#395 国民の命を守らない国

 前回のブログで述べましたが、東京パラリンピックも本日が最終日で、閉会式が夜に行われます。様々な競技がテレビ放送などを通して紹介され、日本人アスリートたちが大活躍しています。オリンピックは主に若人の集いですが、パラリンピックは中高年のアスリートたちが頑張っています。50歳以上の選手も稀ではなく、障がいの程度や能力に応じて競技が振り分けられているので、同じレベルの選手が集まり、年齢にかかわらず参加しています。また、日頃あまり目立たない種目も放送され、パラリンピックの種目の多さに目を見張るばかりです。
 このパラリンピックの普及により、障がい者への理解がより深まることと思いますが、パラリンピックに参加できないような障がいの大きい寝たきりの障がい者などへの理解も同時に進めていくべきでしょう。障がい者に優しい街作り、国造りはまだまだ進んでいません。道路や建物などのハード面だけでなく、他者に対する思いやりなどのソフト面も充実させる必要があります。これは私たち一人ひとりの課題です。
 さて、残念な非情に腹の立つ事案が発生しました。先月アメリカ軍の撤退によりアフガンはタリバン政権に取って代わられましたが、その際に日本政府は日本人救出に遅れたばかりに数百人の方が今でもアフガンに取り残されています。
 外務省はかなり早い段階でアフガン情勢を把握していたはずです。また報道でも連日のようにアフガンの危機的な状況を伝えていました。ところが政府が実際自衛隊機を派遣させたのは首都カブール陥落する直前でした。これでは国外退避どころか、地方にいる日本人たちがカブール空港に集まるのは不可能です。
 アフガンにある日本大使館は政府と逐次連絡を取っていたのでしょうが、あまりにも政府の無能・無策に腹が立ちます。これは新型コロナ対策にも言えます。アフガンにしても、コロナにしても政府は非常事態の意味が分かっていないのです。すべて段取りに時間がかかる平時の行動様式を取っています。アフガン撤退に関して興味ある記事がありましたので、かなり長い記事ですが転載します。
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『日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由』
 自衛隊にとっては歴史的な任務だった。8月23、24日に、数百人の自衛隊員が拍手に送られ、行進しながら3機の軍用機に乗り込んだ。指をズボンの縫い目に当て、まるで戦地に向かうかのようだった。最終目的地はアフガニスタンのカブール。目的は現地に残る数人の日本人を帰還させ、日本に関係する約500人のアフガニンスタン人を国外退避させることだった。

