#219 神の慮り
今日は2月3日、節分です。明日は立春となり、暦の上では春を迎えます。しかし、春とは言いながらまだまだ寒い日が続きます。今年の福岡の冬は昨年と比べてそれほど厳しい寒波が到来していませんが、東北地方やや北海道では例年通り大雪となっています。また北アメリカでは零下30度を超す極寒が続いており、ナイアガラ瀑布も凍結しかかっています。寒波による死者もすでに20名を超えているそうです。これ以上寒波が続かないことを祈るばかりです。
さて福岡県内の私立高校の入試はすべて終了し、5日には公立高校の推薦入試が実施されます。以前は公立高校で推薦入試は行われていませんでしたが、生徒減少による生徒確保のためでしょうか、公立学校でも推入試が行われています。また現在すでに大学入試も始まっており、地元の福岡大学や西南学院大学を始めとする各大學の入試が実施されています。入試は受験生にとって大きな試練となります。その後の人生を左右する大切な選択ですので、第1志望の合格を目指してもらいたいと思います。
しかしながら、誰もが第1志望に合格できるとは限りません。本人の努力に応じて結果がついてきますし、当日の健康状態や運も成功する大きな要素となります。これは入試だけでなく、入社試験や人生の岐路においても当てはまります。特にスポーツや芸術において優勝や入賞の栄冠を手にするのは参加者の中でごくわずかの勝利者のみです。大半の人はそれを獲得することができず、挫折や失望感を味わい、その厳しい競争から姿を消していきます。これはすべての分野にも言えることです。例えば企業で昇進する人数は限られており、管理職までたどり着けるのは、ごくわずかの人だけです。本人の能力や日々の努力と営業実績、そして運が大きく左右します。大半の社員は途中で昇進を諦めなければなりません。このことは日本だけでなく、世界中で行われている現実です。ある意味では厳しい競争なしには発展しない世の中となっています。
そのような環境で生きている私たちですが、挫折を経験した人に素晴らしい詩を紹介したいと思います。本日のブログタイトルの「神の慮り(おもんばかり)」です。この詩はずいぶん前に何かの本で読んだことがありましたが、記憶の中からすっかり消えていました。現在受験生の指導をしており、ふとこの詩を思い出した次第です。なお原詩は英語ですが、よく知られている神渡良平詩の訳詞でご紹介します。
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「神の慮り」A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED (神渡良平訳)
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと
神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱な体を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして
権力を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた
言葉に表されていない祈りが叶えられていたのだ
ああ、私はあらゆる人の中で
もっとも豊かで祝福されていたのだ
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この詩はニューヨーク大学病院リハビリセンターのロビーに掲げられている、ある患者さんの詩で作者不詳となっています。どのような患者さんか分かりませんが、自分の与えられている病状や今までの人生を振り返り、このような詩が生まれたと考えられます。実に味わい深い詩です。受験や入社試験の失敗、失恋や闘病など人生に失敗はつきものです。その「失敗から何を学ぶか」が一人ひとりに人生の課題として与えられています。それぞれの失敗を学び、克服し、失意の中から新しい希望を見出したいものです。
高村光太郎の詩「道程」の一節にあります「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」はすべての生き方に通じるものです。自分の人生を振り返ると、一本の道ができています。それが一人ひとりの人生です。自分の未来はまだ分かりませんが、目の前のものを取捨選択することで新しい人生が生まれます。与えられたものには何一つ無駄なものはありません。人生の一つ一つの課題をこなして一歩一歩前に進んでいきましょう。目の前の大きな課題を与えられている受験生頑張れ!