#549 受験生ブルース

 今日は8月25日、早いもので8月の最終日曜日となります。来週の日曜日は9月1日で暦の上では秋の始まりです。それに合わせるかのように最近夜になると虫たちが鳴き始めました。これからしばらくの間虫たちの鳴き声が子守歌代わりになります。
 ところで「♪おいで皆さん聞いとくれ 僕は悲しい受験生...」で始まるのがフォークソング「受験生ブルース」です。今はラジオでリクエストされることもほとんど無くなりましたが、50代以上の人が受験生だった頃は、受験シーズンになるとこの歌が頻繁にラジオで流れました。「受験生ブルース」を歌ったシンガー・ソング・ライターの高石ともやさんが先日逝かれました。今日はその記事を転載します。
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『【悼む】高石ともやさん 60代で演奏も“進化“ 40余年追いかけ見えた包み込む優しさ』
 「関西フォークの旗手」として、1960年代後半から日本のフォークソング界をけん引してきた歌手高石ともや(本名・尻石友也=しりいし・ともや)さんが、17日午後3時半に、京都市内の病院で亡くなった。82歳。19日早朝、所属事務所が公式ホームページで発表した。
 学生時代に通った京都・円山音楽堂の「宵々山コンサート」そして「昼下がりコンサート」。一昨年で最後となった大阪・サンケイホールでの「年忘れコンサート」。これまで何度、高石さんのライブを目にしただろう。
 思い出すシーンは少なくない。ザ・ナターシャー・セブンのメンバー4人でギター、バンジョー、ベースを演奏した「四人羽織」。熟練の音楽センスに裏打ちされ、ショーマンシップいっぱいのライブだった。
 「歩く歌詞カード」と仲間内から評された高石さんは、頭の中にすべての作品が入っていた。ステージでの派手な演出は一切なく、楽器と歌、コーラスがすべてだった。できる限り、アコースティックにこだわった。
60代になって、ライブに小さな変化が見えた。ギターのソロ、ブルーグラス・スタイルのリードを披露するようになった。それまでに見たことのない姿に衝撃を受けたのを覚えている。年齢を重ねても新たな挑戦を続けていたのだ。
 「受験生ブルース」の後、ヒット曲とは縁がなかったが、ファンの多くは高石さんと一緒に口ずさんでいた。会場の一体感は独特だった。
 2022年12月のサンケイホール・ブリーゼ公演が、同所での最後のライブ。81歳の声には艶があった。いつものように、足取りは軽やかだった。「まだまだ声が出てるのに、これで最後か。もったいない」というファンのつぶやきがもれた。
足をケガした高石さんが、松葉づえをついて仕事場のFM局にやってきたことがあった。70代だったろうか。痛いはずなのに、記者の前では笑顔を見せ、こちらの問いに答えてくれた。しんどいこと、つらいこともたくさん経験したはずだが、いつも包み込むような笑みをたたえていた。
 1975年、木田高介がナターシャー・セブンのメンバーに加わった。それまでの木田といえば、伝説のロックバンド「ジャックス」を経て、かぐや姫「神田川」の編曲を務めるなど、音楽界の第一線で働いていた。
 そんな木田が高石さんに導かれるように京都に移住。草野球やランニング、海水浴など音楽とは関係のない日常を高石さんとともに楽しむようになった。「こんな世界があったんだ。僕はこれまで楽器とスタジオしか知らなかった」と感銘を受けていた。80年の交通事故で木田が亡くならなければ、高石さんの音楽人生もまた変わっていたかもしれない。
 逆風もあったが、高石さんは自分の生活にフォークを取り入れ、人生をかけてフォークを追究した。ただ悲壮感や重圧などは感じさせず、いつも軽やかな笑顔とともにあった。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202408190000754.html?Page=1
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 高石さんはフォークソングを歌った先駆者の一人で、彼が60年代から70年代にかけてフォークソング・ブーム人気に火をつけた代表者の一人です。60年代当時アメリカでベトナム戦争が激化し、若者たちが歌を通して「愛と平和」を歌ったのがフォークソングの始まりと言われます。その前にはウッディー・ガスリーなど当時のアメリカ社会の実情を歌い上げた社会派のシンガー達がいました。文字通りフォークソング(民謡歌)と言われます。このようなアメリカで歌われたフォークソングが60年代の日本に入ってきて、特に関東地区の大学生が英語の歌詞をそのまま歌ったり、日本語に翻訳して歌っていました。カレッジフォークソングと言われています。例えばマイク真木、森山良子、黒沢久雄がその代表です。
 対照的に関西の大学生の間で人気になったフォークソングは主としてメッセージソングと言われ、社会に対する不満や自分の夢などを日本語の歌詞にして歌っていました。その代表の一人が高石ともやです。当時彼のコンサート聴いた、今では「フォークの神様」と呼ばれる岡林信康は「これなら自分でもやれる」と思って歌を始めたそうです。
 高石さんが他の多くのシンガーたちに与えた影響は大きく、現在につながるJ-POPの源流となるものです。個人的には彼のバンド「ナターシャセブン」が好きです。軽快なカントリー&ウェスタンや、ブルーグラスの形式を取り入れた楽曲がたくさんありまが、受験生ブルース」以外の代表曲が山で亡くなった友を歌った「思い出の赤いヤッケ」でしょう。「思い出の赤いヤッケ」と「受験生ブルース」をYoutubeでお楽しみください。
「思い出の赤いヤッケ」https://www.youtube.com/watch?v=vBxgWoBH9oA
「受験生ブルース」 https://www.youtube.com/watch?v=7TSOWEH_nvA

追記: 昨日福岡国際センターで南こうせつさんのコンサートがあり、久しぶりに彼の歌を聴きに行きました。75歳とは思えぬ若々しさで「神田川」や最近の楽曲を中心に2時間余り熱唱してくれました。こうせつさんは9月には武道館で最後の「サマーピクニック」を開催します。60年代や、70年代に活躍したフォークシンガーたちも現在70歳、80歳となり時代とともに伝説となっていきます。

2024年08月25日