#130 ゆく川の流れは絶えずして

 九月になり季節は日ごとに秋めいてきました。つい一週間前には朝の最低気温が28度前後でしたが、今日の最低気温は20度を下回り、18.6度を記録しています。確かに日中はまだ30度を超す日が続いていますが、それでも朝夕はすっかり秋の気候になり、寝るときもエアコンを使用しなくてもすみます。日々の忙しさに追われている間に、いつの間にか季節は移ろい、そして静かに時は流れて行きます。
 個人的にはこの季節感が一年で一番好きな時期です。夏の季節に秋の気配が漂い、2つの季節の微妙なコントラストを肌で感じることができます。例えば秋空を示すイワシ雲が上空に漂う一方で、遠くの山々の上空にはまだ入道雲が沸いています。スーパーマーケットの食品コーナーではまだスイカが販売されている一方で、ナシやリンゴがすでに売り場に並んでいます。
 私が大学生の頃には今ほど地球温暖化が進んでいませんでしたので、毎年お盆過ぎには今日のような季節感を楽しむことができました。毎年八月の下旬に京都へ出かけ、レンタサイクルを利用して京都市内を一周したものです。朝の九時過ぎに当時京都駅前にあるレンタサイクル店で自転車を借りて、清水寺や銀閣寺、京都大学を前を通り、大覚寺や嵐山、そして桂川沿いに京都駅まで戻ってきます。京都市内およそ7時間で一周できるサイクリングをしたものです。特に加茂川や嵐山の桂川の川辺を自転車で走りますと、夏の暑さの中で吹く秋風を感じたものでした。いつか機会があればまた京都を訪れたいと思っています。
 夏が終わり、秋が始まるこの微妙な季節感がとても面白く、いわゆる「わび」や「さび」を感じさせてくれます。「方上記」の冒頭に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と語った鴨長明がこのような季節感を愛でていたのが分かる気がします。彼も移ろい行く季節の中で日々の出来事や人々の営みに無常感を感じていたことでしょう。
 季節と同様に、世の中もいつの間にか移ろいで行きます。私は所用で月に二度ほど以前住んでいた福岡に行きますが、先日バスの車窓から以前よく行っていた六本松の隣にある梅光園の書店が無くなっているのを見つけ、無常感を感じたところです。今まで慣れ親しんだ事物が無くなることに、一抹の寂寞感を感じるとともに、六本松地区の再開発の進展に新しい街の息吹を感じ、まさに「いく川の流れは絶えずして」の感があります。また天神地区も今後数年で新しいビル群が誕生します。時代とともに福岡市は大きく発展していきます。
 また人も同じように老いてこの世を去る人がいる一方で、新しい命を授かる人もいます。すべてが「いく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」です。それでは私たちがこの世に留まる短い間に、何ができるでしょうか?答えは人それぞれ異なりますが、自分のためだけでなく「他人のために生きる」ことができる人は幸いな人だと思います。人生も、時代もすべて流れていきます。悔いの残らない人生を歩みたいものです。

2017年09月03日