<約500人のアフガン人を保護する予定だった>
 今回の退避作戦が成功していれば、自衛隊による初の外国人救援になっていただろう。救援したアフガニスタン人に対して、定住者ビザを発行していれば、移民の受け入れについては世界からかなり後れをとって批判されている日本のプラスになったかもしれない。
 日本が保護することを考えていたアフガニスタン人500人は、通常時の約16年分の亡命件数(2005年から511件)に相当する。2020年に日本が許可した数が47件だったことを考えるとかなりの数だ。
 だが、残念ながら作戦は完全に失敗に終わった。このためにパキスタンに3機の自衛隊機を送ったが、脱出させることができたのは日本人1人だった。このほか14人のアフガニスタン人を搭乗させたが、彼らはアメリカ人に雇われていた人たちであり、今回の作戦の対象となった人は誰1人カブール空港にでさえ到着できなかったのだ。
 「考えうる最悪の退避オペレーション。派遣された自衛隊員、米軍兵士らに責任はない。限界以上のことをしている。各政府の見通しと計画の問題」と、紛争の予防に尽力する国際NGO、REALsの瀬谷ルミ子理事長はツイッターにこう書いた。「搭乗予定だった数百名の個人情報は検問を通るためという理由でタリバンに提出されている。それが何に使われるか」。
 今回の成果は、韓国と比べてもかなり見劣りする。韓国人に雇われたアフガニスタン人とその家族391人は8月26日にソウルに到着し、長期滞在許可証を取得する予定だ。
 いくつかの報道によると、自衛隊は日本に雇用されているアフガニスタン人をその場で脱出させようと試みた。26日、十数台のバスをカブール市内の各所でチャーターしたが、輸送と同時に空港付近でテロが起こったため、その任務を中止せざるを得なくなったのだ。今回帰国した唯一の日本人である共同通信社の安井浩美氏は、ジャーナリスト用にカタールがチャーターしたバスになんとか乗ることができたという。
 この失敗から学べる教訓はあるだろうか。自衛隊法第84条の3または第84条の4は、邦人、および外国人を避難させるための法的根拠である。これらの条項は、現地当局の同意、または活動状況の安全性が確かであることを求めているが、今回の場合、例えばタリバンの同意を得ることは現実的ではないなど、法律の限界を指摘する声も少なくない。
 だが、瀬谷理事長が述べている通り、今回の失敗は軍事ではなく、政治的な失敗だ。「カブールが陥落したのは15日だが、政府がアフガニスタン入りを決めたのは23日。日本のアフガニスタン入りは遅すぎたし、行動を起こすのも遅すぎた」と、安全保障問題に詳しい慶應義塾大学総合政策学部の鶴岡路人准教授は指摘する。
 自衛隊の動きが遅かったのは今回だけではない。「2013年にフィリピンでハイエン台風が起こり、日本が『緊急援助隊』をフィリピンに送った時、自衛隊は大災害の2週間後に到着した。自衛隊はあまり多くの人々を救助できなかった」と、ある外国の軍事関係者は振り返る。
 「自衛隊は8月25日に到着した。アメリカ軍撤退予定日のわずか1週間前だ。フランスの最後の飛行機はその1週間前に到着している」と、フランスの軍事関係者も話す。
なぜ日本政府が動くのはこんなにも遅かったのか。残念ながら、日本政府は日本人に協力してきたアフガニスタン人について何も考えてなかったように見える。
 実際、日本大使館の職員12人は8月17日にイギリスの軍用機を利用して国外退避した。この時、アフガニスタン人のスタッフが1人も同乗していない。
 「いったん外交官の退避が終わると、『任務は完了した』という安堵感が漂った」と、鶴岡准教授は指摘する。「政治家たちの注意力は低いままだったが、自民党議員に背中を押され、他国の作戦を目の当たりにしてやっと、政府はアフガニスタン人の同僚たちも救出されるべきではないかと気がついた」。
 岡田隆駐アフガニスタン大使は、ガニ政権崩壊までにアフガニスタンを離れていたと伝えられている。イギリスやフランスの大使が、最後まで残って業務を続けたのと対照的だ。

<フランスは今春から退避計画をしていた>
アメリカ軍が撤退することはすでに前トランプ大統領時に決められていた。タリバンによる全土掌握が予想以上に早かったとはいえ、日本政府が事前に準備することはできなかったのだろうか。
 「そもそもフランスが本国への送還を始めたのは、この状況が予測できるようになってきた今春のことだった。まず、大使館の現地職員とその家族を脱出させ、7月には残りのフランス人を送還するための特別便を計画した。このため、8月15日以降の避難活動は、アフガニスタンの一般市民と、7月の便での帰国を拒否した一部のフランス人が中心となっている」と、フランス人らの退避に携わったフランスの外交官は説明している。
日本大使館や日本の関係機関へ協力してきたアフガニンスタン人は今も危機にさらされている。日本政府にはこうした人たちを救うために、引き続き尽力してもらいたい。
(東洋経済ON LINE: https://toyokeizai.net/articles/-/451919)

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 日本政府は国内の事件や災害に対する対応は確かに早いですが、国外の事案になると極端に対応が遅くなります。これは領土問題や外交に関する問題なども同様の対応を行う傾向があります。北方領土や尖閣列島、竹島の問題が進まないのも政府の積極的な対応を行わなかったことに起因します。残された方々の安否が懸念されます。
 現在試行中も新型コロナに対する対応も、ワクチン接種以外は遅々として進んでいません。自宅待機者が10万人を超え、自宅で亡くなる方も増えています。海外では「野戦病院」を各地に作り、増加する患者に対応してきましたが、日本では多くが民間の病院で、患者の受け入れを断る病院が少なくないと報じています。政府は諸問題が山積していますが、ワクチン接種だけでなく、「野戦病院」を設置して現在の緊急課題である多くの自宅待機者を救うべきです。これでは国民の命を救う政府・国家とは言えません。誰のための国でしょうか。

2021年09月05日