#224 白秋期-地図のない明日への旅立ち

 大牟田市内の中学校卒業式が3月8日に行われました。県立高等学校の入試合格発表が3月14日となっていますので、この日に中学校卒業生の進路の大半が決まることになります。それぞれ新しい学び舎で頑張ってもらいたいものです。高等学校は中学校と異なり、教科数も増え、授業内容も難しくなります。今以上の努力が必要となります。将来の進路を切り開くために高校3年間を有意義に過ごしてもらいたいと思います。10代の若者にとり、青春という時期は輝かしくもあり、また悩みも尽きぬ時期ですが、努力次第ではどのような人生も歩める可能性に満ちています。まさに青葉輝く季節です。
 一方では白秋という時期もあります。本日のブログタイトルは五木寛之氏の著作「白秋期ー地図のない明日への旅立ち」(日経プレミアシリーズ刊)から採っています。本書で五木氏は「60代、70代は老人ではない。白秋期は人生の黄金期である。」と主張しています。次に本書の前書きを引用します。
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 人生五十年といわれた時代があった。そのころ、青春、朱夏につづく白秋期は、晩年の少し前の、おだやかで静かな季節のイメージだったと思う。
 仕事や、家庭や、さまざまな社会的活動から身を引いて、これまでの人生をふり返る時期と考えられていたのである。
 しかし、今はちがう。人生百年という言葉は、すでに目前にせまっている現実だ。五十歳を過ぎて、さらに五十年の明日が待ち受けている。それは人間の歴史始まって以来の出来事である。
 その未来に地図はない。私たちは手さぐりで、さらなる五十年を生きなければならないのだ。人生を、青春、朱夏、白秋、玄冬の四つの時期に分けて考えれば、白秋期とは五十歳から七十五歳あたりまでの二十五年間である。その季節を私たちはどう生きるのか。
 白秋期は晩年ではない。フィジカルにはさまざまな問題を抱えていたとしても、いまの五十歳から七十五歳までの時期は、むしろ人生の収穫期ではないか、と私は思う。
 無駄なエネルギーを消費せずに、合理的に冷静に歩いていく。周囲を眺める余裕もある。さまざまな経験もつんでいる。そして新しい物事を学ぶ気力や好奇心も衰えてはいない。
 自分自身をふり返って見ても、五十歳から七十五歳までの白秋期は、もっとも自分らしく生きることができた最良の季節だったような気がする。
 鴨長明が山林に隠棲したのは、五十歳の頃だった。人生五十年の時代のことだから、いまでいうなら最晩年の百歳前後にあたる。
 いま高齢者と呼ばれるのは、七十五歳以上、百歳あたりまでの人びとだろう。私たちは五十代から七十代の半ばまでの二十五年間を、人生の黄金時代として考えなければならない。
 なにも人を驚かせるような、目立ったことをするのが白秋期の目標ではないだろう。実りは静かにやってくる。それを大切に育てるのが白秋期の仕事だ。
 それぞれの白秋期を生きる何かのヒントにでもなれば、というのが、この本にこめられたひそかな願いである。白秋期を人生の収穫期とするために、地図のない旅へ旅立つ人に、ささやかなエールを送りたいと思う。
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 五木氏は1932年生まれですので、今年87歳になられます。氏は白秋期をすでに終え、いま玄冬期を過ごされています。本書は五木氏の長い人生経験から得られた深い知恵が至る所に見られ、これからの人生を生きる人たちにとり参考にできるところが多々あります。老若にかかわらず一読に値する本です。
 以前のブログ("216)にも書きましたが、青春は短く、その時期を通り過ぎた者が振り返ると甘く切ない季節です。青春は可能性に満ちていて、それでも多くの挫折に満ちた季節でもあります。今、青春を生きる若い人たちはこの貴重な時期を無駄遣いしないよう、後悔しないように充実した毎日を過ごして欲しいものです。

2019年03月10日