#146 死は人生で最も大切なことを教えてくれる

 季節はすでに晩秋から初冬へと移り、例年になく真冬のような寒さが続いています。昼前から雨が降り出しましたが、気温が数度低ければ、雨が雪に変わるような今日の天気です自然の季節には四季があり、青春・朱夏・白秋・玄冬と呼ばれていますが、人生にも同じような四季があります。釈迦は生老病死を唱えましたが、まさに私たちの人生のそれぞれの段階を表しています。
 さて本日のブログのタイトルは、以前ご紹介しました聖心会シスターである鈴木秀子氏の最近の本で考えさせられる一文がありましたので、今日はそれをご紹介します。

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「死」で人は、攻撃しなくなる
     「死は人生で最も大切なことを教えてくれる」鈴木秀子(SB Creative刊)より抜粋

 中学3年生の少女、Eさんの話です。Eさんは、とある女子校に通う明るく朗らかで気立てのよい少女でした。幸せな家庭に育ち、何不自由なく過ごしていました。
 しかしある日、突然体調に異変を感じ、大きな病院で精密検査をいくつも受けることになります。検査の結果、彼女の内臓には末期のガンが見つかりました。しかも、そのガンがあまりにも進行しているため有効な治療法はなく、Eさんは余命いくばくもないことがわかりました。
 もちろんその結果は、主治医からEさんのご両親にすぐ告げられました。でもご両親は、それれの事実をすべて、彼女に伝えないことを決意します。そして彼女が息を引き取るその日まで、皆でゆっくり過ごすことにしたのです。
 とはいえ、カンが鋭いEさんは「私はもう死に向かっているのかしら?」と察している節があったそうです。さらには「私の病気には、治療の手立てがもうないのかしら?」とご両親に尋ねたこともありました。しかしご両親は「本人のためにも最後まで本当のことを告げない」という方針を貫くことにします。
 それは、娘のEさんが通う学校に対しても同じでした。ある日お父様はわざわざ仕事を休み、一度学校を訪れ、担任の先生と直接話をします。とはいっても、次のことしか伝えませんでした。
 「娘がいつもお世話になりまして、ありがとうございます。実は娘は体調が悪く、学校を休まざるを得なくなってしまいました。また通えそうになりましたら、ご連絡します。」
 Eさんの症状も病名も、何も明かさなかったのです。でも、その程度の伝達事項であれば電話連絡でも十分なはずですから、その時に担任の先生は「お父様がなぜ欠勤してまで学校を訪れ、娘が休むという意思を伝えにきてくださったのか」と少しいぶかしく思ったそうです。
 あとからお父様に聞くと「娘の病気のことを言葉にして伝えると、娘が本当に死んでしまうと思ったのです」と弁明していました。つまりお父様自身も、Eさんの死を受け入れることができでいなかったのです。
 やがて、Eさんは亡くなります。その事実が学校に伝えられた時、今まで何も知らされていなかった担任の先生をはじめ、級友たちはあまりの突然の悲劇に驚きました。数カ月前まで同じ教室で机を並べて楽しい時間を共有していたEさんが、一言も別れを告げずに天国に旅経ってしまった。それは確かに、衝撃的な事件であったはずです。
 そして、担任の先生も級友たちも、Eさんの葬式にそろって参列しました。すすり泣く声が満ちてただでさえ悲しい雰囲気の中、そこには追い打ちをかける出来事が起こりました。それは出棺の時のことです。
 その地域では、「親が子どもに先立たれた場合は、母親は火葬場に赴いてはいけない」という風習がありました。ですから霊柩車に棺が乗せられると、あとは「お骨になって、骨壺に入って帰ってくるだけ」になるのです。
 お母様は、その風習をとても受け入れられなかったのでしょう。「それならば、棺を霊柩車には絶対に乗せるまい」と、男性たちが運ぶ棺にしがみつき、往来で人目もはばからずEさんの名前を呼び、泣きじゃくり続けました。周りの人たちに押さえられ、なだめられるうちに、お母様の着物の裾は乱れはだけて、白い襦袢があらわになりました。けれども、そんなことを気にするそぶりを微塵も見せず、お母様は懸命の抵抗を試みました。
 その格闘は数分間も続いたでしょうか。何人かの屈強な男の人たちがお母様をなんとか押さえつけ、羽交い絞めにして、ようやく霊柩車は火葬場へと出発しました。それを追いかけるように、ご親族たちもしめやかに車で移動していきました。
 Eさんの同級生たちはそれら一連の騒動を、道路の向かい側からまるで演劇でも鑑賞するように、ただぼんやりと静かに傍観していたそうです。多感な年代の少女たちの柔らかな心に、「死」の実感が強烈に印象づけられたのです。
 それから、Eさんのクラスは、雰囲気がガラリと変わりました。教師に口答えするなど犯行的な態度をとっていた多くの生徒たちが、打って変わって素直になりました。それまで、特定の生徒に悪口や虫などのいじめを行っていたグループが「許してほしい、そして仲良くしてほしい」と謝ったりしたのです。
 そのような変化は隣のクラスやその学年にまで広がりました。そして教師たちの手に負えなかった不良グループまでもが急に反省の色を見せ、派手な身なりや行動を改めはじめました。さらには、生徒たちを叱るだけだった教師たちの姿勢にも変化が起こり、学校全体に「優しさ」が伝播したというのです。「その年の入学試験の受験者数も増えた」とも、あとから風の便りに聞きました。
 Eさんの突然の死は悲劇としか言いようがなく、多くの人に衝撃と悲しみを与えました。しかし、Eさんは、自身の死を通して「命があることが当たり前ではない」という「ともすれば忘れがちな真理」を、級友や教師など多くの人に教えてくれました。
 その結果、命の尊さに気づいた仲間たちは。「命ある限り、人には優しくしよう」と、はじめて行動を変えることができました。Eさんの死は、周囲の多くの人々を成熟へと導いてくれたのです。
 私たちもEさんの人生から、貴重な教訓を学ぶことができます。「明日、身近な人が死ぬとわかっていたらどうするか」、想像力をたくましくして考えてみましょう。その人が嫌いだったとしても、きっと優しく接することができるはずです。
 またその応用形として「明日、自分が死ぬとすればどうだろうか」と考えてみましょう。嫌いだった人の長所も見えてくるはずです。

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 長文の抜粋となりましたが、確かに「命」について考えさせられる名文です。この場合、死に逝く者に対して事前告知をどうするか、という問題は別にして、自分の身近な人に死期がが迫った場合にどうふるまうか、また自分の命がまもなく尽きることが分かった場合に、どのように受け止め行動するか等、様々なことが考えさせられます。そして自分自身の「死」に対して正直に向かい合うことで「人生の意味」や「真摯に生きる」という意味を掴むことができます。この本の一読をお勧めします。


2017年12月10日