#333 天国と地獄の違い
11月も下旬となり銀杏の葉もすっかり黄金色に変わって落ち葉が黄色の絨毯のように見えます。この季節には東京の神宮外苑の銀杏並木がテレビに映し出され、行きゆく人々が足を止め、しばしこの光景に見とれている場面が放映されます。季節はすっかり晩秋の装いを漂わせています。そして11月もまもなく過ぎ去ろうとしています。
さて「天国と地獄の箸」の話をご存じでしょうか。先日久しぶりに仏教に関する本を検索していましたら、この話が出てきましたのでご紹介します。宗教的な意味合いでなく現実の世の中にも当てはまる物語です。
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昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。
罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。
次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。男は、「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。
同じ食事を前にしながら、一方は、俺が俺がと先を争い傷つけあっています。もう片方は、相手を思いやり、相手から思いやられ、感謝しながら、互いに食事を楽しんでいます。どちらが幸せかということは明らかなことです。自分さえよければでは、幸せになれません。一人ぼっちになってしまいます。幸せの花は、相手(他)と自分との間に咲くからです。
「仏教事典 三尺三寸箸 極楽の箸はなぜ長いのか」より引用
(https://bukkyouwakaru.com/dic/s34.html)
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上記の話の出典は残念ながら分かりません。ネットで調べても様々な意見があり、定まっていないようです。一説には禅宗の山田無文老師の説話の中に出てきたという話もあります。ただこの話は単なる仏教説話ではなく、私たちが生きている現実の世界を表しています。毎日戦いに明け暮れる国もあれば、自国の利益しか考えない国もあります。世界は我欲の塊で動いています。その結果が戦争へとつながります。
また個人レベルでは金のために犯罪に手を染める者も世の中には数多くいます。日々様々な悩みに苦悩する人も多くいます。上記にある天国(極楽)のようにお互いが思いやりを持って接することができればこの地上に天国を作り出すことができるでしょう。この世を天国にするか、地獄にするかはすべて私たち一人ひとりの日々の心がけにかかっています。どうせ住むなら地獄よりも天国に住みたいものです。