#256 長崎とNagasaki

 先日の大騒がせな台風が秋風を何処からか運んできたようです。ここ数日間昼間はまだ厳しい残暑が続いていますが、早朝や夜遅く涼しい風が吹き出しています。少しずつ夏が終わりを告げているようです。
 さて、同じ言葉や表現でも、ところ変われば全く使い方が異なる事例が散見されます。例えば「長崎」と言えば日本人は異国情緒、中華街、出島、26聖人を始めとするキリスタン弾圧などが思い浮かぶのではないでしょうか。ところがアメリカでは意外な意味に使われていることが明らかになりました。今月8日の西日本新聞で、次のような記事が紹介されました。(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533636/)

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『米ドラマで「ナガサキする」 “破壊する”の意味で使用 原爆に着想、俗語表現か』
 米国で大ヒットし、日本でもNHKで放映されている連続ドラマ「THIS IS US(ディス・イズ・アス)」で、「Nagasaki」という単語が「破壊する」「つぶす」という意味の動詞として使われている。原爆の壊滅的な威力を踏まえ、完膚なきまでにたたきつぶすという意味合いで用いたとみられる。日本語版製作関係者によると「ナガサキする」という動詞としての用法は、過去の欧米作品には見当たらず「ショックを受けた」といった声が上がっている。
 作品は誕生日が同じ36歳の男女3人と両親を中心に描く連続ドラマ。米NBCテレビが放映し、テレビ界最高の栄誉とされるエミー賞の主演男優賞も受賞、続編の製作が続いている。
「Nagasaki」がせりふに使われたのはドラマのシーズン1(計18話)第2話「ビッグ・スリー」。主要人物の一人、俳優ケビンがコメディードラマで道化役を続けるのに嫌気が差し降板を決意、テレビ局の代表と会話する場面だ。ケビンに対し代表は言う。
 「If you do,I'll be forced to Nagasaki your life and career.(もし降りるなら、君のキャリアを徹底的につぶすしかない)」
 さらに、かつて人気だった別の俳優の名前を挙げ、自分に逆らった俳優の末路を思い知らせようとする。さらに、かつて人気だった別の俳優の名前を挙げ、自分に逆らった俳優の末路を思い知らせようとする。
 「I Nagasak'd him.(私がつぶした)」
 (日本語訳はDVD吹き替え版、英語は英語字幕より)
 日本市場向けに作品の字幕・吹き替え製作を担当した東北新社(東京)によると「Nagasaki」という単語が動詞に使われたケースは「確認できる範囲では、過去に事例はない」といい「このような使い方をされていることに驚いた」と話した。
 一般的な辞書には記載がなく、特殊な俗語表現とみられる。
 西日本新聞は電話とメールでNBCに取材、表現の意図をただしたが、同社広報担当者は回答しなかった。NBCの発注でドラマを製作した米国の20世紀フォックステレビジョンは取材に対し「プロデューサーは、エピソード自体に語らせることを望んでおり、残念ながらそのことについて話すつもりはない」と回答した。
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 どのような背景でNagasakiが使われるようになったのか詳細は分かりませんが、脚本家の印象としてnagasaki=破滅の意味で用いたのでしょう。しかしその脚本家は原爆投下後の長崎の惨状を知らないと思われます。実際の長崎の惨状をフィルムや写真等で目にすれば、このような表現を使おうとは思わないでしょう。nagasakiという表現は正式な英語表現ではないようですが、軽はずみで使用して欲しくないと思います。
 同じく西日本新聞の今月9日のオピニオン欄に次の記事が掲載されました。

