#380 運命と因果応報(3)

 今週末は久しぶりに晴天が続いていますが、明日からまた梅雨空が続くようです。今年の5月はひと月早い五月雨となっています。
 さて運命と因果応報の3回目となります。この文章を呼べば稲森和夫氏が一生を通してどのような考え方を貫いたかが如実に分かります。

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運命と因果応報(3)

 しかし、「因果応報の法則」はあるのです。宇宙の始まりはひと握りの超高温超高圧の塊でした。それが約百五十億前に大爆発して、素粒子同士が結合して用紙や中性子、中間子をつくり、そこに電子がトラップされて水素原子ができた。その水素原子同士が融合して、ヘリウムという原子ができた。このようなことを繰り返して、現在宇宙に存在するあらゆる元素がつくられ、さらに分子や高分子がつくられ、やがて生命体が生まれ、われわれ人類に至っているのです。
 最初の素粒子のままで百五十億年間とどまってもかまわないし、原子の段階で止まってもおかしくはない。しかし、宇宙は次から次へと生成発展を繰り返し、人類というものまでつくった。なぜか。宇宙には神羅万象あらゆるものを生成発展させ、成長させようとする意識が働いているのです。
 われわれが善き意識をもったとき、それは宇宙に充満する「すべての生きとし生けるものよ、よかれかし」という意識-「創造主の意識」といってもよいかもしれませんが-と合致します。そのような美しい個人の意識は、宇宙の意識と波長が合い、すべてがうまく行き、物事が成功、発展へと導かれていくのです。逆に、宇宙の意識に逆行すれば失敗するに決まっているのです。
 そう考えると、没落や衰亡が起こるのも理解できます。たとえば、会社が倒産するのは、うまくいっていたときに「善きことをしなかった」「世のため人のためになることをしなかった」「その後、真面目に働かなかった」等々、つまり宇宙の意識に反するようなことをした報いとして起こるわけです。
 昨今、かつては高く評価されてきた企業が倒産したり、倒産寸前の死に体の状態に陥ってしまう事例が目につきます。それに従って、名経営者と讃えられ、尊敬を受けてきた人が失墜し、没落の憂き目に遭っています。三十年、四十年というスパンで発展から衰退の道をたどることもあれば、昨今のベンチャー企業のように、わずか数年で急成長をとげ、まもなく転落していくところもあります。いずれにせよ、功なり名をとげた企業があっけなく崩れていきます。
 経営者であれば、企業が傾いたり倒産するような事態は「何がなんでも避けたい」と願うはずです。それなのに、なぜ、成功がつづかないのかといえば、「運命」もありますが、やはり「因果応報の法則」の結果だと私は思います。
  二十世紀初頭のロンドンでは、インテリたちが集まり、死んだ人の魂と交流する交霊会というものがよく開かれていたそうです。ある町医者が主催する交霊会には、いつもシルバーバーチと名乗るインディアンの霊が現われ、いろいろな話をしたそうですが、その話がまとめられ本になっています。その本をたまたま読んでいたときに、1カ所、強く惹きつけられるところがありました。長年疑問に思っていた「因果応報の法則」が説明できないということについて、シルバーバーチは次のように述べていたのです。
 「みなさんは因果応報の法則を信用していないでしょう。善きことをしたからよい結果が出るとか、悪いことをしたから悪い結果が出るということがはっきりしないので、信用しないのだと思います。しかし、短い期間ではそのとおりに出てきませんが、十年、二十年、三十年という長いスパンで見れば、必ずそうなっています。また、現世では結果が出てこないケースもありますが、私のいる世界(あの世)も含めて見れば、一分一厘の狂いもありません。寸分の狂いもなく、悪いことをした人は悪いように、善いことをした人は善いようになっています。因果応報の法則は正しいのです。」
 三十年、四十年という長いスパンで見れば、だいたい辻褄が合う。それでも結末のつかない場合も、あの世に行けば寸分の狂いもなく帳尻が合う、といっているのです。
 いま、われわれが行なっていること、思っていることが、何年先か何十年先か分かりませんが、やがて必ず起こる結果をつくっているのです。いまつくっている業(カルマ)が原因となる現象は将来必ず現れます。そのときに慌てふためいて悲しんでも、もはや遅いのです。ぜひ、このことを心にとめて、日々善きことを行なうようにしていきたいと思います。
(「稲森和夫の哲学 ― 人は何のために生きるのか」PHP文庫 第十二章より)
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 三回に分けて稲森氏の人生に対する考え方をご紹介しましたが、はたして起業家のなかに稲森氏のような人生観を持っている人がどれだけいるでしょうか。特に成長著しいIT企業の盛衰が激しいのは、この運命と因果応報の法則を無視した結果のような気がします。利益中心の企業精神が産んだ負の連鎖でしょう。
 このことは個人の一生や、企業の存続だけでなく国家にも言えることです。人民を無視した国家の滅亡は例外がありません。旧ソ連や、ルーマニアがよい例です。現在の中国や北朝鮮、軍事政権のミャンマーがいつまで存続するかは分かりませんが、国民を無視した国家の命運がすでに定まっています。国家の興亡は因果応報の法則に従います。歴史は繰り返すのです。

2021年05月23日