り箸製造工場の恐ろしい実態!割り箸使用は本当に危ない』
 日本人が年間使っているわりばしの量。なんと軽く260億本を超えるそうです。1日あたりにすると7,100万本が消費されているんですね。確かに仕事や外出先での外食の多くはわりばしを使ってますね。なかなか日本では大きく取り扱われませんが、そのわりばしで恐ろしい健康被害の恐れがあることが分かりました。
 以前に話題になったことがありますが、割り箸を金魚鉢にいれたら7日後には金魚が死んでしまったそうです。本来、あんなきれいな白いクリーンな木のわりばしなど存在せず、製造の過程で漂白剤、防カビ剤が大量に含まれています。
 中国の有名俳優ホアン・ボー氏がレストランで仰天体験したSNS投稿です。彼がわりばしをきれいにしようと店員から水をもらってつけていたら、なんと水が黄色に変色し、変な匂いがしたというショッキングな出来事を紹介したものです。有名人の投稿だけに直ぐに125,000近くが転送投稿され中国では波紋を呼びました。
 実際にわりばしの毒性について研究したレポートがあります。東京都健康安全研究センターの研究レポートで、わりばしに含有しているクロロエタノールの含有調査によると、わりばしや竹串などの竹製品を鶏などの食品に刺すと期間にもよるが3~24%が食品に移行することが確認できたそうです。
 防腐剤に含まれるエタノール(ここでいうクロロエタノール)は、農薬などにも使われ、神経系統、肝臓などに影響を及ぼすことが知られていて国際的な危険有害分類基準では区分1「発がんのおそれ」に分類されているそうです。日本ではこうした中国わりばしの使用量が9割以上です。
 大部分のわりばしは中国の貧しい小さな村で超低賃金で大量生産をしているのが現状です。竹製品の村工場が並ぶ合肥市の製造現場では教育を受けていない労働者が不衛生な環境で製造をしているそうです。
 市の役員は「工場で働くものはみんなきちんとした教育を受けていないですよ。」「ほとんどのわりばしはすぐカビてしまいます。だから、工場で防腐剤と漂白剤を使ってるんです。」と言っています。教育を受けていない工場で働くものがきちんと定められた薬品量で製造しているのかまでは誰も分かりません。

<割り箸の毒性に制限がなくなる中国政府のずさんな管理>
 薬品量の管理はすべて村の工場任せという恐ろしい現実。問題は、中国の定める基準で製造がされているか当局から厳格な取り締まりがあるわけではなく、実質政府は見て見ぬふりをしているのが現状のようです。
 こうしたわりばしを作る工場の多くの地域では製造の認可すら取っていないので、実際に製品元を探し当てることは難しく、製造自体が工場任せになっているのが現状とのこと。(!! これは恐ろしい事実・・)
 中国国際食品包装協会のDong Jinshi氏は「政府には厳密な品質検査を担当するところなんてないですね。たとえば北京のダシン区にはわりばし工場が7、8あって、製造から箱詰めまで全てやっています。
 出荷後にいろいろな販売業者を通していくから、出荷したら工場のオーナーですらどのわりばしが自分の工場のものかなんて分からないんです。」と述べています。
 こんな状況でしたら、ただでさえ有害物質が含まれているのに多くの工場がきちんと適量を使って製造しているとは考えにくいですよね。
 もしかしたら日本人は大量に使っているわりばしからの有毒摂取量によってかなり健康を害している可能性が高いです。日本人が好きなラーメンやうどん、そば、お味噌汁など汁物でわりばしを使っていますが、水分を吸収したわりばしを毎度口に運んでいる行為はそのまま大量の漂白剤、防カビ剤を口に運んでいるのと同じことということになる訳です。
(ほんとうに恐ろしい…。)
(https://blog.goo.ne.jp/1shig/e/3f3c4ea9ae47631a3506d75dd571ba57?fbclid= IwAR0LGGhgPHAIzEOiaK861n9XXOZd5zKPLb1mPmYGV9qual-zPsz8k7pXaxg)
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 上記の記事がフェイクでないとすれば、私たちは汚染された割り箸を日常的に使用していることになります。特にレストランや食堂などで割り箸を使ってうどんやラーメンなど汁物を食べる場合は十分注意しなけらばなりません。
 やはり「My箸」を用いて自分の健康を守るしかないようです。以前の割り箸は国内で伐採された木材の残りで、使用できない木端を割り箸の材料にしていました。しかし今では価格が安いことで、中国産など海外製品を多くの店が使用しているのでしょう。汚染物質は放射性物質と同様に見た目では分かりませんので、自分の健康は自分で守る必要があります。

2019年11月10日

#268 創立5年目を迎えました

 朝から強い北風が吹いていますが、すっかり秋らしい日になりました。北国では今週末に雪の予報が出されており、すでに晩秋といった方が相応しいかもしれません。温暖化の影響でしょうか秋の期間がますます短くなっているようです。
 さて今日11月4日は当塾の創立記念日に当たります。2015年の今日開塾しましたので、創立5年目を迎えることになります。創立当時に在籍した生徒たちはすでに卒塾しました。在籍期間は生徒個人により異なりますが、1年から3年半と様々です。高校や大学に入学しても、引き続き当塾で勉強を続ける生徒もいます。
 当塾は現在、原則として個別対応の授業を行っていますので、受け入れ可能な生徒数が少なく、入塾を希望する方には次年度まで待って頂く場合もあります。当塾は特に宣伝しているわけではありません。すべて口コミで評判を聞いて来ていただいていますので毎年塾生で満たされるのは有難いことです。
 当塾の運営はすべて自己資金で賄っていますので、あとどのくらい続けられるか分かりませんが、創立10周年までは何とか続けたいと思います。その後は資金の続く限り、体力の続く限り続けようと現在は考えています。実際、当塾を運営するのに部屋の賃貸料、コピー機のリース代、電気・光熱費、書籍購入費等を含め毎月15万円ほどかかります。これらの経費は現在勤めています明光学園の非常勤講師の毎月の給料を全部つぎ込み、足らない分は自分の貯金から補っています。
 このような塾の運営方法がいつまで続くか分かりませんが、少なくとも現在在籍している生徒が全員無事に卒業するまでは続けていく所存です。
 それでは学習塾二コラをこれからもよろしくお願いいたします。

2019年11月04日

#267 大学入試 英語民間試験採用断念!

 今日は11月3日、文化の日です。皇居では文化勲章の親授式が行われました。また全国で叙勲された方々が4113人いらっしゃるそうです。それぞれの分野で長年一途に取り組んだことが評価の対象となったのでしょう。
 さて金曜日に大きなニュースが飛び込んできました。文部科学省が2020年度の大学入試で英語の民間試験の採用を抜本的に見直すことを公言しました。この件を受けて全国の高校で大きな混乱が起きています。特に新しい入試に向けて時間をかけて取り組んできた高校からは強い不満や非難の声が上がっています。また民間の検定試験会場から遠いところに住んでいる高校生からは安堵の声が上がっています。
 教育界において、これほど世間を騒がせた案件はないと思います。この民間試験採用の件がいかにずさんな政策だったことは明白です。私はこの問題について以前よりこのブログで批判してきましたが、中途半端な状態で新しい試験制度を実施して大混乱を生じさせることよりも、遅まきながら英語民間試験活用の導入見送りを表明したことは賢明だったと思います。
 かなり長くなりますが、立教大学名誉教授である鳥飼久美子氏のNHKで放送された「視点・論点」(10/16放送)を引用して、再度この問題点を明らかにしたいと思います。

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「大学入学共通テスト 英語民間試験導入を考える」(視点・論点)
 立教大学 名誉教授 鳥飼 玖美子

 今日は、2020年から始まる「大学入学共通テストへの英語民間試験の導入」について、どういう制度なのか、何が問題なのかを説明します。
 「大学入学共通テスト」というのは、これまで行われてきた「大学入試センター試験」いわゆる「センター入試」を廃止した後に始まる、新しい「共通テスト」です。
 国立大学を目指すなら必ず受験しなければなりませんし、私立大学も多く参加していて、毎年50万人以上が受験します。
 その「共通テスト」の英語科目では、大学入試センターの試験に加えて、民間事業者による試験も受けなければなりません。高校2年生は、7種類ある民間試験のどれかを選んで申し込みをします。高校3年生になってからの4月から12月までの間に二回受けられることになっていて、そのスコアが民間試験事業者から、大学入試センターの「大学入試英語成績提供システム」に送られ、それが、大学に送られることになります。
 民間試験のスコアをどのように活用するかは大学が決めるので、国立大学でも「出願要件にする」とか「合否判定には使わない」、もしくは「民間試験のスコアを加点する」などマチマチです。活用を決めかねている大学もありますし、肝心の民間試験で未だに日程や会場を公表していない事業者も複数あるので、高校現場は混乱しています。
 英語に民間試験を導入することになったのは、「読む・聞く・書く・話すの4技能」を測定することが理由です。これまでのセンター入試は「読む・聞く」の「2つの技能」なので、「話す力」「書く力」も測るのに民間試験を使うとなりました。2020年から3年間は、大学入試センターが作る英語試験と民間試験の二本立てで、2024年度以降は民間試験だけにするかどうか決まっていません。
 初の共通テストは2021年1月実施ですが、英語民間試験は2020年のうちに受けなければなりません。
 英語民間試験はすでに多くの大学で活用されていますが、共通テストとして50万人以上が受けるとなれば、規模や運営が全く違ってきます。ところが、そのような認識がなかったのか、制度設計に構造的な欠陥があります。具体的に7点ほど挙げてみます。
 まず、大学入試センターの「共通テスト」でありながら、民間の英語試験だけは、実施する事業者の運営に任せています。そして入試センターの英語試験と違って、民間試験は学習指導要領にもとづいた出題ではありませんし、出題内容を公表しません。
 次に、認定された民間試験は7種類あって、それぞれ目的や試験の内容、難易度、試験方法、受検料、実施回数などが違います。
 3番目の問題は、「格差」です。
 これまでは、大学入試センターに検定料を払って、志望大学に受験料を払うだけでしたが、今後は、別に民間試験の受検料が必要です。受検料は事業者によって違い、一回6000円くらいから2万数千円かかります。
 高校生は誰もが、最低でも2回、できたら何度も受けて練習したいと考えるでしょうが、保護者の経済的負担は大きくなります。結果として裕福な家庭では何度も民間試験を受けさせ、対策講座に通わせてスコアをあげることが可能になり、余裕のない家庭の受験生との経済格差が大きくなります。
経済的に苦しい家庭なので、国立大学を希望していたけれど、英語民間試験の出費を考えると大学進学を諦めるしかない、という高校生もいます。
 また、全国に試験会場がまんべんなく用意されるわけではないので、地域によっては遠方まで出かけて受検しなければなりません。交通費や宿泊費がかかって、地域格差が受験生を直撃します。
 加えて、障害のある受検生に対して、これまでのセンター入試のようなキメ細かい配慮が民間試験では準備されていません。「障害者差別解消法」違反の疑いも指摘されています。
 4番目の問題は、「採点の公正性」です。50万人もの解答を短期間に、誰がどう採点するのか。スピーキング・テストの採点は海外で行う、でも場所は「アジアを含めた世界のどこか」、としか明らかにしていない事業者もあります。どのような資格を持った人が採点するのかを公表していない民間試験もあるので、公正性や透明性が問題となっています。
 5番目の課題は、「出題や採点のミス、機器トラブル」です。
複数の民間試験がパソコンやタブレットを使う予定ですので、機器トラブルや、音声データを聞いても誰の声か分からない、雑音が入っていて採点できない、などの事故が一定の割合で発生することは避けられません。
 大学入試では、何重にもチェックしますが、それでも出題や採点のミスやトラブルが発生することがあります。その都度、大学は対応策を公表します。
ところが、民間試験でそのような事態が起きても公表するかどうか分かりません。文科省の見解は、「民間事業者等の採点ミスについて、大学入試センターや大学が責任を負うことは基本的には想定されません」というものです。
出題や採点、危機管理で、大学入試センターほどの厳密な運営を実現するのは経費も手間も並大抵ではありません。民間事業者に一任で良いのでしょうか。
 6番目の問題は、「利益相反」の疑いです。
民間試験の中には、問題集などの対策本を販売している事業者があります。担当部署が違ったとしても、同じ事業者が、共通テストの一環である英語試験を実施しながら、対策指導で収益を上げるのは、道義的な責任が問われないのでしょうか。
 高校を試験会場には使わないと明言していたのに、最近になって方針を変えた民間事業者もあります。受験生が通う高校を会場にして、その高校の先生たちが試験監督をすることに問題はないのでしょうか。
 最後に、根本的な問題があります。高校は大学入試を無視できないので、高校英語教育は民間試験対策に変質します。授業をつぶして模擬試験を受けさせる高校もすでに出ています。民間試験は学習指導要領に従うことを義務付けられてはいないのですから、民間試験対策に追われることは公教育の破綻につながります。かつては、受験勉強が高校教育をゆがめていると批判されましたが、民間試験対策が高校教育をゆがめることになります。
 「英語を話せるようにしたい」という願いは理解できます。でも、「話す」ことは、状況や相手によって違ってきます。文化的な要素も影響します。「話すこと」は複雑なので、正確に測るのは極めて難しいのです。高校までの基礎力を土台に、大学入学後に時間をかけて指導する方が効果は上がります。
 そもそも「スピーキング・テスト」では、「話す力」の何を測るのでしょうか。文法の正確さを測るのか、発音の良し悪しをみるのか、ともかくよどみなくしゃべれば良いのか、採点基準によって点数は違ってきますし、採点者によって評価はばらつきます。それを避けるために「採点しやすさ」を目指す出題にすると、本来のコミュニケーション能力を評価することにはなりません。「話す力」を入学選抜に使うのは無理があると分かります。
 センター入試は「2つの技能しか測っていない」からダメだとされましたが、実際は、学習指導要領に準拠して、コミュニケーションという視点から、かなり工夫を凝らして、「総合的」な英語力を測定していました。「4技能」は別々に測定する必要はなく、互いに関連しているので、総合的に考えるべきものです。
 受験生を犠牲にすることなく、公正・公平な選抜試験を実施するにはどうしたら良いのか、大学入試は何をどう測るべきなのか、そもそも「コミュニケーション能力」とは何か、などを教育的観点に立ち返って議論できたらと願っています。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/414086.html
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 文科省が現在の英語教育を改革しようとしたこと自体は間違いないのですが、改革案を実施しようとした結果、不平等が生じる事態が生じることを深く考えなかったのでしょう。今後の善処を強く望みたいと思います。
 また、新しい共通テストにおいて、国語の採点方法にも問題点が残っており、バイトを使用して採点を行い事の是非が問われています。すみやかな是正を望みます。

2019年11月03日

#266 令和の時代と自然災害

 10月22日に即位礼正殿の儀が執り行われ、国内外に向けて今上陛下の宣明が発せられました。この儀式のために世界中の多くの賓客が招待され、荘厳かつ厳粛な式典が挙行されました。私もテレビでその一部始終を見ていましたが、200近い国家元首、王族などVIPが日本に集まりました。東洋の片隅の国に世界中の代表者が集うのは尋常ではありません。普段私たちは意識しませんが、いかに日本という国が世界から認められているかを改めて認識する機会となりました。その模様をNHKのNEW・WEBから引用します。
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即位礼正殿の儀
 ことし5月の皇位継承に伴って、新たに即位した天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」が皇居・宮殿で行われました。天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられました。
 「即位礼正殿の儀」は国事行為として行われる「即位の礼」の中心となる儀式で、天皇陛下は皇居・宮殿の「松の間」で皇后さまとともに臨まれました。
 儀式には秋篠宮ご夫妻をはじめ、11人の皇族方が参列されたほか、外国の元首や王族、それに内閣総理大臣など三権の長や各界の代表など、およそ2000人が参列しました。
 21日夜から降り続く雨のため、中庭に整列する予定だった古式ゆかしい装束の職員は人数を減らして屋内に配置されました。
 天皇陛下は平安時代から儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包んで「松の間」に入り、正面中央に置かれた高さ6メートル50センチ近くある「高御座(たかみくら)」の台座にのぼられました。
 続いて十二単(じゅうにひとえ)を着た皇后さまが「高御座」と並んで置かれた高さ5メートル50センチほどの「御帳台(みちょうだい)」にのぼられました。
 午後1時12分、侍従と女官によって、「高御座」と「御帳台」のとばりが開けられると両陛下が姿を見せられました。そして天皇陛下が即位を内外に宣言するおことばを述べられました。
 この中で天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と述べられました。
 続いて安倍総理大臣が天皇陛下の前で「寿詞(よごと)」というお祝いの言葉を述べました。そして安倍総理大臣の発声で参列者が万歳を三唱し、これに合わせて皇居外苑の北の丸公園で自衛隊が21発の礼砲を打ち鳴らしました。
 このあと「高御座」と「御帳台」のとばりが閉じられ、両陛下が「松の間」から退出されて、儀式はおよそ30分で終わりました。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor6/articles/
articles_ceremony_02.html
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 日本は国の内外に令和の時代を宣言しましたが、令和が始まりわずか半年のあまりの間に大きな災害が続いています。平成の時代は大地震を始めとする大災害が多発しました。そして令和の時代になり水害や台風被害を始めとする災害が多くの地域で発生しています。以前ブログ#264でもお伝えましたが、特に関東や東北地方では洪水が発生し、多くの人命が失われました。以前では考えられないほどのものすごい雨量が短時間で降り、そのために多くの河川が氾濫して周囲の町や村が水没する事態を招いています。
 これは平成の時代にはあまり見られなかった災害です。平成は地震や火山災害が多く発生しました「火の時代」が、令和は「水の時代」になるかもしれません。耐震や免振構造など地震対策は多くの住宅でなされていますが、洪水や浸水対策は地震に比べて防災意識が低いないのではないかと危惧します。地震と同じように水災害では電気・水道などインフラが被害を受け、地震災害と同等かそれ以上に長期間にわたり生活に影響を与えます。
 また地震ではそれほど影響を受けなかった家具や電気製品を再利用できますが、水害で家具等はすべて水に浸かり、廃棄するしかありません。また被害も広範囲にわたり、多量の災害ゴミが発生します。また地震と異なり、農作物や水産物への影響が多大なものとなります。
 ここ数年間の自然災害を目の当たりにして、災害は新しい段階に入ったようです。つまりこの国には安全な地域はどこにも存在しないということです。以前には発生しなかった地区で多くの洪水が発生しています。地球温暖化に伴い、台風はますます大型化していきますし、わずか1個の台風で大きな災害が引き起こされます。自然災害に対して「明日は我が身」となります。天気の変化を常に意識し、被害を最小限度に抑える日頃からの対策が必要となります。

2019年10月27日

#265 カレーは悪くない!

 朝晩は涼しいのですが、日中はまだ25度前後の夏日が続いています。温暖化の影響でしょうか。昨年までは10月も中旬になると長袖に切り替えていましたが、今年は10月の下旬まで夏日が発生し、秋の気配が感じられません。このままでは夏の次にすぐ冬が来ることになりそうです。
 ところで前回のブログでも述べましたが、台風19号の影響がまだ続いています。災害規模が広範囲に渡り、東日本大震災に匹敵する、あるいはそれ以上の災害規模となっています。今週末は多くのボランティアが参加して災害後の被災地の片付けを手伝っています。ボランティアに参加できない場合は義援金などで被災された方々の生活支援に協力するなど、様々な支援を考えなけらばならないでしょう。「情けは人のためならず」と言います。明日は我が身です。
 さてこの1週間台風による大災害とともに毎日報道されていますのが、神戸市立東須磨小学校の教諭4人によるいじめ問題です。「いじめ」というよりも「犯罪」であり、教育の場でいじめ防止を子供たちに訴える教員が同僚をいじめていたことに呆れて言葉も出ません。事件の詳細はここで述べませんが、この事件に対する地元の教育員会の対応が物議を醸しています。その内容をネットから引用します。
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教員いじめでカレー給食中止に 神戸市教委「食材生かして煮物を作る」
 神戸市立東須磨小学校の「教員いじめ」で、その道具に使われたカレーを給食から一時的に中止すると市教委が発表し、ネット上でも波紋が広がっている。
 カレーショップからは、「カレーに罪はない」と疑問視する声が続出している。しかし、市教委では、「児童らが精神的ショックを受けているため」だとして、当面続ける考えだ。
 加害教員らが激辛カレーを被害教員に無理やり食べさせる様子の動画がテレビなどで繰り返し流れ、いじめ問題の深刻さが白日の下に晒された。その一方、神戸市教委では、この動画にショックを受けた児童がいるとして、2019年10月16日の保護者会で給食カレーの一時中止を発表し、ツイッター上などでは、この決定に疑問や批判の声が噴出している。
「何の罪もない子供たちが可哀そう」との声が相次ぎ、フラッシュバックで気分が悪くなる児童がいれば、個別のメニューで対応すればいいのではないかとの意見が出た。また、「いじめをマネする児童が出るのを恐れたのではないか」といった憶測も出て、むしろ、いじめたり食べ物を粗末にしたりしてはダメと教育するいい機会になるとの指摘もあった。
一方で、「応急処置的なもの」「カレー出さないは正解やろ」「何かあると困る」と、市教委の対応に理解を示す声も一部であった。 著名人からの反応も相次いでおり、様々な意見が書き込まれている。 アルピニストの野口健さんは「カレーは何も悪い事はしていないよね...」と疑問を呈し、吉村洋文大阪府知事は、「クビにすべきは、カレーじゃなくて、加害教員でしょ」とツイートした。
カレー店からも異論続々「カレーに罪はありません」
ライターで著名ツイッターユーザーの深爪さんは、「カレーを見ただけで具合が悪くなる児童も出てもおかしくないと考えれば、ある意味妥当な措置なのかな」などと市教委の対応に一定の理解を示した。
カレーショップからは、カレーへの風評被害などを懸念する声も次々にツイートされている。 静岡県沼津市にある「印度屋キッチン・ダバ下香貫店」は10月17日、「給食のカレーに罪はありません」と問題提起し、カレー料理の前でスタッフがお願いのように手を合わせる写真をアップした。この投稿は、大きな反響を呼び、10万件以上もの「いいね」が付いている。また、ほかのカレー店も続々呼びかけており、ツイッター上では、カレーを避けずに食べようと写真を投稿する動きが活発になっている。
神戸市教委の健康教育課は18日、給食について、東須磨小から相談が来て、時期を決めずに当面、カレーを変更することにしたとJ-CASTニュースの取材に答えた。変更の理由については、「詳細は、お答えしかねます」とした。
代替メニューとして、カレー粉は止めたうえで、肉やジャガイモ、ニンジンなどの食材を生かした煮物にするなど、味付けを変えるそうだ。
カレーを食べられない児童に個別対応することについては、「同じ釜を使って自校調理しており、メニューを分けるのは難しいです」と話した。給食のカレーを今後の教育に生かすことについては、「そういう声を聞いていませんので、学校から相談があれば考えたい」と言うに止まった。カレー一時中止についての意見は、18日昼過ぎ時点までは来ていないという。
(https://www.j-cast.com/2019/10/18370446.html?p=all)
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 上記の教育委員会の対応をどう考えるかは個人の問題ですが、少なくとも問題の本質(いじめの加害者よりもカレーが悪いという「論理のすり替え」)を教育委員会は理解していないということです。カレーが原因で食中毒が発生したということであれば理解できますが、「いじめ=カレー」では事の本質をとらえていません。
 昨日のNHKのニュースでは次のような記事がありました。
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 神戸市の公立小学校で起きた教諭間のいじめの問題を受けて、17日に開かれた市議会で、教育委員会はこの小学校で子どもどうしのいじめが急増していることを明らかにしました。教育委員会は「推測だが教員の人間関係が影響した可能性もある」として、対策を急ぐ考えを示しました。
 神戸市の市立東須磨小学校で、4人の教諭が同僚の男性教諭らに悪質ないじめを繰り返していた問題を受けて、市議会は17日、臨時の文教こども委員会を開きました。
 この中で、教育委員会の住谷照雄次長は、東須磨小学校での子どもどうしのいじめの認知件数が2年前の平成29年度は0件だったのが、昨年度は13件、さらに今年度は半年間で16件と急増していることを明らかにしました。
 そのうえで、住谷次長は「推測だが教員の関係がぎくしゃくし、子どもにも影響した可能性もある」と述べ、いじめ対策を急ぐ考えを示しました。
 また、17日の委員会では被害者の男性教諭が、去年、前の校長と面談した際、「おまえはいじめられてないんやな」と念を押されたと訴えていることなどを踏まえ、前の校長らを参考人として招致する方向で検討することになりました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191018/k10012137221000.html)
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 上記の記事がフェイクでないとすれば、この事件の影響が当該小学校の児童たちに悪影響を与えているのでしょうか。教員間のいじめはこの学校だけではないと思います。表面に出てこない事例が数多く存在することでしょう。
 子どもたちと直接接することが仕事の教員が襟を正して生きることが今までの時代以上に要求されている昨今です。教職に携わる人たちはもう一度自分の生き方をふり返る必要があります。

2019年10月20日

#264 日本水没!

 10月もすで中旬となり、朝夕はすっかり秋らしくなってきました。今日は朝から秋日和の一日となっています。ところで昨日は台風19号の進路先で大きな被害が出ました。千葉県に大きな被害を与えた台風15号は千葉県を中心とした比較的狭い地域での被害で済みましたが、それでも停電等の大きな被害が出ました。今回の台風19号は超大型台風で、もし九州に来襲していましたら九州一円が暴風圏にすっぽり入ってしまうほどの大きさでした。
 福岡県は強風圏に入っていませんでしたが、それでも福岡県の沖合に暴風警報が出されるほどで、いかに大きな台風であったかが分かります。昨晩はかなり強い風がここ大牟田でも深夜まで吹いていました。
 さらに驚いたことに、この台風は日本各地で大雨を降らせたことです。特に箱根では2日間で1000mmを超える雨が降り注ぎ、これまでの全国の記録を大幅に塗り替えました。台風が進むにつれて静岡から関東方面へと被害が広がり、さらに東北地方まで大きな傷跡を残しました。特に多摩川、千曲川など大きな河川が氾濫し、多くの川で堤防決壊を起こし、多くの犠牲者が出ています。
 この台風の影響で新幹線にも影響がでています。千曲川の堤防決壊により長野新幹線車両センターの新幹線が浸水しています。これらの車両は整備のために使用できず、場合によれば廃車となるかもしれません。新幹線を含め全国各地の決壊した堤防や壊れた道路を復旧するのにどれほどの費用がかかるのか想像できないほどです。
 今度の大災害はひとつの教訓になるのではないかと思います。地震と異なり進行方向をある程度予測できる台風では、事前に入念な避難準備をしなければなりません。地球温暖化に伴い、今回の台風のように猛烈な勢力を伴う台風は今後も毎年発生し、日本各地を襲うことになるでしょう。貴重な人命や財産を失わないように私たち一人ひとりが何をしなければならないかを、今回の大災害が教えてくれます。自然の猛威の前には私たちは無力です。自然災害に対して安全な場所はこの国にはどこにもないのです。特に近年では毎年のように様々な大きな災害が各地で生じています。この国に住む宿命として、大地震、火山の噴火、台風、大雨等による大災害をいかに防ぐかを一人ひとりが考えなければならない時期にきているのではないでしょうか。
 今回の災害で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げますとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。そして1日も早い復旧を心より祈りたいと思います。

2019年10月13日

#263 日本ラグビー大躍進!

 今日は朝から快晴で、久しぶりに天気の良い週末となっています。日中はまだ残暑のような高い気温が続いており、半そでで過ごせますが、朝夕はすっかり秋の雰囲気で、道端には彼岸花が咲き誇り、夜は虫の鳴き声が子守唄替わりとなっています。
 さて今年の秋は「スポーツの秋」となっています。世界陸上やバレーボールワールドカップが同時に行われており、まるで来年の東京オリンピックの予行練習を行っているようです。その中で一際目立っているのがラグビーワールドカップです。日本チームの大躍進が国内外で話題となっています。
 昨晩の対サモア戦では見事な勝利をおさめ、ロシア、アイルランドの勝利と合わせて3連勝となりました。残り1試合のスコットランド戦の行方次第ではベスト8進出も夢ではありません。ここで1次リーグ突破の条件が分かりにくいためにスポーツ新聞の記事をを引用します。
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日本の1次リーグ突破の条件
 日本が勝ち点5を追加し、3連勝で勝ち点は14となった。実力が上位のスコットランドが9日にロシアから、アイルランドが12日にサモアからいずれも4トライ以上で勝利し、勝ち点5を奪うと仮定すると、日本は13日のスコットランドとの1次リーグ最終戦で勝つか引き分けで、史上初の8強入りが決定する。
 日本は敗れた場合でも突破の可能性はあり、7点差以内の敗戦、または勝敗に関係なく4トライ以上でそれぞれ獲得できるボーナスポイントがからんでくる。
 日本が敗れた場合、スコットランドの勝ち点は14か15。スコットランドに4トライ以上を奪われ、スコットランドが15となると、日本は4トライ以上かつ7点差以内の敗戦でボーナス点2を獲得する必要がある。スコットランドが3トライ以下なら、日本はボーナス点1を確保すれば勝ち点で上回る。
 スコットランドが9日のロシア戦で引き分け以下か、アイルランドが12日のサモア戦で負け、もしくは3トライ以下の引き分けに終われば、その時点で日本の決勝トーナメント進出が決まる。
W杯1次リーグ順位決定方法 
 各組上位2チームが決勝トーナメントに進出。勝ち=4点、引き分け=2点、負け=0点の勝ち点制。4トライ以上、7点差以内の敗戦はそれぞれボーナスポイント1点が加算。勝ち点が並んだ場合は<1>直接対決<2>得失点差<3>トライ数差<4>得点数<5>トライ数で決着。ここまで並んだ場合、19年10月14日時点の世界ランキング上位チームが上位。
(https://www.msn.com/ja-jp/sports/rugby-world-cup/ラグビー日本、決勝進出へ-スコットランド戦の条件/ar-AAIlpGh#page=2)
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 サッカーと異なり、ラグビーは複雑な得点方法を採用していますので、3連勝していても油断はできないことになります。残りあと1試合、選手たちには頑張ってもらいたいと同時に国を挙げて応援したいと思います。
 ところで、日本選手のメンバーを見て不思議に思われた方もいらっしゃるのではないかと思います。確かにメンバーの中には純日本人?は半数しかいません。半分は外国人選手(日本国籍を含む)が出ています。ラグビーの規定によりますと3年以上該当する国で生活していれば、その国の代表選手になれるそうです。ひと昔のラグビーでは日本人だけで国際大会に出場していましたが、時代は変わり、このような規定に変更されたのでしょう。
 このラグビーなどのスポーツの多国籍化に対して様々な意見がありますが、「日本人とは何か」という問題に関して、スポーツ界ではかなり寛容な態度を取っています。国際結婚が増えて、容姿容貌で国籍を判断できない時代になっています。スポーツ界では様々な身体的要素を取り入れることで、選手の身体的特徴をより強くすることにもなります。この問題は「優生学」が関係してきますので、賛否両論の微妙な問題が出てきまが、この「優生学」について機会があれば述べてみたいと思います。
 スポーツ界ではこの難しい問題にとらわれず、アスリートの努力を称えるとともに、国民代表としてスポーツに出場する姿を応援したいと思います。また現在のラグビーチームのメンバー構成は日本が将来移民政策をとる際の1つの解決法が示されています。換言すれば、日本人がどのように来日する移民と接していくべきかという問題はラグビーチームの在り方がそのヒントになるでしょう。

2019年10月06日

#262 変な教育方針!?

 昨日は日本ラグビーチームの大勝利に国中が沸いた一日でした。現在行われているラグビーワールドカップで日本がアイルランドに勝利し、日本の強さが改めて世界に示された日でもあります。現在ではラグビーはサッカーほど人気がなく、ラグビーワールドカップ前には観客が集まるかどうか懸念されていましたが、どのゲームも観衆が集まり、日本国内ではかつてないほどラグビーに注目が向けられています。しかし私が幼いころにはサッカーよりもラグビーの方が人気があり、「これが青春だ」のような青春ドラマには必ずラグビー部が舞台設定で使用されていたものです。これからも日本チームの快進撃に期待したいと思います。
 さて先日の西日本新聞の記事に「変な計算指導」の記事が載っていました。筆算の横線を定規で引くことへの疑問です。本日はこの記事を引用します。

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筆算の線、手書きダメ? 小5、160問「書き直し」
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/545572/)
 「なぜ筆算の横線を、全て定規で引く必要があるのでしょう」。福岡県内の小学校に通う小学5年男児の親族の女性(34)から、特命取材班に相談が寄せられた。夏休みの宿題を提出したところ、横線が手書きだったとして、担任に「書き直し」を命じられたという。指導の背景を探った。
 女性によると、担任は日ごろから定規を使うように指導。男児は疑問を抱きつつも注意されるのが嫌で基本的に従ってきた。今回、筆算の一部は「別にいいだろう」と自分で判断し、手書きで線を引いたという。
 すると、担任から保護者に書き直しを求める電話があった。対象は160問分。理由を尋ねると「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」。女性は「計算のリズムが崩れるし、自分なりのノートの取り方を見つけるのも勉強ではないか」と不思議がる。
 同様の指導を行っている県内のベテラン教諭に理由を聞いた。定規で線を引く動作は意外と難しく、「小学2年の習い始めは2割しかできない」という。筆算の線引きはこの練習になるというわけだ。高学年では「手書きより見直しやすいし、面倒くさがらずにやる子の方が学力が伸びる」と説明する。
 このような理由を、男児の担任は保護者に説明していない。県内の別の学校では小学6年も定規の使用を指導しているが、疑問を抱いた父親(39)が理由を問うと、「学年で決めています」との返事だったいう。
 いつ、どう広がったのかは不明だが、「30年前にはそう指導していた」という小学校教諭の声もあった。
 「教師自身が考えなくなっている」。定規の利用など、教員が十分に理由を説明できないルールが数多くある実態について、東京大大学院の村上祐介准教授(教育行政学)は警鐘を鳴らす。
 村上氏は2015年度、自治体ごとに授業の受け方や生活態度を定めた「スタンダード」と呼ばれるルールの有無を全国調査した。回答を得た445自治体の約2割が導入していた。
 スタンダードの内容は自治体ごとに異なるが、「足の裏を床につけて座る」「手を真っすぐ挙げる」などの規律や、「子どもが自分で課題を解決する時間を確保」といった授業の手法が記されている。
 こうした画一的なルールの広がりについて、村上氏は若手教師の授業の質を一定水準に保つ役割はあるとしつつも、「守ることが目的化してしまう危険がある。教師自ら判断することを望んでいない傾向があるのではないか」と懸念する。
 教師の間にも異論はある。勤務先の小学校で18年度にスタンダードが導入されたという福岡県の男性教師(60代)は「学校にとって理想の子ども像が書かれている」と話す。
 机上に置くノートや筆箱の位置、発表や話を聞く態度、あいさつの仕方、廊下の歩き方に加え、靴や傘、トイレのスリッパの置き方、休み時間の遊び方の注意点まで書かれている。「子どもには、ルールを作っていく力こそが必要なのに…。スタンダードが浸透するほど枠組みになじめない子が排除される心配もある」。ベテラン教師のそんな疑問は、スタンダードを推し進める校長の前でかき消されがちだという。
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 算数で定規を使うことは、例えばグラフや表を作成する際には必要ですが、果たして筆算の横線を引く際に使用するかどうかは意見が分かれます。上記の記事にあるように「教師自身が考えなくなっている」ということは一理あります。生徒が置かれている状況を考慮し、何が一番必要か、どのような道具を使用するかは授業内容によります。
 画一的な指導が必ずしも良いとは限りません。教育現場では教師一人ひとりの創意工夫が必要とされる所以です。それをしないと、ただ機械的に指導しているだけで、その場に応じたふさわしい指導が欠如することになります。
 昨今話題になっている事故が続出している組体操の在り方やブラック校則など、生徒の現状に応じた指導が必要となってきます。「以前はこうだったから」や「長年ずっとやっている」は通用しない時代です。生徒の能力をいかに引き出し、開花させるために従来の指導方法に拘らず、その時代に応じた指導方法を考える必要があります。それが教師の「独創性」ということになります。

2019年09月29日

#261 心がほっとする話

 昨日九州地方を駆け抜けた台風17号は今朝温帯低気圧になり日本海を進んでいます。温帯低気圧とは言いながら、暴風・大雨の性格を帯びていますので、低気圧の進行方向にいる皆様は充分お気をつけ下さい。
 台風17号は大型の台風で、九州の西側を通るコースを移動しましたので(この場合が九州の西部や大牟田市にとり最悪のコースになります)、一日中自宅にいて台風が通過するのを待っていました。台風15号ほどではありませんが、九州地方では14万件以上が停電し、現在も長崎県を中心に3万戸以上が停電しているようです。早急の電力復旧が待たれます。3週間前の台風15号による千葉県内の停電はまだ完全に復旧していません。1つの台風の被害がいかに大きなものであるかを考え、予知が難しい地震と異なり、台風は進行方向が予見できますので、あらかじめ台風に対する対策を十分する必要があります。
 さて今日は台風一過でもあり、心からほっとする話をご紹介します。まず最初は航空会社の思いやりのある対応です。

「お連れ様はどちらですか?」妻に先立たれた男性、客室乗務員の対応に…
 半世紀以上も連れ添った妻に先立たれた、横浜市の知人男性からこんな話を聞いた。男性は葬儀を終えた後、故郷である佐賀県唐津市の寺に納骨するため、羽田空港から空路、九州へと向かった。
 遺骨を機内に持ち込めることは知っていた。でも入れたバッグがかなり大きく、念のため搭乗手続きの際に中身を伝えた。機内に乗り込み、上の棚にバッグを入れて席に着くと、客室乗務員がやって来てこう言った。「隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?」
 搭乗手続きで言ったことが機内に伝わっていたのだ。男性が「ああ、上の棚です」と説明すると、乗務員はバッグごと下ろしてシートベルトを締めてくれた。飛行中には「お連れ様の分です」と飲み物も出してくれたという。
 「最後に2人でいい“旅行”ができた」と男性。その表情を見ていたら、こちらも温かい気持ちになった。 (https://www.nishinippon.co.jp/item/n/357086/)

 国内の航空会社の心温まる応対です。どこの航空会社か分かりませんが、亡妻の遺骨を「もの扱い」せず、一人の人間として扱ってくれたこの会社に拍手です。さて次に紹介します話は「これぞプロ意識!」と言えるものです。

「食べさせられませんから」通話中に冷めたラーメン 若い店主の行動に客は驚き
 ふらりと立ち寄った、あるラーメン店。こだわりのスープが売り物とか。まだ若い店主の元気な声が響く。ラーメンを注文した客の携帯電話が鳴った。込み入った内容らしい。客は話しながら店の外へ。出来上がったラーメンが席に置かれた。客はなかなか戻ってこない。
 しばらくして席に着いた客がラーメンに手を伸ばそうとした。その時、店主はさっとラーメンの器を引いて、湯気の立つ作りたてに取り換えた。驚く客に「お客さんに、冷めたラーメンは食べさせられませんから」
 「2杯分の料金を」との申し出を固辞した店主。そのTシャツの背中に書かれた文字に目が留まった。「一杯入魂」。野球の「一球入魂」のもじりだろうか。なるほど。この店のラーメンがうまい理由が分かった
 仕事帰りに乗った、ある路線バス。停留所に止まるたび、運転手が車内アナウンスを繰り返す。「週末の金曜日です。1週間、お疲れさまでした」
 バスを降りるお年寄りには「寒いですから気を付けて」「自転車にご注意ください」。あえて言えば「一停入魂」か。学生たちが「ありがとうございました」と笑顔で降りていった。外の風は冷たいが、車内は何だかポカポカと
 ラーメン店主とバス運転手。仕事は違っても、心を込めて最良のサービスを提供しようというプロ意識には通じるものが。料金はいつもと同じなのに、すごく得をした気分にしてくれた。(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/388375/)

 このラーメン屋の店主やバスの運転手のプロ意識は私たちが模倣しなければならない姿勢でもあります。学生は学生らしく、社会人は社会人らしく、自分の仕事に誇りを持ち周りの人々に真摯に対応する姿勢はまさに「プロ意識」を持った職人と言えるでしょう。
 今日は秋分の日です。現在私たちがこの世に存在しているのは先祖の方々のおかげです。台風一過、墓参してはいかがでしょうか。

2019年09月23日

#260 備えあれば憂いなし?

 朝から秋晴れで、涼しい秋風が吹いています。日中は30度を越す日々がまだ続いていますが、朝晩は爽やかな風が吹くようになりました。このまま秋らしい日々が続いてほしいものです。
 さて、今日は敬老の日で3連休(または2連休)の最終日になります。ウィキペディアによりますと「敬老の日」は『敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。』ということです。
 この「老人」の定義が時代により大きく変わってきました。老人福祉法では65歳以上を「老人」、「高齢者」と定義しているようです。だから65歳から年金が支給されるのでしょう。しかしながら、年金財政の枯渇に伴い、政府は年金支給を70歳に変更する計画を立てています。そうしますと、65歳の「老人」という呼称は皮肉にも「後期中年」または「後期壮年」となるのでしょうか。
 10月からの消費税増税に伴い大半の商品の値段が上がりますが、年金のみに頼るお年寄りにとって、ある意味では国による高齢者に対する「いじめ」になります。これでは老人を敬う「敬老」が老人を軽んじる「軽老」となってしまいます。政治家のように年齢にかかわらず働ける環境にいる高齢者は収入がありますが、収入のない年金暮らしの高齢者は少ない年金を切り詰める生活をしなければなりません。
 財務省のトップが老後資金として定年後30年間生活するために2000万円必要だと論じましたが、この基準はいわゆる「老後報告書」の中で、「高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月5万円程度を保有資産から取り崩しており、これを基に収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合には、20年で約1300万円、30年で約2000万円の取り崩しが必要となる」旨の記述があり、これがネット上で炎上したのです。
 大企業で働いた退職者は退職金が少なくとも5,6千万円貰えるでしょうし、企業年金の形で支給されます。そのお金の一部を利用して資産形成もできるでしょう。ところが中小企業や零細企業に勤めている人は退職金は極端に少なく、1千万円以下の人が少なくありません。このような状態では2000万円どころではなく、退職したその日から日々の暮らしに困ることになります。つまり体が動く限りパート等で働かざるを得ないのです。
 また、いくら貯金があっても充分ではありません。病気やケガ、想定外の自然災害による緊急の出費が必ずあります。老後の生活は個人の生活レベルにより異なりますが、せめて人間らしい生活は送りたいものです。「備えあれば憂いなし」と言いますが、金銭面だけでなく健康面も含めて、あくまでも人間として尊厳ある生活を送りたいものです。「敬老の日」にこんなことを考えてみました。

2019年09月16日

#259 ざんねんないきもの2

 今朝は朝から快晴の天気が続いていますが、ここ数日間は昼間に局地的な豪雨が降り続いていました。夕立とは異なる梅雨の末期の集中豪雨のような土砂降りの雨が10分ほど降り続いたかと思うと、急に日差しが指してきて天気が回復しますが、また数10分ほどで土砂降りの雨が降ってきます。そのような状態がここ大牟田でも2,3日続きました。先日のニュースでは横浜で数時間豪雨に見舞われ、幹線道路がまるで海のようになっていました。秋晴れとなるには、もう少し時間がかかりそうです。また今夜半には台風15号が関東に上陸する見込みですが、被害が大きくならないことを祈るばかりです。
 さて、ブログ#257で紹介しましたが、「続ざんねんないきもの事典」を購入して現在読んでいます。「へえ~」、とか、「えっ!?」というような内容ばかりが載っており、思わず笑ってしまいます。今日はその中からいくつか紹介しましょう。

〇クマノミはいちばん大きいオスがメスに変身する
 クマノミは、イソギンチャクに潜り込んで身を守っています。だいたい1株のイソギンチャクにひとつの群れが暮らしていますが、群れのなかにはメス1匹だけで、あとはすべてオスです。
 このメスはどこから来たのかというと、なんとオスが性転換したもの。群れの中で一番大きなオスがメスに変わり、残ったオスの中で一番大きなオスと夫婦になって卵を産むのです。
 イソギンチャクから離れられないクマノミは、卵を産んでいいのは一番大きなものの特権ということでしょうか。

 クマノミの面白い習性ですね。人間でいえば、一種の同性婚でしょうか?この点ではクマノミの方がずっと進歩しているのでしょう。次は私たちの身の回りにいるハトの話です。

〇ハトはあおむけにされると動けない
 公園や駅にいるハトは、つねにせわしく動き回っていますが、じつは体をあお向けにしてギュッとにぎると、置物のように固まって動けなくなります。
 これは死んだふりの一種と考えられます。敵につかまり身動きがとれなくなったら、いったんムダな抵抗をやめ、油断したすきに全力で逃げるという作戦のようです。
 この性質に目をつけたのが手品師。どこに置いてもじっとしているので、箱やらハンカチやら胸ポケットにしまわれることになりました。そして1000年も前から、ハトは手品師のよき相棒として、みんなを楽しませているのです。

 確かにテレビで手品を観ていますと、どこからとなくたくさんのハトが手品で登場します。ハトの性質を利用していますね。ところで以前手品を見ていたときに、ハトを使った手品があったのですが、ハトが手品師のポケットから飛び出さずにそのまま固定された状態で床に落ちたことがありました(笑)。ハトが緊張しすぎて固まってしまったのでしょうか。もうひとつ紹介しましょう。

〇ウマは全力で走ると死ぬ
 ウマは頭がよく、人になつきやすい性格をしています。人を乗せて走れる動物の中では最も速く、乗馬というスポーツもできたほど。昔はウマに乗って戦ったり、旅をしたりしていたので、いくらでも走れそうに思いますが、実際は頑張りすぎると、心臓発作で死んでしまいます。
 実際に、モンゴルのお祭りで行われている草原を30kmも走るレースでは、ゴール前に力尽きてしまうウマもあるそうです。人間もほかの動物も、限界が来る前に力を緩めてしまうものですが、ウマは全力を尽くし、身を滅ぼしてしまうのです。

 ウマは人間の言うことを聞いて一生懸命頑張りすぎるのでしょうか。でも競馬では距離が短いせいか、途中で死んだウマの話を聞いたことがありません。ところで一番長距離を走ることができるのは人間らしいです。このことは英検2級の問題に出題された内容ですが、チーターなどはとても足が速い代わりに短距離しか走れません。しかし人間は長距離に適した骨格をしており、他の動物に比べてそれほど足は速くありませんが、狩りをするときに、獲物を追い詰めて仕留めてしまうことを繰り返して、今日の繁栄の基礎を作ったと問題文に書いてありました。
 私たちが知っているようで、けっこう知らないことがたくさんあります。今まで当たり前と思っていたことが、様々な発見により新しい世界が広がっていきます。些細なトリビアですが、知ることで世界が広がっていき、楽しくなります。

2019年09月08日

#258 夏の終わりとセミの声

 先日の豪雨による大きな災害が佐賀県を中心にでています。特に大町町では工場からの工業用油の流失で付近の田畑や住宅が大規模の範囲で油まみれになっており、稲作が全滅の状況です。また油の一部が有明海に流れ込んでおり、国内最大のノリ養殖に甚大な危害が出る可能性があります。想定以上の豪雨のために予期せぬ人災が生じてしまいます。企業側は様々なことを想定したうえで、自社の工場等を守り、かつ周囲に影響を与えないような対策を取る必要があるでしょう。災害地がすみやかに復旧することを祈ります。
 ところで今日は8月31日で、暦の上では夏の終わりです。普段ですとお盆過ぎからセミの鳴く声がツクツクボウシへと変わり、晩夏を彩るのですが、今年の夏はお盆過ぎから連日雨が続き、特に先日の豪雨でここ数日はセミの声がほとんど聞こえません。おそらくセミたちも雨に打たれて死んでいったのでしょう。ツクツクボウシの鳴く日が今年来るのか心配です。去りゆく夏を惜しんで鳴くセミは晩夏の風物詩とも言えます。
 さて、今日はセミに関する面白い記事を見つけましたのでご紹介します。

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『セミの最期は澄んだ空を見ることさえできない
        土の中に何年も潜り、一夏で子孫を残す』(東洋経済オンライン)
 生きものたちは、晩年をどう生き、どのようにこの世を去るのだろう──。
老体に鞭打って花の蜜を集めるミツバチ、成虫としては1時間しか生きられないカゲロウなど生きものたちの奮闘と哀切を描いた『生き物の死にざま』(稲垣栄洋著 草思社)から、セミの章を抜粋して掲載する。

〇死を待つセミは何を見る。
 セミの死体が、道路に落ちている。セミは必ず上を向いて死ぬ。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がる。そのため、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうのだ。
 死んだかと思ってつついてみると、いきなり翅(はね)をばたつかせてみたりする。最後の力を振り絞ってか「ジジジ……」と体を震わせて短く鳴くものもいる。
 別に死んだふりをしているわけではない。彼らは、もはや起き上がる力さえ残っていない。死期が近いのである。仰向けになりながら、死を待つセミ。彼らはいったい、何を思うのだろうか。彼らの目に映るものは何だろう。澄み切った空だろうか。夏の終わりの入道雲だろうか。それとも、木々から漏れる太陽の光だろうか。
 ただ、仰向けとは言っても、セミの目は体の背中側についているから、空を見ているわけではない。昆虫の目は小さな目が集まってできた複眼で広い範囲を見渡すことができるが、仰向けになれば彼らの視野の多くは地面のほうを向くことになる。もっとも、彼らにとっては、その地面こそが幼少期を過ごした懐かしい場所でもある。
〇「セミの命は短い」とよくいわれる。
 セミは身近な昆虫であるが、その生態は明らかにされていない。セミは、成虫になってからは1週間程度の命といわれているが、最近の研究では数週間から1カ月程度生きるのではないかともいう。とはいえ、ひと夏だけの短い命である。
 しかし、短い命といわれるのは成虫になった後の話である。セミは成虫になるまでの期間は土の中で何年も過ごす。
 昆虫は一般的に短命である。昆虫の仲間の多くは寿命が短く、1年間に何度も発生して短い世代を繰り返す。寿命が長いものでも、卵から孵化(ふか)して幼虫になってから、成虫となり寿命を終えるまで1年に満たないものが、ほとんどである。
 その昆虫の中では、セミは何年も生きる。実に長生きな生き物なのである。
〇幼虫の期間が長い理由
 一般に、セミの幼虫は土の中で7年過ごすといわれている。そうだとすれば、幼稚園児がセミを捕まえたとしたら、セミのほうが子どもよりも年上ということになる。
 ただし、セミが何年間土の中で過ごすのかは、実際のところはよくわかっていない。何しろ土の中の実際の様子を観察することは容易ではないし、仮に7年間を過ごすとすれば、生まれた子どもが小学生になるくらいの年数観察し続けなければならない。そのため、簡単に研究はできないのだ。土の中での生態については、いまだ謎が多いのである。それにしても、多くの昆虫が短命であるのに、どうしてセミは何年間も成虫になることなく、土の中で過ごすのだろう。
〇セミの幼虫の期間が長いのには、理由がある。
 植物の中には、根で吸い上げた水を植物体全体に運ぶ導管(どうかん)と、葉で作られた栄養分を植物体全体に運ぶ篩管(しかん)とがある。セミの幼虫は、このうちの導管から汁を吸っている。導管の中は根で吸った水に含まれるわずかな栄養分しかないので、成長するのに時間がかかるのである。
 一方、活動量が大きく、子孫を残さなければならない成虫は、効率よく栄養を補給するために篩管液を吸っている。ただ、篩管液も多くは水分なので、栄養分を十分に摂取するには大量に吸わなければならない。そして、余分な水分をおしっことして体外に排出するのである。
 セミ捕り網を近づけると、セミは慌てて飛び立とうと翅の筋肉を動かし、体内のおしっこが押し出される。これが、セミ捕りのときによく顔にかけられたセミのおしっこの正体である。夏を謳歌するかのように見えるセミだが、地上で見られる成虫の姿は、長い幼虫期を過ごすセミにとっては、次の世代を残すためだけの存在でもある。
〇繁殖行動を終えた成虫に待つのは…
 オスのセミは大きな声で鳴いて、メスを呼び寄せる。そして、オスとメスとはパートナーとなり、交尾を終えたメスは産卵するのである。これが、セミの成虫に与えられた役目のすべてである。繁殖行動を終えたセミに、もはや生きる目的はない。セミの体は繁殖行動を終えると、死を迎えるようにプログラムされているのである。
 木につかまる力を失ったセミは地面に落ちる。飛ぶ力を失ったセミにできることは、ただ地面にひっくり返っていることだけだ。わずかに残っていた力もやがて失われ、つついても動かなくなる。
 そして、その生命は静かに終わりを告げる。死ぬ間際に、セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか。あれほどうるさかったセミの大合唱も次第に小さくなり、いつしかセミの声もほとんど聞こえなくなってしまった。
 気がつけば、周りにはセミたちのむくろが仰向けになっている。夏ももう終わりだ。季節は秋に向かおうとしている。
(https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/セミの最期は澄んだ空を見ることさえできない-土の中に何年も潜り%ef%bd%a4一夏で子孫を残す/ar-AAGhqYF#page=2)

 人間の80年の命に比べれば、成虫となりわずか7日しか生きられないセミは確かに短命ですが、人間と大木を比較すると、何千年も生きる木と比べると人間は短命です。真夏に声を絞りながら必死に生きていくセミのように、私たちも勉強し、働き、自分の人生を謳歌して命を全うする人間でいたいものです。
 明日は9月1日、暦の上では秋がもう始まります。

2019年08月31日

#257 ざんねんないきもの

 ここ数日秋雨前線のせいで、ぐずついた天気が続いています。昨晩は室温が25度以下でしたので、エアコンをつけずに寝ましたが、今朝は寒さで目が覚めました。外気温が17.4度、室内の温度計では22度でした。私の記憶では8月にこれほど気温が下がった日はないと思います。10月中旬までは最高気温が25度を超える日がありますので、今日の気温はまるで10月下旬の気温です。わずか一日で2か月ほど気温が進んだ感覚です。天気が回復すればまた30度を超える日々が続くのでしょうか。日々の極端な気温変化のせいで、体調を壊さないように充分ご留意してください。
 さて先日歯の治療のために近くの歯科医院に行きましたが、治療を待っている間に面白い本を見つけました。「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)という児童向けの漫画時点です。ページをめくると面白い内容が次々に出てきます。雑学事典として子どもだけでなく大人でも十分楽しめる内容です。少し紹介しましょう。

〇ダチョウは脳みそが目玉より小さい
 ダチョウは世界最大の鳥で、あらゆるサイズが規格外です。頭までの長さが2.4m、体重150㎏にもなる巨大な体は文句なしに鳥類ナンバーワン。卵の重さも1.5㎏あり、その黄身は世界最大の細胞でもあります。当然体のパーツも大きく、目玉だけでも直径5㎝、重さは60gあります。これはニワトリの卵とちょうど同じぐらいの大きさです。
 こうなると脳の大きさもさぞおおきそうなものですが、たった40gしかありません。つまり目玉以下です。頭のよさは大きさだけでは決まりませんが、実際ダチョウはかなり記憶力が悪いそうです。

「大男総身に知恵が回り兼ね」(体ばかりが大きくて知恵のない人をあざけっていう言葉)と言いますが、ダチョウにもこの事が当てはまりそうです。もう1つ紹介します。

〇シマリスのしっぽはかんたんに切れるが、再生しない
 シマリスはふさふさのしっぽを上手に使って、木の上でバランスをとったり、毛布がわりに抱えて眠ったりします。
 とても便利なしっぽですが、ひっぱられると簡単に抜けます。しっぽの骨のまわりの毛と皮膚がずるっとむけてしまうのです。これはリスの仲間に共通する特徴で、敵に襲われたときにしっぽを捨てて逃げるという、トカゲと同じ発想の防御方法です。ただし、リスのしっぽは再生しません。ペットとしても大人気のシマリスですが、はしゃいでしっぽを持つと地獄絵が広がることにもなるので、注意しましょう。

 リスのしっぽは体の部分に比べて大きくふさふさしており、特に冬はしっぽを体に巻いて暖かく過ごすなど、とても便利なものですが、まさかしっぽがちょん切れるとは知りませんでした!!!。ブログ読者のみなさんは決してペットのリスや観光地にいるリスのしっぽを引っ張らないように注意してください。簡単に抜けるそうです。しっぽが抜けた後のリスを想像してください。なんだかネズミみたいな姿になってしまいます。あまりにも哀れな姿になっていしまいます(笑)。
 この他にも私たちが知らない情報がこの本にたくさん載っています。雨の日に暇つぶしにこの本のページをめくるのはいかがでしょうか。このような雑学は読むだけでなく、周囲の人に教えてあげましょう。一度に人気者になりますよ!
 現在このシリーズは4巻発売されています。興味のある方は書店まで足を運んでみてください。きっと新しい世界が広がると思います。

2019年08月25日

#256 長崎とNagasaki

 先日の大騒がせな台風が秋風を何処からか運んできたようです。ここ数日間昼間はまだ厳しい残暑が続いていますが、早朝や夜遅く涼しい風が吹き出しています。少しずつ夏が終わりを告げているようです。
 さて、同じ言葉や表現でも、ところ変われば全く使い方が異なる事例が散見されます。例えば「長崎」と言えば日本人は異国情緒、中華街、出島、26聖人を始めとするキリスタン弾圧などが思い浮かぶのではないでしょうか。ところがアメリカでは意外な意味に使われていることが明らかになりました。今月8日の西日本新聞で、次のような記事が紹介されました。(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533636/)

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『米ドラマで「ナガサキする」 “破壊する”の意味で使用 原爆に着想、俗語表現か』
 米国で大ヒットし、日本でもNHKで放映されている連続ドラマ「THIS IS US(ディス・イズ・アス)」で、「Nagasaki」という単語が「破壊する」「つぶす」という意味の動詞として使われている。原爆の壊滅的な威力を踏まえ、完膚なきまでにたたきつぶすという意味合いで用いたとみられる。日本語版製作関係者によると「ナガサキする」という動詞としての用法は、過去の欧米作品には見当たらず「ショックを受けた」といった声が上がっている。
 作品は誕生日が同じ36歳の男女3人と両親を中心に描く連続ドラマ。米NBCテレビが放映し、テレビ界最高の栄誉とされるエミー賞の主演男優賞も受賞、続編の製作が続いている。
「Nagasaki」がせりふに使われたのはドラマのシーズン1(計18話)第2話「ビッグ・スリー」。主要人物の一人、俳優ケビンがコメディードラマで道化役を続けるのに嫌気が差し降板を決意、テレビ局の代表と会話する場面だ。ケビンに対し代表は言う。
 「If you do,I'll be forced to Nagasaki your life and career.(もし降りるなら、君のキャリアを徹底的につぶすしかない)」
 さらに、かつて人気だった別の俳優の名前を挙げ、自分に逆らった俳優の末路を思い知らせようとする。さらに、かつて人気だった別の俳優の名前を挙げ、自分に逆らった俳優の末路を思い知らせようとする。
 「I Nagasak'd him.(私がつぶした)」
 (日本語訳はDVD吹き替え版、英語は英語字幕より)
 日本市場向けに作品の字幕・吹き替え製作を担当した東北新社(東京)によると「Nagasaki」という単語が動詞に使われたケースは「確認できる範囲では、過去に事例はない」といい「このような使い方をされていることに驚いた」と話した。
 一般的な辞書には記載がなく、特殊な俗語表現とみられる。
 西日本新聞は電話とメールでNBCに取材、表現の意図をただしたが、同社広報担当者は回答しなかった。NBCの発注でドラマを製作した米国の20世紀フォックステレビジョンは取材に対し「プロデューサーは、エピソード自体に語らせることを望んでおり、残念ながらそのことについて話すつもりはない」と回答した。
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 どのような背景でNagasakiが使われるようになったのか詳細は分かりませんが、脚本家の印象としてnagasaki=破滅の意味で用いたのでしょう。しかしその脚本家は原爆投下後の長崎の惨状を知らないと思われます。実際の長崎の惨状をフィルムや写真等で目にすれば、このような表現を使おうとは思わないでしょう。nagasakiという表現は正式な英語表現ではないようですが、軽はずみで使用して欲しくないと思います。
 同じく西日本新聞の今月9日のオピニオン欄に次の記事が掲載されました。

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『福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さんが留学したのは米ワシントン州リッチランドという町…』(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533999/)
 福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さん(現在明光学園高等学校の3年生です。)が留学したのは米ワシントン州リッチランドという町。長崎原爆に使われたプルトニウムの生産基地だった
 戦後も核関連産業が経済を支える「原子力の町」。原爆のきのこ雲は町のシンボルであり誇りでもあった。学校のロゴマークや学用品にもそのデザインが使われていたという。
 そんな米国での「当たり前」が、長崎の原爆資料館を訪れた経験もある古賀さんに違和感と疑問を募らせる。多くの人の命を奪った原爆は誇れるものですか。犠牲になったのは普通の市民なんです―
 現地で思いを発信した。どんな反応が返ってくるか、不安や恐怖心さえあっただろう。反響は両論あった。「原爆のおかげで終戦が早まった」との肯定論は変わらずにある。一方で、あなたが声を上げなければ「日本側の考えを知る機会は一生なかった」との意見も届いたそうだ
 原爆を落とした側にとって、立ち上るきのこ雲は軍事的にも政治的にも勝利の象徴である。だから、その下で起きた惨劇は国民に伝えられない。街や人が溶かされるように壊されたことを、知る機会も知らされる機会も多くはないと聞く
 3日前の本紙にあった古賀さんの記事を読みながら、異国で振り絞ったであろう勇気の大きさに心が揺れた。「被爆国の国民として問い続けていきましょう」と18歳の若者に後押しされたような、今日は長崎原爆の日。
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 なお、古賀野々華さんに関する記事は次のものです。動画サイトが添付されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。

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『【動画あり】「きのこ雲、誇れますか?」高3の動画が話題に 米留学先の高校ロゴに異議』
 「きのこ雲の下にいたのは兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに感じるべきでしょうか」-。福岡県大牟田市の高校3年生、古賀野々華さん(18)が、米国の高校に留学していた5月、校内向けの動画で、原爆のきのこ雲を模した高校のロゴマークに異を唱えた。動画はインターネット上で拡散し、広く話題に。1年間の留学を終え、6月に帰国した古賀さんは「批判を恐れずに、自分の意見を伝えることの大切さを学びました」と振り返った。
 留学先は米ワシントン州リッチランドにあるリッチランド高。町では戦前、長崎に投下された原爆のプルトニウムが生産された。原子力の生産や技術の研究が町の発展に寄与し、核関連産業が町の経済を支えてきた。
 同校のロゴマークは「R」の文字にきのこ雲を模したもので、パーカやジャージーなどあらゆる学用品にあしらわれている。
 「原爆を、こんなふうに扱っていいの?」。留学後に町の歴史を知り、日々を過ごすうちに膨らんだ違和感が問題意識に変わったのは半年が過ぎた頃。米国史の授業で、多くのクラスメートが「原爆のおかげで戦争が終わった」との考えを示していたからだ。
 そんな古賀さんの様子に気付いた教師から、校内放送に出演し、メッセージを伝えることを勧められた。読み上げる英文作りには、ホームステイ先のホストマザーも協力してくれた。
 帰国を間近に控えた5月30日、校内放送に出演した。原爆投下で大勢の市民が犠牲になったこと。日本では原爆の恐怖を学び、犠牲者を悼む「平和の日」があることなどを紹介。「きのこ雲は、爆弾で破壊したもので作られています。きのこ雲に誇りを感じることはできません」と締めくくった。
 歴史あるロゴマークに愛着を持つ人も多い中、同級生から「あなたを誇りに思う」「あの動画がなければ日本側の意見を知ることは一生なかった」と勇気ある行動を称賛された。地元紙でも取り上げられ、古賀さんのメッセージをきっかけにさまざまな場所で議論が生まれた。
 「ここまで反響があるとは思いませんでした。私はロゴマークを変えさせたかったわけではありません。ただ、(原爆を)投下された側の気持ちを知ってほしかった」。いま、古賀さんはそう振り返る。将来は、米国で学んだことを生かした仕事に就きたいという。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533053/?page=2)
*動画サイトのURL(https://youtu.be/mpY8q1XH3QI)
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 加害者が被害者の心情を理解するのは難しいものです。足を踏んだ者は踏まれた者の痛みを理解するのが難しいものです。私たちの日常生活でも何気なく話していることが相手の気持ちを傷つけることが多々あります。それを避けるために相手に対して思いやりを持って接する必要があります。換言すれば、いじめている者はいじめられている人の気持ちが分かっていません。自分がいじめられて初めてその心情を理解できるのです。相手の立場を少し想像すれば相手の気持ちが分かるはずです。よいコミュニケーションとは常にお互いの気持ちを考え言動することです。このことは個人間だけでなく、国家間にも当てはまります。

2019年08月18日

#255 進研模試が売買される!

 お盆休暇を混乱させた大型台風もようやく日本列島から遠ざかり、今日はまた真夏の太陽が輝いています。休暇を1日繰り上げて帰宅した人や、帰郷を1日延期した人などで昨日は列島中が混乱しました。今後も多くの台風が発生すると予想されますので、これからの台風シーズンに備える必要があります。
 さて本日のブログですが、教育界で心配されていたことが実際起こっています。2日前の西日本新聞によりますと、高1から高3、受験生まで広く全国規模で行われている進研模試がネット上で売買されているようです。

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『進研模試、ネット売買横行 全国で40万人受検 実施日のずれ悪用』
 「インターネット上で進研模試の『ネタバレ』が売買されています」。高校1年生の子どもを持つ母親から、特命取材班にそんな声が届いた。進研模試とは、通信教育大手ベネッセコーポレーションが実施し、全国の高校約3千校で約40万人が受検する民間模試。参加校で実施日が異なるのを利用し、問題と解答・解説が会員制交流サイト(SNS)などで出回っているという。調べてみると、他の模試も含めて不正は10年以上横行していた。
「高1 7月の進研模試の国数英すべての問題、解答の写真をiTunesカード1500円でお送りします」
 7月中旬。ツイッターで「#進研模試ネタバレ」と検索すると、同種の投稿がずらりと並んだ。「全教科配布できます」「問題のみ アマギフ1500円 回答つき アマギフ3000円」-。
 模試の表紙や問題の一部を写した写真が添付されている。iTunesとは、音楽・映像配信サービス「iTunes(アイチューンズ)」、アマギフとはネット通販大手「アマゾン」のギフト券のこと。欲しいという人にはメールで全写真を送り、電子マネーで報酬をもらうやり方だ。大手予備校の河合塾、駿台予備校の模試についても同様のツイートが確認できた。
 フリーマーケットアプリ大手のメルカリにも数百~数万円で多数出品されていた。試しに7月の進研模試地歴、公民、理科の3教科を計888円で購入すると、3日後に書き込みのない問題と解答・解説、解答用紙が手元に届いた。
 ベネッセによると、ネットを利用した「ネタバレ」が問題となり始めたのは2005年ごろ。「ネタバレ板」と呼ばれる掲示板に問題や解答を直接書き込む形だった。同社は不正な書き込みの削除申請を続けている。近年、ツイッターやフリーマーケットアプリで不正が確認されたことから、18年からは大手3社(メルカリ、ヤフオク、ラクマ)と連携。削除を確実に行うという約束を取り付けたという。
 それでも不正な投稿、出品は絶えない。ベネッセは「SNSを常に監視はできない。連携する3社以外については、申請をしても削除するかどうかの判断、時期はSNSの運営側に委ねられる」と頭を抱える。
 模試には「統一実施日」があるが、実際は行事など各校の都合で前後して実施する高校が多い。7月模試は6月29日が実施日とされていたが、取材班に声を寄せた女性の子どもの高校では7月13日に行われた。
 そもそも実力を試すための模試で、不正をするメリットはあるのか。女性は「模試の結果を大学の推薦に利用する学校もあると聞いた。子どもの学校では、クラス分けの判断材料に使う重要な試験だと言われた」と打ち明ける。
 確かに昨年7月、関西の私立大付属高校で一部生徒が模試の解答をネット上で入手していた問題が発覚。同校では、模試を内部進学の合否判定に使っていた。
 ほかにメリットはなさそうだ。福岡県の公立高校に勤める30代女性教諭は「模試の結果が、内申点や大学推薦に影響することはあり得ない」と話す。
 不正によって模試でいい成績をとっても、実際の入試で結果を出さなければ意味がない。女性教諭は「親が高いお金を出しているのにもったいない」。長崎県の公立高校の50代男性教諭も「模試のデータ全体の信頼性にも関わるし、進路選択上も問題が出てくる。不正をしても自分のためにならない」と呼び掛けた。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/534969/)
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 進研模試や河合模試など、全国規模の模試は多くの高校で生徒の学力を測ったり、特に高校3年生では志望校の判定に使用したりします。これらの模試は学校行事のために標準実施日の前後2週間を実施予定日として各学校で実施日を定めています。その際に問題が漏れないように、標準実施日よりも早く実施する学校では試験終了日に問題を回収し、標準実施日以降に生徒に返却するのが普通です。
 進研模試の利用としてはクラス編成や志望校判定等に利用しますが、進研模試だけを判断材料にすることはまずありません。クラス編成など使用する重要な資料として、定期試験等による学期・学年成績と校内実力試験が挙げられます。両者を比較検討し、最終的に進研模試などの校外模試を参考にすることがあります。特に高3の大学推薦入試では高校3年間の学習成績(5段階評定)に加えて生徒会役員や部活動の部長や全国大会に出場した優秀な経歴を持つ生徒を受験するにふさわしい生徒として選ぶのが普通です。
 進研模試の成績は生徒個人の成績を表す1つの指標となりますが、それがすべてではありません。実際、学期成績と進研模試の成績は正比例しますので、進研模試だけ成績がずば抜けていることはありません。
 過去において他校の生徒から進研模試の問題をもらったかは判断できませんが、突然成績が急上昇した生徒がいました。もちろんこのような生徒の模試成績は充分注意して扱ったことを思い出します。
 ネットが普及した現代では何でも売買することが可能ですが、小銭稼ぎのために良心を無くすことは恥ずかしい犯罪行為だと分からないのでしょうか。嘆かわしいことです。

2019年08月16日

#254 上を向いて歩こう

 今日は8月13日、今日から15日までが盂蘭盆会(うらぼんえ)で、お盆の仏事供養(くよう)または供養のための法要・儀式のことで、略して盆会、盆供(ぼんく)、盆といわれ、魂祭(たままつり)ともよばれています。関東では7月13日から7月15日まで行われるそうです。ニッポニカによりますと、この儀式の由来は次のように説明されています。

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 おそらく5世紀前後に中国(あるいは西域(せいいき))でつくられたと思われる『盂蘭盆経(ぎょう)』が、この仏教行事の直接のよりどころである。この経によれば、目連(もくれん)尊者が、餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しむ母親を救おうとし、仏陀(ぶっだ)(釈迦(しゃか))の教えに従い7月15日の自恣(じし)の日(夏3か月の修行の終わる日)に百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)を盆に盛り、修行を終えた僧たちに供養したところ、その僧たちの偉大な功徳(くどく)によって母親を救うことができたという説話(目連救母)に基づく。この故事によって、7月15日の盆供養は現在の父母のみならず7世の父母をも救いうると考えられ、中国では早くも南朝梁(りょう)の武帝(在位502~549)の時代に同泰寺で盂蘭盆斎が設けられ、以後、中国の年中行事の一つとなって大いに流行したという。日本にも7世紀のなかば以前に伝わり、飛鳥寺(あすかでら)の西に須弥山(しゅみせん)の形をつくって盂蘭盆会が催されたと伝えられる。733年(天平5)には宮中で盂蘭盆供養が催されており、以後、宮中の行事ともなった。また民間でもお盆の行事は正月と並ぶ重要な年中行事となったが、これは、農耕儀礼やそれにまつわる祖霊信仰のなかに仏教がうまく溶け込んだ結果であろう。
----------(https://kotobank.jp/word/盂蘭盆会-441915)

 このお盆の期間中多くの人が里帰りや墓参りで故郷で過ごします。年末年始休暇とともに日本人の2大民族移動と言えます。
 さて昨日は520人が犠牲となった日航機墜落から34回目の慰霊の日となりました。あの事故以来遺族の方々は今日にいたるまで慰霊の登山を続けて来られました。私がまだ20代だった頃の悲惨な事故でした。当時この事故を表す「ダッチロール」という言葉が流行っていました。飛行機の操縦ができずに飛行機が迷走する状態を表す言葉です。
 この事故の犠牲者の中に有名な坂本九さんがいらっしゃいます。享年43歳という若さでした。彼の歌った「上を向いて歩こう」は「SUKIYAKI」の曲名で世界的にヒットし、1963年にアメリカのビルボードで4週連続1位となった曲です。
 私はこの歌にささやかな思い出があります。オーストラリアのシドニーで暮らしていた1995年頃にこの歌の日本語バージョンを何度も聴いたことがあります。ある日シドニー市内のニュータウンという通りを歩いていた時に、どこからかこの歌が聞こえてきました。それも坂本九さんの日本語の歌声です。それから時々坂本九のオリジナルバージョンや英語バージョンが街中に流れていたことを思い出します。
 日本に住んでいた頃、この曲の偉大さにはそれほど気づきませんでしたが、南半球の片隅で聴いた「上を向いて歩こう」はこの歌の持つ時代を超えた魅力に改めて気づかされた出来事でした。
 坂本九さんが今生きておられたら、どんなに素晴らしい歌手になっていらっしゃったことでしょうか。本当に残念です。でも彼が歌ったこの歌は世界中でいつまでも歌い継がれて行くことでしょう。

2019年08月13日

#253 焼き場に立つ少年

 暦の上では立秋を迎えましたが、最高気温35度を超える猛暑の日々が続いています。また夜も最低気温が25度を下回らない熱帯夜が続いており、エアコンなしでは眠れない夜が続いています。
 さて今年もまた鎮魂の月がやってきました。8月6日の広島、8月9日の長崎、そして8月15日の終戦日です。原爆による被害だけでなく、それまでに国土の多くが焦土と化しました。またこの戦いを通して300万以上の国民が命を落としました。
 毎年8月には広島、長崎の原爆を始めとする太平洋戦争(第2次世界大戦)の特集を様々なメディアが特集します。その中で毎年のように採り上げられるのが「焼き場に立つ少年」の写真です。このブログを読まれている皆様も一度は目にしているのではないかと思います。今年の11月にローマ教皇が来日される予定ですが、フランシスコ法王が平和へのメッセージとして、この写真を取り上げたことでも知られています。
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『ローマ法王、長崎原爆後の写真「焼き場に立つ少年」配布』(朝日新聞)
(https://www.asahi.com/articles/ASL124Q7HL12UHBI009.html)
 カトリック教会のローマ法王庁(バチカン)が昨年末、教会関係者に向け、1945年に原爆投下を受けた後の長崎で撮影された写真入りのカードを配布した。フランシスコ法王が配布するよう命じたもので、教会関係者によると、法王が年末にカードを配布するのは異例。「核なき世界」を訴えてきた法王が出した強いメッセージと受け止められている。
 カードには、米国の従軍カメラマン故ジョー・オダネル氏が45年に撮影した「焼き場に立つ少年」が印刷されている。法王はこの写真に「戦争の結果」とするメッセージと自身のサインを添えた。
 法王はカードに「亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。少年の悲しみは、かみしめて血のにじんだ唇に表れている」と、スペイン語の説明も加えた。
 法王は昨年11月に核軍縮をテーマにしたシンポジウムの参加者に「核兵器は人類の平和と共存しない」と述べるなど、核廃絶を求めるメッセージを全世界に投げかけている。
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 さらに西日本新聞の記事によりますと、次のように説明しています。
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『「焼き場に立つ少年」はあの子?謎追う被爆者 ローマ法王注目の写真』
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532764/)
 亡くなった弟を背負った少年が、真っすぐ前を見つめる。原爆投下後の長崎で撮影したとされる写真「焼き場に立つ少年」は、11月に来日予定のローマ法王フランシスコが世界中に広めるよう呼び掛けたことで注目された。法王は言う。<このような写真は千の言葉よりも伝える力がある>。だが少年の身元も撮影場所も分かっていない。長崎市のある被爆者は今も、写真の謎を追っている。
 写真は、米軍の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネルさんが1945年に長崎で撮影。少年が焼き場で弟を火葬する順番を待っている場面だとされる。
 「あの子じゃなかろうか」。長崎市の元小学校長、村岡正則さん(85)は10年ほど前、写真が長崎で公開されることを伝えるニュースを見て驚いた。同じ銭座国民学校(現銭座小)に通っていた少年にそっくり。学級は違ったが、何度か校庭で遊んだことがある。丸顔でおとなしい性格。転校生だったと記憶するが、名前は思い出せなかった。
 45年8月9日、村岡さんは爆心地から1・6キロ離れた自宅で被爆。外出しようとした瞬間、閃光(せんこう)が走り吹き飛ばされた。がれきの下からはい出し、両脚と左腕のやけどの痛みをこらえながら母たちと裏山に逃げ込んだ。あの少年も幼子を背負って裏山にいた。「どうしよっとね」と尋ねると、少年は「母ちゃんを捜しよると」と言い、立ち去ったという。それっきり会っていない。
 2017年末、法王は写真をカードに印刷し、<戦争がもたらすもの>というメッセージを添えて各国に配るよう指示。日本ではカトリック中央協議会(東京)などを通じて配布された。「私はあの子に会うたとさ、話したとさ」。カトリック信者でもある村岡さんは法王の行動に背中を押され、少年を捜し始めた。
 銭座小は児童約850人のうち約500人が犠牲となり、学籍簿も焼失した。写真のことが書かれた本に出てくる人に会い、自分の記憶と照らし合わせて手掛かりを探った。調査範囲は市外にも広げたが、有力な情報は得られていない。
 法王はかつて<核兵器は人類の平和的共存の基礎にはなれない>と語り、その教訓となる被爆者の証言を<予言的な声>と表現した。「焼き場に立つ少年」は核廃絶が進まない世界の未来を示唆する、と伝えたいのだろうか。
 法王は11月、長崎と広島を訪れる予定だ。「この写真は末永く戦争の惨禍と平和の尊さを力強く、訴え続けていくに違いない」と村岡さん。少年に光を当てた法王の来日を機に、新たな証言が出てくることを待ちわびる。
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 先日NHKで放送された特集番組『もう一度”長崎の原爆”を見つめる「焼き場に立つ少年」を探して』によりますと、該当する少年の氏名は「上戸明宏」または中村明廣」で、写真を詳しく分析すると意外なことが分かっています。少年の瞳の周囲と鼻に詰め物をしている状況から、原爆症の専門医師の話では原爆による骨髄障害ではないか、ということです。(https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0809.html)
 もしそうであれば、この少年は原爆症により早晩亡くなっていたのでは、と推測できます。この写真は多くの人命が失われた戦争の悲惨な一面を如実に示しています。
 終戦から74回目の夏を迎えますが、平和への祈りは今でも絶えることなく、8月15日まで様々な行事が全国各地でおこなわれます。世界各地では今でも様々な紛争が続いています。この国が率先して平和を築く努力を行う時が今です。

2019年08月11日

#252 夏の風物詩

 毎日猛暑続きで、特に九州地方は異常高温注意報が連日出されています。昨日は久留米市で38.4度を記録し、全国最高気温となっています。気象庁は室内での熱中症を防ぐためにエアコンの適切な使用を呼びかけています。確かにエアコンを使用しませんと、室内では33度以上の高温となり、じっとしていても汗が流れます。電気代はかかっても熱中症防止のためにエアコンの使用をお勧めします。
 またこの異常高温のために小学校では熱中症を防ぐために、プールの使用を中止している学校があり、その地区の子供たちの夏休みの楽しみが奪われています。週の初めに台風8号が九州地方に接近する見込みですが、この暑さも一緒に持ち去ってもらいたいものです。
 さて8月となり、毎週末全国各地で花火大会が予定されています。福岡県内では明日8月5日に行われる西日本屈指の筑後川花火大会や8月13日の関門海峡花火大会が有名です。残念ながら、福岡市の大濠花火大会は観客数が40万人を超え、観客が花壇を踏み荒らしたり、また安全確保が難しいとの理由により昨年で終了しました。観客がマナーを心得て、安全が確保された時に再開して欲しいと思います。
 さて花火は一瞬の光の芸術です。最近では様々な形の打ち上げ花火が登場しています。昨夜、塾生の都合により授業がなくなり、テレビ中継されていた大曲花火大会(全国花火競技大会)を久しぶりに観ました。どの花火師の作品も甲乙つけがたく、夜空を一瞬の美しい光で染めて多くの観客を魅了していました。
 翻って誰でも楽しめるのが家庭で行う市販の花火です。家族揃って庭に円を描いて座って子供たちが花火を楽しむ様子は夏の風物詩と言えるものでしょう。特に線香花火は人の人生を象徴しているように思えます。線香花火の輝きにはそれぞれ名称が付けられており、ウィキペディアでは次のように説明しています。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/線香花火#燃え方)
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線香花火の燃え方は、段階に分けられ名前がついている。
蕾:
着火すると直径5mm程度の火球(玉)ができる。炭素の燃焼により気泡ができては破裂し、再び火球の形に戻るを繰り返すため、火球が震えて見える。
牡丹:
火球内の燃える火薬が、温度上昇により液体状に。火球が破裂した時の表面張力で生じた流れに沿って、火花が飛び出す。
松葉:
火花がより多く、激しく散って、松葉のように見える。
柳:
火花が低調になる。
散り菊:
消える直前。火花が分裂しなくなり、火球は落ちたり、燃え尽きたりする。
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 上記の名称を人の人生に例えると、蕾は人の幼少時代、牡丹は青春時代、松葉は壮年時代、柳は老年時代、そして散り菊は人生最後の時となります。この線香花火で面白いことは、最後まで見事に燃え尽きることがあまりないことです。燃え盛りの時に突然火球が落ちてしまったり、あまり火球が大きくならずに、しょぼしょぼと燃え尽きたり、線香花火1本1本が様々な光彩を奏でてくれます。
 私たちの人生も線香花火そのものです。人生の長短は人それぞれで、様々な生き方があり、様々な人生の輝き方があります。あなたの人生は今どのように輝いていますか。

2019年08月04日

#251 夏休みに子供が痩せる?

 今日も早朝からセミが一斉に鳴いています。夏休みに入り、すでに1週間が過ぎました。子どもたちは学校生活から解放されて、毎日家でのんびりしたり、友だちと遊んだり、あるいは一日中塾で勉強したりと、様々な生活をしています。この期間お母さんたちは大変です。子どものために昼食の準備をしなければなりません。普段は学校の給食を子供たちは食べますが、夏休みの間多くの子供たちは昼食を家で食べますので、その準備をしなければなりません。お母さんたちにとっては受難の季節かもしれません(笑)。
 ところで、夏休みに痩せる子供がいるそうです。別にダイエットをしているわけではありません。夏休みのために学校給食がないので、特に貧困家庭で昼食を食べられない子どもがいるのです。この問題を論じた記事を掲載します。

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夏休みに痩せる子どもたちへ フードバンクで広がる支援』朝日新聞DIGITAL
(https://www.msn.com/ja-jp/news/national/夏休みに痩せる子どもたちへ-フードバンクで広がる支援/ar-AAESeGV#page=2)
 東京や静岡、京都など各地のフードバンクが近年、長期休み中の子どもたちに無償で食料品を届ける取り組みを始めている。給食がない夏休みが明けると、痩せて学校に戻る子どもが少なからずいるからだ。「栄養格差を縮めるうえで意義がある」と識者らは言う。
 小学4年の娘がいる東京都狛江市に住む30代女性は昨年の夏休み、フードバンク狛江(FBK)から食料支援を受けた。米やみそ、乾麺など、1人あたり3キロの食品が段ボール箱で届く。「お米があると、おかずにお金を回せ、バリエーションを増やせた。本当に助かった」と話す。
 夏休みは食費の負担が増える。一人親家庭で、手取りは月約15万円。半分が家賃で出る。「毎月、食費で調整して乗り切っているので、8月はきつい。支援があると心もほっとします」
 狛江市の2017年の調査によると、過去1年に経済的理由で必要な食料を買えなかったことがあると答えた一人親世帯は4割を超えた。FBKは昨夏から、長期休みの食料支援を開始。市が一人親世帯に送る児童扶養手当の現況届提出依頼が入った封筒に案内を入れ、昨夏は希望した44世帯に食料を届けた。
 国会では5月、食品ロス削減推進法が成立し、フードバンクとの連携強化も促された。FBKの田中妙幸(たえこ)理事長(66)は「食べられない子どもがいる一方で、捨てられる食品がある。子どもが幸せに暮らせる循環を作りたい」と話す。
 夏休み明けに痩せる子どもの存在は09年、「子どもの貧困白書」(明石書店)で取り上げられ、話題に。フードバンク山梨が15年、長期休み中、希望する子育て世帯に食料品を届ける「こども支援プロジェクト」を始めた。
 夏休み中に学校へ来た子どもに「先生、何か食べるものない?」と言われた小学校教諭からの相談がきっかけだ。現在、8市町と協定を結び、学校を通じて就学援助世帯に案内を出す。今夏は624世帯1312人の子どもに届けるという。
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 子ども食堂やフードバンクが国内で急速に増えており、多くの子供たちが恩恵に預かっていますが、これらの慈善団体がない地域の子供たちが「夏休みに痩せる」ことになるのでしょう。各地に少なくとも1つはスーパーマーケットやコンビニがあります。売れ残ったお弁当や消費期限切れのパンなどは廃棄されます。まだ消費できる食品を必要な家庭へ配るようなシステムを各自治体で作れば食品ロスを防ぎ、食品を無駄にならないように回すことができます。各自治体は該当する子供の数を把握し、早急に有効な手段を取る必要があります。子どもは国の宝です。政府は幼児教育無償化を謳っていますが、裕福な家庭には不必要でしょう。その分、日々の生活に困っている未成年の子供たちに食料を含め、適切な学費援助や給付奨学金の支給などの支援をしてもらいたいものです。夏休みは始まったばかりです。すべての子どもたちが日々充分な食事を取れるように、各自治体は早急の対策を取る必要があります。

2019年07月28日

#250 人間力の衰退

 今日は早朝から激しい雨が断続的に降っています。現在朝鮮半島を進んでいる台風5号に刺激された梅雨前線の活発化に伴い、昨日から五島や対馬で降り続いていた線状降水帯が夜半から九州北部にかかっています。その影響で佐賀や久留米など筑後平野を中心に大雨が続いています。2年前の梅雨末期の豪雨では、朝倉を中心に大きな被害が出ました。また昨年は広島県を中心に大きな被害が出ており、毎年のようにどこかで大きな被害が出ています。
 地震被害を含め災害を防ぐために、あらかじめ災害規模を予想して充分な準備をすることが大切です。今回の豪雨被害がこれ以上広がらないことを切に願っています。また本日は参院選の投票日でもあり、投票への影響を懸念しています。
 さて、また悲惨な事件が起きてしまいました。連日報道されている京都アニメーションの放火事件です。本日現在34名の方々が亡くなられ、重体の方々を含め多数の人が入院中です。報道によりますと加害者の一方的な思い込みにより、短絡的に放火殺人に走ったことが分かっています。京都アニメーションは「京アニ」の名称で世界的に知られているアニメーション制作会社で、故手塚治虫氏のアニメ会社「虫プロ」から独立したアニメ会社だそうです。細やかな表現と丁寧な作品制作で国内だけでなく海外にも多くのファンがいます。事件現場での献花のために連日多くのファンが駆けつけています。多くの尊い人材が失われたことは今後のアニメ制作に大きな影響を与えることでしょう。亡くなられた方々へ深い哀悼の意を表したいと思います。
 今回の放火殺人事件にかかわらず、日常の何気ない生活にも意味不明かつ不可解な言動が溢れています。一例としてはヘイトスピーチやネットでの誹謗中傷や嫌がらせ、あおり運転や飲酒運転を含む危険な運転行為など、巷には人間の心の崩壊と思わせるような事件が後を絶ちません。
 このような人間の基本的な生き方の否定に関わる行為がどこから来ているのでしょうか。専門家は様々な分析をしますが、1つ言えることは本来人間の持つ倫理観や正義感など人間として持たなければならない精神性、いわゆる「人間力」が徐々に欠如していることではないでしょうか。人は一人では生きていけません。生まれてから成長するまで絶えず周囲の人達に囲まれ、様々な知識や知恵を身につけていきます。それに伴い他人との関わり合いを倫理・道徳として身につけていきます。しかしながら、現在人は特に他人との協調性よりも個人の価値観を優先し、勝手気ままに振る舞う傾向にあるようです。言い換えれば、「相手の立場や心情に考慮せず、自分が正しい。相手が間違っている。自分が失敗したのは自分が悪いのではなく、すべて社会が悪い。」といった悪感情が個人から政治家まで世界に溢れています。
 これでは様々な問題の根本的解決にはならず、異なる意見の国家同士であれば戦争に突入していくことでしょう。何が正しく、何が間違っているか、感情に囚われずに物事の本質を考える思考を絶えず行う必要があります。そのための家庭でのしつけであり、学校教育でなければなりません。単に頭がよい子供を育てるのではなく、心豊かな子供を育てるのが、より良い社会をつくる主たる目的です。事件を起こした犯人を責めるだけではなく、日常生活で他者を不当に非難したり、貶めたり、差別したりする心がないかどうか、私たち一人ひとりが一度自分の身をふり返って反省する時期が来ているのではないでしょうか。このままでは人間力の衰退に伴い、人類は滅亡の道をたどっていくことでしょう。世に現れる現象はすべては私たちの心が決めます。

2019年07月21日

#249 天国のマネージャーへ

 今日は朝から晴れています。少々蒸し暑く、最高気温が30度を超えそうです。九州南部などで大暴れした今年の梅雨もあと1週間ほどで明けることでしょう。梅雨末期の大雨に注意したいものです。
 さて昨日の朝日新聞(電子版)に次の記事が載っていました。個人的に全く無関係の記事ではありませんの、紹介したいと思います。

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『天国のマネジャーへ 果たした約束、球場に響いた校歌』
(14日、高校野球熊本大会 熊本国府11―2玉名)
 リブワーク藤崎台の第1試合、2回戦の熊本国府―玉名。シード校に挑む三塁側スタンドの玉名の応援席に、遺影を手に試合を見守る夫婦がいた。熊本市北区植木町の会社員西林尚綱(たかつな)さん(47)と久美さん(46)。今年1月31日に骨肉腫で亡くなった娘の蒼さん(享年19)は、玉名のマネジャーだった。
 野球好きの家族の影響で、蒼さんは中学3年の時には1人で球場に通うほどになっていた。高校1年の5月に骨肉腫を発症しているのが判明した。治療のため2年次は留年。3年目の秋に、野球部監督をしている1年の時の学級担任に誘われ、もともとやっていたソフトボール部のマネジャーから野球部に転向した。
 治療のため、東京の病院と熊本を行き来する日々が続いた。骨肉腫が足から発症していたため、普段歩くときは松葉杖を使っていた。重いものを持てないため、ボール渡しやボール磨きでチームに貢献した。
 昨夏の熊本大会もマネジャーとして参加する予定だったが、雨のため日程がずれ、東京での治療のため試合を見ることができなかった。結果は開新に0―1で惜敗。保護者がLINEで実況してくれるのを病院で見ながら、「一緒に応援したかった」「1試合でも勝ってもらいたい」と悔しがった。
 蒼さんが迎えられなかった今春の卒業式の日。尚綱さんの元を、今の野球部の2年と3年が訪れ、寄せ書きを渡してくれた。「ご卒業おめでとうございます」「天国で見守っていてください」……。部員たちは「大会で必ず勝って校歌をきかせる」と約束してくれた。
 そしてこの夏、約束は果たされた。1回戦で玉名は10―3で天草拓心に勝ち、球場に校歌が響いた。「この大会は校歌を聞かせるために来ました」。尚綱さんは待望の勝利を、スタンドで蒼さんの遺影と共に喜んだ。2回戦は敗れたが「よく頑張ってくれた」と選手たちをたたえた。
 玉名の栗屋翔世主将(3年)は試合を終えて、「西林さんに勝利をという気持ちは、チーム全員の心の中にあったと思う。1回だけでも勝てて良かった」と安心した表情を見せた。(渡辺七海)
(https://www.msn.com/ja-jp/sports/news/天国のマネジャーへ-果たした約束、球場に響いた校歌/ar-AAEiqL2)
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 この記事を読んで、現在大学1年生の元塾生が語っていたのを思い出しました。彼は玉名高校の出身で、お母様のご友人の紹介で熊本県の和水町から車で40分ほどかけて2年ほど当塾に通いました。その元塾生から今年の冬に「同級生の女生徒が亡くなって通夜に行きますので授業に来れません。」との連絡を受けたのでした。次回当塾に来た時に彼に話を聞くと、病気で亡くなったとのことでした。亡くなった詳しい理由を聞くのは失礼に当たると思い、尋ねるのを避けましたが、昨日病気で亡くなられた女生徒、西林蒼さんに関する記事を偶然目にしたのでした。元塾生から話を聞いていなければ、素通りした記事でした。
 子供が親よりも先に他界するのを”逆縁”と言いますが、親御さんの心中は察して余りあるものがあります。天国にいる蒼さんが母校の球児たちのマネージャーとしていつまでも活躍できるように、心から祈りたいと思います。

2019年07月15日

#248 心

 昨日は所用で福岡へ行きましたが、昼過ぎから土砂降りの雨模様となりました。ここ大牟田でも今日の午前中雨が降っていましたが、今現在雨が止んでいます。明日は天気が少し持ち直しそうですが、九州北部の梅雨明けまでもう少し時間がかかりそうです。
 さて、稲森和夫という名前を聞いたことがあると思います。現在京セラの名誉会長であり、KDDIの最高顧問を務めていらっしゃいます。また2010年には日本航空の社長に就任し、日航の経営を立て直したことでも知られています。日本のビジネス界を事実上牽引しているビジネスマンのお一人です。私はここ数年来、稲森氏が書いている書物を読んでいますが、彼の「生き方」や「働き方」はベストセラーとなっています。最近新刊が出ましたので冒頭部分を少し抜粋させていただきます。

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『心』稲森和夫(サンマーク出版)
人生のすべては自分の心が映し出す
 これまで歩んできた八十余年の人生をふり返るとき、そして半世紀を超える経営者としての歩みを思い返すとき、いま多くの人たちに伝え、残していきたいのは、おおむね1つのことしかありません。それは「こころがすべてを決めている」ということです。
 人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。それらはまるで映写機がスクリーンに映像を映し出すように、心が描いたものを忠実に再現しています。それは、この世を動かしている絶対法則であり、あらゆることに例外なく働く真理なのです。
 したがって、心に何を描くのか。どんな思いをもち、どんな姿勢で生きるのか。それこそが、人生を決めるもっとも大切なファクターとなる。これは机上の精神論でもありません。心が現実をつくり、動かしていくのです。
 そんな”心”のありようについて最初に気づくきっかけとなったのは、私がまだ小学生のころ、肺結核の初期症状である肺浸潤にかかり、闘病生活を余儀なくされたことでした。幼い私にとってそれは、暗くて深い死の淵をのぞいたような強烈な体験でした。
 鹿児島にあった私の実家は、叔父二人、叔母一人が結核で亡くなるという、まるで結核に魅入られたような家でしたが、私は感染を恐れるあまり、当時、結核にかかった叔父が寝込んでいる離れの前を通り過ぎるときには、鼻をつまんで走り抜けていました。
 私の父といえば、肉親を世話するのは自分しかいないと覚悟を決めていたのでしょう。感染することなどまったく恐れず、とても献身的に看病していました。私の兄もまた、そんなにたやすくうつるものではないだろうと、まったく気にもとめていませんでした。
 そんな父や兄は感染することなく、私だけが病魔に襲われてしまった。ひたひたと迫りくる死の恐怖におののきながら、私は日々鬱々とした気持ちで病床に伏せるほかありませんでした。
 そんな私を見かねたのか、当時隣に住んでいたおばさんが1冊の本を貸してくれました。そこにはおよそ、次のようなことが書いてありました。
「いかなる災難もそれを引き寄せる心があるからこそ起こってくる。自分の心が呼ばないものは何一つ近づいてくることはない」
 ああ、たしかにそうだ、と私は思いました。病気を恐れず懸命に看病していた父は感染せず、また病気など気にせず平然と生活していた兄もまた罹患しなかった。病を恐れ、忌み嫌い、避けようとしていた私だけが、病気を呼び寄せてしまったのです。
 すべては”心”がつくり出している―このとき得た教訓は、その後の私の人生に大きくかかわる大切な気づきとなりましたが、当時はまだ年端もいかない子どものこと。その意味するところを十分理解するまでにはいたらず、それによって人生が大きく変わることもありませんでした。
 その後、少年期から社会に出るまでの私の人生は、挫折と苦悩、失意の連続でした。中学受験には二度も失敗し、大学受験をしても希望の学校に行くことはかなわず、続く就職試験も思うようにならない。なぜ自分ばかりがこううまくいかないのだ、何をやってもダメに違いないと失望し、うちひしがれ、暗い気持ちで日々を送るばかりでした。
 そんな人生の流れが大きく変わったのは、大学を卒業し、京都にある碍子メーカーに就職してからのことです。不況による就職難の中、大学の先生からの紹介をいただいて、やっとのことで入社した会社でしたが、フタを開けてみればすでに経営は行き詰っていて、ほぼ銀行の管理下にあるというボロ会社でした。
 同期に入社した仲間は一人、二人と辞めていき、とうとう私一人になってしまいました。逃げ場のなくなった私は、それならば、と心を入れ替えて仕事と向き合うことにしました。どんな劣悪な環境であっても、できるかぎりの仕事をやってやろうと肚を据え、研究室になかば泊まり込むほどに研究開発に没頭したのです。
 やがて成果が上がりはじめ、おのずと周囲からの評判も上がると、ますますやりがいを感じて研究に邁進する。するとおもしろいように、さらによい結果が出る。そんな好循環が生まれ、やがて私は、当時世界的にみても先駆的な独自のファインセラミックス材料の合成に成功することができたのです。
 けっして能力が向上したわけでも、すばらしい環境が与えられたわけでもない。ただ考え方を改め、心のありようを変えただけで、自分をとりまく状況が一変した。
 人生とは心が紡ぎ出すものであり、目の前に起こってくるあらゆる出来事はすべて、自らの心が呼び寄せたものであるー少年のころにつかんだその法則を、このときあらためて実感し、人生を貫く”真理”として心に深く刻みつけることとなったのです。.....
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 ”心”の在り方を徹底的に追求した人物は釈迦牟尼仏陀(釈尊)ですが、釈尊も心の動きに囚われやすい人間の性(さが)を冷徹に語っています。心の定義は様々ですが、釈尊は心の動きに囚われず、心を制御することが悟りを開く目的であると語っています。
 確かに私たちは何かを思うことで因果が生じ、それが実現する過程を体験します。言い換えれば、自分が思わない事柄に関しては生じない法則があります。良きにつけ悪しきにつけ、自分の思いがすべての事象を生じさせると言えそうです。稲森氏の著書「心」に興味のある方はぜひ続きをお読みください。

2019年07月14日

#247 大学入試採点に"学生バイト"?