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『福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さんが留学したのは米ワシントン州リッチランドという町…』(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533999/)
 福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さん(現在明光学園高等学校の3年生です。)が留学したのは米ワシントン州リッチランドという町。長崎原爆に使われたプルトニウムの生産基地だった
 戦後も核関連産業が経済を支える「原子力の町」。原爆のきのこ雲は町のシンボルであり誇りでもあった。学校のロゴマークや学用品にもそのデザインが使われていたという。
 そんな米国での「当たり前」が、長崎の原爆資料館を訪れた経験もある古賀さんに違和感と疑問を募らせる。多くの人の命を奪った原爆は誇れるものですか。犠牲になったのは普通の市民なんです―
 現地で思いを発信した。どんな反応が返ってくるか、不安や恐怖心さえあっただろう。反響は両論あった。「原爆のおかげで終戦が早まった」との肯定論は変わらずにある。一方で、あなたが声を上げなければ「日本側の考えを知る機会は一生なかった」との意見も届いたそうだ
 原爆を落とした側にとって、立ち上るきのこ雲は軍事的にも政治的にも勝利の象徴である。だから、その下で起きた惨劇は国民に伝えられない。街や人が溶かされるように壊されたことを、知る機会も知らされる機会も多くはないと聞く
 3日前の本紙にあった古賀さんの記事を読みながら、異国で振り絞ったであろう勇気の大きさに心が揺れた。「被爆国の国民として問い続けていきましょう」と18歳の若者に後押しされたような、今日は長崎原爆の日。
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 なお、古賀野々華さんに関する記事は次のものです。動画サイトが添付されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。

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『【動画あり】「きのこ雲、誇れますか?」高3の動画が話題に 米留学先の高校ロゴに異議』
 「きのこ雲の下にいたのは兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに感じるべきでしょうか」-。福岡県大牟田市の高校3年生、古賀野々華さん(18)が、米国の高校に留学していた5月、校内向けの動画で、原爆のきのこ雲を模した高校のロゴマークに異を唱えた。動画はインターネット上で拡散し、広く話題に。1年間の留学を終え、6月に帰国した古賀さんは「批判を恐れずに、自分の意見を伝えることの大切さを学びました」と振り返った。
 留学先は米ワシントン州リッチランドにあるリッチランド高。町では戦前、長崎に投下された原爆のプルトニウムが生産された。原子力の生産や技術の研究が町の発展に寄与し、核関連産業が町の経済を支えてきた。
 同校のロゴマークは「R」の文字にきのこ雲を模したもので、パーカやジャージーなどあらゆる学用品にあしらわれている。
 「原爆を、こんなふうに扱っていいの?」。留学後に町の歴史を知り、日々を過ごすうちに膨らんだ違和感が問題意識に変わったのは半年が過ぎた頃。米国史の授業で、多くのクラスメートが「原爆のおかげで戦争が終わった」との考えを示していたからだ。
 そんな古賀さんの様子に気付いた教師から、校内放送に出演し、メッセージを伝えることを勧められた。読み上げる英文作りには、ホームステイ先のホストマザーも協力してくれた。
 帰国を間近に控えた5月30日、校内放送に出演した。原爆投下で大勢の市民が犠牲になったこと。日本では原爆の恐怖を学び、犠牲者を悼む「平和の日」があることなどを紹介。「きのこ雲は、爆弾で破壊したもので作られています。きのこ雲に誇りを感じることはできません」と締めくくった。
 歴史あるロゴマークに愛着を持つ人も多い中、同級生から「あなたを誇りに思う」「あの動画がなければ日本側の意見を知ることは一生なかった」と勇気ある行動を称賛された。地元紙でも取り上げられ、古賀さんのメッセージをきっかけにさまざまな場所で議論が生まれた。
 「ここまで反響があるとは思いませんでした。私はロゴマークを変えさせたかったわけではありません。ただ、(原爆を)投下された側の気持ちを知ってほしかった」。いま、古賀さんはそう振り返る。将来は、米国で学んだことを生かした仕事に就きたいという。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533053/?page=2)
*動画サイトのURL(https://youtu.be/mpY8q1XH3QI)
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 加害者が被害者の心情を理解するのは難しいものです。足を踏んだ者は踏まれた者の痛みを理解するのが難しいものです。私たちの日常生活でも何気なく話していることが相手の気持ちを傷つけることが多々あります。それを避けるために相手に対して思いやりを持って接する必要があります。換言すれば、いじめている者はいじめられている人の気持ちが分かっていません。自分がいじめられて初めてその心情を理解できるのです。相手の立場を少し想像すれば相手の気持ちが分かるはずです。よいコミュニケーションとは常にお互いの気持ちを考え言動することです。このことは個人間だけでなく、国家間にも当てはまります。

2019年08月18日