#640 志高く雑巾がけ

 1990年に京都大学第二外科のチームが開始した「生体肝移植術」。いまや我が国における肝臓移植の8~9割を占めると共に、世界中に普及し、多くの肝臓疾患の方を救う手立てとなっています。
 1942年、大分県大分市大在村に私は生まれました。父は愉快な人でしたが、「村の人の脈をとる医者が一番偉いんだ」ということは、よく聞かされた覚えがあります。
 そんな父の影響もあり、幼い頃から医師を目指しました。1960年、京都大学医学部へ進学、66年に卒業し、京都大学医学部付属病院などを経て、68年、島根県立中央病院へ赴任しました。小児外科へ進んだ主たる理由は、ある少女との出会いにあります。
 少女は小児がんでした。重度の症状でもはや手の尽くしようがありません。せめて最後に願いを叶えたいと、蛍が見たいという少女に河原で捕った蛍を見せるととても喜んでくれました。しかし翌日、少女は虫かごを抱えたまま静かに息を引きとったのです。
 幼くして命を落とす少女。それに対し医師として何もしてやれない無力感……。目の前の命を救いたいという切なる思いが、私を小児外科へ進ませました。
 その後京都大附属病院に戻ったのですが、当時の日本の小児外科には、治療法が確立されていない病が2つありました。その1つが胆道閉鎖症です。胆汁が腸に流れない病で、当時主流だった葛西式で4割は完治するものの、残りは再手術を繰り返すか、肝不全を併発して死に至ります。
 小児科へ進み、またも目の前で幼い子供の命が失われていく光景に接しました。肝臓移植が叶えば救える可能性は高いものの、臓器移植に対する国民感情がそれを阻みました。我が国では、心停止をもって死とみる考え方が根強く、脳死者の臓器摘出が困難な事情がありました。ゆえに海外で脳死の順番待ちをして手術を受けることになりますが、それには億単位の費用がかかり、限られた人でなければ移植を受けることができなかったのです。
 その間にも患者は命を落としていきました。脳死移植や葛西式に代わる方法はないのか。思案の末に思いついたのが、生体肝移植でした。
 文字通り、健康な人の肝臓の一部を、患者の肝臓に移植する方法です。健常者にメスを入れるためリスクも伴いますが、仮に私なら病気の子に自分の肝臓を差し出したい。親なら迷いなくそう思う人は多いだろうと考えました。
 加えて肝臓は、人間の身体で唯一再生する機能を持った臓器です。その復元力と当時の肝臓外科技術の高まりを踏まえれば、この移植法は実現可能だと判断しました。
 肝切除に豊富な実績を持つ京大の小澤和恵教授に相談し、その同意を得て動物実験を開始。患者の治療を終えた後で、連日明け方まで実験を重ねました。初めの1年間はすべての実験に失敗し、そのうち、共に取り組んでいた研究者の大多数は去っていきました。
 それでもめげずに実験を続ける中で、血液を流してから門脈を繋ぐ従来とは逆の方法を思いつき、そこから状況は一気に好転していきました。
 そうして1990年、ようやく臨床に漕ぎ着けたのです。
 とはいえ、生体肝移植に対する世間の風当たりは、長らく強い状態が続きました。しかし、ここでやめては新しい道は開けない、とにかく症例を増やして実績をつくろうと肚を決め、約千例を重ねた2005年の定年退職時に、ようやく世間に受け入れられるようになったのです。
 若い医師にも伝えていますが、医師である以上、新しい医療に挑むことが重要です。無理だと思って何もしなければ批判されることはありませんが、それでは何のために医師になったのか分かりません。
 かくいう私自身も、挑戦の過程で移植を辞めようと思った経験は数知れません。手術が失敗に終わると、ご遺体を霊安室に連れていきます。いくら納得の上で行った手術であっても、「移植をしなければあと1か月一緒にいることができたのに」と泣き叫ぶご家族の姿に接します。
 どんな罵声を浴びても反論せず、力が足りませんでしたと頭を下げる。無念と悔しさとが入り交じり、何度も挫けそうになりながら、別の患者の待つ部屋へと向かう頃には、今度は救ってみせると己を奮い立たせるのです。
 苦しい時はとにかく耐えました。悲しみや怒り、あらゆる感情を心の内に留め、感情の風船を膨らませるのです。この風船を膨らませるほど、人間はやがて大きく成長することができると固く信じています。
 これまで、世間には器用で腕の優れた医師だと評価されてきましたが、私自身そうは思いません。器具の持ち方1つ、どうすればスムーズに手術を進めることができるかと、器具を持ち帰って家でひたすら練習を重ねました。
 「志高く雑巾がけ」は私の座右の銘です。物事を成すには、高い志と共に、平素の目に見えぬ努力が欠かせません。
 第1線こそ退きましたが、これまで培ってきた医師や医療機関とのネットワークを背景に、「日本の医療をアジアへ繋ぐ」という新たな使命に向かって、いまなお挑戦を続けています。八十二歳、残された時間は限られていますが、必ずやり遂げ、使命を果たす覚悟です。
(田中紘一 京都大学名誉教授、田中医療創造研究所代表)
致知「致知随想」7年2月号より抜粋
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 医学の進歩は多くの医師の不断の努力のおかげで日進月歩となっています。しかしながら今日の医療技術でさえも助からない多くの命が存在します。上記の著者田中医師は当時の世間の批判に耐えながら生体肝移植を実現させた方です。現在も多くの医師が治療法のない病気と戦っています。その努力がいつか新しい治療法として確立されることでしょう。彼らのたゆまぬ努力に心より敬意を表します。

2026年04月26日