#337 コロナ禍で自由な国、日本

 今日は朝から冬晴れの一日です。都大路では高校駅伝が行われ、女子では北九州市立高校が4位、男子は地元大牟田高校が8位とみごと入賞を果たしました。特に大牟田高校は地元出身の生徒を中心にチームを構成しており、8月の新型コロナ感染で学校が一時休校という措置を取りましたが、それを乗り越えての入賞は見事でした。
 新型コロナはスポーツだけでなく様々な分野で今も大きな影響を与えています。特に秋以降の感染率の急上昇は大都市圏だけでなく、全国に及び、クリスマスや年末年始の売り上げを期待していた多くの業種の人々を落胆させています。このコロナ禍がいつまで続くか予測できませんが、医療関係者の方々の奮闘に改めて感謝の意を表したいと思います。
 さて、国内の感染状況は毎日のニュースや新聞等で逐次伝えられますので詳細な情報を入手できますが、海外の状況はテレビニュース等でしか分かりません。まして海外の一般人が新コロに関してどのように対応しているかまでは詳細に分かりません。本日面白い記事を見つけましたので、ここに掲載します。
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『フランス人が日本に戻って心底感じた「自由」』
 同じコロナ禍でもフランスとは様子が違う

 かつて日本がこんなに「自由」だと感じたことがあったでしょうか――。
 やっと日本に"帰って"来ることができました。日本は、25年以上前、初めて来てから私が自然と受け入れることができた国(それとも私を受け入れてくれた国と言ったほうがいいでしょうか)です。それなのに、今年3月にフランスに発ってからというもの、ここ何カ月も日本に戻って来たくても、なかなかそれがかないませんでした。なぜなら日本は永住権を持っている、私のような外国人にさえ門戸を閉ざしてしまっていたからです。
 これではまるで鎖国をしていた江戸時代と同じ。やはり日本は島国だったのだ……と思ったのもつかの間、11月にさまざまな手続きを経て、ようやく日本に戻ってくることができました。そして、とても奇妙なことに、ここ日本でこれまでにないほどの自由を感じているのです。

<どうやって入国したか>
その前に、どうやって日本に入国できたのかをお話ししましょう。まずはフランスを発つ前にパリでPCR検査を受け(出発の72時間前以内)、関西国際空港についてからも医療スタッフによる検査を再度受診(今度は唾液検査)。その結果が出るまで45分待ち、陰性の場合は入国手続きを行います。このとき、さらに厳重に検査結果を調べるほか、パスポートや搭乗券も通常時より厳しくチェック。やっと終わったと思って前に進もうとすると、入国審査官から「ダブルチェック!」と呼び止められました。この時、人生で初めて入国できるか不安に。でも辛抱強く待っていると、ようやく最終的なOKが出ました。
 パリから関西国際空港の機内には40人(400席のうち)ほどしか乗っていませんでしたが、この日がボジョレーヌーヴォーの正式な解禁日ということもあり、飛行機はワインでいっぱいでした。搭乗前に預けていた荷物を受け取ろうと、コンベアを見ると私のスーツケースがぽつん、と置いてあるだけでした。もちろん私は公共交通機関を利用することが許されなかったので、大阪に住む知人が空港まで迎えに来てくれました。
 それから、私は友人の自宅で2週間の自己隔離を行いました。入国するのにあれだけ厳しかったので、入国管理局などからこの間、連絡があるのではないか、と思っていましたが、一旦入国してからはとくに追跡調査はありませんでした。
 ただし、隔離されているとはいえ、やっと息ができるような気がしました。道行く人たち、お店やレストランが開いている様子、友人たちの多くがいつものように忙しく仕事をしているのを見るだけで生きている心地がしました。社会的、経済的活動がほぼストップしているフランスとは正反対です。
 フランス政府の新型コロナウイルスへの対応は、あらゆるレベルで最初から悲劇的なものだったと私は思っています。エマニュエル・マクロン大統領は、連日ように、まるで王様ように国民に話しかけます。私たちが小さな子どもであるかのように。彼は非常に厳しいアナウンスをし、それから首相や関係大臣を登場させ、これから起こることを詳しく説明させます。何がもう「許されない」のか、何が閉鎖されるのか、何が中止されるのか……。
 今やフランスはひどい官僚主義と中央集権、そして国民の政府への信頼性の欠如により、恐怖に基づいたシステムができてしまいました。国民を守る代わりに、国民を脅し、「規則」を守らなければ罰を与えられる。何とも気が滅入ってしまう話です。

