#91 大牟田市が100歳になりました

 3月1日に大牟田市が市制100周年を迎えました。人間で言えば100歳を迎えたことになり、国から金杯や賞状をいただき表彰されることでしょう。しかし市町村の自治体では必ずしも喜ばしいことばかりではありません。特に地方自治体では人口減による税収の減少や高齢者福祉事業など問題が山積しています。巷で言われている「地方消滅」の問題です。
 ここ大牟田市でもその現象が顕著に表れています。特に人口減は顕著でこの市が炭鉱で栄えていた往時は23万人を超えていましたが、現在は12万人を下回るほどに減少しています。つまり人口が半減したことになります。人口減の主な理由は炭鉱閉山による地元産業の減少です。大牟田市は三井鉱山関係の企業で成り立っていた街で、炭鉱が無くなり、新しい産業の開発や企業のの誘致がうまくいっていない状況が現在の大牟田市です。
 私が子供の頃は大牟田市が最盛の時でした。市内には大人や子供が溢れ、休みの日には当時の繁華街だった築町や新栄町、県境の四ツ山などに皆で出かけたものです。「街に行こう!」が合言葉でした。デパートも松屋、井筒屋の2つあり、アーケード街が市内の至る所にあり大変な活気を呈していました。昭和30年代頃、大牟田市は福岡市や北九州市に次いで県内で3番目に大きな街だったと思います。(当時は久留米市よりも大きかったのです。)しかし今ではアーケード街はシャッター通りに変わり、デパートもすでに無くなり、駐車場や空き地となっています。市内で往時を偲ばせるものは大牟田市役所の古い建物と大牟田駅のプラットホーム(JR3ホーム、西鉄5ホーム、計8番ホームまであります)だけではないでしょうか。
 大牟田市の現状は他の地方都市にも当てはまります。北九州市も人口100万人を割っています。スペースワールドは今年閉園が決定しています。県内で元気な街は福岡市だけとなっています。いわゆる大都市への人口や企業の一極集中がより進んでいる現状です。この状況を改善するために地方都市は何ができるでしょうか。「勝ち組」や「負け組」の言葉が頻繁に使われていた時期がありましたが、この言葉は人だけでなく、自治体にも当てはまります。各自が努力し、自分の才能や能力をアピールできるようなものがなければ、人も自治体も生き残れない時代が来るでしょう。経済成長時代やバブル時代と異なり、本当の意味において自ら努力する自己革新が求められる時代となっています。

2017年03月05日