#190 七夕と光害(1)

 暦の上では立秋を過ぎましたが、日中はまだ35度を超える猛暑が続いています。それでも早朝や夜は涼しい風が吹き始め、特に深夜に今まで鳴いていなかった虫の音が聞こえてきます。残暑厳しい中で季節は確実に移ろい始めているようです。
 さて今日は七夕と「光害」について述べたいと思います。最近では七夕の行事をを7月に行うことが多くなりましたが、七夕行事は旧暦で行うのが常識です。7月に行いますと、季節は梅雨後半になりますので、梅雨空では夜の星空を目にすることができません。まして織り姫と彦星は1年に1回しか出会えませんので、昔の人は二人に対してそのような酷な設定はしないはずです。旧暦の7月7日(8月の上旬に当たります)に祝ってこそ夏の夜空が楽しめるということです。七夕伝説は古来中国から日本に入ってきていますので、当時の中国の文化が色濃く影響しています。
 ところで、なぜ七夕がこの時期に設定されたかご存知でしょうか。夏の夜空が奇麗だからでしょうか。昔の人は現代のような優れた科学力を持っていたわけではありませんが、現代人よりも自然観察力に秀でていました。もし現代の知識を用いて七夕の時期を説明すると次のようになります。「生き方は星空が教えてくれる」(木内鶴彦著、サンマーク出版)から引用します。かなり長い引用になりますので、2回に分けてお伝えします。
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『夜空の「明るさ」が人類を破滅に追い込む』
 ところで、唐突な質問ですが、みなさんはなぜ1年のうちで七夕の日だけ、織り姫と彦星が合うことができると言われているのか知っていますか?
 実は、旧暦の七月七日というのは、1年のうちでただ一度、半月が天の川の中に位置する日なのです。半月も天の川も、その明るさは共に十七等星と同じです。天の川を形づくる無数の星々もこの日だけは半月の明るさにその輝きが相殺されるため、天の川は夜空から姿を消してしまうのです。天の川の流れが消えてなくなるため、織り姫と彦星はめでたく会えるというわけですね。
 今の都会では、七夕でなくても天の川は姿を消してしまっています。それだけ夜空が明るくなってしまっているということです。
 なぜ、この話を持ち出したかというと、夜空が明るくなっていることが、地球上に深刻な問題を引き起こしているからです。前述の「将来世代フォーラム」の世界会議の最中、彗星や小惑星の地球への衝突を回避させるという私の提案に水を差す人物が現れました。ヨーロッパの植物学者である彼は、次のように言いました。
 「君が言っているのは百年も、百二十年も未来のことだろう。地球はどうせそこまでもたないのだから、そんな計画も結局は無駄になるだけだ。だからやめてしまったほうがいい。」
 私はビックリして、なぜ地球が百年もたないのかと、尋ねました。
 「君は今年(1994年)、ヨーロッパの植物学会で発表された内容を知らないのか?」
 知らないと答えると、彼は実に衝撃的な報告をしてくれたのです。それは17年後には、世界中の植物がいっせいに枯れ始め、約三年ですべての植物が枯れてしまうだろうという調査報告でした。1994年から数えて17年後ですから、2011年には植物がいっせいに枯れ始めてしまうというのです。
 植物の死は、動物の死に直結します。つまりこの植物学者は、2014年にはどうせ人類はみな死に絶えてしまうのだから、彗星のことなど気にするだけ無駄だと言ったのです。
 植物がいっせいに枯れるなんて、そんなバカな 、そう思われるかもしれませんが、この植物学者の言ったことは嘘ではなかったのです。最近、昔よりも夜が明るくなったと感じている人は少なくないはずです。夜空に見える星の数が減ったのは、大気汚染のためばかりではありません。夜空が明るいために、星の明るさが打ち消されてしまっているのです。
2002年7月7日、七夕の日の朝日新聞に次のような記事が載っていました。
