#478 高木ブー

 1970年代から90年代にかけて国民的人気のあったドリフターズですが、「8時だよ全員集合」や「ドリフの大爆笑」は今でもBS放送やスカパーなどで放送されています。特に「全員集合」では視聴率が50%を超えるお化け番組となり、当時一世を風靡しました。マンネリ化と言われつつも、多くの伝説を作ったコミック・バンドです。メンバーが次々に他界し、今では加藤茶と高木ブーのみが存命しています。その高木ブーさんが今年90歳を迎えました。ドリフターズ時代では演技が下手だとか、セリフが少ないとかマイナスのイメージが多かったのですが、彼がいなければドリフターズのイメージは半減したことでしょう。その高木ブーさんが最近次のようなコメントを語っていますのでご紹介します。
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『高木ブーが語る「90歳の野望」と「ドリフ第5の男への誇り」』
 ザ・ドリフターズ歴59年、ウクレレ歴75年、雷様歴38年……。2023年3月に90歳を迎えた高木ブーは、今も現役のウクレレ奏者&コメディアンとして大活躍している。画集や自叙伝が続けて発売されるなど、ますます元気いっぱいのブーさんに「90歳の野望」を聞いた。(聞き手・石原壮一郎)

──卒寿おめでとうございます。90歳になったお気持ちは?
 気がついたらいつの間にかなってた感じかな。90歳になっても、ステージでウクレレを弾いたりテレビでコントをできたりしているのはありがたいよね。不健康そうに見えるかもしれないけど、2ヵ月ごとに受けてる健康診断では、いつもお医者さんに「どの数値も素晴らしいです」とホメてもらってます。ホント、どういうことなのかな。
 ただ、なる前は89歳も90歳もたいして変わらないだろうと思ってたんだけど、そこはちょっと違ってた。「よし、またここからがんばるぞ」っていう初心に帰るみたいな感覚があった。といっても、ことさら肩に力が入るわけじゃなくて、今までと同じように、自分にできることを無理せずやっていくだけなんだけどね。

──ザ・ドリフターズは加藤茶さんと2人になりました。
 寂しいけど、こればっかりはしょうがない。加藤とも「俺たちががんばらなきゃな」と話してるんだけど、ドリフの魅力やコントの文化を伝えていくのは、自分たちの役割だと思ってます。ただ、加藤と僕の後ろには、長さん、荒井さん、志村、仲本の4人がついてくれている。今も一緒にやってるつもりなんだよね。
 仲本がいなくなったあと、とうとう雷様も終わりかなと思ってたら、加藤が「雷様は続けたほうがいい。俺も手伝うから」って言ってくれた。お正月の特番『ドリフに大挑戦』では、ハゲヅラをして丸眼鏡をかけた青い雷様になってくれた。嬉しかったな。僕が雷様を大事にしているのを見てくれてたんだね。

──ドリフに入る前から、ミュージシャンとして長く活躍なさっていた。
 活躍って言うと大げさだけど、高校時代からウクレレに夢中になって、大学生活もバンド一色で、そのままプロになっちゃった。「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」っていうバンドを結成して、毎日のように関東の米軍キャンプを回ってました。立川の米軍の飛行場から軍用機に乗って、台湾やフィリピン、返還前の沖縄の米軍キャンプを回る「ワールドツアー」にも何度か行ったな。よく揺れたし椅子も硬くて、お尻が痛かったのを覚えてる。
 その後、音楽の流行りに合わせて新しいバンドを結成したり、ジェリー藤尾さんのバンドに入ったり。20代は試行錯誤の連続だった。でも楽しかったな。ちなみに、ジェリーさんのバンドにオーディションを受けて入ってきたのが、仲本興喜(仲本工事)です。

