#391 世紀の大誤訳!?

 オリンピック招致から様々な物議を醸した東京オリンピックですが、今日ですべての種目が終了し、今晩閉会式を迎えます。その間新型コロナの急速な蔓延に伴い、国内は毎日1万人以上の新規感染者が生まれています。東京オリンピックの総括は別の機会に述べることにして、オリンピック開会式に関して大変興味のある記事が昨日ネットに出ていました。「国家元首によるオリンピック開会宣言の日本語訳が間違っている」、ということなのです。実際、この記事を転載して皆様に読んでもらいたいと思います。
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『東京五輪、天皇陛下はJOCの「誤訳」をさり気なく訂正
                開会宣言に垣間見えた元首の器』
 コロナ禍で国民に寄り添い、「祝う」を「記念」に変えたことで注目された天皇陛下の東京五輪の開会宣言。実は、気づく人はほとんどいなかったが、陛下はJOCの誤訳を、人目につかぬよう訂正していたのだ。平成の天皇陛下の侍従として、記者会見の英訳を担当していた多賀敏行元チュニジア大使が、令和の天皇が見せた「元首の器」を語る。
 東京五輪の開会式のあと、天皇陛下の宣言とJOCが五輪憲章で公表する和訳を見比べていた元チュニジア大使の多賀敏行・大阪学院大学教授は、あることに気づいた。
「7月23日に天皇陛下が述べた開会式の宣言は、JOCの誤訳を、さり気なく訂正なさっている」
 そもそも開会宣言は、仏語と英語でかかれた五輪憲章の原文に明記されている。日本オリンピック委員会(JOC)によって和訳された宣言文を、開催国の元首が読み上げることになっている。東京五輪の開会式では、次のとおり宣言文を読み上げた。
「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」
 コロナ禍に配慮した天皇陛下が、規定文の「祝う」を「記念」に変えたことだけが注目された。実は、天皇陛下は、重要な「誤訳」を訂正していたのだ。JOCが公表する「五輪憲章2020年版・英和対訳」を見てみよう。

「わたしは、第(オリンピアードの番号) 回近代オリンピアードを祝い、(開催地名)オリンピック競技大会の開会を宣言します」

 何が違うのか。多賀教授の解説によると、天皇陛下の実際の宣言では、天皇である「私」の行為は、「宣言する」のみだ。一方、JOCの和訳では、「私」は、「祝う」ことと「宣言する」という二つの行為をしていることになる。ちなみに、「オリンピアード」とはオリンピックが始まるべき年から4年間の期間を意味する。宣言に登場する第32回は、2020年から23年までの4年間のことだ。
「コロナ禍に配慮して、『記念する』という言葉を使われたことに注目が集まりました。しかし、もうひとつ重要なことは、文の構造を取り違えた重大な誤訳について、騒ぎにならないよう、さり気なく訂正されているという点です」原文とそれを訳したJOCの日本語版を詳しく比較してみよう。

「『祝う』という動詞に注目しましょう。ここでは何が何を祝っているのでしょうか。JOCの日本語版では、天皇陛下である『私』が『第32回オリンピアード』を祝っていることになります」(多賀教授)
 多賀教授が注目するのは、英文のこの部分だ。

<……..the games of Tokyo celebrating the 32nd Olympiad…………>

 つまり、「東京大会」が「第32回オリンピアード」を祝っているのは一目瞭然だ。
 JOCの和訳のように、天皇陛下である「私」が「オリンピアードを祝っている」わけではないのだ。
 多賀教授は、このことは五輪憲章の仏語版を見れば疑問の余地はない、と話す。というのも、五輪憲章の規則22付属細則3は、仏語版が優先される旨を記しているからだ。
 《オリンピック憲章およびその他の IOC 文書で、フランス語版と英語版のテキスト内容に相違がある場合は、フランス語版が優先する。ただし、書面による異なる定めがある場合はその限りではない》
 仏語版の宣言文を見てみよう。

《Je proclame ouverts les Jeux de… (nom de l’hôte) célébrant la…
(numéro de l’Olympiade) Olympiade des temps modernes.》

 多賀教授は、「私」が主語で、「オリンピアードを祝っている」のならば gérondif を使って「en célébrant」としなければならない、と分析する。しかし、上記のように仏語版では前置詞の「en」 が無く、ただの「célébrant」になっている。
 このcelebrant が、直前の東京大会(les Jeux deTokyo)を修飾していることは明らかである、と指摘する。
 わかりやすいように、7月23日の開会式の実際に陛下が口にした宣言をもう一度、確認してみよう。天皇陛下は、「祝う」を「記念する」に変えて、次のように述べた。

