#258 夏の終わりとセミの声

 先日の豪雨による大きな災害が佐賀県を中心にでています。特に大町町では工場からの工業用油の流失で付近の田畑や住宅が大規模の範囲で油まみれになっており、稲作が全滅の状況です。また油の一部が有明海に流れ込んでおり、国内最大のノリ養殖に甚大な危害が出る可能性があります。想定以上の豪雨のために予期せぬ人災が生じてしまいます。企業側は様々なことを想定したうえで、自社の工場等を守り、かつ周囲に影響を与えないような対策を取る必要があるでしょう。災害地がすみやかに復旧することを祈ります。
 ところで今日は8月31日で、暦の上では夏の終わりです。普段ですとお盆過ぎからセミの鳴く声がツクツクボウシへと変わり、晩夏を彩るのですが、今年の夏はお盆過ぎから連日雨が続き、特に先日の豪雨でここ数日はセミの声がほとんど聞こえません。おそらくセミたちも雨に打たれて死んでいったのでしょう。ツクツクボウシの鳴く日が今年来るのか心配です。去りゆく夏を惜しんで鳴くセミは晩夏の風物詩とも言えます。
 さて、今日はセミに関する面白い記事を見つけましたのでご紹介します。

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『セミの最期は澄んだ空を見ることさえできない
        土の中に何年も潜り、一夏で子孫を残す』(東洋経済オンライン)
 生きものたちは、晩年をどう生き、どのようにこの世を去るのだろう──。
老体に鞭打って花の蜜を集めるミツバチ、成虫としては1時間しか生きられないカゲロウなど生きものたちの奮闘と哀切を描いた『生き物の死にざま』(稲垣栄洋著 草思社)から、セミの章を抜粋して掲載する。

〇死を待つセミは何を見る。
 セミの死体が、道路に落ちている。セミは必ず上を向いて死ぬ。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がる。そのため、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうのだ。
 死んだかと思ってつついてみると、いきなり翅(はね)をばたつかせてみたりする。最後の力を振り絞ってか「ジジジ……」と体を震わせて短く鳴くものもいる。
 別に死んだふりをしているわけではない。彼らは、もはや起き上がる力さえ残っていない。死期が近いのである。仰向けになりながら、死を待つセミ。彼らはいったい、何を思うのだろうか。彼らの目に映るものは何だろう。澄み切った空だろうか。夏の終わりの入道雲だろうか。それとも、木々から漏れる太陽の光だろうか。
 ただ、仰向けとは言っても、セミの目は体の背中側についているから、空を見ているわけではない。昆虫の目は小さな目が集まってできた複眼で広い範囲を見渡すことができるが、仰向けになれば彼らの視野の多くは地面のほうを向くことになる。もっとも、彼らにとっては、その地面こそが幼少期を過ごした懐かしい場所でもある。
〇「セミの命は短い」とよくいわれる。
 セミは身近な昆虫であるが、その生態は明らかにされていない。セミは、成虫になってからは1週間程度の命といわれているが、最近の研究では数週間から1カ月程度生きるのではないかともいう。とはいえ、ひと夏だけの短い命である。
 しかし、短い命といわれるのは成虫になった後の話である。セミは成虫になるまでの期間は土の中で何年も過ごす。
 昆虫は一般的に短命である。昆虫の仲間の多くは寿命が短く、1年間に何度も発生して短い世代を繰り返す。寿命が長いものでも、卵から孵化(ふか)して幼虫になってから、成虫となり寿命を終えるまで1年に満たないものが、ほとんどである。
 その昆虫の中では、セミは何年も生きる。実に長生きな生き物なのである。
〇幼虫の期間が長い理由
 一般に、セミの幼虫は土の中で7年過ごすといわれている。そうだとすれば、幼稚園児がセミを捕まえたとしたら、セミのほうが子どもよりも年上ということになる。
 ただし、セミが何年間土の中で過ごすのかは、実際のところはよくわかっていない。何しろ土の中の実際の様子を観察することは容易ではないし、仮に7年間を過ごすとすれば、生まれた子どもが小学生になるくらいの年数観察し続けなければならない。そのため、簡単に研究はできないのだ。土の中での生態については、いまだ謎が多いのである。それにしても、多くの昆虫が短命であるのに、どうしてセミは何年間も成虫になることなく、土の中で過ごすのだろう。
〇セミの幼虫の期間が長いのには、理由がある。
 植物の中には、根で吸い上げた水を植物体全体に運ぶ導管(どうかん)と、葉で作られた栄養分を植物体全体に運ぶ篩管(しかん)とがある。セミの幼虫は、このうちの導管から汁を吸っている。導管の中は根で吸った水に含まれるわずかな栄養分しかないので、成長するのに時間がかかるのである。
 一方、活動量が大きく、子孫を残さなければならない成虫は、効率よく栄養を補給するために篩管液を吸っている。ただ、篩管液も多くは水分なので、栄養分を十分に摂取するには大量に吸わなければならない。そして、余分な水分をおしっことして体外に排出するのである。
 セミ捕り網を近づけると、セミは慌てて飛び立とうと翅の筋肉を動かし、体内のおしっこが押し出される。これが、セミ捕りのときによく顔にかけられたセミのおしっこの正体である。夏を謳歌するかのように見えるセミだが、地上で見られる成虫の姿は、長い幼虫期を過ごすセミにとっては、次の世代を残すためだけの存在でもある。
〇繁殖行動を終えた成虫に待つのは…
 オスのセミは大きな声で鳴いて、メスを呼び寄せる。そして、オスとメスとはパートナーとなり、交尾を終えたメスは産卵するのである。これが、セミの成虫に与えられた役目のすべてである。繁殖行動を終えたセミに、もはや生きる目的はない。セミの体は繁殖行動を終えると、死を迎えるようにプログラムされているのである。
 木につかまる力を失ったセミは地面に落ちる。飛ぶ力を失ったセミにできることは、ただ地面にひっくり返っていることだけだ。わずかに残っていた力もやがて失われ、つついても動かなくなる。
 そして、その生命は静かに終わりを告げる。死ぬ間際に、セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか。あれほどうるさかったセミの大合唱も次第に小さくなり、いつしかセミの声もほとんど聞こえなくなってしまった。
 気がつけば、周りにはセミたちのむくろが仰向けになっている。夏ももう終わりだ。季節は秋に向かおうとしている。
(https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/セミの最期は澄んだ空を見ることさえできない-土の中に何年も潜り%ef%bd%a4一夏で子孫を残す/ar-AAGhqYF#page=2)

 人間の80年の命に比べれば、成虫となりわずか7日しか生きられないセミは確かに短命ですが、人間と大木を比較すると、何千年も生きる木と比べると人間は短命です。真夏に声を絞りながら必死に生きていくセミのように、私たちも勉強し、働き、自分の人生を謳歌して命を全うする人間でいたいものです。
 明日は9月1日、暦の上では秋がもう始まります。

2019年08月31日