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シドニー点描を始めました

 シドニー点描とは私がこれまで体験した海外生活や語学の勉強など、自伝形式、日記形式で書くブログです。既出ブログ「ひつじの独り言」はおよそ毎週1回日々感じたことを述べていますが、「シドニー点描」は不定期的に書こうと思います。このブログページに時々訪れてください。新しい発見に出会うかもしれません。ちなみに「シドニー点描」のシドニーとは私が3年間暮らしたオーストラリアのシドニーのことです。

2018年03月18日

電波飛び交う街

 私が40年ほど暮らした福岡市はラジオやテレビの電波が高層ビルや鉄筋ビルに阻まれて、特に電波の強い地元のRKBやKBCラジオでさえも室内に届かない状況です。また放送に雑音が入り、音楽などはあまり楽しめない状態です。それに対してここ大牟田は高いビルがあまり存在しないためでしょうか、ノイズがほとんど入らない良好な状態でラジオ放送を楽しめます。特に夜になりますと、中国や韓国のラジオ放送が受信できます。1960年から70年代にかけて深夜放送やBCLブーム(地元以外の遠くの放送局を聴く趣味)が起こりましたが、私も短波放送を受信可能な高性能のラジオを購入し、オールナイトニッポンなどの深夜放送をよく聴いたものです。特に深夜になりますと、大阪や京都からのラジオ放送や東京の文化放送や遠く北海道の放送局の電波を受信でき、週末の深夜はラジオに夢中になった中高時代でした。
 そのような環境で育ったせいか、国内の放送に飽きた時には海外の短波ラジオの放送局にダイヤルを合わせたものです。言葉の意味は分かりませんが中国や韓国からの放送、旧ソ連や意味不明の外国語放送など、ラジオのダイヤルをゆっくり回しながら流れてくる声や音を楽しんだものでした。もちろん英語放送も聞こえてきます。高校時代には特にNHKの海外放送やアメリカのVOA、イギリスのBBCなど放送されている内容は理解できなくても、何となく放送番組を聴いていたものです。それが英語教師への道に繋がったと言えます。私にとって英語は決して得意な科目ではありませんでしたが、英語に関心をいだく素地がこの時期にできていたのでしょう。今ではインターネットを通して簡単に英語だけでなく様々な言語を生のまま見たり聞いたりすることができますが、今から40年以上前にはインターネットやスマホなど便利な道具は存在せず、若者たちはひたすらラジオを聴いて様々な情報を手に入れていました。60年代、70年代の古き良き時代の情報はすべてラジオから流れてきていました。

2018年03月20日

恩師との邂逅

 私が中高生の頃、様々な外国語や情報が飛び交っている大牟田でしたが、英語に関してはそれほど進んでいる街ではありませんでした。今とは異なり、公立の中学校や高等学校にはネイティブの教師はおらず、英語と言えばあくまでも教科の1つで、読解に特化した教科でした。街にはほとんど外国人は住んでおらず、実際私が外人と話したのは大学に入学してからのことでした。
 私が英語に興味を抱いたのは浪人して予備校に通うようになってからのことです。当時の予備校は福岡市に九州英数学館と水城学園という2つの地元の大手予備校がありました。現在のように駿台予備校や河合予備校など中央の業者が進出することはありませんでした。ただマンモス予備校で知られた代ゼミと水城学園が提携していたこともあり、代ゼミの有名講師の先生が週に2,3回来福されていました。私は水城学園に通い、そこで素晴らしい先生方と出会い、その分かりやすい授業や生き方を学び、英語に対する興味がわいてきました。当時は現役の大学教授が予備校の授業を担当していたこともあり、単なる受験勉強以上の生きた英語を学ぶことができました。その中でも一番影響を受けた先生方は成城大学の故小野嘉寿男先生、慶應義塾大学の故三浦新市先生、東京工大の松山正男先生、それに数学で大変お世話になった「なべつぐ先生」こと故渡辺次男先生には個人的に数学を指導していただきました。
 予備校時代から早40年ほどが過ぎ、ほとんどの先生方が鬼籍に入られましたが、それでも時々なつかしい授業風景を思い出し、この頃に英語教師としての土台が築かれた時代だったと思います。人生の節目で出会う人々に私たちは大きく影響されます。また自分の生き方を変えることがあります。特に教師が生徒に与える影響は良くも悪くも大きく、人の一生を変えるほどです。教師の何気ない一言が生徒を勇気づけたり、傷つけたりします。教職はすべての教員にとり天職であり、また他の職業よりも重責がかかります。教職を目指す人は覚悟して教職に就いてもらいたいと思います。

2018年04月10日

大学時代の英語学習

 浪人生活を経験し、無事に西南学院大学外国語学科(英語専攻)に合格しましたが、1970年代当時公立学校の生徒がネイティブの授業を受けたことは全くなく、私もその一人でした。それだけに大学で英語のみで行われる授業についていくのが大きな課題となりました。受験勉強としての英語は理解していましたが、英会話やリスニングに関しては全く経験がありませんでしたので、当時の私はこれを克服することが一番の課題でした。今のようにインターネットで英語が飛び交う時代ではなく、まして英会話学校に行くにはお金がありませんでした。
 そこで、まずリスニングを鍛えるために利用したのが短波ラジオでした。今でこそインターネットラジオで世界中の放送局を聴くことができますが、当時の世界中の情報源は短波ラジオでした。特に熱心に聴いた放送局がアメリカのVOA(Voice of America)、イギリスのBBC、オーストラリアのABC、そして日本の海外放送番組であるNHKのラジオジャパンでした。当時行ったリスニング方法は好きな放送局を聴きながら5分ほどテープレコーダーに録音し、ディクテーションを行います。そして書き取った英文と録音した英語を聴き比べて間違えていないかどうか確認する作業を半年ほど続けました。その結果ラジオで話される英語を何とか聞き取れるほどにまでなりました。
 練習するのに一番困ったのが会話(speaking)です。英会話は大学の必須単位であり試験も行われるので、単位を取れる程度の英会話力が必要となります。会話相手がいない場合には一人で英語で考えて話すことがよく指摘されますが、どうしても限定的なやり方に留まります。また、実際会話相手がいませんと、うまくコミュニケーションができないことが多々あります。そこで私が利用したのがよく新聞の掲示板に載っている無料英会話講座です。当時はモルモン教の各支部が無料英会話講座を行っていましたが、それを3カ月ばかり利用しました。その講座の内容は1対1の対面形式ではなく、参加者の英語のレベルに応じたグループ形式で、様々なトピックについてお互いの意見を自由に出し合う形式で行われました。
 アットホームの雰囲気で行われましたので、気楽に参加することができましたが、時間が経つにつれて徐々に宗教的な勧誘が始まってきましたので、徐々に嫌気がさしてとうとう講座には行かなくなりました。しかしながら、外人(ここではモルモン教の伝道師)と話すことでコミュニケーションに慣れてきたことが一番の収穫でした。またこの時期にアルク社の月刊誌イングリッシュジャーナルで「ヒアリングマラソン」が始まり、リスニング力を養成するにも役立ちました。大学時代には英語の実用面に力を入れましたが、英語が上達するにはまだまだ時間がかかる状況でした。

2018年05月06日