 先週からの大雨に伴い九州南部を中心に大きな被害が出ています。今日は梅雨の中休みで朝から晴れていますが、梅雨が終わるまではまだ安心できません。すでに充分雨が降りましたので、農作物に水か不足することはないでしょう。また数日前からセミも鳴き始めました。本格的な夏の始まりも、すぐそこまで来ています。
 さてこのブログで2020年度から始まる「大学入学共通テスト」について、度々コメントしていますが、また心配なことが起こりました。大学入試の採点に学生バイトを利用しようというものです。関係する記事を引用します。

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『大学入試採点に"学生バイト"は絶対反対だ』
(https://president.jp/articles/-/29243)
 2021年1月から始まる「大学入学共通テスト」では、初めて記述式の問題が導入される。その採点をめぐり、文部科学省は「アルバイトの大学生も認める方針である」とNHKが報じた。予備校講師の小池陽慈氏は「大学生に任せるべきではない」と強く反対する。その理由とは――。

予備校関係者震撼「大学試験の採点にバイト大学生」
 2019年7月4日、大学入試関係者を震撼させるニュースが流れた。大学センター試験の後継として2021年1月から実施される「大学入学共通テスト」の採点者に、なんと“大学生”が採用される可能性があるというのだ。
 これまでの「センター試験」は、すべての教科で“マーク式”の問題が出題されていた。よって“採点者”は必要なかったが、後継の「大学入学共通テスト」は、生徒の「思考力」を試すという名目のもと、国語と数学で“記述問題”が出題されることになったのだ。
もちろん記述問題は、機械にかけて一斉に採点などということはできない。そこでは当然、“人力”による採点が不可欠となる。すなわち、“採点者”が必要となるわけだが……。
例年、センター試験は、約50万人が受験する。「大学入学共通テスト」でも、受験者数は同じレベルになると見込まれる。つまり、50万人分の答案を、きわめて短い一定の期間内に、正確に採点することが求められるのである。そして文部科学省は、その正常な運営には1万人の採点者が必要であると想定している。では、その“1万人”を、果たしてどうやって確保するのか。

“シロート学生”に記述式解答の採点を公平にできるのか
 これまでそれは、民間業者との連携のもと、プロの採点者や大学院生などでまかなうとされてきた。ところがそこに、「アルバイトの大学生」も採用する方針であることが明らかになったのだ。
 再来年から始まる「大学入学共通テスト」には、初めて記述式の問題が導入されます。その採点には、およそ1万人が必要とされていますが、アルバイトの大学生も認める方針であることが、文部科学省への取材で分かりました。(NHK NEWS WEB<「共通テスト」採点にバイト学生 認める方針 疑問視の声も>2019年7月4日)
 このニュースに触れて、「大学生に大学入試の記述答案など採点できるのか」と思った人も多いのではないだろうか。私は現在“予備校講師”として現代文を指導しているが、講師になる以前、5年ほど大手の予備校で「現代文」の全国模試の採点者を担当していたことがある。
 その予備校の採点者は、大学生では採用に応募することすら許されず、私も大学院に進学してから採用されたのだが、研修や、模試のたびの会議、それに実際の採点に対する本部からの指摘など、一連の採点作業が入念に行われるため、当初は本当に驚いたものだ。あの現場を直接に経験していればこそ、「大学生に大学入試の記述答案など採点できるのか」という意見が出るのは、当然のことと思われるのだ。

“優秀な大学生”なら一定レベルの採点も不可能ではない
 ただし、「大学入学共通テスト」の「国語」の記述問題に関するかぎり、人選を間違えなければ、つまり優秀な大学生であれば、あれを“採点できない”ということは、必ずしも言えない。それはひとえに、「大学入学共通テスト」国語の記述問題の特質による。
「大学入学共通テスト」国語の記述問題は、大量の枚数を短期間で正確に採点する――のみならず、受験生が少しでも正確に“自己採点(センター試験同様、受験生は同テストの結果いかんによって最終的な出願校を決定するので、即時の自己採点を要求されることになる)”することができるように、解答が“一義的”に決まるよう、さまざまな仕掛けがなされているのだ。
 例えば、本文や資料について話し合う【会話文】で解答の方向を“誘導”する。あるいは、設問に過剰なまでの“条件”を付して、解答をにおわせる。したがって「大学入学共通テスト」の国語の記述問題では、同テストとは別の試験(私大や国公立大の2次試験など)の記述問題にしばしば認められるような、“許容できる解釈にそこそこの幅がある”という事態がそれほど発生しないと推測される。採点者のチーフなどを配置して細かい点をきちんと調整するなら、“優秀な大学生”であればある程度の機械的作業で一定レベルの採点も不可能ではない。

「共通テスト」記述問題採点者に大学生採用は断固“否”
 では、それなら「大学入学共通テスト」の記述問題採点者に大学生を採用することは“アリ”なのだろうか?答えは、“否”である。断固として、“否”である。先に触れたとおり、私は、長い間模試の採点者をしてきた。その中で、いろいろな経験をした。例えば、私の採点に、受験生から「納得できない」と質問をもらうことはたびたびあった。それは場合によって、クレームとなることもあった。受験生も必死なのだ。
 日々のたゆまぬ努力の成果をすべて答案用紙にぶつけた結果、“納得のいかない”採点結果が返却されてきたなら、文句の一つも言いたくなるのは当然だろう。そして考えてみてほしい。“たかが模試”でも、そのようなことは起きるのだ。
 ましてやこれが、実際の進学先を――すなわち場合によっては自分の未来を――決定づけることになる入学試験本番であるならば、得点開示の結果、“採点ミス”や“納得のいかない採点”が判明した場合、それに対するクレームは、より激しくなるだろう。そうしたプレッシャーを、つい先日まで自らも受験生であった大学生に負わせることは、果たして「国の政策」として許されることなのだろうか。

大学生採点者は受験生50万人への「責任」を負えるのか
 もちろん、実際にこのシステムが運用される際には、少なくとも形式上は、大学生採点者が何かしらの“責任”を問われることや、“クレーム対応”の矢面に立つことはないだろう。彼らを統括するチーフや責任者が、一切を請け負うはずである。
 しかしながら、仮に自分が受け持つ会場や地域から、受験生の将来を左右しかねないような重大な採点ミスが出たことが発覚したなら、あるいはそれに対するクレームが入ったなら、たとえそれが自分の採点答案であるかどうかわからないにせよ、重く責任を感じる“大学生採点者”は必ずいるはずだ。とりわけ、そういった業務に誠実にとりくむ、まじめな学生であるならば。
 さらに気になるのは、仮に本当に大学生を採用する事態になったとして、そこで実際に採用されることになるのは何年生の学生なのかということだ。まさか、つい前年まで高校生、あるいは受験生であった大学1年生は、採用の対象とはならないだろう。かといって4年生を卒業間際の1月以降に採点へと駆り出すことも考えにくい。となると実際に採用の対象となるのは、大学2~3年生である可能性が高い。
 だが、大学2年生の1月は、本来なら、自らの研究したい方向もそれなりに見えてきて、それに向けて勉学にいそしむべき時期だろう。3年次に、本格的なゼミが始まる大学もあるに違いない。少なからずいる有為の学生であるならば、いよいよ始まる大学での本格的な学習に向け、それぞれの勉強にじゅうぶんな時間を費やしたいはずである。ましてや3年生なら、多くの大学・学部で次なる4年次に始まる卒論ゼミを見据え、その下準備に専心することを望むはずだ。
 そのような、大学生にとって本来最も大切な“本分”であるべき勉学の時間を、今回の措置は犠牲にしてしまう可能性があるのではないだろうか。下手をしたら、学生が断りにくい状況が作り出され、“ボランティア”という名の強制労働すらありうるのではないか――というのは考えすぎだろうか。

文科省の「暴挙」を許してはならない
 私は、大学受験業界で“飯を食う”人間として、今回の入試改革を受け、それに対応した多くの教材を執筆し、また、映像授業の撮影もしてきた。私自身の長年の夢でもあった、受験参考書を単著で執筆するという機会も手にすることができた。「共通テスト対策講座」が満載の内容で、すでに原稿は編集者に送り、校正の段階に入っている。だから、本当のことを言えば、怖い。
 もし、自分を含め、われわれ教育業界の人間が今回の文部科学省の施策に対して異を唱えることによって「大学入学共通テスト」の実施が延期、もしくは中止になってしまったなら、長年の夢であった単著デビューも“お蔵入り”になってしまう可能性があるのだ。せっかく皆で協力しながら教材を作り、そして撮影した「共通テスト対策講座」の映像授業も、おじゃんになってしまうこともありうるのだ。でも、それでも強く訴えたい。「大学入学共通テスト」の採点者に大学生を採用することだけは、だめだ。絶対に、だめだ。教育業界の方も、そうでない方も、「どうか、お力をお貸しいただきたい」と私は声を大にして言いたい。この国の教育のために。この国の将来を担う、若者たちのために。文科省の「暴挙」を許してはならないと思う。
小池陽慈(こいけ・ようじ) 予備校講師
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 かなり長文の引用となりましたが、文科省に対する疑念は1つです。「大学生がアルバイトとして大学入試の採点をすることが可能だろうか」です。人生を左右する大学入試に結果責任を負わない大学生を採用する発想が分かりません。確かに記述式問題を採用することで受験生の思考能力を判断することが新入試の目的でもありますが、記述式問題には採点者の人数を確保しなければなりません。文科省はそこまで考慮して新入試の導入を考えているはずですが?入試の公平な採点に疑惑を生むような採点者の導入は止めてもらいたいと思います。同様に民間試験として公認される英検の採点を全く無関係の外人に依頼するニュースもあります。この問題は別の機会に意見を述べたいと思います。

2019年07月07日

#246 世界でたったひとりの自分を大切にする

 九州北部はようやく入梅となりましたが、「降れば土砂降り」で昨夜はかなりの雨が降り、熊本や甘木など非難情報が出た地域もあったようです。しかしながら、稲を育てている農家の方にとっては嬉しい梅雨の到来となります。
 入梅したことで、あの嫌な感覚が戻ってきました。そうです。肌にまといつくような、あのべたべたした湿気の感覚です。太平洋高気圧が暑さと共に湿気も運んできます。この感覚は夏が終わるまで続くことになります。来年の東京オリンピックはこの湿度の高い亜熱帯気候のような状況下で行われます。選手だけでなく観客にも熱中症対策が求められることでしょう。
 さて、雨の休日はゆっくり家で過ごすのが一番です。読みたい本を開いて頁をめくる至福の時間は何よりも大切です。今日は久しぶりに鈴木秀子さんの本を取り上げてみたいと思います。本日のブログタイトルは最近手にした本のタイトルです。内容を紹介する意味で、本の前書きから引用します。

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『人生を支える「2つの心」』
 人は誰しも「自分にないもの」を求めたがるものです。あの人はいいものを身につけている。美人でスタイルもいい。みんなから愛されている。いい結婚をしたあの人がうらやましい。子供がいない人は自由で楽しそう。自分の仕事で輝いている人がまぶしく見える。
 自分ももっと〇〇だったら、もっと幸せになれるのに......。あの人みたいになれたら、人生が楽しいだろうに......。自分と他人を比べて、「うらやましい」「自分は損をしている」と思い込んでしまうのです。
 でも、このような思い込みは、すべて自分の心が作り出した妄想です。事実ではない妄想に振り回されているだけです。振り回されているうちは、どんなにがんばっても心が満ち足りることはありません。幸せを感じることもできません。では、どうすればこの思い込みやめられるのでしょう。
 それは「他人をうらやむのは当たり前」「自分は今、そういう気持ちに振り回されてしまっている」と自分に言い聞かせてあげることです。
 私といっしょに暮している、魅力ある高齢のシスターの話です。彼女は聡明で成績もよく、学校の先生になりたいと思っていました。でも、出征した父親が戦死し、中学を卒業すると働きに出ることになりました。貧しい家を支えるため、師範学校に行くことをあきらめなければならなかったのです。
 彼女が働きに出る前の晩、祖母は彼女にこう言って聞かせました。
「人さまの持っているものを見て、うらやましがったり欲しがったりしてはいけないよ。」
 すると、聞いていた祖父がぽつりとつぶやきました。
「こんな若い子にうらやましがるな、だなんて酷だ。そういう気持ちにならないわけがない。うらやましがって当たり前だよ。」
 2人は少し間を置いて、もう一度同じことを繰り返します。祖母は「うらやましがってはいけない」祖父は「うらやましがって当たり前」と。
 彼女はこの言葉が、人生を生きる上でたいへん役に立ったと言います。
「おばあさんの言葉だけだったら、私は自分を『うらやましがるべきではない』と厳しく律し、つらい思いをしながら生活することになったでしょう。おじいさんの言葉だけだったら、自分を甘やかし気ままな人間になっていたでしょう。自分の中に、相反する2つの声がいつも聞こえていたからこそ、私は何が本当に必要かを考え、物事の中庸を取ることができたのです
 人と比べて心がかき乱れたときは、みなさんもこの「2つの心」を思い出しましょう。人は人、自分は自分。それでいい。そう思う気持ちがきっと芽生えます。

『心の土台を整える』
 あの人に負けないようにがんばらなければいけない。
 たくさん努力して一番を目指さなければいけない。
 こういう気持ちが起こるのは、決して悪いことではありません。人間ならば、むしろあって当たり前。他人を意識し、うらやましがるということは、生きるエネルギーに満ち溢れている証拠でもあります。
 ただし、他人との比較に価値を置き過ぎると、一生そうやって生きることになってしまいます。「〇〇が欲しい」「〇〇がないから不安」「〇〇でなければダメ」......これにとらわれてしまうと、一生そこをグルグル回り、心をすり減らすことになりかねません。
 比べること、評価することの中で自分を見ていると、自信はどんどん失われるばかりです。そこで大事なのが、「幸せになるための心の土台」を整えるということ。

『世間一般の常識ではなく、自分の幸せのものさしで考えてみるのです』
 昔の修道会には、「教えるシスター」と「労働するシスター」がいました。先にお話ししたシスターは成績優秀であったにもかかわらず、進学できなかったために「労働する人」になりました。
 「教える人」と「労働する人」では、仕事内容に違いはあれ、身分差はありません。でもこういうとき人はつい「教えるほうが上だ」「大学に行けなかったせいで身分が下になった」などと思ってしまいます。
 シスターも、そんな気持ちに揺れ動くことがあったかもしれません。でも、彼女は祖父母の言葉に耳を傾けることで、世間一般でではなく、自分自身の幸せのものさしを手にすることができました。祖父母からの教えが、彼女に「幸せになる心の土台」を与えてくれたのです。
『人間が幸せになるための「3つの絆」』
 「心の土台」を作る方法を、もう少し具体的に考えてみましょう。心の中で「3つの絆」を育てるのです。1つ目は「自分との絆」。2つ目は「他人との絆」。そして3つ目は「自分を超える大きな力との絆」です。この3つがしっかりと育まれれば、幸せの土台はおのずと築かれます。たとえどんな苦難が訪れても、幸せを見失うことはないでしょう。
 1つ目の「自分との絆」とは、ほかならぬ自分自身との絆です。
 人は他人の目は気にするものの、自分のことはいい加減にしがちです。他人の評価でウロウロし、自分を責めてイライラする。これでは、いくらがんばっても自分との絆は育まれません。長い人生の中には、つらいこと、苦しいことがたくさんあります。それを乗り越えるには、地を足につけて「自分は自分でいい」と言って聞かせることで、自分との絆を強めることができます。
 2つ目の「他人との絆」とは一人ひとりの個性を認めるということ。
 この世界は異なる個性の人々で成り立っています。それぞれが異なる個性を持っているからこそ、私たちはつながり合い、補い合い、生きることができます。考え方がまるで正反対の人も、自分を生かす大切な存在である。それを心に刻むことが、他人との絆を作るということです。
 3つ目の「自分を超える大きな力との絆」とは、人間の中にある、大いなる存在を感じることです。
 私たちは単に「生きている」のではなく、神様から分け与えられた聖なるもの=愛や尊厳によって「生かされて」います。たとえ神様を信じられなくても、大自然の山々や樹木、季節を彩る草花によって、私たちは命の尊さ美しさ、生きることの素晴らしさを実感することができます。
 身近にある何気ない自然の営みに感謝し、賛美すること。これが「自分を超える大きな力との絆」を育んでくれるのです。幸せになるための努力とは毎日少しずつ、この3つの絆を築くよう訓練していくことです。

「世界でたったひとりの自分を大切にする」 鈴木秀子(文嚮社)
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 梅雨の時期には雨に濡れたアジサイが似合います。適度の雨は田畑を潤し、作物を育てます。梅雨明けが7月下旬ですので、梅雨の時期が3週間ほど続くことになります。災害に充分気をつけて、この季節を乗り切りましょう。

2019年06月30日

#245 空梅雨記録更新と沖縄慰霊祭

 今日も朝から晴れています。例年ですと毎年今頃は雨が断続的に降る蒸し暑い日々が続いていますが、今年はまるで梅雨明けを思わせる日々が毎日続いています。実際、梅雨明けというより五月晴れと言った方がふさわしいかもしれません。日中は気温が30度近くまで上がりますが、湿度があまり高くなく、朝晩は涼しい日々が続いているからです。新聞記事によりますと昨日1967年の最も遅い入梅の記録に並んだそうです。今日も雨が降りそうにありませんので、確実に記録更新ということになります。以下の記事は西日本新聞のネット記事です。

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『九州北部、梅雨記録的遅さ』(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/520944/)
 梅雨入りが平年(5日ごろ)より大幅に遅れている九州北部地方は、22日も広範囲で晴れ間が広がった。1951年の統計開始以降、梅雨入りが最も遅かった67年の記録に並んだ。23日も天気は崩れない見込みで「記録更新は確実」(福岡管区気象台)という。一方、少雨の影響でダムの貯水位は日々下がり、市民生活への影響が出始めている。
 気象台によると、九州北部は5月1日ごろから雨が少なく、6月22日までの総雨量は福岡市109・5ミリ(平年比40%)▽佐賀市96・5ミリ(同26%)、長崎市140・5ミリ(同40%)▽熊本市195・5ミリ(同48%)と平年の半分以下だ。
 21日現在、福岡県内の主要18ダムの平均貯水率は37・3%と同時期平均の80・3%を大きく下回っている。同県添田町の油木ダムは14・4%とより深刻で、下流の同県行橋市と苅田町は家庭に送る水の圧力を下げる「減圧給水」を実施。佐賀県の主要15ダムも平均貯水率は35%と低い。
 気象台によると、梅雨前線が九州付近に北上するのは26日ごろ。その後は雨が続く予想で、ようやく梅雨らしいじめじめとした時季に突入しそうだ。
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 この記録的空梅雨で思い出しますのは、私が1978年に大学入学後、9月から一人暮らしを始めた頃のことです。当時の福岡市はその年の夏より渇水状態が続き、福岡市は夜間断水を実施していました。福岡市民は夜間断水に備えてバケツや20リットル容器に水道水を溜めて生活用水として使用していました。結局10月中旬まで断水が続きましたが、夜間断水とはいえ不便な生活を強いられました。私も20リットルの容器に水を溜めて生活水として使用していました。当時の学生はワンルームマンションというものはあまりなく、住居は下宿や間借りが普通でした。当然お風呂はなく、近くの銭湯へ通っていました。その銭湯も断水のあおりを受けて、断水が始まる8時頃には営業を終了していました。その後40年近く福岡市で暮らしましたが、節水対策を市民に呼びかけても、市内で実際に断水が起こったことは記憶にありません。福岡市は人口が158万に達し、40年前のおよそ1.5倍に増えています。当然生活水の使用量も増えていますので、主要なダムの貯水量が気になるところです。
 確かに梅雨時の季節はじめじめして蒸し暑く、気持ちも滅入りますが、それでもこの国には必要な時期として私たちは生活していかなければなりません。梅雨時の雨が稲穂を成長させ、秋には豊かな実りをもたらします。長い間この国の根幹となった稲作農耕の源となる一因がこの梅雨になります。極端な気候変動は困りますが、農耕文化を源流として栄えた日本は、様々な季節を伴い今日まで栄えてきました。今後もこの国が繁栄していけるように、豊かな水源と水量を誇る国として生き続けることができるように、梅雨時の水を大切に扱いたいものです。
 また今日6月23日は沖縄戦から74年目の慰霊の日になります。私が福岡雙葉学園に勤めていた頃、姉妹校研修の一環として沖縄平和学習に参加し、石垣島と沖縄本島に1週間滞在して沖縄の文化や歴史、沖縄戦について知る機会がありました。その後何度も沖縄を訪れたことがあり、沖縄の慰霊の日は他人事ではありません。沖縄が本当に平和で豊かな文化を持つ島に再びなることができるように、平和の祈りを捧げたいと思います。本日の「沖縄全戦没者追悼式をNHKで観ていましたが、追悼式の前に「県歌」と言われている「月桃」の歌が流れていました。

『月桃』(作詞・作曲 海勢頭 豊)
1.月桃ゆれて 花咲けば
  夏のたよりは 南風
  緑は萌える うりずんの
  ふるさとの夏

2.月桃白い花のかんざし
  村のはずれの石垣に
  手に取る人も 今はいない
  ふるさとの夏

3.摩文仁の丘の 祈りの歌に
  夏の真昼は 青い空
  誓いの言葉 今も新たな
  ふるさとの夏

4.海はまぶしい キャンの岬に
  寄せくる波は 変わらねど
  変わるはてない 浮世の情け
  ふるさとの夏

5.六月二十三日待たず
  月桃の花 散りました
  長い長い 煙たなびく
  ふるさとの夏

6.香れよ香れ 月桃の花
  永久(とわ)に咲く身の 花心
  変わらぬ命 変わらぬ心
  ふるさとの夏

 沖縄戦を歌った曲で、森山良子の「さとうきび畑」が有名ですが、沖縄の人々にとって「月桃」の歌は欠かせません。爽やかなメロディですが、歌詞は激しかった沖縄戦を体験し、戦いを超えて平和の調べとなっています。沖縄が本当に平和になれば日本も平和になります。また世界平和へとつながります。一度YouTubeでお聴きください。(https://www.youtube.com/watch?v=4EPGYSc0dkw)

2019年06月23日

#244 親父にさよなら

 九州北部はまだ梅雨入りしません。金曜日に久しぶりに雨が降りましたが、一転また晴天が続いています。雨天が続かないので、気象庁が梅雨入りを宣言できないのでしょう。このままでは空梅雨の6月になりそうです。
 さて今日は6月第3日曜日「父の日」です。「母の日」と比べて何かと影の薄い「父の日」ですが、それでも小さな子供がいる家庭では子供たちがお父さんになにかプレゼントをしてくれるのではないでしょうか。子供が成長するにつれて、特に思春期に入りますと、父親は煙たがられる存在となりがちです。今までいつも話しかけられていたお父さんは子供から口をきいてもらえず、家族とのコミュニケーションも段々少なくなり、家族から疎まれ、まるでさだまさしの噺「父さんとポチ」のようになってしまいます。お父さんが家族から相手にされず、飼い犬のポチとしか会話できない噺です。(「父さんとポチ」は立川談春のYouTubeでお楽しみください。)
 母についての話題は尽きずに、母の歌もたくさんありますが、父親については母親と比べると数が少なく、テレビ番組「寺内貫太郎一家」のような昔の頑固おやじのイメージが今でもつきまといます。「頑固おやじ」ももはや死語となりつつあるご時世ですが、友だちパパのイメージよりも「頑固おやじ」が日本の伝統的な父親像を今でも表しているのではないでしょうか。
 ところで私的には「親父」をテーマにしたある歌が今でもなつかしく蘇ってきます。森本レオの「親父にさよなら」という歌です。レコードが1970年発売となっていますので、私が中学生だった頃の歌です。私はレコードは持っていませんが当時深夜放送でよく流れていた曲です。今でも妙に頭の片隅に残っていて、時々ふと思い出す歌です。今日は「父の日」ですので歌詞をご紹介します。ネットで検索すればYouTubeで視聴できます。(https://www.youtube.com/watch?v=49Dh96nYUxo)世のお父さん達に捧げます。

『親父にさよなら』(森本レオ)
父さん さよなら
イエスキリストの父さんと同じ職業の大工だった父さん さよなら
小学校しか出てなかったのにたくさん字を知っていた父さん さよなら
父さん いろいろなこと知ってたよね
自転車の正式な名称はチンチン自転車というのだ
と教えてくれた父さん さよなら
神経痛の薬だといって酒ばかり飲んでいた父さん さよなら
酔っ払うと普段は機嫌がいいんだけど
仕事がうまくいかないと母さんに茶碗や箸をぶつけてた父さん さよなら
母さんも大変だったよね
夜中にみんなが寝静まった頃 
そっと起きて壊れた茶碗を糊ではっつけてた父さん さよなら

そういえば父さん 寝ててもおならしてたよね
臭いと音の両面攻撃でみんな夜中に悩んだんだよ

お前の女房は絶対俺が見つけてやると言って
とうとう一人も見つけてくれなかった父さん さよなら
そのくせ孫の名前ばかりたくさん作って
引き出しをいっぱいにしちゃった父さん さよなら
父さん いくら俺がタフだからって そんなには無理だよ
僕が泣くと 泣くのは女の仕事だと言って 
鬼瓦のような声で怒鳴った父さん さよなら

恐い顔してたねー 僕の未来図かと想うと 
何度自殺したくなったことか
あれからだよ 父さん僕がニヒルになったのは
でも機嫌がいいと 男はでっかくならにゃいかんと言って
肩車をしてくれた父さん さよなら
でっかくなれよと言ったわりには 
母さんよりちびだった父さん さよなら

女を持つのは男の甲斐性だと言って
とうとう一人も持てなかった父さん さよなら
大きくなっても絶対にこんな所へ来るんじゃないぞと言って
競馬場でみそおでんを買ってくれた父さん さよなら

お風呂で100数えるまで出るんじゃないぞ と言って
先にぶったおれちゃった父さん さよなら

お正月になると凧の足を長く長く作ってくれた父さん さよなら
僕が泣いてせがんだら あんなに嫌いだった犬を
懐にいれて買ってきてくれた父さん さよなら

あの時の父さんの手はとってもでっかかったのに
僕がデモに行くと言った時 もう寝たきりだった父さん
布団をはねのけて 僕をつかまえて 頭ぺたぺたぺたぺた叩いたよね
あの時の父さんの手はもうちっちゃくてしわしわで
とっても悲しかった

天皇陛下の好きだった父さん さよなら
町内会長でもなかった父さん さよなら
市長でもなかった父さん さよなら
大統領でもなかった父さん さよなら
人の家ばっかり作って 
とうとう自分の家は一軒も作れなかった父さん さよなら
照れ屋で内弁慶でおっちょこちょいで
甘ったれでもう一度会いたい父さん さよなら
俺の親父だった父さん さよなら

2019年06月16日

#243 夜の女の闘い!?

 九州南部や中国、四国を除いて入梅となりましたが、九州北部は今日も晴天の一日です。金曜日の夜半に一時大雨が降りましたが、一転降雨のない日々が続いています。昨年の梅雨時の豪雨と比べますと、雨の降らない梅雨も異常気象と言えるのではないかと思います。
 さてご存じと思いますが、地上波の夜の11時台のニュース番組がものすごいことになっています。NHKを含めニュース番組のキャスター(アナウンサー)がすべて女性になってしまいました。この現象を私は不可解な現象としてとらえています。まるで「夜の女の闘い」の様相を示しています。(失礼!)
 ニュース番組の性格上、その日に起こった出来事を正確かつ分かりやすく伝えるのがニュース番組の主な役割だと思います。各テレビ局の方針に沿って様々な出来事を取捨選択し、一番大事なものを順に視聴者に伝えていきます。その際に男性、女性アナウンサーの区別はないはずです。(従来は男性が主としてニュースのメインキャスターを務めていましたが、必ずしも男性が優れているわけではありません。)
 ところが、すべてニュース番組が女性アナウンサーに変更になった背景に視聴者を無視した各テレビ局の視聴率争いが見え隠れしているように思えてなりません。これは差別と偏見に関わる微妙な問題ですが、ニュース番組の質とは無関係で、中高年の男性視聴者を引き付ける目的があるような発言をしたある放送局幹部がいました。これが真実ですと、ニュースを取り扱うこと自体が「Show ショウ」であり、一種の娯楽番組となってしまっていることです。
 私が各ニュース番組を視聴したところ、テレビ東京のWBSの経済ニュース以外は各番組に独自性は見られず、浅薄な知識のキャスターがニュース原稿を読んでいる感じです。これではネットでニュース検索をした方が、より詳しい情報を得られます。(ただしネットのフェイクニュースに気をつける必要があります。)視聴者は当然テレビやラジオ、新聞等のマスコミを通してのみニュース情報を得ることができますが、このような状況では本当に必要な情報がテレビから得ることができないことになります。特に海外ニュースは各テレビ局の性向が見られ、欧米では重要視されているニュースが日本国内では放送されないことも多々あります。
 また、1つ気になることがあります。ニュースに関わらず放送内で「美人アナウンサー」や「美人レポーター」という表現が使われますが、欧米では差別用語として身体的特徴を表す語は用いることができないことになっています。マスコミは必要以上に多くの放送自粛用語を規定していますが、先に述べた表現に関して日本のテレビ局の態度は非常に甘いと思います。
 ただ私が大いに称賛したいのはBS各局のニュース番組はどの局も質が高く、専門家の意見も多岐にわたり、一見する価値があります。同じ放送局でも地上波とBSでは内容が大幅に変わることも多く、BSのニュースを観て地上波のニュースを視聴しますと、その内容の違いにびっくりします。たかがニュースですが、視聴者に与える影響は大きいので、バラエティ番組と異なり、視聴者に情報を正確に伝えることを第一に考え、その上で優秀な女性キャスターを大いに起用してもらいたいと思います。

2019年06月09日

#242 8050問題

 今日は朝から曇天で、時折小雨が降っています。九州南部はすでに梅雨に入りましたので、北部もまもなく入梅となるようです。
 さて、また痛ましい事件が発生しました。先日発生した川崎殺傷事件です。小学生ら19人を死傷し、事件現場で自ら命を絶ったのは51歳の男性で、80代の伯父らと同居し、引きこもり傾向にあったと言われています。事件の原因について多くの専門家がニュース等で意見を述べていますが、その中で1つ気になったのが8050問題です。ご存じのない方にこの問題をウィキペディアから一部引用します。
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『8050問題』(https://ja.wikipedia.org/wiki/8050問題)
 引きこもりの若者が存在していたがこれが長期化すれば親も高齢となり、収入に関してや介護に関してなどの問題が発生するようになる。これは80代の親と50代の子の親子関係での問題であることから「8050問題」と呼ばれるようになった。
 2018年に内閣府は、40歳から59歳までを対象とした初の実態調査を行った。それは従来までは引きこもりの問題は若者特有の問題であるとして調査されていたものの、中高年の実態はどうであるかを把握して支援に役立てるため。そして2018年度の予算案に調査費として2000万円を計上した。
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 川崎殺傷事件では容疑者が同居していた伯父らが80歳代で、かつ容疑者がひきこもり状態であったことから、この8050問題が大きくクローズアップされています。引きこもりと言えば若い世代のひきこもりが連想されますが、厚生労働省は平成21年度よりひきこもり地域支援センター設置運営事業を行っており、先月内閣府がまとめた資料によりますと、40~64歳のひきこもり状態の人が全国に61・3万人いるそうです。この年齢では養親は少なくとも70代以上で年金暮らしをされていることと思います。いつ病気で倒れてもおかしくない世代になります。
 この中高年ひきこもりに対して様々な意見があり、どれも正論のように聞こえますが、ひきこもりの解決法まで述べている意見ほとんでが見当たりません。この国では8050問題が晩婚化・少子化とともに近い将来大きな問題となっていくことでしょう。
 それでは具体的な解決法があるかと思えば、残念ながら私には解決法を見出すことができません。個人的な問題なのか、あるいは公的な援助を必要とする国を挙げての問題なのか判断できない事柄だからです。ひきこもりに関してはケース・バイ・ケースの問題で、それぞれの対処方法が異なります。しかし、時間をかけて取り組むわけにはいきません。最悪の場合は養親が年老いて亡くなり、引きこもりの子どもが後を追う可能性が高いからです。
 世間では引きこもりの人たちに働くように促す意見がありますが、働くことができないから8050問題が生じているのです。引きこもりには何らかの要因があり、特に中高年の引きこもりではリストラや配置転換、上司のパワハラ等がきっかけとなり、引きこもりが発生している報告が多々あります。確かに61.3万人は少なくない数字です。この問題は喫緊の課題として老々介護と同様に国を挙げて取り組まなければならない深刻な問題です。この問題に関心のある方はNHKの「ひきこもりクライシス 100万人のサバイバル」をご参照ください。(https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/articles/crisis_04.html)

2019年06月02日

#241 嘘つきは泥棒の始まり!

 ここ数日は快晴の状態が続いていますが、異常高温注意報が出されており、午後3時現在、北海道の佐呂間では38度を超える猛暑を記録しました。全国でみると、926の観測地点中53地点で猛暑日となっており。このうちの44地点が北海道だそうです。気象庁は、北海道から近畿にかけての多くの道府県に高温注意情報を発表し、猛暑日が予想される所もあるとして、熱中症に警戒を呼びかけています。全国的に真夏並みの猛暑が続いていますので、充分水分を補給するなど健康管理には充分注意したいものです。
 さて、世の中はオレオレ詐欺などの「特殊詐欺」の犯罪に溢れています。タイで行っていた特殊詐欺の一団が逮捕され、日本に移送されたニュースが先日放送されていました。この詐欺集団を含め、特殊詐欺の背後に暴力団が関わっていると報じられています。暴力団排除条例等により運営資金確保が難しくなり、様々な詐欺事件に暴力団が関わっているのでしょうか。詐欺事件には充分注意したいものです。
 ところで2か月以上前のことになりますが、3月某日のニュース特番で「フェイクニュース」の特集をやっていました。この特番をご存じない方もいらっしゃると思いますので、かなりの長文になりますが、その関連記事を下記に引用します。

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『数千万稼ぐ者も…「フェイクニュース製造村」で見た驚きの現実』
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55222)
 世界を覆うフェイクニュースの洪水。その発信源のひとつは、なんと東欧の小さな村だった。NHKのディレクター・佐野広記氏が「フェイクニュース村」に潜入し、見たものとは――。

<フェイクニュースでベンツを買った>
 「あ、またフェイクニュースよ」ニューヨークに住む1児の母、アビーさんは、ため息交じりにつぶやいた。いまアメリカでは、市民が日常的に触れる情報の中に、ウソの記事=フェイクニュースが当たり前に飛び交っている。この日アビーさんが見ていたのは、『歯磨き粉のチューブ』に関する一本の記事。『印刷されている読取コードの色が、実は、有害物質の含有量を示している』というデタラメな内容だった。
 「もう何を信じていいか分からなくなってきています」事実が歪められ、ネット上で一瞬にして広がる「フェイクニュース」。今年3月に放送した「放送記念日特集 フェイクニュースとどう向き合うか~“事実”をめぐる闘い~」(NHK総合。NHKオンデマンドで配信中)を制作するにあたり、私たちはその実態を取材した。
 日本でも、『記録的な寒波で、ナイアガラの滝が完全凍結した』とか『大量の塩水を一気に飲めば、腸内をきれいにできる』といった生活情報や健康情報などのウソが出回っている。東南アジアは深刻で、去年『物乞いや妊婦などのフリをした人が、子どもを誘拐しようとしている』というフェイクニュースを信じた人々が、ホームレスを集団で暴行し殺害する事件まで発生していた。
 こうした記事には、広告が埋め込まれており、多くの人がアクセスして広告がクリックされると、発信者に収入が入る仕組みとなっている。ニュースメディア「バズフィード」が発信元を追跡調査した結果、100を越えるフェイクニュースサイトが、ヨーロッパのとある町で運営されていることが明らかになった。バルカン半島にあるマケドニア共和国の地方都市、ヴェレスだ。ニューヨークから飛行機を乗り継ぐこと20時間。「フェイクニュース工場」の異名を持つヴェレスに、今年2月、取材に入った。200~300人の若者がフェイクニュース作りに手を染め、多額の広告収入を手にしていると言われている。
 平均月収約5万円の、決して豊かではないこの町。道行く車の多くは、凹みやキズが修理されずに放置されたまま。バンパーが外れている車も珍しくない。そんな中、BMWやベンツなど、ピカピカの高級車が、2年前から突如増え始めた。しかも乗り回しているのは20代の若者ばかりだという。マケドニアの高級車ディーラーが教えてくれた。「業績はうなぎ登りです。貧しいマケドニアで、若者たちが高級車を買ってくれるなんて思ってもみなかった。彼らはインターネットを使ってお金を儲けているようです」

<すべてがウソばかりになってしまった>
 2年前にフェイクニュースを作り始めた2人組に出会った。金色のピアスが耳に光る、イマドキで端正な顔立ちの男子大学生だった。取材場所に指定されたのは、5つ星ホテルの一室。大学で経営学を学ぶ2人は、先輩から「ネットで記事を書くと金になるぞ」と聞いたのを機に、始めたという。
 当初は、『トランプ候補が「メキシコ国境に壁を作る」と発言した』など、大手メディアでも話題になっていた内容をまとめた記事を作っていたが、どうもアクセス数が芳しくない。そこで方針を変えて、『「ネバダ州の砂漠に強制収容所を作る」と発言した』という具合に、トランプ候補の発言にウソを入れて過激にしてみたところ、アクセス数が急増。広告収入が一気に増えた。当初は「本当」も混ぜていたが、気づくとタイトルから記事、写真まで、すべてウソばかりになっていったという。
 「一番のヒット作だ」という1本の記事をスマホで見せてきた。『速報 ドナルドトランプが心臓発作で死亡』。トランプ氏が仰向けに倒れ、血のようなものが流れている写真が添えられており、画像加工ソフトも駆使して作り上げたという。ホームページ作成方法は独学で学び、英語も使いこなし、アメリカ国民向けにウソの記事を書き続ける2人は、「とにかくタイトルで興味を引くことが重要」と繰り返す。
 作成した記事は、フェイスブックのシェア機能を使って投稿するが、より多くの人に拡散するよう、時差を考慮してアメリカ時間に合わせて投稿するなど、細かい工夫を重ねている。こうしたフェイクニュースで、多い時には月に約60万円(この町では1年分の収入)の広告収入を得ているという。

<フェイクニュースを交換するバー>
 「実際にはありえないような内容を書いているのに、たくさんのお金が入る。アメリカ人って馬鹿だなと思うようになったよ。2020年のアメリカ大統領選挙でも稼がせてもらうよ」と淡々と話す2人に、「罪悪感はないのか?」と問いただすと、「悪いのはフェイクニュースを作っている俺たちじゃない。読んで騙される彼らの方だ」と言い放った。
 2人は、稼いだ金で毎晩のように飲み歩いている。決まって飲むのは、ジャック・ダニエル。マケドニアにも、ワインや蒸留酒のラキアなど国産酒はたくさんあるが、外国の高いウィスキーを飲むのがステータスだという。店はフェイクニュース制作者が情報交換する場になっていて、大勢の若者で賑わっている。
内臓が揺さぶられるほど大音量のクラブ音楽が流れる店内で、彼らは叫ぶように将来の夢を語り合っていた。
 「このままマケドニアにいても、タクシードライバーになるか、レストランのウェイターになるしか道はない。早くマケドニアを出て、自分の会社を興して、未来をつかみたい」2人は空が白むまで踊り明かしていた。
 彼らがフェイクニュースを作る背景には、同国の厳しい経済状況がある。マケドニアが旧ユーゴスラビアの一部だった昔、ヴェレスは国営の工場が集まる一大工業地帯で、活気に溢れていた。ところが、ユーゴスラビアが解体すると、工場は次々と閉鎖。現在、住民のおよそ3割は失業者だ。若者たち口を揃える。
 「親には頼れない、金は自分で稼がなくてはいけない」町の市場を訪ねると、特産のパプリカ、トマト、チーズなど新鮮な食材が並ぶが、お世辞にも賑わっているとは言えない。店主の大人たちは茶を飲み、ヒマそうにおしゃべりする中、忙しく動き回っているのが子ども達だ。6~7歳の少年たちが、外国人の私たちを見つけ「お金をくれ」と言ってきた。
 現地コーディネーターが硬貨を配ったのだが、驚いたのはそのすぐ後。少年の1人がポケットを裏返し、「ほら、僕はまだもらっていないよ。お金をちょうだい」と、ウソをついて、金をさらにせびってきたのだ。フェイクニュースの原点を見た気がした。

<息子にはもっとフェイクニュースを書いてほしい>
 取材では、マケドニアの若者たちの間で「先生」と呼ばれている人物に面会した。ミルコ・チェセルコスキ氏。彼の名刺には「トランプ大統領の誕生を手伝った男」と書かれている。ミルコ氏は7年前から、ネット上で広告収入を得るノウハウを教えており、これまで大勢のヴェレスの若者を指導してきたと言う。
若者たちに必ず紹介するという、1本のフェイクニュースを見せてきた。見覚えのある記事―アメリカで出回っていた、あの『歯磨き粉のチューブ』のニセ記事だった。
 「この1本だけで、1000万円稼ぎ出しました。世界で1億回も読まれたんですよ。実はこの記事を作ったのは、私の妻なんですけどね」。勝ち誇ったような笑い声が、耳にこびりつく。
 「『大きい』とか『たくさん』のような普通の言葉を使ってはダメなんですね。『途方もない』『ものすごい』『計り知れない』『壮大なスケールの』『天井知らずの』など大げさなフレーズを使うんです。『ここだけの』とか『速報』とかをつけ加えれば、クリックの獲得は間違いなしです。中身は必ずしも事実でなくても良いのです」
 去年、フェイスブックやグーグルは「フェイクニュース対策」を強化すると発表。ヴェレスの若者のサイトやアカウントは次々と閉鎖された。しかし彼らは、今なおフェイクニュース作りを続けている。今回、フェイクニュース作成者10人近くに話を聞いたが、その中には警察官もいた。彼らは「そもそも国や企業が出す情報もウソばかり」と言い、ウソをつくことへの閾値が、私たちとはまるっきり違うのだ。
 ある家族を訪ねた際、私は、絶句するしかなかった。まだあどけなさの残る17歳の男子高校生が、事実をねじ曲げたウソの記事をスラスラと作り上げ、あっという間に全世界に発信していた。それを横で見ていた母親は、止めるどころかむしろ、もっと面白いウソをつきなさいと煽っている。
 『衝撃ニュース! サンドラ・オー(カナダ出身の有名女優)がケガをして、ドラマを降板した』――目の前で、高校生が作り上げたフェイクニュースだ。両親の年収を優に超える稼ぎを手にし、その金でイタリア製のバイクを買ったばかりだという。
 「罪の意識はないのか?」と尋ねると、息子は「クラスメイトの4割くらいがフェイクニュースを作ってるよ」と言い、母親は「それほど悪いことだとは思いません。お小遣いをあげなくて済んで家計は助かっていますし、息子にはもっと頑張って欲しい」と悪びれることもなく言い切った。私にとっては異常な光景が、彼らにとってはただの日常だった。フェイクニュースがなくなる日は、はるか遠い先のことかもしれない。
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 いかがでしたか。この記事を読んで暗澹たる気持ちになります。「自分はフェイクニュースに騙されないぞ。」と自信を持って言えるでしょうか?そういう私も今冬に配信された『記録的な寒波で、ナイアガラの滝が完全凍結した』の記事にすっかり騙されてしまいました。確かにアメリカでは当時記録的な寒波が続いていましたが、あの巨大なナイアガラ瀑布が完璧に凍結してしまうことは常識的にあり得ません。氷河期を除いてはあの滝の莫大な水量はどんな手段を用いても止められません。
 何となく新聞やネット等のニュースを読むと騙されることになります。特に日本の各新聞社、テレビ局は「社是」の方針なのか、フェイクニュースを流すというよりは、世界で進行している重大なニュースに対して「掲載しない、沈黙を続ける」という奇妙が現象が見受けられます。この件に関してはいずれブログで述べてみたいと思います。
 世の中はSNSで情報が広がる傾向にありますが、フェイクニュースを知らない大衆がフェイクニュースに踊らされ、それが暴動に発展する日も近いと思われます。特にAIの発達により、国家の首脳の動画を編集し、声紋を利用した動画を流すことにより、大衆を簡単に扇動する時代が来ることでしょう。そのような時代の到来について私たちは情報源がフェイクであるか否か、様々な情報を元に冷静かつ客観的に判断することを迫られています。とんでもない世の中になったものです。
 特殊詐欺やフェイクニュースを作成する輩は幼い時に親から、そして学校で習わなかったのでしょうか?「嘘つきは泥棒の始まり」だということを。

2019年05月26日

#240 文科省に大喝!

 沖縄・奄美地方はすでに梅雨に入りました。九州地方もあと2週間ほどで梅雨入りになることでしょう。昨日は屋久島で50年に一度の豪雨が降り、現在240人以上の観光客が孤立しています。毎年繰り返されていますが、梅雨時の豪雨には充分注意する必要があります。今まで安全と思われていた地域でも、いつ災害に見舞われるかもしれません。大雨警報が出た場合は避難先の確認も含め、充分な警戒が必要になります。
 さて2020年度の大学入試からセンター試験に代わる新しい入試が導入されます。この件について、このブログでも何度か取り上げましたが、数日前にNHKなどでその採点方法に関するニュースが報道されました。特に英語の採点方法を聞いて私は唖然としました。この件についてご存じない方にNHKが報道した記事をいくつか引用します。

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『大学入学共通テスト 英語の民間試験 海外の業者による採点も』
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011917451000.html)
 今のセンター試験に代わり再来年から始まる「大学入学共通テスト」に導入される英語の民間試験。文部科学省がその採点者として、委託された海外の業者なども認めていることがわかりました。専門家は、採点の質の確保や信頼性の観点で懸念があると指摘しています。
毎年50万人余りが受験する今の大学入試センター試験は来年が最後となり、再来年1月からは「大学入学共通テスト」が始まります。
 このうち英語は、書く力と話す力を新たに測定するため、7つの民間事業者による英検やTOEICなどの検定試験が導入されます。再来年1月の受験生は来年4月から12月にかけて、これら民間試験を2回にわたって受け、そのスコアが受験する大学に提供される仕組みです。
 試験の採点者について、文部科学省は受験生が在籍する高校の教職員を除くこと以外、条件をつけていませんが、関係者によりますと、アジアなど海外の委託業者や学生のアルバイトなども採点者として認められていることがわかりました。
 これについて、7つの事業者を取材すると、大卒以上で、英語の指導歴が3年以上あることを採点者の基準としているところがある一方、海外の英語を話す人とだけしているところや、「機密事項」として基準を公表していないところもありました。
 入試制度に詳しい東京大学高大接続研究開発センターの南風原朝和前センター長は「どの国で採点されているかも分からないくらいなので、国の共通テストとして利用するならば、採点者の資質が分かるデータを提供してほしい。外国での採点などは質の確保や信頼性の観点で懸念がある。国は実態を確認し、対策を考える必要がある」と指摘しています。
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『バイトや海外業者も採点 大学入試 英語民間試験 信頼性に懸念』
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011918441000.html)
 採点の質や信頼性は確保できるのでしょうか。今のセンター試験に代わり再来年から始まる「大学入学共通テスト」に新たに導入されるのが英語の民間試験です。民間試験では採点を海外の業者に委託することなども認められていますが、すでに採点に疑問があるケースも見つかり、懸念する声がでています。
毎年50万人余りが受験する今の大学入試センター試験は来年が最後となり、再来年1月からは「大学入学共通テスト」が始まります。このうち英語は書く力と話す力を新たに測定するため、7つの民間事業者による検定試験が導入されます。
 再来年1月の受験生は来年4月から12月にかけて、これら民間試験を2回にわたって受け、そのスコアが受験する大学に提供される仕組みです。
 試験開始まで1年を切り、今週、民間事業者が試験の日程や会場などの概要を相次いで公表するなど、準備が進められています。
 文部科学省は民間試験の採点について、受験生が在籍する高校の教職員を除くこと以外、条件をつけていませんが、取材すると、海外の委託業者や学生のアルバイトも採点者として認めていました。そのため採点の質の確保や信頼性に懸念を示す専門家や学校関係者もいます。

<一切利用しない大学も>
英語の民間試験の利用方法をめぐって、大学の対応も分かれています。大手進学塾のまとめでは、82ある国立大学のうち、民間試験を合否判定に利用する大学は筑波大学や広島大学など38校、出願資格などとして利用するものの合否判定には使わない大学は39校です。このうち東京大学や京都大学など8校は出願資格としての提出を任意としています。一切利用しない大学は北海道大学や東北大学など3校。まだ具体的な方針を公表していない大学が2校となっています。文部科学省は「各大学の方針は尊重するが民間試験を活用する方向で検討してもらいたい」としています。

<民間の検定試験導入>
7つの民間事業者による検定試験の具体的なスケジュールは、第1回となる再来年1月に共通テストを受ける人たちの場合は、来年4月から12月の間に、これら民間試験のうち希望したものを2回受けます。そのスコアは大学入試センターを通じて受験する大学に提供され、各大学の判断で出願資格や合否判定に使われます。
民間試験の実施から4年間、つまり2024年1月までは従来どおり大学入試センターによる英語の試験も実施されますが、2025年以降については未定だということです。

<専門家「民間任せの弊害 国は対策を」>
入試制度に詳しい東京大学高大接続研究開発センターの南風原朝和・前センター長は「どこの国のどんなレベルの人が採点するのかがブラックボックスとなっていて、採点の公平性や質の確保の観点で懸念がある。国は民間事業者に対して受験料は下げて採点などの質は上げるよう求めているが、それは矛盾している。大学によって活用に差があるのはこれらの試験を信用していないことの表れで、それぞれの大学が影響を小さくする方法を考えているのが実情だ。民間に任せることの弊害として国が実態を確認し、対策を考える必要がある」と話しています。
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『大学入学共通テスト 英語の民間試験 海外の業者による採点も』
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011917451000.html?utm_int=detail_
 contents_news-related_002)
 今のセンター試験に代わり再来年から始まる「大学入学共通テスト」に導入される英語の民間試験。文部科学省がその採点者として、委託された海外の業者なども認めていることがわかりました。専門家は、採点の質の確保や信頼性の観点で懸念があると指摘しています。
 毎年50万人余りが受験する今の大学入試センター試験は来年が最後となり、再来年1月からは「大学入学共通テスト」が始まります。
 このうち英語は、書く力と話す力を新たに測定するため、7つの民間事業者による英検やTOEICなどの検定試験が導入されます。再来年1月の受験生は来年4月から12月にかけて、これら民間試験を2回にわたって受け、そのスコアが受験する大学に提供される仕組みです。
 試験の採点者について、文部科学省は受験生が在籍する高校の教職員を除くこと以外、条件をつけていませんが、関係者によりますと、アジアなど海外の委託業者や学生のアルバイトなども採点者として認められていることがわかりました。
 これについて、7つの事業者を取材すると、大卒以上で、英語の指導歴が3年以上あることを採点者の基準としているところがある一方、海外の英語を話す人とだけしているところや、「機密事項」として基準を公表していないところもありました。
 入試制度に詳しい東京大学高大接続研究開発センターの南風原朝和前センター長は「どの国で採点されているかも分からないくらいなので、国の共通テストとして利用するならば、採点者の資質が分かるデータを提供してほしい。外国での採点などは質の確保や信頼性の観点で懸念がある。国は実態を確認し、対策を考える必要がある」と指摘しています。
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『文法もつづりも間違いでも得点 数々の疑問 英語民間試験』
 今のセンター試験に代わり、再来年から始まる「大学入学共通テスト」に新たに導入される英語の民間試験に対しては、さまざまな疑問の声が上がっています。
 西日本の高校で英語を教えている教員は去年、生徒が受けたある民間試験の採点に疑問を持ちました。「地域をきれいにするためにできることは何だと思うか、1つ取り上げて理由を書きなさい」という英作文の問題で、生徒の解答用紙には「I think to inportant」としか書かれておらず、文法や単語のつづりも間違っていました。この教員は、過去に民間試験の採点に関わった経験があり、自身ならば「0点」にすると言いますが、業者から返ってきたスコアは160点満点中41点だったということです。この試験の採点はアジアなど複数の国の業者に委託するなどして行われているといいます。
 この教員は「自分の能力を測定するだけの検定試験なら、生徒のやる気を損なわないため、多少甘い採点もあり、かもしれない。しかし、入試に使われると思うと、満点の4分の1もの点が付いているのは疑問だ。本番でもきちんと採点が行われるか不安があるし、ある試験の採点がやさしいと評判になったらそこに受験生が殺到して結果的に公平な評価にならず問題だ」と話しています。

<各事業者で採点基準が大きく異なる>
民間試験を実施する7つの事業者は、採点者の基準やその公表方針が、それぞれ大きく異なっています。
▽「ケンブリッジ英語検定」は、大卒以上で英語教育に関する資格を保持し、英語の指導歴が3年以上などとしています。
▽「TOEFL iBT」は、大卒以上で英語の指導経験があるなどとしています。
▽「IELTS」は、大卒以上で英語教育に関する資格を保持し、英語の指導歴が3年以上などとしています。
▽「TOEIC」は、大卒以上で英語教育に関する資格を保持し、一定期間の指導経験があることなどとしています。
▽ベネッセコーポレーションが実施する「GTEC」は、海外の英語を話す人で、採用試験に合格した者、などとしています。
▽「英検」、「TEAP」、「TEAP CBT」は、いずれも日本英語検定協会が実施していますが、採点者は国内・海外を問わないが、応募資格などは「機密事項」につき公表できないとしています。

<異なる試験の点数どう平準化 受験料もまちまち>
 採点以外にも課題が指摘されています。1つは異なる試験によるスコアをどこまで公平に平準化できるかです。この手段として国は、国際的にも使われている「CEFR」という指標を用いるとしています。
 しかし、目的や手法も異なる試験のスコアをどこまで公平に評価できるのか、問題視する意見が根強くあります。また、試験によって受験料がまちまちで、6000円ほどから高いものでは2万5000円を超えるものもあります。
 大学入試センターに提出できるスコアは2回ですが、練習で試験を受けることも可能です。このため、家庭の経済状況や地域によって受験機会に格差が生じることも懸念されています。
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注:上記の記事の内容はかなり重複していますが、ここでは別記事として扱っています。

 4つの記事の引用でかなりの長文となりましたが、最後までお読み頂いた方は新しく実施される英語の試験が現在どのような状況になっているのか、お分かり頂けたと思います。文科省は民間試験の採点方法に関して充分な資料を集め、関係者と綿密に連絡を取り、採点方法の裁可を決めなくてはなりません。一国を代表する大学入試問題に変わる試験の採点を全く部外者の外国人に任せる国がどこにあるでしょうか。少なくとも私は聞いたことがありません。
 特に多くの高校生が受験している「英検」はCEFRという国際基準を数年前から採用していますが、具体的な採点基準は公開していません。民間業者の試験を「大学入学共通テスト」に採用するなら、具体的な採点基準を詳細に公表すべきです。またTOEICはビジネスに関する問題が多数出題され、高校生には不利な試験です。また試験問題を持ち帰ることができず、自分の取った点数しか分かりません。
 このように民間の英語試験を利用することは大学入試として多くの問題があり、早急に改善されませんと、2020年度の試験のために来年から民間の試験を受験することになります。文科省はこの問題に対して真剣にかつ緊急課題として取り組む必要があります。受験生の一生が左右される大学入試です。安易に考えてもらったら困ります。わずか1点で合否が分かれる入試を公正にかつ平等に扱う姿勢が文科省に問われています。

2019年05月19日

#239 償いー交通事故の悲惨さを歌う

 今日は5月の第2日曜日、「母の日」です。子供たちはきっとお母さんに素敵なプレゼントをしているでしょう。ところで最近母子や幼い子供たちが巻き込まれる交通事故が相次いでいます。4月19日に東京・池袋で高齢者運転の車が暴走し、3歳の女の子と母親が死亡した事故。5月8日に大津市で散歩中の保育園児の列に車が突っ込んだ死傷事故。5月10日に愛知県西尾市で2歳の男の子と33歳の母親が乗用車にはねられた事故など、多くの子供達が死傷する事故が増えています。特に大津の事故では子供たちを見守る保育士には過失はなく、園長先生の涙ながらの会見は涙を誘いました。
 交通事故は自分が注意していても避けられない場合があります。車を運転する人は細心の注意をして車を運転すべきでしょう。ちょっとした油断が事故を引き起こし、かけがえのない命を失わせることになります。また、その後の賠償金や治療費などは一生かかって払い続けることにもなります。
 今日は、さだまさしの「償い」という歌を紹介します。交通事故を起こした若者がどのようなことになるか如実に語っています。この歌は実話に基づくもので、また2001年に東京都で、4人の少年が40代銀行員の男性に対し、車内で足が当たったと口論の末、三軒茶屋駅のホームで暴行を加え、くも膜下出血で死亡させる事件がありましたが東京地裁において判決公判が行われ、主犯格少年2人に対して、裁判長がこの「償い」を聞くように諭したことでも有名な曲です。YouTubuで聞けますのでぜひお聴きください。

「償い」(作詞・作曲 さだまさし)
月末になるとゆうちゃんは
薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へ
とび込んでゆくのだった

仲間はそんな彼をみてみんな
貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑っても
ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

僕だけが知っているのだ
彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ

配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に
ブレーキが間にあわなかった
彼はその日とても疲れてた

人殺しあんたを許さないと彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で
彼はひたすら大声で泣きながら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった

それから彼は人が変わった何もかも
忘れて働いて働いて
償いきれるはずもないがせめてもと
毎月あの人に仕送りをしている

今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣きながら走り込んで来た
しゃくりあげながら彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

「ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
だからどうぞ送金はやめて下さい
あなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのです
あなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」

手紙の中身はどうでもよかった
それよりも償いきれるはずもないあの人から返事が来たのが
ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて

神様って思わず僕は叫んでいた
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれてありがとう

人間って哀しいね
だってみんなやさしい
それが傷つけあってかばいあって
何だかもらい泣きの涙が
とまらなくて とまらなくて とまらなくて とまらなくて

2019年05月12日

#238 子どもの貧困対策に「給食費無償化」?

 今年のゴールデンウィークはどのようにお過ごしになられたでしょうか。長かった連休も明日で終わり、5月7日(火)から普通の日常生活に戻ります。今年は長い休日のために5月病に罹る人が増えるのではないかと心配しています。一方では子供たちが学校に戻っていくので内心ほっとされているお母さんたちもいらっしゃることでしょう。今月は運動会や体育祭、文化祭など様々な学校行事が予定されています。子供たちも学校生活に戻り、また慌ただしい日々を過ごすことでしょう。
 さて今日は「子供の日」ですが、昨日のマスコミ報道によりますと、子供の数が38年連続で減少しており、それに伴い日本の人口も減り続けることになる旨の内容を放送していました。確かに人口減少は国力の衰退にもつながり、喫緊の課題となっています。その子供を巡る問題の1つとして学校給食があります。経済的に困窮している家庭の子供たちが給食費を払えない問題です。
 本日の "DIAMOND on line" にこの問題に関する記事がありましたので、長文になりますが紹介します。

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『子どもの貧困対策に「給食費無償化」が最適な理由』(https://diamond.jp/articles/-/199656)

本当に必要な家庭に届いていない「就学援助制度」
 子どもの学校関連の出費のなかで、最も大きな割合を占めるのが給食費である。文部科学省「平成30年度学校給食費調査」によれば、給食を実施している公立学校の保護者の年間負担額は、1人あたり小学校4万7773円、中学校5万4351円となっている。貧困家庭には、この給食費が大きな負担になる。その給食費を含む、学校に通うのに必要な費用を援助する制度が「就学援助」である。
 就学援助とは、学校教育法第19条で「経済的に就学困難と認められる学齢児童又は学齢生徒の保護者に対しては、市町村は、必要な援助を与えなければならない」と定められている制度のことだ。就学援助などの支援を受けている小中学生は、2015(平成27)年度で約6人に1人、全国で149万人にのぼり、最も負担が大きい学校給食費をはじめ、学校で勉強するために必要な文房具・楽器などの学用品代や、クラブ活動費、PTA会費などが支給される。
 ただし、就学援助は自治体間で格差が大きい上に、必要な家庭に届いているとはいえない現状がある。
「生活保護なども同様ですが、行政による支援を受ける場合、保護者が自ら就学援助の申請をしなければなりません。しかし、本来その必要性が高い家庭ほど、支援内容や申請方法について情報を把握していないケースが多く、制度対象から漏れている可能性が高いのです」(鳫氏、以下同)生活保護に比べて、就学援助という制度の知名度がそれほど高くないが故の現象である。

横浜市の公立中学校の給食実施率はゼロ
 また、給食の有無や、その充実度も自治体によって大きく事情が異なる。小中学校の昼食には、「完全給食(ミルク、おかず、主食)」、「補食給食(ミルク、おかずのみ)」、「ミルク給食(ミルクのみ)」、「給食なし」の4パターンがある。そもそも学校給食が実施されていない自治体も、まだ少なくない。
 前述の文部科学省「平成30年度学校給食実施状況調査」を参照すると、全国の完全給食実施率は、公立小学校は98.8%だが、公立中学校では79.0%とやや数値が下がる。「神奈川、近畿地方、高知、広島、九州北部の各県の完全給食実施率は低く、そのなかでも特に、横浜市の公立中学校の完全給食実施率は何と0%。完全給食以外だと、給食費が少ない、もしくはゼロですから、給食費を支援する就学援助の金額も少なくなる。貧困解決にならないのが現状です」
 2016年7月、横浜市は市立中学校12校で給食の代わりに「ハマ弁」という配達弁当を導入。2017年1月には、全145の市立中学校に拡大したが、「おいしくない」との評判が多数で、昨年12月の利用率はわずか2.6%と、まったく普及していない。

 しかし、ハマ弁の利用率が上がらないのは、味以外にも大きな理由があると、鳫氏は指摘する。「これは横浜市独自の制度なのですが、子どもの立場になって考えてないことは明らか。というのも利用者が少ないのは単に味の問題だけでなく、周りの友人から『あの子は弁当をつくってもらえなくてかわいそう』などと思われることを気にするあまり、非常に注文しづらいという背景があるのです」
 学校給食の歴史を振り返ると、始まりは1889(明治22年)年、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の忠愛小学校で貧困児童を対象に無償で行われたのが発祥といわれている。鳫氏によれば、その後も貧困救済として給食を支給される子どもに負い目を感じさせないよう、教師たちも気遣う必要があったという。横浜市は、学校給食制度当初と同じ問題を抱えているのだ。

年間5120億円あれば無料で給食が食べられる
 このように、就学支援制度や給食事情が自治体によって大きく異なるために、子どもの学校にかかる費用のうち最大割合を占める「給食」に関する支援がなかなか行き届かない。こうした現状の中で、鳫氏が提唱するのは、「完全給食にして、給食費を一律無償化する」ことだ。よくある「お金持ちの家庭まで無償にする必要はあるのか」という意見に対しては、こう反論する。
「高校授業料無償化のときも同じ議論がありましたが、個人の所得を把握するのはとても大変でコストもかかります。また、給食はどの子どもにとっても大事なものですし、所得の多い家庭はたくさん税金を納めていると考えれば、不平等とはいえません」
 2016年に行われた政府の経済財政諮問会議では、子ども・子育て世帯の支援対策として、給食費無償化が提案され、そのためには年間5120億円が必要になるとの試算が示された。学校給食は1食あたり、250~300円ほどの安価でありながら、栄養バランスがとれている。地域によっては、「おいしくない」などという課題もあるとはいえ、貧困家庭には非常に助かるはずだ。
 ここ数年、貧困家庭の子どもを念頭に月に数回、無償で食事を提供する「子ども食堂」という活動も活発化し、全国各地2200ヵ所にまで広がっている。ただ、「子ども食堂」は貧困対策というよりも、地域のコミュニティー活動としての役割を担う側面の方が大きい。給食費をタダにして、誰もが未納の心配なく平等に学校給食が食べられるようになれば、貧困に苦しむ子どもたちが間違いなく救われる。あらためて、学校給食の意義を社会で捉え直す必要があるだろう。
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 確かに貧富の差にかかわらず、子供たちが同じ給食を食べることができるのは理想ですが、それに必要な年間5120億円をどこから捻出するかが大きな問題となります。衣食住足りて最低限の文化的生活ができますが、親の経済状態に関わらず、せめて子供たちには学校で十分な食事を与えてやりたいものです。子供の日にあたり、このような記事を紹介させていただきました。

2019年05月05日

#237 令和+018=西暦!?

 普段は仕事の関係で週1の遅いペースでブログを更新していますが、今週は連休が続いており、比較的時間が取れますので、今話題の元号に関するブログを書き続けています。
 さて、昨日元号が平成から令和に変わりましたが、意外と煩わしいのが和暦⇔西暦の計算です。すぐに計算できる人は少ないのではないでしょうか。只今ネットで新聞記事を閲覧していましたら、面白い記事が載っていましたので引用します。

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『令和+「018(れいわ)」=西暦…簡単に換算』(読売新聞より引用)
(https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/news/20190502-OYT1T50023/)

 今後、学校や職場で増えそうなのが、「令和8年って西暦何年だっけ?」といった和暦・西暦換算のやり取りだ。そんな時に「2026年です」とスラッと答えるための知って役立つ計算式とは――。
 実は、令和を西暦に換算する方法は過去の元号の中で最も覚えやすい。令和の年数に「018れいわ」を足せば西暦の下2桁になるからだ。
 例えば、令和31年であれば、18を足して「2049年」が正解となる。高校や塾の数学講師と、「タカタ先生」という芸人の二足のわらじを履く高田和典さん(36)は「令和2018(れいわに、れいわ)と覚えましょう」と提唱する。
 なお、平成を西暦の下2桁に換算するには88を足す。働く女性の差別禁止が強化された平成19年は2007年となる。タカタ先生は「平成は女性の社会進出が進んだので、平成の年数に1988(いくはは)を足す、と覚えましょう」と時代背景を踏まえて解説する。
 役所に提出する申請書や契約書など、日常生活の中で和暦は意外に多く使われる。タカタ先生は「語呂合わせなら覚えやすく、暗算力を磨くこともできる。パッと計算できれば『できる人』と思われるメリットもある」と語る。
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 ちなみに上記の同じページの左側にある和暦から西暦への計算方法は次のようになっています。
*基準年数は和暦元年の西暦-1です。

【大正】基準年数 1911
(覚え方)大正デモクラシー 自由求めて行く人々(1911)
(例)大正10年+1911=1921年  
(注)下2桁 21-11で大正10年になります。

【昭和】基準年数 1925
(覚え方)高度経済成長 い一靴でGO(1925)
(例)昭和20年=1945年     
(注)下2桁 45-25で昭和20年になります。

【平成】基準年数 1988
(覚え方)女性の社会進出 社会に出て行く母(1988)
(例)平成30年=2018年     
(注)平成は2000をまたぎますので、1999年までと2000年以降に分かれます。
  1.1999年までは下2桁から88を引く。 95-88=平成7年
  2.2000年以降は下3桁から88を引く。 2002を102として、102-88=平成14年

【令和】基準年 2018
(覚え方)令和に令和(2018)
(例)令和5年=2023年
(注)下2桁 23-18で令和5年になります。

 留意して頂きたいのは基準年数が実際の年号よりも「1」少ないことです。これは旧年号最終年と新年号元年が重複することから生じていると思われます。なお明治の換算方法が書いてありませんので、各自でお考え下さい(笑)。以上元号にまつわるトリビア(雑学)でした。(上記の各元号の換算式の(注)は私自身がコメントした追加情報です。)

追記 上記の内容を簡単に記憶したい人は「1125 8818」と携帯番号のように覚えておけば大丈夫です。

2019年05月02日

#236 令和時代の始まり

 昨晩から本日にかけて新元号「令和」を祝福する全国各地の様々な行事をテレビを通して見ることができました。特に午前零時に新時代を迎える頃には、何か年越しの雰囲気を感じさせるような盛り上がりでした。民放のCMでは、ある企業が "A Happy New Year" をもじって "A Happy New Era" (Era は時代のことです)と宣伝していました。平成の代替わりと異なり、上皇陛下が存命ですので賑やかな雰囲気が国中に溢れています。
 さて午前10時過ぎの国事行為である「剣璽等承継の儀」と11時過ぎに行われた「即位後朝見の儀」をテレビで見ていましたが、テレビ各局すべて実況中継していました。全テレビ局が一斉に同じテーマを中継するのは東日本大震災以来ではないかと思います。それだけにマスコミも新しい時代の始まりを真摯に取り上げているのでしょう。
 さて令和が始まりましたが、令和="Beautiful Harmony" のように素晴らしい時代を築いてもらいたいものです。もちろん新しい時代を築いていくのは皇室だけの課題ではありません。私たち国民一人ひとりがその置かれた環境において絶えず自己研鑽し、その努力に応じて新しい文化を生み出し、そして他者のための幸せに貢献していく、そのような時代を創造して行かなければならないと思います。
 世界的に視野を広げますと、民族対立や人種対立、宗教対立や、南北問題など様々な紛争がいたる所に存在しています。また国内外で地震や火山噴火などの自然災害や経済問題を始めとする大きな問題が山積しています。令和の時代にはこれらの問題と日本がどのように関わりあうかが大きな課題となります。日本人および日本文化は色々な意味において世界から注目されています。つまり私たち一人ひとりの言動が世界に影響を与えていると言えます。民度の高い国民として多くの国々に評価されていますので、さらに世界に貢献できるように新しい時代を迎えた今、はしゃぎ過ぎることなく、真摯に自分と向かい合うことが必要でしょう。私たち一人ひとりの努力が令和の名にふさわしい時代を創り上げることになります。世界に唯一の元号を持つ国の国民として、新元号にふさわしい日本人でありたいものです。

2019年05月01日

#235 平成時代の終わり

 本日は4月30日、平成最後の日になります。各テレビ局は早朝から天皇陛下、皇后陛下の話題を中心に皇室に関連した番組を放送しています。NHKでは先週から皇室関連の特別番組を流しており、平成の世において皇室の在り方を考えさせるような特集を組んでいます。
 昭和から平成への世替わりは昭和天皇の崩御とともに平成が始まりましたので、悲しみと慶びが入り混じった不可思議な雰囲気がありましたが、今回の平成から令和への世替わりは、なにかしら12月31日の大みそかのような雰囲気が漂っており、明日正月が来るような華やいだ気分になります。言いかえれば、真の意味での新しい時代の始まりです。
 さて以前のブログでも書きましたが、平成時代の31年間は皆様にとってどのような時代だったでしょうか。英語の generation (1世代)はおよそ30年を意味します。子どもが生まれ、成人し、そして次の家庭を作るまでが30年かかるという意味が含まれています。今生きている方で60歳までの方々は人生の半分以上を平成時代に過ごしたことになります。すべての人々が人生の途上で喜怒哀楽を感じ、様々な体験をなさったことでしょう。私も昭和と平静を半分ずつ生きたことになり、次の令和を生きることになりますと3つの時代を生きることになります。明治・大正・昭和を生きた方々はすでに100歳を超える御年となられますが、さすがに人生が1世紀を超えますと、その長寿に思わず頭が下がります。
 天皇陛下が仰るように、この平成を通して確かに日本が戦争に巻き込まれることはありませんでしたが、周囲の地域紛争や日本の平和維持に関わる姿勢が常に問われていた時代でもあります。また地震や台風、大雨等による自然災害が多数発生した時代として記憶されることでしょう。特に福岡県や九州に住んでいる方々は2005年の福岡西方沖地震や、2016年の熊本地震を体験しています。また九州は大地震だけでなく火山による被害も他の地域に比べて多く、普賢岳の大火砕流はいつまでも記憶に残る災害となっています。
 また平成は社会不安も多かった時代です。人間のものとは思えぬ異常な大量殺人や猟奇事件、カルト事件が多く発生し、特にオウム事件は歴史上初めてサリンを使った化学兵器を使用し、多数の死傷者を出しました。この後遺症で今でも苦しんでいる人が多くいます。この時代には対外戦争は起こりませんでしたが、誠実な生き方とは異なる拝金主義や詐欺事件など人々の心の中の戦争は今でも続いています。
 明治以降近代国家に向かった日本は令和の時代にに入り、どのような国家になっていくでしょうか。この国がいつまでも平和であり、世界に模範となるような国であり、平和を率先して作り上げていく国家になって欲しいものです。今日で平成が終わり、そして明日から令和が始まります。さよなら平成!

2019年04月30日

#234 高齢者ドライバーは老害?

 ゴールデンウィーク10連休がいよいよ始まりました。この長い連休を利用して海外や国内の観光地を訪れたり、里帰りや近くの山や海に出かける方が多いと思います。また家でのんびり過ごす方もいらっしゃることでしょう。せっかくの10連休ですので有意義に過ごしたいものです。一方ではデパートなどのサービス業に携わっている方々は残念ながら連続して休みを楽しむ機会がないと思います。そういう意味では国民全員がこの10連休を楽しむわけではありません。
 さて、連休と言えば多くの人が近場で楽しむのではないでしょうか。地元の繁華街での買い物や近くの公園等で家族と過ごされる方が多いと思います。しかし、この時期に気を付けておかなければならないのが交通事故です。市街地や高速道路で頻繁に交通事故が起きています。自分の身の安全は自分で守らなければならない時世です。それでもどうしても避けられない事故もあります。昨今頻繁に発生している信号無視等による車の突っ込み事故です。特に問題になっているのが高齢者による交通事故です。
 先日通勤の準備をしている時にたまたまテレビをつけていたのですが、高齢者による事故の瞬間を特集していました。信号無視はもちろんのこと、逆走、線路内への車の侵入、そして先日池袋で発生した87歳の高齢者による親子2人の死亡を含む多数の死傷事故など枚挙にいとまがありません。もちろん交通事故はドライバーの年齢にかかわらず、全世代を通じて発生しますが、歩行者を巻き込む事故は圧倒的に認知症を含む高齢ドライバーが原因となる場合が昨今では多いようです。
 このような悲惨な状況をどうして避けることができないのでしょうか。事故を起こした高齢者の家族は以前より自分の高齢の親に運転を止めるように説得してきましたが、本人が納得しなかった旨の発言をしています。確かに小さい子供を叱るのは簡単ですが、高齢者を納得させて運転免許を返納させることは本人の自尊心もあり、とても難しいと思います。まして子供を叱るように自分の親を叱ることはなかなかできないと思います。一度死亡事故を起こしたら、若い人は一生かけて賠償金などの償いができますが、高齢者は経済的な理由や余命の関係などで不可能です。事故を起こした加害者が寿命で亡くなりますと、当然被害者への補償は高齢者の家族が引き継ぐことになります。つまり親子2世代にわたり被害者への償いをすることになります。高齢者ドライバーはこのことを十分理解しておかなければなりません。死傷事故を起こした場合は自分だけの問題では済まないのです。
 家族による高齢者ドライバーの免許返納が難しい現状では、残念ですが運転免許に法的規制をする必要があるでしょう。一案として次のようなことが考えられます。
(1)70歳以上の運転免許所持者に対して毎年筆記試験と実地試験を行う。筆記試験では選択問題だけ
   でなはく、筆記試験も行う。筆記試験を行うことで認知症の度合いを判定できる。
(2)実地試験では自動車学校や公立の運転免許試験場を使用して、複数の車を走らせて実際の運転に近い
   状況を作り出し、運転技術を確認する。脱輪や信号無視等の違反は免許更新ができない。
 上記の試案では認知症のドライバーを排除できるとともに、年齢にかかわらず元気な高齢者は何歳になっても車を運転できることになります。公的な試験を課すことにより、運転を続けたい高齢者なそれなりの努力(交通法規を覚え直したり、自分の運転技能を見直すなど)をする必要があります。試案のポイントはこの試験を毎年実施することです。毎年行うことで高齢者の認知症の程度を把握できますし、体力や身体上の問題を抱えている高齢者に注意を促すことになります。ただしこれを実施するには多額の費用や負担が生じますが、現状のままでは高齢者による事故が増加の一途をたどり、次の令和の時代には大きな社会問題と発展するでしょう。それを防ぐためにはどうしても法的規制が必要になると思います。ただし、運転免許返納者への考慮として特に地方の公共交通機関の充実が望まれます。少なくとも30分おきにコミュニティバスが利用できる等の利便性が必要です。より安全な社会となるよう、様々な工夫が求められます。
 せっかくの10連休です。事故のない楽しい連休となるように交通事故には十分注意して、平成の終わり、そして令和の始まりに相応しい思い出になるような休日をお過ごしください。

2019年04月28日

#233 貧困を救う!ママのハーブティ

 今日は朝から20度を超える気温が続いています。桜花はすでに散ってしまいましたが、入れ替わるようにサツキや藤が咲き始めています。また田んぼではレンゲの花が咲き乱れ、初夏のような陽気が続いています。
 本日のブログは「貧困を救う!ママのハーブティ」です。これは今朝RKBで放送された情報番組「世界一の九州が始まる」の内容で、母乳に悩んでいるお母さんのために作られたハーブティの紹介でした。ただこの製品の素晴らしさはそれだけでなく、遠く離れたミャンマーの貧困の村を救っていることでした。番組の概略をRKBのHPから引用します。

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4月21日放送 「貧困を救う!ママのハーブティ」
 年間9億円の売り上げがあるオーガニックハーブティ。販売しているのは、福岡に拠点を構えるボーダレス・ジャパン。なぜそんなに売れているのか?愛用者は母乳で子育てしているママ。母乳の量が不足している、母乳が詰まり乳腺炎を発症し高熱が出る、など悩みを抱えるママは全国にたくさん。しかし授乳期は薬の使用は控えたいもの。そこで、オーガニックハーブティが重宝されているのだ。創業から約10年。今や全国の20%の産婦人科で販売や退院時のプレゼントとしても利用されている人気商品!だが…今回の物語はそこで終わらない!
ハーブティ販売の裏側には、原産地の貧困問題を解決するという壮大なテーマがあった。原産地はミャンマーのリンレイ村。長年たばこの葉の栽培を行い、農薬による健康被害や安定して収穫できないことで貧困に苦しんでいる農家が多い村。そこで、たばこの葉からハーブ栽培に生計の切替えを提案。買い取りを保証することで、現地の人々の暮らしが格段に改善されているのだった。ボーダレス・ジャパンでは、ハーブティ事業以外にも世界の貧困問題を解決する事業を展開。田口一成社長(38)曰く「世界の貧困問題は必ず全て解決できる」。 (https://rkb.jp/sekakyu/)
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 さらに、取材後記には次のように書かれています。
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 初めて、ボーダレス・ジャパンの田口社長にお会いした後、今まで以上に熱くこみ上げてきた私の感情です。皆さんが取り組まれている事業のスケール、偉大さ、そして情熱に感銘を受けたのです。ボーダレス・ジャパンは、世界の貧困や環境問題をビジネスを通して解決する取り組みを行うソーシャルビジネスの会社です。私の中では、これまで、貧困の解決策と言えば「募金」「貧しい国に学校をつくる」それくらいしか思いつきませんでした。その考えの浅はかさに自己嫌悪に陥りました。こんなやり方があったのか!と。社長をはじめ、社員はほぼ20代から30代の若者です。彼らは、自分の人生をかけて社会貢献しています。お金儲けしたくて頑張っているわけではありません。本気で世界の貧困を救いたいと考えているのです。具体的にどんな問題をどう解決しているのかはぜひ番組で確認して頂きたいのですが、ミャンマーやバングラデシュなどで貧しい家庭の子どもたちが学校に通えるようになるなど、彼らの活動による効果は確実に表れています。と言っても、暑苦しいキャラクターの社長ではありません。社員の方々は、田口社長のことを「まるで少年のようで、日々の生活においては心配になることもたくさん」とおっしゃっていました。実際、現在、自転車で転んで左手の指を骨折しています。しかし、頭は常にフル回転。田口社長は取材中におっしゃいました。「世界の貧困問題は絶対に全て解決できる」。(https://rkb.jp/sekakyu/kouki/2019/20190421/index.html)
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 ビジネスを通して貧困問題を解決したり社会貢献を行うことは企業活動の理想と言えるものでしょう。企業の利益のみを考えるのではなく、あくまでも「社会問題を解決していくために存在する企業形態がこれからの世界を救う1つの基準になるのでは」と思います。既存の考えに捕らわれずに、自社の利益を上げながら、同時に社会問題を解決していく発想が若い世代を中心に出てきているのがうれしい限りです。

2019年04月21日

#232 ももかの花が咲いたよ

 今日4月14日は熊本地震が発生して3年目になります。震度7の大地震が続けて発生した珍しい地震です。最初の地震は14日の午後6時25分頃だったと記憶しています。2005年3月20日に福岡西方沖地震(M7.0、最大震度6弱)を体験していた私は当塾の室内で同様の揺れを感じ、大きな被害が発生したのではないかと危惧しました。そして2日後の深夜1時半前に就寝しようとした時に2度目の大地震が発生しました。部屋にあるタンスが大きく揺れたのを覚えています。その夜はその後発生した多くの余震で一睡もできませんでした。夜が明けてニュースで熊本地方を中心に大きな被害が発生していることが分かりました。今まで大地震の記録がなく、安全と思われていた熊本地方に大地震が起こり、改めて大地震はどこにでも起こりうると痛感しました。
 さて、熊本地震に関する記事が本日の西日本新聞のネット版に感涙する記事が載っていましたのでご紹介します。改めて地震で亡くなられた方々にご冥福をお祈りいたします。

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『庭の桃に亡き娘重ね 益城町・橋村さん「ももか、お帰り」「いのち」の詩、胸に前へ』
(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/502502/)
 淡いピンク色の花が初めて咲いた。3月末、熊本県益城町の自宅の庭で、桃の枝を見つめる橋村りかさん(46)の胸に、昨年9月に亡くなった長女のももかさん(享年17)への思いがあふれた。「ももかの花が、咲いたよ」。自宅を購入した15年前、庭に植わっていた桃の老木。伐採した切り株から3年前、思いがけず新芽を出し、今年初めて花を付けた。まるで娘が帰ってきたかのようだった。
 夫婦と子ども3人の5人家族。脳性まひのももかさんは、ほとんど体を動かせなかった。気管を切開していて話すこともできず、表情と足の動きがコミュニケーションの手段だった。
 2016年4月16日未明、熊本地震の本震が発生。突然の大きな横揺れに、介護ベッドが大きく揺すぶられた。夫がももかさんを抱きかかえ、家族みんなで外へ飛び出した。話せない娘は青ざめて、ずっと震えていた。自宅は全壊した。
 約3カ月の避難所生活を終え、仮設住宅に入居。春に松橋支援学校高等部(同県宇城市)に入学したももかさんが、わずかに動く右手でペンを持ち、筆談を覚えたのは、このころだった。
 じしんはこわい/じしんはこわい/はやくおわるといいな(略)
 最初に書いたのが、地震。初めて娘の「言葉」に触れた感慨と同時に、それまで吐き出せなかった恐怖を思い、胸が詰まった。
 その年の11月、30分ほど仮設の自宅を留守にして戻ると、娘は顔色をなくし、呼吸をしていなかった。胸の鼓動も止まっている。命に関わる発作は、幼いころから何度も繰り返していた。救急車を呼び、必死で心臓マッサージをした。
 3日間の入院後、仮設に戻った娘は手紙のような詩を書いた。タイトルは「いのち」。
 いのちはたいせつ/いのちはだいじ(略)/おかあさん/いのちをくれて/ありがとう/みんなありがとう
 「私はももかの母だけど、中身はこの子が育ててくれている」
 仮設団地での生活は、地域の人たちと一緒で心強くはあったが、狭い室内では車いすが使えず、不自由を強いられた。ようやく自宅の修繕が終わった昨年7月、わが家に戻ってきて、娘は安心した顔をしていた。
 2カ月後の9月16日。眠ったまま逝った。泣いて、泣いて、放心した。
 小中学校の友人たちが写真を飾ったボードを届けてくれた。意志が強く、学校が大好きで、いつもみんなに囲まれていた。今年3月の卒業式では同級生が遺影を持ち、卒業証書を受け取ってくれた。
 桃の季節に生まれ、百の香りを放つ花のような魅力的な人にと願いを込めて名付けた「ももか」。あらためて、名前のような娘だったと感じた。
 巡り合わせだろうか。地震の年に現れたひこばえが、娘を失った悲しみの庭に花を咲かせた。背を押されている気がする。「怖かった地震からもう3年だね。いのちはたいせつ。一日一日を大切に生きていくからね」
=2019/04/14付 西日本新聞朝刊=
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 亡くなられたももかさん以外に多くの人が死傷されています。仮設住宅で多くの人々がまだ生活されています。地震や大雨などの自然災害は「対岸の火事」ではなく、「明日は我が身」です。活断層が発見されていない地域でも、「発見されていない」だけで自分の身の回りに存在すると想定しておいた方がよいと思います。実際数日前の新聞記事で、柳川市周辺やや佐賀県南部に活断層が存在すると伝えていました。また久留米市から浮羽市にかけて存在する水縄(みのう)断層帯は、福岡県の南部に位置する活断層帯です。この断層帯は記録によりますと679年(天武7年)の筑紫地震であった可能性があります。
 このように私たち現代人が知らない活断層が日本全国に無数にあります。自然災害は常に自分に降りかかることを想定し、日頃より災害に対処する姿勢が必要です。

2019年04月14日

#231 明光学園ハンドボール部日本一!