 「全国の市民の協力で夜空の「明るさ」を調べたところ、調査を始めた88年以来、今年1月が最も明るかったことが分かった。(中略)02年1月は全国381地点で観察。明るさの平均値は巨大都市(人口100万人以上)が16.9等、大都市(同30万人以上)が17.6、中都市(同10万人以上)が18.0、小都市(10万人未満)が20.4だった。」
 この数字は空の明るさを星の等級で表したもので、数が小さいほど明るく、大きいほど暗いということになります。
 皆さんは「光害」という言葉をご存知でしょうか。これは一晩中消えることのない街のネオンや照明、大気汚染や気象条件の変化などによってつくり出された「明るい夜」がもたらす害のことです。夜空が17等星の明るさというのは、空一面が17等星の星で埋め尽くされたときの明るさなのですが、一般の方にはなかなかピンとこないかもしれません。17等星で埋め尽くされた明るさというのは、実は半月時の夜空の明るさとほぼ同じです。そして夜空にはもう1つ同じぐらいの明るさのものがあります。それは天の川です。そこで冒頭で述べた七夕の話につながるわけです。では、なぜ夜が明るいことが害になるのでしょうか。
 昼間は明るく、夜は暗く、これが自然のリズムです。植物は昼間、太陽の光を受けて光合成を行い、夜の闇では休むというサイクルをもった生き物です。それが一晩中人工的な灯りにさらされているため、ストレスを感じ弱ってきているのです。人間が同じような環境におかれたらどうなってしまうでしょう。つまり、夜になっても寝かせてもらえず一晩中働かされ続けたら、です。眠らないということが、どれほどの肉体的・精神的ダメージにつながるかということは、容易に想像がつくと思います。つまり、光害とは私たち人類の文明が植物に与えている害なのです。
 植物がすべて枯れてしまうと、大気中の酸素濃度はエベレストの山頂と同じぐらいの薄さになると言われています。エベレストの山頂ぐらいなら、息苦しいけれど死ぬほどでもないだろうと思われるかもしれませんが、実際には酸素より二酸化炭素のほうが重いため、人間の生活圏は二酸化炭素に覆われ、酸素濃度はゼロになってしまうのです。
 この危機を回避するためには、1994年から10年以内に、地球上の緑の面積を1984年当時のレベルまで戻さなければならないというのです。その植物学者は、「でも木内さん。今から10年間で地球上の森林面積を10年前の状態に戻すことなどできると思いますか?これは実際には不可能なことです。その証拠に、私がいくら訴えても、どこの国に親書を出しても誰も取り合ってくれなかった。」と、悲しそうに言いました。
 地球の大気の78%を占めているのは窒素です。あとは酸素が21%、残りの1%にその他の成分が含まれています。地球温暖化の原因として取りざたされている二酸化炭素も、大気全体から見ればわずか0.031%にすぎません。しかしこれは大気の平均的な数字で、実際には二酸化炭素は他の成分よりも重たいため、そのほとんどが地上近くにとどまることになるのです。
 地球温暖化の問題から排出量規制が叫ばれるなど、二酸化炭素は悪者扱いされることが多いのですが、植物にとっては必要不可欠なものです。我々動物が酸素がないと生きていけないように、植物は二酸化炭素がなければ生きてきけません。ですから、地球上の動植物が命をつないでいくために求められているのは、大気中の酸素と二酸化炭素のバランスをとることなのです。投げやりな気分になってたその植物学者に、私はさらなるデータの収集を頼みました。
 大気中の二酸化炭素の適切な割合というのは、何パーセントから何パーセントまでなのか、そして現在、標高ゼロメートル地帯にある都市部の二酸化炭素濃度はどのくらいで、それは生存可能範囲のどの辺りに位置しているものなのか、それを知ることができる分布図を作ってほしいと頼んだのです。
 今、自分の国がレッドゾーンに入っていると知れば、先進国もこの問題を真剣に考えてくれるようになるでしょうし、逆に酸素を世界中に提供している国があれば、先進国が援助の手を差し伸べることによって森林伐採を食い止めることができると考えたからです。
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(次回のブログに続きます。)

2018年08月12日