#253 焼き場に立つ少年

 暦の上では立秋を迎えましたが、最高気温35度を超える猛暑の日々が続いています。また夜も最低気温が25度を下回らない熱帯夜が続いており、エアコンなしでは眠れない夜が続いています。
 さて今年もまた鎮魂の月がやってきました。8月6日の広島、8月9日の長崎、そして8月15日の終戦日です。原爆による被害だけでなく、それまでに国土の多くが焦土と化しました。またこの戦いを通して300万以上の国民が命を落としました。
 毎年8月には広島、長崎の原爆を始めとする太平洋戦争(第2次世界大戦)の特集を様々なメディアが特集します。その中で毎年のように採り上げられるのが「焼き場に立つ少年」の写真です。このブログを読まれている皆様も一度は目にしているのではないかと思います。今年の11月にローマ教皇が来日される予定ですが、フランシスコ法王が平和へのメッセージとして、この写真を取り上げたことでも知られています。
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『ローマ法王、長崎原爆後の写真「焼き場に立つ少年」配布』(朝日新聞)
(https://www.asahi.com/articles/ASL124Q7HL12UHBI009.html)
 カトリック教会のローマ法王庁(バチカン)が昨年末、教会関係者に向け、1945年に原爆投下を受けた後の長崎で撮影された写真入りのカードを配布した。フランシスコ法王が配布するよう命じたもので、教会関係者によると、法王が年末にカードを配布するのは異例。「核なき世界」を訴えてきた法王が出した強いメッセージと受け止められている。
 カードには、米国の従軍カメラマン故ジョー・オダネル氏が45年に撮影した「焼き場に立つ少年」が印刷されている。法王はこの写真に「戦争の結果」とするメッセージと自身のサインを添えた。
 法王はカードに「亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。少年の悲しみは、かみしめて血のにじんだ唇に表れている」と、スペイン語の説明も加えた。
 法王は昨年11月に核軍縮をテーマにしたシンポジウムの参加者に「核兵器は人類の平和と共存しない」と述べるなど、核廃絶を求めるメッセージを全世界に投げかけている。
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 さらに西日本新聞の記事によりますと、次のように説明しています。
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『「焼き場に立つ少年」はあの子?謎追う被爆者 ローマ法王注目の写真』
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532764/)
 亡くなった弟を背負った少年が、真っすぐ前を見つめる。原爆投下後の長崎で撮影したとされる写真「焼き場に立つ少年」は、11月に来日予定のローマ法王フランシスコが世界中に広めるよう呼び掛けたことで注目された。法王は言う。<このような写真は千の言葉よりも伝える力がある>。だが少年の身元も撮影場所も分かっていない。長崎市のある被爆者は今も、写真の謎を追っている。
 写真は、米軍の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネルさんが1945年に長崎で撮影。少年が焼き場で弟を火葬する順番を待っている場面だとされる。
 「あの子じゃなかろうか」。長崎市の元小学校長、村岡正則さん(85)は10年ほど前、写真が長崎で公開されることを伝えるニュースを見て驚いた。同じ銭座国民学校(現銭座小)に通っていた少年にそっくり。学級は違ったが、何度か校庭で遊んだことがある。丸顔でおとなしい性格。転校生だったと記憶するが、名前は思い出せなかった。
 45年8月9日、村岡さんは爆心地から1・6キロ離れた自宅で被爆。外出しようとした瞬間、閃光(せんこう)が走り吹き飛ばされた。がれきの下からはい出し、両脚と左腕のやけどの痛みをこらえながら母たちと裏山に逃げ込んだ。あの少年も幼子を背負って裏山にいた。「どうしよっとね」と尋ねると、少年は「母ちゃんを捜しよると」と言い、立ち去ったという。それっきり会っていない。
 2017年末、法王は写真をカードに印刷し、<戦争がもたらすもの>というメッセージを添えて各国に配るよう指示。日本ではカトリック中央協議会(東京)などを通じて配布された。「私はあの子に会うたとさ、話したとさ」。カトリック信者でもある村岡さんは法王の行動に背中を押され、少年を捜し始めた。
 銭座小は児童約850人のうち約500人が犠牲となり、学籍簿も焼失した。写真のことが書かれた本に出てくる人に会い、自分の記憶と照らし合わせて手掛かりを探った。調査範囲は市外にも広げたが、有力な情報は得られていない。
 法王はかつて<核兵器は人類の平和的共存の基礎にはなれない>と語り、その教訓となる被爆者の証言を<予言的な声>と表現した。「焼き場に立つ少年」は核廃絶が進まない世界の未来を示唆する、と伝えたいのだろうか。
 法王は11月、長崎と広島を訪れる予定だ。「この写真は末永く戦争の惨禍と平和の尊さを力強く、訴え続けていくに違いない」と村岡さん。少年に光を当てた法王の来日を機に、新たな証言が出てくることを待ちわびる。
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 先日NHKで放送された特集番組『もう一度”長崎の原爆”を見つめる「焼き場に立つ少年」を探して』によりますと、該当する少年の氏名は「上戸明宏」または中村明廣」で、写真を詳しく分析すると意外なことが分かっています。少年の瞳の周囲と鼻に詰め物をしている状況から、原爆症の専門医師の話では原爆による骨髄障害ではないか、ということです。(https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0809.html)
 もしそうであれば、この少年は原爆症により早晩亡くなっていたのでは、と推測できます。この写真は多くの人命が失われた戦争の悲惨な一面を如実に示しています。
 終戦から74回目の夏を迎えますが、平和への祈りは今でも絶えることなく、8月15日まで様々な行事が全国各地でおこなわれます。世界各地では今でも様々な紛争が続いています。この国が率先して平和を築く努力を行う時が今です。

2019年08月11日