#378 運命と因果応報(1)

 新型コロナが全国的に拡大しており、第4波が勢いを増しています。福岡県も12日より緊急事態宣言を発出することになりました。今回の緊急事態宣言で学校が臨時休校になることはありませんが、部活や学校行事などの中止や延期が考えられます。またオンライン授業などの対策も取られることでしょう。とにかく人流を押さえない限りはいつまでも新コロが収まることはないでしょう。私たち一人ひとりの自覚が問われていることになります。
 さて稲森和夫といえば京セラやKDDIを設立し、経営不振にあえいでいた日本航空を再建させた日本経済界の重鎮ですが、その稲森氏は多くの著作を通して人生や会社経営など様々な分野のご意見番として活躍されています。私も時々彼の著作をひも解いていますが、今日はその中の一節をご紹介します。果たして人間に運命や因果応報というものが存在するのでしょうか。
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 われわれの人生を形成する要素として、二つのものがあると私は考えています。まず第一にあげられるのは、もって生まれた「運命」です。たとえば、時代を代表する優秀な学者がいるとします。彼の頭脳が明晰なのは、両親から素晴らしい脳細胞を遺伝として受け継いだからだとしても、それだけでは優秀な学者にはなれません。病気をせずに健康で過ごすこと、学問に打ち込める環境があること、恩師や支援してくれる人々にめぐり合うことなど、さまざまな条件が加わって初めて、人はその与えられた才能を十二分に開花させることができます。つまり、一流の学者という地位を得るかどうかは、自分の意志や遺伝子の力が及ばない「何か」―運命―の範疇に属することなのです。
 東洋の政治哲学・人物学の権威として知られる故安岡正篤さんは、「易は宇宙の真理を包含した学問だ」ということをおっしゃっていましたが、中国では古くから「易」が自然の理として研究されていました。西洋でも占星術が深く研究され、膨大な文献が残っています。いずれも「運命」というものの重みを理解し、何とかしてそれを知ろうとする人々の強い願望が生み出したものでしょう。
 この「運命」とは別に、もう一つ、われわれの人生を形づくる大きな要素があります。それは「善根は善果を産み、悪根は悪果を生む」という「因果応報の法則」です。「思いのままに結果が表われる」ということを私は機会あるたびに話していますが、それは思ったこと、行動したことが原因となって結果が生じるということです。これが「因果応報の法則」と呼ばれるもので、「運命」と同時並行的に、われわれの人生を滔々と流れています。
 つまり、我々の人生をつくっている要素には、その人がもって生まれた「運命」と、その人の現世における思いや行為によってつくられる業(カルマ)がなす現象との二つがあるわけです。表現を換えれば、「運命」と「因果応報の法則」がまるでDNAの二重らせん構造のように縒(よ)り合って人生がつくられているのです。つまり、善きことを思い、善きことを行なうことによって、運命の流れをよき放校に変えることができるのです。
 これは私が勝手に考えたことではありません。安岡正篤さんはその著書『運命と立命』の中で「運命は宿命ではなく、変えることができる。それには因果応報の法則が大慈なのだ」という趣旨のことを述べ、中国の古典『*陰しつ録』という本から袁了凡という人物に関する話を紹介しています。……(次回のブログに続きます)
*『陰しつ録』の「しつ」は”こざとへん”に”つくり”は小と馬を立てに重ねます。
(『稲森和夫の哲学―人は何のために生きるのか』PHP文庫 第十二章より)
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 今回のテーマは古今東西に遍在する「運命」という考えです。人は運命を絶対変わらないもの(これを宿命と言います。)ととらえる人もいますし、運命は自分の人生に全く関係ないものだと考える人もいます。科学があまり発達していなかった時代では「運命」を当たり前のように受け止めていた人が多かったのですが、科学の進歩と共に物質主義がはびこり、前近代的な考え方を駆逐する風潮が起こりました。
 はたして、この話の続きはどのようなものになるのでしょうか。次回のブログはかなり長いものになります。それでは次回をしばらくお待ちください。

2021年05月09日