 私が非常勤講師をしている明光学園で、昨日ハンドボール部の全国選抜優勝報告会が講堂で行われました。その記事が西日本新聞のHPに載っていましたので、それを引用します。

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『明光学園が初の日本一 ハンドボール全国高校選抜大会 報告会で主将「3冠目指す」』
 3月に関東で開かれた全国高校ハンドボール選抜大会女子で初優勝した明光学園高ハンドボール部の報告会が9日、大牟田市倉永の同校で開かれた。同学園中学校の生徒を含む350人がホールに集まり、登壇したキャプテンの3年、柿添まどかさん(17)ら部員20人に大きな拍手を送り、同校では各種競技を通じても初めてとなる全国制覇の快挙を喜び合った。
 同部は創部5年目。西窪将志監督(36)によると、福岡市内や熊本県内からの通学生が多く、片道約2時間かけて通う部員もいる。授業前の朝8時から校内清掃ボランティアをするのが部の日課で、心技体を日々鍛えているという。ディフェンスからの速攻が得意で、大会でも実力を存分に発揮して県外の強豪校を次々に破り頂点に立った。
 報告会で柿添さんは「絶対に日本一になると宣言して達成できたのでうれしい。夏のインターハイ、秋の国体も優勝し、3冠をしっかり取りにいきたい」とさらなる飛躍を誓った。
=2019/04/10付 西日本新聞朝刊=
(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikugo/article/501382/)
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 ハンドボールはまだマイナーなスポーツで、マスコミもなかなか採り上げてくれませんが、それでも全国大会での優勝は「あっぱれ!」です。生徒たちは次のインターハイでの全国制覇に向けて毎日猛練習を行っています。彼女たちのこれからの健闘にエールを送りたいと思います。

2019年04月10日

#230 大牟田動物園で総選挙!?

 本日は市内の中学校で入学式が行われ、新一年生が初登校しました。市内の中学校で統廃合が進んでいますが、新入生の笑顔はいつも爽やかです。さてネットに面白い記事が載っていましたので掲載します。大牟田で唯一?賑わっている動物園の記事です。

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『AKBは途切れても…大牟田市動物園で「総選挙」 飼育員×動物、ペアで立候補』
(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/501182/)

 福岡県大牟田市の市動物園で、飼育員が動物とペアで“立候補”して動物の魅力の伝え方などを競い合い、評価してもらうユニークな投票イベントが開かれている。エントリーしたのは「エミュー×かわかみ」「カンガルー×おの」など11組。入園者らは、園内に掲示された飼育員手作りのパネルなどを参考に投票する。今年は10年間続いたアイドルグループ「AKB48」の選抜総選挙が途切れ、寂しい人も多いはず。飼育員と動物で頂点を目指す「動物園版総選挙」に清き一票を投じて盛り上がってみませんか。
 イベントは昨年に続いて2回目。飼育員も評価の対象とするイベントは、動物の生活の質を高める「動物福祉」に力を入れている大牟田市動物園ならではの企画だ。「動物の魅力の伝え方」「取り組みの素晴らしさ」「パネルのデザイン性」の3点が投票のポイントになる。
 エントリーした飼育員と獣医師計11人のうち、川上万央(まお)さん(27)は担当する8種の動物のうち「マイナーだが顔が格好良い」とエミューと組む。パネルでは、餌を探すのにあえて時間がかかる工夫を施した餌箱を写真付きで紹介。餌をすぐに取り出せないようにしたのは、餌取りが難しい野生に似た環境にするためだ。
 飼育員2年目の古賀秋穂さん(21)は「喜ぶと尻尾を振ったり、寝そべったりして、人なつっこくてかわいい」とミニブタを選択。7頭の家族相関図のイラストや、普段の生活の様子をパネルに描いた。にぎやかな“家族”の光景が思い浮かぶようで、「ミニブタの古賀さんと覚えてもらえればうれしい」と話す。
 今年のイベントでは初めて、全11組の取り組みを紹介する動画を撮影し、動画投稿サイト「ユーチューブ」にアップした。NG集も制作し、飼育員たちが楽しく動物と向き合っている姿が映し出されている。椎原春一園長は「動物の人気投票とは違った企画で、飼育員たちの創意工夫を広く知ってもらうきっかけにしたい」と話す。投票締め切りは15日。大牟田市動物園のフェイスブックからも投票できる。

●一時は閉園のピンチ 「動物福祉」で復活
 大牟田市動物園は1941年に九州5番目の動物園として開園した。92年度の全面リニューアルで入園者数は年間40万人超とピークを迎えたが、その後はレジャーの多様化などで2004年度には13万人余りまで落ち込んだ。
一時は閉園が検討されたが、市が06年に指定管理者制度を導入以降、動物の魅力を生かしたイベントや、「動物福祉」を重視した飼育が話題となり、入園者数は回復していった。16年度以降は23万人以上を維持し、大規模リニューアルによらない「復活劇」は全国的に注目され、動物園の専門家も高く評価している。
 人気上昇は、各飼育員の動物福祉の取り組み自体も「展示」し、発信している点が大きい。動物の健康維持のために定期的に行う採血の様子を公開したり、狭い獣舎でも動物本来の行動ができるように餌を隠して探させたりと、飼育員も含めた「丸ごと展示」が来場者増につながっている。
        §   §
 大牟田市動物園には4.4ヘクタールの敷地にホワイトタイガーやキリン、モルモットなど51種239頭が飼育されている。入園料は大人370円、高校生210円、4歳以上80円。3歳以下は無料。0944(56)4526。
=2019/04/09付 西日本新聞朝刊=
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 AKBは人気の陰りもあり今年総選挙を中止しましたが、大牟田動物園では多くの動物が元気に過ごしています。筑後地区唯一の動物園ですので、県内や隣県から休日には多くの人が訪れます。時間があればぜひ動物たちと遊んでください。

2019年04月09日

#229 投票率上昇への一考察

 本日は第19回統一地方選の前半戦となる11道府県知事選と6政令市長選、41道府県議選、17政令市議選の投票が各地で行われています。しかしながら、いつも問題となっているのが投票率です。前回から18歳による投票が始まりましたが、結果として大人の投票率を下回りました。公益財団法人「明るい選挙推進協会」のデータによりますと、昭和26年の地方選挙で投票率82.99%を記録して以来投票率が低下しており、最近では50%を下回る状況が続いています。
 他国の状況を見てみますと、独裁国家を除いて民主国家のオーストラリアでは毎回90%を超える投票率を維持しています。「投票は国民の義務とされ、正当な理由なく投票しないと、20オーストラリアドル(約1600円)の罰金が科せられる。この義務投票制度が導入されたのは1924年。51〜71%だった投票率は、それ以来90%を下回ったことはない。」
(NHK選挙ウェブより https://www.nhk.or.jp/senkyo/chisiki/ch18/20160304.html)
 日本でこのような投票拒否に対する罰則規定を提起するような議員は出ないでしょう。そのようなことを言い出せば地元の選挙民からそっぽを向かれることでしょう。それではどうすれば投票率を上げることができるでしょうか。
 私的に次のようなことを考えてみました。
 1.国民主権として選挙に投票した人だけが政治に口を出すことができる。投票しなかった人は公の場で
   政治に口を出すことができない。当然デモ等にも参加できない。
 2.選挙に投票した人には投票証明書を発行し、消費税を5%にする。投票証明書を持たない人は消費税
   を15%にする。
 3.選挙に投票した人にはクーポン券を発行し、商品の割引などに利用する。
 いかがでしょうか、罰則規定では国民の反発が予想されますので、あくまでも投票した人にプラスになることを実施することで投票率の上昇につながるのではないでしょうか。理想を言えばあくまでも選挙民の意識を向上させることで、投票率を挙げるのがよいのでしょうが、現実には難しいものがあります。選挙は人々が自分の意思を表す唯一の手段です。暮らしやすい世の中を作っていくために大切な一票を行使しましょう。

2019年04月07日

#228 新元号は「令和」

 本日は4月1日で、今日から新年度が始まり、日本中いたる所で入社式、入学式が行われています。また5月1日の新天皇の即位に当たり、今日新元号が発表されました。新しい元号は「令和」です。出典は大化から始まる元号の歴史上初めて我が国の古典「万葉集」から選ばれました。報道によりますと、「令和」は万葉集の梅の花の歌32首の序文にある「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用されたということです。この歌は福岡の大宰府で詠まれた歌らしく、地元で暮らす者にとり誇らしい気がします。
 今まで我が国の元号は中国の古典から引用されていましたが、今回の元号の成り立ちを考えますと、これからの日本の元号は大きな影響を与えてきた古代中国から精神的にも独立し、新たな日本独自の精神文化を作り上げる意味合いが含まれているものと推察します。
 新元号「令和」ですが、「令」という字はふつう「命令」のような形で使用される場合が多いのですが、新しい元号では「すばらしい」とか「めでたい」という意味合いで使用されます。また、「和」は元々「和む」の意味合いで使用しますが、「昭和」でも使用されています「平和」のイメージも含みますので、新元号「令和」は寒い季節を乗り切った後に咲く梅の花に例えて、これからの新しい日本を象徴するような元号だと思います。またバブル経済崩壊後の不況にあえいだ日本が再び立ち上がり、希望の時代を築いていく象徴のような元号だと思います。
 ちなみにローマ字では「REIWA」と書くそうです。「れ」は「LE」ではなく「RE」になります。日本語の発音からすれば「れ」は「LE」に近いのですが、正式なローマ字の日本語表記では「RE」だそうです。いずれにせよ、5月から新しい天皇を擁し、日本国は多くの自然災害や経済不況にもかかわらず、不死鳥のように飛翔することでしょう。
 また新元号に合わせて私たち日本人万葉集で歌われている古代の人々の自然に調和した生き方を参考にして、新しい生き方を模索していかなければなりません。それは拝金主義的な生き方ではなく、自然環境に調和し、地球と共存する生き方になるでしょう。日本が率先して自然環境に即した生き方の模範を示せば他国が自ずから生き方を改めていくことでしょう。そのような世になることを期待しています。

2019年04月01日

#227 THANK YOU, ICHIRO

 今日は3月31日、平成最後の3月末日となりました。昼間は所用で福岡まで行ってきましたが、電車の車窓から見る景色はどこも桜が満開で、線路の近くの公園では多くの人が花見をしている光景が広がっていました。また菜の花も咲き誇り、桜花との見事な色彩のコントラストを示していました。
 今日のブログは前回に続き、イチロー選手の話題です。3日ほど前にシアトルマリナーズの地元の新聞社シアトルタイムズに粋な全面広告が話題になりました。イチロー選手の同僚のマリナーズのディー・ゴードン内野手が米国での開幕戦を迎えた28日、“師”と仰ぐイチロー外野手への感謝を綴った広告を掲載しました。メジャーでは、移籍した選手が古巣へのメッセージを全面広告で伝えるケースは少なくありませんが、引退したプレーヤーに同僚が惜別の思いを綴るのは異例だそうです。
 英文はネットで検索できますが、日本語訳は掲載されていないようなので、拙訳してみました。ゴードン選手の気持ちが伝われば幸いです。

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THANK YOU, ICHIRO

親愛なるイチローへ
まず最初に、僕への偉大な友人として、そして今日まで僕の大好きな選手としていてくれたことに感謝を言いたいと思います。
君のおかげで僕は野球が好きになりました。僕は子どもの時エイボンパークにいた頃、君に心酔していました。僕が生まれる前に世に出回ったテレビゲームで人々は君の名前にちなんでプレーヤーを名付けました。
 それから2012年がやってきました。シアトルでドジャーズが君たち選手と対戦していました。僕はショートの守備位置で君のすべてのプレーを見ていました。そしてついに君の(日米)ヒット合計数を数えることになりました。実は君の守備よりも君がヒットを打つことにもっと注意を払っていました。(ドジャーズごめんなさい。でもそれがイチローなのです!)
 翌日僕が君に打撃について聞こうとする前に、君はヤンキースにトレードされました。
僕はそれで打ちひしがれましたが、2015年がやってきました。僕がマイアミ・マーリンズにトレードされて数日後に君がマイアミと契約しました!
 そこで僕は飛び上がり、親友に叫びました。「イチローと一緒にプレーすることになったんだ!冗談だろうって?とんでもない!」僕は君がボールを打ったり走ったりするのを見ることができるように、ロジャー・ディーン・スタジアムへ行ったことを覚えています。球場へ到着し、僕が緊張して君の所へ歩いて行ったとき、君は僕にとても親切にしてくれました。君は僕にできることは何でも手助けする、と言ってくれました。そのことが僕をとても感動させたと断言できます。今日まで僕は次のように言っています。「僕がイチローとプレーする?どうやって?僕はエイボンパーク出身さ!」
 この数年間君がどれほど僕を助けてくれたか、人々は知りません。イチロー、僕たちはよい時も悪い時も、浮き沈みを経験してきました。しかし、君の友情はけっして揺るぎません。君はいつも僕のそばを離れなかったし、助けてくれました。僕が不当に扱われたら、そのことで君が非難されても、君はいつもそばにいてくれました。
 ツイートやインスタグラムはこの場合ふさわしくないと思ます。だからふさわしい方法で君への感謝を示したかったし、どのくらい君に感謝しているか言いたかったのです。君の友情や指導なしには、(君の秘密は決して言わないけれど)ディー・ゴードンという名前の首位打者はいなかったでしょう。
 兄貴、愛しているぜ!君はずっと僕の人生の一部だ。君が引退後の生活を楽しむことを期待しています。僕はきっと頼れる君がいなくてさみしく思うから、オフの日には僕と一緒にボールを打とう。

愛弟子、デバリスより
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 イチロー選手を師と仰ぐゴードン選手の熱い想いが伝わってきます。またメジャーリーグの多くの選手からイチロー選手を称える声が聞こえてきます。イチロー選手は日本だけでなく、野球本場のアメリカからも偉大な選手と称賛されています。野球道を極めた選手に贈られる最高の賛辞です。イチロー選手は日本人の誇りでもあり、日本人の一人として喝采を挙げたいと思います。
 さて、明日は新元号が発表されます。どのような元号になるのか楽しみです。従来通り中国古典から引用されるのか、あるいは日本の古典から引用されるのか、日本中で興味深い話題になっています。

2019年03月31日

#226 不世出のヒーロー

 お彼岸の中日も過ぎ、全国各地から桜の便りが届く今日この頃です。近くの中学校の桜の花も3分咲きとなり、次の週末には満開が予想されます。今年も多くの人々が花見に出かけることでしょう。
 さて21日のメージャーリーグ戦途中で大きなニュースが流れました。イチロー選手の引退を知らせるテロップが各テレビ局のTV画面に一斉に流されました。このニュースを知って東京ドームの観衆には試合途中でざわめきが起こり、イチロー選手がバッターボックスに立つごとに大歓声が沸き起こりました。イチロー選手の引退のうわさは東京ドームでの開幕戦以前からありましたが、実際日本での公式試合でイチロー選手が引退するとは夢にも思いませんでした。
 野球のスーパースターと言えば王、長嶋選手の名前が思い浮かびますが、イチロー選手はこの2人に劣らず、それ以上の評価を得ることになるでしょう。また彼は将来アメリカの野球殿堂入りが確実視されています。日本で培った野球をアメリカのベースボールで実践し、多くの大記録を作った小さな大選手として人びとの記憶にいつまでも残ることでしょう。
 英語の教科書にイチロー選手の逸話が載っていますので、ここに紹介します。
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 ある日著者(教科書に出てくる高校時代のイチローの同級生)が眠れずに深夜に寮内をぶらつくと、一人の生徒が洗濯をしていた。声をかけるとイチローだった。理由を聞くと、イチローは次のように答えた。「練習が終わって皆が一斉に洗濯をするけれど、洗濯機の数が少なくて長時間待たなければならない。待つ時間に居残り練習をして、誰もいない午前3時頃に選択すれば時間を無駄にしなくても済む。」このことを聞き、著者は「すごい。」というより「頭がおかしい」と思った。
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 このことを知ってイチローの野球に対する非凡な考えを改めて知るとともに、彼が努力の天才であることを改めて痛感しました。イチローの偉大さは21日の試合後に観客が帰り支度をせず、イチローがグラウンド内に現れることをひたすら待ち続けたことにも表れています。イチロー選手が登場すると東京ドームの観衆は全員総立ちで、イチロー選手を迎え、そして彼が姿を消すまで拍手と声援が鳴り響いていました。王、長嶋選手の場合は引退試合を行いましたが、イチロー選手の場合は実質上日本での試合が引退試合となりました。平成最後のスーパースターで、このような選手は2度と現れないでしょう。さよならイチロー、そしてご苦労様でした。
 なお深夜過ぎまでおこなわれた会見の詳細は次のページで読むことができます。
  https://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/20190322-OYT1T50249/

2019年03月24日

#225 黄金の花

 「黄金(こがね)の花」(♪ネーネーズ)

 黄金の花が咲くという 
 噂で夢を描いたの
 家族を故郷 故郷に
 置いて 泣き泣き 出てきたの
 素朴で純情な人達よ
 きれいな目をした人たちよ
 黄金でその目を汚さないで
 黄金の花はいつか散る
 
 楽しく仕事をしてますか
 寿司や納豆食べてますか
 病気のお金はありますか
 悪い人には気をつけて
 素朴で純情な人達よ
 ことばの違う人たちよ
 黄金で心を汚さないで
 黄金の花はいつか散る

 あなたの生まれたその国に
 どんな花が咲きますか
 神が与えた宝物
 それはお金じゃないはずよ
 素朴で純情な人達よ
 本当の花を咲かせてね
 黄金で心を捨てないで
 黄金の花はいつか散る
 
 黄金で心を捨てないで
 本当の花を咲かせてね

 ここ数日間マスコミが取り上げているニュースが、東京福祉大学で3年間でおよそ1400人の留学生が所在不明となり除籍されていた問題です。この大学では、別に500人を超える留学生が退学になっていたことが判明しました。報道によりますとこの大学は早稲田大学に次いで多くの留学生を受け入れているそうですが、ニュースで知る限り大学の体をなしていません。いったいこの留学生はどこへ姿を消したのでしょうか。文科省はこの事件の真相を調査するそうです。かつて黄金の花と呼ばれた日本ですが、バブル崩壊とともに失われた20年を経験したこの国に、まだ発展途上国から富を求めて多くの人たちが出稼ぎにやってきます。政府も「新移民政策」(政府は移民政策という呼称を用いていませんが、実質上移民政策です。)を推進して国内の労働力不足補うつもりです。日本で数年間働けば故国で一生働かずに暮らせるほどの収入を得ることができます。まさしく彼らにとって日本は「黄金の花」です。
 誰にとりましても生活するための金銭は必要ですが、人間の欲は果てしなく、生活に必要以上の富を求めます。そのためには他人を殺めても平気でいる世の中です。お金は確かに必要ですが、人びとはお金に支配されています。日本に出稼ぎにやって来た素朴で純情な人たちにこのことを忘れないで欲しいと思います。上記の唄は沖縄の女性グループ「ネーネーズ」が歌った唄です。故筑紫哲也氏がキャスターを務めていたニュース番組の最後に流されていました。
 さて、3月15日には多くの小学校で卒業式が行われました。児童数減少のために今年で廃校や休校になる小学校もあるそうです。また3月22日には多くの小・中・高等学校で修了式(終業式)が行われ、春休みを迎えます。この若い世代が希望を持つことができる世の中を創っていくことが大人の責務です。「黄金の花」に心を奪われずに人生を歩む生き方を大人は身をもって子供たちに示す必要があります。なお「黄金の花」はユーチューブで聞くことができます。

2019年03月17日

#224 白秋期-地図のない明日への旅立ち

 大牟田市内の中学校卒業式が3月8日に行われました。県立高等学校の入試合格発表が3月14日となっていますので、この日に中学校卒業生の進路の大半が決まることになります。それぞれ新しい学び舎で頑張ってもらいたいものです。高等学校は中学校と異なり、教科数も増え、授業内容も難しくなります。今以上の努力が必要となります。将来の進路を切り開くために高校3年間を有意義に過ごしてもらいたいと思います。10代の若者にとり、青春という時期は輝かしくもあり、また悩みも尽きぬ時期ですが、努力次第ではどのような人生も歩める可能性に満ちています。まさに青葉輝く季節です。
 一方では白秋という時期もあります。本日のブログタイトルは五木寛之氏の著作「白秋期ー地図のない明日への旅立ち」(日経プレミアシリーズ刊)から採っています。本書で五木氏は「60代、70代は老人ではない。白秋期は人生の黄金期である。」と主張しています。次に本書の前書きを引用します。
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 人生五十年といわれた時代があった。そのころ、青春、朱夏につづく白秋期は、晩年の少し前の、おだやかで静かな季節のイメージだったと思う。
 仕事や、家庭や、さまざまな社会的活動から身を引いて、これまでの人生をふり返る時期と考えられていたのである。
 しかし、今はちがう。人生百年という言葉は、すでに目前にせまっている現実だ。五十歳を過ぎて、さらに五十年の明日が待ち受けている。それは人間の歴史始まって以来の出来事である。
 その未来に地図はない。私たちは手さぐりで、さらなる五十年を生きなければならないのだ。人生を、青春、朱夏、白秋、玄冬の四つの時期に分けて考えれば、白秋期とは五十歳から七十五歳あたりまでの二十五年間である。その季節を私たちはどう生きるのか。
 白秋期は晩年ではない。フィジカルにはさまざまな問題を抱えていたとしても、いまの五十歳から七十五歳までの時期は、むしろ人生の収穫期ではないか、と私は思う。
 無駄なエネルギーを消費せずに、合理的に冷静に歩いていく。周囲を眺める余裕もある。さまざまな経験もつんでいる。そして新しい物事を学ぶ気力や好奇心も衰えてはいない。
 自分自身をふり返って見ても、五十歳から七十五歳までの白秋期は、もっとも自分らしく生きることができた最良の季節だったような気がする。
 鴨長明が山林に隠棲したのは、五十歳の頃だった。人生五十年の時代のことだから、いまでいうなら最晩年の百歳前後にあたる。
 いま高齢者と呼ばれるのは、七十五歳以上、百歳あたりまでの人びとだろう。私たちは五十代から七十代の半ばまでの二十五年間を、人生の黄金時代として考えなければならない。
 なにも人を驚かせるような、目立ったことをするのが白秋期の目標ではないだろう。実りは静かにやってくる。それを大切に育てるのが白秋期の仕事だ。
 それぞれの白秋期を生きる何かのヒントにでもなれば、というのが、この本にこめられたひそかな願いである。白秋期を人生の収穫期とするために、地図のない旅へ旅立つ人に、ささやかなエールを送りたいと思う。
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 五木氏は1932年生まれですので、今年87歳になられます。氏は白秋期をすでに終え、いま玄冬期を過ごされています。本書は五木氏の長い人生経験から得られた深い知恵が至る所に見られ、これからの人生を生きる人たちにとり参考にできるところが多々あります。老若にかかわらず一読に値する本です。
 以前のブログ("216)にも書きましたが、青春は短く、その時期を通り過ぎた者が振り返ると甘く切ない季節です。青春は可能性に満ちていて、それでも多くの挫折に満ちた季節でもあります。今、青春を生きる若い人たちはこの貴重な時期を無駄遣いしないよう、後悔しないように充実した毎日を過ごして欲しいものです。

2019年03月10日

#223 1早春賦

『早春賦』 (作者:吉丸一昌、 作曲:中田 章)
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
氷融け去り 葦(あし)はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃

(歌詞の意味)
春とは名ばかりの風の寒さ
谷のウグイスは 歌おうと(鳴こうと)するが
まだその時ではないと 声も出さない
氷は解け 葦(あし)は芽吹く
もう春が来たかと思ったが あいにく
今日も昨日も雪模様だ
春だと聞かなければ
知らなかったのに(気づかなかったのに)
聞いてしまったから気がはやる
(そわそわして落ち着かない)
この気持ちをどうしたらいいのか 今頃の時期は
(http://worldfolksong.com/songbook/japan/soushun.htm より引用)

 上記は有名な「早春賦」の歌詞と、その意味を載せています。今日は3月3日、ひな祭りの日です。昨晩から雨が降り続いており、3月にしては「春は名のみ」の肌寒い日となっています。これからもまだまだ寒い日が続きますが、季節は次第に真春に向かって進んでいきます。多くの高校では3月1日が卒業式で、私が講師として勤めている明光学園の卒業生も3月1日に学び舎を巣立って行きました。私個人としては教員生活30年のうち、高校3年生を15年ほど担当し、高3の担任を10回経験しました。教え子達から時々便りをもらいますが、社会の中堅として様々な分野で活躍しているようです。
 学び舎を去って行く卒業生は母校を訪れる機会はあまりありませんが、卒業生を送る立場の教員は同じ学び舎で毎年卒業生を見送ります。特に卒業生と関わりの深い高3の学年団は進路相談や人生相談まで様々な相談に応じつつ、最終学年の生徒一人ひとりに気を配りつつ、本人たちの将来を案じます。私の場合は教職歴の半分を高校3年生と共に過ごし、他の学年では経験できないような多くの貴重な体験をさせて頂きました。毎年この時期になりますと、卒業していった生徒たちの顔をふと思い出したりします。教え子たちが学び舎に一堂に集まることは二度とありません。喜びも悲しみもすべて思い出の中に佇んでいます。4月になれば、また新しい生徒との出会いが待っています。人の出会いと別れは毎年3月・4月に繰り返されます。

2019年03月03日

#222 素晴らしい置き土産

 2月も残り5日となりました。明日から国公立大学の2次試験が始まり、今週の金曜日(3月1日)には多くの高等学校で卒業式が行われます。卒業生は進学や民間企業への就職など、4月から様々な人生を歩み出します。彼らの上に神のご加護がありますようにと、祈りたい気持ちになります。
 さて本日西日本新聞のネット記事に臓器移植に関する心温まる記事が載っていましたので引用させていただきます。読みながら思わず涙がこみ上げてきました。

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西日本新聞(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/489293/)
「あいつなら臓器提供する」18歳の命、家族がつなぐ 6人に移植「共に生きている」

 臓器移植法の下、国内で初めて行われた脳死移植から今月末で20年となる。年10件前後で推移していた臓器提供者は、本人の意思が不明でも家族の承諾があれば提供できる改正臓器移植法の施行(2010年)後、徐々に増えてきた。家族はどんな思いで提供を決断したのか。鹿児島県のある家族を訪ねた。
 最後の朝、仲良し5人きょうだいが久しぶりに手をつないだ。「みんなの役に立てるように頑張ってこいよ」。家族そろって、四男=当時(18)=を臓器摘出手術に送り出した。
 その2週間前の未明。母親(50)の携帯電話が鳴った。通信制高校に通う四男が「交通事故に遭った」との知らせだった。数時間前に「ちょっと行ってくる」と家を出たのを見送ったばかり。「けがでもしたかな」。重く受け止めてはいなかったが、現実は違った。
 重症の頭部外傷を負った四男は救急搬送された病院では十分な処置が難しく、ドクターヘリで大きな病院に運ばれた。明るく穏やかで、友達がいっぱいいて、卒業式を間近に控えていた。「会わせたい人がいれば呼んだ方がいい」。医師の言葉に、ヘリに同乗した父親(50)は状況を察した。呼吸をつかさどる脳幹が機能しておらず、自発呼吸は戻らない、との説明だった。遠方に暮らすきょうだいたちも駆け付けた。
 1週間後。医師から「息子さんには二つの道がある」と告げられた。一つは、つないでいる器具や管を外す選択。自然に臓器が弱り、命が尽きることになる。残された時間は2週間くらいという。もう一つは、臓器提供を選ぶ道だった。
 ドナーカードがなくても家族の承諾があれば臓器提供ができる。その晩、家族会議を開いた。両親の意見は一致していた。「五体満足で生まれてきたんだから、五体満足のまま、あの世に送り出してやりたい」
 きょうだいの意見は、もう一方の道で一致していた。「あいつの性格からして『臓器が欲しい人にあげたい』と絶対言うよ」と長男(27)。長女(17)は「お母さん、灰になったら何にもなくなってしまうよ」と言った。
 両親は数年前の、とある日を思い出した。たまたま見ていたテレビ番組が臓器移植を取り上げていた。四男は「助けた方がいいだろ。自分なら絶対提供するよ」と、さらっと口にした。その時は気にも留めなかった。きょうだいげんかすらしたことがない、子どもたちの迷いのない総意に「あの子の気持ちになれば、そうだな」。両親の心が動いた。
2回の脳死判定を経て臓器摘出手術の朝が来た。集中治療室(ICU)で約1時間、家族水入らずで過ごした。事故の擦り傷がすっかり治った四男の心臓の音を聞いたり、顔を触ったり。最後は、ベッドの上で5人きょうだいが手と手を重ねた。温かかった。
 手術後、四男の心臓は真っ先に病院のヘリポートへ。「さよならじゃない。移植を受ける人、その家族、友人、たくさんの人を救ってくるんだよ」。大きく手を振り、四男の“門出”を家族全員で見送った。
 たくさんの管が取り外された四男は、くすっとはにかんだような顔をしていた。伸びたひげをそり、体を拭き、好きなスポーツブランドのTシャツを着せた。スポーツジムを開くことを夢見て、細身ながら鍛え上げられた体はこの日も、ただのTシャツをおしゃれに着こなした。
 「どんなお金持ちにも、どんな権威がある人にも、誰にもできないことをやった息子を誇りに思う」。父親は、葬儀、告別式に参列した千人の人々に胸を張った。同級生からは「かっこいい」とメッセージが届いた。
 四男の命は、多くの力で「つながれた」と感じる。事故直後に偶然通りかかって人工呼吸をしてくれた友人や、医療関係者のリレーでつないだ命が、臓器移植を受けた10代を含む6人の患者を救い、支え続けている。中には「余命1カ月」の人もいた、と聞いた。
 6人のその後は、鹿児島県移植コーディネーターの山口圭子さん(56)を介した手紙で伝わった。「無事に退院できた」「少しずつ復職している」「大好きな乳製品を食べられるようになった」。ドナー家族とレシピエント(移植を受ける患者)は互いの個人情報を知ることはできないが、ある人は「元気になったら里帰りさせていただきます」と記してくれていた。
 「家族にとって手紙が生きる励みになっている。息子は、私たちと同じ時代を生きているんだって」
=2019/02/24付 西日本新聞朝刊=
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 世の中には臓器移植でしか助からない重篤な病の人たちがたくさんいます。日本では宗教観の違いなどにより、まだ臓器移植に対して抵抗がある人が多いと思いますが、上記のような家族が増えれば、臓器移植に対して積極的に取り組む人たちが増えるのではないでしょうか。水泳の池江 璃花子選手が白血病で入院したニュースが報道されましたが、その直後に骨髄ドナーの登録者が急増したそうです。また運転免許証の裏面には臓器提供に関する項目が記載されています。臓器提供は死に逝く人たちのこの世へのささやかな置き土産になるでしょう。

2019年02月24日

#221 平和の象徴になった親友

 前回のブログで株式会社クマヒラ発行の「抜粋のつづり その七十八」をご紹介しましたが、今日はその中のもう一つ記事をご紹介させて頂きます。ブログタイトルにあります「平和の象徴になった親友」とは広島の原爆により、原爆症で亡くなった佐々木貞子さんのことです。佐々木さんの話は今日まで多くの書物で扱われており、教科書に掲載されるなど、日本人では知らない人がいないほど知られている方ですが、今日掲載する記事は彼女の友人から見た佐々木さんについてのもう一つの話です。
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  平和の象徴になった親友
           川野 登美子  (「抜粋のつづり その七十八」より抜粋)」
 広島市の広島平和記念公園にある「原爆の子の像」。1958年に建立されてから60年、ドーム型の台座に折り鶴を掲げる少女が立っている。モデルになった女性は佐々木貞子さん。2歳で被爆し、12歳のとき原爆症で亡くなった私の親友だ。
     小学校のクラスメート
 クラスメートになったのは50年、市立幟町小学校2年の時だった。6年生まで同じクラス。当時は、背の低い順に並ぶことが多く、私の前が貞ちゃんだったこともあって仲良くなった。おとなしい子だったが、体育の授業になると輝いた。特にかけっこは男子を入れても一番。私も走るのには自信があったが、一度も勝てなかった。
 卒業間近の55年1月。ずっと皆勤賞の貞ちゃんが突然休み入院した。先生ははっきり言わないが原爆が原因であることは分かった。クラスメート62人のうち、私も含め3分の1が被爆者。新聞は盛んに原爆症を取り上げ、発症したら死ぬと子供心に刻まれていた。
 クラスメートは交代で毎日お見舞いに行った。みんな貞ちゃんは原爆症で、いずれ死んでしまうだろうと感じていた。つらかった。貞ちゃんはいつも帰り際に病院の階段下まで見送ってくれたが、さみしそうな顔で一歩も動かない。玄関までの長いロビーが、貞ちゃんと私たちを隔てる壁のように思えた。涙をこらえ「振り返ったらいけんよ」と声を掛け合い、出口まで必死で走った。
     恐怖と戦い鶴折る
 いつしか貞ちゃんは鶴を折るようになった。千羽鶴が病を大空へ運んでくれると看護師さんから聞いたようだ。すごく集中して折っていた。折り紙がないから、薬が入っていた小さなセロハンを使って、細かい部分は針や爪ようじを手にしながら器用に折った。
 中学に上がると、貞ちゃんは学校生活について聞きたがった。あまり楽しい話をするわけずにもいかず、会話は減っていく。みんなで黙々と鶴を折って帰った。次第にお見舞いがつらくなり、8月末から行くことができなくなった。貞ちゃんが白血病で亡くなったという知らせを受けたのは、その2か月後だ。
 涙があふれるとともに「自分だったら」と恐怖に襲われた。見舞いを途中でやめた自分たちのことを責めた。後から知ったが、貞ちゃんは自分が原爆症とだと知っていた。病室の引き出しから白血球の数を記した紙が出てきた。恐怖と戦いながら泣き言も言わず、鶴を折っていた姿を思うと胸が張り裂けそうになった。
     銅像建立へ寄付募る
 私たち元6年竹組のメンバーは貞ちゃんのために何かしたいと銅像の建立を計画する。ガリ版で2000枚のビラを作り広島市で開かれた全日本中学校長会で配り、寄付を呼びかけた。これがきっかけで、市内の小中高の児童会と生徒会が集まり『広島平和をきずく児童・生徒の会』が発足。最終的に全国から540万円が寄せられた。
 元竹組のメンバーは中学時代のほとんどをこの活動に費やした。しかし、組織が大きくなるにつれ、貞ちゃんを慰霊するという本来の思いが置き去りにされていくように感じた。像のデザインや設置場所など何も教えてもらえなかった。像が建ったあと、私たちは口をつぐんだ。貞ちゃんと自分たちがわかっていればいいと思ったからだ。
 92年、企業経営者になっていた私は広島県中小企業家同友会から、講演依頼を受ける。貞ちゃんのことを話してほしいという。母に相談すると、原爆で多くの犠牲者が出た旧制広島一中にある追悼碑の前に連れて行かれた。そこには兄の名前も刻まれている。母は「お兄ちゃんのためにも貞ちゃんのことを話さないけんよ」と言った。
 兄は「僕は残念だ、残念だ」と言い残して亡くなったという。被爆時に3歳だったわたしには、原爆の被害は語れない。語れるのは幼くして亡くなった親友のことだ。彼女を通して今の子どもたちに、平和の尊さを伝えるのが私の役目だと気づいた。以来、私は語り部となった。
 今も原爆の子の像の前をよく通る。像は本当に貞ちゃんにそっくりだ。世界各国の人がその下に集い、多くの千羽鶴さささげられている。親友は「かわいそうな貞ちゃん」ではなく「世界平和の象徴」になった。通り過ぎながら言う。「貞ちゃん、私も頑張るね」
     (かわの とみこ=語り部・日本経済新聞文化面 30年8月3日)
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 佐々木貞子さんの友人、川野が語る言葉に71年前の原爆投下から原爆症を発病し亡くなる貞子さんの様子が鮮やかに描かれています。また原爆の子の像の建立の際に大人の都合による様々な政治的駆け引きがあったことを読み取ることもできます。
 広島・長崎への原爆投下から今年で71年を迎えますが、核廃絶にはまだまだ長い道のりがあります。また近頃アメリカの中距離核戦力全廃条約の破棄に関するニュースが世界中を駆け巡りました。最悪の場合、再び核大国による核兵器の増強が始まるかもしれません。人類はいつになれば相互不信による愚かな軍拡競争を止め、平和な世の中を作ることができるのでしょうか。

2019年02月17日

#220 ささやかな贈り物

 今日は2月10日です。つい先日新年を迎えたと思っておりましたが、もうすでに2月も上旬が終わる頃となっています。さすがに自然は嘘をつかず、福岡の日の出時間が現在7時8分となっています。一番遅い日の出が7時23分(1月16日頃)ですので、すでに15分ほど早くなっていることになります。また一番早い日没が17時10分(12月1日頃)ですが、現在は17時59分頃ですので約50分ほど日が長くなっています。春に向かってお日様もパワーアップしているようです。
 さて今日のテーマは「ささやかな贈り物」です。以前同じような内容を書いたと思いますが、自分のブログを読み返すことをしませんので、何回目のブログか思い出せません(笑)。その贈り物とは毎年この時期に送っていただいております株式会社クマヒラの小冊子「抜粋のつづり」ことです。この冊子は毎年無料で発行されており、全国各地の熊平製作所の支店や営業所で入手することができます。この冊子との出会いはおよそ10年ほど前になりますが、まだ現役の教員として働いていた時に職員室の片隅に置いてあったものを目にしたことです。ページをめくると様々な珠玉の名文が散りばめられており、その出典は全国で販売されている様々な本屋や、雑誌、新聞や機関誌などから著者の許可を得て掲載されています。この冊子を目にして以来、読者になった次第です。この冊子はあくまでも無料配布ですが、私は郵送費を払い毎年この時期に送ってもらっています。今年のこの冊子の中に次のような添え書きが挿んであります。(一部引用)

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
  さて、毎年寄贈させていただいております「抜粋のつづり その七十八」が出来上がりましたので、
  お送り申し上げます。
   「抜粋のつづり」は社会への感謝・報恩の思いから昭和六年に創刊。著者、新聞・出版各社の
  ご理解を得て、戦中・戦後の混乱期を除き毎年刊行し、百十五ヵ国の日本大使館や総領事館、全国
  の各種団体、企業、個人に四十五万部を無料配布させていただいております。
  今年も本日、全国いっせいに配布いたします。広くご高覧賜れば幸いに存じます。なにとぞよろしく
  お願い申し上げます。
   末筆ですが、皆様のご健勝、ご発展をお祈り申し上げます。    敬具

この冊子を作成するのに多額の費用がかかっていることは明らかです。この会社の善行に対し、まさに頭が下がる思いです。今日は最新版「抜粋のつづり その七十八」から次の文を抜粋したいと思います。

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「叶わなかった高校進学」 山本孝弘
 肉体は単なる乗り物であって、本来の自分は魂である。子どもの頃から私はそう感じていました。先日、五年前のみやちゅうを読み返していると、スピリチャル・カウンセラーである神光幸子さんの記事を見つけました。記事を読みながらあらためて「魂」という真理が心に落ちました。
              *
 七年前に肉体を離れた父の魂は、今どこにあるのか。
 生き方が下手で、反面教師を絵に描いたような父でした。母に迷惑を掛け続け、それでも父なりに生き抜いた73年間は、彼にしかわからない思いの中で日々苦しくもがいていたこともあったのではないかと思います。
 戦後の貧しい時代、5人の兄弟の次男として生まれた父は小学生の時に父親を亡くしました。1つ違いの長男と二人、家計を助けるために中学を出てすぐ工場で働きました。父のお通夜の時、末っ子の叔母が涙を流しながら言っていたことを、私は一生忘れないと思います。
 「兄ちゃんは頭がよかった。中学3年の時、先生が家に何度も来て『何とか高校に通わせてやってほしい』と母ちゃんを説得してた。でもその度に兄ちゃんは『幼い弟や妹のために僕は働きます。高校に興味はありません。』って言ったんだよ。兄ちゃんありがとう…」
              *
 私の兄が高校受験をした日は、家族の中で父だけがそわそわしていました。そして合格したと分かった時、父はとても興奮し、「握手しよう」と兄に手を差し出しました。でも思春期の息子というものは素直ではありません。
 「あんな高校、名前を書けば誰だって入れるんだ!」
 そう言い放った兄に父は怒るでもなく、「そんなことを言うな」と、ただ悲しそうに呟きました。そのことを兄が覚えているとは思っていませんでした。ですが父が亡くなった日の晩、兄は言いました。
 「あの人にとって高校進学っていうのは夢だったんだよな。あんなことを言わなきゃよかった。握手すればよかった…」
              *
 私が結婚する前、妻の実家に両親を連れてあいさつに行った時はとても不安でした。父が何がしかの失態を演じるのではないかと思ったのです。しかし、父は普段とは全く違っていました。その時の父の話は本当に面白く、私を含めみんな大笑いしました。そんな父は見たことがなく、私は驚きました。「自分はこの人のことを何も知らないんだな」と思いました。
 結局、父とお酒を飲む機会はありませんでした。今いきなり目の前に父が現れても全く驚かないので、一緒に飲んでみたい気もします。もうすぐ7回目の命日がやってきます。
 (やまもと たかひろ=みやざき中央新聞社中部特派員
                  みやざき中央新聞「取材ノート」30年4月9日)
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 上記のお父さんのように昔の父親は頑固一徹でした。「寺内貫太郎一家」の父親のように無口で、口下手で自分の感情を素直に表現できない父親が多くいたものです。私の父は大正生まれで92歳の人生を全うしましたが、この記事の父親と似通った点がたくさんあり、自分の父親のことが書かれているようでした。
 今では誰もが高校に行く時代ですが、本当に勉強の大切さを理解している高校生がどれだけいるでしょうか。「何となく親や周囲に勧められて高校までは出ておかないと」と思っている高校生が多いことと思います。私は現在電車で明光学園に通勤していますが、電車の中で様々な高校に通う生徒達のほとんどがスマホで遊んでいます。定期試験期間中を除いて勉強している生徒はほとんどいません。この一文をその生徒たちに読ませてやりたい気持ちになります。勉学の大切さに気づいている生徒は幸いです。

2019年02月10日

#219 神の慮り

 今日は2月3日、節分です。明日は立春となり、暦の上では春を迎えます。しかし、春とは言いながらまだまだ寒い日が続きます。今年の福岡の冬は昨年と比べてそれほど厳しい寒波が到来していませんが、東北地方やや北海道では例年通り大雪となっています。また北アメリカでは零下30度を超す極寒が続いており、ナイアガラ瀑布も凍結しかかっています。寒波による死者もすでに20名を超えているそうです。これ以上寒波が続かないことを祈るばかりです。
 さて福岡県内の私立高校の入試はすべて終了し、5日には公立高校の推薦入試が実施されます。以前は公立高校で推薦入試は行われていませんでしたが、生徒減少による生徒確保のためでしょうか、公立学校でも推入試が行われています。また現在すでに大学入試も始まっており、地元の福岡大学や西南学院大学を始めとする各大學の入試が実施されています。入試は受験生にとって大きな試練となります。その後の人生を左右する大切な選択ですので、第1志望の合格を目指してもらいたいと思います。
 しかしながら、誰もが第1志望に合格できるとは限りません。本人の努力に応じて結果がついてきますし、当日の健康状態や運も成功する大きな要素となります。これは入試だけでなく、入社試験や人生の岐路においても当てはまります。特にスポーツや芸術において優勝や入賞の栄冠を手にするのは参加者の中でごくわずかの勝利者のみです。大半の人はそれを獲得することができず、挫折や失望感を味わい、その厳しい競争から姿を消していきます。これはすべての分野にも言えることです。例えば企業で昇進する人数は限られており、管理職までたどり着けるのは、ごくわずかの人だけです。本人の能力や日々の努力と営業実績、そして運が大きく左右します。大半の社員は途中で昇進を諦めなければなりません。このことは日本だけでなく、世界中で行われている現実です。ある意味では厳しい競争なしには発展しない世の中となっています。
 そのような環境で生きている私たちですが、挫折を経験した人に素晴らしい詩を紹介したいと思います。本日のブログタイトルの「神の慮り(おもんばかり)」です。この詩はずいぶん前に何かの本で読んだことがありましたが、記憶の中からすっかり消えていました。現在受験生の指導をしており、ふとこの詩を思い出した次第です。なお原詩は英語ですが、よく知られている神渡良平詩の訳詞でご紹介します。

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  「神の慮り」A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED  (神渡良平訳)

  大きなことを成し遂げるために
  力を与えてほしいと      
  神に求めたのに
  謙虚さを学ぶようにと
  弱さを授かった

  より偉大なことができるようにと
  健康を求めたのに
  より良きことができるようにと
  病弱な体を与えられた

  幸せになろうとして
  富を求めたのに
  賢明であるようにと
  貧困を授かった

  世の人々の称賛を得ようとして
  権力を求めたのに
  得意にならないようにと
  失敗を授かった

  求めたものは一つとして与えられなかったが
  願いはすべて聞き届けられていた
  言葉に表されていない祈りが叶えられていたのだ

  ああ、私はあらゆる人の中で
  もっとも豊かで祝福されていたのだ

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 この詩はニューヨーク大学病院リハビリセンターのロビーに掲げられている、ある患者さんの詩で作者不詳となっています。どのような患者さんか分かりませんが、自分の与えられている病状や今までの人生を振り返り、このような詩が生まれたと考えられます。実に味わい深い詩です。受験や入社試験の失敗、失恋や闘病など人生に失敗はつきものです。その「失敗から何を学ぶか」が一人ひとりに人生の課題として与えられています。それぞれの失敗を学び、克服し、失意の中から新しい希望を見出したいものです。
 高村光太郎の詩「道程」の一節にあります「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」はすべての生き方に通じるものです。自分の人生を振り返ると、一本の道ができています。それが一人ひとりの人生です。自分の未来はまだ分かりませんが、目の前のものを取捨選択することで新しい人生が生まれます。与えられたものには何一つ無駄なものはありません。人生の一つ一つの課題をこなして一歩一歩前に進んでいきましょう。目の前の大きな課題を与えられている受験生頑張れ!

2019年02月03日

#218 大天晴!

 昨日テニスの大坂なおみ選手が全豪オープンテニスで日本人初めて優勝しました。彼女の業績に大いに天晴(あっぱれ)を差し上げたいと思います。テニスの4大大会(全豪、全仏、全英、全米)のシングルマッチで今まで日本人は優賞することができませんでしたが、彼女がこの偉業を成し遂げてくれました。この試合を全国の多くのテニスファンが応援したことと思います。
 スポーツの世界では競技の種類や身体能力の傾向などによって活躍する人種が偏る傾向にあります。例えば陸上では主に黒人が活躍し、フィギュアスケートでは主に白人やアジア人が活躍する傾向があります。テニスもその例にもれず、1960年代までテニスは白人のスポーツとして知られていました。その壁を打ち破ったのが男子ではアメリカの黒人アーサー・アッシュ選手、女子ではオーストラリア人先住民の血を引くのグーラゴング選手だったと記憶しています。
 日本人の活躍する場面はなかなか出てこず、男子では松岡修造の次に錦織圭まで待たなければなりませんでした。錦織はこれまでの男子選手と比べてアメリカでの豊富な練習量に支えられ、またマイケル・チャンの優れたコーチング力を背景に大きな大会で決勝まで進めるほどになりましたが、優勝するにはまだ力不足の感があります。テニスやスケートなど特殊な技術を要するスポーツの勝敗は優れたコーチの存在が欠かせず、例えばジョコビッチのような超一流の選手には常時数名のコーチが付き添っています。言い換えれば、本人の才能や努力だけでなく優秀なコーチとの出会いがその選手の成長を決めることになります。
 私も中学・高校とテニス部に所属し、毎日部活動に明け暮れましたが、テニスはメンタルスポーツと言われるように、精神力が要求されるスポーツです。団体スポーツでは選手がお互いに声かけあって励まし合えますが、個人スポーツでは信頼できるのは自分のみであり、自分で支えるしかありません。この精神力は厳しい練習に耐えることで育まれます。大坂選手は天賦の才能、本人の努力そして恵まれたコーチとの出会いによって開花したと言えるでしょう。
 このことはスポーツだけでなく、人生においても言えると思います。人生において誰とどのような出会いをするかにより、その後の生き方が変わってきます。特に子供たちの持っている才能は側にいる大人たちが見つけてやらなければなりません。子どもの持つ才能と、その才能を引き出す大人との出会い、そして恵まれた練習環境が満たされれば、どの分野においても子供たちは能力を開花させることでしょう。昨今の将棋界や囲碁界で優秀な若者が活躍していますが、このことをよく表しています。今後も大坂選手だけでなく、多くの若い人たちに頑張ってもらい、多くの人たちに勇気と希望を与えてもらいたいと思います。頑張れ若人!

2019年01月27日

#217 受験生頑張れ

 今日と明日は大学入試センター試験が実施されます。毎年この時期にセンター試験に関するブログを書いていますが、今日は社会、国語、英語の3教科が行われ、明日は数学と理科が実施されます。当塾からは3人の高校3年生が受験しています。2人の塾生はすでに進路が決まっていますが、各自の学校方針でセンター試験を受験します。現在のセンター試験は来年で終了し、2020年からは新しい大学入試制度「大学入学共通テスト」が始まります。この制度については様々な意見が出されており、良い面としては、数学や国語で思考力を試す試験問題が出されます。受験生は暗記に頼るのではなく、様々な知識を用いた思考力が試されます。危惧される点としてまず挙げられるのが英語の試験です。2020年から国公立大学は英語の入試を大学入学共通テスト+民間の英語試験と定めています。つまり英検やTOEICなどの民間の試験を受けて入試成績を総合判断することになります。
 ところが東大など一部の国公立大学では民間の英語試験の成績を入試に考慮しないと宣言しています。換言すれば、国公立大学大学において共通した物差しで受験生を評価することができないということです。また受験生や親御さんの立場とすれば余分に民間試験の受験料を払わなければなりませんし、地域によっては民間の英語試験会場の数が少ないことも挙げられます。つまり平等な受験の機会を受験生に与えることができなくなる可能性があります。文科省はこの点を考慮して大学入試共通テストを実施するつもりでしょうが、様々な懸念が今でも多くあります。
 また私立大学では現在民間の英語テストを評価する大学もあります。例えば福岡大学は英検2級を取得している受験生には英語の入試を受けなくても8割の得点をもらえますので、その分他教科を頑張ることができます。ただ慶応大学のような難関大学は大学独自の入試を受けなけらばならず、受験生は様々な入試に対応することになります。受験生の立場ではどちらが良いか正直悩ましいところです。とにかく2020年の入試を迎える現高1の生徒が一番影響を受けますので、様々な対策を講じる必要があります。とにかく受験生頑張れ!

2019年01月19日

#216 青春

 本日は「成人の日」の祝日で、昨日と今日は全国各地で成人式が行われています。成人式を迎える20歳の若者だけでなく、この日を楽しみにしている親御さんも多いことでしょう。昨年は貸衣装の振袖が届かないという、とんでもない出来事が発生しました。それを受けて今年は「ママ振」という言葉が登場しました。母親もしくは祖母の振袖を仕立て直して、成人式に参加する女性が増えているそうです。いずれにしても、人生で1回しか参加できない式ですので、新成人の方々は育ててくれたご両親に感謝するとともに、一人の大人として責任あるふさわしい言動をしてもらいたいと思います。
 そのような新成人に対して1編の詩を紹介したいと思います。1980年代に日本国内で採り上げられ、広く知られた詩です。詩というよりも教訓的な表現で書かれています。原文は英語です。

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  【青春】サムエル・ウルマン(宇野 収、作山宗久訳 「青春という名の詩」より))

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体 ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、二〇歳の青年よりも六〇歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。

六〇歳であろうと一六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歎の氷にとざされるとき、二〇歳であろうと人は老いる。頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、八〇歳であろうと人は青春にして已む。

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 私がこの詩に出会ったのは若さがみなぎるまだ20代の頃でした。「青春は若者の特権である」、と考える人が多いのですが、還暦を過ぎた今この詩を読み直してみますと、確かに身体的な若さのみを青春というのではなく、何事にも挑戦する心(精神)の若さを「青春」という言葉で表すことができると思います。もちろん年を取りますと体力や気力が衰え、若者ほど身体を十分に活かすことができなくなりますが、心の若さは保つことができます。言い換えれば、この詩にあるように、若くても志がなければ、生きる意欲がなければ、その人はすでに「心の萎えた老人」だと言えるでしょう。
 日本では70過ぎの高齢者が大学や大学院に合格するだけでニュースになりますが、欧米では中高年の人々が学び直すことがしばしば見られます。私がオーストラリアに留学している時にも70過ぎのおばあちゃんが3人大学院に学びに来ていました。そして積極的に発言し、講師を困らせていたことを思い出します。確かに体力的には衰えますが、意欲・気力は本人が維持できる要素の一つです。もし生きる気力や学ぶ意欲が無くなれば、高齢者は急速に老化し衰えていくことでしょう。常に新しいことに興味を持ち、意欲的に生活することが若さを保つ秘訣であることは古今東西の偉人の生き方を見て分かります。「成人の日」の今日、ふとこの様なことを考えてみました。

2019年01月14日

#215 災難は忘れた頃にやって来る

 今日は1月7日、七草粥の日です。スーパーマーケットでは七草の食材を販売していますので、比較的簡単に七草粥や雑煮を楽しむことができます。大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。年末年始はいかがお過ごしでしたか。今年の正月は平成最後の正月となりました。これから5月の新天皇即位まで様々な行事が行われることと思います。
 さて私事ですが、先月の下旬に腰を痛め(ギックリ腰?)、ようやく痛みが無くなり普通に歩けるようになりました。また新年早々愛用のデスクトップコンピュータが故障し、保存していたファイルが全て消えてしまいました。このHPはバックアップしていましたので、現在別のノートブックコンピュータを使用して、このブログを書いています。(それで新年の挨拶が遅れてしまいました)デスクトップはハードディスクが壊れていますので、データの復旧はほとんど不可能です。大切なデータは必ずバックアップを取るようにしませんと、全てが消えてしまいます。地震と同じように機械はいつ壊れるか分かりませんので、必要なものは事前にデータを保存するなどの処置が必要となります。現在新しいハードディスクに新しくWindows10をインストールしましたが、仕事で使用する様々なソフトをインストールして元の使える状態にするのにしばらくかかりそうです。
 年末のギックリ腰や新年のコンピュータ故障で、今年の正月は悲惨な結果となりました。皆様もスマホの大事なデータは必ずバックアップを取るようにしてください。さもないとデータが永遠に消えてしまうことになります。これほど悲惨な正月は経験したことがありません。今後はひたすら運がついてくるのでは、と思っています(笑)!それでは今年もよろしくお願いします。

2019年01月07日

#214 平成最後の晦日

 本日は12月30日、平成最後の師走も残り1日となりました。年末のテレビは忙しく平成30年間の報道特集やニュース番組を流していますので、平成がどのような時代だったかダイジェスト版で確認できます。英語では1世代(one generation)を30年と規定していますが、まさに30年という時間は一人の人間が生まれ育ち、社会人として活躍する時間そのものだと実感します。幼児は大人に、青年は老年になるのに十分な時間です。すべての人の人生において、30年という長さに喜怒哀楽のすべてが詰まっていると言っても過言ではないでしょう。さらに次の30年を考えると、生存している人がどのくらいいるでしょうか。私を含めて甚だ疑問です。
 人生50年と言われた時代はすでに過去のものとなり、昨今では長寿のおかげで人生80年ではなく、人生100年と呼ばれるようになりました。しかし本当にそうなるでしょうか。ただ長生きするだけでは何の価値もありません。いかに充実した生き方をするか、換言すれば、他人のためにいかに有意義のある人生を送るかが大きな課題となります。新しい元号のもとに今までの経済中心・自己中心の生き方は改められ、本当の幸せを求める生き方が問われる時代になるような気がします。そうしないと人間の存在自体がこの地球という惑星の生殺与奪を決定しかねる状況となっているからです。
 この惑星に生命体が誕生して以来様々な進化が行われました。その歴史を簡単に振り返ると、地球上に登場した最初の生命体は藻でした。次に藻を食料とする植物が登場しました。そして様々な種類の植物が大量に増えた結果として草食動物が誕生し、植物を管理していきました。また肉食動物が登場し、増えすぎた草食動物を管理します。最後に新参者として人間が登場し、動植物を管理する役割が与えられました。長らく人間の役割は主として動植物を管理することだったのです。
 ところが知恵を身につけた人間が様々な経済活動を行い、急速に人口を増やしていきます。人口が急激に増えるにつれて経済活動もさらに活発となり、様々な資源を湯水のように使い果たしていきます。その結果今日の世界の人口は70億を超えて、平等な社会の確立ではなく格差社会が拡大し、一握りの人間が世界を管理する様な現在の状況が生じています。
 このような状況を踏まえ次の30年間に思いを向けた時に、どのような時代が待っているでしょうか。希望に満ちた時代であるとはとても言えません。宇宙船地球号は定員オーバーの状態が続いており、現状では人口が増えるに伴い、環境問題が大きくなり、食料を含めて資源の枯渇も危惧されます。次の30年、2049年にどのような世界が登場するのか見当もつきません。希望的な憶測では科学技術が進み、ロボットと共存する未来社会が想像できますが、悲観的な憶測では人口が100億を超え、自然破壊が拡大し、格差社会がさらに深刻化し、少数の人間が大多数の人間を管理する社会が登場することになるでしょう。
 いずれにしても未来を創るのは現在の私達です。希望ある未来を作り上げるために今何をしなければならないでしょうか。現在のような強欲資本主義を続けていけば早晩世界の破滅を引き起こすことになるでしょう。そのためには惑星地球と共存できる新しい思想や社会体系を作ることが急務となります。そうしないと結果は日を見るよりも明らかです。そのための新しい時代が来年から始まると思っています。私たち一人ひとりの力は微々たるものですが、大河は一滴の水から始まります。各自が今までの生き方を改め、地球と共存する自然に沿った生き方を始めると、すべてが変わっていくことでしょう。将来の子ども達のために、より良い社会を作っていくのは大人たちの責務です。
 平成最後の晦日にこのようなことを考えてみました。今年一年間お世話になりました。それでは良い新年をお迎えください。

2018年12月30日

#213 遥かなるクリスマス

メリークリスマス
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
外は雪模様 気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけて来る
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
僕には何にも関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすら歩いた

メリークリスマス
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど

本当は気づいている今のこの時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体何だろう
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当の事が言えない
いつの間にか大人達と子供達とは 平和な戦場で殺しあうようになってしまった
尤も僕らはやがて自分の子供を 戦場に送る契約をしたのだから同じこと
子供達の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れていく
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

メリークリスマス
僕は胸に抱えた小さな 君への贈り物について深く考えている
僕は君の子供を戦場へ送るために この贈り物を抱えているのだろうか
本当に愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
本当に君を愛している 永遠に永遠に君が幸せであれと叫ぶ

メリークリスマス
凍てつく涙を拭いながら
生きてくれ生きてくれと叫ぶ
雪の中で雪の中で雪の中で
白い白い白い雪の中で

メリークリスマス
メリークリスマス 


♪さだまさし「遥かなるクリスマス」


 今日はクリスマスイブですが、クリスマスイブが振替休日となるのは今年が最後でしょう。昨日の天皇誕生日の祝日が今年で終了するからです。将来は分かりませんが、12月23日を祝日としない限りクリスマスイブが日曜日以外の休日となることは2度とありません。その意味では感慨不快ものがあります。
 さて今日はクリスマスイブ。街中が賑やかな雰囲気で満たされていますが、世界中の人々が素直にこの日を喜んでいるわけではありません。今も戦闘の中で逃げ惑う子ども達や弱者がいるのです。平和な世の中で暮らしている私達には理解しがたいですが、サンタからの贈り物をもらえない子ども達がたくさんいます。上記の詩にある「ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース僕には何にも関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすら歩いた」という人が多いことでしょう。自らの幸せのみを追求する多くの人がいるなかで、「伊達直人」のような身寄りのない子ども達にランドセルを寄贈する人もいます。
 人々の様々な思いが交錯する中で、今年もクリスマスがやってきました。争いのない平和な世の中で愛する人たちと一緒に過ごすことのできるクリスマスを幸せに思わなければなりません。宗教の違いを超えて世界中の人達が平和の尊さを祝える日にしたいものです。Merry Christmas!

追伸: さだまさし「遥かなるクリスマス」はYouTubeで聴くことができます。一度検索してみてください。

2018年12月24日

#212 平成最後の天皇誕生日

 今日は天皇誕生日です。そして平成最後の祝日となります。この12月23日を将来祝日として定められるか分かりませんが、今日の祝日は今年で最後になります。現皇太子の誕生日が2月23日ですので、この日が祝日となるのでしょうか。4月29日は昭和天皇の誕生日でした。現在は「昭和の日」として祝日と定められています。法律では今上陛下の誕生日が祝日とされています。
 さてこのブログ読者の皆様にとって「平成」はどのような時代だったでしょうか。この30年間すべての人にとり喜怒哀楽に満ちた時代であったのではないでしょうか。個人的には昭和と平成を半分ずつ生きたことになります。特に故郷大牟田の盛衰を目の当たりにした時代だったような気がします。
 昭和30年代は三池炭鉱が最も繁栄した時代でした。幼い頃、床に就くと数キロ離れた三池炭鉱三川坑からかすかに流れてくる労働歌を子守歌がわりにしたものです。街中は活気にあふれ三川坑のある三川町から三池港まで工場群が立ち並び、夜でも工場の照明が明々と灯っていたことが記憶に残っています。今では工場群は存在せず、そこに広々とした空き地が点在しています。
 昭和38年11月9日に発生した炭塵爆発は今でも覚えています。当時幼稚園に通っていましたが、友人たちと遊んでいた午後3時過ぎに大きな爆発音と同時に地響きが起こり、急いで家に帰ったことを記憶しています。多くの方が犠牲となり、親戚の方も亡くなりました。そして石炭産業の衰退とともに大牟田の街も廃れていきました。人口が22万人から現在では10万人台へと半分に減少しています。大牟田だけでなく石炭産業で繁栄した国内の町はすべて廃れていきました。
 時代は昭和から平成へと移り変わりましたが、昭和の終わりとともにバブル経済も終わり、日本経済が低迷する時代を迎えます。「勝ち組」「負け組」の言葉に象徴されるように経済格差が広がる時代となりました。平成は昭和時代以上に多くの貧困層が生じた時代でもあります。「平成」とは名ばかりで国内では多くの事件や災害が毎年のように起こり、国外では多くの戦争や紛争、大地震などの災害が続発した時代になりました。
 簡単に昭和から平成までを個人的体験とともに振り返りましたが、ブログ読者の皆様にとりましても平成30年間だけでも本当に悲喜こもごもの日々だったのではないでしょうか。
 来年から新しい元号になりますが、どのような時代を迎えるのか、期待を込めて迎えたいと思います。

2018年12月23日

#211 ロボットカフェ登場

 今日は朝から雨が降っています。もう少し気温が下がればみぞれや雪に変わるのでしょうが、冬には珍しく本降りの雨が降り続いています。
 さて今日のブログのテーマはロボットカフェです。現在ロボットは様々な分野で働いており、工場などで働く「機械」としてのロボットから、ホテルの受付嬢や病院で介助人として働く人型ロボットまで用途が様々で、人間との接点がますます広がっています。そのような状況下で新しい種類のロボットが登場しました。カフェで働くロボットです。このロボットの大きな特徴は身体を動かせない身障者の方々がロボットを遠隔操縦していることです。かなり長くなりますが、ロボットカフェのニュースを紹介します。

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Yomiuri Online (https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20181211-OYTET50035/)
『自宅から遠隔操作できるロボットカフェ
   病気や障害で外出が難しくても自分の声で「いらっしゃいませ」』

 ロボットが接客する新しいタイプのカフェが11月26日から12月7日まで、都内で期間限定で営業した。身長120センチの白いロボットが3台、店内を動き回って注文を取り、お客さんの待つテーブルへコーヒーやオレンジジュースを運んだ。
 「いらっしゃいませ」「飲み物は何になさいますか?」「今日はどちらから?」。ロボットから聞こえてくるのは電子音ではない。本物の人の声だった。

【ロボットを動かしたのはALSや頸髄損傷などの男女10人】
 実はこのロボット、外出が困難な人たちが、自宅に居ながら遠隔操作していた。筋 萎縮 性側索硬化症(ALS)や 頸髄 損傷で自力歩行が難しい人など、20~40歳代の男女10人が、全国から公募で選ばれた。「テクノロジーの力があれば、重い障害がある人が働ける場所を作れる」。ロボットを開発したオリィ研究所(東京)代表の吉藤健太朗さん(31)は胸を張る。
 カフェがオープンしたのは、東京・赤坂にある日本財団ビルの一角。接客するロボットの名前「OriHime(オリヒメ)-D」は、七夕にちなみ、「離れていても会えるように」という願いを込めて名付けられた。専用ソフトをインストールしたパソコンがあれば、遠くにいても操作は簡単だ。ロボットの額にあるカメラが撮影した映像を自分のパソコン画面で見ながら、マウスをクリックし、進行方向を決める。内蔵されたマイクで客に声をかけることもできる。

【28歳で亡くなった親友の言葉が開発のきっかけ】
 カフェのオープンを前に、ロボットのOriHimeを片手に意気込みを語ったオリィ研究所の吉藤さん。初日の営業が終わったあと、吉藤さんは店内を眺めながら、つぶやいた。「番田に見せられなくて、悔しいですね。」
 番田雄太さんは、吉藤さんの秘書。今回のカフェの実現を心待ちにしていた親友でもある。4歳で交通事故に遭い、頸髄を損傷した番田さんは、手足を自由に動かせなくなり、20年以上、入院先の病院や自宅のベッドで過ごしてきた。吉藤さんの存在をインターネットで知り、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて連絡してきたのをきっかけに知り合い、2015年から同研究所で活動をともにした。
 番田さんは吉藤さんの机の隣に置かれた20センチの小型のOriHimeを介して、岩手県の自宅や入院先の病院から“出勤”。 顎あご で動かす特殊なマウスでパソコンを操作し、秘書として吉藤さんのスケジュールを管理したり、名刺を整理したりした。
 約3年前のある日、吉藤さんは番田さんに声をかけ、冗談でこう言った。「秘書なら、私の肩もんだり、コーヒーを持ってきてよ」。すると、番田さんは「じゃあ、そんな体つくってくれよ」と返した。今のOriHimeより大きな、番田さんの分身になるロボットをつくる。それを動かして、カフェができたら……。この会話をきっかけに開発が進んだ。

【同じような境遇の人たちに希望を】
 だが、番田さんは昨年9月、28歳の若さで亡くなった。吉藤さんは一時、気力をなくし、夢を見失いかけた。また前を向けたのは、こんな思いからだ。「番田は自分のためだけにカフェをやりたかったわけじゃない。同じような境遇の他の人たちにも、希望を与えたいと言っていた。」ようやく実現したカフェは連日満席。営業日10日間で約900人が訪れるにぎわいぶりだった。

【記者もカフェ体験 取材相手とロボット介して再会】
 記者もカフェを体験。ホットコーヒーを飲みながら、ロボット操作役の「さえちゃん」との会話を楽しんだ。オープン初日には、記者もカフェを体験した。温かいコーヒーをトレーに載せ、ロボットはそろりそろりとテーブルへ近づいてきた。その姿は、湯飲みをお盆に載せて運ぶ「からくり人形」に似て、なんだか面白い。「どうぞお取りください」。到着したロボットに促され、トレーからコーヒーを受け取った。
 ロボットの左胸には「さえちゃん」とニックネームが書かれたプレートが付いている。「さえちゃん」は埼玉県の女性(36)。身体症状症という病気で、吐き気やめまいを起こしやすく、外出が難しい。ロボットを操作しての接客は、約10年ぶりの仕事。「社会から切り離された気持ちが強くなっていたけど、今日は家にいるのに人と関わることができています。自分や難病の人だけじゃなく、育児や介護で悩んでいる人など、いろんな人を外の世界とつなぐ可能性を秘めていると感じました」。仕事の合間、女性はそう語った。

【11月24日付の夕刊で紹介した永広さんとも、ロボットを介して「再会」】
 カフェのオープンを前に、読売新聞夕刊(11月24日付)の記事で紹介した永広 柾まさ人と さん(25)とも、ロボットを介して「再会」した。永広さんは全身の筋力が低下していく脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病を患う。わずかに動かせる指先を使ってマウスを操作し、都内の自宅からロボットを動かす。勤務1日目の感想を聞くと、永広さんは「緊張して言葉につまることもあったけど、お客さんに楽しんでもらえたみたいでよかった」と答えてから、「働くって疲れるんですね」と言い添えて笑い声を上げた。共感した記者もつられて笑ってしまった。「ほかにロボットを使って挑戦したいことは?」という質問には、少し考えて「楽器を弾いてみたい。バイオリンの音色が好きなんです」と教えてくれた。今回、操作役の10人には時給1000円が支給される。「給料が出たら、家族に贈り物をしたい」と話している人もいる。

【どんな人も働くことにチャレンジできる未来へ】
 中央省庁の障害者雇用水増しが問題になった昨今、体が不自由な人の働く場所は不足し、周りの理解も進んでいないように思える。人工知能(AI)を活用した技術の登場で、単純労働を中心に、人間の仕事が機械に取って代わられるのではないかと不安の声も聞かれる。
 一方、今回のカフェは、重い障害で外出が難しい人であっても、在宅での仕事を可能にする一つの実例を社会に示した。同研究所は2020年をめどに、常設店の開業や他業種への拡大など、ロボットの様々な使い方を検討していく予定だ。
 吉藤さんは「体が自由に動かせなくても、番田はやりたいことを諦めなかった。ロボットを使って『働きたい』『誰かの役に立ちたい』という思いをかなえてもらえたら」と語る。
 テクノロジーの使い道も、視点を変えれば、多様な働き方を生み出せるかもしれない。どんな人も働くことにチャレンジできる未来に期待したい。
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 ロボットカフェは身障者の方々にとって朗報です。障害のレベルにかかわらず、外部の人達と仕事をしながら会話を楽しみ、おまけに給料ももらえます。従来では病室や自宅に閉じこもらざるを得なかった人々が健常者と同じように働くことができるのです。このようなロボットカフェを全国に展開して、多くの身障者が働き、生きがいにしてもらいたいと思います。さらにAIなどの技術が進めば、遠くない将来にロボットに介助してもらい、買い物もロボットに行ってもらうことも可能です。ロボットのカメラを利用して途中の景色も楽しめます。兵器開発に多大の費用を使う代わりに、本当に人間に役に立つロボットを開発したほうが、老人介助や身障者介護のような社会福祉の点で人類に大きく貢献できます。そのような日が来ることを待ち望みたいと思います。

2018年12月16日

#210 サっちゃんが行ってしまった

 ♪サっちゃん (作詞阪田寛夫、作曲:大中恩)
  サッちゃんはね サチコっていうんだ ほんとはね
  だけど ちっちゃいから 自分のこと サッちゃんって呼ぶんだよ
  おかしいな サッちゃん

  サッちゃんはね バナナが大好き ほんとだよ
  だけど ちっちゃいから バナナを 半分しか 食べられないの
  かわいそうね サッちゃん

  サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって ほんとかな
 だけど ちっちゃいから ぼくのこと 忘れてしまうだろ
  寂しいな サッちゃん

 先日「サっちゃん」を作曲した大中 恩(おおなか めぐみ)さんが死去されました。大中さんは他にも「犬のおまわりさん」などの名曲を残されています。この有名な2曲は今でも多くの幼い子どもたちによって歌い継がれています。この歌についてウィキペディアに次のような説明がなされています。

【サっちゃん】(https://ja.wikipedia.org/wiki/サッちゃん)
「1959年10月10日に開催されたNHKラジオ「うたのおばさん」放送開始10周年記念リサイタル(主催:松田トシ)にて、新曲として発表された。作詞の阪田寛夫は、この歌は「近所に住んでいた少女サッちゃんのことを歌っている」と語っており、サッちゃんのモデルとなった少女は、阿川佐和子であるとされている。阪田寛夫と、佐和子の父・阿川弘之とが知り合いで、互いの自宅も近かったためで、このことは週刊文春で阿川が連載していた対談「この人に会いたい」の中で阿川が阪田と対談した際に判明した。しかし、2011年3月18日放送のTBS系『ぴったんこカン・カン』に阿川が出演した際には、「『実は阿川は関係無く、幼馴染の少し影のある少女が幼稚園を転園したときの思い出を書いた曲』と言われた」と発言している。」

 幼い頃に聞いたり歌ったりした唄はいつまでも心に残るものです。特に童謡・唱歌として親から聞いた子守歌や童謡・唱歌は日本語の美しい語感や音楽のメロディやリズムの素晴らしい感性に基づいた一流の作者による作詞・作曲が行われており、明治時代に作られた歌も時代を超えて生き続けています。この「サっちゃん」もその中の1つでしょう。
 その一翼を担ってきたのが毎日放送されているNHKの歌番組「みんなのうた」だと思います。5分程度の短い放送でありながら、この番組を通して様々な童謡・唱歌が流され、多くの日本人の心の中に音楽の感性を醸成させてきました。この歌番組は「NHK全国学校音楽コンクールと」併せて音楽という媒介を通してNHKの社会貢献のひとつだと思います。
 ところがNHKの最近の傾向として、「みんなのうた」に登場する多くの歌は童謡唱歌のような叙情豊かな歌ではなく、誰に向けて歌っているのか訳のわからない歌ばかり流されています。NHKは民放と異なり公共放送です。極端な偏りのある番組や報道は自ら慎む姿勢を持っているはずです。ところがこの「みんなのうた」は以前と異なり、情緒不安定な歌ばかり流しています。一体誰がどのような基準で選曲しているか、大いに疑問です。
 話題は変わりますが、今年の「平成最後の紅白歌合戦」も同様の傾向が見られます。従来はあらゆる世代を考慮した歌手を出場させていましたが、最近の傾向として特定の世代(特に若い世代)受けを狙った番組作りが見受けられます。これでは公共放送ではなく、民放で放送されているただの歌番組と同じです。その年のヒット曲だけでなく、世代を超えて歌われている歌を多く採用すべきです。そうしないと今まで歌い継がれてきた数々の名曲が失われていきます。人々が口にしなくなった瞬間から歌は消えていきます。換言すれば、時代の波を超えて生き残ったものが名曲となるのです。その意味でNHKは子どもたちが観る歌番組に取り上げる曲の選定に十分すぎるほど気遣っていただきたいものです。

2018年12月09日

#209 平成最後の師走

 月日の経つのは早いもので、もう師走を迎えました。あとひと月で新年を迎えます。今年の師走は平成最後の師走になります。平成時代の師走はもう二度とやって来ません。来年の師走は新しい元号の師走になり、新しい時代が始まります。
 さて平成30年間という年月は皆様にとって、どのような時代だったでしょうか。英語では1世代を30年と規定しています。子どもが生まれ、その子供が成人し家庭を持ち、次の子どもが生まれる間の年月です。確かに30年という時間は長いようで、過ぎ去ればあっという間の短い時間でもあります。
 個人的にはこの30年の間にオーストラリアへ3年間留学したり、妹や両親が他界したり、様々な出会いと別れを繰り返した期間でもあります。また最大の出来事は無料学習塾ニコラを4年前に開塾したことです。
 翻って国際的にはベルリンの壁崩壊後のドイツ連邦の復活や、ソ連の消滅によるロシアの復活、多くの戦争や数えきれないほどの大きな自然災害の発生など、この30年の間に世界情勢が目まぐるしく変化していきました。
 今でも昭和の終わりから平成の始まりの特異な瞬間を覚えています。昭和天皇が崩御された1月7日は静かな朝で始まった記憶があります。街中を歩きましても、不思議に静かな空間に満たされ、国中が喪に服した一日を体験しました。それと同時に新しい元号「平成」がテレビ画面で発表されて、新しい時代への期待と一抹の不安が心の中で交差したことを覚えています。
 この平成の30年間は昭和の時代と異なり、物心両面で様々な変化が起こりました。昭和には存在しなかったインターネットの普及、ケータイからスマホへの劇的な変化、IT革命、オレオレ詐欺やネット詐欺を始めとする詐欺犯罪の拡大など、昭和では考えられなかったような技術革新における進歩や、それに関連する犯罪の深刻化があげられます。
 また昭和時代の後半から平成を通じて国内で深刻な問題のひとつが核家族の増加と、それに伴う引きこもりやニートなどの様々な家庭問題の出現が挙げられます。このことは一般家庭だけでなく、皇室にも及んでます。皇太子妃の環境不適応や最近では秋篠宮家の結婚問題など、平成時代は明らかに家族と個人の問題が深刻化した時代だったと思います。
 さて来年は4月30日で平成が終了し、5月1日から新元号となります。新時代がどのような時代になるか予想がつきませんが、平成時代以上に科学技術が進む一方で、人の心がどのように移ろい行くかが大きな課題となるでしょう。今月は各地で新年を迎える様々な行事が控えています。平成最後の師走を心ゆくまで楽しみたいと思います。

2018年12月02日

#208 無料食堂の挑戦

 寒さも徐々に厳しくなり、空腹の人には堪えられない季節を迎えています。寒い季節を乗り越えるには衣食住が必要となります。そのような季節の中で、3週間ほど前にNHKが心温まるニュースを流しました。奈良にあるとんかつ店による無料食堂の挑戦です。その内容を朝日新聞の記事より引用します。
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【朝日新聞Digital】
『お金無くて腹ぺこ…コソッと相談を 「無料食堂」の挑戦』
https://www.asahi.com/articles/ASL586262L58POMB00C.html

 奈良市神殿(こどの)町のトンカツ店「まるかつ」の壁に、「無料食堂のお知らせ」が今月、貼り出された。「お金がなくて、おなかがすいていたら、相談してほしい。無料提供も考えます」との思いで店長が書いた。「困った時のために覚えておいてください」と話している。
 日曜日の昼下がりに店を訪れると、テーブル席のほとんどは家族連れで埋まっていた。キッチンでは、店長の金子友則さん(41)が真剣な表情でトンカツを盛りつけていた。
 無料食堂の理由を聞くと、「100人来て99人にだまされても、1人の本当に困っている人を救えるならいいのかなと思って始めました」。
 きっかけは、2年ほど前に受けた一本の電話。「ほんまにお金、ないんです」。声の主は、何度か家族連れで来た男性客だった。来店時に改めて聞くと、男性は「病気がちで働けず、生活苦に陥った。妻と子が出ていった」と語った。
 「月末には生活保護のお金が入るので、それまで食べさせてもらえませんか」。その1度だけ、トンカツをごちそうした。
 以来、来店のたびに相談に乗った。最初の1度を除き、男性はきちんと支払ってくれた。今年、久しぶりに男性が来店した。「子どもと一緒に暮らせそうだ」と明るい表情を見せた。
 ほかにも「お金がないが、食べさせてもらえないか」と電話を受けたことがある。飲食店としてできることを考えて、5月4日、A4用紙で無料食堂の貼り紙をした。
 「もしどうしても、お腹(なか)がすいても、お家にお金がないときやお子さんにおいしいものをお腹いっぱい食べさせてあげたいのにご事情があってむずかしいときなどはコソっと店長に相談してください――」
 ツイッターで投稿すると、ひっそりと始めるつもりが、2万件を超える「いいね」が寄せられた。
 事情がある相手とはいえ、無料で料理を提供する試みが正しいのか今もわからない。「『こっちはお金を払っているのに』とほかのお客さんに言われたら、謝るしかないです」
 告知から2週間ほどたち、数人が利用した。金子さんは「ない方がいいんですけどね、こういうのは」と思いつつ、「いつか困った時のために頭の片隅で覚えておいてもらえれば」と考えている。
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 以上の内容ですが、店長の金子さんには本当に頭が下がります。特に「99人に騙されても1人を救いたい」という心意気に熱いものを感じます。ずいぶん前に「一杯のかけそば」という物語が日本中で話題となりましたが、とんかつ店「まるかつ」は現在進行形の実話です。これから年末にかけて様々な募金活動などの慈善活動が行われるでしょうが、すべて一人ひとりの善意に支えられています。少しでも協力したいものです。
 なおNHKニュースをご覧になりたい方は次のHPにアクセスしてください。
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/ohayou/308775.html

2018年11月26日

#207 日仏戦争勃発?

 寒気のせいで今朝は最低気温が大牟田では1.8度を記録し、今秋一番の寒い朝となりました。また最高気温も12.6度となり、晩秋というよりも初冬の一日になりました。季節は日一日と冬に向かって進んでいきます。今週末は冬支度の準備が必要になる週末になりそうです。
 さて、ここ数日間日本だけでなく世界も驚かせているのが日産前会長のカルロス・ゴーンの逮捕劇です。連日テレビや新聞等で報道されていますので、すでにご存じと思いますが、共同通信では本日次のように伝えています。
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共同通信「報酬不記載120億円かゴーン前会長、具体的指示」
https://this.kiji.is/438607481650201697

 金融商品取引法違反の疑いで逮捕された日産自動車の前代表取締役会長カルロス・ゴーン容疑者(64)が有価証券報告書に記載しなかった報酬は、逮捕容疑を含め少なくとも総額120億円前後とみられることが23日、関係者への取材で分かった。ゴーン容疑者が実際の報酬額と報告書に記載する額を、側近の前代表取締役グレゴリー・ケリー容疑者(62)に書面で具体的に指示していたことも判明。東京地検特捜部はこの書面を押収し、虚偽記載の実態解明を進めている。
 逮捕容疑の計約50億円に加え、直近3年間に計約30億円の報酬も記載しなかったとして、特捜部は立件を検討する。
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 今回の事件ではゴーンの単なる報酬の虚偽記載では終わらないような気がします。様々な憶測が飛び交っています。フランスのルノーと日本の日産・三菱は連合関係(不平等提携)の立場を取っていますが、ルノーは元々フランスの国営企業だった経緯があります。ルノーはゴーンをCEOとして残すと発表していますし、たとえ日産がゴーンの会長職を解任してもルノーに留まることになります。日産が経営危機に陥ったときには資本提携でルノーの力を借りましたが、現在は日産の売り上げによる利益がルノーの経営を支えている現実があります。
 様々な報道から憶測しますと、「ルノーが日産と三菱を完全支配下にする計画を日産が見抜き、ゴーンの虚偽記載を発端として日本側が資本提携の解除を画策したのではないか」ということです。フランス側では今回の事件を日本側のクーデターと考えているようです。ルノーにはフランス政府が支援しています。一方では日産・三菱グループには日本の通産省が支援しています。今回の件がカルロス・ゴーン個人の事件として片づけられない様相が溢れています。ルノーは以前にドイツのダイムラー社との資本提携をしていましたが、ルノーがダイムラーを傘下に引き入れる状況を危惧し、ダイムラー資本解消をした経緯があります。
 同じことを日産に対して画策していたのでしょうか。フランス政府とカルロス・ゴーンの動きを読み取り、今回の事件を契機として日産・三菱(日本側)の逆襲が始まったような感がしています。今回の事件がどのような結末を迎えるかはまだ分かりませんが、ゴーンは産業スパイとして日本の技術を他国に持ち出したというような憶測もあります。今回の事件では一企業を通して国家の戦略が見えてきます。いわゆる産業戦争です。武器を使わずにいかに相手国の経済を支配するかが現代の戦争の一形態です。事の顛末は推理小説よりも奇妙な結末を迎えるかもしれません。しばらくこのニュースから目を離せない日々が続きます。

2018年11月23日

#206 猿がスト!?

