#271 ローマ教皇来日

 今日は台風崩れの低気圧のせいで朝から本降りの雨が降り続いています。昨日から日本に滞在しているローマ教皇は今日午前中に長崎で降り注ぐ雨の中で平和メッセージを述べています。その内容をNHKニュース・ウェブから引用します。
----------
『ローマ教皇 長崎でスピーチ 核兵器の非人道性を強く非難』
 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は長崎市の爆心地公園でスピーチを行い、「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて、核兵器の非人道性を強く非難しました。そのうえで「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と述べて核兵器のない世界の実現に向けて各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。
 ローマ教皇として38年ぶりに日本に滞在しているフランシスコ教皇は24日朝、長崎市の爆心地公園を訪れました。雨が降りしきる会場では、レインコートを着て待ち受けていた参加者が見守るなか、フランシスコ教皇は、平和の記念碑の前で深々と頭をたれて献花し、犠牲者に黙とうをささげました。
 このあとスピーチを行ったフランシスコ教皇は「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて核兵器の非人道性を強く非難しました。
 そして「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と指摘し、核兵器を持つことが安全保障につながるという考えは、恐怖と相互不信に基づく誤った認識だとして批判しました。
 そして、核兵器禁止条約を含め核兵器と軍備の削減に向けて各国に引き続き働きかけていく考えを示しました。さらに武器の製造や開発に多額の費用が費やされるのは「途方もないテロ行為」だとしたうえで、貴重な財源は貧困対策や自然環境の保護にこそ使われるべきだとしています。
 そのうえで、フランシスコ教皇は「新しい兵器の技術開発が進む中でわたしたちは多国間主義の衰退が事態を深刻化させているのを目の当たりにしている」と述べ国家間の相互不信の広がりが、兵器を規制する国際的な取り組みを崩壊させかねず、食い止める必要があると訴えています。
 そして「核兵器から解放された平和な世界こそが、数え切れない全ての人が強く求めるものだ」と述べ、核兵器のない世界の実現に向けて核の保有国、非保有国をとわず各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189181000.html?
utm_int=detail_contents_news-related_002)
----------

 また、「焼き場に立つ少年」の写真を撮った従軍カメラマン、オダネル氏の息子と会話を交わしたそうです。その内容を同じNHKのニュースから引用します。
----------
『ローマ教皇「焼き場に立つ少年」の写真家の家族にあいさつ』
 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、長崎市の爆心地公園でスピーチを行ったあと、原爆が落とされたあとの長崎で「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の息子と会話を交わしました。

〇焼き場に立つ少年とは〇
「焼き場に立つ少年」は、アメリカ軍の従軍カメラマンだった、ジョー・オダネル氏が、原爆投下後の長崎で撮影したとしている写真です。この写真には、目を閉じた幼い子を背負いながら、唇をかみしめて直立不動で立ち、まっすぐ前を見つめる10歳ぐらいの少年の姿が写されています。
 オダネル氏は、すでに亡くなった弟を背負った少年を写したものだとし、このあと少年が見つめる中で弟は屋外で火葬されたと伝えています。オダネル氏が長崎や広島など日本各地を回り、私用のカメラで撮影したフィルムは、アメリカに帰国したあとも悲惨な記憶とともにトランクの中にしまわれていました。
 しかし、オダネル氏は過去と向き合うことを決意し、帰国から40年余りが経過した1989年にトランクを開き、翌1990年には地元・テネシー州で原爆の悲惨さを訴える写真展を開催。アメリカ国内では反発を招いたものの、その後、日本各地でも写真展が開催され、平成19年、2007年には長崎市にある長崎県美術館で「焼き場に立つ少年」が特別公開されました。
 長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」は、いまも長崎市の原爆資料館に展示され、戦争の悲惨さを訴え続けています。そして、おととし、平成29年の年末、フランシスコ教皇がこの写真に、みずからの署名と「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、教会関係者に配布するよう指示したことから再び注目を集めました。
 カードの裏には、教皇のメッセージとともに「この少年は血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」という説明も添えられました。
 一方、オダネル氏みずからも来日し、長崎市で少年の行方を探したほか、長崎平和推進協会の写真資料調査部会なども調査を続けていますが、この少年は誰なのか、また撮影された場所はどこなのか、特定には至っていません。

〇撮影者の息子「誇りに思います」〇
「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、ジョー・オダネル氏の息子のタイグ・オダネル氏(50)は「フランシスコ教皇に父親が使っていたメダルを見せると、スペイン語で『ありがとう。あなたと父親に祝福を』とおっしゃった。父親が撮影した『焼き場に立つ少年』の写真がきょう、爆心地に掲げられていたことを誇りに思います。世界中の人がこの写真を見て、『長崎の悲惨な経験を繰り返してはならない』と思いを寄せた瞬間になったのではないかと思う」と話していました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189231000.html?
utm_int=news_contents_news-main_001)
----------

 38年ぶりのローマ教皇は信者13億人の頂点に立つ方ですが、今回の日本訪問の際に核兵器の廃棄について強く訴えています。果たして人類はこの愚かな兵器を廃棄することができるでしょうか。古代から現在まで争うが絶えない人類は様々な兵器を創造して敵を殲滅しようとしてきました。これはすべて相手に対する恐怖と不信感の表れです。個人も社会も敵対する相手に対して共存するのではなく、相手よりも常に優位に立つために、様々な計略を立てて相手を蹴落とそうと策略を巡らせます。
 最終兵器と言われる核兵器を使う日が来るか分かりませんが、世界中に不信や疑惑が満ちている状態が続けば、遅からず「審判の日」が来ることになるかもしれません。これを避けるために、私たち一人ひとりが他者に対して友好に接し、思いやりを持って相手に接する姿勢をもつ必要があります。共存社会や民主国家は個人から成り立っています。人の醜い心が自然破壊や国家間の対立を引き起こします。戦争への道を止まらせるのは私たち一人ひとりの心の在り方だと思います。

2019年11月24日