<書店すら規制の「標的」に>
3月10日にフランスに到着したとき、街でマスクをしているのは私だけでした(「コロナ禍「フランス」は1週間で様変わりした」2020年3月24日配信)。そのとき、多くの人は私のことを病気か、危ない人か、という目で見ていました。当時、政府は、私たちはマスクをする必要はないとアナウンスしていました(が、数カ月後、これは覆されました)。
 二度にわたるロックダウン(都市封鎖)期間中は、外出するためには、戦時中のように外出理由を記載した「証明書」が必要となりました。これを持っていないと、罰金を科せられます。仕事はすべてテレワーク、レストランやバーも(論理的な説明もなく)現時点で2月まで閉鎖されることになっています。
 確かにフランスでは、人口が日本の半分なのにもかかわらず、コロナによる死亡者がすでに5万5000人に達しています。(もしここ数年の間、政府が病院の予算をこれほど削減していなければ、こうした問題は起きなかったかもしれません)。とはいえ、社会的、経済的、心理的影響を政府はあまり考えているようには見えません。
 実際、フランス政府の政策には首を傾げたくなるものが少なくありません。例えば、ロックダウン時の書店をめぐる規制です。夏の間、多くの書店は人数制限を行ったり、顧客間の距離を保つなど感染予防対策を取りながら、店を開けていました。実際、家にいる時間が長い今、本は心の健康を保つ重要な役割を果たしていました。ところが、二度目のロックダウンの際、政府は、書籍は生活必要な必需品に当たらないとして、書店の閉鎖を決めました。
 これに対して書店の経営者が、スーパーや大型店では本の販売ができるのになぜ個店を対象にするのか、と抗議すると、政府は大型店などでの本の販売を禁止しました。次に「問題」になったのがアマゾンですが、なんとフランス政府はどうしたらフランス人がアマゾンで書籍を購入できないようになるか、を考えたのです。こんな馬鹿げだことがあるでしょうか。
 外出規制についても同じです。二度目のロックダウンが始まったとき、フランス政府は「散歩は1時間以内なら可能、ただし1キロ以内」という決定をしました。これには何の根拠もありません。これに対してフランス人が抗議を行った結果、1日に外出できる時間は3時間に、移動できる距離は20キロにまで増えました。ただし、なぜこの数字になったのかはいまだにわかりません。

<日本とフランスの違いは?>
日本では、賛否両論があるものの、「GoTo」キャンペーンが実施され、多くのお店がオープンし、人々は今までとほぼ同じように仕事をし、子どもたちは公園で遊び、サッカーの試合を観戦しています。日本に帰ってきて日本の「エネルギー」に大きな感銘を受けました。日本では「ワーケーション」のように、コロナ禍でも新しいアイデアを取り入れていることも素晴らしいと思います。
 私がこうした点を称賛すると、日本人の友人たちは日本の習慣が感染拡大の抑制につながっていると話します。家に上がる前に靴を脱ぐ、挨拶の際にキスや握手をしない、人との距離を自然と保つ、マスクを着用すること慣れている、そして手を洗う習慣がある(あるいはおしぼりを利用する)、ことなどです。そして、何より日本人には自制心があるように見えます。警察にチェックされなくても、多くの飲食店は要請されれば、夜10時には閉店するのですから。
 日本で最も重要なのは、他人の目にどう映るか、人が自分たちをどう見るか、世間や社会が自分たちをどう見るかということです。これは罰金よりはるかに強力です。
 私から見ると、日本人のこうした態度はコロナと「共に(with)」(あるいはコロナ「後に(post)」)生きるというもので、コロナに「対抗する」というものではありません。ヨーロッパでは、ウイルスと「闘う(fight)」や「戦争(war)」という言葉が使われています。これは神道や仏教の影響かもしれません。人間は自然の一部であり、欧米人のように自然は戦う相手ではないのです。
 私はいつも何よりも自由に重きを置いています。そして、フランス人にとって最も重要な原則は「liberté」(自由)だと思ってきました。それなのに今のフランスには自由がなく、人々は罰を恐れるようになってしまいました。今回日本に到着したときに感じたこの信じられないほどの開放感と安堵感を私はこれから先も忘れることはないでしょう。自己隔離中でさえ、フランスに比べれば天国だったのですから……。
(https://toyokeizai.net/articles/-/397366)
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 ニュースで流れるフランスの状況とはかけ離れた現実が上記の記事に書かれています。日本では政府が国民に要請しますが、あくまでも強制力はありません。しかしフランスでは政府の一言で個人の自由が奪われてしまいます。様々な意見がありますが、日本は個の行動に対して自由な国です。

2020年12月20日