#344 大河の一滴

 暦の上では立春を迎えましたが、吹く風はまだ冷たく、冬の名残があちこちに見られます。しかしながら冬至の頃と比べますと、降り注ぐ光がまぶしく、日没時間が徐々に遅くなっております。そして、あと3週間もすれば3月の声を聞くころとなります。それまで寒さに耐え忍べば弥生の季節を迎える頃になります。もう少しの辛抱です。
 さて本日のブログのタイトルは「大河の一滴」です。これは五木寛之の書名から頂きました。人はそれぞれ生まれた人種や時間、場所は異なっても1つの枠、つまり「人間」に分類されます。一人ひとりの人生は全く異なりますが、人類全体として見た場合に一滴の水が集まった大きな河の流れとして人類の歴史が滔々と刻まれて行きます。
 五木寛之は作家という枠に入らずに様々な体験や活動を通して多くの書を世に出されています。彼が「大河の一滴」で次のように述べています。
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・・・私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。しかし無数の他の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく。高い嶺に登ることだけを夢見て、必死で駆けつづけた戦後の半世紀をふり返りながら、いま私たちはゆったりと海へくだり、また空へ還っていく人生を思い描くべきときにさしかかっているのではあるまいか。
「人はみな大河の一滴」
ふたたびそこからはじめるしかないと思うのだ。・・・
(「大河の一滴」五木寛之 幻冬舎文庫p.46-47)
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 人は皆生まれてから死ぬまでのほんの短い期間を生きます。人生80年と言いながら縄文杉のような大樹から見ると、私たちは一瞬の時を生きる生命体です。朝日の前の朝露のような存在です。その中でどのような川の流れを体験するかで生き方が変わってきます。川岸のよどんだ水たまりとして生きるか、瀬音の激しい流れのまっただ中で生きるか、様々な選択肢を与えられています。
 流れが海にとどく前に様々な思いや体験を通して大河の一滴として人類の歴史に刻まれて行きます。現在の私たちが現在の人類の歴史をつくっているところです。百年後、千年後の人類が今の時代を考証する時に、20世紀や21世紀の時代は何だったかが分かるでしょう。様々な思いをのせて「大河」は海へと流れていきます。あなたも私も歴史を創造する「大河の一滴」なのです。

2021年02月07日