#244 親父にさよなら

 九州北部はまだ梅雨入りしません。金曜日に久しぶりに雨が降りましたが、一転また晴天が続いています。雨天が続かないので、気象庁が梅雨入りを宣言できないのでしょう。このままでは空梅雨の6月になりそうです。
 さて今日は6月第3日曜日「父の日」です。「母の日」と比べて何かと影の薄い「父の日」ですが、それでも小さな子供がいる家庭では子供たちがお父さんになにかプレゼントをしてくれるのではないでしょうか。子供が成長するにつれて、特に思春期に入りますと、父親は煙たがられる存在となりがちです。今までいつも話しかけられていたお父さんは子供から口をきいてもらえず、家族とのコミュニケーションも段々少なくなり、家族から疎まれ、まるでさだまさしの噺「父さんとポチ」のようになってしまいます。お父さんが家族から相手にされず、飼い犬のポチとしか会話できない噺です。(「父さんとポチ」は立川談春のYouTubeでお楽しみください。)
 母についての話題は尽きずに、母の歌もたくさんありますが、父親については母親と比べると数が少なく、テレビ番組「寺内貫太郎一家」のような昔の頑固おやじのイメージが今でもつきまといます。「頑固おやじ」ももはや死語となりつつあるご時世ですが、友だちパパのイメージよりも「頑固おやじ」が日本の伝統的な父親像を今でも表しているのではないでしょうか。
 ところで私的には「親父」をテーマにしたある歌が今でもなつかしく蘇ってきます。森本レオの「親父にさよなら」という歌です。レコードが1970年発売となっていますので、私が中学生だった頃の歌です。私はレコードは持っていませんが当時深夜放送でよく流れていた曲です。今でも妙に頭の片隅に残っていて、時々ふと思い出す歌です。今日は「父の日」ですので歌詞をご紹介します。ネットで検索すればYouTubeで視聴できます。(https://www.youtube.com/watch?v=49Dh96nYUxo)世のお父さん達に捧げます。

『親父にさよなら』(森本レオ)
父さん さよなら
イエスキリストの父さんと同じ職業の大工だった父さん さよなら
小学校しか出てなかったのにたくさん字を知っていた父さん さよなら
父さん いろいろなこと知ってたよね
自転車の正式な名称はチンチン自転車というのだ
と教えてくれた父さん さよなら
神経痛の薬だといって酒ばかり飲んでいた父さん さよなら
酔っ払うと普段は機嫌がいいんだけど
仕事がうまくいかないと母さんに茶碗や箸をぶつけてた父さん さよなら
母さんも大変だったよね
夜中にみんなが寝静まった頃 
そっと起きて壊れた茶碗を糊ではっつけてた父さん さよなら

そういえば父さん 寝ててもおならしてたよね
臭いと音の両面攻撃でみんな夜中に悩んだんだよ

お前の女房は絶対俺が見つけてやると言って
とうとう一人も見つけてくれなかった父さん さよなら
そのくせ孫の名前ばかりたくさん作って
引き出しをいっぱいにしちゃった父さん さよなら
父さん いくら俺がタフだからって そんなには無理だよ
僕が泣くと 泣くのは女の仕事だと言って 
鬼瓦のような声で怒鳴った父さん さよなら

恐い顔してたねー 僕の未来図かと想うと 
何度自殺したくなったことか
あれからだよ 父さん僕がニヒルになったのは
でも機嫌がいいと 男はでっかくならにゃいかんと言って
肩車をしてくれた父さん さよなら
でっかくなれよと言ったわりには 
母さんよりちびだった父さん さよなら

女を持つのは男の甲斐性だと言って
とうとう一人も持てなかった父さん さよなら
大きくなっても絶対にこんな所へ来るんじゃないぞと言って
競馬場でみそおでんを買ってくれた父さん さよなら

お風呂で100数えるまで出るんじゃないぞ と言って
先にぶったおれちゃった父さん さよなら

お正月になると凧の足を長く長く作ってくれた父さん さよなら
僕が泣いてせがんだら あんなに嫌いだった犬を
懐にいれて買ってきてくれた父さん さよなら

あの時の父さんの手はとってもでっかかったのに
僕がデモに行くと言った時 もう寝たきりだった父さん
布団をはねのけて 僕をつかまえて 頭ぺたぺたぺたぺた叩いたよね
あの時の父さんの手はもうちっちゃくてしわしわで
とっても悲しかった

天皇陛下の好きだった父さん さよなら
町内会長でもなかった父さん さよなら
市長でもなかった父さん さよなら
大統領でもなかった父さん さよなら
人の家ばっかり作って 
とうとう自分の家は一軒も作れなかった父さん さよなら
照れ屋で内弁慶でおっちょこちょいで
甘ったれでもう一度会いたい父さん さよなら
俺の親父だった父さん さよなら

2019年06月16日