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 山は赤く 赤く色づいて 
 すすきが風に、風に揺れている
 朝はとても冷たい もうすぐ冬が来るね
 朝はとても冷たい もうすぐ冬が来るね
(♪26番目の秋 岡林信康)

 秋も深まり、木々の葉もようやく色づき始め、青空に紅葉が映える時期となりました。日中は気温が20度前後まで上がりますので爽やかで過ごしやすいのですが、朝晩、特に早朝は10度前後まで下がりますので、洗顔する水が冷たく、冬の到来を感じさせる今日この頃です。
 さて、面白いニュースを見つけましたので、早速引用させてただ来ます。

『高崎山職員サル代役 無料の日“スト”で午前現れず』(西日本新聞2018年11月18日)
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/466458/

 野生ニホンザルの餌付けで知られる大分市の高崎山自然動物園は17日、年に1度の感謝デーとして園を無料開放した。餌の減量などを理由にサルが山から下りてこない“ストライキ問題”が続いており、職員は動向にやきもき。午前中は寄せ場に現れなかったため、職員がサルに扮(ふん)して入園客を楽しませた。
 例年5千人が訪れる人気イベント。「主役のサルが不在でも入園客を楽しませたい」と、職員はかぶり物や頬を赤く染める化粧をしてサルに扮し、普段の高崎山の様子を紹介したり記念撮影に応じたりと奮闘した。
 同市の小学3年工藤真菜美さん(9)は、ボスザルが座る切り株の上でポーズを取り“ボス気分”を味わった。「サルに会いたかったけど、いつもなら入れないボスザルの席に座らせてもらえて楽しかった」と、特別サービスにご満悦だった。
 園のサルは、午前中に寄せ場に来ていたC群が姿を見せない日が増え、午後に訪れるB群もわずかな時間で帰るなど出現は不安定。この日は午後1時前からB群が寄せ場に現れ、園は通常の姿に戻った。ガイド担当の職員は「午前中から待っていたお客さんにサルを見てもらえてほっとした」と話した。

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 上記の記事が載る以前に「猿のストライキ」を扱う記事がありましたので、併せて載せておきます。

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『サルが“ストライキ” 餌への不満爆発、山にこもる 大分の高崎山』(西日本新聞2018年11月08日)
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/463831/

 大分市の高崎山自然動物園で、餌をやる寄せ場にサルが現れなくなっている。サル数を抑制しようと餌の量を年々減らしてきた園に対し、不満を募らせたサルが山奥に引きこもり“ストライキ”に打って出たのが原因で、群れの力関係も影響しているとみられる。書き入れ時の7、8月の来園者は例年より計1万人以上も減り、普段は穏やかな園で緊張感が高まっている。
 園によると、高崎山はもともと農作物を荒らす野生のニホンザルに餌付けし、観光資源にした施設。山にはB群(約640匹)とC群(約590匹)が生息し、寄せ場には午前にC群、午後にB群が現れるのが一般的だった。
 異変が顕著になったのは今春以降。C群は毎月10日ほどの“欠勤”が続き、9月は連続11日を含む22日間、10月も12日間、姿を見せなかった。B群も来ない日があるほか、わずかな時間で山に帰っていくなど、不安定な状態が続いている。
 園では、一時2千匹を超えたサルを800匹まで減らそうと、約30年前から1匹あたりの餌を少しずつ減量。B群で「餌への不満が爆発した」(職員)ため、餌が豊富な夏から秋にかけて山奥に引きこもるようになったと推察している。さらに餌場を広げようと山の外に出る様子も目撃され、寄せ場に来た時に木の実をたくさん頬張っているサルも確認されている。
 C群は、かつてのリーダー格が恋人を求めて次々にB群に入ったため、急激に弱体化。2016年以降、山の木の実などが減る冬場はB群が寄せ場を占拠するようになった。近づけなくなったC群は「寄せ場に来る習慣自体、なくなった可能性がある」という。
 サルの減少に伴い来場者は大幅減。7月は1万4166人(前年同月比4573人減)、8月は3万1290人(同6758人減)、9月は1万3421人(同4059人減)となった。園は今夏、デザートの芋を「紅あずま」などのブランド芋に変え、「スイーツの魅力」でサルを誘ってきたが、結果には結びついていない。
 さらに園が懸念するのはC群の消滅だ。今の群れの様子は、覇権争いに敗れて寄せ場に来なくなり、02年に消滅を確認したA群と似ているという。C群には、英国の王女と同名で有名になり、「選抜総選挙」で連覇した人気者のシャーロットもいる。
 A群が消滅した直後には、園を去ったサルが付近の畑などで農作物を食べる「猿害」が多発しており、同様の事態も心配している。
 サルたちの今後の動きは予断を許さない。園側は「慎重に経過を観察しながら対策を考えるしかない」と気をもんでいる。
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 猿が餌の量を不服としてストを決行するのですね。元々は野生の猿を餌食して観光にしたのが高崎山の動物園です。他所から猿を連れてきたのではなく、野生として住み着いていた猿を利用しています。猿から見れば餌をくれるので、餌場にやって来ただけなのでしょう。餌が少なくなれば当然猿たちは出て来なくなります。何だか、どこかの国の春闘のストライキに似ているような気がします。「ベースアップしないとストを決行するぞ!」「賃上げを行え!」と叫ぶ声が聞こえてきます。その点猿たちの行動ははっきりとしています。餌をくれなきゃ出ない!、何だかドタキャンした芸能人のコンサートに似ています。猿だといって馬鹿にできません。猿も人間も同じ行動をとる動物なのでしょう。面白い現象です。

2018年11月18日

#205 寺社、団体外国人に困惑

 昨今は世界的に日本ブームで、多くの外国人が日本を訪れています。日本政府も観光業に力を入れており、2020年の東京オリンピックに向けて大々的に観光としての日本を世界に売り込んでいます。多くの外国人が日本を訪れ、この国の歴史や文化、日本人の生活を理解するのは文化交流という点からも、外交の面でもこの国の利益になることであり、親日の外国人を増やすことで武力よりもはるかに効果があります。
 しかし、文化交流はあくまでも出会った人々が礼節をわきまえ、様々な親善活動を行うことで、お互いを理解し、それによって実り豊かな国交が行われます。自分の文化や習慣を他者に押し付けるだけでは文化交流にはなりません。その一例として、次のような出来事が昨日の西日本新聞の一面に載りましたのでご紹介します。
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『寺社、団体外国人に困惑 南蔵院、個人以外お断り 境内で大音量音楽、屋根に上って写真』
(西日本新聞 2018年11月10日)
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/464466/

 巨大なブロンズ製釈迦涅槃(しゃかねはん)像で知られる福岡県篠栗町の南蔵院が、観光で訪れた外国人団体客のマナー悪化を理由に受け入れを停止している。大音量で踊りながら境内の動画を撮るなど「集団になると風紀を乱す行為が目立つ」という。ただし、外国人を全面的に拒否する意図はないとして個人客は断らない方針。マナー違反に苦慮する宗教施設は他にもあり、国が外国人観光客受け入れに力を入れる中、文化の違いからくる摩擦にどう対処するか関係者は頭を悩ませている。
 南蔵院は、「ねぼとけさん」の愛称で親しまれる全長41メートル、高さ11メートルのユニークな釈迦涅槃像がインターネットで話題になり、毎年多くの外国人客が訪れる。
 南蔵院が停止措置を決めたのは約1年前。林覚乗住職によると、数年前から外国人団体客が増え始め、中には境内で大音量の音楽を鳴らして踊りながら動画を撮ったり、寺院の屋根に上って写真を撮影したり、水子地蔵の前で記念撮影するなどの行為も目立つようになった。注意をすると聞く人もいるが、「なぜ怒られるのか」と耳を貸さない人もいるという。
 林住職は「集団心理なのか団体の方がマナーが悪い。外国人を排除しているつもりはなく、祈りの場の雰囲気を壊す人は日本人でも退去してもらっている」と説明する。個人客には12カ国語による注意書きでマナー厳守を呼び掛けている。
 南蔵院はバスツアーを主催する旅行会社などに受け入れ停止の方針を通知しているほか、県や篠栗町などにネットの観光サイトから同院の情報を削除するよう要請。町は「人気のある南蔵院の情報を発信できないのは痛い」とこぼす。
 九州の他の地域でも同様のケースが起きている。熊本県八代市の八代宮では、クルーズ船で大勢訪れる外国人客によるたばこのポイ捨てやごみの放置などが増えたため、昨年8月から約2カ月間、船が寄港する日に合わせ施設を閉鎖。その後、市が警備員を配置するなどの対策に乗り出し、事態収拾を図ったという。
 一方、年間約1千万人の参拝客が訪れる太宰府天満宮(福岡県太宰府市)もトイレを汚すなどの行為に悩まされているが、「受け入れ拒否まではさすがにできない」として特別な措置は取ってないという。
 観光庁は、観光地での外国人客によるトラブルが増加傾向にあるとして実態調査を進めている。「南蔵院のようなケースが増えるようであれば、持続可能な観光推進はできない。調査を急ぎたい」(同庁外客受入参事官室)としている。
 南蔵院の林住職は「国は4千万人もの訪日外国人客の受け入れを目標に掲げているが、現場の苦悩にも目を向けてほしい」と話している。
■日本でのマナー 根気よく説明を
 九州大大学院比較社会文化研究院の松永典子教授(多文化共生教育論)の話 南蔵院の外国人客の受け入れ停止は、そうせざるを得ないほどひどい状況だったということだろう。ただ、文化の違いから起こりうることでもあり、日本で求められるマナーについて根気よく説明する必要がある。国も外国人観光客増加による観光振興を掲げる以上、大々的に相互理解を促すキャンペーンを展開すべきだ。そうすることで外国人客の理解を助け、マナーを巡る衝突回避につながると思う。
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 上記の記事は極端な例と思いますが、心無い外国人観光客による無謀と思える事件が日本国内で多発しています。「郷に入っては郷に従え」と言いますが、海外旅行をする際にはまず観光先の事情を入手しなければなりません。次に訪問先の歴史や文化を尊重し、人々のしきたりに従う必要があります。このことを無視すると必ず現地でのトラブルに巻き込まれます。特に団体旅行では羽目を外し、大騒ぎして現地の人達からひんしゅくを買います。
 これは日本人が海外旅行を解禁された1960年代にも起こりました。その時の生まれた日本人のイメージが、「眼鏡をかけて首からカメラを提げた日本人」です。当時団体旅行が主流だった日本人が世界中から、特に欧米から日本人のなりふり構わぬ行動を非難されたことがあります。さすがに当時から50年が経過し、海外旅行を楽しむ日本人はマナーが素晴らしい、と称賛されていますが、そのような時代があったことを決して忘れてはなりません。
 同様にこの国に観光に来る外国人も日本のしきたりを守る必要があります。自分の行動規範をそのまま訪問先に持ち込んではならないのです。あくまでも訪問地の風習やしきたりに従い、その範囲内で大いに観光を満喫することができます。このことを知らしめさせるのは個人ではなく、国の仕事です。日本政府観光局を始めとする外務省や法務省等が手を組み海外の観光客に周知徹底させる必要があります。外国人も日本人もお互いを理解し、文化交流を深めてもらいたいものです。

2018年11月11日

#204 創立4年目に入ります

 今日は早朝から雲一つない快晴で、秋らしい一日となっています。稲刈りはすでに終わり、田圃は地肌を見せています。昔は子ども達が稲刈り後の田んぼで脱穀した稲穂を利用して秘密基地を作り遊んでいました。今では子ども達が田んぼで遊ぶ光景は見られず、過ぎ去った時代の思い出になっています。
 さて今日11月4日は学習塾ニコラの創立日になっています。4年前の今日開塾しました。以前ブログにも書きましたが、なぜ11月4日が創立記念日なのか?その理由は簡単明瞭です。当塾のある建物の番地が114番だから11月4日なのです(笑)!
 実際、記念日など特別な日がたくさんあればあるほど、結構忘れるものです。例えば親兄弟の誕生日や命日、友人たちの誕生日など、増えれば増えるほど、うっかりして忘れることがよくあります。そこでうっかりミスを防ぐために、11月4日を当塾の創立日にした所以です。
 当塾創立以来4年目を迎えたわけですが、世の中はそれに伴うように多くの自治体や民間に問わず無料学習塾の創立、学習支援活動、子ども食堂などが国内に広がり、多くの子ども達が救われています。また世代を超えて災害地へのボランティア活動や慈善活動などが広がっており、以前に比べてボランティア意識が高まっているように思えます。
 それでも国民レベルで考えますとボランティア意識は欧米諸国と比べてまだまだ低く、山口県周防大島町で行方不明2歳の男の子を発見した「スーパーボランティア」と呼ばれている尾畠さんが今でもニュースで取り上げられるのは、彼の行為が珍しいからでしょう。尾畠さん曰く、「自分は今まで他人から助けてもらってきたので、お返しに奉仕活動を行っているだけです。」この言葉にボランティア活動の神髄があります。彼としては当然のこととして行ってきたことが、「世にも珍しい」としてマスコミが取りあげることが、この国のボランティア精神の低さを示しています。
 誰も一人では生きていけません。特に若い頃は親兄弟を含め多くの人に助けてもらって生きています。人生を歩み、家庭を持ち、子どもが成長し独立して、生活にある程度余裕ができれば、残りの人生は世の中に少しでも恩返しができるように生活ができれば理想的な晩年となるでしょう。作家の五木寛之氏が提唱している「林住期 りんじゅうき(初老/白秋)」(現役を退いたあと質素だがしがらみ(柵)から自由になる時期)を有意義に過ごすためにもボランティア活動は有意義だと思います。私はこの点において「世の中への恩返し運動」を提唱したいと思います。定年過ぎて時間的に余裕がある人は今までお世話になった世の中に恩返しとして、何かの形でボランティア奉仕をすることです。もちろんこれは自分に無理なくできる「身の丈に応じた活動」をすることを意味し、例えば子ども達の登下校の見守りや、町内清掃など、誰でもできることがたくさんあります。また子ども達に教える知識があれば、各自治体が行っている学習支援活動のボランティアとして子ども達に接することもできます。
 高齢者の悩みとして「周囲からの孤立や孤独」が挙げられますが、ボランティア活動を通じてこの孤立や孤独を無くすことができます。また子ども達から感謝されるという「おまけ」までもらえます。人生の晩節において若い時のように自己満足・欲望を追求することではなく、人のために役立っているという意識を持つことがこの人の生きがいとなり、他人とともに生きる「共生」がこれからの時代に必要なことと思われます。ボランティアの精神は誰もが持つことのできるものであり、利他の精神でもあります。

2018年11月04日

#203 老子の遺言(2)

 雨の多い1週間でしたが、一雨ごとに秋らしくなっているようです。夜の虫の合唱は夜間の気温が下がっているせいか、日ごとにその声が小さくなっているようです。冬を迎える前に死に絶えてしまう悲しみの声でしょうか、昨晩はか細い声で鳴いていました。私たちもそろそろ冬支度に入る頃となったようです。
 さて今回のブログも松原老子の珠玉の言葉をお届けします。101歳まで生きて来られた老子の深い言葉を味わって頂きたいと思います。

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「人は順調なときほど墜落の種を蒔き、
    逆境のときにこそ進歩の種が蒔けるのです。」

 あなたがたが今、逆境におかれているとしたら、とても幸福なことなのだと感じていただきたい。なぜなら、それは、あなた自身の人間育成のひとつのチャンスなのですから。
 逆境の中では自分の本意ではないこと、つらくて苦しいことが待ち構えているかもしれません。ときにはそんな人生を恨めしく思うこともあるでしょう。
 でも101年も生きた私が思うのは、いい人生を送るためのカギは逆境にあるということです。逆境をどう生き抜くかで、その後の人生は決まると言ってもいいでしょう。歴史を振り返ってみると本当に伸びている人は逆境に抗うことはなく、むしろ従いながら生きている。そして、もがき苦しみながらも、そこで何かを掴んでいく。努力をして進歩の種を蒔いているのです。
 逆に、人生が順調なときほど人間は堕落の種を蒔いていると思ったほうがいい。やることなすことすべてがうまくいっているときこそ気をつけなければなりません。知らぬ間に傲慢になり、忙しいと、とかく挨拶もろくにできなくなってくる。相手を思いやることもできなくなるから次第に嫌われかねません。つまりは調子にのるなと言いたいのです。調子にのると元も子もなくしてしまう。災いが出てくるわけです。
 もう一つ申し上げると、努力もせずに掴み取った成功は一瞬のことでしかありません。努力することを知らなければ、次第に怠惰心顔を出し、その成功をも消し去ってしまうでしょう。怠惰心というのは本当にクズだと思います。一時の成功に執着し、何もしないままでは生きる意味がありません。
 ですから嫌なこと、気に食わないことがあっても、それはもう浮世の務めだと割り切って従いましょう。その間に未来の自分への勉強をすればいい。逆境を心して乗り切ることで、人間は本当に伸びることができると思います。

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 松原老子の仰るとおり、70年代に高度経済成長で図に乗ったこの国の多くの企業が、先達者のように堅実に働くことを忘れて土地の売買や株式の売買で巨額の富を手にしました。しかしバブル経済が終了するや否や巨額の負債を抱え、多くの企業が倒産の憂き目に遭いました。その影響は今でも続いています。
 またこのことは個人においても言えることです。特に子どもの勉強は忍耐の連続です。「わからない。」「できない。」から逃げることは簡単ですが、それからは何も学ばないでしょう。勉強を通して「我慢すること」「忍耐」を学ぶことで道は開けます。
 また大人は自分の仕事に邁進することで、必要とされる技能を身につけ、それを元に自分の仕事のキャリアを広げることができます。仕事をせずに遊んでばかりいる人間は、一時的に楽な生活を送ることができても、人生のどこかでつまずき倒れます。そうならないように自分の生き方に責任を持ち、辿ってきた道を絶えず振り返ることで、実りある人生を歩むことができるでしょう。
 松原老子は1世紀を超える人生において様々な出来事を経験して英知を身につけ、それを元に日本社会に警鐘を鳴らされました。個人から企業、社会に至るまでいかに堅実に生きることが大切であるかを訴えて生涯を閉じられました。「人間万事塞翁が馬」、「好事魔多し」と言いますが、常に我が身を振り返り、日々努力を続ける大切さを老子は私たちに教えてくれています。

2018年10月28日

#202 老子の遺言(1)

生きる意味とは何なのか?よくそんな質問をされますが、答えは実に簡単です。
すべては他(ひと)のため、自分のためではありません。
人は他の役に立つことを目的に生まれたのです。
自信を持ってください。あなたはきっと誰かのために役に立ちます。

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 上記の言葉は2009年に101歳で遷化された臨済宗の僧侶、松原泰道氏の言葉です。氏が日本人への遺言として著された「つまずくことが多い人ほど、大きなものを掴んで成功している」の冒頭の一節です。次に以下のような文言が続きます。
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 「私は何のために生まれてきたのだろう?」「生きる意味とは?」。これは誰もが一度は心に問いかける大命題ではないでしょうか。しかし、この問題についての私の答えはいつもはっきりしています。
 生きる目的とは他(ひと)の役に立つことです。人間はそのために生まれたのです。自分のためではありません。なかには自分の人生は自分のものとおっしゃる方がいるでしょう。もちろんそれはその通り。ですから自分の人生を通して、いかに他のお役に立つかを考えればいい。なぜならあなたはひとりで生きていくことはできません。他との縁があってはじめて人生を育むことができるのです。
 追々お話ししますが、他のためとは自分のためであることと別物ではありません。他のために何かをするということは、翻って自分のためになるのです。そんな人生観を築くことができたら生きる意味や、やり甲斐を得ることができる。そしてそこに、喜びを見出すことができれば人生はより豊かになるでしょう。
 なに、大丈夫ですよ。あなたは必ず他の役に立つことができる。自信を持って前を向いて、進んでいってください。
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 松原泰道老子の書物は私が若い頃から読み親しんできたものですが、大往生を遂げられる直前まで多くの著書を世に出されました。本日引用しているものは2013年にマガジンハウスより出版され遺作となったものです。仏教関係の著述を通して絶えず私たち日本人に問いかけて来られた偉大な老子のお一人です。一読していただきたい著者の一人です。本書にちりばめられている言葉を最後に引用します。

・「人」はもたれ合いを意味する象形文字。「間」には巡り合いという意味がある。そう考えると、人間の在り方ははっきりとしています。
・ひとりで生きていくことは、誰にもできません。
・長い人生で気がついたのは、つまずくことが多い人ほど大きなものをつかんで成功しているということ。
・人生の中で起きた不幸な出来事は、どこから送られてきたかはわかりませんが、受取人は確実にあなただということです。受け取ったものをどう展開するか、そこはお手並み拝見というところ。
・人に救いを求めてばかりいたら、いつまでたっても幸せにならない。
・読書をしないということは考えることをしないに等しい。本の中には先人の知恵、苦労した人の考え方、何でもかかれています。参考にしない手はありません。
・解決した人生などありません。私自身101歳になった今でもどう生きて行こうか、毎日自問自答しています。
・この世に不変なものはひとつもない。もちろん、変わらぬ愛などありはしない。
・感動できなくなったら、人間は終わり。進歩しません。

2018年10月21日

#201 誰もいない海

今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆきすぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくてもつらくても 死にはしないと  
(♪トワエモア)

 一日ごとに秋らしくなってきています。この時期は早朝と日中の温度差が一年で最も大きく、最低気温が10度近くに下がりますが、最高気温が24度前後あり、昼間は半袖でも過ごしやすい気候です。しかし、夜はかなり冷えますので、風邪を引いたり、体調を壊したりしますので健康に充分ご留意下さい。
 さて、冒頭の歌詞は伝説のデュエット「トワエモア」のヒット曲「誰もいない海」の歌詞の冒頭です。夏には海水浴に多くの人が海を訪れますが、この時期になりますと朝夕散歩で訪れる人がいる程度で、日中浜辺で戯れる人はすっかりいなくなり、静かな海に戻ります。次に賑やかな海に戻るのは来春の潮干狩りの時期でしょうか。
 人間は現金なもので、自分が必要としているものについては褒め称え賛美します。卑近な例は桜花です。毎年桜の満開の季節には多くの人が身近な公園に足を運び、桜花の下で宴を催しますが、桜の花が散ってしまうと見向きもされなくなります。そのような桜木は来年の開花に向けて人知れずに秋には蕾をつけ、蕾のままで越冬して春にまた開花します。このように考えますと、海にしろ桜花にしろ、人が存在する以前から同じことを延々に繰り返し続けています。変わっていくのはいつも人の心です。
 海で思い出しましたが、昨今世界中で問題になっているのがプラスチックごみの問題です。特にマイクロプラスチックごみは外洋まで達しており、海洋生物に多大な影響を与えています。ニュースでよく引用される動画がウミガメの鼻に刺さったストローを取り出す場面です。ウミガメが痛さのあまり涙をこぼす画面が世界に衝撃を与え、特にアメリカではプラスチック製ストロー全廃に向けて大きな一歩に繋がる要因となりました。このプラスチックごみの影響に関して東京大学は次のようなコメントを出しています。
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 海の生き物に必要な栄養は、まず、海の表層にいる植物プランクトンが、太陽の光を受けて光合成で作りだします。それを小さな動物プランクトンがえさにして、さらに魚などが、その動物プランクトンを食べます。
この動物プランクトンが、植物プランクトンと間違えてマイクロプラスチックを食べてしまっていることが、最近の研究でわかりました。この動物プランクトンを魚が食べ、その魚をさらにサメやクジラのような大型の生き物が食べることで、海の生き物全体にマイクロプラスチック汚染が広がっていくる可能性があります。また、動物プランクトンが栄養のないマイクロプラスチックを食べて満腹になれば、発育不足になって生態系のバランスがくずれるかもしれません。
 プラスチックにかぎらず、物体の表面にはさまざまな物質が付着しやすいので、マイクロプラスチックが生き物の体内に入れば、それと同時に、表面についた有害な物質が取り込まれる可能性もあります。プラスチックそのものに有害な物質が添加されていることもあります。
実際に、魚や貝、水鳥などの体内から、プラスチックや、そこから溶けだしたとみられる有害物質がみつかっています。
 プラスチックのごみは、海流や波、風によって世界の海に広がっていきます。その実態調査には費用も人手もかかるので、全体像を正確に把握できるところまではいっていません。
とくにマイクロプラスチックについては、海面で確認される量が予想より少なく、どこかに行ってしまっているのを見逃しているという見方もでています。相当な量のマイクロプラスチックが、すでに海のどこかにたまっているのかもしれません。
(東京大学海洋アライアンス)https://www.oa.u-tokyo.ac.jp/learnocean/news/0003.html
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 プラスチックは私たちの現代生活にとり必要不可欠なものですが、私たちが気づかないところで様々な悪影響を与えています。それが回り回って人間の生活に悪影響を与えることになります。プラスチックを材料にしたPETボトルは環境ホルモンの一因になっており、私たちの日常生活に忍び寄ってきます。文明の利器を利用する際には将来の影響を考えるだけでなく、地球の生物に与えうる潜在的な可能性にも目を向ける必要性があります。

2018年10月14日

#200 この秋に

 今日は体育の日で、3連休の最終日になります。連休初日は台風25号の影響で九州地方は日中暴風や強風が吹き荒れた天気でしたが、昨日は秋らしい爽やかな一日でした。所用で福岡に行きましたが、電車の車窓から見える田園風景は稲が黄金色に輝いており、稲刈りが進んでいる田圃もありました。空気もかなり乾燥しており、背振山地や久留米の高良山は細かな山肌まできれいに見えるほど空気が透き通っており、秋らしい一日でした。また今日は昨日と同じように晴天の一日ですが、やや湿度が高くて蒸し暑く、室温も29度まで上がり、一転晩夏に戻ったような空気感があります。
 さて、このブログも今回で200回を迎えました。開塾と同時に始めたブログですが、週1回のペースでのんびりと書き続けていますので、不特定少数(笑)?向けに4年近く続けたことになります。この間読んでいただいた方々も累計で6000人を超えました。心より感謝申し上げます。学習塾ニコラが続く限り、このつたないブログ「ひつじの独り言」も続きます。
 ところで、秋と言えば「読書の秋」「食欲の秋」など様々な秋がありますが、皆さんの秋はどのような秋でしょうか。人生もよく四季に例えられます。人生のそれぞれの時期を「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と表現しますが、秋は「白秋」となります。柳川育ちの北原白秋の「白秋」です。ここで余談ですが、北原白秋の生い立ちをウィキペディアより引用します。
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【北原白秋】
1885年(明治18年)1月25日、熊本県玉名郡関外目村(現・南関町)に生まれ、まもなく福岡県山門郡沖端村(現・柳川市)にある家に帰る。父・長太郎、母・シケ。北原家は江戸時代以来栄えた商家(油屋また古問屋と号し、海産物問屋であった)で、当時は主に酒造を業としていた。1887年(明治20年)、弟・鉄雄が生まれる。またこの年、白秋に大きな影響を与えた乳母・シカがチフスで逝去する。
1891年(明治24年)、矢留尋常小学校入学。1897年(明治30年)、柳河高等小学校より県立伝習館中学(現・福岡県立伝習館高等学校)に進むも、1899年(明治32年)には成績下落のため落第。この頃より詩歌に熱中し、雑誌『文庫』『明星』などを濫読する。ことに明星派に傾倒したとされている。1901年(明治34年)、大火によって北原家の酒蔵が全焼し、以降家産が傾き始める。白秋自身は依然文学に熱中し、同人雑誌に詩文を掲載。この年、初めて「白秋」の号を用いる。1904年(明治37年)、長詩『林下の黙想』が河井醉茗の称揚するところとなり、『文庫』四月号に掲載。感激した白秋は父に無断で中学を退学し、早稲田大学英文科予科に入学。上京後、同郷の好によって若山牧水と親しく交わるようになる。この頃、号を「射水(しゃすい)」と称し、同じく友人の中林蘇水・牧水と共に「早稲田の三水」と呼ばれた。1905年(明治38年)には『全都覚醒賦』が「早稲田学報」懸賞一等に入選し、いち早く新進詩人として注目されるようになる。この頃、少年時代南関の家で本を読み、白秋に本の大切さを教えた叔父が亡くなる。
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北原白秋は多くの童謡の詩も残しています。例えば「雨降り」「ゆりかごのうた」「砂山」「からたちの花」「この道」「ペチカ」「あわて床屋」「待ちぼうけ」「城ヶ島の雨」など今でも多くの人が口ずさむ童謡がたくさんあります。柳川は観光地として多くの外国人が来ていますが、私の母の故郷ですので、私が幼い頃には毎年柳川を訪れていました。ここ数十年は母の故郷を訪問することもありませんが、いつか暇を見つけて遠い昔に母と歩いた田舎道をこの秋に歩いてみようと思っています。

2018年10月08日

#199 グラミン銀行が日本へやって来る!

 前回の台風21号よりもさらに強い台風24号が現在沖縄を通過しています。明日(9/30)は九州から近畿地方まで西日本は台風の影響が終日続きます。前回の台風は関西空港を始めとする多くの重要な施設が大きな被害を受けましたが、今回も大きな被害が想定されますので、台風の進路に当たる方々は充分ご注意願います。
 さてグラミン銀行という言葉を初めて聞かれた方が多いのではないかと思います。私自身も2、3年前に英検の問題集で初めてグラミン銀行のことを知りました。御存じない方々へブリタニカ国際大百科事典より引用します。(https://kotobank.jp/word/グラミン銀行)

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【グラミン銀行】
 バングラデシュの特殊銀行。貧しい人々を対象に無担保で少額融資(マイクロクレジット)を行う銀行で、その創設者ユヌス博士とともに2006年のノーベル平和賞を受賞した。
 グラミン銀行誕生のきっかけは、ユヌスが体験した1974年のバングラデシュの大飢饉(ききん)であった。当時、チッタゴン大学の経済学部長であったユヌスは、貧困のために飢えて死んでいく人々を救う方法を模索し、考え出したのが少額融資による貧困撲滅計画「グラミン・バンク・プロジェクト」であった。少額融資事業を始めたのは1976年からであるが、1983年に特殊銀行として正式に発足、ユヌスはその総裁に就任した。なおグラミンとはベンガル語で「村の」という意味である。
 銀行の株は政府が60%、残り40%をメンバー(1人1株)が保有する。銀行の特徴としては、融資の対象が貧しい人に限定されていることである。さらに融資を受ける人は5人のグループを形成し、担保を必要としないかわりに、返済については連帯責任となる。また毎週集会が開かれ、それへの参加も義務づけられている。グラミン銀行は、融資するだけでなく、この集会を通じて、識字教育、保健衛生の普及、家族計画、職業訓練などのプログラムを実行している。バングラデシュの農村部における識字率は1997年現在で男性44.5%、女性35.3%にすぎず、グラミン銀行の活動は教育の普及、生活向上にも役だっている。イスラム教の盛んなバングラデシュでは、女性の地位が低い。とくに女性が就職や財産管理などの経済活動を行うことを嫌う傾向がある。そのため、グラミン銀行から融資を受ける人は、自分で自由になる金銭を求める女性が圧倒的に多く、2006年ではメンバーの95%が女性で占められ、勤勉な女性が経済的に自立できる例が多くみられている。一方、グラミン銀行に対して、年20%という高金利、相互監視のようなグループ連帯保証などに対し批判の声もある。しかしグラミン銀行で成功したマイクロクレジットは、開発途上国はもとより、先進国にも広がりをみせている。2006年10月現在、メンバー数は667万7000人、累積融資額は57億7000万ドルであり、融資の返済率は99%に達している。
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 この銀行が今秋日本で活動する記事が先日ネットに掲載されました。この銀行は貧しい人にお金を貸すのではなく、貧しい人たちの起業を通して援助し、教育活動も行う団体で、上記の記事のようにバングラデシュで成功を収めています。グラミン日本のHP(https://grameen.jp/about/)から引用しますと、

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 先進国と呼ばれる日本。しかしながら、格差は徐々に拡大し、今では国民の6人に1人が貧困ライン以下での生活を余儀なくされています(*)。現代の日本では、貧困は失職、病気、ケガ、事故、配偶者との離別・死別などによってほとんどの人に起こり得る、明日は我が身の問題になっています。
グラミン日本は、貧困や生活困窮の状態にある方々に低利・無担保で少額の融資を行い、こうした方々が起業や就労によって貧困や生活困窮から脱却し自立するのを支援するマイクロファイナンス機関です。これまでの金融ではカバーされなかった人たち、たとえば働く意欲はあっても今は生活が苦しいシングルマザーやワーキングプアの人たちに、生活資金ではなく、「起業や就労の準備のためのお金」を融資します。
私たちは、働く場所があるということが真の意味で人を貧しさから救う、そして融資資金はそのための種(シード)になると考えています。
グラミン日本は、開発途上国のみならず、欧米先進国でも貧困削減に効果(**)を上げているグラミン銀行の日本版です。日本の実態にあった方法で運営します。
貧困のない、誰もが活き活きと生きられる社会をつくりたい、それが私たちの想いです。
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 確かに生活保護のような生活資金を与えるだけでは生活保護者に働く機会を与えることにはならず、貧困の解消には繋がりません。意欲のある貧困の人達が集まって起業することにより生産性が高まり、それから生じる利益により貧困から抜け出すことができます。ただし、これまでは起業する資金が借りられなかったことが現状でした。グラミン銀行は貧しい人たちの起業を支援する目的で創設されました。一人では何もできませんが、数名集まれば知恵や技術も集まり、そこから起業することも可能です。日本の銀行では資金援助をしない場合でも、グラミン銀行は支援してくれます。日本社会でグラミン銀行が根付くことが今後の課題ですが、貧困にあえぐ人たちが自立するためには必要不可欠な銀行です。これからグラミン銀行に注視していく必要があります。

2018年09月29日

#198 アルツハイマー病は脳の糖尿病だった!?

 今日は秋分の日です。昼間と夜の時間が同じで、明日からは夜の時間が長くなっていきます。また本日はお彼岸の中日でもあり、多くの人が墓参に出かけていくことでしょう。日本以外でお彼岸の習慣があるかどうか分かりませんが、春と秋の彼岸に墓参するのは祖先を敬う意味でも日本の素晴らしい伝統だと思います。
 さて9月21日は「世界アルツハイマーデイ」でした。世界中でアルツハイマー病に罹る人が急速に増えています。本日のブログのテーマである「アルツハイマー病は脳の糖尿病だった」は以前私が読んだ本(『アルツハイマー病は「脳の糖尿病」 2つの「国民病」を結ぶ驚きのメカニズム (ブルーバックス)』)の感想ですが、それ以降の情報が今週の「週刊新潮」で特集記事が掲載されていましたので、ここに取り上げてみます。
 私は専門家ではありませんので、詳細に説明することができませんが、2025年には患者数が国内で700万人を超えると言われている認知症のうち8割がアルツハイマーと言われています。この病気には現在根本的な治療法がありません。換言すれば病気の進行を止める薬や治療法がないのが現状です。現在行われている研究で分かっていることは脳内のたんぱく質であるアミロイドβが溜まることによりアルツハイマー病が引き起こされるということです。
 ところが最近の研究で”アルツハイマーは脳の糖尿病ではないか”、という仮説が出ており、それを元に様々な研究が現在行われています。この説によると、糖尿病患者にアルツハイマーを患う割合が多く、糖尿病と深い関係のあるインスリンがアルツハイマーの発症と深く関わっていることが判明したそうです。「新潮」の記事を引用しますと、
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「健康な状態では、すい臓で作られたインスリンは血液脳関門という、脳にある”関所”を通過して脳で作用する。ところが、インスリン抵抗性の状態(体がすい臓から分泌しているホルモンのインスリンが、標的とする細胞(筋肉や脂肪)に十分作用しないこと)だと、インスリンは血液脳関門を超えられず、脳まで届かない。インスリンは記憶を司る海馬などにブドウ糖を取り込む働きがありますが、インスリンが届かなければそれが出来ず、記憶力が低下する。また、脳の神経伝達物質であるアセチルコリンはブドウ糖で作られるために、インスリンが脳で上手く作用しないと、アセチルコリンの機能低下にも繋がるのです。」
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 人が長生きすことは素晴らしいことですが、人がより長生きすることで以前は発症しなかった老化に関連する様々な病気が発症するようになります。アルツハイマー病も「恍惚の人」や「老人ボケ」などと呼ばれた時代もありましたが、現代では国民病と呼ばれるくらいに事態は深刻化しています。私事ですが、先日若年性アルツハイマー病で私の友人の一人が亡くなりました。
 この病気は誰にでも発症する可能性があり、他人事とは思えません。この病気は患者本人が気づかないままに、発病する20ほど年前に脳内にアミロイドβの沈着が始まるそうで、年を取れば誰にも罹患する可能性があります。アルツハイマー病を始め、根本的な治療法のない病気に対する研究が進み、少しでも病気に悩む人たちへの福音となるように医学研究の進展を望みたいものです。

2018年09月23日

#197 もう一つの時代の終わり

 今日は敬老の日ですが、今朝のテレビ各局のワイドショーで昨日紹介しました安室奈美恵さんのラストライブの特集と樹木希林さんの訃報を報じていました。樹木希林さんは昭和から平成を代表する女優さんで、テレビの「時間ですよ」や、「寺内貫太郎一家」に出演して、特に「寺内」ではおばあちゃん役が大評判で、西城秀樹さんと息の合った配役はお茶の間を毎回沸かせていました。また偉大な女優さんが逝ってしまいました。ご冥福をお祈り申し上げます。
 さて安室奈美恵さんは今年デビュー25周年で引退したわけですが、もう一人今年デビュー50周年を迎えた歌手がいます。マスコミはほとんど取り上げませんでしたが、この人物もおそらく日本の歌曲史上に名を遺すことでしょう。その名は岡林信康です。知る人ぞ知る「フォークの神様」と言われている人です。1968年に「山谷ブルース」でデビューした彼は自作自演の弾き語りスタイルで脚光を浴び、その後はっぴいえんどとロックに挑み、都会から離れた山村での生活を通して生まれた演歌風作品は美空ひばりとの交流につながりました。以降も歌謡ポップス、テクノポップスと演奏スタイル変えていき、現在は日本伝統の民謡のリズムを取り入れたエンヤトットを中心に活動しています。彼の作った歌は決して万人向けの楽曲ではありませんが、彼の主張する生き方や考え方には共感する熱狂的なファンがたくさんいます。多くのミュージシャンが彼を尊敬しています。
 私は中学1年生で彼の歌に出会いましたが、その衝撃は今でも忘れません。それ以来45年ほど彼の「追っかけ」をしています。彼との出会いがなければ音楽を趣味にしていないでしょう。彼は今年72歳になり、本人は明言していませんが、年齢的に現在行われている全国ツアーが最後の活動になるかもしれません。先週の木曜日と金曜日にコンサートが福岡で行われ、私は金曜日のコンサートに出かけました。コンサート会場は普段と違い、70歳前後の老人?が多く集まって、老人会のような雰囲気でした(笑)。彼の容貌はさすがに72歳の年齢は隠せず、歌の大半椅子に座って歌っていましたが、その歌声は若い時と大差なく、伸びのある声が印象的でした。2時間を超すコンサートでしたが、最後まで気力溢れる姿を目にすることができました。もしこれで彼が引退すれば、「フォークソングの一つの時代」が終わります。
 彼の歌の魅力は実生活から生まれた歌詞と旋律豊かな曲のみごとな調和です。そして彼の歌の一番の魅力は歌詞の奥深さです。

♪自由への長い旅
 いつの間にか私が私でないような
 枯れ葉が風に舞うように小舟が漂うように
 私がもう一度私になるために
 育ててくれた世界に別れを告げて旅立つ
 信じたいために疑い続ける
 自由への長い旅を一人
 自由への長い旅を今日も

 この道がどこを通るのか知らない
 知っているのは辿り着く所がある事だけ
 そこが何処になるのかそこで何があるのか
 分からないまま一人で別れを告げて旅立つ
 信じたいために疑い続ける
 自由への長い旅を一人
 自由への長い旅を今日も

 この歌は彼自身が永遠の新曲だと言っていますが、人生を旅に例え、旅人として日々生きていくことを示唆しています。また彼の楽曲で一番好きな歌詞が「山辺に向かいて」です。達観した人生観を表わしています。


♪山辺に向かいて
 緑に濡れている山 赤く燃えてる山
 白い眠りにつく山 いろんな色に
 姿を変えて生命は巡る 街から遠く 
 そんな風に見えた

 山の雪は川に落ち 川は海に注ぐ
 水はいつか空の雲 流れるように
 姿を変えて生命は巡る 街から遠く 
 そんな風に見えた

 無理やり冬を生きてた そんな気持ちがした
 何かをひとつの色に 閉じこめていた
 巡る生命の音が聞こえる そいつに乗れば 
 素敵なことだろう

 いろんな顔を見せてよ まだ見ぬ俺の
 たやすく決めつけないさ 自分のことを
 巡る生命の音が聞こえる そいつに乗れば 
 素敵なことだろう 

 緑に濡れている山 赤く燃えてる山
 白い眠りにつく山 いろんな色に
 姿を変えて生命は巡る 街から遠く
 そんな風に見えた

 Youtube等で上記の歌を一度お聴きください。岡林信康の生きざまが歌の端々ににじみ出ています。彼の魅力の一端に触れることができるでしょう。今年72歳になった岡林信康ですが、50年歌い続けることは並大抵のことではありません。様々な音楽ジャンルを通して自分の音楽スタイルを絶えず追求してきた岡林信康。いつまでも現役で歌い続けて欲しいと思っています。

2018年09月17日

#196 一つの時代の終わり

 昨日は多くのテレビ局で安室奈美恵さんのラストライブのニュースを報道していました。彼女は1990年代から現在まで日本の音楽界をリードしてきた一人です。昨日の具体的なライブの内容は報道管制が敷かれていますので、明日にならないと詳細は分からないそうですが、90年代の音楽界だけでなく流行や彼女の言動など様々な影響をこの国にもたらした人物です。彼女のファンのことを「アムラー」という言葉で表現したこともあります。この言葉が流行った当時、私はオーストラリアにいましたので、この言葉を初めて聞いたときに新しい携帯電話(セルラー・フォン)が発売されたものと思っていました(笑)。現代はすべてネットで情報が入手できますが、1995年当時はウィンドウズ95が発売された時代で、インターネットを通して今ほど情報が簡単に手に入る時代ではありませんでした。特に芸能記事はそれほどネットで拡散されていない時代でしたので、キンキ・キッズという言葉も関西地方に住む子どものことかと思っていたほどです。この言葉の意味を後で聞いて赤面しました(笑)。「歌は世につれ世は歌につれ」とよく言われますが、確かにそれぞれの世代にはそれぞれのアイドルやスターがいて、彼らとともに一緒に過ごした時代を共有します。その人物の引退とともに一つの時代が終わったと感じます。安室さんはその最たるものではないでしょうか。特に30代から40代の人にとって彼女の引退は感慨深いものがあるでしょう。
 もうひとつ昭和から平成の時代の終わりを示すニュースが先日ありました。それは毎年福岡市の大濠公園で開催されていた「西日本大濠花火大会」が今年で終了したことです。今年の花火大会の開催日には大会終了の件について全く報道されていませんでしたが、先日の主催者である西日本新聞紙上で、花火大会終了のあいさつが掲載されましたので、それを引用します。(https://www.nishinippon.co.jp/nlp/event/hanabi/)

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「西日本大濠花火大会」終了のごあいさつ 
 福岡の夏の風物詩として親しまれる弊社主催の「西日本大濠花火大会」は、今年も8月1日夜に行い、多くの市民の皆さまに夜空を飾る大輪の花をお楽しみいただくことができました。誠にありがとうございました。
 戦後まもなく福岡市中央区の福岡県営大濠公園を会場に始めた当大会は、数度の中断・休止を経て今回で56回を数えました。
 半世紀を超す歴史を刻む間に、福岡市は飛躍的な発展を遂げ、大濠公園を取り巻く環境も激変しました。観覧者の増加や急速な周辺開発に伴って、安全な大会運営は大きな曲がり角に来ています。数年来、主催者として観覧者ならびに周辺の安全確保の議論を重ねてまいりましたが、「2019年以降は実施が難しい」と判断するに至りました。楽しみにされる方が多数おられることは重々承知しておりますが、安全確保の観点から断腸の思いで、ここに大会の終了をお知らせいたします。
 長年にわたり、大会運営にご協力・ご支援いただいた関係者、大会を愛してくださった皆さまに心より感謝を申し上げます。
 「西日本大濠花火大会」は1949年、戦没者の鎮魂と戦後復興を目的に始まりました。まだ戦争が色濃く影を落としていた時期です。翌50年の大会開催を報じる西日本新聞紙面は、緊迫する朝鮮戦争の状況も掲載しています。大会は文字通り、平和と豊かな暮らしを希求する戦後日本とともに歩んできました。
 67~78年の間、大会は中断しましたが、福岡市制90年・大濠公園開園50年の79年に復活して以降、大濠公園改修工事(88年)の年を除く毎年開催し、福岡の夏に欠かせない行事として定着しました。多くの方々に愛され、楽しんでいただく大会を主催できたことは、私たちの喜びであり、誇りでもありました。
 大会運営は順調な年ばかりではありませんでした。台風接近でやむなく順延した年もありました。天候不順のため、朝から夕方まで開催の有無を尋ねる電話が鳴りやまなかった年もありました。上空の風が強くて花火の形が乱れた年、逆に無風で花火が煙に包まれた年もありました。花火の燃えさしが近隣の施設や住宅に飛散し、きついお叱りを受けたこともあります。毎回課題に悩みながらも、大会を待ち望んでくださる皆さまを思う一心で改善を図り、これまでやり通してまいりました。
 市街地の大濠公園で催す大会は、国内で他に例のない「全方向から観覧できる都市の花火大会」でもあります。福岡市の成長や交通網の整備も相まって、会場および周辺に集まる観覧者数は毎年40万人を優に超える規模に膨れ上がりました。一人でも多くの皆さまが観覧できるようにと願い、安全対策に努める福岡県警察や福岡市消防局の指導を仰ぎながら細心の注意を払って大会運営に携わってきました。
 それでも、主催者として「安全・安心」の確保に限界もあります。今年は過去最多の警備員、誘導員を投入して場内整理を行いました。出入り口の特設監視カメラも駆使し、危険回避に努めました。混雑具合に応じて細かく入場規制も実施しました。しかし一歩間違えば雑踏事故につながりかねない観覧者の滞留が、随所で発生しました。
 規制に反して入場しようとする方、出入り口以外から会場に侵入を試み、負傷して病院に搬送された方もいました。園児や児童が大切に育てていたヒマワリ花壇が観覧者に踏み荒らされるという痛恨の出来事は、会場の収容人員をはるかに超える観覧希望者が殺到している現状の一端だったとも言えます。周辺道路に人があふれ、多数の座り込み観覧が生じていることもパトカーや消防車の緊急出動を妨げかねず、街の安全を脅かしています。
 今夏の猛暑も混雑に拍車をかけました。多くの観覧者が開始時刻の午後8時の直前まで公園外で待機し、開始と同時に一気に入場する現象が起きました。誘導員が整理に努めましたが、一時は制御能力を超え、身の危険を覚えるほどの事態に陥ったことも事実です。
 幸いにもこれまで、福岡県警察、福岡市消防局、同市交通局をはじめとする運営関係者の努力、観覧者の協力を得て大事故もなく大会を続けることができました。私たちも「何としても大会を維持したい」と、踏ん張ってまいりました。しかし、昨今の現場の混雑ぶりや事故を懸念する数々の指摘、安全対策の限界といった事情を考え合わせると、これ以上の継続は難しいと結論づけざるを得ませんでした。
 「西日本大濠花火大会」を愛し、支えてくださった皆さまありがとうございました。皆さまの思いを重く受け止め、私たちはこれからも街ににぎわいをもたらす催しに取り組んでまいります。変わらぬご支援をよろしくお願いいたします。
西日本新聞社 代表取締役社長
柴田 建哉
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 福岡市民や毎年花火大会を楽しみにしていた多くの人々にとって晴天の霹靂だったことでしょう。いつまでも続けてもらいたい夏の風物詩でした。しかし上記の「終了あいさつ」にありますように、来場者数が限度を超えており、また観客のマナーの悪さや風紀を乱すことを懸念した主催者側の憂慮も充分理解できます。それほどまでに福岡市が大きくなりすぎたと言えるのではないでしょうか。3年前までおよそ40年ほど暮らした福岡市ですが、人口が増えるにつれて福岡の古き良き時代が消えてしまい、大都会にありがちな慌ただしい街へと変化したように思います。そこには博多人の粋な生活はなく、雑多なせわしい日常が存在するのみです。時代が変化するにつれて、良くも悪くも様々なものが変わっていきます。安室奈美恵引退と西日本大濠花火大会終了はその象徴のように思えます。

2018年09月16日

#195 真の意味?

 昨日と本日は秋雨前線の影響で最高気温が25度を下回り、先週の真夏のような天気とは真逆にすっかり秋らしい天気となっています。このまま本当の秋になってもらいたいのですが、まだまだ残暑が続く予報が出ています。また先日の台風21号や北海道の地震で亡くなられた方々に心より哀悼の意を表しますとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。また日本に近づく台風22号の今後の動きにも注視したいと思います。
 さて日本が中国から漢字を取り入れて2000年近い時間が経ちます。その間に日本でも様々な漢字が作られています。例えば「峠」は日本人が発明した漢字です。このように日本社会では漢字を使用しないでは生活できないほどに漢字の存在が日常生活の奥深く入り込んでいます。また日本人が使う文字も多種多彩で、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字など日本語学習に取り組んでいる外国人を悩ませています。私たち

”ネイティブ日本人”も日本語の表記には困惑することが多々ありますので、外国人にとっては確かに不可解な言語と思われるでしょう。
 ところで、私たちが頻繁に使用している漢字の中に「真」があります。「しん」や「まこと」と読みますが、元来どのような意味なのかご存知でしょうか。この「真」を明確に説明しているサイトを偶然見つけましたので、ここに引用します。(https://www.epochtimes.jp/2018/09/36014.html)

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 日本人の名前にも「真」の字は男女問わず多く使われており、とても身近に感じる漢字ですが、古代にこの漢字に込められた本当の意味とは何でしょうか。生まれたばかりの赤ちゃんの命名にお悩み中のお父さん、お母さん、気になる異性の名前の意味をひも解きたいお年頃のみなさん、ぜひご参考ください。
今回は第一回目なので、古代の漢字の成り立ちからご紹介します。
【漢字の成り立ち】
 黄帝(こうてい)が治世した時(紀元前2500年ごろ)蒼頡(そうけつ)という史官がいた。彼は、古代から伝わる縄を結んで事を記述する方法で、史実を記した。しかし、時間が経つと、結び目を付けた縄がたまり、何を記録しているのか分からなくなるという問題があった。ある日、彼が狩りに出かけると、三叉路で同行の年寄りたちが言い争いを始めた。ある老人は、その先にカモシカがいるから東へ行こうと言い、もう一人の老人は、その先遠くないところに鹿の群がいるから北へ行くと言う。更に別の老人は西へ行くべきで、その先に2頭のトラがいるからと言い張った。
 蒼頡がそれぞれに根拠を尋ねてみると、皆は地面に残っている野獣の足跡を見て判断したのだと言う。その時、彼は一瞬ひらめいて喜んだ。「一種類の足跡が一種類の野獣を表すことができるのならば、私も符号を使って記録したいものを表現できるではないか」。彼はすぐに走って家に戻り、物事を記述する符号の作成に取り掛かった。人に邪魔されないように、彼は閉じ籠って一心に様々な符号を作り始め、それらを「字」と名付けた。
 最初に造った字は、すべて事物の形態を真似て描いたものだった。例えば「日」は丸い太陽を真似て描いたもので、「月」は夕月の形をなぞったものであり、「人」は人間の側面を、「爪」は鳥獣の爪の形を観察して描いた。彼はこのように細かく万事万物を観察し、大変な苦労を経て様々な字を造り上げた。黄帝はこれを知って大いに蒼頡を賞賛し、各部落に行ってこれらの符号の使い方を教えるよう命じた。こうして、彼が造った字は広く使われるようになった。

【漢字の意味を説明する書「説文解字」】
 中国の漢の時代の許慎(きょしん)が、漢字の成り立ちやその本義を部首ごとにまとめた書を「説文解字(せつもんかいじ)」という。第一回「毎週一字」でご紹介する漢字「真」について、「説文解字」には以下のように書かれている。
 真,漢代許慎《說文解字》曰:仙人變形而登天也,此乃真之本義。
さて、中国語が分かる人も分からない人も、古代に「真」に込められた本当の意味を悟ることができますか。
【「真」の意味】
 漢字の「真」は、上部の「十」と、真中の「目」という文字から成る。「十」は、仏教でいうところの「十方世界(宇宙には十次元、またはそれ以上の異なる次元が存在するという考え方)」を意味し、その下に「目」があることから、全ての次元を見通す「佛の目」を表す。古代中国では、神や佛、仙人などの人間より高い次元に住む生命のみが、真実を見通す力があると信じられていた。彼らは肉体を持たず、自由自在であり、何によっても束縛されないからである。一方、人間は己の主観思想に限定され、人間の肉体が知覚する感覚によって、気分も考えも翻弄されてしまう。
 「真」はまた、中国古代から伝わる道教で非常に重んじられている。道教では、教えに従って修練を積み、「真」を求め、「真人」になることを目指す。真人は、どのような概念、観念、感覚からも解放され、自由自在である。真人の心は完全に「無」であり、だからこそこの世のいかなる要素からも束縛されないのである。
「真」と対象的なのが中国語の「假(うそ)」や日本でもお馴染みの「偽」である。この二つの文字に共通するのは人偏である。嘘、偽りなどは、人間の心から生まれると古代から信じられてきたからである。
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 私たちが何気なく使用している感じですが、「真」の文字だけでもこのような深い意味が込められているのですね。漢字の持つ奥深さを改めて感じますとともに、漢字を生み出した古代中国に敬意を表します。NHKの人気番組「日本人のおなまえっ!」に変った名前が出てきますが、皆さんのお名前にどのような漢字が使われており、それがどのような意味を持っているのか調べると面白い発見があるかもしれません。

2018年09月09日

#194 ブルータス、お前もか

 9月に入り、暦の上では秋になりましたが、まだまだ残暑の厳しい日々が続いています。学校はすでに2学期が始まりましたが、日中の暑さは収まらず、エアコンの設置がない学校では子ども達の健康が心配されます。また私たちの夏バテ解消も涼しい季節を迎えるまで、もう少し時間がかかることでしょう。
 さて、ほほえましいニュースをお伝えしたいところですが、スポーツ界でまた不祥事が発生しました。今度は体操界の不祥事です。記憶に残る不祥事だけでも、レスリングの伊調選手へのパワハラ、日大のアメフト問題、アマチュアボクシング界の試合での不正判定、アジア大会でのバスケットボール選手の買春問題、そて今回の体操界における暴力行為だけでなく、塚原夫妻によるパワハラ疑惑など次々にスポーツ界の不祥事が暴露されています。以前では隠蔽されていたものがSNSなどの発達で世の中にすぐに拡散される時代です。また不祥事に対する人の意識がは変わってきたことも不祥事は発覚一因となるのでしょう。
 スポーツの本来の目的は身体と精神を鍛え、スポーツを通じて人格を向上させることだと思います。確かにスポーツには勝負事の一面があり、アスリート達は勝利に向かって自分自身を鍛え、他者に勝利するために全てを犠牲にして日々猛練習を行います。その中で一握りの選手が栄冠を手にすることができます。特にオリンピックや世界大会で活躍するレベルでは、3,4歳の幼い頃から専門のスポーツに接することが必要となります。幼い頃からの不断の努力の結果、栄冠を手にしたアスリートに対して惜しみない称賛が与えられます。スポーツの持つ素晴らしい一面です。
 しかし現在発生している様々な不祥事はスポーツ界だけでなく、権力を持つ者の持つマイナスの面が現れている気がします。民間レベルでも、国家レベルでも、権力の座に就いた者は自分の言動に絶えず注意して行動しないと、周囲を恐怖と混乱に陥れます。その結果、民間レベルでは企業内で不正が横行し、業績が傾いたり最悪の場合は倒産したりします。大塚家具やヤマト運輸がこの例に当てはまります。国家レベルでは昨今の文科省や財務省の官僚たちが隠蔽行為がそれを端的に示しています
 権力の座に就いた当初は気も引き締まり、様々な課題に誠実に取り組み、実績を残しますが、権力の座に長く留まりますと気が緩み、様々な不正が横行するものです。今回の体操界の不祥事を知り、「ブルータス、お前もか」という気持ちになりました。不義、不正が横行する世の中ですが、せめて努力した選手が正当に報われるスポーツ界であってほしいと思います。

2018年09月02日

#193 さくらももこさん逝く

 昨日「ちびまるこ」の作家であるさくらももこさん死去のニュースが伝えられ、多くの「ちびまるこ」ファンが涙を流しました。さくらももこさんは8月15日午後8時29分、乳がんのため死去されました。心よりお悔やみ申し上げます。このニュースは国内だけでなく、海外でもさくらももこさん訃報のニュースが一斉に伝えられました。いかに「ちびまる子」が国境を越えて、アジア諸国に人気を博した証左となるものです。以下は時事通信のニュースからの引用です。(https://www.jiji.com/jc/article?k=2018082800515&g=
soc&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit)
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 1990年代半ばからアニメ「ちびまる子ちゃん」が放映され、絶大な人気を誇った台湾では、主要紙が「美しい子供時代をありがとう」(リンゴ日報)とこぞってさくらももこさんの訃報を伝えた。自由時報は28日、ちびまる子ちゃんの実写ドラマで花輪クンを演じたタレント、汪東城さんの「先生(さくらさん)の全てに感謝している。先生の作品を読むととても幸せな気持ちになれた」と語る追悼の言葉を紹介した。
 韓国の聯合ニュースは「韓国でもアニメが放送され、人気を博した『ちびまる子ちゃん』(韓国放映タイトル「まるこは9歳」)の作者が53歳で他界した」と報道。中央日報(電子版)は、「ちびまる子ちゃんが人気を得たのは、日本人にとって多くの意味を持つ昭和時代の日常を伝えたからだ」と解説した。
 香港各紙も大きく取り上げた。星島日報は「まる子の永遠の笑顔を残して逝く」と題して詳報。現地で放送されたアニメの主題歌を歌った女性歌手の欧倩怡さんは「子供の頃から大好きだった。キャラクターも個性的だった」と振り返り、早過ぎる死を悼んだ。
 シンガポールの中国語紙・聯合早報もさくらさんの死去を伝えた。
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 「ちびまるこ」の主題歌、「おどるポンポコリン」はさくらももこさん自身の作詞で、売上100万枚を記録したヒット曲でもあります。「サザエさん」は昭和初期から中期の時代を反映した漫画ですが、「ちびまる子」の舞台設定は作家の子ども時代の体験を描いた昭和時代の後半から平成始めです。私と同世代の人達にとって、「ちびまる子」を観ていますと、番組内で流される懐かしい歌とともに子ども時代に体験した場面がいたるところに出てきます。次の日曜日の「ちびまる子」は、さくらももこさんを偲び、番組を変更して放送するそうです。世代を超えて家族一緒に楽しめる番組は数少なく、「ちびまる子」はその中の1つです。「サザエさん」のように、作者が逝った後でも、いつまでも続いてもらいたい番組です。故さくらももこさんと、ちびまる子に感謝、感謝です!

2018年08月28日

#192 「ボット」してるんじゃねーよ!

 今日は8月最後の日曜日です。1週間過ぎると9月になります。時の流れは早いもので、今年も3分の2が過ぎ去ったことになりますが、この厳しい残暑の中では残りの日々を数える気にもなりません。とにかく暑い8月でした。猛暑のために日中は何もする気になれず、熱帯地域、亜熱帯地域の人々が木陰で昼間長く休憩する気持ちがよく分かりました。
 さて、NHKで今世代を超えて人気が出ている番組が「チコちゃんにしかられる」です。5歳の女の子が番組のクイズ解答者たちに質問しますが、答えられないと、「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」と顔を真っ赤にして叱るチコちゃんを見ていて、思わず笑いが出てきます。たくさんクイズ番組が放送されている中で、異色の面白い番組です。
 「チコちゃんに叱られる!」は見ていて笑いが出る楽しい番組ですが、先日とんでもないニュースが飛び込んできました。本日のブログタイトルの「ボット」の件です。ご存知のない方にNHKのニュース記事より引用します。
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『チケット注文の9割は「ボット」から 買い占め狙いか』
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180824/k10011592101000.html)
 コンサートなどのチケットをめぐり、大手販売サイトでは、注文しようとする通信の9割が「ボット」と呼ばれる自動プログラムによるものだったことがわかりました。チケットの転売が問題となっている中、何者かがチケットを買い占めようと「ボット」を操っているとみて警戒を強めています。
 チケット販売サイト大手のイープラスは、アメリカの大手IT企業、アカマイ・テクノロジーズと協力して、ことし5月に発売されたコンサートのチケットの注文の記録などを分析しました。
 その結果、発売が開始された午前10時から30分間に寄せられた50万件のアクセスのうち、人手では不可能なスピードで大量の注文が送られていたり、サイト上でマウスが極めて規則的に動いていたりするなど、「ボット」と呼ばれる自動プログラムによるアクセスが45万件と全体の9割を占めていました。
 チケットのネット販売をめぐっては、何者かが「ボット」を使って買い占めるケースが続出しているほか、高額での転売も問題となっています。
 このため、イープラスでは、読みにくい文字を表示して客に入力させるなど人間でないと注文できないよう対策をとっていましたが、最近は「ボット」の性能が上がり、こうした対策を突破できるようになってきているため、不自然な注文を遮断する新たな対策を導入したということです。
 イープラスの小西雅春さんは「チケットを買いたい客のほか、イベントの主催者も被害を被っているため、早急に対策を進めたい」と話しています。
 アカマイ・テクノロジーズの中西一博さんは「新たな対策をとるとボットが突破するという、いたちごっこの状況だ。換金性の高いものを狙ってより高度な技術が使われるようになっており、警戒が必要だ」と話しています。
 「ボット」は「ロボット」の略称で、人間がコンピュータを使って行う処理を自動的に行うプログラムのことを指します。
 手作業で検索を行わなくても、あらかじめ設定した言葉や情報をインターネット上やデータベースから拾い集めるといった機能に加え、ソーシャルメディア上で自動的に投稿したり、会話をしているかのように問いかけに応じたりと、AI=人工知能の発展とともに急速に技術が進んでいます。
 「ボット」はマーケティングや顧客対応を効率的に行えるとして活用されている一方で、チケットの買い占めなど金を目的とした活動に悪用される状況が続いています。
 さらに、うその情報を拡散するといった行為やサイバー攻撃に悪用される懸念も指摘されています。
東京電機大学の佐々木良一特命教授は「金もうけを目的としてボットを悪用する組織は、金を惜しまずより高度で複雑なプログラムを作成し、分業化も進む傾向がある。一方で、ボット対策を厳重にすると利用者が使いにくくなる。利便性とセキュリティーはトレードオフの関係にあり、抜本的な対策が難しくなっている」と指摘しています。
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 最近の人気アーティストのコンサートチケットは本当に入手しにくくなっており、特に昨今はネットによるチケット申し込みが一般化しています。以前はチケット販売所前で2,3時間も並べば良い席が買えましたが、現在は座席がすべてコンピュータ指定になっており、希望の席が入手できない状況です。そのような状況下で「ボット」のようなコンピュータによるチケットの買占めには本当に頭にきます(怒!)
 問題は「誰が買い占めているか」です。チケット十数枚であれば個人の可能性がありますが、数百枚単位では組織的に動いている可能性が高いと思います。以前東京でレアものの商品を代理人を並ばせて買い占める事件がありましたが、類似する事件の香りがします。金儲けのためには何でもする浅ましい姿勢はひんしゅくものです。まさに、「ボット」してるんじゃねーよ!です。

2018年08月26日

#191 七夕と公害(2)

 お盆休みも終わり、多くの人々はまた多忙な日常生活に戻っています。子ども達は夏休みの宿題に追われています。多くの学校では2学期の開始日が最近早くなってきています。エアコンを教室に設置しているために、大牟田地区の中学校では8/27日に2学期が始まります。厳しい残暑が続きますが、夏休みも残り1週間ほどで終わりを迎えます。
 さて、前回のブログの続きになります。
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 光害は経済至上主義社会が生み出したものです。というのは、光害の大きな原因となっているのが原子力発電だからです。
 現在日本の発電事業は、火力、水力、原子力の三つに支えられています。水力発電はダムを造り、落下する水の力でタービンを回し発電しています。火力発電は、石油などエネルギー資源を燃やし、その熱でお湯を沸かし、蒸気の力でタービンを回し発電します。原子力発電も、火力発電と同じようにお湯を沸かしてタービンを回すのですが、決定的に違うのは、原子力発電は生産量をコントロールすることができないという点です。
 原子力発電は、核融合エネルギーを用いるため、状況に合わせ発電量をコントロールすることができません。原子力発電は一度動かし始めてしまうと、電気があまり使われない真夜中でも、昼間と同量の電気を生み出し続けなければならないのです。
 電力会社によって深夜の電気使用量拡大策として考えられたのが、観光地の「ライトアップキャンペーン」でした。歴史的建造物や、橋、高層ビルやタワーが明るい光に照らし出される様子は美しいものですが、それによって夜は確実に明るくなり、人類は満点の星空を失いました。植物そのものに豆電球を飾り付ける電飾も都市などで盛んに行われました。夜のライトアップが植物を死滅に追いやっているにもかかわらず、人々は灯りを消そうとしません。
 それはなぜでしょうか。お金儲けにつながっているからです。観光地はライトアップすることで人を集め、都市ではネオンサインを使って自社製品を宣伝します。二十四時間営業のコンビニエンス・ストアが必要以上に明るいのも、人の購買意欲をそそるためです。
 すべてがただお金を儲けるために行われているのです。私たちはもうそろそろ、お金よりも大切なものがあることに気づかなければなりません。そのためには、私たちがこれからも地球で生き残っていくために本当に必要なものは何なのかということを見直すことが必要です。お金儲けを最優先事項にしている限り、人類は崩壊のシナリオを歩み続けるだけだ、ということに気づかなければなりません。
 地球で生きることを大前提とした産業構造や経済構造を考え、移行していくことが必要なのです。命というのは循環です。一つの命が滅びても、生み出された新たな命が生をつないでいきます。自然界でも、動物の死体は食物連鎖の中で別の命の栄養源となり、さらに大きな命の循環を支えていきます。この命の循環はどこかで度を越した余分や不足が出ると、崩れてしまいます。循環は限られたバランスの中でしか維持することができないからです。これが膨大な意識がつくり上げた、このゲームのルールなのです。
 しかし、人間だけが地球上のバランスを崩してしまっています。それは、命の循環よりもお金儲けや自分たちの欲望を優先してしまうからです。
 私たち個々の意識は膨大な意識につながっています。どうすればバランスを維持し、命を謳歌することができるのか、その答えを膨大な知識は知っています。どんな困難に直面しても、人はそれを乗り越えるだけの力を持っています。最後まであきらめずに、どうすれば環境のバランスを整えることができるのか、一人ひとりが自分の問題として取り組んでいけば答えは必ず見つかります。なぜなら私たち一人ひとりが膨大な意識そのものでもあるからです。
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 著者が主張していますように、私たちは電気や水資源などエネルギーの無駄遣いを日々行っています。地球の限りある資源を将来の世代につなぐことを考えないで母なる地球から搾取しています。昨今の地球温暖化はその結果生じたものでしょう。原子力発電も電力会社が主張する様な安価なエネルギーではありません。廃炉に必要な費用を考慮していないからです。廃炉に必要な費用がどのくらい必要かは福島の原発処理が良い例です。また原子力発電で生じた夜間電力を消費するのにNHKを始めとする大半のテレビ局は24時間放送を行っています。特に夜間の番組はショッピング番組など、どうでもいいような内容の番組を放送しており、電気エネルギーを大量に浪費しています。
 私たちは自然と切り離された環境では生存することができません。地球が与える環境下でのみ生きていくことができるのです。今年の夏は世界的に異常気象が発生しました。この事象が今後も続くのかどうか私たちは慎重に見守らなければなりません。宇宙船地球号は人類のためではなく、地球で生活するすべての命のものです。
 なお、著者の木内鶴彦氏は彗星探索家として名を知られています。彼が発見したスウィフト・タットル彗星は周期が135年ですが、次の接近の際(2126年)に地球に衝突する可能性があり、木内氏が主唱して1994年に将来世代にどのような地球環境を残すかを話し合う「将来世代フォーラム」という世界会議ができました。また氏は「臨死体験」ではなく医者が死亡を宣告した「完全死」を体験した人でも有名です。興味のある方は「生き方は星空が教えてくれる」(サンマーク文庫)をご一読ください。

2018年08月19日

#190 七夕と光害(1)

 暦の上では立秋を過ぎましたが、日中はまだ35度を超える猛暑が続いています。それでも早朝や夜は涼しい風が吹き始め、特に深夜に今まで鳴いていなかった虫の音が聞こえてきます。残暑厳しい中で季節は確実に移ろい始めているようです。
 さて今日は七夕と「光害」について述べたいと思います。最近では七夕の行事をを7月に行うことが多くなりましたが、七夕行事は旧暦で行うのが常識です。7月に行いますと、季節は梅雨後半になりますので、梅雨空では夜の星空を目にすることができません。まして織り姫と彦星は1年に1回しか出会えませんので、昔の人は二人に対してそのような酷な設定はしないはずです。旧暦の7月7日(8月の上旬に当たります)に祝ってこそ夏の夜空が楽しめるということです。七夕伝説は古来中国から日本に入ってきていますので、当時の中国の文化が色濃く影響しています。
 ところで、なぜ七夕がこの時期に設定されたかご存知でしょうか。夏の夜空が奇麗だからでしょうか。昔の人は現代のような優れた科学力を持っていたわけではありませんが、現代人よりも自然観察力に秀でていました。もし現代の知識を用いて七夕の時期を説明すると次のようになります。「生き方は星空が教えてくれる」(木内鶴彦著、サンマーク出版)から引用します。かなり長い引用になりますので、2回に分けてお伝えします。
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『夜空の「明るさ」が人類を破滅に追い込む』
 ところで、唐突な質問ですが、みなさんはなぜ1年のうちで七夕の日だけ、織り姫と彦星が合うことができると言われているのか知っていますか?
 実は、旧暦の七月七日というのは、1年のうちでただ一度、半月が天の川の中に位置する日なのです。半月も天の川も、その明るさは共に十七等星と同じです。天の川を形づくる無数の星々もこの日だけは半月の明るさにその輝きが相殺されるため、天の川は夜空から姿を消してしまうのです。天の川の流れが消えてなくなるため、織り姫と彦星はめでたく会えるというわけですね。
 今の都会では、七夕でなくても天の川は姿を消してしまっています。それだけ夜空が明るくなってしまっているということです。
 なぜ、この話を持ち出したかというと、夜空が明るくなっていることが、地球上に深刻な問題を引き起こしているからです。前述の「将来世代フォーラム」の世界会議の最中、彗星や小惑星の地球への衝突を回避させるという私の提案に水を差す人物が現れました。ヨーロッパの植物学者である彼は、次のように言いました。
 「君が言っているのは百年も、百二十年も未来のことだろう。地球はどうせそこまでもたないのだから、そんな計画も結局は無駄になるだけだ。だからやめてしまったほうがいい。」
 私はビックリして、なぜ地球が百年もたないのかと、尋ねました。
 「君は今年(1994年)、ヨーロッパの植物学会で発表された内容を知らないのか?」
 知らないと答えると、彼は実に衝撃的な報告をしてくれたのです。それは17年後には、世界中の植物がいっせいに枯れ始め、約三年ですべての植物が枯れてしまうだろうという調査報告でした。1994年から数えて17年後ですから、2011年には植物がいっせいに枯れ始めてしまうというのです。
 植物の死は、動物の死に直結します。つまりこの植物学者は、2014年にはどうせ人類はみな死に絶えてしまうのだから、彗星のことなど気にするだけ無駄だと言ったのです。
 植物がいっせいに枯れるなんて、そんなバカな 、そう思われるかもしれませんが、この植物学者の言ったことは嘘ではなかったのです。最近、昔よりも夜が明るくなったと感じている人は少なくないはずです。夜空に見える星の数が減ったのは、大気汚染のためばかりではありません。夜空が明るいために、星の明るさが打ち消されてしまっているのです。
2002年7月7日、七夕の日の朝日新聞に次のような記事が載っていました。
 「全国の市民の協力で夜空の「明るさ」を調べたところ、調査を始めた88年以来、今年1月が最も明るかったことが分かった。(中略)02年1月は全国381地点で観察。明るさの平均値は巨大都市(人口100万人以上)が16.9等、大都市(同30万人以上)が17.6、中都市(同10万人以上)が18.0、小都市(10万人未満)が20.4だった。」
 この数字は空の明るさを星の等級で表したもので、数が小さいほど明るく、大きいほど暗いということになります。
 皆さんは「光害」という言葉をご存知でしょうか。これは一晩中消えることのない街のネオンや照明、大気汚染や気象条件の変化などによってつくり出された「明るい夜」がもたらす害のことです。夜空が17等星の明るさというのは、空一面が17等星の星で埋め尽くされたときの明るさなのですが、一般の方にはなかなかピンとこないかもしれません。17等星で埋め尽くされた明るさというのは、実は半月時の夜空の明るさとほぼ同じです。そして夜空にはもう1つ同じぐらいの明るさのものがあります。それは天の川です。そこで冒頭で述べた七夕の話につながるわけです。では、なぜ夜が明るいことが害になるのでしょうか。
 昼間は明るく、夜は暗く、これが自然のリズムです。植物は昼間、太陽の光を受けて光合成を行い、夜の闇では休むというサイクルをもった生き物です。それが一晩中人工的な灯りにさらされているため、ストレスを感じ弱ってきているのです。人間が同じような環境におかれたらどうなってしまうでしょう。つまり、夜になっても寝かせてもらえず一晩中働かされ続けたら、です。眠らないということが、どれほどの肉体的・精神的ダメージにつながるかということは、容易に想像がつくと思います。つまり、光害とは私たち人類の文明が植物に与えている害なのです。
 植物がすべて枯れてしまうと、大気中の酸素濃度はエベレストの山頂と同じぐらいの薄さになると言われています。エベレストの山頂ぐらいなら、息苦しいけれど死ぬほどでもないだろうと思われるかもしれませんが、実際には酸素より二酸化炭素のほうが重いため、人間の生活圏は二酸化炭素に覆われ、酸素濃度はゼロになってしまうのです。
 この危機を回避するためには、1994年から10年以内に、地球上の緑の面積を1984年当時のレベルまで戻さなければならないというのです。その植物学者は、「でも木内さん。今から10年間で地球上の森林面積を10年前の状態に戻すことなどできると思いますか?これは実際には不可能なことです。その証拠に、私がいくら訴えても、どこの国に親書を出しても誰も取り合ってくれなかった。」と、悲しそうに言いました。
 地球の大気の78%を占めているのは窒素です。あとは酸素が21%、残りの1%にその他の成分が含まれています。地球温暖化の原因として取りざたされている二酸化炭素も、大気全体から見ればわずか0.031%にすぎません。しかしこれは大気の平均的な数字で、実際には二酸化炭素は他の成分よりも重たいため、そのほとんどが地上近くにとどまることになるのです。
 地球温暖化の問題から排出量規制が叫ばれるなど、二酸化炭素は悪者扱いされることが多いのですが、植物にとっては必要不可欠なものです。我々動物が酸素がないと生きていけないように、植物は二酸化炭素がなければ生きてきけません。ですから、地球上の動植物が命をつないでいくために求められているのは、大気中の酸素と二酸化炭素のバランスをとることなのです。投げやりな気分になってたその植物学者に、私はさらなるデータの収集を頼みました。
 大気中の二酸化炭素の適切な割合というのは、何パーセントから何パーセントまでなのか、そして現在、標高ゼロメートル地帯にある都市部の二酸化炭素濃度はどのくらいで、それは生存可能範囲のどの辺りに位置しているものなのか、それを知ることができる分布図を作ってほしいと頼んだのです。
 今、自分の国がレッドゾーンに入っていると知れば、先進国もこの問題を真剣に考えてくれるようになるでしょうし、逆に酸素を世界中に提供している国があれば、先進国が援助の手を差し伸べることによって森林伐採を食い止めることができると考えたからです。
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(次回のブログに続きます。)

2018年08月12日

#189 南国バスガイドの汗と涙の奮闘記

 八月に入り、蝉の鳴き声けたたましく、まだまだ35度以上の猛暑が続いています。今日甲子園で全国高等野球選手権大会が始まりました。今年は100回目の記念大会で、例年よりも多い56チームが全国から集い、すでに熱戦を繰り広げています。各県代表の選手たちが思いっきりグランドでプレーできるように熱中症に注意して頑張ってもらいたいと思います。
 さて、テレビで毎日放送される番組ですが、地上波、BS波、スカパーなどのCS波を含め、ものすごい数のチャンネルが24時間中放送されています。中には電波の無駄使いのような私たちの生活に全然役に立たないような番組も多くあります。実際、どんちゃん騒ぎのような、どうでもよい番組がかなり目につきます。そのような中で地元の人々の生活に密着し、励ましてくれるような番組も確かに存在します。
 一例として、毎週日曜日の朝に放送されている「新・窓を開けて九州」(RKB)は九州に住む人々の生活を等身大で見つめる良識ある番組の一つです。今日は宮崎交通に入社した新人バスガイドを特集していました。この番組の内容をRKBのHPから引用します。
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 南国情緒にあふれ九州屈指のリゾート地として栄えていた宮崎県。昭和40年代には「フェニックスハネムーン」がブームとなり、年間37万組もの新婚カップルが宮崎を訪れていました。そんな宮崎の観光に欠かせなかったのが、車内を盛り上げる歌と豊富な知識で観光客をおもてなしする“バスガイド”。観光宮崎を支えてきた宮崎交通には、年に125名がバスガイドとして入社することもあったほど女性が憧れる仕事の代名詞でしたが、現在は在籍しているバスガイド全体でも11名、めっきり減少してしまいました。観光宮崎の復活のためにも人材確保が叫ばれています。
 今年4月、宮崎交通に入社した新人バスガイドはわずか3名。志望動機は「大好きな宮崎の自然をPRしたい」「若いうちにやりたいことに全部挑戦したい」「アイドルみたいにキラキラしているバスガイドに憧れた」など、三者三様。そんな彼女たちが一人前としてデビューするには、3ヶ月に渡る厳しい修行を乗り越えなければなりません。礼儀作法や言葉遣いは勿論、難しい民謡の歌い方も熟練のバスガイド教官に叩き込まれ、膨大な量のガイド文章をひたすら暗記。果たして、全員が無事にデビューすることができるのか?奮闘の日々を追いました。(http://rkb.jp/madoake/)
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 私が担任をしている時に何度か奈良・京都の修学旅行を引率しましたが、ガイドさんの説明する内容や話し方に生徒たちも耳を傾けます。修学旅行を担当するバスガイドさんは比較的若い方が多いのですが、車中内では見学地の説明から雑談まで絶えず生徒たちに気を配り、見学地ではクラスの先頭に立って交通整理や見学地内を案内してくれます。バスガイドさんはガイドをしている間は気を抜けません。また業務上、体調管理にも充分気をつけなければなりません。大変な仕事です。「新・窓を開けて九州」は九州・沖縄の各県に関係のある日常生活の何気ない一面を捉えています。日曜日の朝に視聴者を爽やかな気持ちにさせてくれる番組です。
 また「新・窓を開けて九州」の後に放送される番組「世界一の九州が始まる」は九州を舞台にして活躍している中小企業や農家など日頃私たちが知らない人たちが毎回登場し、世界的な特許製品や、農産物などを紹介してくれます。九州にも多くの優良企業が存在し、地元の将来性を期待させてくれる番組です。今回ご紹介した番組以外にも視聴する価値のある番組がたくさんあります。ネット視聴がテレビ視聴を超えたと言われますが、テレビの役割はまだまだ大きいものがあります。

2018年08月05日

#188 東京オリンピックにサマータイム導入?

 今日から8月になり、台風一過後にまた猛暑が戻ってきました。台風12号はまだ九州の南海上でうろうろしていますが、中国大陸に向けて動き出すようです。今月は統計的にも台風が発生数の多い月ですので、今後発生する台風の進路には充分な注意が必要になります。
 さて、おかしな人が世の中にはたくさんいますが、先日妄言を吐いた人がいます。森喜朗「しんきろう」氏です。彼の提案では東京オリンピックの暑さ対策としてサマータイムを導入するように安倍首相に提案したそうです。この件についてNHKのウェブニュースでは次のように報道しています。
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 東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会の森会長は、安倍総理大臣と総理大臣官邸で会談し、大会期間中の暑さ対策の一環として、夏に生活時間を早める「サマータイム」の導入を検討するよう要望しました。
この中で森会長は、安倍総理大臣に対し、2020年東京大会に関連して、47都道府県を回る聖火リレーの概要や、開会式や閉会式の演出の在り方などについて説明しました。
 そのうえで森会長は「マラソンなど一部競技の日程を朝早くにしたが、それだけで異常な暑さに耐えられるのか。抜本的な暑さ対策を考えなければならない」と述べ、大会期間中の暑さ対策の一環として、夏に生活時間を早める「サマータイム」の導入を検討するよう要望しました。
 森会長によりますと、これに対し安倍総理大臣は「一つの解決策かもしれない」と述べたということです。会談のあと森会長は、記者団に対し、「安倍総理大臣は非常にまじめに聞いてくれた。2020年東京大会を契機にサマータイムが実現すれば、大会の大きな遺産になるのではないかと思う」と述べました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180727/k10011552261000.html?utm_int=detail
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これに対して菅官房長官は次のように述べています。
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 菅官房長官は30日午前の記者会見で、東京オリンピック・パラリンピックでの猛暑対策をめぐり、夏に生活時間を早めるサマータイムは国民生活に大きな影響が生じるとして慎重に検討する考えを示したうえで、競技時間の前倒しなどの対策を徹底する考えを示しました。
 東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会の森会長は先週、総理大臣官邸で安倍総理大臣と会談し、大会期間中の暑さ対策の一環として、夏に生活時間を早めるサマータイムの導入を検討するよう要望しました。
 これについて菅官房長官は午前の記者会見で、「猛暑対策というのは重要な課題であり、サマータイムは一つの提案として受け止めるが、国民の日常生活にも大きな影響を生じるものだ」と述べ、慎重に検討する考えを示しました。
 そのうえで菅官房長官は「暑さ対策は競技の開始時間の前倒しや沿道の緑化、それに路面の温度の上昇を抑制する舗装などの取り組みを進めており、ハード・ソフトの両面で総合的な対策を徹底したい」と述べました。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180730/k10011555991000.html)
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 猛暑の中サマータイムを実施して1、2時間ずらしたとしても、根本的な暑さ対策にはなりません。サマータイムの悪影響を森氏は理解していないのでしょう。以前このブログで夏季オリンピックの開催時期について私見を述べましたが(ブログ#158)、猛暑の中での東京オリンピックとサマータイム導入は別件として扱わなければならない問題です。
 まずサマータイムに関してですが、ヨーロッパ各国では3月の最終日曜日午前1時から 10月最終日曜日の午前1時まで実施します。具体的に述べますと開始日の午前1時が午前2時に、最終日の午前2時を午前1時に変更します。オーストラリアで3年間暮らし、サマータイムを体験した私としては、身体が慣れるのにサマータイム開始日から2週間ほどかかりました。わずか1時間の変更でもでも体内時計がおかしくなります。
 サマータイムの発想は特に高緯度のヨーロッパにおいて昼間の長い時間を有効に利用しようとするものです。早く仕事に取りかかり、早く仕事を終えて、個人の自由な時間を大いに楽しむ発想ですが、サービス残業の横行する日本では逆に仕事の時間が増えるだけだと思います。北海道を除いて、それほど高緯度ではない日本国内は仕事終了後の明るい時間はそれほど長くありません。ウィキペディアによると、戦後一時期に日本でサマータイムを実施したこと説明しています。
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 日本において夏時間は、太平洋戦争敗北後の連合国軍占領期にGHQ指導下で公的に導入され、1948年(昭和23年)4月28日に公布された夏時刻法に基づき、同年5月2日の午前0時から9月11日にかけて初めて実施された[3]。以後、毎年5月(ただし、1949年(昭和24年)のみ4月)第1土曜日24時(= 日曜日0時)から9月第2土曜日25時(= 日曜日0時)までの間に夏時間が実施されることとなったが、残業増加や寝不足を引き起こすなどとして不評を呼び、1951年(昭和26年)度はサンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日の9月7日で打ち切られ[3]、翌1952年(昭和27年)4月27日の占領終了と同月28日の条約発効による日本の主権回復に先立ち、夏時刻法は同年4月11日に廃止された。
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 東京オリンピックを機会にサマータームが導入されますと、同じような結果になると思われます。森氏の名前のようにサマータイムが「しんきろう」のように終わってしまう可能性大です。
 問題は「なぜ真夏の時期に夏季オリンピックを開催しなければならないか」という根本的な問題です。すべてはアメリカとヨーロッパの都合で、夏季オリンピックが真夏に回されたことです。秋季開催ではアメリやヨーロッパでの人気スポーツ開催時期と重なり、視聴率が確保できないことが一因です。つまり、アスリート・ファーストではなく、視聴率ファースト、換言すれば、お金ファーストということになります。オリンピックを含め、世の中すべてがお金中心に動いています。世の中で一番強いのは政治ではなく、「お金」です。金さえあれば権力でも何でも手に入る世の中です。困ったものです...

2018年08月01日

#187 夏休みがやって来ました(2)

 夏休みが始まり1週間が過ぎました。小学生の子ども達は以前は朝から友達と暗くなるまで遊び回っていました。その中でも学校のプールに行くのが一番の楽しみで、プールを利用できる指定された曜日と時間帯を楽しみにしていたものです。ところが今年は猛暑のせいでプールを閉鎖する小学校が増えています。
 その理由の一つにプールの水温が33度を超えてしまうことが挙げられています。(プールの水がぬるま湯状態で、かつ湿度100%では発汗作用が無くなり、体温が下がりません。またプールサイドでは日光の照り返しなどの輻射熱のために急激に温度が上がり、熱中症になりやすい状況になります。)東京の小学校で始まったプール閉鎖が福岡市の小学校でも130校以上でプール閉鎖が始まったと昨日のニュースで流れていました。それでも子ども達には待ちに待った夏休みです。普段できないような時間を有意義に過ごしてもらいたいものです。
 子ども達にとっては楽しい夏休みですが、お母さんたちにとっては子ども達が一日中家にいることになり、それだけ家事が増えることになります。食事も子どものために毎日3食作らなければならず、それだけ負担が増えます。お母さんたちの本音は「こどもの夏休みはいらない」ということでしょうか。「夫元気で留守がいい」に通じる部分があるようです。
 ところで高校入試や大学入試を控えている受験生にとって、夏休みは入試の天王山と言われるほど重要な時期になります。この期間の過ごし方によって、その後の勉強の仕方や志望校を変更することになります。全ての受験生に与えられている時間は平等です。特に高校3年生は学校で夏休みの課外授業が8月上旬まで実施されますので、完全な夏休みは1週間ほどしかありませんが、その間の自学自習の時間を工夫することで、かなりの時間を確保することができます。その時間の活用次第で志望校が近くも遠くもなります。猛暑に負けず、日々努力してもらいたいと思います。
 さて台風12号が接近しています。今夜以降に東海地方に上陸し、九州北部は明日の夜以降近づく予報が出ていますが、例年の台風と異なり東から西へ移動する奇妙な動きをしています。今週末は全国各地で夏祭りや花火大会が予定されていますが、関東地方では花火大会の順延や中止が相次いでいます。ここ大牟田では今日と明日が「大蛇山祭り」となっていますが、台風の動きによっては明日の祭りは中止になりそうです。とにかく人騒がせな台風です。台風の勢いで猛暑を連れ去ってくれればよいのですが、猛暑と台風のダブルパンチではたまりません。豪雨の被災地では今でも多くの人が片づけに追われています。台風による大雨が2次災害とならないように天に祈るばかりです。

2018年07月28日

#186 夏休みがやって来ました(1)

 福岡県内の大半の小・中・高校は7月20日に終業式を迎え、夏休みに入りました。今回の西日本豪雨による被災地の学校は避難所として使用されているために早めに夏休みに入っている学校もあります。テレビの報道番組によりますと、被災地の子ども達は夏休みに入っても地元の復興の手伝いをしており、のんびりと過ごしている時間はありません。それどころか、多くの生徒達の教科書や勉強道具が洪水で流されてしまい、勉強どころではないと危惧されます。
 政府は今回の西日本豪雨を被災者の権利や利益を保全する「特定非常災害」に指定する方針を固めました。過去に指定された例は阪神大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震の4件で、地震以外での指定は初めてとなるそうです。今回の豪雨では甚大な被害が広範囲に及び、多くの被災者が避難所暮らしを余儀なくされており、政府は生活再建や復旧を後押しするためにも指定が必要と判断しました。
 今回の豪雨で感じましたのは、豪雨による被害全体が想定されていた以上に凄まじく、今朝のNHKの日曜討論で参加者の方々が口々に解説されたところによりますと、東日本大震災よりも被害額が超えるのではないかと懸念されていました。今回の豪雨がもし東京首都圏で発生すれば被害額が60兆円を超えると推定されるそうです。
 ある意味では、豪雨は大地震よりも幅広い被害をもたらします。地震では建物が損壊しても、建物内にある家具や電気製品は使用できる可能性があります。また自家用車は建物に押しつぶされない限り使用でき、避難所までの交通手段として、また仮シェルターとしても利用できます。しかし豪雨による洪水ではすべてが流されてしまいます。流れずに残った家屋でも泥水や土に覆われ、建て替えしなければなりません。もちろん家財道具や車も使用不可となります。今回の豪雨災害を目の当たりにして洪水は地震よりも大きな被害をもたらすことを改めて認識させられました。被災地では猛暑の中での復旧作業に追われる日が続きます。健康に充分留意して後片付けをして頂きたいと思います。
 ところで今年の暑さは確かに異常です。天気予報の解説では太平洋高気圧とチベット高気圧が重なり、猛暑の原因となっているそうですが、この暑さは当分続くそうです。実際、エアコンをつけない部屋の温度は日中では34度を超えています。夜になりましても32度前後までしか下がりませんので、夏バテや熱中症を防ぐために一日中エアコンを利用することになりますが、健康維持のために仕方がないことです。私はバッグに小さな温度計を入れています。その温度計では日陰では35度前後示しても、ひなたでは軽く40度を超えてしまいます。天気予報に出てくる各地の温度はあくまでも日陰の気温ですので、街頭では気温が5~6度高いことになります。特にベビーカーに乗っている乳幼児は路面に近いので、保護者の皆さんは充分な注意が必要になります。
 今日は日中の猛暑を避けるために午前中に近くのショッピングセンターまで自転車で買い物に行ってきましたが、自転車に乗っている間は前から風が来ますので、比較的凌ぎやすいのですが、信号などで一旦停止すると汗が全身から噴き出してきます。やはり真夏の時期の体調管理は充分慎重に行う必要があるようです。自分の健康は自分で守りましょう。

2018年07月22日

#185 明日は我が身

いくつかの水たまりを残して 梅雨が駆け抜けてしまえば
湿った風の背中越しに 君の好きな夏が来ます.... (♪「ほおずき」グレープ)

 梅雨末期の豪雨が去った途端、梅雨が去って厳しい猛暑がやってきました。肌にまとわりつくような湿気のある空気感が真夏の始まりを告げています。一昔前の日本の梅雨は上記の歌詞のように情緒深く、しとしと降る長雨の後に眩しい光の夏がやってきたものですが、最近の梅雨は「降れば土砂降り」のように毎年どこかで大きな災害をもたらしています。これも地球温暖化の影響でしょうか。水害だけでなく、地震や台風などますます大きな被害をもたらす自然現象となっています。
 さて前回のブログでも触れましたが、今月5日に発生した西日本豪雨(気象庁は平成30年7月豪雨と命名しました)から1週間以上経ちましたが、この豪雨による死者は200名以上、行方不明者もまだ多数いらっしゃいます。また数多くの被災者がまだ多くの避難所で生活を余儀なくされています。改めてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。
 特に今回の豪雨被害の状況はニュースの画面を見ながら何故か東日本大震災の状況に似たものを改めて感じさせられました。テレビ画面に映し出される被害状況が本当にそっくりなのです。東日本大震災では被害を受けた家屋や家財道具等が道に沿って並べられていましたが、今回の豪雨によって被害を受けた家財道具等の災害ゴミも同じように道に沿って並べられています。地震と水害の違いはありますが、大規模災害に見られる悲惨な状況です。
 さて今回の豪雨災害の直前に気象庁は特別警報を発し、災害が発生する可能性の高い地域に充分な注意を呼びかけましたが、残念ながら災害への注意喚起が活かされない結果となってしまいました。異常気象が常態化している現状では私たち一人ひとりが身の回りの安全を考える時期に来ています。「自分だけは安全だ」という考えを改めない限り、今回のような災害が繰り返し発生することでしょう。地震は日本国内で暮らす限り、どの場所にも発生します。地震の発生しない安全な場所などどこにもないのです。地震が起こっていない地域はたまたま発生していないわけで、いつ何時大地震が発生してもおかしくありません。大地震が発生しないと思われていた福岡や熊本が良い例です。また台風や豪雨による水害も特に山際や川や池などの水辺で生活している人は普段より災害を想定して生活する必要があります。
 またこのことは自然災害だけではありません。猛暑による断水や熱中症などの生活支障も考慮しなければなりません。気象庁は猛暑による「高温注意情報」を発表しますが、熱中症は一人ひとりが注意して生活すれば防ぐことができます。特に気温が35度を超えるような猛暑日には室内でもエアコンなどで室内温度を適切に保つなどの対策を取る必要があります。犯罪だけでなく自然災害からも「自分の身は自分で守らなければならない」時代です。台風や水害は事前に避難や被害が予測できます。「自分だけは大丈夫」という考えを捨てて、非常事態にすぐ行動できるように普段から災害に備える準備が必要です。

2018年07月15日

#184 ミスター笑点逝く

 この1週間は大きな出来事が立て続けに起こった週になりました。サッカーワールドカップにおける日本チームの活躍、日本国中広範囲にわたる豪雨被害、元台風による北海道の豪雨被害、オウム真理教の幹部7人への死刑実施など良いニュースや悪いニュースが混在した1週間だったように思えます。いずれもこのブログでひと言述べたい出来事ばかりですが、特に豪雨による被害は凄まじく、今日現在で死亡者、行方不明者合わせてすでに100名以上になっています。被害に遭われた方々に心より御見舞い申し上げます。大地震と同様に水害も発生後の片付けが大変です。特に床上浸水に見舞われた家の建て替えや、避難生活など金銭問題を含め、解決すべき問題が山積します。被災者に対し国や地方自治体の速やかな支援が必要です。
 さて、もう一つ大きな出来事がありました。「ミスター笑点」と言われる落語家、桂歌丸さんの逝去です。歌丸さんの残した功績は大きく、人気長寿番組「笑点」の顔として50年以上も活躍されました。また笑点を通じて落語をより身近な存在として国内外の多くの方に紹介し、落語を歌舞伎や文楽と同じような古典芸能の域まで深めた先達の一人だと思います。
 落語を大衆芸能と捉える人が多いのですが、落語で語られる世界は実に奥が深く、小噺の中に多くの教訓や至言、人生訓が含まれています。一例として多くの人がご存知の「寿限無」という落語があります。「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ・・・」で始まる落語です。冒頭は誰でも口ずさむことができる有名な一節ですが、五劫の擦り切れの意味を知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。
 「劫」は時間の長さを表わす言葉ですが、どのくらいの長さでしょうか。一説によりますと、十里四方の大きな岩があり、その岩の上に3千年に1度天女が天から舞い降りて、羽衣の裾でその岩を触ります。するとほんの少し岩がすり減るそうです。それを繰り返し、すっかり岩がすり減って無くなるのが「劫」という時間の単位だそうです。それを5回繰り返すほど長生きしてもらいたい、という親の願いが「劫」という言葉に含まれています。「寿限無」は多くのめでたい言葉をつなぎ合わせて生まれた子どもの名前にする落語ですが、出てくる言葉の一つひとつに奥深い内容があります。ぜひ文字で読んでいただきたい落語の一つです。なお古典落語を分かりやすくまとめたものが講談社や角川文庫から出版されていますので、手軽に購入できます。
 桂歌丸さんは無くなる直前まで寄席やテレビなどで落語を語っていた仕事一筋の方でした。「自分から落語を取ったら何も残らない。」「楽になりたいので今苦労しているんだ。楽になるときは、目を閉じたときだ。」などの名言を残しました。後世に名を遺す名落語家のお一人です。今頃は故円楽師匠と笑点の思い出話を語り合っていらっしゃることでしょう。

2018年07月08日

#183 絵本作家の役割

 昨日は九州北部が梅雨の集中豪雨のために北九州市や長崎の壱岐などに洪水警報が出されましたが、今日は一転して梅雨明けのような晴天が朝から続いています。関東地方はすでに梅雨明けし、厳しい暑さが続いています。関東地方が6月中に梅雨明けするのは観測史上初めてということで、本格的な夏の到来とともに水不足が心配されます。また新しく発生した台風の進路も気にかかります。現在沖縄に接近していますが、明日以降九州に近づきますので、期末試験を実施している学校では試験日の変更などが懸念されます。
 実は私も本日は朝から期末試験の問題を作成していました。何とか試験問題が出来上がりましたが、試験の時期にはいつも原稿の提出期限が迫った作家のような気分で問題作成に取りかかります。調子がいい時にはすぐに問題が完成するのですが、調子が悪いと(気分が乗らないと)あれこれと考え時間だけが過ぎ去ります。何度も見直して加筆修正しますが、満足のいくものにはならず、ため息ばかりが出てきます。
 さて試験問題を作成しながらテレビを見ていましたら、NHKの「プロフェショナル仕事の流儀」で今年5月に亡くなられた、かこさとし氏の特集を再放送していました。NHKのHPによると『「からすのパンやさん」など数々の名作を生み出した絵本作家・かこさとしさんが、5月2日、亡くなりました。私たちは3月から1か月間、創作の現場を取材しました。死期が迫っていることは、ご自身もご家族も悟っていました。「生きた証しを遺(のこ)せるなら…」と、かこさんは取材に応じてくださいました。これは“追悼番組”ではありません。最後まで、絵本作家として生きた一人のプロフェッショナルの記録です。』と述べています。私も仕事の手を止め、しばし番組を見ながら、かこ氏の最後のお姿や重病にもかかわらず仕事に打ち込むその姿勢にプロとしての姿勢を改めて学ばせていただきました。
 どの仕事もそうですが、初めから天職というものはありません。自分が始めた仕事を通して様々なことを学び、職場や仕事先の人間関係を通して人生や生き方を学びます。その延長が天職となります。様々な職業がある中で、子どもたちに夢を与える素敵な仕事の一つが絵本作家ではないかと思います。かこ氏関連の記事を朝日新聞のページから引用します。
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1926年、現在の福井県越前市に生まれ、東大工学部を卒業。終戦後、昭和電工に勤める傍ら、休日を使って医療や教育などに困難を抱えた人々を支援する「セツルメント活動」に力を注いだ。軍国少年だった自らへの悔いが背景にあったという。戦災にあった地域の子どもに見せていた自作の紙芝居が、福音館書店の編集者だった松居直さんの目にとまり、59年に絵本「だむのおじさんたち」でデビューした。
 「かわ」「海」「地球」など、子どもの好奇心を引き出す科学絵本も数多く手がけた。専門家に取材して最新の知見を盛り込みつつ、語りかけるような文章に加え、挿絵や図版を多くして理解を助けるよう心を配った。ラオスやベトナム、オマーン、中国などで識字活動や障害児教育にも取り組んだ。紙芝居や一般書を含めた作品は700点を超える。
 約29万点の資料をもとにまとめた「伝承遊び考」全4巻の完成などが評価され、08年に菊池寛賞を受賞。13年に「からすのパンやさん」の続編4冊、「どろぼうがっこう」の続編2冊、14年には「だるまちゃん」シリーズの新作や半生を語った「未来のだるまちゃんへ」を出版するなど、最近まで盛んな創作意欲を見せていた。 (https://www.asahi.com/articles/ASL574GBLL57UCLV00K.html)
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 まだ文字が読めない子どもにとって絵本は様々な夢や情報がつまった宝物です。絵本を通していろいろなことを知ることができます。かこさんは絵本だけでなく大人も理解するのが難しい内容の科学を子ども達にも理解できるように、分かり易い図表を用いて分かりやすく説明した方でした。「絵本は子どもだけのもの」と大人は思いがちですが、大人も楽しむことができるのが本当の絵本です。絵本は子ども達に夢を与え、その知的好奇心を刺激して、彼らに将来の生き方にも通じるような考え方の土台を作る手助けをしてくれます。かこ氏のご冥福をお祈りします。

2018年07月01日

#182 ゲーム依存症は疾患!

