#319 縁を生かす

 大牟田市の公立小中学校は今日から学校が再開しました。夏休みは8月8日から17日までの10日間しかありませんでした。新型コロナの影響で3月から3か月間の休校措置のあとなので夏季休暇が短いことは分かりますが、35度を超える残暑の中ではエアコンがなければ授業にならないでしょう。また生徒だけでなく教員側も休みが取れず、酷暑の中で生徒指導を行わなければならず、例年以上の疲労が蓄積するはずです。
 さて、私が非常勤講師をしています明光学園では昨日2学期の始業式が行われ、午後は教員研修会が行われました。研修会の冒頭でシスターが珠玉の話を紹介されましたので、本日はその話(実話です)をご紹介します。

----------
『縁を生かす』
 その先生が5年生の担任になった時、一人、服装が汚くだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。3年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」先生の胸に激しい痛みが走った。
 ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分らないところは教えてあげるから」
 少年は初めて笑顔を見せた。 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を上げた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」
 6年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で、一番すばらしい先生でした」
 それから6年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
 10年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と、父親に叩かれた体験があるから、患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担当してくださった先生です」
 そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

鈴木秀子 「縁を生かす」 『致知』(2009年12月号)より
(http://www.foster1.com/article/14595216.html)
----------

人生において様々な出会いは偶然ではなく、縁によって生じます。親子や兄弟姉妹の縁、夫婦の縁、友情、師弟関係、すべて有縁によるものです。特に多くの人と接する教員は様々な出会いを体験します。出会う生徒や保護者、そして周囲の同僚など不思議な縁でつながっています。良縁や悪縁などもすべて自分で引き寄せたものです。様々な良き出会いを通して、自分がどれだけ成長できるかが人生の目的かもしれません。「人生は旅」に例えられるゆえんです。

2020年08月18日