# 272 人生の贈り物

季節の花がこれほど美しいことに 歳を取るまで少しも気づかなかった
美しく老いていくことが、どれ程に
難しいかということさえ気づかなかった
もしも もう一度だけ若さをくれると言われても
おそらく私はそっと断るだろう
若き日のときめきや迷いをもう一度繰り返すなんて
それはもう望むものではない
それが人生の秘密 
それが人生の贈り物

季節の花や人の命の短さに 歳を取るまで少しも気づかなかった
人は憎み、諍い、そして傷つけて 
いつか許し愛し合う日が来るのだろう
そして言葉も要らない友になっていゆくのだろう
迷った分だけ深く慈しみ 
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば 
他に望むものはない
それが人生の秘密 
それが人生の贈り物

季節の花がこれほど美しいことに 歳を取るまで少しも気づかなかった
私の人生の花が散ってしまう頃 やっと花は私の心に咲いた
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば
他に何も望むものはない
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば
他に何も望むものはない
他に何も望むものはない
それが人生の秘密 
それが人生の贈り物
(さだまさし ♪人生の贈り物~他に望むものはない)

 本日は12月1日、今日から師走です。暦の上では冬の季節が始まります。今年も暖冬傾向だと気象庁は予想していますが、さてどのような冬を迎えることでしょうか。
 さて、人生はよく四季に例えられます。青春、朱夏、白秋、そして玄冬という呼び名で呼ばれています。この季節は年齢区分によって異なりますが、作家の五木寛之は次のように区分しているようです。

青春:誕生~25歳頃まで
朱夏:25歳頃~60歳頃まで
白秋:60歳頃~75歳頃まで
玄冬:75歳頃~

 本日のブログの冒頭で「人生の贈り物」を紹介しましたが、この歌はさだまさし氏が老境に入る心境を謳っています。よく言われることですが、若者には体力や気力が漲っていますが、金がない。中年時代は金はありますが、仕事で忙しく余暇や金に使う時間がない。高齢者はある程度貯えがあり、時間が有り余っていますが、気力・体力が追い付かない。
 このように「人生の贈り物」は、各時期において何か欠けているもの(お金、時間、若さ)を暗示しているように思えます。それを求めるために私たちは日々あくせくして勉強し、仕事をしているような気がします。それぞれの時期に手に入らないものや失うものを必死で求めているのです。よい例が「アンチ・エイジング」と言われる老いに逆らう美容術でしょう。歳を取ればいつしか体が置いていくものです。それに抗ってアンチ・エイジングを施しても、私たちの肉体はいつしか枯れていきます。
 人生は短く、儚く、それぞれの時期が過ぎ去って初めて、その時期がいかに大事だったか心から分かるものです。若者は勉学の大切が分からず、刹那的な誘惑に惹かれます。中年時代はやがて忍び寄る老いを意識せずに仕事に忙殺され、自分の人生に本当に必要なものに気づきません。そして老年になって人生をふり返るときに、いかに自分が人生の神髄に気づかず、歳を取って初めて人生の寄り道をしてきたことに気づき、後悔の念に打ちひしがれます。 さだまさし氏は、さりげなく人生の秘密、人生の贈り物を謳っています。何度も味わいたい詩です。冬の季節を迎え、このようなことを感じた次第です。

追伸:この歌はYouTubeで聴けますが、残念ながら、さだまさし本人の歌声は聴けないようです。代わりに岩崎宏美が歌っています。
(https://www.youtube.com/watch?v=qfhdmX-Ccpw)

2019年12月01日