 昨日沖縄地方では梅雨明け宣言がありました。沖縄では毎年6月23日は沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」であり、沖縄県内各地で追悼行事や慰霊祭がありました。沖縄南部の糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では県など主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれました。沖縄と九州では梅雨の期間がひと月ほどずれますので、九州地方はこれからが梅雨本番になります。昨年は福岡県や大分県を中心に集中豪雨の被害が相次ぎましたが、今年は未然に災害を防ぐ手段をできるだけ講じて、被害者を出さない工夫が必要です。
 さて先日気になる記事が新聞やテレビで報道されましたので、目にされた方も多いことと思います。以下に朝日新聞のHPより関連記事を抜粋します。
(https://www.asahi.com/articles/ASL6K741TL6KULBJ009.html)
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 スマートフォンなどのゲームのやり過ぎで日常生活に支障をきたすゲーム依存症が「ゲーム障害」として国際的に疾患として認められた。世界保健機関(WHO)が18日公表した、改訂版国際疾病分類「ICD―11」の最終案に明記された。来年5月のWHO総会で正式決定される。ICDは日本をはじめ多くの国が死因や患者の統計、医療保険の支払いなどに使う病気やけがの分類。
 厚生労働省の調査では、成人約421万人、中高生約52万人がゲームなどのネット依存の恐れがあると推計されているが、政府は依存を防いだり依存傾向のある人を早期発見したりするための対策をほとんどとっていない。ゲーム障害が国際的に疾患として認められたことで、予防対策や適切な治療を求める声が強まるとみられる。
 ゲーム障害は、依存性のある行動で日常生活に障害をきたす精神疾患の一種とされた。日常生活に支障が出てもゲームを優先する状態が12カ月以上みられる場合で、症状が重い場合はより短期で診断できるとした。ただし、飲酒同様、ゲームをする行為自体が問題とされたわけではない。
 国内で初めて専門外来を開いた、国立病院機構久里浜医療センターの樋口進院長は「公式な疾患になることで、ゲーム障害は本人の意志が弱いからではなく、治療が必要な病気だと理解してもらえるようになって欲しい」と話す。
 日本企業も加盟する米国のゲーム業界団体など20カ国以上のゲーム業界団体がゲームに依存性はないと反対している。WHO担当者は「科学的な根拠に基づき疾患に加えた。各国は予防や治療態勢の計画を立てるべきだ」と反論する。
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 以上が記事の抜粋ですが、WHOもついにゲーム依存症を疾患として認定したようです。なおこの疾患の定義をまとめると、
・ゲームをする時間などを自分でコントロールできない。
・ゲーム以外の出来事や関心事の優先度が低くなる。
・日常生活に支障をきたしてもゲームを優先する。
こういった状況が12カ月以上続くと「ゲーム障害」と認定される。深刻な場合にはより短期でも診断される(同記事)、ということです。
 確かに、多くの世代で携帯等を使用してゲームに夢中になっている人たちを通勤途上でしばしば見かけますが、「ゲーム」に関わらず、スマホ依存症もこの類の疾病と定義してもよいと思います。なお、このスマホ依存症については脳生理学の立場で別の機会に述べてみたいと思います。
 ゲームは確かに面白く、気分転換や暇つぶしに最適のツールですが、依存症になるほどのめり込んでは人生が終わってしまいます。この点でパチンコなどのギャンブル依存症に似た様な生活状況を作り出します。物事には中庸(ほどほど)が肝心です。

2018年06月24日

#181 他人の目線が気になる

 今週は沖縄、奄美地方が台風による大雨に見舞われましたが、北部九州では晴天続きで湿度も低く、梅雨の中休みが続いています。しかし天気予報によりますと週の中頃より梅雨空になる見込みで、それまで今しばらく爽やかな日々を楽しめそうです。
 さて、私たちは良くも悪くも他人の目線が気になるものです。他人が自分のことをどのように感じているかは老若男女関わらず常に関心の中心にあります。「自分が何者であるか」は自分自身が評価するよりも、他人の意見を参考にすることが役立つ場合が多々あります。それは自分が気づかない一面を他人は感じているからです。このことは個人だけでなく国と国の間にも存在します。例えば私たち日本人が他国の人たちからどう思われているかは、日本人が自ら自国の文化や日本人像を再認識するのに役立ちます。また私たちが当然と思っている事柄が他国の人々から見て驚くほど奇妙であったり、尊敬に値するような事柄であったりします。そのような日本人の一面を扱っているサイトがネットに沢山ありますが、私が時々アクセスしている面白いサイトがサーチナ(http://www.searchina.net/)というサイトです。ここは日本旅行を体験した一般の中国人が日本や日本人をどのように見ているか、本音で評価をしているサイトです。私たち日本人に対して批判する意見もありますが、概ね日本に対して好意的で、中国政府がマスコミ等を通して表明しているような嫌日本感は全くありません。それよりも日本人の習慣や考え方を評価する意見で溢れています。例えば次のような書き込みがあります。

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『こういう設備は、気配りの日本人だからこそ作れるのだと思う!=中国メディア』
(2018-06-14より抜粋)

 中国メディア・今日頭条は13日、「これらの創意あるデザインは、日本人だからこそ発想できたのではないか」とする記事を掲載した。
 記事は、「自分は日本人を恨んでいるが、それでも日本の創意ある設備や人にやさしい生活用品の数々には感嘆を禁じ得ない。中国人にとっては大いに参考になるものばかりだ」としたうえで日本で見かける、細かい配慮が感じられる事物について列挙している。
 まずは、トイレに関する話。温水洗浄便座や消音装置の完備といった点はすでに周知の通りということなのか、紹介されていない。記事は、「どの個室が空いているかを知らせる案内板がついたトイレ」、「トイレには専用のスリッパが配備されている」、「非常時にトイレとして使うことができるイスを備え付けたエレベーターがある」とした。
 続いては、乗り物についてだ。駅で電車を待つ人がちゃんと整列していること、足湯のサービスがある列車が運行されていること、喫煙デッキを備えた列車があること、ボタンを押すとスピードを抑えてより安全走行してくれるタクシー、合理的に枠が配置され、しかも、利用者がちゃんと枠内にきれいに駐車している駐車場などを挙げている。
 また、旅行中でよく見られる点としては、団体観光客が自分の荷物を見つけやすいように、スタッフが空港の荷物受け取りターンテーブル前でトランクを色別にきれいに並べる光景、ホテルの部屋にはベッドごとにライトスタンドがあり、隣で寝る人の邪魔をすることなく本を読んだりできることに言及した。
 記事はこのほか、スーパーなどの商業施設に冷蔵用のコインロッカーがあること、ATMの横に傘や杖のほかにドリンクカップのホルダーも用意されていること、病院などで表に記入する場所に老眼鏡が置かれていること、缶飲料の上部に何の飲み物であるかを示す点字が打刻されていることなどを紹介している。
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このように私達には当然と思っていることが他国の人々からは驚異の目で見られています。中国だけでなく、東南アジア諸国や欧米各国の人々も日本人に対して尊敬の念を抱いている人が多く見られます。私たち日本人は他国の人からそのような評価をしていただいていることを常に自覚して国際理解や協調に努めていかなければならないと思います。

追記 上記のブログは主に中国人の目線から見た日本人および日本文化への評価ですが、世界各国の人々の日本への評価は次のHPを参照してください。
【海外の反応」パンドラの憂鬱 http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/

2018年06月17日

#180 異常な世界

 この一週間で報道されているニュースに人間の異常性が感じられます。昨晩の臨時ニュースは新幹線内の殺人事件でした。航空機ではチェックインする際に厳しい荷物検査が義務付けられていますが、JRや民間の電車ではまったく荷物検査はありません。当然乗客は安全と思い車両に乗り込むわけですが、今度の事件をきっかけに第2、第3の類似事件が発生しないかと心配になります。言いかえれば、通り魔殺人事件が電車内で発生するようなものです。航空機と違い、電車内に警備員や警察官がいない状況では自分の身は自分で守るしかないようです。これでは電車内で居眠りもできません。
 またここ数日ニュースに登場しているのが「紀州のドンファン」と言われる男性の不可解な死です。遺体から大量の覚せい剤が見つかりましたが、警察は殺人事件とみて捜査しています。また彼の愛犬の遺体も掘り起こされて捜査の対象になっています。彼の自宅には多くの監視カメラが取り付けられており、現段階では不審者の姿は報じられていません。現場にいたのは若い妻と家政婦のみ。それでは誰が彼を殺したのか?ミステリー小説のような何とも言えない不可解な事件です。
 そして多くの人が涙を流した事件が「目黒虐待死」です。文字を覚え始めた5歳の女児の親への哀願は涙なしでは読めません。全部ひらがなで書かれていますが、毎日新聞よりその一部を紹介します。

 ママとパパにいわれなくってもしっかりとじぶんからもっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
 ほんとうにおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから やめるから もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします


両親の悪行は言うまでもありませんが、児童相談所が虐待の状況を把握しておきながら行政として何もできなかったのは問題です。児童虐待や家庭内暴力(DV)に対しては行政側は条例等を改正して積極的に介入すべきだと思います。そうしないと同じような虐待事件が何度も繰り返されます。実際今この時に虐待されている子ども達がたくさんいるのです。犠牲になるのは特に弱い幼い子ども達です。10代の子どもと違い、幼い子ども達はどんなにひどい親でも唯一の信頼できる存在として自分の親を妄信します。親に気に入られるためには自分を犠牲にしても何でもやり通そうとするのです。実際この女児は親が寝ている午前4時に起きて電気をつけずに暗い中で文字を書く練習をしていたそうです。覚えたての文字を使って上記の「遺書」と思える文を書いたのでしょう。この事件に関する記事は涙なしには読めません。梅雨空の中、天も涙しています。
 全く異常な世界が私たちの目前に展開されています。人間の神性が忘れ去られ、猛獣以上の残虐性や獣性が野放しにされている現在です。身の安全は自ら守る時代になったのでしょうか?

2018年06月10日

#179 流れる星は生きている

 前回のブログで九州北部の梅雨入りに少し時間がかかるとお伝えしましたが、何とその翌日に梅雨入り宣言が出てしまいました(笑)。それでも週の後半は晴天になり、梅雨の中休みが続いています。今日も朝から快晴です。
 さて話題が代わりますが、友人との出会いには何か運命的なものを感じさせます。例えば小学校の頃は同じクラスで親しい友人でき、毎日のように一緒に遊んでいても、学年が変わりクラスが変われば何となく疎遠になった経験がありませんか。同じように中学時代や高校時代で親しい友達ができても、卒業して学校が変わり、お互い生活する環境が変わればいつの間にか疎遠となっていく傾向があります。そのような時間の経過の中で、友情関係が続いて行くのが本当の親友と言えるのではないでしょうか。
 また友情が始まるのにいくつかのパターンがあります。最初に出会って意気投合して友情が長く続くパターンや、何となく飽きてしまい、直ぐに分かれるパターン。また気になる人がいて、こちらから話しかけたいけれども、何となく躊躇してしまい、その後しばらくして何かのきっかけで話しかけると、その後一生続くような友情が築かれるなど、様々な友人との出会いがあります
 これは本との出会いにも言えると思います。書店で本のタイトルや表紙に魅かれて読み出したけれど、期待したほど内容が面白くなく、途中で読まなくなったり、何となく気にはなるけど、なかなか手にしない本もあり、その後何かのきっかけで購入し読み出すと、とても面白く、最後まで一気に読み終えてしまうようなものもあります。人と同じように外見で判断してはいけないということです(笑)。
 前書きがかなり長くなりましたが、今日のブログのタイトルは知る人ぞ知る名著「流れる星は生きている」(藤原てい著)です。私が初めてこの本を見つけたのは高校時代の頃で、今から数十年前のことになります。最初は天文学の本かと思い、手にしても何となく中身を読み出すまではいかず、結局購入しないで長い年月が過ぎてしまいました。ところが最近ふとこの本のことを思い出し、頁をめくると朝鮮半島の地図が載っており、終戦直前の満州からの脱出劇を一般人の目で詳細に述べてある本だということを知りました。そこで購入して読み出すと最後まで一気に読んでしまいました。ちなみに著者の故藤原ていさんの御主人は新田次郎さんです。私はこの事も知りませんでした(只々赤面です!)。
 この本はソ連の満州侵攻直前直後の満州や朝鮮半島の状況を実体験を通して事細かく記しており、当時朝鮮半島を脱出することがいかに過酷であったか。また幼い子供3人を抱えて食料も不足している状況で、いかに子ども達の命を守ったかを母親の立場で詳しく述べています。また日本人同士でありながら朝鮮半島脱出の過程でお互い助け合ったり、反目し合ったりする様子も詳しく書かれています。当時の脱出劇がいかに悲惨なものであったか、またその途中で多くの日本人が差別に合い、死んでいったかを事細かに書いてあります。
 この本の刊行は昭和24年で、私が生まれるずっと以前のことです。この本は当時日本国内でものすごい反響を呼び、映画にもなったそうです。本のタイトル「流れる星は生きている」は戦争当時、南方にいた部隊の二人の兵隊さんが作詞、作曲した歌の歌詞の一部から採っています。この曲はYouTubeで聴くことができますので興味ある方は検索してみてください。なおこの本には日本に帰国後に著者の故郷の長野県諏訪市に帰るまでを描いていますが、著者の生い立ちや帰国後の生活を詳しく知りたい方は自伝的小説「旅路」を併せてお読みください。両著とも中公文庫から出版されています。一読する価値のある本です。

2018年06月03日

#178 自転車に乗って(2)

 九州南部はすでに梅雨入りしましたが、九州北部は入梅までにもうしばらくかかりそうです。梅雨時期には高温多湿になりやすいので、天気の良い日にできるだけ室内の清掃や庭の草取りなどを行いたいものです。また食中毒も発生しやすい時期になりますので、食事や健康管理に注意して生活していきたいものです。
 さて今日も朝から快晴の一日でした。午前中買い物ついでに1時間半ほど自転車で移動しましたが、湿度が低く爽やかな風が吹いていました。サイクリングには最適の一日となりました。先日の雨で洗われた木々の緑がいっそう鮮やかに輝いています。
 ここ大牟田は有明海沿岸にあり、高い場所に上りますと有明海を一望できます。また大牟田川や諏訪川の河口に行きますと目前に有明海が広がり、遠く佐賀や長崎まで見渡すことができます。普段は天気や湿度の関係でで遠くの山々が霞んで見えないことが多いのですが、今日は遠く北は佐賀県の背振山地、西は有明海対岸の長崎県鹿島市や太良町と多良岳、諫早市の街並みがきれいに見渡せました。実際対岸の建物が小さく並んでいるのが視認できました。また南の方に目を向ければ雲仙岳(普賢岳)が高くそびえ、麓の島原市内も一望できました。このような日は年に数回しかなく、自転車に乗ってわざわざ大牟田川河口まで行ったのは正解でした。
 天気の良い日はできるだけ外で体を動かしたいものです。前回のブログでも述べましたが、自転車は健康や体力維持にも役立ちます。また車による移動と異なり、自然に吹く風を満喫できます。また景色の見え方も違ってきます。車を運転しているときは風景をじっくり楽しむことができませんが、自転車はペダルを漕いでいる時や、立ち止まっている時に好きなだけ景色を楽しむことができます。自転車は自然に優しい究極のエコカーです。雨の季節を迎えるまでもうしばらく楽しみましょう。

2018年05月27日

#177 自転車に乗って(1)

 今日は風が強く、夕方から少し曇ってきましたが、それでも朝から快晴で気温や湿度が低く、梅雨入り前の爽やかな一日となりました。あと10日もすれば北部九州で入梅となりますので、今日は5月最後の晴天の休日になるかも知れません。
 さて今日は久しぶりに自転車の掃除を行いました。毎日移動に使用していますので、あちこち埃がこびり付いており、時間をかけてきれいにふき取ってあげました。またクランク(ペダルのついている部分)の根元がガタついていましたので、自転車屋に持って行き、ベアリングの部品交換と後ろのタイヤを交換してもらい、全部で7千円ほどかかりましたが、また元のように快適に乗ることができました。
 人口が最盛時の半分ほどになった大牟田ではバスの便数も減らされ、どこへ行くにも不便を感じます。自宅の近くのバス停では以前は15分おきにバスが来ていましたが、現在は1時間に1本しかなく、バスが来ない時間帯もあります。そこで活躍するのが自転車です。自家用車は長距離を移動するには便利ですが、ガソリン代や税金など予想以上に維持費がかかります。その点自転車は市内を移動する程度でしたら、バスを待つ必要もなく、道路の渋滞でイライラすることもありませんので気楽に移動できます。また自転車に乗ることで軽い運動にもなりますので、交通費の節約と健康のために一石二鳥です。
 ただ唯一困るのは雨の日に自転車が使えないことです。合羽を着て乗るのは可能ですが荷物が濡れてしまします。そこで雨の日には職場まで歩いて行くことになります。雨に日には少し早起きして、歩く時間を考慮して早めに移動しなければなりません。それ以外は四季を通して(冬でも)、自転車は重宝する移動手段となります。大事に使用すればタイヤや部品交換するだけで5,6年は乗ることができます。皆さんも健康のために、また気分転換に天気の良い日には自転車を利用しましょう。

    自転車にのって ベルを鳴らし
    隣りの町まで 嫌なお使いに
    そして帰りにゃ 本屋で立ち読みを
    日が暮れてから おうちに帰る
    自転車にのって 自転車にのって
    ちょいとそこまで歩きたいから     ♪高田渡「自転車に乗って」より抜粋

2018年05月20日

#176 ヤングマンと澄子さん逝く

 今週の前半は真夏のような日が続いていましたが、今日は一転梅雨のような一日で、湿度が高く、断続的に雨が降り続いています。梅雨空に合わせるかのように昨日と本日続けて訃報が飛び込んできました。
 昨日から西城秀樹さん死去のニュースを各テレビ局トップニュースで報道しています。西城秀樹さんと言えば、芸能人では言わずと知れた大スターです。1970年代から現在のような「アイドル」ではなく「スター」として大活躍し、輝いていました。また歌手だけでなく俳優としても才能を発揮しました。特に私が好きだったテレビ番組「寺内貫太郎一家」では小林亜星さん演じる貫太郎と長男周平役の西城さんが繰り広げるちゃぶ台返しの取っ組み合いに毎週日本中の人々が腹を抱えて笑ったことを思い出します。
 大歌手としての彼の数多い歌の中で、私は特にブルースカイ・ブルーが好きです。その理由は大学生時代にバンドを組んでいましたが、ライブで演奏するために私はベースギター担当として、この楽曲のフレーズを必死で覚えたことをつい昨日のように懐かしく思い出します。西城秀樹の名前はいつまでも「ヤングマン」の代名詞として芸能史に輝くことでしょう。
 本日もうひとり大スターの死去が伝えられました。加山雄三「若大将シリーズ」でヒロイン役と務めた「澄子さん」こと、星由里子さん訃報のニュースです。彼女に対する私の印象は、私が小学校の頃に怪獣映画と若大将映画がカップリングされて上映され、彼女はどちらの映画にもヒロイン役として登場されました。もちろん1960年代から銀幕の女優として数多くの映画やテレビドラマに出演され、活躍されてきました。現在でもBSテレビやスカパーなどで若大将シリーズや怪獣映画が時々放送されますが、テレビ画面には若かりし頃の星由里子さんの姿がまぶしく輝いていると同時に、あの頃の懐かしい時代を振り返ってみたりします。若大将シリーズと怪獣映画の2本立てで上映されていた古き良き時代の銀幕スターです。懐かしい昭和の香りが漂っています。お二人のご冥福を心より祈りたいと思います。

2018年05月18日

#175 魑魅魍魎の世界

 久しぶりに雨が降っています。今日の仕事は雨が降る前に冬に使用したダウンコートとマフラーを近くのクリーニング店に持って行き、その後庭の草取りをすることでした。当塾には部屋の南側に16畳ほどの小さな庭があり、春になるとすぐ草が生えてきて、ほおっておけば森のようになってしまいます(笑)。午前中に雨が降る前に何とか大きな草を抜いてしまい、これで2週間ほどは大丈夫でしょう。これから晩秋までは草との壮絶な闘いが続きます(笑)。
 さて本日のブログのタイトルですが、いま魑魅魍魎(ちみもうりょう)が世界に広がっています。ビットコインなどの仮想通貨の話です。昨晩NHKで面白い番組を放送していました。NHKスペシャル「仮想通貨ウォーズ~盗まれた580億円を追え」(再放送は5月17日(木)午前1時となっています)という番組で、NHKのHPでは次のようにこの番組を紹介しています。

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前代未聞、史上最大の“580億円分”の仮想通貨が交換会社から流出した事件。仮想通貨の普及を図る国際団体「NEM財団」は、流出した仮想通貨NEMに目印をつけて追跡を続けていたが、先月、追跡を停止したことを発表した。犯人側は匿名性の高いダークウェブを介して、巨額のNEMをビットコインなど、別の仮想通貨に交換。もはや犯人側の“勝利”かと思われた・・・。しかし、警察や財団とは別に、独自に犯人を追跡しているITのスペシャリスト「ホワイトハッカー」たちは諦めていなかった。「こうした事件を放置すると仮想通貨の未来が揺らぐ」という信念の元、各国のホワイトハッカーが犯人包囲網を構築し、交換後も追跡が可能な“独自のプログラム”を開発し、交換に関わった人物から情報を集めるなど、サイバー空間を舞台に一進一退の追跡劇が続いているのだ。果たして犯人は何者なのか?知られざるハッカーたちの攻防に密着する。
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180512(予告動画あり)
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 見ていて背筋がぞっとするような番組でした。この番組は今年の1月に国内大手の仮想通貨交換所コインチェックから580億円が盗まれたその後を追跡しています。犯人を追跡する数名の天才的ハッカー達と犯人との攻防をドキュメンタリー形式で追跡した番組です。私の背筋が寒くなったのは次の事柄です。
 悪事をするためにはお金が必要です。一例として中東のISが国家を維持するためには莫大な金が必要でした。不当に獲得した原油を売ったりして国家を維持していました。資金が無くなりますと国家を維持することができません。ISが消滅した原因の1つは資金の枯渇です。
 ところが近年簡単に大金を手にすることができるようになりました。仮想通貨を盗んで現金に換金することです。コンピュータプログラムを作り出す知識があれば、その知識を用いて簡単に仮想通貨を手に入れることができる現代世界です。世間の人々はビットコインを始めとする仮想通貨に投資して金儲けしようとする投資熱に浮かされていますが、あくまでも国家が運営する現実の金銭ではありません。いつ無くなるかもしれない仮想の金銭です。私はどうしてもこの状況が80年代のバブル期の国内の投資熱と重なってしまいます。仮想通貨がうまく運営されているときには問題は起こりませんが、一端不況や紛争などが発生しますと仮想通貨は雲散霧消してしまいます。文字通り何も残りません。
 この番組を通して見えてきましたのは、世界を動かしているのは国家や経済ではなく、すべてが金だということです。つまり金を所有する者が国家や経済を動かし、人間をも動かし、この世を支配しているという現実に改めて気づかされました。本当に恐ろしい魑魅魍魎の世界です。

2018年05月13日

#174 #ThankYouIchiro

 今年のゴールデンウィークも残すところあと2日となりました。昨日までは晴天でも強風が吹いていましたが、本日は穏やかな天気になり、行楽には絶好の一日となっています。近くの大牟田市動物園には多くの子ども連れの親子で賑わっています。大牟田市も多くの来園客に対応できるように、大牟田駅から動物園まで臨時の無料バスを運行しています。
 さて昨日はイチロー選手に関するニュースが世界中を駆け巡りました。国内外のマスコミはこぞってイチロー選手に関するニュースをトップ扱いで報道していました。イチロー選手本人もインタビューでこの日が来ることを覚悟していた様子でしたが、「球団の会長付特別補佐」としてシアトルマリナーズに「生涯雇用」の肩書で残るそうです。今季は選手として試合には出ませんが、来季は選手として出る可能性も残っているそうです。今後イチロー選手はいつもの通り選手に同行して練習をするそうです。
 しかしイチロー選手にとっては実質上の引退と思われます。今季成績が振るわなかった上、外野手が5人もいては活躍する選手が最優先されます。また選手登録枠数の問題もあります。アメリカ人は活躍する選手に対して本当に称賛しますが、不振な選手に対してはブーイングが起こり、下部組織への移動や引退解雇など厳しく対応します。イチロー以外の選手でしたら、今回即解雇または自由契約となることろでしょう。シアトルマリナーズはこれまで素晴らしい実績を残してきた偉大なイチロー選手に最高の敬意を表して今回の措置を決めたのでしょう。球団の大英断に喝采を送りたいと思います。なお本日のブログタイトル#ThankYouIchiroは米大リーグ公式ツイッターで、『「#ThankYouIchiro」のハッシュタグ(検索用ワード)をつけて動画を投稿。鋭い送球で走者を刺す「レーザービーム」や07年のオールスター戦でのランニングホームランなどを紹介し9時間で41万再生を超えた。』とあります。参考にご覧ください。

2018年05月05日

#173 高校の「朝課外」揺れる現場

 今日で4月が終わり、明日から5月になります。新学期が始まり、あっという間にひと月が過ぎたことになります。福岡県内の高等学校では2020年の大学入試改革に備えて、様々な改革が行われています。また文科省でも新形式の入試に備えて全国の指定された高校で新形式の模試を繰り返し、そのデータを集めています。入試改革に備えて待ったなしの状況が続いています。
 さて冒頭のタイトルですが、これは西日本新聞で現在取り上げている福岡県内の公立高校の朝課外についての報道です。(詳細はhttps://www.nishinippon.co.jp/nnp/anatoku/article/410668/をご覧ください。)福岡県内の公立高校では1970代より「朝課外」の名目で普通科の高校を中心に早朝7:30頃より授業が行われています。ほとんどの学校で生徒に授業を強制的に受けさせており、この朝課外授業に対して不満に思っている生徒が少なくありません。この状況に対して県教育委員会は各高校に対して朝課外授業の状況を調査しており、朝課外を選択制にするように通達しています。当塾に通っている生徒の話によると、今年度から朝課外が選択制となり、学校の対応の苦慮が見られます。
 私が聞いた話では朝課外授業は鹿児島県から始まり、現在九州各県で行われています。この習慣は関東や関西では見られませんが、70年代当時大手の予備校が九州に進出していなかったので、都会の生徒の学力に追いつこうと、授業時間を増やすために始まったと考えられます。その背景には大学入試の合格者を増やそうという各学校の思惑があります。特に普通科の公立学校では大学入試合格者数によって評価される傾向があり、入試結果は教員の人事移動にも影響します。
 生徒の中には早朝から授業を受ける意味がないと考える者も多く、この点で学校側と生徒側の意識のずれがあります。また朝課外授業だけでなく、放課後の課外授業もあります。放課後の課外授業も多くの学校で行われており、たいていは16:00~18:00まで授業を行っている学校が多くあります。生徒たちはその後部活動に参加し、福岡市内の県立学校の生徒達は7時半過ぎに校門を出ています。
 70年代と異なり、各県には大手の予備校があり、そこで勉強する生徒も多い現状では、果たして高校生にとり朝課外が必要なのか、この朝課外については今後も検討する大きな課題だと思います。

2018年04月30日

#172 生きていくあなたへ(3)

 緑がますます輝き始める頃になりました。近くの国道の花壇にはポピーやスミレの花が咲き乱れています。今日も朝から晴天ですが、空には少し霞がかかっています。さて昨日から大型連休に入りましたが、皆様はどのように過ごされるおつもりでしょうか。当塾はお盆休暇、年末年始休暇、年度末休暇以外は休まず授業をしていますので、大型連休中も平常通り授業をおこないます。
 さて故日野原先生の言葉を本日まで抜粋したいと思います。「生きていくあなたへ」には他にも多くの珠玉の言葉がありますので、是非一度お読みください。

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Q:どうしたら先生のように、年をとっても若く元気でいられるのでしょうか?
A:お若いですね、とか元気ですね、と言っていただけるのは、素直に嬉しいものです。僕は食べることや健康習慣だけでなく、美容にもそれなりに気を使っているのです。実は、この年末に、肌のしみとりにもチャレンジしてみたのです。人間には外見を整えることで、人に会いたくなったり、積極的な気持ちがわいてきたりする心が備わっているのだと実感します。
 そういった外見の若さというのも大事ですけれど、もし僕が若々しいと言われるのだとすれば、一番の原因は、常に新しい自分との出会いを大切に過ごしているからではないかと思います。
 過去の自分にこだわり、自分のやり方はこうだとか、自分はこういう性質だ、ということを決めつけず過ごしています。だから毎日が自己発見の連続なのです。
 その中には、日常の小さなことから、人生を変えるような重大なものまで様々あるのですが、特に大きく自己を見つけられたのは、苦難に遭ったときや病気を患ったときに多かったように思います。
 人間というものは苦難にあわなければなかなか目が覚めない。
 105歳まで長寿を頂いた僕ですが、実は子どもの頃から身体が弱く、結核や腎臓炎を患ったりと病気がちでした。そして今も心臓に病を抱え、思い通りにいかないあれこれの連続です。しかし病は僕にたくさんのことを教えてくれました。
 ルカによる福音書に、「貧しい人は、幸いである」「今泣いているものは、幸いである」という言葉がありますが、病を抱えている僕にはこの言葉の意味がよくわかります。
 人間というのは不思議なもので、苦しいとき、逆境のときにこそ自分の根源と出会うことができるのです。病や苦難によって、新しい自分を見つけたら、その恵みを受け取ると同時に、過去の自分の皮を脱ぎ捨てましょう。常に「キープ・オン・ゴーイング(前に進み続けよう)」。
 若々しさの秘訣にもつながる僕の大好きな言葉です。
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 幼い子ども達は常に自分の周りのものに興味を持ち、「何?どうして?」と近くの大人に問い続けます。日野原先生も仰るように、常に新鮮な気持ちで生きることが若さを保つの秘訣でしょう。年を取れば取るほど、物事を分かったつもりになり、感動することが無くなる傾向になりますが、世の中は常に変化していきます。例えば若い世代は古い世代には苦手なスマホを使いこなしています。何歳になっても世の中の動きに注視し、様々なものに興味を持って生きたいものです。生きている限り、これで終わりということはありません。常に新しい自分と出会いたいものです。
 それでは大型連休を有意義にお過ごしください。

2018年04月29日

#171 生きていくあなたへ(2)

 ここ数日間各地で真夏のような天気が続いています。昨日は30度を超えた場所が多くあったそうです。ここ大牟田でも最高気温が26度ほどでしたが、空気が乾燥していますので、木陰に入ると涼しく、爽やかな気分になります。
 さて本日も日野原先生の「生きていくあなたへ」から抜粋したいと思います。

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Q:離婚を経験し、もうこんな思いはしたくなくて、新たな出会いを求められずにいます。
A:どんな出会いにも、いつか必ず別れの時が来ます。
 僕も妻も長く夫婦でいましたが、結局死によって分かれる時が来ました。人はいつか必ず別れなくてはいけない。どれほどつらくても、曲げようもない事実であり、受け入れなくてはいけません。
 出会いは感動を伴うけれども、その幸福感が大きければ大きいほど、別れの時に覚える喪失感も大きいものですね。でも生きることと死ぬことの片方だけを選べないように、出会いと別れというものも、どちらか一方だけをとるというわけにはいかないのです。出会いと別れというのは1つのものなのです。
 出会いに感動しながらも、この感動の正体はどこにあるのだろうと、さらにむずむずしてしまう、そんな経験があなたにありませんか。出会いがもたらしてくれる感動の本質が何であるのかということは、その人と一緒にいる間には、すぐにわからないものなのだと僕は感じます。別れなければ、出会ったことの意味、本当の喜びを知ることはできません。
 別れというものはすでに出会いの中に含まれているものだとすると、別れたくないからもう新たに出会いたくないという人もいるかもしれませんね。でも人は生まれてきた時から、他人と出会わずに生きていくことはできないのです。
 愛する人と別れ、こんなつらい思いをするならいっそう出会わなければ楽だったのではないか、という気持ちになる日もあると思います。あるいは、たくさんの別れに心が疲れ、新たな出会いを避けたり恐れたりする気持ちになることもあるでしょう。人間とは弱いものです。
 別れというものは本当に悲しいものですね。それでも別れるべきその日が来たならば、ただ悲しさを感じて終わりにするのではなく、別れが教えてくれる「出会いの意味」に目を向けてみてほしいのです。別れとは、出会いの中にあり、悲しく静かに僕たちが出会った本当の意味を再確認させてくれるものだからです。たくさんの別れを経て、感動の正体を探し続けた今、僕は改めてそう感じているのです。
 『星の王子さま』にこんな別れのシーンがあります。王子さまが、自分の星に大切な薔薇(ばら)を置いてきてしまったことを後悔し、「絆(きずな)を結んだ人と交わした約束には永遠の責任があるんだ」と言って帰っていくとき、王子さまは地球で出会った、大切な真の友である飛行士にこう告げます。
 「悲しみはいつか和らぐよ。いつかその悲しい気持ちが和らいだら、僕と出会ってよかったって思うよ」
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 日野原先生が仰る通り、出会いと別れは表裏一体をなすものです。これは人の出会いだけではなく、ペットとの出会いや、書物など物との出会いも含まれます。大切にしていた指輪や本を失くしてしまうことも1つの別れでしょう。身近な人や物や健康などは自分の周りに存在する間は、その大切さが分かりませんが、失って初めてその価値に気づくものです。

2018年04月22日

#170 生きていくあなたへ(1)

 4月も早や中旬を迎え、青葉がますます煌めき始める頃となりました。昨日は低気圧通過のせいで、九州地方はかなりの雨量となりましたが、それがかえって新緑の季節に色合いを添えています。
 さて本日から数回にわたり故日野原重明の最後の対談集である「生きていくあなたへ」(幻冬舎刊)から抜粋したいと思います。この本は日野原先生が亡くなられる半年ほど前に対談形式で録音したものを編集したものです。先生の最後の肉声が聞こえてきます。また、あとがきに先生最期のメッセージが載っています。今日はその中から印象に残ったものを取り上げてみます。

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Q:先生は命の尊さを伝える活動を続けてこられましたが、命とはどんなものなのでしょうか?
A:命とは目には見えないけれど確かに存在する、エネルギー体のようなものです。ではそのエネルギー体はどこに存在するのかということですよね。僕は長年、命の尊さを伝えることを使命として、「命の授業」というタイトルで全国の10歳の子ども達と交流してきました。僕は子ども達にこう問いかけます。
「命はどこにあると思う?」
 そうすると子ども達は心臓のあたりを指したり、脳みそと答えたりするのです。
 心臓は身体を動かすために働いている単なるポンプのようなものに過ぎないよ。脳みそはいろんなことを考え出す機能を持った身体の一部でしかないんだよ、そして、「命というのは君達が使える時間の中にあるんだよ」と子ども達に伝えてきました。僕は続けます。
 君達は今、毎日朝ごはんを食べて、学校に来て勉強して、友達と遊んで……。これは誰のためにしてると思う?すべて自分のためだよね。君達は、子どものうちは与えられている時間を全部自分のために使いなさい。だけれども、君達が大きくなったら、その時間をほかの人のため、社会のために使わないといけない。そう気づく時が必ず来るよ。だから大きくなって大人になったら、君達の時間をできるだけまわりの人のために使ってくださいね。
 そして地上での時間が終わったとき、神様が天秤を持って待っているのです。生きてきた時間のうち、人のために使った時間が多いか、自分のために使った時間が多いかをはかって、人のために使ったほうが多い人が天国に行けるんだよ。
 そう話すと、子ども達は目をきらきらさせて、僕の話を聞いてくれます。子ども達は、大人よりすんなりと理解してくれるものです。「天の御国は子どものような心を持ったもののためにある」という意味の聖書の言葉があります。
 命とは何であるか。本当に理解しているのは、もしかしたら子どものほうかもしれないですね。
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 日野原先生の仰るとおり、人間の価値はお金や地位や権力、容姿容貌で決まるのではなく、生きている間にどれだけ他人のために自分の時間を使ったか、換言すれば、「どれだけ人を愛したか」に尽きると思います。私のような我欲の多い凡人にはなかなか到達できる心境ではありません。しかし自分にできることを少しずつ実行していくことで、いつか神様の善悪をはかる天秤が少しでも平行になるよう努めたいと思います。

2018年04月15日

#169 ランドセルの旅立ち

 この1週間は新年度を迎え、小学校から大学までのほとんどの学校で始業式や入学式が行われました。校舎に生徒の笑顔が溢れて、すっかり学校らしい雰囲気が戻ってきました。学校という場所はもちろん生徒が主役であり、生徒あっての学校です。今年度の学校教育はどのような顔を見せてくれるでしょうか。生徒の明るい笑顔に期待したいと思います。
 さて昨日ネット検索をしていましたら、面白い記事に遭遇しましたので、今日はそれを引用します。
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「約9000個のランドセルが旅立ちへ」
(https://www.jiji.com/jc/movie?p=n000844)
 使い終わった約9000個のランドセルに学用品を詰めてアフガニスタンの子どもたちに贈る作業が7日、横浜市内で行われた。全国から送られてきたランドセルを、クラレの社員や関係者ら約190人が一つ一つ開封、検品し、ノートやペンを詰めて段ボールに梱包していった。ランドセルは船で運ばれ、秋以降に現地の子どもたちの手に渡る予定。【時事通信映像センター撮影】
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 上記のニュースは画像がありますので、ぜひご覧ください。ものすごい数のランドセルが山積みとなり、関係者がが整理に追われています。たしかに小学校を卒業して使われなくなったランドセルは、ただのごみになります。子供の記念としてミニチュアのランドセルに作り変えるサービスもありますが、大抵は押入れの片隅に保存されて、ついには捨てられる運命になるのではないでしょうか。捨てられるくらいなら、古いランドセルを発展途上国の子どもたちに使ってもらう方がランドセルにとって大喜びです。日本のランドセルは作りもしっかりとして耐久性にも優れています。文具を買えない子どもたちにとって、かけがえのないプレゼントになります。心温まるニュースです。
 もう一つ似た様なニュースがあります。
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「JR武蔵野線の列車、行き先「ジャカルタ」表示」
(http://www.yomiuri.co.jp/economy/20180407-OYT1T50067.html)
 行き先を「ジャカルタ」と表示した回送列車が3月以降、千葉市から新潟市に向けて走っている。日本での役割を終え、新潟の港からインドネシアに輸出される中古車両の活躍を願い、JR東日本の社員が表示板を手作りした。粋な心遣いが、沿線住民や鉄道ファンの間で話題を呼んでいる。
 千葉県習志野市のJR新習志野駅に3月30日午前9時半過ぎ、機関車に引っ張られた8両編成の回送列車が到着した。最後尾の運転席上部に掲げられた行き先表示は、インドネシアの首都「ジャカルタ JAKARTA」。ホームでは約50人の鉄道ファンが熱心にシャッターを切る。機関車の警笛が鳴り響く中、列車は異国に向けて旅立った。
 車両は営業運転を終えた武蔵野線の「205系」。JR東はインドネシアの鉄道会社から申し出を受け、2020年までに、1985年~91年の製造で更新期を迎えた336両をこの会社に有償で引き渡す。3月2日から順次、千葉支社の車両センターから出発させている。
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 日本では一定期間を過ぎると電車は世代交代のために廃車となりますが、まだまだ充分走ることができます。そのような電車たちに第2の人生(余生)を海外で過ごしてもらおうという企画です。電車をただ海外に移送するのではなく、電車に花道を迎えさせるために行先を「ジャカルタ」と表示させたのでしょう。電車たちを気遣い、勇退させようとする日本人らしい発想だと思います。
 上記の2つのニュースを通して、久しぶりに日本人らしい細やかさを感じることができました。

2018年04月08日

#168 桜雨の降る頃に

 今日は4月1日、新年度の始まりです。本日は日曜日のために実質上は明日2日から大半の企業や官公庁で新年度が始まることになります。いくつかの大学や小学校で本日入学式が行われる場面をテレビで流していました。いずれにしても新しい季節の始まりです。
 今年の桜は天気にも恵まれ、日本国内の多くの場所で今週末まで花見が行われています。地域によってはさすがに葉桜が増えてきていますが、それでもまだ桜を愛でる日が続いています。日本の桜まつりは最近では日本国内だけでなく海外でも評判がよく、中国や韓国を始め多くの外国人がこの季節に合わせて日本にやってきます。日本の風情を最も楽しめる季節の一つとして世界中に知られるようになりました。
 桜と言えば、開花から1種間ほどで満開を迎えますが、今年はかなりの地域で1週間以上咲き誇っているようです。特に満開を過ぎて花弁が風に吹かれて一斉に散っていく桜雨の様子は形容しがたいほどの桜花の潔さを示し、古来より日本人の心を表わすような佇まいを表現します。特に卒業式や入学式に見ることができる桜は春の季節の色合いをいっそう高めてくれます。

  桜の雨が降る頃に 君に初めて出会った
  まだ幼い笑顔が とても素敵だったね
  いつしか季節はめぐり 君はここを出ていく
  思い出胸にかかえて 君は故郷を出ていく
  愛は春風のように 心に花を咲かせて
  そして遥かな旅路へと 君を誘っている
  桜の雨が降る頃に 君と出会い別れた
  そしていつか 帰っておいでよ
  ここは君のふるさと  (♪桜雨の降る頃に)

 桜雨の季節が終われば、新緑の候を迎えます。緑がひと際美しい季節を迎えます。また新たな気持ちで新年度に臨みたいと思います。

2018年04月01日

#167 戦慄の近未来!

 今日で平成29年度(2017年度)が終了します。当塾では昨日から授業を再開しましたが、今年度は中学3年生4名が当塾を卒業しました。いずれの生徒も2~3年当塾に通った生徒でした。4月からは全員が第1志望の高校へ進学します。生徒達の前途を心より祝福したいと思います。
 さて昨日録画しておいた映画を観ましたが、あまりにも面白くて、つい夜更かしをしてしまいました。それと同時に近未来におそらく類似した事件が発生するだろうと考えると背筋がぞっとしました。映画のタイトルは「アイ、ロボット(I, Robot)」です。あらすじを簡単にまとめますと次のようになります。
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 近未来の2035年、舞台はアメリカで、ロボットが活躍する社会です。利便性の増した次世代家庭用ロボットNS-5が各家庭に導入されます。そんな折にロボット嫌いなスプーナー刑事の下に連絡が入ります。ロボット工学の第一人者であり、スプーナーの恩人でもあるラニング博士がU.S.R.本社ビル内で死亡しているのが発見されます。現場に残されていたホログラムプロジェクターにはスプーナーを呼ぶよう遺言が残されていました。警察は自殺と判断しますが、腑に落ちないスプーナーは、ラニング博士の愛弟子であるロボット心理学者のカルヴィン博士と共に研究室の中を探り、「サニー」と名乗り人間に近い感情を持つNS-5型ロボットを発見します。そのサニーが逃亡し、ロボットが人間に逆らい自由意思を持つことが明らかになります。…途中省略…そのような状況下でロボットが人間に対して反乱を起こし、人間とロボットの戦いが始まりますが、ロボットをコントロールしているのはロボットを管理しているホストコンピュータ「ヴィキ」だということが判明します。このコンピュータを破壊することでロボットによる反乱は終息を迎えます。ロボットはすべてミシガン湖畔の倉庫へと収容され、使命を遂げたサニーもそこへ向かいます。サニーが丘を見つめその上に立つと、集められたロボット達はサニーを見上げます。それはまさに、サニーが夢の中で見た「ミシガン湖の湖畔と、丘の上に立つ人物がロボットを解放する」光景だったのです。(ウィキペディアより抜粋、要約)
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 このような内容のSF映画ですが、ロボットが反乱を起こした理由は、「①人間は自然を破壊してきた。②人間は人類にとり自ら脅威となっている。③地球を救うために人間の排除が必要である。」と映画の中で訴えていました。確かに3つの理由すべてが理にかなっています。私たち人類はこれまで地球環境を破壊し続け、人間以外の他の多くの生物たちを死に追いやりました。さらにこの惑星地球も今破壊尽くそうとしています。
 このような状況下で、もし地球に意思があるとすれば、地球が自分の命を守るために早晩今の人類を天変地異等により滅ぼす手段に出てもおかしくありません。実際起こり始めているのではと、危惧したくなります。
 私たちは生きている地球に感謝して、他の生命体と共存できる環境を作り上げるような時期に来ていると思います。そうしないと人類自ら作り上げたAI(人工知能)やインターネットの暴走により、または悪意ある集団の管理下により人類全体が危機に陥ることになりかねません。特に囲碁や将棋の世界ではAIの絶対的な勝利が人間以上の能力を持つことを証明しています。また工場では多くのロボットが働いており、それを管理する少数の人間がいれば充分な状況です。最近ではロボットの受付嬢が働くホテルも登場しました。今後は様々な分野で有能なロボットが登場することでしょう。このことは私たち人類を労働から解放することを意味していますが、反対に無能は人間は社会からはみ出すことも危惧されます。近未来は私たちの自由意思にかかっています。
 便利な世界が人類にとり必ずしも幸せとは限らないでしょう。人類の未来は今生きている私たちの行動にかかっています。特に映画の最後のシーンが何を意味しているかを皆さんにじっくり考えていただきたいと思います。ぜひ観ていただきたい映画です。

2018年03月31日

#166 子ども食堂、悩むニーズ把握

 前回まで政治的な話題が続きましたので、今日は久しぶりに「子ども食堂」の話をしたいと思います。昨日の西日本新聞に『子ども食堂、悩むニーズ把握 7割「来てほしい子来ない」九州運営者アンケート』という記事が載っていました。(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/403341/を参照)この記事を引用します。
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 温かい食事や居場所を提供する「子ども食堂」について、九州の運営者にアンケートしたところ、7割が「来てほしい家庭の子に来てもらえない」とニーズ把握に悩んでいることが分かった。17日に福岡県春日市であった「広がれ、こども食堂の輪! 全国ツアーin福岡&九州サミット」の実行委員会が調査した。実行委は「地域や子どものニーズに合わせて食堂の形態を考えていく段階に来ている」と指摘する。
 アンケートは2~3月に実施。九州7県で子ども食堂を運営する49の団体・個人から回答を得た。利用対象者を尋ねたところ、7割以上が「大人を含めて誰でも」。子ども食堂は貧困対策を出発点としてきたが、最近は家庭や地域に居場所のない子の受け皿になったり、学習支援の場になったりと形態が多様化しており、対象を「生活困窮家庭の子」に限っているのは2カ所だけだった。
 課題は、地域の中で「来てほしい子」をどう把握するか。呼び掛けるだけでは限界もあり、アンケートでは、35カ所がスクールソーシャルワーカーや民生委員など他団体から紹介してもらったことがあると回答した。どんな子に来てほしいか、運営側の意識統一ができていないケースもある。
 一方、食堂に来た子を児童相談所や自治体の支援窓口につなげたことがあるのは5カ所にとどまった。運営スタッフは有志中心で対応が難しいケースもあり、実行委員長を務めた大西良筑紫女学園大准教授(社会福祉学)は「子ども食堂を持続可能な取り組みにするには、スタッフの負担を減らし、専門機関とも連携を深める必要がある」と提言する。
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 確かに上記の記事にある通りだと思います。私は毎週木曜日に手鎌地区公民館で大牟田市の委託による社会福祉協議会主催の学習支援活動にボランティアとして参加していますが、現在10数名の生徒が学習しています。しかし、民生委員などの話では市内に百数十名ほどの貧困家庭の子ども達がおり、市内2か所の学習支援に参加している子どもの割合はおよそ全体の2割程度になります。また大牟田市内にも「こども食堂」に該当するボランティア団体がありますが、参加人数はそれほど多くありません。
 この原因はいろいろあると思いますが、まず第一に支援の必要な家庭の保護者が学習支援やこども食堂の存在を知らないことが挙げられます。大牟田市では「市政だより」等で広報をしていますが、「市政だより」を見ませんと親御さんは気づきません。どのように知らせるかが今後の課題であり、まだまだ努力不足があるようです。次に考えられるのが親御さんが必要性を感じていない。言いかえれば子供の教育に関心がない、ということになります。いずれにしても子ども自身がこのような支援活動に気づくことは少なく、市役所の福祉課や、民生委員の努力により支援活動の存在を知らせていく必要があります。
 また子ども食堂の運営に成功しているところもあります。一例として「赤ちゃんポスト」で有名な熊本の慈恵病院の「エンゼルこども食堂」は熊本地震2週間後に子ども食堂を始めたそうですが2年間でのべ6000人のこどもに食事を提供したそうです。貧困世帯のほか、親が働いて一人で食事する孤食の子どもに無料で食事を提供しています。(https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/kumamoto/article/403037/)
 これからも学習支援や子ども食堂のような福祉活動が広がりを見せるでしょうが、地域や子どものニーズに合った活動となるように工夫を凝らす必要があります。

2018年03月25日

#165 疑心暗鬼2

 前回のテーマの続きになります。前回はフェイクニュースに関する疑心暗鬼を述べましたが、今回はもう一つの疑心暗鬼の話です。ご存知のようにテレビや新聞、雑誌を含め総じてマスコミは「自分の不利になる情報は出さない、載せない」ということです。一例を挙げますとチベットで行われている中国による蛮行を記事にする報道各社はほとんどいません。これが政府圧力による報道管制によるものなのか、各社の自主規制によるものか判断できませんが、中国の不利になる情報を取り上げると、それ以降の取材等が厳しく制限され記事が書けなくなるという懸念がNHKを含め報道各社にありそうです。このことは国内だけでなく、海外、特にアメリカによく当てはまります。例えば日本に普及しているCNNのニュースは反トランプ姿勢が目立ちます。トランプ大統領の地元ニューヨークではトランプ人気が依然続いていますが、CNNはこの事実を無視して反トランプの意見を流しています。一般市民のインタビューでも反トランプ内容の意見が目立ちます。
 また卑近な例では、スマップ騒動顛末並びにNHKの紅白歌合戦の出演歌手所属の芸能事務所の偏りに自主規制の傾向が見られます。テレビではスマップの3人が脱退した後に元の芸能プロダクションから圧力がかかり、3人に関する情報があまり見られない様になっています。このことは3人の人気に陰りが出た結果ではなく、芸能プロの機嫌を損なわないように、各芸能記者が自主規制しているということでしょう。また昨年大晦日のNHK紅白歌合戦では、ある芸能プロ所属の歌手の人数が突出しており、いかに芸能プロの勢力を無視できないかという証左にもなります。本来であれば、紅白歌合戦はあらゆる世代の歌手を登場させる国民的番組でなければなりませんが、最近の紅白は著しい偏向が見られます。また年末の日本レコード大賞では候補者のノミネートの際にも金銭売買で候補者を選ぶ旨の黒いうわさが飛び交っていますが、真相は闇の中です。
 前回と今回の2回のブログを通して言いたかったことは、「流れてくる情報をそのまま鵜呑みにしてはならない」ということです。1つの情報に対して本当に正しいかどうか一応疑ってみる必要があります。いわゆるクリティカル・シンキング(物事に対して客観的かつ批判的に考えること)を私たちは日頃より実践する必要があります。今はネット時代ですので、様々な情報が流れてきます。1つの情報だけでなく、様々な角度からいくつかの情報を俯瞰しなければ正しいかどうか判断できないのです。

2018年03月24日

#164 疑心暗鬼1

 昨晩NHKで面白い番組を放送していました。フェイクニュースについての特集です。私が愕然としたのは、番組冒頭で紹介された「ナイアガラ完全凍結」のニュースでした。確かにネット上で騒がれたニュースでもあり、当塾の生徒達にも紹介しましたが、ナイアガラ滝周辺の人々はこのニュースを完全に否定し、完全なデタラメだとNHKでは説明していました。私もすっかり騙されてしまいました。
 ネット上には様々なニュースや情報が飛び交っています。発信された情報について何が真実なのかまるで分らない状態です。コンピュータやITテクノロジーのおかげで特に画像や音声は簡単に作り変えることができます。NHKの番組内でも説明していましたが、フェイクニュースを作ることで多額の広告費を得ることができるそうです。1月で60万円稼げるそうです。金のためには何でもする拝金主義が世界中を跋扈しています。
 この人倫にも劣る状況はネット上の情報に限らず新聞や雑誌等のマスコミも実際行っています。一例としてA新聞が引き起こした慰安婦問題が取り上げられます。吉田清治なる人物が書いた捏造本をA新聞はその内容を確かめもせずにそのまま信じ世界中に流布してしまい、その結果今のように韓国や中国から日本国家があたかも慰安婦を性奴隷として国家組織的に扱った事に対して激しく抗議している状況を作り出しています。ここでは個々の慰安婦事例については取り上げません。日本国家が慰安婦を組織的に性奴隷にしなかったということです。
 また湾岸戦争を引き起こした原因であるイラクが1990年にクウェートに侵攻した直後にアメリカや世界中である映像が繰り返し放送されました。クウェートから脱出してきた難民の少女がアメリカの下院議会にて「イラク兵はクウェートの病院まで攻めてきて赤ちゃんを保育器から出し殺すところを見ました」と涙ながらにクウェートでの現状を訴える映像です。また油まみれになった水鳥の映像も繰り返し放送されます。これは、イラク軍がペルシャ湾に原油を流出させたためにこのような状態になっている世界中に訴えかけられたのです。これらはアメリカや世界の世論を大きく動かし湾岸戦争へ突入する一因となります。しかし実は、この映像は後に完全なる「やらせ」であったことが発覚します。まず、クウェートの難民の少女。彼女は本当のところクウェート駐米大使の娘だったことが発覚!しかも、クウェートに一度も行ったことすらなくずっとアメリカに住んでいた・・・。(http://www12.plala.or.jp/rekisi/wangann.htmより引用l)
 このように戦争さえも引き起こすことがあるフェイクニュースに私たちは充分気をつける必要があります。1つの情報に頼るのではなく、複数の情報源を元に何が正しいか、間違っているかを常に意識する必要があります。そうしないと簡単に騙されてしまいます。特にニュース番組がデモや街頭インタビューを行いますが、その対象者が一般市民なのか、左翼、右翼等のシンパなのかを見極めなければなりません。私たちはいつの間にか洗脳されてしまいます。いつも疑心暗鬼になるひつようはありませんが、常に与えられた情報が正しいかどうかを考える必要があります。

2018年03月23日

#163 止まり木

 昨日と今日は開塾当初から通っていた中学3年生(卒業生)達3名が最後の授業を受けて卒業していきました。3名とも中学1年生から2年以上当塾に通っていた生徒でした。高校入学後も引き続き授業を受ける予定の生徒もいますが、塾開設当初から通ってきた中学生はすべて卒業したことになります。これで学習塾ニコラも一つの時代が終わり、次の時代へ進むことになります。
 新年度になり新しい生徒たちが来ることでしょう。そしてまたいつかこの学び舎を去っていきます。在籍年数が定まっている学校とは異なり、当塾の存在価値は生徒の学力に応じた学習効果を高めてやることです。生徒によっては1~2か月の短い在籍かも知れませんし、2~3年学び続けるかもしれません。各家庭の経済状況に関わらず、生徒のニーズに応じた学習の場を提供することが当塾の目的だと思っています。
 学習塾ニコラは例えると渡り鳥が移動の途中で休んでいく止まり木のような存在だと思っています。当塾では数十名の生徒を相手にした集団授業はしません。生徒の人数が多くなればなるほど生徒間の学力差が大きくなり、生徒個人に応じた学習指導ができなくなるからです。あくまでも生徒一人ひとりを大切に考えると個別指導が理想になります。受験指導のように同じ程度の学力を持つ生徒であれば数名単位の授業が可能になりますが、それでも残念ながら多少の学力差が生じてしまいます。
 当塾ではこれまで様々な年齢の生徒を受け入れてきました。時期は異なりますが下は小学2年生から上は4年生大学の編入試験を受ける短大生まで様々な生徒が来てくれました。学年が異なれば準備する教材や指導の仕方が変わります。色々大変なことがありますが、これからも当塾に来てくれる生徒のために精進するつもりでいます。どのような生徒たちが来てくれるか楽しみです。
 なお「新着情報」にも載せていますが、当塾は来年度の準備をするために3月21日から3月28日まで休業になります。問い合わせ等は従来通り受け電話やメール付けています。

2018年03月18日

#162 3.11に思う

 今日は3月11日です。東日本大震災から7年が経ちました。朝からNHKや民放の各テレビ局が震災に関する特集番組を放送しています。月日の経つのは本当に早く、あれから7年経ったとはとても思えないくらいです。以前のブログにも書きましたが、大地震が発生した時は私は授業中で、授業を終えて職員室に戻った時に同僚から地震のことを聞き、テレビ画面に映された津波の状況を目にし、茫然となったことを思い出します。
 あの震災から7年が経ちましたが、その間に多くの自然災害が発生しています。霧島連山の新燃岳の噴火や2年前の熊本地震を始めとする熊本や大分で発生した一連の地震被害、九州北部豪雨など毎年のように大きな自然災害が起こっています。地震、噴火、風雨災害など、いつどこで災害が発生してもおかしくない状況が続いています。最近は気象情報技術の進歩により台風や大雨の予報はかなり進歩しましたが、急に発生する地震や火山噴火については今でも予想しがたい状況です。
 自分の住んでいる場所が自然災害から安全であると言える場所は日本にはどこにもありません。この国は地震と噴火が同居する火山列島であり、私達の祖先は多くの自然災害と共存しながら生活してきたのです。ここ大牟田は地盤の関係で熊本地震でも震度4程度の揺れで済みました。しかし臥龍梅で有名な普光寺の社伝によりますと、「建久3年1192の三池山大地震で堂宇は全て破滅した。」とあります。やはり1千年ほど前に大牟田でも大地震が発生しているのです。
 台風や大雨など予め予想されている被害については充分な対策を取ることができますが、地震など突然発生する災害に対しては常日頃より防災意識を持ち、食料や水の備蓄品などを用意しておく必要があります。また隣近所の方々との日頃のコミュニケーションも必要となります。都市部ではマンションやアパートで多くの人が暮らしており、以前のように隣近所の人が集まり井戸端会議をすることが少なくなりましたが、やはり災害を生き抜くには人々の日頃の繋がりが必要です。
 遠からず東日本大震災よりもはるかに規模の大きな南海・東南海地震が発生します。この大地震が発生した時には九州地方から関東まで広域の大災害が予想されます。「災害は忘れたころにやって来る」を常に心に留め、災害からは自分自身で身を守ることを意識して生活しましょう。東日本大震災で亡くなられた方々に心より哀悼の意を表します。

2018年03月11日

#161 2355

 今日は日中23度を超える最高気温を記録し、早春から一気に初夏になったような一日でした。しかし、この天気はこのまま続かずに、週の中頃にはまた冬に戻るような気温になると天気予報が伝えています。三寒四温の続く3月ですが、花粉も飛び散る時期ですし、花粉症の症状がひどくなる時期です。体調管理には充分気をつけてください。
 さて「2355」という言葉を聞いたことがありますか。この言葉をご存知の方はすでにこの番組のファンとなっている方でしょう。この「2355」はNHKのEテレで月曜日から金曜日まで放送されている5分番組です。番組のタイトルが示す通り、深夜23時55分に始まります。番組のテーマソングは細野晴臣氏が歌っています。毎回趣向を凝らしながら、視ていてホッとする数少ない番組の1つです。有名歌手や芸能人による様々な歌も登場します。今年は戌年なので、「ポチが通ります」は名曲です。番組の中で特に面白いのは「日めくりカレンダー」です。日めくりカレンダーを様々なアニメキャラクターがめくり、翌日の日付を確認していきます。また番組の最後に出てくるトビハゼは何ともかわいらしい表情で、一日の疲れを取ってくれる優れモノです。2355を見た後で寝床に入ればぐっすり眠れます。
 なお朝番組に類似番組の「0655」がありますが、朝慌ただしい時間帯であり、視る時間がありません。また録画して観るのはお勧めできません。録画して観たことがありますが、あくまでも朝の番組ですので、元気なニワトリが勢いよく鳴き回り、観ていますと精神がだんだん興奮してきます。この番組を視た後にますます眠れなくなります。あくまでも「2355」を見て、良い眠りについてください。
 今日はEテレの宣伝でした(笑)。

2018年03月04日

#160 暦の上では

君が涙ぽつんと落とした日 街では
もう春のセーターが店先に並んでた
街はまだ冬の名残り 風は冷たい・・・ (♪「暦の上では」伊勢正三)

 今日は3月1日です。暦の上では春ですが、朝晩はまだ寒く、冷え込みが厳しい日もあります。しかし季節は早春を迎え、日一日と春の兆しがみられる今日この頃です。
 さて3月1日には福岡県内の県立、私立高等学校の多くで卒業式が行われます。勉強や部活動などで忙しい高校生活の3年間はあっという間に過ぎ去り、次の新しい人生に一歩を踏み出すのが卒業式です。次の学校へ進学する生徒もいますし、一足早く社会に出ていく生徒もいます。私も長い教員生活で高校3年生の教科担任を15年、高3担任を10回経験させて頂きました。高校3年という学年は他の学年と比べて比重が重く、次の進路を目指して生徒と教師の共同作業を行う学年です。学校としては生徒の卒業後の進路を確保する出口の学年でもあります。高校3年生の担任をして初めて学年全体や生徒指導が把握でき、他学年に比べて仕事量が多く、毎日の仕事に追われますが、自分が担任した教え子を卒業させるということは教師冥利につきる、と言えます。
 現在非常勤講師を務めている明光学園でも本日卒業式が行われました。私は1クラスだけでしたが、英語を担当しましたので、卒業していく生徒たちの顔を懐かしく見ていました。彼女たちのこれからの人生に幸多かれ、と祈りたいと思います。自我が目覚める10代の時期には自分が両親や周囲の人々から守られていることになかなか気づきません。様々な誘惑の多い10代の時期をうまく乗り越え、大人になることができるのは周囲の暖かい眼差しと助言のおかげです。
 「卒業」という言葉は学生だけのものではなく、人生の様々な節目にある人にも言えます。今までの世界に別れを告げ新しい世界に進む人には、今までの環境をすべて「卒業」することになります。就職、結婚、離婚、転職すべてに当てはまります。今日卒業した高校3年生だけでなく、新しい環境に入っていく全ての人たちに祝福の言葉を送りたいと思います。
 ところで、3月7日には福岡県立高等学校の入試が行われます。当塾に来ている中学3年生は全員私立高校の入試に合格していますが、県立高校の入試にも挑戦します。中学3年生は1週間後の入試に向けて最後の頑張りに入っています。泣いても笑っても残り1週間が勝負です。日本中のすべての中学3年生の健闘を称えたいと思います。頑張れ受験生!

にぎやかな午後のひととき
暦の上ではもう春なのに
まだまだ寒い日が続く・・・ (♪ 「暦の上では」伊勢正三)

2018年03月01日

#159 平昌オリンピックと今後の課題

 平昌オリンピックも今日閉会式を迎えます。ブログで3回にわたりオリンピックを取り上げましたが、今回のオリンピックは日本選手にとり一番印象に残る大会となったようです。獲得メダル数では長野オリンピックを超える13個となり、選手個人だけでなく、国を挙げて取り組んだ成果が実ったようです。またメダルを取れなかった競技も選手たちの健闘が称えられるものとなりました。次の北京大会につながる大会となったようです。選手たちの頑張りは私たちに本当に勇気と希望を与えてくれます。私たちにできないことを代表して選手たちが闘ってくれます。そのような選手たちに経済的、精神的援助を差し伸べることも私たちができることの1つになります。2年後には東京オリンピックが開催されますが、今以上に選手たちを応援し支えていく必要があります。
 今朝のニュース番組を見て納得したのですが、前回のブログで指摘した国際オリンピックの金銭問題の件です。アメリカのNBCテレビが10年間の放送権料を1兆円を超える金額ですでに獲得しているそうです。NBCの年間スポーツ放送計画によりますとオリンピック放送の最適な時期が夏しかなく、ここに東京オリンピックの開催をするようにオリンピック委員会に提案し、それが了承されたそうです。オリンピック委員会は1兆円を超える金額に目が眩んだのでしょう。日本の真夏がいかに酷暑であるかという現実に目をつぶり、日本開催を決定したのが真相のようです。このような金まみれのオリンピックは早晩息詰まるでしょう。権威ある大会をいつまでも続けるために早急の大改革が必要となっています。金銭まみれの国際オリンピック委員会ですが、日本オリンピック委員会にはまだ善意があると信じたいです。まず自国の委員会から姿勢を正して世界にスポーツにおける公正な精神と不正をただす働きをしていただきたいと思います。3月9日はパラリンピックが始まります。今回のオリンピックほど注目度は高くありませんが、参加選手が堂々と競い合える大会にしてもらいたいと思います。日本選手頑張れ!

2018年02月25日

#158 誰のためのオリンピック?

 今日は朝から快晴で正午の気温も10度近くあり、霞がかかったような早春の空が広がっています。あれほど厳しい冬がまるで過ぎ去ったかのような陽気です。すでに2月の下旬になりますので、このまま温かな春になればと思っています。
 さて平昌オリンピックも後半に入りましたが、昨日の男子フィギュアスケートは圧巻でした。怪我から復帰した羽生選手は見事金メダル、また宇野選手は銀メダルを獲得し、会場に初めて国歌「君が代」が流れました。2人ともこれまでの努力が見事に報われた瞬間でした。「努力は報われる」を地で行った2人です。またカーリングを始め多くの種目で日本選手が頑張っています。彼らにも大いに声援を送りたいと思います。
 ところで、今回の平昌オリンピックを始め、最近のオリンピックは誰のためのものか首を傾げる状況が続いています。言いかえればオリンピックは元来参加する選手のための競技会であるはずですが、巨大な利権が複雑に絡み合い、オリンピック組織委員を含め、それに群がる私欲の集まりと化しています。変則的な競技時間の設定など、欧米社会の視聴時間に設定して競技を行っていますので、完全に選手の体調やコンディションを無視したものとなっています。例えば男子ノーマルジャンプは夜遅く行われ、強風も吹き、たびたび競技が延期されました。けっきょく表彰式は午前零時過ぎに行われ、観客はほとんどいない状態でした。これではメダルを獲得した選手に失礼です。
 話によるとアメリカのあるTV放送局がオリンピックの放送権を獲得し、その意向が強く働いているそうです。これは2020年の東京オリンピックにも影響するとのことで、おそらく今回同様に参加選手にとり過酷な競技の設定時間となるでしょう。また東京オリンピックは6月の下旬に始まります。国際オリンピック委員会は日本の梅雨の時期がどのような状況か知らないのでしょう。高温多湿の時期に競技をすることは選手の能力以上に運が左右します。観衆のためのオリンピックに成り下がった状態は古代ローマで行われた猛獣と戦う戦士を彷彿させます。猛獣と戦い、敗れた戦士は別の戦士と取り替わります。猛獣に勝った戦士は観衆から賛美をもらいます。同様に今のオリンピック参加選手は残念ながらオリンピック委員会やTV局にとり消耗品でしかないのです。
 前回の1964年の東京オリンピックは参加選手にとり競技しやすい時期で、最高の実力が発揮できる10月でした。今回の日本オリンピック委員会は開催地獲得のために、組織委員会に日本の6月の気候について強く言えなかったのでしょうか。いずれにしても不可解です。前回のブログでも述べましたが、ロサンゼルス大会以降は金満オリンピックが続いており、利権獲得のために莫大な金銭が飛び交っています。オリンピック組織委員会メンバーの収賄事件も後を絶ちません。嘆かわしい限りです。これでは「一民間団体」であるオリンピック委員会に代わり、利権が絡まない国際連合などの国際団体が運営する競技会に移行するような運動を起こさない限り、早晩現在のオリンピックは継続できなくなるでしょう。せめて2020年の東京オリンピックでは本来のオリンピックの目的を果たせることができるような大会にしてもらいたいと思います。

2018年02月18日

#157 平昌オリンピック始まる

 平昌オリンピックが始まりました。開催前から様々な問題を抱えていたオリンピックですが、開会式の熱狂でそれを吹き飛ばしたかのような雰囲気です。日本の隣国での開催にすでにテレビ各局は一日中オリンピックの放送に力を注いでいます。スキーやスケートを始め、様々な種目で日本人選手の活躍を大いに期待したいと思います。
 さて4年おきに開催される夏季・冬季オリンピックですが、創設者クーベルタンの思いとは裏腹に最近のオリンピックの政治的な利用、商業利用、国家的ドーピング問題、環境破壊等様々な問題を抱えています。個人的な意見として平和な牧歌的なオリンピックはおそらく1964年の第18回東京オリンピックで終了したように思われます。特に閉会式では国家を超えて一丸となって競技場に入場した選手たちの表情が印象的でした。(東京オリンピックのDVDで楽しめます。)
 次の第19回メキシコ大会では南アフリカのアパルトヘイトに反対してアフリカ諸国のボイコット騒動。さらに1972年の第20回ミュンヘンオリンピックは日本男子バレーボールチームが金メダルを取った記憶に残るものでしたが、イスラエルチームへのパレスチナゲリラテロにより死傷者が出た大会でもありました。また第21回モントリオール大会でもアパルトヘイトが問題となり、アフリカの22ヵ国が実際ボイコットしました。オリンピック史上最大の影響を与えたのが第22回モスクワ大会で、ソ連のアフガニスタン侵攻により西側諸国がオリンピックをボイコットしました。次の第22回ロサンジェルス大会ではその報復としてソ連や東側諸国がボイコットしました。
 このようにオリンピックと政治問題は切り離すことができない問題となっています。今回の平昌オリンピックも北朝鮮なしでは語れないでしょう。オリンピック終了後のアメリカの出方が気になるところです。また国家ぐるみのドーピング問題やオリンピック委員の収賄問題など、大会としては相応しくない由々しい問題が少なからず存在します。選手たちが競技に集中できる環境作りを各国のオリンピック委員会は積極的に作らなければなりませんし、平和の祭典であるオリンピックに政治の入らない環境を作るべきでしょう。2020年は東京オリンピックが開催されます。このような問題が少しでも減らすことができるように、日本国民が一致団結してオリンピックの準備をする必要があります。もう一度平和の祭典を実現してもらいたいと思います。

2018年02月11日

#156 雪の朝

 暦の上では立春を迎えましたが、「春は名のみの風の寒さや...」(♪早春賦)の歌詞のように、とても寒い立春となりました。新聞紙面や天気予報では今日の天気を「立春寒波」と呼んでいます。雪がほとんど降らない大牟田でも今朝は雪が少し積り、一面真っ白な雪の朝を迎えました。昼過ぎにはさすがに雪も解けて晴天になりましたが、それでも日陰の雪は解けずに残っています。
 立春ともなりますと、確かに日の出の時間が少し早まり、午前7時20分頃に朝日が昇ります。また日の入りは冬至に比べて40分ほど遅くなり、17時40分頃に日没を迎え、残照がいつまでも残っています。自然は嘘をつかず、日ごとに春が近づいていますが、寒波は今週半ばまで居座り、寒い日がまだまだ続きます。インフルエンザの脅威もまだ衰えていません。福岡県内の大学入試は地方受験を含め今週ピークを迎え、次週からは関東・関西地区の入試が始まります。
 ところで1月31日に実施された私立高校入試の合格発表が先日行われ、当塾の生徒全員が合格しました。これで高校入試の滑り止めが確保されました。生徒たちの嬉しそうな笑顔を目にしながら、少しホッとしています。現在当塾に在籍する中学3年生は4名いますが、第1志望校に合格した1名を除き、県立高校などの入学試験に向けて、残り3人はこれから努力を続けることになります。
 大学受験にも高校受験にも言えることですが、生徒の真摯な努力に応えるべく、日々生徒の学習指導を行い、「合格」の朗報を聞くことができるのは教師冥利に尽きます。生徒あっての教師です。生徒を合格へ導くのはたやすいことではありませんが、生徒が努力するからこそ、教員の日々の苦労が報われます。すべての入試が終わるまであと1カ月ほどありますが、最後まで努力して生徒たちと春を迎えたいと思います。春はもうすぐそこまで来ています。

2018年02月04日

#155 福岡県内の私立高校入試が行われる

 早いもので1月も末日を迎えました。受験シーズン真っ只中です。福岡県内の大学入試は先日の九州産業大学の入試を始めとして、すでに1月下旬から始まっています。2月の上旬には福岡大学や西南学院大学などが入試を実施します。今年度当塾には高校3年生が在籍していませんので気分的には楽ですが、今日は筑後地区の私立高校入試が現在行われており、当塾の中学3年生4人のうち2人が只今志望校を受験しています。(他2名はすでに志望校に合格しました。)最後の最後まで健闘してもらいたいと思います。
 さて福岡県の公立高校では、推薦入試(2/8,9)と一般入試(3/7)が行われます。また私立高校の入試は地区ごとに分かれており、福岡地区は推薦・専願入試が1/23日、一般入試(前期)が2/2日、一般入試(後期)が2/10日となっています。北九州地区では推薦・専願入試が1/23日、一般入試Aが1/30日、一般入試Bが1/31日、一般入試Cが2/1日となっています。(A、B、Cは実施する高校が定められていますので、北九州地区の受験生は最大3校受験することが可能です。)筑豊地区は推薦・専願入試が1/23日、地区内の各高校でそれぞれ入試を1/29、1/30、1/31日に実施します。筑後地区では推薦・専願入試が1/23日、一般入試(前期)が1/31日、一般入試(後期)2/9日に実施されます。
 どの地区も私立高校は1/31日を中心に入試が実施されますが、受験生の能力を計るために多角的な入試が実施されます。特に公立私立を問わずに実施される推薦・専願入試ですが、高校側が少しでも優秀な生徒を確保するために実施する傾向があり、生徒数確保のための重要な入試となります。また受験生にとって推薦・専願入試は一般入試よりも合格し易く、高校側と生徒側にとってWIN・WINの関係となります。
 しかしながら福岡都市圏の高校に比べて郡部の高校は生徒数の減少に伴い、生徒数の確保に苦闘しています。特に私立高校では文科省からの補助金が1人当たり100万円と言われていますので、生徒が集まらない学校は学校運営の資金が確保できずに、教員の給与カットや、学校施設の充実ができなくなります。極端な場合には学校存続の危機になります。
 とにかく受験生にとって大きな山が眼前にあり、それを乗り越えたところに「合格」の二文字を得ることができます。インフルエンザが全国的に流行し、受験生は風やインフル対策など、学力以外にも気を配る必要があります。厳寒の時期ですが、努力した者には暖かい春が待っています。頑張れ受験生!

2018年01月31日

#154 受験シーズン

 去る1月13、14日に大学入試センター試験が行われ、受験生はその結果をもとに国公立大学やセンター利用の私立大学への願書を提出し、今後の私立大学入試や国公立大学2次試験に備えることになります。また今日は大牟田市内のいくつかの高校で専願入試が行われています。
 私が非常勤講師として勤めている明光学園でも本日専願入試が実施されていますので、在校生は自宅学習となっています。最近は推薦入試や専願入試を私立の高校だけでなく、県立の高等学校でも行っています。福岡都市圏ではそれほど影響がありませんが、郡部では生徒数の減少が著しく、いかに生徒を集めるかが緊急の課題となっています。また女子校の不人気もあり、久留米市の久留米信愛女子高校は来年度より男女共学になり、筑後地域では明光学園が唯一の女子校となります。
 そのような厳しい生徒募集の状況では各学校が必死で自校のアピールを行っています。先生方は各地域の塾や予備校を回り、必死に生徒の勧誘を行っています。中には生徒の学業成績や模試等の成績次第で入試を受験する前に合格を確約する学校もあります。また奨学金や授業料免除で優秀な生徒を集める学校もあります。生徒募集は学校の経営にも大きく影響し、各学校とも様々な工夫をして自校の魅力をアピールしています。各学校必死で生徒募集に力を入れており、これに乗り遅れますとクラス数の減少や最終的には廃校等の厳しい状況に見舞われます。
 このことは学校だけでなく、塾や予備校にも大いに言えます。生徒が集まりませんと、経営的に行き詰まり閉校となります。かつて福岡市にありました地元の大手の予備校、九州英数学館や水城学園がそのよい例です。この受験期になりますと、新聞に様々な塾や予備校の広告が入ってきますが、すべて合格者数を自慢するものばかりです。それも有名校の合格者数を強調しています。果たして現実はいかがでしょうか。塾・予備校の系列校が多ければ多いほど、必然的に合格者数は多くなります。合格者数だけでは判断できない授業の質や生徒への指導助言など目に見えない部分は判断されません。入塾を考えている生徒の皆さんはこの点をしっかり考える必要があります。塾や予備校名で判断するのではなく、本当に自分に必要な学校かどうかは無料講座やお試し期間を通じて判断すべきです。
 さて今年も当塾の生徒1名が志望高校に合格しました。私としてもまず一安心です。また1月31日には筑後地区で私立高校の一般入試が実施されます。当塾からも数名受験します。その入試まであと1週間あります。最後まで諦めず、努力した者に栄冠は輝きます。受験生の奮闘を祈ります。

2018年01月23日

#153 親子の縁

 今日は実家で亡くなった父母の13回忌が行われました。両親が亡くなった年月は異なりますが、法事に参集してくれる親類の負担を減らすために、お寺に依頼して同じ日に法事をしていただきました。振り返りますと両親が亡くなって13回目の法事をしたことになります。あらためて年月の流れを感じざるを得ません。子どもの年齢が50前後になりますと、親子の代替わりが始まります。子どもが若い時に不幸にも世を去る親御さんがいらっしゃいますし、子どもが70、80歳になっても100歳を超えて元気な親御さんもいらっしゃいます。
 親がいなければ、子どもはこの世に生まれてきません。同様に祖父母がいなければ親もこの世に存在しません。私たちは遠い先祖から世代替わりを繰り返しています。ここに先祖への感謝と先祖供養の意味が存在します。ある計算では親が二人、祖父母が四人、祖祖父母が八人と繰り返していくと、10代目を超えるころには先祖の総数が百万人を超えるそうです。それだけ多くの先祖を私たちは一人ひとり背後に持ちながらこの世に存在していることになります。
 それでも直近の父母や祖父母との繋がりが一番強いものです。良い親に恵まれるか、そうでないかは生まれてくる子どもの一生に関わります。ここに親子の不思議な縁が存在します。親子の愛憎は血の繋がりのある人間関係の中で一番強いものです。異論はありますが、最近の研究では子どもが両親を選んで生まれてくる、と言われています。心理学の発達で、退行催眠術や臨死体験経験者への調査の結果、様々なことが明らかになってきています。それによりますと、私たちは様々な経験を体験するためにこの世に生まれてくるそうです。そして、各自の人生において一番貴重な体験をするために両親を選ぶそうです。
 親は生まれてくる子の幸せを祈り、そして将来の幸せを願って子育てをしますが、必ずしも子どもは親の願いを知っているわけではありません。また子どもを虐待する愚かな親も存在します。子どもは子どもの人生があり、社会に出てからは親と同居する子どもは少ないことでしょう。親は子どもが成人するまでは責任がありますが、子どもが巣立ちを迎える頃には親もまた子どもから自立しなければなりません。また子どもは結婚し、自らが親となります。人の一生はこの繰り返しです。
 世代交代は人間だけのことではありません。社会や国も代替わりを行います。この国は来年代替わりを迎えます。今上陛下に代わり、現皇太子が新天皇となりますが、どのような世の中になるか誰も分かりません。日本国がいつまでも存続するように、私たち一人ひとりの生き方が大切になります。

2018年01月21日

#152 新センター試験への懸念

 今年も大学入試センター試験が昨日と本日行われています。昨日は国語、社会、英語が実施され、今日は数学、理科が実施されています。昨日は大雪の関係で地域によっては試験時間を繰り下げる措置が取られました。また寒い時期でもあり、風邪やインフルエンザなどで体調を壊す受験生が少なからずいると思われます。とにかく受験生には最後まで頑張ってもらいたいと思います。
 さて、現在実施されているセンター試験は2020年度から「大学入学共通テスト(仮称)」となり、試験内容も大幅に変更になります。国語や数学では記述式問題が採用され、そのプレテストが現在全国の指定された特定の高校で実施されています。その結果をもとに新たな入試問題を作成するようです。
 問題は英語です。文科省は新テストで英語の入試を廃止し、代わりに民間の英語検定試験の成績を採用すると発表しています。共通テスト開始から3年間は現在のセンター試験形式の問題を併用して、その試験結果を入試に反映するようです。個人的な意見ですが、はたして英検などの検定試験が公正かつ公平に実施されるのでしょうか。
 まず英検(英検協会が主催する実用英語検定試験)ですが、現在1級から5級までのグレードがあります。このうち実際に入試の合否判定に使用できるのは入学試験に対応する2級、準1級、1級の3種類になると思われます。2級はセンター試験程度のレベル、準1級は難関私立大学(早稲田や慶應など)の入試レベルとなります。1級に合格できる高校生はほとんどいませんので、ここでは論じません。この2級、準1級の問題構成ですが、主として語彙問題、メール問題、長文問題から構成されており、解答はすべてマークシート方式となっています。この点で文科省が提唱している記述問題の導入に反しています。また語彙問題はあくまでも英単語を覚えているかが焦点となり、文法や表現を問う問題はほとんどありません。単語を暗記していれば解ける問題です。言いかえれば小学生でも単語を覚えれば解ける設問です。他の問題も解答は選択式ですので、答えが分からない問題も勘で解答できます。また採点方式ですが、英検協会では最近「英検IBA CSEスコア」を採用しており細かな点数基準を定めています。果たしてこの採点方式が公正な評価かどうか意見がが分かれます。(詳細は次のURLを参照してください。http://www.eiken.or.jp/eiken-iba/)
 英検を採用する際に一番心配なのが、高校などの試験実施会場では事前に試験問題が送ってきますので、学校関係者が事前に試験問題を見て、それに応じた問題を生徒に演習させることが可能になります。つまり教員による不正行為が簡単にできることになります。現在のセンター試験では試験問題が厳重に管理されていますが、民間の検定試験、特に英検に関しては不正が横行することがあり得ます。この点を文科省がどう対応するかが課題です。
 他の検定試験(TEEP, TOEIC, TOEFL, IELTSなど)にはそれぞれ一長一短があり、受験料、受験開催地数をふくめ、全国の高校生に公平に受験できる機会を与えることは不可能です。また成績をどのように入試に反映するかが今後の課題となります。現在の中学3年生から大学入学共通テストを受験することになりますが、英語に関して、どのような方針を出すのか、文科省は詳細をできるだけ早く提示する必要があります。

2018年01月14日

#151 怒れ、日本人大学生!

