#615 熊とアイヌ民族

 晩秋となる11月ですが、まだ最高気温が20度を超える日が続いています。確かに朝晩は冷えますが、日中は上着が不要なほどの気温になります。もうしばらくこの気温が続くようですので、体調管理に気をつけたいものです。
 さて、連日熊による被害が報告されています。九州では熊が生息していないと思われていますが、東日本、特に東北や北海道では毎日多くの熊による被害者が出ており、死者も10人以上に登り、記録的な被害記録となっています。この原因は様々ですが、報道によりますと

①山を手入れする人手がここ数10年で減少し、そのために山の自然環境が悪化して熊の生息域と人里の境目があいまいになったこと。
②熊の生息数が増加したこと。
③特に今年はドングリなどの熊の好物が極端に不作で、冬眠前にエサを求めるために熊が里に下りてきた。

などの理由が挙げられます。しかしながら本当の理由は人間の環境破壊にあるのではと考えざるを得ません。一例として、山を切り開いて太陽パネルを設置して自然破壊を続けた結果、熊の生息域が変化したことが考えられます。人間が勝手に自然の形を変えることは様々な面で動植物の環境を壊し、その結果私達の生活に悪影響を与えています。言いかえれば、私たちがより良い生活を求めることが環境破壊へとつながり、今度は自然の復讐が始まっているです。
 今日は熊に関して、「熊と共生しているアイヌ民族」について述べてみたいと思います。アイヌ民族は日本の先住民族として、主に北海道を中心に生活しています。彼らは熊を神として崇める一面を持っています。ネットで「熊とアイヌ民族」を検索すると、次の情報が見つかります。
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 アイヌはヒグマを「キムンカムイ(山の神)」として崇拝し、共存関係にありました。神聖な存在であるヒグマを狩った際には、魂を神々の世界へ送り返すための「イオマンテ」という儀式を行い、神からの恵みに感謝しつつ、神が再び人間界を訪れることを願っていました。一方で、人間を襲うヒグマは「ウェンカムイ(悪い神)」とみなされ、村全体で仕留められたこともあります。
<アイヌとヒグマの関係性>
「キムンカムイ」としての崇拝:
アイヌはヒグマを「山の神」として敬い、肉や毛皮といった恵みを人間に与えてくれる存在だと考えていました。
魂の送り儀礼「イオマンテ」:
子グマを捕獲した場合、1~2年ほど大切に育て、魂を神の世界へ送り返す「イオマンテ」という儀式が行われました。儀式では、クマの魂に土産を持たせて神の世界へ送り、感謝を伝えます。クマの魂が神の世界で他の神々を招いて宴を開き、人間界の楽しさを語ることで、再び神が人間界を訪れることを期待していました。
「ウェンカムイ」という存在:
人間を襲って食べたヒグマは「キムンカムイ」ではなく、境界を越えた「ウェンカムイ(悪い神)」とみなされ、村全体で仕留められました。その肉は食べられなかったといいます。
神と人間との一体化:「イオマンテ」では、参加者全員で神の肉を分かち合って食べることで、神と人間との一体化を象徴する儀式でもありました。
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また地球環境を守る活動をしているWWFの日本支部「公益財団法人世界自然保護基金ジャパン」(WWFジャパン)では熊とアイヌ人の関係を次のように説明しています。(一部抜粋)
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『シリーズ:クマの保護管理を考える(14)アイヌの人々の見たヒグマ』
 北海道の先住民族「アイヌ」。アイヌの人々は古くから、動植物や事象など、自然界のさまざまなものにカムイ(神)の存在を見い出し、敬虔(けいけん)な心をもって接してきました。「キムンカムイ(山の神)」=と呼ばれたヒグマもまた、先祖代々重んじられてきた野生動物の一種です。狩猟民族アイヌにとっては、猟の対象でもあったヒグマ。信仰と獲物、その二つの対象であるクマに対して、アイヌの人々はどのような自然観を持っていたのか。今回の「シリーズ・クマの保護管理を考える」では、かつてのアイヌ社会における人とヒグマの関係を見ていきながら、現代の私たちがクマと上手に関わっていくためのヒントを探してみたいと思います。
<「イオマンテ」に見るアイヌの狩猟信仰>
 クマの御霊を送る儀式「イオマンテ」。 i「それを」、oman「行く」、te「何々させる」というアイヌ語のイオマンテは、クマを「送り届ける」、「行かしめる」の意味を持ち、「クマ送り」、「クマの霊送り」とも呼ばれています。
 かつてアイヌ民族の人々は、狩りでヒグマを仕留めた時、また、育てた仔グマを殺してその魂を故郷である神の国に送り届ける時に、クマの霊送りを行なっていました。一定の儀礼を行うことで、神々との良好な関係を保ち、再来を願うのです。
 イオマンテの対象となる動物はヒグマだけに限りません。シマフクロウ(コタンコロカムイ=集落の神)、エゾオオカミ(ホロケウカムイ=狩の神)、シャチ(レプンカムイ=沖の神)なども丁重に送られ、またイオマンテという言葉こそ使われませんが、クマゲラやエゾイタチ、狩猟の獲物となるエゾシカや魚についても、同様の儀式が行なわれていました。
 アイヌの世界観によれば、狩りの獲物となる動物は、カムイ(神)が人間の世界に訪れているときの『仮の姿』だとされています。
 人間界を訪れたカムイの化身は、善良なアイヌによって捕えられ、祀ってもらうことでその霊は神の国へ帰ることができるのだというのです。
 カムイの化身である動物が、アイヌの人柄を見定めて、「この人間に獲物として捕らえられれば、神の国へと気持ちよく送ってくれだろう」と決め、捕われる。それが、アイヌの人々の「狩り」だったのです。
 そして、アイヌの人々は、カムイの霊魂が、再び人間の世界に現れた時にも、自分のもとに訪れて恵みを与えるよう、祈りを込め「送り」を重視しました。
 霊魂とは、この世と神の国とを巡回するもの。これをおろそかにして霊送りもしないでいると、霊は飢饉(ききん)や疫病などの悪さをすると考えられてきました。

