電波飛び交う街

 私が40年ほど暮らした福岡市はラジオやテレビの電波が高層ビルや鉄筋ビルに阻まれて、特に電波の強い地元のRKBやKBCラジオでさえも室内に届かない状況です。また放送に雑音が入り、音楽などはあまり楽しめない状態です。それに対してここ大牟田は高いビルがあまり存在しないためでしょうか、ノイズがほとんど入らない良好な状態でラジオ放送を楽しめます。特に夜になりますと、中国や韓国のラジオ放送が受信できます。1960年から70年代にかけて深夜放送やBCLブーム(地元以外の遠くの放送局を聴く趣味)が起こりましたが、私も短波放送を受信可能な高性能のラジオを購入し、オールナイトニッポンなどの深夜放送をよく聴いたものです。特に深夜になりますと、大阪や京都からのラジオ放送や東京の文化放送や遠く北海道の放送局の電波を受信でき、週末の深夜はラジオに夢中になった中高時代でした。
 そのような環境で育ったせいか、国内の放送に飽きた時には海外の短波ラジオの放送局にダイヤルを合わせたものです。言葉の意味は分かりませんが中国や韓国からの放送、旧ソ連や意味不明の外国語放送など、ラジオのダイヤルをゆっくり回しながら流れてくる声や音を楽しんだものでした。もちろん英語放送も聞こえてきます。高校時代には特にNHKの海外放送やアメリカのVOA、イギリスのBBCなど放送されている内容は理解できなくても、何となく放送番組を聴いていたものです。それが英語教師への道に繋がったと言えます。私にとって英語は決して得意な科目ではありませんでしたが、英語に関心をいだく素地がこの時期にできていたのでしょう。今ではインターネットを通して簡単に英語だけでなく様々な言語を生のまま見たり聞いたりすることができますが、今から40年以上前にはインターネットやスマホなど便利な道具は存在せず、若者たちはひたすらラジオを聴いて様々な情報を手に入れていました。60年代、70年代の古き良き時代の情報はすべてラジオから流れてきていました。

2018年03月20日