#248 心

 昨日は所用で福岡へ行きましたが、昼過ぎから土砂降りの雨模様となりました。ここ大牟田でも今日の午前中雨が降っていましたが、今現在雨が止んでいます。明日は天気が少し持ち直しそうですが、九州北部の梅雨明けまでもう少し時間がかかりそうです。
 さて、稲森和夫という名前を聞いたことがあると思います。現在京セラの名誉会長であり、KDDIの最高顧問を務めていらっしゃいます。また2010年には日本航空の社長に就任し、日航の経営を立て直したことでも知られています。日本のビジネス界を事実上牽引しているビジネスマンのお一人です。私はここ数年来、稲森氏が書いている書物を読んでいますが、彼の「生き方」や「働き方」はベストセラーとなっています。最近新刊が出ましたので冒頭部分を少し抜粋させていただきます。

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『心』稲森和夫(サンマーク出版)
人生のすべては自分の心が映し出す
 これまで歩んできた八十余年の人生をふり返るとき、そして半世紀を超える経営者としての歩みを思い返すとき、いま多くの人たちに伝え、残していきたいのは、おおむね1つのことしかありません。それは「こころがすべてを決めている」ということです。
 人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。それらはまるで映写機がスクリーンに映像を映し出すように、心が描いたものを忠実に再現しています。それは、この世を動かしている絶対法則であり、あらゆることに例外なく働く真理なのです。
 したがって、心に何を描くのか。どんな思いをもち、どんな姿勢で生きるのか。それこそが、人生を決めるもっとも大切なファクターとなる。これは机上の精神論でもありません。心が現実をつくり、動かしていくのです。
 そんな”心”のありようについて最初に気づくきっかけとなったのは、私がまだ小学生のころ、肺結核の初期症状である肺浸潤にかかり、闘病生活を余儀なくされたことでした。幼い私にとってそれは、暗くて深い死の淵をのぞいたような強烈な体験でした。
 鹿児島にあった私の実家は、叔父二人、叔母一人が結核で亡くなるという、まるで結核に魅入られたような家でしたが、私は感染を恐れるあまり、当時、結核にかかった叔父が寝込んでいる離れの前を通り過ぎるときには、鼻をつまんで走り抜けていました。
 私の父といえば、肉親を世話するのは自分しかいないと覚悟を決めていたのでしょう。感染することなどまったく恐れず、とても献身的に看病していました。私の兄もまた、そんなにたやすくうつるものではないだろうと、まったく気にもとめていませんでした。
 そんな父や兄は感染することなく、私だけが病魔に襲われてしまった。ひたひたと迫りくる死の恐怖におののきながら、私は日々鬱々とした気持ちで病床に伏せるほかありませんでした。
 そんな私を見かねたのか、当時隣に住んでいたおばさんが1冊の本を貸してくれました。そこにはおよそ、次のようなことが書いてありました。
「いかなる災難もそれを引き寄せる心があるからこそ起こってくる。自分の心が呼ばないものは何一つ近づいてくることはない」
 ああ、たしかにそうだ、と私は思いました。病気を恐れず懸命に看病していた父は感染せず、また病気など気にせず平然と生活していた兄もまた罹患しなかった。病を恐れ、忌み嫌い、避けようとしていた私だけが、病気を呼び寄せてしまったのです。
 すべては”心”がつくり出している―このとき得た教訓は、その後の私の人生に大きくかかわる大切な気づきとなりましたが、当時はまだ年端もいかない子どものこと。その意味するところを十分理解するまでにはいたらず、それによって人生が大きく変わることもありませんでした。
 その後、少年期から社会に出るまでの私の人生は、挫折と苦悩、失意の連続でした。中学受験には二度も失敗し、大学受験をしても希望の学校に行くことはかなわず、続く就職試験も思うようにならない。なぜ自分ばかりがこううまくいかないのだ、何をやってもダメに違いないと失望し、うちひしがれ、暗い気持ちで日々を送るばかりでした。
 そんな人生の流れが大きく変わったのは、大学を卒業し、京都にある碍子メーカーに就職してからのことです。不況による就職難の中、大学の先生からの紹介をいただいて、やっとのことで入社した会社でしたが、フタを開けてみればすでに経営は行き詰っていて、ほぼ銀行の管理下にあるというボロ会社でした。
 同期に入社した仲間は一人、二人と辞めていき、とうとう私一人になってしまいました。逃げ場のなくなった私は、それならば、と心を入れ替えて仕事と向き合うことにしました。どんな劣悪な環境であっても、できるかぎりの仕事をやってやろうと肚を据え、研究室になかば泊まり込むほどに研究開発に没頭したのです。
 やがて成果が上がりはじめ、おのずと周囲からの評判も上がると、ますますやりがいを感じて研究に邁進する。するとおもしろいように、さらによい結果が出る。そんな好循環が生まれ、やがて私は、当時世界的にみても先駆的な独自のファインセラミックス材料の合成に成功することができたのです。
 けっして能力が向上したわけでも、すばらしい環境が与えられたわけでもない。ただ考え方を改め、心のありようを変えただけで、自分をとりまく状況が一変した。
 人生とは心が紡ぎ出すものであり、目の前に起こってくるあらゆる出来事はすべて、自らの心が呼び寄せたものであるー少年のころにつかんだその法則を、このときあらためて実感し、人生を貫く”真理”として心に深く刻みつけることとなったのです。.....
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 ”心”の在り方を徹底的に追求した人物は釈迦牟尼仏陀(釈尊)ですが、釈尊も心の動きに囚われやすい人間の性(さが)を冷徹に語っています。心の定義は様々ですが、釈尊は心の動きに囚われず、心を制御することが悟りを開く目的であると語っています。
 確かに私たちは何かを思うことで因果が生じ、それが実現する過程を体験します。言い換えれば、自分が思わない事柄に関しては生じない法則があります。良きにつけ悪しきにつけ、自分の思いがすべての事象を生じさせると言えそうです。稲森氏の著書「心」に興味のある方はぜひ続きをお読みください。

2019年07月14日