#434 荒尾競馬閉鎖

 地方競馬と言えば、小倉、佐賀と並んで荒尾にもかつて競馬場がありました。2011年に廃止され、場外売り場が残されていましたが、それも今日移転されて廃止となりました。地元の競馬ファンに取っては懐かしい競馬場です。この荒尾競馬に関する記事を転載します。
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『学校サボって観戦、落ちこぼれ馬の覚醒…
         荒尾競馬跡地29日閉鎖、最後の食堂「寂しい」』
 場外馬券発売所として活用していた荒尾競馬場跡地(熊本県荒尾市)の旧スタンドが、発売所の移転新築に伴い29日で閉鎖される。場内に唯一残っていた食堂「朝日屋」もこの日で閉店。今秋から施設全体の解体が始まる。元馬主でもある食堂経営者の池田政照さん(84)=福岡県大牟田市=は「思い出が染みついた場所が無くなるのは、寂しくてたまらない」と惜別の念を募らせる。 
 荒尾競馬場の開設は1928年。池田さんは幼少時、祖父に手を引かれて訪れ初めてレースを見た。たちまち馬のとりこになり、「大きくなったら馬を飼う」と祖父に誓ったという。
 競馬場は戦時中に一時中断したものの46年に再開。石炭増産の国策でいち早く復旧した三池炭鉱の労働者らでにぎわった。55年から、荒尾市と県の一部事務組合による公営になった。
 池田さんによると、当時レース開催日には花火が上がったという。高校時代、花火の音が聞こえると、そわそわしたという池田さん。「競馬好きの同級生と、学校をサボって何度、競馬場に通ったことか」と笑う。上京した大学時代も、中央競馬などに通い詰めた。
 帰郷してからは、塗装会社やガソリンスタンドの経営を始めた。その先に見ていたのは、馬を飼うという幼年期からの夢。所得要件をクリアし、30代でついに馬主登録を果たした。
 池田さんの所有馬は通算約20頭。中でも忘れられないのは「ダンディジョイフル号」。中央競馬から移籍し、鳴かず飛ばずだったが「養い方次第で走る」と確信して買い取った。仕事の合間、競馬場の厩舎(きゅうしゃ)に足しげく通った。「朝日屋」の壁には、98年の優勝写真が飾られている。愛馬と並ぶ池田さんは誇らしげだ。
 しかし前年の97年、三池炭鉱が閉山。得意客を失った荒尾競馬場はその後、赤字が続き、2011年12月、約14億円の累積赤字を残して廃止された。
 当時、競馬場には10軒の食堂があった。池田さんが04年に高齢の前経営者から引き継いだ朝日屋もその一つ。競馬場の廃止で一斉に閉店したが、池田さんは「馬を近くに感じたい」と存続を決めた。
 馬券発売所の客が訪れる食堂には、その日の出馬表や予想を掲示。15年間勤める石丸フサエさん(73)、智美さん(53)親子が作るちゃんぽんや焼きそば、験担ぎのカツ丼やカツカレーが人気だった。年配の常連たちは池田さんとの競馬談議を楽しみに来店した。
 29日の営業が終われば、人生の大半を過ごした「競馬場」ともお別れ。「いよいよこの日が来た。しばらくは何も手に付きそうにない」。池田さんの目が潤んだ。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/930995/)
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 荒尾競馬の跡地に建って、広い競馬場を眺めますと、かつての賑わいが目に浮かびます。私は競馬の趣味はありませんが、それでも所要で競馬場の前を通り過ぎるとき歓声が轟いていたことを思い出します。競馬場の広いトラックの向こうに視線を向けますとラムサール条約に登録されている荒尾干潟が有明海に広がっています。その向こう側には雲仙の普賢岳がそびえています。悠久の自然の姿は変わりませんが、人の作った物はいつしか朽ちていきます。

2022年05月29日