#601 八月は鎮魂の月
八月上旬は例年なら盛夏で、雨も夕立しか降らない日が多いのですが、ここ数日間はまるで梅雨末期のような雨天が続いています。九州南部の鹿児島や宮崎ではここ数日間の豪雨により多くの被害が出ています。また昨日より北部九州の福岡、佐賀、長崎でも記録的な豪雨が降り、昨日の「長崎原爆の日」は雨の中で行われました。例年なら八月下旬から九月上旬にかけて秋雨前線が生じますが、今回は秋雨前線にしては早すぎます。人間社会と同じように天候も異常を繰り返しています。東北地方は先週の大雨で日照りが解消されましたが、雨が降りすぎると「過ぎたるはなお及ばざるが如し」で稲穂がだめになります。何事も中庸が大切です。
さて、八月は日本にとって鎮魂のひと月と言えるでしょう。なぜか歴史上災害や事件、事故が多い月となっています。八月六日は広島原爆の日、八月九日は長崎原爆の日、八月十二日は日航123便が御巣鷹に墜落した日、八月十五日は終戦記念日となっています。ちなみに九日はソ連が日ソ中立条約を破り、樺太(現サハリン)に侵攻した日でもあります。このように様々な悲劇的出来事がその後の日本の歴史を変えた重要なひと月です。先の大戦で300万以上の国民が亡くなり、日本は壊滅的な状況となりました。また史上最大の航空事故として40年経った今でも御巣鷹で供養が続いています。この事故原因として飛行機の隔壁破壊だけでなく多くの諸説があり、今でもこの事故に対する結論が出ていません。
前回のブログでも触れましたが、長崎に原爆が落とされる前に、小倉に投下する計画がありました。この小倉に原爆が投下された場合の影響についての西日本新聞の記事を本日は転載します。
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『「もし小倉に投下されていたら」直接死5万7000人超 狙われた軍都、当初の標的に』
80年前、2発目の原爆の第1目標となりながら投下を免れた北九州市。市民の間では「小倉に原爆が投下されていたら」という仮定が世代を超えて語り継がれている。直接死5万7千人超と試算される「小倉原爆」。狙われたのは軍事施設だった。核を巡る国際社会の緊張感が高まる中、研究者らは「今こそ、核の脅威を自分事として捉え直す材料となる」と再評価する。
人々が行き交うJR小倉駅の南西約1キロ先。小倉北区の小倉城や市役所に近い勝山公園一帯にはかつて、原爆の標的とされた西日本最大級の兵器工場「小倉陸軍造兵廠(しょう)」があった。
小倉の街には今、「軍都」の面影はない。それでも市民は忘れていない。「小倉に落ちていれば私は生まれていなかっただろう」「長崎が私たちの身代わりになってしまった」
造兵廠跡地の一角に立つ平和のまちミュージアムの小倉徳彦学芸員は「北九州には今も、長崎原爆に特別な思いを抱く人が多い」。同公園では毎年8月9日、平和祈念式典が営まれ、市民が原爆犠牲者を悼む。
太平洋戦争末期、米国は原爆投下の候補都市を広島、小倉、長崎、新潟に絞り込み、広島に最初の原爆を投下した。3日後には2発目の原爆を搭載した米軍機が小倉上空に飛来。3度、爆撃航程をとったが、前日の八幡大空襲の煙や雲で視界が悪く断念し、第2目標の長崎へと機首を向けた。
もし、あの日、小倉上空の視界が良好だったら-。
爆心地から4キロ圏内の死者は5万7千人超。爆風被害は関門海峡を越えて山口県下関市に及び、工業地帯は3分の1が破壊・焼失する。既に空襲を受けていた八幡や戸畑を含め壊滅。80年後の街の姿は大きく変わっていたかもしれない。この小倉原爆の被害予測は、九州大の故森茂康教授(物理学)が1982年に公表。同ミュージアムに一部が常設展示されている。
上空600メートルで長崎原爆と同じ威力でさく裂したと仮定。放射線や熱線の被害は長崎の実測値を採用した。気象条件や人口分布も踏まえ、延焼や放射性物質を含む「黒い雨」などを除いた直接的な被害に限定し、惨状を具体的に算出した。
この被害予測は朝日新聞西部本社が森教授に要請し、82年8月5日付の同紙で報じた。当時は東西対立の時代。森教授は、談話の中で被害予測の意義を語っている。「抽象的に『核兵器は恐ろしい』というのではなく、実際自分の住む町で起きたであろう悲惨な事態を具体的に提示している。シミュレーションは核の時代の警鐘になるだろう」
森教授と連携した同紙元記者の宮崎勝弘さん(81)=栃木県在住=は本紙取材に応じ、「核兵器が抑止力の象徴となっている。日本も防衛力増強を図っているが、戦時に軍事施設を有する都市はいや応なく戦争に巻き込まれる」と憂慮。「小倉原爆を通し、平和への想像力をかき立ててほしい」と訴える。
ロシアがウクライナを核で威嚇し、米国がイスラエルに協力してイランの核開発施設を攻撃する時代。原爆投下候補都市を研究テーマとする立命館大の鈴木裕貴研究員は「新潟、横浜、京都なども原爆投下の候補都市となり、さまざまな要因や偶然で免れた。原爆は決して人ごとではない」。今、小倉原爆を考える意義を強調する。
https://www.nishinippon.co.jp/item/1385927/
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歴史は過去の単なる出来事ではなく、過去の経験を生かしてどのように生きれば幸せになるかを教えてくれます。しかし愚かな人類は歴史から何も学ぼうとしません。お互い戦争を繰り返し領土を侵略します。一番不幸なのは国民です。愚かな為政者の私利私欲のために一般市民が戦争に駆り立てられ、戦いの犠牲となり、塗炭の苦しみを舐めさせられます。いつになれば人類は愚かな行為を止めることができるのでしょうか。嘆かわしいかぎりです。