「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します。」
 
 やはり、「この記念する」、が修飾するのは、「東京大会」だ。AERAdot.編集部は、「五輪憲章2020年版・英和対訳」に掲載された宣言文における、誤訳の可能性について、JOCに問い合わせた。すると広報からは、メールでこんな返事が返ってきた。

<お問合せいただきましたオリンピック憲章の件につきまして下記のとおりご回答いたします。第18回オリンピック競技大会(1964/東京)公式報告書によりますと開会宣言として

「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します。」

 とあります。従って、我々は、オリンピック憲章においてもこの和訳を使用しております。以上、何卒宜しくお願い致します。
 日本オリンピック委員会広報部 >

 多賀教授は、英語学習についての著書を何冊も執筆している。そして、日本オリンピック委員会(JOC)の回答についてこう話す。「JOCのスタッフに、英語に専門的に習熟した人が居ないのでしょう。この和訳は、高校レベルの英文法ですし、英検2級の合格者でも理解できる人はいると思います。
 何より、ここで問題にしているのは、celebratingという、現在分詞の主語は何かという点です。昭和天皇が宣言していたから問題ありません――というロジックで切り抜けようという思惑であれば、あまりにお粗末です。こうして丹念に英仏日の宣言文を比較、検証してみると、64年の東京五輪では、昭和天皇に誤った翻訳の宣言文を読み上げさせてしまった、ということになります」
 多賀教授は、平成5年から8年まで当時、天皇だった上皇さまの侍従として仕えていた。当時、天皇であった上皇さまの記者会見を、御用掛を務めていたアイルランド人の学者と一緒に、英語に翻訳するのも仕事だった。多賀教授は、上皇ご夫妻はもちろん、いまの天皇陛下も言語に対する感性が鋭敏だと話す。
 「天皇や皇族方は、ご自身の言葉を最適な表現に翻訳して伝えることの重要性を何より、理解なさっている方々でした」
 多賀教授が思い出すのは、言語に対する感覚の鋭敏さを表す次のようなエピソードだ。
 皇太子時代に執筆した『テムズとともにー英国の二年間-』(学習院教養新書)。そのなかで、オックスフォード大学への留学中に、テニスの試合における得点の数えかたについて興味を持ったエピソードが登場する。たとえば、15対0のとき、英語で「fifteen  love」と表現する。0をなぜ「love」と呼ぶのか。好奇心を持った徳仁皇太子が、英国人の指導教官にたずねると、フランス語の「œuf(卵)」から来ていることが分かった。「0(ゼロ)」の形をした卵から、ゼロを表現したことを突き止めたのだ。「œuf(卵)]に定冠詞が付くとl’oeufになり、発音はloveに近づく。
 「その謎解きの過程を語られる筆致がユーモアにあふれ、とても楽しかったのを思い出しました。私がバンクーバー総領事を務めていたころ、徳仁皇太子がお立ち寄りになったことがありました。著書に書かれていた、卵とゼロの話題をしたところ、皇太子殿下も喜んでおられました」
 平成の時代、明仁天皇は、ご自身の記者会見の内容が、迅速に正しい英語に翻訳されて発表されることを願っていた。侍従を務めていた多賀教授らの翻訳作業は、深夜に及ぶことも多かった。
 「翻訳作業は、陛下のご発言の一文一文をきめ細かく分析し、正確な英語表現を複数考えて最適の解を探してゆかねばならないからです」(多賀教授)
 ある晩、人の気配を感じてふと、顔を上げると、すぐ目の前に明仁天皇が、ほほ笑みながら立っていたという。
「どうですか」
 翻訳と格闘していた御用掛にこうたずねた。 記者会見で発言した日本語が、どのような英文になっていくのか、ご興味があったのだろう。同時に、それにもまして、夜遅く自分のために仕事をしてくれる人たちをねぎらいたい、そんなお気持ちが強かったのだと思う、と多賀教授は振り返る。
 ひるがえって、令和の天皇陛下はコロナ禍で開かれた五輪の開会宣言では、国民の思いに寄り添う形で、「祝う」という言葉をさけた。
 さらに宣言文の「誤訳」について、多賀教授はこう推し量る。「五輪憲章の『誤訳』の件で誰かが傷ついたり、責任を問われることのないように、というのが陛下の一番の願いであったと思います。そうしたなかでも正しい日本語として宣言できるよう、人目につかないように、ひっそりと訂正なさったのだと思います」
(https://dot.asahi.com/dot/2021080600079.html?page=5)
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 英語を教えている立場からすると、基本的な英語の誤訳です。このような誤訳が様々な文書で多数発見されるのではないでしょうか。特に商取引ではわずか1語の誤訳で契約全体に大きな影響を与えます。国際大会での宣言のような重要な文言では、複数人数で原稿を何度も確認して誤訳を防いでもらいたいものです。

2021年08月08日