──『8時だョ!全員集合』のコントでは、失礼ながら「なにもしない人」という印象でしたが、ご自身としての思いは?
 ハハハ。そうだよね。でも僕は「ウケないことが高木ブーの存在意義」だったと思ってます。ドリフの最大の武器であり特徴は「5人いる」ということ。たとえば探検隊のコントで、隊長に言われてロープにつかまりながら川を越える場面でも、僕がどうにかうまくいって、仲本があっさり成功する。そのあとで加藤や志村がヘンなことをしたり失敗したりするから、大きな笑いになる。違う個性の5人がいるから立体的な話になるんだよね。
 最初から加藤や志村が出てきて失敗しても、きっとあんまり面白くない。逆に、僕や仲本がヘンにウケるようなことをしたら、そのあとで加藤や志村がウケても、コント全体の面白さとしてはイマイチになっちゃう。高木ブーはウケちゃいけない。
「なにもしない人」というのも、僕にとってはホメ言葉です。さっきの探検隊の話だと、意外に難しいのが、自分が先に川を渡り終えた後にどうしているか。ただ突っ立ってちゃダメだし、目立つのはもっとダメ。たとえば志村が川に落っこちたら、ちゃんと驚いたリアクションを取る。でも、けっしてお客さんの目を自分に向けさせちゃいけない。
 今でも覚えてるのが、長さんと藤山寛美さんの「松竹新喜劇」を見に行ったときのこと。隣りに座った長さんに「いいか、ブーたん、主役ばっかり見てるんじゃないぞ。見なきゃいけないのは、脇の役者がどういう動きをしてるかだ」と言われた。僕はドリフでは「第5の男」だけど、その役割に誇りを持ってます。

──80代後半からますます活躍の幅が広がっている。いくつになっても元気で、長く仕事を続けることができている秘訣は?
 どうなのかな、自分ではよくわからないけど、のし上がってやるという野心とかがなくて、流れに身を任せてきたのがよかったのかもしれない。子どものころからだけど、目標を決めて突き進んでいくというよりは、楽しそうなことに飛びついたり、誰かに「いっしょにやろう」と声をかけられてついていったりということの連続だった。
 人生は、思い通りにいくわけじゃない。僕も子どもの頃は空襲で家が燃えて何もかも失ったし、大人になってからも最愛の妻の喜代子さんを58歳の若さで亡くした。ドリフのメンバーとの悲しい別れもあった。だけど、そのときの自分にできることをしながら、前を向いて歩いて行くしかないんだよね。そうすれば何かに出会えるし何かが始まる。

──今年の2月にはハワイのフェスで演奏し、3月には2冊目の画集『高木ブー画集RETURNS ドリフターズよ永遠に』、つい先ごろは自叙伝『アロハ 90歳の僕 ゆっくり、のんびり生きましょう』も発売された。90代に向けての野望は?
 僕の夢は、100歳まで現役を続けること。ウクレレ奏者としては、サザンの関口和之君や荻野目洋子ちゃんや野村義男君たちと一緒にやってる「1933ウクレレオールスターズ」の活動に、引き続き力を入れていきたい。去年は関口君に『パパの手』っていう久々の新曲も作ってもらったしね。
 ドリフの高木ブーとしては、加藤とふたりで力を合わせて、若い人たちに「ドリフ」をどんどん伝えていきたい。画集も自叙伝も、僕がどうのじゃなくて、たくさんの人がドリフのことを思い出してくれたらいいなと思って出した。親御さんと読んで、テレビの前でドリフを見て一緒に笑っていた頃を思い出してもらえたら最高に嬉しい。
 そうだ、孫のコタロウの結婚式でお祝いの歌を演奏するっていう夢もある。この春から大学生だから、僕が100歳まで元気ならあり得なくはないよね。なんてことを考えながら、これからもゆらゆらと流されていきます。90代の高木ブーも、よろしくお願いします。
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 高木ブーさんによると、欲がないのが長生きの秘訣だそうです。日本の芸能史上、「8時だよ全員集合」のような大道具・小道具に満ちた舞台設定は莫大な経費が掛かり、現在では無理です。当時でもワンステージで費用が200万から500万円かかったと言われています。CGがなかった当時はすべて生放送で、ステージを車が走り回ったり、滝の場面で水が天井から噴き出したりするシーンは特筆すべきものでした。
 ドリフターズに興味がある方は「ドリフターズとその時代」(笹山敬輔:文春新書)の一読をお勧めします。ドリフターズの結成から解散までをその時代とともに詳しく解説しています。最近の芸能人は大半が小粒で、学芸会のような小芸で大衆受けを狙うものばかりです。ドリフターズのような偉大なコミック・グループはもう二度と登場しないでしょう。

2023年04月09日