#412 普通の幸せ
2021年(令和3年)も今日で終わります。今年もコロナに始まり、コロナで終わった一年でした。文科省の指示により小規模の塾・予備校は運営を継続できましたので、当塾は幸い授業を休まずに運営できました。塾生たちもほとんど休まず、元気に授業に参加してくれました。
一方、世間に目を向けますと、コロナの影響で多くの業種に不況の波が押し寄せています。特に航空業界では需要の激減により多くの客室乗務員が出向となり、中には神社の巫女さんになっている女性がニュースで報道されていました。また旅行業界、特に多くの旅館が閉鎖になったことは言うまでもありません。また非正規社員を中心に多くの失業者が今でも出ており、生活の基盤が失われたのは悲しい現実です。
他国と比べて、現在の日本はコロナ感染が一応落ち着いていますが、それでも世界的なオミクロン株の流行や、年末年始の人出の多さに伴い、いつ大規模な流行につながるか分かりません。コロナ禍の現状に油断せず、できるだけ人込みを避けるような工夫は今でも必要です。オミクロン株が国内で流行するかどうかは一人ひとりの自覚にかかっています。
このようにコロナ禍が続く今年一年間をふり返ってみますと、多くの人々が気づいたことがあります。それは「普通の幸せがいかに大切か」ということです。普通に働ける仕事がある。勉強ができる学校がある。家族皆が元気である。自由に移動や旅行ができる。これらはコロナ前には誰もがあまり意識しなかったことです。
多くの人が普通に生活し、不平不満を漏らし、自分以外の外に幸せを求める傾向があったのですが、コロナ禍で生活が一変し、今まで暮らしてきた普通の生活がいかに幸せで貴重な時間だったかをようやく世の中の人々は気づき始めました。これは不幸中の幸いと言わざるをえません。コロナの発生起源については様々な憶測が乱れ飛んでいますが、一つだけ言えることは「このコロナ禍で人類は何を学んだか」ということです。その答えの一つが「普通の幸せ」です。
日本のヘレンケラーと呼ばれた故中村久子さんの「こころの手足」という本の中に次のような詩があります。
ある ある ある
さわやかな秋の朝
「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える良人がある
「ハーイ」という娘がおる
歯をみがく
義歯の取り外し かおを洗う
短いけれど指のない
まるいつよい手が何でもしてくれる
断端に骨のない やわらかい腕もある
何でもしてくれる 短い手もある
ある ある ある
みんなある
さわやかな秋の朝
今年もいろいろありました。来る年が皆様にとって、幸せな年となりますように心から祈念します。