<特別な存在であるヒグマ>
キムンカムイ。アイヌの人々は「山の神」を意味するこの言葉でヒグマのことを呼びます。動物の種類によって、神様の送り方に差のあるアイヌの狩猟信仰ですが、森の中で最も位の高い神様とされたのが、このヒグマでした。
 「アイヌの世界観では、クマもまたあの世とこの世を行き来する動物だと信じられてきました。しかも、この世に戻る際には〝こっこ(=仔熊)〟まで連れてくる。それは凄いと思ったことでしょう」。そう話すのは、北海道白老(しらおい)町にあるアイヌ民族博物館の野本正博館長です。
 「例えば白老のアイヌのイヨル(=テリトリー)は、太平洋沿岸の海から支笏湖周辺の山にまで至りますが、海の最高位のカムイとしてシャチ、山の最高位のカムイとしてクマが棲んでいます。 どちらにも「強い」という共通点がありますが、このカムイの強さや賢さ、人には無い、この世とあの世を行き来できる偉大な力にあやかりたい、という思いがあったのでしょう」
 「アイヌの重要な風習に『チャランケ(=談判)』がありますが、頭の良いクマの舌を食べることで、巧みな話術を授かると信じられていましたし、また強靭な大人になるようにと、子どもの手にクマの脚の腱を巻くなどといった風習がありました」。
 日本(和人)の風習にも、例えば、神さまにお供えしたものを食べることによって、神さまの力にあやかったり、安産を願う「帯祝い」のように、多産・安産の犬にあやかって戌の日に行なうなど、秀でたものにあやかるという文化がありますが、同じような考え方がアイヌの社会にもあったことは興味深いことです。

<人を襲うクマとその対処法>
 アイヌは猟をするときであっても、常に山の神として敬う気持ちを忘れることなく、ヒグマを崇(あが)めてきました。猟に出た先でヒグマに襲われた場合にも、アイヌの人々はこう考えたといいます。「クマに襲われたのは積悪の家系の人ゆえ、つまり、その家系が代々積み重ねてきた悪事ゆえに襲われたのであって、非は襲われた人の側にある」そして、襲われた人の一族は、その山のクマとは『気に合わない』ところがあると信じて、その後は他の山で猟をすることはあっても、クマとの相性が悪いその山では狩りをしなかったといいます。
 現代のように、人の暮らす里までクマが降りてくることもあったそうですが、その場合は、人に危害を与えるような凶暴なクマは、神から見放された不幸なクマと考えて処分しました。地域によって多少差がありますが、通常のクマのように厳粛に霊を神の国に送るような神扱いはしませんでした。
 白老周辺では、悪心を起こして人を襲ったのか、自衛上やむを得ず襲ったのか、出来心であったのかを判断し、その度合いによって処置し、音更(おとふけ)のアイヌは、爪や牙が欠けているのはクマが何か悪事を起こした証であり、例えば歯牙の欠けなどの異常が2個あった場合には、このクマは神に対して2度罪科を犯したものと判断したそうです。
https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/1616.html
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 原文はかなりの長文になりますので、興味のある方は上記のページにアクセスし、資料をご一読ください。今日の日本社会において熊の襲来だけでなく、猿やイノシシ、スズメバチなどの問題は私たちの暮らしの中で様々な生き物が共生し、彼らの生息域と人間の生活域がが重なることで生じてます。言えますことは以前では有りえなかった動物の生息域に人口増加により人間の生活域が広がり、その結果野生動物の生息域に入ってしまったことで、様々な問題が生じたことです。また環境破壊による野生動物のエサになる植物が減少し、その結果人間社会に彼らが侵入したことが挙げられます。
 これらの問題は共生という課題を解決しない限り、今後も続くと考えられます。今日の熊問題に関しても、ただ熊を駆除することで解決するのではありません。現代の日本人が忘れ去った「自然との共生」を考えない限り熊問題はいつまでも続いていくことでしょう。

付記:前回のブログ(#614)で個人情報漏洩について述べましたが、月刊誌「日経PC21」12月号でパスワード漏洩や設定、「パスキー」について詳しく説明していますので、興味のある方は一読をお勧めします。

2025年11月09日