 正月松の内も明けないうちに、日本政府にひと言苦言を呈したいと思います。ある確かな情報筋の話です。現在海外から多くの留学生が日本国内の様々な大学で学んでいますが、その多くの学生が奨学金の返還を必要としない「給付型奨学金」を貰って生活しています。問題はこの給付型奨学金の配布方法です。
 その情報筋は現在ある国立大学に所属する人物で、その人物の話によると中国や韓国など近隣国の優秀な学生はアメリカやヨーロッパに留学をするそうです。この国や地域に留学できない能力不足の学生もしくは海外旅行気分で留学したい学生が日本にやって来るそうです。そのような能力不足の留学生にたいして政府は給付型の奨学金を与えています。日本人の学生は苦労して「貸与型奨学金(いわゆる奨学金ローン)」を貰い、卒業後に苦労して何百万円も返金しなければなりません。なかには奨学金ローンで水商売をする女子学生もいると聞きます。
 別の問題はその留学生の多くに勉学の意欲がない、ということです。情報筋によりますと、長期休暇になると奨学金を利用して日本国内を旅行して回り、休暇中の研修やセミナーには参加しない、とのことです。また授業出席率の悪い生徒や成績が振るわない学生に対して注意や叱責すると、学校に登校しないようになった、との報告を受けています。このような留学生の状態を文科省に報告すると、文科省の役人たちは問題は留学生にあるではなく大学の対応にあると、大学側を厳しく非難するそうです。不良留学生を注意するのは大学側の責任ですが、文科省の連中はその現状を認識しようとしません。また留学生数の実績を残さない大学に対して文科省は次年度の予算を減らすそうです。そこで大学は仕方なく留学生に対してお客様扱いで現在対応しているとのことです。
 この話を聞いて皆さんはどう思われますか?日本にいる留学生が全員このような状態ではないでしょうが、全ての留学生に対して一律に給付型奨学金を支給するには問題があります。むしろ優秀な日本人大学生に給付型奨学金を支給すべきではないでしょうか。確かに以前は日本育英奨学金(現在の日本学生支援機構)において、支給型と貸与型の奨学金があり、私は4年間貸与型奨学金を貰っていました。大学卒業後に教職についたために、奨学金返還の免除が適応され、大いに助かりました。
 日本政府は現在、大学生の奨学金制度を改善しようとする動きがありますが、あまりにも行動が遅すぎます。このことはODA(政府開発援助)にも言えます。必要な国や地域に援助をするのは当然ですが、必要でない国に対しても援助する傾向があります。例えば世界第2位になった中国に対して、つい最近までODAの支援を行っていました。中国が現在の地位に上り得たのは日本政府によるODA支援のおかげです。中国の国民はそのことを全く知りません。中国政府が自国民に対してODAによる日本からの援助を伝えていないからです。おまけに中国政府は自国が経済大国になったにもかかわらず、まだ発展途上国だと主張して、この主張に応じて日本政府は多額の援助をおこなってきました。中国の宇宙開発は日本政府によるODAのおかげです。
 人にも、国にも言えることですが、他人を意識して外面の良い者は身内に対して厳しい一面を持っています。確かに貧しい国や地域に対しての経済援助は必要でしょう。しかしながら日本国内にも貧困で苦しんでいる多くの人がいることを忘れてはなりません。1970年代、80年代のような「一億総中流時代」はすでに終わったのです。「勝ち組、負け組」の言葉に見られるように、日本国内でも経済格差がますます拡大し続けています。日本社会をこれから支えていくのは若い世代です。彼らが勉学に打ち込むことができるように、奨学金制度の速やかな改革を望みます。

2018年01月07日

#150 朋有り、遠方より来る

 平成30年(2018年)が始まりました。年末年始恒例の帰省ラッシュが今日ピークを迎えています。故郷で過ごした家族がまた日常生活へと戻っていきます。故郷のご両親は子供や孫たちの姿を見送り、次の再開の日を楽しみにしていることでしょう。毎年お盆の時期と年末年始の時期に繰り返されるこの情景は故郷を思い都会で暮らしていても帰郷の念を忘れずに持ち続ける日本人らしい心根を象徴するものだと言えます。
 同じことが同窓会にも言えるのではないでしょうか。社会に出て働き始めますと同郷で育った友との交流も仕事の忙しさに紛れて段々無くなっていきます。そしていつの間にか音信不通となってしまいます。そのような時に卒業した学校(小学校や中学校、高校、大学など)の同窓会は日常生活で忘れ去った懐かしいひと時を思い出させてくれます。
 昨日30数年ぶりに大学時代の友人達と楽しい時間を過ごすことができました。30余年の月日が過ぎたとはいえ、話すごとに、杯を交わすごとに昔の懐かしい思い出やお互いの近況報告など楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまい、再開を約束して別れました。まさに論語にある一節「朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや」です。また今晩は中学時代の同窓会が予定されています。還暦を迎えた仲間が顔を合わせます。どんな話が聴けるか楽しみです。今年は戌年、ワンダフルな年にしたいものです。それでは今年もよろしくお願いいたします。

2018年01月03日

#149 今年を振り返って

 今年もまもなく終わろうとしていますが、今年ほど国内外で多くの事件や事故が多発した年はないのでしょうか。あまりにも多すぎて記憶に残らず、今年の出来事なのかどうか確認しなければならないほどでした。特に今年の最後までテレビのワイドショーを賑わせていたのが大相撲の暴力事件です。この暴力事件の裏に何があるのか分かりませんが、蒙古襲来状況の大相撲界にあって、日本人力士との諍いが少なからずあることでしょう。貴乃花の姿勢がそれを示しています。
 また世間を大いに騒がせたのが政治家や芸能人によるセクハラや不倫問題です。人として見本を示さなければならない立場の人がずいぶん堕落しています。これは教職員のセクハラにも言えることです。また大企業による談合や不正な事業行為など、世の中の様々な分野において多くの「悪徳」という名の膿が吹き出ています。これでは世の中が良くなるわけがありません。まず大人が毅然として自らの姿勢を正し、子どもたちに見本を示さなければこの国は決して救われません。
 もちろん、このことは日本以外の多くの国々にも当てはまります。換言すれば、人としての倫理観や生き様が著しく低下しているのです。利己主義的な「我良し」の考えではいずれ息詰まるでしょうし、個人の不正がいずれ国家間の紛争や戦争へと繋がっていきます。紛争は戦争や国家の上層部が行うのではなく、国民全体の意識がそうさせます。今一人ひとりが自らの生き方を考え直し、より良い人生を歩まなければ、紛争や戦争はいつまでも絶えることがないでしょう。私たちに生き方が問われているのは今です。
 来年も様々な出来事が生じるでしょうが、個人として、国家として生じる出来事に一つ一つ誠実に対応することが求められる一年となりそうです。
 今年もこのブログを読んでくださった皆様にお礼を申し上げます。ただの個人のつぶやき(「ひつじの独り言」)ですので、何卒ご無礼お許しください。なお当塾は本日より1月3日まで休業になります。来年も皆様にとりまして良き一年となりますように、心よりお祈り申し上げます。

2017年12月30日

#148 クリスマスイブに

 

 今日24日はクリスマスイブで、明日25日はクリスマスになります。日本では12月25日は休日になりませんが、欧米のキリスト教国ではではクリスマス休暇を取る国が多くあり、およそ1週間の休暇を取る人達がほとんどです。その代わりに正月は1月1日のみ休日となり、1月2日から仕事が始まります。国が違えば社会習慣もかなり異なります。
 私は幼い頃にクリスマスはプレゼントをもらい、ケーキを食べる日だとばかり思っていました。クリスマスの本当の意味を理解したのはずいぶん大きくなってからのことでした。キリスト教国ではない日本でクリスマスの意味を理解している人がどれだけいるかは疑問ですが、世界中でなぜクリスマスを祝っているのか、少し立ち止まって考えてみるのもよいでしょう。
 さて今日はクリスマスイブにちなんだ話をご紹介しましょう。英語の問題集などでも掲載されていますし、1990年代のセンター試験の出題源にもなった本に「心のチキンスープ」(Chicken Soup for the Soul)という英語の本があります。心温まる内容ばかりを集めた本ですが、英語のシリーズ本は現在までに10数冊発行されています。そのシリーズ最初の本の中に"A brother like that"という一文があります。今日のクリスマスイブに相応しい名文です。

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A brother like that (from Chicken Soup for the Soul)

 これはぼくの友達、ポールの話である。ある年のクリスマスイブのこと、ポールは兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、そのピカピカの新車の回りを歩き回っていた。よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきた。
「この車、おじさんのかい?」
「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」
 と、うなずきながらポールは答えた。少年はそれを聞いてひどく驚いた様子だった。
「えっ?おじさんの兄さんがくれたって?おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?うわあっ、すごいな!ぼく・・・」
 と、少年は何かを言いかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。少年は、「ぼくにも、こんな兄さんがいたらなあ」と言いたかったのだろう、とポールは思った。ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。
「ぼくね、おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」
 ポールは、まじまじと少年の顔を見つめていたが、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。
「この車に乗ってみるかい?」
「本当?ウン」
 車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始めた。
「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」
 ポールはおもわずニヤッとした。きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。しかし、その憶測はまたもやはずれた。
「あそこに階段がついている家が見えるだろう?そこでちょっと待ってくれる?」
 少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。少年が体の不自由な弟を背負って出てきたのだった。弟を階段の一番下に座らせ、車がよく見えるように弟の体を支えた。
「ほら、お前。見てごらん。さっき言ったとおり、すごい車だろ。そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。それも、まるっきりタダでくれたんだって。お前も待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をおまえに買ってやるからね。そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、その車に乗って見に行こうね」
 それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ車の助手席に座らせた。目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。本当に素晴らしいクリスマスのドライブだった。
 このクリスマスの日、ポールは聖書のみことばをしみじみ感じたのである。
「受けるよりは与える方が幸いである」
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 クリスマスの本当の意味をどれだけの人が知っているでしょうか?今年もクリスマスがやってきますが、本当にクリスマスの祝福が必要な子どもは周りから相手にされない子どもたちや、貧しい家庭の子どもたちかも知れません。

Merry Christmas to those people in need!

2017年12月24日

#147 クリスマスの集い

 クリスマスを迎えるまでちょうど1週間となりました。街中にはクリスマスソングが流れ、にぎやかな雰囲気がただよっています。子どもたちは今年はどんなプレゼントをもらえるか心待ちにしていることでしょう。
 さてキリスト教の学校ではこの時期に様々なクリスマスの集いが開かれます。特にカトリック学校ではクリスマスミサや集いが催され、クリスマスの意味を考える時期になります。私が現在非常勤講師をしている大牟田の明光学園では一般の方々を招いた全校生徒によるクリスマスの集いが昨日催されました。その前日に集いの練習やハレルヤの合唱の練習等が行われました。クリスマス集い当日にはキリスト誕生の寸劇から始まり、その後クリスマスミサへと続いて行きました。その集い中で聖歌隊の合唱やオーケストラの演奏など趣向を凝らした演出が素晴らしく、観客を魅了しました。およそ2時間ほどの集いでしたが、司教様のお話や共同祈願等を通し生徒たちはてクリスマスの意味を心に留めたようでした。
 同じカトリック学校でも母体となる修道会やその学校によって様々な形式の集いが催されます。例えば私が奉職した福岡雙葉学園では、全校生徒が参加するのではなく、卒業をひかえた高校3年生がクリスマス・キャンドルサービスを行います。キャンドルサービスとは聖歌などの歌を通してクリスマスを祝う行事です。30分ほどの時間ですが、聖歌やクリスマスキャロル、自分たちが選んだ歌を全校生徒の前で歌い、クリスマスを盛り上げます。高校3年生にとって、学年最後の行事であるとともに、後輩たちへのメッセージとして40年以上もの間このキャンドルサービスが続いています。毎年高校3年生が趣向を凝らしてキャンドル代わりのペンライトに色セロファンを付けて、もみの木やハート型など様々なイルミネーションを演出します。ユーチューブでご覧になれます。(https://www.youtube.com/watch?v=9QPCA7xCrjg)
 クリスマスが近づくにつれて、多くの人々はクリスマスの本当の意味を考えずに、パーティや忘年会の宴会代わりに飲み食い、賑やかに楽しく過ごすのでしょうか。この現代の世相を表わすかのように、さだまさしの「遥かなるメリークリスマス」という歌があります。その歌詞は次のような出だしで始まります。

『遥かなるクリスマス』 byさだまさし

メリークリスマス
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
メリークリスマス
外は雪模様気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけてくる
メリークリスマス
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
メリークリスマス
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
メリークリスマス
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
メリークリスマス
僕には何も関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすらに歩いた........

名曲です。ユーチューブなどでお聴きください。いずれにしてもクリスマスが今年もやってきます。けれど世界には貧困のために、また戦火に追われクリスマスを祝えない多くの子どもたちがいます。。家族や友人で楽しく過ごすことも大切ですが、今一度クリスマスの本当の意味を原点に戻って考えたいものです。
I wish you Merry Christmas!

2017年12月17日

#146 死は人生で最も大切なことを教えてくれる

 季節はすでに晩秋から初冬へと移り、例年になく真冬のような寒さが続いています。昼前から雨が降り出しましたが、気温が数度低ければ、雨が雪に変わるような今日の天気です自然の季節には四季があり、青春・朱夏・白秋・玄冬と呼ばれていますが、人生にも同じような四季があります。釈迦は生老病死を唱えましたが、まさに私たちの人生のそれぞれの段階を表しています。
 さて本日のブログのタイトルは、以前ご紹介しました聖心会シスターである鈴木秀子氏の最近の本で考えさせられる一文がありましたので、今日はそれをご紹介します。

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「死」で人は、攻撃しなくなる
     「死は人生で最も大切なことを教えてくれる」鈴木秀子(SB Creative刊)より抜粋

 中学3年生の少女、Eさんの話です。Eさんは、とある女子校に通う明るく朗らかで気立てのよい少女でした。幸せな家庭に育ち、何不自由なく過ごしていました。
 しかしある日、突然体調に異変を感じ、大きな病院で精密検査をいくつも受けることになります。検査の結果、彼女の内臓には末期のガンが見つかりました。しかも、そのガンがあまりにも進行しているため有効な治療法はなく、Eさんは余命いくばくもないことがわかりました。
 もちろんその結果は、主治医からEさんのご両親にすぐ告げられました。でもご両親は、それれの事実をすべて、彼女に伝えないことを決意します。そして彼女が息を引き取るその日まで、皆でゆっくり過ごすことにしたのです。
 とはいえ、カンが鋭いEさんは「私はもう死に向かっているのかしら?」と察している節があったそうです。さらには「私の病気には、治療の手立てがもうないのかしら?」とご両親に尋ねたこともありました。しかしご両親は「本人のためにも最後まで本当のことを告げない」という方針を貫くことにします。
 それは、娘のEさんが通う学校に対しても同じでした。ある日お父様はわざわざ仕事を休み、一度学校を訪れ、担任の先生と直接話をします。とはいっても、次のことしか伝えませんでした。
 「娘がいつもお世話になりまして、ありがとうございます。実は娘は体調が悪く、学校を休まざるを得なくなってしまいました。また通えそうになりましたら、ご連絡します。」
 Eさんの症状も病名も、何も明かさなかったのです。でも、その程度の伝達事項であれば電話連絡でも十分なはずですから、その時に担任の先生は「お父様がなぜ欠勤してまで学校を訪れ、娘が休むという意思を伝えにきてくださったのか」と少しいぶかしく思ったそうです。
 あとからお父様に聞くと「娘の病気のことを言葉にして伝えると、娘が本当に死んでしまうと思ったのです」と弁明していました。つまりお父様自身も、Eさんの死を受け入れることができでいなかったのです。
 やがて、Eさんは亡くなります。その事実が学校に伝えられた時、今まで何も知らされていなかった担任の先生をはじめ、級友たちはあまりの突然の悲劇に驚きました。数カ月前まで同じ教室で机を並べて楽しい時間を共有していたEさんが、一言も別れを告げずに天国に旅経ってしまった。それは確かに、衝撃的な事件であったはずです。
 そして、担任の先生も級友たちも、Eさんの葬式にそろって参列しました。すすり泣く声が満ちてただでさえ悲しい雰囲気の中、そこには追い打ちをかける出来事が起こりました。それは出棺の時のことです。
 その地域では、「親が子どもに先立たれた場合は、母親は火葬場に赴いてはいけない」という風習がありました。ですから霊柩車に棺が乗せられると、あとは「お骨になって、骨壺に入って帰ってくるだけ」になるのです。
 お母様は、その風習をとても受け入れられなかったのでしょう。「それならば、棺を霊柩車には絶対に乗せるまい」と、男性たちが運ぶ棺にしがみつき、往来で人目もはばからずEさんの名前を呼び、泣きじゃくり続けました。周りの人たちに押さえられ、なだめられるうちに、お母様の着物の裾は乱れはだけて、白い襦袢があらわになりました。けれども、そんなことを気にするそぶりを微塵も見せず、お母様は懸命の抵抗を試みました。
 その格闘は数分間も続いたでしょうか。何人かの屈強な男の人たちがお母様をなんとか押さえつけ、羽交い絞めにして、ようやく霊柩車は火葬場へと出発しました。それを追いかけるように、ご親族たちもしめやかに車で移動していきました。
 Eさんの同級生たちはそれら一連の騒動を、道路の向かい側からまるで演劇でも鑑賞するように、ただぼんやりと静かに傍観していたそうです。多感な年代の少女たちの柔らかな心に、「死」の実感が強烈に印象づけられたのです。
 それから、Eさんのクラスは、雰囲気がガラリと変わりました。教師に口答えするなど犯行的な態度をとっていた多くの生徒たちが、打って変わって素直になりました。それまで、特定の生徒に悪口や虫などのいじめを行っていたグループが「許してほしい、そして仲良くしてほしい」と謝ったりしたのです。
 そのような変化は隣のクラスやその学年にまで広がりました。そして教師たちの手に負えなかった不良グループまでもが急に反省の色を見せ、派手な身なりや行動を改めはじめました。さらには、生徒たちを叱るだけだった教師たちの姿勢にも変化が起こり、学校全体に「優しさ」が伝播したというのです。「その年の入学試験の受験者数も増えた」とも、あとから風の便りに聞きました。
 Eさんの突然の死は悲劇としか言いようがなく、多くの人に衝撃と悲しみを与えました。しかし、Eさんは、自身の死を通して「命があることが当たり前ではない」という「ともすれば忘れがちな真理」を、級友や教師など多くの人に教えてくれました。
 その結果、命の尊さに気づいた仲間たちは。「命ある限り、人には優しくしよう」と、はじめて行動を変えることができました。Eさんの死は、周囲の多くの人々を成熟へと導いてくれたのです。
 私たちもEさんの人生から、貴重な教訓を学ぶことができます。「明日、身近な人が死ぬとわかっていたらどうするか」、想像力をたくましくして考えてみましょう。その人が嫌いだったとしても、きっと優しく接することができるはずです。
 またその応用形として「明日、自分が死ぬとすればどうだろうか」と考えてみましょう。嫌いだった人の長所も見えてくるはずです。

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 長文の抜粋となりましたが、確かに「命」について考えさせられる名文です。この場合、死に逝く者に対して事前告知をどうするか、という問題は別にして、自分の身近な人に死期がが迫った場合にどうふるまうか、また自分の命がまもなく尽きることが分かった場合に、どのように受け止め行動するか等、様々なことが考えさせられます。そして自分自身の「死」に対して正直に向かい合うことで「人生の意味」や「真摯に生きる」という意味を掴むことができます。この本の一読をお勧めします。


2017年12月10日

#145 平成の終わりと、はしだのりひこ逝く

 久しぶりにブログを書いています。実は非常勤講師をしている学校で現在期末試験が行われており、私が担当している授業のテストを3種類作らなければならず、その作成に時間がかかりましたので、ブログの更新ができませんでした。現在は採点に追われています。加えて成績締め切り日まで試験後の3日間の猶予しかなく、テスト返却後にすぐ成績処理をしませんと間に合いません。今月は師走ですが、学校の先生方はテストの採点や成績処理、親子との個人面談の準備で大忙しの日々を過ごすことになります。
 さて先日皇室会議が開催され「平成」が再来年の4月30日に終わることが正式に公表されました。これで平成は31年間で終了することになります。天皇陛下がご存命中に元号が変わるのは200年ぶりとのことです。元号名の「平成」は必ずしも平和な時代ではなかったと思います。昭和と違い平成は戦争に介入するはありませんでしたが、それでも様々な大事件や大事故が続けて発生し、異常な殺人事件も多く起こりました。事件や事故が起こるたびに以前の出来事が忘れ去られ、年末の特集番組でようやく思い出すようなことが続いています。
 思い返せば1989年(昭和64年)1月7日は昭和の終わりと平成の始まりという2つの時代が重なった1日でした。この日の不可思議な一日を今でも覚えています。早朝に昭和天皇の崩御が報じられ、国内は正常な生活が営まれていましたが、どことなく空虚感が漂っていました。一時代が終わり、新しい時代が始まった一日でした。再来年の平成の終わりと新しい時代の始まりをどのような雰囲気で迎えるのでしょうか。今から楽しみです。
 個人的に大きなニュースが昨日ありました。はしだのりひこ氏の逝去です。はしだのりひこ、と言えば年配の人達はご存知でしょうが、フォーククルセダーズのメンバーで、名曲(迷曲?)「帰ってきたヨッパライ」で世の中を風靡しました。この歌の微妙なリズムと歌詞の内容はそれまでの歌謡曲の範囲を超えた奇妙な衝撃を世の中に与えました。特にテープレコーダーの回転数を変えて曲作りを行った奇抜なアイデアには世の中が驚きました。勿論ビートルズからの影響です。また彼はシューベルツの「風」、クライマックスの「花嫁」を不朽の名曲として世に残した人物としても知られています。またフォークソングを世の中に広めた一人でもあります。両曲ともに作詞はきたやまおさむ、作曲ははしだのりひこです。彼の曲は特に親しみやすく、誰でも口ずさむことができるメロディーです。「風」は教科書に載せられ、「花嫁」は1971年に発表され、その年の紅白歌合戦に出場しています。特に「風」は一度は誰でも口ずさむ名曲中の名曲です。

「風」 作詞 きたやまおさむ
    作曲 はしだのりひこ


人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人はだれも 人生につまずいて
人はだれも 夢破れ振りかえる

プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
振りかえらず ただ一人一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
吹いているだけ 吹いているだけ

 寒い季節に歌いたい1曲ですが、タイトルの「風」について北山修氏があるエッセイでこのようなことを書いていました。「自分は京都駅近くの家で幼いころ暮らしていましたが、いつも京都駅を乗り降りしている人々を興味深く見ていました。その人々の動きから一陣の風が吹くことをいつも感じていました。そのような経験から「風」という市が生まれました。」人生は生きて愛することの繰り返しです。過ぎ去ったものを振り返っても、そこには風しか吹いていません。一歩前に進めることが必要です。
 はしだのりひこ氏はフォークルのメンバーであった故加藤和彦氏と今天国で語り合っていることでしょう。彼のご冥福を祈りたいと思います。

2017年12月03日

#144 こんな手があったとは!

 先週の後半から始まった寒波がまだ続いています。ここ大牟田では2日前の最低気温が-0.8度と氷点下を記録したそうです。今年の冬は例年以上に寒くなると思われます。これからは風邪やインフルエンザにかからないように健康管理が大切になります。
 さて先日の西日本記事の1面に画期的な記事が載っていました。『ネット”神”授業 講師は現役教諭 福岡発無料動画再生700万回「学習の機会均等に」』(ネット記事の詳細はこちらです)
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/374414/
 この記事によりますと、福岡県の公立高校教師の山崎圭一さんが授業動画を「ユーチューブ」に投稿しており、人事異動で高校を転任する時に生徒から先生の授業をユーチューブで流してもらいたいと依頼されたそうです。最初は世界史だけでしたが、その後日本史、地理と科目が増え、最近はホームルームなどの動画も投稿されています。授業動画は大手の予備校や通信教育会社が有料で配信していますが、山崎さんは無料で投稿しており、「教員の配置や教育課程の都合で生徒が興味に合った科目を選択できず、学習の機会が失われている。先生にも見てもらって授業の参考にしてほしい」と語っています。
 私はこの記事を読んで、この手法は貧困家庭の子どもたちや不登校の子どもたちにこそ利用してもらいたい手法だと思いました。私は時々話題となっている動画を時々ユーチューブで観ていましたが、自分がユーチューブに投稿する発想は全くありませんでした。実際授業を投稿することになると、小学校から高校までの学年別授業形態や科目の種類など様々な課題がありますが、複数の教員が集まり、それぞれの学習形態に合った授業を録画して投稿すれば、様々な理由で授業を受けられない子どもたちに福音となります。このような手法はまず優秀な教育人材を有する政府に考えてもらい、至急実行すべきだと思います。発想を変えるといろいろなことが実現できる一例だと思いました。ネットの悪用が叫ばれている昨今ですが、この記事はまさに文明の利器の良い使い方の例です。彼の発想と実行力に脱帽します。

2017年11月23日

#143 ちいさい秋見つけた

 今朝は今秋一番の冷え込みとなり、当地では最低気温5度を記録しました。現在は気温10度ですが、日中はこのまま気温が上がらない状態が続く見込みです。週末から急に寒くなり、晩秋というよりも初冬の雰囲気が漂っています。特に本日は年末年始の寒さだそうです。
 さて前回のブログでは童謡・唱歌の「紅葉」を紹介しましたが、今朝から「小さい秋見つけた」が何故か胸の中でこだましています。私がこの歌を初めて聞いたのは、たしかNHKの「みんなの歌」だったと思います。時期は分かりませんが、おそらく幼稚園の頃ではなかったかと思います。ボニージャックスが歌うこの歌の前奏が物悲しく、秋から冬へと移る季節感が漂い、不思議な雰囲気を醸し出しています。作詞・作曲は、かのサトウハチロー、中田喜直です。ウィクペディアによると、作詞のきっかけは『サトウハチローが住んでいた東京都文京区弥生の自宅の庭にはぜの木が植えられており、この木の紅葉する情景を見たのが作詞のきっかけとなった。この自宅は1996年に岩手県北上市のサトウハチロー記念館に移築され、はぜの木は後楽園駅近くの礫川公園に移植された。』と説明しています。なお歌詞は次の通りです。


  「ちいさい秋見つけた」
  作詞:サトウハチロー 作曲:中田喜直

  だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
  目隠し 鬼さん 手の鳴る方へ
  澄ました お耳に かすかに沁みた
  呼んでる口笛 百舌(モズ)の声
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

  だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
  お部屋は 北向き 曇りのガラス
  うつろな目の色 溶かしたミルク
  わずかな 隙から 秋の風
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

  だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
  昔の 昔の 風見の鳥の
  ぼやけた 鶏冠(トサカ)に はぜの葉一つ
  はぜの葉 赤くて 入日(イリヒ)色
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

 この歌の1番の歌詞「目隠し 鬼さん 手の鳴る方へ澄ました お耳に かすかに沁みた」、2番の歌詞「お部屋は 北向き 曇りのガラスうつろな目の色 溶かしたミルク」、3番の歌詞「昔の 昔の 風見の鳥のぼやけた 鶏冠(トサカ)に はぜの葉一つ」には何かしら日常生活とは異なる不可思議な空間を思わせるサトウハチローの独特な死生観を表しています。今年も秋が例年よりも短く、冬の装いが近づいています。季節の変わり目ですので、ますますご自愛ください。

2017年11月19日

#142 秋晴れの一日

 放射冷却の影響で最低気温が10度を下回る日が続いています。北日本では雪の便りが届く頃となりました。日ごとに秋が深まっていきます。街路樹の銀杏の木も黄色に色づき、葉が散り始めています。遠くの山々は赤や黄色に変わり、紅葉が見ごろになる日が近づいています。ここでふと唱歌「紅葉」を思い出しました。小学校の音楽の授業でこの歌で輪唱の練習をしたことを覚えています。
 
    「紅葉」
 秋の夕日に照る山もみじ
 濃いも薄いも数ある中に
 松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
 山のふもとの裾模樣(すそもよう)
 溪(たに)の流に散り浮くもみじ
 波にゆられて はなれて寄って
 赤や黄色の色さまざまに
 水の上にも織る錦(にしき)

 この「紅葉(もみじ)」は、作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一による唱歌で、1911(明治44)年に「尋常小学校唱歌(ニ)」上で発表されそうです。この岡野・高野コンビは、「紅葉(もみじ)」の他にも「故郷(ふるさと)」、「春が来た」、「春の小川」、「朧月夜(おぼろづきよ)」などの日本の名曲を数多く残しています。童謡、唱歌は日本人の心の故郷を表しています。誰でも幼い頃に子守歌として聞いたり、また幼稚園や小学校で歌ったことがあります。時代が変わっても日本人の原風景として心に残る童謡、唱歌はいつまでも歌い続けてもらいたいと思います。季節を感じながら、何気ない一日の幸せを感じることも大切です。

2017年11月12日

#141 創立3周年を迎えました

 当塾は今月創立3周年を迎えました。実際、創立記念日は昨日でしたが、昨日は所用のため福岡へ行き、その後授業を行いましたので、ブログを更新する時間が取れませんでした。改めて本日ブログを更新します。
 さて当塾の創立記念日ですが、以前にも書きましたように、11月4日でなくてもよかったのですが、当塾の住所が大牟田市浄真町114番地ですので、語呂合わせで11月4日を創立日にした次第です(笑)。
 現在10名前後の生徒が当塾で学んでいます。創立当初から個別指導を中心に授業を行っていますので、当塾では最大10名前後が収容能力の限界となります。当塾の設立当初は5名から10名程度のコース単位の授業を考えましたが、コース単位で授業を行いますと、コース内の生徒の学力差を考慮しなければならず、コース制を取っている他校との差別化ができません。また公立学校との区別もつきにくくなります。確かに大手の進学塾ではコースの細分化を売りにしている塾がありますが、文言通りに効果が出ているかは甚だ疑問です。授業の内容も吟味せずに塾の名前に魅かれて大手の塾に通っている生徒も多いのではないでしょうか。
 当塾では一人ひとりを大切にして、その生徒の学力に応じた授業をするには個別指導の方がよりよい授業ができます。コース制と個別指導性を比べてどちらが良いかは一概に言えませんが、各塾がその特徴を活かして経営していけばよいと思っています。換言すれば、「人は人、自分は自分」の発想になります。
 幸いにも、あえて生徒募集をしなくても口コミで生徒が集まってきますので、これも今までご支援してくださった多くの皆様のお陰と思っております。当塾の今後の課題として、必要とされる生徒に学びの場を提供するとともに、全国各地に同様な学びの場を与えるきっかけを作ることができれば幸いだと思っています。実現するのに少なくとも数年はかかるでしょうが、自分のできる範囲でやれることから少しずつ始めたいと思っております。それでは今後もよろしくお願いいたします。

2017年11月05日

#140 長崎へ行ってきました

 例年になく天候不順だった10月も終わり、今日から11月になりました。季節は慌ただしく秋から冬へと変わっていきます。日中は20度を超える気温ですが、朝晩はかなり冷える日々が続いています。特に早朝は最低気温が10度前後の朝が続いています。ブログ読者の皆様は体調に充分ご留意ください。
 さて本日は講師をしている学校が創立記念日のために授業が休みになりましたので、気分転換に長崎に行ってきました。大牟田から長崎まではJR鹿児島本線の鳥栖駅で長崎本線に乗り換え、3時間ほどで到着します。佐賀駅を過ぎた頃から多数の気球が空を飛んでいました。そうです。毎年この時期に佐賀の嘉瀬川河川敷でバルーンフェスタが行われます。本日は初日で河川敷には多くの出店が並び、賑わっていました。毎年テレビのニュースでバルーンフェスタの様子は目にしますが、実際自分の目で見たのは今日が初めてでした。
 今日長崎を訪れた理由の一つは長崎県立美術館で「さだまさし展」が開催されていて、彼の自筆の楽譜や実際コンサートで使用したギターを見るためです。彼との付き合い?は古く、私が高校生の時にグレープとして活躍していた頃に遡ります。当時「精霊流し」がヒットしていた頃で、彼は今ではNHKテレビ番組の「生さだ」を始め、毎年多くのコンサートに出演し、名前を知らない人はいないほどの人気を博していますが、グレープ当時の彼を振り返ると、まさか日本を代表するシンガーになるとは全く予想していませんでした。
 その後、歩いて大浦天主堂まで行ってきました。途中コルベ記念館に寄り道しました。第2次世界大戦中にアウシュビッツで他人に代わり、命をささげたコルベ神父様が長崎に滞在した頃の様子を残している記念館です。今回初めて訪問する機会を得ました。コルベ神父に関する書物や資料がたくさんあり、彼の長崎での生き様が偲ばれます。長崎は「坂の町」というだけでなく、「教会の町と」言った方が相応しいほどです。大浦天主堂などの大きな教会は観光地化されている面がありますが、裏通りに一歩入ると敬虔な祈りが捧げられる街です。
 また今日は県立図書館で宮崎康平生誕100周年記念の展示会も行われていましたので、足を延ばして彼の直筆や手紙等を鑑賞してきました。宮崎康平といえば「まぼろしの邪馬台国」や「島原の子守歌」で世に知られています。さだまさしと宮崎康平は旧知の中で、さだまさしがグレープとしてデビューするきっかけを作ったのが宮崎康平だと言われています。
 今日の長崎は快晴で秋らしい雰囲気が漂っている一日でした。同じ九州管内で距離的に近いわりには、なかなか行く機会がなく、1日だけの滞在では十分満喫することはできません。またいつか時間が取れたら1泊して長崎市内を隅々まで堪能したいと思っています。
 

2017年11月01日

#139 鈴木秀子さんのこと

 先週末に続き今週末も台風に見舞われました。2週連続の台風襲来になります。ここ大牟田はそれほど大きな被害はありませんでしたが、先週の台風で各地で大きな被害が出ましたので、被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。地震にしても台風にしても、一度発生しますと大きな被害が生じますので、日頃からの防災意識が大切になります。
 さて今日のブログのタイトルにあります鈴木秀子さんをご存知でしょうか。鈴木さんの著者紹介より引用抜粋させていただきます。

鈴木秀子:聖心会シスター。国際コミュニオン学会名誉会長。長年にわたり、全国及び海外で講演活動を行い、特に、死が近づく人や、その関係者からの相談が多い。

 私が鈴木さんを知るようになったきっかけははっきりと覚えていませんが、おそらく故渡辺和子さんの著書の中であったような気がします。シスター渡辺と同様に、シスター鈴木は珠玉の名文を書かれる方でもあり、様々な本から引用して素晴らしい内容を読者に紹介されます。その内容は万人を首肯させるものがあります。本日はシスター鈴木の最近出版された本の中の名文1つを紹介したいと思います。
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 『自分の感情を良きものに変える』(「今、目の前のことに心を込めなさい」海竜社より)
 あるアメリカ人がこういう話をしてくれました。その人はもう年配の男性ですが、これは9歳の時の思い出です。
 小さい時、お父さんがサーカスに連れて行ってくれました。家はそんなにお金持ちではありませんでした。お父さんが、今日はサーカスに連れて行ってあげるというので、9歳の男の子はもううれしくてたまらなかったのです。
 会場につくと、切符を買う長い列ができていました。自分たちはその列のいちばん最後になりました。すぐ前には、十人家族が並んでいました。それはお父さん、お母さんと八人の子どもたちの、とても貧しそうな家族でした。着ているものは質素でしたが、きれいに洗濯してありました。その家族は貧しいながらも、きちんとした生活をしている人たちだと子ども心にも思いました。
 「サーカスってところはね、ライオンがいたり、象がいたりするんだよ。そうして象が鼻の先で輪を回したり、いろんな動物がいろんなことをするんだよ」とお父さんは得意になって話していました。
 子供たちは二人ずつ四列に並んで、うれしそうに聞いていました。母親の方は、はじめて家族全員でサーカスを見ることができた、そして夫がそういう稼ぎをして連れてくれたということが、誇らしげに見えました。
 いよいよ切符を買う順番が近づいてきました。その家族が買えば、次は自分たちです。9歳の男の子は、とても待ちきれない思いでいました、もうサーカスのざわめきが外まで響いています。動物たちの鳴き声も聞こえてきます。
 十人家族のお父さんが、切符売り場のところに立ちました。そして大きな声でほんとに誇らしげに、「大人二人、子供八人」と言いました。それは後ろに並んでいる9歳の男の子のところまで聞こえてきました。お母さんもうれしそうに傍に寄り添い、子供たちもわくわくしている様子でした。
 ところが突然、お父さんはさっきまでの威勢の良さがなくなって、うなだれてしまったのです。お母さんは何事が起ったかと思ってお父さんを見守り、子どもたちはなんか様子がおかしいということで、しょんぼりとし始めました。
 そのお父さんはしばらく黙って地面を見ていました。しかし、今度はまた勇気を出して、切符売り場のところで顔をつけ、まるで切符売り場の窓の中を覗くようにして、「大人二枚に、子ども八枚でいくらですか」と聞きました。その声は他の人には聞こえなかったのですが、お父さんはその窓口から後ずさりすると、肩を落としてうなだれて下を向いてしまいました。あれほど誇らしげに見えたその男の人が、小さく見えました。
 突然9歳の男の子と手を繋いでいたお父さんが、四列に並んでいた子どもたちの前を通り越して、うなだれているお父さんの方を叩きました。
 「今ここに、百ドル札が落ちていますよ。あなた、落としたんじゃありませんか」と言いました。しょげきっていたお父さんは、持っているはずはなかったのですが、思わず辺りを見渡しました。
 その間に、9歳の子どものお父さんは百ドル札を地面から拾って、そのお父さんに渡しました。「あなたのポケットから落ちるのを私は確かに見ました。ここには他に人がいません。あなたが落としたんです。きっと気づかないうちに百ドル札があって、それが落ちたに違いありませんよ。」と言ったのです。
 そのお父さんはただ黙って、手に置いてくれたその百ドル札を見つめました。そして、相手の顔をじっと見て深く頷き、涙をぽろぽろ流して、「ありがとうございます」と言いました。
 そのお父さんは紙幣を持って「大人二枚、子ども八枚」と誇らしげな声で切符を買いました。「さあ、みんなサーカスだぞ」と言って、子どもたちを先に中に入れ、振り返って自分たちに深く頭を下げました。そして夫婦はサーカスの中へ消えていきました。
 9歳の子の父親は子供の手を取って、「さあ、うちに帰ろう」と言いました。そしてお父さんと男の子はそのまま家に帰ってきたのです。
 9歳の男の子は何も言いませんでした。でも大人になった今、思い出してみると、自分はあのとき、人生はどのように生きるのかということを学んだといいます。自分の中に起ってくるいろいろな感情や考えを、良いものにしていくにはどうしたらいいのか。サーカスを見る以上の素晴らしい宝を、あの瞬間に自分は父からもらいました、という話をしていました。
 これは「自分で自分を変えていく、そうすると周囲も変わってくる」という、まさにその瞬間を体験した話でした。
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 まさしく名文です。子供は親の背中を見て育ちます。若い世代は大人の姿を見て学びます。煽り運転の例を挙げるまでもなく、昨今のすさんだ世情を反映すような事件が多発しています。人の心がすさんでいる証拠です。ネットでも匿名性を利用して誹謗中傷するものが数多く見られます。まず自らを正して誠実に世の中に向き合うような生き方が必要とされる今日この頃です。

2017年10月29日

#138 明日は選挙です

 コスモスが咲き乱れる季節となりました。先日テレビで福岡県内のコスモスで有名な公園が紹介されていました。数千本のコスモスが咲き乱れ、公園一面がコスモス畑になっていました。しかし残念ながら当塾横の国道の花壇には今年は花が一輪も咲いていません。国道沿いの電柱地中化工事が行われているためです。真冬も咲いていたコスモスの姿は今年は見ることができません。可憐な姿は来年に期待したいと思います。ただ鹿児島本線の線路沿いに数本コスモスが咲いているのに気づきました。おそらく人の手を借りずに自ら成長したものでしょう。その健気な姿に頭が下がります。
 さて明日はいよいよ衆議院選挙となりますが、超大型台風の襲来が予想されていますので、投票率が心配されます。また今回の選挙から18歳以上の若者が投票しますので、若い世代の意識も選挙に影響します。連日のようにテレビ番組で選挙予想や党首討論などの意見を伝えていますが、果たして政権を取るのはどの政党でしょうか。前回のブログでも述べましたが、この国の将来に関わる大切な選挙です。「たかが一票」と思っても大切な一票となります。国政はあくまでも国民の意思の表れです。
 明日は荒天が予想されますので、私は今日期日前投票に行ってきました。市役所内の投票所ですが、それほど混雑はしていませんでした。ニュースでは期日前投票が前回の1倍半増加となっているそうです。おそらく鄭風の影響を心配して多くの方が投票所に足を運んだのでしょう。特に18歳の若者の積極的な投票活動を期待したいと思います。「たかが一票、されど一票」です。この国の将来のために大切な一票を投じましょう。明日は超大型台風の影響が懸念されています。台風の進路に当たる地域の方は充分お気をつけください。

2017年10月21日

#137 カズオ・イシグロの思い出

 昨日の昼から雨が降り続いており、今朝から10月には珍しい本降りの雨となっています。傍の国道を走る車の轍の音で雨の強さが分かります。さて今年のノーベル文学賞を受賞した長崎生まれのイギリス国籍を持つカズオ・イシグロ氏ですが、彼の名前は私がオーストラリアのシドニーで暮らしていた20年以上も前に聞いたことがあります。
 当時私はシドニーの大学院に入学する半年ほど前にシドニー大学付属の英語学校に通っていました。この英語学校は大学生・大学院生になるために英語力を磨くためだけではなく、大学での授業の受け方やプレゼンテーションの仕方、レポートの書き方などを教えてくれました。そこで出会った講師の一人、ジュディス・ウィーリーからイシグロ氏の話を伺いました。彼女はイシグロ氏の小説はとても面白く、ためになるのでぜひ読んだほうが良い、とアドバイスしてくれました。早速シドニー市内の書店に行き、彼の本を1冊購入しましたが、その後本の頁を開くこともせず、そのままになっています。
 その本をまだ捨てずに書棚に保管していると思い、さっそく探してみました。見つかりました。本のタイトルがKazuo Ishiguro "The Unconsoled"となっています。発行年が1995年とありますので、22年前に購入しており、ペーパーバックの本が歳月の経過により酸化し、頁の端々が赤茶けた色に変ってしまいました。今となっては遅すぎますが、あの時ジュディスの助言通りに彼の本を一読していれば、彼の読者になっていたかも知れず、彼のノーベル賞受賞後に彼についての自慢話ができたかもしれません(笑)。私たちはあらゆるものに対してどこでどのような縁があるか分かりません。人の助言には素直に従うものです。読書の秋に相応しく、少し時間を見つけてシドニーでの思い出に浸りながら、この本の頁を少しずつ進めていこうと思います。

2017年10月15日

#136 小池知事「核武装容認」!?

 今日は朝から快晴です。朝早く花火の音がしましたので、どこかで運動会が行われるのでしょう。さて先日ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏が選ばれました。彼についての思い出を書こうと思いましたが、面白いネット記事を見つけましたので、急遽その話題に切り替えたいと思います。イシグロ氏の話は後日書きたいと思います。
 さて本日のブログタイトル「小池知事核武装容認」の記事ですが、詳細は次のページでお読みいただけます。(https://withnews.jp/article/f0171008000qq000000000000000W05x10701qq000016025A)早く読まないと削除される可能性大です。
 問題は小池知事が過去において核武装を容認したか否かではなく、HPから削除された記事を過去に遡って検索するサイトがあることです。私はこの記事を読んで、びっくり仰天しました。一度HPから削除された記事は原則としてアクセスできません。興味ある記事を後で読もうと思っても、削除された後は全くアクセスできなくなります。ところが、Wayback Machine というサイトを利用すると、削除されたページが読めるようになります。上記のページから引用しますと:

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 「Wayback Machine」は、全世界のウェブサイト情報を自動収集、保存しているデータベースを持っており、調べたいサイトのURLを入力すると、そのサイトの過去の姿が見られる、というサイトです。
 「Wayback Machineは、過去のウェブページが検索できる世界で唯一のサイトです。米国ではすでに、検索した過去のサイト情報が、裁判の証拠としても使われています」
 「Internet Archive」のサイト内の記述によれば、1996年の設立以来、各年代の計約3千億ページを保存してきました。
 データベース収容情報を都度、呼び出して作成されるページや、パスワードロックされたページ、ロボットによる情報収集を拒む設定をしているサイトを除けば、「Wayback Machine」はほぼすべてのネット情報にアクセス。ロボットとの相性で保存できてないページもありますが、Twitterなど一部を除く世界中の全ウェブ情報が、「Wayback Machine」で検索できる状況になっているそうです。
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 いやはや、とんでないことが私たちの知らない間に行われています。管理社会の裏側で様々な情報収集が行われていることでしょう。例えば監視カメラについては私たちの目に直接見えますので、その賛否の意見がよく交わされていますが、このようなサイトが存在することについて大半の人が知らないと思います。詮索したくありませんが、個人の電子メールや携帯のメールなど絶えず収集しているものが存在しているかもしれません。インターネットを通じて便利になった反面、個人の情報が絶えず危険にさらされている時代です。とんでもない時代に私たちは暮らしていることを自覚しなければなりません。

2017年10月08日

#135 運動会の思い出

 今朝遠くから鼓笛の音が聞こえてきましたので、当塾に来る途中で母校の小学校を覗いてみました。あの鼓笛の音は運動会の合図でした。グラウンドに目をやると徒競走が行われていて、大きな声援が聞こえてきます。親が子どもの走る姿を応援している様子は今も昔も変わりません。その様子を垣間見ながら小学校の運動会のことをふと思い出しました。
 当時小学生の私は足が速く、毎年のように紅白ブロックのリレーや学級対抗リレーの選手に選ばれていました。特に小学校6年生の時には紅白リレーのアンカーとして最後を任されていました。私がバトンを受け取って走り始めた時には前方を走る選手と少し距離がありましたが、必死で走り、ゴール直前で追い抜いてゴールテープを切ったことを今でも覚えています。そのゴールの瞬間が小学校の卒業アルバムに載り、その写真を見るたびに懐かしく、小学校時代のことを思い出します。
 私が在籍した当時の学校は木造2階建ての校舎でしたが、今では鉄筋コンクリートの校舎となり、隣地区の小学校と合併して学校名も変わってしましました。変わっていないのはソフトボールで使うバックネットとグラウンドに今でも残っている数本の樹だけです。

 最近では中学校や高校で春に運動会を行う学校が増えてきましたが、運動会はやはり秋がふさわしいと思います。爽やかな秋の風を感じつつ、体をおもいっきり動かし、昼食時に食べたデザートのナシやクリなどの果物の味を今でも思い出します。昔は小学校の運動会と言えば親戚一同集まって応援に行くなど、家族の一大行事でした。少子化により子どもの数が少なりましたが、子どもだけでなく大人も楽しめる日本の文化の一面を運動会は示しているのではないでしょうか。

2017年10月01日

#134 実るほど頭を垂れる稲穂かな

 今日で9月も終わります。あれほど暑い残暑が続いた今月でしたが、今日は爽やかな晴天の一日でした。季節はすっかり秋になり、水田の稲穂も頭を垂れるほど豊かな実がなっています。早くも稲刈りが始まっている田んぼもあります。7月の豪雨や9月の台風にも耐えて稲穂は実り豊かな姿を私たちに見せてくれています。
 「実るほど首を垂れる稲穂かな」の意味は「稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ。」と辞書に載っていますが、今まさにこの格言が試される状況をこの国は迎えます。衆議院選挙のことです。安倍首相が先日衆議院解散を表明してから、各政党は「風雲急を告げる」状況に陥り、特に小池氏が希望の党を立ち上げて以来、民進党は解党の状況に陥っています。
 昨今の政治は劇場型政治と言われていますが、今度の選挙ほど有権者を引き付けるものは最近なかったのではないかと思う次第です。内憂外患が渦巻いている日本国内外におきまして、今度の選挙は大変重要な選挙になるものと思います。国内の憲法問題や景気回復など様々な問題だけでなく、朝鮮半島の有事や中国、ロシアなどの動向を踏まえ、この国がどこへ向かおうとしているのか、またアメリカとの関係を基盤とする日本の将来の防衛と安全など様々な外交問題が山積しています。
 特にアメリカのトランプ大統領は自国を北朝鮮から守るために、準備が整えば北朝鮮への攻撃を来年早々に始めるかもしれません。それを意識した安倍首相の衆議院早期解散だと述べた評論家もいます。事の真偽はさておき、私たち有権者にとりこの国の将来にとり、どの政権政治が今求められているのかを考えなければなりません。今までの実績を優先するべきか、また改革を必要とするか、私たちは賢い選択を迫られています。この国の将来を決めるのは私たち国民です。選挙の結果はそれが意にそわなくても受け入れなければなりません。本当にこの国のために尽くしてくれる政治家を選ぶ必要があります。明日から10月が始まりますがこの国の運命を決する大切な月になりそうです。

2017年09月30日

#133 暑さ寒さも彼岸まで

 今日は秋分の日で祝日に当たりますが、秋彼岸の中日でもあります。道端には沢山の彼岸花が咲いています。お墓参り行かれた方も多くいらしたのでは、と推察します。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、日中は最高気温が25度を超える日がまだ続いていますが、就寝時にはエアコンをつけなくても済みます。朝は半袖姿では寒いくらいの日もあります。つい2週間ほど前までは残暑が厳しい日々が続いていましたが、ここ数日ですっかり秋めいて来ました。
 さて今日を境に次の春彼岸まで夜の方が長い日々が続きます。確かに日の出の時間が朝6時を過ぎるようになりました。また日没は18時15分を切るようになっています。私は今年は早朝の課外授業のために勤務している高校に週2回6時半過ぎに家を出ますが、最近では朝日を浴びながら40分ほどかけて通勤しています。出勤時はまだ明るいですが、これが冬至近くになりますと星明りの中での出勤になります。
 これは生徒にとっても同じことです。大牟田市内や近郊の各高等学校はスクールバスを所有しており、電車やバスなどの公共交通機関が発達していませんので、スクールバスで生徒の登下校を行っています。八女や山鹿、玉名等の遠方から通学してくる生徒たちは早朝の課外授業に参加するために、5時半に起床することになり、保護者の方の愛情が生徒を支えていることでしょう。特に共働きのお母さんは子供のお弁当作りで、子供の起床時間よりも早く起きますので、仕事と家庭生活の両立は大変厳しいものがあります。特に母子家庭では経済的な負担だけでなく、お母さんの体力的な問題も抱えていらっしゃることと思います。子供が在籍する高校3年間を辛抱すれば、子育てからはある程度解放されますが、それまでが大変です。日頃より健康に留意して子供のために頑張って貰いたいと思います。

2017年09月23日

#132 高齢世帯4分の1が貧困

 昨日の台風18号は福岡県にはそれほど大きな被害をもたらしませんでしたが、台風が通過した鹿児島や、宮崎、大分の各県では大きな被害を与えました。特に津久見市や佐伯市では、いたるところで川が氾濫し、大きな水害になりました。また、この台風は日本列島に沿って通過し、各地で大きな被害を与えています。現在この台風は北海道を進んでおり、まだ十分な警戒が必要です。この台風による被害を受けた多くの人々に心からのお見舞いを申し上げます。
 さて本日は敬老の日ですが、数日前に西日本新聞に衝撃的な記事が載りました。ネット記事はこちらです。(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/358641/)
 この記事によると『高齢世帯4分の1が貧困 独居女性では2人に1人「生活保護未満」』の見出しで、65歳以上の高齢者がいる世帯の貧困率が2016年時点で27.0%だそうです。また1人暮らしの女性は特に深刻で、2人に1人が生活保護の水準を下回る収入で暮らしており、その背景には年休受給額の減少を指摘しています。以前に貧困家庭の子供たちの状況をこのブログで取り上げましたが、現実には子供の6人に1人が貧困家庭の子供という事実だけでなく、高齢者も4人に1人が貧困ということになります。
 貧困家庭の子供が成人すれば、正規・非正規に関わらず就職の機会に恵まれますが、高齢者となりますと、考慮すべき年齢はもちろんのこと、体力や気力の面で大変厳しいものがあります。得られる収入は年給しかありません。生活できるほどの年休をもらえる人は良いですが、年休の掛け金が少なかったり、生活できるほどの年金がもらえない人にとっては死活問題となります。また老々介護のように高齢者が介護を必要とする状況になった場合は支出する金額が大幅に増えてきます。つまりある程度の個人的な貯金がないと老後の生活がなりたたないことを意味しています。
 最近の若い世代は年金を積み立てることをしない人が増えていますが、高齢者の現状を考慮して、生活できるだけの年金をもらえる対策を今から建てておく必要があります。「明日は我が身」です。日々の生活費を節約して少しでも貯蓄に回す等の個人の対策が必要です。国も財政的に疲弊している現在、多くのことを国に頼ることはできません。どの世代もまず自立することを考え、余裕があれば他人のために尽くすことが、これからの世の中に必要なことと考えられます。敬老の日に考えさせられる新聞記事でした。

2017年09月18日

#131 遺贈という考えについて

 遺贈(いぞう)という言葉をご存知でしょうか。人生最後の社会貢献として様々な場所に自分の財産を寄付し、自分の生きた証を残す活動です。先日NHKのクローズアップ現代で遺贈について特集番組が放送されていました。この番組によると自分の家族への遺産だけでなく、社会貢献の1つとして遺贈を考えている人が増えているそうです。特に家族のいない独居生活をしている人の中には、自分の死後に国に財産を取られるよりも何らかの形で自分の生きた証を残す意味でも社会福祉団体等に寄付している人がいるそうです。
 ただし遺贈をする際にいくつか留意する点があります。1つは「家族の同意ができているか」という点です。つまり家族と話し合い、遺言書の形で自分の意思を明確に示すことです。これがないと自分の死去後に遺族間で醜い遺産争いが生じる可能性があります。次に「自分の意思を汲んでくれる団体が遺贈に相応しいかどうか」ということがあります。「オレオレ詐欺」ならぬ「遺贈詐欺」が流行るかもしれません。対象となる団体(介護や福祉団体など)を一度自分の目で確かめた方が良いでしょう。NHKによると遺贈の流れは次のようになるそうです。 遺贈先を決める → 遺言書を作成する → 死去 → 遺贈
 遺贈に関して無料で相談できる窓口もあるそうです(いぞう寄付の窓口 日本レガシーギフト協会)。また全国各地で遺贈セミナーが催されています。出生率が下がっている現代の日本では老後を子供に見てもらうことができない高齢者が今後も増えていくことと予想されます。終活の一端として、また自分の人生の集大成として、遺贈という考えは確かに理にかなっていると思います。遺贈という形で少しでも世の中に役に立つ社会貢献は素晴らしい慈悲心の現れです。

2017年09月10日

#130 ゆく川の流れは絶えずして

 九月になり季節は日ごとに秋めいてきました。つい一週間前には朝の最低気温が28度前後でしたが、今日の最低気温は20度を下回り、18.6度を記録しています。確かに日中はまだ30度を超す日が続いていますが、それでも朝夕はすっかり秋の気候になり、寝るときもエアコンを使用しなくてもすみます。日々の忙しさに追われている間に、いつの間にか季節は移ろい、そして静かに時は流れて行きます。
 個人的にはこの季節感が一年で一番好きな時期です。夏の季節に秋の気配が漂い、2つの季節の微妙なコントラストを肌で感じることができます。例えば秋空を示すイワシ雲が上空に漂う一方で、遠くの山々の上空にはまだ入道雲が沸いています。スーパーマーケットの食品コーナーではまだスイカが販売されている一方で、ナシやリンゴがすでに売り場に並んでいます。
 私が大学生の頃には今ほど地球温暖化が進んでいませんでしたので、毎年お盆過ぎには今日のような季節感を楽しむことができました。毎年八月の下旬に京都へ出かけ、レンタサイクルを利用して京都市内を一周したものです。朝の九時過ぎに当時京都駅前にあるレンタサイクル店で自転車を借りて、清水寺や銀閣寺、京都大学を前を通り、大覚寺や嵐山、そして桂川沿いに京都駅まで戻ってきます。京都市内およそ7時間で一周できるサイクリングをしたものです。特に加茂川や嵐山の桂川の川辺を自転車で走りますと、夏の暑さの中で吹く秋風を感じたものでした。いつか機会があればまた京都を訪れたいと思っています。
 夏が終わり、秋が始まるこの微妙な季節感がとても面白く、いわゆる「わび」や「さび」を感じさせてくれます。「方上記」の冒頭に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と語った鴨長明がこのような季節感を愛でていたのが分かる気がします。彼も移ろい行く季節の中で日々の出来事や人々の営みに無常感を感じていたことでしょう。
 季節と同様に、世の中もいつの間にか移ろいで行きます。私は所用で月に二度ほど以前住んでいた福岡に行きますが、先日バスの車窓から以前よく行っていた六本松の隣にある梅光園の書店が無くなっているのを見つけ、無常感を感じたところです。今まで慣れ親しんだ事物が無くなることに、一抹の寂寞感を感じるとともに、六本松地区の再開発の進展に新しい街の息吹を感じ、まさに「いく川の流れは絶えずして」の感があります。また天神地区も今後数年で新しいビル群が誕生します。時代とともに福岡市は大きく発展していきます。
 また人も同じように老いてこの世を去る人がいる一方で、新しい命を授かる人もいます。すべてが「いく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」です。それでは私たちがこの世に留まる短い間に、何ができるでしょうか?答えは人それぞれ異なりますが、自分のためだけでなく「他人のために生きる」ことができる人は幸いな人だと思います。人生も、時代もすべて流れていきます。悔いの残らない人生を歩みたいものです。

2017年09月03日

#129 去りゆく夏

 今日は8月最後の日曜日です。来週には9月が始まります。大牟田市内の中学校では8月30日に2学期が始ますので、夏休みも今日を含め残り4日間となります。子供たちは今ごろ夏休みの宿題に追われているのではないでしょうか。
 個人的には昨日で勤務している学校の課外授業が終わり、気分転換を兼ねて荒尾市のグリーンランドの近くまで運動不足を解消するために自転車で行ってきました。当塾から自転車でおよそ50分ほどの距離ですが、今日は湿度が低く、カラッとした夏日でした。暇なときには月に1回ほどグリーンランドまでサイクリングを兼ねて遠出します。その時の気分でラムサール条約に登録された荒尾干潟まで足を延ばすこともあります。
 さて当塾の生徒たちや他校の生徒に聞いたところ、大牟田市内の各中学校で夏休み期間中にエアコン設置の工事が終了したそうですが、エアコンの運用は来年度からだそうです!?生徒の話によると市の予算の関係で今年度は使用できないと、ある中学校の校長先生が生徒たちに詫びていたそうです。変な話です。確かに税収に苦労している大牟田市としてはエアコン設置に莫大な予算を取っているでしょうが、エアコンを設置したからには即運用することが正道なのではないでしょうか。せっかくのエアコンが「絵にかいた餅」になってはいけません。もちろん光熱費の名目で生徒から電気代を取っている自治体が多く、大牟田市もそれに準じることも可能なはずです。(あるいは議員の歳費を削っても各学校のエアコン運用費に充ててもらいたいものです。((笑))そうしないと気温35度を超える猛暑の中、教室内でもそれに近い状況になります。効率的な授業をするにはエアコンを使用することが必須です。一昔前の夏ではありません。おそらくエアコンの効いた部屋で過ごしているお偉方には学校の酷暑の現状が分かっていないのでしょう。彼らの速やかな意識改善が求められます。
 ところで、昨夜無事に大曲の花火(全国花火競技大会)大会が行われました。毎年テレビで中継してくれますので、塾の授業が始まるまで見ていました。夏の終わりの風物詩として多くの人が楽しみにしている花火です。今年は大雨のために開催が危ぶまれてましたが、開催本部や地元の人たちの努力のおかげで今年も夜空に美しい大輪を咲かせました。夏と言えば規模の大小にかかわらず全国各地で花火大会が催されます。これも日本が平和な証拠です。同じ火薬を使用しましても、戦争に使用すれば爆弾や弾丸となり人を殺す道具となります。その最たるものは核兵器でしょう。一度使用すれば人類を何度でも殺せるほどの核兵器が世界に存在しています。その同じ火薬を平和に利用すれば花火となり、多くの人々を感動させ満喫させてくれます。同じ火薬を使用するのであれば、平和に利用したいものです。
 まだ30度を超える日々がしばらく続きますが、夏は静かに去ろうとしています。季節はいつの間にか移り変わって行きます。来週には全国の学校で2学期が始まります。大人も子供も気分を入れ替えて、次の季節に進んでいきたいものです。今年も夏が去っていきます。

2017年08月27日

#128 夏休みが短くなる!?

 お盆休みも終わり、残暑がまだ厳しい日々が続いていますが、何となく秋の気配が近づいている雰囲気がしています。例えば数日前うるさいクマゼミの鳴き声の中にツクツクホウシの声が聞こえてきました。また日中はまだ30度を超える日が続いていますが、それでも朝夕涼しい風が吹き始め、夜にはコオロギや鈴虫などが鳴いています。
 さて子供たちの夏休みも残り10日ほどになりましたが、当熟の生徒に聞いたところでは大牟田地区は8月30日から2学期が始まるそうです。最近の夏休みが何日あるかご存知でしょうか。ちなみに福岡県(福岡市)では7月22日から8月27日までの37日間だそうです。1番長いのは千葉県(千葉市)の45日、1番短いのは北海道の27日間となっています。もちろん雪国では逆に冬休みが長くなります。私の子供の頃の夏休みは7月21日から8月31日まででした。2学期は9月1日からと決まっていました。今年度の夏休み期間については詳しく知りたい方は次ページを参考にしてください。

       http://読めばなるほど.com/archives/2100.html

 ここ数年で全国的に夏休みが短くなる傾向があります。その理由として、授業時間の確保による長期休暇の減少や教員の負担の軽減などさまざまです。公立学校では土日が休業となっていますので、長期休暇の日数を減らして対応するしかないようです。教室にエアコンがある学校では、子供たちは集中して授業に取り組めますが、それ以外の学校では35度を超える教室は一種の温室であり、授業に集中するどころか、注意緩慢による様々な事故が考えられます。まして炎天下の下での体育は考えられません。長期休暇に関しては各地方自治体が実施することになっていますが、文科省は実態を把握し、適切な指導をする必要があるでしょう。
 日本人の特色として、他人が何かを始めれば、事の善悪に関わらず取り入れる傾向があります。言いかえれば、自分で考え行動せずに、周囲の雰囲気に合わせて一斉に「右に倣え」をします。学校の長期休暇の問題を始めとして、「子供たちのために今必要なものは何か」という視点で考えなければなりません。大人の都合で犠牲になるのはいつも子供たちです。

2017年08月20日

#127 72回目終戦の日

 本日8月15日は終戦の日で、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれました。再来年に元号の変更が実施されることを考えますと、今上天皇が参加されます追悼式は来年で最後になります。毎年終戦記念日の前後にテレビで様々な特集番組が放送されますが、その中でも涙なしで見られないのは特攻隊を扱った番組です。今年もその特集をテレビで放送していましたが、17、18歳の若さで特攻に志願した若者の気持ちは当時でなければ分からないでしょう。鹿児島の知覧からだけでなく、福岡の太刀洗飛行場からも多くの若者たちが沖縄へ向かって飛び立って逝きました。
 様々なテレビのコメンテーターが当時の戦争を「無謀な戦争」と言っていますが、現在の視点から歴史を見てはいけません。歴史を学ぶ際に一番大切なことは「当時はどのような歴史的背景が存在し、それに対して各国がどのように動いたか」ということです。この視点がなければ、また同じことを繰り返すことになります。言いかえれば、歴史から何も学んでいないことです。戦後70余年が過ぎ、戦争を体験した世代が少なくなってきましたが、先人達が体験した熾烈な戦争体験を踏まえ、72年間戦争をしていない平和国家として平和の尊さをこの国から世界に訴える必要があります。
 さて明日から行使をしている学校で夏季課外授業が始まります。このブログも週1回程度の更新になりますが、これからもよろしくお願いします。

2017年08月15日

#126 どんな人生にも意味がある

 今日部屋の書棚を何気なく見ていましたら5年ほど前にNHKのEテレで放送されていた「100de名著 フランクル夜と霧」のテキストが出てきました。フランクルは第2次世界大戦中にドイツナチスによりアウシュビッツ強制に収容されて生き残った方ですが、のちに「夜と霧」という名著を残しています。ページをめくると、素晴らしい言葉で溢れています。本日のブログはこのテキストより引用したいと思います。(NHKテレビテキスト 100de名著 32~33ページ)

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どんな人生にも意味がある 「何か」があなたを待っている
 生涯、精神科医として迷える人、苦しむ人の心と向かい続けたフランクル。その独特なアプローチは「ロゴセラピー」として体系化されています。
 ロゴセラピーとは、「ロゴス(意味)によるセラピー(癒し)」という意味です。ロゴセラピーでは、人がみずからの生きる意味を見出し、人生を紡ぎあげているのを援助していくのです。
 フランクルの思想の ― したがってロゴセラピーの考えの ― エッセンスは、次のように言えます。
  どんな時も、人生には、意味がある。
  なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
  この人生のどこかに、あなたを必要とする「何かがある。」
  あなたを必要とする「誰か」がいる。
  そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見され実現されるのを「待って」いる。
  「何か」があなたを待っている。
  「誰か」があなたを待っている。
 私たちは、常にこの「何か」「誰か」によって必要とされ「待たれている」存在なのだ。だからたとえ今がどんなに苦しくても、あなたはすべてを投げ出す必要はない
 あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か、人生に「イエス」ということのできる日が必ずやってくるから。
 いや、たとえあなたが人生に「イエス」と言えなくても、人生のほうからあなたに「イエス」と光を差し込んでくる日が、いつか、必ずやってくるから。
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 確かに至言です。人は「誰か」のために、「何か」のために頑張ろうという意識があってこそ、やる気が出てきます。日々の暮らしの中で、他者のために生きる気持ちがあれば自分の人生に意味を持つことができます。たとえ他人から見て不遇の人生であろうと、その人にとって生きがいのある人生と言えるのではないでしょうか。
 

2017年08月13日

#125 いのちの使い方(その3)

 今日は日航機が群馬県の御巣鷹に墜落した日で、あれから32年が経ちます。当時私は高校3年生の授業を担当していました。当時流行った言葉が「ダッチ・ロール」でした。つまり日航機が事故原因となった圧力隔壁の破壊でコントロールできずに、機体が揺れていた状態を言います。遺族の方々にとって32年という時間はどのようなものだったのでしょうか。今でも多くの方がやり切れない気持ちでいらっしゃると思います。歌手の坂本九さんも犠牲者の一人でした。改めて犠牲になられた方々に冥福を捧げたいと思います。
 さて本日のテーマは「いのちの使い方(3)」です。前回紹介しました日野原先生の別書(『3.11後を生きる「いのち」の使命』48頁~51頁)から引用します。

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 女性飛行士先駆けであるアン・リンドバーグは、また社会学者でも作家でもあります。この方の随筆『海からの贈り物』の中に、次のような一節があります。
 「私が中年になったからには、人生の後半が始まると思うから、しばらく島に行って、どうこれから生きればよいかということを考えよう」
 そして彼女は1週間ばかり、昼間は海岸の砂浜で過ごし、夜は帰って机の上で、浜から持って帰った貝殻を手にしながら、将来の生き方を考えるのです。
 自分はどんな貝殻に住むべきか。壮年期は外へ向かって、いかに自己を顕示するかが課題だったが、五十歳という中年を迎えた今、内なる自己を見つめて、これからは内に向かう自己と外へ向かう自己を調整する時が来た、と。
 彼女は五十歳を中年の「入り」と考えています。そしてそれが、ちょうど内なる自己を考えるタイミングの年だというのです。
 残された日々、まだ行ったことのないところに行ってみよう、という計画もあるかもしれません。しかし、何よりも大切なのは、生きることについて、これまで以上の「深さ」を求めることです。
 私たちのこれまでの人生の中で、意味のある時間というのは、はたしてどのくらいあったでしょうか。社会の中で、あるいは家庭で、生きるための努力をした時間。遊んだり、楽しむために使った時間はかなりあったでしょうが、自分のことを考える一方、私ではない他者のために考える時間はどれだけあったでしょうか。そのバランスはどうなのでしょうか。
 私たちが死ぬ時、あなたがもらったものの重さと、あなたが捧げたものの重さのどちらが重いか、と聞かれたらどう答えますか。六十歳まではもらったものの方が多いでしょうね。
 若いときには学校に行くとか、社会の仕事が忙しいとか、子供に手がかかるとかで、なかなか思うように時間がとれません。しかし、人生の午後になると、私たちは自分で選択する時間が与えられます。そしてその選択をする時に、「何のために」ということを考えなくてはなりません。
 今までは、家庭のためとか、社会的な地位とか名誉のためだったかもしれません。しかしゴールを見定め、人生に結末をつけることを考えると、意味とか価値という事柄に重きを置くようになります。与えられた時間をどうデザインするか、それはその価値観によって決められるのです。
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 105歳で天寿を全うされた日野原先生らしい御言葉です。人生の午後になって慌てずに、人生の日が沈む頃になってあたふたすることのない様に、将来を見据えて残された時間を考慮しながら今後の生き方を考えたいものです。

2017年08月12日

#124 お盆休みになります

 台風5号は各地に大きな災害を残して消滅しましたが、今年の夏は各地で不安定な天気となっています。今日は「山の日」の祝日ですが、高低にかかわらず山に登る人は天気の急激な変化に充分ご注意ください。特に山で発生する雷は上空からではなく、真横から来る傾向がありますので、少しでも天候が変わる兆しがある場合には、無理をせずに下山する等の退避行動を取る必要があります。
 さて学習塾二コラは明日12日より16日までお盆の休暇に入ります。当塾では毎週木曜日、日曜日以外は祝祭日も授業をしていますので、本年度は今回が実質上の休みになります。私はこの期間を利用して今まで使用した教材の整理をしたり、部屋を少し片づけようと思います。また新しい教材を探しに福岡まで出かけようと思います。
 田舎町で暮らす最大の欠点は必要な書籍が手に入らないことです。福岡市には今でこそジュンク堂や丸善、紀伊国屋書店など比較的大きな書店があり、必要な教材がある程度入手できますが、一昔、二昔前には大きな書店が無く、若いころには年に1度は東京まで本の買い出しに行っていました(笑)。今でも東京に行く機会があれば時間を見つけて本屋巡りをします。三省堂書店、新宿紀伊国屋書店、ジュンク堂池袋店、丸の内丸善書店、八重洲ブックセンターには必ず立ち寄ります。また神田神保町にある古書街にはお気に入りの店が何件かあり、時間があればぶらっと立ち寄ります。
 世界最大の書籍文化を誇る東京の主な書店を巡るだけでも数日を要します。最近はアマゾンを利用する機会が増えましたが、やはり実際自分の目で直接書籍の内容を調べて購入しないといけません。生徒にはできるだけ最新の内容を含んだ教材を与えたいと思っています。
 英語の教材に関しては何十年もロングセラーを続けている名著がありますが、時代に応じて教授法も変わり、それに応じて教材も変わっていきます。以前の教材は難しい和訳や文法問題が載っている問題集が中心でしたが、最近の問題集はセンター試験の問題に合わせた傾向があり、以前ほど細かなことを問う問題集は姿を消しつつあります。また2020年のセンター試験に代わる新形式の入試に合わせて、今後数年間で英語の参考書や問題集が大きく変わることが予想されます。それに合わせて英語を教える人は新しい教授法を身につける必要が出てきます。塾や予備校が今後生き残ることができるかどうかは、新形式の試験にどれだけ対応できるかにかかっています。特に英語を教える教師はそれに対応するための不断の努力が要求されます。言い換えれば本物の英語力を持った語学教師しか生き残れない世の中になります。

2017年08月11日

#123 広島そして長崎

 今日は長崎に原子爆弾が落とされて72回目の日を迎えました。8月6日の広島と8月9日の長崎は私たち日本人だけでなく世界中の人達にとって決して忘れてはならない日となっています。NHKの国際放送であるNHK Worldではインターネットを通じて記念式典を英語でライブ中継していました。
 毎年8月はテレビで戦争や原爆に関するドキュメンタリー番組が8月15日の終戦日まで放送され、改めて戦争と平和の意味を私たちに考えさせる月となっています。今年7月に核兵器禁止条約が採択されましたが、核保有国は会議にすら参加せず、また条約自体が強制力を持たないので、実質上実行力はありません。しかし常に核戦争を危惧し、愚かな戦争を防ぐためにも常に世界に訴えていかなければなりません。
 世の中には様々な社会や考え方やあり、国家同士の利害が複雑に絡む中で、必ずしも意見が一致するものではありません。しかし平和への願いを絶えず唯一被爆国である日本が訴えていかなければなりません。今日世界を見渡してみますと、第2次大戦後果たして戦争や紛争を経験していない国がいくつあるでしょうか。新聞やテレビで紛争の場面を見ない日は1日もない現状です。政治や思想の違いを超えて世界が平和を迎えるために、私たち一人ひとりができることを考え実行する時が来ています。先人たちが戦って残してくれた平和な日々をいつまでも続けていくために、各人の努力が求められます。私たち日本人にとって毎年8月は先人たちの苦労を思い、平和を祈念する月です。

2017年08月09日

#122 いのちの使い方(その2)

 前回のブログで、日野原先生のお言葉を紹介しましたが、「自分のいのちを使って、だれかのために使う命」という考え方は究極のボランティア(奉仕)精神であると思います。10~20代の若い人は自分の夢に向かって、たとえそれが叶わぬ夢であろうと、邁進することが必要でしょうし、そのことから学んだ様々な知識や知恵、経験を用いて社会に出て活躍することができます。そのための日々の勉強が大切です。
 30~40代の人は子育てや家族の人間関係、家族以外の周囲の人付き合いを通して人間関係を学ぶ大切な時期であります。また50代~定年までの期間は子育ても終わり、自分の生きて来た道を振り返り、次の新たな人生を踏み出す時期ではないかと思います。特に60代からは身につけた知識や知恵、人生経験や技術を生かせるようないのちの使い方、換言すれば他者への奉仕ができる世代ではないでしょうか。勿論自分に与えられた残り時間を面白おかしく過ごすのも1つの生き方です。誰も否定できません。自由とは自ら考え行動することでしょうし、その結果はすべて自己責任であることを意味します。
 私が思うに、日野原先生のお考えは長い人生を生きてきた方で、まだ体が充分動くうちにできる範囲で誰かのために命を使うことが他者に与える幸福であり、同時に自分にとっても幸福感に満ちた時を過ごすことではないかと思います。これは「他者への奉仕は究極的に自己愛である」(情けは人の為ならず)と言いかえることができるでしょう。
 奉仕(ボランティア)には大小はありません。自分にできるところから始めればよいと思います。例えば町内掃除やごみ拾いなども立派な奉仕になります。またどんな時にでも相手に笑顔で接することは、相手を温かな気持ちにすることができます。日本が本当の「もてなしの国」になるために、奉仕の精神は誰もが持たなければならないものだと思います。日野原先生はそれを実践された方でした。

2017年08月05日

#121 いのちの使い方(その1)

 現在非常勤講師をしています学校が夏休みになりましたので、個人的に少々時間に余裕があり、この時間を利用してできるだけブログを進めていこうと思います。実際、非常勤講師と当塾の授業を掛け持ちしていますので、週30時間の授業を行っています。(非常勤講師授業19時間、当塾11時間、授業は3種類+8種類、計11種類を担当しています。)そのために普段は週1回程度のブログ更新しかできませんが、休みの期間中は比較的時間が確保できますので、日頃身の周りで気づいたことを述べてみようと思います。あくまでも「ひつじの独り言」です。(笑)
 さて先月18日に聖路加国際病院理事長・名誉院長の日野原重明先生が105歳で帰天されました。日野原先生は医師としてだけでなく、様々な書籍や講演会を通して私たちに生き方を教えてくださった賢人でもあります。書店に行けば必ず先生の御著書が数多く置かれています。このブログを読まれている皆様も先生の御著書を1,2冊は読まれていることでしょう。今日は先生の「いのちの使い方」という本から少し引用して、先生の生き方、人生に対する考え方をお伝えしたいと思います。

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「いのちの使い方」日野原重明(小学館)より
人生を変える希望のメッセージをあなたへ  日野原重明

 人生に何を期待できるかでなく、人生から自分が何を期待されているかを考える。つまり、これまで人生から受け取ってきたたくさんのものを考えれば、求めるばかりでなく、自分のいのちを使って、だれかのためにその恩恵を返すことがあっていいはずです。

 人間は運命を生きるものではありません。人間は生き方を変えることができる。過去は変えられませんが、未来は自分でこれからつくれるものです。

 予期せぬ災害に見舞われることが不幸なのではなく、そのときに、希望を失ってしまうことが不幸なのです。

 やろうと思うだけでは、やらないことと同じです。行動こそが勝負です。

 長生きもいいけれど、”1日を長く生きる”ことも大事です。

 人は未知の分野に挑戦すると、これまで使われていなかった遺伝子が目を覚まして、活動し始めます。

 ”創(はじ)める”ことは年齢にいのちという水を注ぐことです。

 死んでいった者のいのちの意味、残された者のいのちの意味を見つけることはできるはずです。その意味を見つけ出すことは残された者の使命ではないかと思います。

 昔は”余生を暮らす”と言ったものですが、余った生、余分の生などというものはありません。
 
 100歳を過ぎてもわからないことがまだまだある。それを知りたい、わかりたい、追いかけていきたい。その気持ちがあってこそ精いっぱい生きていけるのです。
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いずれの言葉も珠玉に満ちています。105歳で天寿を全うされた日野原先生に相応しい言葉です。(続く)
 

2017年08月03日

#120 教師と夏休み

 真夏の8月を迎えました。ここ数日間九州地方では猛暑が続いており、特に佐賀市では今日は体温よりも高い38度の気温が予想されており、ここ大牟田でも37度まで気温が上がると予想されています。ここまで高い気温が続きますと、エアコンが設置されていない公立の学校では授業に集中できず、補習・課外授業が成り立たないでしょう。
 さて世間では「学校の教員は夏休みが長くて羨ましい。」と思っている方が多いですが、最近の教員は普通の会社員と同じく長期の夏休みはありません。確かに私が教員になった30年ほど前には、まだ牧歌的な雰囲気があり、部活動の顧問や特に仕事の無い教員は研修期間を除いて生徒と同じ夏休みを取っていました。しかしながら現在は生徒が学校に登校しなくても、毎日出勤して退勤時間まで職員室で過ごすようになっています。
 学校によっては自宅研修を認めている所もありますが、そのために多量の研修レポートを課されますので、大半の教員が学校内勤務を選びます。また生徒が登校しない期間中に県主催や私学主催の様々な研修が催され、それに参加しなければなりません。また高校の教員は普通7月末まで、そして8月の後半2週間は夏季課外授業を行いますので、実質上の休みはお盆前後の1週間のみとなります。
 加えて運動部の顧問をしていますと夏休みはお盆期間中の3,4日しか休みが取れません。また夏休み期間中に様々な練習試合や合同練習、合宿等が入ってきますので、普段以上に自分の時間が取れない日々が続きます。私もテニス部等の顧問を10数年しましたが、お盆、年末年始の休み以外全く休日が取れない状態でした。高校野球や春高バレーなど世間から称賛される部活動が多くありますが、顧問の先生は苦労が偲ばれます。

2017年08月02日

#119 夏休みとラジオ体操

 7月も明日で最後となりました。ここ数日間福岡県南部では35度を超える猛暑が続いており、今日は最高気温37度が予想されています。実際エアコンを入れてない部屋は34度を超えています。これも地球温暖化の影響でしょうか。ひと昔と異なりエアコンなしの夏の生活は考えられない状況です。
 21日より夏休みが始まりましたが、現在非常勤講師をしています大牟田の明光学園の中2の生徒に対して28日まで指名補習をしていましたので、個人的には昨日よりやっと夏休みが来た気がしています。指名補習には1学期に欠点と取った生徒を中心に希望者も含め10名ほどが参加しました。1年生の復習から始めて、生徒が間違えやすい単元を中心に行いました。生徒たちは積極的に参加し、和やかな雰囲気の中で授業を進めることができました。中学1、2年生の英語は何よりも基本的な事項を繰り返して学習させることです。明光学園はプログレス21という教科書を使用していますので、公立中学の検定教科書と異なり学習量がかなり多く、英語が苦手な生徒は授業についていくのが大変です。
 さて夏休みと言えば、子供の頃に早朝のラジオ体操に参加することが定番となっていました。夏休みになると小学校の子供達は近くの公園や学校の運動場に朝早く集まり、6時半のラジオ体操の放送に合わせて一緒に体操をしたことを思い出します。親に起こされ、眠い目を擦りながら小学校のグラウンドに集合してラジオから流れる体操に合わせて第1、第2体操を行い、終了後にカードにハンコを押してもらったことを覚えています。
 現在の小学校で夏休み期間中このようなラジオ体操の行事が行われてるかどうか知りませんが、NHKでは今でも日曜日や夏休み期間中に全国巡回ラジオ体操を実施しており、リハーサルまで含めると午前6時に集合するそうです!?ラジオ体操のように全国の人々が参加して行う体操行事は世界でも珍しく、日本独自の国民の健康増進法の一つと思われます。最近では様々なストレッチ体操などが登場していますが、幼い頃に覚えたラジオ体操は私たちにとって一生忘れないものとなっています。なおこのラジオ体操は各地の方言版や英語を始めとする数か国語に翻訳されています。興味のある方はNHKのホームページやYouTubuでご確認ください。まだまだ酷暑がしばらく続きます。夏バテにならないように健康には充分ご留意ください。

2017年07月30日

#118 大牟田の夏祭り

 昨日と今日は大牟田の夏祭り「おおむた大蛇山祭り」が行われています。私の子供の頃は7月21日、22日に行われて、大蛇山とともに夏休みが始まったことを思い出します。昨日は塾も休みにして、生徒たちは祭りを見に行きました。ここで、「おおむた大蛇山祭り振興会」のHP(http://www.omuta-daijayama.com/)から少し引用します。

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〇大牟田の勇壮な夏祭り
 おまつりの期間中は約35万人の人出で賑わうおおむた「大蛇山」まつり。始まりは三池地方の祇園社の祭礼に伴う行事で、はっきりとした文献はありませんが、寛永17(1640)年に三池祇園社が建てられ、寛政3(1791)年の文献には地域の祇園さんのお祭りのことが書かれていますので、江戸時代の前期から中期にかけて始まったと考えられています。
 山車に人が乗り、太鼓や鐘を打ち鳴らしながら、町中を練り歩きます。この山車のことを「大蛇山」と呼んでいます。大蛇山は、長さ約10メートル、高さ5メートル、重さが最大3トンにもなり、木製の山車に和紙、竹、わら等を組み合わせた、頭・胴体・しっぽをつくり、大蛇のように飾りつけがなされます。この勇壮な大蛇たちが、街の各所で、祭りに、そして人々の心に火をつけていきます。

〇遠い昔から守り続けられた祭り
 300年以上も前にさかのぼると推定される大蛇山の起源。いくつかの言い伝えも残されています。
大蛇山は、こうしたはるかな時を重ねて、古いしきたりと伝統の技術で受け継がれてきた祭りです。竹材の枠に何重にも和紙を張り合わせて作るという、昔ながらの製法が今も守り続けられ、同じ山車はふたつとありません。毎年毎年、それぞれに意匠を凝らし、より迫力ある大蛇山を作るために努力が重ねられているのです。

〇大蛇山伝説(http://user.ariakenet.com/~egashira/daijyayamadensetu.htmより引用)
 三池地方に昔から伝わる大蛇山伝説と三池の地名にまつわる伝説は次の様なものです。昔々、三毛の地に三毛中納言師親の娘で、それはそれは美しい「玉姫」という姫君が「ツガニ」を大層可愛がっていました。年が流れて姫が、十八歳の春を迎えた時に、三毛の地に不幸をもたらしていた山奥の「大蛇」を鎮めるために、人身御供として、さしだされる事になりました。そして世にも恐ろしい大蛇に、今にも飲み込まれそうになった時に、巨大なツガニが現れ、大蛇を頭・胴・尾と三つに断ち切りました。その時より山には三つの池が出来たとか。以来この地は三池といわれる様になりました。現在も三池山の中腹には、水の枯れることがない三つの池があります。今日まで「大蛇山」は祇園祭の神事として伝えられています。  
 江戸時代初め頃の三池(三毛)地方は、荒地が多く農産品の収穫は不安定、さらに疫病もはやり、時の領主により悪病よけと 雨乞いへの強い祈願が込められ、祭神を悪病よけや農業の神とする「祇園」のお宮が造られました。三池祇園の大蛇山は、古くからの水神信仰と三池藩の立花氏により導入された祇園信仰の二つの要素(どちらも農業に関係する神様である)により、やがて祇園の祭りに大蛇が取り入れられ「大蛇山」の形が出来たと言われています。
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 本格的に暑い夏がやって来ました。今年も各地で猛暑が予想されています。読者の皆様も体調管理に充分お気をつけください。

2017年07月23日

#117 夏祭りの祭囃子

 今日は「海の日」で祝日ですが、この祝日は1995年に制定されました。当時オーストラリアに住んでいた私はこの祝日の詳しい経緯を知りませんが、1998年に日本に帰国して「海の日」が制定されたことを知り、いささか驚いたことを思い出します。
 さてここ数日前から朝早く蝉が鳴いて目覚まし時計代わりに使えます。特にすぐ近くで鳴かれると車の騒音のように聞こえます。車はすぐに通り過ぎてくれますが、蝉はその場で数分間鳴きますので、蝉の鳴き声を聞いていると段々耳が遠くなってきます。1週間の命と思えば耳障りな鳴き声にも憐れみを感じますが、しかしうるさいものです。
 ところで昨年のこの時期のブログにも書きましたが、大牟田の夏祭りが今年は7月22日、23日に行われますが、その祭囃子の練習が各地で行われています。毎日夕暮れ時から8時過ぎまで各地域の子供達や大人たちが一生懸命に祭囃子を練習しています。この囃子の音が聞こえ始めると夏が近づいたことを知ります。夏祭りに詳しい生徒に聞いたところでは、夏祭りの中心の出し物である大蛇山の山車が6台(六山と言います。)出て、市内の各地域を練り歩きます。その後歩行者天国に集合し大蛇山のパレードが行われます。他の夏祭りの山車と異なるのは大蛇山の口から火を噴くことです。もちろん花火ですが、それでも勇壮な姿を見せてくれます。最近では白大蛇や金色の大蛇が登場するそうです。また個人で制作した大蛇も参加するそうです。
 昨年の夏祭りの夜に祭りの様子を見に出かけましたが、いつもは閑古鳥が鳴いている通りにものすごい数の人々が集まり、身動きができない状態で通りを歩いたことを思い出します。大牟田が一番元気だった頃の街並みを思い出しました。当時は大牟田の繁華街だった築町や栄町は多くの店が並んで、アーケード街は人々で溢れかえり、賑やかな歓声で街中が満ちていました。
 日本全国に様々な祭りがあり、祭りを通して各地の伝統文化が継承されています。特に夏祭りは京都の祇園祭のような優雅な祭りを始め、勇ましい祭りや博多の祇園山笠のようにタイムを競う祭りもあります。自分の生まれた土地の祭りは自分のアイデンティティと言うべきものです。いつまでも大切に継承してもらいたいものです。

2017年07月17日

#116 砂の上の足跡

 数日前の北部九州豪雨では多大な犠牲者が出ました。今日現在行方不明者が20名以上報告されています。依然として孤立している村落があるようです。できるだけ早い救出が望まれます。まだ梅雨末期の大雨が続きますが、まもなく梅雨が明けます。道路や水道、電気など復旧するまで被害を受けた方々はもうしばらくご辛抱ください。
 5年前の豪雨災害と比べて今回の豪雨による被害は数倍に及ぶと見込まれています。またこれまでに発生した熊本地震等の地震災害による被災者の支援もまだ続いています。この国で暮らすということは常に災害と隣り合わせを意味します。日本人は昔から自然災害と向き合ってきました。火山、地震、台風、豪雨などできるだけ被害を少なくするために、相互扶助という考えを常に意識して生活してきました。そして対処できないことに対してはすべて受け入れる諦念感を身につけてきました。
 様々な困難に直面し、絶望感に陥った時に「神も仏もあるものか!」と叫びたくなるものです。そのような方に次の詩を送ります。「あしあと」(Footprint in the Sand)というタイトルがついています。

  あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

マーガレット・F・パワーズ
translation copyright(C)1996 by Pacific Broadcasting Association

2017年07月09日

#115 九州北部豪雨

 ここ数日間北陸・東北地方、中国地方と豪雨が続いており、昨日は九州北部が豪雨に見舞われました。特に福岡県の朝倉や大分の日田を中心に大きな被害が出ており、各地で断水や停電が発生し、久大線の鉄橋が流されるなどライフラインや交通関係に多大な影響が出ています。被害に会われた方々には心よりお見舞い申し上げます。ここ大牟田でも昨日は断続的に大雨が降っていました。市内全域に避難勧告が出され、特に山間地区では避難指示も出ていたようです。その影響で大牟田を含む筑後地区の学校はすべて臨時休校となりました。現在激しい雨は降っていませんが、豪雨をもたらす雨雲が北九州市付近にあり、その地域で現在雨が激しく降り続いています。
 この豪雨で5年前の平成24年7月11日から14日まで続いた九州北部豪雨のことを思い出しました。当時私は高1の学年主任をしており、豪雨が発生した期間に2泊3日の宿泊学習会で杖立温泉のホテルに滞在していました。11日の深夜にホテルの下を流れている杖立川が氾濫し、警戒警報が鳴り続けていました。宿泊していた部屋から外を見ると杖立川が氾濫し、向こう岸の民家に水が押し寄せ、駐車していた車が半分水に浸かっていました。翌日からも日田で激しく雨が降り続け、日田市内が洪水のために交通期間が不通になりました。宿泊学習会は13日まで行われ、午後1時にホテルを出発して4時過ぎに帰福を予定していましたが、送迎バスが日田市内を通ることができずに、遠回りをして大分経由でホテルに到着ししました。その後帰宅の準備をして午後5時過ぎにホテルを出発し、中津、北九州経由で福岡に戻ってきました。学校に到着したのは夜9時近くで、多くの保護者が校門付近で子供たちの帰りを心待ちにしていらっしゃったことを覚えています。子供たちが保護者とともに下校したときに安堵のため息をついたことを覚えています。まさか自分がこのような災害に巻き込まれるとは夢想だにもしていませんでした。災害はどこでも発生します。日頃の準備が大切です。昨今地震や台風も大きな被害をもたらしています。様々な災害に対して充分な対策が必要です。

2017年07月07日

#114 中体連の予選が始まりました

 7月に入り、今年もいよいよ後半に入ります。今日は梅雨の中休みで、曇天の空ですが、時折日差しも射してきます。昨晩は阿蘇地方で震度5弱の地震が発生し、ここ大牟田でも少し揺れを感じました。その1時間ほど前に北海道でも大きく揺れましたので、日本の南北で同時に揺れたことになります。今まで地震を経験していない地域にお住いの方々も、いつ発生するか分からない地震にはくれぐれもご注意ください。
 さて今週は中体連の予選が大牟田市内の各地区で行われていますので、中学3年生の授業は中止になり、久しぶりに授業がありませんでした。3人の生徒たちはバスケットボールとソフトテニスに所属しており、本日が予選だそうです。3人の健闘を期待します。
 ところで、私も中学時代はソフトテニス部に所属しており、毎日放課後は7時近くまで練習に明け暮れていたことを思い出します。当時日曜日は練習がありませんでしたが、自主練という形で練習していました。そして中学3年生の最後の中体連予選で団体戦、個人戦とも準決勝に進みましたが、どちらも決勝には進めずに筑後地区大会には出場することができませんでした。私にとって中学時代の良き思い出の1頁でもあります。
 当時の部活動は勝利至上主義のように他者から強制される活動ではなく、生徒が自ら集まり積極的に活動していた時代でした。しかし練習は厳しく、先輩からの叱咤激励が毎日飛び交っていました。部活の疲れで授業中に居眠りすることもなく、部員は全員勉強も頑張っていました。今話題になっているブラック部活と違い、牧歌的な活動でした。先輩後輩の良き関係を育て、年齢を超えた繋がりを身につける場所でした。
 民間のスポーツクラブと異なり、学校の部活動はあくまでも活動したい生徒の集まりです。特に運動部では生徒の負担にならない、かつ練習の厳しさも伴う活動が再び脚光を浴びてほしいものです。

2017年07月02日

#113 本格的な雨の季節を迎えて

 3週間ほど前に九州地方は入梅し、その後しばらく雨が降りませんでしたが、数日前から本格的な雨の季節に入りました。沖縄地方はすでに梅雨明けとなりましたが、九州地方はこれからが梅雨本番になります。先日より鹿児島地方はかなりの雨量を記録しています。九州北部でも昨日はかなりの降雨量が観測されました。今日は小康状態が続いていますが、夜には再び大雨が予想されています。梅雨明けまでに3週間ほどかかりますが、この季節が無ければ農作物は育ちません。
 この国の四季には明確な特徴があり、先人たちはそれぞれの季節に合った暮らしを営んできました。現代の日本人はエアコンなどの文明の利器を利用して、以前に比べ天国のような快適な暮らしを手に入れていますが、自然と共存した生活から離れることで様々な弊害が出てきます。かつて存在しなかった様々な身体的、精神的な病気にかかり、苦しんでいる人が増えています。これらの病気に対処する様々な薬や治療法が開発されていますが、根本的な治療にはなりません。なぜなら自然と乖離することで発生した病気が数多く存在します。文明病と呼ばれる病気を治すために、今一度自然と共存する生活を再考する時期が来ているのではないでしょうか。
 ところで、昨今テレビやマスコミで多く取り上げられているニュースが乳癌に罹っている小林麻央さんに関するものではないでしょうか。彼女は残念ながら一昨日他界しましたが、彼女が世間に与えた様々な影響は言葉では言い表せないほど大きなものがあります。夫である市川海老蔵さんのコメントにありましたが、彼女の最期の言葉が「愛している」とのことでした。この二人を通して本当の夫婦愛を感じた人が多くいたのではないでしょうか。彼女のご冥福を祈りたいと思います。

2017年06月25日

#112 中学校の英語教育に?

