#179 流れる星は生きている

 前回のブログで九州北部の梅雨入りに少し時間がかかるとお伝えしましたが、何とその翌日に梅雨入り宣言が出てしまいました(笑)。それでも週の後半は晴天になり、梅雨の中休みが続いています。今日も朝から快晴です。
 さて話題が代わりますが、友人との出会いには何か運命的なものを感じさせます。例えば小学校の頃は同じクラスで親しい友人でき、毎日のように一緒に遊んでいても、学年が変わりクラスが変われば何となく疎遠になった経験がありませんか。同じように中学時代や高校時代で親しい友達ができても、卒業して学校が変わり、お互い生活する環境が変わればいつの間にか疎遠となっていく傾向があります。そのような時間の経過の中で、友情関係が続いて行くのが本当の親友と言えるのではないでしょうか。
 また友情が始まるのにいくつかのパターンがあります。最初に出会って意気投合して友情が長く続くパターンや、何となく飽きてしまい、直ぐに分かれるパターン。また気になる人がいて、こちらから話しかけたいけれども、何となく躊躇してしまい、その後しばらくして何かのきっかけで話しかけると、その後一生続くような友情が築かれるなど、様々な友人との出会いがあります
 これは本との出会いにも言えると思います。書店で本のタイトルや表紙に魅かれて読み出したけれど、期待したほど内容が面白くなく、途中で読まなくなったり、何となく気にはなるけど、なかなか手にしない本もあり、その後何かのきっかけで購入し読み出すと、とても面白く、最後まで一気に読み終えてしまうようなものもあります。人と同じように外見で判断してはいけないということです(笑)。
 前書きがかなり長くなりましたが、今日のブログのタイトルは知る人ぞ知る名著「流れる星は生きている」(藤原てい著)です。私が初めてこの本を見つけたのは高校時代の頃で、今から数十年前のことになります。最初は天文学の本かと思い、手にしても何となく中身を読み出すまではいかず、結局購入しないで長い年月が過ぎてしまいました。ところが最近ふとこの本のことを思い出し、頁をめくると朝鮮半島の地図が載っており、終戦直前の満州からの脱出劇を一般人の目で詳細に述べてある本だということを知りました。そこで購入して読み出すと最後まで一気に読んでしまいました。ちなみに著者の故藤原ていさんの御主人は新田次郎さんです。私はこの事も知りませんでした(只々赤面です!)。
 この本はソ連の満州侵攻直前直後の満州や朝鮮半島の状況を実体験を通して事細かく記しており、当時朝鮮半島を脱出することがいかに過酷であったか。また幼い子供3人を抱えて食料も不足している状況で、いかに子ども達の命を守ったかを母親の立場で詳しく述べています。また日本人同士でありながら朝鮮半島脱出の過程でお互い助け合ったり、反目し合ったりする様子も詳しく書かれています。当時の脱出劇がいかに悲惨なものであったか、またその途中で多くの日本人が差別に合い、死んでいったかを事細かに書いてあります。
 この本の刊行は昭和24年で、私が生まれるずっと以前のことです。この本は当時日本国内でものすごい反響を呼び、映画にもなったそうです。本のタイトル「流れる星は生きている」は戦争当時、南方にいた部隊の二人の兵隊さんが作詞、作曲した歌の歌詞の一部から採っています。この曲はYouTubeで聴くことができますので興味ある方は検索してみてください。なおこの本には日本に帰国後に著者の故郷の長野県諏訪市に帰るまでを描いていますが、著者の生い立ちや帰国後の生活を詳しく知りたい方は自伝的小説「旅路」を併せてお読みください。両著とも中公文庫から出版されています。一読する価値のある本です。

2018年06月03日