#170 生きていくあなたへ(1)
4月も早や中旬を迎え、青葉がますます煌めき始める頃となりました。昨日は低気圧通過のせいで、九州地方はかなりの雨量となりましたが、それがかえって新緑の季節に色合いを添えています。
さて本日から数回にわたり故日野原重明の最後の対談集である「生きていくあなたへ」(幻冬舎刊)から抜粋したいと思います。この本は日野原先生が亡くなられる半年ほど前に対談形式で録音したものを編集したものです。先生の最後の肉声が聞こえてきます。また、あとがきに先生最期のメッセージが載っています。今日はその中から印象に残ったものを取り上げてみます。
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Q:先生は命の尊さを伝える活動を続けてこられましたが、命とはどんなものなのでしょうか?
A:命とは目には見えないけれど確かに存在する、エネルギー体のようなものです。ではそのエネルギー体はどこに存在するのかということですよね。僕は長年、命の尊さを伝えることを使命として、「命の授業」というタイトルで全国の10歳の子ども達と交流してきました。僕は子ども達にこう問いかけます。
「命はどこにあると思う?」
そうすると子ども達は心臓のあたりを指したり、脳みそと答えたりするのです。
心臓は身体を動かすために働いている単なるポンプのようなものに過ぎないよ。脳みそはいろんなことを考え出す機能を持った身体の一部でしかないんだよ、そして、「命というのは君達が使える時間の中にあるんだよ」と子ども達に伝えてきました。僕は続けます。
君達は今、毎日朝ごはんを食べて、学校に来て勉強して、友達と遊んで……。これは誰のためにしてると思う?すべて自分のためだよね。君達は、子どものうちは与えられている時間を全部自分のために使いなさい。だけれども、君達が大きくなったら、その時間をほかの人のため、社会のために使わないといけない。そう気づく時が必ず来るよ。だから大きくなって大人になったら、君達の時間をできるだけまわりの人のために使ってくださいね。
そして地上での時間が終わったとき、神様が天秤を持って待っているのです。生きてきた時間のうち、人のために使った時間が多いか、自分のために使った時間が多いかをはかって、人のために使ったほうが多い人が天国に行けるんだよ。
そう話すと、子ども達は目をきらきらさせて、僕の話を聞いてくれます。子ども達は、大人よりすんなりと理解してくれるものです。「天の御国は子どものような心を持ったもののためにある」という意味の聖書の言葉があります。
命とは何であるか。本当に理解しているのは、もしかしたら子どものほうかもしれないですね。
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日野原先生の仰るとおり、人間の価値はお金や地位や権力、容姿容貌で決まるのではなく、生きている間にどれだけ他人のために自分の時間を使ったか、換言すれば、「どれだけ人を愛したか」に尽きると思います。私のような我欲の多い凡人にはなかなか到達できる心境ではありません。しかし自分にできることを少しずつ実行していくことで、いつか神様の善悪をはかる天秤が少しでも平行になるよう努めたいと思います。