 大牟田市内の中学校では来週から期末試験が始まりますが、当塾でも現在試験対策の授業を行っています。さて当塾に通っている中学1年生から聞いた話によると、期末試験の範囲が広く、塾に行かなければ理解できないほどの範囲と量だそうです。クラスの生徒の大半が塾に通って勉強している現状だそうです。実際期末試験に出題される問題集の範囲を見せてもらいましたが、授業担当の英語の先生は答えを配布するだけで問題の解説は生徒に全くしないそうです。これは入門期の中学1年生にとって英語につまずく最たる例です。
 入門期の英語学習においては、基本例文を何度も繰り返し覚えさせ、英語の語感を身につけさせるのが常道です。進学塾などでは生徒の学力に応じて授業進度を早めますが、基本的な英語力を身につける入門期の生徒たちには懇切丁寧な指導が必要となりあす。また生徒が理解できるように各課の単語テストや復習テスト等をする必要があります。この生徒が通っている中学校ではそのような指導が全くないとのことでした。この中学校に限らず市内の中学校で細かな指導を行っている話は聞きません。誰のための授業でしょうか?
 学校教育の本来の目的は基本的な学力を生徒に身につけさせ、塾に行かなくても学習を理解できる生徒を育てることだと思います。「授業が分からなければ塾に行って勉強しなさい。」では何のための学校か、と疑問に思います。本来塾の役割は学校教育を補完するために存在し、学校と二人三脚していくものですが、これでは塾に丸投げの状況です。毎日一生懸命子供たちのために頑張っている先生もたくさんいらっしゃいますが、生徒の現状を把握し、自分の授業では落ちこぼれの生徒を出さないように復習テストなどを実施し、生徒の学力把握をするべきだと思います。また理解力の劣る生徒に対しては放課後に居残り指導するなど様々な対策を取るべきです。学校では部活動など様々な活動がありますが、まずは生徒の学力保障を第一に考えるのが学校の役割です。

2017年06月18日

#111 大牟田に金閣寺が?

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 先週梅雨入りしましたが、一日雨が降っただけで、相変わらずの晴天が続いています。今朝明け方少し雨が降りましたが、今はすっかり上がっています。この時期にしては湿度の低い爽やかな日々が続いています。
 さて世に知られている事物に似たものが意外にも身近にあることに気づかされます。今日のブログタイトにあります「金閣寺」が意外にも大牟田にありました。(画像はブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックしてください)何となく雰囲気が金閣寺に似ていると思いませんか。本物の金閣寺は京都市北区にあり、三階建で多くの観光客に人気があります。金閣寺の手前に池(鏡湖池)があり、金閣寺が湖面に映って金色の艶やかな姿を見せてくれます。
 一方大牟田の金閣寺は1階建ですが、手前の池はまるで鏡湖池のように見えます。もちろん民家を撮ったものですが、手前に池があり、金色ではありませんが壁面の色が似ており、背景に木々があり、どことなく雰囲気が似ています。このように注意深く周囲を観察すると有名な事物に似たものが見つかると思います。皆さんも探してみてはいかがでしょうか。

2017年06月11日

#110 日本卓球の躍進とブラック部活(2)

 日本卓球の大躍進が伝えられています。卓球・世界選手権個人戦で平野美宇が銅メダルを獲得しました。また混合ダブルスで吉村・石川ペアが48年ぶり金メダルを獲得しました。昨今の卓球界における大活躍は卓球協会の長期計画が見事に実った結果でしょう。どのスポーツにも言えることですが、スポーツをマスターするのには10年ほどの年月がかかります。現在活躍している10代の卓球やフィギュアスケートなどの選手は2,3歳からスポーツを始めています。その成果が10代で表れている証左になります。
 福岡県では福岡県タレント発掘事業が行われており、参加する小学生や中学生の適性を専門家が観察し、彼らに相応しいスポーツを勧めます。そのようにして将来活躍する能力を持っている選手を発掘し育てています。一種のスポーツエリート教育です。確かに才能を持っている子どもで、適性に応じたスポーツを奨励することは本人にとって将来を切り開く芽を与えることになります。才能のある子どもたちに頑張ってもらいたいと思います。
 一方で、前回のブログでも述べましたが、ブラック部活と学校の体制に疑問詞がつくような話を聞きました。当塾に中学生が6名ほど通っていますが、生徒から聞いた話では今月の下旬から中体連の予選が始まるそうです。(このことは大牟田市内のことだけかも知れません。)私は中学生の頃、ソフトテニス部に所属していましたが、中体連の予選は1学期の終業式が行われる7月20日以降に始まりました。昨今の中体連の予選がひと月以上も早まった理由は分かりませんが、問題はその予選が平日に行われていることです。高体連の予選は週末や連休中に実施されることが多いのですが、なぜ中体連の予選が平日に行われるのか正直言って分かりません。
 特に問題なのはクラスの中で中体連に参加する生徒がいた場合、授業が自習になるそうです。授業を担当する先生が顧問として生徒の引率に当たることもありますが、クラス全員が予選に参加することはありえません。たとえクラス生徒の1/3が参加としても残り2/3の生徒は授業を受けることが可能なはずです。予選参加により授業を受けることができない生徒に対しては放課後に補講等の対策が取れるはずです。それをクラス全員に自習させることは考えられない状況です。中学校はこのような状況を把握した上で、放任しているのでしょうか。そうだとしたら学校全体で教育を放棄していることになります。生徒の部活動は大いに賛成ですが、一部の生徒のために大多数の生徒が犠牲になっては本末転倒です。前回のブラック部活に合わせて、教育界に警鐘を鳴らしたいと思います。

2017年06月04日

#109 休みのない中学生ーブラック部活

 5月がもうすぐ終わり、今週の後半には6月になります。梅雨の便りが聞こえてくる季節に入ります。今日も暑いですが湿度が低く、爽やかな一日となりました。来週は体育祭や文化祭を行う学校があります。様々な学校で1学期の主な行事が行われます。
 ところで以前にもブログに書いたことですが、部活動、特に運動部に所属している中学生は日曜日にも部活動を行っており、毎日何らかの形で学校に登校していることになります。彼らはいつ休んでいるのでしょうか。部活動をすることは大いに賛成ですが、週に1回は休みを取ることを考えませんと様々な面で歪みが出てきます。特に毎日体を動かす運動部では怪我が多く、10代で大怪我をして将来を失うことにもなります。また運動部顧問の先生も休むことができず、本来の教職活動ができない状態です。
 将来のオリンピック選手を育てるのであれば理解できますが、該当する選手は全国的に多くないと思います。県大会や全国大会に出場して推薦入試に合格することも可能ですが、普通の運動能力しかない中学生には高値の花です。先ほども文科省より部活動に休業日を設ける提言がなされましたが、中学生の部活動の実態は目に余るものがあります。中学生の身体的発達特徴を考慮せずに毎日、特に週末は一日中部活動をしていては、いつ体を休めたり勉強したりするのでしょうか。
 学習面では福岡都市圏の生徒は放課後に大手の予備校や塾で毎日のように勉強しています。それに対して郡部の生徒はそれほど学習に対して意欲がありません。このような状況ではますます学力差が大きくなっていきます。ここ福岡県でも国公立大学には郡部の高校生が合格できない現状があります。部活動と学習活動が良質する環境を大人が考慮しないと子供たちの将来の芽を摘んでしまうことになります。ネットで「ブラック部活」を検索すれば、関連した記事がたくさん出てきますので、興味のある方は御一読ください。

2017年05月28日

#108 講演デビュー

 沖縄地方はすでに梅雨入りとなりましたが、九州地方は梅雨入りにまだ2週間ほどの余裕があり、湿度の低い爽やかな夏日が続いています。昨日は土曜日にもかかわらず近くの中学校で授業参観が行われており、多くの保護者の姿がありました。土曜日でないと保護者が参加できないからでしょう。また今日は日曜日ですが中学生たちは部活動のためにグランドで汗を流しています。
 さて先週の日曜日のことになりますが、元同僚の方の依頼で福岡通訳協会で講演をさせて頂きました。講演時間は90分、その後質疑応答の時間が30分あり、計2時間の講演会を楽しく体験させていただきました。講演のテーマは「私にできること」で現在運営している学習塾ニコラの活動状況だけでなく、英語との出会いや学習方法まで幅広く講演させて頂きました。
 日頃の授業で、90分授業などには慣れていますが、講演となると話す内容を事前に考え、対象となるリスナーの方々の興味や関心を踏まえた上で講演しなければなりません。仕事柄今まで多くの講演会を聞いてきましたが、まさか自分が講演者の立場になろうとは夢にも思いませんでした。一生に一度の講演会になるかもしれませんが、良い体験をさせて頂いたと思います。御多忙の中、講演会に来て頂いた福岡通訳協会の方々に心よりお礼申し上げます。

2017年05月21日

#107 甚三郎始末記

 毎週土曜日午前8:05からNHKラジオでラジオ文芸館が放送されています。様々な作家が書いた短編小説をNHKのアナウンサーが朗読する番組です。毎週ではありませんが、私は時間が取れるときは聞くようにしています。昨日はあさのあつこ作「甚三郎始末記」が放送されました。あさのあつこ、と言えば人気作家で「バッテリー」などの現代小説を思い出しますが、今回放送された短編小説は時代物でした。時代物と言えば藤沢周平や高田郁などの名前が浮かびますが、あさのあつこの時代物も秀逸です。放送後すぐに彼女の文庫本を買いに行きました。購入したのは文春文庫の「もう一枝あれかし」ですが、「甚三郎始末記」だけでなく、表題の「もう一枝あれかし」も素晴らしい作品でした。
 読書と言えば、小学生の頃に、親が世界少年少女全集を子どもたちに買ってくれたことを覚えています。日本神話や世界の民話など多くの物語があり、時折読書しながら夜更かしをしていました。今でも本を読みながら夜更かしする習慣が続いていますが、一日の仕事が終わり、ほっと一息できる時間でもあります。本のジャンルにかかわらず、好きな時に好きな本を読むことができる幸せは何にも代え難いものです。

2017年05月14日

#106 新緑の季節

 5月の大型連休が今日で終了しますが、当塾に来ている生徒たちは休みの間部活動やその他の活動で忙しかったようです。以前と違って休日に部活動を行う学校が増えており、家族と一緒に過ごす時間が減っているようにも思えます。明日からまた平常の生活が始まります。2週間後には公立の中学校や高校で中間試験が始まり、当塾では来週より試験対策の授業が始まります。
 ところですっかり新緑の季節となりました。近くの公園や遠くの山々を見渡すと鮮やかな緑が目に沁みます。同じ緑色でも木々が異なりますと、微妙に色合いが変わります。一つの山を見ましても様々な緑が溢れています。秋には様々な紅葉が見られることでしょう。早朝もそれほど寒くなく、早起きするには申し分ない時期になりました。昼間は半袖でも過ごせるくらいの気温になります。これから入梅になるまでの3週間ほど快適な季節を過ごすことができます。
 考えてみますと、この国で暮らすことは様々な季節に応じた自然を楽しむことだと言えるでしょう。春夏秋冬に応じたそれぞれの生活があり、周囲を豊かな自然に囲まれた中で生活をしてきた祖先の人々は豊かな感情を生み出してきました。現在の日本では自然環境の悪化とともに自然に親しむ機会が減ってきましたが、それでも自然に沿った生活様式がまだ存在していると思います。この連休では各地で潮干狩りに多くの人たちが出かけましたが、これも一例です。いまの自然を残し、できるだけ自然と共存する生活を大切にしたいものです。

2017年05月07日

#105 ゴールデンウィークと部活動

 今日はこどもの日です。『祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨である。1948年に制定。ゴールデンウィークを構成する日の一つである。』とウィキペディアに書いてあります。こどものための祝日とともに母親に感謝する日でもあります。毎年5月の第2週の日曜日が母の日となっていますが、実は5月5日も母の日なのです。
 ゴールデンウィークは今日で終わります。公立の中学校や高校に通っている生徒は日曜日まで連休が続きますが、部活動、特に運動部に入っている多くの生徒には休みがありません。この期間中は練習試合や合同練習が予定されているからです。私が中学生だった頃は毎週日曜日は休みでした。中体連や新人戦の直前を除いて祝日などにも練習したことはありませんでした。ところが今の中高生は土日に練習試合や合同練習などが実施されますので、原則として休みがありません。特にシード校などは週末に県内や県外遠征をしますので、週末の方が忙しくなります。そのために月曜日の部活を休みにしている学校があります。
 問題は部活の顧問の先生です。週末は部活動の指導で生徒の活動や引率に丸一日が使われます。月曜から仕事が始まり、授業の準備もしなければなりません。文化部でも大会の前などは1か月間休みなく練習する場合が多く、部活(特に運動部)の顧問の先生は休息を取る日がないのです。前回のブログでも述べましたが、これが過労死ラインをはるかに超えている現状です。
 主に若い先生が部活動の顧問になっていますが、若い先生ほど授業の技量を上げるためにしっかり勉強して頂きたいのです。しかしこれでは自分の授業の準備もおぼつかないことでしょう。また生徒も部活動に時間を取られ、授業中に居眠りをするなどの弊害が見られます。部活動と学習のバランスを取ることが大切です。期間限定であれば何事も我慢できますが、先が見えませんと身ともに疲労が溜まり、健康を害することになります。何事も中庸が大切です。

2017年05月05日

#104 中学教師6割が過労死ライン

 昨日のニュースで冒頭の記事が目に入りましたので、ネット掲載記事の一部をJiji.comから引用します。
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 文部科学省は28日、2016年度の公立小中学校教員の勤務実態調査の速報値を公表した。中学教諭の約6割が週60時間以上勤務しており、過労死の目安とされる水準を超過。前回06年度の調査に比べ、教諭や校長ら全職種で勤務時間が増えた。授業時間が増加したほか、中学では土日の部活動の時間が倍増。同省は「学校が教員の長時間勤務に支えられている状況には限界がある」として、中央教育審議会に改善策の検討を諮問する。(http://www.jiji.com/jc/article?k=2017042800386&g=soc)

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 教師の仕事はやればやるほど際限なく仕事量が増えてきます。確かに勤務時間は8:30-16:30となっていますが、16:30に退勤することはまず不可能です。多くの教師が部活の顧問をしており、特に運動部の顧問は19:00まで部活動をしますので、それからが自分の仕事をすることになります。私もソフトテニス、硬式テニスの顧問を合わせて10年以上担当しましたが、生徒の完全下校が19:00でしたので、その後自分の仕事に取りかかり、仕事が終わり退勤するのはほとんど毎日21:00を過ぎていました。換言すれば毎日5時間ほど残業していたことになります。(ひと月で100時間を超えることになります。)私の場合は毎週日曜日は部活を休みにしていましたので、日曜日は完全に休んでいましたが、(それでもゴールデンウィークや9月の連休など試合前にはほぼ1か月間休みが取れない状況が続きました。)昨今の中学校や高校では日曜日に練習試合や合同練習をしている学校が多いので、顧問の先生は休みを取る時間がありません。顧問が複数いる場合は交代で休みが取れますが、顧問一人の場合はそれが不可能です。
 仕事を真面目にすればするほど、ますます仕事が増えるのが世の常ですが、教師の場合は残業手当はありません。(その代わり教員調整額が設定されていますが、決して残業代ではありません。)確かに16:30に職場を退勤する教員もいましたが、多くは仕事をしない教員でした。
 最近の教師の仕事は教科の仕事だけでなく、生徒指導や進路指導、さらに問題のある生徒や保護者への対応など多岐に渡っています。一昔前の教員は生徒の長期休暇の際には教員も自宅研修等で出勤しなくてもよかった頃がありましたが、今では夏休みなどの長期の休み期間にも出勤して仕事をしています。教職は仕事と割り切ればよいのでしょうが、それではサラリーマン教員(昔で言うデモシカ教員)になっていまします。どうしたら残業を少なくして能率的に仕事ができるか、教師の時間確保が大きな課題となっています。

2017年04月29日

#103 印象に残る英文(その1)

 授業で多くの英文に接していますと、印象深い英文に出会うことがあります。出典が記載されている場合には、ネットなどですぐに検索できるのですが、大半の英文は出典が不明です。ところがGoogleなどの検索ソフトの発達のおかげで、最近ではキーワードや文を入力すると出典が分かる場合も出てきました。今日ご紹介する英文は今までに印象に残った英文のひとつです。

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A Water Bearer and a Cracked Pot

By Sacinandana Swami
A water bearer in India had two large pots, each hung on one end of the pole he carried across the back of his neck. One of the pots had a crack in it, and while the other pot was perfect and always delivered a full portion of water at the end of the long walk from the stream, the cracked pot arrived only half full. This went on every day for two years, with the bearer delivering only one and a half pots of water to his master’s house.
Of course, the perfect pot was proud of its accomplishment and saw itself as perfectly suited for the purpose for which it was made. But the poor cracked pot was ashamed of its imperfection and miserable that it was able to accomplish only half of what it had been made to do. After two years of what it perceived as bitter failure, it spoke to the water bearer one day by the stream. “I am ashamed of myself and I want to apologize to you.”
“Why?” asked the bearer. “What are you ashamed of?”
“For the past two years, I have been able to deliver only half my load because this crack in my side causes water to leak out all the way back to your master’s house. Because of my flaws you have to work without getting the full value of your efforts,” the pot said.
The water bearer felt sorry for the old cracked pot, and out of compassion he said, “As we return to the master’s house, I want you to notice the beautiful flowers along the path.” Indeed, as they went up the hill, the old cracked pot took notice of the sun warming the wildflowers on the side of the path. The pot felt cheered.
But at the end of the trail, the pot still felt bad because it had leaked out half its load, and again it apologized for its failure. The bearer said to the pot, “Did you notice that there were flowers only on your side of your path, but not on the other pot’s side? That’s because I knew about your flaw and took advantage of it. I planted flower seeds on your side of the path, and every day while we walk back from the stream, you’ve watered them for me. For two years I have been able to pick these beautiful flowers to decorate my master’s table. If you were not just the way you are, he would not have such beauty to grace his house.

All content copyright (c) by SacinandanaSwami.com

(訳)
インドの水運搬人は、川から彼の主人の家へ水を運ぶことによって、彼の主人に仕えました。彼は、肩にかけてつり合いを保った棒の両端に引っ掛けた2つの壺に水を入れて運びました。壺の1つは、ひびが入っていました;もう一方の壺は、無傷でした。無傷の壺は、いつも川から水を満杯にして届けましたが、他方、ひびの入った壺は、いつも、主人の家に着くころには、半分しか入っていませんでした。まる2年間このことが続きました、毎日、水運搬人は、満杯の壺と半分水の入った壺を主人の家に届けました。当然、満杯の壺は、その仕事ぶりを誇りに思いました、それが作られた目的に申し分なかったからです。しかし、ひびの入った壺は、不幸でした、そして、自分の不完全さを恥じていました。
ある日、ひびの入った壺は、水運搬人に話しかけました。「私は、私自身がとても恥ずかしいです。」と、それは言いました。「私は、あなたに謝罪したいです。」「しかし、どうしてだい?」と、水運搬人は尋ねました。「過去2年間」と、その壺は言いました。「私の側面に入ったひびは、水を漏らしてしまいます、そして、私は、自分の負うべき負担の半分しか届けることが出来ませんでした。あなたは、毎日、川から私たちのご主人の家へ私を運ぶ仕事をしますが、私の欠陥のために、あなたは、あなたの努力に十分見合ったものを得られません。」と、その壺は、ため息まじりに言いました。やさしく、水運搬人は、言いました、「今日、私たちが、ご主人様の家に帰る時、途中の可愛らしい花に注意してごらん。」
3人[*]が、丘を登って帰る時、その古いひびの入った壺は、魅力的な野生の花に気付きました ― 太陽が、花の輝く顔を照らし、そよ風が、その頭を傾けていました。しかし、それでも、その欠陥のある壺は、すまないと感じました、なぜならば、また水を半分漏らしてしまったからでした、それで、その壺は、失敗を水運搬人に謝りました。
しかし、水運搬人は、言いました、「あぜ道のお前の側にだけ花が咲いていることに気がつかなかったかい?私は、お前に欠陥があることを知っていたから、あぜ道のお前の側に花の種をまいたんだよ、そして、毎日、お前は種に水やりをしてくれたんだ。だから、毎日、私はこれらの美しい花を摘んで、私たちのご主人さまのテーブルを飾ることが出来るんだ。もしも、お前がそのようでなかったら、ご主人様は、家を優美にするこの美しさを得られなかっただろうね。」
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 自分の短所や欠点が長所になりうる話です。短所や欠点は見る角度を変えると長所にもなります。意義深い内容の英文です。

2017年04月23日

#102 加川良逝く

 ここ数日春というよりも初夏のような日々が続いています。昨日は大牟田でも25度を超える夏日でした。半袖でも過ごせるような気候でした。さてフォークソングの先駆けとして常に第一線で活動していた加川良さんが4月5日に亡くなりました。彼とは私が学生時代にバンドをしているときに知り合い、彼のライブコンサートを手伝った思い出があります。個人的に何度か語り合ったこともあり、お元気で活躍されていると思っていました。大変残念に思います。彼の記事をネットから引用します。

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加川良が急性白血病のため逝去
フォークシンガーの加川良が4月5日の9時39分、急性白血病のため逝去した。69歳だった。
加川は昨年12月9日から山梨県内の病院に検査入院し、12月14日には公式サイトにて「検査入院、少々つかれ気味でした。本日6日目、今しばらくの入院生活となりそうです」と直筆のコメントを掲載していた。葬儀は本人の意向を尊重し、家族・親族のみの密葬として執り行なわれる。
長男であるgnkosai(リトルキヨシトミニマム!gnk! / gnkosaiBAND)は、自身のfacebookで「家族、親族が見守る中、約4ヶ月の闘病生活を終え、静かに息をひきとりました」と加川が亡くなったことを報告。また、「個人的には山梨から東京の病院へ移ってからの数ヶ月、日々、変化の絶えない闘病生活でしたが、毎日の様に病院で父と過ごせた時間に、心から感謝しています」「父ちゃん、おつかれ! いつまでも家族。あんたが一番格好良いぜ! ありがとうね。」と綴った。
加川は滋賀県出身。学生時代にグループ・サウンズのボーカリストとして活動。1970年には『第2回全日本フォークジャンボリー』に飛び入り出演し、1971年にアルバム『教訓』でデビューを果たした。
(http://www.asahi.com/and_M/okmusic/OKL2017167330.html)
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 彼は70年代当時吉田拓郎と人気を二分するほどのシンガーでしたが、独自の道を歩み、マスコミにはほとんど登場しませんでした。しかし彼には熱烈なファンがいて、彼のライブはいつも超満員でした。特に「下宿屋」という歌はギター弾き語りの原点です。最近はYouTubeで彼のライブ姿が見られますので、興味のある方は検索してみてください。
 さて加川良だけでなく今週は訃報が続きました。夫婦漫才で一世を風靡(ふうび)し、俳優としても活躍した京唄子さん。「南国土佐を後にして」「ドレミの歌」などのヒット曲で知られる、歌手のペギー葉山さん。私と世代は異なりますが、昭和の一時代を築いた方々です。ご冥福を祈ります。昭和の時代がまた遠くなったと感じられる今日この頃です。

2017年04月16日

#101 桜満開の入学式

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 4月7日(金)に福岡県内の多くの小学校・中学校・高等学校で入学式が行われました。桜満開の入学式は本当に久しぶりです。ここ10年間ほどなかったと思います。最近は3月の下旬に満開の時期を迎え、4月の入学式には葉桜になっていましたが、今年は3月に冷え込んだせいもあり、先月末まで大牟田近郊の桜は蕾のままで過ごしていました。それがここ数日で見事に満開となり、一昔前の入学式のような雰囲気を醸し出しました。写真は近くにある延命公園の展望台から写したものです。(ブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックするとご覧いただけます。)
 昨日所用で福岡市に行きましたが、帰り道に大濠公園や舞鶴公園を歩いてみました。福岡市もまだ桜満開の時期が続いており、いたる所で観光客の中国語や韓国語が飛び交っていました。福岡に住んでいた頃は、公園で桜を愛でることはあまりなかったのですが、福岡市を離れて改めて公園の桜花を目にしますと、その美しさも格別です。明日は雨の予報が出ていますので、桜雨となることでしょう。満開の時期は儚く過ぎ去り、桜木たちも翌年の満開に向けて長い準備期間に入ります。桜花に乾杯!

2017年04月09日

#100 新年度が始まりました

 今日から平成29年度が始まります。入社式や入学式を行ったところもあります。当塾に参加している生徒たちも1学年上がることになり、4月3日から今年度の授業が始まります。中3になる生徒達には先月より高校受験に向けての授業が始まっていますが、”The sooner, the better”(早ければ早いほど良い)の格言にありますように、目標に向かって早めに取り組めば、余裕をもって物事を進めることができます。受験勉強だけでなくスポーツも勉強も目標を持たずに何となく継続しても実力は付きません。明確な目標を持ち、それに向かって地道な努力を継続することが大切です。さて今年度はどのような出会いや出来事があるでしょうか。実のある出会いや出来事を通して自分を成長させて行きたいものです。

2017年04月01日

#99 兵どもが夢の跡

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 今日は三池炭鉱が閉山して20年目の日です。地元のNHKなどのニュースで取り上げていました。平日は三川鉱内に入れないのですが、本日は特別に開放する旨を聞きましたので、午後行ってみました。坑口と関連する施設が残っているだけで何も残っていません。炭鉱の施設や工場があった場所は一面ただ空き地になっています。(写真をご覧ください。遠くに見える社屋が坑口です。写真はブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックするとご覧いただけます。)子供の頃は構内に入ることができず、外から炭鉱施設を見るだけでした。小学校の3年生の頃に図工の時間で施設を写生に出かけたことがあります。
 あれだけの活気が溢れていた場所が今は何も残っていません。炭鉱遺産として当時走っていた炭鉱電車が3台置いてあり、坑口はコンクリートで塞がれ、構内に炭鉱夫を連れて行った車両が錆びたまま置き去りにされています。松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中、平泉(今の岩手県平泉町)で詠んだ句、「夏草や兵どもが夢の跡」をふと思い出しました。あれだけ栄えていた三池炭鉱が閉山し、それに伴いこの街も寂れていきます。子供の頃賑やかだった街を覚えている私にとって、今日目にした炭鉱跡はまさに「兵達が夢のあと…」です。
 このことは三池炭鉱だけに当てはまるものではありません。企業や国も無関係でないのです。大企業だからといって決して社員に安定した場所ではありません。山一証券然り、銀行の再編然り、最近ではシャープや東芝がそうです。かじ取りを誤れば企業の大小にかかわらず必ず訪れる結果です。国家にも当然当てはまります。世界地図を広げてみると紛争地域では絶えず国が変わっています。一見安定しているように見えるヨーロッパの国々も数百年単位で見ると、絶えず国が変わっています。フランスはかつてのフランク王国、ドイツはかつてのプロシアなど何一つ無常でないものはありません。石油で潤っているサウジアラビアも将来の石油枯渇を案じて日本や中国との経済協力を要請するために訪問しました。彼らも将来を危惧しているのです。
 話を戻しますと、特定の産業に依存している企業や団体、地域社会は、関連する産業が無くなれば第二の夕張や大牟田になります。つねに先のことを考え、行動する必要があります。国家もそうです。特に日本は資源のない国なので、常に国の将来を考え行動しなければなりません。そのために必要なのが国民の教育です。教育を通して有能な人材を育て、活用することが必要です。日本が将来も生き残る唯一の手段です。

2017年03月30日

#98 F1で人類滅亡?(その2)

 前回のブログでF1種の危険について述べましたが、品種改良という点から考慮すればF1すべてが悪というわけではありません。品種改良により害虫に強い品種や、寒冷地に適した品種を作ることができます。実際今の豊かな野菜等が市場に出回るのも様々な品種改良の努力のおかげです。
 ただ私たちが常に注視しなければならないことは、遺伝子組み換え食品にしろ、F1種にしろ、果たして将来的に人類に悪影響を与えないかということです。換言すれば人類滅亡につながらないかということに尽きます。このF1種で問題になっているのは「除雄」または「雄性不稔」という操作です。「雄性不稔とは、植物の葯(やく)や雄しべが退化し、花粉が機能的に不完全になることをいう。動物に当てはめれば、男性原因の不妊症だ。」(野口勲著『タネが危ない』より引用)
 自然界では欠陥のある種は自然淘汰されていきますが、人間が作った食料(品種改良)に関しては例外となります。食物連鎖という立場で考えると、除雄されて作られたものを毎日食べていると、どのような結果が生じるかは誰にも分かりません。ミツバチの消滅現象(蜂群崩壊症候群)や人間の精子の減少など自然界で今生じている現象を考慮すると、F1種の影響があるかもしれません。F1種に関する科学者の検証が待たれます。核で人類が滅亡しなくても、F1種などの品種改良を食することによる人類の静かな死が訪れるかもしれません。興味がある方は次の本の一読をお勧めします。 
 野口勲著「タネが危ない」日本経済新聞出版社

2017年03月30日

#97 F1で人類滅亡?(その1)

 大袈裟なブログのタイトルです。ここで言うF1というのは自動車レースのF1グランプリのことではありません。F1種と呼ばれる種子のことです。このブログではあまり政治色の強い話題は避けたいと思っていますが、このF1種については知らない人が多いので、あえて取り上げます。(私も最近知った情報です。)
 専門的な知識は関連するネット記事や書籍を参照して頂きたいのですが、種子には在来種(固有種)とF1種と呼ばれるものがあります。この違いは端的に言いますと、「種ができるかどうか」に尽きます。例えば在来種は種子を育てて野菜ができると種が生じますが、F1種では種を生じることができません。種子ができないというよりは、優性遺伝の操作を繰り返して作った種子ですので、F1種から生じる種は劣等遺伝を持つものなので、商品として作る野菜の種子としては不適格となります。
 以前は在来種(固有種)が多くを占めていましたが、最近ではF1種から出来た野菜が大半を占めているそうです。なぜこのような状況が生じたかと言いますと、在来種では野菜の品質が季節や年に影響され、結果として出荷高の増減が生じていました。これを改善するために生み出されたのがF1種という種子です。
 「同じ品質の野菜が安定的に供給され、多くのスーパーで売られているものです。しかしこのF1の作り方に問題があります。F1品種というのは、一代交配とよばれ、雑種強勢という遺伝の法則を利用した育種方法です。
元々の在来種を自己増殖させて(近親交配みたいなもの)遺伝子的に混じりけがなく、非常にピュアな状態の作物を作ります(この作物は、品種としてはめちゃめちゃダメです。)。これが親種です。こうしてできた親種を全く形質の違う別の親種と交配させると、親とは全く違うイイトコどりをした品種ができます。これがF1品種です。
ピュアな親のイイトコどりをしても、次の世代には、その形質は受け継がれないという種苗メーカーには都合の良い遺伝の法則があるために、F1品種から出来た種を次に播種しても、親のF1品種と同じ形質にはなりません。」(「」の部分はここまでhttp://ameblo.jp/nougyoukonnsaru/entry-11595854429.htmlから引用)
 F1種を作る方法として「最近行われているのが「雄性不稔(ゆうせいふねん)」という方法です。この「雄性不稔」という言葉は、聞きなれない言葉ではありますが、不稔とは、雄しべや葯(やく)に異常があり、花粉を作れない又は花粉の機能不全を意味します。動物で考えると、つまり男性不妊・無精子症などに当たります。」(「」の部分はhttps://kosodatemedia.com/archives/804#i)
 この話の信憑性は読者の皆様にまかせることとして、世の中には私たちが知らないところで様々なことが行われていることです。実際、今国会で森友学園のことが盛んに取り上げられていますが、その裏で密かに可決された法案があります。それは「主要農作物種子法を廃止する法律案」です。「最近における農業をめぐる状況の変化に鑑み、主要農作物種子法を廃止する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。」が提案理由です。平成30年4月1日となっています。この法律施行後におそらく海外からのF1種が大量に入ってくると思われます。私たちの重要な食生活に大きな影響を与える法案ですが、皆様はこの法案に対してどのようにお考えでしょうか?(続く)

2017年03月29日

#96 春休みになりました

 福岡県内の大半の公立小学校・中学校の修了式が昨日行われ、本日から春休みになります。大牟田市内の私立中学・高校は18日にすでに修了式を迎えています。公立、私立の違いはありますが、本日から一斉に春休みを迎えました。新学期までしばらくの間各学校から生徒の賑やかな声が消えることになります。当塾では本日まで授業を行い、来週1週間(4/2まで)はお休みになります。来年度に向けて、教材の入れ替えやHPの変更修正等に使用します。昨年の12月より現在在籍している生徒たちに授業を行ってきましたが、生徒の学年が変わりますとそれに応じて教材も変更することにしています。また時間割もそれに従って変更になります。新しい時間割は4月3日から始まります。それまでは少しの休みを頂きます。当塾の休業日は毎週木、日曜日、お盆前後の5日間、年末年始の5日間、それに学年末の1週間となっています。それ以外は祭日も授業を行っています。生徒たちも意欲的に学習に取り組んでおり、今年度も気持ちよく生徒たちと学習することができました。市内に沢山ある塾の中で当塾を選び、ほとんどの生徒が来年度も継続して当塾の学習活動に参加してくれることは有難いことです。このブログは休み中も続きます。

2017年03月25日

#95 春の小川

 街を吹く風はまだ冷たいですが、それでも日光は眩しく、春らしい日差しとなってきています。近くの川の土手には菜の花やレンゲの花が咲いており季節も春を迎えています。唱歌の「春の小川」のような雰囲気を醸し出しています。
 「春の小川」で思い出しましたが、大牟田市にはかつて松屋デパートがありました。1937年(昭和12年)に開業した老舗のデパートですが、残念ながら2004年(平成16年)に閉店しました。建物は解体され、現在は駐車場となっています。この松屋デパートは毎日必ず11:55分と16:55分にミュージックサイレンが街中に鳴り響き、大牟田の人々に時刻を知らせていました。私の実家はデパートから離れていましたが、それでもはっきり聴くことができました。ただデパート付近で耳にすると、かなりうるさく、実際音楽というよりサイレン(警報)のような大音響でした。
 このミュージックサイレンで思い出しますのは、正午の曲が「春の小川」で、夕方の曲が「埴生の宿」でした。私の家には小さな田んぼがあり、幼稚園に入園する前の幼い頃、私は田んぼのあぜ道に座って家族が田植えや稲刈りをしていたことを見ていました。近くには用水路があり、その土手には様々な花が咲いていました。正午には「春の小川」が遠くから聞こえて、家族と一緒に昼食をとったことを覚えています。幼い頃の思い出の1頁です。また夕方にはミュージックサイレンとともに家路につくよう促されたことも覚えています。あの音楽はもう聞こえませんが、今でもふと思い出す懐かしい曲です。

2017年03月22日

#94 さだまさしが大牟田に来た!

 去る3月14日にさだまさしが大牟田市制100周年を記念して、文化会館でコンサートを開催しました。80周年にも当地を訪問し、20年ぶりのコンサートでした。私が福岡に住んでいるときに彼のコンサートに数回行ったことがありますが、彼との付き合い?は意外と古く、彼のグレープ時代に遡ります。
 彼がグレープ時代に「精霊流し」で人気グループに仲間入りし、数々のヒット曲を生み出しましたが、1976年に解散します。当時高校生だった私は長崎放送でグレープの解散コンサート見るために、屋根に上り長崎に向けてTVアンテナを新設したことを思い出します。(ここ大牟田は既存のアンテナでも福岡や熊本、佐賀の放送が見られます。長崎の放送はアンテナを西に向ければ見ることができます。)
 あれから40数年、彼がこんなにビッグになるとは夢にも思っていませんでした。今ではNHKの「今夜も生さだ」や様々な歌番組に出演し、日本を代表するミュージシャンの一人になっています。70年代のフォークソングは現在のJポップへの礎となっており、今ではすでに「懐メロ」扱いになっていますが、それでもあの時代に過ごした若者たちにとり青春賛歌となっています。

2017年03月19日

#93 HPアクセス数が3000を超えました

 本日当塾HPへのアクセス数が3000件を超え、3001となりました。一昨年の10月にHPを作成し公開しましたが、1年半足らずで3000の大台に乗りました。もちろん人気のHPとは程遠いもので、ブログの更新も週に一度の遅いペースで行っていますが、それでも関心を持って頂けるとは感謝の極みであります。
 ところで昨日は福岡県内の公立高校の合格発表の日でした。受験生の結果にご家族の方々は悲喜こもごもだと思います。どの入試にも言えることですが、「実力」+α(アルファ)が必ず伴います。この+αを手にするためには不断の努力が必要です。ただ当の本人は自分がどれくらいの実力や才能を持っているか判断できかねる場合が多々あります。この場合的確に判断できるのが本人の周囲にいる大人です。私心を捨て、本人の将来を考慮した上での助言が必要となります。(この点で親は自分の子供に対して感情移入しやすいものです。)
 人生の節目に差し掛かった若者に対して希望を与え、励ますことができるのはある意味で第3者的立場の大人(教師や叔父叔母など)でしょう。ただし本人と良好な関係を維持している大人に限ります。
 あと半月で平成29年度が始まります。第1志望校に合格した人も、そうでない人も与えられた場所で自分を育てていきましょう。

2017年03月16日

#92 明日は我が身?

 昨日は3.11東日本大震災が発生して6年目の日でした。あれからすでに6年が経ったことになります。地震が発生した時は授業中でしたので、授業が終わり職員室に戻った時に初めて地震のことを聞きました。震災当時職員の誰もが休憩室にあるテレビにくぎ付けになっていました。そして帰宅後に震災の状況や津波の映像に食い入るように見ていたことを思い出します。
 昨年4月には熊本地震が発生しました。大牟田から熊本まで40数キロの距離がありますが、ここでもかなり揺れましたので、熊本県にお住まいの方は大変な思いをされたことと思います。また2005年(平成17年)3月20日には福岡県西方沖地震が発生し、震源地に近い玄海島は震度6弱の揺れに襲われました。福岡市でも強い揺れを感じました。最初はゆっくりとした揺れでしたが、その後30秒ほど大きな横揺れが発生し、死ぬのではないかと思ったほどです。
 このように大地震は1995年の阪神淡路大震災以来頻繁に発生しており日本中どこでも発生すると思われます。地震・雷・火事・親父と言いますが、地震だけはいつ起こるか誰にも分かりません。日本中安全なところは存在しません。自分だけは無事だという考えは止めた方がよいでしょう。地震だけでなく、どんな災害がいつ起こっても、即対応できるように日頃から備えが必要です。すくなくとも3日間は耐えうる水や食料は備蓄する必要があります。明日は我が身です。しっかり災害に備える生活をする必要があります。

2017年03月12日

#91 大牟田市が100歳になりました

 3月1日に大牟田市が市制100周年を迎えました。人間で言えば100歳を迎えたことになり、国から金杯や賞状をいただき表彰されることでしょう。しかし市町村の自治体では必ずしも喜ばしいことばかりではありません。特に地方自治体では人口減による税収の減少や高齢者福祉事業など問題が山積しています。巷で言われている「地方消滅」の問題です。
 ここ大牟田市でもその現象が顕著に表れています。特に人口減は顕著でこの市が炭鉱で栄えていた往時は23万人を超えていましたが、現在は12万人を下回るほどに減少しています。つまり人口が半減したことになります。人口減の主な理由は炭鉱閉山による地元産業の減少です。大牟田市は三井鉱山関係の企業で成り立っていた街で、炭鉱が無くなり、新しい産業の開発や企業のの誘致がうまくいっていない状況が現在の大牟田市です。
 私が子供の頃は大牟田市が最盛の時でした。市内には大人や子供が溢れ、休みの日には当時の繁華街だった築町や新栄町、県境の四ツ山などに皆で出かけたものです。「街に行こう!」が合言葉でした。デパートも松屋、井筒屋の2つあり、アーケード街が市内の至る所にあり大変な活気を呈していました。昭和30年代頃、大牟田市は福岡市や北九州市に次いで県内で3番目に大きな街だったと思います。(当時は久留米市よりも大きかったのです。)しかし今ではアーケード街はシャッター通りに変わり、デパートもすでに無くなり、駐車場や空き地となっています。市内で往時を偲ばせるものは大牟田市役所の古い建物と大牟田駅のプラットホーム(JR3ホーム、西鉄5ホーム、計8番ホームまであります)だけではないでしょうか。
 大牟田市の現状は他の地方都市にも当てはまります。北九州市も人口100万人を割っています。スペースワールドは今年閉園が決定しています。県内で元気な街は福岡市だけとなっています。いわゆる大都市への人口や企業の一極集中がより進んでいる現状です。この状況を改善するために地方都市は何ができるでしょうか。「勝ち組」や「負け組」の言葉が頻繁に使われていた時期がありましたが、この言葉は人だけでなく、自治体にも当てはまります。各自が努力し、自分の才能や能力をアピールできるようなものがなければ、人も自治体も生き残れない時代が来るでしょう。経済成長時代やバブル時代と異なり、本当の意味において自ら努力する自己革新が求められる時代となっています。

2017年03月05日

#90 オリオンは西へ

 前回のブログで春が近いことを書きましたが、確かに夜空にもその兆候が表れています。塾の仕事が終わり、夜の10過ぎに外に出るのですが、真冬には真南の空に堂々と輝いていたオリオン座が今は少しずつ西へ傾き始めています。春の訪れの気配です。星座にも四季があり、春はおとめ座、夏はさそり座、秋はアンドロメダ座、そして冬はオリオン座をはじめとする冬の大三角形やおうし座、おおいぬ座などが有名です。特に冬の大三角形の一角を占めて白く光るおおいぬ座のシリウスは一際明るく天空で輝いています。またおうし座のすばるは国産自動車メーカの名前になっていますが、れっきとした日本語です。
 さてオリオン座で思い出しますのは、宮沢賢治が作詞作曲した「星めぐりの歌」です。この歌は高倉健の遺作となった映画「あなたへ」の挿入歌で、田中裕子が歌っていましたが、映画をご覧になった方は「あの歌か…」と思い出されることでしょう。宮沢賢治は「雨にも負けず…」の詩で知られていますが、作曲家としての一面も持っています。歌詞を下記に載せています。実際の歌はユーチューブ等で聴けますので、興味のある方は探してみてください。
 2月ももう終わりです。3月1日には多くの高校で卒業式が行われます。全国の高校3年生が進学や就職等で学び舎を旅立ちます。彼らがけっして悪に染まらず、大学生や社会人としてより良い人生を歩んでいくように心から祈りたい気持ちです。
 
 「星めぐりの歌」 宮沢賢治 作詞・作曲


   あかいめだまのさそり
   ひろげた鷲のつばさ
   あをいめだまの小いぬ
   ひかりのへびのとぐろ
   オリオンは高くうたひ
   つゆとしもとをおとす

   アンドロメダのくもは
   さかなのくちのかたち
   大ぐまのあしをきたに
   五つのばしたところ
   小熊のひたいのうへは
   そらのめぐりのめあて
 

2017年02月26日

#89 春になれば

 立春も過ぎ、日差しも少しずつ明るくなり強くなってきたような気がします。今年の冬は氷点下になった日もありましたが、昨冬のように市内の水道管が凍結するような事態にはならず、このまま暖かい春がやってくるのではないかと思っています。確かに日の出の時間も少しずつ早くなり、また日没も徐々に遅くなっています。非常勤講師として市内の学校に勤務していますが、早朝課外授業のある日には6時半過ぎに家を出ます。ひと月ほど前は夜明け前の暗闇の中を灯をつけて自転車に乗っていましたが、今では日の出前の薄明で灯火は不要です。
 天文年鑑によると福岡の日の出の最も遅い時間は1月上旬の午前7時23分となっていますので、本日の日の出時間6時56分と比べますと25分ほど早くなっています。また日没の最も早い時間が12月上旬の17時10分ですが、今日の日没は18時8分ですので、およそ1時間弱ほど昼間の時間が長くなっています。確かに午後6時過ぎましてもまだ明るく、暦の上ではすでに春ですが、実際の暖かい春の訪れがまもなくやってくる気配が漂っています。ようやく寒い冬から解放され、厚着をしなくても過ごせる日々がやって来ます。
 高校受験を控えている中学3年生は半月後に公立高校の入試を受けることになります。最後の追い込みが待っています。後悔しないように精一杯の努力を続けてもらいたいものです。入試は3月8日に実施され、合格発表は15日に行われます。受験生に春が来るまでもう少しの辛抱です。きっと良い春がやって来ます。最後まで諦めずに頑張りましょう。

2017年02月19日

#88 Sayonara Nakamura

 私が旅に出るときには、いつもポケットにラジオを入れて旅先で聴くことにしています。もちろんタブレットも使用しますが、現地の情報を気軽に手にするにはラジオが手軽で便利です。その土地に住んでいる人々の声が直に聞こえてくるからです。これは日本国内だけでなく、海外に行った時もホテルの部屋や休憩している時などにラジオのスイッチをいれて滞在先の雰囲気を感じることにしています。
 数年前に韓国のソウルに滞在した時も、いつものように夜になってラジオのダイヤルを回したところ、微かですがNHK熊本放送が聞こえてきて少々驚きました。無論夜遅く韓国や中国からラジオ放送が聞こえてきますので、同様に韓国や朝鮮半島でも日本の放送が聞こえてくるのは当然のことと思います。電波の世界では国境はありません。世界的に見ればネットではなく、ラジオによる国際放送が依然として一般的で、短波ラジオが今でも必需品の地域が世界に多くあります。
 ところで冒頭のタイトルですが、5年ほど前にオーストラリアのシドニーに滞在していた時に、聞いていたラジオから流れてきた曲です。当時はそれほど気にならなかったのですが、改めてネットで調べてみると次のようなことが分かりました。(以下のやり取りはYahooJapan知恵袋から引用しています。)

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質問:

ドナ・バークさんの「さよなら、ナカムラ」の作曲者は誰ですか。原曲といわれている曲を聴いたのですが、メロディーがぜんぜん違っていました。

 

回答:

「Goodbye Nakamura」とは、日本人の我々には気になるタイトルだが、実はこの曲はもともとはオーストラリア人のフォーク・シンガー、テッド・イーガンさんによって書かれたもの。ある日ドナさんがオーストラリア大使館で歌っていた時、一人の歳取った日本人男性が彼女のもとに近づき、「『Goodbye Nakamura』という歌を知っていますか? 自分にとっては唯一その歌だけが日本とオーストラリアとを結びつける曲です」と、話しかけたという。
気になったドナさんは、「Goodbye Nakamura」という曲を探し出し、その曲が、20世紀初頭にオーストラリア北西部のブルーム沿岸で命を落とした日本人青年、ナカムラについて歌われていることを知った。オーストラリア北西部の小さな街、ブルームは真珠の産地として知られ、世界の四分の三の真珠が産出されているらしい。20世紀初頭、海に潜り、原始的で危険な方法で真珠をとっていたのは、日本人や中国人、マレー人やアボリジニたちだった。沖縄から出稼ぎに来ていたナカムラ青年もまたその一人で、沖縄に待たせたままの許嫁と再会を果たす直前に、彼は命を落としてしまった。「Goodbye Nakamura」は、その実話が歌われたもので、その曲を聴いて感動したドナさんは、テッド・イーガンの曲を新たにフォーク・バラードにアレンジし、レコーディングもして、いずれアルバムの中の一曲に収めようとしていた。ところが今年1月にブルームで地元のラジオ局のライブに出演して歌ったところ大反響を呼び、急遽シングルで発売されることになったのだ。
シングルでの発売にあたり、日本語ヴァージョンも入れようということになり、ドナさんと知り合いの五十嵐正さんを通じて、日本語の歌詞を作る依頼がこのぼくにやって来た。ぼくもドナさんの歌う「Goodbye Nakamura」を聴いて、とても感激したので、もちろんふたつ返事で引き受けた。日本語の歌詞を作るのはかなり難しかったが、原詞にできるだけ忠実に日本語の歌詞を作るよう心がけた。そして出来上がった日本語の歌詞を、ドナさんがとても素晴らしい、それもただじょうずなだけではない、心のこもった日本語で見事に歌っている。
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 上記の通りなのですが、テッド・イーガン(Ted Eagan)が作った歌です。オリジナルタイトルは「Sayonara Nakamura」となっています。20世紀初頭に多くの日本人がハワイやブラジルなどに移住して行きました。この歌に登場するNakamuraさんも移住ではありませんが、オーストラリアまで出稼ぎに行っていたのでしょう。残念ながらオーストラリアの土地で亡くなりました。この歌を一度お聞きください。Ted Eaganで検索すればYouTubeで彼の歌を聴くことができます。日本人のことを歌った数少ない名曲です。

2017年02月12日

#87 私立高校入試の合格発表と次に向けて

 前回のブログで高校入試について述べましたが、早くも今週末に地元の私立高校入学試験の発表が行われ、当塾の中学3年生3人が無事に合格しました。次はいよいよ県立高等学校の入学試験に向けて最後の頑張りが始まります。福岡都市圏と異なり、郡部の中学生の第1志望はあくまでも県立高校になります。これには様々な理由がありますが、県立高校や福岡都市圏の私立高校に比べて進学率が高くないこと、特色ある学校が少ないこと、さらに高い授業を出せない経済的な理由が挙げられます。もちろん地元の私立学校は奨学金の給付や授業料免除などの特典を謳ってはいますが、生徒がなかなか集まらない現状です。
 合格した受験生が入学する割合を俗に「歩留率(ぶどまりりつ)」と言っています。例えば、歩留率30%ならば、合格者100人のうち30人が入学することになります。言い換えれば70人の合格者が別の学校へ入学したことになります。特に私立学校では、この歩留率を重視して合格者の人数を出します。現実には、よほどの難関校や人気校以外では、極端な点数(例:0点など)を取らない限りは、ほとんどの受験生が合格します。例えば400人が受験したとして、不合格になる受験生は1割(40人)もいないでしょう。学校によってはほぼ全員が合格というところもあるそうです。
 生徒数の減少でどの私立学校も生徒の確保に必死になっています。郡部の私立学校は生徒を確保できなければ、学校の存続にかかわります。また最近では県立高校の推薦入試も行われ、今年は2月8日に実施されます。県立高校も生徒募集に必死になっており、地元では数少ない受験生を奪い合う争奪戦が繰り広げられます。高校の受験戦争も様変わりした昨今です。

2017年02月05日

#86 今日は高校入試が行われました

 本日2月1日は筑後地区の私立高校前期入試日になっています。当塾からも中学3年生3人がそれぞれ志望校を受験しています。福岡地区は2月3日に実施されます。なお東京の私立中学校入試は本日行われているようです。
 地元の私立高校入試に関しては第1志望というよりも県立高校のすべり止めで受験するイメージが強く、福岡地区の私立高校とは少々趣きが異なるようです。福岡地区の私立高校は大学進学やスポーツの全国大会常連校などに特化している学校が数多くあり、県立高校を選ばずに私立高校に進学する中学生が多くいます。実際大牟田から福岡市の学校に通学している生徒もいます。
 しかし地元の私立高校は一部を除き、正直言ってそれほど進学率が良いとは言えません。また現実に中学生を教えて感じますのは福岡都市圏の子どもと比べて学力的に劣る子どもが多く、進学に対する本人や保護者の意識も都市圏と比べると低いものがあります。このことは県内のどの郡部の生徒にも言えることだと思います。

 当塾に参加している生徒の話では、高校入試のための指導は学校で一切ないそうです。そこで塾に通い受験勉強をすることになっています。まるで中学校が塾での勉強を奨励しているような状況です。せめて入試直前の生徒に対し、各中学校で責任もって指導をしていただきたいと思います。そうしないと塾の授業料を保護者は払って受験勉強をする羽目になり、保護者にとり学校の授業料と塾の授業料の二重の経済的負担になります。また塾に通わせる余裕のない家庭もあり、自ずと経済格差が高校受験の段階で表面化することになります。せめて中学校では生徒の進路を確保するために放課後の補習を行うなど対策を立ててほしいと思います。

2017年02月01日

#85 満天の星空

 塾の授業が終わって10時過ぎに外に出るのですが、晴れた夜には満天の星空が見られます。真冬で湿度が低いこともありますが、小さな星まで見ることができます。南天に目をやるとオリオン座や冬の大三角形など教科書でお馴染みの星座を目にすることができます。オリオン星雲さえも裸眼で確認できます。

 星空を眺めながら確かに大牟田の夜空は以前よりもきれいになった気がします。炭鉱が盛んだった頃のこの街は昼も夜も一日中工場の煙突から煤煙が出ていた記憶があり、あまりきれいな夜ではなかったと思います。現在は炭鉱もなくなり関連する工場もごく限られているせいか、晴れた夜には綺麗な星空が見えるようになった気がします。

 翻って私が住んでいた福岡市の最近の夜空は悲惨なものでした。20年前ほどの夜空は結構きれいで、そこそこ星が見えていましたが、ここ数年は街中の光害の影響で真夜中でも天神方面の空は白っぽい色に光り、1・2等星ぐらいしか目にできない日もありました。これは福岡市に限ったことではなく、全国の大都市に当てはまることと思います。以前のように「夜は暗いもの」という常識が無くなりつつあります。昼間と同じようにネオンが煌々と輝き、その影響で上空の大気が明るくなっているのです。

 その意味では皮肉なことですが、主要産業が無くなったこの大牟田は昔の夜の自然環境を取り戻しているようです。月夜の明るい夜道、月のないの満天の星空や天の川の輝きは失ってはならない私たちの原風景だと思います。

追記
 先日の寒波で今まで頑張って咲いてきたコスモスが命をすべて全うしました。この子どもたちが今年の秋にはまた元気な姿を見せてくれると思います。

2017年01月29日

#84 冬のコスモス、まだまだ頑張ります!

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 雪の中で行われた大学入試センター試験も終わり、センター入試事務局や各予備校から各教科の平均点等の結果が出ています。受験生の皆さんはどうだったでしょうか。入試はこれからが本番です。体調管理に注意して、最後まで諦めずに頑張りましょう。
 また大牟田地区の高校の専願入試が24日に行われます。前期入試は2月1日に予定されています。まだまだ復習する時間が残されています。志望校に向けて最後まで努力しましょう。
 さて12月26日付のこのブログでも紹介しましたが、冬のコスモスがまだ咲いています。先日の寒波で大半の花が枯れましたが、それでも寒風の中、元気に花が咲いています。(写真参考:「ひつじの独り言」をクリックしてください。)いつまでも咲いていてもらいたいのですが、現在花が咲いている国道の工事が行われており、近々縁石の工事が始まるようです。工事に伴い、おそらく花壇の花も片づけられるかもしれません。また明日はここ大牟田でも積雪の予報が出ています。すこしでも長くコスモスにき続けてもらいたいものです。
 頑張れ冬のコスモス、まだまだ咲きます!

2017年01月22日

#83 卒業生の成人式同窓会

 ほぼ1週間前になりますが、1月9日に福岡雙葉高等学校で最後に担任をした卒業生が成人式を迎え、当日の夜に同窓会が催されました。卒業生180余名のうち8割ほどが出席したと聞いています。また卒業生に関わった先生方も多数出席されていました。卒業生とは2年ぶりの再開でしたが、すぐに名前が出てくる生徒や名前がなかなか出てこない生徒など様々卒業生が参加して賑やかな同窓会となりました。
 ところで、成人式の日に同窓会を開くことは、それほど以前からあったのではないと思います。私が知っている限り5,6年前から始まったものと思います。それ以前は卒業生が集いますのは卒業して20年後の学園の同窓会幹事を担当する年か、学年によっては10年ぶりに集まる機会を設ける等がありました。高校3年生の担任として卒業生を10回ほど送り出しましたが、私が記憶する限り3年前の前回に続いて今度が2度目になります。
 成人式を迎え卒業生も大学生や社会人など様々な道を歩んでいます。乾杯の式辞を依頼され、卒業生に祝言を言わせていただきましたが、「成人できたのはひとえに親御さんのおけげです。ご両親に感謝してください。また大学など高等教育を受けたくても受けられない境遇の人もいます。与えられた自分の境遇に感謝するとともに、皆様のご多幸を祈っています。」と簡単ながらスピーチをさせていただきました。彼女たちには、これから様々な事が待ち受けています。良いことも悪いことも受け止めて、有意義な人生を歩いてもらいたいと思います。彼女たちの上に神さまの祝福がありますように心より祈ります。

2017年01月15日

#82 シスター渡辺の思い出

 昨年末(12月30日)に岡山のノートルダム清心学園理事長のシスター渡辺和子さんが帰天されました。偶然その日に当塾に参加している受験前の生徒にシスター渡辺の著書を紹介したことを奇縁に思っています。私はシスター渡辺とは直接面識はありませんが、若い頃よりシスターの著書を何度も読み返し、市販されている本はほとんどすべて所有しています。シスターの講演会のCDも持っています。
 またシスターの講演会には3回ほど参加したことがあります。最初は今から20年ほど前に福岡雙葉学園創立60周年の記念講演会でシスター渡辺は心温まる講演をなさいました。当時は背の高いシスターの印象を受けましたが、3年ほど前に福岡で行われました講演会では小柄なおばあちゃんシスターの印象に変わりました。シスターの話では骨粗しょう症で身長が12㎝ほど低くなったとのことでした。世間には「置かれたところで咲きなさい」の小冊子が有名だと思いますが、PHP文庫からもシスターの本がたくさん出ていますので、興味のある方は一度ページをめくって見て下さい。シスター心温まる珠玉の言葉がいたる所に見出せます。
 思い返せば、私のこれまでの人生で多くのシスターに助けられてきました。福岡雙葉学園の幼きイエス会のシスター方、特に故シスター・アガタには大変お世話になりました。私が教科主任をしていた時に入試問題の添削をシスターにいつもお願いしていました。病弱でありながら、快く引き受けてくださいました。シスターが入院されたときにお見舞いに行きましたが、最後のお別れの際に握手して頂いた手の感触は今でも残っています。
 それからオーストラリア留学時代にお世話になったジュディス:ウィーリー。彼女には英語だけでなくオーストラリアの文化や人々の考え方、生き方も教えてもらいました。彼女も3年前に帰天しました。4年前にオーストラリアでお会いした時には、80歳を過ぎていましたが、毎日車を乗り回しており、当時私を空港まで迎えに来ていただき、それから2時間ほど高速道路を運転して彼女の暮らす修道院まで連れて行ってくれました。もっと長生きされると思っていましたが、3年前の7月のある日、眠るように息を引き取られたと同僚のシスターから手紙が届きました。
 進学や就職、結婚など人生の節目には必ず人生を左右する人物や書物、出来事に誰もが出会うものです。それを生かすどうかは、その人の人生観や生き方にかかっています。人生は長いようでも光陰矢のごとく過ぎ去っていきます。与えられた命を有意義に使って行きたいものです。

2017年01月06日

#81 2017年仕事始め

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 平成29年(2017年)明けましておめでとうございます。今年も一年間よろしくお願いします。
 さて当塾では本日が仕事始めになります。今日は正月三が日の最終日ですが、昨年度同様に希望する受験生のために1日早く授業をおこないます。センター試験まで10日余り、まだまだ時間はあります。今まで勉強してきたものを総復習するには充分な時間です。体調管理に充分留意して試験に臨みましょう。また大牟田地区の私立高等学校の前期入学試験は2月1日となっており、当塾に中学3年生が複数いますので、今から入試日まで追い込みの時期に入ります。
 ところで当塾では受験生には太宰府天満宮のお守りを、その他の学年の生徒には干支に因んだものをお年玉として渡しています。(画像はブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックするとご覧いただけます。)昨日大宰府まで足を運び、お守りを買ってきました。参拝客は相変わらずごった返しており、時間を節約するために、参道を通らずに天満宮の脇から入り、お守りだけ買ってきました。帰りに梅が枝餅を買おうと思いましたが、どの店も長蛇の列ができていましたので、今回は買わずに帰宅しました。
 お守りで思い出すのは、私が高3を担任していた時にはクラスの生徒全員に大宰府天満宮のお守りを買って3学期の始業式日に渡していました。(クラスの人数が多いと私のひと月分の小遣いが吹っ飛んでしまいました...。)私個人としてはお守りにご利益があるとは思いませんが、もらった生徒の励ましになればと思っています。
 とにかく受験生には正月はありません。志望校に合格した時が正月です。最後まで諦めずに努力した者に栄冠が与えられます。受験生頑張れ!

2017年01月03日

#80 森繁久彌の”遺言”秘話

 今年も残り2日となりました。当塾では高3の受験生のために今日の午前中まで授業を行いました。この生徒は1月1日、2日にセンター試験の直前模試を受験します。今年のセンター試験は1月14日、15日に実施されますので、試験の流れを確認する意味で直前模試は参考になります。センター試験までおよそ半月ありますが、今まで学んできたことを総復習して、体調を整え受験してもらいたいと思います。
 さて冒頭のタイトルですが、今年の3月に銀行に行った際に偶然目にした記事に心を惹かれましたので、ここに引用したいと思います。先日安倍首相がハワイを訪問し、日本軍の真珠湾攻撃で犠牲になった人々に対して哀悼の意を表し、オバマ大統領とともに平和へのメッセージを表明しました。終戦後71年が経ちますが、終戦直後には日本国内でも様々な悲劇があった頃の話です。

--- 春夏秋冬 森繁久彌さんの遺言秘話 ---
  (財界九州2016年3月号より引用)

 森繁久彌さん晩年のことである。作家で脚本家の久世光彦さんは、森繁さんの自宅に週2回通っては聞き書きをし『大遺言書』(新潮社)にまとめた。その中の「混血児(あいのこ)」と「海を渡る花嫁」の章は、ほとんど知られることのなかった”娘桂子”さんのことを遺言のように語ったものである。
 1966(昭和41)年頃、文化放送の帯番組に「今晩は、森繁です」という、毎晩10時から15分間のラジオ番組があり、その中に視聴者の手紙に答えるというコーナーがあった。ある日のこと、東京葛飾区に住む小関桂子という18歳の女の子から、森繁さんにこんな手紙が届いた。
 「拝啓、私は戦後の落とし子と言われる混血児です。私たち混血児は、何かと特別な目で見られて育ってきました。何も悪いことはしていないのに、白い目で見られ、今なお人まえで堂々と歩くことができず、顔を隠して歩く。こんなみじめなことはありません。」
 手紙は几帳面な文字でつづられていて、その子の真剣さが伝わってくる。
 「私の父は黒人です。でも私は父を知りません。生みの母は、私が生まれてすぐ乳飲み子の私を育ての親に預けて行方知れずになりました。その育ての母も、一昨年亡くなりました。私には黒人の血が流れています。黒い肌です。」
 マイクの前で手紙を持つ森繁さんの手は細かく震えた。胸が大きく揺れ、暗闇からいきなり短刀を突きつけられたような気持になった。
 「私は好き好んで混血児に生まれてきたのではありません。戦争が私たち混血児をつくったのです。私にも、他の混血児にも、日本の血が流れています。<アイノコ>でも日本人です。けれど、同情なんか要りません。どうか、せめて私たちを特別な目で見ないで下さい。ただ、同じ日本人として当たり前に思って下さい。それだけです。私は今度の5月で19歳になります。」
 当時よくあった話、といえばそれまでだが、戦後20年、世間がオリンピック景気に沸いている陰に、こんな気持ちで毎日を送らなければならない子供がいたのである。森繁さんは手紙を読み終わり、何も言えなくなってしまった。同情しても、励ましても、この子が過ごしてきた日々と、この子の真実の前では、みんな半端なうそになってしまう。とにかくこの子に会わなければならない。森繁さんはラジオ局の担当者に頼んで、桂子さんと会うことにした。そしてすぐに妻の杏子さんにも会わせ、自分の娘とおなじように愛情で包んだのであった。
 桂子さんは佐世保で生まれ、14歳のとき国籍がないことを知ってショックを受け、東京へ向かった。自殺未遂もした。死ぬこともできず、人を信用することができず苦しんでいるとき森繁さんのラジオの声を聴き、この声には真実があると感じ、正座して森繁さんの声を聴いた。そして、この人には話せるかもしれないと、手紙を書いたのであった。
 放送は反響を呼び、サンフランシスコの日経紙にも紹介され、それを読んだクラークという宣教師の助手をしている青年が桂子さんに会いに来た。やがて愛が生まれて、同じ肌の色のクラークさんと結婚を約束するまでになったのだが、国籍がないためパスポートもビザも出してもらえない。森繁夫妻が懸命に桂子さんを養女にしたと説明しても、戸籍上の手続きが不可能のため門前払いされるだけであった。
 杏子夫人は桂子さんを連れて10日間続けてアメリカ大使館へ通い、「この子の幸せをメチャクチャにするつもりなのですか!」と強く抗議した。ついに大使館も折れて、ビザは発給されたのである。やがて横浜から船に乗ってアメリカへ嫁入りする日が来た。森繁夫妻はこの日のために振袖を用意して見送った。その船の甲板に着物姿をした黒い肌の桂子さんが現れると、船の人も岸壁の見送りの人たちも、声をのんで桂子さんに見入った。花嫁は「お父様~、お母様~」と泣きながら手を振り叫んだ。化粧も髪も乱れてしまったが、その顔はまぎれもない”日本人の顔”であった。
 森繁さんは泣いた。その手を握って涙をこらえる杏子さんの心と体も震えた。そのときのことを桂子さんはこう振り返っている。「1966年の八月三十日でした。汗と涙が入り交じって頬を流れました。国籍のなかった<アイノコ>の私がアメリカ人になったのです。<アイノコ>が<愛の子>になったのです」…と。

--- 引用終わり ---

 かなり長い引用になりましたが、この記事から言えますことは、当時だけでなく現在も混血児(今は「ハーフ」という表現が流行っています。)というだけで差別される人が日本中にたくさん存在するということです。一方では結婚せずに精子バンクを利用して海外から優秀な精子を選び、シングルマザーとして生きていく、と公言する若い女性もいます。
 戦後71年が経ち、日本人の生き方、考え方が大きく変わってきました。経済問題や教育格差など様々な問題がこの国に山積していますが、それらを解決すべく新しい年を迎えたいものです。
 今年のブログは今回が最後になります。お読みくださった方々に感謝します。来年も良い年を迎えられますように、心よりお祈り申し上げますとともに、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2016年12月30日

#79 冬のコスモス

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 昨日は所用で福岡に行きましたが、天神の市役所前広場や博多駅前の広場では盛大にクリスマスフェアが行われていました。ブラスバンドの演奏がクリスマスソングを奏で、沢山の屋台が立ち並び、様々な商品を販売していました。今年のクリスマスは日曜日に当たり、例年になく賑やかな雰囲気でした。
 さてクリスマスも終わり、世の中は年の暮れに向かって動き出しました。今日は昼から小雨が降っていますが、寒空の下、当塾の近くを走っている国道208号線沿いに季節外れのコスモスが懸命に咲いています。(写真はブログのタイトル「ひつじの独り言」をクリックするとご覧いただけます)先日たまたまこのコスモスに気がつきました。国道沿いの他の花壇にはパンジーなど他の花が植えてあるのですが、この一角だけコスモスがいじらしく咲いています。まるで冬の寒さにじっと耐えながら最後の命を全うするかのように見えます。このコスモスを見て、ふと加川良の「コスモス」という歌を思い出しました。

♪コスモス by 加川良

あたいコスモス この身うらんだ事はない
あたいコスモス わきまえているつもり
冬に開く花あれば 夏の日差しに萌える花
垣根の中で咲く花や 野辺に揺れる花もある
小川の夢のささやきを 聞いて眠る花がある
海鳴りを見下ろして 震え祈る花もある

あたいコスモス 器量良しじゃないけれど
あたいコスモス つたない香りと知りつつも
旅のお方の気まぐれに 幼子のいたずらに
摘んで貰える日もあると それを励みに咲いてます

もしも生まれ変われたら 春に咲く花たちを
この目で眺めたい これもまた定めでしょう
あたいコスモス この身うらんだ事はない
あたいコスモス わきまえてきたつもり

隠れた名曲です。なお彼のライブ版コスモスはユーチューブでご覧いただけます。加川良コスモスで検索してみてください。

 

2016年12月26日

#78 クリスマスってなあに?

 今日はクリスマスイブです。街はクリスマスの雰囲気で溢れています。多くの家族連れやカップル達が様々なイルミネーションの前で今夜のひとときを過ごすことでしょう。
 さてクリスマスについて心温まる話を見つけましたので、ここにご紹介します。ドン・ボスコ社の小冊子「クリスマスってなあに?」からの引用です。クリスマスの本当の意味を考えさせられます。


--- 愛のまなざし ---

 クリスマスは私たちにとってどんな日なのでしょうか?そのことを考えるとき、私は、インドの乳児院施設での話を思い出します。

 この施設の子どもたちは親のいない子供ばかりで、いずれ養子として迎えてくれる家族を待っています。その日も、インド国内はもとより外国からも何組もの夫婦がやって来ました。彼らは身元のしっかりした、健康でかわいい子どもを、シスターに尋ねながら探しています。そのなかに静かに佇んでいる夫婦がいました。ほかの夫婦が、それぞれ気に入った子どもを見つけたのを待って、シスターにそっと言いました。
 「シスター、みんなが断った子どもを私たちの養子にさせてください」

 このエピソードは私たちにクリスマスの大切な心を語りかけてくれます。神さまは、この世にいのちを受けた子どもたちすべてが、無条件で受け入れられ、育てられることを望んでおられます。施設でシスターに最後に話しかけた夫婦は神さまの愛の姿といえるでしょう。
 私たちは物事に接するとき、自分の都合のいいものを選び、幸福になろうとあたりを見回し、比較します。でもそれは誤りです。自分の都合に合わせて幸福を測っているかぎり、ほんとうの愛に出会うこともないし、神さまの愛に気づくこともないでしょう。
 神さまが教えてくださる愛は、与える愛、受け入れる愛、理解する愛です。私たちがみんなから断られても、また、私たちが神さまの愛を断ったとしても、神さまは私たちを無償の愛で包み、待っていてくださるのです。神さまは私たちみんなをご自分の子どもにしようとしてくださっているのです。
 では、クリスマスを生きるには、私たちはどうしたらいいのでしょうか。マザー・テレサは次のような言葉で語ってくれました。
   
   あなたと会った人が、
   会ってよかったと、よりよい気持ちで帰れるよう
   そんな接し方をいつでもしてください。
   あなたは、神さまの愛の表現になってください。
   愛が、あなたの顔にもまなざしにも
   あなたのほほえみにも、挨拶にも
   いつも表れているように。
   子どもたちにも、貧しい人たちにも、
   身も心も悩む人たちにも、
   明るいほほえみをいつも絶やさないでください。
   ただお世話するのではなく、
   あなたの心を人にささげてください。

           アルド・プチリアニ(「カトリック生活」1992年12月号より)

2016年12月24日

#77 2学期の終わりを迎えて

 大牟田市内の中学校・高等学校は来週の22日に終業式を迎えます。私立の学校は20日に終業式を行うところもあります。慌ただしかった2学期も、まもなく終了となり、冬休みを迎えます。子供たちは一年で一番賑やかなこの時期にクリスマスや正月を楽しく過ごすことでしょう。また受験生にとって冬休みは入試前最後の自由な時間を過ごせる時期となり、特に多くの高校3年生は学校での冬季補習に参加したり、塾や予備校の冬季講習会で勉強することになります。いずれにしても、この時期の過ごし方で合否が決まると言っても過言ではありません。
 ところで1週間後にクリスマスを迎えます。今年はクリスマスイブが24日の土曜日に当たります。おそらく家族や友達と一緒に過ごす人が例年以上に多くなると思います。気象庁の予報では、しばらく異常高温注意報が出されるそうですので、外出される人は朝晩と日中の気温差に充分気を付けてください。もうすぐクリスマスがやっていきます。

2016年12月18日

#76 ボランティア募集

 現在ボランティアを募集しています。当塾での講師ボランティアではなくて、私が現在ボランティアをしている大牟田市社会福祉協議会が行っている学習支援事業でのボランティアです。
 現在大牟田市の手鎌地区公民館で毎週木曜日に午後6時から8時まで中学生を対象に英語、数学を中心に学校で習った教科書の復習や宿題の手伝い等を行っています。生徒は中学1年生12名、2年生5名、3年生1名、計18名が学んでいます。数学担当のボランティアの方は3人おり、充分対応できますが、英語担当は私一人で、生徒の増加とともに私だけでは対応が難しくなってきました。もし学習ボランティアに関心がある方は大牟田市社会福祉協議会に直接お問い合わせください。(0944-57-2519)なお交通費としてボランティア1回につき1000円が支給されます。

2016年12月11日

#75 本年度の入試合格者第1号

 大学の推薦入試が先月から始まっており、今月の中旬までに各大学から合格発表があります。当塾生も福岡大学の推薦入試を受験しましたが、見事に合格しました。本人は化学の計算問題ができなかったと言っていましたが、日頃の努力が実を結んだことになります。
 今年度当塾には他に受験生4名(中学3年生3名、高校3年生1名)が学んでおり、これからが入試本番を迎えます。今からの一日は今までの1週間に相当します。時間を有効に使い、まだ仕上げていない科目を中心に計画を立てて勉強して行きましょう。現役の生徒は冬休みを迎え、自学の時間が増えますが、それをどれだけ有効に利用できるかが合否に関わってきます。最後まで諦めずに努力した人に朗報が届きます。受験生頑張れ!

2016年12月09日

#74 運命の日

 今日から12月が始まりました。師走です。私が非常勤講師をしている学校は明日まで期末考査が実施されます。そして20日には終業式が行われます。2学期も残り3週間ほどになりました。
 さて1年前の今日は私にとって運命の一日でした。当塾の取材記事が西日本新聞に載った日です。記事の顛末はずいぶん前のこのブログ「ひつじの独り言」に書きましたが、かいつまんで言いますと、当塾を開設するに当たり、大学時代のの友人に連絡したところ、彼がフェイスブックに当塾のホームページを紹介してくれました。このHPを見た彼の教え子が西日本新聞の記者で、その縁で取材を受けたことになります。
その後2月には読売新聞からも取材を申し込まれ、2月19日の地方版(筑後版)に記事が掲載されました。(テレビ西日本からも取材を申し込まれましたが、熊本地震のために取材が延期になっています。)また小学校の友人の縁で、英語関係の書物で有名なアルク社の月刊誌English Jurnal11月号に当塾の紹介記事が載りました。(後日自己紹介代わりにこの記事をブログに載せたいと思います。)
 今思えば不思議な縁ですべてが繋がっています。もし友人がフェイスブックに当塾のことを載せなければ今頃は生徒が集まらず、生徒募集に走り回っている日々を過ごしているかも知れません。お陰様で現在12名の中高生が当塾で学んでいます。人の縁とは不思議なもので、誰と何処でどのように縁を結ぶかは誰にも分かりません。当塾も今まで様々な人々の支えにより今日に至っています。これからも人の縁を大切にして、少しでも長くこの活動を続けていく所存です。12月1日は当塾にとり記念すべき日となっています。

2016年12月01日

#73 12月に修学旅行!?

 大牟田市内の中学校では期末試験が終わりましたが、県立高校では来週の始めまで試験が続きます。また市内の私立中学・高校の多くは来週から期末試験が始まります。いずれにしても学期末試験が終了すれば、本格的に師走が始まります。
 ところで当塾に通っている中学2年生は12月上旬に奈良・京都へ2泊3日の修学旅行に行きます。私の教員経験では秋の11月前後や春の3月中旬に修学旅行に行った記憶がありますが、12月の修学旅行は初耳です。市内の高校では2月に修学旅行を兼ねてスキー旅行をしている学校があります。秋の行楽シーズンの混雑を避けるためや、地球温暖化による紅葉の時期が遅くなっていることを考慮すれば、確かに12月上旬に修学旅行を実施することは晩秋を楽しむ時期でもあり、ある意味で理にかなっているこ思われますが、引率する先生方は学年末の仕事を控え、大変なことと思います。
 他の学校行事も時代とともに実施される時期がかなり変わってきました。例えば運動会は秋の10月に行われるのが一般的でしたが、最近は5月に実施されることが多く、学校によっては梅雨前の6月初めやゴールデンウィーク前の4月末に行う学校もあるようです。いずれにしても時代や社会環境に応じた対応をしているのでしょう。今週の後半からいよいよ12月になります。クリスマス、お正月までひと月ほどになった今日この頃です。

2016年11月27日

#72 期末試験WEEK

 大牟田市内の中学校では今週末から来週前半にかけて期末試験が実施されます。当塾でも中学生たちに対して試験範囲の個所を復習プリントや予想問題プリントを使用して復習しています。また市内の多くの高校は来週から試験期間に入ります。当塾に来ている生徒には教科書の復習を中心に試験に関連した項目のプリント演習を行っています。
 中学生、高校生ともに言えますことは、学力を定着させるためには復習が一番だということです。これは中高生だけでなく、英検やTOEICを受験する人にも言えることです。英語に関しては、まず自分がどのレベルの英語力を有しているか、苦手な分野はどこか、弱点をどのように克服するか等を客観的に分析し、問題を解いて間違った個所を徹底的に復習します。これはリスニングやスピーキングにも言えることです。要するに自分が覚えていない箇所、理解不足の個所は暗記するまで徹底的に復習しないと身につかないということです。
 期末試験が終わればすぐに12月を迎えます。年末を迎え慌ただしい日々が続きます。今年も残りひと月ほどになりました。月日の経つのは本当に早いものです。

2016年11月20日

#71 ピーターラビット展

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 昨日所用で福岡へ出かけたついでに県立美術館で開催されているピーターラビット展を観てきました。今年は作家のビアトリクス・ポター生誕150周年ということで、多くの原画が展示されていました。イギリスの湖水地方を舞台としたうさぎのピーターの物語ですが、ピーターの原画以外にも絵本シリーズや作者の肖像画などが展示されています。福岡の後、仙台、大阪、広島で開催予定となっています。
 福岡は確かに九州最大の都市ですが、文化面では残念ながら都会と言い難い面があります。音楽の面では古いコンサートホールの取り壊し等により、コンサート会場が少なくなり以前ほど便利ではなくなりました。また美術面では福岡市よりも北九州市や山口市の方が有名な絵画展が開催される傾向があり、博多の商人文化と芸術が相容れない面があるのは以前から感じていました。福岡は商業都市としてはかなり成熟していますが、文化面でも様々な展覧会を招致するなど文化的な成熟が望まれます。古代においては我が国と朝鮮半島や中国文化の接点を担った福岡です。今後の地域文化の育成と発展を望みます。(ピーターラビットの絵はブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックすればご覧いただけます。)

2016年11月13日

#70 開塾1周年を迎えました

 昨年11月4日に開塾した「学習塾ニコラ」ですが、お陰様で昨日1周年を迎えることができました。特に記念行事をしたわけではありませんが、生徒たちにはハローウィンのお菓子を兼ねてささやかなプレゼントを贈りました。学習塾経営素人の私がここまで来ることができたことも、すべて御支援してくださった多くの方々のお陰と思っています。心から感謝いたします。
 現在中2から高3までの11名の生徒が当塾で学んでいます。昨年の12月に西日本新聞社が、今年2月に読売新聞社が当塾の記事を載せてくれましたが、それ以外は特に宣伝することなく、当塾の存在はまだ広く知られていません。それでも生徒が学びに当塾に来てくれているのは、すべて縁ある事と思っています。普通の学習塾と異なり、生活困窮家庭の子どもに学習する機会を与える目的で設立した当塾ですが、現在該当する生徒はわずかしかいません。当塾を必要としている子ども達にどのように学習機会を与えるかが今後の課題となっています。
 1年前を振り返ってみますと、当塾を設立することは幸運の連続でした。まず当塾の現在ある場所が借りられたのは、偶然入った不動産業者から最初に勧められた物件でした。40年近く大牟田を離れていた私にとって市内の物件は全く詳しくありません。まして学習塾に使えるほどの広い部屋になりますと物件が非常に限られてきます。そこで市内に数ある不動産業者の中で偶然入ったお店の方がとても親切で、学習塾設立の話をすると、「ここがありますよ。」と勧めてくれた物件が当塾のある場所です。5LDKの広さで、襖を取り外し2部屋を使用しています。また学習塾に不可欠な印刷機・コピー機ですが、これも偶然のきっかけで破格の低価格で現在リース契約をしています。以前使用していたM社のプリンタが故障して、修理を依頼したところ、部品の関係で修理できないとの話でした。そこで代替品の購入を営業担当の方に尋ねたところ、驚くほどの低価格でプリンタ兼用のコピー機をリースできることを知りました。そこで早速契約し、最新式のカラーコピー機をリース契約し現在に至っています。また開塾当初は1人の中学生しか入塾せず(この生徒は社協のボランティア活動で知り合った中3の生徒です。)、どうやって当塾を宣伝するかが当面の大きな課題でした。大学時代の友人に当塾を開設したことを以前メールで伝えていたのですが、彼がフェイスブックで当塾の存在を伝えたところ、それが縁で西日本新聞社から取材の依頼を受け、またその後読売新聞からも取材の依頼があり、特段の努力もせずに当塾が世間に知られることとなり現在に至っています。あまりにも順調に進んだ学習塾設立でしたが、これらのことは全て天の計らいと思っています。
 設立1周年で見えてきた課題もあります。当塾を運営するのに必要な資金は部屋の賃貸料や光熱費、コピー機のリース代等を含めて最低10万円はかかります。自分の貯金では限りがありますので、維持費を稼ぐために今年度は市内の学校で非常勤講師をしていますが、現在中高あわせて20時間(中2、高1、高2)を担当しています。塾で14時間指導していますので、週34時間生徒に教えていることになります。正直言いまして1日に2日分働いている感じです。来年度は現在勤務している学校に授業時間数を減らしていただくように依頼しています。そうしませんと体力的に続かず、また塾の宣伝活動やその他の活動に支障がきます。塾運営で現在様々な課題を抱えていますが、一つひとつ乗り越えていくつもりです。塾活動を10年間継続する予定ですが、10年後に当塾がどのような状況に置かれているか、世の中がどのように変わっているか楽しみにしています。

2016年11月05日

#69 鳥獣戯画参上!

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 昨日久しぶりに大宰府へ行ってきました、目的は現在九州国立博物館で展示公開されている鳥獣人物戯画を観賞するためです。普通の時間帯では恐らく大変混雑しているだろうと思い(実際待ち時間が1時間を超えるそうです)、9時半の開館時間に合わせて行ったところ、すでに200人以上の行列ができており、最後尾から展示入口までたどり着くのに40分以上待つ羽目になりました。おまけに入り口近くで待たされることおよそ20分、加えて立ち止まって観賞するころができず、ゆっくり歩きながらの鑑賞となってしまいました。それでも一見するに値する名作と思います。
 個人的にはこの鳥獣戯画は美術作品というより日本の漫画の原点と言った方がふさわしいと思います。平安・鎌倉時代より人々が漫画を楽しんできたということでしょう。現代の漫画ブームの原点となる名作です。11月20日まで公開されていますので、鳥獣戯画を見に行こうと思っていらっしゃる方は待ち時間覚悟の上、ぜひご覧ください。(鳥獣画像の写真はブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックすればご覧いただけます。)

2016年10月30日

#68 ほのかな甘い香り

 久しぶりのブログの更新になります。前回のブログに書きましたが、現在勤務している学校の中間考査の採点と成績評価に時間がかかり、本日10日ぶりの更新になります。
 さて本日のタイトルにもなっていますが、ここ1週間ほど市中にほのかなあまい香りが漂っています。昨日の雨で香りが少し消えましたが、それでも甘い香りがそこはかとなく漂っています。お判りでしょうか?この季節に一番ふさわしい木犀の花の香りです。福岡市に住んでいた頃はそれほど感じませんでしたが、大牟田市内を歩くたびに甘い香りがしてきます。確かに住宅地を歩いていますと、各家々の庭に金木犀や銀木犀など大小様々な木犀が植えてあり、それがいっそう甘い香りを引き立て、秋の風物詩となっています。先月は彼岸花が咲き乱れていましたが、今は色鮮やかなコスモスが咲き乱れています。10月も残り1週間となりました。秋の花が咲き乱れる今日この頃です。

2016年10月23日

#67 中間テスト真っ最中!

 先週の台風一過以来朝夕はめっきり涼しくなりました。特に早朝は長袖が必要なくらいの20度以下の気温まで下がります。昼間でもここ2,3日爽やかな風が吹いて、秋日和が続いています。
 さて今週大牟田市内の中学校では中間テストが実施されています。当塾でも希望する生徒にテスト対策を行いました。また私事ではありますが、今年度市内の学校で非常勤講師として昼間勤務していますので、試験問題作成やその採点に現在追われています。
 ところで試験に出題するポイントは決まっています。その課で扱われている文法項目や重要表現は必ず試験に出されます。また本文で扱われている単語や熟語が必暗記項目です。特に英語は反復練習が必要な科目ですので、時間をかけて理解する必要があります。もし高得点を取りたい人は自分が問題作成者になって本文を読めば、どこが重要ポイントか分かります。友達と一緒に試験問題を考えてみるのもよいでしょう。中間テストがまだ終わっていない人は健闘を祈ります。

2016年10月13日

#66 大牟田にオノ・ヨーコが...!?

