#307 いつまでも分かり合えない男と女

 今日は5月31日です。明日から6月が始まります。新コロの影響でしょうか?3月から5月下旬まで新コロによる休校期間が続き、多くの学校では夏休みが極端に短くなり、遅れた授業を取り戻すことになります。小中高の夏休みは平均すると10日から15日程度に短縮されます。また土曜日に授業する学校も出てきました。最近ではエアコンを設置している学校が増えてきましたが、エアコンが無ければ真夏に室内で35度を超える中での授業は不可能です。学校の設置は地方自治体の仕事ですので、生徒が熱中症にかからないように、できるだけ早くエアコンの設置を各地町村にお願いしたいところです。
 さて、本日のブログタイトルは三流週刊誌のタイトルのようですが、「なぜ男女はいつまでも分かり合えないか」に関する面白い記事を見つけましたので転載します。かなりの長文ですが、我慢してお読みください(笑)。
----------
『レストランで「男性は通路側、女性を壁側」とするマナー以外の意味』
 異性と話していて、認識の違いでストレスを感じたことはないだろうか。脳科学・AI研究者の黒川伊保子氏は、「実は、とっさのものの見方が男女で違う。そのため、ストレスが生じる場合がある」という——。
※本稿は、黒川伊保子『コミュニケーション・ストレス 男女のミゾを科学する』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

<男女の視覚の守備範囲の境界線は約3メートル>
 「夫は、あれがない、これがない、と忙しい私を呼びつける」、「ドライブ中、妻にナビゲーションさせるとイライラする」、そんな経験はないだろうか。これ、実は、とっさのものの見方の違いから生じる男女間ストレスなのである。
 脳が不安を感じたとき、男性は、空間全体を把握し、動くもの・危険なものをいち早く察知しようとする。女性は、自身の周辺や、目の前の大切な存在に意識を集中する。
狩りをしながら進化してきた男性たちは、「遠く」の「動くもの」に感度が高くないと生き残れなかったからだ。
 子育てを担当してきた女性の側は、自分と子の周辺を綿密に見て、針の先ほどの変化も見逃さないセンスがいる。人間の赤ちゃんは、毛皮に覆われてはいない。生後1年も歩けない。あらゆる哺乳類の中で、最も脆弱な存在だからだ。だから女性は、「近く」を「綿密に」見るのである。男女の視覚の守備範囲の境界線は、約3メートル。男性はその外側を、女性はその内側を担当している。

<男女の立ち位置が、無駄なストレスを作り出す>
 男女で、レストランで食事をするとき、壁際の席に案内されたら、男性は通路側に座り、女性を壁側に座らせたほうがいい。ヨーロッパのマナー通りに。でも、理由は、レディ・ファーストだからじゃない。男性は、半径3メートルの外側に無意識のうちに目線を泳がせ、動くものに目線を走らせる傾向が強いからだ。お店のスタッフの動きや、向かいの客がワイングラスを傾けたしぐさなどに、いちいち目線が行く。目の前の大切な人に集中できる女性からしたら、「食事に集中していない」「自分に集中していない」と感じて不安になるからだ。せっかくのデートなのに、もったいなさすぎる。
 ショールームの設計にも気をつけたほうがいい。男性説明員が、店内を見渡せるような立ち位置で接客すると、他の客の動きに目線を取られることがあり、女性客からしたら、自分に集中していないとか、落ち着きがないように感じることがあるのだ。目線の運び方が違うことを知らないと、男性の“遠くをちらり”は、集中力の欠如に見えてしまう。
 ということは、女性が、男性に何かを説明するときも、立ち位置(座り位置)には気をつけたほうがいいということだ。男性を「他者の動きが目に入る」場所に立たせると、集中力を欠いているように見えてイラっとする。「話、聞いてるの?」と確認したくなることがある。しかし、これは、濡れ衣である。危険察知能力の高い男性脳は、目線が泳ぐのを止められない。そんな男性たちを、「他者の動きが目に入る」場所に立たせて、何かに集中させようとしないことだ。

<男性脳の三次元点型認識>
 男性は、半径3メートルの外側、ときには何キロメートル先までもが守備範囲である。その広い範囲を瞬時にカバーするには、「綿密に見る」というわけにはいかない。
あらゆる奥行きの、いくつもの点をチラチラッと見て、空間全体を把握して距離感をつかむのである。
 構造物を見るときは、角や輪郭をさっと注視し、構造を理解する。テクスチャー(面の質感)を味わうのは、その後になる。すべてを見るのではなく、かいつまんで見るわけだ。かいつまんで見るからこそ、瞬時に距離感が測れるし、ものの構造を見抜くことが得意なのである。
 一方で、「あなた、あそこに、赤い缶があったでしょ?」とか「あのとき、あの人、こんなバッグを持っていたわね」には、「わからん」「見てない」と応えることが多い。女性にしてみれば、「そっけない」「とりつくしまがない」と感じて、「もうちょっと、優しい口の利き方ができないの?」となじりたくもなるのだが、そもそも見ていないので、言いようがないのである。
 奥行きのあらゆる点をかいつまんで見て、空間全体を把握して距離感を測り、ものの構造を見抜く。こういうものの見方を三次元点型認識と呼ぶ。

