#285 今年も届きました

 今朝は全国的に寒気の影響で、最低気温を更新した場所が多かったようです。昨日は強い寒気の影響で北海道は各地で厳しい冷え込みとなっています。7時までの最低気温は、上川地方の江丹別でー36.0度まで下がりました。国内でー35度以下になるのは19年ぶりとなるそうです。
 ところで新型肺炎ウィルスはまだ猛威を振るっており、毎日ニュースでも伝えられていますが、横浜に停泊している客船からほぼ毎日のように感染者の報告が伝えられています。船のような閉鎖環境では下船するわけにはいかず、各船室で待機を求められます。せっかくの船旅が最悪の状況になっています。この状況がいつまで続くかは断定できませんが、この客船のウィルス収束までしばらく時間がかかりそうです。
 さて毎年この時期に楽しみにしていることがあります。1月末にささやかな冊子が届きます。株式会社クマヒラからの「抜粋のつづり」です。この冊子には以前のブログに書いていますが、国内外に無料で配布されており、最近1年間の深部雑誌等から珠玉のエッセイなどを集めたものです。本日はその中から1つのエッセイを転載します。

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『利他のこころ』東 ゆみこ(大法輪「鉄笛」元年7月号より)
 八十歳をすぎた私の両親はともに認知症をわずらい、1年半ほど前、立て続けに同じ病院の三階と四階に入院し、離ればなれになった。最近になって父だけが介護施設に移ったが、病気は進行し、お金も携帯電話も一人で扱うことができず、ほんの少しの着替えと日用品だけで毎日を過ごしている。
 見舞いに行くと、母は毎回「せっかくの昼寝が邪魔された。いい気持ちで寝ていたのに。帰ってくらっしぇ」と言う。父は窓から見える槙(まき)の木の枝が気になるらしく、「あそこが刈られていないなあ」と繰り返しつぶやく。そういえば、別の病院では、禁止されている携帯電話をかけ続けたり、「寿司を持って見舞いに来い!」とどなったりする老人を見たこともある。
 心身が衰え、慣れ親しんだ人や家、大切にしていた物から離れて、記憶さえ薄れていく中にあっても人間は何かにこだわり続ける。なぜこだわるのか。他人には容易に理解しがたいが、そういう出来事に遭遇すると、いつも伯母の死の場面が思い出される。
 ここでいう伯母とは、私の母のきょうだいのうちの最年長の姉を指している。貧しい漁師の家に生ま育ち、若いころは腕の良い海女で、その稼ぎで両親や弟妹たちの生活を支えた。
 あるとき伯母は、子どもがいなかったために跡継ぎを探していた小さな旅館の女将にほれこまれ、養女となった。旅館のことなど何ひとつ知らなかった伯母は、料理はもとより、旅館のきりもり、業者とのつきあいに至るまで、女将の教えを、睡眠時間をけずって習得した。
 女将が亡くなって旅館を引き継いだ後も、教えに忠実だった。墓参りも欠かさず。仏壇に線香とご飯をそなえ、「おばあちゃんが好きだったから」といって、自分では吸わない煙草を口にくわえて火をつけ、線香の隣に立てていた。伯母は、貧しい海女だった自分を二代目に選んでくれたおかげで、自分の家族が金銭的に助かったと、毎日手を合わせて感謝していたのである。
 けれども、そんな伯母が、ひょんなことから子ども向けに書かれた釈尊の四門出遊(しもんしゅつゆう)の物語を読み、先代の女将は、「行商人というものはこちらを騙して、質の悪い魚を高く売ろうとするから気をつけろ。つけいられないように叱り飛ばせ。」と伯母に命じた。伯母はことば通り行商人に厳しい態度をとっていた。だが、人々の苦しみを見て出家を決意された釈尊のように、身内だけでなく他人に対して思いやりの心を持たなければならないと考えた。先代の女将のおかげで自分の家族が助かったように、自分も他の人をできるだけ助けるべきだ、と。そこで、行商人に深々と頭を下げ、これまでの自分の態度を率直に謝り、時折チップを渡すようになった。チップは行商人が商売をたたんだ日まで続いた。
 伯母は釈尊の童話をきっかけとして、これまでの教えを捨て、生き方を抜本的に改めたのである。しかし、感謝の念は絶えることなく、脳梗塞や心筋梗塞で倒れた後も、「車で行けば」という息子の勧めを断って、道端で休み休みしながら、不自由な体で墓参りを続けた。
 その伯母が亡くなったときの話である。
 たまたま帰省していたおり、叔母が危篤状態だとの連絡がはいった。母とともに病院に急行すると、すでに親類縁者、七、八名が集まっていた。私も小学生のころに看てもらった主治医のI先生が、叔母の脈をとっていた。伯母はまさに亡くなろうとしていた。
 旅館の跡取りである長男は。「かあちゃーん、俺をおいて逝かないでくれよォ」と叫んだ。伯父は伯母の名前を呼び、「いろいろ世話になったな。俺も、俺の親も兄弟も、みんな本当に世話になった。」と声をかけた。冗談好きの伯父が伯母の名前をまじめに読んだので、私はそれをはじめて聞いたかのような感慨を覚えた。他の人たちはほとんど口をきかず、身じろぎもせず、じっと様子を見守っているばかりだった。
 そんな中、I先生が右手を大きく動かして、自分の顔をふいたのが目にとまった。驚いたことに、患者の死に慣れているはずの先生が泣いていた。何度か涙をぬぐった後に、こうつぶやいた。
 「この人はさぁ、俺に『体を大事にしてください』って言うんだよなぁ。患者なのに、死ぬっていうときに、医者の体の心配をするんだよ。痛いとか苦しいとか文句も言わないで。こんな患者、はじめて見たよ。」
 数日後、先代の女将が眠る菩提寺で葬儀が営まれた。説法の段になって、それまで式を取りしきっていた若い住職に代わって、奥の方から老住職がよぼよぼとした足取りでやって来られた。老住職はたどたどしい口調で法名について話し始めた。
 「仏の最も大切な教えのひとつである慈悲。この慈悲の中でも大いなる慈悲をあらわす『大慈』の文字をつけさせていただきました。おかみさんは、生前みなさんを大きく慈しみました。仏の教えにつかえる身で、私がおかみさんに慈しみを与えるべきところ、この私にさえ、おかみさんは慈しんでくださった。私は末期がんで、もうすぐあとを追うことになるでしょう。それなのに、こんなことしか言えなくて情けないが、このへっぽこな頭で何度考えても、この方の戒名には『大慈』しかない。これしか思い浮かびませんでした」
 もう三十年以上も昔のことである。
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 人はこの世を去るときに、その人の真の価値が分かります。どれだけ世の中で成功して名を残しても、その人がどれだけ周囲に愛情や慈悲を与えたかにより、本人の本当の評価が決まります。そして、その人の人生の集大成になります。人の生まれは時代や家庭環境により大きく異なりますが、その人の一生の間にどれだけ愛情を注ぐことができるかが、人の真の価値を決めていくことでしょう。

2020年02月09日