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 10月になりましたが、まだ蒸し暑い日々が続いています。来週にはまた台風が九州に接近、上陸する動きを見せています。最近毎週のように台風が日本に近づいていますが、台風が接近する地方の皆様は充分な防災の準備をお願いします。
 さて今日は面白い記事を見つけましたのでお知らせします。大牟田・荒尾地区中心に配布されている情報誌「しっとんね」に載っていた記事「大牟田の歴史秘話」ですが、亡きジョン・レノンの妻オノ・ヨーコが大牟田と深いつながりがあるそうです。オノ・ヨーコが柳川出身であることは以前聞いていましたが、まさか彼女が大牟田と深い縁があることをこの記事を読んで始めて知りました。(詳しくは記事の添付写真をご覧ください。ブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックすると写真が出てきます。)
 この記事によるとオノ・ヨーコの祖先小野家は代々柳川藩の家老で、その小野家の菩提寺が大牟田にある慧日寺(えにちじ)というお寺だそうです。私はこのお寺にまだ行ったことがありませんが、新幹線の新大牟田駅の近くにあります。この記事にお寺の境内にある掲示板にジョン・レノンとオノ・ヨーコの肖像画が描いてある掲載写真載っています
 言いかえれば、オノ・ヨーコ=ジョン・レノン=ビートルズの関係が見えてきます。ということは、「大牟田とビートルズがどこかでつながっていた」とも言えそうです。(かなりの論理的飛躍ですが...)今日はちょっとしたトリビアでした。

 

2016年10月02日

#65 秋日和

 今日は朝から薄日の射す一日でした。昼間は30度まで気温が上がり、晩夏のように半袖で過ごせる午後でしたが、9月末となり、さすがに朝夕は涼しくなってきました。9月も残り1週間となり、もうすぐ10月になります。本格的な秋の始まりです。あぜ道や川の土手には曼殊沙華(彼岸花)が咲いています。空を飛ぶトンボの数も増えてきました。
 故郷大牟田に帰って一年が過ぎました。40年近く故郷を離れていましたので、故郷というより何か新しい町に引っ越してきたような気がしています。今日の午後は買い物ついでに小学生の頃いつも遊んでいた公園や場所に行ってみました。40年以上も訪ねていませんでしたが、不思議に行く道を覚えているものです。お寺の境内や遊んでいた広場はまだそのままに残っていました。そこは時の経つのを忘れているかのように昔のままでした。確かに周囲には新しい住宅が増え、街並みも少しずつ変わってきていますが、それでも古い石垣はまだ当時のままです。時々夢の中に旧友と遊んでいた場面が出てきますが、昔の思い出が夢の中に出てくるのでしょうか。何か不思議な気がします。久しぶりに穏やかな一日でした。

2016年09月25日

#64 貧困、胎児に深刻な影響 妊婦の疾病、割合高く 5病院調査

 今日は秋分の日です。朝から小雨が降るあいにくの天気ですが、お彼岸の日に墓参や散策などで休日を過ごしている方々が多いと思います。確かに秋分の頃になりますと、「秋の日はつるべ落とし」と言われますように、日没が早くなってきます。ついひと月前には日没が午後7時を過ぎていましたが、最近は6時15分頃に日が沈みます。これからは次第に昼間が短くなり、福岡では冬至前後には午後5時10分頃に日没を迎えます。また日の出の時間も徐々に遅くなり、1月中旬まで7時20分前後に日が昇ります。台風一過でようやく秋めいた日々が続き、これからは過ごしやすい日が続きます。
 さて1週間ほど前のことですが、西日本新聞のHPに気になる記事がありましたので、ここに引用したいと思います。タイトルにありますように貧困が教育だけでなく妊婦にも影響している記事です。危惧されていたことが現実になっています。深刻な内容です。

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経済的に貧困状態にある妊婦は、糖尿病や性感染症を患っている割合が高く、おなかの子に健康被害が生じる危険性があることが、千鳥橋病院(福岡市博多区)など5病院の共同調査で明らかになった。食の偏りや予防接種を受けないなど、貧困と幼児期に関する調査は行われているが、胎児期から影響を及ぼしていることを示したデータはほとんどない。関係者は、妊娠初期からの早期支援の必要性を訴えている。
 調査は2014年4月~15年3月、千鳥橋のほか、あおもり協立(青森市)▽川崎協同(川崎市)▽耳原総合(堺市)▽沖縄協同(那覇市)の各病院で、出産した母親1290人と担当医を対象に実施。このうち収入が判明した677組を、国の基準に当てはめ、貧困群(293世帯)と非貧困群(384世帯)に分けて比較した。
 その結果、妊娠時に糖尿病や予備軍の耐糖能異常と診断されたのが非貧困群2・8%に対し、貧困群は5・4%と割合が高かった。貧血も貧困群の24・2%(非貧困群16・1%)で見られた。妊婦の糖尿病や貧血は、早産や子どもの低体重、先天性奇形に影響するとされる。子どもにも感染しかねないクラミジアや梅毒などの性感染症は非貧困群の1・2%に対し、貧困群の7・9%が患っていた。「妊娠時に喫煙していた」は非貧困群が25・3%、貧困群は37・6%。
 一方、赤ちゃんの状態は、放置すると脳に障害を及ぼしかねない低血糖が、貧困群で3・1%(非貧困群0・8%)に見られた。低血糖は、糖尿病や耐糖能異常の母から生まれた子に起きやすい症状の一つとされる。体重や感染症の有無に有意差は見られなかった。
 1カ月健診では貧困群の14・6%が「問題あり」と診断された(非貧困群8・0%)。内容は、母の育児放棄や育児不慣れが最多の9・4%、母の精神疾患2・8%、パートナーから母へのDV1・0%だった。
 貧困群では、中絶歴や10代での妊娠歴がある母親がいずれも4人に1人と高かった。13・7%が母子家庭で、8・4%は結婚歴がなかった。母親の最終学歴は中卒や高校中退が25・4%(非貧困群9・2%)を占め、低学歴が若年出産や未婚での出産といった不安定な育児環境につながっている傾向もみられた。
 担当した千鳥橋病院の山口英里医師(小児科)によると、欧米の調査で貧困が早産や低体重児の可能性を高めることが分かっているが、日本では収入の把握が難しいという。山口医師は「子の健康格差が学力や就労の格差につながりかねない。貧困の連鎖を止めるために、生活改善など妊娠初期からの支援が必要だ」としている。
=2016/09/14付 西日本新聞朝刊=http://www.nishinippon.co.jp/feature/tomorrow_to_children/article/274501

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以上の記事を読まれて皆さんはどのように思われるでしょうか。貧困の問題は国民の経済問題だけでなく、健康や身体にも影響しています。ボクシングに例えるとジャブのパンチが徐々に聞き始め、ついにはダウン(国家破綻)ということになりかねません。そうならないように、できるところから始める必要がある深刻な問題です。


追伸 4月より平日に非常勤講師の仕事をしている関係で、ブログの更新が週に1回ほどしかできません。ブログの更新が遅々として進みませんが、読者の皆様は何卒ご辛抱ください。

2016年09月22日

#63 日本、33カ国中32位=教育への公的支出割合-OECD

 台風から変わった低気圧や秋雨前線のせいで各地で大雨が降っています。ここ大牟田でも昨日の夜から雨が降り始め、これまでに72mmを超える雨量を記録しています。週明けにまた台風も近づきますので、台風の進路にあたる方々は充分ご注意ください。
 さて今日(9/18)の時事通信社のHP「時事ドットコム」に次のような記事が載っていましたので引用します。

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経済協力開発機構(OECD)は15日、2013年の加盟各国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出割合の調査結果を公表した。日本は3.2%と7年ぶりに最下位を免れたものの、比較できる33カ国中ハンガリー(3.1%)に次ぐ32位にとどまり、OECD平均の4.5%も下回った。
 33カ国の中で最も高かったのはノルウェーの6.2%。次いでデンマークの6.1%、ベルギー、フィンランド、アイスランドが各5.6%で、欧州の国々が上位を占めた。
 大学など高等教育への支出を公費で負担している割合は、日本は35%で、韓国(32%)に次いで2番目に低く、大部分を私費で負担している実態が明らかになった。OECDは、日本では高等教育への需要が高いにもかかわらず、公的支出が少ないと指摘した。(2016/09/15-18:39)(http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091500787&g=soc)
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 以前にもOECDにおける我が国の教育支出が低いと論評しましたが、今回も相変わらず政府は教育に対して少しも熱意が感じられません。不要な出費は湯水のごとく使いますが、本当に必要な分野に対しては出費を渋る態度には呆れてものが言えません。国家百年の計として何が大切か全く分かっていない。資源のないこの国は優れた人的資源を生み出していくしか国が存続する手段はないのです。官僚も政治家も私欲のことしか考えず、将来の国家に対して自ら責任を取ろうとしません。この国の大きな欠点の一つとして、事が起これば誰が責任を取るのか曖昧です。東電の福島原発事故もしかり、昨今騒がれている東京都の豊洲市場の土壌問題もしかりです。責任者が誰なのか曖昧で、誰も責任を取ろうとしない。公共団体も民間企業も、また教育現場も事が起こればすべて部下に責任を押し付けて、責任を取らなければならない当事者がのうのうと生きている時代です。嘆かわしい限りです。

2016年09月18日

#62 小さい秋見つけた

 昼間はまだ30度を超す残暑が続いていますが、それでも朝夕はかなり涼しくなってきています。特に朝は20度を下回る日々が続いており、先週の台風の影響でしょうか、台風一過後に蒸し暑い大気が乾いた涼しい空気に入れ替わり、すでに秋の気配が感じられます。大牟田市内の国道208号線沿いには多くの花壇が設置してありますが、夏の花壇からすでに秋の花壇へと模様替えしています。最近ではトンボの姿も多く見かけるようになりました。夜には秋の虫の声も響いています。またスーパーマーケットにはスイカの姿が消えて、ナシやリンゴなどの秋の果物が棚に並んでいます。小さな秋がやってきた今日この頃です。

2016年09月11日

#61 2学期が始まりました

 2学期が始まりました。大牟田市内の中学校は8月29日からすでに新学期が始まっています。残暑とはいえ猛暑の中での新学期です。大牟田市内の小学校にはエアコンが付いていませんので、暑さの中での始業式だったと、知り合いの小学校の先生が話していました。
 一昔前はお盆を過ぎると涼しい風が吹き始め、蝉も種類が変わり、ヒグラシが「オーシンツクツク…(またはツクツクホーシ…)」と鳴き始め、夏の終わりを感じたものでしたが、昨今では9月の中旬まで猛暑が続くこともあり、あいまいな晩夏と初秋になってきました。実際、今年初めてヒグラシの鳴き声を聞いたのは8月末になってからのことでした。
 とにかく2学期が始まりました。学校では様々な行事が予定されており、子供たちにとってまた忙しい日々を迎えることになります。当塾では生徒たちの学校行事に従って授業が変更されます。子供達には元気で熱い残暑を乗り切ってもらいたいと思います。
 また台風12号の接近に伴い明日(9/5)は福岡県内の多くの学校が休校となりました。被害が出ないことを祈るばかりです。なお当塾は台風の通過ならびに警報解除が午後早い時間と予測されますので、明日の授業は実施する予定です。

2016年09月04日

#60 去りゆく夏?

 低気圧のせいで今日は朝から雨が降っています。おそらく大牟田では夕立を除き、今月初めての雨だと思います。それほど干天の猛暑が続いたことになります。また週明けは台風10号の接近・上陸が予想されますので、特に関東、東北地方にお住まいの方は十分ご注意ください。
 ところで一昨日辺りから夜に虫が鳴き始めました。コオロギか鈴虫か、虫の種類は分かりませんが、明らかに秋の虫の鳴き声です。また空の雲の種類も変わってきました。入道雲の中に巻雲(けんうん・すじ雲)が混ざっています。日中はまだ35度を超す猛暑が続いていますが、それでも早朝の空気には秋を感じさせる涼しさが加わり、虫の音も聞こえ、少しずつ夏の終わりが近づき、秋の気配が感じられる今日この頃です。

2016年08月28日

#59 オリンピックとドーピングとカンニング

 リオ・オリンピックも日本時間の明日(8/22)閉会式を迎えます。獲得したメダルの数にかかわらず日本選手の活躍は見事でした。特に水泳や、卓球、バドミントンなどの種目で金銀銅メダルを獲得することは一昔前では考えられなかったことです。各選手の日々の血のにじむ努力が実を結んだことと思います。4年後はいよいよ東京オリンピックです。今回以上の日本選手の活躍が期待できます。
 ところでドーピング問題が今回のオリンピックでも問題化しています。過去においては国家主体のドーピングが問題となり、WADA(世界アンチドーピング機関)は今回のオリンピック前にロシアが組織的にドーピングをしていたことを告発しましたが、IOCのあいまいな態度で結局ロシアがリオに参加することになっています。また陸上競技で一世を風靡した中国の馬軍団ですが、組織的なドーピングをしていたことが明らかになっています。選手が拒否したにもかからわず、コーチが強制的にドーピングをさせていたそうです。
 これほどまでにドーピングが行われている背景にはいくつかの理由が考えられます。まず組織的なドーピングは国家の威信や競技団体の名声などに得るためと考えられます。つまり不正を行っても他国に勝ちたいという偽我(醜い心)の存在です。また選手個人はオリンピックや世界大会でメダルを獲得することで、名誉と金銭が手に入ります。純粋にスポーツに勤しむのではなく、あくまでも我欲のため、ビッグマネーのためにドーピングを行っているのです。一昔のオリンピックはアマチュアリズムと平和の祭典でした。ところがオリンピックの商業化やプロ選手の参加により、オリンピックの精神が変貌していき、今日に至っています。
 このドーピング問題に関しては我々一人ひとりにも言えることです。卑近な例では試験での不正行為です。特に入学試験や検定試験での不正行為(カンニング)フェアプレイに反する行為です。何とかして他人よりも上に立ちたい。そのためには手段を選ばず、他人を蹴落としても上に立ちたい、という醜い精神の現れです。もちろんフェアプレイの精神で正々堂々と闘うのであれば称賛に値しますが、その真逆の精神です。これが拡大して究極的には国家同士の争い、戦争につながります。人間の持つ一番醜い心です。何事もフェアプレイに徹したいものです。

2016年08月21日

#58 暑い・熱い夏

 今年の夏は例年よりも暑い・熱い夏が続いています。以前にも書きましたが、久留米では連日37度を超える猛暑が続いています。ここ大牟田でも本日は最高気温37.5度を記録しました。温風ドライヤの風を全身に浴びているような1日でした。
 ところで高校野球や大リーグのイチロー選手、オリンピックなど連日賑やかな話題が続いています。特にリオ・オリンピックでの日本人選手の活躍には尊敬に値します。メダル獲得の有無にかかわらず、日本代表として堂々とプレーする姿には私たちの胸を打つものがあります。各選手は全力を出して悔いのない闘いをしてもらいたいものです。
 ところで高校インターハイが山口県で行われましたが、地元大牟田の明光学園高校ハンドボールチームが見事全国2位になりました。創部わずか3年目の快挙です。また当塾の中学3年生2人が全国中学水泳大会の代表として出場します。朗報を期待したいところです。
 このように国内外でスポーツをはじめとする様々なイベントが行われています。イベントの大小にかかわらず、何事も努力することが大切だと私たちに教えてくれます。ある意味ではスポーツも芸術も勉強も同じです。日々の努力を最後まで継続した者が栄冠を手にすることができます。もちろん才能や運も必要ですが、運を味方につけるのは努力以外ありえません。まだまだしばらく暑い・熱い夏が続きます。暑さ対策をしてご自愛ください。

2016年08月11日

#57 ポケモンGO訴訟問題

 毎日猛暑が続いています。昨日は所用で久留米に行きましたが、まるでドライヤーの熱風のような風が吹いていました。久留米はここ数日35度を超える日々が続いています。室内でもエアコンを使用するなど熱中症にならない対策が必要です。
 さて本日のニュースで気になるものがありました。Bloombergのニュースを少し引用します。
 「スマートフォンゲーム「ポケモンGO」をプレーしている人がポケモンを捕らえようと自宅の裏庭に侵入しようとしているとして、米ニュージャージー州在住の男性が同ゲームを開発した米ナイアンティックと任天堂を提訴した。全米で配信されているポケモンGOをめぐり両社が訴えられる初の訴訟とみられている。」
 私はポケモンGOが登場した時よりおそらくこのような問題が発生するのではないかと危惧していました。確かにポケモンGOは新しい感覚のゲームで、バーチャルリアリティとスマホを利用しています。私はスマホを持っていませんが、電車やバスの車内でゲームに熱中しているあらゆる世代の人々が目につきます。このポケモンGOもそのようなゲーマーを狙って開発されたものでしょう。
 このゲームの問題点はゲーム会社が場所をわきまえず勝手にポケモンを登場させて、入ってはならない場所にゲーマーを誘導することです。今回の訴訟問題が世界中で行われることになり、裁判で敗訴するようなことになればゲーム会社は倒産する恐れが出てきます。
 ゲーム会社だけでなく、すべての企業や国を始めする公共団体は社会に対して道義的責任があります。金儲けのために何でもやっていいということではありません。「やっていいことと、やってはいけないこと」の判断が必要となります。勿論この規範は個人から国家、国際社会まで適応されます。この規範がないがしろにされた結果、個人間の諍いや国家間の紛争が発生することになるのです。また環境問題もすべて私たち人類が引き起こした問題です。何が正しいか、間違っているか、私たち一人ひとりが考える時期が来ています。

2016年08月03日

#56 東京都知事選と偏向報道?

 明日(7/31)東京都知事選が行われますが、この選挙に関する報道番組やニュースを見て奇妙に感じることはある候補者3名のみに焦点が当たり、他の候補者の選挙公約にはほとんど触れていないことです。昨晩のテレビニュースでは他の候補者にも簡単に触れていましたが、これでは偏向報道と言われても仕方ないでしょう。
 首都圏のニュースを当地では見ることができないので、東京で放送されている選挙報道の詳細は分かりませんが、おそらく東京のNHKでは候補者全員の政見放送をしているものと推察します。しかし莫大な年間予算を有する東京都の都知事選挙は関東圏のみならず全国に影響を及ぼすので、地方の人々も各候補者の公約や選挙運動を観察する必要があります。
 おそらくテレビに出演していた候補者の3名のうち誰かが次期都知事になると思いますが、選挙前の各テレビ局の放送内容次第ではそのテレビ局が間接的に誰を応援しているかが分かります。つまり意識的に選挙民を誘導していることになるのです。ここにマスコミが持っている巨大な権力の恐ろしさが潜んでいます。賢い都民の人々は候補者の人気取りの言葉に酔うことなく、誰が都政を堅実に運営できるかを熟慮して一番ふさわしい候補者を次期東京都知事に選んでいただきたいものです。

2016年07月30日

#55 大牟田の夏祭り

 先週末(7月23日と24日)に行われた大牟田の夏祭りですが、昨年まで福岡市に住んでいたために故郷の夏祭りを長い間見たことがなく、およそ40年ぶりに勇壮な大蛇山を目にしました。大牟田の中心部である大正町周辺に市内の代表の大蛇山が集まり(六山と呼ばれています)、昼間は閑散としている通りですが、身動きができないほどの人だかりができていました。大蛇山は市内の各神社で制作され、氏子たちが山車を引っ張り祭り囃子を奏でながら各地区を練り歩きます。山車の前後には紙でできた大蛇の頭と尾が取り付けられています。また山車の中には太鼓や鐘があり、それで囃子を奏でます。また大蛇の口からは花火を吹き出し、まるでゴジラのような雰囲気を醸し出します。
 福岡市ではこの時期に勇壮な祇園山笠があり、櫛田神社を出発点とする山笠を担いで競争する祭りがあり、多くの観光客が集まります。ただ私は40年近く福岡市で暮らしましたが、一度も山笠を見に行ったことがありません。おそらくそれは幼い頃に大蛇山の奏でるリズムが体に染み込んでおり、故郷の祭り以外はあくまでも異郷の祭りのような気がしているからです。
 全国各地にその土地を代表する祭りがあり、その土地の長い伝統を伝えています。郷土再生の一環として新しい祭りを創生する市町村もありますが、故郷の伝統や民話、祭りなど、いつまでも大切にしてもらいたいものです。

2016年07月27日

#53 夏休みが始まりました

 1学期も昨日で終了し、大半の学校は今日から夏休みです。小学生の子供たちは久しぶりに学校から解放されて一日中友達と遊び回るることでしょう。お母さんたちは一日中子供たちがいるので、食事の準備に追われたり、子供の世話に悩まされることでしょう。
 一方では中学生や高校生は部活動や夏季課外授業、補習が待っています。当塾に来ている中学生の中には夏休みの最初の1週間は自学形式で午前中学習をさせる学校もあります。また中3や高3の受験生は夏休みの過ごし方で志望校が決まると言えるでしょう。受験生にとり「暑い休み」となります。いずれにしても夏休みが始まりました。

2016年07月21日

#54 梅雨明けと海の日

気象庁の発表によると本日九州地方が梅雨明けしました。先月初めの入梅以来例年になく大雨が降り続き多くの災害が発生しましたが、ようやく梅雨が明け真夏がやって来ました。所用で昼間外出しましたが、自転車で移動した際にはまるでドライヤーの熱風を体中に浴びているようで、熱中症になるような気温でした。 今日は海の日ですが、海といえば海水浴を思い出します。大牟田市には以前三池港の近くに三池海水浴場がありました。現在は様々な理由で閉鎖になっていますが、私が子供の頃は多くの海水浴客で賑わっていました。今の砂浜は当時の面影が全くないほどに寂れています。 夏休みになると市内にあります「延命プール」に友達と泳ぎに行ったものです。泳いだ後で食べるかき氷やたこ焼きの味は今でも忘れることができません。このプールは大牟田市動物園の近くにあり、今でも営業を続けています。市内唯一の公共プールとなっています。市内の子供たちは20日に終業式を迎え、本格的に夏休みが始まります。

2016年07月18日

#52 蝉の声と祭囃子

 ここ一両日不安定な天気が続いてますが、今週の初めは梅雨明けしたような真夏の晴天が続きました。また至る所で蝉が鳴いています。今朝は蝉の声で起こされました。蝉の声で思い出しますのは、私が以前勤めていた学校でテニス部の顧問をしていた頃のことです。部活動は9時から12時まで毎日行っていましたが、朝から鳴いていた蝉が11時を過ぎると不思議に鳴かなくなります。そして午後4時近くになるとまた鳴き始めます。蝉が真夏の暑さを感じているか分かりませんが、暑さのためにおそらく昼寝でもしていたのでしょうか。他の場所でもこのことが当てはまるか定かではありませんが、真夏と蝉時雨はどこへ行っても日本の風物詩だと思います。
 また7月と8月は日本中で夏祭りが行われます。昨日所用で福岡に行きましたが、博多駅前には巨大な飾り山笠が飾ってあり、道行く人々も足を止めて見入っていました。ここ大牟田では7月23、24日に大蛇山の夏祭りが行われます。地元の伝統的な祭りで、大蛇山の山車が市内を練り歩きます。私は福岡市で40年近く暮らしましたが、山笠を一度も見に行ったことがありませんでした。山笠は博多っ子の大きな夏祭りですが、あくまでも「他所の祭り」といった気がしていました。それはおそらく地元の大蛇山の祭囃子が体に染み込んでいるからでしょう。幼い日から耳にしてきた祭囃子の拍子は心の奥まで染み込み、それが心の原風景になっていると思います。同様に幼い頃に聞いた童謡や唱歌も自分の音楽の原点となっています。皆さんの故郷ではどんな夏祭りがあるのでしょうか。故郷の祭りや伝統はいつまでも大切にしていたいものです。

2016年07月10日

#51 アクセス数が2,000を超えました

 昨年の11月に開塾した学習塾二コラですが昨日アクセス数が2000を超えました。ホームページ(HP)自体は10月下旬に立ち上げ、ページ数を増やしつつ開塾に向けて準備を進めていました。12月初旬に地元の新聞に当塾の記事が載った以外は特に塾の宣伝しているわけではありませんが、それでも開塾8か月ほどでHPページ訪問数が2000回を超えたことになります。HPの管理者としては、どんな人がアクセスしているか全く見当が付きませんが、それでも少しずつアクセス数が増えていくのは嬉しいことです。
 今年度は昼間市内の高校で非常勤講師をしている関係で、HPの更新が週1回程度になっています。それでも地元の近況や昨今感じた事などを少しづつブログに載せていきたいと思っています。拙い文章ですがお楽しみください。
 ここ大牟田は今日も激しい雨が降り続いています。すでにこの3日間で500mmを超えたそうです。梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。

2016年06月29日

#50 梅雨の晴れ間に

 今日は久しぶりに晴れた一日でした。先日まで土砂降りの日が続き、ここ大牟田では1日に400mmを超える大雨の日もありましたが、今日は一転して気温もそれほど高くない湿度の低い爽やかな一日でした。
 以前オーストラリアのシドニーで3年ほど暮らしましたが、シドニーの人々は今日のような天気をシドニー・ウェザーと呼んでいます。オーストラリアは乾燥大陸で、アウトバックと呼ばれている内陸では真夏は50度を超える日が続きますが、海の近くの町では爽やかな海風が陸地に吹き込み、日本の夏のようなじめじめした夏と異なり、木陰に入れば涼しいひと時を過ごすことができます。ただ乾燥していますので、夏は山火事が至る所で発生し、広範囲に被害が広がることもあります。
 先住民であるアボリジニーは大規模な山火事を防ぐために、少しずつ木々を倒して住処を守ってきました。現在はそのようなことをしていませんので、一度山火事が発生しますと大規模になる可能性があります。私もシドニーに住んでいた頃に地元の大学院で学んでいましたが、図書館で勉強していた時にふと目を外にやると近くの林が燃えていたのに気づいたことがあります。オーストラリアの森林は多くがユーカリの木で、油成分を多く含みますので、摩擦や熱ですぐに燃えやすくなります。
 今日のような爽やかな日にオーストラリアの夏を思い出しました。

2016年06月26日

#49 期末テストに向けて

 大牟田市内の公立中学校は来週から期末テストが始まります。当塾に来ている生徒たちはテストが終了するまでしばらく当塾の授業を休みます。また高校生たちは再来週から期末試験が始まりますが、科目数が多いので大半の生徒は早めに塾を休んで試験勉強をすることにしています。特に当塾の高校3年生は推薦入試を視野に勉強するようにアドバイスをしていますので、どの科目も頑張って評定平均値4.0以上を確保するように激励しています。期末試験が終わるまで生徒たちは来塾しませんが、この間は私にとってささやかな休憩のひと時となります。期末試験が終われば、次の英語のレベルに向けて生徒たちは一生懸命に英語に取り組むことになります。また中学3年生や高校3年生は受験に向けてより一層の努力が求められます。いずれにしても梅雨の後半を迎え、期末試験がはじまります。暑い夏はすぐそこまで来ています。

2016年06月19日

#48 梅雨の中休み

 気象庁が九州地方の入梅宣言をしてから1週間ほど経ちますが、この数日間晴天が続いています。昨日は遠くに見える山々に沿って入道雲が出ていました。まるで梅雨明けのような晴天でした。今日は所用で福岡市に行ってきましたが、30度を超す真夏のような暑さでした。ただ湿度が低かったので、湿気が体にまとわりつくようなことはありませんでした。
 ところで、生まれ故郷の大牟田に戻って1年ほどが過ぎようとしていますが、ここの田舎の生活に慣れてきたからでしょうか?福岡の生活が騒々しく感じられます。大牟田で歩く速度に比べて人や車の慌ただしさは目を見張るものがあります。この街で40年近く暮らしてきましたし、福岡の生活ペースに慣れていたのですが、今では不思議に都会の慌ただしさについていけなくなった自分を感じています。
 若い頃は都会にあこがれ、東京での生活を夢見たこともありましたが、年を取るにつれて故郷の良さを今更再認識しています。故郷を離れて一生遠くで暮らす人もおり、生まれた故郷で一生を終わる人もいます。また故国を離れ海外で生活をする人もいます。まさに「故郷は遠きにありて思うもの」です。

2016年06月11日

#47 命の動物園

 先月のことになりますが、NHKで大牟田市動物園の様子が放送されていました。『大牟田市 動物園は、福岡・熊本両県の境の町・大牟田市の ほぼ中央にある「延命公園」内にあります。動物園は翌昭和16年(1941年)10月に「延命動物園」という名前で開園しています。市民に72年間も愛され続けている動物園です。』(大牟田市動物園HPより抜粋) 

 当塾から歩いて5分ほどの距離にある動物園ですが、人間と同じ年を取った動物が多く暮らしています。NHK「にっぽん紀行」では亡くなったカンガルーを中心に年老いた動物の介護を特集していました。おそらく野生で暮らしていればそんなに長生きしていなかったと思われます。野生の動物は生活環境が厳しく、食事ができなかったり、動けなくなった段階で他の動物に食べられたり死を迎えることになります。動物園にいる動物はえさの心配は不要で、命の保証はされていますが人間と同じ老いに直面します。 

 この番組を見ながら動物園で暮らしている動物がはたして幸せなのか考えさせられました。同時に高齢者の介護の問題も改めて考えるきっかけとなりました。すべての人に見ていただきたい番組でした。なお大牟田市動物園を詳しく知りたい方は動物園のHPをご覧ください。

2016年06月05日

#46 新形式TOEIC評

 本日新形式のTOEICを受験しました。旧形式と異なり設問7の長文問題が増えています。また従来は問題文が2つあるダブルパッセージも変更され、問題文が3つあるトリプルパッセージも登場しました。つまり問題量が増えたわけですが、個人的な感想としては読みにくい英文が少なくなったような気がしました。速読に慣れていれば新形式の方が解きやすい気がしています。
 ところで、ここ数年間にTOEICを入社試験や昇進試験にする企業が増えています。そのために各大学でTOEICの講座を開くなど、その対策に追われている現状です。確かに企業としては試験の結果が点数で示されるTOEICを重視する気持ちも分かりますし、日本人のコミュニケーション能力も少しは上がるでしょう。しかし英語力はTOEICが全てではありません。相手の意見を聞き、自分の考えを英語で伝えるのが本当の英語力と言えます。そのために客観的な英語力を試すのが英検やTOEICを始めとする検定試験ですが、それぞれ長所や短所があります。自分の目標にあった試験を受験しましょう。

2016年05月29日

#45 初夏の訪れ

 今週は全国的に夏日を迎え、北海道でも30度を超える地域が出たそうです。確かに早朝は涼しいのですが、午後25度以上になる日が続いています。ただ湿度が低いので爽やかな夏日が続いています。沖縄地方はすでに梅雨入りをしましたので、九州地方もあと半月ほどで梅雨の季節を迎えます。大雨が降れば熊本地震で被害を受けた地域が心配です。仮設住宅の早期建設が望まれます。
 ところで日本の夏日より深刻なのがインドです。インドでは現在50度を超える日が続いており、その影響で数百人の死者が出ているようです。昨年の日本は猛暑続きでしたが、今年の夏がどうなるか少々心配しています。

2016年05月22日

#44 新緑の季節と体育祭

 新緑の季節を迎え、さわやかな風が吹いています。毎日それほど暑くもなく、寒くもなく一年で一番過ごしやすい季節にだと言えます。最近ではこの時期に運動会や体育祭を実施する学校が増えています。当塾に参加している生徒たちも今週末に体育祭が予定されています。ただ紫外線が強い時期でもありますので、十分な対策は必要でしょう。
 運動会と言えば以前は秋に行われていました。私が小学校の頃には毎年10月に運動会が実施され、当時は家族揃っての一大イベントでした。観戦するため多くの家庭が早朝からゴザを片手に小学校のグラウンドに場所取りに行ったものです。生徒は日頃の練習の成果を見せるために張り切って運動会に参加していました。最近では組体操の段が10段を超えることもあり、骨折などのけがをする児童が続出していますが、当時は4段が最高でした。
 時代は変わっても運動会に対する期待や不安は今も昔も変わりないと思います。運動ができる子供は晴れの舞台として、苦手な子供はそれなりに頑張って家族全員が楽しむことができた一日でした。

2016年05月14日

#43 子どもの日と立夏

 今日5月5日は子どもの日です。また暦の上では立夏になります。確かにここ数日最高気温が25度を超える日が続いており、空気は乾いていますが、外を歩くと日焼けするような強い日差しがあります。本日でゴールデンウィークも終了し、明日から普通の生活に戻ります。
 子どもの日に相当する休日が海外にあるかどうか知りませんが、現代の日本の子ども達他国の子どもに比べて恵まれていると思います。生まれた国や地域によっては生存競争に晒される子供もおり、強制労働に駆り出される子供もいます。その意味ではこの国の子どもは幸せだと言えます。ただし家庭内暴力や校内のいじめ、毎日習い事へ駆り出されるなど、別の意味において子供たちに試練が待っています。
 私が子供の頃は小学生が塾通いしているのは珍しいことでした。もちろん算盤や習字などを習っている子供はたくさんいましたが、進学のために塾通いに追われている子供はいませんでした。時代の要求に合わせて家庭生活も変化していきます。10年後、20年後にどのような世の中になるか誰も予測できません。子供達も時代に応じて生き方を変えていきます。子供たちが生きやすい世の中にするのは現在の大人たちの責任です。大人が幸せにならなければ、子どもの将来はありません。住みやすい世の中を作っていきましょう。

2016年05月05日

#42 母校の移転

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 今日からゴールデンウィークが始まりました。熊本地震の余震も少しずつですが少なくなり、このまま終息してくれれば有難いのですが、午後3時過ぎに大分の湯布院で震度5弱の余震が発生しました。熊本・大分地方の方々強い余震には充分ご注意ください。
 さて久しぶりの連休ですので、サイクリングを兼ねて母校(大牟田北高校)を訪れました。教育実習以来ですので35年ぶりの訪問になります。北高はすでに今年の4月に大牟田市北部の吉野地区に移転しましたので、旧校舎は現在使用されていません。(写真はグラウンドから見た校舎です。ブログタイトル「ひつじの独り言」をクリックするとご覧になれます。)当時自宅から自転車で30分ほどかけて通学していましたが、北高に入学した当初は西鉄電車で通っていました。東甘木駅で降りて徒歩で15分ほどかかります。北高は甘木山の中腹にあり、その麓から登り坂が続きます。「北高の女子生徒は足が太くなる」とよく言われていました。
 誰もいないと思って校門を過ぎると、陸上部の生徒たちが坂道を走っていました。顧問の先生に尋ねると新校舎は敷地が狭く、週末には旧校舎のグラウンドで練習しているとのことでした。確かに旧校舎は自然環境には恵まれています。校舎を眺めていると高校時代のほろ苦い思い出ばかりがよみがえってきましたが、それでも3年間通い続けた校舎や自転車置き場は懐かしいばかりです。あの頃は何を考えていたのだろうと時々考える今日この頃です。

2016年04月29日

#41 震災避難中の学習支援

 熊本地震発生からすでに1週間が過ぎましたが、多くの余震のために多くの学校で授業再開ができない状況が続いています。この地震はこれまで経験した地震と異なり、現時点ではいつ終息するか分からないと気象庁も言っています。そのような状況下で特に中3や高3の受験生は大切な授業を受けることができないでいます。
 確かに多くの校舎が避難先として使用されていますので、当面は授業ができないことは明白です。そこで提案ですが、青空教室のような場所を提供して頂き、テントの中で授業してはいかがでしょうか。もちろん急を要しますので、希望する受験生に学校の枠を取り払い、授業できる余裕のある先生が指導することは可能と思います。あくまでも臨時の手段として考えられるのではないでしょうか。そうすれば被災地の避難先となっている学校に迷惑をかけず、受験生も集中して勉強に取り組むことができるでしょう。地震が終息するまでの臨時措置です。熊本県下の各自治体に提案したいと思います。
 嬉しいことに被災地の高校生たちが率先して各地でボランティア活動を行っているそうです。若い力を活かして今まで以上に素晴らしい熊本を再生してもらいたいと思います。日本国内外から多くの激励や支援が被災地に集まって来ています。熊本の皆さん、もう暫くの辛抱です。くまもんが今まで以上に活躍する熊本に期待します。また熊本県だけでなく大分県も被災していますので、同じ気持ちをこめて大分県も頑張ってほしいと思っています。

2016年04月24日

#40 本震?発生

 本日の未明(1:26分頃)に本震と思われる大地震が熊本で発生しました。気象庁によると、この地震はM7.3の大きさだったそうです。阪神大震災と同レベルの規模で、熊本市内では複数のビルが倒壊し、熊本のシンボルである熊本城もあわれな姿になっています。また阿蘇でも大きな被害が出ています。
 ちょうど床につこうとした時でした。前回(4/14)の地震のように少しガタガタと音を立てるとすぐに大きな揺れが来ました。今回は2005年に福岡で経験したような揺れでした。近くに置いてあるタンスが揺れるほどの地震でした。その後およそ1時間おきに大きな揺れが襲い、結局一睡もできずに朝を迎えました。
 私が特に心配しているのは震源が東へ移動していることです。特に本日の余震は阿蘇を中心に大分まで震源は届いています。さらに正午前には日向灘でも地震が発生しています。この先余震がどのような経過をたどるのか少なからず懸念しています。大分まで揺れるとなると、中央行構造線に影響を与えるかもしれず、結果として南海、中南海地震へとつながることも考えられます。とにかく大地震はどこでも発生する可能性があります。特に余震の影響を受けている人は充分な準備をしてこの数日間を過ごしてください。

2016年04月16日

#39 平成28年熊本地震

 昨晩9時30分頃、熊本を震源とする大地震が発生しました。お亡くなりになられた方々や被災された方々にお見舞い申し上げます。
 昨晩は社会福祉協議会が行っている学習支援事業にボランティアとして参加し、その後当塾に戻って部屋を片づけているときに地震が発生しました。最初窓ガラスがガタガタと揺れて軽い横揺れが起きましたので、地震だと思って様子を見ていると、急に大きな揺れがやって来ました。立ち上がれないほどの揺れではありませんでしたが、かなり大きな地震だと直感しました。というのは私が福岡に住んでいたころに2005年の福岡県西方沖地震を経験したからです。福岡の地震は物凄い揺れでした。テレビは横にガタガタと大きく揺れ、冷蔵庫のドアが開いてしまいました。確か福岡市内では震度6だったと記憶しています。震源地に近い玄海島は大きな被害を受けました。
 昨晩は本震の後に大きな余震も続けて発生し、床につくことができずに、情報を得るためにテレビをつけながらそのまま寝てしまいました。夜に起こる災害は周囲が見えないので、いかに情報を得るかが生死の分かれ目になります。停電に備えて日頃から準備しておく必要があります。明日から天気が下り坂になるとのことです。家を失った方々はこれからの生活が大変です。一刻でも元の生活に戻れるように国や地方自治体の援助が不可欠になります。また義捐金を集める必要性も早急に出てくるでしょう。この国に住む限りは地震を始め災害に直面することが多々あります。日頃からの準備が必要だと改めて思い知らされました。

2016年04月15日

#38 新学期が始まりました

 福岡県の中学校・高等学校では本日始業式または入学式を行う学校が多く、各教室では希望に満ちた笑顔の生徒が多く見られたことでしょう。何事も最初が肝心です。特に進学した学校に慣れるために新入生はしばらく緊張状態が続きますが、自分の殻から出て一歩踏み出すための必要な期間と思いましょう。以前にもブログに書きましたが、自らをさらけ出すことでお互いの信頼感を得ることができます。新しい年度が始まりました。新しい自分を探しに前を向いて歩き出しましょう。

2016年04月07日

#37 桜花満開と父子桜

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 桜花満開の便りが各地から届いています。ここ大牟田でも様々な公園で満開の桜を楽しむ行楽客を目にすることができます。当塾から歩いて5分ほどのところに延命公園がありますが、福岡県南部唯一の市立動物園が併設されています。今朝延命公園の上にある貯水塔まで登って周りを見渡しますと、至る所に桜が咲き乱れていました。掲載の写真(「ひつじの独り言」をクリックしてください。)は貯水塔から見た桜です。遠くに多良岳(長崎県)が見えます。数日中には桜雨が降ることでしょう。
 ところで延命公園を散策していましたら、父子桜という標識が立っていましたので、近くに寄ってみました。すると標識に「伊藤整一」と書かれていました。戦艦大和の艦長で菊水作戦で出撃し戦艦大和の撃沈とともに身を捧げた方です。伊藤艦長は大牟田市の隣町である高田町(現みやま市)の生まれで、墓碑が大牟田市の北部にあります。まさか延命公園の一角に父子を祀る桜が植えてあるとは今まで気づきませんでした。
 戦艦大和は1945年(昭和20年)4月7日、沖縄への出撃中にアメリカ軍機動部隊の猛攻撃を受け鹿児島県の坊ノ岬沖で撃沈されています。また彼の長男は特攻で戦死されています。あまり知られていませんが、伊藤艦長は大牟田市に縁のある方です。戦艦大和が撃沈され今月7日で71年目を迎えます。今日満開の桜の中で、戦艦大和と伊藤艦長に不思議な縁を感じました。

2016年04月03日

#36 新年度を迎えました

 今日から新年度(平成28年度)が始まります。新社会人の方は入社式で緊張されたことと思います。仕事に慣れるまで少々時間がかかりますが、分からないことは何でも先輩方に尋ねましょう。
 新中学1年生、新高校1年生は来週入学式があります。新しい学び舎でたくさんの友達を作りましょう。中高時代の友達は一生の友達になります。自分から積極的に周囲の人に話しかけて自分を知ってもらい、友達関係を広げてください。すべての学年でまもなく新学期が始まります。何事もスタートが肝心です。新たな希望を持って学校生活を始めましょう。

2016年04月01日

#35 小さな卒業式

 当塾に通っていた中学3年生が志望校に合格したことは以前のブログ記事で述べましたが、今日は彼女のために最後の授業を行い、夜にお母様と同伴で挨拶に来ました。彼女は市外の高校へ通うために通学に時間がかかり、当塾で学ぶことができません。学校の卒業式というような大げさなものではありませんでしたが、卒業式の挨拶のようにこれからの進路や生き方について少し語らせてもらいました。当塾初めての卒業生です。彼女は看護学科のある高校に進学しますので、将来は立派な看護師になってもらいたいと思っています。

2016年03月23日

#34 臥龍梅

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 先日大牟田市内にある普光寺に行ってきました。数十年ぶりに参拝しましたが、この寺は臥龍梅(がりゅうばい)で有名です。その名前の由来は梅がまるで地面に伏している龍のように見えるために臥龍梅と呼ばれるようになったそうです。残念ながら梅の季節はすでに終わり、枝にはわずかの花しか付いていませんでした。満開の時期は2月中旬から3月上旬で、来年は満開の時期に訪れようと思います。ただ普光寺に行く途中に菜の花が咲き乱れておりで、田んぼにはレンゲの花が咲いており、モンシロ蝶まで飛んでいました。春満開の今日この頃です。

2016年03月18日

#33 3.11

 今日は東日本大震災から5年目の日になります。午後2時46分に発生した大地震と、それによって引き起こされた大津波により多数の人命が失われました。当時授業を終えた私は生徒たちが地震が起こったと騒いでる声を聴き、職員休憩室に入ったところ、テレビで津波の映像がリアルタイムで放送されており、愕然とした記憶があります。またその後のテレビ画面で国内中に津波警報が発令されていたことも記憶に刻まれています。
 遡ること2005年3月21日には福岡県西北沖地震が発生し、福岡市の沖合にある玄海島が震度6強の大きな揺れに襲われました。当時福岡市に住んでいた私は物凄い揺れを感じ柱につかまったことを覚えています。また室内のテレビが大きく揺れて、冷蔵庫のドアが開いたことも記憶に残っています。地震が少ない福岡にとって青天の霹靂(へきれき)でした。余震はその後半年ほど続きました。
 この国で暮らしていく限り地震や台風など様々な災害に直面しなければなりません。どのような災害が起こっても対処できるように、日頃から災害への準備をしなければなりません。災害は他人事でなく明日は我が身であることを充分認識しながら日々を過ごしましょう。

2016年03月11日

#32 花てぼと大蛇山

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 前回のブログで載せなかった花てぼと大蛇山の写真です。大牟田夏祭り名物の大蛇山について次のような説明書が入っていました。抜粋文です。
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 大牟田の祇園祭は7月13日をかわきりに行われる。悪病退散、五穀豊穣の祈願をこめた夏祭りであります。その行事に10メートル余りの大蛇をこしらえ、山車に乗せ氏子連中が金谷笛、太鼓を打ち鳴らし、時には大蛇に火炎を吹かせ首を打振り街中をねり歩く姿は勇壮そのものです。・・・
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掲載写真は「ひつじの独り事」をクリックしてご覧ください。

2016年03月02日

#31 三池初市

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 毎年3月1日、2日は春の到来を告げる三池初市が三池地区で行われます。地元の初市を見るのは数十年ぶりです。ウィキペディアによると三池初市のことが次のように書かれていました。
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三池地区に春の訪れを告げる、九州最大級の春の市。江戸時代、三池街道沿い(現在の主要地方道大牟田高田線で農作業用品や米・野菜の物々交換が行われたことがその起源とされている。近年は主要地方道大牟田南関線の、主要地方道大牟田高田線との交点から西へ約400mが歩行者天国となり、花てぼ、竹かご、各種の苗木、植木、食べ物など、約200の出店が並ぶほか、地域の人々による催し物も行われる。
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歩行者天国の道路脇には多くので店が並び、ちょっとした縁日の雰囲気が漂っていました。午後早い時間に見に行ったのですが、この時間にたくさんの中高生がいました。(もしかして学校をサボったのでは?)久しぶりに私もいくつかお土産を買いました。大蛇山の置物と花てぼ(竹で編んだかご)も購入しました。地元にも春がやって来ました。

2016年03月02日

#30 3月1日は卒業の日

 今日から3月が始まります。3月は弥生の月、そして3月1日は全国の多くの高等学校で卒業式が行われる日です。様々な思いを胸に卒業生が学び舎を旅立って行きます。進学や就職など進路が決まっている卒業生は希望に溢れ、それぞれ巣立って行きます。まだ進路が決まっていない卒業生は再度自分の夢にチャレンジすることでしょう。健闘を祈ります。また卒業生を御指導、御助言された高校3年担当の先生方や親御さんの御苦労は大変なものと推察いたします。こういう私も1年前の今日、組担任として学年主任として最後の卒業生を送り出し、現在の塾活動に向けて準備を始めたのが3月1日でした。あれからすでに1年経ったことに思いを馳せると月日の経つのは本当に早いものです。今日はまだ真冬並みの寒さですが、日差しはすでに春の日差しです。いよいよ本格的な春の訪れです。

2016年03月01日

#29 読売新聞(筑後版)の記事について

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 2月19日(金)の読売新聞(地域版・筑後)に載った学習塾ニコラの記事ですが、先週末に東京で行われた英語の研修会に参加していましたので、本日の朝に遅ればせながら確認しました。(郵便ポストに読売新聞からの封筒が入っていましたので、その中の新聞記事を見て初めて記事になったことを知りました。)読売新聞から取材をうけましたのは確か2月4日だったと思います。読売新聞から取材の件で連絡があり、西日本新聞の取材を受けていながら、読売新聞の取材を断るわけにはいかず、取材を受けた次第です。その後取材の件をすっかり忘れていました。西日本新聞の記事は掲載される前に電話で何度か原稿のやり取りをしていましたので、掲載日時は事前に分かっていましたが、読売新聞の場合は取材後の連絡がありませんでしたので、取材の件はそのまま忘れておりました。
 私が新聞の取材を受けております理由はただ1つ。当塾の活動を世の中に知らせることで経済的な理由で塾や予備校で勉強できない子ども達のために地域社会や国が早く対策を取ってもらいたい、ということです。それも早急な対策が必要です。日本は人的資源で繁栄してきた国です。言い換えれば、子どもを教育することで優れた人材を世の中に輩出し、国家が成長してきました。その原動力となった教育を軽視することは国家の破たんにつながります。
 ここで塾や予備校などは校外活動になるので、金銭的に余裕がある家庭の子ども達が行けばよい、という反論も聞こえてきます。ただ私が主張したいのは「勉強したい生徒には勉強させる機会を与えたい」、ということです。子ども達全員が塾や予備校に行く必要はありません。そのために学校があります。ただ学校が本来の役割を果たしていない現実も一方ではあります。残念ながらまともに授業ができない教員や、勉強する雰囲気作りができていない学校もあります。地域社会の教育に対する考え方の違いにより、一定基準の教育ができていない現実があります。
 理想的には無料学習塾やボランティアによる学習支援活動が無くなることが一番です。そのためには各市町村による公費による学習支援事業が充実することであり、そのための予算や経費を国や県が面倒見ることでしょう。実際に学習支援事業に取り組んでいる地方公共団体もあります。ただ生活困窮家庭は全国に拡散しており、勉強したい子ども達が勉強できない状況に置かれていることが一番の問題です。

*新聞記事の写真をご覧になりたい方は「ひつじの独り言」をクリックして、全ブログ記事を表示すればご覧になれます。ただ文字が小さいので拡大してご覧ください。

2016年02月23日

#28 細やかな親切

 今日所要で福岡へ出かけたのですが、福岡駅で帰りの西鉄電車を待つ際に到着した車両に車いすの方が乗車されていました。私が待っている側はドアが閉まっているので、助けようにも助けることができません。すると向こう側のドアに待機していた2人の女性職員が車いすの方を手伝うようにドアのレールの上に車いすが通すための板を敷いて手伝っていらっしゃいました。おそらく電車の無線連絡を通して天神駅で職員の方が待機していたものと思われます。このような細やかな親切は本当にありがたいものです。また二日駅で足の不自由な年配の方が電車に乗り込んでこられた際にも、駅員の方が寄り添うように乗車を手伝っていらっしゃいました。時々西鉄電車を利用していますが、見ていて爽やかな気持ちになります。社員教育が徹底しているのでしょうか、今日は細やかな親切に心温まる思いがしました。

2016年02月18日

#27 英語学習者必見のテレビ番組 NHK World

 最近のITディバイスの発達により、多種多様の英語放送が行われています。テレビを始め、インターネットやYouTubeなどで生の英語放送を見られる時代になりました。20年ほど前までは国際放送と言えば短波ラジオが主流でした。私も高校生や大学生の頃は短波ラジオのダイヤルを回しながらNHKのラジオジャパンやアメリカの国際放送VOAなどを聴いていたものです。時代は変わり今はインターネットを通してテレビやラジオの放送が行われており、隔世の感があります。
 今日このブログを読んでいる方にお勧めのテレビはNHK Worldです。この放送は24時間すべて英語で行われており、放送衛星やネットを通して世界中に放送しています。毎時のニュースの他にNHK総合番組で放送されているCool Japanやサラメシ、新日本風土記など興味深い番組を英語に翻訳して放送していますので、総合テレビの番組をあらかじめ見て、英語の番組を視聴すると英語が分かりやすく理解できます。
 ただ残念なことに総合やBSでは放送されていません。インターネットでアクセスするか、タブレットでNHKをインストールすれば視聴できます。もちろん無料です。
 ここでNHKに一言物申します。なぜこのような素晴らしい番組を国民向けに総合またはBSで放送しないのでしようか。総合ならびにBSの電波枠が余っているのに使用しないのは損です。Eテレビには素晴らしい語学番組が沢山ありますが、それに劣らないものがNHK Worldだと思います。国民は高い視聴料を払っていますので、是非NHKには国民に貢献するような事業を行ってもらいたいとおもいます。

2016年02月09日

#26 今日は立春です

 今日は立春です。つい先日正月を迎えたと思っておりましたが、月日の経つのは思ったよりも早く、季節は着実に春へ向かっています。この週末は福岡でも雪が予想されていますが、前回ほどの大雪にはならないでしょう。近くの道端には菜の花も咲いています。もうひと月もすれば雛祭りがやって来ます。
 昨日は筑後地区の私立高校前期入試が実施されました。明日は福岡地区の私立高校前期入試が実施されます。また福岡地区の主要な大学入試もすでに始まっており、今日から西南学院大学の入試が始まりました。受験生はベストをつくして栄冠を手にしてください。健闘を祈ります。

2016年02月04日

#25 正月を知らない子どもたち…貧困がもたらす国の損失

 

 少し前の読売新聞(ネット記事)に上記タイトルの記事がありましたので、ここで紹介します。このブログ(ひつじの独り言)でも教育格差について何度か論じていますが、年を追うごとにますます格差がひどくなっているようです。教育格差を解消するために、国が動かなければ地方自治体に行動してもらいたい。地方自治体が動かなければ、有志の団体や個人が行動を起こし、地方自治体や国、特に議員に訴えかけて社会全体が子供たちの教育に携わるようなシステムを早急に立てないと、この国はやがて立ち行かなくなると危惧しています。
 現在の日本は江戸や明治、大正時代の遺産(精神性や伝統技術の技など)で国力がなんとか保たれていますが、この遺産も消えかかろうとしています。また中国を始めとする新興国は子どもの教育に力を注いでおり、高い学力を身につけさせる教育を行っています。学力の点でいずれは日本を追い越すことになり、様々な特許や諸権利を外国から買わざるを得ない時代になります。このことが日本社会の荒廃や国力の衰退にもつながります。興味がある方は下記のページにアクセスしてください。冒頭は次の文で始まっています。
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(読売新聞ネットの記事より)

17歳以下のおよそ6人に1人が貧困の状況にあり、その割合は増え続けているという。このまま放置すれば、大きな経済的損失を日本にもたらすとする報告書が発表された。貧困状態に置かれ、孤立しがちな子どもたちへの支援は、人道的な理由からだけでなく、将来の国の経済や財政にとっても不可欠だ。子どもの貧困を研究する湯澤教授に寄稿してもらった。
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http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/ichiran/20160114-OYT8T50109.html

2016年01月28日

#24 大寒波による断水!

 大寒波の影響で月曜日の夜から大牟田市全域で断水が続いていましたが、現在は市内の半分に給水が始まったようです。大牟田市水道局は29日までに水道の完全復旧を目指しています。さすがに氷点下7.2度が2日も続けば水道管の破裂や水漏れが発生します。今回の断水は特にインフラの古い地区から始まり、月曜日の夜には広報車が市内を走り回り、断水を呼びかけていました。断水は大牟田市だけでなく九州の多くの自治体に及んでおり、今回の大寒波の余波が窺えます。
 わずか1~2日の出来事ですが、阪神大震災や東日本大震災で被災された方々の心情を少しでも体験できた今回の断水でした。電気や水道など当たり前に利用できる環境の中で生活している私達ですが、自然の猛威の前ではいかに無力であるかを見せつけられた今回の寒波でした。「自分だけは安心」という気持ちを改めて、どこに住んでいようと常に災害を意識して生活する必要性を改めて感じた今回の出来事でした。まだ断水している方々に心よりお見舞い申し上げます。

2016年01月27日

#23 数十年ぶりの大寒波襲来

 昨日と今日は久しぶりの寒波でここ大牟田市内でも一面雪で覆われました。昨夜は当塾の前を通っている国道208号線も真っ白に凍結し、行きかう車両はすべて自転車なみの速度で徐行運転をしていました。私はいつも自宅から当塾まで自転車で通勤していますが、当塾は緩やかな坂の上にあるために、雪や氷の坂道は非常に滑ります。安全のために昨日と今日は歩いて通勤しました。
 どのテレビ局も数十年ぶりの大寒波と報道していますが、振り返ってみますと私が高校生だった1970年代までは一冬に1,2度このような寒波がやって来ていました。道路はすべて凍結し、自転車のペダルをゆっくり漕ぎながら高校まで通った記憶があります。また家の軒下には頻繁につららが下がり、田んぼのあぜ道に氷が張って、雪の日には体育の時間に雪合戦をした思い出があります。数十年ぶりの寒波と言っても私にとって昔の冬に戻っただけの感しかありません。
 さてこの時期に当塾に来ている中学生は本日奈良・京都へ修学旅行に出かけました。新幹線で新大阪まで行くそうですが、この雪の中で遅延せず目的地まで無事にたどり着いてもらいたいと思います。また高校生は明日から新潟へスキーの修学旅行に出かけますが、こちらは雪が沢山降っており、良い思い出になることでしょう。いずれにしても楽しい思い出を作ってもらいたいものです。

2016年01月25日

#22 努力は実る!

 先日荒尾市にあります有明高等学校入試の合格発表がありましたが、当塾から1人合格しました。看護学科を希望していましたが、英語が苦手だということで12月から当塾で勉強しました。冬休みには年末年始の3日間休んだだけで、日曜日にも来塾して英語と国語の受験勉強を続けました。本人の不断の努力もあり、この度見事に合格切符を手にしました。これから学ぶ看護の技術をしっかり身につけ、将来立派な看護師になってもらいたいと思っています。
 前回のブログにも書きましたが、本格的に受験シーズンに突入しました。受験生の皆さんはベストコンディションで受験できるように充分体調管理をしましょう。体調管理を怠ってカゼを引いて発熱すると、今までの努力が無駄になります。体調管理も受験技術の大切な1つです。学力+体調管理が志望校合格の必須条件です。
 自分の努力に応じて結果が出ます。努力なしに何事も結果は出ません。特に受験前1週間は今までの集大成と思って、まだやり残している科目や分野を総復習し、今まで間違えた個所を再度見直し、何度も繰り返して正答が導けるように有効に時間を使いましょう。努力は必ず実ります!

2016年01月24日

#21 受験シーズン突入!

 大学入試センター試験が昨日から始まりまり、本格的に受験シーズンに突入しました。今年のセンター試験受験者は過去最多を記録したそうですが、受験生にとっては人生の大きな節目となる試験になります。
 まだ私が高校の教員をしていた頃のセンター試験で、次のことが思い出されます。受験生は指定された各受験会場で受験しますが、そこには各高等学校から引率の先生方が集まり、自分の生徒に激励を送ります。福岡地区の県立高校では「~高校」と書かれた幟旗(のぼりばた)を立てて生徒を激励する姿がしばしば見られました。まるで運動部の試合前の激励会を見るような感じです。また学校により生徒の雰囲気が異なり、様々な高校生を目にすることができました。受験の季節の風物詩とも言えるものです。
 さて高校入試や大学入試が本格的に始まります。高校入試は今週から専願入試を中心に実施され、福岡では2月上旬に一般入試が行われます。また大学入試は今月の下旬より始まり、2月の上旬に福岡を初めとする地元の大学が、2月中旬には関西や関東の大学が入試を実施します。寒い季節と入試が重なりますので、受験生は健康に充分留意してベストを尽くせるように最後まで頑張りましょう。健闘を祈ります。

2016年01月17日

#20 アクセス数が1000を超えました

 近年にない暖冬と言われていました今冬ですが、1月も中旬になるとさすがに例年の真冬のような天候になってきました。福岡でも火曜日には雪の予報が出ています。インフルエンザの流行も始まったようです。
 ところで当塾のホームページ(HP)のアクセス数がいつの間にか1000を超えました。どのような方がアクセスしているか全く見当がつきませんが有難いことです。正直申しましてあまり面白くないHPですが、少しでも当塾に関心を持って頂けることは本当にありがたいことだと思っています。当塾に参加している生徒も9名になり、少しずつ増えてきています。学校とは異なり、生徒本人の学力や性格に応じた授業を展開することができますので、違った意味で本当に遣り甲斐があります。19日には荒尾市の有明高校、26日には地元の大牟田高校の入試が実施されます。受験生は体調に充分留意してベストを尽くしてもらいたいものです。

2016年01月17日

#19 受験生頑張れ!

 正月休みもすでに終わり、各学校では3学期が始まりました。福岡地区では私立中学入試が今週末より始まります。またここ大牟田・荒尾地区でも1月の下旬より私立高校の専願入試が始まります。また大学入試センター試験が1月16日・17日に実施されます。
 毎年1月・2月は受験生にとって将来の自分の進路を決める大切な時期になります。入試にベストコンディションで臨めるように今から体調を整えましょう。特にカゼやインフルエンザが流行する季節でもありますので、普段以上に健康に留意して実力が出せるように気を付けましょう。
「成せば成る。成さねばならぬ何事も。成さぬは人の成さぬなりけり。」(米沢藩主の上杉鷹山)受験生頑張れ!

2016年01月09日

#18 謹賀新年 2016

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 明けましておめでとうございます。平成28年(2016年)が始まりました。このブログをご覧になっている皆様にとって、今年はどんな一年になるでしょうか。良い年になりますよう祈り申し上げます。
 さて今年の私の目標は当塾の運営を良い方向に持っていきたいと考えております。良い方向と申しましても、生徒が沢山集まるとか、運営資金がどこからか手に入るというようなことではありません。この無料学習塾を始めた主な理由は塾に通えない子供たちに学習の場を提供することでした。当塾の生徒は少しずつ増えてきていますが、私の努力不足により本当に必要な子供に当塾の情報が届いていないことがあります。
 そこで今年の目標は本当に必要な子供に必要な情報を届けることです。おそらく当塾を含めて様々な塾(予備校を含める)が無料または安い授業料で恵まれない子供たちに学習する機会を与えていることと思います。その情報を一元的に管理して必要な情報を提供するような場を設立しようと考えております。どこまでできるか分かりませんが。私の今年の目標です。それでは今年もよろしくお願い申し上げます。
*写真はペットのひつじ達ですが、今年の干支は丙申(ひのえさる)です。詳しくは下記のサイトを参照して下さい。
http://www.eto12.com/2016.html

2016年01月01日

#17 今年の塾活動が終了しました

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 本日で今年の塾活動が終了しました。11月4日に開塾して早くも2か月が経ち、塾の活動もようやく軌道に乗ってきました。12月1日の西日本新聞に当塾の記事が載りましたが、それ以外は特に塾の宣伝はしておりません。それでも当塾のことがクチコミで少しずつ広まり、ホームページ(HP)のアクセス数も900に達しました。どなたが当塾のホームページをご覧になっているか存じませんが、有難いことだと思っております。
 開塾当初は生徒が集まるか不安もありましたが、当塾で勉強したい生徒が少しずつ増えており、現在中1から高2まで8名ほどが学んでおります。現在は個別指導が中心ですが、来年以降今以上に生徒が集まれば、生徒の英語力のレベルに応じて本来の目的であるレベル別の授業ができればと思っています。これまで当塾への多くの支援や激励ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。なお新年は1月3日より受験生のための入試直前授業が始まります。また1月以降の授業時間割も後日HPにアップしたいと思います。

 平成27年(2015年)もまもなく終わりを迎えます。今年も世界中で多くの戦争や災害が相次いだ一年でしたが、来年は皆さんに、また世界中の人々に少しでも幸せが来ますように祈りたいと思います。
*写真は大牟田市の延命公園展望所から撮影した夕暮れの大牟田市南部です。遠くに有明海と雲仙が見えます。

2015年12月30日

#16 I Wish You A Merry Christmas!

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 今日はクリスマスです。世界中でクリスマスの行事や催しが行われますが、クリスマスの意味を知っていますか。私も子どもの頃はプレゼントがもらえる日と思っていましたが、本当の意味は違います。クリスマス=「キリストのミサ」の意味で、キリストの生誕を祝います。詳しく知りたい人は次のHPを参照して下さい。http://family.gr.jp/christmas/keyword/#what
 キリストの誕生日に関しては諸説があり、専門家も特定していませんが12月25日ではありません。ローマ時代に冬至に重ねて25日を生誕日にしたという説もあります。イエス様が生まれたのは3月下旬からから4月の頃だろうという説もあります。アラビア半島で今も野宿生活をしているベドウィン族は2000年間同じ生活をしており、12月は寒くて野営ができないそうです。イエス様は宿ではなく馬小屋で生まれたと言われており、野営同然の環境ではアラビア半島でもかなり寒くなるそうです。
 イエス様の生誕日を特定できないことは、ある意味でロマンでありクリスマスの後で新年を迎えることに何か深い意味があると思っています。キリスト教徒にかかわらず今日はクリスマス。世界中に愛が溢れる日でもあります。ユダヤの町に救世主が生まれた日です。
*写真は塾の教室に飾っている小さな祭壇です。

2015年12月25日

#15 クリスマスイブ


 今日は12月24日クリスマスイブです。おそらく街中で様々なイベントやパーティが行われたり、家族でケーキを囲んで、ささやかな団欒を過ごす方も多いことでしょう。本日はクリスマスイブにふさわしい物語を紹介します。オー・ヘンリーの有名な「賢者の贈り物」です。オー・ヘンリーは「最後の一葉」も書いています。どうぞお読みください。なお、この短編小説は青空文庫より引用しています。
http://www.hyuki.com/trans/magi.pdf

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賢者の贈り物
オー・ヘンリー作(結城浩訳)

1ドル87セント。それで全部。しかもそのうち60セントは小銭でした。小銭は一回の買い物につき一枚か二枚づつ浮かせたものです。乾物屋や八百屋や肉屋に無理矢理まけさせたので、しまいに、こんなに値切るなんてという無言の非難で頬が赤くなるほどでした。デラは三回数えてみました。でもやっぱり1ドル87セント。明日はクリスマスだというのに。これでは、まったくのところ、粗末な小椅子に突っ伏して泣くしかありません。ですからデラはそうしました。そうしているうちに、人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとでできており、しかも、わあわあ泣くのが大部分を占めていると思うようになりました。
この家の主婦が第一段階から第二段階へと少しづつ移行している間に、家の様子を見ておきましょう。ここは週8ドルの家具付きアパートです。全く筆舌に尽くしがたいというわけではないけれど、浮浪者一掃部隊に気をつけるためにアパートという名前をつけたに違いありません。階下には郵便受けがありましたが手紙が入る様子はなく、呼び鈴はありましたが人間の指では鳴らせそうもありません。その上には「ミスター・ジェームズ・ディリンガム・ヤング」という名前が書かれた名刺が貼ってありました。その「ディリンガム」の文字は、その名の持ち主に週30ドルの収入があった繁栄の時代にはそよ風にはためいてきました。でもいまや収入は20ドルに減ってしまい、文字たちはもっと慎ましく謙遜な「D」一文字に押し縮めようかと真剣に考えているようでした。しかし、ジェームズ・ディリンガム・ヤング氏が家に帰って二階のアパートに着くと、すでにデラとしてご紹介済みのジェームズ・ディリンガム・ヤング夫人が、「ジム」と呼びながら、いつでもぎゅうっと夫を抱きしめるのでした。これはたいへん結構なことですね。
デラは泣くのをやめ、頬に白粉をはたくのに意識を集中させました。デラは窓辺に立ち、灰色の裏庭にある灰色の塀の上を灰色の猫が歩いているのを物憂げに見ました。明日はクリスマスだというのに、ジムに贈り物を買うお金が1ドル87セントしかありません。何月も何月もコツコツとためてきたのに、これがその結果なのです。週20ドルでは、大したことはできません。支出はデラが計算した以上にありました。支出というものはいつだってそういうものでした。ジムへの贈り物を買うのに1ドル87セントしかないなんて。大切なジムなのに。デラは、ジムのために何かすばらしいものをあげようと、長い間計画していたのです。何か、すてきで、めったにないもの――ジムの所有物となる栄誉を受けるに少しでも値する何かを。
その部屋の窓と窓の間には姿見の鏡が掛けられていました。たぶんあなたも8ドルの安アパートで見たことのあるような姿見でした。たいそう細身で機敏な人だけが、縦に細長い列に映る自分をすばやく見てとって、全身像を非常に正確に把握することができるのでしょう。デラはすらっとしていたので、その技術を会得しておりました。急にデラは窓からくるりと身をひるがえし、その鏡の前に立ちました。デラの目はきらきらと輝いていましたが、顔は20秒の間、色を失っていたのでした。デラは手早く髪を下ろし、その長さいっぱいまで垂らしました。
さて、ジェームズ・ディリンガム・ヤング家には、誇るべき二つのものがありました。一つはジムの金時計です。かつてはジムの父、そしてその前にはジムの祖父が持っていたという金時計。もう一つはデラの髪でした。シバの女王が通風縦孔の向こう側のアパートに住んでいたとしましょう。ある日、デラが窓の外にぬれた髪を垂らして乾かそうとしたら、それだけで、女王様の宝石や宝物は色あせてしまったことでしょう。また、ソロモン王がビルの管理人をやっていて、宝物は地下室に山積みしていたとしましょう。ジムが通りがかりに時計を出すたび、王様はうらやましさのあまり、ひげをかきむしったことでしょう。さて、そのデラの美しい髪は褐色の小さな滝のようにさざなみをうち、輝きながら彼女のまわりを流れ落ちていきました。髪はデラの膝のあたりまで届き、まるで長い衣のようでした。やがてデラは神経質そうにまた手早く髪をまとめあげました。ためらいながら1分間じっと立っていました。が、そのうちに涙が一粒、二粒、すりきれた赤いカーペットに落ちました。
デラは褐色の古いジャケットを羽織り、褐色の古い帽子をかぶりました。スカートをはためかせ、目にはまだ涙を光らせて、ドアの外に出ると、表通りへ続く階段を降りていきました。デラが立ち止まったところの看板には、「マダム・ソフロニー。ヘア用品なら何でも。」と書いてありました。デラは階段を一つかけのぼり、胸をどきどきさせながらも気持ちを落ち着けました。女主人は大柄で、色は白すぎ、冷ややかで、とうてい「ソフロニー」という名前のようには見えませんでした。
「髪を買ってくださいますか」とデラは尋ねました。
「買うさ」と女主人は言いました。「帽子を取って見せなさいよ。」
褐色の滝がさざなみのようにこぼれ落ちました。「20ドル」手馴れた手つきで髪を持ち上げて女主人は言いました。
「すぐにください」とデラは言いました。ああ、それから、薔薇のような翼に乗って2時間が過ぎていきました。…なんて、使い古された比喩は忘れてください。デラはジムへの贈り物を探してお店を巡っておりました。そしてとうとうデラは見つけたのです。それは確かにジムのため、ジムのためだけに作られたものでした。それほどすばらしいものはどの店にもありませんでした。デラは全部の店をひっくり返さんばかりに見たのですから。それはプラチナの時計鎖で、デザインはシンプルで上品でした。ごてごてした飾りではなく、素材のみがその価値を主張していたのです―― すべてのよきものがそうあるべきなのですが。その鎖は彼の時計につけるのにふさわしいとまで言えるものでした。その鎖を見たとたん、これはジムのものだ、と
デラにはわかりました。この鎖はジムに似ていました。寡黙だが、価値がある―― この表現は鎖とジムの両者に当てはまりました。その鎖には21ドルかかり、デラは87セントをもって家に急いで帰りました。この鎖を時計につければ、どんな人の前でもちゃんと時間を気にすることができるようになるでしょう。時計はすばらしかったのですが、鎖の代わりに古い皮紐をつけていたため、ジムはこそこそと見るときもあったのです。
デラが家に着いたとき、興奮はやや醒め、分別と理性が頭をもたげてきました。ヘアアイロンを取り出し、ガスを着けると、愛に気前の良さを加えて生じた被害の跡を修繕する作業にかかりました。そういうのはいつも大変な仕事なのですよ、ねえあなた―― とてつもなく大きな仕事なのですよ。
40分のうちに、デラの髪は小さく集まったカールで覆われました。髪型のせいで、まるで、ずる休みした学童みたいに見えました。デラは、鏡にうつる自分の姿を、長い間、注意深く、ためすつがめつ見つめました。「わたしのことを殺しはしないだろうけれど」とデラは独り言をいいました。「ジムはわたしのことを見るなり、コニーアイランドのコーラスガールみたいだって言うわ。でもわたしに何ができるの―― ああ、ほんとうに1ドル87セントで何ができるっていうの?」
7時にはコーヒーの用意ができ、フライパンはストーブの上にのり、チョップを焼く準備ができました。ジムは決して遅れることはありませんでした。デラは時計の鎖を手の中で二重に巻き、彼がいつも入ってくるドアの近くのテーブルの隅に座りました。やがて、ジムがはじめの階段を上ってくる足音が聞こえると、デラは一瞬顔が青ざめました。デラは毎日のちょっとしたことでも小さな祈りを静かに唱える習慣がありましたが、このときは「神さま。どうかジムがわたしのことを今でもかわいいと思ってくれますように」とささやきました。
ドアが開き、ジムが入り、ドアを閉めました。ジムはやせていて、生真面目な顔つきをしていました。かわいそうに、まだ22歳なのに―― 彼は家庭を背負っているのです。新しいオーバーも必要だし、手袋もしていませんでした。ジムは、ドアの内で立ち止まりました。うずらの匂いにじっとしている猟犬と同じように、そのまま動きませんでした。ジムの目はデラに釘付けでした。そしてその目には読み取ることのできない感情が込められていて、デラは恐くなってしまいました。それは憤怒ではなく、驚嘆でもなく、拒否でもな
く、恐怖でもなく、デラが心していたどんな感情でもありませんでした。ジムは顔にその奇妙な表情を浮かべながら、ただ、じっとデラを見つめていたのです。
デラはテーブルを回ってジムの方へ歩み寄りました。「ジム、ねえ、あなた」デラは声をあげました。「そんな顔して見ないで。髪の毛は切って、売っちゃったの。だって、あなたにプレゼント一つあげずにクリスマスを過ごすなんて絶対できないんだもの。髪はまた伸びるわ――気にしない、でしょ? こうしなきゃ駄目だったの。ほら、わたしの髪ってすごく早く伸びるし。『メリー・クリスマス』って言ってよ、ジム。そして楽しく過ごしましょう。どんなに素敵な―― 綺麗で素敵なプレゼントをあなたに用意したか、当てられないわよ」
「髪を切ったって?」とジムは苦労しつつ尋ねました。まるで、懸命に頭を働かせても明白な事実にたどり着けないようなありさまでした。「切って、売っちゃったの」とデラは言いました。「それでも、わたしのこと、変わらずに好きでいてくれるわよね。髪がなくても、わたしはわたし、よね?」
ジムは部屋をさがしものでもするかのように見まわしました。「髪がなくなっちゃったって?」ジムは何だか馬鹿になったように言いました。「探さなくてもいいのよ」とデラは言いました。「売っちゃったの。だから、―― 売っちゃったからなくなったのよ。ねえ、クリスマスイブでしょ。優しくして。髪がなくなったのは、あなたのためなのよ。たぶん、わたしの髪の毛の一本一本まで神様には数えられているでしょうね」デラは急に真面目になり、優しく続けました。「でも、わたしがあなたをどれだけ愛しているかは、誰にもはかることはできないわ。チョップをかけてもいい、ジム?」ジムはぼうっとした状態からはっと戻り、デラを抱きしめました。さて、それではここで10秒間、趣を変えたささやかな事柄について控え目に吟味をしてみましょう。週8ドルと年100万ドル―― その違いは何でしょうか。数学者や知恵者に尋ねたら、誤った答えが返って来るでしょう。東方の賢者は高価な贈り物を持ってきましたが、その中に答えはありませんでした。何だか暗いことを申しましたが、ここで述べた言明は、後にはっきりと光り輝くことになるのです。ジムはオーバーのポケットから包みを取り出すと、テーブルに投げ出しました。
「ねえデラ、僕のことを勘違いしないで。髪型とか肌剃とかシャンプーとか、そんなもので僕のかわいい女の子を嫌いになったりするもんか。でも、その包みを開けたら、はじめのうちしばらく、どうして僕があんな風だったかわかると思うよ」
白い指がすばやく紐をちぎり紙を破りました。そして歓喜の叫びが上がり、それから、ああ、ヒステリックな涙と嘆きへと女性らしくすぐさま変わっていったのです。いそいで、そのアパートの主人が必死になって慰めなければなりませんでした。包みの中には櫛(くし)が入っていたのです―― セットになった櫛で、横
と後ろに刺すようになっているものでした。その櫛のセットは、デラがブロードウェイのお店の窓で、長い間あがめんばかりに思っていたものでした。美しい櫛、ピュアな亀甲でできていて、宝石で縁取りがしてあって―― 売ってなくなった美しい髪にぴったりでした。その櫛が高価だということをデラは知っていました。ですから、心のうちでは、その櫛がただもう欲しくて欲しくてたまらなかったのですけれど、実際に手に入るなんていう望みはちっとも抱いていなかったのです。そして、いま、この櫛が自分のものになったのです。けれども、この髪飾りによって飾られるべき髪の方がすでになくなっていたのでした。しかし、デラは櫛を胸に抱きました。そしてやっとの思いで涙で濡れた目をあげ、微笑んでこう言うことができました。
「わたしの髪はね、とっても早く伸びるのよ、ジム!」そしてデラは火で焼かれた小猫のようにジャンプして声をあげました。「きゃっ、そうだ!」自分がもらう美しい贈り物をジムはまだ見ていないのです。デラは手のひらに贈り物を乗せ、ジムに思いを込めて差し出しました。貴金属の鈍い光は、デラの輝くばかりの熱心な気持ちを反射しているかのようでした。
「ねえ素敵じゃない? 町中を探して見つけたのよ。あなたの時計にこの鎖をつけたら、一日に百回でも時間を調べたくなるわよ。時計、貸してよ。この鎖をつけたらどんな風になるか見たいの」
デラのこの言葉には従わず、ジムは椅子にどさりと腰を下ろし、両手を首の後ろに組んでにっこりと微笑みました。
「ねえデラ。僕達のクリスマスプレゼントは、しばらくの間、どこかにしまっておくことにしようよ。いますぐ使うには上等すぎるよ。櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ。さあ、チョップを火にかけてくれよ」
東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした―― すばらしく賢い人たちだったんです――飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。
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Merry Christmas to you!

2015年12月24日

#14 サンタクロースはいるか?

 クリスマスが近づいてきました。クリスマスの意味については後日述べることにして、今日は世界で最も有名な社説を紹介します。下記のブログより引用しています。かなりの長文ですが、お読みください。
http://blogs.yahoo.co.jp/porche964_rs/20440344.html

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1897年9月21日 ニューヨーク・サン新聞「社説」より

ニューヨーク・サン新聞社に、このたび、次のような手紙が届きました。
さっそく、社説でとりあげて、 おへんじしたいと思います。

この手紙の差出人が、こんなにたいせつな質問をするほど、わたしたちを信頼してくださったことを記者一同、たいへんうれしく思っております。


きしゃさま
あたしは、八つです。 あたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ。」っていっている子がいます。パパにきいてみたら、 「サンしんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」と、いいました。だから、おねがいです。おしえてください。サンタクロースって ほんとうにいるんですか?

バージニア=オハンロン
ニューヨーク市西九五丁目一一五番地


バージニア、おこたえします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友だちは、まちがっています。きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものがしみこんでいるのでしょう。うたぐりやは、目にみえるものしか信じません。うたぐりやは、心のせまい人たちです。心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間が頭で考えられることなんて、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。わたしたちのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、一ぴきの虫のように、そう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。そのひろく、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。
そうです。バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです。あなたにも、わかっているでしょう。世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたのまいにちの生活を、うつくしく、たのしくしているものなのだということを。もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう! あなたのようにかわいらしい子どものいない世界が、かんがえられないのとおなじように、サンタクロースのいない世界なんて、そうぞうもできません。サンタクロースがいなければ、人生のくるしみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。また、子どもじだいに世界にみちあふれている光も、きえてしまうことでしょう。

サンタクロースがいない、ですって!

サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。 ためしに、クリスマス・イブに、パパにたのんでたんていをやとって、ニューヨークじゅうのえんとつをみはってもらったらどうでしょうか?ひょっとすると、サンタクロースを、つかまえることができるかもしれませんよ。しかし、たとい、えんとつからおりてくるサンタクロースのすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?サンタクロースをみた人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。バージニア、あなたは、妖精がしばふでおどっているのを、みたことがありますか?もちろん、ないでしょう。だからといって、妖精なんて、ありもしないでたらめだなんてことにはなりません。
この世の中にあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。
あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべることはできます。けれども、目にみえない世界をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。そのようにうつくしく、かがやかしいもの、それは、人間のつくったでたらめでしょうか?いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世には、ほかにないのですよ。

サンタクロースがいない、ですって?

とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう。一千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。

                            フランシス=P=チャーチ

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この心あたたまる社説は、以後50年間サン紙がなくなるまで、毎年クリスマスになると同紙に掲載され、世界中の新聞雑誌にも幾度となくとりあげられてきました。
この社説を書いたフランシス=P=チャーチ氏(1839-1906)は、当時の編集長の回想録によると、「人間生活のあらゆる面について、深い洞察力とするどい感受性をそなえた人物だった」そうです。
社説を書く要因となった、ニューヨーク・サン紙に手紙を送った女の子、バージニア=オハンロンは、やがて教職につき、引退する前の3年間はブルックリンの公立学校の副校長を務めました。バージニアは、1971年81歳で亡くなりましたが、このときニューヨーク・タイムズ紙は「サンタの友達バージニア」という記事を掲載して、彼女を”アメリカのジャーナリズムにおいて、もっとも有名な社説が書かれるきっかけとなった、かつての少女”と評したということです。
そう、これは、ひとりの少女とひとりの記者との永遠に語り継がれるべきおはなし・・・
おとなたちが、こどもに対してなにを伝えなければならないのかを問いかける、ひとつのおはなし・・・
あなたは、こどもの問いかけに、どう答えていますか?
「ねえ、サンタクロースって、ほんとうにいるの?」
この Yes,Virginia,there is a Santa Claus というフレーズは、現在では「信じられない事かもしれないが、それは確かに存在しているのだ」という意味で使われるようになっているそうです

★ サンタクロースの本籍地

1927年のフィンランドのラジオのクリスマス番組が「サンタロースはラップランドの奥深く、コルヴァ・トゥントゥリ山に、小人さんたちやトナカイたちと住んでいます。」と放送しました。現在ではこれがサンタクロースの”本籍地”と考えられるようになっています。

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★ トナカイたちの名前

サンタクロースは、トナカイ8頭立てのソリに乗って、世界中の子供たちにプレゼントを配るために飛びまわっています。
さて、その8頭のトナカイの名前は・・・
ダッシャー、ダンサー、プランサー、ビクスン、コメット、キューピッド、ダンダー、
ブリッツェン・・・というそうです。

知ってましたか?(^_^;)

(引用終わり)
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 12月24日はクリスマスイブです。世界中をサンタクロースが飛び回り、子ども達にプレゼントを渡します。


2015年12月22日

#13 ささやかな試算

 昨晩(12/20)午後7時のNHKニュースで以前このブログで紹介しました「子どもの貧困対策センター」の活動を取り上げていました。理事の半分が大学生で、寄付金で運営されている財団法人です。学生や子供たちが中心となって子供の貧困対策に立ち上がっています。
 ところで政府が子供の貧困対策に「子供の未来応援基金」を設置して民間からの寄付を呼びかけていますが、10月末で集まった寄付金がわずか160万円とか。私が当惑しているのはなぜ議員(国会、地方議会)が率先して寄付活動を行わないのか、ということです。ここで簡単な試算をしてみます。議員の種類により歳費が異なりますので、寄付金額を次のように一律に設定してみます。
国会議員   1人当たり1万円(717人)
都道府県議員 1人当たり5千円(2708人)
市区町村議員 1人当たり3千円(34201人) *議員定数は2009年当時のものです。
この人数で寄付金を計算すると、ひと月に123,313,000円(1億2千3百31万円)、年間では1,479,756,000円(14億7千9百75万円)となります。市民の代表、国民の代表が率先して寄付を行えば、これだけのお金が集まり、子どもの貧困対策に使うことができます。議員の方で、どなたかこの発案を実行してくださる人はいませんか。まずは「隗より始めよ」(物事はまず言い出した者が着手すべきである)です。

2015年12月21日

#12 これでいいのか?

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 毎日実家から当塾まで天気の良い日には自転車で移動していますが、その途中にお寺があり、その掲示板に標語が貼ってあります。およそひと月ごとに変わりますが、今貼ってある標語が写真のものです。文字が小さいので引用します。(ブログのタイトル「ひつじの独り言」をクリックすると写真がご覧いただけます。)
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  老いが 病いが 死が
  私の生を問いかけているのです
  「これでいいのか?」と      二階堂行邦
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 確かに至言です。人生が順調に言っている場合にはあまり意識しませんが、入試や就職、結婚、離婚、病気、老いなど人生の節目に差し迫った時に「これでいいのか?」と聞こえてきます。聞こえてくる人は幸いです。今までの生き方を反省し、後の人生をより良く生きていけます。自分の生き様を振り返り、「これでいいのか?」と絶えず自分に問いかけていきたいものです。

2015年12月14日

#11 西日本新聞の追加記事について

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 12月5日付けの西日本新聞(筑後版)に当塾の追加記事が載りましたので、少し説明したいと思います。記事の写真を載せましたが、画像が小さいので本文を引用します。
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(12/5西日本新聞筑後版コラム「はぜの実」より)
 「教員がきちんとしないと教育はよくならない」。元高校教員の西尾和展さん(58)は取材に対し、熱い思いを訴えた。数年後に控えていた定年を前に高校を依願退職し、大牟田市内に世帯年収約200万円以下の家庭の子どもは無料で英語が学べる学習塾を開いた。▼運営資金には退職金と貯金を充てている。正直、将来への不安はなかったのか聴くと、西尾さんは「怖くはなかった。お金は自分に使うのが楽だが、どんな使い方をするのが一番大事」と話した。思わずメモを取る手が止まった。記事には載らなかったコメントだが、今でもその意味を考える▼貧困家庭の子どもの割合が他の地域に比べて高いとされる九州。貧困の連鎖を断ち切るためにも無料学習塾の拡充は欠かせない。社会で支える仕組みを考えたい
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 上記の記事で追加説明したいことがあります。記事の冒頭の前に「親はこの鑑である」が紙面の都合上省略されています。「どのような環境におかれても、親が自分の真摯な生き方を子供に見せる」ことで、子どもは育っていきます。反対に親がいい加減な言動や生き方をすれば、自ずと子どもに悪影響を与えます。昔の人は自分の生き様を見せることで子どもを教育していました。その意味では本当に偉かったと思います。翻って現代の大人はどうでしょうか。若い世代や子供たちに胸を張って生きていると言えるでしょうか。
 なお記事の冒頭ですが、多くの先生方は本当に一生懸命生徒を教え、指導しています。特に多くの高校では7:40より朝補習が始まり、終礼が終わるのが16:00過ぎになります。その後部活動の指導や生徒面接、居残り指導、放課後の課外授業などで放課後の時間を過ごし、自分の授業の準備に取り掛かるのが早くても18:00以降になります。おそらく学校を出る時間が20:00を過ぎる先生方もたくさんいらっしゃるでしょう。
 ところが一生懸命頑張る先生がいらっしゃる一方で、そうではない教員がいることがよく耳に入ってきます。実際当塾に参加している子供達から耳にします。中には学級崩壊状態のクラスもあるようです。そこで記事の冒頭にありますように「教員がきちんとしないと教育はよくならない」ということです。家庭の中心は親です。親がきちんとしないと子供は育ちません。同様に教員(当然学校全体)がきちんとしないと生徒が育たないのです。もし生徒が荒れているクラスや学年、学校があれば、一度教員全体で現状を考え、自分達に落ち度がなかったか考える必要があるのではないでしょうか。「教育は国家百年の計」と言われます。子供が育たないと国が亡ぶのです。そのために教育は労働ではなく聖職です。
 なお記事に運営資金のことが書かれていましたが、正直言いまして金銭的には将来が不安です。ただ現在自分ができることを行わなければ将来もっと後悔することになります。一流企業が倒産する時代です。いくらお金があっても将来何が起こるか誰にも分かりません。私は今世教員人生を歩んできましたので、人生の集大成として現在の活動をしているだけです。「情けは人のためならず」と申しますが、その意味でも活動を始めた次第です。

2015年12月10日

#10 御礼申し上げます

 12月1日の西日本新聞(社会面)に当塾の記事が載り、多くの問い合わせや激励のお電話をいただきました。また当塾の設立趣旨に賛同して文具や寄付金を送って下さった方もいらっしゃいました。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
 今回の記事による様々な反響で、人の心の温かさを改めて感じることができました。自分の道楽で始めた学習塾ニコラですが、初心を忘れずに着実に活動を広げていきたいと思っております。またこの場をお借りして一言申し上げたいと思います。皆様の御支援はお気持ちだけで十分です。私には10年間活動できる資金が手元にありますので、物質的なご支援は他の緊急に支援しなければならない団体等になさってください。ご支援くださった皆様に重ねて御礼申し上げます。有難うございました。

2015年12月07日

#9 世の中は狭い・・・西日本新聞記事掲載の経緯(2)

 前回のブログの続きです。新聞記事にありますように、生活困窮家庭の子供たちには無料で学習に参加してもらっていますが、当塾は様々な世代の方に来ていただけるように努めていきます。本日の記事をお読みになった60代や70代の方から参加したいとの連絡を受けました。ありがたいことです。また福岡から子どもを通わせたいというお電話もいただきました。本当にありがたいことです。おそらく各地に無料で教えてくれる塾があると思われますので、各市町村の役場や社会福祉協議会などに問い合わせしていただければ、活動している団体を紹介していただけるかもしれません。
 なお記事の最後に教育格差をなくすために無料塾を支援する仕組みが必要だ」と書いて頂いていますが、より詳しく説明すると、「教育に対する国の仕組み」を変えていきたいと思っています。国は子供の貧困対策にようやく重い腰を上げ始めましたが、まだまだ不十分だと思います。それではどのように仕組みを変えていくか。後日このブログで私見を述べてみたいと思います。

 

2015年12月01日

#8 世の中は狭い・・・西日本新聞記事掲載の経緯(1)

 新着情報欄にも載せましたが、本日西日本新聞社会面に当塾が紹介されました。紙面の都合上、詳細な経緯は書かれていませんが、次のような事がありました。
 現在大分大学で教えている大学時代の友人に無料学習塾を始める連絡をしたところ、彼がフェイスブックに当塾のことを載せたそうです。私はフェイスブックをしませんので、その事を知らなかったのですが、10日ほど前に西日本新聞社の記者の方から電話があり、取材をしたいとの事でしたが、開塾したばかりなので、その時私は取材を断りました。
 しかし電話で話していくうちに私の友人の教え子であることが分かり、けっきょく取材に応じることにしました。(私の方から新聞社に売り込んだ訳ではないので、どうぞ御理解下さい。)
 新聞記事のタイトルにはには無料英語塾と書かれてありますが、当塾の正式名称は「無料学習塾ニコラ」です。なぜ「ニコラ」と名付けたのかは後日説明いたします。当塾を企画した時は国語・数学・英語の3教科の講座を考えていたのですが、志を同じくする大牟田市社会福祉協議会が今年8月から実施しています学習支援事業(私もボランティアとして参加しています。)で参加している生徒たちに数学や国語の指導をしていますので、当塾は当面英語に特化した学習塾と位置づけしています。なお大牟田市内の方で社会福祉協議会の学習支援活動に興味のある方(生徒の学習活動への参加、または学習支援ボランティア希望者)は当協議会へ連絡してください。(続く)

2015年12月01日

#7 日本の教育支出最下位!

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11月25日付の西日本新聞に上記タイトルの記事が載っていました。その記事によるとOECD(経済協力開発機構)の2012年の調査で日本が加盟国32カ国中最下位だったということです。また教員給与も減少していることが述べられています。「教育は国家百年の計」と言われますが、国の将来を背負う子どもを育成せずに国家の隆盛は絶対ありません。その点、幕末や明治維新で活躍した教育者は本当に偉かったと思います。あの時代に様々な分野で偉人が傑出したのは江戸時代の寺子屋制度が国中に広まっていたからであり、国民の教育力の高さが当時の日本を植民地にしようする海外勢力から救ったのです。さて現代の日本はどうでしょうか?国会議員から地方の市町村の議員まで、本当に国のことを憂いている議員がはたして何人いるでしょうか。なさけない世の中になったものです。この記事の詳細は下記のアドレスにアクセスください。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/article/209042


2015年11月29日

#6 子どもの貧困対策センター あすのば

 先日の日曜日(11/22)に友人の紹介で福岡市で開催された一般財団法人「あすのば」の交流会に参加しました。私も最近知ったのですが、この財団は子どもの貧困対策のために今年の6月に設立された一般財団法人だそうです。
 交流会では様々なNPOの関係者や一般市民、新聞記者など数十人が集まって生活困窮家庭の実情や問題点などを話し合いました。「あすのば」は企業や一般の市民などからの寄付金で運営されています。このような活動を通して生活困窮家庭の子供たちが夢や希望を持ち、将来の道を切り開いて行けるように支援したいものです。「あすのば」に興味がある方は次ののサイトにアクセスしてみてください。

http//www.usnova.org

 

2015年11月25日

#5 九州の子ども2割が貧困!?(続き)

 前回のブログで「九州の子ども2割が貧困」という西日本新聞の記事を引用しましたが、特にここ数年経済格差のさらなる拡大に伴い親から子への貧困の連鎖もより深刻になっています。それが教育の格差にも大きな影響を与えています。そのような社会状況を憂いて全国各地で有志のボランティアによる学習支援活動や無料学習塾がおこなわれています。ただ現状では多くが個別に活動しており、貧困家庭の子供たちのために、手をつないで行動するまでには行かない状況です。このような状況を少しでも打開して行きたいと思っています。

 

2015年11月17日

#4 九州の子ども2割が貧困!?

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 少し前の西日本新聞に上記の見出しがありましたのでデータ写真を載せています。写真を表示するには「ひつじの独り言」をクリックしてください。なお写真が小さいので詳細は下記のアドレスを参考にしてください。
 この記事によると九州の子どもの2割が貧困で、福岡県が23.0%、鹿児島県が21.3%と続いています。全国平均が15.6%なので九州の貧困率の深刻さが分かります。厚労省が定義している貧困は平均的な年収の半分(4人世帯で224万円)を下回る世帯ということです。
福岡県では福岡市などの都市部よりも大牟田や田川などの郡部が貧困率が高いと思われます。関係者の話では大牟田市内に約200名の貧困世帯の子どもたちがいるそうです。
「教育は国家百年の計」と言われます。子どもの貧困対策として政府もようやく重い腰を上げましたが、あくまでも活動資金は民間の寄付を当てにしているようですが、果たして国の姿勢がこれでよいのか先が思いやられます・・・(続く)

参考記事: hppt://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/205101

 

2015年11月15日

#3 開塾から1週間経ちました

 先週の水曜日に開塾して1週間経ちました。当塾のホームページアクセス数も150に達しました。特に宣伝していませんが、全国から(海外から?)当塾に関心を持って頂き感謝しております。このブログもできれば週1~2回更新していきたいと思っております。

 塾生は現在中学3年生と高校2年生数名が参加しています。当塾で学ぶ目的は生徒によって異なりますが、教えることによって学ぶことが沢山あります。お互い切磋琢磨し合って行きたいと思っています。

 

2015年11月11日

#2 明日開塾します

ようやく塾の準備が完了しました。特に時間がかかったのがホームページの作成です。ワープロや表計算とは異なり、ネットワークなど別の知識が必要で、それを理解しながらHP作成の手順を理解するのに結構時間がかかりました。なんとかブログでメッセージを伝えることができ、一応ほっとしています。

 

2015年11月03日

#1 ブログ始めました

10月11日に当塾サイトを公開しました。11月4日に開塾します。興味のある方や入塾希望者は一度連絡してください。お待ちしています。
2015年10月11日