<女性脳の二次元面型認識>
 うちの息子は、あきれるほど「目の前にあるものが見つけられない」のだが、道の距離感をつかむのは、達人なみだ。私が助手席でグーグルナビを見ながら、「450メートル先右折って言ってるけど、どっちの信号かな」と迷ったりすると、きっぱり「一つ先のほうだね」と言ったりするのだ。あまりにゆるぎないので、ためしに信号までの距離を口頭で言わせてみると、「200……100」というその数字が、グーグルナビの表示とぴったりなのである(!)。この能力は、めちゃくちゃ便利なので、目の前の醬油瓶が見つからなくたって、私もお嫁ちゃんも気にしない。むしろ、目の前にあるのにおろおろする、大きな熊みたいな彼は、お嫁ちゃんの愛情センサーを刺激するらしい。「カワイイ」と抱きしめてもらったりしている。
 一方、女性は、見えるものの表面を面でつぶして、なめるように見る。守備範囲は狭いが、見逃すことがほとんどない。これが女性の、二次元面型認識だ。女同士なら、旅の途中に、「レジ脇に、赤い缶、あったでしょ」「あった、あった。あれ、チョコブラウニーよ」「買えばよかったな」「じゃあ、戻ろうよ」みたいに盛り上がる。これが夫とだと、「レジ脇に、赤い缶、あったでしょ」「わからん」「あれ、気になって……」「それは何だ?」「わからないけど」「……」みたいになる。夫とは旅が盛り上がらないと、妻たちが感じる所以(ゆえん)だが、夫にしてみても、ちんぷんかんぷんなのだろうなぁ、この会話。会話がすれ違う前に、「見ているもの」がすれ違っているのである。

<男女は、究極なまでに効率的なペアの装置>
 夫に道を教えていて、「あなた、あの青い看板」と指さしているのに、「どこだ?」と言われて困惑することがないだろうか。50~60メートルの射程距離だと、とっさに、男女の見る場所が数メートル程ずれることがある。男性が向こう、女性は手前に。さらに、最初に見た場所に目当てのものがないと、男性はさらに遠くへと目線を走らせる。逆に、女性は手前に目線を走らせる。つまり、男女の目線は、けっして交わらないのである。男女は、感覚的に道を教え合うのには、向いていないのかもしれない。
 逆に言えば、究極なまでに効率的な「ペアの装置」なのだと思う。互いの守備範囲をキッパリと分け合って、無駄がない。冷蔵庫の扉を開けた瞬間も、男女で目線の走らせ方が違う。
 男性脳は、奥のほうを中心に、まばらに見ながら、危険な物をピックアップしようとしている。女性脳は、見えるものの表面をなめるように見て、目当ての物を見逃さない。当然、「目当てのものを見つけ出す速さと確度」は、後者に軍配が上がる。その代わり、男性は「賞味期限切れの食品」を見つけ出して、家族を危険から守ってくれるのである。公平に見れば、どちらも家族の役に立っている。妻目線で見れば、「頼んだマスタードは持ってこれないくせに、賞味期限切れの海苔の瓶を持ってくるって、どんな嫌がらせ!?」となるのだけれど。

<男女脳論はマーケティングにも応用できる>
女性は手前、男性は奥。
この話を、あるドラッグストアの店長会でしたことがある。すると、3カ月後、ある店長さんから、報告をいただいた。「女性向けの商品の販促展示を、レジの後ろの棚から、レジ前に変えた。それだけで、月間40本ベースの売り上げが、300本ベースに跳ね上がった」と。この逆もある。美容室で、男性向けの商品を目の前に置いておいても、一向に興味を示してもらえなかったのに、棚に飾ったとたんに気づいてもらえた、というようなケースだ。商品の飾り方、ポップやポスターなどの販促ツールの置き方も、男女でツボが違う。違うとわかれば、話は簡単である。女性向けなら女性スタッフに、男性向けなら男性スタッフに、「目につく場所」を指摘してもらえばいい。
 男女の脳の「とっさの使い方」の違いを知ることは、コミュニケーション・ストレスの解消だけではなく、マーケティングにも有効なのである。
(https://president.jp/articles/-/35713)
----------

 上記の主張が正しければ、男女お互いの違いを知って会話をしたり共同作業をすることは有益となります。また夫婦喧嘩などの防止にもつながります。要するに男女の考え方、感じ方が根本的に異なっており、それを理解しないでは同じ土俵で議論できないということでしょう。
 それにしても、いつまでも分かり合えないのが男女の心。それゆえに男女のテーマは古来より文学や音楽など広く芸術の対象になっています。今後も永遠に続く人類の大きなテーマとなっていくことでしょう。

2020年05月31日